「中学校美術科教育における漫画 ― 制作者的視点からの

中学校美術科教育における漫画
―制作者的視点からの考察と授業実践例―
朝田 章子
(山口大学 教育学部 学校教育教員養成課程 教科教育コース 美術教育選修)
目次
はじめに
I.漫画とは
1.漫画の定義
2.漫画の表現
3.漫画と美術の関係性
4.まとめ
II.自身の制作の中で
1.他の漫画作品から受けた影響
2.漫画以外のメディアから受けた影響
3.仮面シリーズにおける心象表現
4.機能表現を重視した漫画
5.制作過程
6.個々の作品について
7.まとめ
III.美術教育の中の漫画の位置付け
1.学習指導要領の中での漫画
2.検定済教科書の中での漫画
3.まとめ
IV.美術教育の中で漫画をどう扱うか
1.教材として扱う際の利点と注意点
2.授業の実践例「漫画は芸術か否か」
3.授業の実践例「進化し続ける漫画」
4.まとめ
おわりに
2
はじめに
本研究は漫画の歴史や文化的価値、造形
要素、表現方法にも触れながら、美術教育
近年、漫画を日本が誇る文化の一つであ
における漫画の位置付けを考え、中学校美
るとする者は多い。国内において幅広い年
術科の授業の教材として漫画を取り扱う方
齢層に親しまれている日本の漫画は、
法を提案するものである。
「manga」として海外でも親しまれ、高い評
第 1 章では、漫画の定義や特性について
価を得ている。このように、大衆娯楽とし
記述し、漫画というメディアについての具
て人々を楽しませている漫画であるが、近
体的な説明を行う。また、漫画と他の芸術
年では芸術の一分野としても注目を集めて
分野の関係性についても述べ、漫画文化が
いる。漫画を取り扱った展覧会は日本に限
他の表現形態と相互に影響しあい発展して
らず、外国でも多く開かれてきたし、現代
きた過程を紹介する。
の日本では漫画専門の美術館や博物館も多
第 2 章では、筆者が自己表現として、ま
く存在する。美術専門の雑誌でも漫画につ
た、教材研究の一環として行ってきた漫画
いての特集が組まれるようになったし、現
の表現活動について振り返り、制作者の視
代アーティストの中には、漫画を表現媒体
点から漫画について考察する。
として創作活動を行う作家も出てきた。
第 3 章では、文部科学省が告示した美術
そうした時代背景の中で、中学校美術科
科の学習指導要領と、中学校で実際に使わ
の学習指導要領には漫画についての記述が
れている教科書の内容を見ていき、美術教
追加され、教科書にも漫画に関する内容が
育の中での漫画の位置付けを確認する。
加えられるようになった。漫画は子どもた
第 4 章では、筆者が実際に教育現場で行
ちにも広く浸透しているメディアであり、
った授業の報告も交え、美術教育の中で漫
美術教育の中で漫画を取り上げることが美
画を扱う具体的な方法について提案する。
術の敷居を下げ、子どもたちの美術に対す
本研究が漫画と美術教育に新たな可能性
る興味・関心を強めることにもなると考え
を示し、造形教育の発展ための一助となれ
た。
ばと思う。
3
I.漫画とは
とであり
2)
、四方田犬彦によれば、漫画は
複数の映像を結合することによって一つの
1.漫画の定義
テクストを形成する表現形式である
3)
。フ
漫画は平面造形の一分野であり、絵や文
ランスでは漫画は「連なった絵」という意
字などを用いた自己表現及び情報伝達の手
味を示すバンド・デシネ(bande dessinée)
段の一つである。北沢楽天や今泉一瓢がカ
という語で表され、中国では漫画のことを
ートゥーン(cartoon)(図 1)、コミック
連画と呼んでいる
(comic)の訳語として使用したのが漫画と
画といった漫画の呼称は、漫画が複数の映
いう語であった。カートゥーンとは一枚絵
像を連続させたメディアであるということ
や尐ないコマ数により構成されるものを指
を表している。
4)
。バンド・デシネや連
し、比べてコマ数が多くストーリー性が強
いものをコミックと呼ぶ 1) 。カートゥーン
2.漫画の表現
とコミックは漫画としてまとめられてはい
先に述べた漫画の定義に加え、スコッ
るものの、その性格は大きく異なる。
ト・マクラウドや四方田犬彦など多くの研
近年では電子機器やインターネットの普
究者が漫画の独自性として挙げているのは、
及で電子書籍としての漫画も登場し、従来、
コマや吹き出しの存在である。
紙面に描かれるものであった漫画において、
コマは漫画のテクストの最小単位であり
新たな表現方法も生まれた。このように、
5)
漫画という言葉がカバーする領域は非常に
6)
広い。表現の多様化も進んでいる現在、漫
の目安となり、複数の画像を結合し、連続
画を一言で定義してしまうことは難しい作
性を生みだす効果を持つ。吹き出しも、コ
業である。
マと同様、漫画の代表的な記号である。言
、画面を分割する一種の記号的表現である
。コマは時間と空間が区切られていること
語や図像を吹き出しの内部に書き入れるこ
とで、人物が発する音声や思考を可視化し、
画面の中に再現することができる。静止画
である漫画の中に音声表現を取り入れる上
で大きな役割を担っているのが吹き出しと
いう記号である
7)
。コマによる画面の分割
や、吹き出しによるメッセージの伝達は、
図 1:ジョルジュ・ビゴー≪魚釣り遊び≫(1887)
出典)「Wikipedia」January.31.2012 更新
http://ja.wikipedia.org/wiki/
漫画固有の表現とも言え、漫画と他のメデ
ィアの一線を画する要因となっている。絵
も文字も使用しながら、漫画が絵画とも文
漫画の定義については諸説あるが、アメ
学とも異なる芸術領域として成立している
リカの漫画家スコット・マクラウドによれ
のは、こうした漫画特有の記号的表現のた
ば、漫画とは意図的に連続性をもって並置
めであると言える。
された絵画的イメージやその他の画像のこ
こうした表現は、主に紙面上において行
4
われている。東洋においても西洋において
欧米の漫画からコマ割りの手法を取り入れ
も、漫画は肉筆画として登場した表現形態
たのも、20 世紀になってからのことだ
である。その後、版画によって複製される
そのため、漫画は比較的新しい表現形態だ
ようになり、近年においては石版や凸版、
と考えられがちであるが、その起源は古く、
平版などの近代的印刷により大量刊行され
3000 年以上も前に遡る。
るようになった
12)
。
8)
。印刷技術が進んだ現代
においても、その代表的な表現媒体は紙面
だ。雑誌や新聞、単行本など、現在でも漫
画は紙面に印刷されることが主流である。
しかし、近年のコンピューター技術の発
達や、インターネットの普及を背景に、漫
図 2:ルドルフ・テファー
≪クリプトガム氏物語≫(1845)
出典)「Wikipedia」January.31.2012 更新
http://ja.wikipedia.org/wiki/
画の中でウェブコミックという新しい表現
形態も誕生している。ウェブコミックとは、
ウェブサイト上で公開されている漫画のこ
とである。アマチュアでも簡単に漫画を公
紀元前 13 世紀のエジプトのヒエログリ
開できるという利点もあり、よしたに『ぼ
フや、≪鳥獣戯画≫(13 世紀頃)などの日本
く,オタリーマン』(2007-)や、ほしよりこ
の絵巻物、コロンブス到着前のアメリカの
『きょうの猫村さん』(2003-)など、ウェブ
英雄譚、バイユーのタペストリーといった
コミック発祥の漫画の中には、単行本化し
絵物語は漫画の原点であるとされる 13)。14
ベストセラーとなった作品もある 9)。2003
世紀のフランスの版画(図 3)の中には、
年 11 月に携帯漫画端末で読める漫画の配
人物の口元から上方に向かって描かれてい
信を、凸版印刷系のビットウェイが開始し
て以来、携帯漫画の普及も進んでいる
る巻物状の物体に記された台詞が記されて
10)
。
おり、現代の漫画における吹き出しに通じ
ウェブコミックでは紙媒体に縛られない表
るような表現がなされていると言える 14)。
現が可能であり、アニメーションやバイブ
シモーネ・マルティーニ≪受胎告知≫(1333)
レーションといった、動的な要素を持たせ
では、大天使ガブリエルが発した言葉が金
ることが可能である。
色の文字で描かれており、こうした表現も
時代の変化や、科学技術の発展にあわせ、
様々なスタイルの漫画が生み出されている。
吹き出しやオノマトペにも通じるものとし
て挙げることができる。この他にも、日本
の絵巻物の省略画法や異時同図法 15)、イタ
3.漫画と美術の関係性
リアの未来派の絵画(図 4)における動き
19 世紀中頃、近代漫画の父と呼ばれるル
の表現 16)、ムンクやゴッホを代表する表現
ドルフ・テファーが風刺絵の中でコマ割り
主義絵画の心理描写 17)など、漫画には美術
を始め(図 2)、20 世紀になってから、現代
作品に由来する表現が多く見られる。モン
のものに近い漫画が描かれるようになった
11)
タージュやクローズアップといった手法は
。日本初の職業漫画家である北沢楽天が
5
映画からヒントを得たものであり 18)、この
ことからは、現代のストーリー漫画の確立
に映画が深く関わっていることがわかる。
作中でクラシック音楽の情感を表現した一
色まこと『ピアノの森』(1998-)や二ノ宮知
子『のだめカンタービレ』(2001-2010)に例
を見るように、漫画は視覚芸術だけではな
く、音楽からもヒントを得て制作されてい
る表現分野だ。このように、漫画は他の芸
術の影響を受けながらも独特のスタイルを
確立し、長い年月をかけて発展してきた芸
図 5:ロイ・リキテンシュタイン≪た、たぶん≫(1965)
出典)『平成 18 年度版 美術 2・3 上』
(開隆堂,2006) p.22
術分野であると言えよう。
図 6:村上隆≪And Then, And Then And Then And Then And
Then(Blue)≫(1994)
図 3:中世フランス中世の銅版画
