テレビや雑誌などで連 のように紹介されている“スイーツ”。最近では

【ページ公開⽇:2010年4⽉7⽇】
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テレビや雑誌などで連⽇のように紹介されている“スイーツ”。最近では、スイーツの⼈気は⼥性のみならず男性にも波及し、⽢いお
菓⼦が好きな男性を表す “スイーツ男⼦”なる⾔葉まで⽣まれているとか。⽼若男⼥問わずファンの多い“スイーツ”だが、その歴史を
紐解くと、⻑崎との関わりが⾒えてくる。
⽇本にはじめて砂糖がもたらされたのは約1250年前の奈良時代のこと。といっても、当時の輸⼊量はごくわずかで、⽬的も⾷⽤と
してではなく、ノドの薬として使⽤されていたという。ポルトガルとの貿易をきっかけにその量は徐々に増えていき、18世紀に⼊る
と、オランダ船や中国船によって盛んに輸⼊されるようになった。最盛期の頃は、現代の⾦額にしてざっと約24億円もの、莫⼤な量
の取引が⾏われていたという。
江⼾時代、⽇本で貿易の拠点となっていた⻑崎に陸揚げされた砂糖は、「⻑崎街道」を経て京、⼤坂、江⼾(現在の京都、⼤阪、東
京)へと運ばれていった。このため、⽐較的砂糖が⼿に⼊りやすかった街道筋で、古くから⽢い菓⼦が盛んに作られるようになった
という。そんな歴史をもつ⻑崎街道は、別名「砂糖の道=シュガーロード」とも呼ばれている。今回は、そんな⻑崎街道沿いに⽣ま
れた九州の伝統的スイーツの数々をご紹介したい。
シュガーロードの起点となる⻑崎を代表する銘菓といえばやはり「カステ
ラ」。⻑崎を歩けば、街のあちらこちらでカステラの看板が⽬に⼊る。有名店
とともに、多くの⾃家製カステラ店舗が技を競い合っている様⼦は、カステラ
が⻑崎の⼈々の暮らしに深く根付いた菓⼦であることを⽰している。
⽇本でカステラが作られるようになったのは、1624(寛永元)年創業の⽼舗
「福砂屋」の初代がポルトガル⼈から製法を学んだのが始まりだと伝えられて
いる。当時のカステラは、今よりも固いものであったとか。その後、⽇本⼈の
⼝にあうように改良が重ねられ、明治期に材料に⽔飴が加えられるようになっ
てから、現在のようなしっとりとした⼝当たりのものとなったそうだ。
しっとりとした⼝当たりが⼈気の⻑崎カステラ。現在のかたち
になったのは明治期以降のことだとか。
佐賀県のほぼ中央、佐賀平野の⻄端に位置する城下町・⼩城。⼩城には、いまでも町には20
軒あまりの⽺羹店が軒を連ねている。メインストリートを歩けば、店先から⽺羹を作る⽢い⾹
りがほのかに漂ってくるほどだ。
天然着⾊料で⾚く染められた紅練りの⼩城⽺羹
⼩城⽺羹の特徴の⼀つは表⾯のシャリシャリ感だが、これは練り上げ
た⽺羹を⽊箱に移し、⼀昼夜寝かせる昔ながらの製法を守っているか
らだという。じっくり寝かせることにより、砂糖が表⾯で糖化するの
だ。さらに、⽇を置くとこのシャリシャリ感が増してくるので、⾃分
の好みに合わせて⾷べ頃の時期を待つのも、⼩城⽺羹の楽しみのひと
つといえるだろう。⼩城では明治初年から⽺羹作りが盛んに⾏われて
いたそうだ。
佐賀県は、この他にも数々の銘菓を育んだ伝統的スイーツ誕⽣の地で
ある。江⼾時代、天領(幕府領)であった⻑崎と藩境を接していたの
が肥前・鍋島藩である。それだけに現在の佐賀県にはたくさんの銘菓
が残されている。まさに"菓⼦王国"ともいえよう。ちなみに、森永製
菓の森永太⼀郎や江崎グリコの江崎利⼀といった、菓⼦メーカーの創
業者達も佐賀県出⾝だそうだ。
アルミ箔の袋詰め⽺羹が主流のな
仕上げも⼿作業。⼀本⼀本幅を計り
