第6号(2007年)

March 1, 2007
Original Article
Development of the Organizational Climate Scale and Possibility of its
Application for Organizational Change ……………………………… Sayoko MIYAIRI
“Casa overo palagio”: le funzioni ed i significati sociali dei palazzi nel Quattrocento
fiorentino …………………………………………………………Hiromasa KANAYAMA
第6号
3
15
29
Basic experiment for performance tuning of network server
………………………… Jiro TANAKA
Study on the operator’s electroencephalogram in the process of obtaining skills for
manual control ………………………………………………………… Daiji KOBAYASHI
Yohei SHOJI
Sakae YAMAMOTO
Report
A Rush of Chinese Students to Japan ……………………………… Eiji FURUYAMA
平成19年3月1日
19
原著論文
組織風土の特性尺度の開発と活用
∼企業変革における組織風土特性尺度の活用の可能性について∼
………… 宮 入 小夜子
3
1
ギャリック版『ロミオとジュリエット』と「恋人としてのロミオ像」の確立
.................. 安 田 比呂志
15
平成
年3月
日
Garrick’s Adaptation of Romeo and Juliet and The Making of “Romeo as a Lover”
…………………… Hiroshi YASUDA
第6号
6
No.
カー サ ・ オヴェーロ ・ パラッツオ
51
63
77
「家屋もしくは邸館」:ルネサンス期フィレンツェにおけるパラッツォの社会的機能と意義
.................. 金 山 弘 昌
29
ネットワーク・サーバのパフォーマンスチューニングのための基礎実験
.................. 田 中 二 郎
手動制御のスキル獲得過程におけるオペレーターの脳波に関する研究
.................. 小 林 大 二
庄 子 洋 平
山 本 栄
51
63
Career Decision Making of Japanese College Graduate Women
……………………… Yuriko SASAKI
Effectiveness of the intensive group experiences for Career PlanningⅡ
………………… Wataru SUEMATSU
Yoshiyuki SHIBAHARA
Daiji KOBAYASHI
85
97
Note
On ne in Middle English through Helsinki Corpus
………………………………Reiko ITO
107
報告・資料
中国からの留学生激増の背景 …………………………………… 古 山 英 二
77
日本の大卒女性の働き方
―女子学生の進路選択のために― ……………………………… 佐々木 由利子
85
集中型グループ体験学習を取り入れた「キャリアプランニングⅡ」の効果
.................. 末 松 渉
柴 原 宜 幸
小 林 大 二
研究ノート
中英語期における否定辞
について
―ヘルシンキコーパスを検索して― ……………………………… 伊 藤 礼 子
97
107
日本橋学館大学紀要 第 6 号
目
次
原著論文
組織風土の特性尺度の開発と活用
∼企業変革における組織風土特性尺度の活用の可能性について∼
………………………………………………………………………宮
入
小夜子
3
比呂志
15
ギャリック版『ロミオとジュリエット』と「恋人としてのロミオ像」の確立
………………………………………………………………………安
田
「家屋もしくは邸館」:ルネサンス期フィレンツェにおけるパラッツォの社会的機能と意義
………………………………………………………………………金
山
弘
昌
29
中
二
郎
51
…………………小
林
大
二
63
庄
子
洋
平
山
本
栄
中国からの留学生激増の背景……………………………………………古
山
英
二
ネットワーク・サーバのパフォーマンスチューニングのための基礎実験
………………………………………………………………………田
手動制御のスキル獲得過程におけるオペレーターの脳波に関する研究
報告・資料
77
日本の大卒女性の働き方
―女子学生の進路選択のために―…………………………………佐々木由利子
85
集中型グループ体験学習を取り入れた「キャリアプランニングⅡ」の効果
…………………末
松
渉
柴
原
宜
幸
小
林
大
二
―ヘルシンキコーパスを検索して―………………………………伊
藤
礼
子
97
研究ノート
中英語期における否定辞 について
107
THE BULLETIN OF NIHONBASHI GAKKAN UNIVERSITY NO. 6
Contents
Original Article
Development of the Organizational Climate Scale and Possibility of its Application for
Organizational Change ………………………………………………… Sayoko MIYAIRI
3
Garrick’s Adaptation of Romeo and Juliet and The Making of “Romeo as a Lover”
……………………… Hiroshi YASUDA
15
“Casa overo palagio”: le funzioni ed i significati sociali dei palazzi nel Quattrocento
fiorentino ……………………………………………………… Hiromasa KANAYAMA
29
Basic experiment for performance tuning of network server
…………………………… Jiro TANAKA
51
Study on the operator’s electroencephalogram in the process of obtaining skills for
manual control ………………………………………………………… Daiji KOBAYASHI
63
Yohei SHOJI
Sakae YAMAMOTO
Report
A Rush of Chinese Students to Japan ………………………………… Eiji FURUYAMA
77
Career Decision Making of Japanese College Graduate Women
………………………… Yuriko SASAKI
85
Effectiveness of the intensive group experiences for Career Planning Ⅱ
…………………… Wataru SUEMATSU
97
Yoshiyuki SHIBAHARA
Daiji KOBAYASHI
Note
On ne in Middle English through Helsinki Corpus
……………………………… Reiko ITO
107
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
原著論文
組織風土の特性尺度の開発と活用
∼企業変革における組織風土特性尺度の活用の可能性について∼
宮 入 小夜子*1
本稿の目的は、組織メンバーが観察可能な組織内の状況や行動を調査することによって、そ
の組織の風土的な特性を明らかにし、企業変革において実現すべき課題を促進するような組織
風土のあり方について課題を明確にするための測定尺度を開発することであった。2002 年と
2006 年に X 社を対象に行われた組織風土調査の結果、8 つの因子が抽出された。それらは大き
く分けると、
(1)
経営層や経営方針に対する信頼度に関するもの、
(2)
上司のマネジメントに対す
る信頼度に関するもの、
(3)
職場の活性度に関するもの、
(4)
自己の自律度に関するものと解釈
することができるようなものであった。それぞれの因子について 2002 年および 2006 年の尺度
得点の平均値を比較すると、X 社においてその後の組織風土改革的な取り組みを通して、ほと
んどの因子項目に関して改善された様子が伺えた。また、部門別の組織風土特性を把握するこ
とによって、業務課題と組織風土面の課題について組織メンバーが関連を認識し、変革の取り
組みの動機となる可能性を示唆するものと考えられた。
キーワード
組織風土 組織文化 組織変革 モチベーション
1.はじめに
組織風土は、メンバーの行動を動機付け、方向
の変革が重要であるにもかかわらず、抽象的・暗
黙的な特徴故に、具体的な変革課題を明確にし、
組織内で認識することは困難である。
づけるという機能を持っている。昨今の不祥事や
経営環境の変化に対応し、企業や組織が組織構
大きな事故を起こした企業の問題として、最終的
造や戦略、制度などの改革によって成果をあげる
には「企業体質」、「組織風土」に原因があると専
ためには、組織風土・体質面の変革課題を明確
門家が指摘したり、新聞記事では締めくくられた
にし、組織内で共有することが重要と考える。し
りしている。
かしながら、実際の企業現場では、組織風土改革
経営環境が激変する中で、多くの企業や組織に
は常に掲げられながらも、組織の構造面の改革を
おいてドラスティックな変革が行われているが、
阻害するような既存の組織風土を変えられないま
それらの多くは組織構造や戦略、制度などの明示
ま、組織変革の実現が暗礁に乗り上げている様々
的な公式組織の改革を中心としたものとなってい
な例を目にしている。
る。しかし、これらの戦略を実行し、制度を機能
これは、現実の改革の担い手である現場レベル
させるためには、実際には目に見えない組織風土
の人たちの間で、組織風土に関する概念的な理解
2006 年 9 月 30 日受理
Development of the Organizational Climate Scale and Possibility
of its Application for Organizational Change
*1 Sayoko MIYAIRI
日本橋学館大学人文経営学部
や具体的な問題認識の共有が行われていないため
に、変革当事者としての行動に至らないからでは
ないかと考えられる。
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
2.研究の目的
本研究においては、組織風土の構成要素を抽出
し、測定することによって、組織の風土的な特徴
共有されている価値、規範、信念」のレベルで捉
えられており、Schein が指摘した組織の深層レ
ベルの文化、いわゆる行動の基本的仮定となるも
のについては考慮されていないと述べている。
を表す因子を用いた尺度の開発を目的とした。さ
この場合、同義として扱う組織風土は、組織のメ
らに、この尺度を用いて、組織変革を促進または
ンバーを取り巻く環境や人間関係などについて、図
阻害する組織風土の特性を把握することにより、
1 で示した、メンバー間で共有された「基本的仮定」
変革当事者間で問題認識を共有化し、組織変革の
に当たるものであるといえる。これは、組織メンバー
プロセス構築に活用する可能性を検討し、今後の
が現実をいかに認識し、考え、感じとるかというこ
方向性を見出すことを目的とした。
とを決定するものであり、Schein は無意識のレベル
3.組織風土の概念
組織風土を定義する際、
「組織文化」という
であると捉えている。しかしながら、意識するか否
かに関わらず、これらの組織風土の要素がメンバー
の行動に影響を与えていると考えられる。
概念がしばしば同義に使われているが、Denison
組織風土が明示的な公式組織の構造改革にど
(1996)が指摘するように、組織風土と組織文化
の よ う な 影 響 を 与 え る か に つ い て は、Deal &
の研究の違いは現象の違いではなく、解釈の仕方
Kennedy(1982)や Arogyaswamy & Bales(1987)
の違いであるという考えに従い、ここでは明確に
らは、組織文化は成果を規定すると指摘している。
分けて扱わないことにしたい。
特に、Deal & Kennedy らは、成果をもたらすの
組 織 文 化 の 概 念 に つ い て は、Schein(1985)
に効果があるのは、
「強い文化」であるとし、こ
は図 1 のように、「ある特定グループが外部適応
れは逆に、メンバー間に共有された基本的前提が
や内部統合の問題に対処する際に学習した、グ
強固であればあるほど、経営環境の変化に対応し
ループ自身によって創られ、発見され、または、
て変わるハード面の成果に対して、マイナスにも
発展させられた基本的前提のパターン」と定義し
機能しうるということを示唆している。
て、目に見えるが理解しにくい表層レベルのもの
また、Arogyaswamy & Bales らは、組織文化を、
から、目に見えないが当然のものとして受け入れ
価値観とイデオロギーの結合と一貫性という「内
る深層レベルまでを説明する概念として捉えてい
的適合」と、戦略と環境との連関という「外的適合」
る。しかし、Schein はその著書の中で、他の研
のレベルで把握し、それらの適合度合に応じて組
究者が定義した組織文化は、「組織のメンバーに
織の成果が決定されるとしている。これは、環境
<図1>組織文化の3つのレベル
1) 有 形 の人 為 的 創 造 物
・建 築 物 ・技 術
・視 聴 可 能 な行 動 パターン
・服 装 、オフィスのレイアウト
2) 価 値
・直 接 観 察 することは困 難
・メンバーへのインタビュー、人 為 的
創 造 物を検 討 して推 論する
見 えるがしばしば解 読できない
より大きな知 覚 のレベル
メンバーによって強 く意 識 され、
行 動 を支 配しているもの
3)
基本的仮定
・環 境 に対する関 係
・現 実 、時 間 、空 間 の本 質
・人 間 性・人 間 行 動・人 間 関 係 の本 質
あたりまえと受 け取 られている目
に見えないもの
意 識 されない、当 然 のこと
(Schein, 1985, p.19)
図 1 組織文化の3つのレベル
(E.H.シャイン,1989)
宮入小夜子:組織風土の特性尺度の開発と活用
<図 2>
組織の目指す姿
経営課題
経営 環 境の変 化
組 織 の風 土 ・
体質的課 題
組 織 のメンバーが観 察した
行 動 特 徴 、現 状 の姿
組 織 風 土 の特 徴 を
形 づくる背 景 ・原 因
図2
<図 3>
成 果
環 境 変 化 に対 応 するための組 織 の構 造 的 改 革
経 営 戦 略 、組 織 体 制 、システム、制 度
新たな組 織 構 造 を機 能 させるための組 織 風 土 ・体 質 的 特 徴
=
変 化 に対 応するためのモチベーション
経 営 層 ・経 営 方 針 に対 する
信頼度
上司のマネジメントに対
する信頼度
職場の活性度
自己の自律度
図3
の変化が激しい状況においては、外的適合の必要
では、各組織の管理職や人事担当者の個人的回答
性が高まり、
一方、一貫した価値観やイデオロギー
を基に考察されたものや、組織メンバーを対象と
である内的適合は、組織の成果に対して逆機能と
したものであっても、雰囲気など観察の対象が不
なることを示唆しているといえる。
明確な調査項目によるものが多く見受けられる。
組織風土の定義に関しては、研究者の間でもま
組織変革のプロセス構築への活用を目的とする
だ概念が確立しているとは言えない段階ではある
ためには、理想の組織風土のあり方や現実との
が、ここでは、C.H.Litwin や R.A.Stringer(1974)
ギャップ、他組織との優劣を示すのではなく、経
が提示した、
「仕事環境で生活し、活動している
営環境の変化に対応するための経営課題遂行に必
人が、
直接的にあるいは間接的に認知し、
メンバー
要な組織の風土的特徴を明確にし、阻害要因とな
のモチベーションや行動に影響を及ぼすと考えら
る組織風土の変革課題を浮き彫りにする必要があ
れる一連の仕事環境の測定可能な特性」を組織風
ると考えた(図 2)。そのためには、組織メンバー
土の定義として用いることにして、研究のフレー
の自組織の観察可能な現状の特徴に対する認識を
ムワークを設定したい。
調べることで、組織の風土的特徴を把握できるの
4.研究のフレームワーク
ではないかと仮定した。
図 3 は、企業が環境変化に対応するために行う
本研究では、以上の定義に基づいたモデルを仮
経営戦略の変更や組織改編、新たなシステムや制
定し、ある組織に所属するメンバーが観察した行
度の導入など、公式組織の構造的改革を円滑に機
動特徴、感じている現状についての集合的な認知
能させるために必要な、組織の目に見えにくい部
を分析することによって、その組織の風土的特徴
分、すなわち組織の風土を 4 つの観点から捉えた
を捉えようとした。従来の組織風土に関する調査
仮説モデルである。
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
ここでは、
C.H.Litwin や R.A.Stringer のいう
「直
2002 年 9 月に X 社(製造業、平成 17 年度連
接的にあるいは間接的に認知し、メンバーのモチ
結売上 : 約 6400 億円、従業員 : 約 4300 名)にお
ベーションや行動に影響を及ぼすと考えられる一
いて、これらの 136 項目の質問票による 1 回目
連の仕事環境の測定可能な特性」を組織風土と定
の質問紙調査を 7 段階尺度で試行的に実施した。
義した場合、実際の変革プロセスにおいて、変化
第 1 回の試行調査において探索的因子分析を行っ
を受容し、メンバーを動機付けるためには、次の
た結果、8 因子を抽出し、これらをもとに、因子負
4 点が重要と考えた。
荷量の大きい 96 項目を選んで質問票を作成した。
① 経営層・経営幹部が変革に対して、直接的・
第 2 回として、2006 年 6 月に X 社にて再度追跡調
間接的にどれくらい本気で取り組もうとして
査を実施した。この回は、質問紙の代わりに、Web
いるのか、その言動や提示された施策などを
アンケートのソフト(SPSS Dimensions)を利用し、
メンバーがどの程度信頼し、受容できると考
X 社のイントラネットを通じたアンケート調査を実施
えているのか。
した。個別のパソコンを所有する社員全員に対して
直属上司の日常のマネジメントスタイルおよ
一斉同報で配布し、無記名にて Web 上で回答して
び言動が、変革活動を促進させるようなもの
もらい、データを集計したものを回収した。
②
になっているか、また上司自身の行動が変革
③
④
的だと感じられるかどうか。
5.2 調査対象者
職場の周囲のメンバーが変革に向けて前向き
2002 年の試行調査においては、調査対象企業
な態度を持ち、協力的で活気ある雰囲気を
の事務局担当者から各部署の調査担当者に依頼
持っているかどうか。変革的行動をとる者が
し、対象部署の構成員(正社員・男性)の名簿か
孤立してしまうような阻害的な集団規範がな
ら、ランダムに回答者を抽出して、手渡しで質問
いかどうか。
票を配布してもらった。質問票は記入後、回答者
自分自身が変化を受け入れ、革新的行動をと
から個別に郵送にて直接回収した結果、615 人か
るための自律性をどの程度もっているかどう
ら回答を得た(回収率 97.5%)。
か。また、そのような変革行動がどれくらい
評価されるかどうか。
2006 年実施の調査においては、同一企業のイ
ントラネットを通じて、個別のパソコンを所有す
以上のように、経営(層)
、上司、職場の構成
る社員からランダムに抽出した 1009 名を対象に
員それぞれに対する信頼度と、自己の行動に対す
イントラネットを通じたアンケート調査を実施し
る自信などの側面から組織風土の特性を把握する
た結果、453 人から回答を得た(回収率 44.9%)。
ことで、変革を阻害する組織風土面の課題を明ら
かにすることが可能ではないかと考えた。
5.研究の方法・手続き
5.
1 調査方法
多くの企業や組織で組織変革の支援を行ってき
5.3 調査期間
第 1 回 試行調査 2002 年 9 月
第 2 回 追跡調査 2006 年 6 月
6.調査結果
たコンサルティング会社において、2001 年にメ
6.1 因子分析の結果
ンバーの組織風土改革の経験のヒヤリングを通し
今回の因子分析(主因子法・バリマックス回転)
て、経験的な観点にもとづく質問項目を 197 項
では、
表 1に示すような 8 つの因子
(固有値 1.0 以上、
目作成し、予備調査を行った。これらの結果につ
累積寄与率 51.9%)が抽出された。これは、因子
いて信頼性チェックを行い、質問項目を 136 項
の順序に入替りはあるものの、2002 年の試行調査
目に絞った質問票を作成した。
で抽出された 8 因子とほぼ同様の結果であった。
宮入小夜子:組織風土の特性尺度の開発と活用
表 1 織風土測定尺度の因子分析結果(主因子法・バリマックス回転後:N=453)
F1
F2
F3
F4
経営層は、強い信念を持って変革に自ら取り組んでいる
0.803
0.119
0.128
0.128
経営層の打ち出す施策は信頼できる
0.783
0.067
0.136
経営層は、経営方針を本気で実践しようとしている
0.777
0.095
経営層は、社員のやる気を常に重視している
0.753
経営層は、積極的に新しいことに取り組んでいる
0.704
経営層は、リスクを恐れず、思いきった意思決定を行なっている
F5
F6
F7
F8
-0.043
0.102
0.036
-0.053
0.185
-0.109
0.021
0.030
-0.077
0.105
0.126
-0.079
0.082
0.031
-0.036
0.174
0.194
0.182
-0.087
-0.018
-0.002
-0.052
0.188
0.171
0.200
0.059
-0.006
-0.059
-0.118
0.670
0.145
0.156
0.133
0.009
-0.091
-0.066
-0.110
経営層は社員を大事にしていると感じられる
0.667
0.260
0.153
0.214
-0.133
-0.068
0.085
0.056
経営層は、部下の話に積極的に耳を傾けている
0.660
0.314
0.156
0.180
-0.113
-0.059
0.117
0.005
経営層 ( トップと役員)の間ではコミュニケーションがとれている
0.651
0.103
0.127
0.101
-0.102
0.037
0.021
-0.048
経営層は、積極的に社員のアイデアを取り入れようとする姿勢を持っている
0.648
0.310
0.172
0.149
-0.045
-0.065
0.118
-0.055
経営層は、自分たちが決定したことがうまくいかなかった場合、必ず振り返りを行なっている
0.638
0.198
0.078
0.115
-0.004
0.007
-0.059
0.028
経営層は、お客様や市場の変化を十分に把握している
0.631
0.281
0.123
0.093
0.007
-0.001
0.055
-0.089
経営層は、経営方針について機会あるごとに社員に対して話すようにしている
0.549
0.120
0.146
0.174
-0.090
0.064
0.113
0.026
経営層は、積極的に現場に足を運んでいる
0.523
0.240
0.106
0.121
0.004
-0.022
0.090
-0.046
全社レベルの意思決定に関して「なぜそうなったか」という背景が社員にはほとんど伝わっていない
-0.507
-0.142
-0.066
-0.181
0.209
0.024
-0.096
-0.082
経営層の変化に対応するスピードは遅すぎる
-0.489
-0.157
-0.042
-0.231
0.039
-0.011
0.008
0.075
経営方針について、経営層の発言内容は一致している
0.461
0.142
0.003
0.125
-0.052
0.099
0.135
0.006
会社として「勝ち残り」のための施策に本気で取り組んでいる
0.447
0.218
0.160
0.164
-0.065
0.080
0.086
-0.026
経営方針などについて組織内にいろいろな解釈や噂があり、何が事実かわからない
-0.438
-0.159
-0.045
-0.193
0.106
-0.069
-0.173
-0.080
あなたは、自分の業務と経営方針とが、きちんとつながっていると感じている
0.407
0.195
0.370
0.304
0.019
0.132
0.249
0.102
今までにない新しい試みをする人が評価されている
0.365
0.241
0.128
0.155
-0.064
-0.112
-0.085
-0.284
あなたの上司は、一つの問題をつねに多角的な視点で捉えている
0.201
0.821
0.040
0.202
-0.135
0.027
0.091
-0.019
あなたの上司は、自ら課題を発見して取り組むタイプである
0.165
0.803
0.108
0.189
-0.034
0.071
0.090
-0.011
あなたの上司は、問題の根本的な原因を見極めようと常に意識している
0.256
0.800
0.050
0.207
-0.108
0.073
0.041
-0.141
あなたの上司は、判断をするとき、常にそれが本当に正しいことかどうかを意識している
0.277
0.774
0.035
0.166
-0.175
0.039
0.061
-0.025
あなたの上司は、問題が他部署にまたがる場合、自分の担当部署の枠を越えて問題解決をしようとしている
0.211
0.756
0.070
0.226
-0.067
0.080
0.057
-0.015
あなたの上司は、日頃からコミュニケーションをはかっているため、いざというとき他部署の協力が得られやすい
0.228
0.739
0.148
0.222
-0.184
0.035
-0.034
0.044
あなたの上司は、物事を決めるときの判断基準に一貫性がある
0.275
0.728
0.039
0.227
-0.229
0.012
0.081
-0.079
あなたの上司は、自分の経験にこだわらず、良いアイデアがあればどんどん取り入れる
0.278
0.718
0.170
0.204
-0.177
0.021
-0.015
-0.044
あなたの上司は、仕事を任せる上で、最終的な責任は自分がとるから思い切ってやれという姿勢を示している
0.258
0.697
0.147
0.262
-0.238
-0.095
-0.061
0.018
あなたの上司は、部門(部署)の方針を自分の言葉で部下に語っている
0.342
0.691
0.099
0.202
-0.138
0.030
0.081
-0.039
あなたの上司は、問題に感じたことは上に対してもきちんと言っている
0.282
0.682
0.057
0.234
-0.180
0.087
0.055
-0.107
あなたの上司は、部下と仕事上のコミュニケーションを十分にとっている
0.181
0.670
0.141
0.297
-0.212
0.019
-0.036
0.089
あなたの上司は、指示した仕事が実行されないとき、何が問題で実行できないのかを聞いている
0.254
0.615
0.123
0.303
-0.136
0.093
-0.106
0.012
あなたの上司は、既存のルールが実態に合っていない場合、それを変えることはいとわない
0.203
0.555
0.072
0.140
-0.121
0.177
0.105
-0.140
あなたは、皆が前向きな気持ちになれるような環境をつくるために、部門長や経営トップを巻き込もうと努力している
0.178
0.014
0.734
0.106
0.056
-0.139
0.112
-0.070
あなたは、方針が正しく伝わっていないと感じた時、率先して話し合いをする場をつくっている
0.100
0.125
0.635
0.158
0.100
0.107
0.159
-0.032
あなたは、本来の業務とは別に、職場の風通しを良くするための活動をしている
0.107
0.068
0.618
0.127
-0.058
-0.020
0.193
-0.052
あなたは、職制を意識せずに、個人として上席者と話をしている
0.088
0.011
0.614
-0.052
-0.149
0.028
-0.071
-0.013
あなたは、経営方針の具体化のため、上司(または経営トップ)に対して提案している
0.233
0.077
0.605
0.225
-0.011
0.017
0.293
-0.043
あなたは社内で、堅くなりがちな話も気軽にするように心がけている
0.034
0.097
0.591
-0.022
-0.072
0.103
0.020
-0.010
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
F1
F2
F3
F4
あなたは、「何かおかしい」と感じたことは、上司に対しても発言している
0.102
0.041
0.589
0.097
あなたは、疑問点があれば職制にこだわらず、部門を越えて意見を求めに行っている
0.162
0.077
0.588
あなたは、仕事を進めるうえで改善したほうがよいと思うことは関係者にそのつど相談している
0.153
0.113
0.587
あなたは、部下や同僚に自部署の方針を自分の言葉で語っている
0.259
0.044
あなたは、自分の仕事に関連して、社内のいろいろな人と意見交換したり議論したりしている
0.105
あなたの判断は、部下やメンバーから信頼されている
F5
F6
-0.139
0.243
0.102
0.093
0.152
-0.034
0.576
0.244
0.169
0.551
0.181
0.004
あなたの職場では、たとえ小さなことでも新しいことに積極的に取り組むメンバーが多い
0.216
あなたの職場では、わからないことは気軽に問い返せる雰囲気がある
F7
F8
-0.118
0.046
0.082
0.010
-0.008
0.312
-0.051
0.046
0.003
0.021
0.336
-0.042
0.149
0.012
0.166
-0.104
0.015
0.485
0.214
-0.077
0.168
0.031
-0.004
0.194
0.267
0.633
0.032
-0.108
-0.031
-0.085
0.187
0.249
0.189
0.615
-0.114
0.130
-0.039
-0.035
あなたの職場では、困った時にメンバー同士で助け合える関係になっている
0.195
0.191
0.143
0.610
-0.018
0.007
-0.099
-0.031
あなたの職場では、生き生きとして情熱を持ったメンバーが多い
0.280
0.300
0.206
0.610
0.001
-0.027
0.008
-0.021
あなたの職場では、何か問題が起きたとき、他人ごとだと思っている人が多い
-0.223
-0.138
-0.086
-0.594
0.101
0.060
-0.220
-0.017
あなたの職場では、メンバーは必ず目標を達成しようと行動している
0.339
0.265
0.175
0.593
0.101
0.013
-0.029
0.104
あなたの職場では、おかしいことは「おかしい」ときちんと言えるメンバーが多い
0.157
0.230
0.121
0.567
-0.052
0.036
-0.082
-0.029
あなたの職場では、職場の問題について皆できちんと話し合っている
0.289
0.255
0.238
0.552
0.002
-0.052
0.019
0.017
あなたの職場では、隣の人が何をやっているかがよくわからない
-0.169
-0.186
0.012
-0.550
0.022
-0.056
-0.130
-0.003
あなたの職場では、自分ひとりだけ何を言っても始まらないという風潮がある
-0.239
-0.187
-0.100
-0.534
0.200
-0.007
-0.106
0.084
あなたの職場では、必要な知識やノウハウを主体的に学ぼうとするメンバーが多い
0.245
0.261
0.261
0.532
0.014
0.018
0.035
0.017
あなたの職場では、成功・失敗にかかわらず、なぜそうなったのかを徹底的に議論するようになっている
0.242
0.293
0.211
0.516
0.032
-0.041
-0.082
-0.089
あなたの職場では、建前で話をする人が多い
-0.074
-0.131
0.018
-0.507
0.229
-0.126
-0.235
0.156
あなたの職場では、新たな提案を検討するとき、中身よりも誰が言っているのか出所のほうを問題にしがちである
-0.160
-0.147
-0.052
-0.445
0.233
-0.048
-0.116
0.139
あなたの職場では、上位者に過度の配慮をしている人が多い
-0.145
-0.159
-0.006
-0.441
0.325
-0.094
-0.016
0.182
あなたの上司は、部下よりも常に自分の判断が正しいと考えている
-0.063
-0.159
-0.021
-0.149
0.686
0.088
0.120
0.019
あなたの上司は、命令すれば人は動くと考えている
-0.116
-0.343
-0.009
-0.078
0.671
-0.032
-0.039
0.059
あなたの上司は、とにかく管理を徹底すれば結果は出ると考えている
-0.079
-0.210
0.017
-0.002
0.668
-0.035
-0.120
0.196
あなたの上司は、自分と異なる価値観を受け入れることができないタイプである
-0.135
-0.366
-0.025
-0.141
0.643
0.080
0.080
-0.031
あなたの上司は、部下に対して「あるべき論」で物事を片付けがちである
-0.072
-0.145
-0.052
-0.059
0.615
-0.048
-0.149
0.025
あなたの上司は、部下の行動をすべて知っていないと安心できないタイプである
0.018
0.024
0.004
0.084
0.494
0.052
-0.004
0.128
あなたの上司は、指示の意図を部下が理解できないとき気軽に問い返しやすい雰囲気をもっている
0.150
0.449
0.252
0.158
-0.490
0.078
-0.168
0.020
あなたの上司は、部下に仕事の「指示」はするが相談はほとんどしない
-0.154
-0.196
-0.036
-0.195
0.436
-0.029
0.055
-0.041
あなたは仕事をする際に「なぜこれをするのか」を常に考えてやっている
0.007
0.111
0.409
0.012
-0.038
0.538
0.032
-0.022
あなたは、自分の創意が生かされる仕事をやっていきたいと思っている
-0.012
0.042
0.220
-0.004
0.051
0.533
0.040
0.097
あなたは、仕事のあり方を見直すことが、会社の将来につながると考えている
0.017
0.066
0.229
0.016
-0.011
0.517
0.083
0.046
あなたは「今の仕事を次にどう展開させるか」というシナリオをイメージしながら仕事をしている
0.079
0.022
0.476
-0.010
-0.021
0.497
0.013
0.072
-0.014
0.147
0.407
0.092
0.091
0.481
0.057
-0.016
あなたは、会社の経営方針を他の人に自分の言葉で説明できる
0.365
0.097
0.394
0.089
-0.011
0.112
0.658
-0.001
あなたは、会社の経営方針を理解している
0.411
0.107
0.348
0.060
-0.023
0.219
0.546
-0.034
あなたは、会社の〝ありたい姿〝を自分の言葉で説明できる
0.286
0.081
0.465
0.154
-0.018
0.131
0.496
-0.017
従来のやり方を忠実に守って仕事を進める人が評価されている
-0.098
-0.093
-0.015
-0.104
0.097
0.059
0.012
0.724
指示された仕事を着実にこなす人が最も評価されている
-0.001
0.046
-0.015
-0.029
0.148
0.036
-0.011
0.650
話をまとめて無難に結論づけることの得意な人が評価されている
-0.197
-0.229
-0.041
-0.168
0.082
0.077
-0.061
0.379
あなたは、物事の本質を常に考えるようにしている
宮入小夜子:組織風土の特性尺度の開発と活用
各因子は、その因子の因子負荷量の大きい項目
この因子は、自己実現を重視した仕事との関わ
内容から見て、次のように解釈された。
りを望み、常に仕事の意味を考えながら、本質を
◆ 第 1 因子
(F1)
:経営・会社に対する信頼感
追求し、長期的な観点で物事を進めようとする度
(α= 0.94、21 項目)
合いを示している。
この因子は、経営層が本気で変革しようとして
いると社員が感じているかどうかを表し、経営方
針や制度、施策などの理解、納得度を示している。
◆ 第 7 因子(F7):組織ビジョンの納得性
(α= 0.88、3 項目)
この因子は、組織の方針を理解し、自分なりに
◆ 第 2 因子(F2):上司に対する信頼感
周囲に伝え、組織の目指す方向について自分の言
(α= 0.96、15 項目)
葉で語れるかどうかを表している。組織の変革目
この因子は、直属上司の判断・方針・課題認識
標と自己の行動を同一化させ、貢献するための必
にどれだけ信頼をよせているかを表している。信
要条件と考えられる。
頼感のもととなる構成要素としては、方針・判断
◆ 第 8 因子(F8)
:旧態依然とした仕事の仕方に
基準の明確さ、問題解決力、問題解決へのコミッ
対する評価(α= 0.67、3 項目)
トメント、長期的な視点をもった部門マネジメン
この因子は、言われたことを忠実に遂行し、保
ト、経営方針と部門方針の一貫性などの項目で構
守的・調整型の仕事の進め方をする人が評価され
成されている。
ると社員が感じている程度を表している。した
◆ 第 3 因子
(F3)
:自己の変革行動
がって、自ら課題を設定し、自律的に仕事に取り
(α= 0.90、12 項目)
組んでいる人に対する評価は低いと感じている度
この因子は、自分自身が上位の方針を理解し、
合いといえる。
積極的に自ら考えて行動をとっているかどうかを
表している。周りを巻き込んで、よりより仕事や
6.2 部門別の組織風土特性の比較
組織全体を良い方向に動かすために、自分が努力
6.2.1 因子別の各年における特徴
している度合いを評価している。
次に、これらの因子ごとに、X 社の 2002 年と
◆ 第 4 因子(F4)
:活性的な職場の雰囲気
2006 年の尺度得点の平均値を出し、比較してみ
(α= 0.87、15 項目)
た(表 2、図 4)。
この因子は、職場において率直に自分が思った
その結果、F5, F7, F8 以外は 2006 年の平均値
ことなどを気軽に言えるような雰囲気・人間関係
が 2002 年と比べて全て高くなっていた。ただし、
ができているかどうかを示している。職場メン
F5「変革を阻害する上司のマネジメントスタイ
バーの主体性・積極性や相談できる信頼関係があ
ル」と F8「旧態依然とした仕事の仕方に対する
るかどうかを表している。
評価」は変革にとってはネガティブな組織風土的
◆ 第 5 因子(F5)
:変革を阻害する上司のマネ
特徴と解釈できるため、この 2 つの因子に関して
ジメントスタイル(α= 0.85、8 項目)
は、2006 年にはプラスに改善されたと捉え、X
この因子は、旧態依然とした上意下達型のマネ
社においては F7「組織ビジョンの納得性」以外
ジメントスタイルの強さを表している。自分の考
の変革を促進する組織風土的要因が改善されたと
えに固執し、部下の意見に耳を貸さず、自らを柔
考えられる。
軟に変えていくことができない上司のマネジメン
6.2.2 因子別・部門別の各年における特徴
トスタイルであり、部下の変革行動を阻害するも
次に、X 社の組織風土の特性を部門別に見てみ
のと考えられる。
るために、各因子および各部門ごとに尺度得点を
◆ 第 6 因子
(F6)
:本質重視の価値観
平均化して比較を行った(表 3)。
(α= 0.78、5 項目)
X 社は本社および生産部門を神奈川県下の同市
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
表 2 因子別尺度得点の平均値の比較
<表2>
FAC1
FAC2
FAC3
FAC4
FAC5
FAC6
FAC7
表 3 因子別・部門別
<表3>因子別・部門別
尺度得点の比較
4.31
4.62
4.29
4.18
3.77
5.09
4.39
4.33
2002
4.15
4.53
4.23
4.02
3.85
5.02
4.46
4.39
0.16
0.09
0.06
0.16
-0.08
0.07
-0.08
-0.06
06/02 差
ዤᐲᓧὐ䈮䉋䉎⚻ᐕᲧセ
㪍
F1
F2
F3
F4
F5
F6
F7
F8
n
開発
4.40
4.80
4.39
4.21
3.57
5.22
4.52
4.20
166
管理・営業
4.59
4.90
4.39
4.39
3.65
5.08
4.59
4.50
79
生産
4.12
4.37
4.16
4.08
3.98
4.98
4.20
4.36
208
FAC8
2006
尺度得点の比較
㪍
㪌
㪌
㪋
㪋
㐿⊒
▤ℂ䊶༡ᬺ
↢↥
㪉㪇㪇㪍
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㪊
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㪝㪘㪚㪉
㪝㪘㪚㪊
㪝㪘㪚㪋
㩷㪝㪘㪚㪌
㪝㪘㪚㪍
㩷㪝㪘㪚㪎
㪝㪘㪚㪏
㪝㪈
㪝㪉
㪝㪊
㪝㪋
㪝㪌
㪝㪍
㪝㪎
㪝㪏
図 4 尺度得点による経年比較
図 5 因子別・部門別 尺度得点の比較
内におき、開発部門を同じ神奈川県下の別の市に
出され、これらの要素で組織の風土的特徴を把握
置いているが、2000 年にリストラの一環として、
することが可能であると考えられた。
地方にあった工場を閉鎖したため、各部門とも比
因子の解釈から、変革を促進または阻害する組
較的同地域にまとまっている。
本調査においては、
織風土面での特性モデルとして仮定した 4 つの要
本社の管理・営業部門、同じ敷地内に工場を持つ
素は、それぞれ、経営層や経営方針に対する信頼
組み立てを中心とした生産部門、そして、デザイ
度に関するもの(F1、F7)、上司のマネジメント
ン・設計・開発を行っている開発部門の三部門に
に対する信頼度に関するもの(F2、F5)、職場の
分けて比較を行っている。
活性度に関するもの(F4)、自己の自律度に関す
2006 年の因子別・部門別のグラフを図 5 のよ
うに示して、組織風土面の特徴を見てみた。その
るもの(F3、F6、F8)と解釈することができる
と思われる。
結果、F5「変革を阻害する上司のマネジメント
これらの組織風土的特性がどのような状態に
スタイル」と F8「旧態依然とした仕事の仕方に
なっているかを把握することで、変革における組
対する評価」を除く全ての因子に関して、生産
織風土の改革課題を発見することが可能になるだ
部門が低い数値を示している。 F1「経営・会社
ろうという仮定のもと、各因子の尺度得点の平均
に対する信頼感」と F2「上司に対する信頼感」
、
値を出してみた。その結果、X 社においては、因
および F7「組織ビジョンの納得性」は管理・営
子ごとの平均値の変化から、F7「組織ビジョン
業部門が他部門より高くなっている。
の納得性」以外の組織風土特性が改善されている
開発部門は、F5「変革を阻害する上司のマネ
と解釈できた。
ジメントスタイル」と F8「旧態依然とした仕事
X 社においては、2002 年の調査時点までの 3
の仕方に対する評価」に関して最も低く、F6「本
年間、大幅なリストラを含む経営改革が行われ、
質重視の価値観」
については最も高くなっている。
業績は回復基調に転じた段階であった。しかし、
7.結果の考察
2006 年の調査でも、前回と同様に 8 因子が抽
一連の改革内容は、人員削減や組織改編、生産方
式などの公式組織を中心とした構造改革を主とし
たものであったため、経営層の打ち出す施策や上
宮入小夜子:組織風土の特性尺度の開発と活用
司のマネジメントに関しては不信感が強く、職場
業務特性の影響と考えることもできる。このこと
におけるコミュニケーションや雰囲気も良いとは
は反面、言われたことを忠実に遂行し、保守的・
いえない状態であった。
調整型の旧態依然とした仕事の進め方をする人が
X 社ではこの試行調査結果を元に、その後、組
織風土面における課題を抽出し、情報の共有面や
評価されていると感じる要因ともなっていると考
えられる。
コミュニケーション、管理職のマネジメントに関
開発部門は最も本質重視の価値観が強く、創造
して、様々な取り組みを展開してきたということ
的な業務特性が反映されていると思われる。また、
である。
変革を阻害するような上司のマネジメントスタイ
今回の調査結果から、そのような一連の取り組
ルが他部門と比較して低いことから、このような
みを通して、経営層に対する信頼感が高まり、上
本質を追究するような仕事や革新的な行動が促進
司のマネジメントスタイルも上意下達型から部下
され、また、自律的に行動することが評価される
の自律的行動を支援するようなスタイルを取れる
と感じる度合いも高くなっていると読み取れる。
管理職が増えてきたことをうかがわせる。また、
職場のコミュニケーションが活発になり、評価の
観点も変わって、変革行動規範が高まっていると
いうことも考えられる。
8.まとめと今後の課題
以上のように、因子別の年別比較および部門別
比較の結果から、本調査を用いて、変革を促進(ま
その一方、延々と続く改革や困難な課題達成へ
たは阻害)する組織風土特性を把握し、変革当事
の取り組みに疲れが見え始め、組織の方向性に対
者である組織構成員が現状の組織風土面の改革課
する納得感が低下してきている様子がうかがえる。
題を共有し、変革に向けて動機付けるような取り
組織の風土特性に関しては、業務特性や技術特
組みを行っていくことが可能であると考える。
性などの影響を反映していると考えられることか
今回の分析では、各因子間の相関が見られたた
ら、部門別にその特徴が異なっていると経験的に
め、それぞれの因子の構成項目を精査することで因
も感じられた。そこで、部門別の尺度得点の平均
子の独立性を高め、さらに項目数を絞り込んで、組
値を比較してみると、全体的に生産部門が他部門
織風土面の課題を明らかにするためのツールとし
と比べて低い値を示しているが、特に F1「経営・
て、
使いやすい調査票を作成することが必要である。
会社に対する信頼感」と F2「上司に対する信頼
さらに、どのような組織風土特性が組織変革の
感」が低く、F5「変革を阻害する上司のマネジ
成果に最も影響を与えるのか、また、それぞれの
メントスタイル」が高く、他部門との差が比較的
特性要素がどのように関係しているのかというこ
大きかった。これは、工程ごとに生産計画に基づ
とも、統計的に明らかにする必要がある。
き、細分化された作業を的確に行うという業務特
今回は X 社において多くの点で改善が見られ
性から影響を受けた特徴と言えるかもしれない
たが、部門別、年代別、階層別など、層別の比較
が、上意下達型のマネジメントスタイルによって
とその変化の要因についても、インタビュー調査
上位の方針や考えなどを理解するための情報共有
などを通じてさらに追究したいと考えている。
が十分成されず、メンバーの自律性を阻害してい
るとも解釈できる。
参考文献
経営層や上司に対する信頼感(F1、F2)
、およ
大月博司:1999,『組織変革とパラドックス』
,
同文舘出版.
び経営方針について納得度(F7)が最も高く、職
加護野忠男:1996,「組織文化の測定とタイポロジー」
,
場の雰囲気も前向きだ(F4)と感じているのは管
理・営業部門であるが、これは物理的に経営層や
市場に比較的近いところで仕事をすることが多い
加護野忠男・角田隆郎・山田幸三.
(財)
関西生産性
本部『リストラクチャリングと組織文化』白桃書房.
河野豊弘:1993,「全社の企業文化と部門文化」
,
『組織
科学』
,27
(2)
,48-60.
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
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Development of the Organizational Climate Scale and
Possibility of its Application for Organizational Change
Sayoko MIYAIRI * 1
Synopsis
The research on organizational climates in workplace of X Company was conducted in 2002 (N=615) as the
previous study for the second research in 2006 (N=453). The purpose of this study was to investigate the
measurement of the feature of organizational climates and the possibility of using it for the actual organizational
change process. Eight kinds of organizational climates were found by factor analysis. Those are: (1) trust for
top managements and their policy, (2) trust for one’s immediate superiors, (3) one’s transformational behavior,
(4) positive climate in workplace, (5) negative management style for change, (6) value of pursuing the essential
feature, (7) acceptance of organizational vision, and (8) evaluation for conservative way of working. Compared
with those eight factors between 2002 and 2006, the results show the improvement in the organizational climates
because of the efforts in X Company following the previous research. Implications for future research were
discussed concerning the relationship between performance of change and organizational climates.
