【第1回】 本多 博 東欧の「森と湖の国」フィンランドは今や世界一の IT 国家で あり,21 世紀初頭において福祉・教育・経済・技術の分野で最 も成長がめざましい国の一つである。フィンランドの歴史を辿り, 国民の気質を検証しながら,パルプ,製紙業,電線,造船の技術 がどのように国の発展に寄与したか,知り得る処を紹介する。 6月は東欧の「森と湖の国」フィンランドにと か話せない者と,スウェーデン語だけしか話せな って実にさわやかな季節である。フィンランド人 い者同士では,やはり黙るしかないのかもしれな 自身は自国を称して「限りない湖の国」とか「数 い。 千の湖の国」と言っているようだ。多くのフィン フィンランドの歴史上の産業といえば,パル ランド人が湖畔や海辺に先祖代々受け継いだサマ プ・製紙業が知られており,これは今でもフィン ーコテージを持っていて,家族で釣りやサウナを ランドを代表する産業の一つである。シラカバな 楽しむ。うらやましい限りであるが,フィンラン どの針葉樹林は非常に豊富で,パルプの原料には ドの友人によると,なるほど家族は楽しんでいる 事欠かない。また,パルプ工業は大電力を必要と が自分はログハウスの補修に余念がない,と言っ し,数え切れない湖とそれを繋ぐ河川と滝を利用 ていた。 した水力発電がパルプと製紙業を発展させた。 ノキアの発展とフィンランド人の気質 〔森と湖の国フィンランド〕 人口 520 万人のフィンランドが,現在では数々 のユニークな先端技術を有する世界でも有数のハ イテク工業立国になった。ちなみに千葉県あるい は埼玉県の県民数でもこれよりは多い。必要な技 術と知識に応えるだけの人的数量でなく,これと 〔ノキア村の位置〕 いった鉱物資源もない東欧の北方の国がなぜ今, 産業界で注目されているのか,不思議である。 ディジタル携帯電話で世界のトップシェアを誇 かつてドイツの劇作家で詩人のベルトウルト・ るノキアは,1860 年代にフィンランドの南部の ブレヒト(1898 ∼ 1956)は,フィンランド人を 「ノキア村」で,近くの「エマコスキ滝」の落差 称して「二ヵ国語で黙る国民」と言った。この意 味がいまひとつ不明であるが,どうやら隣国のス を利用した安価な水力発電を利用して大製紙工場 ウェーデン語しかしゃべれないフィンランド人が 話になったのか,何がノキアを繁栄させた原動力 数%いるらしい。母国語のフィンランド語だけし となっているのか,「フィンランドの技術紀行」 10 を建て,そこから発展した。製紙業がなぜ携帯電 電 子 材 料 を語る上で興味深いポイントだと思う。そこには 典型的なフィンランド人の気質と歴史的な経緯が 絡み合っているようだ。 電線製造技術のこと フィンランドの電線製造は世界的にみてもトッ プクラスの技術力と歴史的な経緯がある。 少しフィンランドの歴史をひも解くとしよう。 フィンランドは 12 世紀前半にスウェーデンによ る北方十字軍の到来によって征服され 18 世紀後 半まで長いスウェーデンの統治が続く。その後ス ウェーデンはナポレオン戦争の結果ロシアに敗北 し,フィンランドはロシア皇帝の自治大公国とな る。フィンランドがロシアからの独立を宣言した のは 1917 年の暮れ(第一次世界大戦終結前)で あるが,日露戦争(1904 ∼ 1905)に敗れたロシ アの国力が衰退し革命によってソビエト政権が樹 〔ノキアの携帯電話〕 立,この新政権がフィンランドの独立を承認した。 実はフィンランド人にはトルコ人と並んで親日 フィンランドの哲学者ゲオルグ・ヘンリク・フ 家が多いと聞く。真意のほどはどうであろうか。 ォン・ヴリクトは,「フィンランド人は用事を電 かつて日露戦争の日本海大海戦に向けて,フィン 話で済ませようとする。われわれは孤立主義者で, ランド湾最奥部に位置する当時のロシア帝国の首 話す時に相手の目をみたくない」と言っている。 都セントペテルスブルクからバルチック艦隊が, 少なくとも筆者のフィンランドの友人達は会いた フィンランドの首都ヘルシンキの沖合いを通過し がるし,対話を好み,これには当てはまらないと て,出撃していった。フィンランド人は当時から 思うのだが。