(Le Bois Protat,1370)
出典)四方田犬彦『漫画原論』(ちくま学芸文庫,1999)
p.94
出典)「アートレビュー」January.31.2012 更新
http://d.hatena.ne.jp/art-study/20090426/p1
図 7:奈良美智≪The Last Match≫(1996)
出典) 「青森県立美術館」January.31.2012 更新
http://www.aomori-museum.jp/ja/
図 4:ジャコモ・バッラ
≪鎖に繋がれた犬のダイナミズム≫(1845)
出典) 「With a kiss, passing the key」
漫画と美術の関係が強く意識されるように
January.31.2012 更新
http://rui4oyo.jugem.jp/?eid=1045&target=sequel
6
なったのは近年のことである。1960 年代初
「リトルボーイ」展(2005)、ルーヴル美術
頭に、リキテンシュタインは漫画の 1 コマ
館での「小さなデッサン展 - 漫画の世界で
を拡大して描いたような作品(図 5)を生
ルーヴルを」(2009)など、海外でも漫画に
みだし、油彩画で漫画的画面を再現した
19)
。
ついての展覧会は多く開催されるようにな
った 21)。
漫画的表現を作品に取り入れた村上隆(図
6)や奈良美智(図 7)が海外で高く評価さ
一方で、漫画が芸術か否かといった議論
れたのは 1990 年代のことだ。海外での日本
も存在する。漫画や漫画文化を低俗なもの
の漫画に対する関心の高まりが村上隆や奈
とし批判するような風潮も古くから存在す
良美智の評価につながっているとの見方も
る
あり、両氏の作品は、漫画が日本国内で文
ころにあるからこそ漫画は面白いのだとい
化として再び注目を浴びるようになった理
う意見もある。漫画と美術は別のものであ
由の一つだとも言える
20)
22)
し、低俗でくだらなく芸術から遠いと
。漫画自体が独特
り、漫画を安易に美術の中に取り入れてし
で豊かな表現力を持ち、大衆娯楽として人
まうのは危険だとする見方もある。このこ
気を博しているメディアであるが、漫画に
とは芸術の定義にも関わる問題であり、は
対する芸術的評価が高まった背景には、こ
っきりとした答えを出すことは難しいが、
うした美術家の活躍も大きいとみて間違い
漫画や漫画文化に対する評価が高まってい
ないだろう。
ることは事実だと言って差し支えないだろ
こうした状況の中で、現在では漫画に関
う。漫画に芸術的価値を見出し美術界の中
する展覧会が美術館で開催されるようにも
に取り入れようという動きは、日本国内で
なった。日本で初めて漫画を収集作品の対
も、世界的に見ても、活発化している。
象とした神奈川県の川崎市民ミュージアム
や、
「SNOOPY in MUSEUM」(2000)「井上雄彦
最後のマンガ展」(2010)などひとつの漫画
を題材にした展覧会を開催してきた大阪府
天保山のサントリーミュージアムなど、漫
画を取り扱う美術館は近年増えてきた。
中には、しりあがり寿の「オレの王国、
ちょっと橋から見てみてよ。」(2004)、「オ
レの王国、ちぢんじゃったよ。」(2007)(図
図 8:しりあがり寿『おれの王国、ちぢんじゃったよ。』
(2007)
出典)しりあがり寿『ぞんざいなそんざい』(エンターブ
レイン,2010) p.16
8)といったインスタレーションに例を見る
ように、漫画を用いた現代アートを展覧会
に展示する作家もいる。また、近年では京
都国際マンガミュージアムのような、漫画
専門の美術館も建てられ、人々の漫画に対
する芸術的関心の高まりを感じさせる。ア
メリカの「スーパーフラット」展(2000)、
7
4.まとめ
風刺画や戯画として永く大衆に親しまれ
てきた漫画は、絵画や映画といった他の芸
術分野に影響され、その表現を大きく発展
させてきた。印刷技術や通信技術の発達と
いった文明的な事情も関係し、漫画の表現
は複雑に多様化している。コマ割りや吹き
出しなど独自の表現を持ち合わせながらも、
表現の自由度がかなり高いのが、漫画が持
つ面白みの一つだと言える。
現代アートの中には漫画的な表現を取り
入れたような作品も生まれ、また、漫画を
アートとして昇華させ、美術作品として発
表するような作家も出てきた。漫画を展示
する美術館も増えており、漫画を芸術領域
の一つとして評価する気運も高まっている。
純粋美術とは異なる文脈の中で発展して
きたメディアであった漫画だが、決して美
術と無関係ではない。漫画はこれからも他
の表現形態と関係し合い、進化し続けてい
くだろう。
8
II.自身の制作の中で
(1967-1973)や藤子・F・不二夫『ドラえ
もん』(1969-1996)など昭和時代に描かれ
1.他の漫画作品から受けた影響
た漫画を好んで読んでいたためか、私の漫
画の絵柄は古風だと形容されることも多い。
また、作風は似ていないものの、漫画が
芸術作品だと再認識させ、漫画の芸術性に
ついて考えるきっかけとなったという点で
は、荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』
(1987-2004)も私に強い影響を与えている。
スタイリッシュな構図や力強いタッチ、ル
ネサンス美術などをオマージュしたとされ
る登場人物の独特なポーズは多くのファン
を魅了している。前述の「小さなデッサン
展-漫画の世界でルーヴルを」において、
『ジ
ョジョの奇妙な冒険』のスピンオフ作品『岸
部露伴ルーヴルへ行く』が展示され、フラ
ンスで同作品が出版されたことも、特筆す
べき点であろう(図 10)。
図 9:鳥山明『Dr.スランプ』(1980-1984)
私が美術教育に漫画を取り入れる方法を
模索し研究を進めるようになった背景とし
ては、私自身が長年、漫画に親しんでいた
ことが挙げられる。漫画を愛読し、自ら漫
画を描いてきた経験や、その体験の中での
気付きは本研究に大きく関係している。
作画は樫本学ヴや松本しげのぶなどのコ
ロコロコミック連載作家や、手塚治虫、鳥
山明(図 9)といった作家から影響を受け
たところもあり、はっきりした主線のデフ
ォルメされた絵柄を用いる。萩尾望都や阿
保美代といった昭和の尐女漫画の短編漫画
が持つファンタジックな要素や儚く哲学的
図 10:ミケランジェロ≪瀕死の奴隷≫(1513-1515)と
荒木飛呂彦『岸辺露伴ルーヴルへ行く』(2009)
出典) 「荒木飛呂彦に訊く マンガ×BD への回答」,荒
な物語に対する憧れも、自身の作風に影響
を及ぼしていると考える。尐女漫画以外の
木飛呂彦『岸辺露伴ルーヴルへ行く』
作品でも、ちばてつや『あしたのジョー』
(集英社,2011)
9
2.漫画以外のメディアから受けた影響
風に影響したという例もある。大学進学後
私は幼尐期より『ファンタジア』
(ウォル
には油彩画に対する興味を強め、油彩画の
トディズニー,1940)や『音楽ファンタジー
研究や制作も続けてきた。中でも、西洋絵
ゆめ』(NHK 教育テレビジョン,1992-1999)
画における図像学やアトリビュートには特
といったアニメーションに触れ、音と映像
に関心があり、油彩画を描く際にも西洋絵
が合わさったようなメディアに親しんでき
画におけるモチーフの概念を取り入れるこ
た。また、童話を描いた絵本や、テレビゲ
とが多くなった。こうした興味を反映し、
ーム『ドラゴンクエスト』シリーズ(スク
漫画の制作の中でも、花や果実といったモ
ウェア・エニックス,1986-)の物語と世界
チーフを暗喩として用いるようになった。
観にも感化され、絵と文字が合わさった表
4 年生に進級してからは、画像処理ソフ
現や、物語性を伴った映像にも興味を持っ
ト Photoshop を漫画制作に用いるようにな
ていた。ききやま制作のフリーゲーム『ゆ
ったのだが、展覧会などで担当したポスタ
めにっき』(2004)が持つ暗く不気味な雰囲
ー制作を画像処理ソフトで行っていたこと
気や、シュールな世界観には大きな衝撃を
がそのきっかけとなっている。現在では、
受け、私が制作した漫画作品には『ゆめに
線画にデジタルカメラで撮影した写真など
っき』の影響が強くみられるものもある。
の画像データを合成するといった方法を用
絵や文字を用い、音や映像、物語を表現す
い、それまでは黒一色だけで描いていた漫
る漫画に強い関心を示し、執筆活動を行っ
画に、色彩やテクスチャーを取り入れる試
てきた背景には、こうしたメディアからの
みを行っている。また、この手法において、
影響が大きいものと思われる。
私が制作した油彩画の画像を素材として用
私が好んで聴く『ルビーの指環』
(作詞・
いることもある(図 11)。私の制作活動に
松本隆、作曲・寺尾聰,1981)や『いい日旅
おける漫画と油彩画の関係は、他の分野で
立ち』
(作詞作曲・谷村新司)、
『踊り子』
(作
の作品制作が直接的に漫画制作に結びつい
詞作曲・村下孝蔵)などといった日本の歌
ている例だと言えよう。制作過程について
謡曲も、尐なからず漫画の執筆に影響を与
の詳細は後述する。
えてきた。歌謡曲の抒情的な曲調や物語性
や文学性が強い詞に強く惹かれ、それらを
自身の漫画に引用し、時には曲の世界観や
物語自体を一つの短編漫画として表現する
などした。歌謡曲の漫画化においては、歌
詞の内容のみならず、曲の旋律も念頭に置
図 11:筆者制作≪犬≫(2011) (左)と
筆者制作『仮面の人間』(2011)(右)
いた上で作品全体の構成を行った。こうし
た短編漫画の、コマ運びのテンポを強く意
識した制作は、後の漫画制作にも大きく関
3.仮面シリーズにおける心象表現
係している。
作者の想いや心理状態を表現するための
他の表現分野での自身の制作が漫画の作
漫画は、文学性や物語性を重視した、心象
10
表現的な作品だ。娯楽性や哲学性が強い形
ひみつ」(1992)などの学習研究社ひみつシ
態であり、漫画雑誌で連載されている作品
リーズ、集英社や小学館が出版している歴
