大震災と日本の再生

大震災と日本の再生
島田晴雄
緊急提言
11.4.14.
1. 復旧、復興、日本再生の明確な展望を示す。(4月中)
(1)総理大臣は国内ならびに国際社会の衆知を結集して、日本を
代表し、日本の進むべき方向と具体策につき、短期、中期、長期
の計画と戦略を示す。
(2)復旧:被災者の救援、生活再建の支援、地域ライフライン等の復旧、被災地
の清掃・整備、電力供給強化、雇用対策
(3)復興:雇用創出、道路、港湾、公共施設、都市基盤、産業基盤、住宅整備、
エネルギー基盤整備
(4)日本再生:東北地方を中心として「太陽経済都市圏」の構築
(5)新しい日本:「太陽経済国家」と新しい日本づくり
2. 短期重点政策(4月からさら充実・強化)
(1)被災者の救出・救済・救援、ライフラインの復旧、被災地の清掃・整備
(2)生活再建の支援、生活支援、仮設住宅、空き屋・空き室情報ネットワーク、
雇用対策、教育対策、社会化対策、メンタルヘルス支援
(3)二重債務軽減時限特例措置の立案と施行
3. 放射能汚染と健康問題への正確、詳細で理解しやすい情報提供(4月前半に)
(1)放射能汚染の種類と動態マップ:作成と発表
(2)健康への影響に関するわかりやすい説明
(3)被爆者への情報提供、診療、治療体制の整備
4. 国際社会の救援・支援への感謝と今後への理解と支持要請(4月前半)
(1)世界各国や団体、個人に対する感謝の表明
(2)福島原発事故の原因と影響について詳細な情報の提供と日本の調査ならびに
国際調査協力の表明
(3)国際社会への日本の復興努力と展望の詳細な情報提供
(3)エネルギー供給補填のための火力発電増強についての理解と支持要請
5. 電力需給の正直、精確な情報提供と電力供給復興計画提示
(4月に情報提供、5月に計画提示)
(1)電力供給能力の実態と展望について正直・精確な情報提供
各発電所の能力、稼働実態、稼働計画、電力融通計画
(2)充分な情報提供のうえでの計画節電。
6. 大連立は国民への欺瞞。国難対応の臨時協力体制を(4月)
(1)民主党と自民党など野党の大連立は国民への欺瞞
思想・主義の相違が不明確になり、国民の選択を困難にする
(2)被災者、国民のために、国難対応の有事協力体制を
(3)2011年末には総選挙を、国民の支持する政権で本格復興を
7. 与野党協力による大規模復興予算策定と実施
(4月ないし5月)
(1)30兆円の復興予算策定
(2)財源は主として特例国債。
日銀引き受け発行でなく、日銀は独立の判断で市場から国債買い入れ。
(3)復興目的でも増税は避けるべき。
(4)2011年度予算などの見直しによる捻出で財源補足
(5)予算の使途は以下の通り。
10兆円:被災者の救済、被災地域の復旧
10兆円:被災者の生活支援、被災地域の復興
10兆円:東北被災地域の太陽経済都市圏構築の支援
8. 東北被災地域を中核に太陽経済都市圏構築。
(4月から検討、7月に計画発表、10月から実施)
(1)東北被災地域に希望と夢を
(2)東北被災地域に太陽経済関連産業と雇用の創出
(3)未来の自然エネルギー国家志向の象徴:復興庁本部は仙台に。
9. 新しい日本づくり
(秋から年末にかけて発表)
(1)新しい日本の構想づくり
(2)日本と世界の知恵を糾合、国際コンペも
(3)自然と共生する太陽経済国家、世界に開かれた活力ある経済
Ⅰ. はじめに
香港のシティホールは約2000人の聴衆で満席だった。3月18日、日本列島をあの
M9の大地震と史上空前の津波が襲った時から丁度一週間目。香港芸術祭
のハイライトのひとつ、招待公演である日本フィルハーモニー交響楽団の演奏が
まさに始まろうとしていた。
日本フィルハーモニーを理事長としてお手伝いをしている私は、この時だけは
異例の御挨拶をさせて戴くことにしていた。舞台の正面に立ち、拍手の後で、
会場が静まった時、私は一言、一言、かみ締めるように申し上げた。
「皆様は、すでに毎日のテレビでご存知と思いますが、日本は、史上空前の地震と
津波そして福島県にある原発の事故で、深刻な大震災のただ中にあります。」
災害の実情や、この演奏家達が、地震当日、予定どおり東京で演奏会を敢行し、
サントリーホールの床で一晩を過ごしたことなどを、聴衆が息をつめて聴いくれて
いるのがわかった。私はつづけた。
「私達はいま、困難の中で演奏したその感動を皆様にお伝えするために香港に
やってきました。皆様に音楽の力、いやし、元気づけ、希望を与えてくれるその
音楽の力を共有したかったからです」急に聴衆の眼が潤み出し、多くの方々が
ハンカチで目頭を抑えた。私はゆっくりとしかし力強く宣言した。
「私達は地震や津波がどれだけ巨大でどんなに残酷でも、そんな困難には負けません」
突如、満場が拍手に包まれた。「私達は約束します。必ず復興すると。そして必ず
再建すると。いや、それ以上に、これまでになかったような、新しい日本を創り
ます」会場は総立ちになり、万来の拍手。聴衆は、その感動の中ではじまった、
オーケストラの希有の演奏に陶酔した。いままで経験したことのないひととき
だった。
演奏が終わるとすぐ、多くの人々が私達を取り囲み、「日本人は立派だ」「あの困難
にも負けずに秩序正しく思いやりをもって耐えている」「勇気に満ちた人々だ」
「私達は日本に学ばなくては、と思う」など口々に称えてくれた。
そう、世界は今、この世界史的な困難に遭遇した日本が、これからどうなるのか、
このまま津波に呑まれたように沈んでしまうのか。それとも、この未曾有の危機を
バネにして、不死鳥のように立ち上がるのか。「新しい日本を創ります!」と
言い切る私の心中に、本当に創れるのか、いや、創らねばならない、という
疑問と決意が交錯していた。
本書を書こうと思い立ったのは、その疑問に答えねばならない、皆でその決意を
共有し、本当に新しい日本を創るにはどうすればよいのか、その道筋を描く必要
がある、との思いだった。
世界史をひもとくと、実は、大地震のような災厄を契機に、国が衰退し、滅亡して
いった例が少なくない。近世では、ポルトガルがその例だ。ポルトガルは、15∼16 世紀のいわゆる大航海時代には、世界の航路を開拓して植民地を支配する大海洋
帝国だった。その繁栄は17世紀、スペインによる一時占領で、やや陰ったが、
1755年、リスボンを襲った大地震はそれにつづく津波と火災で首都を壊滅させた。
市民27万人のうち9万人が死亡したとされる。宰相、セバスティアン・カルバーリョ
は卓抜した手腕で首都の復興を果たしたが、しかし、ポルトガルはその後、
ナポレオン覇権の圧迫も受けて、大植民地ブラジルも失い、国力を喪失して
行った。
近年の日本を鳥瞰すると、なぜか、このポルトガルの故事が二重写しに見えて
ならない。日本は第二次大戦後、世界の奇跡と言われる高度成長を遂げて、世界
第二の経済大国と称されるまでになり、1993年には一人当たり国民所得も世界
トップに立った。しかし、その後は、バブル崩壊と長期デフレで経済は低迷し、
新しい時代にふさわしい自己改革ができずに、国力は衰退しつづけている。国民
の期待を担って誕生した新政権も国民をむしろ失望させたところに、史上空前の
大震災が日本を襲ったのである。
この未曾有の大災害が、致命的な打撃となって、日本はこれから衰退を一層加速し
ていくことになるのか、それとも、これを奇禍として日本民族が勇気と英知を
もって新しい国をつくり、新たな発展を実現してゆくのか。これまでの延長戦上
なら前者だろう、しかし、聡明で強力なリーダーシップを確立して国民の力を
結集できるなら後者の可能性もあり得ないではない。
私は、後者を願う祈りをこめてこの本を書いた。この本は後世の歴史家が日本
を評価するときに、2011年春の歴史証言となるだろう。
Ⅱ. 東日本大震災
1. 東北・太平洋沿岸大地震
(1)大地震 2011年14時46分、巨大地震が発生し東北地方を中心に全国を震撼させた。マグニ
チュードは9、震源地は三陸沖(牡鹿半島の東南東、約130km付近)、深さ約24km
と推定。本震の揺れは約6分間。その後、無数の余震がつづいた。
(2)何が起きたのか
日本列島は、東の太平洋プレート、西のユーラシアプレート、北から入り
こんでいる北アメリカプレート、そして南から接近しているフィリピン海プレート
複雑に入り組んでいる地殻の上に位置している。東北地方の太平洋側は、太平洋
プレートが北海道/東北地方が載っている北アメリカプレートの下に沈みこみ、その
歪みが蓄積していました。今回、その蓄積された歪みが解放される形で地震発生。
これまでも、M7∼8クラスの地震が、そうした歪みによるアスペリティ(強い地震
波を出す場所)に応力を蓄積しては、宮城県沖などでは度々、発生して破壊を繰り
返してきていた。今回は、そうしたアスペリティが複数、同時に連動してすべる
地震で、M7.5地震の130倍ものエネルギーを放出する巨大な地震となった。それだけ
のエネルギーが蓄積され、またこのような広域な地震として爆発するとは、専門家
の想定を大きくこえるもの。
この地震は日本の観測史上最大。世界でも1900年以降、4番目(アメリカ地質
調査所)の大規模な地震。その後も10日間でM5以上の余震が300回観測。余震域
は南北500kmの広域におよぶ。日本列島をささえる地殻は極めて不安定な状態。
・津波
この強大なエネルギーの放出で跳ね上げられた北アメリカプレートはその上の海水層
を広範囲にわたって持ち上げ、巨大な津波となって東北地方沿岸を呑み込み、日本
列島全体から、韓国、中国、さらにハワイ、南太平洋からアメリカまで波及。
至近距離にあった三陸海岸をはじめ東北地方沿岸は、30分以内に大規模な津波に
襲われた。三陸海岸では、津波の高さは、15m以上と推定(港湾空港技術研究所)。
福島県の相馬港では15時50分に7.3mの津波を観測。 石、宮古、大洗などの観測
地点では4m以上の津波を観測。津波は千葉県まで及ぶ。房総半島の遠浅海岸に
面した旭市では、津波が海岸から市街に広範に侵入。その後も第二波、第三波が
列島を襲ったが観測データが送信できず、正確な記録はない模様。
岩手県宮古市田老地区では、明治三陸沖地震、昭和三陸沖地震での津波被害を教訓
として、高さ10m、総延長2800mの防潮堤を建設、1960年チリ地震の広範な津波
に対しては被害を皆無で抑えた。今回は、津波はその高さを大きく乗り越え、
防潮堤も580mにわたって粉砕。地域は甚大な被害をうけた。
チリ地震による太平洋全域に及んだ津波は対岸の日本列島の海岸地域に大きな
教訓となった。宮古市のみならず、各地では、防潮堤を構築し、警戒、避難体制
など防災対策を整備していた。海岸地区に建設されている原子力発電所も同様。
震源に近く、強大な津波に見舞われた宮城県女川町の女川原発はその教訓で13mの
防潮堤を築いており、10m級の巨大津波の被害を最小限にとどめた。対照的に、
福島県の海岸に位置する福島第一原発では、防潮堤は6mという。チリ津波ていど
なら充分に防げた高さ。しかし、今回の津波はそれを大きく乗り越えて反応炉や
周辺の構築物を一部破壊し、後述するように深刻、甚大な影響を持つ機能不全
引き起した。
津波が東北地方の海岸地域を襲い、街や村全体を呑み込み、なおも黒い
獰猛な怪物のように、車や住宅や工場や橋などを倒し、崩し、破壊しながら、単なる
粗大ゴミのように押しやりながら、河をさかのぼり、田畑を押し流しながら、奥へ
奥へと、5kmも10kmも侵襲していく恐ろしい光景を繰り返し、繰り返し、映し出す
TV画面に、私達の目は凍り付いた。
この映像はただちに世界各地に伝わり、世界中が日本の想像を超える災害と悲劇に
目を見張った。それは人類史上、ほとんど経験のない甚大で残酷な災禍に日本列島
が引きずり込まれる光景だった。世界の友人達は、日本列島がタイタニック号の
ように海に沈むのではないかと本当に思ったという。
津波という言葉は、波を連想させるが、現実は波ではなかった。それは海そのもの。
海が数10kmもあるいは100kmもの広範囲にわたって、その水位がもちあがり、
それが陸地を呑み込むのだ。三陸海岸は、リアス式海岸として知られ、海岸には
屏風のように岩山がそそり立ち、その岩山に挟まれるように、海岸が広がり、
その後背地に漁村や農村、街や住宅地が展開する形が多い。海に向かって開かれた
山は後背地に入るほど、奥に入るほど狭くなる形になっている。このリアス式海岸
地帯が海そのものが盛り上がって移動してくる津波の
食になった。
津波は波ではなく、海なので、一定の高さと広さをもった水の体積は、両側の山
が狭くなる程、つまり奥に入るほど、ひろがりが制限されるので、水位が高くなる。
海岸で10mだった津波が、何kmもはいった丘陵地で20mにもなるのはこのためだ。
まさかと思う後背地まで津波はどんどん押し寄せ、すべてを呑み込み、破壊しつくし
そして大暴れの後は、こんどは 引き波 として太平洋に戻っていく。この引き波も
また、倒壊させ、破壊した建物や車や、そして逃げ遅れた人々を呑み込みながら
すべてを海に引きずり込んでいく。
津波は海岸地域にそって広く深く、すべてを破壊し尽くす残酷な爪痕を残して
数時間後には引き去った。国土地理院が、1∼2日後に、青森県八戸市から福島県
相馬市にかけて撮影された航空写真をもとに分析した結果、津波によって浸水
した面積は約400平方kmにおよぶことが明らかに。しかし、津波の被害は千葉県
までおよんでおり、実際にはおそらく500∼600平方kmくらいにはなるだろう。
2. 各地の様相
(1)東京の情景
3月11日の地震当日、私は車を運転して第三京浜道路を横浜方面から東京にはい
ろうとしていたところだった。ハンズオフの電話で事務所と業務上の話をしていた。
車があたかも腰を振るような揺れ方をした。以前、高速道路でタイヤがパンクした
時と似た揺れなので、スピードを落として、車を止め、タイヤを点検しようと
思った。その時、電話が途切れて通話できなくなった。ふと上を見上げると、
多摩川にかかる高圧線の電線が大きく揺れている。それだけではない。高圧
鉄塔そのものが大きくゆっくり揺れているのだ。何かが起きたにちがいない。
東京に入ると多くの人々が道路にでてきている。子供連れの親も多い。皆、携帯
電話を耳にあてている。また揺れがきた。道路際のビルが揺れ、街路樹が激しく
揺れている。私は車をそのままゆっくり走らせつづけた。何度も家族や事務所に
電話をかけたがつながらない。皆、大丈夫だろうか。それが心配だった。事務所
から携帯メールがはいり、被害は少なく、無事と伝えて来た。しかしその後は、 連絡がつかない。40分後に家に着いた。
二人の娘は仕事をしているが、やがて無事であること、それぞれ小学校と保育園に
子供達を引き取りに行けたことがわかった。都心に出かけていた妻の状況がわから
ない。2時間ほど経って、突然、電話がありホテルに避難している、と伝えて
切れた。妻は歩いて帰ると言ったが、膝の靭帯を悪くしているので、そのまま
待つように伝えた。そんな膝で長時間歩いたら、入院することになる。車を
ガレージから出して品川から日比谷に向かった。普段、10∼15分の距離なので、
悪くても1時間くらい、と思ったが、これが間違いだった。第一京浜は東京圏中
の車が出てきたかと思われるほどのすし詰め状態ですこしも動かない。歩く方が
はるかに早い。結局、7∼8kmほどの道のりに5時間半かかり、妻を夜遅く 救出
してから帰宅するのにさらに4時間半かかった。
電車がすべてとまっており、バスも立ち往生しているので、帰宅時間の人々は結局
何kmもの道を民族大移動のように歩いて帰った。また家の遠い人々、帰れない人々
は「帰宅難民」として仕事場やホテルの床や、公共機関の建物、学校などに待避して
一夜を明かした。その数は数10万人に上ったという。世界のメディアはその情景を
異常な事態として報道した。
地震は深刻な災害だが、比較的被害の少なかった東京のような大都市は、地震その
ものよりも、交通機関や通信の停止によるこうした社会現象による被害が大きいこと
を身をもって痛感した。このうえ、もし地震そのものの破壊を被ったら東京のような
巨大都市はどういうことになるのか、想像するだけで空恐ろしい。
東京ではその翌日から、スーパーマーケットの食糧が次々と姿を消していった。
そしてガソリンスタンドに長い列ができ、やがてどのGSも「売り切れ」の張り紙
とロープが張られた。わずかのガソリンがあっても警察や病院優先ということで
一般車両にガソリンは供給されなくなった。
地震2日後に、東京電力は、福島原子力発電所の事故で、電力供給は著しく不足する
事態のなったとのことで、「計画停電」なるものを宣告し、3月14日から実施された。
これは首都圏の生活と産業活動に想像以上の混乱と非効率をもたらすことになった。
東京のような大都市には大都市特有の震災の社会的そして経済的波及効果が及んで
きたが、大地震と巨大な津波の甚大な被害を受けた東北地方がいかに悲惨な状況
かは、連日、TVが報道しており、悲しく胸の痛む思い。
冒頭で述べたように、私は、地震の数日後から5日間、「日本フィルハーモニー
交響楽団」と一緒に世界芸術祭の参加するため香港の出張したが、ホテルに帰ると
NHKのワールドニュースはいうまでもなく、CNNもBBCも世界中のあらゆる報道
機関が、東北地方を中心とする大震災の悲惨な情景を刻一刻報道していた。外国の
報道機関の関心は、津波の被害もさることながら、福島原発事故の経過と対応に
大きく集中していた。
(2)東北被災地訪問
東北地方を襲ったM9の大地震、そして沿岸部を呑み込んだ空前の津波の被害は
時が経つにつれてしだいに明らかになり、また拡大した。とりわけ宮城県、岩手県
では多数の死者と行方不明者が報告された。死者数も行方不明者数も日毎に増加。
3月26日現在で死者は10489人、行方不明者は16621人。死者は確認された数、
行方不明者は家族や縁者から警察に届け出があった数。瓦礫や泥の下、海底に沈んだ
死者は数えられない。家族全員が犠牲者になっていれば届け出はない。実際には、
死者も行方不明者もこれよりはるかに多数にのぼる可能性あり。
警察庁は3月24日現在で、建造物の損壊、損傷について、全壊18324戸、半壊5090戸、
流失1165戸、全半壊97戸、床上浸水1984戸、床下浸水940戸、一部破損105109戸
と発表。
交通網も大きな打撃を受けた。東北新幹線は、仙台駅など5つの駅で被害。ほか
電柱や架線、高架橋の橋脚など約1100ヶ所が損傷。在来線、とりわけ海岸に近い
地域を走る在来線は、土砂崩れ、液状化現象、その他地盤の変形などで線路や
橋脚の損傷が多く、復旧には多大な時間かかりそう。
電力:東北電力管内、東京電力管内で地震直後、それぞれ約400万世帯が停電。
とりわけ、東京電力では、後述、福島第一原発は深刻な事故で停止、福島第二原発
ほか多くの火力発電所も一時停止などで電力供給はおおきく落ち込んだ。
こうした物的な損傷、損害も深刻だが、人的な損失、社会的な打撃は、報道の画面や
数字だけでは分かりにくい。1995年1月17日の阪神淡路大地震の3日後、私はリュック
サックを背負って、被災地にかけつけ、現場をあるいた。崩壊した家や地域とそれ
ほど被害を受けなかったところがあり、その相違がかえって震災のつらさ、
深刻さを際立たせているように思えた。押しつぶされた一階から家族を救出できずに
悲嘆にくれている人々を目撃して息が止まるようなショックを受けたことを覚えて
いる。あの時は、神戸以外は平成元禄を謳歌しており、その地域だけ集中的に被害を
受けた被災者の方々の不幸に対して、悲しみというより運命へのやり場のない憤りに
似た思いを感じたことを覚えている。
東日本大震災は、それよりはるかに大規模で、被害の深刻さも桁違いとされる。その
実態をこの目で見、その空気を肌で感じたかった。私は全国から集まったオーナー型
経営者の勉強会である「島田塾」メンバーに呼びかけ、有志を募って、救援物資を
たづさえて、深刻な被害を受けた被災地を訪問することにした。大地震から2週間後
のことだった。私は島田塾(経営者の勉強会)の有志と6人で
東北被災地のうち特に被害の激しかった地域の石巻、女川、そして
仙台を訪ねた。これらの地域には島田塾のメンバーが活躍しており、
彼らをお見舞いするとともに、被災者に支援物資をお届けする目的。
計画を立てた時、東北道は緊急道路に指定されており、一般車の乗り入れは
できなかった。私は内閣府などの政府高官に連絡して緊急車両の指定を受ける
相談をしたが誰も手続をしらなかった。結局、地元警察に電話をすると交通課
の警察官が趣旨と計画を聞いて許可をすることが判った。地方分権より
個人分権国家?
ところ出発直前、東北道に一般車の乗り入れが許可され、私達が申請していた
「緊急車両」指定は地元警察から受けられなかった。現場では、「緊急車両」指定
がないので、給油は道中事実上できず、持参した給油缶が役に立った。パンやカップ
麺200人分、卓上ガスコンロ30基、ガスカセット70セット、下着、歯ブラシ、
チョコレート、ホッカイロなど数百人分を満載し、大型4輪駆動バンで、一路
深夜の東北道を北上した。途中から雪になり気温は零下。被災者の困難を
想像すると胸が痛むおもい。早朝、石巻に到着。高速から街までの田園風景は
地震で倒壊した家は少なく、ずれた道路を補修して通行が可能になった模様。
島田塾メンバーであり石巻市の商工会議所副会頭、北日本海事社長、阿部淳氏
をまずたずねる。氏のお宅は高台にあって津波の被害はなく、街の復興に注力。
氏の案内で高台の神社から街と港を望む。息を呑む光景。港から街の大半が洗い
流され
かに残った建物の残骸と押し流された瓦礫が縁辺に積み上がっている。
氏の会社は無事だったが、氏が会社創立30周年を期して市の中洲に整備した
マリンパークはすべて洗い流され、シンボルの自由の女神が傾いて残るのみ。
街に降りると、市民の懸命の努力に自衛隊や消防の応援もあって、ようやく車
が通れるよう瓦礫が両脇に積み上げられている。自衛隊の活躍は大きいようだ。
多くの車が破壊されて重なり合いあたかも廃車置き場の観。車が家々に突っ込み 漁船が街の中に横転しているなど異様な光景。
石巻は、日本でも有数の海産物加工の街。海岸には多数の水産加工工場、また、
日本製紙の大型工場があった。水産加工工場は津波の直撃で、見る影もなく崩され
構造材のH型鋼がアメのように曲がっていることが津波のエネルギーの凄まじさを
物語る。製紙工場は紙の大ロールが道路まで散乱し、構内運搬用ディーゼル車が
オモチャのように横転し、液状化した地面に埋まっている。
被災者はわずかに倒壊を免れた学校など公共施設に避難。それでも多くの施設が
一階は津波で破壊され、被災者は2階以上で暮らしている例が多い。街の各所で、
自衛隊のトラックから給水を受ける人々が長い列をつくっている。また、生活用品
の配給所にも長い列。一部のスーパーが営業をはじめているがこれも多くの人だかり
で、生活用品を入手するのは至難の模様。数日前から津波などの被害を免れた地域
で電気、水道などライフラインサービスがはじまり、生活がやや改善をはじめた
とはいうものの、それらの地域でも、商店はほとんど閉鎖で流通も復活しておらず、
家は無事でも生活物資のない人々がほとんど。避難所など生活物資の集まる場所に
物資をもらいに来る人々は避難者の何倍にものぼるという。
石巻は人口16万2000人の街だったが、現在、市役所で確認された死者は2200人、
届け出られた行方不明者は2700人ほどとのこと。しかし、家族全員が津波で流され
たり、倒壊家屋の中で死亡している場合には届け出がないので、行方不明者の数
自体、実は掌握が困難という。実際、街の中を歩くと、倒壊したビルや家屋の残骸
や瓦礫、そして夥しい破壊された自動車を、両側に押しのけ積み上げて、ようやく
車の通れるスペースが道路として確保されたばかりのようで、それらの残骸の中や
液状化した地面の泥土の中に死者が埋もれていてもまだとても発見するいとまも
ないように思われる。そのうえ、津波は10mを超える海のいわば怒れる大地の移動
となって街に襲いかかったが、街を呑み込み、蹂躙し、破壊しつくした後は、
大引き波となって水平線の彼方に去った。その引き波に連れ去られ海中に沈んだ
人々については全く情報がない。岸壁に立つと、以前の岸壁より1∼2mは低く
沈んでおり、GPSでは陸地そのものが4mほど海方向に移動したのだという。
津波が街と陸にどのような深手を負わせたか想像に難くない。(その後の報道では
海上保安庁がGPSで測定した結果、牡鹿半島沖の海底が24m移動、また震源付近の
海底が3mほど隆起していたことがわかった。)
石巻でも他の東北地方沿岸部でも、人々はたびたび津波の脅威に晒されてきて
おり、自治体では、チリ沿岸(1960年)で発生した大型津波の教訓を元に対策
を充実してきたという。これは発生から何時間もかけて数メートルの津波が
押し寄せてきたもので、警報から避難まで充分な時間があり、またその津波を
はるかに上回る堤防も完備していた。今回も津波の避難警報が出てから、その
経験で、あわてて家に印鑑と通帳を取りに駆け戻った人が少なくなかったという。
しかし今回は震源は三陸海岸沖合であり、その波も10mを超えるという、早さも
高さもエネルギーも段違いに想定も想像も超えた。30分ていどで襲来した巨大な
津波にそうした人々の大半は呑み込まれてしまったという。
石巻から北北東に15km。女川市がある。女川市は日本のサンマの最大の水揚げ
港だった。リヤス式海岸特有の両側の高い丘に挟まれた風光明媚な漁港だ。この
海岸の構造が、史上稀な超巨大な津波の
食になった。私達はその惨禍を訪ねた。
多くの建築物などの残骸を両脇に押しのけた坂道を登っていくと女川港が望まれる。
津波は女川港を一瞬のうちに呑み込み破壊しつくしなおも坂を押し上がって、私達
が登ってきた傾斜をさらに巨大な怒濤となって流し下ったのだ。その残酷な傷跡
をリヤス式の両側の丘の中腹に残ったガラクタが明白に証明している。おそらく
丘に挟まれた狭い空間を激流となって駆け抜けた津波の高さは私の目測では40m
くらいに達していたように見えた。女川港は、小高い丘の中腹に立つ病院ひとつ
を残してすべてを呑み込み破壊し押し流した。私達の眼前にはただただ夥しい
建築物などの残骸、瓦礫、形をなさない自動車の山、などが広がるばかりだ。
(ちなみに、その後、東大地震研究所の現地調査で、宮古市の田老地区で、陸地
の斜面をさかのぼって到達した津波の高さが37.9mにまで達していたことが
わかった。)
唯一、小高い丘の中腹に残った女川町立病院を訪ねた。被災者がひっきりなし
に訪れ、治療や生活の相談をしている。医師も看護士も病院の職員も懸命に
対応している。その病院の玄関の脇に、一台の自動車が逆立ちしている。津波
がここまで自動車を蹴り上げた証拠だ。職員に聞くと、当日は津波が一階まで
押し上がってきたので、患者さんを二階以上に誘導し難を逃れたという。津波
が引いた後、被災者を一時、引き受けていたが、今は、被災者は別の公共施設
に移ったという。私達は、持参した救援物資の一部をこの病院に差し上げた。
眼前にひろがる惨状、倒壊した建物、破壊し尽くされた水産物加工場、
陸上に乗り上げ、あるいは横転崩壊した漁船、散乱する自動車、等々、
津波の残酷な惨禍を見つめているうちに、驚愕というより言葉にならない憤りが
こみあげて来た。自然を愛し、自然とともに生き、自然の恵みに感謝してきた
この地に人々に、なぜ自然はこのように荒々しい
奪い去らねばならないのか。
を剥き、すべてを破壊しつくし
この光景が悪夢であれば良いと私は思った。これは現実ではないのだと思い
たかった。おそらく被災者の皆さんも夜の悪夢と思いたかったのではないか。
しかし朝になるとそれが残酷な動かし難い現実であることをいやでも思い知ら
されるのだ。自然の脅威と暴力の前に、私達は無力なのか、という虚無感に
とらわれる。人々の中には絶望する方も出てくるだろう。しかし私達は現実
に立ち向かい、新しい未来を自らの努力で切り開かねばならない。それが私達
自身のために、そして次の世代のための私達の責務ではないか。
それにはいったい何をすればよいのだろうか。命を落とされた方々、家族を
失われた方々には心から心からご冥福をお祈りしたい。生き残った被災者
の方々も、家を失い、財産を失い、仕事を失っている。それだけではない。
残酷なことは、すべて失っただけではない。借金が残っているのだ。つまり
多くの被災者の方々は、ゼロになっただけではない。深いマイナスの傷を
負っているのだ。ゼロからならまだ立ち上がる気力を持てるかもしれない。
しかし家や店や船の借金をかかえて生活再建をするには重圧は重すぎないか。
このような災害の場合、政府は財政負担で構築したインフラの損壊については
財政資金で復旧することができるし、またその義務を負っているが、民間人の
財産の損壊については公的資金で補填することはできない制度になっている。
阪神淡路大震災の時にも多くの人々が失われた資産の借金と新たな建築など
の二重借金問題に苦しんだが、今回の災禍は、その数十倍の規模と深さである。
日本史に前例のない惨害である。大規模な震災がきっかけになって崩壊し消滅
した国々があったことを世界史は教えている。今回の世界史でもあまり前例の
ない東日本大震災は、対応の仕方が適切でなければ日本の崩壊につながるおそれ もあるのだ。現行の財政制度などこれまでの法や制度を超える日本再生のための
前例のない歴史的英知と英断が為政者に求められているのではないか。
石巻市役所で、亀山紘市長に会った。市長は地震当時、仙台市で太陽光
エネルギーの活用など将来構想を講義していたが、その直後、大地震が発生し
あわてて石巻市に向かったが、交通は遮断されており、市庁舎は冠水したため
無事だった病院で数日間指揮をとり、その後、ボートで駅前の庁舎に入ったという。
市長は復興の先に、東北地方にとって、目標となる未来志向の希望のある壮大な
プロジェクトを志向すべきだと静かに語ってくれた。石巻市ではすでに2010年度から
6年計画で太陽光発電の普及に取り組んできていた。補助金など助成制度を使い、
6年間でソーラーパネルを住宅800棟から2000棟へ、全家庭消費電力量の5%を目指す
もの。市長は、そのうえに東北に適したオイル産性微細藻類を活用した新エネルギー
戦略を強化し、新しい農業、水産、環境、観光を一体化した街づくりを進めたい
と、その思いを語ってくれた。地元のこうした未来志向の構想はこれからの地域
づくり、国づくりに最大限に生かすべきではないか、と思う。石巻構想について
は第5章でさらに詳しく紹介したい。
石巻から仙台の島田塾の友人達を訪ねた。彼らの住居も社屋も崩壊は免れたが、
屋内は家財や資料などが散乱し、建物も土台の歪みが生じており、見かけよりも
厳しい損害を被っていた。仙台市もかなり広範囲に津波の被害を受けたが、津波
は陸地に広く到達したものの、東北道の土手が障碍になって、東側は高速道路
まで田畑や家屋が破壊されたが、西側には被害が及ばなかったようだ。しかし、
新幹線は、高架路線の電柱が軒並み倒れたり傾斜しており、衝撃は線路そのもの
に及んでいると推察され、復旧にはまだ相当の時間がかかりそうに思われた。
(3)内外からの支援
大地震と巨大な津波が東日本を襲った直後、そのニュースはたちまち世界を
駆け巡った。いつもより10m以上も高まった黒い海が、港を超え、防潮堤を
乗り越えて、街を呑み込み、店も車も住宅も工場もすべてを押し流していく
凄まじい光景が世界各国で繰り返し繰り返し、放映された。
すべてを失って生き残った人々は、着の身着のまま避難所に身をよせ、茫然たる
中で、皆で助け合って生活をはじめた。そんな光景を報道する世界のメディアは
世界各国から声援、激励、賞賛の声を伝えてきた。世界の人々は、この残酷で
絶望的な大自然の破壊の中でも、ひどい混乱もなく暴力もなく整然と行動する
避難民の姿を見て、日本人の我慢強さ、沈着さ、秩序正しさ、そして勇気を称えた。
本書のはしがきで、私は香港の演奏会場で、想像を超える熱い声援を戴いた情景
を紹介したが、まさにそれは世界の人々の日本に寄せた暖かい思い一端だったの
だろう。 世界各国の政府、組織、人々から、さまざまな支援が寄せられた。救助隊、救助犬、
原子力関係の専門家、米軍の大規模な人的支援、ボランティアによる労力の提供、
そして食糧、医薬品、毛布などの物的支援など多岐にわたった。各国政府の見舞い
と支援は130カ国を超えた。また震災発生から1ヶ月間で、世界から日本にとどいた
義援金は総額545億円、支払い表明済み分を加えると864億円で、2011年はおそらく
世界中の被援助国のトップになる見通しだという。
人的支援:アメリカ:米軍の大規模、総合救助、復旧支援、韓国、オーソトラリア、 ニュージーランド、メキシコ、ロシア、中国:援助隊派遣、ウクライナ:医療班。
物資支援:アメリカ:食料品・毛布240トン、放射線防護服1万着、放射線量計
3.1万個、中国:テント900、毛布2000、仮設トイレ60、フランス:防護服、
防護マスク、放射能測定器2万セット、ポンプ10台、発電機5台、医薬品5トン、
韓国:移動式発電機4台、毛布6000枚、水100トンなど。
多くの支援の中で、アメリカ政府、とりわけ米軍の人的支援は特筆に値する。その
内容を紹介しておこう。
オバマ米国大統領は、3/11の大地震と巨大津波発生直後から、日本にたいする
最大限の支援を表明。3/12、トモダチ作戦(Operation TOMODACHI)が発令
された。これは、沖縄から北海道まで日本各地の在日米軍、ならびに太平洋軍
指揮下にある東アジア海域に展開中の米海軍艦船を、機動的、迅速かつ大量に
動員した作戦。その目的は、東北被災地域における被災者の救援、そして福島
原発事故収拾のための技術支援。将兵総員約18000人、最多時、17隻の艦艇動員。
西太平洋航行中の10万トン原子力空母、ロナルド・レーガン、駆逐艦マッキャン
ベル、カーティスウィルバー、揚陸指揮艦ブルーリッジ、強襲揚陸艦エセックス
など多数。沖縄海兵隊、救援物資提供、自衛隊と協力して被災地復旧、人命救助、
など。揚陸艦は車両、人員を被災地域に揚陸。機動力、技術力、マンパワーで
強力な支援。震災直後から1ヶ月間はウォルシュ太平洋艦隊司令官が陣頭指揮を
とったが、4/12から同作戦は、規模を縮小し、フィールド在日米軍司令官が
引き継いだ。支援の重点は、やがて福島原発対応支援に。 2. 原発事故
今回の大震災は地震と津波だけでなく、大型の原子力発電所が津波の影響
を受けて故障し、反応炉に冷却水を送る機能が不全となり、炉内の温度が
上昇して、炉心が溶融するリスク、そして放射性物質が空気中に飛散し広域な
放射能汚染の危険を孕む大事故となったことが、震災をこれまでにないひろがり
と深刻さをもった史上空前の大災害に拡大した。
(1)原発事故の経緯
原発事故の経緯をふりかえって見よう。
[第一週]
ー3/11:14時46分、三陸沖にM9の地震発生。福島第一原発の6基の反応炉のうち、
4、5、6号機は定期点検のために運転停止中。1号機(46万kw)、
2号機(78万kw)、3号機(78万kw)が衝撃を受けて自動停止。
地震で外部からの電源が遮断されると非常用ディーゼル発電機12基が起動する
はずだったが、津波の影響で、11基は冷却用の海水を取水するポンプやモーター
が動かず、故障停止。このため1、2、3号機は 電源喪失 状態に陥る。
16時36分、1, 2号機は冷却装置注水不能と判断され、政府に通報。
3号機はまだ冷却系ポンプは作動していた。
19時3分、枝野長官、原子力緊急事態宣言を発令。
21時23分、内閣総理大臣から1号機の半径3km以内の住民に避難命令。
3∼10km圏内の住民に屋外待機命令。
ー3/12:
14時過ぎ、1号機周辺でセシウムが検出。「原子力安全保安院」核燃料の一部が溶け
出た可能性発表。
15時36分頃、1号炉付近で爆発。白煙確認。
20:20から総理大臣指示による海水注入開始。22:15、地震で中断。
21時記者会見。枝野長官。原子炉格納容器から漏れ出した蒸気が建屋内に
充満して発生した水素爆発。格納容器の損傷なし、との見解。
−3/13:
1:23、海水注入再開。海水には中性子を吸収し核分裂をおさえる作用のある
ホウ酸を添加。
2:44、3号機の非常用炉心冷却装置の高圧注水系が停止。冷却水が沸騰して水位が
低下。燃料棒の露出すすみ、冷却装置注水不能と判断。
8:41. 3号機の格納容器内の蒸気を排出して内部圧力を下げる弁を開く。
しかし、真水、海水注入しても水位下がらず、燃料露出して溶融する恐れあり。
−3/14:
11:01. 3号機の建屋爆発。
原子力安全保安院、20km以内に残っていた住民600人に屋内退避を勧告。
枝野長官、原子炉格納容器の堅牢性確保、放射能大量飛散の可能性低いと発言。
三陸沖展開中の空母、R。レーガン、ヘリコプター作業員17人から低レベルの
放射能検知と発表、同空母は発電所北東16kmから風上に移動。
13:25。2号機、冷却機能喪失、水位下がり、海水注入再開。
21:37. 第一原発の正門付近で、310msv/時、最高値観測
10km南モニタリングポストで、通常の360倍、9.6micro sv/時観測
22.39. 原子炉格納容器圧力上昇。
−3/15:
0:00. 格納容器の圧力下げるため弁の開放
午前中. 枝野会見、3号機付近で400msv、4号機付近で100msv、報告。
6時頃、4号機建屋で爆発音、9時半過ぎ、4階部分から出火、11時に鎮火。
4階と5階の間に、使用済み燃料783個がプールに保管されていた。影響あり。
−3/16:
5:45. 4号機建屋でふたたび出火。
観測放射線量の上昇。
10時以降、正門付近で、10.65msv
福島県浪江町(屋内待避地域)で0.19∼0.33msv。
前橋市 0.56micro sv.
