「手紙」 ヨハネの手紙第Ⅰの学び ヨハネの手紙第Ⅰ4:1

「手紙」
ヨハネの手紙第Ⅰの学び
ヨハネの手紙第Ⅰ4:1-12
はじめに

Journey to Freedom 2の学びが8週間後の9月26日から始まります。

是非スモールグループへ参加するかホストになってください。

Journey to Freedom 2 の学びのために祈り始めてください。
祈りましょう
ユリーカ! ユリーカとは「見つけた!」という意味の、とても簡単なギリシャ語の言葉です。ユリーカは現在英語
で時々使われ、何かを見つけるのに成功したことを表します。この言葉が最初に米国で使われたのは、1850年
代半ば人々が一獲千金を夢見てカリフォルニアに押し寄せた、有名な「カリフォルニアゴールドラッシュ」の時の
ことでした。
金を見つけた人は、一瞬にして富を得たことを意味する「ユリーカ!」または「見つけた!」と叫びました。しかし、
彼らはまもなく、金のように見えるものすべてが本当の金であるとは限らないことを知ったのです。そして数年後
の1879年、アーカンソー州の北西部にユリーカ・スプリングスという町が建設されました。
ユリーカ・スプリングスは現在7階建てで910トンある、「オザークスのキリスト」と呼ばれるイエス像で有名です。
オザークスというのはその地域の小さな山脈の名前から来ています。何年も前、ジュディと私と当時小学生だっ
た娘たちは、ユリーカ・スプリングスを訪ね、有名な野外で行われるキリスト受難劇(イエス・キリストの生涯のラ
イブ演劇)に出席しました。ユリーカ・スプリングスの町はいくつかの温泉の周辺に建設され、かつては癒しの水
が入っていると考えられていました。おそらくその理由によって、魔法の水を「見つけた!」という意味のユリー
カ・スプリングスと町の名前が付けられたのです。
大切なのは、カリフォルニアでは金の採掘者は本当の金と黄鉄鉱の違いを見分ける検査法を開発する必要が
あり、アーカンソー州ユリーカ・スプリングスでは温泉が癒しの効能があるものか単に入浴やリラックスのための
ものか見極める検査法も必要であったと私は思います。
大切なのは、信仰の観点から見ると、みなさん一人一人がクリスチャンとして、しばしば自分が、カリフォルニア
の黄鉄鉱を見つけた金採掘者や、アーカンソー州ユリーカ・スプリングスの魔法の泉で癒されたいと願う病人に
似た立場にいるかもしれないということです。
日本でイエス・キリストへの真の信仰を持とうとすると、さまざまな障害に直面します。人間の手よって造られた
障害もあれば、文化的な障害もあるかもしれません。例えば、ノン・クリスチャンの方があなたにこう言ったことが
あるかもしれません。「イエスは好きだけど、仏陀も好きです」またクリスチャンだと言いつつも、「イエスは天国に
pg. 1
行く唯一の方法ではない」という人に会ったことがあるかもしれません。またイエスを信じる本当のクリスチャンと
言いつつも「セカンドチャンス論」を信じている人もいます。それは、人には死後でさえ、イエスを信じ天国に行くチ
ャンスがもう一度あると信じる考え方です。このような信仰は間違っていて、聖書には書かれていません。
また、日本では、世界の他の国々のように、多くの異なるものを信じる宗教がたくさんあります。大切なのは、さ
まざまな宗教、宗教に関する質問、宗教を教える教師に出会ったときに、本物と偽物の違いを言える準備を常に
しておかなければいけないということです。
今日はヨハネの手紙第Ⅰの学びを続け、特に4章1節から12節に焦点をあて、これら12節で2つのことをお話し
たいと思います。
1. どのように霊をためすか(どのように宗教や教師をためすのか)
2. イエス・キリストの排他性
聖書箇所
第1ヨハネ4章1節から12節 (新改訳)
DVD聖書箇所
1. 愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしな
さい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
2. 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさ
い。
3. イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなた
がたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
4. 子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方
が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。
5. 彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。
6. 私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私
たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。
7. 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生
まれ、神を知っています。
8. 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
9. 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛
が私たちに示されたのです。