の中には心象表現に重点を置いたものが多
史漫画など、教育分野の中で積極的に利用
い。
されている漫画もある 23)。
現在、私は心象表現に重点を置き、漫画
私が発表した漫画の中では、
『カイロは地
の作品制作を行っている。漫画を描く上で
球を救う』(2011)や『美術教育のウェブサ
主なテーマとしているのは、他人を欺く人
イトへあそびにいこう』(2011)、
『漫画によ
間と、その本性である。目的のために自分
る中学校美術科教育における漫画の解説』
を偽る人間と、そうした人間の正体を漫画
(2012)などが機能表現を重視した漫画だと
で表現することを目的として作品制作を行
言える。こちらも、作品の内容の詳細は後
っている。
述する。
私が自身の作品のテーマを表現する為に
選んでいるモチーフは仮面である。仮面は
顔を隠す時や、仮装する時に装着するもの
であり、西洋絵画の中では欺瞞を暗示する
モチーフとして描かれてきた。アーニョ
ロ・ブロンヅィーノの≪愛の寓意≫(1545)
(図 12)は欺瞞の象徴として仮面を描いて
いる絵画作品の例として挙げることができ
るだろう。また、世界各地の様々な文化圏
に存在してきた仮面は、多様性や造形性に
も富んでいる。仮面が秘めている意味と、
造形的魅力に強く惹かれ、執筆する漫画の
シンボルとして用いることにした。
仮面を作品の象徴として取り上げた作品
には『仮面の街』(2011)、
『迷い子と復讐者』
(2011)、
『仮面の人間』(2011)、
『仮面の言葉』
図 12:アーニョロ・ブロンヅィーノ≪愛の寓意≫(1545)
出典)「Wikipedia」January.31.2012 更新
http://ja.wikipedia.org/wiki/
(2011)、
『仮面の卒業』(2012)が挙げられる。
作品の内容の詳細については後述する。
5.制作過程
4.機能表現を重視した漫画
私の制作過程は大まかに分けて、物語や
企業等の宣伝や、学習内容の定着のため
作品全体の構成を詰める段階と、紙面に手
に描かれた漫画は、情報の伝達を主な目的
書きで漫画を描く段階、そしてスキャニン
とした、機能表現的な漫画だと言える。漫
グした原稿をパソコンの画像編集ソフトで
画というメディアが持つ親しみやすさ、わ
加工する段階の三つの工程が存在する。以
かりやすさを生かした形態である。
「自然の
11
下では、「山口大学 教育学部美術教育選
プロットが出来上がれば、次はページ配
修・大学院美術教育専修 卒業・修了制作展」
分や構図といった画面構成を具体的に決定
(2012)において発表した『仮面の卒業』
し、絵コンテ(図 13)に描き起こしていく。
を例に挙げ、私の漫画の制作過程を紹介す
漫画における絵コンテは、一般にネームと
る。
呼ばれ、漫画の設計図と形容されることも
物語や作品全体の構成を詰める段階は、
ある。作品全体の印象を決定づけてしまう
漫画制作の全行程の中で特に重要であると
重要な工程であり、ネームの段階で何回も
言われている。作品のテーマが決まったら、
構成を練り直す作家は多い。
『仮面の卒業』
そのテーマを表現するのにふさわしい設定
では、作品全体の抽象性や不可解さを高め
やエピソードを考えだし、図や文章に書き
るため、日本語の台詞を用いた言語表現を
表していく。筋書きの作業はプロットとも
抑え、擬音語や擬態語といったオノマトペ
呼ばれる。
『仮面の卒業』では、主人公の回
も排除した画面構成を行った。また、冷た
想や心理状態と現実世界が倒錯した抽象的
く無機質な世界観を演出するために、コマ
な世界観を表現するため、時系列がわかり
のサイズには目立った変化を付けず、平坦
づらくなるように、考えだしたエピソード
なコマ割りを基調とした。
紙面に漫画を描く作画の段階(図 14)で
の順番を入れ替えて物語を組み立てること
にした。
は、インクやつけペンなど、一般的に漫画
を描く際によく用いられるオーソドックス
な道具を用いて制作を進める。構図決めや
線の描画の他、原稿を部分的に黒一色で塗
りつぶすベタ塗りの作業など、全行程中、
大半の作業をアナログ原稿の段階で終わら
せる。公開している作品の中でも、画像処
理ソフトによる加工の工程を取り入れる以
前の白黒漫画の場合は、この段階で作業を
終わらせていた。
図 14:『仮面の卒業』アナログ原稿
図 13:『仮面の卒業』ネーム(絵コンテ)
スキャニングしたアナログ原稿は、主に
画像編集ソフト Photoshop を用いて加工す
12
る(図 15)。風景写真や、自身の作品画像
することを念頭に制作した作品であったた
などを線画に合成したり、塗りつぶしツー
め、効率よく冊子の大量生産を行うために
ルやブラシツールなどを用いたりし、原稿
画像データを印刷通販プリントパックに
に着色していく。画質調整機能を用い画像
web 入稿し、印刷と製本を依頼した。また、
の明度や彩度、色相を変化させたり、レイ
今回は冊子制作の他、
『仮面の卒業』の 1 ペ
ヤーの描画モードを変更し画像の重なり方
ージを B2 サイズのパネルにおこし、展覧
を調整するなど、画面に面白みが出るよう
会の会場へ展示した。
Photoshop の機能を用い画像を加工し、線
個人で漫画を制作する場合は、原稿執筆
画に合成する。
のみならず、製本や展示までを一人で行わ
なければならない。そこまでの作業を終え
てはじめて作品完成と言える。作品のテー
マや制作目的も考慮し、より効果的な形で
作品を提示できるよう、見せ方を工夫する
必要がある。
6.個々の作品について
図 15:『仮面の卒業』加工画面
以下では、大学に入学した 2008 年以降に
私が執筆した漫画について詳細を述べる。
以下で紹介する作品の中には、メッセージ
作品タイトルや台詞といった文字は、デ
性やテーマ性を強めるためにグロテスクな
ジタル処理の工程の中で原稿に挿入してい
表現を用いたものもあるが、これらはあく
く。こうした文字入れの作業は、レイアウ
まで表現活動の一環として発表したもので
トソフト Illustrator を用いて行うことが多
ある。実際に教育現場で漫画を取り扱う際
い。
『仮面の卒業』においては、台詞が尐な
には、暴力的な描写や性的な表現について
く、Illustrator を用いた文字入れは行わな
の配慮が必要である。
かったが、
『漫画による美術教育における漫
画の解説』では、研究内容の説明と言う作
6-1.『まんが 世界のジョーク集』
(2009)
品の性質上、作中の文章が長くなったため、
Illustrator による文字入れと、レイアウト
「総合造形」授業作品。世界各地で語り
継がれているジョークを漫画に描きおこし
の微調整を行っている。
たもので、1ページもしくは 2 ページのギ
原稿に着彩を施した後は、原稿の画像デ
ャグ漫画で構成された短編集である。題材
ータをプリントアウトする作業を行う。
『仮
を選ぶ際には、人間をコミカルに風刺した、
面の卒業』と『漫画による美術教育におけ
短く明快なジョークを取り上げるようこと
る漫画の解説』は、前述の「山口大学 教育
に留意した。
学部美術教育選修・大学院美術教育専修 卒
主な参考文献に、鳥賀陽正弘『頭がよく
業・修了制作展」の会場で冊子として配布
なるユダヤ人ジョーク集』(PHP 新書, 2008)、
13
早坂隆『世界の紛争地ジョーク集』中央新
た。また、発案当時は意識していなかった
書ラクレ, 2004)などがある。
が、本作は大島弓子『綿の国星』(1978-1987)
のキャラクターの擬人化表現から筆者が受
けた影響が強く表れた作品であると言える。
図 16:筆者制作『まんが 世界のジョーク集』
6-2.『desire』(2010)
2010 年度の美術教育選修 3 年生による学
図 18:筆者制作『擬』
年展「08 ‘I WANT’」会場に出展した作品。
6-4.『仮面の街』(2011)
人間が持つ欲望をテーマにした短編漫画を
数点描いた漫画である。中には、人間に対
「プレ卒業制作展」(2011)において、制
する問題提起の意味合いも込めて描いた漫
作過程を示したパネルと合わせて展示した
画も含まれていた。
作品だ。普段は隠されている、人間の本性
またこの作品は、私が執筆した漫画の中
をテーマとした短編のストーリー漫画であ
では展覧会に出展するために描かれた初め
る。絵による表現を重視し、台詞などの文
ての作品であり、美術教育研究室の活動の
章表現を極力抑えることで、抽象的で不気
中で漫画を制作し発表していくという、私
味な世界観を演出するよう心掛けた。
自身の活動の方向性を決定付けた作品であ
私が制作した漫画の中では、仮面をメイ
った。
ンのモチーフに据えた初めての作品であり、
そういった意味では後に描くストーリー漫
画の原点になっているとも言える。
また、本作では、私の新しい試みとして、
原稿をデータ化し、携帯漫画作成ツール
OpenComicCreator (Version 1.0)を用いて、
携帯漫画としての再構成を行った。携帯漫
画版『仮面の街』は、紙媒体の漫画として
制作された『仮面の街』の世界観を、携帯
図 17:筆者制作『desire』加工画面
漫画特有の面白さも生かして表現できるよ
6-3.『擬』(2011)
う、携帯電話の画面の大きさや携帯漫画が
動植物や日常品を擬人化し、4 コマ漫画
持つ動的な要素を考慮した上で制作した。
に描いた作品である。人間ではないものを
人間の姿として描くことによって、人間の
立場について改めて考えることを目的とし
14
課題として受け止め、作品を改善する努力
を重ねたい。
現代では、各漫画雑誌の編集部がアマチ
ュア作家の作品を批評する機会を設けてお
り、新鋭作家の発掘や、描き手の育成が盛
んに行われている。こうした機会も積極的
に利用し、表現者としての研究を続けたい
と考えている。
図 19:「プレ卒業制作展」会場風景
図 20:携帯漫画版『仮面の街』と
読み取り用QRコード
6-5.『迷い子と復讐者』
(2011)
人間の変化と葛藤をテーマにしたストー
リー漫画であり、この作品でも仮面をかぶ