飯館村(40km地域)0.038msv。高い値。
−3/17:
9.48. 陸自第一ヘリコプター団のCH47ヘリコプター2機、消化バケットで
3号機に放水。計30t。90m高度の放射能87msv、300mでは4.1msv。
隊員には健康被害レベルは測定されず。
19以降、 警視庁機動隊の高圧放水車、陸自、大型破壊機救難消防車、
救難消防車が放水。放水前と後で放射線量には変化なし。
[第二週]
−3/18:
14時頃、在日米軍消防車で、3号機に放水
外部送電線から建屋ないへの送電準備
ー3/19:
0:30∼1:10. 東京消防庁ハイパーレスキュー隊、手作業で350mのホース接続。
屈折放水車から3号機に毎秒3tの放水。放射線量低下確認。
早朝、6号機非常用ディーゼル発電機復旧。5、6号機の使用済み核燃料プールの水
の循環可能。水温度低下。
5、6号機の建屋に水素が充満しないよう直径3∼7cmの穴を3ヶ所空ける。
正午前後に採取した事務所本館北側の空気中から、内部被爆の危険性の高い
放射性沃素131とセシウムなど検出。沃素131は吸引濃度限度を約6倍の5.9mbq/cc
核燃料の損傷は明らか。
検出値 沃素131 5.9mbq/cc
沃素132 2.2mbq/cc
セシウム134 0.02mbq/cc
セシウム137 0.02mbq/cc
14:10. ハイパーレスキュー隊、遠距離大量送水装置「スーパーポンパー」
と屈折放水車を組み合わせた長時間放水開始。作業は翌日の3.40まで、13時間。
総放水量は2430t、3号機プールの容量1400tを上回った。東京都はこの放水に
ついて海江田経済産業大臣からハイパーレスキュー隊に対し、「速やかにやらねば
処分する」との指示が出されており、予定の7時間を超える13時間55分に及び、
放水車が壊れる事態になり隊員を過度な危険に晒したことに抗議、菅首相陳謝。
22:14、6号機の使用済み核燃料貯蔵プールの冷却機能が回復。
−3/20:
8:20∼9:38. 自衛隊と消防が、消防車11台で、4号機に水81t放水。
4号機への放水ははじめて。
14:30. 5号機、19:27 6号機が冷温停止状態に。
15:46、2号機に通電し、使用済み燃料プールに2時間強で、40t注水。
18:22∼19:43。ふたたび4号機に80t放水。
21:30∼翌日4時。東京消防庁のハイパーレスキュー隊が3号機の使用済み
核燃料プールに6.5時間放水。推定放水 1170。
−3/21
6:37から2時間 4号機に900tを放水。
14:30. 1∼4号機放水口南100mの海水採取、放射性物質検出。
沃素131 5.06Bq/cc 炉規則公示濃度限度比 126倍
セシウム134 1.48bq/cc 25倍
セシウム137 1.48bq/cc 16倍
原子力安全保安院は、原発周辺に東電が設計時想定していた津波5m
をはるかに超える14m以上の津波が押し寄せた可能性、指摘。
ー3/22:
6:30. 放水口南側330m海水から採取
沃素131 1.19bq/cc 29倍
セシウム134 0.15bq/cc 2.5倍
セシウム137 0.153bq/cc 1.7倍
夕方、4号機、6号機への外部電源接続完了、通電開始。
原発から半径20∼30km圏内の病院患者や福祉施設入所者1638人の避難完了
22:43 1∼6号機全てで外部電源を受電する準備完了。
ー3/23:
原子力安全保安院、10.30頃、2号機近くのタービン建屋地下1階で、500msv/時
計測。
東電、敷地正門付近11日以降、中性子線が13回検出と発表。線量は0.01∼02
sv/時で人体に影響はないが、核燃料の一部、損傷の可能性高まる。
原子力安全保安院、12日間の放射性沃素による内部被ばく線量が、20∼30km
圏内で最高500msv、30km圏の外でも最高100msvになる地点の存在発表。
50km離れた伊達市やいわき市でも100msvに達する地域があると発表。
−3/24:
10時。3号機タービン建屋地下でケーブル敷設作業員3人が40∼50分の間に
173∼183msv被ばく。深さ15cmの水たまり表面400msvに一人がふつう作業靴で
くるぶしまでつかった。水たまりに含まれる放射性の沃素、セシウム、コバルト
などの合計放射能は運転中の原子炉内の水に1万倍にあたる約390万bq/ccで、
損傷した燃料棒から放出された核分裂生成物である可能性がある。
15日から24日までに福島県が観測した大気中の放射線量の累計
飯館村 原発から40km 4000μsv
福島市 61km 2200μsv
南相馬市 24km 620μsv
白河市 81km 530μsv
郡山市 58km 500μsv
いわき市 43km 430μsv
会津若松市 97km 110μsv
枝野官房長官、放射線の危険とは別に、社会的要請として20∼30km圏内住民
を避難指示にすることを検討。
[第3週]
−3/25:
8:30. 放水口南330mの海水、沃素131、50bq/cc検出。濃度限度比1251倍。
午前、枝野長官。20∼30km圏内の住民に自主避難要請。
午後、腐食避けるため、1、3号機注入水を海水から真水に切り替え。
米海軍は、横須賀基地から大量の真水を台船に積み込んで発送。
−3/26: 14:30。放水口付近の海水から沃素131、74bq/cc検出、限度比1850倍
ー3/27:
前日に採取された2号機タービン建屋内のたまり水から、表面で1000msv以上の
放射線を検出。水自体からは、沃素131が13メガbq/cc検出。
タービン建屋に関連する配管トンネル(トレンチ)に放射性物質と含んだ水
が溜まっていることを確認。
ー3/28:
東電は3/21、22に原発敷地内で採取した土壌からプルトニウムを検出したと
発表。今回の事故で飛散した可能性。
ー3/29:
1∼3号機すべてで原子炉への注水が消防ポンプから仮設ポンブに切り替え完了。
4号機の中央制御室の照明が点灯。すべての中央制御室点灯完了。
2号機の使用済み核燃料プールへの注水、仮設ポンプによる淡水注水に移行。
ー3/30:
南放水路付近の海中から前日に採取した海水から、濃度限度の3355倍、130bq/
ccの沃素131検出発表。
ー3/31:
30日に採取した海水から濃度限度の4385倍、180bq/ccの沃素131を検出。
冷却用淡水を積んだ米軍のはしけ船が到着。
[第4週]
ー4/1:
敷地の一部に放射線粉塵飛散防止のための合成樹脂 400リットル試験撒布。
ー4/2:
2号機の取水口付近の電線ケーブル用ピットに長さ約20cmの亀裂発見、高レベル
の放射線廃液が海に流出発覚。止水奏功せず。
ー4/3:
1∼3号機の圧力容器内に淡水を注入している仮設ポンプ外部電源に切り替え。
地震発生直後から4号機建屋内で行方不明の作業員二人、死亡発表。
ー4/4:
2号機から出る高レベル放射性廃液を受け入れるため、集中廃棄物処理施設
などから約1.2万トンの海洋投棄を開始。
−4/6:
2号機取水口付近から海に流出していた高濃度の放射線汚染水の流出停止を
確認。
東電:1∼3号機炉心損傷度推計発表:
1号機:燃料集合体400のうち、約70%
2号機: 548 30%
3号機: 548 25%。
ー食糧、水への影響:
3/17、厚生労働省は、原子力安全委員会の出した指標値を、食品衛生法上の
暫定規制値とし、規制値を上回る食品が販売されないよう対応することとして
各自治体に通知。
3/19から22日にかけて、農林水産省は、福島県産の原乳、 城県、福島県、
群馬県産のほうれん草、かきな、などから規制値を超える放射能検出を発表。
これをうけて政府は、21日該当の食品の出荷制限の指示を出した。
枝野長官は「今回の出荷制限の対象品目を摂取し続けたからといって、ただちに
健康に影響を及ぼすものではありません。仮に、日本人の平均摂取量で1年間
摂取しつづけた場合の放射線量は牛乳でCTスキャン1回分、ほうれん草で
1回の1/5」と述べて冷静な対応をもとめた。
3/23:原子力安全委員会は緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム (SPEEDI)を使った試算発表。原発北西55kmの伊達市、南西45kmのいわき市
の一部で、12日間の累積被ばく量が100msvに達する可能性を指摘。
3/23:文科省、北西40kmの飯館村の土壌から、放射性沃素117万bq/kg、
セシウム137が16.3万bq/kg検出と発表。
チェルノブイリ事故では55万bq/m2以上のセシウムが検出された地域は
強制移住の対象になったが、京都大学原子炉実験所の今中哲二助教によると
飯館村では326万bq/m2が検出されている。
3/22午前の調査で、東京都は、 飾区の金町浄水場で、水道水に210bq/kgの
放射性沃素131が検出と発表。給水範囲だある東京都23区などで乳児の水道水
摂取を控えるよう呼びかけ。
なぜ、これほどの頁数を使って、経緯を詳述したか。この経緯の中に、この
事故が深刻な事態に発展していくすべてが滲んでいるからである。
(2)内外の反応:日本脱出、日本回避、日本旅行キャンセル、風評被害
−3/16∼20、私は日本フィルハーモニー管弦楽団の理事長として、香港で
開催される世界芸術祭に参加するため、110人の団員とともに、香港に
出張した。16日朝の成田空港は異様な雰囲気。出発ロビーは大勢のアジア
諸国の人々をはじめ世界各国の人々で埋め尽くされ、大混雑。あたかも
難民の国外脱出の様相。香港行きも他の諸国行きの便はいずれも満杯の模様。
3/20、香港からの帰国の際、楽団は大きな楽器を積み込むことを断られた。
日本へ向かう機材は燃料を節約するため重い貨物は積まない。日本から最大限
の旅客を連れて帰るため。楽器は第三国経由で日本に運ばれることになった。
ー航空会社も、原発事故の影響を懸念して、意図的に日本を避けた。
ルフトハンザ航空:成田発着便を当面運休、中部、関空発着に振り向け
エールフランス航空:関空からチャーター便を運行、成田発着をソウル経由に。
ソウルで乗務員を交代。
アリタリア航空:成田発着便を当面、関空発着に変更。
KLMオランダ航空:成田発着便を関空経由とし、関空で乗務員交代
カンタス航空:成田発着のシドニー便を香港経由。香港で乗務員交代
中国国際航空:東京発着の北京便と上海便を当面休止
大韓航空:秋田、青森、函館発着のソウル便を運休。
などなど
ー米国務省は、3/16、東京在日米大使館、名古屋総領事館など政府関係者の家族
600人に国外退避認める。国防総省も、在日米軍人家族、希望者の国外退去
を認める。軍用機使用も。
コロンビア政府、250人輸送できる軍用機を派遣。
インド、IT企業社員と家族の一時出国認める。
ー在日公館、ドイツ連邦共和国、大使館業務を一時的に大阪に移転。
関西に移行させる国々、あるいは近隣諸国に移動集約。
東京駐在外交官員の縮小。
在日当該国人に、なるべく早く帰国を推奨。
横浜中華街の中国人料理人帰国。
外食産業などの外国人労働者帰国
観光客のキャンセル、外国人の多かった観光地閑古鳥、
ー米政府、3/16、80km圏の米国市民に避難勧告。
日本政府の20km圏、避難、20∼30km圏、屋内退避と対照的。
日本の指示は、IAEAの基準にしたがった措置:天野事務局長
米政府の退避勧告発表文では、放射線物質の飛散の計算を出力
230万kwの原子炉事故を想定。つまり1∼3号機分。
日本は原発1基分の基準で指定。その差か。
ー日本で活躍していたロシア人の有名な音楽家。
眠れない毎日。余震よりも、本国からの電話など
とくに夫人。強く帰国要請。モスクワに帰ったら救急車で待つ。
集中して演奏できない。壊れそう。
ー風評被害
野菜等の汚染
海水汚染、魚介類汚染
例(3/25現在)
韓国:日本からの水産物輸入20%減少。
一部大型スーパー、日本産水産物販売停止
シンガポール:東北地方からの野菜、食肉、魚介類、乳製品 輸入禁止。
オーストラリア:福島など4県の海産物輸入禁止検討
日本人、入国、放射線検査
日本製品、放射線検査
日本製品不買。
ー楽団所属の若手イタリア人演奏家。
母親から強い要請。早く帰国を
母は自分を生むのに4年待った。
チェルノブイリから4年間、妊娠を我慢した。
そんな苦労して生んだ息子、また日本で被害受けさせたくない
ー強いチェルノブイリのトラウマか?
放射線汚染、風で数百キロも。近隣欧州諸国で被害
食物は水経由で発症の話ひろまっていた。
欧州諸国はとりわけ強い警戒。
(3)原発大事故の先例:
・スリーマイル島(Three Mile Island)原子力発電所事故 スリーマイル島原発は、米国ペンシルバニア州州都ハリスバーグ郊外のサスケハナ
川の周囲約3マイルほどの中州にある。ワシントンDCの北北西約160km。原発は
2つの原子炉もつ。2号炉は加圧水型原子炉で出力は96万kw。事故当時、2号炉は
営業運転開始から3ヶ月。
事故は、1979年3月28日、午前4時過ぎに起きた。イオン交換樹脂を再生するため
に移送する作業中、移送管に樹脂が詰まり、作業は難航していた。この時、移送用
の水が弁を制御する計送用空気系に混入したため異常を検知した弁が閉じ、この
結果、主給水ポンプが停止、同時にタービンが停止。二次冷却水の給水ポンプが
とまったため除熱が出来なくなり、一次冷却水系にある炉心の圧力が上昇し
加圧器逃し安全弁が開いた。このとき、弁は開いたまま固着してしまい、蒸気
の形で大量の原子炉冷却水が失われていった。原子炉は自動的にスクラム(緊急時
に制御棒を炉心に全部入れて核反応を停止させる)したが、すでに原子炉内で
冷却水が沸騰して蒸気泡(ボイド)が水位計に流入して水位計が正しい水位を
示さなかった。このため、運転員が冷却水過剰を誤判断し、非常用炉心冷却装置
を手動で停止した。
このあと、一次系の給水ポンプも停止したため、結局、2時間20分開いたままに
なっていた安全弁から500トンの冷却水が流出し、炉心上部2/3が蒸気中にむき
出しになり、崩壊熱によって燃料棒が破損し、一部、溶融(メルトダウン)した。
このため周辺住民の大規模避難が行われた。運転員による給水回復措置がとられ、
事故は終息した。放出された放射性物質は稀ガス(ヘリウム、アルゴン、キセノン
など)92Pbq(250万キュリー)、沃素55Gbq(15キュリー)、周辺住民の被爆は
1∼0.01msv程度であり、住民の健康や環境への影響はほとんど無かったと
される。 ・チェルノブイリ原子力発電所事故
この事故は、1986年4月26日午前1時23分、ソビエト連邦キエフの北西
(現ウクライナ北西端)にあるチェルノブイリ原発4号炉で起きた。この原子炉
は黒鉛減速軽水沸騰冷却型ーRBMK型という旧ソ連が開発し、旧ソ連国内でしか
運転されていない機種。誤操作など複合要因で原子炉爆発が起き、大量の放射線
物質が撒布され、近隣からウクライナ、ベラルーシ、ロシアそして近隣東欧諸国
まで広範に汚染が拡大。その量広島に投下された原子爆弾に換算して500発分に
相当するとされる。事故後のソ連政府の対応の遅れもあいまって史上最悪の
原子力事故となり、後に定められた国際原子力事象評価尺度(INES)において
最悪のレベル7の参考例とされた。
事故当時、4号炉では、動作試験中。原子炉停止によって主電源が停止してから、
非常電源に切り替えるまでの間、システムが動作不能にならぬよう原子炉内
の蒸気タービンの余力で最小限の発電を行う試験。試験を原子炉の通常の熱出力
の20%程度に下げておこなう予定が、炉心内部のキセノンのオーバーライドで
1%にまで下がった。運転員は熱出力を回復するため、炉心内の制御棒を引き抜く
操作をした。これで熱出力は7%程度に回復したが、操作余裕の極めて少ない
不安定な運転状態になった。実験に支障がでることを危惧した運転員は、非常用
冷却装置など安全装置を解除したうえで、実験を開始。開始直後、原子炉の
熱出力が急上昇しはじめたため、運転院は直ちに緊急停止操作(制御棒の挿入)
を行ったが、その際、一時的に出力があがる設計だったため、原子炉内の蒸気圧
が上昇し危険な状態になったため、緊急停止ボタンを押した。緊急ボタンは制御棒
を全て挿入する(スクラム)はずだったが、高熱によって制御棒ガイドが変形して
おり挿入は1/3程度で動かなくなり、原子炉の反応を止められなくなった。
爆発は2度あり、2度目の爆発で1000トンの蓋が破壊された。ソ連の事故後の
報告書では、2度目の爆発は、燃料棒被覆は原子炉の構造材に使用されていた
ジルカロイと水が高温で反応したことによる水素爆発としている。しかし、
京都大学の今西哲二博士は、冷却水を喪失したことによって即発臨界に達し、
大量のエネルギーが放出された爆発と推測している。事故は運転員の操作ミス
が原因とされるが、事故後の評価では、安全装置の操作が運転員だけの判断で
行われたとは考え難く、実験の指揮者の判断が大きかったとの見解もある。
この事故が起きたとき、ソ連政府はそれを直ちに公表しなかった。
大事故が起きたらしいという情報は、ソ連政府でなく、スエーデンからもたら
された。チェルノブイリ原発から1100km離れたスエーデンのフォルスマルク
原発の労働者の衣服に放射性物質の粒子が付着していたことから、その発生源
の捜索が行われ、それがスエーデンの原子力施設からではないと判断されたため、 ソ連西部で重大な原子力問題が起きたのではないかという最初のヒントになった
とされる。
ソ連国内の地方行政当局の対応のまずさと設備の不備も災害を増幅させた。
4号原子炉に設置されていた線量計は毎秒1ミリレントゲンまでしか測定できない
もので、現場での事態の把握が妨げられた。3時間後に持ち込まれた線量計は
故障していた。原子炉に水を送り込む作業員達は事態を充分に理解できずに翌朝
まで建屋にとどまったが、保護具の着用もなく、大部分は事故後3週間以内に
大量被爆の結果、死亡したという。多くの消防士も危険に晒された。4月26日の
夜になって副首相が到着したが、その時までには多くの被害者が出ており、政府
はプリチャビ(ウクライナ)近隣都市からの住民に待避命令を出した。
大惨事の拡大を止めるために、政府は解体作業と清掃作業にあたる多くの兵士
と労働者を現地に送りこんだが、大部分は危険について知らされておらず、
保護具も不十分だった。その中で200人が入院、うち31人が死亡。28人が
急性放射線障害だった。プリチャビと近隣都市から13万人が避難させられた。
30km区域のクリーンアップに動員された労働者は30万人から60万人とされる。
これらの労働者は平均165msvの被爆をしたとされる。原発周辺の2.8万km2が
185kbq/m2、1.05万km2が555kbq/m2を超えるセシウム137に汚染したと
される(これは国際チェルノブイリプロジェクトで裏付けられた)。
汚染された区域の子供は、甲状腺に最大50grの高い線量を受けた。ミルクを
飲んで放射性沃素を体内に取り込んだことが大きな原因。IAEAの報告によると
子供1800人に甲状腺癌が見られたという。1995年、世界保健機関は、子供と
若年層に発生した700件ほどの甲状腺癌がこの事故によると推定した。白血病
は被爆から発病まで平均12年、固形癌は20∼25年かかるとされるので、これら
の影響はこれからの調査で次第に判明すると思われる。汚染区域には今でも
数100万人が居住しており、健康不安や移住による不適応などのストレスなど
多くの社会的問題が指摘されている。
自然への影響も報告されている。10km区域では、4.81Gbq/m2の放射線降下物
があり、枯死した待つの「赤い森」が広がっており、汚染区域の象徴となって
いる。しかし、人が退去させられているので、イノシシなど希少動物はかえって
増えているという。
4号炉は事故直後、大量の作業員を投入し、石棺と呼ばれる巨大なコンクリート
建造物で固めた。この内部は汚染が激しいので、事故の犠牲になった数名の
遺体は搬出できていない。放射性物質拡散防止のために特殊な薬剤が撒布された
が放射性物質の大半は外部に発散、流出していると見られる。
チェルノブイリ事故の放射線汚染は、広島原爆の400倍とされる(IAEA)が、
それでも20世紀中頃の大気圏内で行われた多くの核実験がもたらした汚染の
1/100から1/1000だったとされる。無限定な核実験にくらべれば、この事故は
局地的で全地球的なものではない、とも言える。
(4)何が起きているのか。
ーMIT研究者の素早い分析と報告
・事故対応
MIT(マサチュウセッツ工科大学)の研究者 Dr.Josef Oehmen
(J.オーメン)博士。
福島原発は、沸騰水型(BWR:BoilingWater Reactor)。圧力鍋と
同じ原理。核燃料で水を熱し、水は蒸気をつくり、蒸気はタービン
を
して電気をつくり、そして蒸気は冷やされ凝縮されて水に戻り
水は戻されてまた核燃料により熱せられる。
核燃料は酸化ウラン。融点は3000度。燃料は円柱型に成型されて
ジルカロイ(融点2200度)の長い管に詰められ、密閉=燃料棒。
燃料棒は束ねられて、大きなパッケージ。それがいくつも反応炉に
入れられる。これらを総称してコアと呼ぶ。
燃料棒を防護するのはまずジルカロイの容器。2番目が圧力容器。
これは厚さ16cmの頑丈な鋼鉄製のいわばポット。数百度のコア
を安全に守る。3番目に容器が格納容器。これは、核反応炉全体
のハードウェア:圧力容器、全てのパイプ、ポンプ、冷却剤(水)
装置:を格納。鋼鉄製の厚く頑丈な容器。これは完全なメルトダウンを
内部で受け止める目的で設計。コアキャッチャーと呼ばれる。これは
コアが溶け、圧力容器が爆発し、あるいは溶けても、溶けた燃料など
を保持できる。核燃料が拡散するように作られているため、冷温停止もできる。
これらを納めているのが、格納建屋。
ウラン燃料は熱を核分裂で生み出す。大きなウランが小さい原子に分裂。
これは熱に加え中性子と生み出します。中性子が別のウラン原子にぶつかった
時、ウラン原子は分裂し、より多くの中性子を出し続ける。これが核連鎖反応。
この核連鎖反応を制御するため、制御棒を使う。制御棒は中性子を吸収し、
即座に連鎖反応を止める。通常は制御棒は引き抜かれており、冷却剤の水
が適度に温度を冷やして、通常は250度Cでゆとりをもって運転できる。
(チェルノブイリでは、爆発が過度の圧力上昇、水素爆発、そして全ての
容器の破壊、溶けた核物質を外界に放出。日本ではこれは起こらない)
問題は、制御棒を入れても、核がまだ熱を出し続けていること。制御棒によって
ウランは連鎖反応をやめるが、大量の放射性中間生成物が、核反応分裂中の
ウランによって創り出される。主にセシウムや沃素同位体。中間放射性生成物
は崩壊し続け、熱を生み続けるが、ウランは制御棒で崩壊が止まっているので、
この中間物質は減っていき、やがて数日かけて使い果たされると核は冷温停止
するはず。
この他に、2番目の放射性物質が存在。短い半減期、例えば、数秒。これらは
N16(空気中の窒素の同位体)、キセノン(稀ガス)など。ウラン分裂で生まれる
中性子は、他のウランに当たって核分裂連鎖反応をつづけるが、中性子のいくつか
は燃料棒を抜け、水や水分子にあたる。そると放射性のない物質が中性子を
吸収して放射性をもつ。ただ、これらは数秒内に中性子を放出して放射性のない
物質に戻る。このタイプの放射性物質は外界に放出された放射能を理解する
うえで重要。
福島で起きた事。事実のまとめ。
今回の東北沖地震は、原発の想定した地震の16倍。想定は8.2。M9.0とは対数
表に即した数値なので、差は0.8ではなく16倍。16倍のショックでも原発の
施設がすべて維持されたのは、日本の工学技術の賞賛に値する。
M9.0地震ですべての核反応炉は停止。地震後、数秒以内に、制御棒は核の中に
挿入され、ウランの連鎖反応は停止。残った熱を冷却システムが除去する必要。
余熱の負荷は通常運転の3%程度。
地震によって核反応炉の外部電力供給システムは破壊。深刻な事故だが、その
ためにバックアップシステムは設計してあった。原発が停止しているので、自力
で電力はつくれず。バックアっプとして複数(12機)ある緊急ディーゼル発電機
の一つが稼働し、電力を供給。1時間近くうまく作動。そこに15∼16mの津波。
津波は全てのディーゼル発電機を持ち去った。
原発は多重防御システムの思想。ありえない災害、事故に対処する。津波がすべて
のバックアップ装置を流しさるのもその一つ。最終防御線は全てを三番目の容器
(格納容器)に閉じ込めること。制御棒が入っていてもいなくても、コアが溶け
ていてもいなくても、全てを反応炉の中に維持。
ディーゼル発電機が流されてしまったとき、反応炉オペレーターは緊急バッテリー
電源に切り替え。バッテリーはコアを8時間冷やす電力を供給するバックアップの
ひとつとして設計。それはたしかに稼働。8時間以内に、別の電源がみつかり原発 に繋がれた。配電網は地震のために使えなかった。ディーゼル発電機が使えないの
で、可搬性のディーゼル発電機が運びこまれた。ここから事態が悪化。外部電源
につなげられず。プラグが合わなかった。よって、バッテリーは使い切られると、 残りの熱は除去できなくなった。
ここでオペレーターは冷却不可能な場合の緊急手段に従い始めた。再度、多重
防御にしたがった手順。ふつう落ちない圧力容器の電源はすべて落ちた。次の
防御線。衝撃的だが、全てオペレーターがコアのメルトダウンに対処するため
にトレーニングを積んだ手順。コアのメルトダウンへの可能性濃厚。コアが
溶けると、最後の防衛線(コアキャッチャーと格納容器)に依存せねばならなく
なるかも。
しかし、今は、コアの温度上昇を制御、ジルカロイ管を維持、圧力容器を操作
可能に維持することが使命。技術者には冷却装置を直すために時間はまだあった。
コアの冷却は困難な作業なので、反応炉には多くの冷却装置がある。例:
反応炉冷却水浄化装置、反応熱除去装置、反応炉コア隔離冷却装置、代替液体
冷却システム、緊急コア冷却システムなど。
この状況下で、オペレーターは、利用可能な冷却装置を何でも使おうとする。
しかし圧力が高まり始めた。最優先事項は最初の容器(ジルカロイ管)を保つ
こと。2200度C以下に温度を抑えること。圧力容器の健全性を保つために、緊急
事態対応として、 圧力をときどき抜かねばならない。そのために反応炉には
11の圧力開放バルブがついている。オペレーターは圧力を制御するため、蒸気を
ときどき逃しはじめた。温度はこの時、550度C。
この時、放射能漏れの報告が入り始めた。蒸気を逃すことは、理論的に、
