発行 哀悼の 哀悼の夏ふたたび NPO ライフサポート お・りーぶ 2014年 年8月01日 41号 号 2014 01日 第41 8月8月6日・8月9日・8月15日 15日戦艦 日本の 日本の夏の炎暑は 炎暑は草木も 草木もグッタリとしなだれる グッタリとしなだれる。 としなだれる。花木の 花木の水やりに手間 やりに手間がかかる 手間がかかる。 がかかる。昨夏の 昨夏の猛暑、 猛暑、酷暑によって 酷暑によって柿 によって柿の生産農家では 生産農家では大不作 では大不作となった 大不作となった。 となった。柿の表面が 表面が日焼け 日焼け し変形して 変形して出荷基準 して出荷基準に 出荷基準に満たなかった。 たなかった。この夏 この夏も熱中症で 熱中症で騒がしい。 がしい。やせ我慢 やせ我慢は 我慢は禁物で 禁物で自然の 自然の恐ろしさに頭 ろしさに頭を垂れよう。 れよう。八月は 八月は日本人の 日本人の暮らしの風土 らしの風土にまみえ 風土にまみえた にまみえた盂 蘭盆、 蘭盆、精霊流し 精霊流し、放生会などの 放生会などの仏教行事 などの仏教行事が 仏教行事が多い。そんな哀切 そんな哀切の 哀切の心情に 心情に終戦の 終戦の日が重なる。 なる。終戦とは字面 とは字面だけの 字面だけの誤魔化 だけの誤魔化しで 誤魔化しで、 しで、人心も 人心も国土も 国土も灰燼に 灰燼に帰した徹底的 した徹底的 な敗戦( 敗戦(無条件降伏) 無条件降伏)を強いられた。 いられた。大空襲による 大空襲による都市 都市の の 破壊と 破壊 と 無差別殺戮、 無差別殺戮 、 人類史上皆無の 人類史上皆無 の 大量破壊兵器( 大量破壊兵器 ( 原子爆弾) 原子爆弾 ) による二度 による 二度の の 虐殺、 虐殺 、 沖縄など 沖縄 など激戦 による都市 二度 など激戦 地における玉砕 における玉砕・・・ 玉砕・・・。 ・・・。連合国による 連合国による許 による許されざる人権 されざる人権蹂躙犯罪行為 人権蹂躙犯罪行為であるが 蹂躙犯罪行為であるが、 であるが、日本は 日本は被害者であると 被害者であると同時 であると同時に 同時に侵略国における 侵略国における極悪非道 における極悪非道な 極悪非道な加害者でもあった 加害者でもあった。 でもあった。八月は 八月は こころが こころが重くなる。 くなる。負けるということは けるということは衣食住 ことは衣食住が 衣食住が崩壊すること 崩壊すること。 すること。人はそれでもけなげに はそれでもけなげに生 けなげに生きる・・・。 ・・・。天皇の 天皇の玉音放送の 玉音放送の直前、 直前、新聞記事に 新聞記事に載った食事法 った食事法で 食事法で、当時の 当時の人々 に推奨した 推奨した緊急時 した緊急時食 緊急時食べ物は・・・蛋白質 ・・・蛋白質の 蛋白質の不足は 不足はカイコの カイコのマユ、 マユ、ミミズ、 ミズ、イナゴ、 イナゴ、イエネズミ、 イエネズミ、ドブネズミ、 ドブネズミ、モグラ、 モグラ、カタツムリ、 カタツムリ、ヘビなどで ヘビなどで。 などで。ドングリ、 ドングリ、落花生の 落花生の殻、穀物の 穀物の 皮、おがくずで おがくずで澱粉不足を 澱粉不足を補えと。 えと。お茶の葉、花、葉、バラの バラの実などで などでミネラルを ミネラルを食すべしと。 すべしと。こんな状態 こんな状態でよくもまあ 状態でよくもまあ本土決戦 でよくもまあ本土決戦ができたものだ 本土決戦ができたものだ。 ができたものだ。言葉を 言葉を失う。ワヤや ワヤや。 〝仏文学者山田登世子教授〟 仏文学者山田登世子教授〟 はじめて先生 はじめて先生の 先生の著作に 著作に触れたのは今 れたのは今から16 から16年前 16年前のこ 年前のこ と。旅行会社勤務の 旅行会社勤務の傍ら、名古屋、 名古屋、岐阜、 岐阜、大垣の 大垣の女子大、 女子大、女 子短大で 子短大で「国際観光論」 国際観光論」の講師を 講師を務めていた。 めていた。教材として 教材として先生 として先生の 先生の 『リゾート世紀末 リゾート世紀末』 世紀末』を参考にした 参考にした。 