アニメはなぜ面白いのか ~アニメリテラシーを考える

アニメを教える教員とアニメを学ぶ学生のためのアニメ人材養成セミナー
「日本のアニメを学び尽くす」~歴史からビジネスまで
歴史編③
アニメはなぜ面白いのか
~アニメリテラシーを考える〜
氷川 竜介(アニメ評論家)
平成 25 年 3 月
文部科学省 平成24年度「成長分野等における中核的専門人材養成の戦略的推進事業」
アニメ・マンガ人材養成産官学連携事業/アニメ・マンガ人材養成産官学連携コンソーシアム
アニメ分野職域学習システム実証プロジェクト/カリキュラム検討委員会産業論部会
はじめに:この講演記録テキストシリーズについて
平成24年度、日本の産業・文化として成長を期待されるアニメ・マンガを担う人材の養成事業が、
文部科学省の「成長分野等における中核的専門人材養成の戦略的推進事業」の一つとして実施
されることになりました。この事業は、日本工学院専門学校・日本工学院八王子専門学校・東京工
科大学が代表校となり、産・学の参加協力を得て、「アニメ・マンガ人材養成産官学連携事業」とし
て、「アニメ・マンガ人材養成産官学連携コンソーシアム」により進められました。アニメ分野では、
コンソーシアムにアニメを担う人材の養成推進策の検討のためのアニメ分科会を置き、この分科会
での検討と連動して、アニメ分野職域学習システム実証プロジェクト事業では、カリキュラム検討委
員会で学習すべき要素の抽出・検討やセミナーの試行などを進めました。この中でカリキュラム検
討委員会産業論部会歴史ビジネス・ワーキングでは、アニメの歴史からビジネスまで、アニメ産業
を理解し、アニメ産業で働くために最低限知っておいてほしい知識を学べるセミナーを企画・実施
しました。この講演記録テキストシリーズは、このセミナーをもとに講演内容をテキストとして編集し
たものです。アニメを教える教員や、アニメを学ぶ学生のために活用いただければ幸いです。
シリーズ
テーマ
講演者(筆者)
歴史編①
『なぜアニメ産業は今の形になったのか
~アニメ産業史における東映動画の位置付け~』
山口 康男
歴史編②
『アニメの3大源流とその系譜~東映・虫プロ・タツノコ~』
原口 正宏
歴史編③(本書)
『アニメはなぜ面白いのか~アニメリテラシーを考える~』
氷川 竜介
歴史編④
『コンピュータグラフィック史の把握~CGの過去と未来~』
上原 弘子
歴史編⑤
『アニメーションの心理分析
~深層意識に潜む作り手の意図~』
横田 正夫
ビジネス編①
『アニメと産業とメディア戦略 アニメとメディアの共進化』
森 祐治
ビジネス編②
『アニメと産業とメディア戦略
~アニメ作品の海外契約状況~』
森 祐治
ビジネス編③
『アニメにおけるキャラクタービジネス戦略
~キャラクター志向の時代~』
陸川 和男
ビジネス編④
『アニメと著作権~アニメビジネスの核心構造を探る~』
宮下 令文
ビジネス編⑤
『数字から読み解く日本のアニメ産業』
増田 弘道
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目次
H-③-1 アニメは何故面白い?「アニメリテラシー」の考え方
H-③-2 国産アニメの魅力
H-③-3 視聴者はアニメの何に感動しているか?