放射能を、外界に逃がすこと。それは危険でもない(上述)。希ガス同様、
放射性窒素は人の健康には脅威にならない。しかし、この蒸気開放のある段階
で、爆発が起きた。爆発は格納容器の外で起きた。建屋で。建屋は、放射線
防御に関しては何の役割も果たしていない。しかし、オペレーターは蒸気を
圧力容器の外だが、格納容器と建屋の間に開放することに決めた。蒸気中の
放射能が崩壊するのに充分な時間を与えるため。
問題はこの時、コアが達していた高い温度だった。水分子は酸素と水素の分解
するが、これは爆発性の混合気。これが格納容器の外で爆発し、建屋が損傷。
爆発はこのようなもので、チェルノブイリのように圧力容器の中ではない。
福島にはチェルノブイリのような危険はない。水素ー酸素生成の問題は
原発設計の重要な問題なので水素爆発が圧力容器の中で起こることがないよう
設計され操作されている。格納容器の外での爆発は意図されたものではないが、
想定内。爆発は圧力容器にリスクを生ずるおそれはない。
圧力は管理下に置かれ、圧力は開放。次の問題は、水位が下がっていること。
コアは露出するまで、数日少なくとも数時間かかるように数メートルの水で
覆われている。いったん燃料棒の頭が出ると、45分で露出部分は2200度の融点
に達する。ジルカロイ管はそこで壊れる。それが起き始めた。冷却剤(水)が
最充填される前に幾つかの燃料棒はダメージをうけはじめた。核物質そのものは
まだ傷ついていないが、ジルカロイ管は溶け始めた。そしてウラン崩壊による
副生成物(放射性のセシウムや沃素)が少し蒸気に混ざり始めた。酸化ウランの
燃料棒は3000度に達しないかぎり問題はないので、ウラン核分裂の問題は依然、
制御下。かなり微量なセシウムと沃素が大気中に放出された蒸気中に観測。
これがプランBへのゴーサインか。観測された少量のセシウムで、オペレーターは
ジルカロイ管が壊れると推測。プランAはコアを通常の冷却システムで冷却。
冷却システムで使われる水は奇麗で、ミネラルが除かれ(蒸留水のようなもの)
ている。純水を使うのは、ウランからの中性子の上述のような反応を最小限に
するため。汚れた水や塩水は中性子を素早く吸収し、より放射能を持ち易い。
コアは何で冷やされるかは問題ではない。しかし、オペレーターや機械工に
とっては、少しだけ放射能をもった水を扱う作業に命の危険を伴うようになる。
しかしプランAは失敗。冷却システムが機能せず、または精製水が切れた。
以下は予想。
プランB。コアのメルトダウンを避けるため、冷却に海水注入。核燃料がクール
ダウン。連鎖反応がとまり、余熱のみ。ホウ酸が海水に加えられた。ホウ酸は
「液体制御棒」。ホウ素は中性子を捕まえ、コアの冷却を加速。
オーメン博士は、このあと、冷却が進み、制御棒のおかげで、ウランの主核反応
による連鎖反応は起きず、ウラン崩壊反応が停止しているので、中間放射性
生成物であるセシウムや沃素もしだいに消滅する、と予測した。オーメン博士
の将来予測は楽観シナリオだったが、事故直後の原発オペレーターらの対応に
記述は秀逸。アメリカで入手できる情報をもとに事故直後の短期間にまためた
ため、多分に想像も入っていると思われるが、その後の結果から見て
直後の対応分析はかなり的確。しかも、福島原発の設備能力を詳細に
解説したうえでの記述なので、事故直後の展開について日本当局や日本メディア
の情報をはるかに上回る理解の手がかりになる。
しかし、その後の事態は、オーメン博士の予想よりはいささか悪化した。
メルトダウンは日本の当局も認めたようにある程度進行し、ウラン崩壊は
止まらず、セシウムや沃素も生成と発散がつづいている模様。
・在日イギリス大使館核問題専門家会議
3/15:在日イギリス大使館では、J.ベディントン(Sir John Beddington)
英国政府主席科学技術顧問はじめ核問題の専門家を本国から招集して
日本の福島第一原発の事故による放射性物質撒布の状況、可能性、健康
への影響を検討した。その結果の概略をPaul Atkinson氏が作成し、3/15、英国
大使館のHPに「日本の核問題報告」として掲載したので、その要旨を紹介する。
最悪のケース(1基の反応炉の炉心が完全にメルトダウンし、その結果、放射性物質
が飛散)でも周囲30マイル(50km)を避難地域とすれば、近隣の住民の健康を
守るには充分。もっと悪いケース:1基以上、多くの反応炉がメルトダウンで
失われても、1基が失われた場合と周囲への影響はあまり変わらない。
3/15現在の半径20km地域の避難地域指定は、現在、計測されている放射線量の
レベルなら適切。海水注入で炉の冷却が維持されるなら、より大きな被害には
ならないと思われる。さらなる地震や津波で海水冷却が一時、休止しても
影響は上記と同様。
東京については住民に健康被害が及ぶ可能性は考えられない。もし健康障害が起きる
とするなら放射線量のレベルは、現在測定されている水準の数100倍以上でなくては
あり得ない。専門家は、それはこれからもあり得ないだろうという判断。しかも
健康への影響とは、妊婦や子供への最低限の放射線量の話で、通常の成人への
影響なら、もっとずっと高いレベルの放射線量となる。
専門家達は、東京については、風向きの影響は無視できるという。東京はそれを
考えるには福島からは離れすぎている。 炉の冷却がつづくなら、あと10日も
すれは状況はずっと改善されるだろう。
日本の関係機関から発表される放射線量の情報は、多くの国際関係機関などが
注視しているが、情報はかなり正確との評価。
今回の日本の事故は、チェルノブイリとは大きく異なる。チェルノブイリでは、
反応炉の炉心が完全にメルトダウンしたばかりでなく、格納容器が爆発し、施設
は何週間も何の手だても施されずに火災で燃えるのまかされた。そのチェルノブイリ
でさえ、30マイルの避難地域指定は、健康の保護には適切だった。問題は、直接
の被爆よりも、多くの人々が放射性物質で汚染された食物、穀物、ミルクや水を
その地域でその後、何年にもわたって摂取して病気になったことだ。これに対して
当局は、人々が摂取する食物の放射線汚染についての計測も、それを摂取すること
の危険についての警告もしなかったことだ。チェルノブイリの秘密主義と、
今回の福島原発事故についての当局の情報公開は極めて対照的だ。
在日英国人学校の校長は学校閉鎖をするかと聞かれ、放射線の懸念で閉校する
つもりはないと答えた。余震や建物の損壊で閉校することはあるかもしれないが、
放射線の被害は子供達についても科学的に証明されていない、とした。
沃素錠剤の服用は、高濃度の放射線被爆を受けた(例えば、避難地域の住民や
原発での作業者など)人々、放射線で汚染された食物や水を摂取した人々
のみに必要。いずれにせよ、沃素錠剤の長期服用は健康には良くない。
会議の結論は、問題は、地震と津波またその余波による被害の方が、原発事故
による放射線の脅威よりはるかに深刻、ということ。
・どこまで来ているのか。
原子力工学の専門家である大前研一氏はコアのメルトダウンで、圧力容器から
燃料が漏れ、格納容器も破損した可能性が大きい、と指摘。
大前研一「炉心が溶融してしまった福島原発の現状と今後」
ー1∼3号機の炉心すべてが溶融した可能性大。
炉心にあったはずの高濃度放射性物質が、タービン建屋の地下やトレンチ
(坑道)に出てくる事は考えられない。海水汚染も通常の3000∼4000倍。
使用済み燃料プールから出た放射能とはかんがえにくい。
ー3号機の建屋から3/15、16に黒煙2度立ち上りに注目。
圧力容器は鋼鉄製で加熱しても黒煙は出ないはず。
冷却容器も使用済み燃料集合体が露出しても黒煙は出ない。
おそらく燃料溶融し、厚さ16cmの鋼鉄製圧力容器の底に穴と開け、
格納容器の底に落ちた。燃料(酸化ウラン)は融点2700度。鋼鉄容器の
融点1550度より高い。仮に水中に落下しても3cmの厚さしかない格納容器
の底を痛め、底に穴が開き、外部の物質と接触して燃やした可能性。
ー溶融燃料が底に落ちているのなら、最悪事態はすべに過去形? 炉心部に
まだ燃料が大量に残っているなら、溶融マグマの堆積の形状によっては
依然、臨界になる可能性はある。すでに燃料の大半が底に落ちていれば、
格納容器の底が平なこと、大量に水があること、ホウ酸がその水に大量に
含まれていることを総合すると、再臨界の可能性は低い。炉心に緊急停止
から3週間以上も経っており、崩壊熱もかなり落ちてきている。
メルトダウンを含む最悪に事態はすでに3/15∼16だった。
ーこれからは、事故をレベル6と認定し、今後は超長期の後処理に専念すべし。
放水で冷却をつづける限り、放射性物質の外部拡散が徐々に減る。反面、
放水冷却で、汚染水があふれて周辺の海水や生態系を汚染しつづける。
これからの対策は、冷却と汚染のバランス。
ーチェルノブイリ事故から25年、石棺は老朽化、亀裂部から放射能が漏れ出し
て、環境汚染。コンクリートは熱に弱く、経年変化で劣化、風化。
福島第一原発は、膨大な数の燃料集合体が冷却用プールに貯蔵。崩壊熱は
依然高い。コンクリートで閉じ込めはできない。
ー中間貯蔵施設、冷却プールにある使用済み燃料を巨大な金属容器(キャスク)
に10本ずつくらい入れ、中間貯蔵施設に移す。中間貯蔵施設は現在、青森県
むつ市に建設中。第一期工事、800トンは予約満杯。第二期ねらえるか。
代案、福島第一原発内用地に建設。その後、再処理により、プルトニウムを
取り出し、残った燃料は地下、800∼900mに永久貯蔵。日本に永久貯蔵施設は
ない。ロシアに協力仰ぐか、福島第一原発敷地内につくるか。
いずれにせよ、長期、困難な作業。
・放射線汚染の拡散
福島第一原発での事故ならびにその収拾策の経緯を通観すると、放射線汚染
について明白な姿が浮かび上がる。それは、放射線による汚染は少なくとも、
3つの主要な経路をつうじて進展しているということである。(1)空気中への
飛散をつうじた大気汚染、(2)海水や土壌、そしておそらく地下水への汚染、
(3)原発事故の建物の残骸、瓦礫、破砕物の堆積に付着した高濃度放射性
物質が、これらの物体の移動や風などの影響で飛散する、いわば「死の灰」
の効果。
(1)大気汚染:
3/13から断続的に行われた格納容器内の圧力をさげるための圧力調節弁
の開放によって、ウラン崩壊過程で生成される放射性中間生成物(希ガス:
ただしこれは放射線半減期が数秒と短く、すぐに非放射性物質となる)
や少量のセシウム、沃素などの放射性物質が空気中に飛散。
また、反応炉の建屋の爆発、さらにはおそらく炉心メルトダウンによる
圧力容器や格納容器やそれらの付属部品の損傷部分からも漏出。
これらは希薄化しながらも次第に広域に発散。反応炉事故から数日後には
近隣地域や海上だけでなく、関東圏など100km前後、離れている地域でも、
空気中、水、土壌などで、放射線が、通常や基準値の数倍、数十倍の濃度
で観察され、原発事故による放射線物質の大気拡散、汚染は明白な事実と
なった。
フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)は、事故直後から、福島
原発事故にもとづく放射線拡散のモニタリングならびに拡散のシミュレーション
を行い、世界の注目を集めた。この研究所は、フランスの原子力に関する
情報公開制定を背景に、原子力関係の情報の収集、分析、提供を行ってきて
いる。
今回の福島第一原発の事故直後から、危機管理機関を立ち上げて、フランス
および海外機関と協力して、原子炉事故状況の把握、放射線リスクの解析、
これからの環境、人体への危険性アセスメントを地球規模の計算シミュレー
ションで行っている。
大気のながれや放射能雲の動きなどを、事故直後から、多くの情報を解析・
総合したシミュレーションによって、毎時、図示することによる汚染核大
の動態は、日本語、英語でも開示された。シミュレーションは、セシウム137
など特定の放射性物質をトレーサーとして用い、汚染が数日後には希薄化
しながらも全世界に及ぶ姿を示して世界の関心を集めた。ドイツやアメリカ
の類似機関も同様の解析を行っており、福島第一原発事故による放射線
大気汚染問題はもはや日本だけではなく世界全体の危機管理問題に発展 したといえる。
(2)水、海水、土壌、地下水汚染:
空気中に拡散した放射性物質は、大気中に浮遊しつつ、雨粒などに吸収
されて降雨とともに地上の水に浸透する。事故発生から数日後には
福島県近辺のみならず、関東地方など広域で、河川、浄水池 などの
水源で、通常よりはるかに高い濃度の沃素やセシウムが検出。影響を
受けた自治体では、検出放射線量を公表して注意を呼びかけ、とりわけ
幼児の粉ミルクには水道水を使わないよう指導。ミネラルウォーターの
配給も。各地でミネラルウォーター売り切れ現象。
福島原発では、冷却に使った大量の水が貯蔵能力を超えつつあり、反応炉
のみならず、ディーゼル発動機建屋の排水溝も満水し、高濃度汚染水を
敷地内に貯める空間を確保するために、低濃度汚染水を海中に大量に
流した。これは韓国、ロシア、中国など近隣諸国から強い反発を招いた
が、福島近海から広範囲にわたって放射性物質が海中に拡散したこと
は確かで、やがて近海から採取された魚から基準より高い線量が検出
される例が続出して、海中汚染も動かし難い事実となった。
福島原発から数十キロも離れた地域でも各所で土壌汚染が検出された。
こうした河川、海中、土壌汚染は、やがて地下水にも及ぶことは時間
の問題だろう。健康に影響があるかどうかについては、多様な見解が
あるが、照射性物質の拡散は明らかである。
(3)残骸、瓦礫、破砕物など、いわゆる「死の灰」のおそれ
福島原発事故では、1、3号機の建屋が爆発、4号機の火災、それにつづいて 1∼3号機が小規模の火災など、多くの破壊現象が起き、1∼4号機建屋の周辺
には広範にしかもうず高く、建物や装置の残骸、瓦礫、破砕物が、堆積ならび
に散乱している。これらには高濃度の放射線物質が付着しているが、それらの
移動や風の影響などにより、さらに細かいゴミやチリに付着して、高濃度の
放射線物質が、大気中に飛散したり、排水、海中に混入したりして、拡散して
いくことは避け難い。原発ではこれらの合成樹脂を撒布して固着させるなど
これらの物質の拡散を防ぐ手だてを進めているが、このゴミなどによる放射性
物質の拡散がこれからますます大きな問題になることが目に見えている。
いわゆる「死の灰」問題である。
1954年3月、南太平洋、マーシャル諸島近海に出漁していた遠洋マグロ漁船
第五福竜丸が、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験による放射性降下物
(いわゆる死の灰)を大量に浴び、船員23名が被曝。無線長だった久保山愛吉
氏(当時40歳)は血清肝炎で死亡したが、「原水爆犠牲者は私で最後にして
ほしい」との遺言は日本に激しい反核運動を起こす結果となった。アメリカは
水爆から放出される放射線物質の量を過小に見積もり、危険水域を狭く設定
したため、安全水域にいたはずの漁船、数百隻、2万人以上が被曝したと
される。原発のゴミの処理が適切でなければ、こうした問題を発生させ
かねない。
・「国際原子力事象評価尺度の判定」
事故発生を受けて、日本政府は、国際原子力機関(IAEA)が定める原子力事故 または事象の深刻度である「国際原子力事象評価尺度(INES)のレベルを 4 と報告した。ちなみにチェルノブイリ原発事故は、7(深刻な事故)、スリー
マイル島原発事故は 5(施設外へのリスクを伴う事故)、1999年の東海村
JCO臨海事故は 4 である。
これに対し各国機関から多くの批判がある。フランス原子力安全機関(ASN)
のラコスト総裁は3/14、情報を総合するとレベル5(施設外への影響を伴う
事故)ないし6(大事故)の感触がある、と述べた。またアメリカの科学国際
安全保障研究所(ISIS)は3/15、レベル6に近く、7に達する恐れがある、と
の見解。日本の原子力安全:保安院は見解を変えなかったが、3/18、レベル5
に引き上げた。その時点では、世界の関係機関の中にはレベル6 ないし、7
に引き上げるべきだとの見方が強かった。
4/13、政府(原子力安全・保安院)は、唐突に、福島第一原発事故を、
レベル7 と報告した。レベル7は、チェルノブイリ事故と同じ深刻さと理解
されるが、チェルノブイリ原発事故は、原子炉本体(4号機)が爆発し、
高濃度かつ大量の放射線物質が周辺空間を汚染し、原発作業員2人が事故
当日死亡したほか、28人が3ヶ月以内に死亡。実際には、この事故の影響で
もっと多くの犠牲者だ出ている可能性大。これにくらべ、福島原発事故は、
圧力容器、格納容器の一部が破損して放射性物質が漏れ出しており、被爆者
はいるが、死亡は出ておらず、また放出された放射性物質は、放射性沃素131
換算では37京(京は一兆の1万倍)∼63京ベクレルと推定されるが、これは
チェルノブイリ事故で飛散したと推定されている520京ベクレルにくらべると
1/10ていど。ただ、福島原発事故は4機すべてが故障し、収拾が長期化の様相。
こんごへの影響はさらに核大するおそれがある。
高濃度の放射線物質の大量漏出は、すでに、3/15∼16に起きており、事故から
1ヶ月も経ってから、しかも、レベル 5 からいきなり 7 への引き上げの
発表は、国内では情報開示のおそさだけでなく、情報把握分析判断能力や政治的
意図(統一地方選の直後というタイミング)など、不信感を持って受け止めら
れている。国際的にも大きな波紋を呼んだ。これまでの 5 から6を経ずに、
いきなり 7 としたことの説明不足。情報提供の不透明さをさらに印象づける
結果に。また 世界では、7 は最悪のチェルノブイリの連想があり、日本が
放射線汚染列島の烙印を押されることを正当化した印象。
・地震・津波への対策の怠り
ー2006年3/1、二階俊博経産相(当時)は、吉井英勝(日本共産党、京都
大学原子核工学科卒)から福島第一原発を含む43基の原発の津波対策の不備
を指摘され、冷却水喪失による炉心溶融の危険性を警告された。二階は対策を
約束したが、実際には改善をしなかった。
ー吉井は2006/12/13にも「巨大地震の発生にともなう安全機能の喪失など原発
の危機から国民の安全を守ることに関する質問書」を内閣に提出し、原発の
安全対策の不備への注意を喚起したが、内閣総理大臣、安倍晋三は、「我が国
において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例は
なく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」と
退けた。
ー吉井は、2010/4/9にも衆院経済産業委員会で同じ問題をとりあげたが、経産相
直嶋正行(民主党)は「多重防護でしっかり事故を防いでゆく、メルトダウン
のようなことは起こさせない。このためのさまざまな仕組みをつくっている」と
し、やはり安全対策を講じなかった。
ー東北電力の女川原発では、分権学的、考古学的、堆積学的観点からの
シミュレーションによって起きうる津波の最大規模を推定。平均潮位より
14.8m高い位置に設置するなどの対策をとっていた。今回、女川地域は15mに
およぶ津波に襲われたが、位置の高さに加えて13mの防潮堤があり、津波の
直接の被害を最小に抑えた。これにたいし、東電、福島第一原発は、1960年の
チリ地震津波の教訓にもとづいたとされる6mの防潮堤は、15mの高さに及ぶ
津波を防ぐことは全くできなかった。
ー産業技術総合研究所活断層・地震研究センターの岡本行信センター長らは、数年
の津波の影響に関する研究結果にもとづき、2009年の原発の耐震性評価に関する
国の審議会で、大地震や津波を考慮しない理由を東電に問いただしたが、東電は
「まだ充分な情報がない」「ひきつづき検討したい」と述べるにとどまった。
ー2011/3/23、1970∼1980年頃に4号機を除く5機の設計や安全性の検証をになった 東芝の元技術者達が、M9の地震や航空機墜落などの災害の可能性への対策を
進言したが、「1000年にいちどの事を想定する必要はない」、「M8以上の地震は
起きない」と大津波は設計条件に考慮されなかった、と述べた。
ー2011/3/17 チェルノブイリ原発の被害者団体代表の元原発技師は、「福島第一
原発」は電源装置がチェルノブイリ同様、原子炉の直下にあり、津波などの水が
はいりこめば電気供給やバックアップシステムが壊れる。チェルノブイリ事故後も
電源供給体制を見直さなかったことは残念」と共同通信に述べた。
ー2011/3/15、米ゼネラルエレクトリック社の技術者は、1975年、「MarkI型」
原子炉では冷却装置が故障した場合、格納容器に動的負荷がかかることを勘案した
設計が行われていないと認識し、変更を申し入れたが、受け入れられないことに
抗議して退社したことを明かした。
ー日本はロボット大国を自認しているのに、原子炉のこの深刻な事故に直面して、
高濃度の放射線汚染の現場を人の力で処理しようとしている。トレンチ(坑道)
の汚染水を止めるのに、紙おむつ用の樹脂や、おがくずを人手で詰める作業、
これが日本の技術水準の実態か?最もロボットを活用すべきこのような事態に、
なぜ、その用意がないのか。背景には、東電や政府の当局者が、そのような事故
対応へのロボットの開発の必要を認めなかった事情がある。
実は1999年に 城県東海村でおきた核燃料加工会社(JOC)の臨界事故後、
経済産業省は遠隔操作の災害対応ロボットの開発PTを発足。2000年度補正予算
で30億円投じたが、2001年、試作機1機つくっただけで、打ち切り。東京工業
大学のロボット研究者、広瀬茂男教授は「原子力災害ロボットが必要になる
事態は日本では起きないから必要ない」と言われたという(日経新聞、4.11)。
上述の東海村の事故の際は、クリントン米国大統領からロボット貸与の申し出が
あり、今回も米軍は原発事故処理支援に当たって、高濃度放射線下で作業する
ロボット、また高濃度放射線域にある原子炉上空からの撮影に、無人偵察機
を提供している。
原子力災害の現場で働くロボットは、放射線から電子回路を守る特殊な技術
が要る。放射線を浴びると大規模集積回路(LSI)などが誤作動するためだ。
耐放射線用LSIは特注で、普通の素子にくらべ10倍以上高価。日本の2足歩行
ロボットはバランス制御など優れているが、放射線耐用にはなっていないので、
使えない。また、足場の悪いところ、瓦礫や高温などの環境では使えない。軍事
技術を手がけない日本は米仏やロシアにくらべ立ち後れている。原子力関係者は
「安全神話」を広めてきたが、事故対応について猛省する必要がある。
・原発の危険性
イントロ [平井憲夫メモ]
1級プラント配管技能士、原発被曝労働者救済センター代表
各地の原発差し止め裁判原告証人、補佐人をつとめる。
1997年1月逝去。
ー原発政策の将来に警告
ー施行・検査に欠陥
設計上は安全でも施行で欠陥。針金を原子炉に落としたエピソード。
作業者は判らないままにつくっていく。被爆問題が制約で、作業時間が限られ、
現場指導もできない。人材問題。
検査官は現場知らず。書類が整っていれば合格。検査は施行過程を見ることが
。 技量のない検査官。事故後の運転管理専門官。何も知らない。科技庁、被爆する
から役人現場に出さず。ハマチ養殖指導官を専門検査官に。
「現地専門官」カヤの外。火事場で教えられない。
専門官の下に、原子力検査協会(通産省の天下り先、畑違いの人々)
原発のあらゆる検査権限もつ。検査のことは何も知らずに権限だけ。
協会の下にメーカー。日立、東芝、三菱。メーカーの下に工事会社。
メーカーの上も下も素人。原発事故、電力会社はわからず。
メーカーでないとわからない。
ー定期点検工事とは?
1年くらいで3ヶ月の定期点検。定検。
高熱、高圧運転。配管劣化、摩耗も。修理、入れ替え必要。
放射能汚染現場。防護服は本人防護でない。アラームメーター、時計は持ち
こめない。汚染するから。帰還後、徹底シャワー。
安全靴(サイズちがい)、全面マスク。短時間作業。
95%は素人、出稼ぎ。怖さ知らない。アラームでどっきり。
ボルトネジ締めるのに、一山、二山、三山締めるのに、160人分、400万円。
原発は止めると一日何億円の損害。だから止めずに作業。
定期点検終わると、放射能水、何十トン海に。温排水、一分間に何十トン。
内部被爆、建屋内、すべてが放射性物質。チリ、ホコリ、放射能。微量でも蓄積。
放射線従業者これまで27万人。今も9万人。定期検査工事、毎日被爆しながら支え
「放射線管理教育」5時間。不安解消のため。原発の危険、いっさい教えず。
放射能で癌や白血病、真っ赤なウソ。
電発安全教育、地域でも。メディアでも。「原発なくなったら電気なくて困る」
現場責任者、危険知られないようにする責任。
原発作業者、グラインダーで額を切って、救急車。
皆が放射能汚染、大勢の住民が事故で、汚染したらどうなるのか。
定期点検終わると、放射能水、何十トン海に。
ーいくつもあった深刻な事故
1989年、福島第二原発、再循環ポンプがバラバラになった大事故。
1991年5月、関西電力美浜原発、細管破断事故。放射能を直接、大気中や
海へ大量放出した大事故。チェルノブイリ以上の危険。
ECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で、原発止めた重大事故。
全国民載せたバスが高速でブレーキ効かず、サイドブレーキも効かず。
崖にぶつけて止めた。放射能水が海に流れ出て、炉が空焚きになる寸前。
日本の誇る多重防護の安全弁が次々効かなくなって、あと0.7秒で
チェルノブイリになるところ。
2mmくらいの細管のふれ止め金具が設計通りに入っていなかったのが原因。
施行ミス。20年近い定期検査で見つからず。入らなければ切る、合わなければ
ひっぱる、仰天の実態がバレた。
1995年12月8日。福井県、敦賀、動燃(動力炉・核燃料開発公団)のもんじゅで
ナトリウム漏れの大事故。寄せ集めメーカーで設計基準がことなる。0.5mmの
調整の違い。もんじゅのプルトニウムは日本がフランスに再処理を依頼して入手。
極めて危険な放射性物質。1.4トン。半減期が1.4万年。永久放射能。
世界がやめたプルサーマル、なぜ日本だけつづける?
ー原発処理の負担は誰が負う?
原子炉も大量の放射能を浴びるとボロボロに。最初耐用年数10年と言い、10年で
廃炉、解体予定。1981年、10年経った福島原発一号機で、当初の廃炉、解体が
できないことが判明。原子炉は核反応に耐えられない?