った人間が劇中のキーパーソンとして登場
する。本作では、本心を隠すための道具と
図 21:筆者制作『迷い子と復讐者』
して仮面を用いた。
抽象的な精神世界を絵で表現することに
6-6.『カイロは地球を救う』(2011)
腐心した作品である。
山口県無有産研究所の杉本幹生氏が提唱
また、自身の表現力の向上を目的とし、
した、使い捨てカイロで自然環境を美化す
青林工藝舎の漫画雑誌『アックス』の編集
部に本作の批評を依頼した。講評の中では、
る方法を説明する目的で描いた学習漫画で
ある。「山口大学美術教育作品展 2011」
作品のテーマが興味深いという点、物語全
(2011)会場、山口大学教育学部内のラウ
体の構成が良いという点が本作の長所とし
ンジに使い捨てカイロ回収用ボックスと合
て挙げられた。しかし、途中で結末が読め
わせて展示した。
るような展開であり、話の内容にはもう一
『カイロは地球を救う』は私が画像処理ソ
工夫必要だとの指摘も受けた。作画につい
フトによる写真の合成で着色を行った初め
ては「線が汚く背景の表現も拙いため努力
ての作品であり、本作の制作は、後の作品
が必要である」との批評を受けた。今後の
15
制作に大きく影響している。
個々人の信念や個性についての問題提起
を目的として制作した作品が本作だ。作品
のアミューズメント性を高め、より多くの
人が能動的に作品と関わりを持てるよう、
仮面をモチーフとした短編漫画の近くに、
仮面の人間をプリントした等身大の記念撮
影用書き割りパネルを設置した。
この作品は、いじめをうけていた主人公
が、自己防衛のために仮面をかぶり自分を
偽り続けることで個性を失ってしまう様子
を描いた短編漫画である。人間の暴力性や
生々しさ、それらから生じる違和感を象徴
的に表現する為に、動物や機械などを軸と
してキャラクターデザインを行った。画像
処理ソフトによる着色を行う際も、テーマ
性や意味性を重視した。
本作の設置場所では、記念撮影をする人
の姿も多くみられたことから、ある程度ま
図 22:筆者制作『カイロは地球を救う』
での制作目的は達成していたと言えるだろ
う。
図 23:カイロ回収用ボックス
図 24:筆者制作『仮面の人間』
6-7.『仮面の人間』(2011)
「山口大学美術教育作品展 2011」会場に
展示した、漫画を用いたインスタレーショ
ン作品である。「山口大学美術教育作品展
2011」会期後は、制作意図を記した張り紙
とともに、山口大学教育学部の売店のラウ
ンジに設置した。
16
業・修了制作展」を後に控えた時期に行わ
れたため、本展覧会の宣伝も、本作に登場
したキャラクターを利用し、web サイトの
宣伝と同時に行った。
図 25:「山口大学美術教育作品展 2011」会場風景(上)
と教育学部売店ラウンジでの設置風景(下)
6-8.『美術教育のウェブページへあそびに
図 26:筆者制作
『美術教育のウェブサイトへあそびにいこう』
いこう』(2011)
美術教育教室および専修の web サイトの
宣伝のために描いた短編のギャグ漫画であ
る。より多くの人の目に触れるよう、人通
りが多い教育学部のラウンジ付近の廊下に
本作を展示した。本作の中では、美術教育
教室の web サイトへのアクセス方法や、同
web サイトの概要の紹介がなされている。
web サイトに対する興味が持てるよう、楽
しさとわかりやすさを意識して描いた。
本作の展示後は、わずかではあるが美術
教育の web サイトへのアクセス数が増加し
図 27:教育学部廊下での展示風景
た。
6-9.『仮面の言葉』(2011)
本作の廊下での展示は、「山口大学 教育
二人の学生の路上での会話を描いた短編
学部美術教育選修・大学院美術教育専修 卒
17
漫画。他の「仮面シリーズ」と同様、人間
人間不信を乗り越え成長する様子を描いた
の欺瞞をテーマとしているが、劇中には仮
作品である。
面そのものは登場していない。実際に起こ
本作では、
「山口大学 教育学部美術教育
りそうな、現実味のある会話シーンを再現
選修・大学院美術教育専修 卒業・修了制作
することを目的として描いた作品であり、
展」で展示することを踏まえ、他の出展者
幻想的な要素が排除されているという点も
の作品をシンボル化したキャラクターを登
他の「仮面シリーズ」とは異なる。
場させた。特定の展覧会に出展することを
本作の制作には私の漫画制作方法を、日
強く意識し、他人の作品との関連を図った
本の商業用漫画で一般的な単色での表現に
という点は、私の作品における新たな試み
応用する方法を模索する目的もあった。肉
と言える。
筆画に写真画像を合成したカラー原稿を白
その他、表現上工夫した点については前
黒 2 階調に変換するという方法をとり、白
述した通りである。
黒漫画に合わせた原稿を作成した。
図 29:筆者制作『仮面の卒業』
図 28:筆者制作『仮面の言葉』
6-10.『仮面の卒業』(2012)
「山口大学 教育学部美術教育選修・大学
院美術教育専修 卒業・修了制作展」で展示、
発表した短編漫画である。不運な主人公が
18
図 30:作花美穂≪かりそめ≫(2012)と
『仮面の卒業』内の登場人物の比較
6-11.『漫画による中学校美術科教育におけ
7.まとめ
る漫画の解説』
(2012)
私が今まで描いてきた漫画について考え
「山口大学 教育学部美術教育選修・大学
ると、様々な表現媒体と関係しているよう
院美術教育専修 卒業・修了制作展」で発表
に思う。ちばてつやは NHK のインタビュー
することを目的として制作した作品である。 の中で、小説や詩、音楽などを引き合いに
本論文を短く漫画にまとめた、いわば実用
出し、
「いろんなものを総合したのが、マン
漫画として制作された作品だ。漫画につい
ガ」だと答えている
ての研究内容を、漫画を用いて解説してい
ち味を取り入れ、演出を加えたものが漫画
るという点において、本作はスコット・マ
であるとちばてつやは語っていたが、私も
クラウド『マンガ学 マンガによるマンガの
自身の制作を通じて、同様のことを考える
ためのマンガ理論』
(美術出版社,1998)へ
ようになった。
のオマージュであると言える。
24)
。他の表現形態の持
第 1 章で述べたように、漫画は他の視覚
なるべく簡潔な内容にし、ギャグも交え
芸術の影響を受けて発展してきた表現形態
ることで、読み手にとって楽しく情報が伝
であるし、先人の漫画作品の中にも他のメ
わりやすい漫画になるよう工夫した。
ディアにヒントを得た作品は数多く存在す
また、図版や図式を多用し、黄色をペー
る。音楽や文学といった様々な分野の作品
ジの背景色に用いた明るい画面を作るなど、
が漫画の制作に関係しており、その点にお
読みやすく楽しい漫画になるよう、視覚的
いて、漫画は芸術分野の相互性について考
にも工夫を凝らした。
えることができる教材だと言える。
本作は、「山口大学 教育学部美術教育選
また、漫画が活躍できる領域の広さや、
修・大学院美術教育専修 卒業・修了制作展」
漫画が社会に及ぼす影響の大きさも、自己
においてパネル展示した他、前出の『仮面
の表現活動を通じて再認識した事柄である。
の卒業』と同様、冊子にまとめて展覧会会
心象表現的側面と、機能表現的側面を持ち、
場での配布も行った作品である。
様々な表現を可能とする漫画は、多種多様
な目的に適応しうる表現形態であり、社会
的にも有用なメディアだと言える。
図 31:筆者制作
『漫画による美術教育における漫画の解説』
19
III.美術教育の中の漫画の位置付け
容の取り扱い」に第 2 の内容についての配
慮事項として、
「日本及び諸外国の作品の独
1.学習指導要領の中での漫画
特な表現形式,漫画やイラストレーション,
1990 年代以降、海外で日本漫画のブーム
図などの多様な表現方法を活用できるよう
が起こり、日本国内でも漫画の文化的価値
にすること」という記述が追加された。
に注目する風潮が高まっているということ
このことからは指導要領内での漫画の重
は第 1 章で述べた通りである。こうした中
要度は以前よりも低くなったと指摘できる
で、日本の教育現場にも漫画を取り入れよ
が、漫画についての記述は依然として存在
うとする動きが生まれてきた。漫画の文法
し続けている。
に関する記述が国語の教科書に記載され、
学校や地域の図書館にも当然のように漫画
2.検定済教科書の中での漫画
が並ぶようになり、漫画専門の大学も設立
学校教育において、教材として使用され
されるようになった。中学校美術も例外で
る図書のことを教科用図書、または教科書
はなく、学習指導要領に漫画についての記
と呼ぶ。中でも、文部科学省の教科用図書
載がなされるようになった
25)
。学習指導要
検定に合格した教科書のことを検定済教科
領は文部科学省が告示する、学校教育の教
書という。日本の義務教育や高等学校での
育課程における基準であり、法的な拘束力
教育においては、この検定済教科書を使わ
も持つ。文部科学省が行う教科用図書検定
なければならないことになっている。
に大きく関わるなど、学習指導要領は日本
平成 10 年に告示された学習指導要領に
の学校教育に強い影響力を持っている。
「漫画」という単語が明記されたことを受
学習指導要領の中に漫画という文言が追
け、平成 10 年度版学習指導要領が完全実施
加されたのは 1998 年(平成 10 年)のこと
される平成 14 年度版の美術科の教科書に
だ。平成 10 年度版の中学校学習指導要領美
は漫画に関する項目が追加された。その後
術編には、「第 2 各学年の目標及び内容」
も学習指導要領における漫画の位置付けの
の項目内の
「第 2 学年及び第 3 学年の目標」
変化に伴い、教科書内での漫画の扱われ方
において「 表したい内容を漫画やイラスト
も変化している。
レーション,写真・ビデオ・コンピュータ
ここでは、日本文教出版、光村図書、開
等映像メディアなどで表現すること」とい
隆堂の 3 社の教科書を例に挙げ、美術科の
う記載があり、漫画を美術科の教材として