H-③-4 疑問の出発点
H-③-5 アニメはマンガと近いメディアという誤解
H-③-6 事例:『あしたのジョー』
H-③-7 マンガとは根源的な差違がある
H-③-8 異世界構築はフィクションの要請
H-③-9 通常の美術設定~SF アニメ美術の特殊性~美術設定の見方
H-③-10『宇宙戦艦ヤマト』の世界観
H-③-11 単なる背景ではなく世界
H-③-12 アニメはルールを内包する
H-③-13 ルールを読むのもリテラシー
H-③-14 世界観を決めるレイアウト~ロケハンと美術
H-③-15 日本的なアニメ作画~人間の認識能力~ダブルアクション
H-③-16 アニメが描いているもの
H-③-17 アニメの面白さは~観客側の眼力も問われる
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H-③-1 アニメは何故面白い?「アニメリテラシー」の考え方
“アニメが面白い”という根源的なこと、それに対する疑問を呈しつつ解説してみ
たいと思います。“面白い”という共通認識ができているようで、実際に思っている
ことは、それぞれ個人によってバラバラです。そこで今回、ひとつの考え方をガイ
ドとして提示してみます。
批評家とか評論家という方々が、アニメを題材に語ることがこの10数年増えてい
ます。しかし、そのほとんどは「物語とテーマ」についてしか語っていないと思っ
ています。もしもそんなに「物語とテーマ」だけに力があって、それだけを問題に
していいのなら、アニメにする必要はありません。マンガやラノベで書けば、同じ
ことが語れるということになりますから。
もしくは「アキバ系」とも言われているような「キャラクター」でアニメを語る
という傾向ですね。でも、これも映像表現であるアニメの「本質」とはあんまり関
係がないです。もちろんアニメの商業的発展の中で、キャラクターのはたした役割
は大きいですが、ゲームやマンガでもキャラ論ができるから「本質」ではありませ
ん。
このように、アニメの面白さ、魅力を考えたときに、「意味」とか「本質」とい
うレベルになると、まったく空洞化している。それに、ものすごく危機感を抱いて
います。アニメには「あえてアニメにするだけの意味」があるはずだと思います。
それは共通概念として抱いておくべきです。
今現在、この時代では「アニメの面白さ」は物語やキャラの価値を媒介にしてフ
ァンの間で共有されています。ですが、それにしても5年10年経つと時代とともに
流れて消えいくものです。さらに、同時代的に知っている人が全員死んでしまった
ら、誰にも永遠にわからなくなってしまう。つまり風俗としてはともかく、文化・
芸術としての「アニメの意味」は残らなくなる危険性を常にはらんでいると思いま
す。これではいけないという問題意識があります。
なぜなら、アニメは労力と資本を大量に要する芸術表現だからです。マンガと小
説は個人のクリエイションですし、世に出るとき関係するのは出版社ぐらいのもの
です。しかし、より公共性の高い放送局を動かすとなると、桁がひとつかふたつ上
のお金と人員が必要になります。しかも今は国境を越えて受け入れられるようにさ
えなっている。影響範囲はマンガや小説を超えているはずです。ですから、それが
無駄にならないようにすべきです。流れておしまいということではいけない。その
意味でも、「アニメの価値」ということについて各自が自分の考え方を示しながら、
アニメを処しなければ、あっとういう間に摩耗すると思います。
そのために「リテラシー」という、やや複雑な言葉を出してみました。それは、
アニメを楽しむ、面白いと思うことには「読み解き」という行為が大きく作用して
いるからです。リテラシーという言葉の本当の意味は「読み書き」ということです。
しかし、インターネットを見ていると、たとえばアニメの作画について話す場合「こ
れは作画が崩壊しているからダメな作品だ」などと、高い所から適当な基準で語っ
て切って捨てて、善し悪しを区別することがリテラシーと思っている人が相当数い
らっしゃる。そういうことではないと思います。
もっと構造的な理解をして活用すること。それがリテラシーです。そのためには
インプットだけではなく、自分からも積極的にアウトプットをしなければいけない
はずです。それが「言語化」ということであり、「読み書き」の「書き」に相当し
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ます。こうした言葉を共有化することによって、自分の楽しみも拡大します。さら
には先ほど話題にしたように、アニメが国境を越えて「面白い」と言ってもらった
ときに、「ありがとうございます。こういう理由があるから、僕たち日本人の好き
なアニメは、こんな価値があると思っています。あなたたちはいかがですか?」と
いうようなことも語れる。こうした文化圏を越えた交流が生まれることで、そこか
