太極拳に関する社会学的研究キーワード：太極拳，伝統文化，価値所属行動システム専攻氏名１．背景太極拳は、今日まで３百年ほどの歴史を持っている。王陽治、社会、文化、教育などの変化は太極拳に影響を及ぼさないわけには行かないのである。太極拳は最初に陳家溝という村でのみ伝習されていたが、時代の変遷とともに、陳家溝から出て、人々に知られる２．研究目的ようになっていった。その伝播の過程において、太極拳本研究は、太極拳の歴史を遡って、太極拳が生まれての健康増進作用は次第に重視されるようになり、養生とから今までの三百年の間に行われた変化を検討し、以下結びつけられるようになった。民国時代になると、政府のことを明確にすることにしたい。側と民間の武術組織の努力によって、太極拳は中国の幅１、目的(価値)の変化。太極拳練習者はどういうよう広い範囲に伝わっていく。新中国が成立してから、太極な目的で太極拳を行ってきたのか、その変化を捉える。拳の発展は文化大革命の影響で一度停止したけれども、２、伝統文化とされている太極拳は、他のどのような改革開放以降は全面的な繁栄を迎えた。太極拳を代表と伝統文化と関係しているのか。する伝統武術も現代スポーツと同じように、競技化の道３、太極拳の伝播。太極拳はどういうふうに広がってを歩むようになった。この競技向けの太極拳に対して、いったか。この中で政治や経済とどのような関係を持っ一般民衆向けの太極拳は国民の健康作りに大きな役割をているかが明らかになる。果たした。太極拳は中国国内だけではなく国外にも伝えられ、世界中における健康法の一つとして有名となった。太極拳に関する研究はたくさん行われてきた。日本に３．研究方法本研究は、文献資料の内容分析による。中国国家図書館おける太極拳の研究が生理学的研究が多いのに対して、と日本の図書館にある太極拳に関する資料、論文と書籍、中国で行われた太極拳の研究は、それ以外にも、太極拳体育政策、武術史、教育史、などに関するそれらを集め、の教学、拳理、発展・現状や伝統文化との関連等に関す内容を検討した。る研究もあるのが特徴である。両国とも太極拳の健康増進作用に関する生理学的研究が最も多い。例えば、『太極４．結果拳が脳活動に与える影響』、『進行期・末期変形性股関節 1.太極拳の価値(目的)の変遷症患者における太極拳を用いた下肢筋力訓練の効果』、太極拳の起源については、唐代の許宣平造拳説、陳卜『太極拳及びカンフー体操を取り入れた転倒予防トレー造拳説、蔣発造拳説、張三峰造拳説、陳王廷造拳説等がニングの体力低下高齢者の体力に及ぼす効果の検証 : あって、不明なところはまだ多い。その原因は、昔から従来型転倒予防トレーニングとの比較』などの生理学的近代までの武術の伝承方法の特徴に求められる。中国の研究がある。ほかに『高校太極拳教学中実施体操式教育武術は身を守る道具として、その核心的な技術を他の人法的応用研究』、『陳式太極拳国際競賽套路動作的技撃性に知らせることができないという流派の保守性があり、分析』、『太極拳：中国芸術体現詮釈』、『広州市社区太極その伝承も大体口頭伝承という形で、文字の記録がほと拳活動的現状及対策研究』、『太極拳的来源和中医学的共んどなかった。現在では、陳王廷造拳説が最も有力だと性』のような太極拳の教学、技術、現状、太極拳の源流されている。太極拳は最初に陳家溝という村でのみ伝習及び他の学科との関係に関する研究などある。しかし、されていたが、時代の変遷とともに、陳家溝から出て、太極拳の発展の流れにしたがって、太極拳そのものの価人々に知られるようになっていった。太極拳は、その伝値の変化を文化的、政治的、経済的背景の中でとらえた播につれて陳、楊、武、呉、孫の五つに流派に分かれ、研究はない。それぞれの流派は独自の特徴を持って発展し続けている。