トップアスリートのセカンドキャリア「問題」の構造ととらえ方 研究分担者 菊 幸一 1 セカンドキャリア「問題」の構造 本科研のテーマのキーワードは、 「トップアスリート」 「セカンドキャリア開発」そして その「支援システムの構築」である。まず考えなければならないのは、我が国においてス ポーツ界の「トップアスリート」と呼ばれる人たち(ここではこの「トップアスリート」 とはどの範囲のアスリートのことを指すのかも問題なのだが)が、なぜ彼らのファースト キャリア(現役生活)引退後のセカンドキャリアのことまで「問題」として取り上げなけ ればならなくなったのかということである。この「問い」には、2 つの次元が含まれる。 1つは言うまでもなく、彼らの現役生活の基盤を支えてくれた生活基盤(職的あるいは 支援の基盤)を失ってしまうことに伴う、スポーツパフォーマンス自体に頼らない次の生 活基盤を獲得するにはどうすればよいのかという、言わばテクニカルなハローワーク的課 題である。この視点からの「セカンドキャリア開発」は短期的、かつ緊急避難的な就職・ 進路対策を主眼とする就業のマッチングを主な課題とする。その回答は、幅広い業種や職 種に求められる能力とトップアスリートのそれをどのように発見し、引き出し、これを開 発して、社会的な需要とマッチングさせるのかという意味における「支援システムの構築」 に求められることになる。 このような「問い」の立て方は、とりあえずは対処療法的な回答を導く上では有効かも しれないだろう。しかし、ではなぜ我が国ではこれまで、このような問題が表面化するこ とはなかったのか。また、なぜスポーツ界にこのような問題が起きやすいのか。そもそも スポーツパフォーマンスに対して過剰なまでに勝利を追求させ、その結果に対して社会的 価値を与える社会(の人々)が、なぜその当事者たるトップアスリートが引退した後も彼 らをリスペクトし、その才能や能力を社会に生かそうとしないのか。さらに、そのような 問題の背景には、わが国特有のスポーツ(トップアスリート)を取り巻くどのような組織 的環境(社会的サブシステム)が存在し、その特徴は何なのか等々。これらの「問い」は、 セカンドキャリア「問題」を通じて見えてくる、スポーツと社会との価値的な相関関係自 体の問題として構造的な「問い」の生産の諸相を我々に示してくれているのだ。すなわち、 それは、もう 1 つの次元の長期的な視野に基づく「問い」の構造とそのとらえ方の必要性 を浮かび上がらせてくれるものであろう。 例えば、競技スポーツ先進国である欧・米のシステムは、大きくヨーロッパ型とアメリ カ型に分けられ、前者はクラブ型、後者は学校型のサブシステムをとる。前者のシステム は、 高等教育進学へのキャリアパスが中等教育資格修了試験によって狭くなっているため、 国家を代表するトップアスリートキャリアの受け皿は、国家が準備する公務員職というサ ブシステムに支えられることが多い。引退後のセカンドキャリアは、そこから 3~5 年の 猶予期間を設けてカリキュラム化され保障される。後者のアメリカ型は、最終的には大学 がセカンドキャリアを引き受ける最終段階となるために、卒業率自体が非常に低く、その 切り捨てが我が国以上に大問題となった時期(1970~80 年代以降)があった(大量の脱 落者とその切り捨て。これをアスリートの「社会的死(social death) 」とも呼んだ) 。その 後、NCAA による厳格なトップアスリートに対する奨学金制度の適用と大学全体の卒業率 向上方策(なぜなら脱落者が多い大学はその社会的評価が落ちるため)によって多少の改 善がなされている。プロスポーツ競技種目では、激しい競争によるセカンドキャリア問題 が起きる確率は高いが、その問題としてのとらえ方は極めて低調な傾向があり、その背景 にはトップアスリートがどのようなサブシステムによって育成されてきたのかによって異 なることが理解される。つまり、我が国のセカンドキャリア問題は、一方で学校型サブシ ステムによるトップアスリートとしてのファーストキャリアの期間延長(スポーツを支え る教育的サブシステムによるスポーツタレントへの過度な依存と手段化)がセカンドキャ リア問題をよりいっそう深刻化させるという構造的な課題と同時に、他方でその救済を個 人的な問題として扱うことによってトップアスリートをさらに窮地に追い詰めるという二 重の困難性を抱えてしまうようなサブシステムが存在しているということなのである。 また、その困難性をさらに助長しているのは、トップアスリートのファーストキャリア を支えていた教育的サブシステムと経済的(企業的)サブシステムとの連携が、経済的不 況等による後者のサブシステムの弱体化によって保障されなくなり、さらには、トップア スリートのセカンドキャリアを引き受ける受け皿として、もはや機能しなくなっている現 状が挙げられよう。