らまた新しい価値が生まれるし、そうしたことがアニメを豊かにするのです。
将来的にはアニメを使ってアニメを評論、批評することでさえ可能だと思ってい
ます。新房昭之監督は、すでにこういう領域に踏み込みかけている作家であろうと
思っています。今は「パロディ」としてひとくくりにされていますが、その本来的
な意味もパロディの対象についての批評性がありますし、批評する主体にも単なる
お笑いに済ませない高い志が含まれていると思います。
ニコニコ動画では、映像にツッコミを入れながら楽しむことが装置化されていま
すが、ああいう新しいメディアもアニメに対するリテラシーの領域を開拓していく
可能性のあるものだと思います。今は「お楽しみ」で使われていますが、こういう
した試行が積み重なることによって、いずれ次の発展があると期待しています。そ
のためにも、個々人が「アニメはなぜ面白いか」ということをリテラシーとして把
握する必要があると思っています。
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H-③-2 国産アニメの魅力
本質を知るということでは、まず日本で主流になっている「アニメ」についての
特徴を理解する必要があります。いわゆる「アニメーション」と呼ばれている広い
分野と、ここで問題にしている日本の「アニメ」は、単なる略語ではなく、少々違
っています。今の欧米では、日本のアニメは“animation”の略語をローマ字読みした
“anime”という言葉で、そのままダイレクトに受け入れられてます。“Japanimation”
はあまり使われていません。でも日本人は「animeってどういうものですか?」と
聞かれたとき、おそらく当たり前にあり過ぎるものだから、それがなんなのか、き
ちんと説明できる人は少ないと思います。これは「自画像が描ききれてない」とい
うことになります。しかし、「日本ならでは」の発展の理由は、もちろんあります。
本来のアニメーション映画は、ものすごい人手と時間をかけて精密に作り込んで
いくフルアニメーションですが、日本では1963年に『鉄腕アトム』でストーリーの
あるアニメをテレビに流す時に、「欠落させる方法論」をとりました。リミテッド
アニメの拡大解釈ということですが、この手法が資源に恵まれてない島国である日
本の風土、文化に合っていたわけです。
もともとアニメーションという表現は「省略と誇張」によって成立しています。
輪郭線(アウトライン)とベタ塗りのキャラクターを採用しているのが、その一例
です。一方で、日本には浮世絵のような独特の文化がありますが、それはアウトラ
インで捉えて「省略と誇張」で平面的に描く画風で、もともとアニメーション的だ
ったんですね。さらに日本人がここ数百年で培ってきた文化・芸能、あるいは技術
の中には、かなりアニメにマッチして共通性が見られる物がたくさんあります。一
例としては歌舞伎があげられます。決してリアルではない、かぶいた誇張の異世界
を作りあげて、顔の表情も全部メイクで潰して隈取りをして、物事を傾いて捉えて
る。そのデフォルメの中に真実を見出すという芸術で、国産アニメに通じる作法で
す。あるいはゼロ戦。軽量化のために紙みたいなペラペラな装甲を採用しています
が、被弾しないぐらいぐらいの高速度を出せればいいという設計思想で作られてい
ます。それは「使っている枚数はフルアニメーションにかなわなくても、一点突破
で感動の瞬間を与えられればいい」という国産アニメの発想と似ています。
日本には「同じ日本人同士、言葉にしなくても通じる」という、言外で伝えよう
とする風習があります。そこで茶道にしても盆栽にしても、本物を様式でモデル化
した物に対し、想像力を喚起するという「リテラシー文化」が発展してきたのだと
思います。そこには「不要なものを削ぎ落とすことで残ったものを際だたせる」と
いう「欠落の文化」という共通性が見て取れると思います。これは「大量に情報を
盛り込んでいくとリッチになる」という欧米文化と真逆です。
リミテッドアニメに慣れ親しんで育ったわれわれテレビアニメ第一世代では、デ
ィズニーのようなフルアニメやCGだと情報量が多すぎるので、疲れてしまうとい
うことも起きています。またハリウッドのエンターテインメント映画では、教育程
度がバラバラの大衆に対し、誤解なく伝えようとするあまり、説明や情報量を増や
しすぎる傾向があります。そうすると、言葉や描かれている情報量の限界に囚われ
ることにもなりかねない。それで矮小化して、つまらなく見えてしまうということ
も、起きていると思います。
リソースの貧しい日本でそれを追うことは、あまり得にならないでしょう。
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H-③-3 視聴者はアニメの何に感動しているか?