この三百年の間に、太極拳の技術の変化はもちろん、その価値も時代とともに変化していると思う。経済、政社会的、経済的変化等の影響で太極拳を練習する目的も変化し続けている。その目的の変化は主に五つの段階に分けることができる。会的交際などの価値も現れた。１).攻防技術中心明の末期(17世紀前半)では、内にあっては李自成の反乱、外にあっては清軍の侵略といった内憂外患次々に生じる大動乱期であった。清の前期(17世紀後半–1840年) 2.太極拳と他の伝統文化との関係中国伝統文化である太極拳は、中国の「古代哲学」、「儒家思想」及び「養生」と結びついている。にも、各地で様々な抗清運動が絶え間なく起こったので太極拳の「太極」は古代哲学の一つの概念である。『易ある。このような社会の動揺と反乱の中で、不安を感じ伝・糸辞』に、｢易有太極、是生両儀、両儀生四象、四象た農村の大家族は自分の利益を守るために、家族が武術生八卦｣とある。それは太極という言葉の最初の出典であ訓練を受けなければならないという状況が生じてきた。る。「太極」における変化によって様々な自然現象と世界太極拳は村を中心に発展した流派の一つである。の万物が生まれたと考えられる。｢太極｣が直接に武術と２ ). 攻防技術から健康増進へと変化し始める (1840–1900) 結びつくようになったのは、清の王宗岳が書いた『太極拳論』からである。この文章の最初に｢太極者、無極而生、武術の軍事上での役割が失われていくのに対して、健動静之機、陰陽之母也。動之則分、静之則合｣とある。古康増進作用が重要視されるようになった。また外国資本人の「効法天地」(自然現象を模擬すること)という主張の輸入により、自給自足の自然経済は崩壊し始め、一部は、「太極」という言葉で拳法を命名する最も重要な原因の武術家は農村から都市へと移動して、道場を開いて武だと考えられる。術の伝授によって生活を営むようになった。楊式太極拳｢気｣はもう一つの哲学概念であり、世界の万物を構成の創始者楊露禅は北京で太極拳を教えるようになって、する本源であるとされた。古人は、人体が｢気｣で構成さ一般の人々の需要にあわせ、陳式太極拳の動作を修正しれていると考えたので、太極拳の練習には、動作の変換ていったことは、太極拳が健康増進へと目的変換した第時の呼吸を通じて、｢気｣を経絡の流れに沿ってとどめる一歩であると考えられる。ことなく循環させることが強調される。３).体育化(1901–1911) ｢陰陽｣という対立する概念は、太極拳の技術の説明に自然経済の急速的な崩壊と土地の集中化により、たくよく使われる。陰陽のもともとの意味は太陽の光が刺ささんの農民と手工業者が破産した。各地の反帝国反封建るところが陽であり、刺さないところが陰である。その運動と革命党の武装一揆が全国的に広がっていた。この後、昼は陽、夜は陰であり、また日に向かっているのをような社会状況の中で、「尚武精神」が提唱され、武術は陽とし、日を背にするのは陰とする、晴れるのが陽であ中国を強くする方法であると考えられ、国民体育とされり、曇っているのは陰であるといった派生義が出てきたるに至った。のである。古人はよく陰陽を用いて身体のある部分、あ 4).スポーツとしての確立(1912–1949) るいはある方位及びある姿勢を表し、陰陽で武術動作を武術は体育の価値を持ち、また民族精神の喚起の方法説明してきた。陰陽で武術力法(力の使い方)の剛柔を説として考えられ、正式に学校教育に登場し、西洋スポー明するのも、武術理論の重要な内容である。力の変化でツと同じように体育授業に取り入れられた。1930年代にある｢柔｣と｢剛｣、｢退｣と｢進｣、｢防｣と｢攻｣はそれぞれ｢陰｣なると、輸入された西洋体育と中国武術などの伝統体育と｢陽｣に対応し、｢陰陽｣で表される。