講演「ストーンサークルは、なぜ円い?」

国民文化祭あきた2014
講演
JOMON
ART
フェスタ
「ストーンサークルは、なぜ円い?」
講師 :小林達雄先生 (國學院大學名誉 教授)
日時 :平成26年10月4日(土)13:30~14:30
場所 :大湯ストーンサークル館 万座ホール
こん に ちは、 只 今ご 紹介 にあず かりまし た
小 林で す 。本来 な ら、 スト ーンサ ークルの す
ぐ そば で 話す舞 台 設定 がな されて いたよう で
すが、残念ながら雨に打たれてしまいました。
さて 、 縄文人 は 色ん なこ とを気 にして生 き
て おり ま した。 縄 文人 の残 した遺 跡や遺物 を
見ておりますと、彼らが気にしていたことや、
彼 らの 社 会の仕 組 みが 見え 隠れす るところ に
しばしば当たります。
まる
どう も 縄文人 は 「円 」を 相当気 にしてい た
よ うで す 。彼ら が 最初 に円 を表現 したのは イ
エ でし た 。寝起 き する 場所 である イエを設 計
す る時 、 床を円 く する んで す。世 界的にみ る
と 四角 い 床が多 い ので すが 、縄文 の場合は 一
万 年以 上 にわた っ て円 が見 え隠れ します。 見
え 隠れ す るとい う のは 、円 に始ま り、やが て
四 角に な ったり 、 また 円に なった りを繰り 返
す とい う こと。 あ るい は、 関東地 方では円 な
のに、中部地方に行くと四角とかあるんです。
だ から 縄 文人み ん なが いつ も、ど こでも円 と
いって騒いでいたわけでもないのです。
1937年新潟県生まれ。國學院大學名誉教授。新
潟県立歴史博物館名誉館長。考古学に新たな地平を
切り開いた縄文研究の第一人者。
る もの は 、世界 に ない と思 います 。余談で す
が 、俳 句 の世界 で も縄 文に 心を寄 せている 人
が いる 。 俳人の 中 で縄 文を 気にし ていると い
う のは む べなる か な、 色々 と理由 があるん で
す。
ほうりよう
【たて穴住居跡】堀 量 遺跡/秋田県湯沢市
それ に しても 、 最初 に自 分たち が寝る場 所
を 円く 設 計した 。 これ は正 にスペ ースデザ イ
ン の始 ま りなん で す。 ちょ っとハ イカラで し
ょ 。カ タ カナを た まに 入れ るとね 。日本語 と
い うの は とても 便 利で 、歌 を詠む 時はひら が
な 、あ る 時には カ タカ ナを 差し挟 むと非常 に
印 象が 強 いもの に なり ます 。日本 語の右に 出
縄文 人 には自 然 と一 体に なって 生きてき た
一 万年 以 上の歴 史 があ りま す。一 万年以上 に
わ たる 自 然との 共 存・ 共生 は、縄 文を世界 の
文化の中では個性的に彩っています。
大陸 側 と比べ る とよ く分 かりま すが、縄 文
人のムラの周りには、ハラが広がっています。
そ のハ ラ に出か け てい って 、食料 や日用の 道
具の材料を手に入れます。そしてムラに戻り、
人間的な生活を展開してきました。
しか し 、大陸 側 では ムラ の周り にハラが あ
り ませ ん 。ハラ は 遊休 地で あり、 すぐに開 墾
し て征 服 してい き ます 。ハ ラを否 定して農 耕
地 =ノ ラ に替え て いく んで す。野 良仕事の ノ
ラ 。そ れ が大陸 側 の流 儀で す。そ の考え方 が
人 類の 歴 史を方 向 付け 、気 付いた らとんで も
な い深 み にはま っ てい るの が現実 の大問題 で
す。
大陸 側 はムラ の 周り のハ ラを否 定してノ ラ
化 して い く歴史 を 展開 し、 やがて 四大文明 を
発 達さ せ ます。 そ れに 対し て、縄 文はムラ と
そ の周 り に広が る ハラ と一 万年以 上も共存 ・
共 生し て きまし た 。縄 文が なぜこ れだけの 個
性 的で 面 白い内 容 の文 化を 形成し てきたか と