こうした考察から、「アニメがなぜ面白いのか」という話題についても分かって
くることが多いです。たとえば感動に絞って言うと、結局は「描かれていない部分
に感動している」という本質が見えてきます。
アニメとは、基本的にすべてが「イリュージョン(幻想)」です。今日の最初の
方の授業で「アニメはトリック撮影の一種」だという定義がありました。つまり、
トリックということは手品と同じということです。
よく「アニメーションは生命を吹き込む芸術」だと簡単に言われます。だけど、
欧米的なフルアニメーションの定義では、動いているキャラクターの部分に情報を
埋めて埋めて、それで「生命を吹き込む」というスタイルだと思います。でも、日
本ではどこか根本が違っていると思います。キャラクター以外の、もっといろんな
ものにも命が宿っているのだという「八百万の神」的な宗教観に近い発想が感じら
れます。
アニメーションとは「絵」で錯覚というトリックを積みかさねて「画(動く映像)」
にしてイリュージョン、つまり異世界をつむぎだすわけ。ただし、現実にまったく
関係ない物とすると、認識できなくなります。あくまでも、現実を再認識している
プロセスがあるということが重要です。
現実を異世界にモデル化することによって、真実を再認識することができるかも
しれない。それが生きるパワーにつながる。それが日本流の「生命を吹きこむ」と
いうことで最重要になります。
アニメには時代性を映す鏡のような役割もあると思いますが、それが可能なのは
こうした原理があるからです。
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H-③-4 疑問の出発点
では、どうしてこういうことを考えるようになったのか。それはやはり「疑問を
いだくこと」が真実を知る入り口になるからです。
そのきっかけですが、私が若い頃にセル画をもらって見たとき、あるいはビデオ
のポーズボタンを押して止めた時に、何度かビックリした経験があります。これま
で物語の中で、あたかも「生きているキャラクター」だと思っていたものが、一瞬
にして「物質化」してしまった。いきなり命が抜ける感じがして、すごくつまらな
い物に見えしまった。「いったいどうして自分は、こんな物質に感情移入していた
のか?」と、そういう疑問を抱いたわけですね。簡単に答えは出ません。それで、
その疑問を解消しようと努力し続けることが、アニメの面白さを理解することにつ
ながると、考えるようになりました。
それと、セル画を分析した体験から「国産アニメの特徴」としては、動き以外の
素を総動員していることも見えてきました。一例として挙げたいのは、フレーミン
グのことですね。アニメの演出家の大事な仕事に、このフレームを決めて「世界を
切り取る」るということがありますが、意外に知られていないかもしれません。
絵コンテで指示された意図にしたがい、セル画と背景画をもう一度切り取るんで
す。そんな一見単純な作業でも、単なる絵だったものが急に「世界」に見えてくる
という感覚が生じます。
切り取るということは「世界から不要なものを欠落させる」ということですが、
画面の時間・空間の外にあるものへの想像力を喚起させるフレーミングは、「異世
界を発生させる」ためには重要な要素だと思います。
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H-③-5 アニメはマンガと近いメディアという誤解
アニメはマンガと近いメディアだと思われがちです。特に手塚治虫のような作家
が「マンガに映画的表現を取り入れた」というのは事実があるがゆえに、よけいに
ややこしくなっていると思います。
もちろんその映画的表現があったから日本でマンガが発展したわけですが、マン
ガが映画的にも読めるからといって、マンガを絵コンテとして使えば映画的アニメ
が作れるかと言えば、それはまったく誤った考え方です。「原作に忠実にアニメ化」
みたいな話が何度も出ますが、かなりの挑戦だと思います。
逆にフィルムコミックという、アニメの映像をマンガのようにコマ割りして吹き
出しと擬音をつけた書籍もありましたが、やっぱり映像を見るのとは違ってしっく
りこなかったです。衰退したのは、ビデオソフト時代が来たからだけでなく、やは
り表現としてムリがあるからです。
以上のように、「アニメとマンガの相互コンバート」は難しいという認識があり
ます。マンガにはサイボーグ009や花形満(『巨人の星』)のような片目キャラ
