市場経済の展開と実現概念の変容

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市場経済の展開と実現概念の変容
久 保 田 秀 樹
1 はじめに
一定規模以上のSEC登録会社に対して1976年から始まった物価変動情報の
強制開示は,その後SFAS第33号(!979年), SFAS第82号(1984年)を経て,
1986年にSFAS第89号によって任意開示に移行したが,その背景の一つとし
て,「フローのインフレ」の終息があったと考えられる。すなわち,1980年代に
入ると,石油をはじめとする一次産品価格の下落,累積債務の深刻化等による
ディスインフレーション(disinflation)の傾向が現れ,それ以後,特に商品市
況は低迷し続けている。注目すべきは,にもかかわらずその後,FASBの基準
や国際会計基準において市場性ある有価証券や短期投資の時価評価が問題にな
ったという点である。すなわち,1970年代から1980年代以降問題とされている
資産の時価評価の中心は,AAAの1951年のサブリメンタリー・ステートメント
第2号に始まりFASBのSFAS第33号の結合会計に至る,「フローのインフ
レ」による会計数値への影響を中心に修正しようとする系譜とは異なる。つま
り,経済のグローバル化の下でマネーゲーム化した国際マネー市場の登場を背
景とした問題として捉えられねばならない。
1920∼30年代以降の産業経済という現実を基礎に確立された会計は,発生主
義会計である。したがって,発生主義会計は,一般に製造業の利益計算として
説明される。それは,投資という観点からみると,製造業への投資は実物経済
での富の創造につながる「健全な」投資であり,マネーゲームとしての投機と
は一線を画する世界である。しかし,アメリカでことさらその事が強調された
背景には,大規模な投機経済の存在があった。そもそもアメリカの財務会計公
192 清水哲雄教授退官記念論文集(第293号)
開制度自体が,1929年のニューヨーク市場の株式大暴落という投機経済の破綻
の落とし子であった。アメリカの財務会計公開制度が投資者保護を掲げて生ま
れたように,今日の新金融商品ないし金融派生商品の情報開示も,それ自体が
規制という問題との関わりで注目されている。
市場経済の展開ないし高度化は,一方で消費者指向の生産管理という点で,
消費者のニーズに応えたか否かという「市場のテスト」としての実現概念の意
味合いを増大せしめている。他方,マネー市場の質・量両面の拡大は,金融資
産の保有利得認識という問題をかってなく重要なものとしている。金融資産,
特に市場性のある有価証券の評価基準をめぐっての近年の議論では,「原価評価
・実現基準」対「時価評価・実現可能性基準」という整理に基づき,伝統的原
価・実現アブV一チの堅持か,そこからの離脱かということが論点となる場合
が多い。しかし,金融資産の評価基準が問題とされるについては,営業資産向
けに開発された伝統的原価・実現アプローチないし「収益・費用アプローチ」
が適用できない金融資産の重要性が過去になく高まったという事実が重要であ
る。そうした認識を基に,実現概念の変容について明らかにすることが本稿の
目的である。
II AAA報告書における実現概念の変遷
実現概念を取り上げた重要なAAAによる公表物として,今まで次の3つが
挙げられる。
(イ)1957年版会社財務諸表会計報告基準(AAA[1957])
(ロ)1964年概念・基準調査研究委員会(実現概念)報告書(AAA[1965])
(ハ)1973年概念・基準委員会(外部報告)報告書(AAA[1974])
1957年版の会計基準では,実現は次のように定義されている。
「実現の本質的な意味は,資産または負債における変動が,会計記録上での認
識計上を正当化するに足るだけの確定性と客観性とを備えるに至ったというこ
とである。このような実現の認識は,独立の当時美言の交換取引が行われたこ
と,これまでに確立された取引上の実践慣行にかなっていること,あるいは,
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その履行が実質的に確実視されるような契約諸条件を基礎として行われること
になろう。その認識は,銀行制度の安定性,商業上の契約の拘束力,あるいは,
高度に組織化された市場が資産の他の形態への転形を容易にしうる能力のいか
んによって規定される。」(中島訳[1964],194頁)
認識を規定する要因として「高度に組織化された市場が資産の他の形態への
転形を容易にしうる能力」が挙げられている点に注目しなければならない。金