教科書における漫画の記述について考察し
扱うように明記されている。
ていくこととする。
しかし、平成 24 年度から完全実施される
新学習指導要領における漫画の記載箇所は
2-1.平成 14 年度版教科書
平成 10 年度と異なり、指導要領における漫
漫画に関する内容が追加されたはじめの
画の位置付けには変化が見られる。「第 2
教科書が平成 14 年度版の教科書だ。
各学年の目標及び内容」から漫画について
の記述は消え、
「第 3 指導計画の作成と内
20
(1)日本文教出版から
れている作品には、コマ漫画や修学旅行の
まとめ、ふりかけのパッケージ、クラスの
応援旗がある。
(2)光村図書から
図 32: 平成 14 年度版
日本文教出版「美術 2・3 上」5-7 ページ
日本文教出版では、「2・3 上」の 5-7 ペ
ージに漫画についての内容が掲載されてい
る。冊子の序盤部分の折り込みのページに
見開きで漫画の内容を掲載していることか
図 33: 平成 14 年度版
光村図書「美術 2・3 上」36-37 ページ
ら、漫画をかなり重要視していることが窺
える。ページを割いている分、内容も充実
している。
「漫画で表す」と題し、日本にお
光村図書の場合は、
「2・3 上」の 36-37
ける漫画の歴史の紹介や、漫画の手法を紹
ページに漫画についての内容が掲載されて
介した上で、漫画制作を生活の中で生かす
いる。
「漫画の表現」という題名の通り、強
方法を提案するような構成になっており、
調表現や構図といった、漫画の表現手法を
作品鑑賞から制作の授業につなげるような
取り上げている。授業内での生徒の作品制
内容になっている。漫画の造形性や実用性
作を促すような記述はなく、鑑賞の授業に
に関わる内容を広くカバーしてあると見て
絞った内容になっている。しかし、その分、
よいだろう。漫画を学校生活と関連付けて
一つ一つの作品に対する解説が丁寧であり、
いる様子も興味深い。日本の絵巻物やプロ
漫画の表現を細かく丁寧に紹介しようとす
の作家によるストーリー漫画の他、生徒作
る姿勢がうかがえる。強調表現が作品を見
品も多く掲載されており、参考作品も豊富
る人に与える印象や漫画におけるコマ割り
である。日本文教出版が参考作品として挙
の必然性といった、漫画の表現を考える上
げている作品は、≪大大論≫(制作年不明)、
で基本的な事柄を文章で詳しく説明してい
前出の≪鳥獣戯画≫、≪信貴山縁起絵巻≫
ることは印象的だ。日本の漫画を鑑賞する
(12 世紀頃)、≪石山寺縁起絵巻≫(14 世紀
上では良い教材となるだろう。
頃)、葛飾北斎の『北斎漫画』より『風』(19
参考作品には、岡本一平の『漱石八態』
世紀頃)、手塚治虫『ジャングル大帝』
より『こたつの漱石子』(20 世紀頃)、前出
(1950-1954)、ヒサクニヒコの一コマ漫画
の葛飾北斎『北斎漫画』
、美内すずえ『ガラ
(20 世紀)、鳥山明『ドラゴンボール』のカ
スの仮面』(1975-)、手塚治虫『白いパイロ
ラーイラスト(1986)、立石大河亜≪車内富
ット』(1961-1964)、松本大洋『ピンポン』
士≫(1991)である。生徒作品として挙げら
(1996-1997)、前出≪鳥獣戯画≫が挙げられ
21
ている。
また、国語科の教材となっている太宰治
『走れメロス』(1940)を漫画化した生徒作
(3)開隆堂から
品も掲載されており、他教科との関連を図
っていることも特筆すべき点である。その
他、色鉛筆と水彩絵の具を用いて描かれた
カラーの 3 コマ漫画も、生徒作品として掲
載された。
同じ漫画を題材としたページでも、出版
社によってその内容は大きく異なる。これ
は、漫画のどういった面をどうのように教
図 34: 平成 14 年度版
材化するかという、出版社の考え方の違い
開隆堂「美術 2・3 下」20-21 ページ
が教科書に表れた結果だと言えよう。しか
し、≪鳥獣戯画≫に代表される日本の戯画
開隆堂では、「2・3 下」の 20-21 ページ
も取り上げ、漫画を歴史ある表現形態だと
に漫画についての内容が記述されてある。
「漫画の楽しさ
表し方を工夫して」とい
して紹介していることは 3 社に共通してい
る点であり、3 社とも漫画を美術科の授業
う題の通り、1 コマ漫画やストーリー漫画
の題材として大々的に取り上げていると見
などの漫画の多様な表現形態に注目し、作
て間違いないだろう。
者の思いや情報を伝達する手段として漫画
を紹介している。漫画の表現手法について、
詳細は記載されていないが、日本の戯画や
2-2.平成 18 年度版教科書
同じ学習指導要領の下、平成 14 年度版の
カラーで描かれた風刺画など、様々な種類
教科書の次に作られ、発行されたのは平成
の漫画がバランスよく紹介されている。21
18 年度版の教科書である。内容は平成 14
ページでは、1 ページ全てを漫画家松本零
年度版から改訂されており、漫画に関する
士の特集にあて、作品画像や制作風景、イ
記述についても変化が見られる。
ンタビューを掲載している。この特集は、
有名作家の制作に対する考え方を読み取る
(1)日本文教出版から
ことができるものであり、漫画文化に対す
る理解を促し、視野を広げるような内容に
なっている。
開隆堂が参考作品として掲載した作品に
は、前出≪鳥獣戯画≫、前出『北斎漫画』、
伊藤圭司≪待ち時間≫(20 世紀後半)、松本
零士『銀河鉄道 999』(1977-1981)、松本零
士『1000 年女王』(1980-1983)がある。
図 35: 平成 18 年度版
日本文教出版「美術 2・3 上」12-13 ページ
22
日本文教出版では、
「2・3 上」の 12-13
(2)光村図書から
ページに、漫画に関連した内容が掲載され
ている。
「楽しく効果的に表そう」と題され
た本項は、漫画の情報伝達的機能に注目し、
イラストレーションと並べて紹介している。
平成 14 年度版と比較すると、漫画に限定し
た記述に割かれている部分はかなり削減さ
れている。≪鳥獣戯画≫や≪信貴山縁起絵
巻≫といった、漫画のルーツともされてい
図 36: 平成 18 年度版
る日本の絵巻物も掲載されておらず、漫画
光村図書「美術 2・3 上」22-23 ページ
に関する歴史的な記述は見られない。しか
し、誇張、単純化、コマ割りやオノマトペ
光村図書では、
「2・3 上」の 22-23 ペー
といった漫画の表現上の工夫については引
ジで漫画に関する内容を取り扱っている。
き続き記載されており、生活を豊かにでき
「漫画の表現 ―手塚治虫の世界」という題
る表現形式として漫画をとりあげている。
の通り、漫画の神様とも謳われた手塚治虫
高橋陽一『キャプテン翼』(1981-1988)図版
の功績を大きく取り上げ、紹介する内容に
を大きく取り上げ、漫画の演出が表現でき
なっている。取り上げている作家は手塚治
る迫力やダイナミックさをわかりやすく説
虫一人であり、他の作家については一切記
明していることは、この教科書の利点とし
載されていない。しかし、漫画の記号的表
て挙げられる点だろう。以上の点から、漫
現や強調表現、異時同図法といった多様な
画の機能表現的な側面を強調した結果とし
表現手法や、手塚治虫の漫画に込められた
て、漫画の歴史的な記述を割愛することに
メッセージについての記述もあり、内容的
なったのではないかと考えられる。
『キャプ
にはかなり充実している。一人の作家の作
テン翼』の他は、ジャン・ミシェル・シフ
品から、漫画の造形性とテーマ性の両方を
ォン≪ある世界≫(1984)、久里洋二≪電球
紹介し、漫画の表現について紹介する試み
の実≫(1994)といったイラストレーション
は、日本文教出版や開隆堂が行わなかった
が参考作品として掲載されている。また、
ことである。また、手塚治虫『マァチャン
人形、4 コマ漫画、しおりや、水質調査の
の日記帳』(1946)を手本として紹介し、4
レポートといった生徒作品も豊富に掲載し
コマ漫画の制作を促すような記述もある。
てある。作品制作の授業に重点を置いた内
鑑賞の授業と、制作の授業の両方で漫画を
容だと言えるだろう。
扱えるように配慮されているという点は、
平成 14 年度版の教科書と比較して発展し
た点だと言えるだろう。
『マァチャンの日記
帳』の他には、手塚治虫の作品として、
『罪
と罰』(1953)、
『火の鳥』(1967-1988)、
『ブ
23
ラックジャック』(1973-1978)、
『W3(ワンダ
は開隆堂だけであった。
ースリー)』(1965-1966)、『鉄腕アトム』
このように、平成 18 年度版の教科書の内
(1951-1968)が取り上げられている。
容は、3 社の違いが平成 14 年度版よりも明
快になっている。各出版社が、漫画に対す
(3)開隆堂から
る考え方をより明確にし、それぞれの方針
に沿った形で教科書の内容を発展させたも
のが、平成 18 年度版の教科書だと言えるだ
ろう。
2-3.平成 24 年度版教科書
平成 24 年度からは、新しい学習指導要領
が実施される。新学習指導要領の中での漫
画の重要度は、平成 10 年度に公示された学
図 37: 平成 18 年度版
開隆堂「美術 2・3 上」22-23 ページ
習指導要領に比べると低くなっているとい
うことは先に述べた通りである。教科書の
内容も、学習指導要領に合わせて変更され
開隆堂は、
「2・3 上」の 22-23 ページに
た。
漫画についての項目を掲載している。
「漫画
の世界 強調と単純化を生かして」と題し、
(1)日本文教出版から
日本の漫画文化を広く紹介している。コマ
割りや吹き出しなどの、近代漫画で用いら
れる表現を紹介している他、日本の漫画の
歴史や、海外から受けている評価について
も触れており、漫画文化を学ぶ上での入門
とも言えるような内容になっている。
『テニ
スの王子様』(1999-2008)の作者である許斐
剛のインタビューも掲載されている。現役
で活躍している漫画家の言葉を記載してい
図 38: 平成 24 年度版
