PDF/7pages/26KB

関西JAROの会
21世紀デジタル時代 − 日本は蘇生できる?
生身のオリジナル性こそがカギ
大阪大学大学院国際公共政策研究科
教授
林
敏彦
■ITがニューエコノミー生む
近年、高度情報化社会といった言い方が
はコンピューターを使ったネットワークと
盛んになり、また最近ではIT(情報通信
いう重なりの部分が出てくる。さらにもう
技術)ブームの名のもとにIT戦略とかI
一つの「インフォメーション」を加えて、
T予算などと、ITのバブル現象とも言わ
この三者の交わる辺りがアメリカ流にIT
れたりしている。さらに呼称のうえからは、
と称されたりする。
アメリカ商務省辺りは昔からデジタルとい
アメリカではこのITがニューエコノミ
う言葉を使って、インターネットによる B
ーの基本になっていて、新しいビジネスが
to B や B to Cといったビジネスがアメリカ
どんどん興って新たな雇用を生み、ネット
のニューエコノミーを形づくってきた。そ
長者が続出し、ベンチャーが活躍して米企
れに加えて、サイバーという名を冠したサ
業全体が活性化することになる。経済は約
イバースペースとかサイバーワールドなど
10年もの長期にわたって戦後最大という
もおなじみのところで、コンピューターの
好景気を持続し、もはや景気変動という局
中に展開される架空世界のことを指してい
面を全く失ってしまったような状況がつい
る。日本にあっては、ネットワーク社会や
最近まで続いていた。まさに新たな段階に
ネットビジネスとかの言葉もよく使われる。
入ったニューエコノミーといえるだろう。
これら全体を通して、一つのくくり方と
しては「ネットワーク」というのがあり、
■米経済の繁栄を支えた要因
これは必ずしもコンピューターの存在を伴
このようなアメリカ経済の好調ぶりは、
わないのに対して、もう一つの「サイバー」
一つは技術革新や規制緩和の促進によるこ
1
ともあるが、もう一つには1980年代に
蓄ゼロで、そこから出てくるお金はない。
“双子(貿易と財政)の赤字”を抱えて衰
国の財政が黒字になってもその幅はわずか
退の時代にあったとき、日本の経済上昇や
という中でも、十年もの長きに及ぶ高度成
欧州勢の接近、東南アジアの新興国の台頭
長のための資金供給者はいったいだれだっ
などでアメリカの覇権が脅かされたことが
たのか。実は日本および世界中の黒字国が
ある。アメリカは必死になって日本のやり
資本のないアメリカに資金を注いでいるも
方(官民の連携や企業連合、金融システム
ので、アメリカに言わせれば「世界中の黒
など)を学習した。これが功を奏して90
字国にとって、アメリカは最も安全かつ利
年代になって経済が上向き、どんどん新し
息払いのいい投資国なので、資金が集まっ
い動きが活発に出てきた。さらにもう一つ、
てくる」となる。要は、この資金でアメリ
このころベルリンの壁が壊れてソ連が崩壊
カはニューエコノミーやデジタルエコノミ
し、東欧の社会主義諸国がどっと市場経済
ーを進めてきたわけで、いわば国全体がベ
に転換していった。
ンチャー国だということになる。
一方、アメリカの繁栄をもたらした技術
ただ問題はこの先、これまでのような順
革新をめぐって、その最も太いパイプは軍
調な成長経済に陰りが見えたときのことだ
事研究だったものが、東西冷戦の終焉によ
が、アメリカに集まっていたお金が世界中
って民生用に転換されたことが大きい。官
に散らばってしまう恐れがあり、その投資
民のコンソーシアムが組まれ、積極的な技
先が定かでない場合の事態が微妙なところ。
術開発が進んだことで90年代半ば以降、
そういった調子のタイトロープの上を今、
デジタルエコノミーとして花開くことにな
世界は渡りつつあるわけで、その舵取りを
る。インターネットにしてももともとは軍
しているのがアメリカの金融界トップと新
事用の情報ネットワークだったものが、や
大統領ということになる。
がて学術用や商業用に開放され、今日の広