それでもやたらと国際電話を毎日の 極東の日本に興味はもっていたようだ。それでは ように掛けてくる,電子メールで済ませればよい 日本人はどうだったのか。筆者自身はフィンラン ことでも。やはり当たっているのかもしれない。 ド人とつきあうようになって,日本人は意外と自 ノキア社のかつての社長だったヨルマ・オリラ 分よがりというか,思い込みの激しいところがあ は,「ノキアの繁栄の原動力はフィンランド人の る国民であるような気がする。その典型例がフィ 単刀直入な物言いに由来している。考えているこ ンランドで製造販売された日本海大海戦の東郷平 と感じることをそのまま口にし,まわりくどい言 八郎元帥にちなんだ「東郷ビール」伝説である, い方はしない。しかし,急激に変化するビジネス かなり少数派の話ではあるが。 界ではそれが長所となり,解釈の違いとか,下か らの意見が上層部にうまく伝わらないという心配 がない」と言っている。 フィンランドの国の面積は,四国を除いた日本 とほぼ同じ広さ(約 33 万 8,000km2)で,このう ち 65 %が森林,10 %が湖沼や河川で,耕作地は わずか8%しかない。そこにたかだか 500 万人が 住んでいるに過ぎず,北極圏に位置するこの国は 冬ともなると深い雪に閉ざされ,人々は広大な国 土の中で孤立してしまう。フィンランド人にとっ て電話は生きてゆく上でも必需品であった。世界 〔実際にフィンランド・タンペレ市の Pyynikki(ピュー ニッキ)社が製造・販売していた〕 初の商用ベースの有線による電信電話網はフィン ランドであったそうだ。 しかし,それが販売されたのは 1970 年代のこ とらしく日露戦争から 65 年以上も後の話。実際 のビールのラベルはフィンランド語で「Amiraali」 2 0 0 7年 6 月 11 (アミラーリ;提督の意味)という銘柄で,世界 ル”のこと)で,後にノキアと合併し「ノキア・ 歴代の有名な 24 人の提督の肖像画をシリーズで ケーブル」と社名を変更している。この会社の電 掲載したうちの一つに過ぎなかったらしい。これ 線製造技術は世界でもトップクラスで,日本にも を引き合いに出して,あたかもフィンランド人が 多数の装置や製造ラインが輸出されている。 親日家であるような言い回しの文章が,なぜかさ ノキア社の社史によると 1960 年代にフィンス まざまな日本の社会科資料や歴史関係の出版本に カ・カーベル社で無線電話の製造が開始されてい 堂々と引用されている。誰が言い出したのやら。 る。この無線電話も旧ソ連へ大量に輸出された経 実はこうなるとトルコのイスタンブールにあると 緯がある。旧ソ連では油田や長大なパイプライン いう「トーゴーストリート」もいささか怪しい。 の建設,維持保守に携帯式の無線電話が大量に必 第二次大戦中,フィンランドは国土と自由を賭 要だったわけだ。その後,自動車用車載電話を世 けて 1939 ∼ 40 年と 1941 ∼ 45 年の二度にわたっ に送り出し,世界最初の GSM(Global System for てソ連と戦い,その大国と闘った姿は世界の注目 Mobile Communication)電話網がヘルシンキで開 を集め「冬戦争」,「継続戦争」の名で知られてい 通し,ディジタル携帯電話のグローバル企業とし る。その後フィンランドは連合国側についてドイ て成長を遂げていく。 ツ軍とフィンランドの北極圏に位置するラップラ また電線の絶縁被覆に必要なゴムは,アメリカ ンドで戦っている。残念ながら戦後のパリ条約に のグッドイヤー社のゴム硬化技術をいち早く導入 よりフィンランドはソ連に対する賠償と領土の割 した「フィンスカ・グミ」社(1898 年,ノキア 譲を余儀なくされた。その戦争賠償でフィンラン 村で創業,フィンランド語の“グミ”は“ゴム” ドは長年に亘ってソ連に電線ケーブルを大量に製 のこと)で,後にノキア社と合併し「ノキア・タ 造して納品している。 イヤ」と社名を変更している。当初はゴム長靴の 製造が主体で,やはりこれもフィンランドの長い 冬を生き延びる上での必需品であった。