放射能だらけの原発を無理やり廃炉、解体しようとしても、作る時の何倍もの
費用がかかる。どうしても大量の被爆は避けられない。原子炉近くでは、基準内
線量をまもると十数秒作業に。ロボットも放射能で狂う。
福島ではアメリカのメーカーが自国作業チームで大量被爆覚悟で作業。
最初に耐用年数10年といわれた原発が30年も動いている。
原発は、水と蒸気で運転。そのまま放置すると、すぐ
でボロボロ。穴が開いて
放射能が漏れる。原発は核燃料を入れて1回でも運転すると放射能だらけになって
止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできなくなる。
廃炉、解体できない原発、世界に多い。閉鎖する。発電止めて核燃料取り出し。
閉鎖した原発は、発電している時と同様に、水を入れて動かし続ける。水の圧力
や温度で、配管が薄くなったり、部品の不具合も出る。定期検査して補修、
放射能漏れふせぐ。発電中と同様に監視し、管理必要。
今、運転中51基。建設中が3、全部で54の原発反応炉。
実験用など小規模入れると76。
日本の電力会社が、閉鎖した
からない原発を本気で監視つづけるか?
原発政策、2010年には70∼80基に?原発の閉鎖は不可避。
閉鎖原発が日本中いたるところに、ぞっとする光景。
ゴミ。原発運転から出る核のゴミ。低レベル放射性廃棄物。ドラム缶横に
5時間もいたら致死量被爆も。全国で80万本。昔は海に投棄。ドラム缶溶けて
海洋、生物汚染? 今は、六ヶ所村。全部で300万本のドラム缶をこれから
300年管理。300年ドラム缶もつか、廃棄業者いるか?
高レベル廃棄物。再処理プルトニウム取り出した後。日本はイギリスとフランスに
依頼。1995年、フランスから28本の高レベル廃棄物として返却。廃棄物をガラスで
固めたもの。近くに居ると2分で死ぬ量。一時的に六ヶ所村におき、30∼50年
冷やして、そのごどこかの地中深くに埋める。場所決まっていない。
差別問題がもっとも心配。23歳の女性からもらった手紙。涙に滲んだ文章。「東京 で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わした。ところが突然、相手から
婚約解消された。君を愛しているし、結婚したいと思っている。しかし君は
福井県の敦賀で育っている。原発の周辺では、白血病で死ぬ確立が高いという。
親が白血病の孫の顔は不憫で見たくないという。・・・」
北海道の泊原発の隣の共和町での教職員組合主催の講演会。大人に混じって子供も。
中学2年の女の子が発言。「私、こどもを生んで大丈夫なんですか」「今頃なんで
こんな集会?私が大人なら2基目をつくることになる前に、命がけでも止めている」
「女の子どうしでは、結婚もできない、こどもも生めないという話をいつも
している」。原発は差別を生み、人生を脅かす。
平井氏は、20年間、原発工事現場監督として働き、白血病を発症、1997年死亡。
(5)放射線と健康への影響
ここで放射線問題の理解を。
・原子: すべての物質は分子からできている。
分子は原子からできている。
原子は原子核と電子からできている。
原子核と電子の間には広い空間がある。放射線はこの間を通り抜け(透過性)
放射線が電子に当たって軽い電子をはじきとばす(電離作用)作用がある。
電離作用の結果、もとの原子は、電子がはじきとばされて核種が変わる。
核種が変わる過程で放射線が放出される。
その放射線には、α線、ベータ線、ガンマ線がある。
・人体に放射線を当てれば、身体を透過すると同時に電離作用で細胞をつくる
DNAの電子もはじきとばされる。放射線治療は、癌細胞のDNAの電子を
はじきとばして消滅させるもの。
・アルファα崩壊:
α粒子を放出。陽子2個、中性子2個を減じた核種に変わる。
核分裂反応のひとつ。
ベータ崩壊:
質量数を変えず、陽子、中性子の変換が行われる反応の総称。
ガンマ崩壊:
それぞれの崩壊を終えた直後の原子核には過剰なエネルギーが残存。
電磁波(ガンマ線)を放つ事により安定化しようとする反応。
参考:放射線治療の放射線種類
広く用いられるX線は、ガンマ線の一種。
近年注目されている重粒子線は、アルファ線の一種。
中性子線とホウ素を使って、体内の癌組織を広く補足して無力化する
BNCT(Boron Neutron Capture Therapy)という新しい治療法も開発中。
・宇宙のなりたち
約150億年前、宇宙はビッグバンと呼ばれる大爆発で生まれた。
爆発のエネルギーは物質の元となる電子や陽子、中性子に姿を変え、やがて
陽子と中性子が結合して、トリチウムやヘリウムという最初の原子核になった。
軽い原子核である重水素やヘリウムが集まって最初の星がうまれ、その星の中
では、原子核同士が結合(核融合)して鉄やウランなどの重い元素が次々と
生まれた。重い元素ができるとその星は寿命を終え、大爆発をおこし、星
と
なってふたたび新しい星に生まれ変わった。
約46億年前、その星 が集まって太陽や地球が生まれた。地球上のウランや
カリウム40などの天然の放射性物質は、この星くずに含まれていたもの。
太陽より大きい星は燃え尽きた最後に大爆発。その時、鉄より重い物質、ウラン
などの放射性物質も作られる。それら宇宙にばらまかれた物質が再び集まって
太陽系や地球がつくられた。その中で、半減期の長い、ウラン、トリウム、
カリウム40などの放射性物質が、現在まで地球に残っている(天然の放射性
物質)。
・放射性物質と半減期の例:
ウラン235 天然 7億年 アルファ線
ウラン238 天然 45億年 アルファ線
トリウム232 天然 141億年 アルファ線
プルトニウム239 人工 2.4万年 アルファ線。
ストロンチウム 人工 28.8年 ベータ線
沃素131 人工 8.0日 ベータ線、ガンマ線
セシウム 人工 30年 ベータ線、ガンマ線
半減期:
放射性物質は時間とともに崩壊し最終的には放射能をもたない安定的同位体
になる。放射性同位体は崩壊にともない指数関数にしたがって量が減っていく。
その同位体に由来する放射能は減衰。放射性同位体の量が半分に減るまでに
かかる時間が半減期。短い放射性同位体は早く壊変するため、質量あたり
の放射能放射は高くなる。
核分裂反応(nuclear fission)::
不安定核(重い原子や陽子過剰核、中性子過剰核など)が分裂して
より軽い元素を二つ以上作る反応。発見者は、オットーハーン
不安定核は以下の過程を経て別の原子核に変わる。
(1)電子もしくは陽電子を放出して かに軽い核になる。アルファ崩壊。
(2)He核(アルファ粒子)を放出して少し軽い核になる。ベータ崩壊。
(3)He核より重い大きな核(重荷電粒子線)を一つ以上放出して
かなり軽い核になる。
原子核分裂は2と3。一般には3。
核分裂性物質の原子核が中性子を吸収すると、3の過程で核分裂をおこし、
合わせて中性子を放出する。この中性子が別の核分裂性質の原子核に吸収
されれば連鎖反応がおきる。この崩壊過程は発熱反応である。この連鎖反応
と発熱反応を利用していちどに大量の熱を生成できる。これが原発は原爆
の基本原理。
・ウラン原子の核分裂
天然ウランには、ウラン235、ウラン234、ウラン238が含まれる。
ウラン235に中性子を一つ吸収させると、ウラン原子は不安的になり、
二つの原子核と幾つかの高速中性子に分裂する。
元素の質量は理論的には原子核の中に存在する陽子と中性子の和。
しかし実際の原子核の質量は、一般に、陽子と中性子の質量の総和より小さい。
この質量差を質量欠損。質量欠損の実体は、特殊相対性理論の帰結である、 質量とエネルギーの等価性で説明される原子核内部の核子の結合エネルギー。
核分裂をおこすと、この質量の差に相当するエネルギーが外部に放出される。
質量差をエネルギーに換算すると、
ウランの核分裂で放出されるエネルギーはウラン原子一個あたり約200MeV
ジュール(J)換算では 3.2x10 ー(マイナス)11乗。
1ジュールとは、1気圧で20度Cの水1gを約0.24度上昇させるエネルギーに相当。
1グラムのウラン235の中には、2.56x10 21乗 個の原子核が含まれるので、
これが全て核分裂をおこすとおよそ8.2x10 10乗 J のエネルギーが生まれる。
このウラン235は、天然ウランに0.72%、原子炉使用燃料に3∼5%、
原爆に使う高濃縮ウランには90%以上、含まれる。
・ウラン:
ウランは自らアルファ線を出して変化する放射性物質。 中性子hが当たると核分裂を起こす「核分裂性物質」
ウランには、核分裂しやすいウラン235としにくいウラン238がある。
ウランの原子番号は92だから陽子数は92。
核分裂 中性子数 半減期 自然での割合
ウラン235 し易い 143(235−92) 7億年 0.7%
ウラン238 し難い 146(238−92) 45億年 99.3%
これらは同じウランだが、中性子の数がちがうので同位体と呼ばれる。
プルトニウム:
天然にはほとんど存在せず、原子炉で人工的につくらえる。
核分裂しにくいウラン238が中性子を吸収すると核分裂しやすい
プルトニウム239に変化。
中性子を当てると、ウラン238 ウラン239(ベータ線、半減期24分)、
ネプツニウム239(ベータ線、2.4日) プルトニウム239(アルファ線
2.4万年)
プルトニウムは自らアルファ線を出して変化する放射線物質、かつ
中性子があたると核分裂する核分裂性物質。
・放射線量
福島原発事故以来、放射性物質の空気中飛散、水の放射能汚染、野菜などの
放射能汚染が報告され、人々の不安と関心高まり。とりわけ、福島原発周辺で
避難指示あるいは自宅待避指示を受けた人々への影響、原発事故収拾のために
命がけで働いている人々の健康への影響に関心高まり。
突然、政府発表、TV、新聞などメディアで耳慣れない測定尺度が使われて不安
と混乱。測定尺度の意味を説明。
放射線量測定単位:
たき火 雨
ベクレル: たき火の強さ 空から降る雨の量
グレイ: たき火で上がる温度 雨がモノに当たる量
シーベルト: 人体への影響: 人体への影響
暖かい、やけどする等 冷たい、風邪を引く等。
ベクレル:放射線の強さ、
1秒間に変化する放射線原子の数を放射能強度。その単位Bq
ベクレル:1原子変化/秒
由来:1896年にウランの放射能をはじめて発見したフランス人
アンリ・ベクレル
法令改正(1989年)以前は、キュリー(Ci): ラジウム。
1キュリーは370億ベクレル。
1910年第一回国際放射線学会で、1グラムのラジウムがもつ
放射線を単位とする1キュリー(Ci)が定義された。
1974年に国際度量衝総会でベクレルが採決され
1975年から国際標準として使用。日本では法改正1989年
からベクレルが公式使用。
ベクレルは放射線同位元素の物質の量をいうので、放射線量
をあらわすグレイやシーベルトとは無関係。ベクレルで表される
放射線の強さが、グレイやシーベルトでどの程度になるかは、
放射線同位元素の種類によって全く異なる。報道ではこの点
が全く説明されていない。
グレイ: 放射線から与えられるエネルギー量、
グレイ量は距離の二乗に反比例。受ける時間に正比例。
放射線がものに当たり、ものに与えるエネルギー量。
ものが単位質量当たり放射線から受けるエネルギー量。
グレイはジュール/kg(J/kg)とも表される。
1グレイは物質1kg当り、1ジュールのエネルギーを受けたことを意味。
1ジュールは標準大気圧(1気圧)で20度Cの水1gを約0.24度C上昇させる
エネルギーに相当。
シーベルト:放射線が人体に与える影響、
シーベルトの呼称は、放射線防護の研究で功績のあった
ロルフ・マキシミリアン・シーベルトにちなんで。
まず人間の身体全体もしくは各臓器などをモノと考えて放射線から受けた
エネルギー量(グレイ)を求め、更に人間への影響として数値化するため に受けた放射線の種類、受けた身体の部位を評価して次の式から求める。
シーベルトの値:グレイの値 放射線荷重係数 組織荷重係数
放射線荷重係数:放射線の種類による影響の違いとあらわす。
例: β線、ガンマ線が1、アルファ線が20
ー粒子線といわれる放射線(アルファ線、とくに中性子線)は生体に
およぼす影響がグレイで表される量より極めて強く
出るため、20の係数を掛けて、Svで表現している。
ーアルファ線は外からの被爆よりも体内に入った場合に
大きな影響をもつ。ただ、体内放射の場合、グレイやシーベルト
への換算は、多くの因子の影響を受けて、変わるため、
計算が複雑になり、個人毎にも異なるので、換算は事実上、困難。
組織荷重係数:臓器などの組織別の影響の受け易さを表す
例: 肺、胃、骨髄等 0.12
食道、甲状腺、肝臓、乳房などが、0.05
皮膚、骨の表面など 0.01
私達が日常生活において受ける放射線の量は低く、また影響調査の
対象となる放射線量は低線量なので、通常は1/1000であるミリグレイ やミリシーベルトが使われることが多い。
毎時シーベルト
毎時シーベルト(sv/h)は1時間あたりの人体への被爆の大きさの単位。
シーベルトが被爆線量の総量を示すのに対して、毎時シーベルトは被爆
の強さを表す。
表:実効シーベルトと人体への影響
この表に提示されるように、私達は、通常の生活でも、自然界から微量の
放射線を受けており、また医学的検査や放射線治療などでも相当量の放射線
をうけているが、受ける放射線量が多くなるにつれて、さまざまな健康障害
を被ることがわかっている。
例えば:ジェット旅客機で、東京とニューヨークを一回往復すると0.2msv
の線量を被ばくするが、通常、健康には全く問題がない。
一年間n自然環境から受ける 放射線の世界平均は、2.4msv。
1回のCTスキャンでは、6.9msv。
一日1.5箱のタバコを吸う人が受ける年間の線量は13∼60msv
(タバコの葉に含まれるラジウム226、鉛210、ポロニウム等からの放射線)
放射線業務従事者が一回でさらされてよい放射線の限度は 100msv。
通常はこれは5年間でさらされて良い限度。福島第一原発の緊急作業従事者
に限っては、作業効率維持のために、250msvを上限とすることにされた。
いちどに250msvを受けると白血球が減少し、500msvを受けると
リンパ球が減少。1000msv、急性放射線障害。2000msv、5%が死亡。
・放射線への健康への影響
放射線の人体・健康への影響は、急性毒性と晩期障碍に大別。
○急性毒性:
強力な線量をしかも一時に浴びると、DNAが破壊され、それは
細胞の死滅につながる。
3/24、福島第一原発、一号炉炉下作業員が濃度の高い汚染水に
足首までつかり被爆をしたのはこのケース。汚染水の放射能が
足首細胞を死滅させた。
例:東海村JOCの作業員が核燃料に至近距離で被爆して死亡。
全身に10000ミリシーベルト以上の被爆、白血病など発症して死亡。
○晩期障害(もしくは後遺症):
一定の放射線を長時間または繰り返し被爆すると濃度(ベクレル)の
弱い放射線でも蓄積。DNAに傷。
より詳しくは:
DNAに電離作用をもつ放射線を照射したときにおこる化学的変化は多様。
−直接作用:
電離放射線は生体分子に電離を引き起こし、化学結合の切断などの反応。
真空中で乾燥DNAに電離放射線を照射すると一本鎖および二本鎖切断。
その頻度は線量に比例。
ー間接作用:
生体の約80%は水。電離放射線の照射によって反応性の高いOHラジカルなど
いくつかの活性種が生成し、これらがDNAと化学反応をおこし、損傷を惹き
おこす。ここでは、一本鎖、二本鎖切断のほかに、塩基障害、糖障害、酸化、
水和など種々の化学変化でDNA損傷を惹き起こす。
遺伝子異常。遺伝子は4種の化学物質
(A:アデニン、
G:グアニン、
C:シトシン、
T:チミン)
からなる。上記のような放射線の影響で、これら物質の組成の情報が狂い、
DNAを構成する蛋白質の形成に異常をきたす、あるいは異常蛋白が
形成されるなどの異常事態が起きることがある。可能性。癌細胞の発生
もそのひとつ。ただ、これは生物学的な実証研究にとどまっており
医学的には立証されていない。
・放射線の健康への影響と対応策
放射線の健康への影響について詳しい医師や放射線医師の見解を総合。
ー高濃度の放射線を被曝しやすい環境、たとえば、原子炉周辺で作業する職場、
や事故などで高濃度の放射線をしやすい状況、たとえば、福島第一原発の
近隣に居住する場合、など特殊なケースは対応は別。
ー通常の場合、今回の場合、福島原発から30km以上離れた地域、関東地方、首都圏
など日本のほとんどの地域では、現在観測されている放射線濃度のレベルは
健康にはほとんど影響がない。
ーやや注意すべきは、一時的にはわずかな線量でも、長時間、被曝すると線量が
蓄積すること。人体が受ける放射線量は、時間と正比例するので、1μsv/h
でもたとえば年間1000時間、受ければ1msvになる。
ー今回の福島第一原発事故で、空気中に飛散した放射性物質は多くの種類があるが、 沃素131やセシウムは健康に影響のある物質の主なもの。ただし、
沃素131は放射線放出の半減期が8日間、しかもほとんどは数日のうちに
体外に排出されるので、現実的には、よほど大量に吸引、摂取しなければ
ほとんど影響なし。セシウムは、比較的体内にとどまり易いが、大半は筋肉
組織。 筋肉組織には癌はまず発生しない。半減期は30日。やはり時間とともに
排泄される。
ー子供の場合には、甲状腺に付着すると、機能障害が起きる可能性はある。
甲状腺は成長や免疫を管轄する重要器官。沃素131が細胞のDNAに電離作用
によって化学変化を発生させ、それがDNAを構成する化学物質の組成に影響
をあたえて、細胞を変化させる可能性があるが、そのひとつとして例えば
癌細胞が発生する可能性がある。チェルノブイリ原発事故の
あとで、3000人の幼児癌の発症が報告された。これらは直接の吸引と
食物経由の双方の影響かと思われるが、大部分は手術等の適切な治療を
受けたと報告されている。被曝量によるが、幼児の場合はより注意が
必要。
ー成人のDNAはすでに様々な原因による刺激で傷を受けており、今回の事故後、
ほとんどの地域で観察されているレベルの放射性物質による影響は相対的には
きわめて微小。それらが原因かどうか判別困難。沃素131もセシウムも、
たとえそれらが癌の発症に影響があったとしても、発症には20∼30年かかる。
急速に発症するケースはあり得なくはないが、そうしたケースの確率は、
100万分の1∼10とされ、無視しうるていど。
ー外部被曝か内部被曝かで対応は別。
外部被曝は、放射線物質の微粒子が空気などに浮遊して人体に付着するもの。
これはほとんど洗浄で排除できる。放射線被曝の疑いのある場合は、病院その
他適切な機関で洗浄してもらう。あるいは、帰宅後、着衣をプラスチックバッグ
などにいれて、粒子が発散しないようにし、洗濯をすることで、防護できる。
ー内部被曝
内部被曝は、吸引などによる。これは体内に粒子が残存して放射線を放出する。
内部被曝した場合の放射線量のあり方は、外部被曝の場合とは大きく異なる。
外部被曝のように、距離の2乗に反比例、とか遮断物の厚さの2乗に反比例とか
いう「法則」は当てはまらない。沃素131は半減期が8日なので、放射線は早期に
無くなる。体内に吸引された放射線物質は、たとえば、半減期が30年のセシウム
のように、事実上、半永久的に、放射線を出し続けるものもあるが、その大部分
はやがて身体の新陳代謝によって排泄される。また体内に留まるセシウムは筋肉
組織などに残ることが多いが、筋肉に癌細胞が発生することはほとんどないので、
影響は極めて少ない。
体内に残るセシウムなどの重金属は、キレーションという血液浄化の治療法
で排出することもできる。キレーションは血液中の重金属をつつみこむ作用の
ある物質を点滴で血液に流し、重金属をつつみこんで体外に排出する治療法
である。通常、アンチエージング治療などに使われるが放射性物質の排除にも
応用可能だ。また沃素131の場合には、沃素の錠剤を服用することで、沃素131
の放射線効果を中和する方法もある。
ー放射線治療
放射線が体内の細胞などを透過する作用を活用して、放射線による検査や癌治療
など多くの方法が開発されている。X線によるレントゲン撮影、CTスキャン、
小さな放射線発生装置を癌組織近くに埋め込み内部被曝を利用して治療する
小腺源治療法、X線や重粒子線などを癌組織に繰り返し照射して癌組織を
アポートニー(死滅)状態にする放射線治療などがその例。これらの放射線
治療で用いられる線量は、一回のCTスキャンでも6.9msvであり、通常の
放射線治療では患部に対して70∼80gy、数100msvレベルの照射を行うこと
が普通。もちろん、副作用のないように細心の注意をはらってピンポイント
照射を行うので、照射によって放射線による健康障害が出ることはほとんど
なく、手術のような侵襲性のない治療法として放射線治療を利用する患者が
急速にふえている。放射線治療で照射される放射線の線量は、原発事故による
大気の放射線汚染で問題にされるレベル、たとえば数μsv/hなどにくらべると
数万倍あるいは数十万倍の水準である。
ー公衆衛生と線量基準
公衆衛生上、問題にされる大気中や水や食物で検出される放射線の基準値は
放射線による検査や治療で用いる放射線量の数万分の1もしくは数十万分の1
という低い水準。出荷停止処分受ける野菜などに付着している放射線物質の
放射線量は、枝野官房長官もたびたび繰り返し発言した、「1年中食べても
健康には影響がないレベル」という表現も基準値が極めて低く設定されている
ことを表していると言える。
公衆衛生の観点は「健康で問題のない人に絶対に
副作用があってはならない」という考え方であり、健康被害をおこす量とは
「その量を1年間、毎日とり続けた場合、10万人の中で一人が将来、癌になる
可能性がある量」という基準である。高名なある医師は、「3人に1人が癌で
死亡する時代、この確率の意味はわからない。たばこを1本吸うのはこのていど
の確率で癌になる。タバコは本人の自由で、放射線汚染は自分で避けられない
から保護するということなのか?」と公衆衛生的観点から決められている
基準値 の意味に疑問をなげかけている。
放射線科の別の医師は「およそ100msv以上の蓄積でなければ、発癌の
リスクはあがらない。しかも100msvの蓄積で、0.5%程度高まる確率。
そもそも日本は世界一の癌大国で、2人に1人が癌になる。つまり50%の危険が
100msv浴びると50.5%になる計算。したがって最近、東京周辺で観察された
放射線量(1μsv/h)と比較すると、タバコを吸うほうがよほど危険。
1μsv/hの被爆がつづくと11.4年で100msvに到達。いかに危険が少ないか
が判るはず」と指摘している。
ー食品に含まれる放射能に関する暫定規制値
放射性物質の飛散による大気汚染の結果、野菜や水など食品に含まれる
放射線量はどこまでが安全で、どこからが危険かなどの関心が、とりわけ、
行政当局、が出荷停止や、摂取制限指示を行うにおよんで、極めて高まった。
行政当局は「暫定規制値」に基づいて上記のような指示を行う、としているが、
最近まで、食品に含まれる放射線量について、食品衛生法上の規制はなかった。
そこで、原子力安全委員会が放射線物質を含む飲食物の摂取制限の指標値を
2001年2月に示し2010年12月に改訂した。
2011年3月17日、福島第一原発事故をうけ、厚生労働省は、この指標値を
食品衛生法上の暫定規制値として各自治体に通達した。
1年間の積算被曝線量の上限:
沃素の甲状腺被曝:50msv、セシウムの全身被曝:5msv。
これを平均摂取量で日割りして、体内被曝が予想される食品の上限を定めた。
飲料水中の沃素131:300bq/L、乳児のみ、100bq/L。
ただし、妊娠中、この上限値の水を毎日1L呑み続けても、胎児や子供に
医学的な影響はない、とされる。
ー放射線被曝への対応策
以上を総合すると、対応策の要点は以下のようにまとめられる。
1. 放射線被曝による障害のリスクは、一時に大量に被曝することからくる
急性毒性、と少しずつでも繰り返しあるいは長期にわたって被曝すること
から来る晩期障害に大別。原発事故による大気や食物などの放射線汚染
問題は後者。
2. 被曝には外部被曝と内部被曝がある。外部被曝は、なるべく外に出ない、
身体を長時間外気にさらさない、着衣などを洗浄する、ことであるていど
防護できる。
内部被曝は、マスクを掛ける、部屋の窓をなるべく開けない、外気との
通気を制限する、などで、放射線物質の吸引を少なくすることで、ある 程度防護できる。
3 放射線物質には、沃素131、セシウムなどが多いが、沃素131は
放射線半減期が8日と短い。セシウムは30年と人体にとっては半永久的
に長いが、いずれも代謝でほとんど体外排出される。セシウムは筋肉組織
に残ることが多いは筋肉には癌組織は発達しない。沃素131は沃素の錠剤
の服用で放射線効果を中和できる。セシウムのような重金属は血中からは
キレーションのような方法で除去できる。
4 電離作用のある放射線はDNAに影響して、DNAを組成するタンパク質に
化学作用を及ぼして細胞に変異をもたらす可能性がある。いわゆる放射線
がDNAを傷つけるという作用である。成人の場合、DNAは多くの刺激で
複雑に傷ついており、微量の放射線の影響を特定することは困難。幼児の DNAは純粋なので、同じ放射線の刺激ならその影響は相対的に大きい。
幼児については、放射線の影響により注意が必要だが、成人の健康には
通常はほとんど影響はない。
Ⅲ. 経済への衝撃
1. 直接被害
(1)政府推計
・3/23、内閣府。
内閣府は震災の被害は16兆円∼25兆円、GDP押し下げ効果 0.2∼0.5%との試算発表。
与謝野馨経済財政相が月例経済報告の関係閣僚会議に提示したもの。
復旧、復興に取り組むうえでの一定の手がかりの数字、と説明。
ケース1. 津波被害地域の建築物損害割合を約30%と見込む。被害額約30兆円。
ケース2. 損害割合を約80%と見込む。被害額25兆円。
私の訪問した石巻、女川などは被災地でも損害がもっとも大きかった地域
かもしれないが、損害率80%も低めの想定と思える。
さらに企業の生産活動の停滞による影響試算。民間企業設備9∼16兆円が損傷。
部品流通の滞留効果など織り込み、2011年度実質GDPは1.25∼2.75兆円
(0.2∼0.5%程度)押し下げ効果。
ただし、原発事故の影響、停電の波及効果などは織り込んでおらず、GDPは
さらに大きく押し下げられるのではないか。
(2)民間機関の推計
・大和総研。3/18。2011年度、実質GDP0.7%押し下げ見込む。
うちわけは、
ー岩手、宮城、福島県の経済活動が3∼5月で25%低下で、0.2%。
ー計画停電(4月まで)による生産減でマイナス0.2%。
ー消費マインド悪化による消費減でマイナス0.2%。
ー円高効果でマイナス0.1%
押上要因は復興需要で0.5%。
差し引き、2011年度GDPは震災で0.2%マイナス。
この推定も、停電の長期化、生産、投資、雇用、消費のマイナスの
相乗効果を考慮しておらず、かなり楽観シナリオか。
・住友信託銀行は、3/24の時点で、2011年度の経済成長率は実質0.8(名目ー0.6%)
と見込む。2010年度の実質2.8%、名目0.8%にくらべ相当の落ち込み予想。
東日本大震災は阪神淡路大震災などにくらべはるかに規模が大きく、電力供給
制限などの影響も考慮し、実質成長率で年率2%ていどの落ち込み予想。
秋頃には電力供給不足があるていど解消するとの前提。
・第一生命経済研究所)2011年度前期は、操業停止、計画停電、 自粛・活動停滞などで大きく落ち込むが、秋頃からは、累次の補正予算の執行
効果もあって復興需要が高まり、農産物等の風評被害もおさまると見て、回復
基調となると予測。
・このほか、2011年度経済見通しで、野村総研は、−0.8%、UBS証券は1.2%。
これに対し、SNBC日興証券は、2010年度4Q(1∼3月)で−1.4%、2011年度1Q
(4∼6月)で−3.9%、マネックス証券は、同4Qでー1.9%、1Qで−7.1%、
BNPパリバ証券は同4Qで−4.0%、1Qでー3.3%、2Qでー4.9%を見込む。
日本経済新聞社がまとめた4/6現在のこれらを含む民間調査機関11社の実質経済
成長率の見通しの平均値は:
2011年1∼3月は−0.6%、4∼6月−2.6%、7∼9月1.2%、10∼12月5.6%、
2011年度は0.4%。2011年の春から夏にかけての落ち込みは、年率換算では
1∼3月、−2.5%、4∼6月 ー10.4%ほどの落ち込み。
OECD(経済強力開発機構)、4/5、短期経済見通し。
日本、実質成長率、1∼3月期 ー0.2∼0.6ポイント、4∼6月期 ー0.5∼1.4p
押し下げ。日本の民間調査機関よりやや楽観的。
2. 悪循環と波及のおそれ
大和総研、野村総研、UBS証券などは楽観派か。電力供給制限の制約重視せず。
第一生命経済研究所も秋頃から回復見込む。SNBC日興証券、マネックス証券、
パリバ証券は悲観派?
