古代キリスト教の異端思想 - So-net

3.グノーシス-古代キリスト教の異端思想
著者:筒井賢治
発行:2004 年
発行所:講談社
講談社選書メチエ、1500 円
著者は 1965 年生まれ。東京大
学大学院修士課程(西洋古典
学)修了後、ドイツ・マインツ
大学第三文献部にて学位(古典
文献学)取得。専門は古典ギリ
シャ語・ラテン語の各種文献研
究。2013 年現在、東京大学大学
院総合文化研究科地域文化研究
専攻・准教授。
本書を紹介する筆者は、林久治
である。文中では、私または林
として登場する。私の誤解によ
り、本書の内容を間違って紹介
している箇所があるかも知れな
い。そういう場合があれば、そ
れは私の浅学が原因である。
目次
まえがき-6
第1章
紀元2世紀という時代-13
第2章
ワアレンテイノス派
1.ワアレンテイノス派のプトレマイオス-46
2.プトレマイオスの教説-54
3.ワアレンテイノスとワアレンテイノス派-79
第3章
バシレイデース
1.バシレイデースの宇宙創成神話-86
2.「無からの創造」-102
3.キリスト仮現説-116
第4章
マルキオン
1.マルキオンの教説-128
2.マルキオンの聖書-152
1
第5章
グノーシスの歴史-181
第6章
結びと展望-205
付録
ナグ・ハマデイ写本とは-216
文献案内-223
あとがき-227
索引-236
なお、筆者(私・林久治)の感想や意見などを[青字]の中に記載します。
「まえがき」において、著者はグノーシス研究の資料として、➀反異端文書と➁
ナグ・ハマデイ写本を挙げている。(p.9)➀は、正統多数派キリスト教における最
初の神学者であるユステイノス[紀元 100?-162?]やエイレナイオス[紀元 130? –
202]をはじめとする反異端論者(p.46)が、グノーシス派キリスト教を反駁する際
に、グノーシス派の学説を引用している部分を総合して再現する方法である。グノ
ーシス派の神学者の手による文書は、正統多数派により廃棄されたので、1945 年ま
では伝わっていなかった。
1945 年にエジプトのナイル川中流にある「ナグ・ハマデイ」の町の近郊で、全く
の偶然から、陶器の壷に入った多数の古文書が砂の中から発見された。(p.217)こ
れらの古文書は、多くがグノーシス主義文献で、ナグ・ハマデイ写本と呼ばれてい
る。これらは、紀元4世紀後半までに写本されて埋められたと考えられている。
「グノーシス」とは何かという問いに対して著者は次のように述べている。
(p.6)元来、この言葉は「キリスト教グノーシス」と同義語であり、初期のキリス
ト教会で広まっていた一部の思想を総称する。「グノーシス」という単語は「認
識」や「知識」を意味する古代ギリシャ語の普通名詞である。キリスト教グノーシ
スとは、「知る」ということに特に重きを置く流派である。
キリスト教グノーシスにおける「認識」の対象は、➀イエス・キリストが宣教し
た神(=至高神)とユダヤ教の神(=創造神)は違うということ、➁創造神の所産
であるこの世界は唾棄すべき低質なものであること、➂人間もまた創造神の作品で
あるが、その中にごく一部だけ至高神に由来する要素(=本来的自己)が含まれて
いること、➃救済とは、その本来的自己がこの世界から解放されて至高神に戻るこ
となどである。
このキリスト教グノーシス思想は、紀元二世紀の半ばから後半に最盛期を迎えた。
キリスト教とは直接に関係しない領域で、同じ紀元二世紀の前後に、似たような思
想運動があった。これを「非キリスト教グノーシス」と呼ぶ。キリスト教∕ 非キリ
スト教という区別を越えて、総括的に「グノーシス」もしくは「グノーシス主義」
と呼ぶべき思潮が古代末期に実在していた。(p.7)(なお、本書では「グノーシ
ス」と「グノーシス主義」を意味上の区別なく用いている。)
第1章において、著者は「紀元2世紀という時代」を次のように述べている。
➀紀元2世紀という時代は、ローマ帝国が「五賢帝」の時代[紀元 96 - 180]を
迎えて版図が広がり、国内も安定して人々が物質的に最も豊かな生活を送った時期
2
であった。18 世紀の英国の歴史家・ギボンはこの時代を「人類史上最も幸福な時
代」とまで呼んだ。(p.42)
➁この時代は、知識の大衆化という状況を背景に、それまでの時代の思想的遺産
を整理し、継承し、発展させるという重要な役割を果たした。(p.39-40)アプレイ
ウスは、プラトン哲学を起点に、イシス教をはじめとする各種の宗教思想を積極的
に取り入れ、それを専門家にも一般の人々にまで紹介しようとした。彼は、ローマ
時代の小説中、完全に現存する唯一のものである「黄金のろば」の作者としても有
名である。ガレノスは医学を、プトレマイオス[英文名:トレミー]は天文学や星
座体系を集成した。文学ではフロントーが多くのラテン語作家に影響を与えた。彼
を教師として育ったのが、「哲人皇帝」として有名なマルクス・アウレリウスであ
った。ちょうどこの時代、宗教的なメッセージに対する人々の欲求が非常に高まっ