いう謎は、そこにあるんです。
その 縄 文人が 円 にこ だわ ってい ました。 私
た ちは 何 かのカ タ チを イメ ージす る時に、 直
線 と曲 線 を元に イ メー ジし ます。 直線は方 向
性 を持 っ ていて 、 その 先へ の無限 なつなが り
を 我々 に 予想さ せ ます 。こ れが直 線の一つ の
重 要な 性 格です 。 もう 一つ が、そ れに対す る
曲 線で す 。曲線 を ずっ と描 いてい ると、だ ん
だ ん円 く なって く るん です ね。円 を描く曲 線
は 、ま た 似たよ う な所 に戻 ってく るんです 。
こ れが 円 の性質 の 不思 議な 、特徴 的なもの に
な ろう か と思い ま す。 その 円を、 彼らの寝 起
き の床 面 に用意 し た。 これ から触 れていき ま
すが、いろんなところに円が出てくる。
もう 少 しイエ の こと につ いて付 け加えて お
きましょう。縄文人の描く円はいつも一つで、
二 つ三 つ と連ね て 描き ませ ん。こ れも縄文 人
の 特徴 で 、イエ も そう です 。折り 重なって 寝
る わけ に はいき ま せん から 、寝起 きするた め
に 一定 の 面積が 必 要に なり ます。 やがて子 ど
も が誕 生 する、 年 老い た両 親が加 わる。イ エ
が 手狭 に なれば 、 大き く建 て直し ます。イ エ
を 拡張 す るのだ け れど も、 もう一 つの円を 描
こ うと は しない ん です 。つ まり、 彼らのイ エ
は いつ も 一部屋 造 りで す。 一部屋 造りが縄 文
人 のイ エ のカタ チ の基 本で あるこ とも、意 味
深長なところがあります。一部屋造りの中で、
家 族が 顔 を合わ せ て生 活す る。こ れが縄文 人
の 家族 意 識をど ん どん 強め ていく 大きな基 に
なっているのではないかと思います。
一部 屋 造りは 、 その 後の 住居の 基本的な ス
タ イル と なりま す 。一 部屋 造りが いくつか の
部 屋を 持 つよう に なる のは 、古代 以降の寝 殿
造 りな ど が出て き てか らに なろう かと思い ま
す 。ず っ と一部 屋 造り が続 き、部 屋の真ん 中
に あっ た 炉が囲 炉 裏に 替わ り、そ の後の和 風
の 建築 へ とつな が って いく のだろ うと思い ま
す 。そ う やって 円 と縄 文人 との付 き合いは 、
ふ だん 寝 起きす る イエ の床 のデザ インから 始
【たて穴住居内部模型】
写真提供:新潟県立歴史博物館
まったということです。
それ だ けでは あ りま せん 。ムラ は、少な く
とも三家族ぐらいが寄り集まっておりました。
手 をつ な いで輪 を 描く よう にイエ が配置さ れ
て いた こ とが分 か って いま す。私 はこれを 縄
文 モデ ル ムラと 名 付け てい ます。 ここから も
彼 らが 生 活空間 を 円く イメ ージし た、ある い
は円にこだわったということが分かるのです。
縄文時代の前期のあたりから中期になると、
直 径百 ㍍ を超え る よう な堂 々たる 環状の貝 塚
が 出て き ます。 環 状と いう のは、 円形に、 ド
ー ナツ 状 に貝殻 が 捨て られ ている というこ と
で す。 こ れも、 縄 文人 の円 に対す るこだわ り
が 、ゴ ミ を捨て て いく 時に 貝を円 く蓄積し て
いったということを表しています。
貝塚 は 色んな 意 味を 持っ てまし た。ただ ゴ
ミ を捨 て たので は あり ませ ん。貝 塚からは た
く さん の 人骨が 発 見さ れて おり、 縄文人は 貝
塚の中に墓穴を掘って死者を埋葬しています。
つ まり 、 環状に め ぐる 貝塚 は、単 に円くカ タ
チ をと っ たとい う だけ では なく、 そこには 色
ん な意 味 が重な っ てい る。 一方で は死者を そ
こ に埋 葬 し、あ の 世に お送 りする モノ送り の