か、当時の製法が受け継がれている
ながら、丁寧に切り分けていく。
⼩城⽺羹 。
そんな佐賀県を代表する銘菓のひとつが、ポルトガル語で「ケーキ」を意味す
る「ボーロ」の名前がついた「丸ボーロ」だ。やさしい⽢みとふわりとした独
特の⾷感が⼈気のスイーツである。「ボーロ」が⻑崎に伝来したのは17世紀
後半。ポルトガルの菓⼦をオランダ⼈や中国⼈から学んだことが始まりとされ
ている。
約330年の歴史を持つ、佐賀の銘菓丸ボーロ。
1639(寛永16)年、佐賀城下に創業した「鶴屋菓⼦舗」に伝わる話によると、⼆代⽬が⻑崎で
オランダ⼈より製法を学び、佐賀の銘菓となったとされる。同家に残された「鶴屋⽂書」には、
当時の材料は、⽩砂糖、⻨粉、ごま油、糖あくであったと記されている。現在のものよりかなり
固く、船員⽤の保存⾷ではなかったかと考えられている。これが現代⾵にアレンジされたのが19
世紀後半。材料に卵が加わることで、現在の「丸ボーロ」が誕⽣した。⻑崎からの砂糖と佐賀平
野の良質な⼩⻨との“出会い”が⽣んだ銘菓といえるだろう。
丸ボーロをふっくらと焼き上げているの
は熟練の職⼈さん達。 当初は蒸し菓⼦と
して考えられていたが、当時開発された
電気釜で焼いてみようと考えた好奇⼼か
ら現在のかたちになった。
さて、シュガーロードはいよいよ福岡へ。⻑崎街道の終点・⼩倉がある福岡で
も、⻑崎貿易がもたらしたスイーツ⽂化は、今なお息づいている。福岡の銘菓
としては、まず「千⿃饅頭」をご紹介したい。しっとりとした⽣地で⽩あんを
つつんだ、可愛らしいスイーツだ。
今ではすっかり福岡(飯塚市)を代表する銘菓となった「千⿃饅頭」だが、そ
の根は実は佐賀にあったという。1630(寛永7)年創業した「松⽉堂」は、
カステラや丸ボーロづくりを専⾨にする⽼舗だった。先々代の頃、カステラの
材料を使った⽣地に、⽩あんを⼊れることを思いつき、1927(昭和2)年、
苦⼼の末、新しい菓⼦が誕⽣した。
菅原道真の故事にならい「千⿃饅頭」と名付けたこの菓⼦の完成とともに、飯
千⿃饅頭。⽣地のなかに⾃慢の⽩あんがギッシリつまっている。
塚⽀店「千⿃屋」を出店。飯塚を選んだのは、当時、筑豊炭⽥でにぎわってい
た飯塚にリヤカーで⾏商に⾏ったところ、商品が⾶ぶように売れたからだとい
う。当地の景気の良さもあるのだろうが、厳しい労働に明け暮れていた⼈々の
体が、⽢いものを求めていたのかも知れない。以来、菓⼦王国の伝統は飯塚へ
と広がっていった。
続いてご紹介するのは「⾦平糖」。今では知らぬ⼈が居ないほどポピュラーなお菓⼦であ
る「⾦平糖」だが、実はこれも⻑崎シュガーロードを通って⽇本に伝えられた南蛮菓⼦の
ひとつ。核となる砂糖の粒を転がしながら、グラニュー糖を煮詰めた蜜を吹きかけてい
く。製造には約14⽇もの時間がかかるという。職⼈さん達の⼿間を惜しまない仕事に感謝
しながら、やさしい⽢さを味わいたい素朴なスイーツだ。16世紀後半に、南蛮菓⼦の⼀つ
として平⼾に伝えられたのがはじまりといわれ、1569(永禄12)年にポルトガル⼈の宣
教師、ルイス・フロイスが、織⽥信⻑に贈ったという有名なエピソードも残されている。
⻑崎から⽇本に持ち込まれた砂糖は、菓⼦職⼈という新しい専⾨職を⽣んだ。砂糖ととも
にこうした職⼈の技が⻑崎街道を伝い、沿道に様々な菓⼦⽂化を花開かせていったのだ。
いまでも⼿作りの⼿法が守られ続けている⾦平
糖。
そんな遠い昔に想いを馳せながら、旅の疲れを⽢いスイーツで癒してみてはいかがだろう
か。
蜜を吹きかける⾏程。毎⽇8時間、5分間隔で密を
吹き付ける。