ていた。イシス教、ミトラ教、キュベレー祭儀といった東方起源の密儀宗教が勢力
を伸ばすのと並行して、キリスト教も大きな発展を遂げた。
➂この時代に、一般に「人間とは何か」を問う宗教的・哲学的な問題提起とそれ
に対する回答の試みが、他の時代にもまして広く大衆的に流行した。「黄金のろ
ば」は、「好奇心」というキーワードを軸に、主人公のたどる運命に暗示させる形
で、人間論を展開している。キリスト教グノーシスの神話も、アレゴリー(隠喩)
というテクニックを使って、宗教的な思想を物語という形で読ませようと試みたの
である。(p.36-37)
第2章において、著者は「キリスト教グノーシス思想」の代表として「プトレマ
イオスの神話」を次のように解説している。
二世紀の半ばから後半にかけて、第1章で解説したような時代背景の下で、キリ
スト教グノーシスの有力な教師たちが続々と登場した。(p.46)➀ウアレンテイノス
とその弟子たち(プトレマイオス、ヘラクレオン、マルコス、テオドトスなど)、
➁バシレイデース、そして➂マルキオンがその代表格である。これらの三派には直
接的な関係はないが、彼らが同時代に出現したことは時代や社会状況を反映してい
る。[林の注:グノーシスで登場するプトレマイオスは、有名な天文学者のプトレマ
イオスとは別人である。]
グノーシスの有力な教師たちがキリスト教における最初の神学者であった。ユス
テイノスやエイレナイオスをはじめとする反異端論者は、グノーシスに対する反発
として自分の立場を固めて行き、後に「教父」とか「教会教父」と呼ばれる正統多
数派的なキリスト教神学の始祖となった。(p.46)
キリスト教古代の人物、ましてや異端側の人物は、生没年を確定できない場合が
ほとんどであり、プトレマイオスにしても例外ではない。(p.50)[林がネットで調
べた結果、師のウアレンテイノスも生没年は不明である。彼はエジプトのアレキサン
ドリアで教育を受け、紀元 140 年ころに約 20 年間ローマで活動したようだ。]プト
レマイオスの著作としては、「フローラへの手紙」が原文のまま伝えられている。
この手紙は、反異端文書に引用されたために、残存している。この手紙より、彼が
キリスト教徒であったこと、非常に高い知性と教養を備えていたことが分かる。
(p.51)
3
「プトレマイオスの神話」も、エイレナイオスの「異端反駁」に引用されていた
ので、後世まで伝わった。学界では、「彼の神話がウアレンテイノス派を代表する理
論体系である」と扱っている。この体系は、伝承されている中では、理論として最
も完全な形を示している。(p.53)
「プトレマイオスの神話」は、神々の系図から始まる。(p.54)グノーシス派で
は、系図で整理される神的な存在を「アイオーン」と呼んでいる。これは本来「時
間」や「世代」を意味するギリシャ語の単語であるが、グノーシスの神話ではこの
言葉が人格化ないしは神格化されてり、最初のアイオーンから新しいアイオーンが
次々と「流出」する。
見ることも名づけることもできない高みに先在したアイオーンは男性的な存在で
あり、「最初の」あるいは「〜よりも先」を意味する「プロ」という接頭辞のつい
た呼称で、プロアルケー(原初)とも、プロパトール(原父)とも、ビュトス(深
淵)とも呼ばれる。これらは、グノーシスや宗教学一般の用語でいえば「至高神」
である。(p.54)
至高神と共にエンノイア(思考)という女性的神格もあり、これはカリス(恩
寵)ともシーゲー(沈黙)とも呼ばれる。至高神は「万物の初め」を自身のなかか
ら流出しようと考え、この流出をエンノイアに種子を母胎の中に置くようにして置
いた。エンノイアは妊娠してヌース(叡智、理性)を生んだ。ヌースだけが至高神
を認識することができた。このヌースは、モノゲーネス(独り子)ともパーテル
(父)とも「万物の初め」とも呼ばれる。彼と共にアレーテイア(真理)が流出し
た。(p.56)
ヌースが生まれる際、女性であるエンノイアはまったく受動的な機能しか果たさ
ず、イニシアテイブをとるのは男性の至高神ひとりである。この意味で、プトレマ
イオス体系は一元論的である。このように、万物の由来を物語る神話を一元論的に
形成するタイプのグノーシスを「シリア・エジプト形」と呼ぶ。それに対して、マ
ニ教のように、善と悪が最初から対等に存在する二元論を「イラン型」と呼ぶ。
(p.56)
これまでに四柱のアイオーンが出てきたが、この後も神格の発生が続き、最後に
は 15 対(30 柱)のアイオーンが生成する。これらの 15 対のアイオーンで構成され
る世界を「プレーローマ」(充満領域)と呼ぶ。プレーローマという用語は被造世
界を超越した「上位世界」を意味し、他のグノーシス派でも広く使われている。
(p.56)バシレイデース派では、アイオーンの数が 365 まで膨れ上がっている。
(p.96)[林の感想:プトレマイオスのアイオーンには独特の名称があり、発生の
順番も複雑である。その模様は、本書の p.59 に図示されている。私には、そのよう
な複雑な機構で 15 対のアイオーンが生成しなければならない必然性を理解すること