これに対して、教育的サブシステムは、トップアスリート養成による 経済的・経営的な宣伝効果を期待した彼らのファーストキャリアを保障する受け皿として の機能をますます高めている現状がある。このような教育的サブシステムと経済的(企業 的)サブシステムとの利害状況のギャップが、プロスポーツの隆盛とも相まって、ますま す大量の若年トップアスリートたちのセカンドキャリア問題を構造的に発生させ、個々の 問題をさらに深刻化させていると考えられる。 したがって、本科研における「開発支援システム」とは、単なる個人的なカリキュラム 開発のレベルでは解決できない、トップアスリートの発掘と育成段階における学校(教育 的)サブシステムがスポーツキャリア形成にもたらしてきた負の側面をセカンドキャリア 開発に向けて、どのように改革し、支援していくのか、すなわちファーストキャリアにお ける「開発支援システム」構築の必要性に行きつく問題となるのである。そのためには、 海外のセカンドキャリア「問題」の構造ととらえ方との比較分析を通して、我が国では意 識されにくい、セカンドキャリア問題を社会発生させている構造的問題に目を向けさせる ことが重要であり、その成果の1つが国際シンポジウム「セカンドキャリア問題を考える」 のなかで示されることになった。 また、これまでのセカンドキャリア問題に対する各種調査のレビューから、トップアス リートのセカンドキャリア開発支援に対する「システム」構築のあり方について、短期お よび長期的な視点から提言する必要がある。 2 スポーツキャリアからみたセカンドキャリア「問題」 .1 スポーツキャリアの展望 2.1 スポーツに専心してきた人は誰しも、その継続を望み、できればずっとそれに関連した キャリアを歩みたいと思うことだろう。ここでいうキャリア(career)とは、広くは一般 的な経歴や履歴を指すが、現在では「専門的な仕事あるいは職業そのもの」に限定してと らえる場合も多い。 ところで、我が国のスポーツキャリアを支える教育的サブシステムとは、体育やスポー ツを専門とする高等学校体育専科や大学の体育学部、あるいは体育学科等の教育課程から 学校運動部に至るまで、その学業に専念しながらスポーツパフォーマンスにも(半ば)専 心できる環境を整えている。その意味で、彼らは一般的な意味でのスポーツに関する経歴 や履歴、すなわちスポーツキャリアを半ば「専門的に」積める環境に身を置いていること になる。そして、このような環境状態で今後もスポーツキャリアを継続していこうとすれ ば、大学卒業後にスポーツが継続できる環境のある企業に就職するか、あるいはスポーツ を「行う」こと自体を職業とするプロフェッショナル・スポーツプレイヤーになるしかな い。いずれにしても、自らの競技成績に基づいてスポーツパフォーマンスに専心できるス ポーツキャリアの段階のことを「ファーストキャリア(First Career) 」と呼ぶ。この段階 は、ある意味でたいへん幸せな時期である。学校や企業が自らのスポーツキャリアを支え たり、 自らの実力によってスポーツキャリアを築き上げたりすることができるからである。 だから、スポーツに興味や関心のある者は誰しもが、このようなキャリアを積み上げてい くことが目標となり、夢を抱いて努力を重ねていくことになろう。 .2 スポーツキャリアの困難 2.2 しかし、このようなファーストキャリアは永遠に続かない。スポーツパフォーマンスに は加齢による衰えが必ずやってきて、誰しもが最高レベルの競技の一線から退かなければ ならないからである。つまり、スポーツキャリアには、スポーツに関連する職業に就くか 否かは別にしても、必ず「セカンドキャリア(Second Career) 」を考えなければならない 時期がやってくるのだ。 スポーツ競技引退後の、この第 2 のキャリアを考えていく場合、第 1 のスポーツキャリ ア(ファーストキャリア)に専心してきた者にとっての困難は、この期間が長ければ長い ほど第 2 のキャリアへの移行が難しくなるというところにある。この移行(キャリアトラ ンジッション)を困難にさせているのは、1)スポーツキャリアによる成果が一般的な職 業に就く第 2 のキャリア形成にとって外部から評価しにくい性質を持っていること、そし て、2)指導者やプレイヤーがパフォーマンス向上に専心するあまりセカンドキャリア対 策を怠ること、さらには、3)プレイヤーがこれまでの自身への評価急落を恐れてなかな か周囲の支援機関(例えば、ハローワークなどでの就職相談など)に頼ろうとしないこと、 などがあげられている。 1)について言えば、スポーツで培った能力が、企業への就職や社会におけるキャリア 形成にどれだけ有利に働くのかは不明な点が多い。戦後日本における 1970 年代までの高 度経済成長社会では、当時の企業が求めた能力が単純な作業労働を繰り返し行うことがで きる我慢強さや忍耐力といった精神性に偏る傾向があり、またそのような精神性を企業独 自の研修によってトレーニングする余裕もあったために、むしろ運動部活動を継続して行 ってきた者は、 「体育会系」の一括採用という形で高く評価される傾向にあった。