にした。女子学生の 女子学生の憧れの地 れの地であったパリ であったパリの パリの文化を 文化を 学術的に 学術的に理解する 理解する最適 する最適の 最適の本であった。 であった。学術研究の 学術研究の苦難の 苦難の若き日々を回想する 回想する著者 する著者のあとがきを 著者のあとがきを 読んで感動 んで感動した 感動した。 した。シャネルはまったくの シャネルはまったくの関心外 はまったくの関心外で 関心外でブランドにも ブランドにも興味 にも興味なかった 興味なかった。 なかった。ただ山田教授 ただ山田教授の 山田教授の 学術的研究に 学術的研究に傾倒した 傾倒した。 した。以下、 以下、参考資料を 参考資料を列記。 列記。ポール・ ポール・モラン秦早穂子訳 モラン秦早穂子訳『 秦早穂子訳『獅子座の 獅子座の女 シ ャネル』 、山口路子『 ャネル』 山口路子『ココ・ ココ・シャネルという シャネルという生 という生き方』、クレード 、クレード・ クレード・ドレ上田美樹訳 ドレ上田美樹訳『 上田美樹訳『ココ・ ココ・シャ ネル』 、ジャネット ネル』、山口昌子 、山口昌子『 山口昌子『20世紀特派員 20世紀特派員・ 世紀特派員・皆殺しの 皆殺しの天使 しの天使』 天使』 、ジャネット・ ジャネット・ウォラク中野香織訳 ウォラク中野香織訳『 中野香織訳『シャ ネル スタイルと 『服飾事典』 (文化出 スタイルと人生』 パトリック・ジュースキント池内紀訳 ジュースキント池内紀訳『 池内紀訳『香水』 香水』。 服飾事典』 (文化出 Black is人生』、パトリック・ 版局) 『モードの 版局)あとは山田教授 あとは山田教授の 山田教授の本ばかり。 ばかり。『リゾート世紀末 リゾート世紀末 水の記憶の 記憶の旅』(筑摩書房 (筑摩書房) 筑摩書房) モードの 帝国』 筑摩書房) 『バルザック (藤原書店 『ブランド (マガジンハウス 帝国』(筑摩書房 ( 筑摩書房) 『バルザック風俗研究 バルザック風俗研究』 風俗研究』 (藤原書店) 藤原書店) 『ブランドの ブランドの研究』 研究』 (マガジンハウス) マガジンハウス) Beauty 『メディア都市 (ちくま 『シャネル (朝日新書 『ブラン メディア都市パリ 都市パリ』 パリ』 (ちくま学芸文庫 ちくま学芸文庫) 学芸文庫) 『シャネル最強 シャネル最強ブランド 最強ブランドの ブランドの秘密』 秘密』 (朝日新書) 朝日新書) ドの条件』 (岩波新書 『贅沢 (岩波新書 『ファッションの (講談社 『恍惚』 (文 条件』 (岩波新書) 岩波新書) 『贅沢の 贅沢の条件』 条件』 (岩波新書) 岩波新書) ファッションの技法』 技法』 (講談社) 講談社) 恍惚』 (文 藝春秋) 『娼 (日本文芸社 『華やぐ男 (ポーラ 『偏愛的男性論 藝春秋) 『娼婦』 (日本文芸社) 日本文芸社) やぐ男たちのために』 たちのために』 (ポーラ文化研究所 ポーラ文化研究所) 文化研究所) 『偏愛的男性論』 偏愛的男性論』 (作品社) 『有名人 (河出書房新社 作品社) 『有名人の 有名人の法則』 法則』 (河出書房新社) 河出書房新社)それに翻訳書 それに翻訳書として 翻訳書としてエレミール としてエレミール・ エレミール・ブールジュ『神々 の黄昏』 (白水社) ・『モーパッサン短篇集 (ちくま (ち 黄昏』 白水社) モーパッサン短篇集』 短篇集』 (ちくま文庫 ちくま文庫) 文庫)・『ロラン・ ロラン・バルトモード論集 バルトモード論集』 論集』 (ち くま学芸文庫 、Eカランシュス (海出版社 、ポール くま学芸文庫) 学芸文庫) 、Eカランシュス『 カランシュス『ダンディの ダンディの神話』 神話』 (海出版社) 海出版社) 、ポール・ ポール・モラン『 モラン『シャネル 人生を (中公文庫 。日経新聞の (日曜 人生を語る』 (中公文庫) 中公文庫) 日経新聞の文芸欄や 文芸欄や中日新聞の 中日新聞の「中日新聞 中日新聞を 新聞を読んで」 んで」 (日曜連載 日曜連載) 連載) で辛辣な 辛辣な現代時評を 現代時評を展開されている 展開されている。 