との衝突が激化し、国内においては西洋体育と伝統体育太極拳における「効天法地」の考えは、「天人合一」のどちらを提唱するべきかという『土洋体育論争』はピの哲学思想の具体的表現である。中国の歴史では、大体ークを迎えた。この論争を通じて、伝統武術は科学化（西｢儒｣、｢道｣、｢仏｣の三つの哲学流派があり、これらの流洋医学と生理学の視点から武術を説明する）の途をたど派にはお互いに対立する観点もたくさん存在するけれどるようになって、近代スポーツとして最終的に確立されも、いずれもこの「天人合一」の思想を否定していない。るに至る。張岱年は「中国の哲学には根本的な観念があり、それは５).他の価値の派生天人合一である。天と人はもともと合一するものだと思新中国が成立した後(1949年以降)、太極拳は競技向けわれており、人生の最高の理想は自覚的に天人合一の状と一般民衆向けに分けられ、二つの道を歩むようになっ態になることだ」と述べている。「天人合一」の観念から、てきた。競技スポーツとして国内外の運動会に導入され中国の人は特に人と自然、宇宙の統一、調和を強調するたのは伝統文化の宣伝として大きな役割を果たした。一のである。「天人合一」思想は四つの言説を含む。第一、般の太極拳練習者にとっては健康増進以外に、娯楽、社人は自然界の一部分で、自然界に欠くことのできない存在である。第二、自然界には法則があり、人はこの法則相応しい言行をするべきだという意味である。｢礼｣は相を守らなければならない。第三、人の道徳の原則は自然手を敬うこと。儒家思想では謙譲、謹慎、克己などを美の法則と一致している。第四、人生の理想は天と人の調徳とし、自慢や傲岸不遜を忌み嫌う。｢智｣は智恵という和である。「天人合一」観念は、太極拳においては、練習意味で、人間に関する善し悪しの判断基準である。これ者が自然との統一・調和を追及するということである。は、各流派における弟子の選択の厳しさから諒解できる。五行というのは水、火、木、金、土の五つの物である。｢信｣は真心のあることを指す。｢信｣は、人々が自分の社水は下に流れ物を潤い、火は燃え上がり、木は曲がった会地位にふさわしい言動をおこない、自分の責任を果たものをまっすぐ伸ばすことができ、金は形がかえられ、すことを要求する。土には穀物を植えることができる。古人は五行を万物組また、中国の古人は人の命を大事にし、養生の方法を成の元素とする。木から火を、火から土を、土から金を、重視していたため、独特の導引養生術を創造した。太極金から水を、水から木を生じるのを｢相生｣という。又木拳は導引術、漢方医学の経絡学を融合したため、健康増は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に剋つ進の効果をも持つようになった。王宗岳の『十三勢歌』のを｢相剋｣という。五行説も太極拳の技術の説明に使わを見れば、ほとんどの部分が意で気を動かせることと気れる。『太極拳譜』には「掤南、捋西、東、按北、采西で身体を動かせることの説明である。このように健身の北、東南、肘東、靠西南―方位。五行：進歩火、退歩要領を詳しく述べることは、以前の武術理論の書籍には水、左顧木、右眄金、定之方中土也。」とある。掤、捋、非常に稀である。その後の太極拳に関する論述には、健、按、采、、肘、靠は、それぞれ南、西、東、北、身理論が次々と表れたのである。養生之道を重視するこ北西、南東、北東、南西に対応し、進歩、退歩、左顧(左とが特徴とされ、太極拳は健康増進を主な目的とする拳を見る)、右眄(右を見る)、不動になることは、それぞれ法になったと思われる。又「益寿延年不老春」という考火、水、木、金、土に対応する。