10. 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を
遣わされました。ここに愛があるのです。
11.愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
12.いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちおられ、
pg. 2
神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
ヨハネの手紙第Ⅰの学びを続けていく中で、皆さんはヨハネが同じことを何度もくり返し言い、それが強調のため
であるのに気付いたことと思います。思い出してください。ヨハネは人々に話さず、むしろ手紙を書き送ったので
す。ヨハネは、自分の伝えようとしていることを、手紙を読む人が誤解しないようにしたかったのです。みなさんも、
ヨハネがこの手紙を通してイエス・キリストを信じる本当の信仰をもっているかを知るテストを与えている ことを
思い起こしてください。
第1ヨハネ4章1節から6節では、私たちは聞くことすべてを信じることはできない、と知ることがとても重要である
とヨハネは考えています。すべての宗教のすべての教師を信じることはできません。すべてのキリスト教説教者
やキリスト教伝道師や教師を信じることはできません。
最初の6節の主題は霊をためすということです。
神の代弁者と主張する人や、この世に解き放たれた預言を取りつぐ力を持つと主張する人たちをすべて信じるこ
とはできません。
ヨハネは、私たちクリスチャンに、真理と偽りを見分けられることが必要だと語っています。1節でヨハネはこう言
っています。 メッセンジャー(説教者)をためしなさいという命令です。
「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさ
い」(新改訳)
リビングバイブルの第1ヨハネ4章1節を見てみましょう。
「心から愛する友よ。だれかが『これこそ神様の教えです』とふれ回っても、それをうのみにして、何もかも信じて
はなりません。まず、それが確かに神様からでたものかどうかを、試しなさい。多くの偽教師があちこちに現れて
いるからです」
これはためしなさいという命令です。ためす理由が書かれた、1節の後半部分に注目してください。いいかえると
なぜためすのですか?
「なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです」(新改訳)
ポイント1をお話します。
1.どのように霊をためすのか
これは、第1ヨハネ4章1節から6節からのヨハネの指示に従えばとても簡単です。2節に1番目の方法が書かれ
ています。
pg. 3
方法1(2節)
イエス・キリストが神から来た方であり、神であることを告白する。
この一番目の方法の根拠は、第1ヨハネ4章2節です。
「人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです」(新改訳)
「彼らのことばが聖霊様から出たものかどうかを確かめる方法があります。つまり、神の子イエス・キリストが、現
実に生身の人間となられたことを、その人が認めるかどうかで決まるのです。もしそのことを認めるなら、彼のこ
とばは神様から出たものと信じていいでしょう」(リビングバイブル)
これは、イエス・キリストが人として来られた神であるとある人が言って認めるとき、それは神の真理であることを
意味しています。イエスは人々が、人間の肉体の形をとった神としてのイエスを受け入れるか、この真実を拒否
するかをテストするリトマス試験紙のようなものであるといえるでしょう。
重要なポイント
イエスを神として主として受け入れることは、信仰をためす最初の方法です。
ルカ10章16節でイエスはこう言っています。
「わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です」(新改訳)
大切なのは、もしみなさんが、またどんな人も、真実で生ける神としてのイエスを拒絶するなら、神をも拒絶して
いることになります。キリストを拒絶している人はだれでも神を拒絶しているのです。言い換えると、「私は神を信
じているけれども、神としてのイエス・キリストや、神に通じる唯一の道としてイエス・キリストは信じない。」 それ
は神も拒絶していることになります。すべての宗教は同じ神を礼拝していると考えている人は多いですが、これ
は正しくありません。間違った考え方です。
イエスはヨハネ14章6節でこう言いました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してで
なければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(新改訳)
そして、ヨハネは第1ヨハネ2章23節でこう言っています。「だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を
告白する者は、御父をも持っているのです」(新改訳)
私は他の宗教に対して失礼にならないようにと思っています。私は日本に多くの寺や神社に行く人たちがいるの
を知っています。モルモン教やエホバの証人もいます。彼らはみな信仰において誠実です。しかし、これらの人
たちは、イエス・キリストの神性を信じないならば、神を全く知らないのです。それはイエスが神であり、彼らは神
pg. 4
としてのイエスを拒絶しているからです。 言い換えると、 人はどのようにして知らない人や拒絶する相手と関係
を築くことができるのでしょうか?