Key words
organizational climates, organizational culture, organizational change, motivation
*1 Faculty of Human Cultural Sciences and Business Administration, Nihonbashi Gakkan University
NIHONBASHI GAKKAN UNIVERSITY Bulletin No.6
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
原著論文
ギャリック版『ロミオとジュリエット』と
「恋人としてのロミオ像」の確立
安 田 比呂志*1
ディヴィッド ・ ギャリックの改作版『ロミオとジュリエット』は、
「恋人としてのロミオ像」
を確立し、1748 年の初演以降、97 年にわたってイギリスの劇場で高い人気を誇っていた。その
一方で、18 世紀には、
「恋愛」という主題が非倫理的・反社会的な性質を伴うものであり、した
がって悲劇には不適切であるという認識が浸透していた。本稿の目的は、当時の倫理的規範に
反するとさえ考えられる「恋人としてのロミオ像」の確立を、ギャリックがどのようにして可能
にしていたのかを、18 世紀の『ロミオとジュリエット』を巡る議論と彼のテキストの分析を通
して明らかにすることにある。
ギャリックのテキストには、18 世紀当時『ロミオとジュリエット』が抱えるとされていた様々
な問題に対処しようとする改作意図が具体化されている。
「韻文と言葉遊び」の多くを削除し、
プロットや登場人物の性格付づけを簡潔かつ明瞭にし、性的な言及を減らすことで、語法的・
構造的・倫理的な問題を解消しているのである。
ギャリックは、更に、恋人たちの恋愛の周辺に親たちの争いという枠組みを設定し、親たちの
争いのために恋愛の成就を妨げられるロミオの苦しみを明確にすることで、ロミオの「恋愛」を
純化し、英雄的な行為にまで高めると同時に、恋人たちを死へと導いた争いをやめない親たち
の愚かさを強調することで、観客の批判の対象を恋人たちの「恋愛」の性質から親たちの愚行
へと向けている。こうしてギャリックは、
「恋愛」という主題を悲劇に相応しい主題へと変貌さ
せていたのである。
ギャリックの改作は、台詞を大幅に削除し、プロットにも改変を加えているために、19 世紀
末以降過小評価されて来た。しかし、彼の創意工夫なしには、
「恋人としてのロミオ像」はもち
ろん、
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』さえ、
18 世紀の観客に歓迎されることはなかっ
たのである。ギャリック版『ロミオとジュリエット』の上演史における貢献の大きさは、改めて
評価される必要がある。
キーワード
ディヴィッド ・ ギャリック ウィリアム・シェイクスピア 『ロミオとジュリエット』
18 世紀演劇
貢献をしている。第 1 の貢献は、
「恋人としての
序.
ロミオ像」を決定的なロミオ像として確立したこ
1748 年に初演されたディヴィッド ・ ギャリッ
とであり、このロミオ像は、その後の上演におい
クの『ロミオとジュリエット』は、この恋愛悲劇
て常に継承されるべき、あるいは乗り越えられる
の上演史において、特に 2 つの点で非常に重要な
べきひとつの規範となっている。第 2 の貢献は、
2006 年 10 月 1 日受理
Garrick’
s Adaptation of
“Romeo as a Lover”
*1 Hiroshi YASUDA
日本橋学館大学人文経営学部
それ以前にはほとんど顧みられなかったシェイク
and The Making of
スピアの『ロミオとジュリエット』を、多くの観
客が大きな喜びをもって歓迎するストックピース
へと変貌させたことである。ギャリックのテキ
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
ストに基づく『ロミオとジュリエット』は、その
イクスピアの原作を犠牲にして、「悲哀を誘う劇」
人気の高さゆえに、18 世紀後半の 50 年間だけで
(8)
テキ
を好む「18 世紀の標準と嗜好に迎合した」
も、2 位の『ハムレット』の 343 回を大きく上回
ストを作り上げた結果にすぎないと考えられてい
(1)
る、
399 回もの上演回数
を記録しており、
シャー
るのである。
ロッテ・クシュマンがシェイクスピアの原作上演
ところが、18 世紀に発表された『ロミオとジュ
を行う 1845 年まで、実に 97 年間もイギリスの
リエット』を巡る議論を調べて行くと、そこに
舞台を支配し続けていたのである。
は、この悲劇を低く評価する根拠に関して、いく
このような大きな貢献にもかかわらず、現在で
つかの共通点が見られる。中でも特に興味深いと
は、ギャリックのテキストに対する評価は極めて
思われる共通点は、「恋愛」という主題が、悲劇
低い。その大きな要因は、ギャリックがシェイク
には相応しくない主題であり、したがって上演に
スピアの原作に加えた大幅な改変にある。ギャ
も不適切であるという見解である。この見解が特
リックはシェイクスピアの台詞を大幅に削除し、
に興味深いと思われるのは、この見解の中で繰り
場面を入れ替えているばかりか、プロットにも変
返されている、「恋愛」という主題が常に内包す
更を加えており、ロザラインを完全に削除して、
る非倫理性や反社会性に対する批判が、そのまま、
ロミオが最初からジュリエットを愛しているとい
18 世紀前半に『ロミオとジュリエット』がほと
う設定に変えている。また、5 幕の墓場の場面で
んど上演されなかった理由のひとつを明らかにし
は、ペイソスを高めるために、毒を飲んだロミオ
ているからであり、同時に、その『ロミオとジュ
が死ぬ前にジュリエットが目覚め、2 人が 67 行
リエット』が、ギャリックの上演以降、どうして
におよぶ対話を交わすようにしているのである。
突然高い人気を誇るストックプレイになり得たの
このような改変は、必然的に、シェイクスピアの
かという疑問を、そして、「恋愛」という主題を
原作を「正典」と見做す現在の批評家たちの批判
決定的なまでに前景化する「恋人としてのロミオ
の対象となる。現在の上演史で繰り返し引用され
像」を、どうして当時の観客が受け容れることが
るジョセフ・ナイトの言葉に代表されるように、
出来たのかという疑問を、提起することになるか
ギャリックのテキストは、
「ずたずたにされたテ
らである。
(2)
キスト」 と酷評されているのである。このため、
これらの疑問は、必然的に、我々の関心を、バ
冒頭で述べた 2 つの貢献も、決してギャリック
リーがロミオを演じる際に使用し、97 年にわたっ
のテキストの功績とは考えられていない。
「恋人
て高い人気を誇った、ギャリックのテキストその
としてのロミオ像」の確立は、1748 年の初演以
ものの性質に向けることになる。そして、以上の
(3)
スプラ
事柄を念頭においてギャリックのテキストを分析
ンガー ・ バリーという役者の貢献であると考えら
して行くと、ギャリックが、この恋愛悲劇の欠陥
れている。それは、当時「ヨーロッパで最もハン
と看做されていた様々な問題を解消しながら、
「恋
降、20 年間に 105 回もロミオを演じた
(4)
サムな男性のひとり」 と評されていたバリーが、
「姿の艶やかな調和、とろけるような眼差し、そ
(5)
「恋愛そのもの」
して声の比類のない哀切さ」 で、
(6)
(7)
を強烈に印象づけるロミオを演じていた
愛」という主題を悲劇に相応しい主題とするため
の工夫を巧みに施していたことが、明らかになっ
て来るのである。
か
そこで本論では、最初に、
『ロミオとジュリエッ
らである。また、ギャリックのテキストの長期に
ト』を巡る 18 世紀の議論の中で、
「恋愛」とい
わたる人気の要因も、決してギャリックのテキス
う主題がどのようなものとして考えられていたの
トそのものの文学的・演劇的価値に求められるこ
かを概観し、次に、ギャリックのテキストの具体
とはない。ジル・レヴンソンが述べているように、
的な分析を通して、この恋愛悲劇が抱える様々な
それは、
興行的な成功を求めたギャリックが、シェ
問題点を解消しながら、「恋愛」という主題を観
安田比呂志:ギャリック版『ロミオとジュリエット』と「恋人としてのロミオ像」の確立
客が大きな喜びをもって歓迎し得る主題へと変貌
「恋愛」という主題に伴う非倫理性や反社会性
させ、ついには「恋人としてのロミオ像」の確立
に対する批判は、18 世紀後半にも繰り返されて
を可能にしたギャリックのテキストの性質やその
いる。フランシス・ジェントルマンは、1770 年に、
魅力、そして、『ロミオとジュリエット』の上演
『ロミオとジュリエット』の道徳的な教訓のひと
史の中で果たした貢献の真の意味を明らかにして
つは、
「子どもの不従順、すなわち、親の意図に
行くこととする。
反して勝手なことをするという行為は、様々な厄
1.18 世紀における「恋愛」
という主題の問題点
介な問題を引き起こし、極めて悲惨な結果を招く
(11)
ことを観客に知らしめることであ
ものである」
ると述べている。また、1775 年には、エリザベス・
現在では至るところに氾濫している「恋愛」と
グリフィスも、
「この不幸な恋人たちの不幸な結
いう主題は、既に触れたように、18 世紀には決
末は、詩的正義と同様、ある種の道徳として、意
して手放しに歓迎されたり、簡単に肯定されたり
図されているように思われる」と語ることで、ロ
する主題ではなかった。特に大きな問題とされた
ミオとジュリエットの不幸な結末は当然の結果で
のは、
「恋愛」という感情や行為に必然的に伴う
あり、正義の実現であるかのように述べているの
ことになる、非倫理的・反社会的な性質であっ
である。そして、グリフィスがこのように考えた
た。たとえば、ジョージ・アダムズは、1729 年に、
理由もまた、2 人が「両親の承諾や了解を得るこ
「シェイクスピアと悲劇」
と題する論考の中で、
「求
(12)
からであっ
となしに、無思慮にも結婚をした」
愛」の場面が必然的に舞台上に具体化することに
た。グリフィスは、2 人の恋愛を、家族への愛情や、
なる、
「結婚前の男女間で交わされる優しい感情」
親への義務を忘れた、反社会的な行為であると批
は、
「男女どちらにとっても衝撃的なものであり、
判しているのである。このように、18 世紀にお
不安を起こさせるものであり、彼らの装飾である
いては、「恋愛」という主題は、非倫理的で反社
とともに美しさでもある慎みに違反するものであ
会的な主題であり、決して悲劇に相応しい主題と
(9)
と述べて、
「求愛」という行為が、日常的
る」
は考えられていなかったのである。
な礼節や常識を転覆させる危険な力を持つ、非倫
「恋愛」という主題が悲劇に相応しくないと考
理性や反社会性を伴うことを示唆している。
また、
える根拠は、他にもあった。たとえば、アーサー・
ジョージ・スタッブスは、1736 年に、『ハムレッ
マーフィーは、1754 年に、シェイクスピアに関
ト』に関する研究の中で、
「恋愛は常に悲劇の中
する論文の中で、「恋愛」を「優しい伝染病」と
で偉大な人物を作り出すものではある」と述べな
呼び、「恋愛」そのものは「広範な影響力」を持
がらも、その直後に、
「劇全体が、互いを所有し
つにも関わらず、それが一度舞台にのせられる
ようと望む 2 人の恋人たちにのみ基づいている場
と、ほとんど成功することがないと述べながら、
合は別である」
と条件をつけ、
その理由として、
「直
その理由として、「恋人たちが語る、効果の上が
接的な恋愛の情熱には…官能的なものであり得る
らない戯言」が、悲劇を「無味乾燥としたつまら
という疑いが生じる」
と述べているのである。「恋
(13)
ませてしまうからだと主張す
なさへと沈み込」
愛」は、常に性的な側面を内包するものである以
ることで、
「恋愛」を主題とした劇で交わされる
上、悲劇の主題として歓迎されることは決してな
対話のお決まりの退屈さを批判している。また、
かった。スタッブスも述べているように、
「恋愛」
1752 年に発表された、著者が知られていない『ハ
という主題が官能的なものになり得るという、
「そ
ムレット』に関する論文でも、「恋愛」が悲劇に
の疑いは、悲劇が持つ威厳を剥奪するのに十分な
相応しい主題ではないという主張が繰り返されて
ものであり、悲劇が表す情熱に対する我々の敬意
おり、そこでは、
「恋愛は、真に喜劇的な情熱で
(10)
を減らしてしまう」 からである。
あり、悲劇に導入される場合には、憐憫や共感よ
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
(14)
りも、侮辱と嘲笑に値することになる」
と述べ
テキストに基づく上演が「恋人としてのロミオ像」
て、「恋愛」が悲劇に相応しくない理由を、ジャ
を確立し、この恋愛悲劇をストックプレイへと変
ンルの問題として取り上げているのである。
貌させたのは、まさしくこのような環境において
このように、
「恋愛」という主題は、特にそれ
であったのである。
が単一の主題として提示される場合には、その非
それでは、18 世紀の倫理的規範に明らかに抵
倫理的・反社会的な性質のゆえに、あるいは、戯
触する「恋愛」という主題を、ギャリックはどの
言のような無意味さや、ジャンルに関わる問題の
ようにして観客が大きな喜びをもって歓迎する主
ゆえに、
悲劇には不適切であると考えられていた。
題へと変貌させたのであろうか。この疑問に対す
したがって、
「恋愛」を主題とする『ロミオとジュ
る回答を、我々は彼のテキストの中に見出すこと
リエット』が 18 世紀には決して高く評価されな
になる。
かったとしても不思議ではない。
というより、ウィ
リアム・ウォーバートンが、1747 年に出版した
2.ギャリックのテキスト削除の方法論
シェイクスピア全集の中で、この悲劇を「シェイ
ギャリックのテキストの典型的な特徴は、台詞
クスピア作ではない」劇のひとつ上に分類してい
の大幅な削除にある。1748 年版テキストに付け
(15)
ことに明らかなように、シェイクスピアの
(18)
と題する文章の中で、ギャリック
た「読者に」
『ロミオとジュリエット』は、駄作と言っても良
は、「最終幕を例外として、変更は僅かで取るに
いほどの低い評価しか与えられていなかったので
足らないものである」と記しているが、実は、最
ある。1660 年の王政復古からギャリックが初演
終幕以外にも多くの変更が加えられており、シェ
した 1748 年までの約 90 年間に、
『ロミオとジュ
イクスピアの原作(19)が 3,010 行であるのに対し、
リエット』がロンドンの勅許劇場ではほとんど上
ギャリックのテキストはその約 3 分の 2 の 2,139
る
(16)
演されなかった
主な理由のひとつが、この悲
行しかない。また、同じ文章の中で、
「変更の目的」
劇に本質的な「恋愛」という主題にあったと考え
は、「この劇を上演する際に大きな障害と考えら
ることが出来るのである。
れて来た」
「韻文(Jingle)と言葉遊び(Quibble)
もちろん、18 世紀にも『ロミオとジュリエッ
を可能な限り原作から取り除くことである」と
ト』が描き出す「恋愛」という主題に対する好意
述べている(20)ように、ギャリックのテキストでは、
的な見解がなかった訳ではない。チャールズ ・ ギ
確かに多くの韻文や言葉遊びが削除されている(21)。
ルドンは、1710 年に発表した「シェイクスピア
しかし、彼の韻文の扱いには、非常に興味深い特
の生涯と作品」と題する論考の中で、この悲劇で
徴が見られる。シェイクスピアの原文にある 498
は「恋愛の情熱が直喩で満たされている」点が不
行の韻文のうちの 386 行を削除しているが、そ
自然であると批判しながらも、その批判を公にす
れでもギャリックのテキストには尚も 164 行の
ると、
「それを恋愛の真髄として崇拝しているあ
韻文があり、そのうちの 52 行(5 幕 1 場の追悼
(17)
と
歌 18 行を含む)は、ギャリック自身が新たに書
いう恐れを表明することで、
『ロミオとジュリエッ
き加えた韻文なのである。ジョージ・ブラナムが
ト』が描き出す「恋愛」が、「恋愛の真髄」とし
述べているように、18 世紀には、王政復古期に
て多くの人々を魅了していた事実を伝えている。
隆盛を極めた英雄 2 行連に代表される韻文は捨て
しかし、それにも関わらず、この悲劇が決して高
去られ、韻文ではなく、
「無韻詩こそが、悲劇に
く評価されることがなかったという事実は、「恋
(22)
という認識が浸透してい
相応しい媒体である」
愛」という主題をそのまま描き出すことに抵抗を
た。それにも関わらず、時代の趨勢に逆行してさ
覚える倫理的規範が、当時、歴然として存在して
え、新たな韻文を加える改変の方法は、ギャリッ
いたことを物語っている。そして、ギャリックの
クが、韻文が劇中で生み出す効果を知っており、
まりにも多くの人々を刺激することになる」
安田比呂志:ギャリック版『ロミオとジュリエット』と「恋人としてのロミオ像」の確立
それを最大限有効に活用していることを示してい
はなく、大胆に削除しているのである。1 幕 2 場
る。そして、ギャリックがシェイクスピアのテキ
では 23 行から 84 行までの 62 行が、49-50 行の
ストに加えた改変を具体的に調べて行くと、そこ
2 行を除いてすべて削除され、キャピュレットと
には、4 つの明確な意図が見えて来るように思わ
パリスが結婚について話す後半部分と、召使が招
れる。4 つの意図とは、第 1 に、可能な限り原作
待客リストをロミオに読んでもらう場面がそっく
の意図を忠実に伝えること、第 2 に、プロットを
りなくなっている。5 場は 16 行目から始まって
簡潔かつ明快にし、迅速に展開させながら、主人
おり、したがって召使たちが登場することはな
公の焦点化を実現すること、第 3 に、18 世紀の
い。2 幕 3 場で薬草と人間を対照させるロレンス
倫理的規範に抵触しないよう、可能な限り性的な
の教訓も 8 行(3-4、9-14)が減らされ、4 幕で
言及を削除すること、そして第 4 に、主人公たち
はロミオが友人たちと交わす他愛のない対話が
の性格を単純化しながら、
「恋愛」という主題を
50 行(52-101)にわたって削除され、3 幕 4 場
明確化すること、である。
では追放を宣告されて嘆くロミオを叱るロレン
韻文を無韻詩に変える様々な方法のうちでも、
スの 50 行の台詞(108-158)が 30 行(112-113、
原作の意図を可能な限り忠実に伝えようとする第
118-134、136-145、157)も削除されている。パ
1 の意図を明確に表す典型的な例としてあげられ
リスとの結婚をジュリエットが拒絶する 3 幕 5
るのが、文尾の語を類義語に置き換えることで、
場も、原作の 245 行に対して 176 行しかなく、ジュ
韻文から無韻詩に変えつつも、意味は可能な限り
リエットの死体が発見されて家族が嘆く 4 幕 5
原作のままに留めるという方法である。たとえ
場に至っては、原作の 146 行に対して約 3 分の 1
ば、1 幕 2 場では、10 行の‘pride’と韻を踏む 11
の 56 行しか残されていないのである。
行の
‘bride’を‘wife’に、20 行の‘feast’と韻を踏
削除は台詞にとどまらない。台詞の削除に伴い、
む
‘guest’を
‘friend’に、86 行の‘show’と韻を踏
登場人物まで減らされている。召使は、1 幕 2 場
む
‘crow’を
‘raven’に、96 行の
‘weigh’
d’と韻を踏
だけではなく、1 幕 5 場や 4 幕の 2 場と 4 場で
む
‘maid’を‘fair’に、それぞれ置き換えることに
も舞台に登場しない。4 幕 4 場では音楽家たちも
よって、ギャリックは韻文を無韻詩へと書き換え
削除されている。市民たちは、1 幕 1 場では登場
ているのである。
するものの、3 幕 1 場では姿を現さない。モンタ
ギャリックは、また、韻文の削除を通して場面
ギュー夫人は完全に舞台から消え去り、キャピュ
を整理することで、第 2 の意図である、プロッ
レット夫人の重要性も、多くの台詞が削除され、
トを簡潔かつ明快にし、迅速に展開させること
あるいは台詞を別の人物にとられることで、極め
をも可能にしている。彼は、1 幕と 2 幕の冒頭で
て希薄化されているのである。
コーラスが語るソネットや、キャピュレットと
その一方で、重要性が高いとギャリックが判断
パリスが結婚について語る時に用いる 10 行に及
した台詞の削除は極めて少ない。特にロミオと
ぶ 2 行連句(Ⅰ.ⅱ.24-33)
、キャピュレット夫
ジュリエットが同時に舞台に登場する場面の台詞
人がパリスを書物に譬える台詞(Ⅰ.ⅲ.
79-94)、
の削除は少なく、2 幕 2 場のバルコニー・シーン
ロミオが恋人と学童を対照させる台詞(Ⅱ.ⅱ.
は原作の 189 行に対して 173 行もあり、2 人が結
156-7)のように、プロットの展開や物語の理解
婚式を挙げる 6 場も 3 行しか減らされていない。
に必ずしも必要ではない韻文を、そのまま取り除
3 幕 5 場の庭での別れの場面でも、ロミオが退場
いている。しかも、プロットの展開や物語の理
するまでの行数が、原作の 51 行に対して 48 行
解に必ずしも必要ではない台詞や場面、すなわ
になっている。そして、恋人たちの最期の姿を描
ち、
「読者に」に記した「取るに足らないもの」
き出す 5 幕 3 場では、ロミオとジュリエットが
を、無韻詩や散文の台詞も含めて、
「僅か」にで
交わす、原作にはない 67 行もの台詞が新たに付
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
け加えられているのである。
ギャリックのテキストでは、また、主人公たち
これらの事実は、ギャリックが台詞の大幅な削
が死んだ後の台詞も、見事なまでに削除されてい
除を通じて、それぞれの場面をすっきりと整理し
る。ジュリエットが死んだ後で、ロレンスが事件
ながら、プロットの展開を迅速にし、しかも、観
の顛末を説明し、両家の親たちが和解し、大公が
客の注意を主人公たちに集中させるように仕向け
劇を締め括るまでの行数が、原作では 140 行あ
ていることを明らかにしている。事実、主人公た
るのに対し、ギャリックのテキストでは 65 行し
ちに対するこのような焦点化は、彼のテキストの
かない。ギャリックは、こうして、原文が伝える
場面構成そのものの中にも表されている。
意味を可能な限り損なわずに、恋人たちに焦点を
ギャリックのテキストの場面構成は、シェイク
あてて恋愛という主題を前景化し、同時に場面を
スピアのそれとは多少異なっており、1 幕 1 場は
整理してプロット展開を迅速にすることで、観客
両家の家臣たちの喧嘩と大公による仲裁で終わ
が退屈することなく最後まで楽しむことが出来
り、2 場ではモンタギューとベンヴォーリオが陰
る、魅力あるテキストを作り上げているのである。
鬱なロミオを心配し、3 場でキャピュレットとパ
このようなギャリックの改変は、実は、18 世
リスが結婚について話し、4 場で初めてロミオが
紀当時に指摘されていた、
『ロミオとジュリエッ
登場する。次の 5 場でジュリエットが初めて登場
ト』の構造上の問題点を解消するものでもあった。
すると、6 場で宴会が行われ、そこで 2 人は初め
ジェントルマンは、当時この悲劇が高く評価され
て言葉を交わすことになる。他には、3 幕の 1 場
なかった理由として、「『ロミオとジュリエット』
は 3 つの場面に、4 場は 2 つの場面に分割され、
のプロットは非現実的で、不規則である。登場人
5 幕では 1 場に「ジュリエットの葬式の行列」が
物の性格づけは奇異であり、奇妙に入り乱れてい
加えられ、3 場がふたつの場面に分けられている。
る。場面も重要性において不均等であり、極めて
しかし、2 幕以降は、基本的に原作のプロット展
無意味な場面がある一方で、魅力的に美しい場面
開の順番に従っている。
もある」
(23)
と指摘しているが、そのジェントルマ
以上の変更の中でも、場面の簡潔化とプロット
ンは、1774 年に出版されたベル版シェイクスピ
展開の迅速化、そして、主人公たちの焦点化とい
ア全集の『ロミオとジュリエット』に付けた序文
うギャリックの意図を最もよく表しているのが、
の中で、シェイクスピアの「原作には、過剰な部
1 幕の場面構成である。シェイクスピアの場面構
分がたくさんあり、規則性が損なわれている場面
成では、ロミオは 1 幕で 4 つの場面に登場する。
が多いが、ギャリック氏は、熟達した、しかもシェ
1 場ではベンヴォーリオと恋の苦しさについて語
イクスピアへの愛情に満ちた手腕で、それを修正
り合い、2 場では召使が持っていた宴会の出席リ
(24)
と述べて、ギャリックが原作に
したのである」
ストからロザラインが出席することを知り、4 場
施した改変を賞賛しているのである。
では宴会を前に騒ぎ立てるマキューシオたちと憂
そして、ギャリックは、テキスト削除のプロセ
鬱なロミオが対照的に描かれる。そして 5 場で
スで、可能な限り性的な言及を削除することで、
ジュリエットと偶然に出会い、恋に落ちることに
第 3 の意図である、18 世紀の倫理的規範に抵触
なる。ところが、ギャリックのテキストでは、1
しないテキストを作り上げている。冒頭でサムソ
場と 2 場と 4 場がひとつの場面に凝縮されてい
ンとグレゴリーが交わす卑猥なやりとり(Ⅰ.ⅰ.
るために、ロミオが何度も登退場を繰り返すこと
9-30)はもちろん、マキューシオが語るマブ女王
はない。そればかりか、彼が初めて舞台に登場す
の台詞からは、仰向けの娘にのしかかるイメージ
る場面を遅らせることで、観客のロミオ登場に対
を伝える台詞(Ⅰ.ⅳ.89-94)や、2 幕 1 場でロ
する期待を高めているのである。
このことは、ジュ
ミオを呼び出そうとする時に語る、性交を想起さ
リエットの場合にも同様である。
せる台詞(32-8)、4 場で乳母をからかう淫らな
安田比呂志:ギャリック版『ロミオとジュリエット』と「恋人としてのロミオ像」の確立
表現(110-117)や卑猥な歌(134-9)も削除さ
このことは、マキューシオがティボルトに殺害さ
れている。1 幕 4 場では、今は亡き夫が、幼いジュ
れた時に、
‘Thy beauty hath made me effeminate’
リエットに知恵がついたら仰向けに倒れるように
(Ⅲ.ⅰ.114)という行を、‘Thy beauty’
s power
忠告したという乳母の逸話が、49-57 行を削除す
makes me effeminate’に書き換えながらも、前行
ることでその反復が避けられ、性的な雰囲気を軽
の‘Juliet’と韻を踏む韻文の形にとどめることで、
減させている。3 幕 3 場でも、追放を宣告されて
彼の女々しさが一時的なものであることを強調し
嘆くロミオに乳母が「男なら立ちなさい」
(86-92)
ていることに、象徴的に表されている。1 幕 1 場
と繰り返す、やはり性的な含意を伴う台詞が削除
でロミオが報われない恋の苦しみを嘆く 2 行連句
されているのである。
は そ の 24 行(171-2、176-7、181-2、185-198、
性的な含蓄を持つ台詞の削除は、もちろん、ロ
202-3、215-224)すべてが削除され、2 場では、
ミオの台詞にも及んでいる。たとえば、1 幕 1 場
恋が実らない現状を牢獄で折檻を受けることと同
ではロミオがベンヴォーリオに対して恋人の貞節
一視する台詞(54-56)が、4 場では、恋に悩む
を主張する台詞(206-224)が削除されているが、
ロミオと、彼を宥めようとする友人たちの 49 行
この台詞に含まれている「キューピッドの軟弱な
もの台詞(1-49)がすべて削除され、ロミオの
矢」(211)や「口説き文句の包囲」
(212)
、「執
いじいじとした陰鬱な性格が希薄化されている。
拗な色目」
(213)
、「聖者をも誘惑する黄金に足
3 幕 3 場でも、追放を宣告されたことを嘆いて、
を広げる」
(214)などの表現は、恋愛に伴う性
乳母が扉をノックするまでに語る 50 行の台詞の
的堕落を観客に想起させるものであり、彼の愛情
約 半 分(17-20、31-34、28-29、41-43、45-51、
を純粋なものとして観客に伝えるためには削除さ
52、59、61-62)が削除されているのである。こ
れなければならないものであった。
同様のことは、
れら女々しさを示す台詞の削除は、そのままロミ
ジュリエットの場合にも当てはまる。たとえば、
オの男らしさを強調することになる。3 幕 1 場で、
3 幕 2 場では、結婚式を終えて新郎の帰りを待つ
将来を危惧する台詞(119-120)が削除されてい
彼女の言葉から「性の儀式」に関する台詞(8-16)
るのも、ロミオの女々しさを取り除くためである
が削除されているが、この台詞の削除に関する
と考えられる。
ジェントルマンの見解には、ギャリックのテキス
その一方で、ロミオのジュリエットに対する愛
トが台詞の削除を通して具体化したジュリエット
情の深さが、非常に印象的に強調されている。そ
像を髣髴とさせるものがある。
ジェントルマンは、
の代表的な例が、3 幕 5 場でジュリエットと別れ
この削除によって、2 人の恋愛に伴う「子どもの
る時にロミオが語る最後の台詞であろう。59 行
ように無垢な切望という素晴らしい理念が生み出
の‘adieu!’と韻を踏むように、‘My life, my love,
されている」(25)と述べているのである。
my soul, Adieu!’という新たな 1 行を付け加える
こうして、台詞の削除を通して、性的な含蓄を
ことで、ギャリックは、引き裂かれる恋人の愛
取り除き、18 世紀の倫理的規範に抵触しない内
情と切なさを強調しているのである。そして、1
容に変えながら、ギャリックはテキスト改変の第
幕 5 場の宴会の場面もまた、少なくとも 18 世紀
4 の意図――主人公の性格を単純化することで、
の観客にとっては、2 人の愛情を更に強調する場
「恋愛」という主題を明確化すること――を実現
面であった。ギャリックは、実はこの場面に多く
して行くことになる。特に、
ロミオの性格からは、
の削除を加えている。ジュリエットを初めて見た
性的な含蓄以外にも、理想的な恋人としてのロミ
時にロミオが語る台詞(44-53)は、47-49 行と
オ像を確立する上で不必要と思われる要素の多く
52-53 行が削除され、45 行の‘night’と韻を踏む‘to
が、台詞の削除を通して取り除かれている。その
‘how to shine’に、51 行の‘hand’
burn bright’は
第 1 の性質は、ロミオの性格的な女々しさである。
と韻を踏む
‘place of stand’は‘to her place’に書
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
き換えられ、結果的にまったく韻を踏まない台詞
不信心」と批判し、それが 1775 年当時の「舞台
になっている。また、恋人たちが初めて言葉を交
(28)
ことを高く評価してい
上演では消されている」
わす時に紡ぎ出すソネットと 4 行連にも大幅な
るのである。ロザラインの削除は、18 世紀の観
改変が施されている。ギャリックは、95-6 行と
客や批評家たちにとっては、ロミオの愛情を一層
98-9 行を削除し、103-110 行を
‘Thus then, dear
純化する重要な要因となっていたのである。
saint, let lips put up their prayers’
の 1 行に縮小
することで、全部で 18 行の台詞を、最後の 2 行
でだけ韻を踏む 7 行にまで切り詰めているので
3.「恋愛」の主題を取り囲む枠組みの
設定
ある。このような改変は、たとえ韻文を減らす必
以上に述べて来たように、ギャリックは、韻文
要があったとはいえ、我々には「ずたずたにされ
を巧みに活用しながらも、テキストを大幅に削除
たテキスト」という印象を与えずにはおかない。
することによって、可能な限り原作の意図を忠実
しかし、オトウェイの『カイアス・マリアス』や
に伝えながら、プロットを簡略化してその展開を
シバーの『ロミオとジュリエット』では、劇が始
迅速にした。また、当時の倫理的規範に抵触しな
まる前から恋人たちが愛し合っているという設定
いように性的な含蓄を含む台詞を適切に削除し、
のために、この場面そのものが削除されていた。
主人公たちに焦点をあてることで「恋愛」の主題
ギャリックは、同じ設定で劇を進めながらも、こ
を明確にした。しかし、『ロミオとジュリエット』
の場面を初めて舞台上に復活させ、観客に披露し
が表す「恋愛」という主題を観客に歓迎されるも
たのである。シェイクスピアの原作を知らなかっ
のにするためには、更なる工夫が必要であった。
た当時の多くの観客は、それが不完全な形である
その工夫を決定的なものにしているのが、ギャ
ことにも気付かないまま、恋人たちが初めて出会
リックが「読者に」で大幅な変更点として言及し
い、互いを見つめ合い、言葉を交わし、そしてキ
ている、最終幕の追加部分である。
スをする場面を、心から楽しんだに相違ない。原
現在では最悪のテキスト改悪の一例とされてい
作を知るジェントルマンが、この場面が「うまく
るギャリックの 5 幕 3 場は、実は、彼のテキス
(26)
作られている」 と語りながらも、ここでは他の
ト改変の 4 つの意図の集大成とも呼べる場面で
箇所ではしばしば言及している削除の問題に触れ
あり、同時に、「恋愛」という主題を当時の観客
ていない理由も、観客のこのような歓迎的な反応
に受け容れさせるための、最終的な工夫が織り込
があったからであるように思われる。現在の批評
まれている場面でもある。ギャリックは、恋人た
がギャリックのテキストの欠陥として言及するこ
ちがともに登場しながらも、言葉を交わさない 5
の場面は、当時の人々にとっては、実は、恋人た
幕 3 場に関しては、多くの削除を施している。パ
ちの愛情の新鮮な輝きを舞台上に結晶化させてく
リスは登場するものの、ジュリエットの死を悲し
れる、素晴らしい場面であったのである。
む台詞(13-17)やロミオに挑みかかるまでの台
ロザラインの削除もまた、ロミオの理想的な恋
詞(49-53)は削除されている。「パリスは登場
人としてイメージを更に強化する効果を生み出し
させる必要もなければ、この殺害以外にも十分な
ていた。ジェントルマンは、ロザラインが削除さ
(29)
死が描かれているのだから、殺す必要もない」
れることで、
「ロミオの愛情は一層首尾一貫した
というジェントルマンの見解が一面において納得
ものになっている」と述べ、「原作に対する改善
出来るほどに、パリスはほとんど存在感を示すこ
(27)
と評価しており、恋愛そのものを否定
である」
とがないまま殺されてしまう。ロミオの台詞も大
していたグリフィスでさえ、「彼の美しいロザラ
幅に削除されている。パリスに対する警告の多
インに対する最初の想い」に関してわざわざ注を
く(60-63、66-7)が削除され、パリスとジュリ
設け、その中で、ロミオの心変わりを「ロミオの
エットの結婚話を思い出す台詞(75-81)や、ジュ
安田比呂志:ギャリック版『ロミオとジュリエット』と「恋人としてのロミオ像」の確立
リエットの美しさが墓を光で満たしているという
(124)と語る。そして、キャピュレットやパリ
台詞(84-91)も削除されている。原作では、こ
スに呼びかけ、漸くひとつに結び合わされた自分
の場面でロミオが登場してから眠っているジュリ
たちの心を引き離さないでくれと大声で叫ぶと、
エットに話しかけるまでに 69 行を費やしている
最後にジュリエットの名前を 2 度呼んで、ロミオ
のに対し、ギャリックのテキストでは 47 行しか
は息絶えるのである。
ない。ギャリックは、この場面で起こる出来事そ
現在ではシェイクスピア冒涜とさえ考えられて
のものは省略しないまま、しかし展開を早め、一
いるこの場面は、しかし、18 世紀当時には非常
気にロミオが毒を飲む場面に突き進んで行く。も
に高く評価されていた。ウィリアム・ドッドは、
ちろん、毒を飲む直前に彼が語る台詞のうち、
「淫
「ジュリエットが目覚めるまでロミオが生きてい
らな死神」が死んだジュリエットを囲いものに
るようにした改変は、特に上演された場合には、
するという性的な含蓄を伴う台詞(97-109)や、
見事なまでの美しさを確実に生み出している」と
彼が殺したティボルトへの言及(97-101)は削
述べて、この「改変の美点」
除されており、ロミオの台詞はジュリエットに対
ジェントルマンもまた、「ロミオが死ぬ前にジュ
する純粋な愛情の吐露に集中する。そして、ロミ
リエットが目覚めるという結末は、極めて懸命な
オが悲哀を誘う美しい台詞を語り終え、毒を飲ん
ものである。この場面はこの上なく優しい調子で
だ瞬間に、ジュリエットが目覚めるのである。こ
悲哀の感情を生み出す機会を提供しており、素晴
うして、ここから交わされる恋人たちの対話をこ
(31)
らしい絵画のような場面を示してくれている」
の場面の山場とした上で、ギャリックはそこに表
と語っている。実際に、この場面に表されている
される多様な感情を思う存分に描き出して行くの
ロミオの歓喜や不安、愛の確信、永遠の絆への期
である。
待、そして再び引き離されることに対する絶望や
(30)
を賞賛しており、
ギャリックは、新たに付け加えた 67 行の台詞
恐怖といった多様かつ複雑な感情は、ロミオの悲
(ギャリック版の 64-130)の中で、特にロミオの
運に伴う悲哀を見事に提示していると言っても過
急激に移り変わる多様な感情を表現している。ロ
言ではなかろう。この場面についてアーサー・マー
ミオは、ジュリエットが目覚めた喜びに、毒を飲
フィーが述べているように、
「ギャリックは多様
んだことをさえ忘れ、「悲しみのすべてが過去の
な激しい感情を喚起している。我々は、喜び、驚き、
ものになった」
(68)と宣言し、彼女の手をとっ
歓喜へと迅速な変化によって導かれ、突然絶望や
て墓から出ようとする。ところが、朦朧としてい
悲しみ、そして哀れみを与えられるのである」。
るジュリエットに、パリスと結婚させるために自
マーフィーは、この場面を高く評価し、「すべて
分を連れに来た人間と勘違いされ、ロミオは自分
の言葉が心を貫くこの結末は、現在では、あらゆ
がロミオであり、
「この世の如何なる力も私たち
(32)
る演劇の中で最も魅力的なものになっている」
の絆を、あなたを私の心から、断ち切ることは出
とさえ述べている。ジェントルマンも述べている
来ない」(83-84)と断言する。しかし、ジュリ
ように、「極めて巧みに改善されている」この結
エットがロミオの存在に気づいた途端、毒が効果
末は、確かに、「この悲劇の成功の重要な要因の
を発揮し始め、立っていることが出来なくなる。
(33)
いた。当時は、ギャ
ひとつであると考えられて」
ロミオは、ジュリエットが死んだと思って毒を飲
リックはシェイクスピアの原作を、「シェイクス
んだことを告白し、「愛と死の狭間で引き裂かれ」
(34)
ピア自身に相応しい精神で、大いに改善した」
(117)ながらも、「如何なる涙にも溶かすことが
出来ない」
「鋼のように無情な親たちの心」
(121)
と考えられていたのである。
しかし、この場面が持つ意味に関して、我々は、
を呪い、ジュリエットが自分の妻であり、
「私た
これまで見逃されて来た点に注意を向ける必要が
ちの心は今こそ、ひとつに結び合わされたのだ」
ある。それは、ギャリックが、ロミオが語る最後
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
の台詞を、
愛情と絶望の深さを表す台詞ではなく、
い。最後の 2 行で韻を踏むことで、
「恋人たちの
親たちの争いを呪い、自分たちを再び引き裂こう
物語」の「悲しさ」を強調している。ところが、ギャ
とする彼らへの抵抗を表す台詞に変えているとい
リックは、この結末の 5 行を取り除き、新たな 6
う点である。
行を付け加えている。そこでは、大公は、
「この
実は、ギャリックは、劇の早い段階から、自ら
悲しい災いについて更なる取調べを行う」
(Ⅴ.ⅴ.
新たな韻文を書き加えることで、争う親たちに
231)と厳しい姿勢を見せながら、最後の 2 つ
対するロミオの苛立ちを強調していた。1 幕 4 場
の 2 行連句で、「この悲劇的な結末はおまえたち
(原作の 1 幕 1 場)という早い時点で、彼は、
‘…
相互の憎しみが生み出したもの」
(233)である
such my froward fate, / That there I love where
ことを明確にし、そして、‘From private feuds,
most I ought to hate.’
(21-22)とロミオに語らせ、
what dire misfortunes flow;/ Whate’
er the cause,
そ の 直 後 で も、
‘To each sad night succeeds a
the sure effect is WOE.’
(234-235)と締め括る
dismal morrow,/ And still ’
tis hopeless love, and
ことで、親たちの愚かさを更に強調しているので
endless sorrow.’
(34-35)と語らせることで、ジュ
ある。
リエットが決して愛してはならない相手であるこ
ギャリックは、このように、親たちの争いとい
とを理解しながら、それでも愛さずにはいられな
う愚行の枠組みの中にロミオとジュリエットの恋
いというロミオの苦しみを観客に伝えていた。そ
愛を組み込むことで、恋人たちの恋愛のひたむき
して、キャピュレット家の宴会の席で自分の想
さ、純粋さを強調した。それがなければ、2 人の
いをジュリエットに告げようと決心した時にも、
恋愛を反道徳的・反社会的と見做す要因となる、
‘Tho’hate and discord ’
twixt our fires increase,/
Let in our hearts dwell love and endless peace.’
グリフィスが述べていた「親の承諾と了解」は、
ここでは不必要なものになっている。この枠組み
(125-126)とロミオに語らせることで、親たち
は、常に性的堕落を連想させる可能性を秘めるロ
の「憎悪」や「不和」が如何に激烈なものになろ
ミオの「恋愛」を、不可能な愛を結実させようと
うとも、ジュリエットへの永遠の愛の中にこそ安
する英雄的な行為へと昇華させているのである。
らぎを見出すのだという、彼の絶望的とも呼べる
キャサリン・ライトは、「18 世紀と 19 世紀の観
想いと覚悟とを観客に示していたのである。ギャ
客は、純粋な恋愛物語を好み、ロミオとジュリエッ
リックは、このような韻文を書き込むことによっ
トの恋愛そのものが世俗的で性的で、純粋にエロ
て、ロミオのジュリエットに対する愛情を、最初
ティックな側面を持つものであることを忘れてい
から命をかけた愛情へと変貌させていた。身に迫
(35)
た」 と述べているが、観客がそれを忘れていた
る危険を顧みず、禁じられていると最初から分
のではなく、ギャリックのテキストがそれを忘れ
かっている愛情を貫くために突き進むロミオの姿
させていたのである。性的な含蓄を伴う台詞の削
は、まさしく男らしい、ひたむきな愛情を表すこ
除だけではなく、このような枠組みを設定するこ
とになる。観客の批判は、必然的に、ロミオの純
とによって初めて、ギャリックは、「恋愛」とい
粋な恋愛にではなく、その恋愛を実現不可能なも
う主題を、当時の倫理的規範に抵触することのな
のとする、無益な争いをやめない親たちの頑なな
い、「戯言のような無意味さ」に沈み込むことも
愚かさに向けられることになるのである。
ない、そしてジャンルの問題をも克服する、悲劇
このことを更に明確にしているのが、ギャリッ
クが劇の結末に書き込んだ新たな韻文である。
シェイクスピアの原作では、大公が語る最後の 6
行(V. iii. 305-310)は、
「許し」と「裁き」に触
れているとはいえ、それらが強調されることはな
に相応しい主題へと変貌させ、「恋人としてのロ
ミオ像」の確立を可能にしていたのである。
4.結論
一般に、18 世紀は役者の時代であり、テキス
安田比呂志:ギャリック版『ロミオとジュリエット』と「恋人としてのロミオ像」の確立
トは役者を引き立てるための一手段にすぎなかっ
るように思われる。
たと考えられている。そして、「恋人としてのロ
ミオ像」の確立のためには、確かにバリーという
役者の存在は不可欠であった。しかし、バリーが
注
( 1 )Charles Beecher Hogan,
, 2vols(Oxford: Clarendon Press, 1957)
,
如何に魅力的な二枚目であったとしても、ギャ
リックのテキストがなければ、彼の「恋人として
のロミオ像」がそのまま観客に受け容れられるこ
とは難しかったであろう。常に性的な側面を内包
する「恋人としてのロミオ像」が観客に受け容れ
られるためには、18 世紀の倫理的規範に抵触し
ない形で「恋愛」を提示する必要があった。その
必要を満たすために、ギャリックは、主人公たち
の恋愛の周辺に親たちの愚行という枠組みを設定
し、
「恋愛」を「英雄的な行為」にまで高めてい
vol. 2,p. 716.