え方の提出も、太極拳が技撃術から健身術へ変わり始ま儒家思想は長い間にわたって統治的地位を維持したる徴候となったのである。ので、その考え方も太極拳にしみ込んでいる。儒家文化は秩序の維持を宗旨とする文化である。儒家の政治思想 3.太極拳の伝播と組織化は「君、臣、父、子」の秩序を建て、道徳の力で個人の太極拳の伝播は、政府と民間の武術組織の協力による行為を規制し、この秩序を自発的に維持させるのである。各時代の儒者は古代の礼儀に対する擁護と提唱を通じて、ものである。民国時代(1912‒ 1949)以前では、全国の民間武術団体中国の古人に生活の言動規則をしていたのである。礼儀数はわずかであった。それは、清朝に反政府組織だと疑も人々の生活の各方面にしみ込んでいたのである。儒家われる恐れがあったからと考えられる。民国時代に、民の礼儀のうち武術に最も重要な影響を与えたことは、武族危機が高まって、「尚武精神」が提唱され、太極拳など術練習者がいかなる時代や習俗の中に生きて、いかなるの武術は民族精神を奮起させる一つの手段とされた。全武術を練習するにせよ、まず儒家の教化にしたがって｢真国に、太極拳社あるいは太極拳を一つの項目として設け人間｣に成らなければならないということある。｢真人間｣た民間の武術組織がたくさん現れてきた。この時期には、になることは、儒家思想では武術者に対する最も基本的武術団体が上海、北京などの大都市を中心に発達していな要求である。この要求を満たすために、武術者は儒家るのが特徴である。民間の武術団体の発展を促進するもが規定したさまざまな礼儀や規範を守らなければならなう一つの原因は、経済の変化に伴って生じてきた労働者いのである。古来の師弟制という伝承法の確立によって、の体を鍛える要求だと考えられる。これらの団体は、太師匠と弟子の身分と地位がきちんと規定されたが、こう極拳の伝授、各社団と学校へのコーチ派遣、太極拳に関した師弟は、自然に儒家の師弟間の礼儀に結びついていする書籍の出版、公演の主催などの活動を行った。る。また、｢五常｣と呼ばれる儒家思想の核心は、｢仁｣、｢義｣、また民国政府は全国に国術館を設立し、全民の健康増｢礼｣、｢智｣、｢信｣の五つの面から武術練習者の行為を規進を宗旨としていた。中央国術館が成立してからは、中制している。｢仁｣は相手を思いやるという意味で、具体央政府の指示によって、地方の国術館(社)も次々とたて的には人の価値観を重視すること、人の望みを尊重するられた。1933年に至っては、北京、上海、青島、江蘇、こと、人の苦痛を同情すること、人を助けることなどが四川、河南、山東など24省・市に国術館があり、県レベある。「義」は判断の基準である。できることとできないルの国術館は300ヵ所余りに存在した。国術館は太極拳ことはすべて義によって規定され、人々が自分の身分とを含む武術を伝授した。1934年に行われた17ヵ所の省・市国術館にたいするアンケート調査によると、太極拳の高揚のために、体育教育にふさわしいものだと指摘され授業が設けられていたのは14館であった。国術館は太極たのである。拳の伝授と書籍の出版以外に、全国国術試験も行った。国術試験は、武術全体の宣伝と武術の競技化と試合の規範化に対して積極的な役割を果たした。太極拳は学校教育にも取り入れられた。民国時代の教育会議には、武術を学校教育に導入する提案がよく現れ、太極拳は学校の体育基準として明記されるようになった。５．考察文化大革命の時に武術全体の発展が停止した。しかし具体的にどういうような影響を受けたかははっきりしていない。この時期の武術活動の展開情況も不明である。また、太極拳は競技化されていくにつれて、伝統文化さらに中国が成立して、武術研究院、や市町村におけとしての根源的性格を失ってしまったという批判が現れる武術協会等の武術管理機構が次々と設立された。