融システムの成熟度が会計上の認識・測定に影響を及ぼした例は,今に始まっ
たわけではない。例えば,カールスバーグ=ノークは,現金とその他資産との
区別が見かけほど明確な区分ではないことを指摘する。すなわち,「銀行預金」
は,銀行制度の今日の安定性が達成される以前の時代には,今日のように現金
と同等とみなされなかっただろうとし,その意味で,おそらくより正確には売
掛債権とみなされるだろうと述べている(Carsberg and Noke[1989]p. 26)。
つまり,銀行制度というシステムの成立及びその普及が,銀行預金の性格を「売
掛債権」から「現金」へと変化させたことになる。一方の端が硬貨から始まり,
銀行預金及び様々な長期の有価証券を経て,もう一方の非流動資産に達するス
ペクトル内の区分に付される個々の名称が勘定科目ということになるが,その
線引きは,一意的に決まるのではなく,銀行制度や証券市場といった社会経済
システムのいわば成熟度によっても規定されるのである。
1964年委員会は,収益取引の実現決定の際に重要と考えられてきた要因とし
て次の3つを挙げている(AAA[1965]p.314)。
(i)受領資産の性質,(ii)市場取引の存在,(iii)サービス遂行の程度
このうち,(ii)の要件について,委員の一人であるビーアマンは,企業か所
有資産を市揚価格で売却することが100%近く可能である場合,保有利得は実際
に市場取引に関わらずとも実現したとみなしうるという見解を示したとされる
(AAA[1965]p.315)。しかし,委員会の多数意見としての勧告は以下のような
ものであった。
「資産価値の『未実現』の変動は純利益の算定に含めず,損益計算書の純利益
額の次に示されるべきであり,貸借対照表では未実現の価額変動の累積額は留
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保利益の部の独立項目として示されるであろう。」(AAA[1965]p.312)
1973年委員会は,実現の本質的意味に関して伝統的会計に相当の混乱がある
とし,利益概念と利益測定との間の区別が有用であり,さらに実現概念は不確
実性の分析と報告の手段として理解され.るべきだとする(AAA[1974]p.204)。
そして,委員会は,実現概念が利益測定のプロセスの不可欠な一部であるとい
う1964年半貝会の見解に同意し,更にそれがASOBATの検証可能性と不偏性
の基準の内容と揆を一にすることを指摘している(AAA[1974]p.206−207)。
委員会は,利益が実現しているか否かという二者択一アプローチと,不確実
性の度合いの報告に関わる多元的アプローチとについて検討を加えている。二
者択一アプローチは,実現を単一時点に生じるものとして扱う。けれども,そ
こで扱おうとする不確実性は,現実の世界では一つの連続体として存在する。
そこで委員会は,不確実性の分析は,販売ないしは決定的事象といった単に1
つの変数の適用ではなく,多くの事象および変数の結合された影響の査定の試
みを必要とすると考え,二重の不確実性レベルの導入という多元的アプローチ
を示す。すなわち,不確実性の高い潜在的利益効果を認識するが,不確実性の
レベルが下がるまで実現を延期するというアプローチである。これは,認識と
実現とを区別し,認識時点での不確実性許容の範囲を広げることによって,早
い段階で情報を提供し,実現にはより厳しいテストを課すことを意味する。こ
のアプローチをさらに突き詰めた一つの例示として,不確実性の影響を直接組
み入れた,全面的確率計算書(full scale probabilistic statements)が紹介さ
れている(AAA[1974]pp.219−222)。
1973年委員会は,その萌芽が既に1964年委員会報告書にあったとはいえ,実
現の問題を会計測定問題として明示的に扱っている点に特徴がある。それは
ASOBAT以後の報告書として当然のこととも言えるが,その背景には,ビジネ
ス事象及び取引が,その性質上,複雑さを増し,多元化してきており,実際の
事業活動に現れる様々なタイプの詳細を思い描くことが困難であるという事情
が存在する(AAA[1974]p.214)。そうした状況に対応するについて,「判断」の
重要性が強調される。すなわち,ビジネス世界の複雑さの増大及びそれに付随
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する事象によって,莫大な現実世界の環境に特定のルールを適用できなくなる
が故に,健全な判断を行使する能力が重要性を増すというのである(AAA
[1974]p. 215).