がよく登場しましたが、これをそのままアニメ化すると角度によって立体的な不具
合が生じます。アニメの手描き作画は「2D」とされていますが、あくまでも3D
的な考え方に基づいて一瞬を投影した2Dであって、時間の中で動いていく存在は
立体なんです。
H-③-6 事例:『あしたのジョー』
『あしたのジョー』という作品は、アニメ、実写と何度も映像化されていること
もあって、こういう話をする場合にはいい作品です。
テレビの「懐かしアニメ」みたいな特番では、矢吹丈と力石戦の対戦が何度も流
れています。それで最後にジョーが力石にアッパーカットを食らって、そのリアク
ションで空中を舞っている印象があると思います。ところが実は原作を再読すると、
その場でよろめいていて、飛んでなどいません。飛んでいる表現は、アニメのオリ
ジナルなんですね。近年公開された実写版も、アニメの方に準拠しています。
おそらくは、アニメで原作通りに描くと、それほどエキサイティングなものには
見えないなどの理由があったと思います。逆にマンガにしかできない表現というの
も結構あります。
マンガとアニメというのはそれぐらい「似て非なるもの」であって、そうした分
析にも「アニメの面白さの本質」を探る手がかりがあります。
[漫画版・アニメ版『あしたのジョー』の投影資料を提示]
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H-③-7 マンガとは根源的な差違がある
マンガは見開きで読むことが前提です。大小自在に割られたコマを超えたページ
全体のイメージの連携によって、成立している部分が多々あります。
それに対してアニメはあくまでもフィルムなので、映画と同じ線形、リニアな時
間が流れ、フレームも固定が基本です。逆にマンガにない要素としては、音楽や効
果音、色や光、カット割りのモンタージュなどを総動員できます。
つまり、アニメだけのもちうる「異世界性」とは、マンガにはないこうした物に
喚起されて発生しているわけです。
マンガとも共通性のある、キャラクターの表情や演技、あるいはセリフだけでな
く、こうした要素を総動員して、観客を異世界へと引き込んでいく。それがアニメ
の根底にあることは、よく認識しておいて欲しいことです。
アニメという表現は、これだけいろんな要素を重層的に積み重ねていくわけです
が、演出によってそれぞれ同じ方向に行かせる場合もあれば、わざと調和を崩すこ
ともあります。さらには、脚本家、演出家、声優、美術など役割分担も多いので、
そういう人たちのアイデア、個性をどういう風に練り込んでいくか、つまり集団作
業ということも重要になってきます。
音楽にたとえれば、マンガはソロプレイヤーに近いですが、アニメはむしろセッ
ション、バンド、あるいはオーケストラに近いと思います。
H-③-8 異世界構築はフィクションの要請
「異世界に引きずり込む」という点に限って言えば、これはフィクション全体の役
割になります。その中でも、アニメにはかなり上手く異世界に引きずり込むことが
できるメリットがあると思っています。
問題は、アニメというかなり抽象度の高い土台において、どのような手段や手続
きで異世界に引きずり込むのか、ということです。欧米の場合は「キャラクターと
所作」になります。
アニメーションがフィルムとして確立する前、カートゥーンの最初は芸人が舞台
上でフリップボードを使って、めくりながら絵を描くという出発点があると言いま
す。アメリカで作られるアニメーションは「カートゥーン流」ですから、いまだに
その影響を受けています。
それに対し、日本のアニメは東映動画が映画興行の児童向けの一環として始めた
歴史もあって、映画的な要素、意識が非常に強いです。それに加えて、絵画的な要
素では日本画の文脈もあると思います。
もうひとつ日本は『鉄腕アトム』の頃に高度経済成長期を迎えていたので、「科
学が世の中の先端を切り拓いて未来を変えていく」というパラダイムシフトのまっ
ただ中で発展しました。なので、テレビアニメの黎明期には科学的手法でフィクシ
ョン化をしていくSFと並行して作品が作られましたし、つくり方の発想も親和性
が高いんです。
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H-③-9 通常の美術設定~SF アニメ美術の特殊性~美術設定の見方
日本のアニメがSFと親和性が高いというひとつの例として、美術設定にその特
徴が表れています。
SFの定義には様々な解釈がありますが、そのひとつとしては、人類全体の問題