特にスノ ータイヤに関しては性能がすばらしく,世界的に 有名である。このゴム長靴やタイヤはソ連にも戦 後賠償の一環として大量に輸出された。それ以外 にもお家芸ともいえる前述の製紙機械,それから 次に紹介する砕氷船などがある。 造船技術のこと 〔ヘルシンキのヴァンタ(Vantaa)国際空港に飾られて いるフィンランド自由軍の戦闘機〕 ソ連は急速な重工業化で電力線ケーブルがいく らあっても足らない。賠償が終わった後もソ連と の友好協力相互支援条約のもと,ソ連からは原料 と石油を輸入し,フィンランドからは大量の電力 線ケーブルをソ連に輸出している。これはフィン ランドの戦後の復興を促進し,工業技術水準を高 〔ヘルシンキ中心街の岸壁で艤装中の豪華客船〕 めた。 この電線製造を担ったのが,ドイツのヴェルネ 実はフィンランドの造船技術も世界のトップク ル・シーメンスの電線製造法を導入した「フィン ラスである。客船や特殊船,特に砕氷船はフィン スカ・カーベル」社(1912 年首都ヘルシンキで ランドにとって必要不可欠な技術である。真冬の 創業,フィンランド語の“カーベル”は“ケーブ ヘルシンキを訪れた際,フィンランドの友人が 12 電 子 材 料 「ヘルシンキ港は不凍港である」と言った。ボス タンカーは,産油国が比較的赤道から北回帰線以 ニア海やフィンランド湾は大西洋からスカンジナ 北の緯度に分布していることから,氷海を航行す ビア半島で区切られた内海で,流れ込む河川の影 るようには設計されていない。砕氷船は通常の舶 響から塩分濃度が薄い。それで厳冬期ともなると 用ディーゼル機関以外にも電気モータ推進器が搭 フィンランド湾全体に厚氷が張る。不凍港の理由 載されている。氷を割りながら前後進を繰り返す は,砕氷船が四六時中航路を開いていたのである。 ためで,端的に言えば電気モータの方がプロペラ その開いた水路をフィンランドで建造された豪 の正逆転をこまめに制御できるからである。通常 華フェリーが隣国のエストニアやスウェーデンの の大型舶用ディーゼルエンジンは一方向にしか回 ストックホルムまで真冬でも周航している。その らない。 横を自動車が突っ走っているのを目撃した時はび っくりしてしまった。 船を逆進させるためには可変ピッチプロペラの 角度を反転させるのが通常である。これではこま かな前後進の操船はおぼつかない。この推進用大 型モータを駆動させるには大容量の電力が必要で, 従来は主機関以外にディーゼルエンジン+発電機 のコジェネレーションシステムが搭載されていた りするが,フィンランドの造船大手のヴァルツィ ラ社(Wärtsilä)では舶用補助動力源(APU)に ) 〕 〔航路を開く砕氷船 (アケル・アークティック社“TEMPERA” 先ごろフィンランドの「アケル・アークティッ ク・テクノロジー」社は,韓国サムソン重工業と ロシアの船会社 JSC ソヴコンフロット社との間で 70,000 トンのダブルアクティング型砕氷シャトル タンカーを北極海航路向けに就航させた。この造 〔ヴァルツィラ社の 20kW クラス SOFC パワー・ユニット〕 船技術は世界初で,同型の LNG 船の開発も現在 も使える大出力の個体酸化物型燃料電池(SOFC) を開発している。 □ 次回はフィンランド人と日本人の謎めいたルー ツについて筆者のエピソードの中から紹介してみ ようと思う。そして伝統的な森林産業がエネルギ ー産業やバイオテクノロジーへいかに連鎖発展し ていくのか,を追ってみたいと思う。 〈取材協力:フィンランド大使館 商務部〉 〕 〔ダブルアクティング型砕氷シャトルタンカー(LNG 船) * 手掛けられている。 LNG 船,豪華客船,砕氷船などは商船設計に おける高度な水準の技術力を要求される。通常の 2 0 0 7年 6 月 Honda Hiroshi (株)エフティ・オークラ 事業開発部長 同社は,フィンランド企業4社グループの日本総代理店。 FT は,フィンランド・テクノロジーを意味する。 http://www.ft-okura.com/ 13
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