方法1(2節)を覚えておいてください。
イエス・キリストが、神から来た方であり、神であることを告白する。
方法2 (4節)
クリスチャンとして、皆さんは自分の内側に聖霊という神のいのちを持っています。
この2番目の方法の根拠は、第1ヨハネ4章4節です。
「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、
この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです」(新改訳)
重要なポイント
クリスチャンとして、皆さんは聖霊の所有者であり、運び手なのです。
言いかえると、実際皆さんは自分の中に、聖霊と呼ばれる神のいのちを持っているのです。ですから、その方法
は、もしイエス・キリストを通して以外に神につながる方法があるという人がいたら、皆さんは次のことを考えてく
ださい。「この人は神の聖霊を持っているのだろうか?この人は神をたたえる生活をしているだろうか?この人は
神が送った人だろうか?」
これが、その人が正しい神の代弁者か偽者か判断する簡単な方法です。
第1ヨハネ4章1節から12節からお話したい2番目のポイント
2. イエス・キリストの排他性
最近米国で誇張されて使われているのは「包括的」という言葉です。福音的なクリスチャンを攻撃する人たちが
いて、彼らは「あなたは包括的な(すべてを受け入れる)態度が必要だ」と言います。ですので、今私はこの2つの
言葉「排他的」と「包括的」についてお話したいと思います。
そのために、どうぞ注意して聞いてください。クリスチャンと呼ばれるイエス・キリストに従う者であるための、とて
も特徴的な点をお話しましょう。他のすべての宗教と全く違います。私たちクリスチャンが他と異なる主な点は、
「排他的である」ということです。この言葉を使って、こう結論づけることができるでしょう。神を知る唯一の方法は
pg. 5
排他的な信仰によるのです。それは、イエス・キリストの死と復活を信じる人たちのためにだけ特別に用意され
ているのです。
重要なポイント
イエス・キリストを信じる者として、皆さんは排他的なのです。皆さんは神によって選ばれた特別な存在なので
す。
多くの人たちはクリスチャンになることに関して、自分が賛成できることだけ聞きたいと思っています。愛とか平和、
親切や同情のようなことです。それらは誰もが望み願い、賛成することができることだからです。しかし、イエス・
キリストに従う者になることには排他性がともなうのです。それによって、多くの人はこう言うでしょう。だれかが
皆さんにこう言ったことはありませんか?「なぜクリスチャンになるのが難しいか教えてあげましょう。あなたたち
クリスチャンは、誰を受け入れるかに関して排他的だからです」 そしたら私は「アーメン!」と言います。
これは本当でしょうか?第1ヨハネ4章1節-12節から、キリスト教と他の宗教の違いをお話しましょう。
第1ヨハネ4章1節-12節から3つの点
1. イエスの救いの起源
2. イエスの救いの目的
3. イエスの救いの方法
ひとつずつ見ていきましょう。
1. イエスの救いの起源
2節「人となって来たイエス・キリスト」(新改訳)
「来た」という言葉に注目してください。これは、イエスがこの世に存在する前にどこかにいた、という意味です。
例えば、私が「今日初めてTBCに来られたゲストの方々がたくさんいらっしゃいます」と言います。この場合、「来
られた」という言葉は、ゲストの方々がここにいらっしゃる前にどこかにいたことを意味します。世界の宗教どれひ
とつとっても、その創始者は人間だけなのです。この世に生まれた男性か女性なのです。
注目してください。これはイエス・キリストだけにみられる特徴的なことです。イエスはこの世に誕生する前に、「こ
の世に来られた」のです。これはキリストを排他的にします。
第1ヨハネ1章1節「初めからあったもの(イエス)
とともにあった。ことばは神であった」(新改訳)
pg. 6
」、ヨハネ1章1節-2節「初めに、ことばがあった。ことばは神
重要なポイント
神はこの世に来られ、その名はイエス
第1ヨハネ4章1節-12節から2つ目の点は
2. イエスの救いの目的
2節に再び注目してください。
「人となって来た」
なぜこのように言っているのでしょうか?「人となって来たイエス・キリスト(を告白する霊はみな)神のものです」
これは、キリスト教と聖書的信仰が他のすべての宗教と完全に異なることを示すもう一つの方法だからです。こ
れがイエス・キリストが排他的である理由です。東洋の宗教では、救いの目的は、人が肉体を離脱し肉体から解
放されることで、これがある意識のレベルである寂滅または離脱の境地に達するときに起こり、世の中を克服し
天国に行くと教えています。
西洋の宗教では、良い人間で、道徳を守り、良いことをたくさんすることによって、この世を克服し天国に行くこと
ができると教えています。