しかし、 今日、キャリア形成に求められる能力は、非常に複雑で個性的なものになってきており、 かつそれがグローバルな次元で評価される高度な水準であることが求められるようにな ってきているからだ。 2)について言えば、我が国のジュニア期におけるスポーツ指導は、小・中・高校とい った校種を区切りにして目標が設定され、比較的短期間にパフォーマンスの向上を求めよ うとする。その結果、スポーツのみに専心させる環境になりがちで、プレイヤーにも勉学 の余裕がない状況がつくられやすい。その上、上級学校への進学においてスポーツパフォ ーマンスのみによって推薦入学が可能な制度があるため、勉学の必要性が猶予されてしま うという悪循環に陥る。特に中・高校期のスポーツキャリアにおいては、プレイヤーのセ カンドキャリア形成のための準備や指導への配慮が重要になってくる。 3)について言えば、日本プロ野球機構(NPB)が 2011 年に若手選手(平均年齢 23.7 歳)223 名を対象に調査した結果では、引退後の生活に不安を感じている選手は 70%に上 り、このパーセンテージはここ 5 年間ほぼ変化していない状況である。セカンドキャリア への不安は、当然のことながらファーストキャリアにおけるパフォーマンスにも悪い影響 を与えると考えられるが、プロ選手はその不安を現在のサポート制度では解消できないジ レンマに陥っていることがわかる。 スポーツ競技引退後のこのような困難が社会的に問題になったのは、 1980 年代において スポーツのプロ化が進行し毎年大量のプロ選手が引退していくアメリカ合衆国において であった。それは、もはや個人的な「引退」の問題ではなく、そのことによって社会的な キャリア(職業)までをも失う「社会的死(social death) 」の問題であり、結果的にはス ポーツの社会的存在意義さえ失うことにつながることが懸念されたのである。スポーツに 専念してきた者が築き上げてきたスポーツキャリアがセカンドキャリアの形成につなが らない個人的困難の度合いが高まれば、スポーツキャリアに対する社会的価値が相対的に 低くなっていくことが考えられる。スポーツの社会的存在意義が失われることの意味は、 スポーツキャリアが外の社会(企業など)のキャリア評価に結びつかないこと(意義の喪 失)が、長い目で見ればスポーツキャリアを形成する担い手である子どもたちのスポーツ 参加を減少させていくこと(存在の喪失)につながりかねないということなのである。 .3 スポーツキャリアから職業へ 2.3 スポーツキャリア(ファーストキャリア)をどのようにしたら充実したセカンドキャ リアへの道につなげることができるのかは、特に体育・スポーツの専門コースに学ぶ子ど もたちにとって重要な課題である。確かに、社会におけるスポーツへの関心は高まり、ス ポーツに直接・間接に関連する職業も、これまでの体育教師やスポーツ指導者に限らず広 がっているようにみえる。 しかし、さまざまな能力や資格を要求される複雑な現代社会における職的基盤の形成の ために、ファーストキャリアにおいてただスポーツパフォーマンスの向上に専念するだけ では個人的にも、社会的にもそのリスクは高いと言わざるをえない。少なくともこのよう なリスクを回避するためには、スポーツパフォーマンスの能力向上と関連させて、セカン ドキャリア形成につながる多様な知的・感性的な能力を含めた総合的な能力開発を怠らな い努力が求められると同時に、そのためのキャリア開発支援システムの構築が必要になっ てこよう。かつて学校では「文武両道」が求められたことがあったが、現在ではスポーツ パフォーマンス向上が総合的な「文」=知識や感性の向上に結びつくと同時に、生活時間 を自らコントロールして勉学の時間を確保し、「武」=スポーツの実践と一体化して取り 組む「文武一道」のシステムが求められているのだ(菊、2012) 。 3 セカンドキャリア「問題」解決の枠組みと方向性 .1 早急に取り組むべきセカンドキャリア開発支援の方向性 3.1 トップレベル競技者に対するセカンドキャリア支援の実態は、競技者が少なからず競技 引退後に不安を感じている状況やセカンドキャリアに対する相談などができる環境の必要 性を求めている状況にある。また、このような状況について、競技者をサポートすべき指 導者や競技団体もそのような認識はあるものの、セカンドキャリア支援に割く時間や資源 がないなどの理由から対応できずにいる。さらに、対応している場合でも、指導者の個人 的な努力やごく一部の企業(所属先) 、競技団体等のケースに限られていることから、指導 者を中心とした競技者を育成する現場においては、総合的なセカンドキャリア支援体制づ くりなどが、現段階で十分に対応されているとはいえず、第一に「国によるサポート体制 の整備に対する支援」を求めており、早急に支援方策が打ち出されることを望んでいるの が現状である。 