今後、日本に対してどのような物言いを
範な利用につながっているものだ。もう一
してくるかは分からないが、日米関係をぎ
つのファクターとして大きいのがお金で、
くしゃくさせることにはならないと思う。
経済再生による税収の伸びで財政赤字が解
消されていった。
■デジタル通信がもたらすもの
それでは、米産業への新しい投資として
再びデジタルの話に戻すと、そもそもデ
のベンチャーキャピタルはどこから出てい
ジタル通信のあり方というのは電話とは全
たのだろうか。アメリカの家計はもはや貯
く違っている。電話の場合は一方からの信
2
号が送信線の中を走って相手に届くという
なっていくのは間違いない。通話料金もぐ
形で、二人の通話者の間に一筋の専用道路
んと下がっていくことになる。
ができてしまう。他人は割って入れない。
これに対し、デジタルによる通信というの
■インターネットで変わる世界
は、送り出すメッセージが適当な大きさの
このデジタル通信の技術を使って、とり
パケット(情報の小包み)に分けられてネ
わけ進んでいるのがインターネットだとい
ットワークの中に流され、それぞれ空いて
いっていい。これがビジネスの世界に活か
いる通路を伝って順不同に相手方に届き、
されることで、B to B とか B to C、また最
その場所で順番に整列して最初のメッセー
近は C to C とも言われたりするのだが、B
ジと同じに並ぶという仕組み。例え話でい
to C の場合で言えば、注文や支払い、デリ
えば、東京から大阪へチームが移動すると
バリーのすべてをネットワークの中で完結
きに、電話の場合は全員が貸し切りバスで
してしまうようなビジネス(例えば音楽の
東阪間の専用道路を行くのに対し、デジタ
配信サービスなど)も出てきている。これ
ル通信では全員に現地集合の指令を出し、
に比べれば B to B の方がさらにボリューム
あとは皆が思い思いの方法で行くという具
的には大きく、これがビジネス間のコミュ
合になる。
ニケーションに使われる度合いが強まるに
そこで、デジタル通信の方が通信インフ
つれて、企業内の組織や情報の流れなどが
ラを使う効率としてははるかに優れている。
大いに変わりつつある。社長の元にメール
空いている回路を通ればいいので、通信料
が直に届く時代となって、情報を独占する
金が大幅に安くなる。ここで当面、通信会
立場にあった管理職層が要らないというフ
社筋で大きな関心事になってくるのがボイ
ラットな組織体系になる。
ス・オーバー・インターネット(VoI)
この B to B がサプライチェーン・マネジ
で、現地集合方式であるために中間の通信
メントの形で行われる事例として、その先
ネットワークはほとんど使わないなど、コ
駆的かつ典型的な例では、日本航空が機内
ストが安上がりとなる。既に国際会議場の
用の大量の紙コップを世界各地の寄港先空
場でも、次代の電話プロトコルはVoIと
港で現地調達したケースが挙げられる。イ
の認識で基準づくりの話が進んでいる。現
ンターネットで仕様書を公開し、世界中か
在のインターネットによる電話といえば、
ら入札を受け付け、業者を決めて各地空港
音声が聞き取りにくいとか切れたりするも
に納品させるという仕組み。クライスラー
のが、今後、改善のうえ早い段階で主流に
社の例では、エンジン以外の部品納入をネ
3
ット上で行った。こうなると古くからの取
例は音楽の無料交換サイトを運営している
引慣行も崩れてくる。一方、C to C の面で
アメリカのネット業者のナップスターで、
も現在、インターネットの中で“売ります・
CD並みの音質で聞くことができるという
買います”式のお見合いビジネスとして中
このサービスの利用者数はいま全世界に2
小企業同士の仲立ちとか、大学で有するテ
千数百万人といわれる。成り行きとして、
クノロジーの産業界への橋渡しといったや
アメリカ国内で知的所有権に触れる問題
り方が広がりつつある。
(海賊版の作成に当たる違法行為)として