日本文教出版「美術 2・3 上」36-37 ページ
る点は、平成 14 年度版と共通している。光
村図書と同様に、手塚治虫の紹介記事も掲
載され、漫画のメッセージ性についても言
日本文教出版の教科書は、
「2・3 上」の
及する内容としていることも、特徴として
36-37 ページの「『伝える』をつくる ―効
挙げることができるだろう。また、ロイ・
果的に伝える工夫をしよう―」という単元
リキテンシュタイン『た、たぶん』(1965)
の中で、漫画を取り上げている。このうち、
も参考作品として挙げられている。漫画を
漫画が掲載されているのは 37 ページのみ
中心としたページにおいて、関連した海外
に限られ、平成 18 年度版と同様、イラスト
の美術作品を紹介しているのは 3 社の中で
レーションと合わせた紹介がなされている。
24
ここでは、手塚治虫の『鉄腕アトム』を例
う形をとり漫画の紹介がなされており、絵
に挙げ、画面の構成や、漫画の記号的表現
巻物の鑑賞をより楽しみやすいものにする
について説明してある他、起承転結を意識
ための題材として漫画を用いている。スピ
したコマ割りの例として生徒作品が掲載さ
ードや残像の表現の例として≪石山寺縁起
れている。平成 18 年度版では紹介されなか
絵巻≫(14 世紀頃)と二ノ宮知子『のだめカ
った≪鳥獣戯画≫を取り上げてあることは
ンタービレ』を、異時同図の表現の例とし
注目すべき点であろう。漫画やイラストレ
て≪伴大納言絵巻≫(12 世紀頃)と青山剛昌
ーションの表現を生かし、修学旅行の思い
『名探偵コナン』(1994-)を、声の流線表現
出を絵巻物に表した例が生徒作品として掲
の例として≪鳥獣戯画≫と手塚治虫『ジャ
載されている。以上の点からは、平成 18 年
ングル大帝』を、それぞれ比較している。
度版と同様、デザイン的要素に重点を置き
日本の伝統的な絵巻物の表現と、漫画の表
ながらも、他領域との関連を図ろうとする
現を関連させて鑑賞する目的で構成された
姿勢が窺える。この他、
「2・3 下」の 43-45
ページあり、漫画の歴史的な側面に注目し
ページの「巻末資料 日本美術の展開と世界
た内容になっていると言える。
との交流」と題された美術史年表の中で、
手塚治虫の『火の鳥』が、海外から高く評
(2)開隆堂から
価されている日本の漫画やアニメの例とし
て挙げられている。
(2)光村図書から
図 40: 平成 24 年度版
開隆堂「美術 2・3 上」65-67 ページ
開隆堂では、
「2・3」の 42-43 ページの「デ
ザインする心」という単元の中でイラスト
図 39: 平成 24 年度版
光村図書「美術 2・3 下」43-45 ページ
レーションとあわせて漫画を紹介している。
このうち漫画についての記述があるのは 42
光村図書の「2・3 下」には、43-45 ページ
ページのみである。漫画のコマ割りを生か
に「絵巻物を楽しむ」という単元があり、
し、見る側にストーリーを想像させる作品
折り込みのページに見開きで≪鳥獣戯画≫
を制作するように促している。この項目に
が大々的に掲載されている。平成 24 年度版
おいて参考作品として掲載されているのは
では漫画としてではなく絵巻物として紹介
生徒作品のみであり、プロの美術家や漫画
されている≪鳥獣戯画≫であるが、このペ
家の作品は記載されていない。開隆堂では、
ージには漫画についての記述も存在する。
この他にも、
「2・3」の 65-67 ページの「物
絵巻物と現代の漫画の表現を比較するとい
25
語を描く 絵巻物の世界」という単元におい
入れられるようになった。中学校美術科の
て、漫画がとりあげられている。光村図書
学習指導要領においても、漫画の取り扱い
と同様、折り込みのページに見開きで構成
が明記され、教科書でも漫画についての記
してある単元の中で、漫画について触れて
述がなされるようになった。
いる。現代の漫画にも見られる動きの表現
本論文では、日本文教出版、光村図書、
をとっている絵巻物の例として≪信貴山縁
開隆堂の 3 社が発行した教科書を検討して
起絵巻≫と≪石山寺縁起絵巻≫を取り上げ
きた。漫画についての記述が初めて登場し
ている。開隆堂の平成 18 年度版の教科書に
た平成 14 年度版の教科書では漫画の表現
も絵巻物の技法に触れているページはあっ
自体を取り上げるような内容が主流であり、
たのだが、そちらの方では絵巻物と漫画の
漫画を美術科の題材として大きく取り上げ
関連付けは行われていなかった。平成 24 年
ていた。平成 18 年度版の教科書は、各出版
度版になって、漫画と他の表現形態との関
社が漫画に対する考えを明確化し、内容を
連性がより強く意識されるようになったと
練り直し構成したものだと言える。また、
考えていいだろう。漫画の参考作品の画像
新学習指導要領が適応された平成 24 年度
が乏しく、絵巻物と漫画の比較も難しくな
版の教科書では、日本美術と漫画の関連に
っていることは、この教科書の難点だと言
ついても注目されるようになり、他の領域
えるが、漫画の機能表現的側面と、文化的
との関連の中で漫画が紹介されていた。
側面の両方を紹介していることは評価でき
漫画に関する内容は削減されているが、漫
る。
画と他の領域を関連付けて紹介する傾向は、
美術の学際性を生徒に理解させることにも
このように、平成 24 年度版の教科書では、
つながり、有益なことだと考えられる。
漫画の説明がかなり簡略化されており、漫
しかし、これらの教科書には、海外の漫
画は他の教材を学習するための項目の一つ
画や海外の純粋美術との関わりが記載され
として記載されている場合が多い。漫画自
ていないという、共通の問題点が存在する
体に関する記述内容はかなり減っている。
ことも指摘できる。3 社とも、海外の漫画
しかしその分、漫画と日本美術の共通点や
や、それらが日本の漫画に与えた影響につ
日本の漫画が得ている国際的評価について
いて一切触れず、日本の漫画作品や、それ
の記述が増えるなど、漫画という分野の広
らが海外の漫画に与えた影響のみを教科書
がりを示すことに力がそそがれている。大
に記載していた。欧米の戯画の伝統を取り
衆文化としての漫画が持つ、楽しさや親し
入れることにより発展した日本の漫画を正
みやすさを美術への理解に役立てようとす
しく理解するためには、国外の漫画につい
る傾向が見て取れる。
ての記述も必要である。
3.まとめ
国内外で注目を浴びている漫画文化は、
美術科の教科内容として教育現場にも取り
26
IV.美術教育の中で漫画をどう扱うか
漫画についてのある程度の知識を有してい
ると考えるのが自然であろう。場合によっ
1.教材として扱う際の利点と注意点
ては授業者よりも生徒の方が漫画について
漫画は生徒たちにも比較的なじみ深い題
詳しかったというようなことも大いにあり
材であり、楽しく親しみやすい授業を作り
得る。コマ割りや漫画的記号といった漫画
やすいというメリットがある。
の基本的な内容を取り上げるだけの授業で
漫画の面白みは、描画力や技術のみに規
は、生徒にとって学びがない、退屈な授業
定されるものではなく、自由度の高い表現
になりかねないのだ。
設定が可能である。そのため、表現の授業
漫画好きな生徒にとっても、新たな発見
で漫画を取り扱うことで、美術に対して苦
があり、知性や表現力を向上させるような
手意識を持っている生徒のコンプレックス
豊かな授業であるためには、授業者が漫画
を取り払うことが期待できる。また、高い
に関する教材研究をしっかり行い、授業の
描画力を持つ生徒においても、想像力をか
内容を吟味する必要がある。
きたて新しい表現を習得するよい機会にも
なるだろう。
2.授業の実践例「漫画は芸術か否か」
鑑賞の授業で漫画の表現について取り上
2-1.授業概要
げることで、生徒は造形性やテーマ性に目
2011 年 6 月、山口県下関市立川中中学校
を向けて漫画を読むようになるだろう。造
において実施された教育実習において、私
形表現について日常的に考えるという態度
は漫画を題材とした授業を行った。
を培うことができる。また、漫画の表現方
本授業は第 2 学年を対象とした鑑賞の授
法や歴史について、他の芸術分野との関連
業だ。漫画の芸術性について考える活動を
を意識させることで、美術自体に対して強
通して、多様な芸術を理解し美術を愛好す
い興味を抱かせることも可能だ。美術の学
る精神を育むことを本授業の主眼とした。
際性について考えるきっかけともなるだろ
授業はスライドで資料を提示しながら漫
う。
画の歴史や美術との関係性について解説す
一方で、漫画の教材化にあたっては、漫
るという形で進めていき、配布したプリン
画が子どもにとって身近な存在であるとい
トに意見や感想を記入する活動を授業のま
う点に注意しなければならない。漫画の大
とめとした。
衆性は、授業においてはメリットでもある
具体的な授業の内容は、次のページから
が、同時にデメリットにもなり得る特性で
記載する。
もある。漫画を愛好し日頃から漫画を読ん
でいる子どもは日本には多い。生徒は既に
27
第2学年1組
美術科
学習指導案
平成23年6月7日(火)
2校時
2年※組(美術室 B)
朝
1 題材名 「漫画は芸術か否か」
田
章
子
1/1
2 主眼 漫画を芸術的な観点からから鑑賞することにより、多様な芸術を理解し美術を愛好する心を育む。
3 学習過程
過程
学習内容・活動
導入
・会田誠「ミュータント花
10 分
子」を鑑賞する。
生徒の反応
・作品を見る。
教師の手立て
・漫画だと思う根拠、美術作品だ
と思う根拠まで考えさせ、生徒に
「 こ れは 漫 画
「イラスト的な絵だから漫画」
でしょうか、
「画中に題名と作者名が書かれて
そ れ とも 美 術
いるから漫画」
意見を述べさせる。
・「ミュータント花子」は漫画であ
作 品 でし ょ う
るが、会田誠は現代美術の作家で
か」
あることを伝える。
漫画と美術の違いは何か
展開
20 分
日本最古の漫画はいつ描かれたもの?