や地球の問題、ひいては宇宙全体の問題など、いろいろなスケールサイズを用意し、
それをある科学的な手法によって結びつけて、現実を捉え直すということがありま
す。これが先ほどから言っている、異世界構築の具体的な方法論と近いわけです。
たとえば宮武一貴さんという、SFビジュアリスト集団のスタジオぬえ所属のデ
ザイナーが劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(’84)で設定画
を「プロダクションデザイン」として描いていますが、それにSF的発想がよく表
れています。美術設定を一枚ずつ見れば関係なさそうなものにも見えますが、それ
を映画的な知識をもって見ると、実はいろんなスケールのものを、いろんな角度や
視点でとらえ、組み上げながら描かれていることが分かります。
この多面的な視点で実際の映像を撮っていけば、こうした深みの世界観が観客に
も伝わる、そんな発想で作られています。このような「世界観」が、国産アニメの
特徴のひとつです。それはSFアニメに限ったことではありません。おそらくテレ
ビアニメ『けいおん!』(‘09)のスタッフも、かなり近い発想を持って高校生活を
描写していると思います。そうでなければ、あの臨場感なり親近感なりは生まれま
せん。
[アニメ『超時空要塞マクロス』の投影資料を提示]
H-③-10 『宇宙戦艦ヤマト』の世界観
ファンが物語やお芝居やキャラクターよりも、現実をモデル化した「世界観」を
楽しむようになったのは、いつぐらいか。その最初のテレビアニメは1974年の『宇
宙戦艦ヤマト』だと思います。実は『宇宙戦艦ヤマト』の一連の物語、「滅亡間近
い地球を救うため、希望を抱いて旅をする」ということは、たとえ古代進やスター
シャらキャラクターの写真が出てこなくても、第1話、第2話に出てくる「赤い地
球の全景」「赤さびた戦艦大和」「地下都市から改造された宇宙戦艦ヤマトの艦尾
を見あげる」と、たった3枚の背景中心のビジュアルで語ることができます。
それぐらいビジュアル中心で世界観は描けるということです。だからこそ当時は
あの世界にのめりこむことができて、感動したんだと考えています。美術だけでも
こういうSF的な世界観が作れる。世界を立体的に伝えることができる。たった3
枚の背景という省力化したかたちで。これが国産アニメのすごいところのひとつで
す。
他の作品でも、衛星軌道から人間のいる世界を見おろしたり、あるいは地下世界
から見あげるといった、SF的な視点ジャンプの快楽はよく描かれていると思いま
す。高校生活であれば、そんな気分で学校に通っているかも「世界観」であり、そ
れもビジュアルで伝達できます。
こうした日本のアニメ特徴は大事ですが、まだまだ充分には知られていないと思
っています。
[アニメ『宇宙戦艦ヤマト』の投影資料を提示]
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H-③-11 単なる背景ではなく世界
「世界観」とは単なるビジュアルデザインのことではありません。食事のシーン
とか一緒に座るとか、建物に触るとか。人間の体が何を媒介にして世界を捉えてい
るのか。そういう「観点」の総体のことです。演出面では、やはり『機動戦士ガン
ダム』の富野由悠季監督が「ものを触る」とか「じっと見る」とか「食べてみる」
いったことを必ず織りこんで、観客に「世界の実感」を伝えるようにしています。
富野演出の本当にすごい所は、テーマやビジョンをそうした誰にでも分かる卑近
な接点で伝えるというあたりにもあると思います。アニメの世界をどうやってリア
ルに感じさせるのか。それは「根拠を提示すること」になりますから。その根拠を
よりどころにして、初めて作品の中に入っていけるわけです。
それがどれぐらい用意されているかで、作品が面白いかつまらないか、それも決
まってくると思います。「リアリティ」というのは今言ったような実感のことで、
絵の描き込みが細かいとか正確だとかいうではありません。
H-③-12 アニメはルールを内包する
では、今言った「根拠」とは何なのか。別の観点から見てみましょう。
アニメとは、特にテレビで放送されるものは、一応は「公共物」です。なので、
誰が見ても初見でどういうことが行われているのか、分かるように作られている必
要があります。
演出家の役割には、キャラの演技を付けるとか物語を盛り上げるとか、そういう
こと以外にも「ルールを提示する」という重要なものがあります。アニメの世界は、