場であるということがはっきりしてきました。
【貝塚の下の墓】北黄金貝塚/北海道伊達市
写真提供:伊達市噴火湾文化研究所
だか ら 、壊れ た 土器 も捨 てたと いうだけ で
は なく 、 今まで 役 に立 って くれて ありがと う
よ と、 あ の世に 行 けよ とい って、 そこに捨 て
て いる 。 貝殻も 邪 魔に なっ たから ゴミとし て
捨 てた の ではな く 、我 々に ちゃん と食べさ せ
てくれた、それをまたあの世に送り返す。
知っ た ような こ とを 言い ました けれども 、
そ れと 全 く似た よ うな こと をアイ ヌの人た ち
が つい こ の間ま で 色ん な場 面で継 承してき ま
し た。 送 りの場 を 設け て、 そこで 特別なマ ツ
リ をし な がら、 あ の世 にモ ノを送 っている 。
全 部ゴ ミ として 捨 てる ので はなく 、関わり を
持 った モ ノをあ の 世に 送る 場所が あり、そ こ
で マツ リ をやる ん です 。円 形の環 状貝塚、 こ
れ も単 に 円くし た とい うデ ザイン だけじゃ な
く て、 そ こには 縄 文人 の色 んな思 いが込め ら
れたものです。
貝塚 は 海岸よ り に形 成さ れます 。大量に 貝
を 採っ て 、大量 に 消費 する のは、 やはり地 の
利 を得 た 海岸近 く の人 たち です。 ところが 、
内 陸に 入 ると、 そ れほ ど貝 はない のに円形 の
貝 塚を 造 ってい ま す。 そう いう場 所では貝 と
い ろん な ゴミ、 我 々か ら見 ればゴ ミのよう な
廃 棄物 と 土が混 ざ って いま す。貝 のない環 状
貝 塚は 、 言葉を 換 えて 言う と、貝 を抜きに し
た 土手 な んです 。 貝が ない から全 然違うも の
だ と我 々 には見 え るん です が、縄 文人の側 に
立 つと そ うでは な い。 そこ に彼ら は土器の か
け らな ど を捨て 、 土を 盛り ました 。そして 、
モ ノ送 り の場と し て使 った り、そ の他にも 色
ん なこ と を行っ て いた 可能 性があ ります。 私
は それ を 劇場空 間 と呼 んで います 。縄文人 は
何 とな く 仲間と 集 まっ て、 そして ムラをつ く
っ たの で はなく 、 彼ら にと っての 劇場空間 が
あったのです。
沈 む方 向 を指し て いる 。た だ単に 2つの円 の
中 心を 結 んだだ け では なく 、その 直線上に 日
時 計と 呼 ばれる 一 際目 立っ た丁寧 な造りの 配
石 があ り ます。 ヘ ソと ヘソ を結ん だ直線だ け
で はな く 、さら に その 線上 に日時 計がのっ て
い る。 4 つの点 が 一直 線に 並ぶと いうのは 、
よ ほど 強 固な意 志 がな けれ ば並ぶ ものでは あ
り ませ ん 。2つ な ら直 線に なりま すが、3 点
に なる と 直線に の せな けれ ばなり ません。 そ
れ が4 つ のるん で すか らね 。縄文 人が非常 に
意 識し て 、円と ヘ ソと 日時 計を結 んだ。そ し
て 、そ の 先に夏 至 の日 没が 当たる というこ と
をデザインの上で示してくれているわけです。
日 時計 と いうの は 、特 別な カタチ に仕上げ た
組石です。
夏至の日没の方向
万座環状列石
日時計
ヘソ
野中堂環状列石
今日 す ぐそば で お話 しで きるは ずだった 大
湯 のス ト ーンサ ー クル も円 いんで す。この 円
も 今ま で 話して き た円 形の 貝塚や 、円形の 土
手 と同 じ ように 、 円い とい う基本 をちゃん と
守 って い るもの で す。 万座 も野中 堂もちゃ ん
と 円く な ってい ま す。 その 円の真 ん中に、 ま
た 小さ な 輪があ り ます 。こ れは外 側をめぐ る
直 径四 十 ㍍級の 円 形と 並ぶ もので はない別 物