特に競技者等のニーズが高く、その多数が切実に必要性を訴えているキャリアカウンセ リングの実施や指導者となるための研修、資格取得などの支援について、個人、所属先(企 業等)及び競技団体などがそれぞれで実施していくことは、実施頻度や実施内容、継続性 や事業規模等に限界がある。国際競技力向上に向けて、早急にセカンドキャリア支援への 取り組みを統括して実施できる国又はJOCが中心となって、今後の対応を進めていく必 要があろう。 また、トップレベル競技者を社会へ還元していくというセカンドキャリアの長期的課題 については、競技者の多くが引退後には指導者としてのセカンドキャリアを希望している ことから、彼らの持つ資質を社会に還元するというスタンスを大きく打ち出し、特にスポ ーツ界への還元を進めていく視点から、競技者がスポーツ指導者等への積極的な転身を図 り、自身の培った経験を後進のトップレベル競技者の育成・強化に資することができるよ う、それまでのスポーツキャリアを活かすことのできる進路選択を支援するための活用方 策づくりが急務である。 併せて、指導者や競技団体のトップレベル競技者のセカンドキャリア問題に対する意識 の低さが浮き彫りにされていることなどから、長期的視野に立ちつつも現段階から早急に 実施すべきこととして、国が、まず競技者の日常の生活やトレーニングの場において、現 役中の競技者に対して、セカンドキャリアの問題について理解を深めるシステムづくりを 進めていく必要がある。 特にセカンドキャリア問題では、 トップレベル競技者として活躍することを目指し、 日々、 競技活動に専心しているジュニア期の競技者に対する対策が極めて重要である。なぜなら 「競技現役中から競技引退後までのキャリアデザインなど、競技現役中のファーストキャ リアで取り組むべきこと」については、競技者を取り巻く指導者や保護者などを含めて、 広く認知・教育啓発を行うことが必要だからある。また、トップレベル競技者、指導者、 チーム、競技団体に対しても、セカンドキャリア問題やセカンドキャリア支援の在り方な どについて普及啓発を行っていくこと、及びそれらの活動を競技者が引退した時点ではな く、現役中から意識させる機会をあらゆる場面で提供していくことなどの取り組みが必要 なことの理解をより一層浸透させていくことが大切である。 3.2 長期的視野に立って取り組むべきセカンドキャリア開発支援の方向性 今後、我が国の国際競技力向上の観点から、 「発掘・育成・強化・セカンドキャリア(活 用) 」という一貫指導システムの構築要件のなかに、セカンドキャリア支援の位置づけを明 確にすることで、競技者が培った人材価値の社会的還元に向け、引退した競技者を指導者 として活用していく方向性をもつことが重要である。そのためには、必要なスポーツキャ リアとしてのスキル等の積み重ねはもとより、スポーツ及びスポーツ以外の多様な能力・ 技能をジュニア世代から継続して開発し、身につけさせていくことが非常に大切となる。 言い換えると、次代を担う子どもたちにスポーツで夢を見せられるように、一貫したサポ ート体制の整備が極めて重要となってくるのであり、そのことによって少子化時代のより 多くの保護者は、子どもたちに安心してスポーツキャリアを歩ませることができるように なるだろう。 これらの長期的視野に立ったセカンドキャリア開発支援の方向性が、競技者のスポーツ (競技)パフォーマンスの向上に結びつくのはもちろんのこと、国レベルにおける社会的 価値・文化的価値を向上させるトップレベル競技者を国家的なエリート・アスリートモデ ルとして、国際舞台で活躍する人材へと育成していくことへ繋がっていく。また、彼らの 能力にその社会的汎用性を広く持たせることができるためには、さらなるスポーツ文化の 価値観の向上及びスポーツによる職域開発を図っていくことができるような開発支援シス テムを具体的に検討していく必要がある。 併せて、企業スポーツについては、我が国における国際競技力向上を支える役割が依然 として高いことから、新しい企業スポーツのあり方を考えていく上でも、企業チームを持 つ意義が多様化していくなかで、企業が企業チームを持つ社会的・経済的意義を向上させ ることが重要となってきている。すなわち、企業が雇用するに値するトップレベル競技者 像となりうる人材の育成という観点からも、競技者のライフスキルの向上やキャリアアッ プに取り組んだり、目指したりすることが容易にできる環境づくり・体制づくりを展開し ていく必要があると考えられる。