「ビジネス世界の複雑さの増大」という現実が,例えば,アメリカにおける
実現に関する論考の減少にも影響を及ぼしていると考えられる。1973年委員会
報告書でも土地開発業やフランチャイズ業の事例が,実現との関わりで取り上
げられているが,そうした個々の業種の新たな現実を拾って実現概念を検証・
拡大する作業がとても学術的な研究の範囲では手に負えなくなったことは,容
易に想像しうる。そこで,以下では,現代という時代の文脈における実現概念
の意味について考察を進めたい。
III 収益認識基準としての実現概念と「市場のテスト」
「実現のコンヴェンション」についてエドワーズ=ベルは,次のようにいう。
「原価と価値とが一致すると仮定する代わりに,会計士たちは,販売だけを基
準にして利潤を認識するというコンヴェンションを採用してきた。利潤を生産
によって,あるいは資産価格の値上がりによってそれが生ずるつど測定すると
いうことは,少しもされてこなかった。(下線は筆者による)」(伏見・藤森訳
[1964]8頁)
ここでは,いわゆる生産基準による収益認識と資産の保有利得の認識とが,
いずれも実現原則以外のものとして同列に扱われ.ている。しかし,両者は,単
に「販売基準」ではないという点でのみ共通しているにすぎず,本来異質の問
題である。すなわち,前者が,収益認識(revenue recognition)の問題である
のに対し,後者は資産の認識・評価(asset recognition and valuation)の問
題である。以下ではまず,前者について考察しよう。発生主義会計において,
原価・実現アプローチは,収入・支出計算の枠内にとどめる役割を果たしてい
る。つまり,取得原価主義は「貨幣→モノ」変換を司り,貨幣が実物財に変換
された後も,貨幣と同様に評価益が生じないものとして扱うことを意味する。
他方,実現原則は「モノ→貨幣」変換を司り,実物財が再び貨幣に変換される
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時,その貨幣流入額を認識・測定しようとするものである。すなわち,原価・
実現アプローチによれば,「モノ」と「貨幣」との間の変換については,低価法
や引当経理といった一部の例外を除けば,実際の貨幣:支出ないし貨幣収入によ
って裏付けられる。従来,費用の認識・測定には発生原則が適用されるのに対
して,収益の認識・測定に実現原則が適用されるのは,計算の確実性という点
から収益の期間帰属を延期するものであると説明されてきた。そして,特に業
績評価という点では,収益も発生原則によって認識・測定されるべきだという
主張も暗示的,あるいは顕示的に行われてきた。例えば,AAAの1941年の報告
書では次のように説明されている。
「広義には,収益が生産過程の進行につれて発生すると云うこともできようが,
会計記録の中では,測地は役務の顧客への引渡しとそれと同時に起る現金乃至
現金等価物の獲得とによって裏書きされた場合にのみ認識せられるのが常であ
る。」(中島訳[1964年];109頁)
また,ペイトン=リトルトンは「収益は,生産物が現金または他の有効な資
産に転化されることによって実現される。」と述べている(中島訳[1958年]79
頁)。ここで重要なのは,「生産物が」と限定している点で,この文章のすぐ前
でも「収益は,企業の生産物を,顧客から受け取った新しい資産の額で測定し
たものである。」(同訳書同年)と述べている。つまり,ここでの実現はあくま
で企業の実質的な営業活動からの収益に向けられていることに注目しなければ
ならない。すなわち,「収益は,営業の全過程によって,経営努力の全体によっ
て稼得される。」(同訳書網掛)ことが前提になっている。前述の1973年委員会
報告書でも,理念的には,利益は,生産プロセスが生じるにつれて報告される
だろうと述べられている(AAA[1974]P.209)。
以上の説明ないし主張の根底にあるのは,利益の源は製造によって付加され
た価値にあり,利益は製造プnセスにおいて段階的に形成されるという考えで