で、私はそれをヘソと呼んでいます。つまり、
円には中心がある。その中心がヘソであって、
万 座に も 野中堂 に もち ゃん とある 。面白い こ
とに円形の真ん中に中心を持っています。
その 2 つの中 心 を直 線で 結ぶと 、北西の 方
向 を向 い ていま す 。こ れは 夏至の 日に太陽 が
【太陽の運行】大湯環状列石/秋田県鹿角市
面白 い ことに 、 円形 の土 手にも ヘソがあ る
こ とが 分 かりま し た。 例え ば、栃 木県の寺 野
東 遺跡 で は、縄 文 人は 直径 165 ㍍の土手 を
造 り、 そ の真ん 中 に小 さな 石を並 べた小さ な
土 盛り の ヘソを 設 けて いる んです 。そのヘ ソ
か らは 、 筑波山 の 頂に 冬至 の日の 出を望む こ
とができます。見事なものです。
縄文 人 は冬至 、 夏至 、春 分、秋 分を、全 部
心 得て い ました 。 大湯 スト ーンサ ークルや 寺
野 東遺 跡 の土手 と 同じ よう に、三 内丸山の 6
本 柱が そ うなん で す。 あの 6本柱 は3本と 3
本 が対 に なって 6 本な んで す。3 は縄文人 の
聖なる数です。縄文人は、奇数が好きだった。
大 湯ス ト ーンサ
ー クル から 見つか った土器 の
へり
中 には 、 口の縁 が 5つ のも のや、 3つのも の
が あり ま す。3 や 5は 、と ても配 分が難し い
の です が 、彼ら は その 数を 表現し たいとい う
思いで、土器の縁に突起を付けたのです。
つま り 、三内 丸 山の 6本 柱も、 3と3が 向
き 合っ て いるも の なん です 。夏至 の日に、 二
列 三対 の 柱の間 か ら太 陽が 昇って きます。 冬
至 の日 に は、反 対 側に 太陽 が沈む のが見え る
ん です 。 ただ黙 っ て昇 るの ではな く、自己 主
張 しな が ら太陽 が 昇っ てき ます。 ダイヤモ ン
ド フラ ッ シュと い って 、6 本ぐら いの光線 が
放 射状 に 見えま す 。夏 至の 日の出 、冬至の 日
の 入、 こ れは円 と はた だち に結び 付きませ ん
が 、円 の 中に込 め られ た色 々な思 いは6本 柱
にもあるということです。
世界 遺 産のた め の国 際会 議で、 私はその こ
と を強 調 したい と 思っ てい ます。 そうなっ た
ら イギ リ スのス ト ーン ヘン ジと同 格です。 ス
ト ーン ヘ ンジは 夏 至の 日の 出に軸 を合わせ て
設 計さ れ ていま す 。ス トー ンヘン ジは世界 遺
産 にな っ ていま す が、 その 設計の 中での重 要
な 要素 を 、縄文 の 遺跡 は備 えてい ます。縄 文
人 は円 が 好きだ か らや って いるの ではなく 、
円 の持 つ 概念に 縄 文人 の観 念が込 められて い
るということを推し量らなければならない。
つま り 、あれ は 彼ら の世 界観を 表してい る
の だと 考 えると 納 得で きま す。円 は住居か ら
始まりましたが、四角になる時もあるんです。
だ から 住 居の床 面 は、 絶対 に円で なければ な
ら ない と 彼らは 考 えて いる わけで はないん で
す 。住 居 が円い 床 面を 持っ たのは 、円に対 す
る観念が住居と重なったんです。
【竪穴住居跡】はりま館遺跡/秋田県小坂町
ある 時 それは 重 なっ たも のの、 別次元の も
の です か ら、離 れ ばな れに 生きる 時もあり ま
す 。円 い 世界観 に 関わ る要 素を2 百年続け て
き たか ら そろそ ろ 違う もの とか心 が動く。 隣
の 地域 は ずっと 四 角で やっ てきて いる、そ っ
ち も面 白 い。円 よ りも 四角 の方が 柱を立て る
時 の柱 間 とかを と りや すい 。梁を 設計する 時
に 、円 は 大変で す よ、 壁を 円くす るんです か
ら 。だ か ら、こ だ わっ てい ても、 時に円に ま