その意味で、今後は企業ブランド向上のために、トップ アスリートが入社後に競技成績の向上を目指すのはもちろんではあるが、優れた人材の入 社による企業価値の向上方策の一つとして、スポーツを通じた企業の地域貢献やCSR (Corporate Social Responsibility,企業の社会的責任を果たす)活動に競技者を積極的 に活用する方法などが有効ではないかと考えられており、このモデル事業として取り組ん だり、実際にこれらに関係する活動や事業を数多く実施したりすることで、企業チームひ いてはスポーツの価値向上にも繋がっていくと考えられる(佐伯,2007) 。すでに我々は、 この点について、スポーツの社会的、文化的価値の汎用性を 2011 年 3 月 11 日に起きた東 日本大震災後におけるスポーツのそれにみることができたはずである。 3.3 セカンドキャリア開発支援における短期的及び長期的な方向性とその関係 以上のようなトップアスリートのセカンドキャリア開発支援における短期的及び長期 的な方向性を具体的な支援開発目標に落とし込みながらシステムとして体系化し、整理す ると、次ページのような概念図を描くことができよう。 まず、トップアスリートのセカンドキャリア開発支援の長期的課題とは、スポーツパフ ォーマンスをイベントとしての勝敗的価値に止まらせるのでなく、そこに至る意味や意義 のプロセスを含めて、社会的・文化的価値としてとらえることから設定されなければなら ない。そのためには、トップアスリートにおけるスポーツキャリア価値を社会的な汎用性 をもつものとしてとらえ直し、再評価するなかで、その向上を図る必要がある。特に国家 レベルの社会・文化的モデルとしてのトップアスリートの育成・強化は、この汎用性をめ ざした社会に必要とされるエリートモデルとしてのパフォーマンス・ライフスタイルを形 成するよう導かれなければならない。その社会的な汎用性をもったブランドプロモーショ ンの結果として、スポーツ「への」職域開発やスポーツに「よる」職域開発が可能となり、 将来的には教育的サブシステムだけに依存しない多様なサブシステムによる職域開発とス ポーツ産業開発に求められる開発支援目標が示されることになると考えられる。 この長期的課題を解決していく開発支援目標は、概ね 4 つの内容を短期的、長期的内容 にそれぞれ分けられつつ、前者が後者を達成するよう設定されることになる。 1 つ目は、トップアスリートの一貫指導システムにおける「活用」 (セカンドキャリア) を最終目標に置いたキャリア開発支援システムの構築を各地域(ローカリティ)別に拠点 化していくことである。そのために、短期的にはナショナルトレーニングセンターが展開 しているセカンドキャリア支援事業を活動拠点としながら、その実績を積み上げつつその 活動拠点の範域を各地域ブロックや各都道府県に広げていく戦略が必要であろう。 2つ目は、キャリアカウンセラー(キャリアアドバイザー)の地域派遣を行き届かせる キャリア開発支援システムの構築である。短期的には、1 つ目の課題と連動するが、ナシ ョナルトレーニングセンターが展開しているセカンドキャリア支援事業のなかにキャリア カウンセラー養成システムを組み入れていくことが重要になってくる。 3つ目は、現在行われている短期的なトップアスリートや指導者の海外派遣事業をさら に拡張して国内外の大学、大学院進学への補助を拡充し、長期的にはファーストキャリア 段階におけるタレント発掘事業やエリートアカデミー事業とリンクさせて、セカンドキャ リア開発支援システムを構築するための一貫したカリキュラム開発を推進することである。 そして最後に、これらのセカンドキャリア開発支援システムをトータルに構築していく ためには、短期的には綿密なプロジェクト型実態調査を積み重ねつつ、長期的には産・官・ 学の連携によるトップアスリート資源の査定と需給の体制づくりが重要になってこよう。 長期的課題 ↑(ブランドプロモーション) 国レベルにおける社会・文化的モデルとしてのトップアスリート =モデルとしてのパフォーマンス・ライフスタイル ↑ トップアスリートにおけるスポーツキャリア価値の社会的汎用性の向上 ↑ 社会・文化的価値としてのスポーツパフォーマンス向上の重視 開発支援目標 1 (長期的)一貫指導 (短期的) システム の構築-<発掘→育成→強化→ 活用>…地域拠点 活動拠点としての組織づくり ・ナショナルトレーニングセンターによるセカンドキャリア アカデミ ープロジェ クト事業の展開 2 (長期的)システムづくりのための (短期的) 3 キャリアカウンセラー (長期的)システムづくりのための =ファーストキャリア 人材養成・配置 の整備 (キャリアアドバイザー) 地域派遣事業 カリキュラム開発 (エリートスクール、タレント発掘事業等)における多様な 能力開発 (短期的)トップアスリート・指導者 選手・指導者スポーツ 4 (長期的)システムづくりのための 海外派遣(研修)事業 活動助成拡充(能力育成教育:国内) 産・官・学連携 づくり =民間・営利組織 の活用と指導 (短期的) 大学等への調査研究 の委託と連携 4 セカンドキャリア開発支援の具体的課題 4.1 トップアスリートのスポーツ指導者としての活用方策 トップレベル競技者は、今日においても自らのキャリア形成を直接生かすことができる スポーツ指導者への需要がきわめて高く、「スポーツ基本計画」においてもこの需要に応 えるべく指導者としての活用については、「好循環」というフレーズによって強くこの方 針を打ち出している。