されている。二年前に 二年前に山田教授のもとで 山田教授のもとで勉強 のもとで勉強する 勉強する愛知淑徳大 する愛知淑徳大学大学院 愛知淑徳大学大学院 博士課程後期 博士課程後期の 課程後期の研究生として 研究生として出願 として出願したが 出願したが、 したが、先生の 先生の体調不良で 体調不良で専攻を 専攻を変えた。 えた。大学院研究生とし 大学院研究生とし て先生の 先生の「シャネル研究 シャネル研究」 研究」の聴講生となっ 聴講生となった となった。青春まっただ 青春まっただ中 まっただ中の女子学生に 女子学生に混じって、 じって、恥じら いもなく前列 いもなく前列で 前列で先生と 先生と対面した 対面した。 した。昭和二〇 昭和二〇年の同世代、 同世代、白髪の 白髪の老学徒を 老学徒を前にして先 にして先生はたじろ いだかも。 いだかも。疲労気味の 疲労気味の先生の 先生の体調を 体調を気遣って 気遣って、 授業終了時の黒板消しが 黒板消しが私 仕事になった。 って、授業終了時の しが私の仕事になった になった。 長崎医大) 永井隆博士(長崎医大) 「この子 この子を残して」 して」 原爆悲劇 原爆 悲劇 『長崎の 長崎の鐘』 (昭和24 昭和24年 24年)唄 藤山一郎 作詞: :サトウ ハチロー 作曲: 作詞 作曲:古関裕而 こよなく晴 しと思 せつなさよ こよなく晴れた 青空を 青空を 悲しと 思う うねりの波 波の 人の世に はかなく生 うねりの はかなく生きる 野の花よ なぐさめはげまし 長崎の ああ長崎 長崎の 長崎の ああ 長崎の 鐘が鳴る 召されて妻 されて妻は 天国へ 天国へ 別れてひとり 旅立ちぬ 旅立ちぬ かたみに残 残る ロザリオの 鎖に白き わが涙 かたみに ロザリオの わが涙 なぐさめはげまし 長崎の 長崎の ああ長崎 ああ長崎の 長崎の 鐘が鳴る こころの罪 こころの罪を うちあけて 更けゆく夜 けゆく夜の 月澄みぬ 月澄みぬ 貧しき家 気高く マリア様 しき家の 柱にも 気高く白き マリア様 なぐさめはげまし 長崎の 長崎の ああ長崎 ああ長崎の 長崎の 鐘が鳴る 昭和二十年八月九日午前十一時〇 昭和二十年八月九日午前十一時〇二分長崎市上空に 二分長崎市上空に閃光がひらめいた 閃光がひらめいた。 がひらめいた。ヒロシマ に次ぐ人類史上二発目 人類史上二発目の 二発目の原子爆弾( 原子爆弾(プルトニュウム型 プルトニュウム型)が炸裂した 炸裂した。 した。爆心地は 爆心地はカトリ カトリ ックの ックの殿堂浦上天主堂上空 殿堂浦上天主堂 上空で 上空で 、一瞬にして 一瞬 にして焦熱地獄 にして焦熱地獄となった 焦熱地獄となった。B となった 。B29 。B 29の 29の原爆投下第 一目標地点は 一目標地点は小倉市であったが 小倉市であったが、 であったが、たまたま視界不良 たまたま視界不良で 視界不良で 長崎に 長崎になった。 なった。長崎医大の 長崎医大の 放射線研究医師永井隆博士 放射線研究医師永井隆博士は 線研究医師永井隆博士は被爆しながらも 被爆しながらも患者 しながらも患者の 患者の治療にあたった 治療にあたった。 にあたった。奥様は 奥様は防空 壕 で即死し 即死し 、疎開中の 疎開中の二人の 二人の子 どもは助 どもは助 かった。 かった。愛し 子をのこして死 をのこして死 に往 く博士の 博士 の 内奥を 内奥を病床に 病床に臥しても しても書き続けた。 けた。「長崎の 長崎の鐘」「この 」「この子 この子をのこして」 をのこして」など涙 など涙なしに読 なしに読 むことができない。 むことができない。長崎市内観光バス 長崎市内観光バスで バスでガイドさんがこの ガイドさんがこの話 さんがこの話をしてくれた。 をしてくれた。涙で聴い た 。この春の修学旅行で 修学旅行で横浜市の 横浜市の中学生複数が 中学生複数が被爆語り 被爆語り部 老人に 老人 に腹をたてて「 をたてて「死 に損ない」「 ない」「うざい 」「うざい」 うざい」「きもい」 きもい」などと などと暴言をはいた 暴言をはいた。 