が出来ない。次ページの図 3.1 は、本書の p.59 の図を簡略化したものである。]
図 3.1 の(o)に示すように、ソフィア(知恵)は女性的なアイオーンで最後に
出てきた神格である。ソフィアの夫にあたる「テレートス」は「欲せられる者」の
意味である。(p.60)至高神はヌースにのみ認識されるが、その他のすべてのアイ
オーンには不可視であり、把握不可能である。ヌースだけが父を眺めて楽しんでお
り、その計り知れない偉大さを考察して歓喜していた。(p.61)
4
p
a
B
b
O
o
Q
R
R
上位世界(プレーローマ界)
十五対のアイオーン
P
A
ホロス(スタウロス)
中間界
アカモート
図 3.1
プトレマイオスのプレーローマ界[林が、本書 p.59 の図を簡略化した。]
A-O(a-p)の名称を以下に記載する。A:至高神(プロアルケー、プロパト
ール、ビュトス)、a:エンノイア(カリス、シーゲー)、B:ヌース(モノゲネ
ース、パーテル、万物の初め)、b:アレーテイア、O:テレートス、o:ソフィ
ア、P:キリスト、p:聖霊、Q:イエス(ソーテール、救い主)、R:天使達。
最後の最も若いアイオーンであるソフィアは、伴侶たるテレートスとの抱擁なし
にパトス(情熱)に取り付かれた。ソフィアは父(至高神)の偉大さを把握したい
という好奇心を持ったのである。その結果、彼女はひどい苦闘に陥り、プレーロー
マから転落しかかってしまった。しかし、彼女はホロスによって制止され、我に返
ってそれまでの思い(エンチューメーシス)を、激しい驚きのために後から生じた
パトスと一緒に捨てた。そうして、彼女はテレートスとの対に復帰した。(p.61)
ホロスとは、「境界」を意味する単語であり、例のごとく神格化されている。ホ
ロスは、「スタウロス(十字架)」その他の別名があり、プレーローマの番人であ
る。転落したソフィアはホロスに救い出され、プレーローマ内部は落ち着きを取り
も戻した。(p.62)
アイオーンたちの誰かがソフィアと似たことを被らないように、モノゲネースは
父の計らいに従って、再び別の対を流出した。これが、「キリスト」と「聖霊」の
対である。この新しい対が流出して、プレーローマ内部に安定をもたらした。その
返礼として、諸アイオーンが一丸となって、「イエス」とその付き人として「天使
たち」を流出した。「イエス」は「ソーテール(救い主)」ともいわれる。ここで
注意すべきは、ソーテールと天使たちは対をなさず「ひとりもの」であることであ
る。この意味は、後にわかる。(p.63)
5
キリスト∕ 聖霊
至
高
神
プレーローマ界
ソーテル∕
15 対のアイオーン
ホロス
天使たち∕
アカモート
中間界
救済
Z
この世界
X
Y
X
創
造
天
地
人
間
神
Y
救済
本来的自己
図 3.2
プトレマイオスの神話図[林が、本書 p.59 の図を簡略化した。]
X:物質的(泥的)なもの、Y:心魂的なもの、Z:霊的なもの。
転落したソフィアはホロスに救い出され、プレーローマ内部は落ち着きを取りも
戻した。これからは、プレーローマの外部が話しの舞台になる。その出発点は、ソ
フィアが外部に残した「思い」(エンチューメーシス)である。これが例によって
人格化され「下なるソフィア」あるいは「アカモート」と名付けられる。「アカモ
ート」という言葉はヘブライ語の「ホクマー」あるいは「ホクモート」に由来し、
「知恵」という意味で、ギリシャ語の「ソフィア」と同義である。ユダヤ教では、
ヘレニズム時代の神秘思想の一環で、神と人間世界を橋渡しするものとして、人格
化された「知恵」の存在を考える流れが出てきていた。(p.64)
アカモートにはこの時点では「かたち」(モルフェー)がない。そこで、プレー
ローマ内の「キリスト」が憐れんで、彼女に「存在に基づくかたち」を与える。そ
の結果、アカモートは自分の惨めな境遇を知って動揺し、悲しみ、恐れ、落胆、無
知といった「感情」(パトス)に取り付かれる。これらの感情から「物質的(泥
的)なもの(図 3.2 のX)」が成立する。(p.65)
他方、自分の出自がプレーローマであることをキリストを通じて知ったアカモー
トには、同時に「エピストロフェー」(立ち返り)という性向も生じる。このエピ
ストロフェーから「心魂的なもの(図 3.2 のY)」が生み出される。(p.66)
6
次いで、ソーテルがアカモートのもとに遣わされ、「グノーシスに基づいて」彼
女に「かたち」を与える。アカモートはこれによってついに感情(パトス)から解
放される。ソーテルと彼を取り巻く天使たちの姿を見たアカモートは、喜びのあま
り「霊的なもの(図 3.2 のZ)」を身ごもり、出産する。(p.66)
こうして「物質的なもの」「心魂的なもの」「霊的なもの」という三つの元素が
出揃ったところで、普通の意味での世界創造が始まる。アカモートが「心魂的なも
の」から「デミウルゴス」(プラトン哲学で創造神の意味)を造り、このデミウル
ゴスが「心魂的なもの」と「物質的なもの」から天地を創造する。ただし、デミウ
ルゴスはアカモートの存在や自分の由来については何も知らない。旧約聖書の神は