つ わる 世 界観か ら 離れ るこ ともあ るという こ
とです。
円というのは色々な性質を持っていまして、
円 は混 沌 とした も のを 丸く 収める 。そもそ も
円 は包 容 力があ る んで す。 そうい う円の意 味
が 何か な んてい う のは 、我 々には 分かりっ こ
ないんです。円は縄文人の世界観なんですね。
だ って 、 わざわ ざ 7千 2百 個ぐら いの石を 、
7 ㌔も の 上流か ら 運ん でき て、し かも一人 で
は 動か せ ないよ う な石 まで 入って いますよ 。
そ れだ け の石を 運 んで きて 、円く する。我 々
に は見 え ないけ れ ども 、石 でもっ て世界観 を
カ タチ に したん で す。 これ が縄文 人の世界 観
と関わりを持つ円の正体の片鱗です。
大湯 の ストー ン サー クル を見て ください 。
き れい に 円くな っ ては いま せん。 凸凹して ま
す 。き れ いな円 に しよ うと 思えば 小学生で も
仕 上げ る ことが で きま すが 、なぜ か石を運 び
込 むこ と にこだ わ って いる 。つま り、世界 観
と 関係 を ずっと 続 ける こと にこだ わって運 ん
で 来て い る。そ し て、 自分 たちの ムラが運 ん
で きた 石 を決め ら れた 場所 に並べ ていく。 働
き 手が 多 いと石 の 数が 増え ていき ます。見 る
と 分か り ますが 、 こう して 節々が できます 。
つ まり 、 いっぱ い 石が 集ま ってい る所と、 ま
ば らに し かない 所 があ りま す。い っぱいあ っ
て はみ 出 ている 。 はみ 出さ ないで 、足りな い
と ころ に 分けて あ げた らど うかと いうのは 私
の気持ちなんですが。
しか し 、縄文 人 はそ うし なかっ た。野蛮 な
ん です よ 。野蛮 と いう こと は彼ら の考えが あ
る とい う ことで す よ。 色ん なムラ に分かれ て
暮 らす 人 たちが 、 みん なで 円い世 界観をカ タ
チ に表 す ため、 夏 にな ると 集まっ てきて石 を
並 べて い くので す 。働 き手 の多い 所は石が ど
ん どん 貯 まって 、 盛り 上が ってく る。そう で
は ない 所 はパラ パ ラし かな いんで す。だか ら
円 く造 っ て、そ れ もき れい な円に しような ん
て 誰も 思 ってい な かっ たと いうこ とです。 円
い 世界 観 を表現 し よう とい うとこ ろに、み ん
な が寄 り 集まっ て 一緒 にや ろうと いう心が 結
集 して 造 られた も ので す。 青森市 の小牧野 遺
跡 も同 じ 。節く れ 立っ た所 と、パ ラパラし か
ない所と、渾然となって輪を造っています。
とこ ろ が、そ う じゃ ない ものも あります 。
き れい に 円にし よ うと いう のが、 北海道の 鷲
ノ木遺跡です。均整のとれた石の配置をして、
き れい な 滑らか な 円を 描い ていま す。それ は
そういうやり方なんですよ。
彼ら は 円とい う 世界 観と 、そし て円をき れ
い に描 く ことは 別 問題 なん です。 我々には で
き ない け ども、 円 から 離れ たわけ でもない ん
で す。 子 どもで も 円を 描き ます。 めちゃく ち
ゃ です が 、円に な って いる んです 。まるで 、
そ の下 手 さ加減 は 大湯 のス トーン サークル み
た いな も んです 。 ちゃ んと した見 事な円で は
あ りま せ ん。け れ ども 、円 を描こ うとして い
る とい う 意味に お いて は同 格なん です。そ れ
が円の秘密です。
それ か らもう 一 つ。 凸凹 してい るのは、 き
れ いな 円 を造る こ とが 目的 ではな く、円を 表
現 しよ う 、彼ら が 世界 観に 関わり を持つと い
う こと を 継続し て いく とい うのが 彼らの真 骨