このほか最近では、ナレッジ・マネジメ
全米レコード協会から著作権侵害の提訴を
ントといったことも盛んに言われるように
受けた。当初、ナップスター側は“場所を
なった。企業の組織内あるいは大学内部に
貸しただけ”と抗弁したものの、一審では
あるさまざまなノウハウや特技、人脈など
違法の疑いが強いとして無料配信差し止め
の情報というものは、とかく外には意外と
の解決書が出て、負け戦になりそうな気配
知られていないものだが、これをだれでも
だ。(講演後、2月12日の控訴審でも「著
分かるように共通のデータベースに還元し
作権侵害に加担」との判決が出ている)
てみようというもので、こうした動きはイ
一方、ナップスターの上手を行くソフト
ンターネットを中心としたデジタルの世界
が現れた。それは新興のヌーテラがはじめ
で急速に高まっているようにみえる。この
たもので、掲示板などの場所提供のコンピ
表れの一つのパターンとしては、従来から
ューターも要らないという仕組み。仲介す
あるものを新しい技術でより効率的に、よ
る人がいなくとも会員相互にファイルを送
り安く提供しようというもので、例えばア
り合うことができるソフトなのだが、要す
メリカのベンチャービジネスを訪ねた折の
るにナップスターのものは目に見える形の
見聞でも、60歳ほどの起業家がただ長年
セントラルサーバーだったので著作権侵害
の銀行勤めの経験を生かしただけのことで
と目についたのに対し、ヌーテラの方はセ
成功した例を知っている。この場合、殊更
ントラルオフィスがなく、仲間同士が世界
に斬新なことをやってのけたというわけの
的な規模でつながっているだけのもの。こ
ものでもない。
ちらの場合も著作権問題が起きているもの
の、訴える相手が何千万人となると勝ち目
■著作権問題との兼ね合い
はなさそうだ。
ところが、インターネットだからこそ初
本来、デジタル技術というのは完全なる
めてできるというものもある。その一つの
コピーが無料でできる技術。本物と偽物と
4
いう概念が成り立たない。テキストなり映
て営業を停止させ、そのパニックに乗じて
像、音楽などすべて、いったんデジタル化
ミサイルを撃ち込むといった合わせ技。い
されればパーフェクトな無料コピーができ
わば個人で水爆が落とせる技術でもある。
あがる。そこで問題になるのは、クリエー
気がかりになる点としてはさらに、デジタ
ターの立場がなくなるということだろう。
ル技術に関与している科学技術者しか知り
しかし創作にかかるコストは社会全体とし
得ないことで、実は世界を揺るがすような
て補填し、新たな創作にはそれなりの社会
大問題になるかもしれないときに、その人
的な評価を与え、そして金銭的な報酬を還
は所属する企業にとって不利になると知り
元すべきものだ。その意味で著作権が保護
つつも危険告知の笛を吹けるかどうか。こ
されるべきは当然なのだが、その一方で、
れまでの企業社会では組織の価値観を優先
生まれたものをただで利用することとの両
させることから、会社に迷惑をかけてはな
立も可能なはずだと思う。それがデジタル
らないと情報をコントロールすることに走
時代の新しいビジネスモデルではないのか。
っていた。その場合、笛を吹くことは社内
そこで考えられるのは、クリエーターた
的には密告と非難されることになろうが、
ちの創作活動にお金を出す仕組みというこ
しかし技術者の良心に照らして密告を奨励
とで、例えば民放の場合、視聴者がただで
するような仕組みを作っていくことも、崇
視聴しているのはスポンサーからの広告収
高な企業倫理の一つとして貴ばれねばなら
入があるからとの例に倣って、音楽の無料
ない。
配信についてもスポンサーからのお金で著
とかく目に見える形の大型技術というの
作権料を賄えばいい。実は、これを応用し
は、ひと目見てその存在が分かるだけに、
たのがインターネットのバナー広告という
例えば放射能漏れの問題など恐れの気持ち
べきで、アクセス数の多いところを広告効
がすぐ出てくる。ところが、インターネッ