をはいた。社会問題となった 社会問題となった。 となった。中学生の 中学生の無知 といえども・・・ といえども・・・やるせないいきどおりを ・・・やるせないいきどおりを感 やるせないいきどおりを感じる。 じる。広島も 広島も長崎も 長崎も風化させ 風化させてはならない させてはならない。 てはならない。 後 これでいいの かニッポン 赤信号みんな 赤信号みんな で渡れば・・ れば・・ 例年、8月15日が近づくと新聞各社は特集記事で 先の大戦(日本では大東亜戦争:アメリカでは太平洋戦 争)の歴史的事実(国家の戦争責任)解明の論陣をはった。 今年は紙面からその気配を感じない。何故だろうか。新聞マスコミが安 倍政権に対して自粛しているのであろうか。新聞よりも特ダネすっぱ抜き 事件記者が筆をとる週刊誌の方が事の真相をついているかも。ただ、売 らんかの巻末ヌード写真がドギツクて買いひかえてしまう。週間誌〔7月 3日号〕でNHK報道の実態を暴露していた。報道番組「クローズアップ 現代」で国谷ニュースキャスターが菅官房長官をゲストに迎え、集団的 自衛権行使容認をめぐる手厳しい質問をしたことに、官邸から横槍が入 った。NHKはトップの何とか(バカらしくて名を記せない)会長があわて ふためき、番組関係者は土下座をさせられた・・・と。マスコミ報道関係が 権力に追随し、おもね、報道の真実性から遠ざかれば・・・国民の知る権 利が侵害されて、戦前の情報操作になりかねない。ペンは剣よりも強し というが、そのペンは折れやすい。靖国問題とは何か。アメリカの国賓ク ラスが公的にも私的にも靖国神社に参拝することはない。千鳥ヶ淵戦没 者墓苑か明治神宮へなら参拝する。なぜか。昭和天皇は戦後8回靖国 神社を参拝されたが、昭和50年11月21日を最後にそれ以後の参拝は されなかった。なぜか。昭和53年(1978年)靖国神社がA級戦犯14人 を極秘裏に合祀した。いったん合祀すればひとつの招魂となって分祀す ることはもはや不可能となるうえでの極秘裏での合祀。靖国神社は国家 護持の象徴的存在にみえるが、一宗教法人にすぎない。生前の天皇側 近、富田朝彦宮内庁長官と卜部亮吾侍従がそれぞれに天皇に接見した 内容を日記(昭和63年4月28日付)に刻銘に記述していた。昭和天皇 の靖国参拝お取りやめの経緯をA級戦犯合祀が御意に召さなかっ た・・・とつまびらかにした。4月22日に当時の奥野誠亮国土庁長官が閣 僚の靖国神社参拝の記者会見で発言した歴史認識(今でいう自虐史観 の淵源)の齟齬に天皇は涙ぐまれた・・・と。この政治的発言を端緒として 靖国は歴史認識(侵略戦争)に関わる政治問題と化した。中国、韓国が 強く反発するようになったのはこの時から。それまで、天皇であれ閣僚で あれ靖国神社参拝に対して、中国、韓国は何ら反発も内政干渉もしなか った。事の本質は歴史的事実の認識にある。歪曲か否かそれが問題。 夏の夕焼けは川向こうへ渡るな!秋の夕焼けは鎌を研げ!夏の夕焼けはあしたの雨降りの 前兆現象、お月さんがでたら見てごらん、きっと傘を被っているから。激しい雷雨で川の 流域は一気に増水し氾濫することもあるから、川向こうへ出掛けたら家に戻ってこられな くなる・・・と昔人は警告した。天気予報がなかった時代のこと。秋の夕焼けは翌日が晴 天の兆しで畑仕事に精がでるから鎌を研ぎなさい・・と。日本人の長年の慣習で蓄積して きた暮らしの知恵が役立つ。ひでりの朝曇り!かんかん照りのひでりに限って朝はどんよ りと雲っているものだから日中の行動に注意せよと。ハチがどういうわけか北側に面した 二階軒下の一番奥まった高いところに巣をかけた。風の力がもっとも避けられる場所を選 花*flower んでいることに感心した。ハチの予測本能で強烈な台風を想定しているのであろうか。 編 集 後 記 テレビはあっても テレビはあってもテレビ はあってもテレビ放送 テレビ放送は 放送は完全に 完全に遮断さ 遮断されている。NHK れている。NHKと 。