あろう。しかし,それはあくまでも「作れば売れる時代」の現実を基礎にして
いる。すなわち,大規模な設備と多数の労働力を用いて大量の製品を市場に供
給することが力を持っていた産業経済中心の時代には,説得力を備えていたの
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は確かである。「収益が製造プロセスにおいて段階的に生じる」というのは,製
品が原価以上の価格で実際に売れた場合に結果的にのみ可能な説明に過ぎない。
製造業の場合,収益が販売時点において瞬時に生じるのではなく,段階的に生
じるという説明は常識的にも理解し易いが,製品の原価以上での販売が市場経
済において必ずしも保証されていなことは言うまでもない。原価割れした製品
の,段階的に生じていた収益は何処に消えたのか。それは消滅したわけではな
く,最:初から存在しなかったと言った方が正確であろう。
販売基準による収益認識の根拠として,市場生産の場合は企業の意思で製品
をいつでも販売できるとは限らないということが挙げられるが,その重点はむ
しろ換金が保証されていないという点にあると考えられる(森田[1992]79頁参
照)。ここでは,そうした資金的観点ではなく,顧客ニーズ充足の指標たる「市
場のテスト」として実現概念を積極的に解釈したい。「売れる物を作る時代」,
つまりマーケット志向の生産管理の時代には,「製造=価値創造プロセス」とい
う図式は単純には成り立たない。つまり,製造プロセスは変換プロセスではあ
っても,価値創造プロセスであるかどうかは,実際に売れるという「市場のテ
スト」を経るまでは判断できない。企業で生み出される有形・無形の財が顧客
のニーズを満たすか否かということが,「市場のテスト」の意味である。それは
顧客による購買という行動に具現され,あくまでその結果として,対価が提供
者たる企業にもたらされる。
生産中心の時代,すなわち「作れば売れる時代」においては,販売以前の段
階での収益認識が会計的測定の精緻化を意味したかもしれない。しかし,今日
では生産時の利益認識は経済的にも不合理であるとの認識が,例えば,ワッツ
=ジマーマンによって次のように指摘される。
「利益連動型報酬制度を採用している製造業会社が,生産時点で利益を認識す
る基準を適用しているとしよう。その手続により経営者は,販売を気にせず,
できるだけ多く生産するインセンティブをもつ(なぜなら生産されたものは販
売価格で評価され利益が増加するから)。製品の大部分が在庫となり徐々にその
会社は財政困難に陥る。生産時点で認識する方法を採用すれば,こうした事態
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を招きかねないので,大部分の業界がそれを用いないのである。」(須田訳
[1991],209頁)
また実現原則の例外とされる,長期請負工事契約は,「市場のテスト」との関
連で言えば,通常の製品・商品に対する「市場のテスト」が適用されないケー
スとみなすべきであろう。すなわち,,生産基準の例とされる工事進行基準は,
実は実現原則の例外ではなく,業界の特異性から引渡基準以外の基準によって
いるというべきものである。すなわち,実質的事業活動が順調に行われている
場合でも,引渡基準によっていると収益が計上されないとい理由によるもので
ある。あるいは,ワッツ=ジマーマンは,建設業と鉱業とで生産時点で利益を
認識する方法が採用される理由は,多くの会社がその製品の販売契約を結んで
いるからであるとして,次のよっにいっ。
「その経営者が管理し得る利益獲得能力の決定変数は,生産であり製造原価で
あった。だからこそ,その会社には,生産基準で認識される利益に基づくイン
センティブ機構があったのである。」(須田訳[1991]210頁)
IV 資産の認識・評価基準としての実現概念と金融資産
「アメリカ会計文献のなかでおそらく最も強い影響力をもった著作」(染谷訳
[1980]20頁)といわれるペイトン=リトルトンの『会社会計基準序説』で展開
された会計理論は,「対応・凝着アプローチ」と呼ばれる。「凝着」とは,製造