しかし、今日まで都道府県における中高の教員採用枠は少子化と団 塊世代教員との需給バランスから極端に抑えられるとともに、国民体育大会の「教員の部」 廃止等の影響も重なり、トップレベル競技者のスポーツキャリアを指導者として生かす道 は、むしろ徐々に狭められてきている。 このような状況を踏まえると、平成 16~19 年度にかけて都道府県・政令市の教員採用 において、特にスポーツでの特定の資格や経歴をもつ者、あるいはスポーツでの秀でた技 能や実績、豊富な経験を有する者に対して試験の一部を免除したり、一般選考とは別に特 別選考を実施したりしている県市が出ていることは新たな動向として歓迎されるかもしれ ない。しかし、この動向をかつての国体向け対策やジュニア強化指導に特化させ、団塊世 代のスポーツ指導者自然減に対する都道府県単位の補充にのみ任せていては、結局のとこ ろ短期的な需要増にしか結びつかないことが考えられよう。これを長期的な需要と活用に 結びつけていくためには、トップレベル競技キャリアがトップレベル指導者能力を有する というこれまでの素朴な外的評価のみに頼るばかりでなく、トップアスリートのファース トキャリアの中で彼らに対するコーチング能力をより一層育成させていくことはもとより、 広く教育者としての資質を向上させ、スポーツ資源が有する地域や社会に対する意義や価 値を地道に伝えていけるコーチング養成システムが必要である。それはまた、採用された トップアスリートが、学校という場だけでなく、今後求められる地域スポーツクラブをは じめとする地域スポーツ資源やこれら資源を通じた地域活性化への幅広い貢献をますます 期待されるとともに、そのような人材として活用される必要があるからでもある。むろん、 スポーツ基本計画における「好循環」は、このような開発支援システムの構築をめざして いるものではあるが、これまでと同様の、単に競技活動に専念しさえすればよいというよ うなファーストキャリア観では、セカンドキャリア開発支援にはならないことを自覚すべ きである。 したがって、都道府県レベルにおけるトップレベル競技者の採用をさらに促進していく ためには、彼らの競技キャリアの中で豊かな指導者資質を養成していくトップアスリート に特化したエリート教員養成システムを組み込んだファーストキャリアシステムと、採用 後のより豊かな資質向上をめざすセカンドキャリアシステムを融合するトップアスリート 活用指導者養成システムを国家レベルでモデル化し、事業化して安定した需給関係を構築 することをめざさなければならない。 一方、これまで地域の生涯スポーツ振興の中心的施策の1つとして推進されてきた総合 型地域スポーツクラブでは、確かに指導者登録を拡大したり、専任指導者を雇用する体制 を進めたりしようとしているクラブが見受けられるようになってきている。しかし、全般 的にはトップアスリートの指導者としての影響力の大きさは認めつつも、まだまだ財政的 に安定した専任スポーツ指導者の雇用を実現するには至っていない状況がある。むしろ、 トップアスリートの雇用については、その特有の社会的、文化的付加価値を地域全体や地 域スポーツ需要のあり方に活用させる長期的施策が必要であり、そのようなアイディアが すでに示されている事例もみられる。例えば、NPO 法人ごうどスポーツクラブでは、クラ ブ事業の見直しの中でより高い料金設定への需要見込みとしてトップレベル競技者の指導 能力に期待しているように思われるし、そのことが単に料金が安く一律にみられてしまう 総合型モデルの魅力ある事業化につながると考えられているようである。また、NPO 法人 クラブレッツでは、地元企業の地域貢献事業や CSR 戦略を具体的に展開していく受け皿と して総合型クラブによるネットワークづくりが今後のクラブ展開の重要な課題であると認 識されている。だとすれば、むしろ地元出身のトップアスリートによる指導資源とその活 用こそが、クラブネットワークづくりや地元企業の貢献事業および CSR 戦略に対して重要 な役割を果たす可能性として期待されることになる。その実現のためには、今後長期的な 視野に立って、国がトップアスリートに対し狭い意味でのスポーツ種目技術指導者として 活用する方策をとるのではなく、広い意味でその社会的期待にふさわしい企業による地域 貢献や CSR 活動の一翼を担い、クラブネットワークをプロデュースする能力を育成してい くトップアスリート活用支援システムが必要とされているということになろう。 