( 2 )Joseph Knight,
(London: Kegan Paul,
Trench, Trubner & Co., Ltd., 1894)
,p. 115.
( 3 )Nancy Eileen Copeland,
“
”
, unpublished Ph. D. thesis,(Toronto:
University of Toronto, 1984)
,p. 338.
( 4 )Arthur Murphy,
2vols.(London: J. Wright, 1801)
,vol. 1,p. 114.
, 2vols.(1969 rep. ; Westmead:
Gregg International Publishers Limited, 1770)
,vol.
1,p. 189.
という主題を観客が大きな喜びをもって歓迎する
( 6 )William Cooke,
ギャリックのテキストを用いることで、初めて確
立し得たのである。
.,
( 5 )Francis Gentleman,
たのである。ギャリックは、こうして、「恋愛」
主題へと変貌させた。
「恋人としてのロミオ像」
は、
’
(1972
rep. ; New York: Benjamin Blom, INC, 1804)
,p.
160.
( 7 )たとえば、ジェイムズ・ロエリンは、「バリー
はロミオを…恋人として再定義し、20 世紀に
ギャリックは、更に、その「恋愛」という主題
なるまで意義を唱えられることのない刻印を、
を、原作の意図を可能な限り忠実に留めながらも
この劇に残すことになった」と述べている。
単純化されたプロットが迅速に展開する、スピー
ド感あふれる上演の中に、描き出していた。ギャ
リックのテキストの長期にわたる人気の要因は、
ここにもあったと言えよう。もちろん、ギャリッ
クのテキストは、現在の視点から見ると、確かに
James N. Loehlin,
(Cambridge: Cambridge UP.,
2002)
,pp. 17-18.
( 8 )Jill L. Levenson ed.,
World Classics(Oxford: Oxford UP, 2000)
,p. 76.
( 9 )George Adams,‘Shakespeare and Tragedy’
(1729)
,
from‘Preface’
to Vol. 1,
「18 世紀の標準と嗜好に迎合した」
「ずたずたに
されたテキスト」
にしか思われないかもしれない。
しかし、現在の批評家たちとは異なり、18 世紀
の観客や批評家たちは、決してギャリックのテキ
ストを「ずたずたにされたテキスト」と考えるこ
アの『ロミオとジュリエット』を舞台に復活さ
Vickers ed.,
られているように、まさしく、「シェイクスピア
(36)
を復活させる偉大な人物」
であったのである。
ギャリックのテキストが 18 世紀において果たし
た大きな役割は、改めて評価されるべきものであ
, 6vols.
(London: Routledge & Kegan Paul, 1974)
,vol. 2,p.
447.
(10)George Stubbes,
(1736)
,in Brian Vickers ed.,
, 6vols.(London: Routledge &
Kegan Paul, 1975)
,vol. 3,p. 42.
(11)Gentleman, vol. 1,p. 188.
(12)Elizabeth Griffith,
せた人物であったのであり、1750 年に発表され
た「シェイクスピアの亡霊」という詩の中で称え
’
, 2vols, 1729, in Brian
とはなかった。ギャリックこそは、それ以前には
ほとんど上演されることがなかったシェイクスピ
, Oxford
’
(1971 rep. ; New York: Augustus
M. Kelley Publishers, 1775)
,p. 497.
(13)Arthur Murphy,‘Essays on Shakespeare’
(1753-4),
from the
’
(1753-4)
, in Brian
Vickers ed.,
, 6vols.
(Routledge & Kegan Paul, 1976)
,vol. 4,p. 108.
(14)
‘Unsigned Essay on Hamlet’
,
(1752)
,from
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
ことにも明らかである。
(1752)
,in
, vol. 3,p.
(21)言葉遊びの削除の例としては、たとえば、サム
ソンとグレゴリーの 駄 洒 落(
‘coals’
、
‘colliers’
、
453.
‘choler’
、
‘collar’
)
(Ⅰ.
ⅰ.
1-5)や、マキューシオの
(15)William Warburton, Preface to
語る
‘a grave man’
(98)などがある。他にも、キャ
(1747)
,in
ピュレット夫人の台詞‘Marry, that“marry”is the
, vol. 3,p. 226.
(16)現在知られている上演記録は、1662 年のリン
カンズ・イン・フィールズでの公爵一座によ
る公演と、ジェイムズ ・ ハワードの「悲喜劇」
版だけである。John Downs,
very theme’
(Ⅰ.
ⅲ.
63)にある‘marry’
は‘marriage’
に、ロミオの台詞
‘What less than dooms-day is the
Prince’
s doom?’
(Ⅲ.
ⅲ.
9)にある
‘dooms-day is’
は
‘death can be’
に変えられている。
(1708)(Los Angeles; The Augustan Reprint
(22)George C. Branam,
Society, 1969)
,p. 22. を参照。尚、ロンドンの
(Berkeley: Univ. of
勅許劇場以外の劇場では、1744 年にセオフィ
California Press, 1956)
,p. 74. 18 世紀当時でも
ラス ・ シバーがヘイマーケットで、1746 年に
場面や幕を締めくくるクリンチング・カプレッ
トマス ・ シェリダンがスモック・アレイで上演
トは認められていたことは、Branam,p. 77 を
し、一応の成果をあげているが、いずれも改作
参照。
上演であり、この悲劇をストックプレイにする
(23)Gentleman, vol. 1,p. 188.
には至らなかった。例外的に長期にわたる人気
(24)
を保持したのは、
トマス ・ オトウェイによる『ロ
’
’
(
)8vols.
(London: Cornmarket Press, 1969)
,vol. 2,p. 83.
ミオとジュリエット』の改作『カイアス・マリ
(25)Ibid.,p. 121. ここで、ギャリックがジュリエッ
アス』である。この劇は 1679 年に初演されて
トの年齢を原作より 4 歳引き上げ、まもなく
以降、1735 年に至るまで、特に 1724 年までは、
18 歳になるように変えていることは、指摘し
ほぼ毎年上演されていた。
ておく必要があろう。
(17)Charles Gildon,‘Shakespeare’
s Life and Works’
(1710)
,in
, vol. 2,p.
254.
(26)Ibid.,p. 99.
(27)Ibid.,p. 93.
(28)Griffith,p. 429.
(18)Harry William Pedicord and Fredrick Louis
Bergmann eds.,
(29)
’
’
,p. 146. パリ
, 7vols.
ス殺害は、ロミオの男らしさや勇敢さを強調す
(Carbondale, Southern Illinois UP, 1981)
,vol. 3,p.
る要素になっていることは、ここで触れておく
77. 尚、ギャリックのテキストからの引用・幕・
行数はすべて、1750 年版(David Garrick,
(
)
(London: Cornmarket Press,
1963)
)からのものとする。
必要があろう。
(30)William Dodd,
, 2vols.
(1971 rep. ; London: Frank Cass & Co. Ltd., 1752)
,
vol. 2,p. 219.
(19)シェイクスピアのテキストからの引用・幕・
場・行数は、すべて G. Blakemore Evans ed.,
, 2nd ed.(Boston: Houghton
Mifflin Company, 1997)からのものとする。
(20)韻文と言葉遊びが 18 世紀には悲劇の言葉とし
て不適切と考えられていたことは、ニコラス
・ ロウが、1709 年の段階で、シェイクスピア
が時に見せる韻文や言葉遊びのことを、「シェ
(31)
’
’
,p. 148.
(32)Murphy,
., vol. 1, pp.
152-153.
(33)
’
’
,p. 83.
(34)Thomas Davies,
, 2vols.(1972 rep. ; New York: Georg Olms
Verlag, 1780)
,vol. 1,p. 118.
(35)Katherine L. Wright,
’
イ ク ス ピ ア が 生 き た 時 代 の 悪 癖 」(Nicholas
Rowe,‘Some Account of the Life & of Mr. William
Shakespeare(1709)
’in D. Nichol Smith ed.,
(Oxford:
Clarendon Press, 1963)
,p. 13.)と断罪している
(Lewiston: Mellen University Press, 1997)
,p. 2.
(36)
‘Shakespeare’
s Ghost’
, from
xix, pp. 248-9(June 1750)
,in
, vol. 3,p. 382.
安田比呂志:ギャリック版『ロミオとジュリエット』と「恋人としてのロミオ像」の確立
Garrick’s Adaptation of
and
The Making of “Romeo as a Lover”
*1
Hiroshi YASUDA
Synopsis
David Garrick’s adaptation of Romeo and Juliet established “the Romeo as a lover” and enjoyed long popularity for
97 years on the British stage since its first performance in 1748. But in the eighteenth century, the theme of “love”
was often despised as immoral and anti-social, and therefore, not suitable for tragedy. The aim of this study is
to reveal how Garrick established “the Romeo as a lover” which could be easily opposed by the ethical code of the
century, through the analysis of the eighteenth-century essays on Romeo and Juliet and the play-text adapted by
Garrick himself.
Garrick’s play-text realizes his intention to deal with the problems which Romeo and Juliet was then thought
to have. He drastically cut “the jingle and quibble”, simplified and clarified its plot and the characterization of
the characters, and eliminated many sexual allusions, in order to solve the problems of its diction, structure, and
ethics.
Garrick also sets the frame of the feud between the two families around the theme of love. He clarifies the
sufferings Romeo bears because of the feud which forbids his love to Juliet, to purify his love and elevate his love
into a heroic act, and emphasizes the foolishness of the stubborn parents who would never stop the feud which
brings the lovers to death, so that the theme of love is transformed into the theme suitable for tragedy.
Garrick’s adaptation has been underestimated since the end of the nineteenth century because of its drastic
elimination of the words and alterations of the plot. However, the fact that his “Romeo as a lover”, and even
Shakespeare’s Romeo and Juliet, were accepted and applauded by the audience in the Eighteenth Century would
not have been possible without Garrick’s ingenuity. The contributions of the Garrick’s adaptation to the stage
history of Romeo and Juliet should once again be appreciated.
Key Words
David Garrick, William Shakespeare, Romeo and Juliet, Eighteenth Century Drama
*1 Faculty of Human Cultural Sciences and Business Administration, Nihonbashi Gakkan University
NIHONBASHI GAKKAN UNIVERSITY Bulletin No.6
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
原著論文
「家屋もしくは邸館」
:ルネサンス期フィレンツェにおける
パラッツォの社会的機能と意義
金 山 弘 昌*1
ジョヴァンニ・ルチェッラーイは有名な『雑記帳』の中で、
「人の一生で一番重要なことはふた
つある。第一は子を産むこと。そして第二は家を建てること」と記している。この言葉はルネサ
ンスの有力者たちが自分たちの邸館に期待していた社会的な重要性について明らかにしている。
本稿では、このテーマ、すなわちルネサンス期フィレンツェの パラッツォが持つ社会的機能
と意義について概観を試みる。この目的のため、ゴールドスウェイト、F・W・ケント、プレイ
ヤーらの主要な研究に沿いつつ、とりわけこのような活発な建設事業を許した、あるいは推進し
た倫理的基盤について、そして中世のコンソルテリーア解体後にルネサンス社会が被った、社
会や家族の絆の劇的な変動の影響について検討する。
社会的変動の影響については、とりわけゴールドスウェイトの仮説に関わる論争についての検
証を試みる。すなわち、巨大な規模と豊かな装飾をもつルネサンスのパラッツォは、本当に「施
主とその核家族のためのプライヴェートな隠れ家」なのか、それともケントが考えるように、
「隣
人、友人、親戚」
、つまりクリエンテーラの政治的・社会的中核なのか、という論議である。
パラッツォの建築的特徴と同時代の史料の検討から、
ケント説の妥当性を認めることができる。
さらに、パラッツォの大きさや芸術的性格は、中世のコンソルテリーアの基盤となっていた血縁
と共住による物理的な絆の代替となって、個人間の関係として成立した新たな社会的ネットワー
クを表象する、象徴的な価値となっていたと考えられるのである。
キーワード
建築 パラッツォ ルネサンス フィレンツェ メディチ家
1.序:ルネサンス期フィレンツェの
「豪邸建設ブーム」の社会的背景
1472 年に成立したベネデット・デイ
(1417−92)
壮大にして、大いなる名誉となり、そして大いな
る費用を要した建築物を建てた。それらは彼らの
喜びと名誉のためだけでなく、フィレンツェ市民
(1)
の喜びと名誉のためでもあった」
の『年代記』の中に、当時のフィレンツェを変貌
デイの挙げる 33 の「建築物(muraglia)
」の中
させた数々の建築事業に関する次のような記述が
には、大聖堂やサン・ロレンツォ聖堂など公共性
ある。
の高い宗教建築とともに、
パラッツォ・メディチ(図
「コジモ・デ・メディチ、ルカ・ピッティ、ネー
1、2)やパラッツォ・ピッティ(図 3)
、パラッツォ・
リ、ジーノ・カッポーニ、ジャンノッツォ・マネッ
ルチェッラーイ(図 4)など、
彼が「壮大な家(gran
ティたちの時代、美しきフィレンツェは、33 の
casa)
」と呼ぶ私邸が十数カ所も含まれている。
2006 年 9 月 30 日受理
“Casa overo palagio”
: le funzioni ed i significati sociali dei
palazzi nel Quattrocento fiorentino
*1 Hiromasa KANAYAMA
日本橋学館大学人文経営学部
あるいはまた当時の有力な市民の一人ジョヴァ
ンニ・ルチェッラーイ(1403−81)、すなわち前
述のデイも名を挙げたパラッツォ・ルチェッラー
イの施主もまた、
「人の一生で一番重要なことは
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
図 1 パラッツォ・メディチ
図 2 パラッツォ・メディチ、
中庭
ふたつある。第一は子を産むこと。そして第二は
の説明はあまりに図式的かつ一般的に過ぎる。事
家を建てること」という言葉を子孫への戒めとし
実、中世にも有力な貴族や裕福な新興市民が存
(2)
て残している 。
在したにも関わらず、彼らはルネサンスのパラッ
このように 15 世紀のフィレンツェでは、「パ
ツォに匹敵する豪華で巨大な私邸を建設しなかっ
ラッツォ(palazzo)
」という名で呼ばれる都市型
たのである。たとえば 13 世紀までフィレンツェを
邸館が、裕福で有力な市民たちの私邸として次々
支配していた貴族を中核とするいわゆるコンソル
と建設され、同時代の社会からも重要視されてい
テリーア(門閥)といわれる多核家族は、一つの
たのである。これは、14 世紀までにおいて、大
地区に集団で居住しており、堅固な塔は備えたも
聖堂やパラッツォ・デッラ・シニョリーアを初め
のの、それぞれの家族が別個に豪華な私邸を構え
として、主として宗教建築と公共建築が公的私的
ることはなかった。また裕福な市民が力を握る 14
いずれの建築パトロネージにおいても主な対象で
世紀においても、豪華な私邸の登場は世紀の半ば
あったのとは対照的であった。ここに、なぜルネ
以降のことであり、しかも市民たちのパトロネー
サンスにおいては、有力市民たちによる私邸建築
ジはまず個人礼拝堂などの宗教施設が優先された
への強い欲求が生じたのか、私邸は彼ら市民に
のであった。15 世紀においてパラッツォがはじめ
とっていかなる役割を果たしていたのかという疑
て急速な普及を見せたのは事実であり、豪華な私
問が生じるわけである。そこで本稿では、パラッ
邸が求められるこの時代固有のより具体的な条件
ツォ建設の流行の背景にある社会的要因に注目
や要因があったはずである。まず第一の要因とし
し、考察を加えたい。
ては、有力市民層における「私邸」への倫理的態
市民たちを豪邸建設に駆り立てた動機、すなわ
度の変化が挙げられる。この問題については、本
ちパラッツォ普及の社会的要因についての大まか
稿 3 章で概要を述べる。そして次の要因として
な説明としては、まず何よりも、新興市民たちの
は、パラッツォが同時代の社会の中で演じた具体
いわゆる「顕示的消費」の一環として豪華な私邸
的な機能の変化、とりわけパラッツォで生活を営
(3)
が建てられたということがいえよう 。しかしこ
む主体、すなわち施主とその家族からの、邸宅に
金山弘昌:
「家屋もしくは邸館」
図 3 パラッツォ・ピッティ
図 4 パラッツォ・ルチェッラーイ
対する具体的要請の変化が挙げられる。この問題
する研究、そして一般史学における優れた業績な
は研究者間の論争を引き起こした難問であり、ま
どを手引きにしながら(5)、この問題についての検
た本稿の中核的主題でもある。この問題を巡って
討を試みる。
は、ゴールドスウェイトと F・W・ケントという、
ルネサンス期フィレンツェのそれぞれ経済史と社
会史の権威の間において、一方はパラッツォの社
2.15 世紀フィレンツェのパラッツォ:
明白な形式的特徴、解明困難な機能
会と隔絶した私的機能を強調し、一方は逆に公的
論を進めるにあたり、フィレンツェ・ルネサンスに
社会的機能を重視するという、まったく正反対と
誕生したこの「パラッツォ」という建築類型につ
(4)
もいえる解釈の違いが見られるのである 。本稿
4 章以下では、対立するそれぞれの所説を紹介し、
いて基本的な説明をしておきたい(6)。
伊語「パラッツォ(palazzo)」もしくは「パラー
パラッツォの形式的特徴や同時代史料に見られる
ジョ(palagio)」の語源は古代ローマの皇帝宮殿
その用法と照合するとともに、さらにパラッツォ
を表すラテン語「パラティウム(palatium)」で
を社会的観点から分析した諸研究や当時のフィレ
あり(英語 palace と同根)
、イタリアでは遅くと
ンツェを代表するメディチ家のパトロネージに関
も 13 世紀後半以降、一般の家屋を表す「カーサ
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
図 5 パラッツォ・ストロッツィの規模比較対照図
(出典:Goldthwaite, 1977.)
図 6 パラッツォ・メディチの主要広間復元想像図
(Bulst と Bossi による。出典:Bulst, 1977)
(casa)
」と区別し、まずは政庁舎などの公共の建
パラッツォは、その造形的・空間的特徴において、
物やコンソルテリーアの塔を表す語として、つい
塔(torre)とロッジア(loggia 開廊)を核とした門
で 14 世紀には個人の豪華な屋敷を表すのに用い
閥一族の集合的な家屋群や、地味でいわば「美的
(7)
られるようになった 。とりわけフィレンツェで
外的」で小規模な商人の邸宅
(casa mercantile)な
は、ルネサンス期以降多くの邸館がこの名を冠さ
どの中世の各種住宅類型と明確に異なっている(8)。
れており、1427 年に始まる有名なカタスト税制
その特徴については、建築史家や美術史家たちは、
の財産台帳(カタスト)では、「カーサあるいは
とりわけ以下のような点を指摘してきた。
パラッツォ」という言い回しが頻出する。
まず規模の大きさが顕著である。これは建物全
金山弘昌:
「家屋もしくは邸館」
図 7 パラッツォ・ストロッツィ
体だけでなく、それぞれの部屋においても同様で
間は、数多くの絵画や彫刻、タペストリーなどで
ある。15 世紀は「アッパルタメント」と呼ばれ
飾られていたのである(図 6)
。
る続き部屋形式の成立途上であり、主要な居住者
「大きさ」の次に顕著なのは、
外観における、
サー
一人あたりの部屋数も増加するが(9)、そもそも各
(13)
、あるいはハイマンの
ルマンのいう「視認性」
部屋自体の大きさに加え、さらに窓や暖炉などの
い う「 建 築 的 個 性(architectural individuality)
」
大きさまでもが顕著な増大を見せるのである。
の尊重である(14)。パラッツォ・メディチやパラッ
例えばゴールドスウェイトが指摘するように、
ツォ・ストロッツィ(図 7、8)はその規模と独立
パラッツォ・ストロッツィは主要な階は 3 層、屋
したファサード(建物の正面外観)において明確
根裏的な中階を含めても 5、6 層程度であるが、
な個性を主張し、またパラッツォ・ピッティは、
20 世紀末の 10 階建てオフィス・ビルに匹敵する
当時比類のない規模をもつだけでなく、都市の既
(10)
。またプレイヤーは、
高さを備えている(図 5)
存の道筋から分離し、建物正面に独自の広場を有
パラッツォ・コルシ・ホーンという、当時比較的
している。さらにパラッツォ・ボーニ・アンティ
マイナーな家族の小規模なパラッツォにおいてさ
ノリのような、意匠そのものは革新性と保守性の
え、広間に高さ 4m を越える大きな暖炉やアクア
両義性を示す邸館でさえも、複数の街路から眺望
イオ(acquaio)と呼ばれる儀礼的な流し台を備
(11)
えることを指摘しており
、さらにヴァザーリ
(12)
(1511 − 74)
がすでに 16 世紀に指摘した通り
、
される、景観上の利点を得る工夫がなされている
(15)
。このようなパラッツォの独立したファサード
は、大聖堂広場やチェルキ通り、バルディ通り周
ルカ・ピッティ(1398 − 1472)のパラッツォ(図
辺のペルッツィ家の家屋群(図 9)などに見られる、
3)の扉口は高さ 16 ブラッチャ(約 9.3 m)、幅 8
複数の家屋をつないで、ただ一層部のみアーチの
ブラッチャ(約 4.7 m)に達し、他の建物の扉口
意匠を統一した外観とは非常に対照的である。
の「2 倍」に相当した。そしてその巨大な内部空
そのファサードには巨大な石材を用いた粗面仕
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
図 8 パラッツォ・ストロッツィ、平面(出典:Ginori Lisci, 1985.)
図 9 ペルッツィ家の家屋群
上げの壁面、あるいはスグラッフィート装飾(一
ち出し)と呼ばれるアーチの起点の張り出した部
種の漆喰絵)のある漆喰仕上げの壁面が用いられ
材、そして粗面仕上げがその中核となる。また他
(16)
。古典古代的な「秩序の美」
、すなわちシン
にもファサードの下部に取り付けられた長大な作
メトリーの原理が意匠において重視され、単一の
りつけの石造ベンチ(panca da via)や随所に配
モデュールでプロポーションが整えられた開口
された家紋あるいは施主個人の標章なども特徴に
部、シンメトリックな窓の配置、強調された主要
数えることができよう。
た
扉口、
各層の明確な区分が見られる。
また古代ロー
一方中庭を中核としてロの字あるいはコの字を
マの意匠の模倣が積極的になされ、とりわけ「コ
描く平面においても、都市のコンテクストからの
ルニチョーネ」と呼ばれる古代風デザインの巨大
建物の独立や、シンメトリーの厳格な美の原理が
で装飾豊かなコーニス、つまり軒蛇腹や、古代の
特徴である。それは例えば、ルネサンスのパラッ
オーダー
(柱式)
をあしらった窓、
ペドゥッチョ(持
ツォの完成形態ともいうべきパラッツォ・スト
金山弘昌:
「家屋もしくは邸館」
図 10 グイッチャルディーニ家の「カーサ・グランデ」と周辺建物、
17 世紀の平面(出典:Ginori Lisci, 1985.)
図 11 パラッツォ・ダヴァンツァーティ、平面
(出典:Ginori Lisci, 1985.)
ロッツィにおける、他の建物から切り離されて独
はダヴィッツィ家の館)の平面(図 11)と比べ
立し、完全にシンメトリックに部屋が配された平
た場合も、規模の違いはともかくとしても、パラッ
面(図 8)と、中世以来の家屋の複合体という伝
ツォ・ストロッツィの秩序と合理性は際立ってい
統を留めるグィッチャルディーニ家のカーサの
る。また両者は中庭の機能においても違いを示し
17 世紀の平面図(図 10)を比較すれば明らかで
ている。いずれの場合も、中庭が採光や換気、主
あろう。また中世的な商人の邸宅からルネサンス
要な動線などの機能を担うものの、パラッツォ・
のパラッツォへの過渡期と位置づけられる 14 世
ダヴァンツァーティの中庭ではあくまで井戸や階
紀半ばのパラッツォ・ダヴァンツァーティ(元来
段室など実際的機能が優先されているのに対し
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
図 12 パラッツォ・ダヴァンツァーティ、中庭
(図 12)
、ルネサンスのパラッツォの中庭は、大規
駆的研究以来長らく等閑に付されてきた主題への
模で、古代風の円柱を用いた開放的なアーケード
関心は近年高まっており(17)、プレイヤー、ハイマ
によるロッジア形式をとり、スグラッフィート(漆
ン、ブルスト、ソーントンらを筆頭とした優れた
喰絵)や繊細な彫刻の施されたペドゥッチョで豊
研究が発表されている(18)。
かに装飾されており(図 2)
、
ブルネッレスキ(1377
ところが以上の研究にも関わらず、15 世紀の
− 1446)による捨て子養育院などの、都市広場の
フィレンツェのパラッツォに関しては、その機能、
開廊と類似した、造形的・装飾的な特徴を示して
とりわけそこで繰り広げられた日常生活における
いる。
用法が必ずしも判然としていないのである。
以上のように、初期ルネサンスのパラッツォの
もちろん、もっとも基本的な機能は自明である。
形式的特徴は明白であり、また中世の家屋との違
パラッツォは都市における日常の住まいであり、
いも顕著である。このような形式的相違は、確か
また時として銀行家や商人としての執務の場でも
にルネサンスという革新的文化的状況における古
あった。また他の都市と異なり、ルネサンスのフィ
代憧憬やプロポーションに基づく美的原理などの新
レンツェでは一階の貸店舗は設けられておらず、
たな美的要請にも起因しているであろう。しかし
住居と店舗が分離する傾向が強かったと考えられ
また同時に、あくまで私的な住宅という建 築 類 型
る。
である以上、社会の変化がもたらした新たな機能
しかしより具体的で詳細な機能・用法について
と用法にもその原因があるはずである。実際、前
は、まだ未解明の部分が多いのである。その主な
述のゴールドスウェイトやケントら経済史や社会
理由としては、何よりも関連史料の不足を指摘で
史の立場からだけでなく、また建築史家や美術史
きよう。日常生活の上での用法について記録は乏
家たちの中でも、パラッツォの機能とそこで繰り
しく、僅かな手がかりになり得るのは、パヴィー
広げられた生活という、スキャパレッリによる先
ア伯ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(後ミ
金山弘昌:
「家屋もしくは邸館」
図 13 パラッツォ・メディチ、1650 年の 2 階平面、ASF, Guardarba Mediceo,
1016(出典:Preyer, 1998.)
ラノ公、1444 − 76)がフィレンツェに滞在した
より与えられる控えの間が異なる、あるいはまた
際のパラッツォ・メディチ訪問録のような、外国
侍従の階級により侍立すべき部屋が区別されると
(19)
。ま
いうように、主人の寝室や謁見の間との距離を象
たアルベルティ(1404 − 72)の『建築論』
(草稿
徴的に用いて空間の等級分けがなされていた。し
成立は 1452 年頃)に引き続き、15 世紀後半には
たがってこの豪華に装飾された続き部屋の中で、
各種の「建築書」が成立するが、アルベルティも
厳密な意味でのプライヴェートな領域は非常に限
フランチェスコ・ディ・ジョルジョ
(1439 − 1501 頃)
られ、むしろ大部分を占めていたのは、来訪者を
も古代ローマのウィトルウィウスの理論に従った
迎えるための、公的儀礼が演じられる舞台として
テーマや抽象的な建築類型論に終始し、同時代の
の役割を担った空間だったのである。
の要人を迎えての祝祭時の記録のみである
具体的なパラッツォの内部を記述したり、その用
(20)
15 世紀フィレンツェのパラッツォの社会的機
。例
能を巡る論議については詳しく後述するが、大雑
外としてフィラレーテ(1400 頃− 69 頃)による
把な図式化をあえて行うとすれば、論議の争点は
パラッツォ・メディチの記述が挙げられるが、そ
パラッツォが個人と家族のための「私的」な性格
れも部屋の種類や居住者、装飾などについての大
の強いものか、あるいはむしろそれをとりまく党
法について論及することは非常に稀である
(21)
まかな説明に留まっている
。
派などの社会的ネットワークに配慮した「公的」
一方、16 世紀盛期ルネサンス以降のパラッツォ
な機能を重視したものなのか、ということに集約
の用法はかなり判明しており、15 世紀の同建築
される。そしてもしアパルタメントの形式のみな
類型についての考察の参照点とすることができ
らずその儀礼的機能も成立していたとするなら
る。16 世紀以降は、教皇や諸侯の下での上流階
ば、16・17 世紀のパラッツォ同様、15 世紀フィ
層の宮廷人化が進行し、いまや貴族となった彼ら
レンツェのパラッツォも来客への応対を重視し、
の邸館は主として儀礼的用法によって規定されて
社会的ヒエラルキーを儀礼的秩序によって表現す
いた。とりわけ顕著なのが、「アッパルタメント
る公的な場としての機能をも担っていたと考えら
(appartamento)」と呼ばれる一連の部屋からなる
れよう。ところがもっとも重要なこの点がいまだ
(22)
個人の居住区画である
。この続 き部屋におい
に判然としていないのである。
ては、来客を広間から控えの間を経て謁見の間へ
確かに 1440 年代に建設されたパラッツォ・メ
導く儀礼的動線が重視されており、来客の身分に
ディチにおいても(23)、それに先立つ現存しない
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
メディチ家の旧パラッツォにおいても(24)、後の
は、貴族たちを主体とし、血縁と契約関係で結ば
アパルタメントの萌芽といえる続き部屋形式がす
れ、同一地区に大集団で居住する「コンソルテリー
でに存在している(図 13)
。サーラ(広間)
、ア
ア(門閥)
」と呼ばれる一種の多核家族が支配的
ンティカーメラ(控えの間)、カーメラ(寝室)、
であり、私的な世俗建築である「塔」や「開廊」
ストゥディオーロ(書斎)からなるその構成は、
は、個人やその家族ではなく、あくまでコンソル
16 世紀以降のアパルタメントに近く、例えば最
テリーア全体の防衛や儀礼、あるいは威信の象徴
晩年のサールマンのように、両者を機能において
として建てられていた。13 世紀末にポポロ政権
(25)
、具体的な史
が成立、以降「マニャーティ(豪族)
」追放や塔
料の裏付けは欠いたままであった。一方ソーント
の切り詰めまたは撤去など、実体と象徴両面にお
ンは、前述の訪問録などの史料を根拠として、い
けるコンソルテリーアの解体が政府によって推進
ずれの部屋も中庭側回廊から出入りが可能であ
されるようになると、建築事業の公共的な側面は
り、後のアパルタメントの特徴である線的な序列
一層強調され、大聖堂を初めとする宗教建築やパ
を見出すことができないとして、少なくともアパ
ラッツォ・デッラ・シニョリーアなどの公共建築
ルタメントの儀礼的機能はまだ未成立であったと
がおもな対象となる。裕福な市民たちは、私邸に
も同一視する見解もあるものの
(26)
考えている
。またゴールドスウェイトが指摘
しているように、そもそも 15 世紀フィレンツェ
費やすよりも、これらの公共の建設事業に寄進を
おこなったのである。
の有力市民の館には、宮廷や枢機卿の館のような
公共建築への援助を讃え、私邸への出費を戒め
多数の家臣がおらず
(ジョヴァンニ・ルチェッラー
るこの傾向は、しかし単に上記の社会的政治的背
(27)
イの家ですら召使いは 6 名程度であった) 、複
景によって助長されただけでなく、宗教的哲学的
雑な儀礼の担い手を欠いていたともいえる。
な倫理観によって強固に裏付けられていた。
かくして、フィレンツェのパラッツォの当初の
フィレンツェ市民の建設事業に対する倫理的態
機能を理解するためには、その形式から機能を推
度の変容については、すでにフレイザー・ジェン
測し、当時の社会状況に当てはめて妥当かどうか
キンスによるとりわけコジモ・デ・メディチ(通
判断するか、あるいはまた、当時の社会状況から
称イル・ヴェッキオ、1389 − 1464)のパトロネー
私邸に求められ得る機能を推測し、それを実際の
ジに関する優れた研究があり(28)、ここではそれ
パラッツォの形式と照合して検証する他ないので
に基づいて変容の概要を紹介したい。
ある。
3.倫理的前提:私邸建設における「自
己顕示」と「公共性」の二重性
豪華な建築の築造は、
支配階層の「顕示的消費」
14 世紀までは、キリスト教的倫理において、
裕福な者の義務として貧者の救済が説かれ、また
アッシジの聖フランチェスコ(1181 − 1226)の
「清貧」の思想の影響力も大きかった。このよう
な考え方によれば、蓄財に執着すべきではなく、
の典型例であって、
聖書の「コヘレトの言葉」(コ
もし富を得た場合も、それを費やすことに気を配
ヘ 2.4)にもこの世の栄華の代表のひとつとして
らねばならない。費やす対象としては建築が挙げ
挙げられている通り、基本的には古今東西を問わ
られるものの、それは教会堂や施療院に限られ、
ない現象であろう。しかしながら、14 世紀前半
例えばブルーニ(1370 頃− 1444)が墓廟への出
までの中世フィレンツェの上層市民たちにとっ
費を愚かと見なしたように、個人のモニュメント
て、自らの私邸を多額の費用を投じて建設するこ
への出費は否定的に見られていたのである(29)。
とは、宗教的倫理的規範と公共の美徳の双方に反
する逸脱行為に他ならなかった。
13 世紀までのいわゆる「塔の時代」において
しかしこの厳格な姿勢は 15 世紀に入り緩和
される。たとえばアルベルティは、1430 年頃に
草稿が成立した『家族論』
(1432 − 34、40 年)
金山弘昌:
「家屋もしくは邸館」
において、豪華な私邸の普請は不必要だが、無
ともマキャヴェッリ(1469 − 1527)やヴァザー
害で喜ばしいものだと述べ(30)、さらに「非常に
リが伝え、またアルベルティも『建築論』で示唆
広く高貴な」建築により、名声と権勢を手に入
するように、少なくとも名目上は共和制であった
(31)
。この 1430 年代以
体制下でのコジモの普請は、他の市民たちの「嫉
降、コジモ・デ・メディチによる建築事業が顕著
妬」を警戒するという、別の政治的倫理的配慮
となり、フィレンツェ内外に賛否両論を引き起
を要した(35)。そしてコジモの建てたパラッツォ・
こす。論議はやがてアリストテレスの「鷹揚さ
メディチは、メディチ家の同盟者やライヴァルた
(magnificenza)
」(「壮大」
「豪華」とも訳し得る)
ち、他の有力市民たちの間に一大建築ブームを引
れられるとも述べている
の美徳という概念を再評価することにより、コジ
モの態度を肯定する結論を導き出したのである。
き起こすことになったのである。
もっとも豪華なパラッツォの建設は、その後も
1430 年代前半には「無害」という評価にとどまっ
常に倫理的なある種の制約をともなった。当時の
ていたアルベルティも、1452 年頃に草稿が成立
倫理においては、豪華な私邸の施主にふさわしい
した『建築論』では、施主の社会的位置とその建
のは、コジモのような十分な人望や政治的権力を
築の相関性を説き、地位のある施主が「後世から
持つ者に限るとされていたのである。人文主義者
偉大であったと見られようとして[中略]大きな
マッテオ・パルミエーリ(1406 − 75)は、その
ものをたて」
、
「祖国や家系を装うために飾りをつ
主著『市民生活論』の中で、キケロの所説に基づ
ける」のであれば、それが「善良な人々の責任で
きつつ(36)、「人は邸宅をその持ち主故に名誉とす
あることを誰が否定するであろう」と述べ、より
べきであり、その逆ではない」と戒めている(37)。
積極的な評価を与えている(32)。
実際、ルービンシュタインは新築のパラッツォの
いまやたとえ私邸であれ、壮麗なものを多大の
主が政治的エリートでかつ裕福という二つの条件
出費をもって建設することは、施主の「鷹揚さ」
を兼ね備えたごく一部の市民であると指摘し(38)、
の美徳であり、またその所産は施主とその家族の
またケントは、まさにその条件を備えたニッコロ・
みならず、都市全体の飾りであり名誉とみなされ
ダ・ウッツァーノ(1386 − 1466)やルカ・ピッ
るにいたったのである。つまり 15 世紀フィレン
ティ(1398 − 1472)らが、「己の地位にふさわ
ツェの有力者たちは、建築を通して自己顕示と公
しい」ものとして広大なパラッツォの建設を望ん
共への奉仕を一度に果たすことができたわけであ
だことを指摘している(39)。さらにケントとプレ
る。このようなメンタリティを端的に表すのが、
イヤーは、比較的勢力の劣る市民の場合、中世の
ジョヴァンニ・ルチェッラーイの『雑記帳』中の
建物をあえて旧状の外観のまま再利用したり、新
次の言葉である。
「私は金を稼ぐことよりもそれ
築であってもあえて石造の軒蛇腹や粗面仕上げの
を費やすことにより、自らには名誉を、己の魂に
外観を避け、保守的な意匠で建てるという、顕示
は満足をもたらしたと信ずる。とりわけ私が建て
とは正反対の修辞的方法の存在も明らかにしてい
(33)
る(40)。
た建物によって」
このような建築に関わる倫理的解釈の変容を明
ちなみに 16 世紀以降とは大きく異なり、15 世
確に表すのが、
その変化の触媒ともなったコジモ・
紀においては、建築はあくまで施主の創作物と見
デ・メディチの建築パトロネージである。彼は建
なされ、美的な評価も建築家ではなく施主が独占
設事業への後援に関して、当初はサン・マルコ修
した(41)。実際、ブルネッレスキを唯一の例外と
道院など伝統的な倫理の枠内でもパトロネージが
して、ミケロッツォ(1396 − 1472)やアルベル
賞賛される宗教建築を対象に選び、己の権力の基
ティの名は同時代の文献に設計者として明記され
盤が固まった 1440 年代半ばになって、ようやく
ず、それはたとえばパラッツォ・ストロッツィの
(34)
巨大な私邸の建設にとりかかるのである
。もっ
ように関連史料が豊富に残されている事例におい
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
ゴールドスウェイトがフィレンツェのパラッ
てすら同様なのである。
4.ゴールドスウェイトの見解:施主
とその核家族のプライヴェートな
「隠れ家」
ツォの特徴としてとりわけ着目したのが、外観に
おける「建築的個性」と巨大で豪華な内部空間で
あった。ゴールドスウェイトの言を引くならば、
「ルネサンスのパラッツォは、端的に言えば、個
ルネサンスのパラッツォの研究は、1970 年代
人の住宅としての美的性質を表しており、それと
以降、美術史や建築史よりもむしろ文献史学の領
同時に、居住空間の劇的な拡大ということができ
域で劇的な発展を見せた。そしてこれらの分野に
る」のである(45)。
おいては、当然ながらパラッツォのさまざまな社
まず前者の「建築的個性」であるが、これはす
会的側面に関心が向けられ、とりわけ経済史家
でにハイマンも用いていたもので(46)、やや図式
ゴールドスウェイトの研究は、今日もなおこの分
的に過ぎる傾向があるものの、中世の住居群とル
野における基本的研究として重要視されている。
ネサンスのパラッツォを比較する場合に有効な概
ゴールドスウェイトの研究の中でも、もっとも
念である。本稿でもすでに 2 章においてルネサン
有名なのが、1980 年の『フィレンツェの建設業』
スのパラッツォの特徴を紹介したが、そもそも独
(42)
。ゴールドスウェイトは、当時の建築
立した平面や外観を持つという点で、それは中世
と建設事業を取り巻くさまざまな要因を、経済学
コンソルテリーアの住居と全く異なっている。門
の古典的な区分である「需要」と「供給」に分け、
閥の家屋群は外観において一層部のみを同一の意
例えば前者として施主の問題を検討し、後者とし
匠で統一し、また一族共有の施設として塔とロッ
て建築家や同業組合について考察している。そし
ジアを備えており、総体としてコンソルテリーア
てとりわけゴールドスウェイトの業績は、当時の
の存在を誇示している。しかしその一方、個々の
建設ラッシュが、単なる消費ではなく、むしろ建
家屋に関しては、美的なメルクマールとなるもの
築とそれを装飾する美術工芸といった、芸術産業
を殆ど欠いている。そしてこのような無個性的な
とでもいうべき新たな分野への積極的な投資事業
家屋群は、門閥の解体とともに廃れ、代わってパ
に他ならなかったことを示した点にある。
ラッツォという新たな建築類型が登場した。この
である
しかし本稿では、ゴールドスウェイトが前述の
ような中世のアノニマスな家屋群からルネサンス
著書に先行して 1972 年に発表した論文『住宅と
の個性を主張するパラッツォへの変化について、
してのフィレンツェのパラッツォ』の方に、むし
ゴールドスウェイトは、この現象が、中世の大集
(43)
。ゴールドスウェイト
団主義から個人と核家族を中心とするルネサンス
はこの論文の中で、ルネサンス期フィレンツェに
の個人主義への社会変動を直接的に反映している
おけるパラッツォという新たな建築類型の発展に
と考えたのである。
ろ注目したいのである
は、社会制度の変容、すなわち社会における個人
ゴールドスウェイトが注目した第二の特徴、
「居
の位置付けの変化が反映しているという大胆な説
住空間の拡大」は、非常に独創的な優れた着眼で
を主張した。この論文は、従来様式史や建築論の
あると同時に、その解釈を巡って大きな論議を呼
立場から主として美的要因のみが検討されていた
ぶことになった。ゴールドスウェイトが指摘した
15 世紀フィレンツェのパラッツォの形式的機能
のは、当時のパラッツォの住民が比較的少人数の
的特徴について、はじめて社会的要因の本格的な
家族であることと、それにも関わらずパラッツォ
考察を試みた画期的な研究であった。そしてその
の内部空間が巨大で装飾豊かであるということで
先駆性はまた論争的な性格をともなっており、F・
あった。つまり住人一人あたりの居住空間が、中
W・ケントやルービンシュタインを始めとする多
世と比べ量的かつ質的に発展したというわけであ
(44)
くの学者たちの反論を招いたのである
。
る。確かにクラピッシュ・ズベールによる 1427
金山弘昌:
「家屋もしくは邸館」
年のカタスト(財産台帳)についての有名な研
族制度の変化、そしてそれによって中世的な大集
究が示すように、当時のフィレンツェの平均所
団から解放された個人と核家族の心理的な変容を
帯人数は 4.42 名、もっとも裕福な上層市民層に
その真の原因としている点で、はるかに説得力の
(47)
おいてさえ平均 6 名に過ぎず
、一方建物や部
屋、
調度の巨大さについては前述した通りである。
ある仮説を提示しているといえよう。
しかしながらこの魅力的なゴールドスウェイト
ゴールドスウェイトは、中世的な多核家族の解体
の説にもまた、大きな疑問があるのである。そも
と住人の減少に反比例するかたちで邸館と個々
そもルネサンス期フィレンツェの有力市民たち、
(48)
の部屋の面積が拡大していった点に注目した
。
ゴールドスウェイトがあえて「例外」と見なした
そしてその理由をやはり社会変動と個人の台頭に
事実上の統治者であるコジモ・イル・ヴェッキオ
求めたのである。すなわち、彼の理解によれば、
はともあれ、ルカ・ピッティやフィリッポ・スト
巨大で豪華なパラッツォの第一の存在意義は、中
ロッツィがその多忙な政治的経済的な活動の合間
世の門閥的な大家族制度が崩壊した後に成立し
に、果たして本当に「核家族のプライヴェートな
た、個人とその直近の家族を単位とする新たな社
空間」を享受し得たのであろうか?多くの史料や
会的単位の要請、すなわち、外の社会から隔絶さ
歴史家の伝える有力市民たちの生活は、少なくと
れた「プライヴァシーの世界への引き籠もり」と
も近代的な意味においてのプライヴェートな余地
いう欲求に応えることだというのである(49)。今
をもたないようにも思えるのである。そしてまた
や店舗機能とは切り離され純然たる住宅となった
そもそも根本的な疑問として、内部の「贅沢な空
その内部では、数少ない居住者に不釣り合いなほ
間」が、本当に公的な活動と無縁なものだったの
どの規模の部屋や、外部の視線を拒むかのように
だろうか?それは少なくとも、すでに判明してい
高い位置に設けられた窓、そして室内を豊かに飾
る 16 世紀以後のパラッツォのむしろ社会に積極
る美術工芸品などによって、
「個人空間の贅沢な
的に開かれた機能とは正反対なのである。そして
(50)
、公的活動や多くの血縁者た
実際、15 世紀フィレンツェのパラッツォにおい
ちとの付き合いからの避難所をつくりあげたとい
てもやはり私的生活以上に公的な活動が機能上重
うのである。
「パラッツォがプライヴァシーの新
視されていたとする重要な研究が、ケントら他の
たな世界を代表し、しかもそれは比較的小さな集
研究者たちによって示されているのである。
拡大」が進行し
団のプライヴァシーであったことは明確」である
とゴールドスウェイトは結論付けるのである(51)。
ゴールドスウェイトの着目は確かに重要な問題
点を浮かび上がらせている。住居として豪華で巨
5.ケントとプレイヤーの見解:「親近
ネットワーク」の政治的社会的中