業の利益計算のために「疑似仕入値」を確定すべく取り入れられた原価計算を
説明する概念装置であった(久保田[1993]248−49頁参照)。では,「対応」はい
かなる意義をもつのか。対応概念について,ペイトンニリトルトンは次のよう
に述べる。「換言すれば,営業活動に利用されるいかなる要素といえどもその費
用は,その生み出した製品が収益を生じたと認識しうるときにのみ(かかる)
収益に賦課しうるのである。」(中島訳[1958年],119頁)
これは「対応概念」という本来の理念に沿う解釈であろう。しかし,実際に
対応関係が認められるのは対象関連的対応(個別的対応)としての「売上高」
と「売上原価」との間に過ぎない。期間的対応として計上される「販売費及び
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一般管理費」に含まれる費用項目には実際には積極的対応関係があるわけでは
ない。更に,厳密に言うなら売上原価を構成する要素の中にも,例えば製造原
価の場合の製造問接費のように個別的対応関係が無いものも含まれている。こ
の点について,ペイトン=リトルトンも認めて次のように言う。
「直接材料および労働の原価は,客観的物理的な関係を注意深く観察すること
によって活動内容および生産成果との関係をかなり満足にたどりうることが多
いのにたいして,多くの製造間接費,一般管理費,および配給費に関してはこ
のような跡づけが非実際的かまたは不可能だという点が問題なのである。」(中
島訳[1958年],119頁)
そして,対応概念について次のように説明するのである。
「費用と収益との対応は,主として,これち両者をお互いに関連せしめあうた
めの満足しうる基礎を見つけ出すという問題なのである。本質的な試標(tset)
となるものは,すべての関係条件を考慮したうえでの経済的な合理性であって,
物的な測定の結果ではない。」(中島訳[1958年]111頁)
しかし,ペイトン=リトルトンは,この対応概念の本質的な三二としての「経
済的合理性」について積極的には何等説明を行っていない。「努力と成果」とい
う修辞自体が「対応概念」を支えている。しかし,「努力と成果」という修辞が
最も妥当する売上高と売上原価については敢えて対応概念を持ち出すまでもな
く,セットの数値であることは自明である。「対応概念」を強調する意味は,逆
に対応関係が自明でないものに向けられていると理解した方が良さそうである。
売上原価といっても製造業の場合には商業の場合ほど明確なものではない。例
えば,製造原価に含まれるか否かという原価性の決定も,実際の計算において
は「正常性」によって判断され,更にその「正常性」は結局のところ反復性や
規則性によって決定される。あるいは,原価要素としての労務費,経費及び製
造間接費の配賦の一部についてはいわゆる「期間的対応」を根拠に説明される
ことになる。また,今日の日本の損益計算書の区分表示についても,営業外損
益区分と特別損益区分のうち,いずれの区分に計上するかという決定は,反復
性や規則性に依拠している。
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AAAの1951年のサブリメンタリー・ステートメント第2号で一般物価水準
変動に合わせたインフレ修正が求められ,1957年版会計基準で物価変動による
利得と損失の区分表示が提案されたのは,当時のインフレーションに原因があ
った。アメリカでは,1960年代から70年代にかけてクリーピング・インフレー
ションが進行し,やがて1973年の第1次石油ショックによって加速して,二桁
のインフレにみまわれることになる。そうした中で,貨幣に対する不信は,例
えば,「生産能力の維持」のための物的資本概念への支持という形で会計理論に
も表れる。他方,1971年のニクソン・ショックに始まる変動相場性への移行は,
貨幣の世界に新たな問題を生じさせていた。すなわち,為替リスク回避という
問題である。それは,やがて多様な金融商品の登場へとつながっていく。