本当のキリスト教は、イエス・キリストの誕生の時に神が肉体を受け取り、イエス・キリストの復活の時に本当の
信仰を通して、贖いと救いを受けることができると教えています。
「神のもとから人となって来た」イエス・キリストの誕生、人生、死、復活の目的は、まさに贖いと救いを与えるた
めです。言い換えると、(これを見てください)、イエス・キリストの死と復活はすべての人の救いにとって排他的な
のです。他の宗教が救いの話をするとき、「救いの意味とは何か、救いを得るためにどうするのか」を必ず具体
的に直接尋ねるべきです。
第1ヨハネ4章1節-12節からの3つ目のポイント
3. イエスの救いの方法
重要なポイント
神の恵みによる救いの方法は、聖書的な救いにのみあるのです。
pg. 7
他のすべての宗教は、もし救いがほしいのならば、このようなことをしなければならないと教えています。その宗
教の神を愛し、人を愛し、家族を愛し、隣人を愛し、良い行いをしなさい。もしその宗教の神が(あなたがそれらを
する以上に)あなたのこのような行いを見たら、その宗教の神はあなたに救いを与えるでしょう。
言いかえると、あなたの救いはあなた次第であり、(その宗教の)神次第ではないのです。
重要なポイント
聖書はそのように言っていません。
聖書の箇所をいくつか見てみましょう。
第1ヨハネ4章10節「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物
としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(新改訳)
ローマ8章1節「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」
(新改訳)
第2コリント5章21節「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方に
あって、神の義となるためです」(新改訳)
ローマ5章8節「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神
は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(新改訳)
重要なのは、ヨハネの手紙4章2節の最初に戻って、神はイエスとして来られ、罪人のため、神を愛していない人
たちの身代わりとなって死なれたということです。罪の中に生きている人たちのために死なれ、不道徳な人たち
のために死なれ、イエスを憎む者たちのために死なれました。聖書にはこう書かれています。「私たちがまだ罪
人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった」(新改訳)
ポイント: キリストは唯一の救い主なので排他的なのです。
イエスはただ単に良い人だったというのではなく、ただ教師だったというのでもなく、ただ預言者だったというので
もありません。私たちにどのように生きるべきか、何をすべきか、これこれをしたら救われると教えてくれたのでし
ょうか。違います!それは全く聖書的な救いではありません!
覚えておいてください
イエス・キリストは、あなたの救いのために、十字架で死なれ、葬られ、復活された、人となられた神なのです。
pg. 8
第1コリント15章3b節から4節「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬ら
れたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、」(新改訳)
ここに恵みの大切な点があります。
イエス・キリストはあなたの代わりに死なれた。
覚えておいてください
神のあなたの救いの為のご計画は、恵みによるもので、あなたの救いのための神の方法は、イエス・キリストに
ある信仰を通してなのです。
これらの3つのことは聖書的救いの特徴です。他のどの宗教もこのような救いを勧めません。
1. イエスの救いの起源
2. イエスの救いの目的
3. イエスの救いの方法
これに注目してください。皆さんが「互いに愛し合いなさい」「神は愛です」と愛についてたくさん書かれた第1ヨハ
ネ4章7節-8節だけを読むならどうなるでしょうか。誰でも愛がほしいのです。愛し、愛され、愛について語ると気
分がいいので、多くのノンクリスチャンは第1コリント13章を好むのです。その有名な「愛の章」は、愛について語
っているので、ノンクリスチャンの結婚式で引用されます。重要なのは、誰もが愛を好むけれども、罪について語
りたい人はほとんどいないということです。イエス・キリストは皆さんと皆さんの罪のために十字架で死なれました。
これは愛を表す最高の例です。
第1ヨハネ4章9節-10節は私たちに本当の愛について語っています。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が