このデミウルゴスにほかならない。(p.66)
人間を除く宇宙と世界がデミウルゴスによって「心魂的なもの」と「物質的なも
の」から造られたのに対し、人間には「霊的なもの」も加えられている。これは、
アカモートが、何も知らないでいるデミウルゴスの中に、密かに霊的な元素を植え
つけたからだという。アカモートは、心魂的なものと物質的なものの中からこの
「種子」が育ち上がり、「完全なるもの」を受け取るようになることを狙っていた。
こうして、人間には「人間内部の神的な本質」「本来的自己」「火花」というグノ
ーシス主義人間論のキャッチフレーズが、神話的・理論的に根拠を獲得することに
なる。(p.66)
[林の注:本書では「心魂的なもの」と「霊的なもの」との違いが説明されてい
る。これを紹介していると長くなるので、興味のある方は本書(p.66)を読んで学
習して下さい。]
これで人間が造られたばかりであるが、プトレマイオスの神話はもうほとんど終
わりである。後は、人間の救済とアカモート∕ デミウルゴスによって造られた宇宙
と世界の「終末論」である。(p.72)グノーシス神話はつまるところ「長い前置き
の付いた救済物語」なのである。(p.68)
種子がみな完成される時、彼らの母アカモートは中間の場所を離れてプレーロー
マの内部に入り、花婿であるソーテルを受け入れる。そして霊的な人々は心魂を脱
ぎ捨てて叡知的な霊となって、プレーローマの中に入り、ソーテルの従者である天
使たちに花嫁として委ねられる。このようにして、全プレーローマは対が完成して
「新婦の部屋」となる。(p.72)
プレーローマの真の安定は、「われわれ」がプレーローマに戻ることにより初め
て回復する。ソフィアの過失を本当の意味で、最終的な意味で償うのは「われわれ
の帰還」である。この物語を単なる神話、大昔の宇宙創成神話のつもりで第三者的
な気分で読んでいた読者は、自分がいきなりその中に引き込まれ、最後のカギを握
るような役を演じさせられているのを見て驚く。プトレマイオスは、このように見
事に読者を引き込む技術を持っている。(p.73)
救済を結婚に見立てることは、ギリシャやオリエントの古い神話に見られる伝統
的な観念である。「ヒエロス・ガモス」(聖なる結婚)というギリシャ語が、宗教
学の述語として用いられる。これを、プトレマイオスは「新婦の部屋」と呼んでい
る。ナグ・ハマデイ文書の中で、最も知名度の高い「トマス福音書」でも、「新婦
の部屋」を救済の目的地点という意味で用いている。(p.75)
7
ナグ・ハマデイ文書の中に含まれている「フィリポ福音書」は、祭儀行為を非常
に詳しく扱うテキストである。具体的には、「洗礼」「塗油」「聖餐」「救済」
「新婦の部屋」という五種類の儀式に言及がある。「新婦の部屋」とはどういう儀
式だったのか?これは、著者や読者にとっては分かりきったことなので、何も具体
的な説明はない。「フィリポ福音書」の末尾の言葉[林の注:次段に斜体文字で引
用する]は、その独特の救済理解・礼典理解を読み取ることができる。(p.75)
誰であれ、新婦の部屋の子となるなら、光を受けるだろう。 誰であれ、この世
界にいる間にそれを受けなければ、他の場所でもそれを受けることはないだろう。
彼は模像において真理を受け取ってしまったのである。(「フィリポ福音書」127)
「フィリポ福音書」に特徴的な点は、「この世界にいる間に」救われなければ「他
の場所でも」(つまり、死んだ後でも)救われることがない、という主張である。
なお、「模像」とは「新婦の部屋」を意味する。(p.77)
「救いがすでに起きた」という感じ方は、専門用語では「現在的終末論」と呼ば
れ、熱狂的な宗教体験にはつきものである。これに対して、「救いは約束されてい
るが、まだ本当に実現してはいない」という冷静な考え方は、「将来的終末論」と
呼ばれる。両論とも新約聖書の中にある。ともかく、紀元後一世紀の中ごろから存
在した熱狂的なキリスト教徒が、後のいわゆる「キリスト教グノーシス」の先駆者
であったことは間違いない。(p.78)
第3章において、著者は「グノーシス主義者バシレイデース」に関して次のよう
に解説している。[林の注:バシレイデースは二世紀の半ばに、エジプトのアレキ
サンドリアで活躍していたが、生没年などの詳細は不明である。私の感想文の第2
回で、バシレイデースの「福音書について全 24 巻」は、正統多数派キリスト教会に
より燃やされて伝わっていない、と紹介した。なお、これまでは本書を詳しく解説
してきたが、今後は私の興味を中心として、出来るだけ簡潔に紹介することにす
る。]
バシレイデースの著作はわずかな引用を除いて散逸している。彼の学説は、「ヒ
ッポリュトスによる異端反駁」と「エイレナイオスによる異端反駁」に引用されて
いる。しかし、両者の違いは大きい。近年の趨勢では、「前者の方が真正で、後者
は弟子たちが通俗化したものだ」と考えられている。(p.88)
「ヒッポリュトスによる異端反駁」によれば、バシレイデースの教説の最初の一