・津波で生産基盤、生活基盤が全壊した地域の経済マイナス効果は甚大。
それに加えて、経済全体でさらに大きいマイナスは、電力供給力不足と
停電の不確実性。
・停電の不確実性で、多くの企業が操業度を引き下げ、あるいは操業停止。
化学製品工場など、停電すれば、生産停止のみならず製造装置が使用不能に。
停電対応準備は数日前から。計画停電指定域では事実上、生産できず。
交通機関停電も多くの産業部門に不確実性を高め、操業度下げる。
・停電と電力不足で生産が阻害され、部品・資材供給にボトルネック。
サプライチェーン機能不全、産業、経済全体に大きなマイナス効果。
・2008年9月のリーマンショック後、実質経済成長率は、10∼12月期は対前期比
−2.9%(年率換算でー12.7%)落ち込み。1∼3月期は対前期比−5.4%(年率換算
ー14.5%)落ち込み。
東日本大震災は、それを上回る落ち込みを覚悟する必要がある。
ー東北地方の津波被害による生産能力破壊効果
ー計画停電(実際、無計画停電)による不確実性と
電力供給不足による操業度引き下げ、工場移転など
による全国さらに国際的サプライチェーン機能低下によるマイナス。
ー生活不安と自粛ムードによる消費マインドの収縮
ー放射能不安による生産、生活活動の低下。
ー放射能不安による外国人の離脱、観光客の激減による低下
ー中小企業の経営難。
電力供給のボトルネック(大企業のように優先供給受けられず)
金融のボトルネック
(保証協会によるマル保融資は、震災とそれ以外の要因を
区別しにくく、融資をしても不況下で破綻する企業がふえて多額の
貸し倒れ償却累積。保証融資の罹災証明手続に時間がかかるのを
民間銀行で繋ぎ融資する必要があるが、マル保融資の借り換え特例
認めるなど特別措置が必要。)
ー復興需要が顕在化するのはタイムラグ。
2011年度中はマイナス効果がはるかに大きくなるおそれ。
ーそれらの総和と負の悪循環。
ー4∼6月期、7∼10月期は、リーマンショック後を上回る−20%あるいは
それ以上の大幅な落ち込みがあっても不思議ではない。
それを想定外とせず対応準備の必要。
3. 電力供給力と受給調節の問題
これからの経済活動と国民生活の展望を左右する最大のファクターは電力供給制約。
東京電力は、震災発生の翌週(3/14の週)4100万kwの最大需要(18∼19時頃)を
見込んだだ、供給力は、地震による発電所の停止などのため、供給力が当面
3400∼3500万kw程度しか期待できないことから、急遽「計画停電」を実施することに
し、3/14からいくつかの地域で実行した。(なお、その後、節電の呼びかけと自粛で
500万kw前後の効果あった(東電HP)として、19∼19時頃の最大需要見込みを
3700万kwに引き下げ。)
これは、信号、鉄道、病院、など安全や経済活動にかかわる基本インフラも含んで、無
差別に行われたため、経済社会に不安と混乱を引き起した。3/14鉄道運休。勤労者は
駅に来て知り、大混乱。待ち時間ロス。どうなるか判らないリスク高い。出勤低下。
病院、や被災地も無差別停電。交通信号の停電。事故の危険。
計画停電ではなく、「無計画停電」そのものであった。
経済活動に重大な影響。不確実性による操業の阻害要因。
たとえば化学工場など停電すると生産工程で材料膠着などで、機器の機能不全。
計画停電の数日前から準備、実施後の最稼働に時間。結局、影響受ける生産ライン
停止。操業率低下。
これからの経済復興を左右する最大の要因。電力供給不足は経済活動を直接抑制。
経済復興の大きな阻害要因。
政府は、4/8「電力需給緊急対策本部」を開き、夏に向けての電力需給対策を決定。
計画停電は原則、実施しない方針。震災勃発から1ヶ月も経ってようやく政府の対応
が発表。遅きに失した感あり。しかし、東電の場当たり的な「無計画停電よりは一歩
前進」本来、国民生活や経済活動を大きく制約する今回のような大規模かつ長期に
わたる停電は、国は真っ先に責任をとって主導すべき。政府の遅れと怠慢は顕著。
対策の骨子
夏の電力不足:1500万kw(猛暑時)に備える。
○需要抑制対策
○大口需要家(500kw以上):削減目標 25%程度
電気事業法27条による使用最大電力制限
業界ごとに輪番操業など自主行動計画。
○小口需要家(500kw未満):削減目標20%程度
営業時間の短縮、夏期休業延長など自主計画
○家庭: 削減目標15∼20%
自治体や学校などをつうじて節電意識の徹底
○供給増加対策(500万kwていど)
ー火力発電所の復旧、立ち上げ
ーガスタービンなどの新設
ー自家発電設備からの電力購入拡大
○計画停電は「原則実施せず」ただし、電力不足が解消できない時はセーフティネット
として実施する可能性。
企業は厳しい抑制策だが、自主抑制の手立て、能力あり。家庭は電力抑制、何をどれだけ
やれば、総量どれだけ減らせるか、専門対応能力なし。説明不足、実行支援不足。
エネルギー管理のプロ必要。
供給増加対策の詳細示せ。500万kwをどのように、いつまでに増やすのか、その
内容の詳細を示すべし。情報提供あってはじめて、展望が見え、節電努力の目標が
できる。節電協力できる。不透明情報では、不安のみ。例えば、設備投資計画どうする。
供給の見通しどうなるのか。
東電の発電設備出力(東電のHP)
2010(計画値)
自社設備、6499万kw。含他社受電 7810万kw、
うち原子力、1730万kw、 含他社受電 1819万kw
火力 3869万kw、 含他社受電 4527万kw
水力 899万kw、 含他社受電 1465万kw
政府「対策」では、火力発電所の復旧、立ち上げとある。東電は2010年現在、
火力発電所は、富津(453万kw)、鹿島(440万kw)、広野(380万kw)、
袖ヶ浦(360万kw)姉崎(360万kw)、千葉(288万kw)など15ヶ所。
なお、原子力発電所は:
福島第一: 470万kw、福島第二: 440万kw、柏崎刈羽: 820万kw
自社設備能力だけで、約6500万kw、他社受電すれば 7800万kwも能力が
あるのに、なぜ、この春は4000万kwにも満たないのか。その実態を説明すべし。
休止、検査、故障など事情説明すべし。いつ復旧、いつ運転開始になるのか。
詳細な展望不明。
環境エネルギー政策研究所の飯田哲也氏らの
「3.11後のエネルギー戦略ペーパー」(2011年3月23日)
火力の現状
福島(広野 380万kw)、 城(常陸那珂 100万kw)が震災で使えない。
横須賀火力(227万kwのうち3∼8号機)が長期計画停止。以上をのぞくと
発電端出力は、2717万kwになる。
飯田哲也氏らのシナリオ:
ケース1(厳しい現実シナリオ) 2717万kw
福島県と
城県の発電所は全て停止
千葉県・東京都・神奈川県の地震停止または定期点検中の発電所のみ復旧
長期計画停止の横須賀石油火力も回復しない
ケース2(回復期待シナリオ) 3227万kw
上に加え、
鹿島石油火力(440万kw)再開、
長期計画停止中の横須賀石油火力7、8号機(70万kw)が運転再開
ケース3(楽観シナリオ) 367万kw
上に加え、
横須賀石油火力3∼6号(140万kw)が運転開始
これに加えて
原発、柏崎刈羽 運転中( 1、5、6、7号機)の出力491万kw。
水力 890万kw(うち揚水680万kw、一般水力219万kw)
他社融通 100万kw(中部、北陸、関西、九州)
などを見込むと、
ケース1、4315万kw(揚水足すと、4995万kw)
ケース2、5198万kw(揚水足すと、5878万kw)
ケース3、5338万kw(揚水足すと、6018万kw)
2011年夏ピーク予測: 5755万kw(ちなみに2010年8月最大実績 5998万kw)
とする(東電予測)とすると、揚水発電を加えれば、節電が必要な場合は、
ケース1だけで、その場合、必要な節電は760万kw、ピーク(最大需要
時間帯の需要)を13%減らす程度。無理な節電をしなくても需給バランスは
達成できる可能性あり。供給力回復のスピードアップ必要条件。またゆとりを
もつためには引き続き節電努力必要。
電力供給の基本的考え方
(1)ライフラインは最優先して電力供給すること。
(2)一般家庭は省エネ、節電を呼びかけつつ、基本的には電力供給を維持
(3)業務および産業部門は、個別の需給管理ができるから、需給調整契約を
戦略的に活用して、市場メカニズムと自発性を活用した需給管理を行う。
需給調整契約とは、
迫時に電力会社が使用制限を要請できる契約。
東電は、2007年柏崎原発地震停止の際、17年ぶりに活用。供給力回復と
節電を合わせるなら、需給調整契約の戦略的活用で需給バランス達成可能か。
さらに政府が経済界と協定を結び、省エネの報奨金をインセンティブで出せば
(自主契約の現状だけでも310万kwの需要調整力があり)1000万kwくらいの
節電効果も見込めるのではないか。
工場・業務ビル、エネルギー効率あげて省電力可能。工場:廃熱利用、高効率機器、
業務ビルは断熱建築、高効率機器導入、オーバースペック、明るすぎる照明排除。
(最近、建設された都心の業務ビル、床面積エネルギー消費量、CO2排出量3倍も)
家庭・中小業務:啓発だけでは不十分: 新築住宅の断熱規制による暖房
エネルギー削減。エアコンなど電機機器の規制強化。省エネ製品。
4. 補正予算など政府の施策
震災勃発後、1ヶ月の段階、対策の立案、執行状況。
1ヶ月経って、実際にはまだほとんど動き出していない。
3/29に2011年度予算案(一般会計総額 92兆4116億円)が成立。
これを受けて、政府・与党は、ただちに、東日本大震災の当面の復旧策を
盛り込む2011年度第一次補正予算の編成作業に取り組む。
震災直後から、震災からの復旧と復興のための、予算、財源については、政府・
与党から逐次、提案、野党との協議断続。
政府・与党の構想。
震災直後の当面の対策費は予備費を充当。
4月中に第一次補正予算編成、成立めざす。
6∼7月に第二次補正予算。
その後も必要なら逐次、対応する。
第一次補正予算は、震災発生直後は、1∼2兆円を想定。
しかし、その後の、深刻な事態発展に伴い、4月上旬時点では、4兆円規模想定。
第二次補正は、さらに大型に。
第一次補正予算案の骨格(4月上旬段階)
主な歳出。
公共事業: 1兆円台前半
仮設住宅など災害救助関係 5000億円
学校や福祉施設の復旧 4000億円
がれき処理 3000億円台
特別交付税 1000億円
自衛隊活動費や雇用支援、金融支援等 1兆円台なかば。
合計 約4兆円
主な財源
年金財源の転用 2.5兆円
予備費 最大8000億円
こども手当の見直し 2000億円
高速道路割引料金見直し 2500億円
高速道路無料化の凍結 1000億円
ODAの減額 1000億円
周辺地域整備資金の活用 500億円
合計 約4兆円
第二次補正
数兆円∼10兆円は必要と見込まれている。
与謝野化馨経済財政担当相が3/23報告した震災被害額:16∼25兆円
民間調査機関、2011年度の補正予算は、5∼9兆円は必要。
第一次補正、第二次補正で、10∼14兆規模に。
財源:
予備費 1.6兆 2011年度に計上、すべては使えない。
歳出見直し:こども手当、高速道路無料化見直し、法改正、与野党合意必要
減税見直し:法人税など。 税収そのものが落ち込む可能性
国債増発:建設国債と赤字国債
増税:家計への影響大
埋蔵金:基礎年金財源に充てる資金 2.5兆円。将来、年金財政穴埋め必要。
国債の日銀引き受け:中央銀行の財政ファイナンスは財政法で禁止。
国債発行は不可避:
阪神淡路大震災時には、8000億円程度の国債増発。
現在の財政状況で、市場価格下落に懸念。
日銀引き受けの発行は、中央銀行の独立性を損ない、通貨の信認を損なう。
市中流通国債を日銀が買い支えることは信認を崩さない一つの方法。
しかし、日銀は否定的、財政当局も消極的。
臨時増税:
例えば、復興税:
期間限定の臨時増税(例えば3∼5年)
税収は増発国債の償還財源
被災者からは徴収せず。
所得税:たとえば1割で1兆円税収。被災者を除外しやすい
法人税:1割で1兆円、被災企業を除外しやすい
消費税:税率1%で、約2.5兆円。被災者還付は難しい。
増税は、消費、投資意欲を冷やし、経済活性化を妨げるおそれ。
・被災者、被災企業救済策
ー民主党、被災地復旧のため、生活支援やインフラ整備などのための特別立法16本
を準備中(3月末)。被災者生活再建支援法改正で、支援金を増額、公共土木施設
復旧の国庫負担率引き上げなど。
ー被災者二重ローン軽減策、
ー震災被害企業の社会保険料事業主負担を1年免除して雇用維持を後押し、
ー地方法人税の減免、約41の特例措置
ー中小企業資金繰り対策に5000億円、漁業再生に2180億円の金融支援など。
・「震災復興基金」創設を検討
4/14、復興基金の創設で、時間のかかる予算措置の手続を経ずに、機動的に
支援を執行できる枠組み。
5. 首相の指導力欠如と政権の機能不全
国難とも言える未曾有の大震災への対応について、菅直人首相の指導力欠如と政権
の機能不全が目立ち、それが原発事故対応の遅れ、被災者の救済、国際社会での信頼、
経済機能の阻害、復興プロセスの遅れなど、深刻な影響をもたらしている。
(1)菅首相の指導力の欠如
ー菅首相は、地震発生直後に国会から官邸にはいり、災害対策本部を立ち上げ、
自衛隊は最大限の活動をせよ、との指示も。
地震後、一週間、公邸にも戻らず、防災服、スニーカー姿で官邸のソファで仮眠。
ー原発問題に詳しい?
首相は原子力に詳しいと自認しており、原発事故でも、「へりで海水をかけるのか、
地上から放水するのか」と具体例を出してこまごまと指示するなど。
専門家に任せて最後に責任をとる決断が必要。
一方、「臨界って何だ」と質問されたと明かす面会者もある(日経朝刊、3/27)。
3/12早朝、官邸屋上から陸自のヘリで福島第一原発に飛んだ。当時、1号機は
原子炉格納容器内の圧力が高まっており、首相出発の3時間前に、高圧蒸気を
放出するベント作業を急ぐようにと経済産相から指示が出ていた。実際の作業
開始は首相視察を終えた1時間後。この半日のロスが原子炉の状況悪化を促進
したと批判がでている。
ー首相のブレーンとなる内閣官房参与を、震災勃発以来、6人(田坂広志・危機管理 3/31任命)、斎藤正樹・原子炉工学3/22)、日比野靖・情報処理3/20、有富正憲・
3/22、山口昇・危機管理 3/20、馬淵澄夫・補佐官 3/26)を任命、あわせて15人
も。東電、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、経済産業省への不信
「あいつらは正確な情報を伝えてこない。何か隠している。あいつらとは違う
視点からセカンドオピニオンを得る」として、参与の意見を聞く。首相自ら
が意思決定する覚悟がないから、との見方も。
ー記者会見はわずか。
震災直後から、「ぶら下がり」は中止。
3/15に所感と述べて質問はひとつだけで立ち去り。
3/18に記者会見。地震・津波と原発事故を「ふたつの危機」と表現。
3/25に国民向けメッセージを朗読。記者との質疑は記者が呼び止めてはじめて。
国民に思いが伝わらない。
ー政治主導とは何か
東電からの情報伝達に不満。15日、東電本社にでかけて幹部を面罵。東電と官邸
の「事故対策統合本部」立ち上げ指示。 リーダーは、官邸の本部で、適切な基本方針を示し、全体を見て指揮。
最終責任をとるのが、あるべき姿ではないか。
社員を信頼せずに社員は動くか、統合本部は東電監視のため?と受け取る
向きも。
ー菅総理は、4月13日、松本健一内閣官房参与と首相官邸で会い、福島第一原発から半
径30キロ圏内などの地域について、「そこには当面住めないだろう。10年住めない
のか、20年住めないのか、ということになってくる」と発言したと伝えられた。後
に松本氏が、それは私の発言と訂正したとされるが、いずれにしてもそうした認識は
放射線汚染による危険地域と、突然指定され、事前の充分な説明もないまま退去させ
られる住民の気持ちをふみにじり、将来への希望を打ち砕く、政治家としてあるまじ
き無神経な発言と言わざるを得ない。
ー「復興構想会議」4/11立ち上げ。4/14初会合。復興構想会議の提案を基本方針
と受け止め、その下の全閣僚による「復興実施本部」で実行していく、との考え。
復興の基本方針は、むしろ総理自身が示すべき。識者に基本方針を依頼するのは
すじちがい。識者は助言はできても責任はとれない。復興の基本方針は総理が
自身の思いと力量にかけて描くべし、そしてその全責任は総理が負うのは当然。
ー菅首相の下での復興に期待できない、との声が、現地では6割と伝えられる。
責任あるリーダー、信頼できる政治家の資格あるか、疑問の声。
(2)政権の機能不全
東日本大震災が勃発して以来、多くの本部や会議が立ち上げられた。
緊急災害対策本部(本部長、菅首相)
被災者生活支援特別対策本部(本部長 松本防災相)
各府省連絡会議
副大臣らの検討会議(5分野)
原子力災害対策本部(本部長 菅首相)
福島原子力発電所事故対策統合本部(本部長 菅首相)
原子力被災者生活支援チーム
各党・政府震災対策合同会議
電力需給緊急対策本部(本部長 枝野長官)
さらにこれから、
復興本部(全閣僚)
復興構想会議(五百旗頭真防衛大学校長ら有識者)
原発事故賠償チーム
など立ち上げの予定
本部、会議が次々と立ち上げられたが、情報伝達、指揮命令系統が、錯綜し、
むしろ混乱状態。業務の効率は低く、結果は出ていない。地震と津波の衝撃の
直後、福島原発が大事故を起こしたため、官邸の両面作戦をとらざるを得なく
なったが、菅首相は、原子力問題に詳しいとの自負と危機感から原発に関心を
とられがちで、津波災害被害者救済が遅れがち。その後、原発、電力問題は
枝野官房長官、被害者救済は仙石氏に機能分担。
危機管理センター問題
危機管理センター(伊藤哲郎内閣危機管理監)内閣官房職員、各省庁からの
出向者、臨時派遣など、100∼120人。しかし、各省庁などから寄せられる膨大
な情報や案件をさばき切れず、混乱状態。何も進まず。
ー仙石氏の役割
副大臣らの検討・推進会議
1.被災地の復旧(平野内閣府副大臣)、
2.災害廃棄物処理の法律問題(小川法務副大臣)、
3.災害廃棄物処理の円滑化( 高環境政務官)、
4.被災者等就労支援・雇用創出(小宮山厚労副大臣)、
5.被災者向け住宅供給促進(池口国交副大臣)
仙石氏のもとで、地方自治体や関連業界などとの連絡、調整機能が整備されつつ
あるとの評価も。それにしても、本部、会議の乱立で、混沌の様子。
ー組織よりも人の信頼
阪神淡路大震災の事後処理にあたった当時の官房副長官 古川貞二郎氏。
四辺回路:1.首相、官房長官と事務副長官、2.閣僚、副大臣と事務方、
3.首相と各閣僚、4.事務副長官と事務次官、の信頼と意志の疎通が基本。
(3)大連立問題
ー経緯:
3/19、首相は、自民党など野党との大連立への思いを語る。
3/19、谷垣自民党総裁に電話で申し入れた。谷垣氏は、政策協議も進んで
いないのに、唐突、と拒否。
3/25、民主党の仙石代表代行、岡田幹事長が自民党の大島副総裁、
石原幹事長と都内で会談。
3/30、谷垣総裁が森、安倍元首相と個別会談。安倍氏「考えられなくは
ないが、期限を切るべし」
3/31、谷垣総裁、福田、麻生元首相と個別会談。福田氏「協力の在り方は
慎重に考えるべき」
4/4、5。谷垣総裁、中曽根、河野、海部、小泉元首相と個別に会談。
「政策の擦り合わせのない連立はない」
ー民主党、閣僚数の増員、補正予算の合同編成など、呼び水に誘い。
自民党、政策協議が先。菅首相降板を条件。期限を切った協力。
両党の基本的な思想の違いを曖昧にして連立などをすると、国民は
選択肢を失う。民主主義が失われるおそれ。
(4)国際信頼の問題
3/12 午前9時、アメリカ太平洋軍ウィラード司令官は、ワシントンから原発
の情報提供を求められたとして、折木良一統合幕僚長に電話し、情報開示を
求めた。折木のもとには、福島第一原発事故の詳報が入っておらず、情報
分析中と答えたが、同日午後、一号機建屋が水素爆発した。
この日以降、ルース駐日大使は米政府の意向を受けて、「米国の原子力専門家
を支援にあたらせたいので、首相官邸に常駐させたい」と枝野官房長官らに
再三電話をかけたが、枝野は「協力はありがたいが、官邸内に入るのはご勘弁
ねがいたい」と拒否。(読売新聞、4/10)米国は核問題について戦争も含めて
危機管理の能力と体制がある。米原子力規制委員会(NRC)は事故直後から
24時間体制で監視をはじめた。3/16、米政府は2号炉炉心が損傷し、高濃度の
放射性物質が長時間放出していると想定、在日米国人の避難範囲を半径80km
とした。ルース大使はこの頃、「菅首相に会うこともできない」とこぼしたという。
アメリカ政府当局者の目には、日本の政府は、最強の同盟国アメリカ
に必要な情報を提供せず、有益な技術支援を断り続けると映った。それは、
アメリカ当局との信頼関係を損なう対応だった。
クリントン国務長官が、地震直後、「在日米軍の装備と使って冷却材を運ばせた」
発言は、アメリカ原発業界は万が一のために冷却機材装備を常備しており、それを
供給しようとの意図も結局、日本側が応じず、実現しなかった。アメリカ側の
支援申し出を断るつづける日本政府、そして菅首相のこうした態度に対して、
米政府は、「自分達で処理できると考えているようだ」と様子見に傾いた。
しかし、ノーベル物理学賞のスティーブン・チュー、エネルギー省長官らは日本の
原発事故が予想以上に深刻化していることを憂慮して、オバマ大統領を説得し、
菅首相に電話を入れ、原子力の専門家派遣から中長期的復興まで全面的に支援する
と伝え、首相補佐官の細野豪志らによる実務協議会の設置となった。この傘下に、
1.放射性物質の遮 、2.核燃料棒の処理、3.原発の廃炉、4.医療・生活支援チーム
が発足。19日には菅首相がルース大使を官邸に招き、情報共有を約束。トモダチ作戦
の一環として米海兵隊の放射線被害管理専門部隊「DBIRF」約140人の受け入れも
決まった。ようやく日米協力が軌道に乗った。
フランスのロボット提供も当初日本が断ったが、○○大統領の訪日を受けて、
アレバ社から汚染水処理の専門家の支援を受け入れ。
(5)情報提供と説明の不在
ー放射線の健康への影響について、ベクレル、グレイ、シーベルトなどの
測定値が報道されるが、どんな概念か、距離や時間との関係や、外部被曝や
内部被曝、放射線物質に違いによる影響の違いなど、適切な説明がないので、人々
は当惑。過剰反応も。
ー フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)は3/12から風や大気の流れにした
がって放射線物質が拡散する様子を毎時間、インターネット上で、シミュレーション
して見せたが、日本政府当局は一切そうした国民の関心が深い情報を提供していない。
ー原発周辺地域の避難、屋内退避などの指示は、現地の生活者から見るとさらに不親切。
半径20∼30km地域は、屋内退避区域に指定されているが、政府は3/25、区域内住民
に自主避難を促した。この地域には、商店、流通機能など基本的な生活インフラが
失われているが、強制退去地区ではないので、なお多くの生活者が不便で不安な
生活をしている。自主退避という曖昧な指定はかえって住民の不安と混乱を増す。
福島県の友人達の体験を聞くと、震災で家族・親族をうしない、原発事故で、
その後、退避を指示された人々は、指示が出る前は、失った家族を探しに知らずに
高濃度放射線地域に入っていた。
その後は、政府の指示が、逐次、曖昧な形で出るだけでなく、最新の情報が現地に
提供されず、テレビを見てまず知るという状況に不安と不満を募らせている。また、
その地域の中でも放射線量はマチマチだが、その詳しい状況を知る手段がないのも
不安を高める原因となっている。同地域の友人によると、生活機能が喪失したそれら
の地域では、残された家々はかなり泥棒などに被害にあっているという。国民・
生活者の目線で、思いやりのこもった情報を提供することを望みたい。
4/17に東電は、福島第一原発の収束に向けた工程表を発表した。原子炉の本格的な
冷却システムを復旧させ、放射性物質の放出を低減して安定化させるのに、6∼9ヶ月
かかるという骨子。一歩前進だが、不安におののきながら避難している汚染地域の
住民の生活設計により具体的な手がかりになるような、たとえば、農業・畜産業など
の再開の条件など、キメの細かい情報の提供と対策の策定を政府は急ぐべきだ。
(6)経済機能損なう規制
震災対応で、必要な規制もあるが、いたずらに思慮の欠けた規制をすることで、
経済の生命とも言える市場機能を妨げることは厳に避けるべきだ。2例。
1. 無計画停電
区域全体で無差別に行われた「計画停電」は、市民生活や企業活動に、不確実性
によるリスクを著しく高める副作用をもつ。リスクが高いという意味で、無計画
停電を呼ぶべき。通勤のリスク。工場生産のリスク(化学工場、半導体工場など)。
スマートグリッドの時代になぜピンポイントの停電ができないか。鉄道や信号を
停電させることは、体脂肪を減らそうとして毛細血管、末端神経を切除する愚行。
4/8の経済産業省による受給対策で、計画停電を原則停止したことは正しい。しかし、
このような経済機能を損なうような規制を黙認した政府当局の考え方に危険を
感ずる。
2. 野菜の出荷停止措置
政府は、ほうれん草などの野菜から検出された放射線量が基準値を超えていたとして
当該自治体に出荷停止措置を指示した。しかし、同時に、検出された線量は、その
野菜を一年間摂取しても健康に影響するものではない、とした。いったい、どちらが
本当なのか。健康に影響しないのなら、なぜ、出荷停止にするのか。出荷停止措置
は消費者に疑心暗鬼を生み、風評被害が拡大するもとになり、生産者が莫大な損害
を被り、これからの作付けなどに支障を来たし、生産機能と流通機能が破壊される
可能性がある。「農家の戸別所得保障制度」があるから生産者の損害は補償される
と当局者がタカをくくっているとしたらそれは浅慮だ。破壊された経済機能は
容易にもとにはもどらないからだ。規制は経済機能にたいする充分な配慮をした
うえで行うべし。
(7)復興プロセスの遅れ
ー震災勃発から一ヶ月、何も決まらず
多くの対策が議論されているが、実効ある政策はほとんど決まっていない。
被災地では、中央政府の指導力の欠如、政策立案、執行のおくれにいらだち。
18万人の避難者は、懸命に立ち上がろうとしているが、これからの生活の再建など
展望もてずに、不安な日々。
ー復興戦略の組織案
菅首相(官邸)の構想?