基本的には100%ウソでできています。重力の有無などは、ストーリーの流れの中
できちんと提示しないと、落ちたら死ぬ世界なのか、どうかさえ分からなくなって、
見る人が何も信じてくれなくなります。
その一方で、作中のルールがあまりに定型でも、先が読めてつまらないアニメに
なってしまいます。ルール提示にはある程度の刺激も必要です。
H-③-13 ルールを読むのもリテラシー
ある時期、生物にはなぜ視覚が備わったのか、徹底的に考えたことがあります。
大別すれば、たったふたつです。それは死の危険がある物を回避するためか、生殖
行動の歓喜を求めてかだけです。要するに死と生、つまりタナトスとエロスなんで
すが、逃れられない死を超越するために子孫を残そうと伴侶を獲得するわけですか
ら、実は目的はたったひとつなんですね。
優秀なアニメは、死と生のどちらかに引っかかるような物を明示か暗示で常に提
示しています。特に理屈と情のうち、感情的なものを掘り下げていくと、すべてこ
れに引っかかります。つまり、情のルールという理屈では認知しづらいものを視覚
で埋め込んでいるのがアニメなんですね。
「萌えアニメ」にしても、表面上はタナトスもエロスもないように見えますが、
それを慎重に隠蔽しているということは、逆にウラ的に意識してしまうと思います。
ですから、つまらないアニメとはタナトスとエロスが描かれてないのではなく、そ
れらの扱いが粗雑なものを指すと思います。
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H-③-14 世界観を決めるレイアウト~ロケハンと美術
アニメの企画書に「世界観」という言葉が書かれるようになったのは、おそらく
ここ20年ぐらいのことで、ゲームの影響も大きいと思います。
また押井守監督の『機動警察パトレイバー2 the Movie』(‘93)や『GHOST IN THE
SHELL / 攻殻機動隊』(’95)が登場し、前者はレイアウトの解説本が出版され、後
者は国際的にも評価を得たことで、「ルールや意図をどうやってビジュアライズし
て埋め込んでいくか」ということが、アニメの現場で非常に重視されるようになり
ました。
そうした世界観やルールを表現する手法として、今もっとも重視されているツー
ルは「レイアウト」です。これはアニメの完成画面をつくりあげるための設計図で
すが、仮想世界をフレームとパース、要するに「視点」で切り取ったものになりま
す。ですから「世界観」を描いたツールなのです。
パースには一点透視や三点透視から、さらに複雑に組み合わせたものもあります。
注意しなければいけないのは、透視図法はあくまで西欧絵画の発展から生み出され
たものにすぎず、人間の目は透視的に物を見ているわけではないということです。
心理的なバイアスをかけて、視覚の中から情報を取捨選択して認識しています。
アニメは現実世界の中から、必要な情報を「省略と誇張」して絵にするものです
から、心理的な物を加味した仮想現実を構築したもので、演出や物語の必要に応じ
てウソをついたりできます。これもアニメのメリットです。
たとえばレイアウト上、遠くにある被写体は望遠で遠近を圧縮して描き、近くに
あるものは広角で描いて動きを大きくするといったことを、人間の心理的な知覚に
そって、ワンカット内で描くこともできます。遠くにある小さなミサイルがジワジ
ワと動いていたのに、急接近すると心理的な恐怖でものすごく速く、大きく変化す
る、みたいなことですね。
こうした効果を、演出家はレイアウトの中でうまく調整しています。
H-③-15 日本的なアニメ作画~人間の認識能力~ダブルアクション
国産のテレビアニメはフルアニメーションとは違う発想で、3コマ単位で絵を動
かしても、それなりに見せるということを、50年近く追及してきました。これも大
きな特徴です。
これが1コマになっても、ヌルヌルして気持ちのいい動きにならないことがあり
ます。むしろ、2コマや3コマの絵の方が動いて見えたりします。やはり「断続」
や「欠落」が、ここにも関係してきます。
ではなぜ、1秒間24コマ埋まっていなくても動いて見えるというと、人間の目に
「未来を予測する」という機能があるからです。これはさきほど言ったような、死
を回避したいという本能にリンクします。
では、どうやって人間は未来を予測するのか。それは「過去の情報」を元にする
しかありません。ですから人間がアニメを見る時も、まず1枚目から2枚目の動き
の差を見ますが、この差分が「過去の情報」になります。そこから3枚目がどう動