心、祝祭の舞台
大な空間が使われるようになった社会的背景につ
ルネサンス・フィレンツェのとりわけ家族史研
いては、従来はアッカーマンが 1961 年の著作で
究の権威 F・W・ケントは、1987 年の論文『15
(52)
。その
世紀フィレンツェのパラッツォ、政治ならびに社
説明とはすなわち、メディチ家ら新興勢力が「勢
会』の中で「核家族のためのプライヴェートな生
力顕示で身の安全」を得るため、
「人を畏れさせ
活空間」というゴールドスウェイトのパラッツォ
感銘を与える」ことを日常の生活機能以上に重視
像に批判を加え、この建築類型がむしろ社会に開
したというものである。しかしこれはやや図式的
かれた半ば公的な場であったと主張した(53)。
述べた説明がもっとも一般的であった
に過ぎ、またパラッツォの巨大な外観にこそ妥当
ケントは、中世的大集団解体後の当時のフィレ
な説明であるが、室内空間については必ずしも十
ンツェにあって、有力者を中心に「友人、隣人、
分な説得力がないように思われる。一方ゴールド
親戚」と呼ばれる利害関係や婚姻関係、交友関係
スウェイトは、日常生活そのものの単位である家
などで結ばれた親近ネットワークが成立し、党派
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
的機能を担っていた事実に注目する。そしてこの
である。ゴールドスウェイトの主張する内向きの
ある種の「派閥」もしくは「クリエンテーラ(親
核家族的生活は、少なくともメディチ家の場合に
分子分関係)
」の中核としての役割を、
パラッツォ
は存在しなかったのである。
は実際的機能と象徴的機能の両面で担っていたと
(54)
考えたのである
。
またコジモの右腕で、後にメディチ家に反旗を
翻したルカ・ピッティの事例も、党派の拠点とし
実際、近年の歴史研究は、中世的集団主義の解
てのパラッツォの在り方を裏付ける。同時代人の
体が単に小規模の家族や個人の台頭をもたらした
証言によれば、彼の建てたパラッツォ・ピッティ
だけでなく、却って「家系」意識の芽生えや、上
には、彼が権勢を誇る間は「宮廷」があり、市民
述のような各種の親近ネットワークの誕生をもた
たちが政治的協議をおこなうべく集っていたと
(55)
らしたことを明らかにしている
。前述のよう
いう。しかしピッティが失脚した後は、
「孤立し、
に、パラッツォの居住者が確かに施主とその直近
独りで家に籠もり、彼を訪れて政治について語ろ
の少数の家族と召使いであったことは確かであ
うとする者は誰もいなかった」というのである(59)。
る。
しかし前述のように、
たとえば池上のいう、
「近
さらに前述のジョヴァンニ・ルチェッラーイも
隣集団・親族集団」による「複雑で重層的な親近
また、キケロの意見を敷衍しつつ次のように述べ、
ネットワーク」がその周辺に構築されていたので
当時のパラッツォの設計において、多くの来訪者
ある(56)。とすれば、確かにケントの主張するよ
の存在が重要な前提条件とされていたことを示唆
うに、
このような親近ネットワークもまた、
パラッ
している。
ツォの使用者と見なすのが妥当であろう。この見
「裕福な人物の家においては、多くの客人が迎
方においては、パラッツォをプライヴェートな住
え入れられるべきであり、また客人たちは寛大に
居とみなすゴールドスウェイトとは正反対に、大
もてなされるべきである。さもなければ、広い家
勢の支持者や縁者たちに開かれた公的な場と解釈
を建てることは、主人にとっての不名誉となるで
することができるのである。
(60)
あろう」
メディチ党に代表される新しい親近ネットワー
党派の拠点としてのパラッツォの役割はまた、
クは、中世の大集団のような血縁や土地などの物
政治的危機の際にも発揮された。前述のルカ・ピッ
理的で明確な紐帯を持たない。その代替となった
ティの失脚の契機ともなった 1466 年の反メディ
のが、やはりメディチ家に典型を見るように、経
チ陰謀の際には、それぞれの党派のパラッツォが
済・政治における力は当然ながら、さらには思想
私兵たちの拠点となった(61)。ピッティはその館
や芸術にまで及ぶ、ある種の文化的・象徴的な力
に数百名もの兵を入れ、一方メディチ側はパラッ
であった。コジモ・イル・ヴェッキオにとっては、
ツォ・メディチを守るバリケードを築いた。また
ドナテッロの芸術や新プラトン主義の哲学もまた
争乱時以外にもルネサンスのパラッツォに相当数
その銀行と同程度に彼の政治力の基盤となったの
の武器が備えられていたのは明らかで、例えば
(57)
であり
、同様にしてミケロッツォに造らせたそ
の館もまた、
党派の結束の象徴だったはずである。
実際、パラッツォ・メディチはしばしば婚礼や
プッチ家のある館には 70 もの長槍を含む武器が
備えられていた(62)。
一方ゴールドスウェイトとケントがともに重視
外国の賓客の接待などの祝祭の場となっただけで
しているのは、パラッツォと「家系」意識との関連、
なく、それ以外の時にも「常に市民たちで満ちて
すなわち「ダイナスティの土台」という、家系の
いた」と伝えられている(58)。同パラッツォに集っ
象徴的中核としての邸館の役割である(63)。1489
た群衆はもちろん通りすがりの人々ではなく、何
年に建設が開始されたこのフィレンツェ・ルネサ
らかの利害関係でメディチ家と結ばれた人々、あ
ンス最大規模のパラッツォについて、施主のフィ
るいは少なくともそれを期待した人々だったはず
リッポ・ストロッツィ(1426 − 91)は遺言書で
金山弘昌:
「家屋もしくは邸館」
事細かな規定を残し、館には一族の直系の子孫が
究なども参照しつつ(69)、パラッツォの特徴の多
住むか、少なくとも一族のものだけが住むべきと
くが、まさしく来訪者を迎えるという目的に起因
し、もし断絶した場合さえ、政府に寄贈すること
している可能性を提示した。これはケントの提唱
で同郷の他の家系出身者の手には決して渡らない
した、クリエンテーラの中核としての、いわば政
ようにせよとの遺訓を息子たちに残したのである
治的集会所、取引所、もしくは社交場としてのパ
(64)
。パラッツォを同じ家系の出身者、しかも多
ラッツォ像とまさに符合する。たとえば 1492 年
くは当主の家族にのみ相続させるという条項は、
のロレンツォ・デ・メディチ(1449 − 92)の遺
同時代の他の遺言にも多く見出される。またこれ
産目録によれば、中庭に総延長 80 ブラッチャ(約
も同時代の一般的な習慣であるが、ストロッツィ
46.6 m)に及ぶベンチが設えられており(70)、実際
はパラッツォの建設を一族の将来と象徴的なレベ
同時代人は、ロレンツォに拝謁しようとする人々
ルで重ね合わせており、そのため定礎式に際して
が 40 名以上も中庭に屯し、数時間も待つ有り様
は、わざわざ占星術師に幸運な日時を占わせたほ
を伝えているのである(71)。
どであった(65)。
さらにプレイヤーは、比較的勢力の小さい一族
もっともゴールドスウェイトとケントは、この
の館であるパラッツォ・コルシ・ホーンにおいて
「家系」意識とパラッツォの結びつきが私的公的
さえ、前述のごとく巨大な暖炉と儀礼的な流し台
いずれの性格のものかという点においては対照的
が存在したことに注目し、それが少数の家族のた
である。前者は、館の所有権の分割を防ぐために
めだけのものとは考えがたく、むしろ多数の来訪
多くの遺言に盛り込まれた、当主(大抵は長男)
者のための、そしてとりわけ祝祭時のための設備
の家族のみが継承するという条項に注目し、代は
ではないかと推測している(72)。このことからプ
変わっても常に個人と核家族のプライヴェート
レイヤーはさらに論を進め、少人数の家族に似合
(66)
な館である点を強調する
。一方ケントは逆に、
わぬ巨大で豪華な室内が、クリエンテーラの中核
象徴的なレベルにおいてではあっても、パラッ
としてだけではなく、祝祭の場としての機能をも
ツォは実際に居住する施主とその家族にとってだ
重視した結果ではなかったかとの仮説を提示して
けでなく、他の場所に住む一族全体にとって共通
いる。
の価値を持つものであったと解釈している。実際
以上のような、ケントとプレイヤーの主張は、
ストロッツィ家の場合、その分家がイタリアの他
ルネサンス期フィレンツェのパラッツォを、前述
の各都市に分散していたのだが、それら枝族の書
のゴールドスウェイト説とは正反対の、個人の住
簡には、本家であるフィリッポ・ストロッツィの
居であると同時にまた社会に開かれた施設として
大規模な建設事業が、
施主本人と一族のみならず、
理解するものである。そもそも当時の有力市民個
他の各地の同族にとっても名誉であると述べられ
人とその家族の生活そのものが、近代的なプライ
(67)
ている
。
ヴァシーを志向するそれとは異なり、「友人、隣
以上に紹介したケントの所説を援護しつつ、こ
人、親戚」との濃密なネットワークによる公的性
の論議に参加したのが、今やルネサンス期フィレ
格を備えたものであり、そのようなルネサンスの
ンツェのパラッツォ研究の第一人者であるブレン
生活に最適化された施設がパラッツォだったので
ダ・プレイヤーである。プレイヤーは、1998 年
ある。
の論文、『フィレンツェのパラッツォにおける来
そしてこの解釈に従うならば、16 世紀のヴァ
訪者のための建築計画』の中で(68)、上記のケン
ザーリが伝える、パラッツォ・メディチの設計に
トを擁護する立場からこの問題についての再検討
際してコジモ・イル・ヴェッキオが示した躊躇の
をおこない、ブルストによるパラッツォ・メディ
真の理由が推察されるであろう。その逸話によれ
チの当初の平面計画と各部屋の用途についての研
ば、ブルネッレスキの提案を見たコジモは、
「あ
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
まりに豪奢で壮大な建物のように思われ、出費
的解釈とも一致しており、さらに加えて近年の社
のこと以上に人々の嫉妬をかわないために」(73)、
会史や家族史の研究が示す当時のフィレンツェの
それを実施しなかったという。コジモが恐れたの
社会像とも見事に一致していることはいうまでも
は、単に彼の財力に対する一般市民たちからの嫉
ないであろう。
妬だけでなく、クリエンテーラの中核としての豪
一方ゴールドスウェイト説が示すような個人と
華なパラッツォが潜在的に有する、政治的機能そ
核家族のための「プライヴァシーの世界」は、先
のものに対しての政敵たちの嫉妬でもあったに違
立つ中世の家屋にも、後の 16 世紀盛期ルネサン
いないのである。
ス以後のパラッツォにも極めて限定的な形でしか
6.結びにかえて:公的な場としての
パラッツォ、象徴的装置としての
パラッツォ
見出し得ない特異なもので、ゴールドスウェイト
自身が 15 世紀フィレンツェだけの特徴であると
(74)
主張しているほどである
。従ってこの説を証
明するためにはこの都市国家における同時代の実
以上でルネサンス期フィレンツェにおけるパ
際のパラッツォの用法に関する今以上の史料が必
ラッツォの形式と機能について概説し、豪華な私
要となるであろうが、ゴールドスウェイト自身が
邸建設の倫理的位置づけと、当時の社会における
それを果たし得なかった以上、現状においてもほ
その具体的な役割について検討を加え、とりわけ
ぼ不可能と思われる。
後者については、ゴールドスウェイトによる最初
もっともこのことは、ゴールドスウェイトの業
の提案とその問題点、そしてケントとプレイヤー
績を貶めることにはならないであろう。ゴールド
による反論を紹介した。
スウェイトこそが、パラッツォの普及と社会変動
結論に代わる本章ではまず、この対照的な二つ
の相関性についての注目をその後の研究者たちに
の説について、論者の現状における見解を改めて
促した先駆者なのであり、多くの建築史家や美術
確認しておきたい。ただしすでに 2 章で説明した
史家たちが建築家の問題に専念している中で、施
通り、決定的な史料の不在故に、論者の見解もま
主や使用者の問題に始めて本格的な注意を促した
た暫定的なものに留まらざるを得ないであろう。
功労者なのである。さらにまたプルクハルト以来
具体的な機能、用法に関する限り、やはり今日
のテーゼである「個人」の台頭というルネサンス
の研究状況においては、ケントとプレイヤーの見
観を基本としたその解釈は、たとえパラッツォの
解がより妥当であるように思われる。なぜなら、
実態とはかけ離れているとしても、同時代に同様
決定的な史料の裏付けこそ欠くものの、彼らが示
に急速な発達を見せた郊外のヴィッラ(別荘)に
すような、来訪者への応対のために豪華で祝祭的
は十分応用可能であるように思われる。
な舞台を提供するという半ば公的な社会に開かれ
ともあれ論者があくまで強調したいのは、本稿
た領域としてのパラッツォ像には、2 章で紹介し
で紹介した両説のいずれに拠るにせよ、巨大な規
たアッパルタメントの用法に代表される、16 世
模や独立したファサードなど、ルネサンスのパ
紀以降のパラッツォの役割との明らかな整合性が
ラッツォの形式的特徴の重要な部分は、純粋に美
認められるからである。15 世紀フィレンツェの
的な動機に起因するのではなく、むしろ中世から
パラッツォで繰り広げられた公的儀礼は、いまだ
ルネサンスにかけての大きな社会変動によって生
各種の部屋の序列化されたシステムや大勢の廷臣
じた、個人と家族をとりまく新たな環境に起因し
の存在を欠き、あくまで過渡的なものであったに
ていたという事実である。
せよ、すでに着実な発展の歩みを始めていた可能
さらにこの点を補強する論拠として、同様に家
性は少なくない。そしてまたこのような公的性格
族制度の変容に起因する他の社会的文化的現象と
は、3 章で紹介した当時の私邸建設に対する倫理
パラッツォの流行との間に、明白な並行関係が見
金山弘昌:
「家屋もしくは邸館」
られることを併せて指摘しておきたい。
それは市民の間での姓や家紋の使用の普及であ
(75)
人」とは異なる(77)。ルネサンスの「万能人」た
ちは、古代の模範を模倣しつつ多様な「ペルソナ
。前述のように、中世のコンソルテリーア
(仮面)」、すなわち虚構的人格を身に着け、社会
に取って代わったルネサンスの「親近ネットワー
と自身に対し変幻自在の演技をし続ける存在であ
ク」は、前者のような血縁や地縁といった実体的
る。
る
紐帯を欠き、個人間の友情や利害関係、婚姻関係
この見方を採るのであれば、フィレンツェのパ
などを紐帯としており、柔軟で多様ではあるが時
ラッツォの自己主張もまた、このある種の虚構的
に脆弱であった。また同族の中でさえも、財産分
人格を、社会と自分自身に対して示すことを目
与や亡命などによる異国への分散の結果、個人間
的にしたものと考えられよう。実際、3 章で紹介
や家族間の関係は、より希薄で物理的実体を欠く
したように、ルカ・ピッティらの私邸建設の動機
ものとなっていた。この状況下、池上が明確に指
は、自らの地位にふさわしいものへの欲求であっ
(76)
摘しているように
、新たなネットワークを補
た。また 2 章で触れたフィラレーテによるパラッ
強するための修辞として、姓や紋章などの各種象
ツォ・メディチの記述では、広壮な建物や部屋、
徴という「抽象的な絆」が要請されたと考えられ
そこに置かれた美術品などを記述する際、
「立派
るのである。この解釈は、都市の文脈の中で独立
な(degno)」という形容が多用されているが(78)、
性を主張する古代風の装飾を纏ったファサード
この語には「ふさわしい」の意も含まれている。
や、巨大で豪華な室内空間にも適用可能である。
さらに 3 章で紹介したパルミエーリの戒めも同様
つまりパラッツォは、その物理的機能において施
のことを語っている。建築や室内装飾の美的価値
主とその家族、そして彼らをとりまく親近ネット
はあくまで館の主人個人と結びつき、その倫理的
ワークの生活やその他の活動の拠点となるだけで
あるいは社会的価値にふさわしいものでなければ
なく、ネットワークの紐帯を象徴的に強化する祝
ならなかったのである。つまりパラッツォはその
祭や儀礼の舞台として機能し、さらには建物自体
施主や主人にとって一種の鏡像、肖像画であり、
が象徴的な紐帯の役割を担ったのである。
しかもそこに映し出されたのは、生身の彼の人格
最後に論じておきたいのが、ケント説では重視
ではなく、あくまで彼が模倣すべき模範として機
されていない「建築的個性」の問題である。ハイ
能する、ルネサンス的な虚構のセルフ・イメージ
マンとゴールドスウェイトが注目したこの特徴は
に他ならなかったのである。
確かに無視できず、実際的用法においてこそゴー
実際的生活に関する限り、パラッツォは主人や
ルドスウェイトの唱えるような「プライヴァシー
家族の生活以上に、その公的な活動を重視して設
の世界」
を見出すことは困難であるものの、
パラッ
計、装飾されていたと考えられるわけであるが、
ツォが常に施主や主人個人のイメージと常に表裏
象徴としてそれに込められたメッセージは、公私
一体であったことは、3 章で紹介した通り明らか
両面に向けられたものだったのである。中世的な
である。つまりパラッツォが象徴的なレベルにお
集団主義が崩壊していく中、美しく装われた巨大
いてはルネサンス的個人主義の明白な主張であっ
なパラッツォは、門閥の代替として成立した親近
たということもまた事実なのである。
ネットワークにおいては結束の絆として、そして
ただしブルクハルト的史観、すなわちルネサン
集団的アイデンティティーの代わりにルネサンス
スの個人主義を近代的個人主義の萌芽と見なす考
的個人主義を身にまとった個人においてはあるべ
えは、今日必ずしも有効ではないことを改めて認
き姿の自画像として、必要とされたのである。
識して置かねばならない。池上が指摘しているよ
うに、
今日の研究が明らかにするルネサンスの「個
人」は、近代以降の恒常的「人格」を備えた「個
注
( 1 )Dei, B.,
’
’
,
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
Archivio di Stato di Firenze, Mss. 119, c. 34v.
は 以 下。Brucker, G. A.,
in Romby, G. C.,
Berkley, London, 1983. 藤沢道郎『メディチ家
, Firenze,
,
はなぜ栄えたか』講談社,2001.池上俊一『万
能人とメディチ家の世紀』講談社,2000.また
1976, p. 51.
( 2 )Kent, F. W.,“The Making of a Renaissance
上記近刊 2 著については以下の書評も重要。石
Patron of the Arts”,Kent, F.W.; Preyer,
黒盛久「フィレンツェ・ルネサンスをめぐる二
B.; Sanpaolesi, P.;
冊の本」
『北陸都市史学会誌』
,
第 10 号,2004 年,
.,
pp. 1-8.
Ⅱ:
( 6 ) ルネサンス期フィレンツェのパラッツォに関す
, London, 1981, p. 13.
(3)
「顕示的消費」という古典的概念については以
るおもな参考文献は以下(なお個々のパラッツォ
下。T・ヴェブレン,『有閑階級の理論』高哲男
についてのモノグラフは除く)
。H. Stegmann - H.
訳,ちくま学芸文庫,1998.
v. Geymüller,
, Band 1-4, München, 1885-1907. Bucci, M.;
( 4 )Goldthwaite, R. A.,“The Florentine Palace
as Domestic Architecture”,
, 77(1972)
,pp. 977-1012. Goldthwaite,
Bencini, R.,
, 4 voll., 1971-73.
Fanelli, G.,
,Firenze,
1973(ed. 2002)
.Ginori Lisci, L.,
R. A.,
, 2 voll., Firenze, 1985(1st
, Baltimore; London,
1980. Kent, F. W.,“Palaces, Politics and So-
ed. 1972)
.Mandelli, E.,
, Firenze, 1989. Maffei, G.
ciety in Fifteenth-Century Florence”,
L.,
, 2, 1987, pp. 41-70.
( 5 )パラッツォの社会的側面や機能についてのおも
’
, Venezia, 1990. Saalman, H.,
な研究は以下。Goldthwaite, R. A.,“The Building
of the Strozzi Palace: The Construction Industory
, 1300 - 1550, N.Y., 1996. ’
, Restucci, A.. ed.,
in Renaissance Florence”
,
, Bowsky, W. M., ed., Vol. X,
Siena, 1997.
( 7 )Hyman, I.,
Lincoln, 1973, pp. 97-194. Kent, F. W.,
, N. Y., 1977(Ph. Diss. N. Y.
, Princeton,
1977. Kent, F. W.,“
‘Più superba de quella de
Lorenzo’:Courtly and Family Interst in the
Univ., 1968)
,pp. 5-35.
( 8 )中世の家屋や塔については以下。Fanelli, 1973.
Maffei, 1990. Macci, L.; Orgera, V.,
Building of Filippo Strozzi’
s Palace”
,
, 30, 1977, pp. 311-23. Rubinstein,
N.“Palazzi pubblici e palazzi privati al tempo
di Brunelleschi(Problemi di storia politica e
sociale)
”
,
, Firenze, 1980, I,
, Firenze, 1994.
( 9 )Thornton, P.,
, London, 1991, pp. 300-312.
pp. 27-36. メデイチ家のパトロネージについての
(10)Goldthwaite, 1972, p. 987, fig. 6.
おもな参考文献は以下。Fraser Jenkins, A. D.,
(11)Preyer, B.,
, Roma, 1993, pp. 85-87.
“Cosimo de’Medici’
s Patronage of Architecture
Preyer. B.,“Planning for Visitors at Floren-
and the Theory of Magnificence”
,
, Vol. 33, 1970, pp.
162-170. ゴンブリッチ「芸術のパトロンとして
の初期メディチ家」
,
『規範と形式−ルネサンス
tine Palaces”,
, 12, 1998,
pp. 357-374(366-373)
.
(12)ヴァザーリ『ルネサンス彫刻家建築家列伝』森
美術研究』岡田温司他訳,中央公論美術出版 ,
田義之監訳,上田恒夫,石鍋真澄,日高健一郎,
1999, pp. 107-168(初出 1960). 森田義之『メ
ディチ家』講談社現代新書,1999.Kent, D.,
小佐野重利,篠塚二三男,上村清雄,佐藤康夫,
’
,
London, 2000. Vitiello, M.,
越川倫明訳,白水社,1989 年,p. 137.
(13)Saalman, 1996, p. 38.
(14)Hyman, 1977, p. 36.
(15)Saalman, 1996, p. 42.
, Roma, 2004. 一般史学のおもな概説書
(16)粗面仕上切石積みについては以下の拙論を含む
金山弘昌:
「家屋もしくは邸館」
邦語の論文も参照されたい。金山弘昌「一六世
1960, p. 118.
紀フィレンツェにおける粗面仕上げ切石積みの
(34)Rubinstein, 1980, p. 32.
解釈」『美学』第 205 号,2001,pp. 42-55.飛ヶ
(35)Machiavelli, N.,
, Firenze,
谷潤一郎「パラッツォ・ルチェッライの腰壁に
1857(ed. anast., Firenze, 1990)
,p. 336. ヴァ
見られる網目積みを模した表面仕上げについ
ザーリ,1989,pp. 136,172.アルベルティ,
1982,pp. 272-273.
て」『建築史学』第 46 号,2006,pp. 21-52.
(36)キケロ『義務について』泉井久之助訳,
岩波文庫,
(17)Schiaparelli, A.,
, 2 voll., Firenze, 1908(ed.
1961 年,pp. 76-77.
(37)Palmieri, M.,
anast., Firenze, 1983.).
(18)Bulst, W. A.,“Die ursprüngliche innere
Aufteilung des Palazzo Medici in Florenz”,
, Belloni, G., ed., 1982,
p. 194.
(38)Rubinstein, 1980, p. 31.
(39)Kent, F. W., 1987, p. 53.
, 14, 1969/70(1970),No. 4, pp.
369-392. Hyman, 1977. Bulst, W. A.,“Uso
(40)Kent, F. W, 1987, p. 67. Preyer, B.,“Florentine
palaces and memories of the past”,
e trasformazione del palazzo mediceo fino ai
Riccardi”,
,
Cherubini, G.; Fanelli, G., ed., Firenze, 1990,
pp. 98-129. Thornton, 1991. Preyer, 1998.
(41)ゴンブリッチ,1999,p. 116.Goldthwaite, 1972,
p. 991.
(19)Hatfield, R.“Some Unknown Descriptions of
the Medici Palace in 1459”,
, Ciappelli, G.,
Cambridge, Mass., 2000, pp. 176-194.
,
Vol. 2, No. 3, 1970, pp. 232-249.
(42)Goldthwaite, 1980.
(43)Goldthwaite, 1972.
(44)ゴールドスウェイトの著作についてのおもな書
(20)L. B. ア ル ベ ル テ ィ『 建 築 論 』 相 川 浩 訳, 中
央公論美術出版,1982.Francesco di Giorgio
評 は 以 下。Rubinstein, 1980. Hayman, I.,“The
Building of Renaissance Florence(review)
”
,
Martini,
, 40,
, Maltese, C., ed., Milano, 1967.
(21)Filarete,
1981, pp. 332-333. Partner, P.,“The Building of
, Finoli, A. M.;
Renaissance Florence(review)
”
,
Grassi, L., ed., Milano, 1972, pp. 695-697.
(22)アッパルタメントについてはおもに以下を参照
さ れ た い。Thornton, 1991. Waddi, P.,
, 41, 1982, pp.
60-61. Burroughs, C.“Florentine Palaces: Cubes
and Context”
,
, 6, 1983, pp. 359-363.
Kent, F. W., 1987.
, Cambridge, Mass. & London 1990. 金
(45)Goldthwaite, 1972, p. 985.
山弘昌「宮廷と宮殿:17 世紀のピッティ宮に
(46)Hyman, 1968
(1977)
,p. 2.
おける宮廷儀礼と建築の関連」『西洋美術研究』
(47)Herlihy, D.; Klapish-Zuber, C.,
No.12, 三元社,2006, pp. 68-86.
,
(23)Bulst, 1990.
Bensi, M., trad., Bologna, 1988, p. 641, 646.
(24)Saalman, H.; Mattox, P.,“The First Medici
Palace”,
(48)Goldthwaite, 1972, p. 1003.
(49)Goldthwaite, 1972, p. 997.
, 44, 1985, pp. 329-345.
(50)Goldthwaite, 1972, p. 1005.
(25)Saalman, 1996, pp. 36-37.
(51)Goldthwaite, 1972, p. 1008.
(26)Thornton, 1991, p. 312.
(52)J・S・アッカーマン『ミケランジェロの建築』
(27)Goldthwaite, 1980, p. 106.
中森義宗訳,彰国社,1976 年,pp. 135-136.
(28)Fraser Jenkins, 1970.
(53)Kent, F. W., 1987.
(29)Fraser Jenkins, 1970, pp. 162-163.
(54)Kent, F. W., 1987, pp. 58-65.
(30)Alberti, L. B.,
(55)池上,2000,pp. 183-189.
, Grayson, C.,
ed., Bari, 1960, p. 260.
(56)池上,2000,p. 188.
(31)Alberti, 1960, p. 141.
(57)藤沢,2001.
(32)L. B. アルベルティ,1982, p. 273.
(58)Kent, F. W., p. 61.
(33)
:“
”,Perosa, A., ed., London,
(59)Kent, F. W., pp. 62-63.
(60)
Ⅱ ,1981, p.
,
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
84. キケロ,1961,pp. 76-77.
(70)Preyer, 1998, p. 359.
(71)Trexler, R.,
(61)Kent, F. W., 1987, p. 64.
,
N. Y., 1980, pp. 447-448.
(62)Kent, F. W., 1987, p. 64.
(63)Goldthwaite, 1972, pp. 991-992. Kent, F. W.,
(72)Preyer, 1998, pp. 366-370.
(73)ヴァザーリ『ルネサンス彫刻家建築家列伝』森
1987, pp. 46-47.
(64)Goldthwaite, 1972, p. 991.
田義之監訳,白水社,1989,p. 136
(74)Goldthwaite, 1980, pp. 109-111.
(65)Strozzi, L.,
, Bini, G., ed., Firenze,
1851, p. 71.
(66)Goldthwaite, 1980, p. 111.
(75)Molho, A.,“Names, Memory, Public Identity,
in Late Medieval Florence”,
, 2000, pp. 237-252.
(67)Kent, F. W., 1977.
(76)池上,2000,p. 185.
(68)Preyer, 1998.
(77)池上,2000,pp. 201-213.
(69)Bulst, 1990.
(78)Filarete, 1972, pp. 695-697.
金山弘昌:
「家屋もしくは邸館」
“Casa overo palagio”: le funzioni ed i significati sociali
dei palazzi nel Quattrocento fiorentino
Hiromasa KANAYAMA*1
Synopsis
Giovanni Rucellai scrisse nel suo famoso
che “due cose principali sono quelle che gl’uomini fanno in que-
sto mondo: la prima lo’ngienerare, la seconda l’edifichare”. Queste parole testimoniano chiaramente l’importanza
sociale che i signori del Rinascimento davano ai loro palazzi.
In questo testo si desidera trattare brevemente delle funzioni e dei significati sociali dei palazzi del Rinascimento
fiorentino e, a tale scopo, seguendo le ricerche portate avanti da Goldthwaite, da F. W. Kent e da Preyer, si vuole
esaminare soprattutto la base morale che promuoveva l’attività edile e l’influenza del cambiamento assai drastico
del legame socio-familiare che la società rinascimentale subì dopo lo scioglimento della consorteria medievale.
Per ciò che attiene l’influenza del cambiamento sociale, è stato preso in esame soprattutto il dibattito sorto
intorno all’ipotesi avanzata da Goldthwaite, ovvero se il palazzo rinascimentale di grandi dimensioni e ricco di
ornamenti era davvero un “rifugio privato del padrone e della sua familia nucleare”, oppure se esso rappresentava
il “centro politico-sociale dei vicini, amici, e parenti, cioè della clientela”, come invece sostiene Kent.
Dallo studio dei caratteri architettonici dei palazzi e dei documenti coevi si può affermare che l’ipotesi di Kent
è valida. Inoltre si ritiene che la grandezza e i caratteri artistici dei palazzi assumevano il valore simbolico di
rappresentare l’allora nuova rete sociale basata sulle relazioni fra gli individui che si stava sostituendo a quei
legami fisici fondati sulla consanguineità e convivenza che invece erano le fondamenta della consorteria medievale.
Key words
History of architecture, Italy-15th Century; residential architecture, Italy-History-15th Century;
Renaissance; Firenze-Italy; Medici family
*1 Faculty of Human Cultural Sciences and Business Administration, Nihonbashi Gakkan University
NIHONBASHI GAKKAN UNIVERSITY Bulletin No.6
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
原著論文
ネットワーク・サーバのパフォーマンス
チューニングのための基礎実験
田 中 二 郎*1
ネットワーク・サーバを効率よく稼動させ、パフォーマンスを向上させることは、システム構
築・維持においての重要な目標のひとつである。そのために、アプリケーションレベルでのベン
チマーク・プログラムや解析ソフトが数多く考案されている。
一方、CPU、メモリ、ネットワーク、ディスク・ドライブといった個々のハードウェアの構成
要素についても、多くのベンチマーク・プログラムが考案されている。ただ、こうした測定結果
は、アプリケーション的な観点からの平均値の測定であって、ハードウェアの限界性能を検証し
たものは少ない。
本研究では、まず個々のハードウェアの構成要素の限界性能を計測し、その計測値とデータ
シートより計算される理論値とを比較し、
計測方法の妥当性を検証する。次に、
個々のハードウェ
アの構成要素が限界となるような環境でのパフォーマンス測定をおこない、アプリケーション全
体のチューニングへの一助とする手法を提案する。
キーワード
ネットワーク・サーバ パフォーマンス・チューニング ベンチマーク
1.基礎実験
は、負荷用のクライアントにも使用した。
ク ラ イ ア ン ト 3 台 の う ち 2 台 は、1.5 GHz の
1.
1 実験装置
本実験では、サーバを 1 台、負荷をかけるため
のクライアントを 3 台使用した。
サーバのハードウェアは、ASUS 製のマザー
(1)
し使用した。このネットワークインターフェース
イ ン テ ル Pentium4 を 使 用 し、 残 り の 1 台 は イ
ンテル Celeron 566 MHz を使用した。メモリは
512 MB から 768 MB である。
を主として自作したものを使
OS は、サーバ、クライアント共に UNIX 系の
用 し た。P5LS2-V は、LGA775 ソ ケ ッ ト CPU
FreeBSD(3) を使用した。バージョンは 6.1#0 で
に 対 応 し、 チ ッ プ セ ッ ト は イ ン テ ル 954 G と
あり、特記しない限り基本設定を変更せずに計測
ICH7R を使用している。CPU には動作周波数
した。
ボード P5LD2-V
3 GHz のインテル Pentium4 を使用した。メモリ
サーバとクライアントとの間は、バッファロー
は 512 MB を 2 枚、
計 1 GB を搭載した。ハードディ
製のハブ LSW-GT-8ES(4)を使用し、カテゴリ 6
スクは、日立製の Deskstar 7K500 などを使用し
のイーサネットケーブルで接続した。また、サー
た。ネットワークインターフェースは、動作実績
バやクライアントは、別回線で制御用のパソコン
(2)
の高いインテル PRO/1000
を PCI バスに挿入
2006 年 9 月 30 日受理
Basic experiment for performance tuning of network server
*1 Jiro TANAKA
日本橋学館大学人文経営学部
と接続した。全体の接続を、図 1 に示す。
1.2 ハードディスク
計測に使用したハードディスクは、日立製の
Deskstar 7K500 シ リ ー ズ の HDS725050KLA360(5)
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
HUB 1
HUB 2
192.168.1.100
Server
192.168.0.100
192.168.1.101
Client 1
192.168.0.101
192.168.0.1
192.168.1.102
Client 2
192.168.0.102
192.168.1.103
Client 3
192.168.0.103
PC
図 1 接続図
である。ドライブの仕様を表 1 に示す。
計測には /bin/dd を用い、バッファを 8 MB、
送の速度 (Bytes/s)は = * / *60 となる。
計算結果を図 3 に示す。
転送量を 1 GB とした。読み出しは「dd if=/dev/
ヘッドの切り替え時間などを考慮して計算した
ad8 of=/dev/null bs=8 M count=128 skip= ディス
値(Sustained)は、実測値とよく一致している。
ク 位 置*128」
、 書 き 出 し に は「dd if=/dev/zero
したがって、基本的なソフトウェアである dd に
of=/dev/ad8 bs=8 M count=128 skip= ディスク位
より、ディスクの読み出し転送速度が計測できる
置*128」
を実行し、
その転送速度を計測した。ディ
ことが判明した。
スク内の位置に対する転送速度の変化を図 2 に示
す。
1.3 ネットワーク
書き込み速度は、ディスク内の位置にかかわら
ネットワークの性能については、クライアント
ず、ほぼ一定である。これは、書き込みは OS や
からサーバに対して /sbin/ping コマンドにより
ディスクドライブがバッファリングしているた
ICMP(Internet Control Message Protocol)メッ
めであると推察される。しかし、読み出し速度
セージを繰り返し送り、その通信速度を、サーバ
は、ディスク内の位置によって大きく変化してい
において /usr/bin/systat コマンドにて計測した。
る。これは、ディスクの外周と内周での記録密度
ICMP メッセージは 8 オクテットのヘッダと、
の違いがあらわれていると推察される。そこで、
任意長のデータからなるが、イーサネットの 1
7K500 シリーズのデータシートより、読み出し
フレームが最大 1500 オクテット(Byte)のデー
速度の理論値を計算した。ディスクは 30 のゾー
タより構成されることから、ICMP メッセージの
ンにわけられ、各々のゾーンにおいてシリンダあ
データ長を 1472 オクテットとすると、IP ヘッダ
たりのセクタ数が異なっている。シリンダあた
の 20 オクテットとあわせて、1500 オクテットの
りのセクタ数を 、セクタあたりのバイト数を
イーサネットフレームを構成することとなる。
(Bytes)
、回転数を (rpm)とすると、データ転
田中二郎:ネットワーク・サーバのパフォーマンスチューニングのための基礎実験
表 1 ハードディスクの仕様
Label capacity (GB)
500
Bytes per sector
512
Number of sectors
976,773,168
Total logical data bytes
500,107,862,016
Interface transfer rates (Mb/s)
300
Data buffer size (MB)
16
Rotational speed (rpm)
7200
Mechanical positioning performance (ms)
8.2
Single Track Seek Time (ms)
0.8
Full stroke seek time (ms)
14.7
Latency Time (ms)
4.17
MB/s
80
70
write
60
50
read
40
30
20
10
0
0
50
100
150
200
250
300
図 2 位置と転送速度
350
400
450
GB
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
MB/s
80
70
Instantanous
60
50
Sustained
40
30
20
10
0
0
50
100
150
200
250
300
350
400
450
GB
図 3 読み出し転送速度(計算値)
IP header ICMP header
(20 octets) (8 octets)
Data
(1472 octets)
しかし、ICMP メッセージに応答しなければな
らないことを考えると、単純な通信速度を計測す
65112 サーバ」というプロセスを起動し、サー
バ側で「/usr/bin/systat -if 1」により計測した。
クライアント側のプロセス数による転送データ速
度の変化を図 4 に示す。
るには、通信量に比して ICMP メッセージへの
11 プロセス(64 MB/s)をこえると、ネットワー
応答に必要な時間が無視できるように、データ長
クが飽和することがわかる。しかし、これだけで
をなるべく大きくすることが必要である。
そこで、
はサーバ側が飽和しているのか、クライアントの
データ長を 65112 オクテットとした。これにより、
能力によるものか、途中のネットワーク環境によ
ひとつの ICMP メッセージが 1500 オクテットの
るものかが判別できない。そこで、別のクライア
イーサフレーム 44 個として通信される。
ントからも ping プロセスを起動して、さらに計
IP header
ICMP header
Data
(20 octets)
(8 octets) (1472 octets)
IP header
Data
(20 octets) (1480 octets)
:
IP header
Data
(20 octets) (1480 octets)
測した。
さらに 8 プロセス以上を追加すると、ネット
ワークは 108 MB/s で飽和した。また、別クラ
イアントからさらに ping プロセスを起動しても、
飽和状態は変化しなかった。イーサネットでは、
ところで、OS のセキュリティ機能として、大
1 パケットにつき 21 オクテットの信号が付加さ
量の ICMP メッセージには反応しないよう設定
れるので、1500 オクテットのイーサネットフレー
されている。今回の測定では、この機能により
ムを連続して送出したとすると、IP パケットの
計測が妨害されないように、サーバ、クライア
9
データは、10 /8*1480/1521 = 116 MB/s の転送
ントともに、システム値 net.inet.icmp.icmplim を
速度となる。実験では、最大でその 93%の値を
65535 に設定した。
示しており、ほぼ限界の性能が出ていることがわ
測 定 は、 ク ラ イ ア ン ト か ら「/sbin/ping -fs
かった。
田中二郎:ネットワーク・サーバのパフォーマンスチューニングのための基礎実験
MB/s
120
100
80
60
40
20
0
0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10 11 12 13 14 15
ping
図 4 プロセス数とデータ転送速度
MB/s
120
100
80
60
40
20
0
0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10 11 12 13 14 15
ping
図 5 追加プロセス数とデータ転送速度
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
#/s
6000
5000
KeepAlive on
4000
3000
KeepAlive off
2000
1000
0
1
10
100
1000
10000
100000
request
図 6 KeepAlive の有無とリクエスト数によるサーバ速度の変化
MB/s
80
70
out
60
50
40
in
30
20
10
0
8M
M
12
M
64
M
32
16
8M
4M
2M
1M
2K
6K
51
8K
25
K
12
K
64
K
32
16
8K
4K
2K
1K
2
51
図 7 データ転送量と読み出し速度
田中二郎:ネットワーク・サーバのパフォーマンスチューニングのための基礎実験
さらにハブを交換しても、飽和状態に差はみら
速度が得られた。
れなかった。このことから、市販のハブは十分な
データ量が小さいときは Web サーバの応答性
性能を有しており、ハブがボトルネックとはなら
が支配的であり、データ量が大きくなるとネット
ないことがわかった。
ワークの飽和がボトルネックとなることがわかっ
た。
1.
4 サーバ
KeepAlive 有りの場合は、転送速度の変動が
(6)
Web サーバのソフトウェアには、Apache/2.2.2
を使用した。設定は初期値のままであり、マルチ
はげしく、ApacheBench による平均転送速度と、
systat によるピーク値の差が目立つ。
スレッドは使用していない。測定にはサーバ上で
ApacheBench(/usr/local/sbin/ab)を使用した。
2.2 並列リクエスト
まず、必要な測定数を知るために、KeepAlive
ApacheBench には、リクエストを複数同時に
の有無それぞれについて、リクエスト数を変化さ
おこなう機能(-c)もある。同時アクセス数を
せて「ab -k -n リクエスト数 localhost/」、「ab -n
100 にして測定した(図 10)。
リクエスト数 localhost/」を実行した(図 6)。
この結果、リクエスト数は 1000 で十分である
が、KeepAlive の有無による差異が 2 倍近くある
KeepAlive の有無によっては転送速度に大きな
変化はみられないが、小さいデータサイズのとき
の応答性は KeepAlive により改善された。
ことがわかった。
2.詳細実験
2.3 総合実験
クライアントからサーバに対して ApacheBench
2.