・復興構想会議
有識者と被災地代表で構成
復興計画の基本構想立案し、提言。
・復興本部(仮称)
本部長:菅首相、副本部長:震災相、全閣僚
復興計画を策定、執行
・復興庁
事務局、関係各省庁の出向者
ー復興構想会議発足
委員長、五百旗頭真 防衛大学校長
委員:御厨貴(政治史)、梅原猛(哲学者)、安藤忠雄(建築家)、
清家篤(労働経済学)、大西隆(都市計画)、玄侑宋久(宗教家)、
河田恵昭(関西大学)、内館牧子(脚本家)、村井嘉浩(宮城県知事)、 達増拓也(岩手県知事)、佐藤雄平(福島県知事)、赤坂野憲雄(博物館) 復興構想会議 4/14 初会合
基本方針:
1.超党派の、国と国民のための復興会議とする。
2.被災地の復興基本、国としての全体計画
3.創造的復興
4.義援金、公債、震災復興税など、全国民的支援と負担が不可欠
5.クリーンエネルギー社会など、明日の日本への希望となる青写真。
復興構想会議に基本計画の責任を負わせることは筋違い。基本方向は、情報が一番
集中しているはずの総理大臣が全知全能を絞り、全責任をもって示し、その方向性
の元に内外の多くの識者の英知を結集して具体案を描くのが本来のリーダーシップ。
Ⅳ. 災い転じて福となす好機
1. 状況対応だけでは衰退が加速
東日本大震災がもたらした未曾有の国難にたいして、上述の予算措置のように
状況対応的に逐次対応を繰り返していたら、それでなくてもすでに衰退過程に
入っていたこの国は、冒頭でふれた近世のポルトガル王国のように、この大震災
を契機に衰亡の坂を転がり落ちてしまうのではないか。
経済研究所や政府当局の推計では、津波などによる建築物の損害だけでも20兆円
前後におよぶとされる。16年前の阪神淡路大震災のデータをもとに推計された数字
である。今回はそれに加えて、震災が広域であるため、産業の流通ネットワークが
広範にわたって損傷し日本産業の強みであるサプライチェーンが機能しないこと。
電力供給が大きく不足しているために産業は操業度を下げざるを得ず、また停電
の不確実性のために、前後にリスクバッファーを取らざるを得ず、それがさらに
産業の機能を損ない、生産が阻害されること。電力供給力回復の展望が見えない
ために長期投資計画が立てられないこと。そのうえ、福島第一原発の大事故で、
福島のみならず広域に放射能汚染の疑いがひろがり、産業や生活の拠点移動が摩擦
を生み、一方、海外からの人的物的資源の取り込みに障害が出つつあること、
などの複合的な負の相乗作用が日本経済の稼働率を下げ、体力を大きく損なう
危険がある。
もしそのような負の可能性が現実になれば、経済はリーマンショック後の低落
をはるかに上回る下方リスクを孕むことになる。リーマンショック後、
日本経済は、2008年10∼12月期で年率マイナス12.7%、翌年1∼3月期で年率
マイナス14.5%の落ち込みを経験したが、今回は、年率20∼30%の落ち込みも
あり得ないではない。そうした落ち込みは、通常の経済対策では、容易に回復
しないだろう。とりわけ、今回はリーマンショック時と異なり、全国にわたって
サプライチェーンが傷つき、産業機能が著しく低下しているだけに、長期化の
おそれが大きい。そうなると、経済に新たな浮力を見つけることは難しく、日本は
それこそ中世のポルトガルのように衰退の道を転落していくことになる。
現実にそうならなければ幸いだが、そうしたおそれが可能性としてあり得る以上、
私達は、想定外の大災害に対して、これまでの通例や常識をこえる革新的な戦略を、
これまでの日本そのものを変える大戦略を用意して臨むべきなのではないか。
2. 衰退過程に入っていた日本
日本はすでに衰退過程に入っていたと述べたが、どのように衰退しつつあった
のか、簡単に振り返って見よう。
衰退を示すもっとも直裁な指標は、経済的繁栄の衰えだろう。経済的繁栄のもっとも
直接的な指標は、国民一人あたりGDPだろう。マクロのGDPは国民の数に大きく依存
するからいわゆる大国は人口の多い国が多い。日本は2010年に名目GDPで中国に
抜かれたことが話題になったが、中国の人口は日本の10倍以上なので、たしかに
「国力」は大きいが、国民の豊かさは、日本は依然として中国よりはるか上と言える。
それを端的に占めすのが一人当たりGDPであり、日本は現在でも中国の約10倍であ
る。ところが、その一人当たりGDPで日本はこの20年間ほど坂を下り続けているの
である。日本は1993年、日本の歴史上おそらくはじめて、一人当たりGDPで世界の
トップに立った。この数字でいうかぎり、日本は世界でもっとも豊かな国になった
といえた。ところがその後、日本経済が長期停滞するなかで、この地位は下がり続け、
2005年の数字では、世界で23番目まで下がってしまった。現在では、おそらく30番目
くらいまで下がっているのではないか。いまではシンガポールより低く、このままでは
台湾や韓国に追いつかれる日もそう遠くないと思われるのだ。
いまひとつ、日本経済は、深刻な慢性病にかかってしまっているようだ。それは長期の デフレである。20年以上もデフレから抜けられない国は他の主要国にはない。長期
デフレは、経済が衰弱してゆく深刻な慢性病だ。企業にとっては同じだけ売っても
売り上げは減るが、コストや借金は減らず、利益を挙げ難く、あるいは赤字に転落
する。そうすると赤字を減らすためにコスト削減をはかる、つまり、生産、投資、
雇用を縮小する。働く人々にとってはそれは仕事が減り、所得が減るから消費を
減らさざるを得ない。投資、生産、消費が減るからこうして経済は縮小していく。
また、デフレ過程では、物価が低下してゆくから、消費者は、いま買うより将来
モノが安くなって買った方が得と考えて消費を手控える。経営者も将来、物価が
安くなって投資をした方が良いと考えて、投資を手控える。この面からも、消費と
投資が収縮するから、経済は萎縮してゆく。あるいは経済は衰退してゆく。
なぜ、日本だけ慢性デフレの病にかかってしまったのだろうか。いろいろな意見が
ある。金融の専門家達の中には、デフレはマネーの需要にくらべて供給が少ないと いうことだから、日銀がもっと積極的にマネーの供給を増やすべきだ、いう人々
が少なくない。そうした意見にはたしかに一理はある。また、ある人は、日本が
長期デフレから脱却できないのは人口が減少しているからだ、という。たしかに
人口が減れば、それだけモノやサービスの需要が減るから、物価は下がりやすい。
その理由でデフレになるのなら、人口減少が日本より急な国々は、もっとデフレ
になっているはずだ。シンガポールや韓国や台湾などは出生率が日本より低く、
人口減少が急だが、しかし、これらの国々はデフレになっていない。むしろ逆に
近代化をどんどん進めて、成長が高まっているのだ。そうすると、日本には
おそらくもっと特有のデフレになる要因があるにちがいない。
私は日本の供給構造、それも古い体質の供給構造に長期デフレの構造的な原因が
あると考えている。日本は40年前までの「高度経済成長期」に輸出立国の戦略で
成長してきた。輸出がどんどん増えるので、多くの企業が輸出部門に参入した。
その構造は今でもほとんど変わっていない。世界に輸出する企業をワールドクラス
カンパニーというが、多くの国々ではそうした企業の数はあまり多くない。自動車
産業で言えば、自動車王国のアメリカでも、それは2社ないし3社であるが、日本は
8社もある。電機産業でいえば、アメリカはかつて活躍したゼニス社はいまはなく、
スエーデンはエリクソン、フランスはトムソン、ドイツはシーメンスはじめ数社。
これにくらべ日本は16社もひしめいている。高度成長時代は、これらの部門で輸出
需要が拡大しつづけたから多くの企業が参入して成長を謳歌することができた。
しかし、今は、市場環境がすっかり変わってしまい、世界市場では、企業の整理・
統合が進み、ビジネスモデルも大きく変化している。その中で日本だけが、40年
前の高度成長時代の古い構造、古いビジネスモデルで、お互いに足を引っ張り合い
ながら懸命に生き残ろうとしている。その激しい価格競争が結果としてデフレ基調
を促進することになる。
なぜ日本は40年前の構造を変えられないのか。なぜビジネスモデルを変えられない
のか。それは次のモデルが見えないからだ。次のモデルが見えなければ、人々は
生存のためにこれまで生きてきた古いモデルと構造に固執せざるを得ない。内外の
環境条件のメガトレンドはその間に激変し、各国は大きくモデルチェンジをして
きた。アメリカがそのひとつの例だ。アメリカは第二次大戦後、4半世紀、世界の
ものづくりセンターとして世界市場を支配してきた。しかし1970年代、80年代に
日本やドイツに追い上げられ、製造業は衰退した。そのアメリカでは、次の時代の
ために真剣に新しいパラダイムづくりが模索されていた。それをリードした構想が
情報と金融の新しい世界だった。IT革命と金融技術のめざましい革新を組み合わせて
アメリカは再び黄金の1990年代の繁栄を実現したのである。ものづくり王国の時代
のGE社は家電や重電の主要サプライヤーだったが、1990年代には完全にソフトと
金融のリーダーに変身して世界市場をふたたび席巻した。高度成長時代が終わって
すでに40年も経つのに、そして世界環境ばかりでなく、日本の国内でも人口構造や
社会構造が大きく変わったのに、いまだにその新しい時代環境に適したパラダイム
とモデルがつくれないのが日本の不幸である。
(3)高度経済成長期以降、化石化した日本
高度成長時代のまま、化石のように進化がとまってしまったのは、ビジネスモデルや
産業構造だけではない。日本の経済、社会、政府、政治、などほとんどあらゆる
部門で古い制度や構造が残存して日本は本来もっているはずの成長可能性を削いで
いる。いくつかの例をあげよう。
東京電力:ここは本来、個別企業を問題にするところではないが、今回の原発事故
ならびにその後の東電の対応を見ていると、国民の目から見て理解し難いこと、
信じ難いことがあまりにも多い。しかもそれた国民の安心と生活に直結する問題
であるだけになおさらである。東京電力はその昔、松永安左衛門の東京電灯の時代
から日本のインフラ企業のリーダーの役割を自他ともに任じてきた歴史がある。
戦後も、木川田氏、平岩氏などの名経営者を得て、日本の発展の先導役を担ってきた。
世界でもユニークな電力価格のマークアップ方式、すなわち、生産原価の上に適当な
利潤を乗せ、株価の安定を制度化した方式を許容したのも戦後の発展を支える電力
供給の安定化のためだった。しかし、そうした既得権と圧倒的な地域独占の
うえにやがて安住し、時代の変化、国民へのサービス、企業ガバナンス、現場力の
強化、管理などの面で、自己改革、自己鍛錬を怠ってきた面がありはしないか。
今回の津波事故は想定外と言われるが、東北電力の女川原発は13mの防壁で難を
逃れている。なぜ福島原発の防壁は6mだったのか。いかに未曾有の事故だったとは
いえ、初動対応が何より重要な事故で、情報伝達と情報開示、説明がひどく遅れた
のはなぜか。幹部は東京で意味もない防災服を着て要領を得ないTV会見をし、現場
の陣頭指揮をしなかったのはなぜか。計画停電といいながら、病院や被災地を停電
させたずさんなやり方はなぜか。停電はなぜ地域まるごとでなければならないのか。
なぜ鉄道を止め、交通信号を止めなければならないのか。これでは体脂肪(電力消費)
を減らすために、毛細血管や末端神経を切っているのと同じではないか。スマート
グリッドの時代、スマート配電、スマート停電がなぜできないのか。その技術の開発
を怠けたのか、それとも適用したくないのか、などなど多くの疑問を国民は持って
いる。東電は一度解体して原点に立ち戻り、大反省のうえで再出発してもらいたい。
原子力発電への依存体制:日本が高度成長時代に入ったころ、強力で、コストパフォー
マンスが優れ、しかもCO2など排出のない原子力発電導入の必要が政府当局や電力
関係者が主張し、米国、英国、フランスなどの技術支援で、原子力発電の導入が開始
された。やがて日本の東芝、日立、三菱電機など主要メーカーの技術水準が高まり
国産の原子炉、原子力発電所が全国各地に建設された。原発はその後、着実に建設
が進み、経済効率の優れたエネルギーの安定供給源として日本の経済成長をささえた
といえる。1979年スリーマイル島原発事故、1986年チェルノブイリ原発事故で、
国際的に原子力発電の見直し機運が高まるなかでも、日本の原発は原子力発電は優れた
管理体制のもとでの「安全神話」が強調され、やがて世界でも環境問題が懸念される
中で、原子力発電を肯定的に見る傾向が強まった。政府は「供給安定性、
環境適合性、経済効率性の3Eを同時に満たす中長期的な基幹エネルギーとして・・・
積極的に推進する(経済産業省「エネルギー基本計画」」とし、現在の54基体制から
2020年までには9基の新増設、2030年までには14基以上の新増設を行う、としている。
こうした基本方針の中では、使用済み核燃料廃棄の長期的問題、今回のような大事故の
可能性や健康への影響、原子炉廃炉の長期的負担と影響などの問題は認識され
なかったようだ。高度成長時代に確立、定着した体制、そして思想の可否が今、
問われている。
農業:農業は現状のまま推移すればほどなく
死の事態になるだろう。生産性は低く、
米については700%以上の関税をかけて、市場を閉鎖してもなお存立が危ぶまれてい
る。農業に新規労働力は参入せず高齢化が限度まできている。なぜこんなことになった
のか。それは、高度成長時代をつうじて生産性向上のための構造改革をせず、
政治的に米の価格維持をし、需要が減ると減反政策でなお価格維持をはかりつづけて
きたことがこの結果を招いたのだ。
医療:医療はかつては国民皆医療、皆保険で、安い医療費で全国民に医療サービス
を提供する世界の優等生だった。ところが、高齢化の進展による医療需要の増加と
医療技術の進展による医療単価の高額化で、医療財政は破綻の危機を孕むことに
なった。しかし日本の医療制度は、人口が若くて経済成長がつづいた時代のままで、
価格と数量規制でその制度を守ろうとしてきたために、いまやあらゆる矛盾が噴出
している。高齢化が進み、高度な医療を求める現代にふさわしい自由診療と市場
機能を活用した新しい医療制度に自己革新しなくてはならない時代が来ているのに
高度成長時代の統制経済型の制度と政策に固執しているために危機が深まるのだ。
教育:かつての高度成長時代を支えた最大の資源は教育を受けた人材だった。もっと
いえば、明治の近代化以来の日本の発展を支えた最大の原動力は教育だったはずだ。
その教育が迷走している。高度成長時代の受験競争を海外から批判され、国内でも
自己批判して、 ゆとり教育 を進めたが、単に学力がさがっただけだったので、再び
つめ込み教育に走ろうとしている。「ゆとり教育」は、集団画一教育でなく、個性
豊かな問題解決能力のある人材を育てるためのはずだったが、過去の規制構造の
中でスローガンだけ変えたために、教育の劣化を招いた。今こそ、規制構造を
根底から見直して人材の潜在能力を限りなく伸ばすしくみをつくる時がきている。
行政:行政は、日本の最大、最強のシンクタンクとして、また、精確で信頼できる
執行機関として日本の発展をささえてきた。しかし、高度成長時代以降、いつの間
にか、規制を梃として民間との癒着が進み、また政治に対してはその組織能力を
武器に政策の実行支配をする巨大で強大な組織になり、既存の体制の利益を代表する
膨大な圧力集団として、経済、社会、政治の変化にたいする抵抗勢力になって しまった。
政治:第二次大戦後、日本は敗戦の廃墟だった。その中から新しい国づくりを
めざして立ち上がり、四半世紀ほどのうちに世界第二の経済大国になったことは、
世界史の中で、 日本の奇跡 として記されている。このめざましい発展は当時の
政治家達の指導力に依るところが大きい。吉田茂首相は平和憲法を盾にとって
アメリカが日本を経済発展の模範国にせざるを得ない戦略を成功させた。岸信介
首相は不平等だった日米安保条約の大改訂を成し遂げた。池田勇人首相は高度経済
成長戦略を軌道に載せた。佐藤栄作首相は沖縄返還を、田中角栄首相は列島改造と
日中国交回復を果たした。しかし、1980年代に入ってからは、歴代の見事な政治
リーダーを輩出してきた自由民主党は、進化を止めてしまったように見えた。内向き
の権力闘争に終始し、合従連衡を繰り返しているうちに、世界と国内の環境条件
のメガトレンドの変化にも乗り遅れた。1980年代はまさに世界史的な大きな転換点
だった。冷戦体制が終焉し、日米安保は新しい時代にふさわしい同盟に質的転換を
遂げるべきだった。情報革命でグローバル経済時代になり、国家の競争力の概念
は供給主導から需要主導に変わった。高齢化が進み、年金、医療、介護などすべて
の社会保障システムの大改革が必要だった。これらの要請に、自民党長期政権は
ほとんど応えず、巨大な官僚機構の能力に安住して官僚の実効支配を黙認した。
小泉純一郎首相はこの体制に一矢を報いるべく「自民党をぶっ壊す」と叫んで改革
を試みたが、それを引き継ぐリーダーを得られなかった。
国民は次第にその閉塞に気づき、失望し、政権交代を求めるようになった。2009年
夏、国民は民主党に308議席を渡し、戦後はじめての本格的政権交代が実現した。
国民は政治が新しい時代を開いてくれるのではないか、と期待したが、鳩山内閣
はその期待を大きく裏切った。沖縄問題で沖縄とアメリカを失望させ、政治と金
の問題で国民を失望させ、バラマキ政策で財政難を増幅した。民主党と自民党の
藤も、民主党内の内ゲバも、新しい時代の新しい政治ではまったくなく、たんに
旧田中派の残党の時代離れした権力闘争であることに国民は幻滅し、落胆した。
世界史の転換点で改革を怠った日本は、世界の競争と進歩に立ち後れ、衰退過程
に入っていた。しかも高齢化の社会的費用の増大と人口縮小による負担力の縮小
で、財政バランスは世界最悪の状況になった。鳩山政権を受け継いだ菅政権は
成長戦略の重要性を訴えた。高齢化に対応するにも、財政バランスの健全化のため
にも、民主党のバラマキマニフェストを実行する上でも、経済成長こそが最重要
戦略であるのは誰の目にも明らかだった。2010年6月に発表された「成長戦略」
はしかし現実の日本経済の実態からみていささかうわすべりの観は否めない。
環境大国も、金融立国も、トランポリン型労働市場も、スローガンは良いが、
実行過程が見えない。それよりも、今の日本経済は、そうしたかけ声を受け止めて
走る体力と気力があるのか。人間で言えば、かなりの重病にかかっており、まず
その複合病状を治してから、はじめて成長戦略に取り組めるのではないか、という
ことである。
病気のひとつは、前述の、長期デフレだ。これは次第に体力が劣化していく重度の
糖尿病のようなものだ。人口減少が加速しているが、これは骨粗総症と似て、身体
が縮小していく。そうすると成長時代とちがって、基金をもとに運営する年金、医療、
介護などすべてを根本から設計しなおす必要がある。そのうえ、「失われた20年」を
経て、日本の社会は分裂社会になってしまったように見える。旧体制で安住できる人々
と旧体制から排除され、あるいは参加できずに不安定な生活を送っている人々である。
山田昌弘教授(中央大学)はこれを「希望格差社会」と名付けている。いうなれば、
精神分裂症的な社会の症候群である。こうした重病社会の治療に必要なことは、国民に
「この国はやっていける」という安心を持たせること。その核心は年金の持続可能性を
国民に示すことだ。いまひとつは、企業の在籍者優先雇用慣行のために排除されてきた
多くの若者階層に、制度を変えて雇用の希望を持たせることだ。菅政権は、財政改革も
にらみながら、税と社会保障の一体改革を唱えて、そうした基礎作業にはいろうとして
いた。その矢先、日本史上空前の大震災が日本列島を襲ったのである。
これは普通の災害ではない。地震もM9という日本史上未曾有の破壊力をもった地震
だが、三陸海岸近海で起きたためにその破壊力想像を絶する大きさになった。世界史でも
類例のない災害となりつつある。しかもその影響で福島第一原発が大事故に見舞われた。
それはあたかも宇宙から巨大な核攻撃をしかけられたような衝撃で、その被害は広域に
広がりつつあり、放射性物質は世界に拡散しつつある。
(4)亡国の危機を逆転した日本民族の勇気と英知に学べ
日本と日本民族は今、今までに経験したことのない巨大で凶悪な危機に直面している。
世界史をひもとくと、冒頭に言及したポルトガルの例を引くまでもなく、このような
巨大な災禍に負けて、国家そのものが衰亡あるいは滅亡して行った例が少なくない。
今、私達は、この危機がきっかけになって、日本の衰退から衰亡への道に陥っていくの
か、それとも、これを奇禍として、国民が適切なリーダーを育て支えて、打って一丸と
なってこの災厄を克復し、さらに、新しい時代を先取りした国づくりの機会にするのか、 その岐路に立っている。
私は、この大災害を、日本衰亡の出発点にしてはならないと考えている。逆に、この災禍 を日本再生の、そして新しい国づくりの出発点にすべきだ、と考えている。そして、日本
民族の英知と力量を総動員すれば、それは可能だと信じている。その条件は何か。最も
重要なことは、この歴史的試練を奇禍として、これまでの衰退の原因をしっかり分析し、
新しい国づくりの阻害要因をすべて除去することである。それは平時ではほとんど不可能
な作業だ。平時の既得権維持、積み上げ主義、微調整方式では、そうした抜本的改革は
できない。今日のこの歴史的試練は、まさに日本が生まれかわるそうした根本改革を
敢行する絶好のチャンスなのだ。何よりも重要なことは、日本のリーダー達が今回の
危機の歴史的意義を理解し、新しい日本づくりに向けての思想と構想をもつことだ。
危機に直面して、旧体制としがらみを一掃し、新しい国づくりをすることは空想ではな
い。日本民族は、これまでにもそうした偉業を見事に成し遂げてきた実績がある。例え
ば、第二次大戦後の危機克復の経験だ。太平洋戦争で日本はアメリカなど連合国と闘って
破れ、310万人の一般国民と軍人の命を失った。また全国のとりわけ主要都市はほとんど
焦土と化した。その廃墟の中から日本は立ち上がった。マッカーサー占領軍の指示も
あって日本は体制の大変革に挑戦した。軍隊を解体し、財閥を解体し、軍と権力層を支え
ていた地主の農地を解放した。教育を広く一般に開放し、労働組合を法認して権力への
監視機能を期待した。財閥解体で市場は寡占構造から開かれた競争構造になり、また、
農地解放、教育改革、労働運動解禁で、平等社会が実現した。いうなれば市場経済と
共産社会の長所だけを結合した日本モデルが出来上った。それが人々の勤労意欲を
刺激し、その後のめざましい経済復興、経済成長の原動力になった。
幕末から明治維新への移行も、静かなしかし大規模な政治・社会革命だった。黒船来航
で危機を自覚した先覚者達は守旧勢力と
藤の末、明治政府樹立という一大革命を実現
した。最小限の内戦を経て達成されたこの革命は、実は、政治、社会、経済システムを
根底から変革する世界史的革命だった。それまでの封建身分制は廃止され、支配層で
あった武士階級が廃絶された。封建制の幕藩体制はすべて廃止され、中央政府と地方
政府からなる西欧型の統治機構がとってかわった。欧米から教育制度、産業技術、
法制度が導入され、日本は全く別の国になった。それをふまえて人々の努力により
日本は発展につとめ、やがて世界の列強の仲間入りをするまでになった。
先輩達のこうした勇気と努力に学ぶならば、今回の大災害に私達は負けることは
ない。むしろ、これを絶好の機会にして、日本の潜在力と可能性を最大限に引き出す
自己改革に挑戦することだ。上述したように、日本のこの20∼30年の衰退の原因は
世界と日本の環境変化に対して、適切な自己改革を怠り、40年前の高度成長時代の
制度と構造を変革できなかったことにある。この歴史的危機を奇禍として、国民の覚醒
を求め、リーダー達は世界史的な観点に立って日本の新しい姿を求め、国民とともに
総力を結集して新しい日本づくりを進めれることが肝要だ。
この課題は多岐に亘るので、その詳論は次の機会にゆずりたい。本書では、そのための
突破口として、日本再生のためのひとつの具体的な戦略提案をしたい。それは「太陽経済
国家」をめざす復興戦略である。とりわけ、壊滅的な被害を受けた東北地方沿岸部を中心
に太陽経済都市圏の形成をはかる。太陽経済で国民経済が運行できるようになるためには
エネルギー供給量からも、技術的にも、制度改革からも、まだ多大な時間がかかるが、
この戦略は、まず東北地方被災地に新しい産業と多くの雇用を生む。また、太陽経済への
志向性を日本が復興への大方針として掲げることは、世界に対して、次の時代へのパイオ ニアの役割を果たすという意味で、世界に貢献し、また世界に新しい希望の芽を提供する
ことになる。
次章では、そうした意味を込めて、今次大災害を克復して新しい日本づくりの希望につな
げるための「緊急提言10ヶ条」を述べることにしたい。
Ⅵ. 緊急提言:特別復興予算で新しい日本づくりを
緊急提言
2011年4月14日
この緊急提言は、本書の冒頭で骨格だけ掲げたが、以下では、その各々について、趣旨
や背景を説明したいと思う。
1. 復旧、復興、日本再生の明確な展望を示す。(4月中)
(1)総理大臣は国内ならびに国際社会の衆知を結集して、日本を
代表し、日本の進むべき方向と具体策につき、短期、中期、長期
の計画と戦略を示す。
(2)復旧:被災者の救援、生活再建の支援、地域ライフライン等の復旧、被災地
の清掃・整備、電力供給強化、雇用対策
(3)復興:雇用創出、道路、港湾、公共施設、都市基盤、産業基盤、住宅整備、
エネルギー基盤整備
(4)日本再生:東北地方を中心として「太陽経済都市圏」の構築
(5)新しい日本:「太陽経済国家」と新しい日本づくり
3月11日に、空前の大地震と津波が東日本を襲い、また福島第一原発が大事故に巻込まれ
て3週間以上が経った。その間、被災者は大変な境遇に置かれ、企業も生産活動が阻害さ
れ、多くの国民も交通障害や停電そして放射能の恐怖で不安な日々を送ってきた。政府当局
者も未曾有の大災害に直面して、経験もない中で、懸命な努力をされたきたと思う。
その過程で、多くの国民や世界の関係者が、日増しに待ち望んできたことは、この大災害
を、国民の代表である政治指導者、とりわけ政府の代表である内閣総理大臣が、
これからどのように克復し、日本を復興させ、さらに次の時代をめざしてどのような
日本を築こうとしているのか、そろそろまとまった考えを直接、国民と国際社会に
たいして表明する時期が来ている、ということではないか。そのような思いで、あえて、
政府の代表である総理大臣が、このような内容を直接、表明する必要があるのではないか、
と言う意味で、私なりに必要事項をまとめてみた。
2. 短期重点政策(4月からさら充実・強化)
(1)被災者の救出・救済・救援、ライフラインの復旧、被災地の清掃・整備
(2)生活再建の支援、生活支援、仮設住宅、空き屋・空き室情報ネットワーク、
雇用対策、教育対策、社会化対策、メンタルヘルス支援
(3)二重債務軽減時限特例措置の立案と施行
[被災者の救出]
大災害に破壊されて被災地では、もちろん、これまでにも被災者自身はいうまでもなく
自治体関係者、自衛隊、消防、警察、企業関係者、ボランティアの人々、そして米軍など
海外からの救援隊など、多くの人々が必死になって、被災者の救出にあたってきた。4月
中旬現在で、警察の発表では、全国で、死者 15000人、行方不明者15000人。しかし、現
場では、まだ、建物、自動車、などの倒壊物、瓦礫が重なり合っており、引き浪で
海中の没した人々も確認されていない。家族、親族から届け出がなければ、行方不明者とし
て登録もされない。これからあらゆる手段をつくして不明者を確定し、さらに力をつくして
犠牲者を発見する必要がある。
[被災者の救済]
地震と津波で家や家族を失い、避難所で難を逃れている人々、また、福島原発の周辺地域
から退避させられた人々は、現在、全国で20万人近くいる(3/28現在、17都県、18万868
人)。この方々が一日も早く、生活を再建できるよう、また希望の持てる人生を再開できる
よう政府は最大限の支援をする必要がある。避難所にいる人々に対しては、緊急の生活物資
などが全国から送られてきているが、必ずしも、被災者の
ニーズに的確に合わせて配送、配給されているとは言えない。この面では、地域自治体が
ボランティアの応援を得て懸命に努力しているが、さらなる支援が必要だ。とりわけ、これ
からの被災者のニーズは、緊急支援から、もっと日常的な健康支援、教育支援、精神支援な
どの重点が移っていく。医療やリハビリや教育やメンタルヘルスなどの需要に答える支援体
制の整備、充実を急ぐべきだ。
[被災者の救援]
被災地、とりわけ巨大な津波で何もかも破壊しつくされた地域は今、ようやく車が通れる道
路の空間がかなり確保されたが、その両脇は、破壊された建物、自動車、船、などの大きな
重い残骸と瓦礫がうずたかく積み上がっており、これらを除去し、生活と生産環境を整備す
るには膨大な作業が必要だ。破壊された街の整理と清掃には、多くのマンパワーが必要だ
が、時間と手間のかかるその仕事には住民、地方自治体や企業の職員などを支援するボラン
ティアの応援も重要だ。地震直後から全国からかけつけた多くのボランティアが働いている
が、これからもこうした活動は長期にわたってますます重要になるので、彼らが安心して効
率的に働けるような環境整備を政府、自治体はさらにキメ細かく整備すべきだ。また、全国
の大学などは、ボランティアでの社会貢献は人間形成の価値ある経験にもなるので、学生の
重要な活動として認知し、支援すべきだ。
[仮設住宅の建設]
仮設住宅の建設も急務だ。津波に破壊し尽くされた地域では、ライフラインも地盤そのもの
も破壊されているところが多く、その地区での生活の再建が容易でない、あるいは絶望的な
ところも多い。復旧のためには、まず、膨大な倒壊建築物や瓦礫の撤去と処理が必要だ。瓦
礫の量は、地方自治体の通常の処理能力で推算すると、20年分以上になると見積もられて
いる。この処理には特別の措置が必要だ。そして仮設住宅からやがてどこでどのように本来
の生活を再建できるか、その展望につながるようなキメ細かい支援が必要だ。それは地域だ
けでできることではない。より広域の、また政府の巨視的な観点からの国土再設計のグラン
ドデザインとも連動させ、希望のもてる地域づくりの青写真をできるだけ早く描くよう国は
優れた専門家を内外から総動員して復興計画の策定を急ぐべきだ。
[空き屋の活用]
住宅についてはさらに、既存の空き家住宅やマンションなどの空き部屋を活用することも
重要だ。日本には現在、約5600万戸ほどの住宅(戸建ておよびアパート)があるが、家計
の総数は5000万弱なので、600∼700万戸は常時は使われていない。おそらくその半分くら
いは空き家状態と推測される。これらの空き家情報を集約し、ネットワークし、家をうし
なった被災者に紹介、斡旋する作業を、政府、自治体、不動産業者が協力して推進すること
も是非進めるべきだ。
[教育・社会化(socialization)対策]
教育対策、社会化対策も重要だ。被災者は取り急ぎ受け入れ可能な地域や地区に移住してお
り、また子供達はその地区の教育施設に編入されているが、被災者が震災以前に生活してい
たふるさとから分断され、コミュニティーも奪われ、親族、友人達とも別れ別れになってい
る場合がほとんどである。人間は社会的な存在であり、社会関係やネットワークが崩された
ことが、どれほど人々の健康や精神や将来に打撃をもたらし、目に見えない傷をあたえるか
は想像を超えるところがある。16年前の阪神淡路大震災では仮設住宅に入ってこれまでの
コミュニティーと断絶して暮らされた高齢者の多くが自殺された。今回は多くの子供達も被
害者である、問題はさらに複雑で大規模である。この教訓をふまえ、研究と対策を急ぐべき
だ。
[雇用対策]
被災者のほとんどは職を奪われてしまっている。財産も失い、手元に多少の資金をもってい
た人々も費消してしまっている。仕事の機会がこれからの生命線になる。復旧、復興が進ん
でいけば仕事の機会も少しずつ増える可能性があるが、地元の発生するあらゆる仕事の機会
を被災者に優先的に提供することが重要だ。自治体や政府もその方向で努力しているが、
さらに強化・充実する必要がある。仕事の機会は、やがて、被災地域の本格的復興や、また
後述するように東北地方の「太陽経済都市圏」構築など夢があり、また世界の未来にとって
も意味のある大計画につなげていく必要がある。
また、所得保障や雇用継続などについて、制度を大震災対応として弾力的に運用することも
早期に実施。雇用保険(失業保険)給付は、それまでに一定の加入期間があることが前提だ