果で売るという手だてに通じる。
トというのは姿に表れないながら貧者の核
兵器ともいえるもので、ひょっとすれば水
■科学者の良心と企業の倫理観
爆の一つも落とせるかもしれない。この網
デジタル技術でもう一つ懸念されること
の目が世界中を覆い尽くしている。善意に
といえば、ウィルスによるシステム混乱な
活用すれば素晴らしい成果を生むが、悪用
どの愉快犯的な仕業を思い浮かべたりする
すれば大変な事態が起きる。しかもこのテ
が、実は軍事専門家辺りが気にしたりする
クノロジーというのは、目には見えない無
のは、サイバーテロ的に金融機関に進入し
数のコンピューターや人間の頭脳、それに
5
ネットワークが集まって地球上に形成され
資本主義を前へ前へと駆り立てていった原
る新たな大型テクノロジーであるのは確か
動力とみるべきであり、格差こそは進歩の
なのだが、制御のしようがない。相手がみ
母だといってもいい。この意味からいって、
えないので“反対デモ”も起こしようがな
抜け駆けの成功者を犯罪人扱いするような
い。そうなってくると、科学者の良心と企
風潮は望ましくないといった点で、最近は
業家の倫理観を鍛え直していくことが将来
日本の若い人たちの考え方も変わりつつあ
とも、極めて大きな命題にならざるを得な
ると思われ、ここから新しい形のものが出
い。
てくると期待したい。
もう一つ重要なテーマとして、
「オリジナ
■新たな価値を見いだしていく
ル」の問題がある。コンゴからの留学生で
最後に、今後の日本について考えをめぐ
知的財産権を専攻している一人は、
「わが国
らせてみよう。いまデジタル技術をめぐっ
には二百余りの部族がいて、それぞれに伝
てはデジタルデバイド(情報格差)の問題
統的なフォルクローレ(紋様、民謡、儀式
が大きく取りざたされて、これからますま
など)を有しているが、欧州のファッショ
す発展する存在(国やセクター、産業部門、
ンメーカー勢がやってきて紋様などのデザ
人間など)と、取り残される存在との間に
インを盗んでいき、登録して大儲けしてい
は雲泥の差ができていく。このことに関し
る。国の富を守らねばならない」と語って
てバングラデシュからの留学生が言うには、
いる。これに関連して言えば、デジタル技
「我々の国は貧しいため全体の平均値を上
術とはあくまでもコピー技術(クローン技
げていくのは至難の業だが、国中の優秀な
術)であり、クローンされたものは価値を
人間を集めてデジタル技術を高めていけば、
持つことがない。その点で価値があるのは
IT部門において世界のトップクラスに行
オリジナルであり、コンゴの紋様はまさに
ける。そこで稼いだもので全体の国力を上
オリジナルそのもの。新しい価値は生身の
げていくので、今の格差などは気にしな
人間の中にこそあるもので、サイバーの世
い。」
界ではとらえきれないものだ。問題は、日
実は、こういった発想は日本では行われ
本にそのオリジナルがあるかということだ
ない。格差といえば是正というのが普通で、
ろう。単にアニメの伝統とか豊富なゲーム
格差はすべて悪といったとらえ方をする。
ソフトといったことではなく、本当のオリ
しかし、新機軸を次々と出すことで他と格
ジナルとは例えば山車祭りのような“血と
差をつけながら伸びてきたことが、今日の
汗と自然と風土”が混ざり合う生身の肉体
6
感覚から発するもので、これとサイバーの
世界とのバランスをどう取っていくかが課
題になろう。あのハイテクの街のシリコン
バレーにしても、その中には技術者ばかり
でなく、ビルの清掃人もレストランの料理
人も、つまりは頭を使う人から肉体労働の
人までがこぞってフィーバーしていた。大
阪にしても特徴ある都市としてのオリジナ
ルを維持しつづけ、その情報を残していく
ことが大きな命題だと思う。
社団法人日本広告審査機構
『REPORT JARO』
2001,4
No.315
∼講演要旨∼
2001年1月26日
第38回「関西JAROの会」講演会
於:電通関西支社(大ホール)
7