1 データサイズ
を実行した結果を、図 11 に示す。KeepAlive は
2.
1.
1 ハードディスク
off で、並列リクエスト(-c)の有無それぞれにつ
ハードディスクの読み込み速度について、1 回
いて計測した。
のデータ転送量の違いによるデータ転送速度の変
データサイズが大きくなると、60 MB/s で転
化を dd を用いて計測した。計測は、ディスク最
送速度が飽和している。これは 1.3 節で計測した
外周(out)と最内周(in)についておこなった。
クライアントの能力 64 MB/s という値に近い。
結果を図 7 に示す。
64 MB/s まで伸びないのは、1.3 節とは違って、
1 回の読み出しが 8 KB 以下では、システム処
イーサネットの 1 フレームが 1500 オクテットだ
理の時間が無視できなくなり、データの連続読み
けではなく、様々な大きさのフレームが生成され
出しができなくなる。その結果、読み出しが不連
ることから、全体としての転送速度の低下がお
続となり、速度が低下していることがわかる。そ
こっていると推測される。
れ以上のデータサイズでは、データシートからの
計算値と合致していることがわかった。
ま た、 ハ ブ を 100 BASE-T の も の に 変 更 し
て計測したものを図 12 に示す。この環境では
2.
1.
2 サーバ
11 MB/s でネットワークが飽和していることが
データ量の変化に対する応答速度とデータ転
わかった。
送速度を計測した(図 8)。データは 512 B から
データ数が小さいときは、サーバプロセスの生
1 GB まで、乱数を使って生成したものをサーバ
成時間やネットワークの遅延時間が原因で、計測
の DocumentRoot に置いたものを使用した。転送
値の変動が大きくなっていると推察される。
速度は ApacheBench(ab)と systat の両方で計
測したが、大きな差異はみられなかった。ネット
ワーク経由ではないので、最大 230 MB/s の転送
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
MB/s
300
#/s
3000
250
2500
#
2000
200
systat
ab
1500
150
1000
100
500
50
0
6M
8M
25
M
12
M
64
32
M
16
8M
4M
2M
1M
2K
6K
51
8K
25
K
12
K
64
32
K
16
8K
4K
2K
1K
2
51
0
図 8 データ量と応答回数、転送速度
MB/s
300
#/s
6000
250
5000
#
4000
200
systat
ab
3000
150
2000
100
1000
50
0
0
6M
8M
25
M
12
M
64
M
32
16
8M
4M
2M
1M
2K
6K
51
8K
25
K
12
K
64
K
32
16
8K
4K
2K
1K
2
51
図 9 KeepAlive ありの場合
田中二郎:ネットワーク・サーバのパフォーマンスチューニングのための基礎実験
MB/s
300
#/s
6000
250
on
5000
4000
200
3000
150
off
2000
100
1000
50
0
0
2M
51
6M
8M
25
12
M
64
M
32
M
16
8M
4M
2M
1M
2K
6K
51
25
8K
K
12
K
64
32
K
16
8K
4K
2K
1K
2
51
図 10 並列リクエスト数 100 の場合
MB/s
90
#/s
900
80
800
70
700
c=1
60
600
500
50
c=100
400
40
300
30
200
20
100
10
0
0
1G
2M
51
6M
8M
25
M
12
M
64
M
32
16
8M
4M
2M
1M
2K
51
6K
8K
25
K
12
K
64
K
32
16
8K
4K
2K
1K
2
51
図 11 ネットワーク経由の場合
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
MB/s
14
#/s
1400
c=100
12
1200
1000
10
c=1
800
8
600
6
400
4
200
2
0
0
1G
2M
6M
51
8M
25
M
12
M
64
M
32
16
8M
4M
2M
1M
2K
6K
51
8K
25
K
12
K
64
K
32
16
8K
4K
2K
1K
2
51
図 12 100 Mbps ハブの場合
3.まとめと課題
3.
1 測定ソフト
ハードディスクの基本性能を計測するには、
3.2 クライアントの能力
クライアントには、サーバと同等もしくはそれ
以上の処理能力が必要である。特に、大量のリク
データサイズに注意すれば、dd を使用すること
エストを同時に送出するためには、ネットワーク
に問題はない。
まわりのハードウェアとソフトウェアに、十分な
ネットワークの計測については、ひとつのクラ
能力が要求される。
イアントから ICMP メッセージを送るだけでは
不十分である。しかし、複数クライアントから複
3.3 ファイルシステムの影響
数の ping プロセスを実行すれば十分であり、そ
今回の実験では、サーバ側でファイルシステ
れを systat で計測するだけで、特別なソフトウェ
ムから読み出されるデータは一定のものであり、
アを準備する必要はない。
OS の内部でバッファリングされることが期待さ
ApacheBench は様々な設定での計測ができる
が、測定数値がオーバーフローしたときに表示が
れる。そのため、ファイルシステムの影響は測定
にあらわれない。
狂うバグがある。また、転送速度がピーク値でな
ただし、ハードディスクのパフォーマンスから
く平均値を表示するので、環境の変動により誤差
推察するに、ファイルシステムを構成するときの
が生じる。
データ量が大きい場合に異常終了して、
読み出し単位を 16 KB 以上にすることで、ファ
計測値が得られない場合もあった。さらに、複数
イルシステムの効率が向上することが期待され
のクライアントから同期してアクセスすることが
る。
できないため、大規模な実験には不適当である。
これらのことを考慮して、ApacheBench を改良
3.4 パフォーマンスチューニング
するか、別ソフトウェアを開発する必要がある。
データサイズが大きい場合、ネットワークがボ
田中二郎:ネットワーク・サーバのパフォーマンスチューニングのための基礎実験
トルネックとなる。この場合には、ソフトウェア
のチューニングではなく、ハードウェアの換装が
主眼となる。
逆に、
データサイズが小さい場合は、
ソフトウェ
アの設定をチューニングすることにより、サーバ
のパフォーマンスを改善することができる。
(2) インテル , PRO/1000 GT,
http://www.intel.com/network/connectivity/
products/pro1000gt desktop adapter.htm
(3) FreeBSD, http://www.freebsd.org/
(4) バッファロー , LSW-GT-8ES,
http://buffalo.jp/products/catalog/item/l/lswgt-8es/index.html
(5) 日立グローバルストレージテクノロジーズ,
Deskstar 7K500,
注
http://www.hitachigst.com/portal/site/jp/menui
(1) ASUS, P5LD-2V,
http://jp.asus.com/products4.aspx?modelmenu=
1&model=575&l1=3&l2=11&l3=0
tem.9c6856e3c11793518797c532aac4f0a0/
(6) Apache, http://httpd.apache.org/
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
Basic Experiment for Performance Tuning of
Network Ser ver
*1
Jiro TANAKA
Synopsis
To attain a performance improvement obtained from an efficient operation of the network server is one of the
most important objectives of the system construction and maintenance.
For such purposes a variety of benchmark programs and analytical tools on an application level has been
developed.
On the other hand, many benchmark programs have also been developed for each hardware as the system
component, such as CPU’s, memories, networks, disk-drives and so forth.
However, most of the efficiency measurement results so far published have been those which were tested from
an application performance point of view on an average concept and very few of them have been those derived
from testing of the performance limit of the component of hardware.
This study is concerned with a measurement of the performance limit of component of hardware and its
comparison with theoretical values which are calculated from the data sheet.
Thus, the adequacy of such test methods is examined.
In the next step the performance is measured in an environment, where each component of hardware reaches
its performance limit and finally, a method of technique, which may help the system attain an overall optimum
efficiency, is proposed.
Key words
netowrk server, performance tuning, benchmark program
*1 Faculty of Human Cultural Sciences and Business Administration, Nihonbashi Gakkan University
NIHONBASHI GAKKAN UNIVERSITY Bulletin No.6
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
原著論文
手動制御のスキル獲得過程における
オペレーターの脳波に関する研究
小 林 大 二*1 庄 子 洋 平*2 山 本
栄*3
人間を構成要素とするシステムの中には、大型船舶のように、入力操作時からその出力(効果)
が現れるまでの時間が比較的長いものがある。このようなシステムを制御するには、人間が常に
制御対象の動きを予測し操作のタイミングや操作量を判断しなければならない。このような制御
は「予測制御」と呼ばれ、システム応答が遅れるものほど挙動の予測が困難となり、制御が難
しいと言われている。
本研究では、人間のパフォーマンスはスキルの獲得、つまり操作に対する習熟による効果と
操作者の精神変動との関係を精神変動が表出する脳波に基づいて明らかにすることを目的とし
ている。シミュレータ実験を通して、操作者の予測制御のパフォーマンスと脳波の関係を調べた
結果、操作者が予測制御のスキルを獲得していく段階に応じて、正中線前頭部におけるθ波電
位に特徴的な変化が現れることが判った。正中線前頭部に表出するθ波は Fmθと呼ばれ、人間
の精神集中との関係が示唆されている。この知見に基づいて考察すると、スキルのレベルに応
じて、大脳での「予測制御」に関する認知処理への負荷が変化したと言える。人間のスキルレ
ベルと認知処理過程については、Rasmussen が“SRK-model”を提唱しているが、本研究での
結果は、このモデルの妥当性を裏付けるものであり、予測制御におけるスキル獲得と脳波との
関係がある程度明らかになったと言える。
キーワード
予測手動制御の習熟 背景脳波
1.はじめに
で制御する際の難点とも言えるが、具体例を挙げ
ると、大型タンカーや大型客船のような巨大な船
大規模なシステムでは手動制御による効果が現
は、操舵に対して船の反応が鈍い「出力の遅れが
れるまでに時間が掛かるといった性質を持つ。こ
極めて大きいシステム」である。従って、進行方
のような「出力の遅れが大きいシステム」を人間
向にある障害物の発見が遅れると、操舵による船
が制御する場合、制御結果をある程度予測しなが
の転回が間に合わず、障害物に衝突する。このよ
ら操作量を調節するといった技量が操作者に求め
うな船舶を始めとする、航空機、大型クレーンと
られる。これは、人間が大規模なシステムを手動
いったシステムを制御するには、訓練を通して資
格を取得することが一般に必要となる。本研究で
2006 年 10 月 1 日受理
Study on the operator’
s electroencephalogram in the process of
obtaining skills for manual control
*1 Daiji KOBAYASHI
日本橋学館大学人文経営学部
*2 Yohei SHOJI
東京理科大学大学院工学研究科
*3 Sakae YAMAMOTO
東京理科大学工学部
は、このような手動での制御が難しいシステムを
対象としている。
1.1 手動制御に関する先行研究
1960 年代から 1990 年代にかけて、人間工学
的な観点から手動制御に対する研究が行われて
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
い る( 林,1967,1968,1975,1978; 猪 岡 他,
られるか、どの程度ムラや無駄がなく、間違いの
1981)
。例えば、林(1978)は手動制御に対する
ない動きでタスクを実行できるか、といった時間
人間工学的な観点からの評価を行い、タンカーを
や距離などの尺度でスキルの獲得というものを捉
操舵する際の望ましい制御方法を探求している。
えようとした研究が多く行われてきた。手動制御
これらの研究について以下に説明を加える。
なお、
の場合については、制御値と目標値とのズレを偏
人間工学的観点とは「人間と機械とを一対一の閉
差量と称する尺度を用いて評価した例がある。
じたシステム(人間−機械系)と捉え、人間−機
一方、ヒューマンファクターズ(human fac-
械系の働きが最適となるように機械を人間に合わ
tors)という学際領域では、システムの構成要素
せる」といった考え方である。
である人間によるエラーを防ぐための研究が行わ
林は、操舵によるタンカーの反応の遅れを「一
れている。スキルの獲得に関して述べると、スキ
次遅れ」と呼ばれる関数で模擬している。この関
ルを獲得していないオペレーターの場合はエラー
数を式(1)に示す。
の頻度が高く、スキルを獲得したオペレーターは
C
H ( s ) = G ( s )࡮X ( s ) =
࡮X(s) (1)
Ts + 1
X
式(1)の ( )はシステム出力、
(s)は制御量(入
エラーの頻度が低下する。ただし、
「過つは人の常」
という Pope(1711)の随筆にもあるように、エ
ラーを容易に無くすことはできない。エラーを防
止するためには、スキルを獲得させるだけでなく、
力値)であり、ともにラプラス変換した時間の関
他のエラー要因もそれ以上に勘案しなければなら
数 s で表される。C は「ゲイン(gain)
」と呼び、
ない。様々なエラー要因(performance shaping
制御によるシステムへの入力量を表す定数であ
factor)の中には、人間の心的要因も含まれるた
T は「時定数(time constant)
る。また、
」と呼ばれ、
め(行待,2004)、1980 年代からは人間のエラー
入力に対するシステム応答の遅れの度合いを決め
が生じる心的機序を明らかにしようとする考え
る定数である。一次遅れの場合、システムの出力
方が提唱されてきた。こうした中で、Rasmussen
が入力値の約 63%に至るまでに要する時間が時
は原子力発電所のオペレーターの行動を観察し
定数となる。従って、時定数が大きいとシステム
て、スキルに応じてオペレーターの認知・情報
出力が入力値に至るまでの時間が長く、時定数が
処理過程が変化するといった SRK(Skill-Rule-
限りなく小さければ、システムの出力は入力値へ
Knowledge)モデルを提唱し、複数の研究者が人
直ちに近づいていく。端的に言えば、前者は「反
間の認知・情報処理過程やメンタルモデルとエ
応が鈍い、
レスポンスが悪いシステム」
、
後者は「反
ラーとの関係を検討している(Goodstein
応が鋭い、反応が良いシステム」である。
1988)。しかし、これらの研究による知見が実験
.,
的に検討された例はほとんど無い。これは、人間
1.
2 人間のスキル獲得に対する人間工学的観点
の心的過程を直接的に観察する手段がほとんどな
人間工学(ergonomics)では、人間がスキルを
いといった心理学が対峙している問題が存在する
獲得していく際の行動の変化を定量的に評価する
ことによる。
研究が古くから行われている。
スキルの獲得とは、
端的に言えば、コツを掴んで上手にできるように
1.3 手動制御時の脳波に関する研究
なること、熟達するということである。これらの
生体信号の一つである脳波(electroencephalo-
研究は、人間のスキルに基づいて人間や機械を構
gram:EEG)は、臨床において脳機能を検査する
成要素とするシステム全体のパフォーマンスを向
ための指標として医療機関で広く用いられてい
上させることを主な目的としている。そのため、
る。脳波が生じる生理学的機序は完全に解明さ
オペレーターがどの程度素早くタスクを完了させ
れていないが、脳波が人間の大脳活動や認知活
小林大二 庄子洋平 山本栄:手動制御のスキル獲得過程におけるオペレーターの脳波に関する研究
30mm
25mm
25mm
ᵥ4ᅖ⫨
(㉲ㅖ㊩ᅖ⫨)
30mm
ᵥ3ᅖ⫨
㉱ㅖ㉷࿀ᰳἠ
30mm
ᵥ2ᅖ⫨
22㉢㊱㉿ CRT
ᵥ1ᅖ⫨
㉷㉽ㅖ㊆ΡΈ
㉽㊱㉩ㅖ
ΡΈ
㊍㊱㊇㊩
図 1 実験装置の構成と画面表示内容
動を反映していることは事実であり、心理生理学
憶の使い方の違いや心的資源や心的疲労との関わ
(psychophysiology)では定量的な評価手法として
りが指摘されている程度である。なお、コンピュー
用いられている(師岡,1982;丹波他,1997)。
タ端末による作業のように、複雑な認知を必要と
人間工学(ergonomics and human factors)関連
する作業の評価に対する脳波の適用可能性につい
の国際学会においても、心理生理学のセッション
ては、研究者達の関心が向いているが、手動制御
が組まれ、多くの参加者が脳波などの生体信号を
のようなパフォーマンスに基づいた評価手法が既
用いた工学的研究の成果を発表している。
に定着しているタスク評価への脳波の適用例は見
脳波はその測定・解析手法の違いから次のよう
られない。この理由の一つとしては、人間の複雑
に分類されている。一つは背景脳波(background
な判断や行動を伴うタスクの場合、運動に関係す
EEG)と呼ばれ、後で詳述するが、周波数帯域
る要因と知覚・認識・判断・情動といった認知に
の低い方からδ波、θ波、α波、β波に区分され
関係する要因とが交絡(confounding)してしまい、
る電位変動である。また、外部刺激によって生じ
得られる脳波について考察することが難しいため
る誘発電位(evoked potential)や、外部刺激の
と考えられる。
組み合わせによって生じる事象関連電位(event
そこで本研究では、手動制御のスキル獲得の過
related potential:ERP) も 脳 波 の 一 つ で あ り、
程で観察される脳波を測定し、スキルの獲得と背
特に脳疾患に関連した臨床研究が数多く行われて
景脳波との関係を明らかにする。なお、得られた
いる。
脳波の特徴については、脳波に関する既知の知見
手動制御の問題に対して脳波の観点から取り
に基づく考察を試みると同時に、既に提唱されて
組 ん だ 研 究 と し て は、Kramer ら(1983) が 目
いる人間の認知・情報処理過程のモデルとの関連
標を制御する知覚−運動作業(perceptual-motor
性についても検討する。
task)における事象関連電位を調べた例が見られ
る。しかし、手動制御時の背景脳波に関する研究
2.実験方法
は、これ以降ほとんど見られない。この点につ
実験では、林(1967,1968)が用いたタンカー
いて R. Parasuraman & M. Rizzo(2007)による
の操舵シミュレーターと同様のシミュレータを構
“Neuroergonomics”を参照すると、背景脳波に
築して実験を行い、手動制御時における被験者の
関する認知的な観点での知見は現在においても少
なく、θ波やα波の変動について、人間の作業記
スキルの獲得と背景脳波との関係を調べた。
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
2.
1 実験装置
実 験 装 置 は、 図 1 に 示 す よ う な 被 験 者 が 手
ᓺ˛ἠ
動で制御するタンカー操舵シミュレーターであ
Fp1
る。このシミュレーターは、パソコン(DELL
F7 F3
Dimension 8400)と 22 インチ CRT モニタ、ハ
Fp2
Fz
F4
F8
ンドルで構成したもので、パソコンのプログラ
T3
C3 Cz
C4
T4
ムによってハンドルから入力された制御量(タ
T5 P3 Pz
P4
T6
ンカーの進行方向)に基づいて式(1)で示した
O1
O2
一次遅れに則って 0.1 秒毎に位置を算出し、CRT
画面にタンカーの位置を提示するものである。な
お、一次遅れの時定数は 6 秒とした。
実験装置には、タンカーの位置(CRT 画面上
での座標)とハンドルの操舵角を 0.1 秒毎に記録
した。
図 2 国際式 10-20 法に基づく電極部位
実験課題は、ハンドルを使って、図 1 に示し
た CRT モニタに提示されたタンカーの位置を示
す点を 3 つの旗門を通過させゴール旗門に到達さ
2.
2 脳波測定装置
せるというものである。これを以下 1 試行と呼ぶ
使用した脳波計は、日本光電製のデジタル脳
が、1 試行に掛かった所要時間は各被験者とも約
波 計(EEG-1000) で あ る。 装 着 し た 電 極 部 位
60 秒であった。被験者には連続して 20 回試行さ
は、図 2 に示すような国際式 10-20 法に則った
せたが、要求などに応じて適宜 1 分程度の休憩を
19 部位とした。測定条件はサンプリング周波数
取らせた。
が 1 kHz、時定数を 0.3 秒、広域遮断フィルタは
20 試行を完了した後、タンカーの操舵に関す
30 Hz とし、左右両耳朶を基準電極として共通設
るスキルの獲得に対する被験者の主観的意見を聴
置した。なお、測定時には AC フィルタを用いた。
取した。
測定装置にはタンカーが旗門を通過したときの
トリガー信号とハンドルの操舵角の信号を実験装
置から入力し、脳波と同時に記録した。
3.実験結果
3.1 解析対象データの選択
被験者がスキルを獲得したことを確認するた
2.
3 被験者
め、各試行でのタンカーの航跡を調べた。図 3 は
被験者は 19 歳から 23 歳の健康な学生 12 人と
被験者 H による各試行での航跡を並べたもので
した。なお、各被験者とも右利きであり、自動車
ある。図 3 より、第 1 試行ではタンカーが進行
の運転免許を取得しているが、初めて実験に参加
方向とは逆の方向へ移動していたことが判る。こ
した男子である。
れは、タンカーの操舵に慣れていないためであり、
他の被験者にも同様の傾向が観察された。しかし、
2.
4 実験手順および実験課題
第 2 試行以降には逆行が見られず、図 3 の場合
各被験者からインフォームドコンセントを得た
では第 11 試行で、コース指示線に沿ってタンカー
後に、CRT モニタに提示されるタンカーの操舵
を操舵できたことが判る。その後には、航跡に良
方法を教示し、ゴール旗門を通過できるようにな
否のバラツキが見られるが、すべての旗門を通過
るまで予行させた。実験者は、被験者が予行して
させた試行が多い。ただし、「旗門が通過できな
いた間に脳波測定用電極を被験者の頭部に貼付し
いと、課題の遂行へのモチベーションが失われ
た。
る」という被験者からの意見が多かった。つまり、
小林大二 庄子洋平 山本栄:手動制御のスキル獲得過程におけるオペレーターの脳波に関する研究
ᵥ1▿⒅
ᵥ2▿⒅
ᵥ3▿⒅
ᵥ4▿⒅
ᵥ5▿⒅
ᵥ6▿⒅
ᵥ7▿⒅
ᵥ8▿⒅
ᵥ9▿⒅
ᵥ10▿⒅
ᵥ11▿⒅
ᵥ12▿⒅
ᵥ13▿⒅
ᵥ14▿⒅
ᵥ15▿⒅
ᵥ16▿⒅
ᵥ17▿⒅
ᵥ18▿⒅
ᵥ19▿⒅
ᵥ20▿⒅
図 3 航跡の推移(被験者 H の場合)
12
12
11
10
10
10
10
10
10
10
9
8
8
ੱ ᢙ
12
7
6
6
6
6
6
6
5
4
4
2
0
0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
⹜ ⴕ
図 4 全ての旗門を通過できた被験者の人数
旗門が通過できなかった試行とできた試行とで
り、本論文では、第 2 試行から第 20 試行におけ
は、被験者の課題に対する精神的な集中の強さや
る結果に基づいて論じる。
パフォーマンスに差異が生じた可能性が高い。本
研究では、課題遂行に対するモチベーションをそ
3.2 パフォーマンスの変化
れなりに持っている人間を研究の対象としている
試行の積み重ねによる操舵への効果を調べるた
ため、旗門が通過できなかった試行は、パフォー
め、林が手動制御の評価に用いた指標である偏差
マンスおよび脳波の解析対象から除外することと
量 D を用いて手動制御結果の良否、つまり操舵
した。その結果、解析の対象とする被験者の人数
のパフォーマンスの変化を調べた。(2)式は D を
は図 4 に示す通りとなった。図 4 を見ると、第 1
算出するための式である。Pxt はタンカーの位置
試行で課題が達成できた被験者はいない。これよ
の x 座標、Rxt はそこでの指示線の x 座標、T は
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
Ẫ᳒౪ࢍіఞ⦖
y =-613.73 log x + 2940.4
R2 =.97
▿⒅
図 5 試行の繰り返しによる累積平均偏差量の推移
課題を完了するまでの所要時間である。なお、実
験装置の設定条件より、t の単位は 100 ms であ
Cn
1 n
¦ mi
ni1
Cn
1 n
¦ mi
ni 2
る。つまり、D は 100 ms 毎のタンカーと指示線
との平均距離の絶対値であり、どの程度指示線か
ら外れたコースをタンカーが辿ったのかを示す値
となる。従って、D が小さければ、操舵は優れて
(3)
[2≦n≦20]
(4)
第 2 試行から第 20 試行までの累積平均偏差量
いたこととなる。ただし図 3 の第 1 試行のように、
の変化を図 5 に示す。図 5 より、累積平均偏差
タンカーが回転したり逆行したりすると、偏差量
量が対数的に減少し、その傾向は対数関数の曲線
は必ずしも操舵の良否を表さない。解析の対象と
によって近似できることが判る。つまり、被験者
した第 2 試行から第 20 試行までのデータを調べ
が試行を重ねたことで、コース指示線に沿ってタ
たところ、回転または逆行したケースは含まれて
ンカーを操舵できるようになったと言える。ただ
いなかった。
し、第 12 試行からは累積平均偏差量の低下が鈍
1 T
D= ¦
T t 0
Rxt Pxt 2
いことから、第 12 試行までがスキルを獲得して
(2)
いく過程での一つの段階であったと考えることが
できる。
師岡によると、人間の作業への習熟を調べる場
ハンドルの操作に対するタンカーの反応は鈍
合、作業の良否を図る尺度の値が対数に従って変
い。被験者はタンカーの反応を予測しながらタイ
化するのが一般的であるが、尺度の値を累計平均
ミングを計って操舵するが、タイミングと操舵角
していくと、対数に従う変化の傾向が顕著になる
次第でタンカーのコースが決まる。従って、この
と述べている。第 n 試行での累計平均値 Cn は以
実験課題では試行を繰り返しながら被験者がスキ
下の(3)式によって求める。本研究の場合、第 2
ルを獲得し、第 12 試行前後で概ね習熟したと言
試行から第 20 試行までの累積平均値を求めるこ
える。
とになるため、
(4)式を用いて算出した。また、
mi には第 i 試行での対象となる偏差量の平均値を
3.3 背景脳波の解析方法
用いることから、以下、Cn を累積平均偏差量と
背景脳波のデータの一例を図 6 に示す。図 6
呼ぶこととする。
には計 24 チャンネルの電位変動を示す波形が描
小林大二 庄子洋平 山本栄:手動制御のスキル獲得過程におけるオペレーターの脳波に関する研究
㊍㊱㊇㊩Ⴃⅿ╦
ᵥ2ᅖ⫨⢡⣏㉝
ᰳ㈤Ј‫ۥ‬
図 6 背景脳波の例(被験者 A、第 2 試行、第 2 旗門通過前後 13 秒間)
かれているが、上から 19 チャンネルは 19 電極
きを想定してスタート直後の(a)地点でハンドル
で測定した脳波であり、さらにハンドルの操舵角
を左に切る。次に、第 2 旗門へ向かう途中の(b)
を表す波形と、タンカーが各旗門を通過したこと
地点で第 2 旗門通過後のタンカーの動きを予測し
を知らせる 4 チャンネルの信号波である。この例
てハンドルを右に切る。タンカーの時定数は 6 秒
は、被験者 A が第 2 試行で第 2 旗門を通過した
であることから、(b)地点の操作は約 6 秒後のタ
前後 13 秒間の結果である。図中に示したように、
ンカーの針路となって現れる。その針路に応じて、
第 2 旗門を通過した前後で、被験者 A がハンド
被験者は第 2 旗門通過後の(c)地点で第 3 旗門へ
ルを左に切ってから右へ戻す操作を行っているこ
向けて針路を修正するためのハンドル操作を行っ
とが判る。
ていたことが判った。これに関しては、被験者の
背景脳波は人間の内的および外的な影響に伴っ
意見から、(c)地点のハンドル操作前には、(b)地
て変動する継続的な電位変動である。この脳波に
点でのハンドル操作によってタンカーの針路がど
基づいてスキルの獲得と精神変動との関係を調べ
の程度被験者の意図に沿っているのかという針路
るためには、これら両者の関係が顕著に表れてい
の評価と調整すべきハンドルの操作量を経験から
ると考えられる区間を選定することが肝要であろ
判断していたことが判った。このような被験者の
う。そこで、課題遂行中の各被験者のハンドル操
経験に基づく判断が行われていた箇所では、スキ
作のタイミングを調べたところ、図 7 に示すよう
ル獲得と精神変動との関係が表れている可能性が
な傾向があることが判った。図 7 は第 1 旗門か
高い。そこで、
(b)地点でのハンドル操作終了後
ら第 3 旗門へ向かうまでのタンカーの動きとハン
6 秒後から 3 秒間の脳波を解析することとした。
ドル操作のタイミングを示している。この図のよ
この 3 秒間を以下、脳波解析区間と呼ぶ。
うに、被験者は第 1 旗門通過後のタンカーの動
背景脳波の解析では、脳波計(EEG-1000)に
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
ᵥ3ᅖ⫨㉃
Fp1
Fp2
F7 F3 Fz F4 F8
ᵥ2ᅖ⫨
T3 C3 Cz C4 T4
T5 P3 Pz P4 T6
O2
O1
ᵥ1ᅖ⫨
㆖㊍㊱㊇㊩㉝Ⴃΰ㈢㈪ࢄ᠊
図 7 ハンドル操作位置の特徴
図 8 分割された頭部 9 領域と電極部位との関係
装備されたプログラムを用いて、各周波数成分の
スが見られたため、全てに近似曲線を付記した。
電位を FFT(高速フーリエ変換)によって求めた。
図 9 ∼図 11 より、θ波については、試行を重
FFT 解析では、背景脳波にθ波(4 ∼ 8 Hz)、α
ねていくと前頭部の領域で電位が上昇して、第
波(8 ∼ 13 Hz)
、 β 波(13 ∼ 25 Hz) の 各 周 波
10 試行から第 12 試行を過ぎると下降していく傾
数成分がどの程度含まれているのかを求める。解
向が見られる。しかし、α波やβ波では、試行と
析の対象は、各被験者の全 19 電極部位での背景
電位の変化との間に顕著な関連性は見られない。
脳波であり、各試行での脳波解析区間のものとし
そこで、θ波に関して試行回数の増加とθ波が強
た。ただし、背景脳波の電位は個人差が見られた
く表出していた領域を調べた。図 12 は、各領域
ため、(5)式によって各周波数成分の電位を標準
のθ波の電位が全領域の電位の「平均値+標準偏
化し、個人差を除去した。
差」以上の値であった領域に「+」を、「平均値
1
si
(5)式の
V
i
+標準偏差」以下であった領域に「−」を記した
( xi P )
[2≦i≦20] (5)
ものである。この図より、第 2 試行では前頭部中
央部のθ波電位が他に比べて高く、試行を重ねて
は第 試行での標準化した値(無単
いくと、電位が高い領域は前頭部全体に広がり、
位)
、xi は標準化する前の電位(μV)である。
第 10 試行を超えると電位が高い領域が狭くなっ
μとσは、被験者が第 2 旗門を通過できた試行の
ていることが判る。以上より、θ波の電位の変化
背景脳波データから求めた解析区間の各周波数成
はスキルの獲得と関係していた可能性が高いと言
分の平均電位とその標準偏差である。
える。
4.スキル獲得と脳波に関する検討
3.
4 背景脳波の解析結果
紙面の都合から、19 電極部位での FFT 解析に
θ波の電位に関しては、Yamamoto ら(1990,
よる全結果を示すことはできないので、図 8 のよ
1996)が、課題に対する精神集中が高まると図 2
うに、19 電極を 9 つの領域に分けて、各領域の
に示した正中線前頭部の Fz 部位から表出するθ
電位の平均値と標準偏差を示すこととする。
波の電位が高くなることを指摘している。この点
図 9 は第 2 試行から第 20 試行までのθ波の電
に関する被験者の主観的意見から、実験の初期で
位の変化である。同様に、図 10 にはα波、図 11
は、タンカーを意図通りに制御する方法が判らず
にはβ波の電位の変化を示す。各図に含まれるグ
試行錯誤したり、タンカーの動きに翻弄されたり
ラフは曲線が含まれているが、回帰分析の結果、
していたが、次第に制御の方略が掴めてくると操
2 次関数で近似した場合に寄与率 R が高いケー
作の質を高めようと努力していたことが判った。
2
2
R =.68
2
1
0
̅1
̅2
y = 0.013x2+0.29x 1.2
1
0
̅1
̅2
1
0
̅1
̅2
3
ᮡḰൻߒߚǰᵄߩ㔚૏
ᮡḰൻߒߚǰᵄߩ㔚૏
2
R = .42
2
R =.76
2
1
0
̅1
̅2
y = 0.012x2+0.26x 1.1
⹜ⴕ
Cz
2
R =.35
1
0
̅1
̅2
y = 0.006x2+0.15x 0.75
̅3
⹜ⴕ
3
T4, C4ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
2
R =.37
2
1
0
̅1
̅2
y = 0.007x2+0.16x 0.68
̅3
⹜ⴕ
⹜ⴕ
T5, P3, O1ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
2
R =.11
2
1
0
̅1
̅2
ᮡḰൻߒߚǰᵄߩ㔚૏
ᮡḰൻߒߚǰᵄߩ㔚૏
Fp2, F4, F8ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
̅3
2
y = 0.010x2+0.23x 0.97
y = 0.005x2+0.11x 0.38
̅3
3
⹜ⴕ
2
3
y = 0.013x2+0.29x 1.3
̅3
T3, C3ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
̅3
2
R =.72
2
⹜ⴕ
3
Fz
ᮡḰൻߒߚǰᵄߩ㔚૏
̅3
3
ᮡḰൻߒߚǰᵄߩ㔚૏
Fp1, F3, F7ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
3
Pz
2
R =.07
ᮡḰൻߒߚǰᵄߩ㔚૏
3
ᮡḰൻߒߚǰᵄߩ㔚૏
ᮡḰൻߒߚǰᵄߩ㔚૏
小林大二 庄子洋平 山本栄:手動制御のスキル獲得過程におけるオペレーターの脳波に関する研究
2
1
0
̅1
̅2
y = 0.002x2+0.06x 0.32
̅3
⹜ⴕ
3
T6, P4, O2ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
2
R =.07
2
1
0
̅1
̅2
y = 0.003x2+0.07x 0.32
̅3
⹜ⴕ
⹜ⴕ
Fp1
Fp2
F7 F3 Fz F4 F8
T3 C3 Cz C4 T4
࿑ ⹜ⴕߩ➅ࠅ㄰ߒߣǰᵄ㔚૏ߣߩ㑐ଥ
T5 P3 Pz P4 T6
O2
O1
2
R =.39
2
1
0
̅1
̅2
3
Fz
2
R =.28
2
1
0
̅1
̅2
2
0
̅1
̅2
3
Cz
2
R =.44
1
0
̅1
̅2
2
R =.21
1
0
̅1
̅2
ᮡḰൻߒߚǩᵄߩ㔚૏
ᮡḰൻߒߚǩᵄߩ㔚૏
T5, P3, O1ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
3
y = 0.0048x +0.11x 0.54
T4, C4ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
2
R =.01
2
1
0
̅1
̅2
2
y =0.0012x +0.022x 0.054
̅3
⹜ⴕ
Pz
2
R =.25
2
1
0
̅1
̅2
2
y = 0.0011x +0.053x 0.43
⹜ⴕ
3
⹜ⴕ
2
̅3
̅2
2
y = 0.0051x +0.14x 0.78
̅3
⹜ⴕ
3
0
̅1
⹜ⴕ
2
2
y = 0.0052x +0.14x 0.79
̅3
1
̅3
ᮡḰൻߒߚǩᵄߩ㔚૏
1
ᮡḰൻߒߚǩᵄߩ㔚૏
ᮡḰൻߒߚǩᵄߩ㔚૏
T3, C3ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
2
2
R =.21
2
⹜ⴕ
2
R =.35
Fp2, F4, F8ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
2
y = 0.0054x +0.14x 0.72
̅3
⹜ⴕ
3
3
2
y = 0.0054x +0.14x 0.80
̅3
ᮡḰൻߒߚǩᵄߩ㔚૏
Fp1, F3, F7ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
ᮡḰൻߒߚǩᵄߩ㔚૏
3
ᮡḰൻߒߚǩᵄߩ㔚૏
ᮡḰൻߒߚǩᵄߩ㔚૏
図 9 試行の繰り返しとθ波電位との関係
3
T6, P4, O2ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
2
R =.01
2
1
0
̅1
̅2
2
y = 0.0026x +0.084x 0.54
̅3
⹜ⴕ
y =0.0012x 2+0.018x 0.0091
̅3
⹜ⴕ
࿑ ⹜ⴕߩ➅ࠅ㄰ߒߣǩᵄ㔚૏ߣߩ㑐ଥ
Fp1
Fp2
F7 F3 Fz F4 F8
T3 C3 Cz C4 T4
T5 P3 Pz P4 T6
O2
O1
図 10 試行の繰り返しとα波電位との関係
2
R =.06
2
1
0
̅1
̅2
2
R =.08
2
1
0
̅1
̅2
2
1
0
̅1
̅2
y =0.0008x2+0.017x 0.048
2
1
0
5
̅1
̅2
1
0
̅1
̅2
ᮡḰൻߒߚǪᵄߩ㔚૏
ᮡḰൻߒߚǪᵄߩ㔚૏
3
3
1
0
̅1
̅2
⹜ⴕ
y = 0.0012x 2+0.014x 0.042
̅3
⹜ⴕ
Pz
2
R =.11
2
1
0
̅1
̅2
2
y =0.0036x +0.055x 0.045
2
R =.03
2
2
y = 0.0025x +0.062x 0.34
̅3
T5, P3, O1ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
2
R =.15
y = 0.00080x +0.0031x 0.069
T4, C4ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
2
R =.14
⹜ⴕ
2
̅3
̅2
⹜ⴕ
Cz
3
⹜ⴕ
3
0
̅1
̅3
ᮡḰൻߒߚǪᵄߩ㔚૏
2
ᮡḰൻߒߚǪᵄߩ㔚૏
ᮡḰൻߒߚǪᵄߩ㔚૏
T3, C3ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
̅3
1
⹜ⴕ
R =.01
2
R =.06
2
2
y = 0.0027x +0.060x 0.27
̅3
⹜ⴕ
3
3
2
y = 0.0018x2+0.044x 0.24
̅3
Fp2, F4, F8ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
Fz
3
ᮡḰൻߒߚǪᵄߩ㔚૏
Fp1, F3, F7ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
ᮡḰൻߒߚǪᵄߩ㔚૏
3
ᮡḰൻߒߚǪᵄߩ㔚૏
ᮡḰൻߒߚǪᵄߩ㔚૏
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
3
T6, P4, O2ㇱ૏ߩ㔚૏ߩᐔဋ୯
2
R =.32
2
1
0
̅1
̅2
2
2
y = 0.00090x +0.037x 0.30
̅3
⹜ⴕ
y =0.011x +0.20x 0.63
̅3
⹜ⴕ
࿑ ⹜ⴕߩ➅ࠅ㄰ߒߣǪᵄ㔚૏ߣߩ㑐ଥ
Fp1
Fp2
F7 F3 Fz F4 F8
T3 C3 Cz C4 T4
T5 P3 Pz P4 T6
O2
O1
図 11 試行の繰り返しとβ波電位との関係
このために、スキル獲得に伴って次第に制御操作
また、このことは人間のスキルレベルによって大
への集中が高まったと考えられる。さらに、一度
脳処理活動や精神変動が異なることを示唆してい
スキルを獲得してしまうと、集中を要することな
るとも言える。知識ベースの行動、つまりスキル
く質の高い制御操作が可能となり、集中が低下し
を獲得しようとしている段階では、大脳で様々な
たと考えられる。その結果、図 9 に示したように
処理が行われるため、課題への集中が低下してい
Fz 部位のθ波電位が試行と共に上昇し、その後、
る可能性が高い。図 3 に示した航跡の推移や図 5
降下したと言えよう。
の累積平均偏差量の推移、そして既述した被験者
一方、
Rasmussen(1983)は図 13 に示す「SRK
の意見から、被験者は 10 回程度の試行後に概ね
モデル」を原子力発電所のオペレーターを観察し
操舵に習熟していたと考えられる。これは、被験
た結果に基づいて提案している。このモデルは認
者がより質の高い制御をするために、コツを掴も
知・情報処理過程が人間の課題に対する 3 段階の
うと課題への集中が高まったと言える。これは、
スキルのレベルに応じて変化することを表してい
SRK モデルの「ルールベースの行動」へと移行
る。具体的に例を挙げると、最も習熟した段階と
した後、その行動の質を高めようとした状態で
言える「スキルベース」の状態では、感覚入力か
あったと換言できよう。この段階ではθ波の電位
ら直接的に行動パターンが生じることを表し、ま
が最も高い。その後、被験者がスキルを獲得し半
た、
最も習熟していない
「知識ベース」
の状態では、
自動的に行動できるようになっていくと、課題へ
何ステップもの処理を経て行動が生じる過程を表
の集中は次第に不要となってθ波電位が低下して
している。
このようなスキルレベルに応じて認知・
いったと考えられる。つまり、SRK モデルの「ス
情報処理過程が異なるといった Rasmussen の主
キルベースの行動」へと移行していったと換言で
張は現在の人間工学において妥当とされている。
きる。以上より、本研究で得られたθ波電位の推
小林大二 庄子洋平 山本栄:手動制御のスキル獲得過程におけるオペレーターの脳波に関する研究
+
+
+
+
+
+
+
-
-
+
+
-
-
-
ᵥク▿⒅
-
-
ᵥゲ▿⒅
ᵥギキ▿⒅
-
-
ᵥギゲ▿⒅
ᵥクキ▿⒅
図 12 θ波電位の高さと出現部位との関係
目標・ゴール
知識ベースの行動
ルールベースの行動
スキルベースの行動
シンボル
同定
タスクの決定
行動の計画
認識
状態とタスク
との関連付け
タスクを遂行するため
の蓄積された手続き
シグナル
特徴形成
サイン
感覚入力
感覚刺激から自動的
に生じる運動パターン
誘因
行動
図 13 J. Rasmussen の SRK モデル
移から SRK モデルが表す人間の認知・情報処理
条件を達成した被験者が少なく、統計的処理によ
過程との関係が概ね説明できたと言えよう。
る結果の妥当性が低いことである。この点につい
5.本研究のまとめ
ては、被験者を増やした実験を行っていきたい。
さらに、被験者のスキルが直接的に特徴的な脳波
本研究では手動制御に対するスキルの獲得と精
の表出を促しているのかについて調べる必要があ
神変動との関係を探った。被験者のパフォーマン
る。つまり、スキルの獲得がθ波電位の特徴的な
スと背景脳波に含まれるθ波、α波、β波の周波
変化を生じさせる機序を脳波の観点から明らかに
数成分の電位と表出部位を調べた結果、θ波電
していきたい。
位と表出部位について先行研究の知見に基づいて
考察することができた。また、スキルと認知・情
報処理過程との関係を表すモデルの一つである
SRK モデルに基づいて、θ波電位に関する特徴
が説明できることが判った。この点は、認知・情
報処理過程がスキルに応じて異なるという SRK
モデルの主張の妥当性をある程度裏付けたと言え
よう。
今後の課題に関して言えば、以下の点を検討・
精査する必要がある。一つは、課題遂行に関わる
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小林大二 庄子洋平 山本栄:手動制御のスキル獲得過程におけるオペレーターの脳波に関する研究
Study on the Operator’s Electroencephalogram in the
Process of Obtaining Skills for Manual Control
Daiji KOBAYASHI*1 Yohei SHOJI*2 Sakae YAMAMOTO*3
Synopsis
To control large system such as large tanker is difficult for human operator, so that previous studies have made
the characteristics of making progress in the predictive manual control clear. However, the relation between the
manual control skill and the operator’s mental activity has not been revealed although some human information
processing model has estimated according to some observational studies (for example Rasmussen’s SRK-model is
widely known). In this study, we tried to make it clear that there is the causal relationship between the mental
activity and the performances in steering large tanker using the operator’s background electroencephalogram (EEG)
through simulator experiment. Every subject’s EEG were measured based on international 10-20 method while
the subject tried to steer the tanker. In this experiment, twelve male students ranging from twenty to twentyfour years old participated. As the result, every subject progressed in the predictive manual control of the tanker
statistically from the view of the subject’s performance. On the other hand, the amplitude of theta waves at Fz
relating to the operator’s highest concentration was revealed before their manual control skill of their performance
was highest. Consequently, the relation between the operator’s mental activities and their performance could be
found.