文は、「何も存在しなかった時があった」である。日本語では、「無が存在した」
というと、文章に内部矛盾があるので、日本人には分かりにくい。しかし西洋の言
語では、無が肯定文の主語になりうる。例えば、英語では「Nothing comes from
nothing.」のように、Nothing が肯定文の主語になりうる。そうすると、Nothing と
いう「概念」に対応する「神格」が存在すると考えることは、古代では少しも不自
然ではない。(p.92)
[林の感想:バシレイデースの「Nothing の神」を、日本語に翻訳すると「存在
しない神」となる。これでは日本語として分かりにくいので、「無という概念を象
徴する神」と言い直すと分かりやすい。本書では「存在しない神」という訳語を用
いているが、私はそれを「無の神」と書き直して、本書を紹介することとする。]
8
バシレイデース説では、「何も存在しなかった時」に存在した「無の神」から世
界が生まれたとする。その考え方は、旧約聖書の「創世記」やプラトンの「テイマ
イオス」とも、プトレマイオスの「宇宙創成神話」ともまったく異なっている。あ
るとき、「無の神」が「種子」をひとつ下に置いたというのである。全宇宙は、人
間も含めて、すべてこの種子から生まれてくる。(p.94)
バシレイデース説の特徴は、種をまいた後、「無の神」は何ら手を下さないとい
うことである。これ以降は、すべてはこの種子から自律的に生成するのである。こ
の説の背景にあるのは、「神をわれわれのこの世界や宇宙に出来るだけかかわらせ
ないようにしよう」というモチーフからである。このモチーフは、「神の超越性を
強調する」というヘレニズム時代からの流行に帰着する。(p.96)
その後、件の種から「オグドアス」(第八)の支配者なる存在が生まれ、「オグ
ドアスの支配者」から「子」が生まれる。これが、天上世界の創造である。同じよ
うにして、件の種から「ヘブドマス」(第七)の支配者なる存在が生まれ、「ヘブ
ドマスの支配者」から「子」が生まれる。これが、地上世界の創造である。この二
種類の支配者が、旧約聖書からイエスに至るまでの歴史と密接に関連している。し
かし、その詳細は非常に複雑なので、本書ではその説明は省略されている。岩波書
店の「ナグ・ハマデイ文書」第一分冊にその説明が記載されているそうである。
(p.99)
バシレイデースの提唱した「無からの創造」は、旧約聖書ではそもそも問題意識
に入っていなかった。(p.106)宇宙の成立という現象を追求しようとする姿勢は、
ギリシャ哲学に由来している。ただし、プラトンや他のギリシャ哲学者の誰も「無
からの創造」のような理論を唱えてはいなかった。事実はその反対であった。プラ
トンとその学派の場合、「デミウルゴス」と呼ばれる創造神の役割は、すでに存在
していた材料から、形のある美しい世界を作り出すことであった。プラトン哲学で
は、「イデア」に基づいて「質材」(ヒュ-レ)を加工して「この世界」を形成す
ることがデミウルゴスの役割であった。(p.109)
キリスト教は、このようなギリシャ哲学を受け入れなかった。プラトンのように
考えてしまうと、神のほかに物質が最初から存在したことになり、神の絶対性が失
われる。そこで、神は物質も造った(つまり、神はすべてを造った)という「無か
らの創造」という教義をバシレイデースが提唱したことになる。「創世記」や「プ
トレマイオスの神話」には欠けていた理論的関心を呼び起こしたのは、ギリシャ哲
学であった。(p.110)
バシレイデースの提唱した神学体系は、「無の神」とか「世界の種子」とか「子
性」あるいは「大いなる無知」とか、いかにも難解な思想であり、たとえ独創的で
深遠な理論であろうと、一般のキリスト教徒にとってはとてもついて行けなかった
代物であった。これに対して、正統多数派教会の教えは「全能なる神は何もかもご
自分でお造りになったのです」という程度の、神の絶対性と全能性だけを徹底する
単純な(バシレイデース派から見れば、低俗な)教えであった。(p.114)
正統多数派教会は、イエス・キリストは「まことの体」で「まことの苦しみ」を
味わったことを執拗にこだわっている。しかし、長い歴史を引きずるキリスト教に
は、イエス・キリストの受難や身体性を否定するような見解(これを、教会史では
「キリスト仮現論」もしくは単純に「仮現論」と呼ぶ)があった。「仮現」とは
「〜であるように見える」という意味である。(p.118)
9
「仮現論」と「グノーシス」は同義ではない。しかし、キリスト教グノーシスは
基本的にイエス・キリストを至高神のレベルから派遣された啓示仲介者として位置
づけるため、その神性が強調され、人間性は重視されないことになりがちである。
さらに、身体や物質を蔑視する思潮がグノーシスに流れ込んでおり、そこからイエ
スの身体性を否定する傾向も生じる。こうした理由から、グノーシスのキリスト論
は大部分が仮現的である。(p.118)
その一例として、著者はバシレイデース派の仮現論を紹介している。今度の出典
は「エイレナイオスによる異端反駁」である。エイレナイオスは彼の「異端反駁」