これてきた。套路の編纂と競技の採点制度の確立によって、らの武術管理機構は、試合や太極拳活動の展開、競技規太極拳は古代哲学や儒家思想などから遠ざかってしまう則の編纂、武術段位制度の設定等によって、太極拳の規ことになった。また旧来の師弟伝承法が廃れ、西洋スポ範化と伝播を促進した。1959年、国家体委が制定した『武ーツと同じような伝授方法の展開とともに、武術の練習術競賽規則』のなかには、長拳、太極拳、南拳、剣術、者の道徳が重視されなくなってきたことは、武術練習者刀術、槍術、棍術の七つの項目について、グループ分け、が勝利至上主義に陥ってしまった原因の一つであると考内容、採点、評価などが詳しく規定されている。太極拳えられる。は、以後正式競技項目として全国武術試合に登場するこ武術に関する内容は、『中小学校体育教育綱要』に取り入とに至る。1997年12月30日、国家体委は『中国武術段位れられたけれども、実際に武術が学校で展開される情況制』を公布し、その実行にあたった。武術段位は三等九は決して楽観視されるものではない。内容が退屈で、覚段に分けることができる。初級段位は一、二、三段で、えにくいなどの理由で、武術は他の活動より人気がない中級段位は四、五、六段で、高級段位は七、八、九段でのが現状であり、学校武術活動の展開と教学の伝達は大ある。各段位においてはそれぞれ教材が違い、評価内容きな課題となっている。も違う。初中段位の評価には太極拳が要求される。太極拳の統一は簡略化に伴っている。1956年2月、国家体委主要引用文献運動司武術科は楊式太極拳の套路から代表的な動作を選笠尾恭二：『太極拳技法』東京書店、1973 び、24式簡化太極拳を編纂した。1957年、国家体委武術唐豪：『手臂余談』、陳氏家譜、『神洲武芸』、吉林文史出科は『太極拳運動』を編纂し、そのなかに88式を収録し、版社、1986 楊式太極拳を詳しく説明した。1989年、中国武術研究院日本武術太極拳連盟監修「太極拳バイブル」『中国武術』、は五式の伝統太極拳を素材として、陳、楊、呉、孫式太ベースボール・マガジン社、1989 極拳の競技套路を編集した。その後、競技套路を統一す人民体育出版社：『太極拳全書』、人民体育出版社、1988 るために、各流派の特徴を取り入れた42式総合太極拳を張岱年：『中国哲学大綱』、中国社会科学出版社、1982 編纂し、これは国内外の太極拳競技用の規定套路として王宗岳等：『太極拳譜』、人民体育出版社、1991 定められている。1997年、国家武術院は武式太極拳の競張立文、『中国哲学範疇発展史(天道篇)』、中国人民大学技套路も編纂した。2000年、国家武術協会は24式太極拳出版社、1988 を元に、8式と16式を編纂した。太極拳は、国内外の競『辞海(縮印本)』、上海辞書出版社、2000 技大会への導入や、全国各地での普及イベントの開催及王文錦：『礼記訳解』上、中華書局、2001 び武術隊の外国の訪問などによって、中国伝統文化の宣李申：『四書集注全訳』上、巴蜀書社、2002 伝という役割を果たした。文化大革命(1966–1976)によって、民間の武術組織の『中華人民共和国体育運動文件選編』、人民体育出版社、 1955 発展は一時的に停止したけれども、改革開放以降は新し中国武術段位制編写組：『中国武術段位制』、北京体育大い太極拳団体が現れ、20世紀前半にすでに成立していた学出版社、1997 太極拳団体も活動を再開するようになった。太極拳愛好国家体委武術研究院：『中国武術史』、人民体育出版社、者たちが自発的に組織した練習点も現れ、主に自主的運 1997 営をおこなっている。また、武術に関する内容は『中小学校体育教育綱要』に加えられた。民族精神と愛国心の