Key words
Progress of predictive manual control Background electroencephalogram
*1 Faculty of Human Cultural Science & Business Administrations, Nihonbashi Gakkan University
*2 Faculty of Engineering, Graduate School of Tokyo University of Science
*3 Faculty of Engineering, Tokyo University of Science
NIHONBASHI GAKKAN UNIVERSITY Bulletin No.6
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
報告・資料
中国からの留学生激増の背景
古 山 英 二*1
キーワード
中国(China)
留学生(Foreign Students) 高等教育(Higher Education)
1.留学生の激増
学者数が減少する反面、大学進学者数は総数と
しては、僅かではあるが増加を続け、2003 年ま
1.
1 一般的現状
での 10 年間 6 万人の水準で推移している。(図 2
1983 年中曽根康弘内閣(1982 年 11 月∼ 1987
文部科学省発表のグラフ「18 歳人口および高等
年 11 月)時代に「留学生受け入れ 10 万人計画」
教育機関への入学者数・進学率等の推移」参照)
が策定され、
これを受けて文部省(現文部科学省)
しかしながら、大学個別で見ると、上位校での競
は「知的国際貢献の発展と新たな留学生政策の展
争率低下を反映して受験浪人が減少、結果として
開」を目指して各種の施策を実施してきた。その
下位校への入学志願者供給は減少し続けている。
結果 1982 年当時 1 万人に満たなかった在日留学
受験浪人は前年からの繰越供給であり、繰越数の
生総数は、2003 年 5 月 1 日現在で 10 万 9508 人
減少は、上位校での競争率低下をもたらし、下位
に達した。
(図 1 文部科学省発表のグラフ「留学
校への受験志願者供給総数に影響する。一方、大
生数の推移」参照)
。グラフが示すとおり 1998
学側の受け入れ態勢は 18 歳人口ピーク時に比べ、
年度以降、留学生数は急激に増加したが、増加の
短大の大学への改組、学部の新設等によりむしろ
中心は私費留学生であり、国費留学生は微増にと
増加傾向にあり、ここに大学教育の需要と供給の
どまっており、10 万人目標達成は日本政府の努
不均衡が生じる結果となった。留学生の激増が、
力というよりアジア経済の発展によるところが大
わが国における大学教育の需給不均衡の発生と時
きいと見てよいであろう。地域別では、アジアか
を同じくしたため、各大学、特に下位校での留学
らの留学生が 10 万 2089 人で圧倒的に多く、う
生激増という現象が起きている。
ち中国が 7 万 814 人で総数の 64.66%を占め、他
を圧倒している。
一方で、日本国内の 18 歳人口は 1992 年の 20
1.2 個別的現状
本 学 を 例 に 取 る と、 定 員 総 数 1000 名(各学
万 5000 人をピークに年々減少の一途をたどり、
年 250 名)のうち留学生数は 250 名、定員総数
2004 年には 14 万 1000 人とピーク時の 68.7%へ
の 25%を占め、内訳は 98%が中国からの留学生
と激減した。18 歳人口の減少に伴い大学進学者
である。2006 年 7 月 1 日現在の学年別では、4
数の伸びも完全に頭打ち状態となったが、短大進
年生 23 名、3 年生 49 名、2 年生 114 名、1 年生
68 名となっている。出身省別に見ると遼寧(了
2006 年 9 月 30 日受理
A Rush of Chinese Students to Japan
*1 Eiji FURUYAMA
日本橋学館大学人文経営学部
宁)省 56 名、吉林(吉林)省 45 名、福建(福建)
省 42 名、黒竜江(黑龙江)省 25 名、上海(上
)
特別市 22 名、山東(山东)省 10 名、その他地
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
図1 文部科学省発表のグラフ「留学生数の推移」
16
18
20
21
22
25
29
31
33
33
33
36
38
39
41
42
42
43
43
41
41
41
41
42
42
41
44
47
47
48
48
49
52
54
55
56
56
57
58
59
59
59
60
60
61
60
60
図 2 文部科学省発表のグラフ「18 歳人口および高等教育機関への入学者数・進学率等の推移」
古山英二:中国からの留学生激増の背景
日本留学を斡旋する業者の事務所内の掲示板
域 50 名、 合 計 250 名 と な っ て い る。2006 年 3
数は、中華人民共和国教育部のホームページに掲
月の卒業生に占める留学生数はほんの数名で、留
載されている高等教育機関一覧から調べたところ
学生は
“お客様”
という感じであったが、
現 4 年生、
(1)
1554 校であった。
すなわち 2003 年 4 月の新入生から留学生は目立
現在日本の国・公・私立を合計した大学数は約
つ存在として認識されるようになった。この傾向
700 校であるから、絶対数で比較する限りほぼ倍
は図 1 が示すマクロ的状況を反映している。
であるが、中国の総人口が日本の約 10 倍である
2.中国の高等教育事情
ことを勘案すると 1554 校は非常に少ないといえ
る。しかも教育部のホームページに掲載されてい
中国の学制は基本的には日本と同じ 6 − 3 − 3
る“高等教育機関”の中には名称から推測して日
− 4 の単線型である。小学校 6 年→初級中学(日
本流に言えば工業専門学校、職業専門学校のよう
本の中学校に相当)3 年→高級中学(日本の高等
なものも含まれている。
学校に相当)3 年→大学 4 年合計 16 年間の教育
日本と中国は漢字という共通文字を使ってお
期間が定められ、小学校 6 年と初級中学 3 年は
り、漢字が伝える意味内容も両国において驚くほ
義務教育とされ、大学(学部)の上に大学院(修
ど共通している。慣用的には異なっていても、漢
士課程と博士課程)が設けられているのも日本と
字本来の意味を考えれば納得がいく場合が多い。
同様である。ただし、日本と違って、中国では各
例えば中国語の“交通”は日本語の“通信”を意
段階を卒業するための統一卒業試験が行われ、留
味し、
“資訊”は“情報”の意味である。このこ
年や飛び級が公式に認められている。初級中学か
とは逆に文字が共通しているが故の誤解も生じや
ら高級中学への進学に際しては「全国中考」と呼
すい。中国語で“高等学校”は日本語のいわゆる
ばれる全国統一試験が行われ、これにパスしない
高校ではなく、日本語の高校は、先に述べたごと
と高級中学へは進学できない。高級中学卒業から
く“高級中学”である。中国語の“高等学校”は
大学への進学には「全国高考」という全国統一試
日本語の“高等教育機関”に相当し、日本語の大
験が課せられる。
学に相当する中国語は“大学”ないし“学院”で
「全国中考」により一度ふるいにかけられ、高
ある。日本の学部に相当するのが“本科”で、日
級中学で勉学を積んだ中国の受験生は
「全国高考」
に挑戦することになる。中国の高等教育機関の総
(1)http://www.moe.edu.cn/(last visited 2006.10.1.)
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
表 1 年齢階層別人口比率:中国と日本
中国
日本
年
0 ∼ 14 歳
2000
1930
1995
22.9
36.7
16.0
15 ∼ 64 歳
70.2
58.6
69.5
65 歳以上
6.7
4.7
14.5
本の大学院生に相当する言葉は硕士生(修士課程
であるから、タクシー初乗り料金と地下鉄一区間
学生)
、
博士生(博士課程学生)である。因みに“学
料金の倍率として学費を計算すると、民間大学の
生募集”は中国語では“招生”と書かれる。
学費はタクシー初乗り料金の 1182 倍、地下鉄一
中国の大学受験生の多くが参考にしている『熱
(2)
区間料金の 4333 倍と計算される。日本の私立大
門高校資訊』
(西蔵人民出版社) は各省別に“重
学の学費年間 100 万円、タクシー初乗り料金 600
点高校”
(主要大学)
、
“部分特色専業高校”(一部
円、地下鉄一区間料金 160 円として計算すると、
の専門大学)及び“部分民办优秀高校”(一部の
タクシー料金に対し 1666 倍、地下鉄一区間料金
民間優秀大学)合計 121 大学をリストアップし
に対しては 6250 倍という数値を得る。表面的に
(3)
ている。これによると、北京市
には北京大学
比較すると中国の学費は日本に比べ四分の一ない
を筆頭に 28 校が掲載されている。続いて南京、
し六分の一のように見えるが、他の物価との対比
無錫を擁する江蘇省の 13 校、名門上海交通大学
で見ると日本との差はそれほど大きくないといえ
を持つ上海市の 9 校と続き、少ないところでは福
る。以上が現在中国の大学教育の供給状況の概要
建省、山西省の 2 校、浙江省、河南省の 1 校と
である。
なっている。民間優秀大学としては 1984 年に設
大学教育に対する需要は、短期的には 18 歳人
立された北京の北京市城市大学以下 11 校が掲載
口と過去の大学進学率傾向から推計されるが、詳
されているに過ぎない。それ以外の大学は全て国
細な年齢別人口統計を中国に関して入手し得てい
立ないし省立である。教育部のホームページには
ないので、入手した大まかな中国の年齢階層別人
1554 校が掲載されているが、それらの中で内容
口統計と日本の同様統計を比較したものを表 1 に
的に見て『熱門高校資訊』が推薦するのはわずか
示す。
121 校ということになる。因みに中国の学費につ
以上から推定されることは、中国には大量の大
いて触れると、北京大学の場合一般学部が年間
学志願者並びにその予備軍が存在する一方、高等
4800 ∼ 5300 人 民 元( 円 換 算 72000 円 ∼ 79500
教育機関の供給は質量ともに相対的に僅少である
円)、医学部が 6000 人民元(同 90000 円)、民間
という現状である。
大学では北京城市学院の場合 10000 ∼ 16000 人
(4)
為替
民元(同 150000 ∼ 240000 円)である。
3.「高考」と中国の大学受験の実態
換算レートだけから“中国の学費は高いのか安い
高級中学から大学を含む高等教育機関への進学
のか”を判断することは困難である。他の物価と
は「高考」と呼ばれる全国統一試験の結果により
比較する必要がある。上海市のタクシー初乗り料
決定されることは既に述べたとおりである。「高
金は 11 人民元、地下鉄の一区間料金は 3 人民元
考」の試験科目は中国語、数学、英語が必須で、
文科系は歴史、政治、理学・工学系は化学、物理等、
(2)この書名を日本語に直訳すれば『注目大学情報』と
なる。
(3)中国の行政区分は省、自治区、直轄市、特別行政区
に分類され、直轄市は省並みの扱いである。現在北
京市、重慶市、上海市、天津市が直轄市である。
(4)
『熱門高校資訊』(2006 西蔵人民出版社)による。
合計 5 科目であるが、地区により異なる。例えば、
少数民族に対しては、少数民族の歴史等の科目も
含まれる。従来は 7 月に行われていたが、暑さが
厳しすぎるという理由で 2005 年から 6 月に変更
古山英二:中国からの留学生激増の背景
された。2006 年度の「高考」は北京で 6 月 6 日、
度の受験生に対し次のような入学限界点数を公表
7 日両日に行われた。試験が行われる時期は地区
(5)
している。
によって異なり、2005 年度の上海の場合は 6 月
北京地区一般
7 日から 9 日午前までの 2 日半、広東省では 10
遼寧地区国防生 :588 点
日まで行われた。会場には高級中学の校舎が使わ
遼寧地区一般
れる。前述「教育部」の発表によると、2005 年
浙江地区国防生 :593 点
度中国全体で受験した受験生総数は約 800 万人
浙江地区一般
:615 点(文系)
で、29 万箇所の試験会場に 82 万人の試験監督が
浙江地区一般
:625 点(理系)
動員されたという。文字通り超マンモス入試であ
:601 点
:594 点
地区ごとに点数を区別しているのは、地区によ
る。一方、募集定員は中国全土で、475 万人で、
る受験生の集中を避けるためであると考えられ
そのうち 230 万人が日本の学部生にあたる本科
る。北京市と浙江省の人口比は、北京 1 に対して
生の募集となっている。中国の大学の学期は秋学
浙江省 3.5 であるから、同じ点数にすると浙江省
期と春学期の 2 学期制で、秋学期は 9 月から翌
からの合格者が増えてしまうからであろう。国防
年の 1 月、春学期は 2 月から 6 月で、通常秋学
生は兵役に服している受験生のことで、一般より
期から新学期が始まる。
も点数的に優遇されている。
高級中学を出て大学に進みたいと思っても、本
それでは、受験生はどのようにして自分の予想
科生の募集は 230 万人に限られている。それでは、
得点数の見当をつけるのであろうか。受験生は、
高級中学を卒業し、
「高考」を受験する生徒達は
高級中学在学中に度々繰り返される模擬試験を通
どのようにして目指す大学への入学に挑戦するの
じて自分の予想得点数の見当をつけ、多少のゆと
であろうか。全ては 750 点満点の「高考」の成
りを見た上で、公表されている、例えば「同済大
績による。受験生は「高考」受験に際し志望大学
学 2006 年高考録取分数情況表」などを見て、自
名を記入する。大学は、高い点数を獲得した受験
分の実力が 600 点以上で、大連市(遼寧省)に
生から順番に入学させ、定員に達するとそこで脚
居住していれば、上海の同済大学を受験するとい
切りをする。例えば受験生が北京大学を志願し、
うステップを踏む。
「高考」で 685 点を獲得したとする。しかし、北
京大学には点数上位者の応募が多く、686 点で脚
4.日本に留学してくる中国人の背景
切りをされた。一方、福州大学では 550 点まで
第一に指摘すべき点は、日本側の要求条件が「学
入学できたとする。しかし、685 点を獲得したこ
校教育施行規則第 69 条」の規定により「外国に
の受験生は、いったん北京大学を志望した限り、
おいて学校教育における 12 年の課程を修了した
他の大学、例えば福州大学に入学することは出来
者又はこれに準ずるもの」となっているため、初
ない。
級中学までの義務教育 9 年間に加算される 3 年
受験生としては自分の学力にマッチした大学に
間が、高級中学の 3 年間なのかその他の各種学校
応募しなければ、たとえ「高考」で点数を稼いで
の 3 年間なのかが明確に区別されていないことで
も大学入試に失敗することになる。こうした事情
ある。日本に留学してくる中国人の中に高級中学
があるため、実に沢山の“大学受験指南書”の類
卒業者がどの程度含まれているかを示すデータを
が出版されており、インターネットにもそうした
入手し得ていないが、高級中学卒業者は少数では
情報は大量に掲載されている。また、大学側もイ
ないかと思われる。
「高考」を受験した経験ある
ンターネットや出版物を通じ“本学の難易度”を
ものは更に少ないのではないかと思われる。
点数表示で公開している。交通大学と並んで上海
の名門大学として知られる同済大学は、2006 年
(5)http://bkzs.tongji.edu.cn/ より検索(last visited
2006.10.1.)
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
第二に、日本の大学への受験ルートが、大学直
イメージ、経済的関係の深さ、歴史的繋がり、文
接ではなく日本の日本語学校経由であるため、大
字の共通性、費用の点、近距離であること、等々
学受験以前のヒストリーがもう一つ明確に審査さ
から判断して日本は格好の留学先であり、彼等は
れていないという点が指摘されよう。日本の日本
日本の大学に学んで「大学卒」の資格を取得する
語学校は過去の教育経歴の詳細を入学条件として
ことを夢見るようになる。ここから先は生徒の居
は要求していない場合がほとんどある。
住地域の環境等によりこのグループに二つの“亜
高級中学出身者であるかどうかは、入学時の添
種”が生ずる。第一の“亜種”は在中国の日本語
付書類を見れば一目瞭然である。○○市高級中学
教育機関で日本語を勉強、日本語能力試験 1 級な
毕业证明(○○市高級中学卒業証明)が添付され
いし 2 級を取得した上で、中国内で目指す日本の
ていれば高級中学出身者ということになり、「全
大学の選抜試験ないし書類専攻を受けて、当該大
国中考」
には少なくとも合格したことを意味する。
学から渡日前入学許可書を取得して、留学ビサで
高級中学以外は色々な名称で呼ばれている。例え
日本に渡航するケースである。しかし、このケー
ば「○○普通高等学校」「○○財政学校」等は高
スは少ない。最大の理由は、
「日本留学生支援機構」
級中学ではない。9 年間の義務教育期間を終えて
による「日本留学試験」が中国では実施されてい
「酒店管理専門学校」
(酒店管理=ホテルマネージ
ないからである。渡日前入学許可書を出している
メント)を卒業しても、中華人民共和国国家教育
日本の大学は同機構のサイトによると私立大学で
委員会印刷の用紙に麗々しく卒業証明が記載され
46 大学に達するにもかかわらず、中国から渡日
ている。中華人民共和国国家教育委員会印刷とい
前入学許可で留学生を迎え入れている日本の大学
うのは、どこにでも売っている法定用紙であり、
(6)
“亜種”の二番目は、高級中学卒
は少ない。
国家教育委員会が発行したことを全く意味しな
業後、在日の日本語学校に入学手続きを取り、当
い。
該日本語学校への渡日前入学許可書を取得して就
日本に留学してくる中国人には大別して次の二
学ビサで渡日、日本語学校で日本語能力をレベル
つのグループが存在するようである。必ずしも全
アップしてから目指す日本の大学を受験する。こ
員がいずれかのグループに属するとは限らない
れら“第 1 と第 2 の亜種”に共通してもう一つ
が、かなりの程度に類型化できると思われる。
の“亜種”が存在する。それは、家庭の経済的事
第一のグループ:高級中学を卒業したが「高
情から、高級中学卒業後しばらく働いて日本留学
考」に挑戦する学力に欠ける。「高考」受験の機
資金を貯金してから日本留学を目指すというケー
会は高級中学卒業者のトップクラスにのみ与えら
スである。
れる。高級中学在学中に繰り返される模擬試験を
“第 2 亜種”をサポートする業者が中国には存
通じ、
生徒達は自分の学力を十二分に知らされる。
在する。在日日本語学校への入学手続きを業とす
高級中学の課程においても「高考」受験の指導は
る業者達である。これ等業者は、日本大使館及び
徹底的に行われる。更に、「2006 高考分数及录取
在日日本語学校と緊密な連絡を取り、一件 5000
情况查询指南」(2006 大学入試の点数と合格の情
人民元(75000 円)程度の手数料でビサ取得まで
況指針)というような web site を参考に生徒達
(7)
の一貫手続きを請け負っている。
は進路を決定する。試みに「高考、分数」という
文字をインプットしてグーグルで検索したところ
15 件のサイトにヒットした。
「高考」受験は無理としても、何とか「大学卒」
の資格を手に入れたい。そこで彼(彼女)は日本
留学を志す。経済・文化の発達程度、世間一般の
第二のグループ:初級中学を卒業後(つまり義
(6)http://www.jasso.go.jp/eju/baij.html(last visited
2006.10.1)
(7)在中国日本大使館の以下のサイトは我々の参考にも
なる。http://www.cn.emb-japan.go.jp/cul_edu_j/Q&A_j.
htm#1-1(last visited 2006.10.1.)
日本留学斡旋業者を訪れた際の写真を数葉掲載する。
いずれも大連市で筆者が撮影したもの。
古山英二:中国からの留学生激増の背景
務教育終了後)、職業学校に入学、そこで三年間
ればならない等々の内容の中文が書かれ、
「次の
学んだ後、
在日日本語学校への入学手続きを取り、
文章の( )の中に適当な英語を挿入せよ」と
当該日本語学校への渡日前入学許可書を取得して
いう設問。
就学ビサで渡日、日本語を勉強した後日本の大学
For the 2008 Olympics, we will make our city much
を受験、留学ビサに切り替える。このグループの
( )
,( )and( )
.
場合、日本語学校から直接日本の大学を受験した
正 解 は 順 番 に、greener, more beautiful, better
が失敗、日本の専門学校に入学、そこで就学ビサ
であるが、選択対象の語彙の中には plant more
を留学ビサに切り替えて日本滞在期間を確保、し
trees, guides, grow flowers, save water, translator
かる後大学を受験するというケースが多く見られ
等々の irrelevant words が含まれている。
る。第二のグループにも第一のグループと同様、
C.長文読解(英文を読んで英文の質問に対する
日本留学までに職業経験を持ったか否かという
正しい回答を選ばせるという方式)
“亜種”
が当然存在するが、
第一のグループに比べ、
I was sleeping soundly last night when I was
第二のグループにおいての方が職業経験者の数は
awakened by someone’
s groans. I listened, and
圧倒的に多いようである。
heard it was from Sam, a student from Africa. I
5.「中考」と「高考」で求められてい
る学力
初級中学を卒業して高級中学に進学する生徒に
求められている学力と、高級中学を卒業して大学
に進学する生徒に求められている学力を、英語に
関し垣間見て見よう。前者に関しては『全国中考
(8)
(9)
熱点試題』 、後者に関しては『高考題庫』 を
参考とした。
really wanted to go on sleeping, as I had insomnia
and had just fallen asleep, but I couldn’
t because
Sam groaned louder and louder, showing he was
seriously ill.
Why couldn’
t the writer go on sleeping that
night?
(A)Because he was too excited that day.
(B)Because his roommates were watching football
games on TV.
(C)Because one of his roommates was sick and
5.1 「中考」英語
A.次の文章の( )の中に適当な語を挿入しな
groaning.
(D)Because he was sick.
さい。
There is some( )in the bottle.
5.2 「高考」英語
Mrs. Jian is good at( )English songs.
圧倒的に長文読解が多い。英文を正確に読む能
Daniel is an active boy and he is crazy about playing
( )
.
力が試験される。
Thinking is something you choose to do as a fish
The old man lives alone, but he doesn’
t feel( )
,
chooses to live in water. To be human is to think.
because he has many friends.
But thinking may come naturally without your know-
正解は順番に water, singing, soccer, lonely で
ing how you do it. Thinking about thinking is the key
あるが、水、唱、足球、孤独的等のヒントが与え
to critical thinking. When you think critically, you
られているが英語それ自体は受験者が考える。
take control of your thinking processes. Otherwise,
B.2008 年北京オリンピックに備え北京市を更
you might be controlled by the ideas of others. In-
に緑豊かで、美しく、そして優れた都市にしなけ
deed, critical thinking is the heart of education.
(8)首都師範大学出版社刊 2007 年版
(9)延边大学出版部刊 2007 年版
この英文に対し次の設問が英文で書かれている。
Critical thinking is important to us because if we
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
do not think critically,
(A)it will be hard for us to think naturally and fast
留学生達は帰国後「日本留学の経験を生かして
(B)we might be controlled by other people’
s ideas
中国で日系企業に就職したい」とよく希望を述べ
(C)we will follow the ideas of others naturally
る。しかし、筆者が大連の JETRO を訪問して聞
(D)we might be fooled by other people’
s ideas
き取った限りでは、日系企業が日本留学帰りを優
6.結 論
先的に採用する傾向はほとんど見られないとい
う。日系企業は「中国の事情に精通した経理マ
我々が受け入れている中国からの私費留学生に
ン、財務マン、法務マンを求めており、日本留学
は大別して(1)高級中学を卒業して、
「高考」に
経験を特段評価する傾向はない」とのことであっ
挑戦した経験を持つもの、
(2)高級中学は卒業し
た。むしろ、中国地場企業の方が日本留学帰りを
たものの、
何らかの事情で(多くは学力不足)「高
求める場合が多いという。次のような実例を紹介
考」に挑戦しなかったもの、そして(3)初級中
する。中国の地場企業で、ゴムの木の廃材をウッ
学卒業後に職業学校に 3 年間学び「12 年の教育
ドチップに加工する業者が「日本語が出来る」こ
期間」を満たし日本の大学入学を試みるもの、に
とを見込んで日本留学帰りを採用した。ゴムの木
大きく分かれる。学力的には(1)→(2)→(3)
は樹液を流し尽くした後廃木となる。ゴムの木の
と低下するのであるが、
(2)と(3)の学力の差
廃木は従来焼却されてきたが、最近これをウッド
は当然のことながら顕著であるといわざるを得な
チップに加工して合板を作る企業が現れた。合板
い。
に仕上げるのは日本国内の企業で、ゴムの木の廃
最後に、日本留学帰りは中国でどのように評価
木をチップに加工する業者が中国企業という分業
されるのであろうか。個人差があり一般化は困難
が行われ、その企業が日本留学経験者を採用した
だが、
「大学卒」
(大学毕业=大學畢業)の値打ち
のである。目的は、頻繁に行われる日本企業との
は日本に比べればはるかに高いことは事実であ
加工賃交渉の為であるという。
る。大多数の中国からの留学生達は、
帰国して「我
以上の分析から「あるべき中国人留学生対策」
是大學畢業的」と胸を張って云えるように頑張っ
が検討されなければならないが、具体的にどのよ
ている。経済的事情からアルバイトに精を出さな
うな対策を講ずるかは本報告書の範囲を逸脱する
ければならない留学生も少なくない。彼等はアル
ので別の機会に譲りたい。
バイト優先か、勉学優先かのディレンマに直面す
ることもしばしばであろう。しかし、「資格外活
(10)
謝辞
を取得して日本で稼ぐための手段
本稿を纏めるに際し、本学学生で夏期休業中に
として留学・渡日してくる者は留学生全体から見
大連に帰省していた劉天一君と彼の従妹で山東大
れば極少数に過ぎない。中国人留学生の不法滞在
学威海校日本語学科 4 年生(当時。現在は大連外
や犯罪が報道されることがある。それは、
「犬が
国語大学大学院日本語研究科の修士生)趙媛媛さ
人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛
んから貴重な情報を得たことを記して、両名に謝
むとニュースになる」の類である。
意を表します。
動許可証」
(10)留学ビサないし就学ビサで日本滞在を許可されて
いる学生は、1 週間 28 時間以内 ( 但し、長期休暇
中は 1 日 8 時間以内 ) の範囲で、風俗営業等禁止さ
れている職業を除き、従事することが出来るとする、
入国管理局が発行する許可証。
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
報告・資料
日本の大卒女性の働き方
―女子学生の進路選択のために―
佐々木 由利子 * 1
キーワード
大卒女性(College Graduate Women)
働き方(Career Pattern)
キャリア形成(Career Development)
進路選択(Career Decision Making)
キャリア・サポート(Carrer Support)
1.はじめに
1.
1
問題と目的
年齢はこれまで大卒女性が子育てにかなりの時間
とエネルギーをさいてきたと見られることも分
かっている(田中・佐々木・湊,2004)。女性が
筆者は仕事を中心とする生涯の進路選択過程と
家庭外で働くことはますます増えていくと思われ
してのキャリア形成に関心を持ち、大学生への進
るが、その時、仕事と家庭あるいはプライベー
路選択支援(佐々木,2001,2005a)と女子学生
トでの役割のどちらに重きをおくかという役割
への支援をテーマに研究を続けてきた。仕事と家
葛藤を個々人が体験せざるを得ない(Richman,
庭における役割葛藤が男性より概して重く、複雑
1988)。佐々木の調査では日本女性にとっては依
にならざるを得ない女性のキャリア形成には特別
存願望と子供の将来形成、老親への親孝行が葛藤
な支援が必要と思われるが、本論文では女子学生
の度合いの高いものであった(佐々木,2005b)。
が自分の進路を考える上で参考にできるように、
働く大卒女性がこれまでさまざまな分岐点でどの
これまでの日本の大卒女性の働き方がどのような
ような選択をして、その理由はどうだったのかを
ものであったかを各種資料に基づいて明らかに
各種データにより見てゆきたい。これまでの趨勢
し、今後の見通しと、そこから予想される女性の
を知ることも学生が自分にとってふさわしい選択
キャリア形成上の支援ポイントを示唆したい。
をし、豊かで幸せな生活を送る助けとなると思わ
れるからである。
1.
2 大卒女性の働き方の一般的傾向
日本女性一般の労働力率を年齢階級別にグラフ
2.いつまで働くつもりで就職するか
にしたものによれば 30 ∼ 34 歳を真ん中の底辺
2.1
世の中の意識
とした「M 字」を描く就労パターンであるが(男
女性が結婚・妊娠・出産というライフイベント
女共同参画白書,2006)
、大卒女性に限ると「き
にあたりいつまで働くか、働けるかについては世
りん型」と名づけられた高年齢層で余り増えない
の中の意識やそれによってもたらされる社会環境
パターンであることが指摘されている(平成 11
に規定される部分が大きいが、これは近年急激な
年厚生労働省ホームページ)。30 ∼ 34 歳という
変化をみているのは周知のとおりである。女性が
職業を持つことについての考え方は内閣府「男女
2006 年 9 月 28 日受理
Career Decision Making of Japanese College Graduate Women
*1 Yuriko SASAKI
日本橋学館大学人文経営学部
共同参画社会に関する世論調査 平成 14(2002)
年」
(女性白書,2004)によれば「子供が出来て
もずっと職業を続けるほうがよい」とするものが
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
表 1 大学卒業(初職就労)時の就労意識(単位%)
日本労働研
究機構調査
(N=730)
就労継続志望
東京女性財
団調査
(N=719)
就労継続志向
出産中断志望
42.5
結婚中断志望
19.7
中断再就労志向
39.9
11.5
結婚退職志望
6.8
特に考えず
8.3
出産退職志望
出産退職志向
14.3
14.2
結婚退職志向
11.8
24.5
その他
5.2
NA
0.1
5.2
14.2
42.5
6.8
11.5
就労継続
出産中断
結婚中断
出産退職
結婚退職
その他
19.7
図 1 大卒女性卒業時就労意識(%)
日本労働研究機構調査:脇坂・富田編(2001)資料より作成
38%、
「子供が出来たら職業をやめ、大きくなっ
但しキャリア・パターンによる分析対象者は 719
たら再び職業を持つ方がよい」が 40.6%、「結婚
名)によると大学卒業時の就労意識は表 1、図 1
出産まで」と「持たないほうがよい」の合計が
の通りである。どちらのデータによっても、大卒
17.2%である。その 10 年前平成 4(1992)年に
女性の約 4 割が結婚出産後も働き続けたいと思っ
はそれぞれ 26.3%、45.4%、24.7%であったので、
て就労してきたのは、ほぼ確実のようである。
女性が働き続けることへの肯定的な考えの方に大
両調査の違いとしては、東京女性財団の調査の
きくシフトしつつある。こうした世間一般の意識
中断再就労志向者の数値が日本労働研究機構の調
は、働こうとする女性本人とそれを取り巻く人々
査に比べ非常に低く、退職志向者のパーセンテー
と環境に大きな影響を与えるはずである。
ジが高い。この違いは、特に考えなかったと回
答した者が 14.3%いたのと、回答者に短大卒を
2.
2 働いてきた大卒女性の意識
含めたこと、回答者に女子大卒(含短大卒)が
これまで働いてきた女性達自身の意識(理想)
68%と多かったことが影響したと思われる。
と現実はどうであったろうか。4 年制大学を卒業
した 22 歳から 40 歳以上の女性 5,000 名を対象(有
2.3 データにみる現実
効回収率 39.6%、1981 名)とした 1998 年の日
働いてみて実際はどうであったろうか。日本
本労働研究機構の郵送調査(西川、脇坂・冨田編,
労働研究機構調査(西川、脇坂・冨田編,2001)
2001;pp.83-100 より推計、但し本分析対象者数
の年齢層別初職継続者の割合によると、20 代前
は 730 名となっている。
)と東京女性財団(1999)
半層で初職継続率が約 90%なのが、30 代前半層
の 81 年、86 年、91 年卒の女子短大卒も含めた
まで年齢層の上昇につれじりじり継続率が落ち込
1998 年の郵送留置法による大卒女性の調査(対
み 60%程度になるが、それ以上の年齢層では 40
象 2,160 名、回収率 37.7%、うち有効回答 770 名、
代後半以上まで余り変わらない。また未婚者の初
佐々木由利子:日本の大卒女性の働き方
表 2 大学卒業時の就労志向と実際
(東京女性財団調査 1999 より:単位%)
就労志向
働き続けた者
うち初職継続
うち転職継続
継続就労志向者
(N=347)
中断再就労志向者
65.1
33.7
31.4
28.3
16.7
11.7
37.9
26.8
11.1
(N=60)
退職志向者
(N=261)
職継続率が 80%近くだが、結婚後子供がない者
は 70%を若干切る程度、既婚出産後の者もほと
3.最初の仕事はどのようなものか
んどそれと変わらず約 3 分の 2 が初職を継続し
3.1 選択理由
ているという。これは調査時 1998 年の大卒女性
実際に就職した女性たちがどういう基準で初職
の年齢層別初職継続率の横断的データである。
東京女性財団の調査(1999)によれば、年齢
を選択したのかについてのデータを見てみよう。
さきの日本労働研究機構のデータ(西川、前掲書)
27 歳から約 39 歳までの就職した大卒女性回答
によれば大卒女性に初職選択理由を選択肢の中か
者のうち 31.8%が初職を継続、転職して就労継
ら 3 つ選ばせた結果は卒業時の就労意識の別な
続の者 14.9%、つまり就労を継続した者は合計
く「適性・能力発揮」が最多で選択の 1 位である。
46.7%いた。中断後再就労した者は 15.4%、退職
これ自体はさもありなんという結果である。続く
した者は 37.8%である。一時中断の場合も入れ
2 位 3 位は就労継続志望群がそれぞれ「結婚・出
ると働き続けている者が約 6 割となる。これは年
産後継続可」
「女性積極活用」であり、出産中断
齢層別でなく 27 歳から約 39 歳の 12 年の年齢幅
志望群は「女性積極活用」「資格・専門能力獲得」
の回答者全体の 1981 年から 1998 年までの推移
の順、結婚中断志望群は「女性積極活用」
「資格
を示している。同調査データ(p.7、p.16)から
専門能力獲得」、出産退職志望群が「給料・休日
最初の就労志向と実際との関係を推計したものが
等条件良」
「女性積極活用」
、結婚退職志望群は
表 2 である(ただし考えなかったと NA の回答者
2 位が「コネで就職」、3 位が「家人・知人推薦」
51 名分を除く)。また中断再就労志向と退職志向
となっている。
の者でも合わせて 36.1%が働き続け
(転職も含め)
ていた。
日本労働研究機構調査(西川、脇坂・冨田編,
この 2、3 位に選択した理由から各群の就労計
画の特徴がはっきり見えてくる。西川(前掲書)
も指摘しているように就労継続志望群は働き続け
2001)でも卒業時就労継続志望の者は 57.1%が
易いことを重視した長期計画で選んでいるし、結
継続就労していたとのことで、さらに「大卒女性
婚退職志望群は自分の能力を高めたり活用するよ
の就労行動は、卒業時の就労意識に比べてより長
り、かなり身近の私的な関係を重視して周りに合
期的―つまり、退職志望でも実際の行動は中断や
わせて職を選んでいる。さらに言えば出産・結婚
継続就労へ、また中断志望でも実際は継続就労へ
中断志望群はいずれ中断するという意識にもかか
―になる傾向がみられた」(前掲書;p.87)とし
わらず自分の能力活用を望んでいるし、仕事の中
ている。最初の就労志向は大きな影響を持つし、
でさらに高い能力を獲得したいという意欲が強く
また最初に働き続ける志向がなかった者でも結果
見える。結婚出産等で仕事を中断しても、再開し
として働き続けるものがかなりいることがわか
た時にレベルの高い仕事につきたいという前向き
る。
な姿勢がうかがわれる。出産退職志望群は資格・
専門能力獲得よりも給料・休日等の条件を重ん
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
表 3 大卒女性の大学類型別専攻分野(東京女性財団調査 1999 より:単位%)
4 年制共学大
(N=219)
4 年制女子大
(N=286)
短大
(N=265)
全体
(N=770)
人文科学
生活科学・家政
社会科学
理工・農学
教育
その他・NA
30.6
0.5
46.6
11.4
4.1
6.9
43.7
27.3
6.6
13.3
5.6
3.5
54
31.3
1.5
―
6.4
6.8
43.5
21
16.2
8.2
5.5
5.6
表 4 大卒女性のキャリア・パターンと主な専攻分野(東京女性財団調査 1999 より:%)
人文科学
初職継続型
(N=229)
転職継続型
(N=107)
中断再就業
(N=111)
退職型
(N=272)
生活・家政
社会科学
理工・農学
教育
その他・NA
40.2
17.5
19.7
11.4
7.0
4.4
46.7
15.9
18.7
6.5
5.6
6.5
50.5
22.5
14.4
3.6
3.6
5.4
42.6
26.1
13.2
7.4
4.4
6.3
じているから、退職後に続けようとする意欲の違
し、4 年制女子大卒や短大卒では非常に少ない。
いがすでに見られるともいえる。就労継続志望で
人文科学は 4 年制共学大卒がやや少なめで、理工
あった人たちのうちで働き続けなかった人たちが
学は全体に少なく短大卒はない。生活科学・家政
どのような理由で続けなかったのかは後に見るこ
は 4 年制共学大卒がごく僅かで、4 年制女子大卒、
とにする。
短大卒と差が大きい。
上記調査のキャリア・パターンと専攻分野の関
3.
2 大学での専攻分野とキャリア・パターン
の関係
係を示したのが表 4 である。
上記調査でパターン別の傾向の違いを見ると、
大学での専門分野と就職先とは日常の経験に照
初職継続型と転職継続型は生活科学・家政の割合
らしても結構ずれがあるものである。特に文系は
が中断再就業型と退職型の 2 型に比べ相対的に小
その傾向が強い。しかし大学での専攻がその後の
さい。これは家庭生活を重視しているかいないか
キャリアのベースとなることを考えると大卒女性
で考えると納得がいく。初職継続型と転職継続型
の専攻分野とその後の働き方の関係を確認してお
の社会科学と理工・農学の両分野の割合は、中断
くことは意味があると思われる。広い意味での働
再就業型と退職型より多い。これも社会や自然科
き方のうち、就労の継続・転退職といった就労形
学という家庭外の広い世界への関心とみれば納得
態の推移の型をキャリア・パターンと呼ぶことと
できる。また転職継続型と中断再就業型は人文科
する。
学の専攻が初職継続型と退職型より多めである。
東京女性財団の調査(1999)に回答した大卒
女性たちの大学での主な専攻分野を表 3 に示す。
転職継続型と中断再就業型の働き方は周りに配慮
した上で自分を大切にしていると考えられるが、
表で見るように大学の類型別で違いが大きいの
そういった常識的なところが女性に多い人文科学
は社会科学専攻が 4 年制共学大卒で多いのに対
の専攻の多さとなっているのではなかろうか。こ
佐々木由利子:日本の大卒女性の働き方
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図 2 大卒女性初職の職種(%)
東京女性財団(1999)資料より作成
表 5 大卒女性のキャリア・パターンと初職の職種(東京女性財団調査 1999 より:単位%)
一般事務職
専門技術職
販売職
サービス職
労務製造技能職
その他と NA
初職継続型
51.5
31.5
4.8
4.8
0
7.9
転職継続型
60.7
26.2
6.5
0.9
0.9
4.6
中断再就業型
50.5
26.1
5.4
7.2
0.9
9.9
退職型
66.2
19.9
6.6
2.9
1.1
3.3
表 6 大卒女性の大学類型別初職の職種(東京女性財団調査 1999 より:単位%)
一般事務職
専門技術職
4 年制共学大卒
49.5
32.2
4 年制女子大卒
41.9
短大卒
82.8
販売職
サービス職
労務製造技能職
その他と NA
6.9
3.0
0.5
7.9
39.0
8.2
2.6
0.7
7.5
5.2
2.4
6.0
0.9
4.6
れは 4 年制共学大卒、4 年制女子大卒、短大卒を
東京女性財団の調査(1999)では大卒女性回
含めた 15 ∼ 25 年前の女子大学生の専攻分野の
答者の初職は一般事務職が 58.3%で最多で他に
実情である。
比べ格段に多い。ついで専門技術職が 25.3%、
販売職 5.8%、サービス職 3.9%、労務・製造・
3.
3 初職の職種の傾向
技能職 0.7%となっている(図 2)
。表 5 にキャリ
大卒女性が最初につく仕事の職種というのはど
ア・パターンと初職の関係を示す。
ういうものが多いのであろうか。ちなみに 2002
表 5 に示したキャリア・パターンと職種の関係
年の大卒に限らない女性一般の職業別就業者構
でいえば初職継続型は全体平均より専門技術職が
成割合は専門技術職 15.6%、管理職 0.7%、事務
多めで、一般事務職がその分少なめである。転職
職 29%、販売職 13.5%、農林漁業従事者 4.7%、
継続型は職種の割合が全体平均殆ど変わらない。
技能工・生産工 13.9%、保安・サービス 15.5%、
中断再就業型は一般事務職が少なめでサービス職
労務作業者 5.9%である(男女共同参画統計デー
が多めである。退職型は一般事務職が多いのが特
タブック 2003)
。
徴的で、専門技術職は少ない。
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
製造
金融・保険・不動産
公務公営
12.1
20.6
2.9
卸売り・小売
5.3
情報サービス・調
査・広告
教育研究(民間)
6.5
6.8
19.9
その他サービス
8.5
8.5
8.8
建設
運輸・通信
その他
図 3 大卒女性初職の業種(%)
東京女性財団(1999)資料より作成
大学の類型別の初職の職種を表にしたものが表
が 17%、金融・保険・不動産業と公務公営が共
6 である。短大卒で一般事務職が圧倒的に多く、
に 11.4%、である。4 年制共学大卒では公務公営
専門技術職は他と比べて非常に少ない。4 年制女
(30.3%)が最多、次いで製造業と教育・研究(民
子大卒が専門・技術職が多く、一般事務職はその
間)
(11.8%)の比率が同じである。短大卒の金融・
分少なく販売職は多めである。4 年制共学大卒も
保険・不動産業の割合の相対的な多さと、4 年制
専門技術職が多めだが 4 年制女子大ほどではな
女子大卒の教育研究、4 年制共学大卒の公務公営
く、
一般事務職は 4 年制女子大よりは多めである。
の相対的な多さが特徴的である。
これらは過去の大卒女性のついた業種の傾向で
3.