で、バシレイデース派の仮現論を次のように引用している。(p.121)
したがって、彼(キリスト)は受難もしなかった。そうではなく、キュレネ人の
シモンという者が徴用されて彼の代わりに十字架を背負ったのであり、この男が
(人々の)無知と迷いゆえに十字架に付けられたのである。彼(シモン)がイエス
であるかのように見えるように、彼(イエス)によって姿を変えられた後で。他方、
イエス自身はシモンの姿になり、立って彼らを笑っていた。(p.121-122)
第4章において、著者は「マルキオンの教説」に関して次のように解説している。
マルキオンは小アジアで生まれローマで活躍した人物であるが、彼については
「キリストとマルキオンの間は 115 年と六ヶ月半」という細かいデータが伝わって
いる。著者は「紀元 144 年に、マルキオンはローマ教会をから脱会して、自派の教
会を創立した」との見解である。(p.131)
イエス・キリストのもたらした「福音」(=「良い知らせ」=「救いのメッセー
ジ」)をマルキオンはどのように理解したのであろうか?➀正統多数派キリスト教、
➁一般的なグノーシス、および➂マルキオンの見解を以下に示す。(p.134)
➀至高神=創造神は、自らが造った人類を罪から救うべく、自らの子イエス・キリ
ストを遣わして人類に福音を伝えた。
➁至高神は、低劣な創造神が造った人類から、その中に取り残されている自分と同
質の要素を救い出すべく、自らの子イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝え
た。
➂至高神は、自らとは縁もゆかりもない低劣な創造神が造った、自らとは縁もゆか
りもない人類を、純粋な愛ゆえに、低劣な創造神の支配下から救い出して自分のも
とに受け入れようとした。そのために、至高神は自らの子イエス・キリストを遣わ
して人類に福音を伝えた。
著者は、マルキオン思想の論理的な弱点(p.136)、キリスト教グノーシスとの相
違点(p.139)、キリスト教グノーシスとの共通点(p.140)、キリスト教グノーシ
スとマルキオンとの歴史的関係(p.142)、マルキオンの魔力(p.144)、およびマ
ルキオン派教会のその後(p.147)を論じている。
「マルキオンの聖書」というものがある。これは現存していないが、「正統多数
派教会の論客が異端反駁文書に引用している箇所を集めて総合する」、というやり
方で復元されている。(p.165)「マルキオンの聖書」は「ルカの福音書」と「パウ
ロの手紙 10 通」を集めて自派の教会で使わせた。(p.159)(この時代は、現在の
「新約聖書」は未だ編集されていなかった。)しかも、マルキオンは伝承されてき
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た原始キリスト教のテキストから、ユダヤ的な要素を削除して、「異邦神の福音」
を抽出した。テキストの「改竄」は現在では不正行為であるが、その当時ではテキ
ストの「原状回復」は問題にならなかった。(p.161-162)
「正統」と「異端」の関係であるが、この区別は事後的に成立する。つまり、闘
争に勝った側が「正統」を名乗って、負けた側に「異端」の烙印を押す。しかし、
初期キリスト教史に絞って考えると、上の区別の他に、多数派主義と純粋主義、も
しくは伝統遵守派と理論優先派という対立関係も重なってくる。キリスト教の教え
をギリシャ哲学の枠組みで理論的に体系化しようとしたワアレンテイノス派やバシレ
イデース派、また文献伝承にメスを入れるまでして純粋な福音を再現しようとした
マルキオン派といった「異端」に対して、「正統」派は一般のキリスト教徒が理解
できない大胆な理論化を抑制し、また広く流通してしまっているキリスト教古文書
の権威を全面的に事後承認した。(p.176)
こうして、多数派は正統派であり続ける。もちろん、異端ないし少数派が提起し
た様々な問題は、ドグマの慎重な体系化なり、正典の確立という形で、多数派正統
教会の歴史にも取り込まれていく。このような応酬が、初期キリスト教思想史の基
本的な発展パターンであった。(p.176)ちなみに、文書集を決定してそれを信仰の
基準とする方法を初めて導入したのが、マルキオンであった。多数派正統教会もそ
れに習って、「ユダヤ教の聖書」をも「旧約聖書」として正典に取り込み、四世紀
には現在の「新約聖書」の構成を確立した。(p.170-173)
第5章において、著者は「グノーシスの歴史」と題して、グノーシスの系譜を簡
単に解説している。
その前に、著者は「グノーシス主義の起源に関する国際会議」が 1966 年にイタリ
ア・シチリア島のメッシナーで開催され、そこで提唱された「グノーシス主義の定
義」を紹介している。次の三点を満たしている思想を「グノーシス主義」と呼ぼう
という提案である。なお、括弧内は著者の説明である。(p.184)
➀反宇宙的二元論(この世界、この宇宙は劣悪な創造神が造ったもので、この創造
神は善なる至高神と対立的な関係にある。)