1.平安時代
代の「北斎漫画」、昭和時代の手塚
治虫の漫画について解説をし、漫
2.江戸時代
3.昭和時代
・平安時代の「鳥獣戯画」、江戸時
画の歴史を生徒に伝える。
答え:1.平安時代
漫画をとりまく美術界の動き
・漫画が文化的にも認められてい
・漫画を扱う展覧会や美術館がある
るものだということを伝える。
・海外でも注目されている漫画文化
・現代アートの漫画的表現
まとめ
・漫画は芸術
・漫画についての論争や意見を紹
・漫画は低俗
介することで、漫画に対する様々
・漫画は低俗だから良い
な考え方を紹介する。
「漫画は芸術か否か」
・プリントに自分の意見を書く。
15 分
プリントを回収し、生徒の意欲を
評価する。
「歴史があり、文化的にも意味が
あるものだから芸術だと思う。」
・自分の意見を書けているか。
「表現が凝っているものなら芸術
・意見の根拠を説明できているか。
的だと思う。」
・論点がずれていないか。
「ばかばかしい内容のものが多く
て、芸術だとは思えない。」
28
2-2.授業を受けた生徒の意見
ると迷ってしまう」
a.漫画は芸術だと思う
「絵や内容によっては人に認められる芸術に
「漫画も人が作るものにはちがいがない」
なる」
「おもしろいと思えばどんなものでも芸術に
2-2.授業を受けた生徒の感想
なる」
「漫画は伝統的なものだということを知らな
「作品によっては心を動かされる作品もあり、
かった」
それは他の芸術作品も同じ」
「漫画についてもっと知りたいと思った」
「想像力を働かせ、実物などをまねして描く
「芸術にもいろいろなものがあると知った」
点が同じ」
「じっくり漫画について考えることがなかっ
「漫画にも作者の想いや、メッセージがこも
たのでよかったと思う」
っている」
「よくわかりませんでした」
「展覧会も開かれ、世界的にも認められてい
「漫画については普段の美術の授業では勉強
る表現方法である」
することがないので楽しかった。たまにはこ
「下手でも上手でも関係ない、絵は素晴らし
ういう勉強もいいなと思いました」
いもの」
「展覧会があるなんて知らなかった。ちょっ
b.漫画は芸術ではないと思う
と行ってみたい」
「絵の雰囲気が他の絵画作品と異なる」
「好きな漫画についての内容だったので楽し
「漫画家は芸術作品にしようと思って描いた
かった。漫画を芸術だと思う人がいるので、
のではない」
漫画はすごいなと思いました」
「芸術と呼ばれる絵には写実的な絵が多いが
「いろいろなことを知れたから、自分のため
漫画は単純化されかわいく描かれているもの
になった」
が多い」
2-3.考察
本授業を受けた学級は 2 クラスであったが、
「漫画は芸術よりも気軽にみたり、読んで楽
しむことができるもの」
どちらのクラスにおいても、ほとんどの生徒
「漫画は白黒のものが多いが、油絵などの絵
は授業に集中し、授業者の話を静かに聞いて
画は様々な色で表現されているものが多い」
いた。プリントの記述からも、生徒が漫画と
「漫画は趣味で描かれるようなものが多い」
芸術について真剣に考えている様子が窺えた。
「芸術と呼ばれる絵画には抽象的な形のもの
中には、芸術の幅広さにまで目を向けて漫画
も多く、その点が漫画とは違う」
について考察し、プリントに意見を書く生徒
c.わからない、どちらとも言える
も多かった。娯楽性の高さや領域的な広がり
「芸術と漫画は仲間のような関係にあるもの
といった、漫画が持つ教材としての長所を生
だと思う」
かすことができた授業だと言ってもよいだろ
「漫画には様々な作品があり、見方も人それ
う。
ぞれ」
一方で、本授業では課題もいくつか残った。
「芸術かどうかなんてどっちでもいい」
本授業の授業形式は、講義に近いものであ
「芸術だと思うけど、本当に芸術かと聞かれ
り、ほとんどの生徒が受け身的な姿勢で授
29
業に臨んでいた。漫画が広く親しまれてい
本授業では、先述の 2011 年 6 月に実施し
るメディアであるが、授業を受ける生徒が
た「漫画は芸術か否か」での反省も生かし、
必ずしも漫画好きだとは限らない。漫画に
日本の美術教育の中では注目されることが
対する興味が薄い生徒にとっては、漫画文
尐なかった海外の漫画作品や美術作品も取
化の解説に重点を置いた本授業は魅力がな
り入れ、生徒が漫画に関する新しい知識を
く、面白みに欠けた授業となってしまった
得て、漫画文化に対する視野を広げられる
ようだ。漫画に無関心な生徒の興味をひく
ような構成にした。日常的に慣れ親しんで
ためにも、授業者と生徒とのコミュニケー
いる娯楽文化の違った側面を知るだろう。
ションや、生徒自身の能動的な活動をもっ
生徒の興味を漫画の文化性や造形性にひ
と重視するべきであった。
きつけることが出来るか否かという点と、
また、授業内容が、漫画の文化的位置付
生徒が漫画の多様な表現について背景とな
けについての情報に偏っており、美術の授
った歴史も含めて理解できるかという点を
業でありながら表現技法や造形性について
本授業を通して知ることができればと考え
の内容が乏しかったという点も大きな問題
る。
である。取り上げた作品も、日本国内の漫
具体的な授業の内容は、次のページから
画ばかりであり、海外の漫画の豊かな表現
記載する。
を紹介することができなかった。
漫画の魅力をより広く生徒に伝えるため
には、授業で取り扱う情報が偏らないよう
注意すべきである。授業内容の充実と、取
り扱う情報のバランスは、今後の授業作り
においての課題と言える。
3.授業の実践例「進化し続ける漫画」
2-1.授業概要
2012 年 1 月、山口大学教育学部附属山口
中学校において、漫画を題材とした実験授
業を行った。
研究の総まとめとして位置づけられた本
授業は、コマ割りや吹き出しなどといった
漫画特有の表現を、絵巻物や宗教画といっ
た美術作品の表現と比較することで、漫画
が作家の創意工夫の上に成り立っている表
現形態であることを生徒に理解させること
を目的として構成された。
30
第 1 学年※組
美術科
学習指導案(案)
平成24年1月20日(金)
5校時
朝
1
題材名
「進化し続ける漫画」
2
主眼
3
学習過程
1年※組
田
章
子
1/1
漫画の歴史と、漫画特有の表現方法を知ることにより、漫画の造形性を理解する。
過程
学習内容・活動
生徒の反応
教師の手立て
導入
尾田栄一郎『ONEPIECE』 スクリーンに注目する。
・スクリーンに画像を投影し、図
15 分
とフランク・ブラングウィ
版を生徒に配付して比較させる。
ン≪海賊船バカーニア≫を
比較して鑑賞する。
『ONEPIECE』と≪海賊船バカーニア≫の表現の違いは何だろう
『ONEPIECE』と≪海賊船
・吹き出しや文字、動線、コマ、
・初めは個人で考える時間をとる
バカーニア≫の違いを班で
絵柄の違いなどを挙げるだろう。
・班ごとに記入用紙を配布する。
話し合い、班ごとに発表す
・答えの数の多さを班で競わせる
る。
※ 見 つ けた 答 えが 多 い班 を指 名
し、答えを挙げさせる
展開
『ONEPIECE』以外の漫画
スクリーンに注目し、教員の話を
・『 君 に 届 け 』 を 例 に 挙 げ 、
20 分
でも、先に挙げた漫画特有
聞く。
『ONEPIECE』以外の漫画でも漫
の表現が用いられているこ
画特有の表現が用いられているこ
とを確認する。
とを説明する。
漫画雑誌や新聞漫画の紹介
スクリーンに注目し、授業者の話
・「週刊尐年ジャンプ」紹介後、ア
を聞く。
を聞く。
メリカの漫画冊子を紹介し、日本
とアメリカの漫画文化の違いを紹
介する。
・日本の新聞漫画以外にも、
『ムー
ミン』や『ピーナッツ』といった
海外の新聞漫画も紹介する。
ワークシートを配付する。
漫画の表現の起源はどこにあるのだろうか
1.約 3000 年前、紀元前 13 世紀 エジプト
4 択問題
2.約 900 年前、12 世紀 フランス
3.約 800 年前、13 世紀、鎌倉時代 日本
4.約 700 年前、14 世紀 イタリア
答え:1
生徒に挙手させ、答えの予想を聞
き出した後、正解を発表する。
各選択肢の解説として、漫画の歴
史を説明する。
1.ヒエログリフ→連続した画像
2.バイユーのタペストリー→同上
3.絵巻物→誇張表現
4.宗教画→台詞の表現
漫画の表現はどうやって発展してきたのだろうか
31
ロドルフ・テプフェール≪
スクリーンに注目し、授業者の話
コマ漫画が 19 世紀スイスで始めて
クリプトガム氏物語≫を鑑
を聞く。
描かれたことを確認させる。
デュシャン≪階段を降りる
画像を見比べることで、同じもの
・小林よしのり『多分・ザ・ジゴ
裸婦≫、バッラ≪鎖に繋が
を一つの画面に繰り返し描いてい
ロ』、手塚治虫『W3』を比較対象
れた犬のダイナミズム≫、
ることに気付く。
として提示する。
賞する。
≪石山寺縁起絵巻≫を日本
の漫画と比較する。
【異時同図】【動線】
ゴッホ≪灰色のフェルト帽
画像を見比べることで、背景の描
・藤子・F・不二夫『ドラえもん』、
の自画像≫と日本の漫画を
き方が似ていることに気付くだろ
立川あゆみ『海ものがたり』を比
比較する。
う。
較対象として提示する。
【背景効果】
まとめ
15 分
斬新な表現を行っている漫
漫画の画面の面白さに気付く。
画家の作品を鑑賞する。
・漫画の表現は今でも発展し続け
ているということを言及する。
・スクリーンに「井上雄彦
漫画が美術界とも関係しているこ
漫画の表現が注目され、美術館で
最後の漫画展」
「小さなデッ
とに気付く。
も 展 示 され て いる こ とを 説明 す
サン展 –漫画の世界でルー
る。海外の漫画文化も引き合いに
ヴルを」といった展覧会の
出し、日本の漫画文化が評価を得
会場写真を見る。
ていることを説明する。
・漫画史年表を配付する。
現代の日本の漫画の中か
ワ ー ク シー ト にチ ェ ック を入 れ
・図版を配付する。
ら、
【異時同図】
【動線】
【背
る。
・ワークシートを回収する。
景効果】を探し、対応する
箇所にチェックを入れる。
32
3-2.生徒に対するアンケート調査
おいて一定の成果を挙げることができたと
考えてもいいだろう。
受講した生徒には、アンケート調査を実施
する。アンケート調査では、授業の感想を調
査する他、漫画に対する意識調査を行い、現