私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの
供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(新改訳)
これは皆さんのための神の愛のご計画であり、完全に恵みによるのです。というのも、聖書によると、皆さんは
人生で成功したから救われるのではなく、神の恵みによるからです。聖書的救いは排他的なのです。
重要なポイント
すべての宗教で信じられているのは、自分の行いや人生の成功によって救われることであって、神の恵みによ
pg. 9
るものではありません。
聖書的救いは、学歴や知恵、成功によって与えられるのではなく、イエス・キリストにある信仰を通して神の恵み
によって与えられるのです。これが、聖書的救いを受けるためにイエス・キリストが排他的である理由ですが、す
べての人が対象なのです。聖書的救いにおいて、男性と女性、国籍や文化、言語や経済状況、教育や役職にお
ける差別はありません。
聖書的救いについての重要なポイント
イエス・キリストは排他的だが、すべての人が対象なのです。
聞いてください。もしイエスを信じることが排他的だと思われているのならば、特によく聞いてください。イエスは
すべての主であるというのは排他的ではなく、実際には包括的なのです。イエスの時代、ユダヤ人は排他的でし
た。ギリシャ人やローマ人は排他的でした。金持と貧乏人は決して同じ場所にいませんでした。民族は別々に暮
らしていました。しかし、イエス・キリストを主と信じるならば、これらの障害はすべて崩れ去りすべての人は神の
国に歓迎されるのです。
今日これは神のご計画であり、それは神の恵みによるのです。なぜなら神は皆さんを愛され、神の救いの方法
は排他的な一人のお方イエス・キリストにある信仰を通してであるからです。そして、第1ヨハネ4章をとても注意
深く読むならば、本当の愛は、十字架のイエスであることがわかるでしょう。イエスは、ご自分を愛さない者を愛し、
ご自分を裏切るものを赦され、ご自分に敵対し憎む者に犠牲をもって仕えられたからです。
皆さんに理解していただきたいことは、イエス・キリストに真に従う者であることは排他的であり、そのために必要
なことは、信仰を告白し、主であるイエス・キリストを通してのみ救いが与えられることを信じることです。
重要なポイント
キリスト教は信仰に至るまでは排他的ですが、信じる人は結果として世界で最も包括的な(あらゆる人たちを受
け入れる)人々のグループの一員となるのです。
その例はTBCです。
この考えについてきてください。
皆さんが宗教を探しているとしましょう。皆さんは、
道徳的な宗教を、自分の生活に取り入れます。そうすると、不品行な人たちに優越感を感じるでしょう。
pg. 10
どんなものも受け入れる宗教を、自分の生活に取り入れます。皆さんはすべての人を受け入れます。クリスチャ
ンと呼ばれる排他的な人たちを憎むほどに優越感を感じるでしょう。
この世的な宗教や無神論を自分の生活に取り入れます。そうすると、自分とは違う人すべてに優越感を感じるで
しょう。
物質主義を自分の神とします。そうすると、自分より所有物が少ない人に対して優越感を感じるでしょう。
学歴や人間的な業績を自分の神とします。そうすると、すべての人に優越感を感じるでしょう。
イエス・キリストの福音を自分の人生に取り入れると、自分を排除してきたすべての人たちを愛するようになるで
しょう。信じない人たちに対して謙遜になります。信じない人たちを愛し仕えたいと思うようになります。自分を愛
さない人を愛し、自分を愛さない人を赦すならば、皆さんはイエス・キリストの本当の愛を表しているのです。
第1ヨハネ4章12節「いまだかつて、だれも神を見たものはありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私
たちのうちおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです」(新改訳)
皆さんが今日ここにクリスチャンとして集っていらっしゃるなら、神の愛がご自分の中で完全になるようにしなけ
ればなりません。あなたのリストに書かれたノンクリスチャンのために、あきらめずに祈りましょう。2人のノンクリ
スチャンのために祈り続けましょう!
ガラテヤ6章9節「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」
(新改訳)
もしあなたがノンクリスチャンとして集っておられるならば、何を待っているのですか?なぜイエス・キリストを主と
して信じることを遅らせているのですか?
救いのため、またはどんなことでも一緒に前で祈りましょう。また、外のゴスペル・テントでは、皆さんと一緒に皆
さんのために祈ろうと待っている人たちがいることを覚えておいてください。
祈りましょう。
デニス・フォールズ牧師
東京バプテスト教会
2009年6月20日&21日
pg. 11