➁人間の内部に「神的花火」「本来的自己」が存在するという確信(人間は創造神
が造ったものであるが、その中に、至高神に由来する要素がわずかに閉じ込められ
ている。)
➂人間に自己の本質を認識させる救済啓示者の存在(人間はそのことに気付かない
でいるが、至高神から使いがやってきて、人間に自分の本質を認識せよと促す。)
著者は「メッシナーの定義には存在価値があるが、その運用は柔軟に行う必要があ
る」と注意している。(p.185)
著者は、キリスト教グノーシスに影響を与えた宗教思想として、古代ペルシャの
宗教とギリシャ古来のオルフェウス教を挙げている。古代ペルシャにおける善悪二
元論の宗教は「ゾロアスター教」と呼ばれ、紀元前千年より前に活躍したという
「ゾロアスター」を教祖とする。直接的には「マニ教」がこの思想を継承するが、
間接的にはギリシャ・ローマ思想やユダヤ・キリスト教思想に影響を与えていた可
能性がある。(p.185)
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「人間の肉体は霊魂を幽閉する一種の牢獄である」という思想は、ギリシャ古来
のオルフェウスやピタゴラスの名の下で伝えられて来た。人間の死後には霊魂が解
放され、上天にある裁判所で裁きを受け、しかるべき懲罰もしくは褒美を受けた後、
それまでの記憶を消された上で再び新しい人間(もしくは動物)の肉体をまとって
この世に生まれ出るという「輪廻転生論」である。キリスト教グノーシスには輪廻
転生論は取り入れられていないが、霊魂を肉体から分離し、前者のみに価値を認め
るという点で、グノーシスとの親近性がある。(p.186)
ユダヤ教の中で、ヘレニズム時代[林の注:アレクサンドロス大王の死亡(紀元
前 323 年)からプトレマイオス朝エジプトの滅亡(紀元前 30 年)までの約 300 年間
を指す。]に入ってから盛んになった「黙示」の思想と「知恵」の思想が、キリス
ト教グノーシスの母体なのではないか、という仮説がある。「黙示」思想とは、こ
の世の終わりは近く、前と悪とが決着をつける最後の戦いがいよいよ切迫している
(はずだ)という極端に終末論的な考え方である。こうした二元論的な図式や現実
世界に対する激しい敵対意識は、グノーシスの世界観とかなり重なっている。
(p.187-188)
「知恵(ソフィア)」は、ヘレニズム・ユダヤ教の神学において、神から派遣さ
れる一種のエージェントである。神自身の超越性を守るために、人間やこの世界と
接触することに専念する神的な存在が必要だ。ヘレニズム時代に出てきたこういう
考え方は、神に超越性を求めるという点でも、「ソフィア」がキリスト教グノーシ
スの体系において重要な役割を演じるという点においても、ユダヤ教知恵思想とグ
ノーシスの関連は容易に予想できる。(p.188)
キリスト教との関連がない「非キリスト教グノーシス」思想もある。著者は、
「マンダ教」と「ヘルメス文書」の解説をしている。「マンダ教」はごく最近まで
イラクの湿地帯に現存していた、非常に歴史の長い民族宗教である。マンダ教は、
「洗礼者ヨハネの運動を起源とする」といわれており、かなり大量の経典類を所有
している。それを調べると、思想的にグノーシスに非常に近いものがある。マンダ
教経典の中で最も大きくかつ重要でもある「ギンザー」という文書は、人間の魂が
死後に肉体を離れて故郷に戻っていく模様を扱っている。なお、「マンダ」とは、
マンダ語で「認識」つまり「グノーシス」を意味する。(p.190-191)
図 3.3
林が調査した、ク
ムラン教団、ヨハ
ネ教団、マンダ教
団、およびイエス
教団の関係図。
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「ヘルメス文書」は、ギリシャ神話に登場する「ヘルメス神」の教えであるとの
名目で書かれた 18 編の比較的短いギリシャ語文書の集成である。成立年代は、紀元
後一世紀から四世紀と考えられ、エジプトのアレキサンドリアを中心として、伝統
として続いていた。全体としては、プラトン哲学の系譜を引く、古代末期ギリシャ
哲学の産物である。ユダヤ教の影響は認められるものの、キリスト教からの影響は
ない。この中に、キリスト教グノーシスにかなり近い思想を示す文書がある。とも
かく、「マンダ教」や「ヘルメス文書」の存在からわかるように、グノーシスはキ
リスト教の内部から発生した倒錯ではなく、キリスト教から独立した宗教現象であ
った。(p.191-192)
紀元後一世紀は、後に新約聖書の正典に収められている各文書が成立しつつあっ
た時代である。「パウロ文書」に記載されている敵対者たちの思想の中に、後のグ
ノーシスを思わせるものが出てくる。「パウロ文書」には、敵対者が「死者の復活
はない」とか「復活はもう起こった」という発言をしており、「復活を精神的な意
味に解釈する」伝統があった可能性が出てくる。(p.193)「ヨハネの手紙」には、
「わたしたちは知っている。わたしたちは神に属しているが、この世全体は悪しき
者の下にある」のようなグノーシス的な言葉が沢山含まれている。(p.195)
