139 田部重治の登山思想 明治末期から昭和初期の近代登山の草創期、活躍した岳人に田部重治がいる。 彼の大正8年(1919)に刊行した紀行文集「日本アルプスと秩父巡礼」。流れるような簡潔な名 文は、多くの読者の共感を呼び、いまに至るも山岳文学としての輝きを失っていない。 また新編「山と渓谷」のなかの「山は如何に私に影響しつゝあるか」では、彼の登山思想を すべて吐露している。 『…最初、私はむしろ恐怖を以て自然や山に対した。その後、妙高、立山、薬師など に登り、山の偉観に打たれて自然の賛美者になった。そして奥秩父の山や渓谷から は、半ば超越的な半ば人間と交渉をもっているような、威圧一種を感じた。その後、 数年で、私は非常な親しみを山に見いだすようになった。 そして思った。山に登るということは、絶対に山に寝ることでなければならない。 山から出たばかりの水を飲むことでなければならない。なるべく山の物を食べねば ならない。山の嵐を聞きながら、その間に焚き火をしながら、そこに一夜を経ること でなければならない。そして山そのものと自分というものが根底においてしっくり 溶け合わなかればならないと…。そうなってくると、山に対して抱いていた恐怖が ついには山が自分の一部であり、自分が山の一部であるという心持ちになり 変わったのである。 山に対する恐怖が無くなると、山が自分であるとの思いが激しくなった。 そして山登りが乱暴になった。私は登山の真の意義は非常に激しい、動的な、多少 冒険的な運動を持つべきだ。登山は絶頂に登ることに意義があると、ただ一気に 頂上へ行くことばかり考えていた。 しかし、私はこゝ数年、山に対する趣味が変化しつゝあることが意識されてきた。 すなわち登山に経験する内容を、もっと静かに味わいたいという要求が非常 に強くなってきたのである。いまゝでは谷を上がり森林を通ることが、ただ頂上ある が故に止むをえないと思っていたが、いまでは渓谷は渓谷として、森林は森林とし て価値の対象としてあらわれてくるようになった。 山が自分であるということは、山が普遍的な人間性の理想の表現でなかればなら ない。という結論である。私たちは弱小な人間である。この弱小人間を刻々 高めては、それに触れるところに私たちの生活の 意義があると思った。 いままでの山に対する感情を三段階にまとめら れる。 第一は山に憧れながら山に恐怖を感じたとき、 第二は山が自分であり自分が山であり、その 自分がごく狭い小さい自分を意味していた とき、 第三は自分は狭い自分を超越した自分であると 考えるようになったときである。 …私は静かに山を鑑賞するようになって、山の 持っているすべてに神秘的な力が感じられるよう になってきた。 私は山に宗教を見いだしつゝある』 。
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