が、若年者などには加入期間が不足している者もあり、加入期間を問わずに給付する。雇用
調整給付金は、直近の一定期間に生産水準が一定以上低下したことが申請要件だが、突然の
震災はその条件を満たさない事例が多いので、その要件を満たさない場合にも給付する。
仕事はないが、できるだけ雇用関係を維持したいと考える雇用主について、年金、医療、雇
用保険の雇い主負担を一定期間できるだけ補助する。また勤労者については一定期間、納付
を免除する。
[二重債務解消・軽減政策]
国がとくに取り組むべきは、被災者の二重債務問題の解決だ。津波で根こそぎ家を失い、漁
船や農業施設や田畑など生活の基盤を奪われた人々、また、放射線汚染地域に指定され、強
制退去をさせられた人々などは、これから新しい生活を再建しようとする時、多くの場合ゼ
ロからの出発すら困難である。家や船や農業施設などについては多くの人々が借金を背負っ
ている。失った資産についての数百万あるいは数千万円の借金に加えて、これからの生活の
ために借金をしなければ、生活の再建はできない。深刻な二重債務問題だ。国も自治体も財
政資金で構築した道路や公共建築物などについては財政資金で復旧するが、個人の喪失した
資産については公的資金で補填はできない制度になっている。阪神淡路大震災でもこれは
深刻な問題になったが、今回は規模も深さも比較にならないほど大きい。二重債務に
苦しむ人々は絶望し、やがて自ら死を選ぶかもしれない。1000年に一度と言われる大災害
である。多くの被災者に生活再建への希望を持って戴くために、一定の条件のもとに、
また時限立法として、二重債務の解消または軽減のために公的資金で補填ができる仕組みを
創設すべきではないか。政府と立法府の見識と勇気を問いたい。
3. 放射能汚染と健康問題への正確、詳細な情報提供(4月前半に)
(1)健康への影響に関するわかりやすい説明
(2)放射能汚染の種類と動態マップ:作成と発表
(3)被爆者への情報提供、診療、治療体制の整備
[健康への影響についてのわかりやすい説明]
放射能汚染は人々の深刻な心配のタネである。日本人ばかりでなく、日本在住の外国人
はもとより世界諸国が深く憂慮し重大な関心を抱いている。人々が心配しているのは、
福島原発から飛散した、あるいは流出した放射線物質を被爆すると、あるいは吸引すると
どのような健康被害を受けるのかということである。原発事故直後から、政府もメディア
も突然、耳慣れない指標ないし数字をほとんど何の説明もなく流し始めた。たとえば、○○
ベクレル、○○グレイ、○○シーベルトなどである。本書では、それらの概念や指標を、専
門家のご教示を戴いて、あるていど一般人がわかるように説明したが、それらは放射線の
強さや、量や、人体への影響という、いわゆる放射線量の概念であって、それらの強さや
量が、被爆や吸引をすると、どれほど健康に害を及ぼすのかについては、事故後、1ヶ月
近くを経た現在でも、判り易い説明はない。
放射線の大量被爆や継続的被爆あるいは吸引という事態は滅多にないことであり、また、放
射線の種類や被爆の状況によっても人体への影響は異なり、まして健康への影響ということ
になると学会でも無論、見解はさまざまで、統一した合意はないという事情はわかる。しか
し、重要なことは、ふつうの国民大衆の目線である。学会での見解の相違は、一般人から見
れば重箱の底をつつくような仔細な相違だ。人々はそんなことではなく、関西に居住をうつ
した方が良いのか、子供は生まない方がよいのか、あるいは、日本から離脱した方がよいの
か、といった大問題を心配し、悩み、睡眠不足になっている。こうした一般国民にとってわ
かりやすい説明をしようという当局の工夫が見られない。
国民は、端的にいえば、放射線を受けると癌になるのではないか、と心配している。医学的
には、軽度の放射線被爆と癌の因果関係は疑いがあるだけでそれほど立証されてはいない。
現在、広域に飛散している放射線物質の癌への影響はたとえあるとしてもそれはタバコ一本
よりもはるかに少ないというのが専門家の見方だ。政府も野菜に放射能反応が検知された
が、一年中食べても健康被害はない、といいながら、他方で出荷停止措置をする。安心とい
いながら危険と言っているのと同じで、国民は何を信じてよいのかわからない。これは風評
被害ではない。これは重大な国民への欺瞞である。無責任な風評をつくって消費者と生産者
を恐怖に陥れているのは政府そのものではないか。
専門家はそれぞれの学問領域について理論と実証にもとづいて見解を表明する。それは専門
家としての職業的見識でもあり、義務でもある。研究結果にもとづくさまざまな意見があっ
て当然だ。しかし、国民が求めているのはそんな深いレベルの話ではない。政府は、専門家
の知識を充分、勉強したうえで、あくまで国民の目線に立って、健康上、安全かどうか、こ
の国で生活をつづけれらるのかどうか、という基本的関心に判り易い説明を工夫して提供す
べきだ。日本は国際社会ではすでに多分に誤解にもとづいて「汚染列島」と見なされてい
る。たしかにこれほどの原発事故があれば、空気中の放射線の濃度はこれまでよりは何倍か
高くなるだろう。しかし、健康への影響という観点からは、それは安全範囲内の微小な変化
にすぎない。その実態と、それはどうしてなのか、を判り易く国民に説明すべきだ。その説
明は、これから小学校から高校までのすべての教科書に理解度に合わせて掲載するくらいの
努力を政府はすべきではないか。それを国民が理解すれば、限られた不幸な汚染地域以外で
は、ほとんどの国民は移住する必要もないし、通常の生活を楽しんで良いことを確信できる
はずだ。
[放射線量マップの公表]
福島第一原発の事故は、すでにさまざまな放射性物質を空気中に飛散させ、土中に浸透さ
せ、水中、海中に流出させている。本文で一部紹介したように、フランスのIRSN(放射線
防護原子力安全研究所)は、福島原発からの放射性物質の飛散の状況を、事故直後からシ
ミュレーションして世界に示している。当事者である日本の政府も研究機関もそうした
努力を全くしていない。人々は情報を知らされることで不安におののくのではない。知らさ
れないことで不安が深まるのだ。健康に影響がほとんどないとはしても、人々は、やはりこ
れまでよりもはるかに高いレベルの放射線が大気中などにあることに関して、重大な関心を
抱かざるを得ない。政府当局はそうした国民の関心に対して、正直に、透明に、情報を流す
最善の努力をすべきだ。
たとえば、天気予報の情報を見るがよい。今日、人々は時々刻々変わる天気の状況と予報を
全国各地で詳しく知ることができる。TVやPCや携帯電話には天気情報があふれている。こ
れからはそれと同様の情報を、空気中や水中、土中のセシウムや沃素やその他の放射性物質
の濃度について、計測し刻々開示すべきだ。そのためにはおそらく全国の何万ヶ所かに放射
線線量計を設置してその計測結果を報告することが必要になるだろう。人々は天気予報を同
じようにそれをみて、毎日安心して生活し、仕事をすることができる。それは本当の危険を
予知し予防するために必須である。
[被爆者への情報提供・診療・治療]
一方、福島第一原発周辺地域の住民や原発事故対策関係の作業者にはかなりの放射線被爆を
受けた人々が多い。これらの人々に対しては迅速に効果的な対応をする必要がある。まず
適切な情報の提供。そして診療、治療である。今回の事態は、福島の海岸に大規模な核攻撃
を受けたと同様な状況である。世界の専門家や軍事関係者は日本をそのような位置づけで見
ており、それだけに重大な関心を払っている。日本の政府は、その直接の被害を受けた人々
、また受けつつある人々に対して、迅速に適切で充分な情報と診療、治療を提供する責務が
あり、そのための体制と組織を早急に整備すべきである。
情報の提供が、現地から見ると、あまりにも唐突、しかも現地の生活者の立場に立った
説明がないことに不安と不満が高まっている。半径20km以内の退避指示、20∼30kmの
屋内退避指示は、必要としても、生活者には、退去後の生活展望が持てない、また屋内
退避地域は、商店、流通、学校など生活インフラが事実上、失われているので、生活は
事実上困難である。しかも、これらの地域内でも、検出される線量はマチマチであり、
地形や風向きなどで著しく異なる。細かいメッシュで線量を検出し、それを生活者が
天気予報のように毎日、毎時間、見ることができるような体制を一刻も早く整備すべき。
また、その線量マップをふまえて、地域への立ち入り、片付けなどのために規制を弾力的に
運用すべき。被爆者への診療、治療は最重要だが、地域住民、避難者の生活再建に向けた
相談や支援をきめ細かく実施すべし。
4. 国際社会の救援・支援への感謝と今後への理解と支持要請(4月前半)
(1)世界各国や団体、個人に対する感謝の表明
(2)福島原発事故の原因と影響について詳細な情報の提供と日本の調査ならびに
国際調査協力の表明
(3)国際社会への日本の復興努力と展望の詳細な情報提供
(4)エネルギー供給補填のための火力発電増強についての理解と支持要請
[国際社会への感謝の意思表明」
大震災の発生直後から、世界の多くの国々、団体、個人から、多くの支援が寄せられた。
国の数は100カ国以上におよび、その支援は人的、物的、技術的な分野まで広範、多岐に
わたっている。いくつかの国は量的にも質的にも、そして長期にわたってとくに強力な
支援をしてくれている。 章でも紹介したようにアメリカ合衆国の支援は特筆に値する。
国際社会からのこれらの支援に対して、日本政府は、国民を代表して、目に見える形で
繰り返し、丁寧に感謝の意を表明する必要がある。本来、総理大臣が表明すべきであるが、
上述したようにこの非常事態なのに、菅総理大臣の、内外へのアピールはあまりにも少な
い。総理大臣ができないのならその仕事は外務大臣の仕事だ。今回の地震、災害、原発事故
に対して政府は対策本部は早期に立ち上げられたが、その対策本部は基本的に国内向けであ
る。しかし今回の大震災は世界的意味を持っており、とりわけ原発事故と放射能汚染は、い
まや世界の重大な関心事になっている。その意味で、外務大臣が危機管理と世界へのアピー
ルに組織上参加していないのは欠陥である。本来は、災害対策本部と安全保障会議を合体し
た国家の危機管理総合本部のような形で問題に対処する必要があるはずだ。外務大臣が毎
日、記者会見をし、世界に対して状況を説明するとともに毎日、世界の支援に感謝の言葉を
述べるべきだ。世界に対してそのように懇切な感謝の意志表明をするのは、それが実は日本
の国際社会における国益に深くかかわるからだ。それは後述する。
[迅速、詳細な情報提供]
福島第一原発の大事故は、くりかえし述べるように、いまや世界の危機管理、安全保障と地
球環境維持などの意味で、国際社会の重大な関心事になっている。近隣諸国のみならず世界
の主要国は、この事故が自国の安全と環境にとってどのような意味をもつかを真剣に分析し
ている。主要国の政府関係機関や調査機関は放射能や大気、海洋汚染についてとくにデータ
の収集と解析をしており、その情報の一部は、インターネットなどをつうじて世界に公表さ
れている。世界各国から多くの核問題の専門家が派遣され、軍事関係者も事故の経緯と影響
を凝視している。その意味では、チェルノブイリ原発事故の事後状況と事態は近接してきて
いる。チェルノブイリ事故の時は、当時のソ連政府が事故情報の内外への開示に積極的でな
かったために、国際的な不信と非難に的となった。ソ連はもともと情報統制の厳しい国家統
制体制の国であり、また、当時、国内の政治情勢が極めて混乱しており、数年後に、ソ連解
体につながるほどの状況にあったので、こうして事態も事後的に見るとやむを得ない面も
あったとも考えられるが、日本の状況は全く異なる。
日本は、情報統制のない民主主義国家であり、同盟国のアメリカをはじめ、国際社会の支持
と支援に大きく依存せざるを得ない国家である。それだけに、関係諸国が納得してくれるよ
う常に迅速に詳細な情報を充分に提供することが国家経営の基本でなくてはならない。とこ
ろが、今回の事故への対応過程における政府の対応には、そうした観点が著しく欠けている
ように思われてならない。事故の影響などについては、アメリカ、フランス、イギリスなど
主要国の調査機関、研究機関の情報と分析が、日本の当局の情報提供よりはるかに詳細で進
んでいることはすでにインターネットをつうじて日本国民ですら承知している。インター
ネット時代には、政府や東電や関係当局が情報提供を制約してもそれは何の意味もない。重
要なことは、当局は誰よりも先に誰よりも正直に詳しい情報を提供することだ。そのうえ
で、政府の判断を示せばよい。人々はそのうえで自分で適切な行動を選択すれば良いのであ
る。
情報提供が遅れたり、不十分であると、事態が国際社会の最重要関心事になりつつあるだけ
に、各国は日本の情報開示に不満をもち、やがて関係国際機関や調査・研究機関が、直接、
日本の事態の情報収集を分析できるよう要請ないし強要することになりかねない。日本の信
用の失墜である。チェルノブイリ事故の際は、数年後にソ連崩壊につながるような混乱も
あったので、そうした事態になった。日本の状況はまったく違う。日本は国際社会の理解と
協力を得て、しっかり再建しなくてはならない立場にある。自ら進んで国際社会にもっとも
迅速、詳細、かつ充分な情報を提供することが国益となる。政府当局者の自覚と努力を強く
促したい。
[復興の努力と展望の情報提供」
他方、積極的な意味での情報提供も同様に必要だ。それは日本がこの大災害からどのように
立ち上がり、どのように復興し、どのような日本を将来に向けて、構築しようとしているの
か、その意志と努力と展望を世界に、繰り返し、詳しく判り易く説明することである。世界
各国は、日本の復旧と復興を多いに声援し、できるだけの支援をしようとしている。こうし
た世界の積極的な対応は、実は、善意とか好意だけではない。今回の大震災につづく日本の
生産体制とりわけ密度の高いサプライチェーンに基づく日本の生産構造は予想以上の被害を
受け、その障害は、世界の多くの国々の生産活動の阻害要因になっている。自動車産業にお
ける高度な部品提供の遅滞はその典型的な例である。世界各国は、日本が早く復旧、復興
し、世界に対する高度部品の提供などの面でも、世界経済をささえる役割を果しつづける
ことを望んでいる。復旧、復興には時間がかかるが、その展望が明確に伝われば、世界の関
係諸国もそれなりの対応をして日本の復興を待ってくれるだろう。逆に、その展望が不透明
であれは、世界の関係国は別の国々に、調達先を移転させるだろう。そうすると、日本は
世界の生産・物流ネットワークから外れるという意味で重大な第三次災害を被ることにな
る。そのためにも日本の復興と再建の展望を明確に示すことは、日本の重要な国益である。
復興計画を描き、執行し、情報を提供できるのは、第一義的に政府の役割である。その意味
でも政府の今一層の自覚と努力を期待したい。
[火力発電増強のための理解と支持要請]
福島原発の大事故によって日本のとりわけ東京電力の電力供給能力は大きく損傷した。福島
第一原発の供給能力は470万kwだが、大震災の直接間接の影響の下で、福島第二原発(440
万kw)はじめ多くの発電所が一時停止あるいは検査などの状態にあり、電力供給能力は短
期的に大きく削減されている。原子力発電はこれまでもっとも安定的、効率的でクリーンな
電源とされてきたが、今回の大事故で、世論は国内も国際的にも原発の増強は認めない方向
になるのは必定である。原子力発電の役割の増強を志向してきた「エネルギー計画」もその
方向性を大きく見直さざるを得ないだろう。それでは、予想される大幅な電力供給不足分を
どのように補うのか。私は本書で、太陽光や風力など自然の再生可能エネルギーをフルに活
用する「太陽経済」を大いに推奨するが、それは長期的な方向性として望ましいとはいえ、
短期、中期的には、不足するとされる電力を補うほどの大きな能力にはなり難い。また、コ
ストも高く、現状では、太陽光発電で、1kw/時をつくるコストは原発の6∼8倍とされる。
原発の増強が不可能であるなら、その不足は、短期、中期的には、石油、石炭、LNGなど
の火力発電で補うほかはない。ところが、火力発電はどうしてもCO2の発生を増やすこと
になる。福島第一原発の発電量を仮に石油火力発電で代替した場合、CO2の排出量は年
2100万トン増える。これは日本の温暖化ガスの年間排出量の約1.8%にあたる。
京都議定書は2012年までの温暖化ガスの排出削減目標を国ごとに定めている。日本は08∼
12年平均で、1990年比6%の削減を義務づけられている。未達成の国には、(1)目標超過
分の1.3倍を将来に上積み、(2)他国への環境支援を自国の削減分に充てるクリーン開発
メカニズム(CDM)への参加一時停止などの罰則がある。4月にバンコクで開催されている
温暖化対策の国連作業部会で、日本は震災の状況を説明して理解を求め、また、年末に
南アフリカで開く、第17回国連気候変動枠組み条約締約国会議で、罰則を科さないよう
求める方針という。日本はこれだけの世界史的な壊滅的打撃を受けたのだから、京都議定書
など地球環境の維持、改善のための国際取り決めの実行には適切な時間的猶予をお願いでき
るのではないか、と日本人は誰もが思うが、それは日本人の希望的観測であって、そうした
例外措置を認めてもらえるかどうかは、日本の実情と誠意をどれだけ関係各国に理解しても
らえるか、にかかっており、その理解と支持を得るためには、私達日本側の、国際社会に対
する説明、理解し納得して戴けるための熱意と努力が必要である。
また、日本の要請は、2010年COP16のカンクン会議で日本などが提唱したより総合的な枠
組みに反対して、京都議定書の単純延長をもとめた途上国などの動きを勢いづかせるおそれ
もある。国際社会の充分なの理解と支持を得られず、京都議定書の目標年次での履行ができ
なければ上記の罰則規定が適用されることになり、それは日本の国益を著しく損なうことに
なる。国際社会に対する感謝、情報の提供、説明の努力が国益のために必要と強調した理由
のひとつはこの点にある。
5. 電力需給の正直、精確な情報提供と電力供給復興計画提示
(4月に情報提供、5月に計画提示)
(1)電力供給能力の実態と展望について正直・精確な情報提供
各発電所の能力、稼働実態、稼働計画、電力融通計画
(2)充分な情報提供のうえでの計画節電。
[電力供給能力の実態と展望]
今回の大震災の災害の大きな特徴は、電力供給力が大幅に削減され、またその復旧の道筋が
不透明であることである 東京電力は、震災発生の翌週(3/14の週)4100万kwの最大需要
(18∼19時頃)を見込んだが、供給力は、地震による発電所の停止などのため、当面3400 ∼3500万kw程度しか期待できないことから、急遽、3/14から計画停電を実施した。これ
は、信号、鉄道、病院、など安全や経済活動にかかわる基本インフラも含んで、無
差別に行われたため、経済社会に不安と混乱を引き起した。とりわけ経済活動に重大な
影響。不確実性による操業の阻害要因。
これからの経済復興を左右する最大の要因。電力供給不足は経済活動を直接抑制。
経済復興の大きな阻害要因。
政府は、4/8「電力需給緊急対策本部」を開き、夏に向けての電力需給対策を決定。
計画停電は原則、実施しない方針。震災勃発から1ヶ月も経ってようやく政府の対応
が発表。
対策の骨子
夏の電力不足:1500万kw(猛暑時)に備える。
○需要抑制対策
○大口需要家(500kw以上):削減目標 25%程度
電気事業法27条による使用最大電力制限
業界ごとに輪番操業など自主行動計画。
○小口需要家(500kw未満):削減目標20%程度
営業時間の短縮、夏期休業延長など自主計画
○家庭: 削減目標15∼20%
自治体や学校などをつうじて節電意識の徹底
○供給増加対策(500万kwていど)
ー火力発電所の復旧、立ち上げ
ーガスタービンなどの新設
ー自家発電設備からの電力購入拡大
利用者の理解と協力を得るために最も必要なことは、供給増加対策の詳細示すこと。情報
の提供があってはじめて、展望が見え、節電努力の目標ができる。節電協力できる。
供給の見通しどうなるのか。
東電の発電設備出力(東電のHP)
2010(計画値)
自社設備、6499万kw。含他社受電 7810万kw、
政府「対策」では、火力発電所の復旧、立ち上げとある。東電は2010年現在、
火力発電所は、富津(453万kw)、鹿島(440万kw)、広野(380万kw)、
袖ヶ浦(360万kw)姉崎(360万kw)、千葉(288万kw)など15ヶ所。
自社設備能力だけで、約6500万kw、他社受電すれば 7800万kwも能力が
あるのに、なぜ、この春は4000万kwにも満たないのか。その実態を説明すべし。
休止、検査、故障など事情説明すべし。いつ復旧、いつ運転開始になるのか。
詳細な展望不明。
環境エネルギー政策研究所の飯田哲也氏ら調査チーム( 章、参照)は
電力供給の展望について下記のシナリオを提示している。
ケース1(厳しい現実シナリオ) 2717万kw
ケース2(回復期待シナリオ) 3227万kw
ケース3(楽観シナリオ) 367万kw
これに現実的な原発復旧見込み、水力、他社融通を加えると、
ケース1、4315万kw(揚水足すと、4995万kw)
ケース2、5198万kw(揚水足すと、5878万kw)
ケース3、5338万kw(揚水足すと、6018万kw)
を想定できるとしている。
2011年夏ピーク予測: 5755万kw(ちなみに2010年8月最大実績 5998万kw)
とする(東電予測)とすると、揚水発電を加えれば、節電が必要な場合は、
ケース1だけで、その場合、必要な節電は760万kw、ピーク(最大需要
時間帯の需要)を13%減らす程度。無理な節電をしなくても需給バランスは
達成できる可能性あり。当然、供給力回復のスピードアップは必要条件であり、
また多少のゆとりをもつためには引き続き節電努力は必要、としている。
専門家によるこのような現実的な分析と展望があるのに、政府はなぜ、この程度
の実態と見込みを国民に開示しないのか。他にもっと現実的な展望があれば
提示すべし。政府と東電による実情の透明な情報開示があり、復旧、立ち上げ
計画の詳細なプランと努力目標が提示されてはじめて、利用者すなわち国民は
現実を理解し、協力の意欲を持ちうる。
[計画節電]
産業界は、輪番節電、省エネ設備、自家用発電設備導入、夏休みの延長、など
涙ぐましい努力。これらの努力を支えるには、政府や東電などが、電力供給増強
の実態と展望を透明、詳細に開示することが最重要。
飯田哲也氏は、電力需給計画として下記の3点を強調している。
(1)ライフラインは最優先して電力供給すること。
(2)一般家庭は省エネ、節電を呼びかけつつ、基本的には電力供給を維持
(3)業務および産業部門は、個別の需給管理ができるから、需給調整契約を
戦略的に活用して、市場メカニズムと自発性を活用した需給管理を行う。
工場・業務ビル、エネルギー効率あげて省電力可能。工場:廃熱利用、高効率機器、
業務ビルは断熱建築、高効率機器導入、オーバースペック、明るすぎる照明排除。
(最近、建設された都心の業務ビル、床面積エネルギー消費量、CO2排出量3倍も)
家庭・中小業務:啓発だけでは不十分: 新築住宅の断熱規制による暖房
エネルギー削減。エアコンなど電機機器の規制強化。省エネ製品。
企業は厳しい抑制策だが、自主抑制の手立て、能力あり。家庭は電力抑制、何をどれだけ
やれば、総量どれだけ減らせるか、専門対応能力なし。説明と実行支援必要。
6. 大連立は国民への欺瞞。国難対応の臨時協力体制を(4月)
(1)民主党と自民党など野党の大連立は国民への欺瞞
思想・主義の相違が不明確になり、国民の選択を困難にする
(2)被災者、国民のために、国難対応の有事協力体制を
(3)2011年末には総選挙を、国民の支持する政権で本格復興を
[大連合は国民への欺瞞。民主主義の形骸化]
未曾有の大災害への対応が政府の最優先事項になり、またすべての政治家にとってもこれが
もっとも重要な課題になってから、3月上旬までの、いわゆる「ねじれ国会」における与野
党対立の図式や民主党内における執行部と小沢派の対立の構図は、にわかに色あせた。歴史
的危機に翻弄される国民の前で、こうした権力闘争をしていては国民の支持を得られないと
の政治的判断もあったのだろう。3月29日、2011年度予算案が国会で可決され、やがて復興
のための補正予算が構想されはじめると、にわかに、大連合構想が浮上してきた。この構想
は当初、菅首相が自民党に問いかけ、谷垣総裁がいったん拒否したが、その後、自民党の古
参議員などを中心にふたたび関心が高まった。しかし4月中旬現在ではそれ以上の動きは見
られない。
大連立は国難に際して一見当然のようにも見えるが、良く考えると、国民にとって、それは
欺瞞でしかない。もしそんなことが起きれば日本の民主主義は形骸化してしまうだろう。な
ぜなら、民主党ならびに民主党政権と、自民党は政策がかなり違うだけではなく、政策の背
後にある思想と哲学が基本的に異なる。その違いを無視して、自民党の議員が入閣するよう
な事態になれば、国民は何を求めて政党を支持し、投票をするのかが見えなくなってしまう
からだ。民主党はこれまでにかなり明確にその思想を提示してきている。バラマキ型のマニ
フェストはその象徴といえる。努力にかかわらず現金を提供すれば、最適解は努力しないこ
とになる。最近、民主党の中でもマニフェスト原理主義を見直そうという動きが見えてお
り、私はその動きを評価したいが、原理主義は悪平等社会主義的なひとつの思想である。自
民党は民主党ほど明確な思想は示していないが、努力に報いる市場主義が基本と思われる。
自由競争社会は市場が努力に報いる社会である。したがって、政府は競争に参加し難い社会
経済的弱者の救済すなわちセーフティネットを堅持していれば良い。それが経済活力をたか
める仕組みとなる。この思想の違いを選択するのは国民である。2009年の総選挙では、多
数の選挙民が民主党に投票し、半世紀以上つづいた自民党の長期政権に終止符を打った。民
主党政権誕生後、国民はしかし多くの幻滅を感じ、民主党への批判を強めていた。近い将来
に政治は国民に総選挙をつうじて新しい選択を求める必要がある。それが民主主義の本道で
ある。いかに未曾有の危機であるからと言って、この民主主義の基本を無視してはならな
い。この国難に際して、すべての政治家が一致団結し、総力をあげて国民と経済社会の救済
と再建に取り組む道は別にあるのである。
[国難対応の有事協力体制を]
現在の日本はまさに未曾有の危機、未曾有の国難にある。1000年に一度とも言われる強大
な地震が日本をおそい、想像もできない巨大な津波が東北地方沿岸部の市町村を破壊し、し
かも、津波で機能不全に陥った福島第一原発が深刻な大事故を誘発している。この原発事故
は地球的な問題を孕み始めたため各国の専門家が重大な関心をもって集結しつつある。いう
なれば福島の沿岸は、あたかも大規模な核攻撃を受けたような状況にある。日本はいわば戦
時状態の危機にあるといっていい。存亡を掛けた戦時であるなら、政治家は各々の主義主張
は大切にしつつも、国民と国家のために一致糾合して努力するのは当然である。大連立は
あってはならない政治的妥協だが、戦時協力は有事のあるべき姿である。野党も最善をつく
して人材と知恵とネットワークを総動員して国民と国家のために、与党と協力して最大限の
注力をすべきである。
[2011年末には総選挙を]
有事体制であるから、その闘いには、当然、時限がある。この危機への対応にあるていどメ
ドが立ったら、あらためて総選挙をして国民の信認を問うべきである。一定の期間を限って
有事協力をすることが現実的だろう。あるていど充分な復興事業のメドが立ったらの総選挙
が望ましいが、現状の政治への信頼のありかたを考えると、2011年末あたりをメドに総選
挙するのが適切ではないか。そのように期間を区切った有事協力であれば、与野党とも協力
の在り方にもメドが立つ。また国民の目からも、有事協力中の与野党の在り方を、選挙民と
して厳しくまた希望をもって見つめることができる。有事の協力のもっとも重要なことは、
復旧、復興、そして新しい国づくりのために相当規模の予算を作成し、執行することであ
る。
7. 与野党協力による大規模復興予算策定と実施
(4月ないし5月)
(1)30兆円の復興予算策定
(2)財源は主として特例国債。
日銀引き受け発行でなく、日銀は独立の判断で市場から国債買い入れ。
(3)復興目的でも増税は避けるべき。
(4)2011年度予算などの見直しによる捻出で財源補足
(5)予算の使途は以下の通り。
10兆円:被災者の救済、被災地域の復旧
10兆円:被災者の生活支援、被災地域の復興
10兆円:東北被災地域の太陽経済都市圏構築の支援
[30兆円規模の復興予算]
東日本大震災への対応については復興予算の議論が活発に行われている。3月一杯は予備費
を使って対応し、その後、適時、第一次、二次補正予算を組んでいくというやり方が現実的
と政府当局者は考えているようだが、このような状況適応型の逐次対応は、結局、相当多額
の資源を費やして、めざましい効果を挙げ得ないやり方である。なぜなら、そうした、なし
くずし型の対応では、国民は政府の 新しい時代をつくる という決意を感じない。産業界は
めざましい再建への展望を持ち難い。したがって資本市場も日本の再興を予想しない。私は
少なくとも年次実質予算の半分以上の規模をもつ30兆円くらいの復興予算を提示すべきと
考える。それほどの予算を提示することは、国民に政府の決意を伝え、国民に将来への希望
を持たせる。産業界は投資計画への展望が持てる。そして資本市場は日本の復活を織り込む
ことになるだろう。
[財源は特例国債で]
財源については、(1)既存の年次予算の組み替えで捻出する、(2)復興税を新設する、
(3)国債発行で賄う、などの議論が行われている。(1)は、財政難で通常の発想では財
源が極度の限られている中で、既存の予算の中から、たとえば、こども手当や、高速道路無
料化などの予算を削減して充当する、という考えだが、これは最大でも1∼2兆円以上は期
待できないだろう。(2)は、この国難に際して、国民が全体で負担すべきだ、という議論
のようで、財政当局はすでにその設計に入っているようだが、この危機の中で人々の心理が
冷えきっている中で、増税をしようとするのは、人々の心理と経済の論理を全く理解しない
提案というほかはない。それでなくとも未曾有の不安の中で消費や投資の心理が冷えている
時に、さらに増税をすれば、消費や投資がさらに落ち込むことは目に見えている。増税は
絶対に避けるべきだ。(3)は、一部の政治家や多くの論者が提案している。私は、財源は
思い切って、特例国債発行で賄うことを提案したい。
国債発行で財源調達を主張する人々の中に、国債を日銀引き受けで発行せよ、という意見が
ある。これに対しては、野田財務大臣も、白川方明日銀総裁も否定的見解を示している。
白川総裁は3/22の衆議院財政金融委員会で、「日銀引き受けの国債発行は円の信認を損な
う」と発言している。日銀総裁の見解はたしかに一理がある。政府が日銀引き受けを前提に
して国債を発行するとなると、日銀の独立性は有名無実となり、それは円の信認にとって好
ましいことではない。私は以下のやり方を提案したい。それは(1)政府が30兆円の国債を
発行する。(2)その国債はまず市場で民間金融機関などが吸収することを期待する。
(3)引き受け手が足りず、国債が値崩れするようなリスクがあると日銀が判断すれば、
日銀は独立の判断で国債を購入して買い支える。(4)実際には、30兆円という大量の国債
をいっぺんに売買するわけにはいかないので、たとえば、2011年末までくらいの期間にわ
たって定期的に売買する展望を示して売買を行う。このようなやり方で国債を発行し吸収す
れば、日銀の独立性を担保しつつ、国債の値崩れを防ぎ、復興予算の財源を担保することが
できるはずだ。こうしたやり方はすでに2010年秋からアメリカ政府と連銀との連携プレー
で大規模に行われており、そうした先行例をしっかり学びつつ実行すればよい。
[予算の使途]
予算の使途は、3つに大別される。それぞれ10兆円としたのは単なる目安である。
(1)被災者の救済、被災地の復旧
これはこの緊急提言の 2. 短期重点政策の項で詳述した。
(2)被災者の生活支援、被災地域の復興
これは、被災者の住居、雇用、二重債務解消ないし軽減、健康管理、こどもの教育、
コミュニティーづくりとsocializationなど、より長期の生活再構築に向けての支援と、 被災地域のインフラの整備、都市計画づくりなど復興プログラムである。