ワアレンテイノス派などの大きなグノーシス流派が登場する前の二世紀前半におい
ても、キリスト教グノーシスの異端的流派が存在していた。それらの一つとして、
「シモン派」と呼ばれる流派が活動していたらしい。「使徒行伝」の八章に、「魔
術師シモン」は使徒ペトロからじきじきに叱られて排斥されたとの記事があること
から、後にペトロの宿敵、あらゆる異端の創始者というシモン像へと発展した。
(p.197)
史的シモンとの関係は不明でるが、シモン派の教説は「至高神(=シモン)から
エンノイアという女性的な存在が生み出され、このエンノイアが物質界に転落して
しまう。このエンノイア(=人間の魂)を救出するために、至高神(=シモン)自
身がこの世界に降りてくる。」のようであった。ナグ・ハマデイ写本の「魂の解
明」はこの「シモン派グノーシス」との関係が深いとされている。その他、著者は
性的放埓主義の「カルポクラテース派」も紹介している。(p.198)
この後、二世紀の半ばと後半において、ワアレンテイノス派などの大きなグノーシ
ス流派が登場して最盛期を迎える。三世紀以降には、盛期グノーシス(特に、マル
キオン派)が残した思想的遺産が、主として「マニ教」に受け継がれる。マニ
(216-276)はテイグリス河畔のクテシフォン近郊で生まれた。(p.202) [林の調
査によれば、マニは幼少時にはエルケサイ派(グノーシス主義の一派になるユダヤ
教洗礼派)で過ごしたが、24 歳のとき神の啓示を受け、ゾロアスター教やキリスト
教・グノーシス主義の影響を受けて、ユダヤ教から独立した宗教を形成した。彼は
ペルシャ・バビロニア・インド・中央アジアで伝道の旅を続け(そこで、仏教の影
響も受け)、ついにササン朝ペルシャのシャープール1世(在位:241-272)の庇護
を受けるまでになった。しかしシャープール1世が死亡すると、ゾロアスター教が
国教となり、マニは処刑されて殉教する。]
後にキリスト教の大権威者となるアウグステイヌス(354-430)は、若い頃の9年
間をマニ教徒として過ごした。この時点で、彼が正統多数派のキリスト教を受け付
けなかった理由は、旧約聖書に散見される神の神らしからぬ行為や、馬鹿馬鹿しい
までの細かい祭儀規定にあった。このため、旧約聖書を否定していたマニ教がアウ
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グステイヌスの知性を満足させたのである。旧約聖書の権威を否定するという発想
は、二世紀のキリスト教グノーシス(特に、マルキオン派)のものであった。その
後、アウグステイヌスはミラノにおけるアンプロシウスの説教を介して聖書のアレ
ゴリー(隠喩)的解釈法に触れ、キリスト教に改宗した。(p.203)
第6章において、著者は「結びと展望」と題して、グノーシス研究の問題点を次
のように述べている。
グノーシスを強引に現代社会と引っ掛けた中途半端な評論や説教がある。遠い昔
の遠い世界の話であっても、正しく再構成された歴史の方が、あるいは歴史を正し
く再構成しようという挑戦そのものに接する方が、面白いだけでなく、意味のある
ことである。(p.208)
グノーシスの反世界的・反宇宙的な理論構成は、社会批判として機能する能力を
秘めている。しかし、その能力が実際に発揮されたのかどうかは、それぞれの時代
から、それぞれのケースから、実証的に判断されなければならない。時として、グ
ノーシスが社会批判や体制批判に短絡的もしくは自動的に結びつけられてしまう場
合があるが、よく注意する必要がある。(p.210)
当事者になったつもりで研究者が実践的な結論を引き出すようなことは、学問的
な歴史研究においては避けなければならない。グノーシスが世界拒否のスローガン
を掲げていたとしても、それが実行されていたかどうかは、論理ではなく、あくま
で証拠によって判断されなければならない。二世紀の盛期キリスト教グノーシスに
おいて、「世界逃避」が生活様式として一般的に実践されていたとは考えられない
のである。(p.213)
キリスト教グノーシスないし紀元二世紀の思想界において「知る」ことの限界と
いうモチーフは広く知れ渡っていた。「知の限界」という問題意識は、その後の正
統多数派キリスト教会で、グノーシス派の思想が異端者の馬鹿馬鹿しい空想として
まるごと排斥されてしまうため、表だって、生産的な形で継承されることはなかっ
た。暗黒の中世の時代は、「信仰」と「知」が機械的に二者択一的なものとされて
しまった。しかし現代のわれわれは、たとえキリスト教徒であったとしても、そう
した束縛から自由である。そして、「知る」ことの面白さ、そして「知る」ことの
限界を、「知」を通して究めることが、面白くかつ必要である。この問題こそ、古
代キリスト教グノーシスが二千年後のわれわれに突きつけている最大の宿題なのか
も知れない。(p.213)
(記載:2013 年5月 27 日)
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