第60回 “芸術”とポピュラリティ ~絵画とともに聴く古楽

~絵画とともに聴く古楽
須田 純一 (銀座本店)
第60回 “芸術”とポピュラリティ
パーセル:
「愛が甘美な情熱ならば」
(「妖精の女王」
より)
「音楽が愛の糧ならば」
(アルバム
「touched」に収録)
カルムス・アンサンブル
■CD:83.379 輸入盤 \2,730(税込) 〈CARUS〉
大きな目玉が気球のように宙に浮く。その
れます。古くは鳥獣戯画などもマンガ的です
様子が黒だけで表現された実に奇妙な絵で
し、国芳の戯画にはまるで「ニャロメ」を思わ
す。
この作者はオディロン・ルドン。現在では三
せる猫が描かれています(連載第7回「猫の
菱一号館美術館に近年所蔵された、実に鮮や
表現」参照)。
また西洋では19世紀のラファエ
かな花の絵画「グラン・ブーケ」など、色彩豊
ル前派が1960年代以降の日本の少女漫画
かな作品が広く知られています。
このような後
に大きな影響を与えたことは知られていま
年の豊かな色彩感を持つ作品から、色彩の
す。バーン・ジョーンズの絵画などに、少女漫
魔術師 とさえも呼ばれる事もあるルドンをイ
画と同じ香りを嗅ぎ取ることは容易です。
この
メージしていると、実はルドンが若い頃からか
ように現代の我々に馴染み深いマンガ(最近
なりの年齢に至るまで色彩のない黒の世界
では、マンガも現代美術史において研究対象
の住人だったという事実は驚くべきことかも
として扱われるようになっています)の中には
しれません。病弱な体質ゆえに田舎での療養
古くからの絵画芸術の要素が残っていると考
生活を余儀なくされ、暗闇を好んだ少年期を
えると、入りにくい、馴染みにくいと思っていた
過ごしたという事情を考えれば、その暗闇が
絵画という 芸術 の世界にも足を踏み入れや
支配する世界は当然なのかもしれません。そ
すくなるのではないかと思います。
うしたルドンのイメージは実に幻想に富んで
そのようなことがクラシック音楽、そして古
おり、ある意味現代のマンガ的とも言える奇
楽においてもあるのです。
クラシック音楽は
妙で少しおかしい作品を数多く生み出しまし
様々なアレンジをされてポピュラー・ミュー
た。その一つが冒頭の一枚なのですが、実は
ジック、
またはCMなどに使われています。特
この版画が我々の良く知るある有名キャラク
にバッハやヘンデル、
ヴィヴァルディといった
ターの源泉となったのです。
バロックの作曲家の作品はモーツァルトや
そう、目玉といえば、
ゲゲゲの鬼太郎のお父
ベートーヴェンと並び、実に幅広いジャンル
さん。目玉おやじ です。20年近く前、私がル
で用いられているようです。例えばバッハの
ドンに興味を持ち、多くの資料を漁っていた 「メヌエット」
( 実はバッハの作品ではないの
頃、偶然見つけた画集に水木しげるさんの
ですが)は「ラヴァーズ・コンチェルト」
という
エッセイが掲載されていました。そこで、ルド
名曲に生まれ変わっています。
ヴィヴァルディ
ンを「好きで、
たまらないというわけでもない。 の「四季」はロックでよく用いられます。パッヘ
変わった絵だというのが子供の時からの印象
ルベルの「カノン」においては、そのアレンジ
だ。」
とされながらも、面白い絵を描く画家だ
と言ったら枚挙に暇が無いことでしょう。
と思われ、特に目玉の表現には着目されてい
この連載で扱っている古楽というジャンル
たようでした。そして「無限に空に昇る眼球な
は、それだけ身近な音楽に成り得るという主
るエッチングは、鬼太郎の親父の目玉を発想
張は我田引水かもしれませんが、そういう私
するのに役立った。」
とも書かれているので、 の贔屓目な意見を後押ししてくれるようなア
ルドンの作品が、目玉おやじというキャラク
ルバムが現れました。
ドイツの優れたヴォー
ターが生み出される一つのインスピレーショ
カル・アンサンブル、カルムス・アンサンブル
ンの源となったことは間違いようです。
が発表した「Touched(タッチト)」
というアル
ルドンの目玉=目玉おやじ という図式
バムは、全編アカペラの作品で構成されてい
は、けっこう極端な例かもしれませんが、洋の
るのですが、そこには、エルトン・ジョンの「ユ
東西を問わず絵画が現代のマンガに与えた
ア・ソング(僕の歌は君の歌)」、
クイーンの「ク
影響は大きいようです。例えば「北斎漫画」を
レイジー・リトル・シング・コールド・ラヴ」
「ラ
描いた葛飾北斎はマンガの先駆のように語ら
ヴ・オブ・マイ・ライフ」、マイケル・ジャクソン
れる事が多いですし、彼の黄表紙の挿絵には
の「リメンバー・ザ・タイム」などの欧米のポッ
現代の漫画の描写を先取りする驚くべき表現
プスの名曲のヴォーカル・アンサンブル・アレ
(例えば「椿説弓張月」における放射線状に伸
ンジとともに、モンテヴェルディの「私を死な
びる直線で表された爆発の閃光など)
も見ら
せて下さい(アリアンナの嘆き)」、ジャヌカン
ルドン:眼は気球のように無限に向かう
(石版画集「エドガー・ポーに」)より
の「鳥の歌」、そしてパーセルの「愛が甘美な
情熱ならば」
「音楽が愛の糧ならば」などの古
楽の声楽曲を、一部アレンジを加えて収録し
ているのです。時代も国も超えた選曲ながら、
実に良くできた構成でポピュラーの作品と古
楽の作品が見事にマッチしています。
その中でも特に違和感なく、ポピュラー・
ミュージックと言っても通用するようなメロ
ディ性を有しているのが、パーセルの作品で
す。
このアルバムに取り上げられている2曲は
パーセルの数ある歌の中でも人気曲で、美し
くも切ない旋律が心をつかみます。
もちろん、
オリジナルの独唱で歌われるのもすばらしい
ですが、
ここでのヴォーカル・アンサンブル・ア
レンジによる歌唱もその旋律美が見事に生
かされているので、大変美しいものです。私見
ですが、
もし古楽の作曲家の中で現代によみ
がえりポピュラー・ミュージックの作曲家やシ
ンガーソングライターとしてもスターとなれる
存在がいるとすれば、パーセルこそはその筆
頭だと思います。パーセルの音楽には心に残
る旋律がそこら中に溢れているのですが、
こう
してポピュラー作品と並べられることによっ
て、その音楽が持つ時代を超えた普遍性が明
らかになるのです。
美術館で絵画を観て、
「あ、
これ、
あのキャラ
クターに似ている」だとか、
コンサートやCDで
クラシック音楽を聴いて、
「あ、
あのバンドのあ
の曲のあの部分にそっくり」だとか…。そんな
鑑賞の仕方が出来れば、すごく気楽に芸術作
品に馴染めるのではないかと思います。きっ
かけはなんでもいいと思います。少なくとも、
いま 芸術 とされている歴史的な作品は、発
表された当初はポピュラー(大衆的)なもの
だったということは割合多いのです。
あのバッ
ハでさえコーヒー店で一般のお客さんの前で
自作を演奏し、お客さんもそれを楽しんでい
たのですから。
ことに学究的要素の強い分野
だと思われている古楽に入りづらいという方
には、今回のような視点からその世界に踏み
込んでいただくのも一つの入り方です。
これま
で苦手意識のあった方、試してみてはいかが
でしょうか?
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