4 初職の業種の傾向
あるが、最近の傾向の指標として文部科学省の
東京女性財団の調査(前掲書)によると大卒女
学校基本調査平成 14 年(女性労働白書,2003)
性の初職の業種(図 3)は製造業の 20.6%と金融・
の中の 4 年制大学女性新規学卒者の産業別就職
保険・不動産の 19.9%がほとんど同じ割合で最
者数構成比を見てみよう。最多がサービス業の
多である。3 位以下には数字のわずかな違いで公
43.2%、次いで卸売・小売業・飲食店の 17.9%、
務公営 8.8%、卸売り・小売 8.5%、情報サービス・
以 下、 製 造 業 が 12.6 %、 金 融・ 保 険 業 12.5 %、
調査・広告業 8.5%と続き、以下教育・研究(民
不動産業 1.6%(上記のように 2 つ合わせると
間)6.8%、その他サービス業 6.5%、建設 5.3%、
14.1%)、運輸・通信業 4.1%、公務 4%、建設 2.4%、
運輸・通信 2.9%、電気・ガス・水道 1.5%、医療・
農林漁業 0.2%、電気・ガス・熱供給・水道が 0.1%、
社会福祉(民間)0.8%、あとはその他である。
その他 1.4%である。
この調査で大学類型別の主な初職を見ると短
その前 10 年ほどの推移も含めてみると常に
大卒は製造業(26.2%)と金融・保険・不動産
サービス業が圧倒的に多く、サービス業は平成 2
業(27.7%)に集中し、1000 人以上の民間企業
(1990)年の 44.2%からいったん減少したものの
(87.7%)で、一般事務職が 80%とのことである
また戻して増加傾向にあること、卸売・小売業・
(前掲書;pp. 28-29)
。4 年制女子大卒は製造業が
飲食店は平成 2(1990)年に 12.6%から平成 10
22.7%と最大の比率、次いで教育・研究(民間)
(1998)年へ 20%まで増加後やや減少傾向にあり
佐々木由利子:日本の大卒女性の働き方
(平成 15 年から飲食店は別分類にされた。)、製
融・保険・不動産が多く 22.4%、情報サービス・
造業は逆に平成 2(1990)年に 19.1%だったの
調査・広告も多めで 15.9%、相対的に少ないの
が近年減少傾向にある。金融・保険業は平成 2 年
が製造業 15.0%である。給料が良いとされる業
ごろ 9.9%だったが増減を繰り返しつつやや増加
種が多く見える。都会的で華やかで活動エリアが
傾向、運輸・通信業は平成 2(1990)年に 2.9%
広い仕事を好むイメージが浮かぶ。転職後の仕事
だったのが増減を繰り返しつつ近年増加傾向(平
は金融・保険・不動産が 7.5%に減り、情報サー
成 6 年の数字は前後年より 10 倍と異常に高く誤
ビス・調査・広告も 10.3%に減る。増えるのが
植と思われる。合計して 100%にならない。)、公
その他サービス業の 2.8%から 12.1%へと、公務
務は平成 2 年に 7%だったのがほぼ一貫して漸減
公営の 9.3%から 13.1%である。条件のよさや華
傾向にある。建設業は平成 2(1990)
年に 2.5%だっ
やかさから地味で奉仕的な仕事へ移動しているよ
たのが平成 9(1997)年の 4.7%をピークに減少
うに見える。
している。
これらの数字は大学進学者の数が増えているこ
中断・再就業型の初職は金融・保険・不動産は
15.3%と転職型ほど多くはないが、これが最大の
とも考えないといけないが、時代の政治経済の動
比率の業種である。製造業も 13.5%と少なめで、
向をしっかり反映していると思われる。民営化推
全体にばらついている。他の型に比べて相対的に
進の流れにより公務は減少、IT 革命と言われる
多いのがその他サービスの 9.9%、教育研究(民
時代の流れで運輸・通信は少ないものの増加の割
間)の 9.9%である。数字は小さいが電気・ガス・
合が大きいし、卸売・小売・飲食店や製造業はお
水道の 2.7%と運輸・通信の 6.3%も相対的に多
そらくグローバリゼーションの影響を大きく受け
く、地味なサービスに努めるイメージが浮かんで
て減少傾向といいつつも、割合は大きいので重要
くる。中断再就業型は仕事も家庭も大切にしたい
な位置を占め続けようし、もともと大きいサービ
意識が強そうに思われ一貫したところが感じられ
ス産業で働く労働人口は他の分野の縮小の受け皿
る。中断再就業の再就業業種では製造業が 3.6%
となってますます増えることになると思われる。
に減り、金融・保険・不動産も 10.8%に減少、
4.大卒女性の転退職
4.
1 キャリア・パターンと初職および転職後
の業種
大卒女性のキャリア・パターンと業種との関連
を東京女性財団の調査(1999)からみると、初
目に見えて増えるのが教育・研究(民間)の 9%
から 18%へ、その他サービスの 9.9%から 16.2%
へ、公務公営の 3.6%から 9%である。大卒女性
の転職の流れは上記の転職継続型と共に金融・保
険・不動産の減少、サービス業、公務公営の増加
と似たような傾向が読み取れる。
職継続型は絶対的に多いのが製造業 20.1%であ
退職型の初職で絶対的にも相対的にも多いのが
るが他型と比べて相対的に公務公営が多くて大
製造 26.1%、金融・保険・不動産の 24.3%、相
卒女性一般 8.8%の倍近く 16.6%が選択し、教育
対的に少ないのは教育研究(民間)2.6%、公務
研究(民間)も 6.8%に対し 10.9%と多い。日本
公営 4%で、人の回転の早い職場の一般事務職の
労働研究機構調査(冨田、脇坂・冨田編,2001)
イメージが浮かぶ。
でも結婚・出産後も働き続けようとする人は公務
員や教員を選ぶ傾向を見出している。初職継続型
4.2 仕事をやめる理由
は地域に根ざして地味に根気良く仕事をするイ
日本労働研究機構の調査(濱田、脇坂・冨田,
メージが浮かぶ。この型で相対的に少ないのは金
2001)で仕事をやめようと真剣に考えたことの
融・保険・不動産の 15.7%である。
ある人の年齢別仕事をやめようと考えた理由に
転職継続型の初職は絶対的にも相対的にも金
よれば、
「どの年齢層でも 20 代では『仕事がき
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
ついこと』
、
『職場の人間関係が悪いこと』で悩ん
性がない」は 14.7%と他の型ほど多くない。つ
だものが多いが、30 前後になると上司との相性
まり退職型は最初から退職するつもりでそういう
を挙げるものが多くなっていること、30 代後半
環境を選んでいるので、期待と現実のずれはさほ
になると仕事がきついことを挙げるものが再度多
どではなく、元々の志向がかなり強く影響してや
くなっていることが分かる。能力発揮できないこ
めていると考えられる。
とを挙げるものも多いが、年次が進むと『自分の
転職継続型の場合初職退職の理由に大学類型別
仕事をきちんと評価して貰えない』ことも大きく
に差があって、トップの理由が 4 年制共学大卒は
なっている。
」(前掲書;p.201)結婚・出産のた
「良い転職先があった」、4 年制女子大卒は「会社
めが 30 代後半から多くなり、それ以外では「仕
の将来性がない」
、短大卒は「仕事にやりがいが
事がきつい」
「人間関係」
「上司との相性」が 3 大
ない」が多かった。また「良い転職先があった」
理由であるという。
は 4 年制共学大卒が 4 割弱、4 年制女子大卒が約
退職した人の働き方志向別退職理由は就業継続
3 割、短大卒が 2 割弱となっていて 4 年制共学大
志向型の女性の場合「家事・育児と仕事の両立困
卒が有利、短大卒が不利となっている。業種・職
難」がトップで、「別の地域に引越し」が 2 位で
種を変える場合は 4 年制共学・女子大卒の方がつ
ある。結婚再就職志向の人と結婚退職志向の人は
ぶしがきいたり、4 年制大卒と短大卒とで再雇用
「もともと退職するつもりだった」が 1 位で、出
職場の期待するものが違うのかもしれない。
産退職志向型は「子育ては自分の手で」が 1 位な
のは当然である。出産再就職志向型の場合「別の
4.3 仕事を続けた理由
地域に引越し」
「子育ては自分の手で」がほぼ同
今度は対照的に数々の障害にもかかわらず仕事
程度で最多、
「家事・育児と両立困難」が次いで
を続けたという場合の続けた理由を見てみよう。
いる。
日本労働研究機構の調査(西川、脇坂・冨田編,
東京女性財団の調査(1999)でキャリア・パ
2001)によると転職者も含む現在有業の女性の
ターン別にみると、転職継続型・中断再就業型の
退職を踏みとどまらせた要因として配偶関係別に
初職を辞めた三択理由のトップが「仕事にやり
見ると離・死別者と未婚者は「生活のため」をあ
がいがなかった」(それぞれ 33.6%、33.3%)で
げるものが多い。有配偶者や子供のいる者は「生
「会社に将来性がない」がそれに次ぐ(32.7%、
活のため」と同じくらい「収入だけでなく、仕事
30.6%)
。
「残業など労働時間が長かった」は転職
から得るものが多いから」をあげている。
「失う
継続型で 30.8%、中断再就業型は 24.3%だった。
には惜しい、やりがいのある仕事だから」を挙げ
また転職継続型では「良い転職先があった」が
た者は有配偶者や子どものいる者で多く「仕事に
29.9%と接近している。良い転職先があって転職
対する使命感」は未婚者や離・死別者で多かった
できた場合を除けば転職継続型と中断再就業型の
という。
初職退職の理由は類似している。適性能力を生か
配偶者のいない女性が「生活のため」や「使命
したいと思って仕事についたものの、現実の仕事
感」といったやや重荷を背負った感じで仕事をし
は厳しく、将来性も見えないことが多く、やりが
ているのに対し、有配偶者の女性は「仕事から得
いが感じられなかったという仕事の期待と現実の
るもの」や「やりがい」を挙げているのは恵まれ
ずれが大きいということか。退職型の場合多いの
ている感じがする。
が「仕事にやりがいがなかった」22.8%で、つい
で「結婚時に退職するつもりだった」が 20.2%、
さらに日本労働研究機構調査(濱田、脇坂・冨田,
2001)によれば、問題があった時の解決のため
「結婚出産後も就業を継続する同学歴の女性が少
の相談相手として若い人ほど「先輩・友人」が多
なかった」が 18.8%である。また「会社に将来
く、年齢高いほど「親・配偶者」が増え、
「弁護
佐々木由利子:日本の大卒女性の働き方
士・医者・カウンセラー・公的機関」は合わせて
けるつもりだった」「やりがいのある仕事をして
1 割に満たないが年齢高いほど利用割合が高いと
いた」と理想がそのまま続けた理由になってい
いう。
若い人ほど年齢の近い仲間集団を頼りにし、
るが、86 年卒では「転職しても良くなると思え
子を育て家族を形成しつつある年齢になると家族
なかった」(57.7%)、「結婚・出産していないの
に相談し、職場での地位の上がる年齢になると、
で続けてこれた」「やめると正社員になるのは難
外部に相談せざるを得ない難しい問題にも直面す
しい」が上位 3 つの理由で消極的な理由が増え、
ると考えられる。
91 年卒は「転職しても良くなると思えなかった」
東京女性財団の調査(1999)によると質問の
(57.7%)「結婚・出産していないので続けてこれ
仕方の違いで別の角度からの結果がでている。継
た」「職場の人間関係が良かった」となっており
続理由 23 項目の選択肢からの 5 択の回答である。
86 年卒と似通っており、消極的理由が増えたの
初職継続型の女性の場合トップの理由は「転職
はバブル崩壊以降の雇用環境の深刻化と密接に関
しても賃金労働条件が良くなると思えなかった」
わっているとしている。
50.7%、
「結婚・出産していないので」が 47.2%
「女性も経済的自立が必要」34.9%、「やめると正
4.4 転退職の時期
社員になることが難しい」35.4%、
「職場の人間
初職をやめた場合それはいつ頃が多いのであろ
関係が良かった」34.9%、
「やりがいのある仕事
うか。日本労働研究機構調査(松繁、脇坂・冨
をしていた」28.4%の順である。
田,2001)によれば 20 歳代に初職を離れるもの
詳しく見ると既婚か子供がいるかによって続
が大半を占めるという。年齢階級別に無業者が勤
けてきた理由が大きく違うことも分かってい
続何年目に初職を離れたかを調べたところ 22-24
る。未婚だと、
「結婚または出産していないので」
歳層の者で 1 年未満で離職したもの 41%、25-29
(67.9%)
「転職しても良くなると思えなかった」
歳層で勤続 1 ∼ 2 年以下の離職者 48.1%、3 ∼ 4
(65.7%)
、
「職場の人間関係が良かった」が上位
年の者 33.3%、つまり 26 歳頃までに初職を離れ
3 項目で突出している。既婚・子ありだと「結婚・
たものが 80%を越すという。勤続 4 年目までに
出産しても働き続けるつもりだった」
(51.8%)、
初職を離れた者は 30-34 歳層でも 35-39 歳層で
「就業継続しやすい制度が整っていた」
「やりがい
のある仕事をしていた」が上位 3 項目である。既
婚・子なしだと「結婚または出産していないので」
も約 60%である。
東京女性財団の調査でも転職継続就業型の場合
初職退職年齢で最多が 26 歳(15%)で前後 1 年
「転職しても良くなると思えなかった」
「やりがい
が共に 13.1%である。婚姻状態はその時点で未
のある仕事をしていた」がほとんど同じ 4 割程度
婚が 8 割、結婚時が 1 割、子供なしも 8 割を少
で上位をしめていてどちらかといえば未婚者に近
し超える。これで見る限り家庭の事情は影響が
い。未婚既婚に関わらず子供のない女性の場合家
少ないらしい。中断再就業型の場合初職退職年
庭の負担が少ないことと職場の条件が転職して改
齢で最多なのが 25 歳で 23.4%、前後がそれぞれ
善される見込みがないとの考えがものをいい、既
13.5%、14.4%なので 25 歳が頂点といえる。婚
婚・子ありの場合卒業時からの継続就労意識とそ
姻状態はその時点で未婚が 5 割、結婚の時が 2 割
れを叶えるような制度が調っているところを選ん
5 分、
既婚も 2 割 5 分、子供なしが 9 割近くである。
だからのようだ。
半数が結婚しているが出産しているものが意外に
またこの調査では 5 年間隔の卒業年度の違い
少ない。ただし退職後すぐ出産している者は結構
による就業継続の理由の変化について述べてい
いるかもしれない。退職無職型の場合初職退職の
るが、81 年卒の場合「女性も経済的自立が必要」
ピークが 24 歳(16.2%)と一番若い。婚姻状態
(53.7%)をトップに「結婚・出産しても働き続
は未婚、婚姻時、既婚のどれもが 3 割強である。
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
結婚しているものの比率が 3 型の中では一番高
倒的に多い。働きたいと思う人の希望就業形態は
い。
パートタイマーが最も多く 41.7%、家で出来る仕
5.転退職後
事 24.1%、正社員・正職員は 16.1%、派遣社員 5%、
起業 4%である。日本労働研究機構調査(武石、
5.
1 再就職でついた仕事を選んだ理由
脇坂・冨田,2001)では「今すぐ」は 18.5%、
「そ
東京女性財団の調査(1999)では「自分の知識・
のうち」は 62%で多めだがほぼ似た数字である。
技能・資格を生かせる仕事である」が転職継続
実際の再就業について日本労働研究機構調査
型と中断再就業型の両型のトップ理由でそれぞれ
(前掲書)では年齢が高かったり離職期間が長く
55%、61.3%である。2 番目の理由は両タイプで
なると正規型での再就業が少なくなる傾向が有意
異なっていて、前者は「やりがいのある仕事であ
ではないがあることを見出している。また藤田(佐
る」39.3%、後者は「通勤に便利である」36.9%
藤編著,2004;pp.87-110)は大卒女性ではなく
となっている。やめてすぐ職につく場合は仕事内
女性一般についてであるが、有配偶女性が退職し
容重視で、中断して再就職の場合は家庭生活との
再就職を目指す場合無業期間が短いと正規で働く
兼ね合いが最重視されてみえる。すでに見たよう
可能性が高まるため、退職時に再就職を予定して
に両タイプとも再就職先の業種はサービスと公務
いる人は無業期間を短くする傾向があり、子供の
公営が増加、中断再就業型は教育研究(民間)も
数が少ない傾向があること、非正規として再就職
増えていた。自分の知識・技能等を生かして人の
すると 10 年以上もそのままの身分で働く可能性
ために働く職場を選んでいる。筆者らの女子大卒
が高いことを指摘している。大卒の場合も似たよ
業生の調査(田中・佐々木・湊,2004)でも中
うなものと考えられる。
断再就業の女性たちは教育関係の非常勤講師や
パートで再就業する者が多かったから、大卒女性
に優勢なパターンといえよう。
6.まとめ
ここまで大卒女性の就職後の進路について各種
資料に基づきさまざまな角度から実態をみてき
5.
2 退職無業女性のその後の方針
た。個々のデータ自体も活用できるが、ここで大
現在無業であることをどう考えているかについ
卒女性の働き方の典型的な型が抽出できると考え
て東京女性財団調査(1999)で退職型女性へ聞
る。大卒女性の働き方として主に 3 つの典型的
いている。その結果は「満足している」14%、
「ど
パターンが読み取れる。(カッコ内に根拠となる
ちらかといえば不満」34.6%、
「どちらかといえ
データの所在を節番号等により示す。)その①は
ば満足」31.1%、
「不満」11.8%、
「わからない」8.1%
「仕事中心型」、働き方志向でいうなら、やりがい、
である。「満足している」と「どちらかといえば
使命感や生活のため出産後も継続的に働くことを
満足」を合わせて満足群とすると 44.1%、同じ
志向(4.3)して、4 年制共学大学で人文科学の
ようにして不満足群は 46.4%となる。ほぼ半々
みならず社会科学か理工学をも専攻し(3.1 表 3)、
といえる。仕事しなくても満足している理由とい
出産後も働きやすく、地味でもやりがいがあると
うのは「家事や育児、介護に専念できるから」と
思われる職場たとえば公務公営、教育研究などに
いうのが 54.2%、「自由な時間、趣味の時間をも
事務職あるいは専門職として就職し(3.4)、予定
てるから」が 28.3%でそれ以外の理由は微々た
通り出産後も働き続ける者である。仕事が生活の
るものである。
中心となる選択を行っている。その②は「自己実
これから働きたいかは、
「今すぐ」が 6.6%、
「そ
現型」、4 年制女子大卒に多い傾向があるが、人
のうち」が 66.5%、
「働きたいと思わない」9.6%、
文科学を専攻(3.1 表 3)し、どこかで一度は仕
「わからない」15.1%である。「そのうち」が圧
事を中断することを予想しつつも、自分の能力を
佐々木由利子:日本の大卒女性の働き方
発揮しつつ高められるような、華やかな職場に事
ンタルヘルス対策が前にもまして重要になろう。
務職あるいは専門職として就職する(4.1)
。仕事
③の家庭重視型の場合も家庭優先で落ち着いてい
にやりがいがなかったりあるいは転居などの理由
られれば良いが、現に再就職希望者は多いし、経
で中断して子育てに一時専念し(4.2)
、通勤に便
済的事情で働かねばならない場合やまわりの再就
利で家庭と両立しやすく、資格技能の生かせる教
職する女性たちの動向が気になる場合、条件の良
育研究やサービス職にパートで就職するか、本人
い再就職口を探す困難や早く見つけねばという焦
の意思・能力と状況に恵まれればすぐかいずれか
りの問題が起こってこよう。家庭にとどまった場
フルタイム職に就くという者である(5.1)
。家庭
合子育て・老親介護・地域の役割の負担が前にも
以外の仕事にも自分の力の発揮の場を求める。そ
増して重くなろう。
の③は「家庭重視型」、もともと結婚出産後は退
以上働く大卒女性のこれまでとこれからについ
職したいという家庭重視志向で専攻分野もそれが
て資料に基づいて考察してきたが、近年の職場環
反映されており短大卒も多く(3.2 表 3)、就職先
境の変化が激しいため、上記の型のありようが崩
もまわりのすすめや、給料・休日などの条件重視
されつつあると思われ、さらに急激に増えてきた
で金融・保険などで企業規模も大きいところに
派遣労働のことを今回は取り上げられなかった。
事務職で就職し(3.1、3.3、表 5、3.4)、自分や
今後の課題である。
周囲の期待通り結婚あるいは出産で退職し(4.2)
家庭運営・子育てに専念する者。ただしまた条件
参考文献
が許せば働きたいとの希望は退職者の半数以上が
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:2003,
『平成 14 年版女性労働白書』
.
持っているので再就職するものも出てこよう。こ
国立女性教育会館:2003,『男女共同参画統計データ
のような 3 パターンが典型的といえよう。女子大
学生が将来のキャリア計画を立てる際に自分には
どのパターンが合っているのかを考えてみること
も業種・職種等選択の際に役に立とう。
先にみてきたように近年の社会経済動向から①
ブック―日本の男性と女性―』
.
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業における進路選択支援」
,
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についての大学生の意識」
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,26 巻,
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タイプの女性の受け皿であった公務公営が縮小の
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「就職のための自己分析セミ
見通しのため、業務が民間に移管されるとサービ
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『学
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,22 巻,3 号,272-284 頁.
ス業として厳しい競走にさらされ、業務がきつく
なる可能性がある。
「仕事中心型」の女性にとっ
佐藤博樹(編著)
:2004,
『変わる働き方とキャリア・
デザイン』
.
て厳しい状況となろう。IT 革命の進行の影響を
田中祥子・佐々木由利子・湊道子:2004,「津田塾大
どの型の女性も受けるが、IT 分野の変化は激し
学卒業生のキャリア・ライフ・パターンの変遷」
,
『津
田塾大学紀要』
,36 号,93-120 頁.
いので特に仕事を中断する②自己実現型の女性は
最新の技術や知識を身につけるキャッチアップの
東京女性財団:1999,『大卒女性のキャリア・パター
ンと就業環境』
.
努力が前にもまして必要とされよう。再就職先は
内閣府(編)
:2003,
『男女共同参画白書』
.
一般には大規模で安定したところより小規模で無
内閣府:2004,
『男女共同参画白書』
.
名、新興の組織が多くなろうが、そういう組織の
日本婦人団体連合会編:2004,
『女性白書 2004』
.
方が受けがちと思われるグローバリゼーションの
影響は仕事の仕方の急激な変化、場合によっては
外国人労働者の参入と言葉や文化の問題などが生
じ、コミュニケーション上のストレスを生み、メ
文部科学省:2004,
『平成 16 年版文部科学統計要覧』
.
脇坂明・富田安信(編)
:2001,
『大卒女性の働き方』
.
Richman, D.R. : 1988,“Cognitive Career Counseling for
Woman”,
, Vol. 6, No. 1&2, pp. 50-65.
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
報告・資料
集中型グループ体験学習を取り入れた
「キャリアプランニングⅡ」
の効果
末 松 渉*1 柴 原 宜 幸*2 小 林 大 二*3
キーワード
キャリアプランニング 集中型グループ体験学習 自己理解 エゴグラム
1.はじめに
といった、進路未決定者の特徴を挙げている。ま
た、東ら(2002)は、大学生の進路決定・未決
本学のカリキュラムでは学生への進路指導を目
定を規定する要因を実態調査した結果、進路未決
的とした科目である「キャリアプランニング」が、
定者について「自己実現を図りたいという漠然と
1・2 年生に対してそれぞれ 1 単位の必修科目と
したイメージはあるが、具体的な計画や決定につ
して設定されている。2006 年度の場合、「キャリ
いて、どの様に行動すべきか定められない若年者
アプランニングⅠ」は、年間 8 回の講義と全教
の戸惑いの現れ」と述べている。つまり、学生が
員が生活指導と進路指導を行う「1 年生ゼミ」で
自分のことや将来について気にはしているが、ど
構成され、
「キャリアプランニングⅡ」は、年間
の様に取り組めばよいかが判らず不安な状態にあ
6 回の講義と各専攻による「小集団指導」で構成
ることや、新しい自分を見出す体験に躊躇してい
されている。この他の進路支援として、外部講師
る状態にあることが推測できよう。
による卒業後の進路選択と就職活動に関するガイ
また、大学生の心理的傾向について岡田(1993)
ダンスが行われている。しかし、上記のような本
は、人間関係に対する不安や内省の乏しさなどか
学が提供する進路選択のための援助に対して、就
ら友人関係の深まりを回避する傾向があることを
職や進学といった進路を決定せずに卒業する学生
指摘している。本学の場合においても、人間関係
(進路未決定者)が少なくない。この理由には、
に悩んでいてもどのように解決すればよいのかが
本学が提供している進路決定のための様々な情報
判らず不安や恐怖を抱えて保健室や学生相談室を
に対する学生の関心が低いことが挙げられる。
訪れる学生が多い。このような本学学生の状況を
労 働 政 策 研 究・ 研 修 機 構(2006) に よ る と、
鑑みると、これまでの進路指導に加えて、自分の
各大学の就職部やキャリアセンターの職員が、
「何
ありように目を向ける自己理解と他者との人間関
をしていいかわからない」
、
「就職活動をスタート
係づくりについて学ぶ機会を提供する必要があろ
するのが遅い」
、
「自信がない」
、
「こだわりが強い」
う。
「自己理解」と「人間関係づくり」の体験的学
2006 年 10 月 1 日受理
Effectiveness of the intensive group experiences for Career
Planning Ⅱ
*1 Wataru SUEMATSU
日本橋学館大学人文経営学部
*2 Yoshiyuki SHIBAHARA
日本橋学館大学人文経営学部
*3 Daiji KOBAYASHI
日本橋学館大学人文経営学部
習を目的とするカウンセラーの養成研修内容にお
いて「集中的グループ体験学習」というものがあ
る。集中的グループ体験学習は、今日、一般の
人々を対象とした自立支援やソーシャル・サポー
ト資源の開発にも採用され、心理臨床の講義にも
採用した例が報告されている(田中,1983;三
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
村他,2001;村上他,2001;清水他,2001)
。ま
プには 19 名(男性 11 名、女性 8 名)が参加した。
た、学生相談室の取り組みとして集中的グループ
以下、これらのグループを便宜的に前半グループ
体験学習を取り入れた事例も報告されている(大
および後半グループと呼ぶ。
西他,2000;鈴木他,2001;西崎,2002;香川,
オリエンテーションでは、集中的グループ体験
2005)
。心理臨床教育には、専門家の養成と自己
学習に参加する各学生のパーソナリティを調べる
の成長という二つの側面がある。集中的グループ
ため、TEGⅡ(東大式エゴグラム)による検査
体験学習はこれらの側面を両立させながら、自己
を実施した。この内容に関しては 3 節で述べる。
理解と他者との人間関係づくりを促進させる上で
前半グループの集中的グループ体験学習は 8
有効なプログラムであると言えよう。
月 31 日と 9 月 1 日に実施したが、病気で早退し
そこで本学の心理臨床専攻では、2005 年度か
た学生と 2 日目から参加した学生が各 1 名、無
ら集中的グループ体験学習を「キャリアプラン
断で早退した学生が 1 名いた。そこで、前半の
ニングⅡ」での小集団指導の一部に導入した。特
グループでは実施期間中にグループのメンバー構
に、2005 年度には 1 泊 2 日の合宿を通して集中
成を変更した。一方、後半グループに対しては 9
的グループ体験学習での指導を行った。この合宿
月 4 日と 9 月 5 日に集中的グループ体験学習を
による集中的グループ体験学習の目的は、(1)コ
行ったが、女性 1 名が 2 日目から加わった以外
ミュニケーション・スキルを身につけること、
(2)
に参加者の変動はなかった。このような理由から、
人間関係能力を身につけること、さらに、(3)学
TEGⅡの結果については、後半グループによる
生同士あるいは学生と教師間の親睦を図ることで
検査結果に基づいて評価することとした。
あった。また、2006 年度は夏期休業期間内に大
参加したスタッフは心理臨床専攻所属教員 6
学の教室で 2 日間、延べ約 10 時間に渡る集中的
名および 2005 年度に集中的グループ体験学習を
グループ体験学習による集団指導を行った。この
経験した心理臨床専攻 3 年の学生アシスタント 5
目的も 2005 年度と同じであるが、プログラムの
名である。
内容については後述することとしたい。
本稿では、2005 年度および 2006 年度に実施
した当専攻による集中的グループ体験学習の内容
を紹介し、その有効性について心理学的見地から
の評価を試みる。
2.集中的グループ体験学習の実施方法
2.2 プログラムの構成
一般に、集中的グループ体験学習の形態には、
「トレーニング・グループ」、「非構成的エンカウ
ンター・グループ」、「構成的エンカウンター・グ
ループ」、
「グループ精神療法」などがある(國分,
1992;野島,1994)。筆者の一人は、これらの集
2.
1 実施までの流れ
中的グループ体験学習によって、主にボランティ
当専攻のスタッフの人数や施設の関係から、
ア相談員の育成や、教師や看護士に対する「傾聴
2006 年度の集中的グループ体験学習は 2 年生を
訓練」の機会を提供している。また、各種の形態
20 人程度の 2 つのグループに分けて実施した。
においてファシリテータ(としての)体験を有し
グループ分けは男女の偏りが生じないようにした
ている(末松,1996,2001)。このような筆者の
上で、ランダム抽出によって行った。このグルー
経験に基づいて、当専攻での「キャリアプランニ
プ分けの結果は 7 月 29 日のオリエンテーション
ングⅡ」に相応しい集中的グループ体験学習のプ
で学生へ伝達した。オリエンテーションの欠席者
ログラムを考案した。表 1 は 2006 年度に実施し
に対しては、8 月 9 日に改めてオリエンテーショ
た後半グループのプログラムの内容である。ただ
ンを実施した。その結果、先に実施したグループ
し、テーマによっては若干の延長をしたり、休憩
には 21 名(男性 13 名、女性 8 名)、後のグルー
を適宜入れたりしたが、学生が主体である事を
事前指導
コミュニケーションにとって
大切な要素
エクササイズ:「互いに知り合う」
10:45∼11:00
11:00∼11:20
11:30∼12:30
表彰
グループでの振返り
10:45∼11:15
11:15∼12:30
グループ発表
エクササイズ:「人との対話」
体験の振返り
13:30∼14:15
14:30∼15:30
15:30∼16:30
12:30∼13:30 昼食・休憩(お弁当や飲み物などを配布)
テーマおよび課題
課題達成グループ・エクササイズ :
「仲間と共に問題を解決しよう」
時間
2 日目
13:45∼15:45
12:30∼13:45 昼食・休憩(お弁当や飲み物などを配布)
テーマおよび課題
時間
1 日目
面接での対話
グループ面接/就職活動全般
「TEG Ⅱ」および今回のプログラム全体を通し
集団から孤立した状態で内省させることによっ
ての自己評価およびび感想を書く用紙を配布し
て自立を促進する.
個々に分かれて記入させた.
プレゼンテーション
グループ面接/グループ・ワーク
模造紙にまとめた感想について模造紙を掲示し
てグループごとに発表させた.
グループ面接/グループ・ワーク
グループの順位に応じて全員の前で表彰した.
想定される就職活動場面への適用
「自分/グループ/メンバー」について考えたこ
とを各自で「振返りシート」に記述し,グルー
プごとに模造紙へメンバーの感想をまとめさせ
た.
具体的な指導内容
グループ面接/グループ・ワーク
日常会話は言語・非言語を使って、相手に肯定
実施後に、印象に残ったことや自分自身につい
的・否定的なメッセージを送っている。互いに
て考えたことを記述する「振返りシート」を配
心地よいコミュニケーションとは何かを理解さ
布して,各学生に記述させた.
せる.
他のグループの体験を共有させる.
各メンバーの体験を共有させる.
葛藤場面を体験させて自我を強化する.
指導目的および目標
他人の情報を大切に扱うことを通して,メンバ 3 つのグループに別れて,それぞれ割り当てら
ーの存在を尊重させる.葛藤場面の中で他人と れた教室で問題解決課題に取り組ませて,課題
協力することを体験させる.
達成順にグループの順位を決定した.
面接での自己紹介
「夏の日の思い出」
,「楽しかった思い出」
,「悲
参加者同士が決められたテーマでコミュニケー
しかった思い出」
,「腹が立った思い出」
,「今会
ションを取らせ,互いの存在を尊重させる.自
ってみたい人」
,「今行ってみたい場所」につい
分の個性を伝えることの意義を理解させる.
て,課題ごとに異なる相手と語り合わせた.
進路選択時
スケジュールと連絡事項の伝達とアシスタント
(3 年生)を紹介した.
面接での自己紹介
想定される就職活動場面への適用
具体的な指導内容
「自己イメージとは」
,
「傾聴することとは」
,
「相
コミュニケーションで求められる能力を理解さ 手に伝わる表現とは」
,「自分の感情を意識する
せる
こと」
,「自己開示(本音で伝えること)
」の意
味を説明した.
自己理解のための動機付け
指導目的および目標
表 1 プログラムの内容
末松渉 柴 宜原幸 小 林 大 二:集中型グループ体験学習を取り入れた「キャリアプランニングⅡ」の効果
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
学生に意識させるため、学生に同意を求めた上で
の間の飲食等は各小グループのメンバーの判断に
行った。なお、前半グループは、グループ・エク
任せた。
ササイズを 2 日目の午前に行い、
エクササイズ「人
2.2.5 表彰
との対話」を 1 日目の午前に実施した。
表彰では全ての小グループに対して賞品を用意
表 1 に示すように、集中的グループ体験学習
して配布した。
のプログラムは事前指導を含む 9 種類のテーマ
2.2.6 グループでの振り返り
で構成し、各テーマの内容は進路決定や就職活動
小グループでのエクササイズを体験した結果、
の様々な場面を想定した上で決めたものである。
自己や他者、グループ内で生じたことを各メン
なお、各テーマを実施する際には、参加者がテー
バーに再認識させた上で、その認識を小グループ
マの意図を意識しながら参加できるようにするた
全体で共有化させるため、体験した内容を模造紙
め、テーマの内容を分かりやすく、具体的に、簡
にまとめさせた。
潔に説明し、資料を適宜配付した。また、アシス
2.2.7 グループ発表
タントの協力を得てエクササイズの見本を参加者
各小グルーブで生じたことやメンバーが体験し
全員に示したり、ファシリテータ(主催者)がコ
たことを他の参加者に示すため、各小グループが
ミュニケーションの学習モデルとなるように、感
作成した模造紙を黒板に並べて展示し、小グルー
じたことや考えたことを率直に表現するように行
プごとにプレゼンテーションをさせた。
動したりした。以下に、各テーマに関する説明を
2.2.8 エクササイズ「人との対話」
加える。
話しが苦手な学生の不安を軽減するため、人は
2.
2.
1 事前指導および各テーマの説明に関す
る共通事項
学生にテーマの目的を意識させるため、各テー
マの制限時間や体験のポイントを板書した。
言語・非言語を通して自分や他者の存在を認める
が、一方では成長や変化や存在を妨げるようなコ
ミュニケーションがあることを、資料を配布し説
明した。
2.
2.
2 コミュニケーションにとって大切な要素
2.2.9 体験の振り返り
集中的グループ体験学習の導入として、自己理
自己理解の方法として他者と共に過ごす時間と
解と他者理解に必要な視点、あいまいな自己概念
自分一人で過ごす時間とを切り替えて、2 日間の
と明確な自己概念の違い、傾聴するということ、
体験を振り返るための時間を設けた。
明確な表現とは何か、
自分の感情を意識すること、
率直な自己表現とは何か、を説明した。
2.
2.
3 エクササイズ「互いに知り合う」
各エクササイズは、5 人から 6 人の小グループ
3.集中的グループ体験学習に対する
有効性の評価方法
他者とのコミュニケーションでは、その個人が
に分けて実施した。各小グループのメンバーは男
コミュニケーションをどのように捉えているか、
女の比率が同じになるように予め編成し、これを
またその個人がどのような対人関係のスタイルを
伝達した。また、話す話題が無い場合には、笑顔
有しているかが大きな影響を及ぼす。つまり、集
やうなずきが相手へ意味のあるメッセージを送る
中的グループ体験学習の場合では、個々の学生が
ことなどを実感するように意識させた。
コミュニケーションをより肯定的に捉えるように
2.
2.
4 グループ・エクササイズ「仲間と共に
問題を解決しよう」
なったりすること、あるいは自分の対人関係のス
タイルを知って、それを改善しようとしたりする
日常の競争場面での自分と他者のありように気
ことが期待される。この様な観点から、本研究で
づく場とするため、
主催者は時間の管理のみ行い、
は集中的グループ体験学習による効果を(1)自
各小グループに問題解決の早さを競わせたが、そ
己や他者に対する関心の変化、
(2)対人関係のス
末松渉 柴 宜原幸 小 林 大 二:集中型グループ体験学習を取り入れた「キャリアプランニングⅡ」の効果
タイルの変化といった 2 つの視点での検討を行っ
は相互に関連し、
「その人が自分自身や他者や周
た。具体的には、以下に述べる通りである。
りの状況をどのように体験しているか」を表す。
まず、(1)を評価する方法として、プログラム
また、自我状態のイメージとは次の 3 つの要素か
の最後に調査票を配布し、参加者全員に回答させ
らなる構造として捉えられている。一つは親や親
た。
に代わる重要な人物の考えや感情、行動をそのま
回答方法は、それぞれ「はい」
、
「かわらない」、
「いいえ」の中から選択するものとした。
この調査票は、以下に示す 6 問の選択式回答と
プログラムについての感想(内容・日程・時間・
その他)を記す自由回答で構成した。
1.他の人に対して自分のことを述べること
が出来るようになった
2.自分のことを他人に伝えるということが
楽しいことが分かった
3.自分のことを他人に聞いてもらうことが
楽しいことが分かった
4.他の人をより深く知りたいと思うように
なった
5.自分のことをより深く知りたいと思うよ
うになった
6.自分のことがより詳しく分かるようになった
まコピーしている「親」
(P)の状態、二つ目は、
「今、ここ」で起きている状態に対応している考
えや感情、行動の「大人」(A)の状態、三つ目は、
小さい頃の考えや、感情、行動を再現している
「子供」
(C)の状態である。なお、自分自身や他
者との関わり方から見た自我状態を機能的自我状
態と言う。P(親)の自我状態は NP(養育的な
親)と CP(支配的な親)の側面を持ち、C(子供)
の自我状態は AC(適応した・順応した・反抗し
た子供)と NC(自然な子ども)の側面を持つ。
TEGⅡは、自助や予防の視点から TA 理論を
心理療法に取り入れたグループが開発したエゴグ
ラムの考え方に基づく検査法であり、自分の行動
の特徴を知り、自身との関係や人間関係を改善す
るために臨床、産業、教育分野で活用されている
(繁田,2003)。なお、香川(2005)は、エゴグ
ラムを含めた TA 理論に基づく自己発見支援シス
コミュニケーションに対する態度を調べるため
テムプログラムを進路指導に活用することを試み
に、6 つの設問はコミュニケーションの様々な側
ている。そこで本研究においても、集中的グルー
面(自分を知る、他者を知る等)をどのように捉
プ体験学習による対人関係のスタイルの変化を捉
えていのるかを問う内容とした。また、自由回答
えるために TEGⅡを採用することとした。
は参加者がプログラムによってどの様な影響を受
TEGⅡは自記式の選択回答式検査であり、全
けたのかを内省できるようにすることと、今後の
78 問で構成され、回答者の負担が比較的少なく
プログラム改善に対する情報を得ることを目的と
集計が容易である。そこで、学生自らが自分の対
した。
人関係の傾向を知るため、TEGⅡの実施後には、
次に(2)
に関しては、事前オリエンテーション
その結果を本人に集計させた。また、集中的グルー
時とプログラム実施後の個人の振り返り時間に実
プ体験学習の前後で実施することで、学生自らが
施した TEGⅡにおける結果を基に検討を行った。
その変化を認識できるようにした。
以下、TEGⅡについての説明を加える。
エゴグラムは、心理療法における TA(交流分
4.有効性の評価結果および検討
析)理論の「自我状態」のエネルギーの流れを知
4.1 調査票および自由回答の結果
るために Jack Dusay が開発した検査法である。
分析対象は前半グループ 19 名と後半グルー
自我状態とは「行動のパターンと直接関連する感
プ 19 名の計 38 名である。6 つの設問に対する
情と経験の首尾一貫したパターン」であり(Bern,
「はい」の回答率は、それぞれ、57.9%、60.5%、
1972)
、思考、感情および対人関係のパターンに
68.4%、34.2%、52.6%、42.1%であった。全体
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
では過半数の者が「はい」と回答しているが、設
表 2 「他の人のことを知りたい」の昨年との比較
問 4「他の人をより深く知りたいと思うように
はい(%)
いいえ(%)
合計(%)
13(34.2)
25(65.8)
38(100)
昨年
35(87.5)
5(12.5)
40(100)
合計
48(61.5)
30(38.5)
78(100)
なった」
、設問 6「自分のことがより詳しく分か
今年
るようなった」の数値は若干低い。しかし、設問
6 に関して言えば、2 日間のプログラムで「詳し
く分かる」ことは難しいのは必然であろう。
自由回答においても
「非常に難しくて緊張した。
自分とタイプの違う人が多く、話をあわせようと
表 3 「自分のことを知りたい」の昨年との比較
はい(%)
必死になっていて、あまり集中できなかった(参
加者 F)
。
」
、
「まだ仮面をつけているという表現は
少し違う気がするが、他者の受け入れ、他者に受
け入れられるという事に壁を作っている気がする
いいえ(%)
合計(%)
今年
20(52.6)
18(47.4)
38(100)
昨年
33(82.5)
7(17.5)
40(100)
合計
53(67.9)
25(32.1)
78(100)
(参加者 P)。
」のように、与えられたテーマの困
難さを実感しながら真摯に取り組んでいる姿勢が
る。
表 2 と 表 3 を 見 る と、 設 問 4 と 設 問 5 で は
伺えた。
その結果、
「相手にうなずいてもらったり、相
2005 年度では「はい」の割合が 87.5%と 82.5%で
槌をしてもらったりするだけでも安心できるとい
8 割を超えていたが、2006 年度は 34.2%と 52.6%
うことが気付けた。また、普段から普通にしてい
へと極端に減少している。両年度における参加人
ることなのに、人の気持ちに対して働きがあると
数はほぼ等しく、プログラム内容も基本的には同
知って驚いた(参加者 P)。」のように自分の別の
じであったことから、このような傾向が見られた
面が見えたことに対する驚きや、
「話し始めれば
原因としては、各年度における学生の集団特性の
今まで知らなかった人とも結構話ができるという
違いなどを挙げるのが一般的であろう。しかしな
ことが判り、それが印象に残った(参加者 D)。」
がら、
この結果に対しては、
むしろ「合宿」と「通い」
のように、他者とのコミュニケーションに躊躇し
といった実施形態の違いが大きな影響を与えたと
ていた学生に自信を与えるきっかけになったこと
考えるのが妥当である。この理由を以下に述べる。
合宿という実施形態では、1 日目のプログラム
が推察できた。
なお、2005 年度に実施した集中的グループ体験
の終了は他者との関係の終了を必ずしも意味し
学習においても同様の調査票を用いて回答を得て
ない。寝室は 4 ∼ 5 人の学生で構成されており、
いることから、2006 年度と 2005 年度の回答結果
それなりの関係は維持されたと言える。その結
を統計的に比較した。具体的には、各設問におけ
果、例えば、気の合う少数の仲間と話し込んだり、
る回答率について χ 検定を行った。その際にセル
1 人で時間を過ごしたりしていた者、友達になっ
の期待度数の問題から、
「かわらない」と「いいえ」
た者同士で騒いだり、教員の部屋へ四方山話を聞
に対する回答は「いいえ」と見なした。その結果
かせに来た者が居た。そして、2 日目のプログあ
の中から、設問 4「他の人のことを知りたい」と
ラムが始まったのである。また、合宿の場合、普
設問 5「自分のことを知りたい」に対する回答結
段の大学の教室とは異なる環境で過ごすこととな
果を表 2 と表 3 に示す。これらの設問では、年度
る。このような非日常的な物理的環境や雰囲気な
2
= 23.8、
ごとの回答結果に有意差(設問 4:χ(1)
どが回答に影響を及ぼした可能性が高い。一方、
= 7.98、p < .01
[表 3]
)
p < .001
[表 2]
、設問 5:χ(1)
通いの場合は、1 日目のプログラムが終了すると、
が見られた。つまり、2005 年度の方が 2006 年度
参加者は三々五々帰途に着き、12 時間以上のブ
に比べて「はい」の割合が有意に高かったと言え
ランクの後で 2 日目のプログラム開始時に再会す
2
2
末松渉 柴 宜原幸 小 林 大 二:集中型グループ体験学習を取り入れた「キャリアプランニングⅡ」の効果
表 4 新版 TEGⅡにおける 5 つの尺度の読み方
表
自我状態
得点が高い場合
得点が低い場合
CP
良心にしたがう。責任感が強い.