NHKと放送受信契約終了書を 放送受信契約終了書を手交 su した。 した。テレビなし テレビなし生活 なし生活も 生活もすでに4 すでに4年経過した 年経過した。 した。おかげで好 おかげで好きな読書生活 きな読書生活に 読書生活に没頭できるの 没頭できるのがう できるのがう れしい。 れしい。テレビ箱 テレビ箱は専らDVDで DVDで映画を 映画を見る。昔から映画 から映画は 映画は好きだったから きだったから、 ったから、ひとり暮 ひとり暮らしの今 らしの今 では・・・ では・・・文芸映画 ・・・文芸映画、 文芸映画、古い時代の 時代の名作を 名作を読書の 読書の合間に 合間に見る。韓流ドラマ 韓流ドラマにはまって ドラマにはまって2 にはまって2日間 で 8 本の映画をたたき 映画をたたき込 をたたき 込むように見続 むように見続けた 見続けた。 けた。「 野人時代( 野人時代( 36巻 36 巻)」「 )」 「春のワルツ」 ワルツ」 「明成皇 后」「砂時計」 砂時計」など。 など。日本映画では 日本映画では小津安二郎作品 小津安二郎作品の の 「 東京物語」 東京物語 」 「 東京暮色」 東京暮色 」、木下 では小津安二郎作品 恵介作品では 恵介作品では「 では「喜びも悲 びも悲しみも幾年月 しみも幾年月」 幾年月」「陸軍」 陸軍」「香華」 香華」「二十四の 二十四の瞳」「名もなく貧 もなく貧しく美 しく美し く」、溝口健二作品「 溝口健二作品「雨月物語」「 雨月物語」「浪花 」「浪花の 浪花の恋の物語」、 物語」、熊井啓作品 」、熊井啓作品「 熊井啓作品「日本列島」、 日本列島」、片岡知 」、片岡知 恵蔵の 恵蔵の「血槍富士」 血槍富士」などなど。 などなど。日本映画の 日本映画の最高峰はにんじん 最高峰はにんじん倶楽部制作 はにんじん倶楽部制作の 倶楽部制作の小林正樹監 督「人間の 人間の条件」 条件」(全6部)であろう。 であろう。五味川純平原作の 五味川純平原作の同名小説を 同名小説を映画化したもので 映画化したもので、 したもので、 仲代達也の 仲代達也のデビュー作 デビュー作となった。 となった。当時映画界は 当時映画界は成長著しい 成長著しいテレビ しいテレビ業界 テレビ業界に 業界に対抗するために 対抗するために 映画女優を 映画女優を囲い込んだ。 んだ。自社専属として 自社専属として他者作品 として他者作品に 他者作品に出ないようにするしばりを五社 ないようにするしばりを五社で 五社で協定 縁起教室 した。 のしばりを破 した。この閉鎖系 この閉鎖系のしばりを 閉鎖系 のしばりを破って専属会社 って専属会社から 専属会社から独立 から独立した 独立した女優 した女優たちが 女優たちが「 たちが「にんじん倶楽部 にんじん倶楽部」 倶楽部」を 立ち上げた。 げた。有馬稲子、 有馬稲子、久我美子、 久我美子、岸恵子の 岸恵子の三大女優が 三大女優が設立した 設立した。 した。「人間の 人間の条件」 条件」は 学生時代に 学生時代にオールナイト( オールナイト(徹夜上映) 徹夜上映)で二回見に 二回見に行った。 った。初めてアルバイト めてアルバイトで アルバイトで得たお金 たお金でこ の本を買った。 った。昭和19 昭和19年 19年11月 11月に軍部から 軍部から翼賛映画 から翼賛映画の 翼賛映画の制作を 制作を命じられた木下恵介監督 じられた木下恵介監督 は火野葦平原作『 火野葦平原作『陸軍』 陸軍』を映画化した 映画化した。 した。最後の 最後の15分間 15分間・・・ 分間・・・戦地 ・・・戦地へ 戦地へ出征する 出征する歓呼 する歓呼の 歓呼の市街 行進、 行進、旗行列の 旗行列の渦の中を我が子を必死に 必死に探し走る母(田中絹代) 田中絹代)の姿を映しつづけた。 しつづけた。 あろうことか反戦映画 あろうことか反戦映画に 反戦映画に軍部は 軍部は激怒し 激怒し、木下恵介を 木下恵介を映画界から 映画界から追放 から追放し 追放した。
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