代の中学生の実態を探る内容としている。ア
ンケート結果については、後日、加筆する。
3-3.考察
図 41:授業直前の教室の様子
今回、授業を行ったクラスにも、漫画が好
きな生徒が多かったようで、授業開始前に授
業タイトルを示したスライドを見た生徒から
の反響は大きかった。
授業中の生徒たちは静かであったが、授業
者が発問を投げた時に挙手し、意見を発表す
る生徒も複数いた。授業冒頭の『ONEPIECE』
と≪海賊船バカーニア≫を比較し漫画特有の
表現を列挙する作業では、生徒が各自の意見
を班内で交換し、積極的に授業に参加する光
景が見られた。その様子は回収したワークシ
ートからも読みとれる。
本時における生徒の授業態度の良さは、山
口大学教育学部附属山口中学校における日
頃の教育の成果であり、授業内容の巧拙だ
けで計れるものではないが、以上に述べた
生徒の様子から、本授業が生徒の学習面に
図 42:生徒が記入したワークシート
33
かった。生徒が知らない作品を紹介すること
も必要である。しかし、生徒の反応を的確に
予想し授業をスムーズに展開する為にも、漫
画に関する生徒の実態調査を行い、生徒が知
っている作品と、あまり知らない作品を知っ
ておく必要があると言えるだろう。
4.まとめ
漫画は大衆娯楽として生徒たちにも浸透
している文化であり、コマ割り、吹き出し、
図 43:授業風景
動線、オノマトペといった独特な手法によ
この授業の問題点は、時間配分に対する配
って構成される漫画は、表現の自由度が高
慮が足りなかったことだ。漫画の図版にチェ
く、注目すべき要素が多いので、身近な存
ックを入れ漫画特有の表現方法を確認する作
在でありながら造形性について考えること
業を授業の最後に設ける予定になっていたが、
ができるメディアとして、生徒の興味や関
その作業にはほとんど時間が割けなかった。
心をひくことができる題材である。また、
この件については、授業内容の多さ、授業者
漫画は古代エジプトのヒエログリフや、日
の手際の悪さの 2 点の原因が考えられる。
本の絵巻物、西洋の表現主義絵画など、様々
授業内容の多さは以前から指摘されていたが、
な分野の芸術からヒントを得て、純粋美術
この点については、スムーズに授業を進める
とも相互に関係し合いながら発展してきた
技術が授業者にあればカバーできた。
表現形態だ。そのため、国や年代を限定し
下関市立川中中学校での「漫画は芸術か否
ない様々な美術作品を引き合いに出し、漫
か」では、授業内容の充実を今後の課題とし
画と比較させることで、生徒に幅広い分野
て掲げた。充実させた内容を授業時間内に収
の美術作品について興味を持たせることも
めるためには、当然ながら、時間管理能力や、
出来るだろう。
また、漫画の大衆性も、授業作りの上で
発言内容を短く的確にまとめる話術などの、
の大きな強みである。漫画を教材化した場
授業技術が必要となる。
また、授業準備の段階で、漫画の流行につ
合、親しみやすく楽しい授業を作りやすい
いて調査し、把握しておく必要があったよう
という仮説を先に挙げたが、この仮説は、
に思う。尾田栄一郎『ONEPIECE』(1997-)
下関市立川中中学校や山口大学教育学部附
や椎名軽穂『君に届け』(2005-)は、授業を実
属山口中学校の授業実践事例に当てはまる
施したクラスでは有名であり、図版を提示し
ものであった。上記 2 つの授業事例は、中
た時の生徒の反応も良かった。しかし、日本
学校美術科の授業作りにおける漫画の有用
でもっとも有名なバンド・デシネとして提示
性を示していると言える。
した、エルジェ『タンタンの冒険』(1929-1940)
本研究で掲げた授業事例は、いずれも鑑
については、知っている生徒がほとんどいな
賞の授業についてのものであったが、作品
34
制作を取り入れた授業についても、まだま
だ研究の余地がある。
35
おわりに
できた。それに加え、授業の構成次第では、
芸術の定義について生徒に考察させたり、
本論文では、漫画制作と美術教育研究の
様々な文化圏の美術作品を関連させて生徒
両方の視点から、漫画の歴史や造形性に注
に鑑賞させたりと、美術の学際性を生かし
目し、漫画を中学校美術科の授業題材とし
た学習を展開することが可能だということ
て取り扱う方法を提案してきた。
が本研究で明らかになった。また、日頃読
漫画は独自の説話方法を持つメディアで
み親しんでいる漫画を美術の教材として取
あり、大衆娯楽として広く認識されている
り上げることで、生徒が日常生活の中の身
ため、美術とは異なる分野の表現形式であ
近な事物についての造形性を、自発的に考
ると捉えられることが多い。しかし、漫画
えるようになることも期待できる。
は純粋美術や、その他の芸術分野と相互に
漫画は、中学校美術科の授業の題材とし
関わり合いながら発展してきたメディアだ。
ては一般化されておらず、取り扱われるこ
現代美術の中で漫画が扱われ、漫画が現代
とが尐ない教材である。しかし、教材化の
美術として表現されるようになった近年で
上では多くのメリットを持つ題材であり、
は、漫画と美術の繋がりは特に強まってい
展開次第では、生徒にとっても面白く、学
る。決して美術と無関係な分野ではないの
びの多い授業を作ることができる教材とな
だ。
る。漫画は、多角的な視点から考察できる
漫画は日本を代表する文化の一つであり、
国内外問わず、人気があるメディアである。
授業題材であり、美術科の教材として十分
成立しうるものだ。
漫画文化は 1990 年代以降、世界的な盛り上
私は、本研究を通じて、漫画が持つ美術
がりを見せている。そうした時代背景にお
科の教材としての魅力を強く感じるように
いて、教育現場で積極的に漫画が取り上げ
なった。漫画は、古くから存在する歴史あ
られるようになり、中学校美術科の学習指
る文化として、その伝統を守りながらも、
導要領においても、漫画についての記述が
流れる時代の中で新しい表現方法を模索し、
追加された。私は、生徒にもなじみが深い
美術とも関連しながら、今後も発展を続け
漫画文化を美術教育の中で取り上げること
ていくだろう。私は今後も、漫画文化や漫
で、より身近で親しみやすいものとして、
画表現について研究を続け、より良い形で
美術の授業を展開することができるという
漫画と美術教育が共生していく方法を探究
仮説を立て、本論文を執筆するに至った。
していきたい。
漫画は生徒の興味に結びついた題材とし
て、生徒の関心を授業に引き付けることが
36
謝辞
本論文は筆者が山口大学教育学部学校教育
教員養成課程教科教育コース美術教育教室在
学中の研究成果をまとめたものである。山口
大学教育学部附属山口中学校には、本研究の
ために実験授業を実施する機会をいただいた。
また、同中学校宮園祐二先生には、実験授業
に際し、ご指導いただいた。ここに深謝の意
を表する。
37
引用文献
1) 清水勲「劇画・漫画・風俗画」
、夏目房之介・竹内オサム編著『マンガ学入門』
(ミネルヴァ書房,2009)p.2
2) スコット・マクラウド(岡田斗司夫訳)『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ
理論』(美術出版社,1998)p.17
3) 四方田犬彦『漫画原論』(ちくま学芸文庫,1999)p.24
4) スコット・マクラウド、前掲書、p.13
5) 四方田犬彦、前掲書、p.28
6) スコット・マクラウド、前掲書、p.106
7) 四方田犬彦、前掲書、p.99
8) 清水勲、前掲書、p.2
9) 瓜生吉則「ネットとマンガ」
、夏目房之介・竹内オサム編著『マンガ学入門』(ミネルヴ
ァ書房,2009)p.219
10) 株 式 会 社 ビ ッ ト ウ ェ イ 「 企 業 情 報
沿 革 」 January.24.2012 更 新
http://www.bitway.co.jp/company/history.html
11) スコット・マクラウド、前掲書、p.25
12) 辻惟雄『日本美術の歴史』(東京大学出版会,2005) p.429
13) スコット・マクラウド、前掲書、p.20-23
14) 四方田犬彦、前掲書、p.92
15) 同上、p.39-41
16) スコット・マクラウド、前掲書、p.116-119
17) スコット・マクラウド、同上、p.129-132
18) 辻惟雄、前掲書、p.429-430
19) 四方田犬彦、前掲書、p.282
20) 楠見清「マンガがアートになる日」、『美術手帖 No.876
特集マンガは芸術(アート)
か? 進化するマンガ表現のゆくえ』(美術出版社,2006) p.14
21) 東谷隆司「マンガの展覧会は何を提示したか 大衆文化と芸術、社会性に関する試論」、
『美術手帖 No.876』(美術出版社,2006) p.89-90
22) 小山昌宏「マンガ論争」
、夏目房之介・竹内オサム編著『マンガ学入門』(ミネルヴァ
書房,2009)p.119-202
23) 吉村和真「マンガと教育」、夏目房之介・竹内オサム編著『マンガ学入門』
(ミネルヴ
ァ書房,2009)p.160
24) NHK「課外授業ようこそ先輩」制作グループ編『ちばてつや マンガをつくろう!課外
授業ようこそ先輩 別冊』(KTC 出版,2001) p.28-30
25) 吉村和真、前掲書、p.161-162
38
参考文献
スコット・マクラウド『マンガ学 マンガによるマンガのためのマンガ理論』(美術出版
社,1998)
四方田犬彦『漫画原論』(ちくま学芸文庫,1999)
辻惟雄『日本美術の歴史』
(東京大学出版社,2005)
夏目房之介・竹内オサム編著『マンガ学入門』
(ミネルヴァ書房,2009)
押金純士 編集『美術手帖 No.876 特集 マンガは芸術(アート)か? 進化するマンガ表現
のゆくえ』(美術出版社,2006)
野村伸一編集『マンガの昭和史 昭和 20 年~55 年』(講談社,2008)
しりあがり寿『表現したい人のためのマンガ入門』(講談社,2006)
吉村和真編『マンガの教科書 ―マンガの歴史がわかる 60 話』(臨川書店,2008)
夏目房之介『マンガ学への挑戦 ―進化する批評地図』(NTT 出版,2004)
竹内オサム『マンガ表現学入門』(筑摩書房,2005)
『別冊宝島 EX マンガの読み方』(宝島社,1995)
39