1980年代に入ると事態は一転して,一次産品価格の下落,累積債務の深刻化
等によるディスインフレーションの傾向が生じ,70年代の「モノ」指向からの
離脱を促すこととなる。80年代には最早,「生産能力の維持」を物的資本概念で
表すことのできる単純な世界ではなくなってしまった。例えば「古い大量生産
方式の企業では,工場,設備,商品,それに巨額の従業員給与のような固定費
は,適切な管理と予測を実現するために必要であった」(中谷巌訳[1991],121
頁)が,しかし今日,そうしたものは最早必ずしも必要でなく,その事は次の
ような記述に顕現している。「オフィス空間,工場,商品といったものが必要と
なれば借りられるし,標準的な設備がなくて困るとなればリースすればよい。
標準的な部品は,安売りをする生産者(その多くは海外にある)から卸値で購
入すればよい。秘書,ルーティンのデータ処理者,経理係,それにルーティン
生産の労働者は,必要となれば,一時的に雇えばすむだろう。」(中谷士幌[1991]
ダイヤモンド社,122頁)
問題は,コンピューター・テクノロジーの発達によって出現したグローバル
なマネー市場が,1920∼30年号以降の現実を基礎にした産業中心型の利益測定
システムが適用できない現実を招来したという点にある。「収益・費用アプロー
チ」が単純な産業中心経済の申し子である以上,「収益・費用アプローチ」から
の離脱は,産業中心経済の終焉と対応していると理解されねばならない。つま
市場経済の展開と実現概念の変容 201
り,例えば「努力と成果」という比喩は,たとえペイトン=リトルトン当時か
ら必ずしもすべてを説明できなかったにせよ,産業中心経済では確かに説得力
を持っていた。しかし,今,それが完全にその比喩を受けつけないマネー経済
の拡大によって力を失いつつあると言うべきであろう。有価証券等の金融資産
に関しては,前述の意味での「市場のテスト」は当てはまらない。金融資産に
とっての市場で形成される価格は,それが顧客のニーズ満たす結果成立するの
ではない。勿論,株式の売買が買い手のニーズと売り手のニーズとの出合であ
るという観点から,形式上,顧客のニーズの満足として説明することも出来る
だろうが,その意味合いが異なることは自明である。そして,これは「資産の
認識・評価」の問題であるが,その資産とは,少なくとも商品市況の低迷下と
いう状況下では営業資産ではなく,その中心は金融資産である。先述のように
原価・実現アブV一チが「モノ」と「貨幣」との間の変換を司ると理解するな
らば,そもそも直接「モノ」が介在しない貨幣性資産たる金融資産については
意味をなさないことになろう。
V 結びに代えて
市場経済の展開は,一方ではマーケット志向の生産管理の進展を意味する。
それは「売れるものを作る時代」の到来であり,裏返せば,「市場のテスト」と
いう要件が生産をも規定するということである。この点では,伝統的な実現概
念の有効性がむしろ確認される結果となり,生産時点での利益認識が業績評価
の精緻化をもたらすという意味での実現概念の拡大は合理性をもたない。営業
資産については,「市場のテスト」という意味で,業績評価の点でも伝統的実現
概念をむしろ堅持すべきであり,それは「実現概念の後退」を意味するもので
はない。すなわち,営業資産については,少なくとも先進諸国において問題と
なるほどのインフレ状態にない今日,その面で原価・実現アプローチが破綻し
ているわけではないからである。
市場経済の展開のもう一つの意味は,マネー市場のグローバル化である。1960
年代から70年代のインフレ期においての「保有利得」の認識は,一方では物的
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資本維持の観点から維持すべき資本の一部という議論の対象となり,他方で業
績評価の観点からは,いわゆる名目利益から「架空利益」としての保有利得を
除くことによって,本来の業績利益を求め,真の資本効率を測定しようという
点に眼目があった。しかし,金融資産に係る保有利得の認識については,それ