建前にこだわる.完壁主義
物事にこだわらない.のんびりやである.
規則を守らない.いい加減である.
NP
他人の世話をする.思いやりがある.
過干渉.おせっかい.
淡白である.さっぱりしている.冷淡であ
る.
気配りをしない.
A
理性的である.論理的である.
人間味に欠ける.
構えない.素朴である.情緒的である.
情に流される.思い込みで判断する.
計画性がない.
FC
創造性に富む.感情表現が豊かである. 静かな感じである.素直である.
自己中心的である.落ち着きがない.
引っ込み思案.物事を楽しめない.
AC
マイペース.自主的に行動する.
協調性に富む.従順である.依存心が強
人に気兼ねしない.自分勝手である.
い.優柔不断.自己評価が低い.
頑固.人と共に行動できない.
ることとなる。そのため、旧知の仲間同士は別と
キャリアプランニングⅡでの集中的グループ体
して、通いの場合、1 日目の終了時は他者との関
験学習の場合、自己を生かしつつ他者を大切にす
係の終了へと繋がりやすかったと言える。
るような他者との関わり方に基づいて、自己理解
以上の結果をまとめると、2006 年度について
と他者との人間関係づくりを進めることが目的で
は、参加者がプログラムに対して「難しさ」を感
ある。換言すれば、周囲の目が気になって自分を
じていたと言えるが、主催者側が意図した効果を
表現できない人や、自己表現は豊かであるが周囲
各参加者にもたらしていたことは確認できた。し
の反応や状況を無視する人の自我状態や対人関係
かし、2005 年度との比較から、集中的グループ
のスタイルを改善することが目的となる。一般に、
体験学習においては合宿形態が望ましいことが
周囲の目が気になって自分を表現できない人は A
判った。
と FC のレベルが低く、自己表現は豊かであるが
周囲の反応や状況を無視する人は A と AC のレ
4.
2 TEGⅡによる結果
ベルが低いと考えられる。そこで、これらのレベ
TEGⅡにおいては、プログラム内で参加者が
ルが増加したことで、集中的グループ体験学習に
増減し、小グループの編成を変えざるを得なかっ
た前半グループを解析の対象から外し、後半グ
よる効果が得られたと判断することとした。
表 5 は集中的グループ体験学習の実施前後にお
ループの参加者による結果を解析の対象とした。
ける各参加者の自我状態の変化を示したものであ
TEGⅡにおける各自我状態の尺度とそれらの得
る。 以 下、 表 5 の A と FC、 お よ び A と AC の
点に応じた解釈を表 4 に示す(東京大学医学部心
レベルの変化に着目した検討を加える。ただし、
療内科 TEGⅡ研究会,2006)
。
参加者 M による結果では疑問尺度(¹)のレベルが
エゴグラムを使った心理面接では、本人の自己
高く、参加者 N による結果では非妥当性尺度(²)
イメージとの照合を行い、最も低い自我状態を高
のレベルが高かったため、検討の対象から除外す
める事を目標に援助する。そして、最後の面接時
る。
に再度エゴグラムでその変化を確認し、心理面接
まず、A と C のレベルについて表 5 を見ると、
の効果を測る。よって今回の集中的グループ体験
A のレベルが 1 または 2 で、かつ、FC のレベル
学習においても同様に、低い自我状態を高める事
が 1 または 2 の参加者 5 人(参加者 B、F、H、L、R)
が目標となる。
のうち、2 人(参加者 L、R)は、A と FC のレ
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
表 5 集中的グループ体験学習の実施前後における自我状態の変化
‫‮ףڹ‬
ම֌
A
ીᅄ֭
ીᅄൖ
ીᅄ֭㈳㈹ᕉ⟿
A
FC
ဝ૴㈠㉗㉖ଓ͆⬄ϭ㈹㉷㉽㉢㊩㈹ং‫ك‬
CP NP
A
FC AC CP NP
A
FC AC CP
NP
AC
F
3
3
4
2
5
3
4
5
4
3
+1 +1 +2 -2 ㉃㈹ථ㈏㉏㉕㈗۹ˀ㈢㈪ㄿ
B
F
1
2
1
1
4
1
2
2
1
5
C
M
3
4
3
4
3
4
4
3
3
3 +1
D
M
3
3
3
4
4
3
5
4
3
4
E
M
3
4
4
4
4
5
5
3
4
3 +2 +1 -1
F
F
2
5
1
2
4
2
5
3
2
4
G
F
5
3
4
3
1
4
3
3
3
3
H
M
2
2
2
2
3
2
2
2
3
4
I
M
3
3
3
4
4
3
3
3
4
4
J
M
3
4
3
3
4
3
4
4
3
4
K
F
3
2
4
2
3
2
2
3
1
5
L
F
2
5
2
2
3
3
4
3
3
2 +1 -1 +1 +1 -1 ㈪ㄿ
M
M
4
5
1
4
3
5
4
2
5
3 +1 -1 +1 +1
N
M
5
2
5
4
2
5
1
5
3
1
O
F
5
2
5
3
3
4
2
4
5
3
-1
-1 +2
P
F
5
2
5
1
1
4
2
4
1
2
-1
-1
+1 ㉓㈑㈶㈵㈮㈱㈘㈪ㄿ
Q
M
3
3
2
3
3
3
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+1
+1 A㈳AC㈗1ऻ‫ף‬ㅁૃ╞᫢㈶ᣞᗇ㉝֋ᄺ㈲㈘㉖㉓㈑㈶㈵㈮㈱㈘㈪ㄿ
R
M
2
3
2
2
3
3
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3
3
3 +1
+1 +1
ACӋΡ㈖㉔AӋΡ㈶ং‫ك‬ㅁ͙͆㉝ᕧ㈶㈢㈤㈙㈱㈏㈪㈞㈳㈗Ἧ݅㈠㉗㈱ㄾ⅋ո㉏͙‫‮‬
+1
+1 A㈕㉓㈾AC㈗ऻ‫ף‬ㅁᣞᗇ㈶අ㈣㈱‫☈ٴ‬㈲㈘㉖㉓㈑㈶㈵㈮㈪
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+2 +1 -1
NP㈕㉓㈾A㈗ऻ‫ף‬ㅁᣞᗇ㉝֋ᄺ㈢㈱͙‫‮‬㉃㈹⥎ອ㈗㈲㈘㉖㉓㈑㈶㈵㈮㈪
-1 CP㈗΢Ρ㈲㈍㈮㈪㈗P㈗ӋΡ㈶ং‫ك‬ㅁ㊨ㅖ㉾ㅖ㉵㊁㊕㈗᫘၆㈲㈘㉖㉓㈑㈶㈵㈮㈪
A㈗΢Ρ㈲㈍㈮㈪㈗+2ऻ‫ף‬ㅁ⅋ո㈫㈜㈲㈵㈚‫ࡕܦ‬㈹ᣞᗇ㉝᫢᯺㈶◜⚃㈲㈘㉖㉓㈑㈶
㈵㈮㈪
+2
-1
FC㈗᚛ଦㅁ⅋ոቊΡ㈹҉۹㈗೻㉉㉕ㄾ᰷Ή⣪අ㈹҉۹㈗ᥰ㉗㈱㈘㈪
AC㈗2ऻ‫ף‬㈢CP㈗1᚛ଦㅁᣞᗇ㈶අ㈣㈱‫☈ٴ‬㈲㈘㉖㉓㈑㈶㈵㈮㈪ㄿ㈠㉔㈶ལ֋᫢㈵╀
-1
+2 ᅀ㈫㈜㈲㈵㈚ㄾ↝㈏ѩⰢ㈶㉍ᬶ㉝۹㈜㉖㉓㈑㈶㈵㈮㈪ㄿ
+1 +1 FC㈕㉓㈾AC㈗ऻ‫ף‬:ㅁảᬼ㈲Ζ㈾Ζ㈾㈳㈢㈱㈘㈪ㄿ
㉍㈳㉍㈳ং‫ك‬㈤㉄㈘᠊㈺㈵㈏
+1
-1
A㈗1ऻ‫ף‬ㅁᣞᗇ㈶අ㈣㈱‫☈ٴ‬㈲㈘㉖㉓㈑㈶㈵㈮㈪
-1 -1 +2 ㈞㈹ệእ㈫㈜㈲㈹֋ᄺ㈺⮽㈢㈏
A㈗1ऻ‫ף‬㈢CP㈗ऻ‫ף‬ㅁ⅋ո㈹ྥ㉕㈶ᕧ㈰㈏㈱๟⚃㈤㉖㉓㈑㈶㈵㈮㈪ㄿХම᫢㈶㈵㈮
-1
ᩐު୅ಏ㈹㊪㊗㊩㈗ⶲ㈚֋ᄺЄ᨞
-1 -1 Ⱎ৬ഝම୅ಏ㈹㊪㊗㊩㈗ⶲ㈚֋ᄺЄ᨞
ベルが共に向上している。また、他の 3 人(参加
者 B、F、H)においても、A または FC のレベ
ルが向上している。
FC㈗2ऻ‫ף‬ㅁᐯㅓ㈵㈞㈳㈶⅟‫ܬ‬ㅀ⬄ൺ㈗྾㈱㉖㉓㈑㈶㈵㈮㈪
AC㈗1ऻ‫ף‬ㅁ‫☈ٴ‬ම㈗۹ˀ㈢ㄾ⅋ո㈹๟╀㉝╵㈮㈪㉕͙‫‮‬㈹๟╀㉝⁞㈏㈪㉕㈲㈘㉖
CP,A,FC㈗1ऻ‫ף‬ㅁᏱ㈢㉊㈵㈗㉔͙‫‮‬㈳ӽ㈶☁Ⲥ⣕᧯㈶۹㈜㈱‫㉕ۄ‬ẻ㉋㉓㈑㈶㈵㈮㈱
㈘㈪
1993)。
以上より、各事例間に相反する変化も見受けら
れるが、TEGⅡの結果を総じて解釈すると、各
次に、A と AC のレベルでは、A のレベルが 1
参加者の対人関係のスタイルに望ましい変化が生
または 2 の参加者 6 人(参加者 B、F、H、L、Q、R)
じたと言える。即ち、自分を押し殺した中で対人
のうち 3 人(参加者 B、H、Q)の AC のレベル
関係スタイルをもつ学生(FC のレベルが低い学
に向上が見られる。また、A のレベルが 3 または
生)に対しては自分を表に出すこと、また、周囲
5 で AC のレベルが最も低い 1 だった参加者 G と
に対し考慮なく自分自身を表現する学生(AC の
P は、AC のレベルがそれぞれ 3 と 2 に向上して
レベルが低い学生)に対しては、主張を押さえて
いる。
周囲と協調すること、といった変化が見られた。
他の変化については、表 5 に記載した通りで
あるが、これらの変化は、心理面接による効果と
似ており、集中的グループ体験学習が治療的効
果を含んでいたと考えることができよう(新里,
従って、本集中的グループ体験学習の有効性はあ
る程度実証されたと言えよう。
但し、このような変化が一時的なものであるの
か、各個人の対人関係のスタイルに比較的永続的
末松渉 柴 宜原幸 小 林 大 二:集中型グループ体験学習を取り入れた「キャリアプランニングⅡ」の効果
な影響を及ぼすものなのかどうかは、
現段階では、
よう。ただし、他専攻でこのようなプログラムを
同定できない。
実施する場合、プログラムの内容や進め方だけで
5. まとめと今後の課題
以上より、心理臨床専攻による集中的グループ
体験学習の導入は、自己理解と他者との人間関係
なく、ファシリテータ(指導者)による介入の仕
方などの実施・運営に関するマニュアルが不可欠
であると思われる。今後は、この点を視野に入れ
た研究を進めていきたい。
づくりにとって肯定的な体験を提供できたと言え
る。
謝辞
本稿は、心理臨床専攻の 2 年生という限られ
最後に、資料の取り寄せや研究情報収集にご協
た学生を対象とした調査結果である。この点につ
力いただいた図書館の中田さん、吉本さん、翠川
いては、集中的グループ体験学習に対する有効性
さん、また日頃多くの学生と接しておられる保健
の検証を引き続き行う必要があろう。また、内省
室の近藤先生、研究上の相談にこころよく応じて
報告による定性的なデータに依った分析が中心と
いただいた長澤先生に心より感謝申し上げます。
なっている点は否めない。そのため、自我状態や
対人関係のスタイルの変化が実際の行動として観
察できることを確認するまでには至っていない。
この点については、ビデオを用いた行動分析など
による検討を加えると同時に、参加者の就職・進
注釈
( 1 )疑問尺度:
「どちらでもない」と答えた項目の
合計のこと。防衛的な態度であったり決断力に
乏しく優柔不断であったりする人ほど相対得点
が高くなる。TEGⅡの調査結果では、相対累積
学選択行動といった将来の行動を継続的に調査し
度数が 31 点以下の人が回答者全体の 95%に相
ていく必要がある。
当するため、32 点以上だった回答結果に対し
ては判断を保留するように勧めている(東京大
6. キャリアプランニング教育への提案
学医学部心療内科 TEGⅡ研究会,2006)
。
( 2 )非妥当性尺度:応答態度の信頼性をみる項目
人間関係に不安や恐怖を抱えながら自己選択や
で、85%以上の健常者が「いいえ」と回答した
自己決断能力を発揮できるようになるための機会
項目に異なる回答をした項目の合計のこと。相
を設けることは、発達過程での進路選択といった
対累積度数が 2 点以下の人が 95%であったの
「厳しい自己選択を迫られる場」に向き合う学生
にとって不可欠である。また、就職後にキャリア
で、3 点以上の場合は応答態度に関する信頼性
が乏しいと考えられる(東京大学医学部心療内
科 TEG Ⅱ研究会,2006)
。
を安定的に積み上げていくために、「キャリアプ
ランニング」において職業適性検査を実施し、自
己理解を促すことは必要であろう。
一方、本稿で報告したように、集中的グループ
引用文献
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古屋大学情報文化研究』
,第 5 号,131-144 頁.
向性に気づく結果となるであろう。つまり、
「キャ
リアプランニング」において質問紙法による職業
適性検査と集中的グループ体験学習とを組み合わ
せた自己理解を促進させるプログラムを実施する
と、学生に「進路選択が自己の責任であること」
を強く認識させる機会を与えることになると言え
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日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
研究ノート
中英語期における否定辞
について
―ヘルシンキコーパスを検索して―
伊 藤 礼 子*1
キーワード
否定構造(Negative Construction) 中英語(Middle English)
統語変化(Syntactic Change) ヘルシンキコーパス(Helsinki Corpus)
否定辞
1.はじめに
は、 古 英 語 か ら 中 英 語 ま で 現 れ、
12 世 紀 頃 か ら
Jespersen(1917)は、英語の否定構造につい
て詳細に調査 ・ 分析したが、その通時的 ・ 共時
的分析は、統語変化研究の先駆けでもある。Jack
(1978)や家入(2001)も、中英語期の否定構造を
韻文 ・ 散文作品で調査 ・ 分析し、
成果をあげている。
本稿の目的は、ヘルシンキコーパス(正式名
( 元 来 は nothing を 意 味 す る
nāwiht)に補強されて
V
は弱化により脱落して
年以降、
になり、次第に
のみになり、1400
(1)
さらに
の出現は急速に減少した。
17 世紀頃から do が挿入され、現代英語に至って
(2)
いる。
Jespersen(1917)は、否定構造の発達に関す
る古典的名著であり、否定構造の発達を前述のよ
称 ) の 中 英 語 4 期 に つ い て、 否 定 辞
、
特に動詞を否定する
について調査 ・ 分析し、
うに提示した。また、鼻音(
)で始まる音で
否定を表すことは、インド ・ ヨーロッパ語族のみ
また先行研究と比較しながら、英語における否定
ならず他の語族でも見られる言語事実であるとも
構造の変化のメカニズムを探ることにある。
(3)
述べている。
Jack(1978)は、初期中英語の散文における
2.英語の否定構造
否定の発達、すなわち(1)
英語の否定構造について、中尾 ・ 寺島(1988;
→(3)V
V →(2)
V
と発達したことを綿密に調査 ・ 分
180)は、Jespersen(1917;9-11)を参考にして、
析し、Table 1 の表に表しており、また変化の理
次のように発達したと記述している。
由も考察している。
本動詞のみ
.
secge
(ⅰ)OE
Ic
(ⅱ)初期ME-15世紀 I
seye
(ⅲ)後期 ME
I say
(ⅳ)15世紀-初期ModE I
say
(ⅴ)16世紀I
say
(ⅵ)17世紀I
’ say
助動詞を伴う
.
Ic
will secgan
I
will not seyen
I will
say
彼は
が VS 語順の否定平叙文や祈願
文、あるいは否定命令文に 12 世紀に現れ始め、
13 世紀に広がったと結論付けている。また、 V
への
の付加の原因は、
(i)
フランス語 ...pas か
らの翻訳による、
(ⅱ)
否定の強調で、 (=nothing)
I
’ say
が“not at all”
の意味を表す、
(ⅲ)
Jespersen(1917)
でも指摘されているように他の言語でも同様に発
2006 年 9 月 30 日受理
On
in Middle English through Helsinki Corpus
*1 Reiko ITO
日本橋学館大学人文経営学部
達している、
(ⅳ)否定の強調である他の否定辞と
共起しないということから、
て使用されたと述べている。
も否定の強調とし
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
Table 1 total occurrence of ne and ne ... nawt
ne
ne…nawt
13
7
2
2
129
23
26
18
127
18
134
40
132
321
69
3
84
17
92
232
Peterborough Chronicle
1st Continuation, Interpolations
2nd Continuation
Lambeth Homilies
Group A
Group B
Trinity Homilies
Cotton Vespasian Homilies
Vices and Virtues
Wooing Group
Katherine Group
Ancrene Wisse
Joly(1982)は、中英語期の
を(1) V(助動
詞も含む)
(2)
、
V NegAdv
(
u
)
中英語期(608,570 語)、近代英語期(551,000 語)
合わせて 1,572,820 語から成っている。最近の
コーパスの発達から比べると、規模も小さく、古
と大別している。
Iyeiri(2001) は、
(1) (2) ...
英語の文献が少ないことが難点である。しかしな
(3)
の頻度を中英語韻文 24 作品と散文 16 作品で調
がら、古英語の文献自体が少ないということから
査 し て い る。Jack(1978) 同 様、( ⅰ )
は致し方がないことでもある。
は定
型動詞の前位置を占めている、(ⅱ)定型動詞
が行末でも
は主語に続く、
(ⅲ)定型動詞が
主語の前位置でも
は主語の直後に来ること
ヘルシンキコーパスは、あらゆる分野、すなわち
文学作品のみならず法律文書、科学書、宗教書等、
幅広いジャンルの文献の抜粋から構成され、従来
を含む多重否定に
は各作品中心であった研究の幅を広めることがで
関しては、①多重否定のピークは 13 世紀後半
きるようにもなった。さらに、言語的、社会的変数
∼ 14 世紀前半、②多重否定は否定の強調、③方
(ジャンル別テキストタイプ、方言、著者の社会的
言差(地域差)もあり、衰退は北部方言からと
地位 ・ 性別等)をパラミターとして付与され、パラ
し、多重否定の中では二重否定が圧倒的に多い
ミターを基に分類することも可能である。
がある、とまとめている。
ことも実証している。また、Ukaji(1992:453-62)
が、
は
と
の間の“a
もちろん、電子テキストであるから、単語の頻
度調査や、コンコーダンスの作成は従来の手作業
bridge construction”とする見解には理解を示し、
と比較すると、はるかに時間を短縮できる。英語
Jespersen(1917)が示した発達段階には疑問を呈
史研究では、変異の問題を抜きにして進むことが
している。Iyeiri(2001)は、
出来ないが、頻度表を作ることでもその問題を解
V
とV
を
ひとつの範疇にまとめているが、Joly(1982)同
様、伊藤(2005)はむしろ
て
に付加され、
V
は否定の強調とし
は
V の範疇とする
ことを提案した。
3.ヘルシンキコーパス
ヘルシンキコーパスは、1991 年に公開された
世界初の通時コーパスで、古英期
(413,250語)、
決できる。
4.ヘルシンキコーパスにおける
4.1 目的
すでに言及したように、Jack(1978)や Iyeiri
(2001)が各作品で実証した結果と比較するため
に、本論では幅広いテキストを含むヘルシンキ
コーパスにおける
の出現頻度と出現率(4) を、
伊藤礼子:中英語期における否定辞
について
表 1 の分布(括弧内は 1,000 語あたりの出現率)
PGో૕
PG8
8PG
PG8PQV
/'㧝
/'㧞
/'㧟
/'㧠
⸘
中 英 語 期 4 期、 す な わ ち ME1(1150-1250)、
(5)
haue +tu
(ME1 213 CMTRINT.EMO.HOMILY.PROSE)
ME2(1250-1350)、ME3(1350-1420)、ME4
(1420-1500)で調査する。検出された
型と
V
を
V
(6) He
V X
hounderstod
(7) Marie
ran
(8) I
haue
wherof to make paiement
(ME4 673 CMVICE4.ENL.REL TREAT.PROSE)
4.
2 方法
検 索 ソ フ ト KWIC Concordance for Windows
Ver.4.7
hyder
(ME3 366 CMELR3.SL.RULE.PROSE)
型についても分析する。
(5)
of +te ginne
(ME2 118 CMFOXWC.SL.FICTION.VRTSE)
型に分類整理し、それを分析して、
変化の解明を試みる。同時に、多重否定
+tin ogen wif
で、ヘルシンキコーパスの中英語 4 期
(97 のコーパスファイル)について、
の出現を
また、テキストタイプ別と方言別に分類したも
のが、表 2 と表 3 である。
テキストタイプ別分類では、
V
の頻度は
パラミター付きで検索する。
検索されたデータは、
PHILOSOPHY と ME2 期 BIBLE に多いことが
Microsoft Excel に取り込む。次に、動詞を否定
分かる。
(6)
の用例を選び出し、テキストタイプ別、
テキストタイプ別でも均一性がないと感じら
方言、
翻訳等必要とされるパラミターで分類する。
れたが、方言別の分類では更に均一が保たれて
する
いない。4 期を通して例が得られたのは、EMO
4.
3 結果
(EastMidlannd)方言のみである。各期内で比較
得られた結果を
V 型、V
型、
V
型
に分類すると、表 1 になる。
なわち、否定構造の方言別変化を調査するには多
表からも明らかなように、V
な型である。
V 型と
V
型は少なく稀
型の例文は、次
に示す通りである。
(1) +tt an engel
com se brith
cle
(ME2 404 CMAYENBI.KL・REL TREAT.PROSE)
(3) that hym
wanteth somewhat of the
perfeccioun of God
(ME3 223 CMCTPOS.EML.FICTION.PROSE)
(4) And I
少無理があることが判明した。
4.3.1 V型
V 型中の
(ME1 736 CMJULIA.WMO.BIORE LIFR.PROSE)
(2) +tet he is
することはできなくもないが、全体的な比較、す
wist what it ment.
(ME4 818 CMYORK.NL.INT.DRAMA MYST. VERSE)
Aux V 型の数は、表 4 の通りで、
中尾 ・ 寺島(1988)の分類通り、否定辞 - 助動
詞 - 動詞の語順であった。
(9)
scal he habben beote flue
(ME1 308 CMBRUT1.WMO.HISTORY.VERSE)
(10) oh
schalt tu gan
(ME2 678 CMANCRE.WHO.REL TREAT.PROSE)
(11) +tat day
shullen hij hym atake
(ME3 1029 CMALISAU.EMO.ROMANCE.VERSE)
(12) Ther
may be thought,
(ME4 719 CMBOETH.EMO.PHILOSOPHY.PROSE)
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
表 2 Vと
のテキストタイプ別頻度(7)
V
ME1
ne v
ME2
ne V not
ne v
ME3
ne V not
ne v
ME4
ne V not
ne v
LAW
DOCUM
18
3
HANDBASTRONOMY
5
14
2
0
HANDB MEDICINE
22
0
HANDB OTHER
ne V not
3
0
9
1
1
0
6
2
1
0
1
0
28
80
1
0
SERMON
7
2
31
2
RULE
10
10
1
0
46
10
SCIENCE MEDICINE
PHILOSOPHY
0
55
HOMILY
211
37
REL TREAT
279
49
19
4
142
37
PREFACE/EPIL
35
20
14
4
1
0
11
2
11
1
4
4
0
2
2
0
PROC DEPOS
HISTORY
48
4
30
3
TRAVELOGUE
BIOGR LIFE SAINT
100
18
2
1
5
41
8
25
FICTION
39
15
ROMANCE
190
19
DRAMA MYST
LET NON-PRIV
4
0
LET PRIV
BIBLE
12
134
X
8
1
表 3 /'
Vと
3
0
の方言別頻度(8)
V
/'
/'
/'
PG8
PG8PQV PG8
PG8PQV
PG8
PG8PQV
PG8
PG8PQV
'/.
'/.0. '/1
9/.
9/1
0.
01
01'/1 5.
51
-.
-1
:
伊藤礼子:中英語期における否定辞
について
表 4 助動詞の頻度
ne V
ne Aux V
ME1
542
172
ME2
335
107
ME3
151
37
ME4
127
8
1155
324
表 5 /'
の異形(括弧内は頻度)
PCYV
PQJV
PQJJV
PCJV
PCWV
PCYKJV
PCWJV
/'
PQWIV
PCIV
PQWV
PQIV
PQWVJ
PQIV
PQWIV
PQJWV
PQEJV
PQYV
PQWIVJ
PCEJV
PKIV
PKIVG
PQWJV
PQWKIV
/'
PQV
PQIJV
PCV
PQJV
PQWIV
PQWIJV
/'
PQV
PQIJVG
PQIV
PQIJV
PQWIV
PQWIJV
4.
3.
2 V
型
た。 こ れ は、Joly(1992) や Jack(1978) が、
をキーワードにして検索した結果、得られた
V
t 型中の
(13)
の異形は、表 5 の通りである。
hearme+d hit te
mi+gt
do
may
t denye it
wole
for+geue vs oure mysdedes
(ME4 615 CMVICES4.EML.REL REAT.PROSE)
表 5 から、
の異形が時代と共に
翻訳も増えたと考えられる。否定の強調の伝統を
受け継ぎながらも、フランス語での影響で
(ME3 557 CMBORTH.EMO.PHILOSOPHY.PROSE)
(16) God
たわけだが、ME1(1150-1250)ではまだ古英語
の流れがあり、ME2 でフランス語の影響を受け
(ME2 604 CMAYENBI.KL.REL TREAT.PROSE)
(15) I
容認できる数字である。1066 年のノルマン人の
征服により、多くのフランス語が英語に入ってき
(ME1 324 CMHALI.WMO.REL REAT.PROSE)
(14) he
フランス語とラテン語の影響によるとする指摘も
型のピークが ME2 であったことが、これに
より実証された。
4.3.3 に定着
していく過程が窺える。
V
V X型
以外の否定語には、次の例が見出された。
non nan nefre nane naness neauer n+afre n+aure
ヘルシンキコーパス内の外国語に関するパラミ
タ ー に は、“relationship to foreign original” と
“foreign original”があるが、検出されたデータ
nauer neuere nes net nett nanes neure nieh neuere
noon no na
ここで際立つのが、
の使用で、
では、広い意味でフランス語とラテン語の原作に
V
基くと考えて、
前者のパラミターで検索した。(表
Jack(1998)の指摘通り、
V X 型、
と共に、その頻度を以下に示す。
V
型に他の否
6)
ME1 ではフランス語とラテン語の原作に関
定辞が共起する例はみつけられなかった。また、
連する例は見出すことができないことから、
明らかに時代の推移とともに、多重否定が減少し
V
型は古英語から引き続く多重否定と考えられ
る。一方、ME2 の
V
型 214 例中 162 例が
フランス語またはラテン語の原典に基く例であっ
ている。それを、
V
型と比較してみると、
興味深いことが見えてくる。ME1 期には、
型より
V
V X 型の方が多く生起している。これ
日本橋学館大学紀要 第 6 号(2007)
表 6 フランス語とラテン語に関連する
ne V not 全体
V
型
フランス語・ラテン語に関連
ME1
115
0
ME2
214
162
ME3
134
90
ME4
39
2
表 7 V X 型と
の頻度
ne V X 型
never
ne V not 型
ME1
209
63
115
ME2
134
28
214
ME3
82
7
134
ME4
28
17
39
計
453
115
506
6.おわりに
は、古英語期からの伝統で多重否定が多いと考え
られる。ところが、ME2 期から
V
型が否
定の強調として使用され、他の強調型、すなわち
V X 型が減少したと考えられる。ME1 と ME2
における
V X 型と
V
型の合計は、ME1
本稿は、ヘルシンキコーパスの中英語 4 期に
ついて、
を検索した上で、英語否定構造の変
化の一部を考察した。
減少し、
V
は時代を経るにつれて
型は中英語 3 期でピークに達し
が 324、ME2 が 348 とほぼ同数であるのに、その
ていることは明らかであるが、Jespersen(1917)
使用頻度は逆転している。
が提案している一つの段階には達していないこと
を強調として挿入
することにより、他の否定語が使用されなくなっ
を実証した。今回は、
た の で は な い だ ろ う か。Jespersen(1917) が、
たために、否定構造全体を把握するまでには至ら
一つの発達段階とするほどには、否定構造として
なかった。否定構造の変化を解明するには、
確立しているわけでなく、多重否定の一つの形と
を含めた否定構造全体の調査 ・ 分析することが今
考えたほうが妥当であろう。
後の課題である。
5.考察
中英語 4 期を通して
観すると、数字上で
注
V 型と
V
V
型が
型を概
V 型を上回
ることはないし(表 1)、4.3.3 で指摘したように
V
のみの調査 ・ 分析であっ
はあくまで多重否定の一種とするほうが
(1) Jack(1978:306)
(2) Ellegard(1953:162)
(3) Jespersen (1917:6-7)“The starting point in all
three languages is the old negative
, which
I take to be (together with the variant
)a
自然であろう。Iyeiri(2001)も、Jespersen(1917)
primitive interjection of disgust, accompanied
が分けた否定構造の段階(ⅱ)I
by the facial gesture of contracting the muscles
seye
を一
つの段階とするのは無理であると述べている。た
だ、既に言及した通り、
V
とV
めている Iyeiri(2001)とは違って、
の強調として
は
, G.
, Fr.
; the E.
,
をまと
or
は否定
This natural origin will account for the fact that
に付加されたものと考え、
V
V の一種、すなわち多重否定の一種とす
べきであると筆者は考える。
of the nose (Dan.
, up
’
is not so expressive).
negatives beginning with nasals (n,m) are found
in many languages outside the Indo-European
family.”
伊藤礼子:中英語期における否定辞
について
(4) 本文中にも言及したが、ヘルシンキコーパス
は各期のテキストサイズに統一性がない。絶対
的頻度のみでは判断を誤る可能性があるため、
1,000 語あたりの出現率も併記してある。総語
数は以下の通りである。
ME1
113,010 語
ME2
97,480 語
ME3
184,230 語
ME4
213,850 語
修館,東京,123,179-180 頁.
中尾俊夫 ・ 児馬修編:1990, 『歴史的にさぐる現代
の英文法』
,大修館,東京,156-66 頁.
西村秀雄編:1997,「コンピュータコーパスを利用し
た英語発達研究(08207106)
」
,『平成 8 年度科学
研究費補助金(重点領域研究(1)
)研究成果報告書』.
Denison, David : 1993,
., London, Longman, pp. 256-274.
Ellegård, Alvar : 1953,
(5) 日本大学塚本聡氏作成、下記より入手。
http://www.chs.nihon-u.ac.jp/eng-dpt/tukamoto/
index.html
(6) 否定辞
Stockhom, Almqvist & Wiksell.
Fischer, Olga : 1992,“Syntax”,
は、動詞を否定するだけでなく、以
, Ⅱ : 1066-1476, ed. N.
下のように①節全体の否定(接続詞)
、②句(名
Blake, Cambridge, Cambridge University Press., pp.
詞句、前置詞句)も否定する場合がある。本稿
では、これらの否定辞は扱わない。
(7) DOCUM =
‘document’
HANDB =‘handbook’
REL TREAT =
‘religious treatise’
EPIL =
‘epilogue’
PROC DEPOS =
‘proceeding, deposition’
BIOGR LIFE SAINT =
‘biography, life of a
207-408.
Ito, Reiko : 2004,“Corpus Based Study of Syntactic
Change from
to
in Early Modern English”
,
『日本橋学館大学紀要』
, 第 3 号 , pp. 101-7.
Jack, G. B : 1978a,“Negative Adverbs in Early Middle
English”
,
59, pp. 295-309.
Jack, G, B: 1978b,“Negative Concord in Early Middle
English”
,
50, pp. 29-39.
Jespersen Otto : 1909-49,
saint’
. Vol. V. Heidelberg, Carl
DRAMA MYST =
‘drama, mystery play’
LET PRIV =
‘letter private’
Winter.
Jespersen, Otto : 1917,
X=
‘unknown’
(8) EML, EMO =
‘East Midland’東中部方言
WML,WMO =
‘West Midland’西中部方言
NL, NO =
‘Northern’北部方言
SL, SO =
‘Southern’南部方言
., Copenhagen, Andr. Fred. Host & Son,
Kgl. Hof-Bonghandel.
Joly, Andre : 1982.“ The System of Negation in
Later Middle English Prose”
,,
KL, KO =
‘Kentish’ケント方言
X=
‘unknown’不明
Current Issues in Linguistics Theory 21, ed. A.
Atlqvist, pp. 176-89.
Kyto, Merja : 1993,
参考文献
伊藤礼子:2005, 「中英語否定構造に関する一考察―
Yoko Iyeiri 著
を考察して」,『日本橋学館大
学紀要』, 第 4 号,105-10 頁.
中尾俊夫 ・ 寺島迪子:1988,『図説英語史入門』
, 大
., Helsinki, Department of
English, University of Helsinki.
Visser, T : 1963-73,
, PartⅢ, Leiden, E. J. Brill.
日本橋学館大学紀要
投稿規程
1.本誌には教育・研究に関する「原著論文」、「研究ノート」、「報告・資料」、「書評」等
を掲載する。
2.
「原著論文」等は未公刊のものに限る。
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研究者を認める場合がある。
4.
「原著論文」
、
「研究ノート」および「報告・資料」は一般投稿を原則とするが、「報告・
資料」
、
「書評」等は委員会が執筆を依頼する場合がある。
5.本誌に掲載する原稿の採否は、紀要編集委員会で審査のうえ決定する。
6.掲載された論文等の著作者は、国立情報学研究所による電子化・公開、及び本学ホー
ムページその他に無料公開することを許諾するものとする。
7.それぞれの内容は次の要件を備えているものとする。
a.
「原著論文」は、問題・方法・手続き・結果・結論・考察の各部分から構成され、
独自の論旨が明確であること。
b.
「研究ノート」は「原著論文」に準ずる内容のものであること。
c.
「報告・資料」は、本学教育・カリキュラム等に関する考察、教材、参考資料およ
び実態調査の報告などとする。
8.投稿は次の要領による。
a.原稿の他に同文のコピー 1 部を添付する。
b.和文原稿はなるべくワードプロセッサーで執筆し、ハードコピーとともにフロッ
ピーディスクをそえて提出することが望ましい。その場合 16,000 字以下(1 行
40 文字× 30 行を 1 頁とする)とし A4 判用紙を用いる。
原稿用紙の場合は、図表その他の資料等すべてを含めて 40 枚以下とする。
c.欧文原稿の場合は、65 ストローク 33 行ダブルスペースで 15 枚以下とし、A4 判
用紙を用いる。
d.日本語およびその英訳のキーワードを 5 個以内つける。
e.題名、執筆者所属氏名には欧文を付する。また、
「原著論文」および「研究ノート」
については 450 語以内の欧文抄録(およびその日本語訳)をつける。
f.本文において章・節などの記号をつける場合は、次のように記すのを原則とする。
序・結論を除き、
章にあたるもの
節にあたるもの
項にあたるもの
1.
1.1
1.1.1
2.
2.1
2.1.1
3.
3.1
3.1.1
項以下のもの
1.1.1.1
2.1.1.1
3.1.1.1
g.文字は、当用漢字、現代かなづかいを原則とし、数字は算用数字、欧文は活字体、
統計記号はイタリック体で記す。
h.外国地名・人名は原語を用いる。外国語はなるべく訳語を付ける。ただし、日本
語として慣用化している外国語はカタカナで記す。
i.図表は別紙にトレースのないように描き、次のように記す。
図 1、図 2、
表 1、表 2、
Figure 1、Table 1
なお、本文中に図表のスペースを換算して位置を明記する。
j.注には(1)
(2)
(3)と付番し、その注記は本文末にまとめる。
k.邦文の引用文は「 」でくくり、欧文の引用文は“ ”でくくる。
引用文の出所は、次のいずれかの方法によって、これを示す。
1)引用文「 」または“ ”の直後に j.に従って付番し、本文末の注記に、引用文
献を、その引用文所在ページとともに、l.の要領で記載する。
2)引用文「 」または“ ”の直後に( )書きして記載する。
( )の中には著者
名・引用文献の発行年・所在ページを記す。
[例] “ ”
(Davis, 1968;p. 153)
“ ”
(Collins, 1982;pp. 20-21)
同一発行年に同一著者の文献が複数ある場合には最近のものから順に、1968a、
1968b のように区別する。
この方法によるときは、本文末に引用文献リストを添付する。その記載要領は l.
により、
(1)
(2)
(3)と付番する。
1 .参考文献の記載は、以下に示す方式による。
参考文献には番号をつけない。本文中の該当箇所には(著者名,発行年)
、もしく
は(著者名,発行年;所在頁)をつけ、参考文献リストの記載は本文末に、著者
名の順番(和文は“あいうえお”順、次に欧文は“アルファベット”順)で配列
する。
1)雑誌論文の場合
著者名:発行年,論文名,雑誌名,巻数,号数,始めの頁 - 終わりの頁.
例1
土居健郎:1960,
「ナルチシズムの理論と自己の表象」,『精神分析研究』,
第 7 巻,第 3 号,7-9 頁.
例2
Collins, D.T. : 1982,“Notes on the Hospital Treatment of Disordered Youth”
,
, Vol. 20, No. 1, pp. 20-28.
2)単行本の場合
著者名:発行年,書名,出版社名,発行地.
例1
例2
山本太郎:1998,『決定権の所在』,伊藤出版,東京.
Kernberg, O.F. : 1980,
New York.
3)単行本の 1 章または一部の場合
, Jason Aronson,
著者名:発行年,論題名,編者名,書名,出版社名,発行地,始めの頁 - 終わりの頁.
例1
内井惣七:1991,
「数学的論理学の成立」
,神野慧一郎(編),『現代哲学
例2
のバックボーン』
,勁草書房,東京,11-32 頁.
Smith, L. C. : 1998,“Defining the Role of Information Science”
, Alan C.
Bowen(ed.),
International Publishing
Company, NewYork, pp. 77-106.
m.本文中に記載する事例などについては、個人情報の保護に充分に配慮する。
n.原稿の末尾に脱稿年月日を記入して提出する。
o.執筆者校正は 2 校までとする。原則として加筆修正は認めない。
紀要編集委員会
最終改定 平成 19 年 3 月 1 日
編 集 後 記
平成 19(2007)年 3 月『紀要』第 6 号をお届
けすることが出来てほっとしている。創刊から 4
号まで岩崎徹也教授が編集長を勤め、
本学『紀要』
てますます充実させるべく努力する所存につき、
引き続き各位のご協力をお願いする。
さて、本号には原著論文 5、報告 3、研究ノー
の今日の姿を確立され、第 5 号から編集長を山口
ト 1 合計 9 本の著作が掲載されている。従来に比
操教授にバトンタッチされた。そして、山口操教
べ原著論文が比較的多いのが本号の特徴である。
授ご退任の後、私が本号から編集長の役をお引き
Last but not least、膨大な事務量を伴う編集作業
受けすることになった。先任お二方の努力の結晶
を一貫して綿密に管理された図書館の中田路子事
である本学『紀要』を、本学教員ならびに本学と
務局員他の方々には衷心より御礼申し上げる。
関係ある教員・研究者の研究成果発表機関誌とし
(編集委員長 古山 英二)
日 本 橋 学 館 大 学 紀 要 第 6 号
ISSN 1348-0154
平成 19 年 2 月 26 日 印刷
平成 19 年 3 月 1 日 発行
編集者 日 本 橋 学 館 大 学
紀 要 編 集 委 員 会
委員長 古 山 英
委 員 小 幡 祐
中 西 は る
末 松 二
士
み
渉
佐 々 木 さ よ
池 沢 政 子
井 上 優
発行者 日 本 橋 学 館 大 学
〒 277-0005 千葉県柏市柏 1225-6
TEL 04-7167-8655
http://www.nihonbashi.ac.jp/
印刷所 十一房印刷工業株式会社
〒 162-0813 東京都新宿区東五軒町5-18
March 1, 2007
Original Article
Development of the Organizational Climate Scale and Possibility of its
Application for Organizational Change ……………………………… Sayoko MIYAIRI
“Casa overo palagio”: le funzioni ed i significati sociali dei palazzi nel Quattrocento
fiorentino …………………………………………………………Hiromasa KANAYAMA
第6号
3
15
29
Basic experiment for performance tuning of network server
………………………… Jiro TANAKA
Study on the operator’s electroencephalogram in the process of obtaining skills for
manual control ………………………………………………………… Daiji KOBAYASHI
Yohei SHOJI
Sakae YAMAMOTO
Report
A Rush of Chinese Students to Japan ……………………………… Eiji FURUYAMA
平成19年3月1日
19
原著論文
組織風土の特性尺度の開発と活用
∼企業変革における組織風土特性尺度の活用の可能性について∼
………… 宮 入 小夜子
3
1
ギャリック版『ロミオとジュリエット』と「恋人としてのロミオ像」の確立
.................. 安 田 比呂志
15
平成
年3月
日
Garrick’s Adaptation of Romeo and Juliet and The Making of “Romeo as a Lover”
…………………… Hiroshi YASUDA
第6号
6
No.
カー サ ・ オヴェーロ ・ パラッツオ
51
63
77
「家屋もしくは邸館」:ルネサンス期フィレンツェにおけるパラッツォの社会的機能と意義
.................. 金 山 弘 昌
29
ネットワーク・サーバのパフォーマンスチューニングのための基礎実験
.................. 田 中 二 郎
手動制御のスキル獲得過程におけるオペレーターの脳波に関する研究
.................. 小 林 大 二
庄 子 洋 平
山 本 栄
51
63
Career Decision Making of Japanese College Graduate Women
……………………… Yuriko SASAKI
Effectiveness of the intensive group experiences for Career PlanningⅡ
………………… Wataru SUEMATSU
Yoshiyuki SHIBAHARA
Daiji KOBAYASHI
85
97
Note
On ne in Middle English through Helsinki Corpus
………………………………Reiko ITO
107
報告・資料
中国からの留学生激増の背景 …………………………………… 古 山 英 二
77
日本の大卒女性の働き方
―女子学生の進路選択のために― ……………………………… 佐々木 由利子
85
集中型グループ体験学習を取り入れた「キャリアプランニングⅡ」の効果
.................. 末 松 渉
柴 原 宜 幸
小 林 大 二
研究ノート
中英語期における否定辞
について
―ヘルシンキコーパスを検索して― ……………………………… 伊 藤 礼 子
97
107