(3)東北被災地域の太陽経済都市圏構築
これについては以下に項をあらためて詳述する。
8. 東北被災地域を中核に太陽経済都市圏構築。
(4月から検討、7月に計画発表、10月から実施)
(1)東北被災地域に希望と夢を
(2)東北被災地域に太陽経済関連産業と雇用の創出
(3)世界に示す未来の自然エネルギー国家志向の象徴
[希望と夢のある復興計画を]
東日本大震災でもっとも深刻な被害を受けた東北地方沿岸地域に実情は、 章の現場報告で
も述べたように、史上空前の大規模な津波によって破壊し尽くされ、これからどのように再
建を考えてよいか、手がかりも見つからないほどの惨状にある。被災した人々はこれから逐
次、応急の避難所を出て、運の良い人は仮設住宅に、あるいは親戚に家に身を寄せるなどし
て少しずつ生活再建の方途を手探りして行くことになる。自治体も政府も膨大な倒壊建築
物、破壊された自動車、瓦礫の除去、整理、清掃などの仕事や復旧にかかわる多くの仕事を
できるだけ被災者に提供する方針と聞く。それはとりあえず適切な対応だが、その先の道筋
が見えない。多くの人々は漁業、農業に従事してきたが、港が破壊され、船が流され、田畑
がえぐり取られあるいは塩害で何年も土壌が復旧できない状況では、慣れ親しんできた漁業
や農業で再建の展望を持てる人々も限られるだろう。
こうした先の見えない閉塞した状況に、国と自治体そして産業界が一致協力して、明るい可
能性の窓を明け、未来につながる展望を示すことは急務ではないか。私はつねづね私達はこ
れまでの石炭文明、石油文明を卒業し、これからの世界史を彩る「太陽経済文明」を築く
必要があると考え、また唱えてきたが、今回の東北地方の悲惨な被害は、逆に、そうした
新しい可能性を拓く絶好の機会ないし契機になるのではないか、と考える。折しも、
被災地訪問の際に、懇談した石巻市の亀山紘市長は以前から東北地方に太陽光を活用した
新しい産業をそだてて地域起こしをするとの構想を提唱しておられたことを知った。
亀山市長によれば、とくに石巻は東北地方で一番、日照時間の長い地域で、太陽光活用には
もっとも適しているという。東北部日本は西南部日本にくらべて、冬が長く、雪が多く、気
候が厳しいという通念がある。たしかに日本海側は雪が多く晴天は少ないが、同じ、東北地
方でも太平洋岸は、晴天が多くより多くの太陽の恵みがある。その意味でも東北地方の太平
洋岸は太陽経済都市の構築に適していると言える。
石巻市は、太陽光発電を生かしたまちづくりを掲げ、2009年度から
太陽光発電の一般家庭への普及率を6年間で、2.5倍に増やす目標を掲げ、発電設備設置費用
補助金制度をもうけて推進してきた。完成年度には、全家庭総消費電力量の5%、設置住宅
数2000戸を目指す。公共施設はもちろん、事業者に対しては、メガソーラー(大規模太陽
光発電)施設の誘致を促す。
亀山市長は、震災後、さらに(1)太陽光をはじめ、風力発電、バイオマスなど自然エネル
ギーを活用した地球と人にやさしい低炭素社会のまちづくり、(2)農商工連携による6次
産業育成を核とする地産地消のアグリクラスター基本構想、(3)微細藻類を活用したバイ
オ産業の育成を核とするマリンバイオマスタウン構想の3本柱による、石巻の復興そして
新しい石巻づくりの総合構想を提案している。
私は、この大災害をむしろ奇禍として、東北地方が、これからの日本の進むべき道のパイオ
ニアとしてこの地域に太陽経済都市圏をつくることは、歴史を先導する意義があるのではな
いか、と考える。石巻の未来都市構想はまさにその先駆的役割を果たすように思う。このよ
うな夢のある構想をもつことで東北地方の人々はこれからの営々たる復興の取り組みに希望
とエネルギーを持てるのではないか。
[太陽経済関連産業と雇用の創出]
ここで「太陽経済」という概念を説明しておこう。人々の活動の総称といえる経済の大きな
基本はエネルギーである。19世紀に世界史を大きく書き換えた産業革命は実は石炭エネル
ギーの革命だった。それを主導した英国はその後、150年にわたって大英帝国として世界経
済を支配した。第二次大戦後、アメリカ中心のパックスアメリカーナ体制が構築されたが、
これは実は、石油エネルギーに基づく石油文明の世界経済システムだったということができ
る。近年、そうした化石エネルギーが環境破壊を進めるという反省から、太陽光や水力、風
力、地熱、バイオマスなどを活用した自然エネルギーまたは再生可能エネルギーに注目が集
まっている。そうしたエネルギーを経済活動の基本に据えて経済を運営するしくみを「太陽
経済」と名付けている。私はこの概念を、山崎養世氏とともに提唱して来た。私の提案は、
東北被災地を中心に、太陽ならびにそこから派生するエネルギーを最大限に活用して新しい
経済システムを、新しい都市圏づくりをしてはどうか、ということである。
太陽エネルギーを一口に言っても、実にさまざまなエネルギー源がある。まず、太陽光のエ
ネルギーを直接受けて、それを電気エネルギーに変換する装置が、太陽光パネルであり、そ
れは多くの太陽電池を集合して構成する。太陽電池は電気を蓄積しないので、発生した電気
は用途に合わせて送電するか、あるいはリチウム電池などの二次電池に蓄積する。蓄積され
た電力は、電気自動車をはじめ家や工場のエネルギー源としても活用できる。
最近、世界で大きな注目をあつめて開発され急速に普及しているのが、風力発電だ。これも
風という地球上の空気の流れを電気エネルギーに変換するもので、広い意味で太陽エネル
ギーの変形といえる。スペイン、デンマーク、中国などが近年急速に風力発電の普及をは
かっており、デンマークは国土は狭いが、遠浅の沿岸を利用して膨大な数の洋上風力発電機
を設置して相当量の電力を調達している。
さらに、地熱発電も日本のような火山国には適しており、すでに幾つかの発電所が電力を創
出している。あるいは潮の満ち引きの力を利用した潮力発電もある。バイオマスも有力なエ
ネルギー源である。バイオマスは間伐材や廃材、雑草、など食用や建築などに使わない植物
やその廃棄物などの総称だが、これはたき火を考えれば判るように大きなエネルギー源であ
る。地球の表面積の3割は陸地だが、その半分近くは緑に覆われている。そうした緑は実は
いつでもバイオマスになる資源であり、しかも毎年、緑の葉をつけ、また成長する。おそら
えくこのすべてを効率的に活用すれば人類のエネルギー需要の大半は賄えるだろう。
東北地方の沿岸部にはとくに恵まれた海のバイオマス資源がある。すなわち、沿岸近辺の海
洋に育つ膨大な海藻である。海藻の中には燃料に転換しやすい油分を含むものもあるが、そ
うでなくても、太陽光で乾燥すれば膨大なバイオマス資源になる。海藻は、自然にも繁茂し
ているが、計画的に養殖することも出来る。海岸の土地は狭いが、近海はその何倍も何十倍
もひろい空間であり、膨大な量を養殖し調達することができる。これから大きな可能性のあ
る資源であり、これも太陽の恵みから生まれた資源であり、太陽光エネルギー資源のひとつ
である。
破壊しつくされた東北地方の海岸や港を歩いていて、気がついたことがあった。それは壁の
ある建造物はほとんど津波で押し流され、破壊されているが、柱だけの建造物はしっかり
残っているものが多いということだ。たとえば、鉄塔や鳥居は残っている。竚立した一本松
が残っている例もあった。津波で破壊された漁港や市場、水産工場などの跡を復興する時、
当然、かつてチリ沖地震による津波の経験がその後の防災対策の指針になったと同様に、今
回の巨大な津波に耐えるインフラづくりが基本となるだろう。津波に耐える新しい空間構造
は、ひとつは20mくらいの柱の上に建造物を構築する、あるいは沖合10∼20kmくらいに設
置されたメガフロート(巨大浮体基礎)のうえに構築するなどがあり得るだろう。
社団法人「太陽経済の会」(代表、山崎養世氏)の主任研究員、吉岡洋氏によると、
太陽光パネル敷設のひとつのネックは、広い面積を必要とすること、地盤がしっかりしてい
ること、である。日本の農地の一割近くもある耕作放棄地の活用は、面積の面では有利だ
が、地盤が軟弱なので、パネルに狂いが生ずる難点がある、とされる。吉岡氏は、農地の
表面に展開するのでなく、農地の四隅に基礎のしっかりしたポールを建て、そのうえにパネ
ルを敷設する方法を提唱している。破壊された海岸地区に多くの柱を建て、その上に太陽光
パネルを敷き詰める。太陽エネルギー設備はまさにその絶好の応用例だ。その下の空間は他
のあらゆる用途に利用できる。太陽光パネルがいわば大きな連なる屋根になる。
また、風力発電については、人家の多い日本の陸上では、場所も限られているだけでなく、
風力発電機の振動音などに住民からの苦情が多い。日本よりはるかに陸地の狭いデンマーク
では、近年、遠浅の海を利用して多くの風力発電機を海底の基礎の上に設置して風力発電に
利用している。日本列島沿岸の海は深いところが多く、デンマークのような方式はなじまな
い、とされる。吉岡氏は、日本の得意な造船技術を利用して、メガフロート(海上に浮かべ
る巨大な構築物)をつくって沖合10∼15kmくらいに浮かべ、そのうえに多くの風力発電機
を設置する。台風の際に、漁船が沖合に避難するように、メガフロートは台風も、そして
津波の被害も受け難い。このメガフロートをこの海域の漁業基地、そして海藻の養殖基地に
利用することも考えられる。
太陽光あるいは関連エネルギーは、現在の技術では、大きな空間を使う割には創出できる電
力量はまだ小さい。東北地方沿岸部にさまざまな太陽光発電設備を広大に展開しても、その
地域のエネルギーを賄うにはまだかなり足りないだろう。しかし重要なことは、このような
未来型の施設を大規模に構築し、運営するには多くの労働力を必要とすることであり、それ
がこの破壊された被災地に未来への希望のある多くの雇用機会を提供することになることで
ある。そうした雇用機会は、政府の上記のような政府の復興予算でたとえば1兆円分の
支援事業が行われれば、少なくとも年間10万人相当の雇用が創出されよう。当然、そうし
た大規模かつ国家事業は、民間産業を巻きこんでさまざまな相乗効果と波及効果を
生むだろうから、総合的には年間、数10万人規模の雇用を生むに違いない。
東北地方は伝統的に農業、水産業が盛んで、日本の食料庫といえるような役割を果たしてき
た。近年はそれに加えて、電機、電子、自動車産業の基幹部品の生産基地として、日本の産
業ばかりでなく、世界の産業の部品供給基地の役割も果たしてきた。東北地方の大震災で
それらの部品供給が停止または大きく減少したため、世界の自動車、電機・電子産業が
大きな影響を受けたことが、東北地方が世界の生産基地として重要な役割を果たしてきたこ
とを証明している。こうした産業集積の存在は、技術開発と雇用創出の上で、大きな意味を
もっている。東北地方の復旧、復興の大きな重点が、農業、水産業とこれらの産業集積機能
の回復と発展に置かれるべきことは論を俟たない。太陽経済都市圏構想はそれらを前提とし
たうえでの未来志向構想である。
[自然エネルギー国家志向のシンボル]
東北地方の破壊された沿岸部を中心に太陽掲載都市圏を形成することは、この歴史的大災害
を契機として、日本が新しい未来志向の国づくりに着手したことを世界に誇らかに示すシン
ボルの役割を果たす。宇宙から日本列島を眺めたら、東北地方太平洋沿岸部が、太陽光を吸
収するパネルがその地域を覆う架柱構築物のうえに一面に敷き詰められて燦然と輝いてい
る、といった光景を想像するのも夢があるではないか。
こうした大規模な試みは、すでに世界各地で行われている。
たとえば、アラブ首長国連邦では、自然エネルギーを活用した未来型都市「マスダール・
シティ」が建設中だ。場所は首都アブダビ市から東南東に約17km、アブダビ国際空港近
く。アブダビ未来エネルギー公社(ADFEC)が中心になって2006年から8年計画で建設
中。都市面積は約6.5平方キロ、人口は4.5∼5万人程度となる見込み。1500の事業が拠点を
置き、毎日6万人が通勤する計画。英国の建設会社フォスター&パートナーズが
都市設計を担当し、太陽エネルギーやその他に再生可能エネルギーを利用して持続可能な
ゼロ・カーボン(CO2)、ゼロ廃棄物都市を目指している。
さらに欧州とアフリカ、サハラ砂漠地帯とを結んで、太陽光発電によるエネルギーを
共有しようという気宇壮大な「デザーテック(Desertec Project)」という巨大計画が
2009年から始動。サハラの太陽光エネルギーだけでなく、欧州で風力エネルギーを使える
ところでは風力を使い、オフショア発電をスマートグリッドで結びつけて電力を融通しよう
というもの。ドイツ、英国、フランス、デンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブル
グ、アイルランド、ノルウェイなどが参加。
東北地方の太平洋沿岸部を中心に、太陽経済都市圏が構築されることになれば、太陽経済を
支える多くの産業、企業がこの地域に集積することになるだろう。その集積は、技術開発や
産業発展の相乗効果を生むはずだ。もともと、太陽経済を構成する多くの技術は日本発、あ
るいは日本で発展したものが多い。太陽光発電、二次電池、電気自動車、地熱発電などな
ど。日本は技術開発でリードしたものの、その後の産業化や技術の普及では、欧米や中国な
どにおくれをとる傾向があった。そうした先端技術の普及や産業化は民間企業だけでは力に
限りがあり、国家戦略の後押しが必要である。東北地方の太陽経済都市圏形成計画が国家プ
ロジェクトとして推進されることになれば、それは新しい雇用機会を創出するだけでなく、
多くの産業と技術開発ならびに研究機能が集中し、世界の太陽経済都市形成の重要な核心に
なるだろう。そうした新しい都市圏形成の企画と推進の中枢機能は、例えば、今次被災地域
のほぼ中心に位置し、すでに広域の経済、行政、情報機能などが集積している仙台に置くの
がのぞましいだろう。もし、最近、中央で議論されている復興院(もしくは復興庁)のよう
な組織を設けるなら、その本部は東京ではなく仙台など被災現地の中核都市に置くべきだろ
う。この地域の太陽経済都市づくりはそうした復興戦略の中核になるべきものである。
9. 新しい日本づくり
(秋から年末にかけて発表)
(1)新しい日本の構想づくり
(2)日本と世界の知恵を糾合、国際シンポ、コンペも
(3)自然と共生する太陽経済国家、世界に開かれた活力ある経済
[新しい日本の構想づくり]
今回の東日本大震災の衝撃を、日本の衰退を加速するショックにしてしまうのか、それとも
これを日本の再生への跳躍台にできるのか、の岐路は、これを「新しい日本」を創成する契
機にできるかどうかにかかっている。単に、これまでの日本を復旧する、あるいはその延長
線上で復興をはかるというだけなら、上述したように、すでに衰退過程に入っていた日本は
緩やかにその衰退を進めていくことになるだろう。
上述したように、ここ四半世紀の日本の衰退は構造的要因によるところが大きい。日本の政
治、行政、経済、産業、企業の構造や制度やシステムの多くは、40年前の高度成長期以
来、進化が止まっている。その後の数十年間に、世界でも日本国内でも環境条件は
大きく変わった。環境条件の変化に適切に適応できなかった日本が慢性的な衰退過程に入っ
たのは必然だった。「新しい日本」づくりは、そうした旧時代の制度やシステムを設計しな
おし、構築しなおす、ということだ。その作業は平時ではなかなか容易ではないが、今次大
震災のような有事なら、私達国民がこの歴史的危機の意味を理解し共有できれば、挑戦でき
る可能性がある。すなわち日本はここで生まれ変わる可能性がある。第二次大戦後の廃墟の
中の日本の蘇生も、幕末から明治への日本の再生も、そうした危機意識の共有をバネとして
実現したものである。そうした経験をもつ日本民族が今再びそうした跳躍ができないはずが
ない。
新しい日本づくりの今ひとつの意義は、地球環境や自然との共生である。近年、国際社会の
強い関心は、地球環境問題と新しい自然エネルギーの活用に注がれている。これまでのよう
な石油や石炭などいわゆる化石エネルギーの大量使用による経済発展のやり方が空気中の
CO2の濃度を高め、それが大気圏の温室効果を高めることで、地球上の気温を長期的に高
め、そのことが、生態系、海流、気流など地球上の環境条件を大きく変えつつあり、生物は
人類の生存条件を劣化もしくは破壊しつつあるという問題意識、あるいは危機意識がその背
景にある。
2010年4/20、アメリカ合衆国ルイジアナ州のメキシコ湾沖合80kmでBP(ブリティッシュペ
トロリアム)社の石油掘削施設「ディープウォーター・ホライズン」が爆発、炎上し、海底
1522mへと伸びる深さ5500mの掘削パイプが折れて、海底油田から大量の原油が噴出し、
メキシコ湾全域へ流出をはじめた。流出量は1日15000klと推定。終結した7/16までの総流
出量約78万kl(480万バレル)で、海洋汚染事故としては空前の規模となり、メキシコ湾は
回復不能と思われるほど汚染されてしまった。これは、地球をヒトならば、脇腹から血が噴
出しているような光景に例えることができるだろう。地球は、「もうこのような石化エネル
ギーの採掘をやめてくれ」と叫んでいるのではないか。地球を大切にし、環境を大切にし、
未来に向けて人類が地球と共生していくためには、太陽エネルギーそして再生可能エネル
ギーを活用する自然エネルギー国家、太陽経済国家が求められる。未来志向の自然共生国家
のあり方が志向されるのではないか。
[国際フォーラム、国際コンペのすすめ]
新しい日本づくりにとって重要なことは、それを推進するのはもちろん第一義的に私達日本
人だが、同時に、世界の英知を結集して、より良い構想をつくることである。今回の大災害
であきらかになったことは、それは日本だけの問題でなく、世界全体の安全と安心にかかわ
る問題だということだ。新しい日本像は、これからの国際社会で、ますます重要な意味をも
たざるをえない。世界に深刻な問題を提起した日本が、これからの世界が進むべき方向を示
すような日本に生まれ変わる必要がある。その意味でも、新しい日本づくりは、広く世界に
呼びかけて、多くの専門家や知恵者を招いて、世界の英知を総動員する形で進めることが望
ましい。そのためには、関連する多くの分野で国際フォーラムを開くことも有益であるし、
また戦略課題については国際コンペティションを行うことも、英知を集めると同時に、世界
の関心を集める意味でも有用だろう。世界の英知を総動員することは、新しい日本のありか
たについて国際社会が関心をもち、深くかかわり、それなりの共同責任をもつということで
もある。これからの日本にとって最も重要なことは、国際社会との共存そして地球との共生
である。このことを政治指導者は銘記する必要がある。また、国際社会の英知を糾合すると
言っても、当事者の日本が、国際国家としての日本の未来像に関する考え方を主体的にもっ
ていることが前提条件である。自分の考えなしに他人の意見を聞く事は、むしろ無責任とな
る。この点は、日本の政治指導者はさらに強く銘記しておくべきである。つまり自分の
運命は自分が決める。日本民族の将来を決める責任は自分にある、という自覚が大切だ。
[平和と自然を大切にする太陽経済国家]
これからの日本を太陽経済国家として発展させて行くという提案に対して、太陽経済をささ
える自然エネルギーは、国民経済のエネルギー源としては、微々たるもので、とても国民経
済を運行するだけのエネルギー量にはならない、という批判がありうる。現状ではたしかに
そのとおりである。太陽経済国家の理念は長期目標であり、それへの移行の過程においては
原子力エネルギーも適切に使わなくてはならない。原子力エネルギーは、危険さえ防止でき
れば、効率が高く、クリーンで、安定的なエネルギー源である。日本は全電力供給の約1/4
を原子力エネルギーに依存しており、これからも当分の間、原発は重要なエネルギー源とし
て大切にしていかなくてはならない。
日本は第二次大戦の敗戦による廃墟の中から立ち上がって世界第二の経済大国になり、「も
のつくり立国」として世界経済の発展に大きく貢献してきた。エネルギー戦略においても、
スリーマイル島原発の事故、チェルノブイリ原発の事故などで、世界の電力供給における
原子力利用に疑念がもたれた時代に、日本は緻密で適切な管理体制で地震があっても原発事
故を防止する実績を積み、世界にたいして原発の安全性を訴えるうえで大きな役割を果たし
た。日本のその実績をふまえて、近年では、地球温暖化対策も考慮しつつ、世界各国では
原発を充実させる方向性が採択されはじめていた。
今回の津波による福島原発の大事故は、そうした方向性にふたたび大きな疑義を抱かせるこ
とになった。今回の事故の教訓をふまえて、私達は、原発に一層、安全な管理と運転、そし
て有事の際の危機管理、さらに、放射能汚染問題への対応など、原発を賢明に活用する方法
と体制の格段の整備に努める必要がある。
しかし、それと同時に、長期の未来への方向性として、こうした危険の全くない、自然と共
生する再生可能エネルギーを活用する太陽経済国家を志向することには世界史的な意義があ
る。現在は、私達が利用する電力に占める自然エネルギーの比重はまだまだ小さいが、それ
は方向性としては大きな可能性があり、また、これからの国際社会における日本の在り方と
しては大きな意義のあることを認識しておく必要がある。
現状の日本では、太陽光発電をはじめ、もろもろの自然エネルギー発電を総合しても、それ
は日本の総電力の2%程度である。日本は太陽光発電や自然エネルギー関連の技術開発では
世界をリードしてきた実績があるが、それにもかかわらず現状では、太陽光発電や自然エネ
ルギー発電の利用と普及について多くの国々に遅れをとっているのは、利用と普及について
国家戦略的な努力が欠けているからにほかならない。たとえば、太陽光発電は日本は世界に
先駆けて開発し1990年代初頭から2000年代初頭までは世界シェアトップだったが、2000年
にFIT(Feed in Tariff:自然エネルギー自家発電電力買い上げ政策)を実施したドイツが
2004年にFITの買い上げ条件を飛躍的に高め、また日本が補助金を停止した2005年頃から
日本のシェアは低下しつづけ、最近ではアメリカ、スペイン、韓国の後塵を拝する状況であ
る。風力発電も日本は技術開発で先行したにもかかわらず、その普及ではアメリカ、ドイ
ツ、スペインに大きく水を空けられ、急速に普及している中国、そして国土が日本よりはる
かに狭いデンマークよりも普及が遅れている。リチウム電池など第二次電池では、日本はか
つて断然世界をリードしていたが、近年ではサムスンなど韓国勢に追いつかれている。電気
自動車も日本は開発で先行していたが、最近はアメリカ、中国などの発展がめざましい。
日本に追いつき、追い越した国々は、買い上げ政策、税制、資金供給、インフラ整備などの
面で国家的は重点戦略として、自然エネルギーの利用と普及を促進してきた。
しかし、逆に、この事は日本が国家戦略として太陽光をはじめ自然エネルギーの利用と普及
を推進すれば、現状の何倍もの発展と普及を実現できるということを意味している。この点
で、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也氏の所説(「3.11後のエネルギー戦略ペーパー」
2011年3月23日」)は、現実的で重要な見方を提供している。飯田氏は、「世界の自然エネ
ルギー活用の急速な流れから日本は取り残されていた。今回の原発事故は日本がその流れの
先端に立つ好機となる。自然エネルギーの普及は短期間で進みうるので、震災復興の経済刺
激、エネルギーリスクや温暖化対策としても有効。小規模分散技術の特徴として普及するほ
ど性能が上がり、安くなる性質があるので、過去の10年よりこれからの10年の方が普及の
ペースも早く、導入費用も安くなる。参考事例としてドイツは電力に占める自然エネルギー
比率を、過去10年で6%から16%に高めたが、今後の10年でさらに35%に高める目標。さら
に2050年には電力エネルギーをすべて自然エネルギーで賄うシナリオを政府は描いてい
る。日本も、現在のおよそ10%の自然エネルギー比率(水力を含む)をこれからの10年で
30%まで高めることを提案する。この比率は省エネの進む2020年の電力量をベースにする
と37%に相当し、実質的にドイツを超える目標となる。」
そうした努力を進めることで、世界の先行例が示すように、太陽光など自然エネルギーがし
だいに電力供給の重要な部分をしめるようになり、再生可能な自然エネルギーの役割は夢物
語ではなく現実的な戦略課題となっていく。重要なことは、そうした太陽経済国家あるいは
自然と共生する経済という戦略選択の方向性を明確にしめし、国際社会に未来志向の日本の
努力を理解してもらうことなのである。
世界には、電力などのエネルギーの軸足を、本気で再生可能な自然エネルギーに移そうと
自然エネルギーの開発と利用を進めている国々がある。たとえば、デンマークは風力発電
を大規模に展開している。同国の風力発電は1999年末には、国内消費電力の10%を担うま
でに成長した。現在、世界で最も風力発電設備を保有している国はドイツ。デンマークは第
三位。しかし、国民一人当たりでは約300wでトップ。日本はわずか0.4wだから1/800の開
きだ。デンマークはさらに2030年までに沿岸4ヶ所に4000mwのウィンドファームを建設す
る計画を進めている。沿岸から数kmはなれた洋上に、1基150kw以上の大型風車を毎年80
∼100基建設する計画。この計画が完成すると、国内電力消費量の50%をまかなうことに
なる。
また、ニュージーランドは、歴史的に水力発電が主体だったため、再生可能エネルギーの
比率は高かった。2009年の発電能力は9486mwで、うちわけは再生可能エネルギー
6528mw、化石燃料2958mw。2007年9月、ヘレン・クラーク首相は「2050年に向けた
ニュージーランド・エネルギー戦略」のエネルギー国家目標として2025年までに再生可能
エネルギーによる電力供給を90%にすると発表。電力需要は2025年までに20%増えると
予測されており、目標達成のためには新規発電所投資のほとんどを水力、地熱、太陽光など
再生可能エネルギーに振り向けなければならない。これらの例は、小国で、日本の参考には
ならない、という見方もあり得るかもしれない。しかし、国家が懸命に、地球と共生し、温
暖化ガスを排出せず、放射能の危険もない人にやさしいエネルギー構造への転換をはかり、
かつ現実に推進している姿は、GDPの大小とは別に、私達も真剣に学ぶ必要があるのでは
ないか。
飯田氏はこうした考えに基づき、野心的なエネルギーシフトの目標を立てることを提案して
いる。その戦略で「自然エネルギーとそのインフラの整備、省エネ・節電などで、控えめに
見ても50兆円もの投資が期待でき、格好の震災復興事業になるほか、縮小する原子力の
代替電源になるほか、温暖化対策、石油・石炭エネルギーの価格変動リスクを縮小できる」
飯田氏の中長期的シナリオ
2010年推計 2020年目標
省エネ・節電 20% 電力量を1兆kwhから8000億kwh台へ
自然エネルギー 10% 30% 2020年の電力量の37%
原子力 25% 10% 同上 13%
天然ガス 25% 25% 同上 32%
石炭・石油 40% 15% 同上 18%
また、石化エネルギーは、世界の限られた産出地域に集中して偏在する傾向があることか
ら、石炭経済時代あるいは石油経済時代には、その奪い合いで、戦争が耐えなかった時代で
ある。太陽光は地球上に偏在することなく降り注ぐ。専門家の推計では地球上に降り注ぐ太
陽光エネルギーの1.7%を活用できれば、現在の地球上の約67億人の人類の生活を賄う事が
できるという。言い換えれば、太陽経済国家は戦争を不要とし、地球を大切にする平和と自
然共生国家の思想なのである。
[世界に開かれた活力ある経済]
これからの未来に向けて「新しい日本」を創っていくうえで、今ひとつの重要な柱は、世界
と共存する世界に開かれた国である。今回の大震災を経験して、日本が国際社会との互いの
協力関係をつうじてなりたっていることがあらためて明らかになった。世界史的な災害を
被った日本にたいして、その後、世界のほとんどの国々から、そして多くの団体や個人から
激励と支援が寄せられた。被災者の方々はもとより、被災した日本の国民はこうした国際社
会の支持を知っていかに元気づけられたことか。とりわけアメリカは、米軍の機動力を生か
して被災地域の救援や、原発の大事故で苦闘する日本の当局に対して、貴重で強力な支援を
提供した。原発大事故は、いまや、日本の事故の域を超えて、世界の安全と安心の面から大
きな関心事となっており、この面での迅速、適切な情報共有が欠けると、それは日本の国際
的な信用にかかわる事態となっている。一方、震災で日本の得意とするサプライチェーンは
大きく傷つき、国内ばかりでなく世界各地の生産活動を阻害した。これは経済、産業の面で
も、日本と世界がいかに相互に深い依存関係にあるかを明白に物語る。大震災は、日本に
とって国際社会との共存、協力がいかに重要で日本の生命線になっているかをあらためて教
えてくれた。
これは、グローバル化する世界で、日本のみならず各国の相互依存がますます密接になり、
深まっていることの反映でもある。グローバル化は情報通信技術(ICT)の進展と密接に関係
している。インターネットなどICTの飛躍的な発展と普及によって、世界の企業や人々はど
この居ても、世界各地で何が起きており、企業は何を提供しているか、などを容易にしかも
瞬時に理解できるようになった。企業は世界でもっとも優れた資源を組み合わせて生産活動
をし、もっとも有利な市場で売る。人々も情報を媒介に、世界のどこからでもモノを買い、
また訪ねることができる。このような世界では、国や企業の競争力はかつてとは大きく変わ
る。かつては、技術を磨き、効率的に生産し、戦略的に世界に売れる力が国の競争力だっ
た。日本がいわゆる高度成長時代に世界が刮目するほどの発展を遂げ得たのは、そうした競
争力を鍛えたからだった。しかし、今は違う。グローバル化した世界では、世界の人々、企
業あるいは団体から選ばれる能力、もっというなら魅力、が競争力になる。
世界の人々や企業から選ばれるためには、国は開かれていなくてはならない。世界の人々か
ら、訪ねてみたい、住んでみたい、仕事をしてみたい、企業からは投資をしたい、生産をし
たい、と思われる国が高い競争力をもつ。そのためには、情報が透明であり、市場が開放的
であり、環境条件が魅力的でなくてはならない。
日本は今回の大震災で深刻な打撃を受け、経済活動は大きく阻害されたが、実は、前述した
ように、そのはるか前から経済は衰退過程に入っていた。その最大の理由は、経済、社会、
行政、政治など、日本を形作る多くの仕組みや構造が、古くなっており、新しい時代の要請
に応えていないことである。日本は1960∼70年代の高度成長時代にめざましく発展した
が、日本のシステムは、大成功したその時代のままで化石のように止まっており、それから
40年以上も経っているのに、新しい時代の新しい環境条件に適合していない。国内のしく
みだけでなく、日本経済が世界に対して開かれていない、という意味でも日本はグローバル
化の流れに大きく遅れてしまった。日本の企業は海外に積極的に投資しているが、海外から
受け入れる直接投資は驚くほど少ない。現状では、欧米など先進国にくらべても、中国など
新興国にくらべても外国からの直接投資の受け入れは桁違いに少ない。いいかえれば、日本
は世界に対して実態上、閉鎖国であり閉鎖経済になっているのである。
日本のこれからにとって最大の問題は、人口縮小と高齢化という大きな構造変化にどう取り
組み、どう乗り切っていくかということであろう。世界に開かれた国づくりはそのための
もっとも重要な戦略である。どんなに高齢化しようが、どんなに人口が少なくなろうが、
日本が世界の人々や企業に取って魅力的であり、充分に開放されていれば、日本は海外から
資金、人材、技術、経営力などを取り入れて活力を維持もしくは増進できる。それは同時に
世界と日本との相互依存の絆を強めることにもなる。開放と活力と安全保障は一体なのであ
る。
日本の制度や仕組みを改革し、日本を開放することには、既得権構造を解体することにつな
がるため、常に強い抵抗があった。しかし、上述したように、日本は太平洋戦争での敗戦
後、あるいは幕末から明治への体制変換期に、自らの力と勇気でそうした歴史的な転換と
自己改革を成し遂げた実績がある。今回の歴史的は大震災は、私達日本人に、これからの子
孫のためにどのような国を残せるかという意味で、画期的な自己改革の機会を提示している
のではないか。
あとがき