頂 です 。 完成さ せ よう なん てこと はゆめゆ め
思ってないんです。宮沢賢治は「未完成とは、
永 遠の 未 完であ る 」と 言っ ていま す。全く 僕
が言いたいことと一緒です。
節く れ 立って い ると いう 話のつ いでに、 寺
野東遺跡の土手は、高さ5㍍ぐらいあります。
真 ん中 の 土を掘 り 込ん で盛 り上げ ていくん で
す 。黒 土 の下に あ る赤 土も 掘り上 げている 。
そ れで も 足りな く なっ て、 その下 の鹿沼土 と
い う軽 石 層まで 掘 り下 げて 盛って いるんで す
よ 。土 手 の上は 凸 凹で す。 盛り上 がってい る
所 と、 凹 んでい る 所と 全く 同じな んです。 大
湯 スト ー ンサー ク ルの 石が いっぱ いある所 と
な い所 が あると い うの と重 なって くるじゃ な
いですか。
まだ ま だ終わ っ てな いん です。 もし終わ ら
せ るな ら 平らに し ます よ。 終わら せるとこ ろ
に 目的 が あるの で はな くて 、彼ら のこだわ り
抜 いて き た円を 表 現す る。 円とい うものの 観
念 が意 味 するも の につ いて 、自分 たちが関 わ
り を持 つ ために 、 土手 を造 ってい る。もし 、
大 湯ス ト ーンサ ー クル をき れいな 円にしよ う
と いう と ころに 意 見が まと まれば 、そんな の
造作もないことだったんです。
とこ ろ が、そ う はし なか った。 同じよう に
き れい な 土手を 造 れた はず なんだ けれども 、
ア ップ ダ ウンが あ る。 千歳 にある 周堤墓と い
う お墓 は 、一番 大 きい もの で直径 75㍍、 環
状 に土 を 盛った 堤 の高 さは 5㍍ぐ らいあり ま
す 。堤 上 面は平 ら で、 滑ら かに舗 装された ぐ
らいにきれいに整った円を造っています。
大湯 の 縄文人 は きれ いな 円にし ようと思 え
ば でき る のに、 し てい ない 。きれ いな円に し
よ うと す ること と 、こ この 縄文人 の世界観 は
密 接な 関 わりを 持 つも ので はなか った。し か
し 、円 形 である と いう こと 、円く 仕上げる と
い うこ と 、ある い は彼 らの 世界観 に関わり を
持 って 円 にこだ わ るこ とに ついて 、彼らは こ
だ わり を 持って い たと いう ことが 分かるの で
す。
他に も 意外と あ るん です 。例え ば、北陸 に
は 、三 内 丸山よ り 太い クリ の木を 使ったと 思
わ れる 遺 構があ り ます 。2 ㍍近い クリの大 木
を 縦に 裂 いて、 十 本並 べて います 。私はこ れ
を 巨木 柱 列と呼 ん でい ます 。これ も円形を な
し てい る 。縄文 人 がト ーテ ムポー ルを立て た
人 たち と 同じよ う なや り方 で造っ た可能性 が
あります。
【復元巨木柱列】真脇遺跡/石川県能登町
話は こ んなと こ ろで ちょ うど時 間になり ま
し た。 縄 文人が 円 にこ だわ ってい た。円に は
い ろん な 観念が あ る。 石や 貝塚、 土手、木 な
ど で、 そ のカタ チ を表 現し ようと いう記念 物
は 、み ん な円と 関 わり を持 ってい る。住居 の
円 もそ う でした が 、円 はい つもこ ういうカ タ
チ で表 現 されな け れば いけ ないと いうもの で
は なく 、 円とい う 世界 観が 独立し てあるん で
す 。だ か ら、そ の 世界 観が どうい うものと 結
び 付く か によっ て 、色 々な 表現を とるとい う
ふうに解釈することができるのです。
皆さ ん 気付か な かっ たか もしれ ませんが 、
話している間、晴れろと思っていたんですよ。
そ うし た ら、ち ゃ んと 晴れ てきま した。こ の
後 もお 楽 しみい た だけ れば と思い ます。ど う
もご静聴ありがとうございました。