4.2 トップスポーツ(アスリート)資源の社会的還元へのしくみづくり これまでトップスポーツ(アスリート)資源の社会的還元については、プロスポーツ界 や企業スポーツにおいて、例えばサッカー協会による「JFA こころのプロジェクト」 、三井 住友海上柔道クラブによる「少年少女柔道教室」 、松下電器産業による「企業スポーツセン ター」などが事例として取り上げられるが、これら資源の社会的還元という観点で共通し ているのは、次代を担う子どもたちに対する健全育成の一翼を担う役割を果たそうとして いる点である。競技団体であれ、企業であれ、所有するアスリート資源を子どもの教育と いう観点に照らして、その資源の社会的な有効活用を考えようとしているのである。その 意味で、スポーツ資源は第一に教育的資源としてとらえられ、とくに青少年期の子どもた ちへの影響力が期待されると同時に、そのような社会的還元を通じて当該競技団体や当該 企業イメージの向上資源としてとらえられているといえよう。 しかし、例えば企業スポーツセンターの事例では、シーズンオフを中心にした所属アス リートのさまざまな PR 活動を通じた松下電器の企業としてのブランドプロモーション活 動が、従来の企業メセナ活動と異なり、企業からみたトップスポーツ(アスリート)資源 の社会的還元をより中長期的に企業ブランド形成に貢献するという見通しのもとで展開さ れている傾向がみられる。成熟社会における 21 世紀型グローバル企業にとっては、これ までのような末端の商品宣伝による短期的需要の喚起に加えて、企業コンプライアンスや 企業ブランドの重要性にみられるように企業自体の社会的信頼性を向上させるイメージ戦 略として、その資源が名実ともに重要視されている。今後の企業のスポーツ支援について は、 1)高度企業スポーツを有する企業スポーツ担当者の専門化とトップアスリートのプロ フェッショナル化による、スポーツ発展への文化的貢献、国際競技力の開発と向上、 経営戦略的活用 2)企業と地域住民との交流メディアとして、企業スポーツの価値による、企業と地域 クラブとの多様な関係性構築にもとづく地域貢献・社会貢献へのトータルな支援シ ステムの構築や活用 3)企業の職場環境や高品位の労働力確保に果たす企業スポーツの価値による、人間的 な職域づくりへの主体的な参加と貢献をめざす企業スポーツの福祉的活用 といった 3 つの活用モデルが考えられる。実際の経営戦略は、これら 3 つの活用モデル の複合的活用によって展開されていくであろうが、いずれにしても、今後の企業スポーツ の還元は、これからの企業経営の重要な経営資源的価値としてトップスポーツ(アスリー ト)資源を新たに位置づけていかなければ、スポーツ・サブシステムとして機能すること が不可能であろう。また、プロフェッショナル・スポーツとして成立しているサッカーに おいても、同様にその資源を地域貢献にまで発展させ、地域に密着したサッカーフランチ ャイズのトータルで自立的な活動として、むしろこの事業をサッカー協会と切り離して育 成し汎用性のある(サッカーだけではない、またスポーツだけにもこだわらない、広い意 味での文化的な)アスリート事業として発展させていこうとしているように思われる。 このような広い意味での文化としてのトップスポーツ(アスリート)資源の社会的還元 は、今後より一層社会的に期待されるばかりでなく、それぞれの関係主体(例えば、企業 や競技団体、地方自治体や学校等)によって求められる基本的内容となってくることが予 測される。メディア社会の進展に伴ってトップアスリートが有する資源は、単なるパフォ ーマンスレベルから、それに伴って付随する、あるいは育成されていると期待される社会 的、文化的な価値の体現とセットで、さまざまな経営資源的価値に転換されながら社会的 に幅広く還元されていく可能性を有しているのである。 今回の研究で示唆されたトップスポーツ(アスリート)の社会的還元の現状と今後の幅 広い還元可能性を予測するならば、教育的価値の還元にとどまらない社会的還元にふさわ しいトップアスリートの資質や能力の育成に関するファーストキャリア段階からの育成 システムづくりや、これと関連する企業や自治体を巻き込んだ社会的還元システムの全国 的展開が必要となる。このような社会的還元の開発支援システムの構築は、トップスポー ツ(アスリート)資源の社会的、文化的価値の汎用性を維持・向上させるという観点から、 国家的なレベルでの長期的な視野に立ったモデル化と事業化の提示が不可欠であり、その 基準からみたビジョンと政策が示唆される必要があると考えられる。 5 まとめにかえて 本研究では、トップアスリートのセカンドキャリア開発支援システムを構築するための 認識論的な課題設定を行うために、セカンドキャリア「問題」の構造論的把握の視点を明 らかにするとともに、この課題解決の方向性を短期的及び長期的なスパンから考える方向 性を明らかにしてみた。 