くのかを予想して、そこがマッチするかどうかも判定しますし、2枚目と3枚目の
飛んだ絵を脳内で作りあげたりします。
これがアニメの動きの「錯覚」です。つまりアニメーターが描いてる動きは、原
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画そのものではありません。原画と原画の間に、どういった残像を観客の脳内にあ
たえるか。そこが大事なんです。
要するにアニメの動きの本質というのは描かれていない「空」の部分にこそある。
そこから拡がる想像が、夢を見させるのです。
[アニメ『鋼の錬金術師』の投影資料を提示]
H-③-16 アニメが描いているもの
国産アニメの特徴が、「現実には無いものを想像させるように描く」ということ
には、共通性があると思います。コマ単位の動きからレイアウトの特徴、美術設定
の世界観発想や、はては物語のテーマにまで一貫して通じていると思います。
欧米のフルアニメやCGなど、時間と空間を埋めつくしてしまう方法論と違い、
脳内で膨らませる余地があるところが「日本のアニメの面白さ」ということで、間
違いはないのではないでしょうか。
脳がどういう風に現実を認識しているのか、それを芸術的にどうモデル化するか
という観点から考えたときに、アニメという芸術は本当に研究しがいがあって、面
白いと思っています。
H-③-17 アニメの面白さは~観客側の眼力も問われる
ところが、これだけの仕掛けがあるにも関わらず、観客は作品が終わったとたん、
キャラクターと物語しか記憶していない状態となります。これは夢と同じで、作り
手がそれをめざしている以上、仕方のないことでもあります。
ですが、アニメが夢と違うのは「体験性が確実にある」ということですし、リピ
ートしようと思えばできるということ、しかも他人と共有できるということです。
本来は描かれていないアニメの「空」から、どれぐらい意味のあることを引き出
せるのか。これもリテラシーのひとつです。
それは、頭の中に自分が過去に見た物と照合するためのライブラリが、どれぐらい
入っているのかにも比例すると思います。ということは、なるべく出来のいいアニ
メを観ておくとか、実写映画なども古典をたくさん鑑賞するとか、本をたくさん読
むことが、よりアニメを面白くする方法論のひとつです。
もちろんいろいろな実体験を積むことも、参照ライブラリを増やすためには重要
だと思います。旅行に出て意外性のある体験を積んだりすることも良いでしょう。
日本人はしぐさから言外の感情を読む能力に優れていると思います。そういうこ
とも、アニメに実体としては描かれていない情報から、さまざまなものを読む能力
に繋がっていると思います。
近年、なぜか日本式のアニメが海外でも評価されているということにも関心があ
ります。今日述べたことは日本の環境によるものではなく、実はどの国でも人間の
脳にはそんなに違いがないのだという証拠かもしれません。リテラシーという観点
から、「人類はだいたい同じにできている」ということが分かってくると、驚きを
感じますね。
ですから、アニメというメディアはマンガ以上に「世界的言語」に発展させうる
可能性があると思います。そういう意味で、リテラシー的アプローチは、アニメか
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ら大きな付加価値を引き出せる可能性を持っているのではないでしょうか。
何を自分が面白いと思うのかということを、つきつめて考えていくうちに、国際
的に通じる共通性のある部分と、自分だけにしか無い個の部分の両方が見えてくる
と思います。そこから始まるコミュニケーションには大きな可能性があります。
本来的なリテラシーとは、こうした可能性の追求から獲得できるものだと思いま
す。
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文部科学省
平成24年度「成長分野等における中核的専門人材養成の戦略的推進事業」
アニメ・マンガ人材養成産官学連携事業
アニメ・マンガ人材養成産官学連携コンソーシアム
アニメ分野職域学習システム実証プロジェクト
カリキュラム検討委員会産業論部会
【お問い合せ先】
アニメ・マンガ人材養成産官学連携事業・推進事務局(日本工学院内)
〒144-8655 東京都大田区西蒲田 5-23-22
☎ 03-3732-1398(直)
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