その結果、今後のトップアスリートのセカンドキャリア開発支援について、主に長期的 視野に立って取り組むべき内容が重要であることを指摘し、その具体的な課題を、1)ス ポーツ指導者としての活用方策と、2)トップスポーツ(アスリート)資源の社会的還元 へのしくみづくり、という 2 点から考察し、次のことが明らかとなった。 1)スポーツ指導者としての活用方策については、ここ最近、地方自治体レベルで再び トップレベル競技者の試験免除制度や特別選考が行われるようになってきている。 また、行政外の総合型地域スポーツクラブでも、指導者の登録数拡大や有給指導者 の採用への努力が続けられていること。 2)トップスポーツ(アスリート)資源の社会的還元のしくみづくりについては、競技 団体と企業スポーツ双方のレベルで、地域貢献の一環として子どもの健全育成とい った教育的価値に着目した還元事業が共通に展開されていること。 しかし、1)については、かつての国体やジュニア強化に対する短期的な指導者補充事 業に陥らないために、トップレベル競技者としての指導資質をさらに向上させるファース トキャリアシステムの構築が課題であり、それらの成果を地域スポーツ資源として永続的 に活用させていくセカンドキャリアシステムとの一貫性が課題として挙げられる。 また、2)については、競技団体や企業がかつてのようなメセナ事業的な感覚でこれら の事業を行うのではなく、今後求められる競技団体や企業に対する社会的信頼や地域貢献、 あるいはCSRの重要な経営資源としてトップスポーツ(アスリート)資源がとらえられ、 これを事業化していくことが課題となっており、そのために必要な行政や学校との連携、 および教育的価値にとどまらない社会的、文化的な価値の創造とその社会的汎用性の向上 とが課題として挙げられる。 以上のような現在の動向とそれらが示唆する課題は、いずれも単に短期的なトップアス リートの個人的なセカンドキャリア支援によって解決されるものではなく、その解決のビ ジョンは 21 世紀型成熟社会に必要とされる教育的、文化的、経済的な価値に転換可能な トップスポーツ(アスリート)資源の重要性を示唆している。したがって、今後のセカン ドキャリア開発支援の理論的方向性としては、国レベルの重要なスポーツ政策の一環とし てこのような課題を長期的にとらえるとともに、スポーツ資源の社会的、文化的価値の汎 用性を向上させる諸環境の整備とシステム構築を積極的に推進し、トップアスリートの諸 能力が生涯スポーツ社会における真の社会的活性化に貢献しつつ、その新たな需給関係モ デルがスポーツへの職域開発とスポーツによる職域開発に結びつくような自立したスポ ーツシステムとこれを支えるサブシステムを構築する理論フレーム(概念枠組み)がめざ されなければならないと考えるものである。このような理論フレームは、結局のところ、 スポーツによる国づくりといった「スポーツ立国戦略」の限界を超えて、スポーツの(を 通した)グローバル戦略を示唆するものであり、トップアスリートのキャリア資源がその 重要な戦略の一翼を担う、グローバルな汎用性をもったプロフェッション(専門職)領域 として確立する可能性を示唆しているのである。 文 献 菊 幸一・吉田幸司(2006)基礎研究チーム報告.トップアスリートのセカンドキャリア 支援教育のためのカリキュラム開発(1)平成 17 年度報告書~研究の構想と基礎的研 究を中心に~(平成 17 年度筑波大学大学院修士課程体育研究科特別教育研究経費研究 報告書) 、pp.7-100. 菊 幸一・吉田幸司(2007)基礎研究チーム報告.トップアスリートのセカンドキャリア 支援教育のためのカリキュラム開発(2)平成 18 年度報告書~基礎研究からカリキュ ラム開発へ~(平成 18 年度筑波大学大学院修士課程体育研究科特別教育研究経費研究 報告書) 、pp.2-56. 菊 幸一・吉田幸司(2008)セカンドキャリア問題を捉える視角.トップアスリートのセ カンドキャリア支援教育のためのカリキュラム開発(3)平成 19 年度報告書~日本型 支援モデルの提案~(平成 19 年度筑波大学大学院修士課程体育研究科特別教育研究経 費研究報告書) 、pp.5-45. 菊 幸一(2012)スポーツキャリアとは.高橋健夫・大築立志・本村清人・寒川恒夫・友 添秀則・菊幸一・岡出美則編著 基礎から学ぶスポーツリテラシー.大修館書店:東京, pp.150-151. トップレベル競技者のセカンドキャリア支援に関する調査研究協力者会議(2008)トップ レベル競技者のセカンドキャリア支援に関する調査研究事業報告書.文部科学省. 佐伯年詩雄(2007)現代企業スポーツ論.不昧堂出版:東京,pp.233-316.
© Copyright 2024 Paperzz