を名目利益から除くことによって本来の業績利益を求めるということにはなら
ない。他方で,金融資産のウエイトが余剰資金の運用といった「生産単位」と
しての企業にとって副次的な活動といった範囲を既に越えてしまっている以上
(武田[1992]33頁参照),業績評価の観点からも無視できない。すなわち,本来
の営業活動に対して,規模の点でも重要性の点でも,副次的なものと位置づけ
られてきたマネー経済が,マクロ・レベルでもミクロ・レベルでもモノの経済
を規定してしまうほど拡大したことを意味する。
営業資産の時価評価と金融資産のそれとは,同じ時価評価といっても完全に
異質の問題であるという認識が必要である。現在の会計理論は企業をあくまで
も「生産単位」として捉える。尤もこれは会計理論に限らず経済学も同様であ
る(間宮[1994]61頁)。「生産単位」としての企業である以上,実物財に対する
投資行動に焦点が当てられることになる。損益計算書はまさにその象徴ともい
える。実物財が投資対象の場合には,貸借対照表は確かに投資の結果を示すに
すぎず,投資の効果は損益計算書によって明らかにされる。しかし,投資対象
が金融資産の場合には逆に損益計算書には「フロー」としての金融収益と金融
費用とが純額で表示されるにすぎないため,その投資行動については,結果の
みしか知らされない。
実現概念を巡る議論が,「処分可能利益」対「業績表示利益」に関わる問題と
して整理されることがある。しかし,少なくとも1980年代以降の実現概念に関
する最大の問題は,「営業資産」対「金融資産」の問題として理解されねばなら
ない(実現基準を営業資産と金融資産とに明確に分けて考察した研究として,
斎藤[1992]参照)。すなわち,金融資産について営業資産とは別個の認識基準が
提起されたと見るべきであろう。営業資産については,業績評価の精緻化のた
め収益認識を販売時点以前,例えば生産完了時に早めるという発想が根本にあ
市場経済の展開と実現概念の変容 203
り,その意味では確かに時価評価は業績評価と一体の関係にあったといえる。
しかし,時価評価の対象が金融資産である場合には,時価評価は次の二つの理
由から,業績評価との関連は希薄であり,むしろ処分可能性との関連が重要と
なる。まず第一に,いわゆる業績評価にとって一番重要なのは,営業損益であ
る。時価評価の対象が営業資産である場合には,売上原価のカレントコストで
の測定により,営業損益の業績測定値としての質を向上することにつながるだ
ろう。しかし,いわゆる有価証券に係る「含み益」を仮に営業損益に含めると
してもそれは全く別の問題である。
第二に,金融資産の時価評価およびその結果としての評価益の損益算入の根
拠は,まさにその処分可能性にある(醍醐[1993]31頁参照)。例えば,FASBは
実現可能性基準の適用対象について次のようにいう。
「容易に転換可能な資産は,価格に著しい影響を及ぼすことなく,当該企業が
所有している資産を即時に吸収できる活発な市場において入手可能な(i)互換
可能(代替可能)単位および(ii)公定相場価格をもっている。」(平松・広瀬訳書
[1994年]250頁)
勿論,FASBの概念ステートメントにおいて,実現可能性基準の適用対象は
市場性ある有価証券だけではない。しかし,「特定の農産物」や「貴金属」とい
ったその他の例よりはるかに一般性をもつ対象が「市場性ある有価証券」であ
ることには異論がないであろう。したがって,「伝統的実現概念一処分可能
性」,「実現概念の拡張一業績評価」という図式は,かつての営業資産中心の文
脈でのように単純には妥当しなくなったといってよい。
金融資産の時価評価は,従来の時価主義会計の問題ですらないといえる。な
ぜなら,時価主義会計の問題意識は常に「モノの世界」から乖離した「貨幣に
よる写像」をできるだけ「モノの世界」に再び近づけようという点にある。つ
まり「本体(モノの世界)一団体(貨幣数値)」を前提とした議論であった。し
かし金融資産は,こうした写像関係による説明を受け付けない。例えば株価を
企業収益等のファンダメンタルズでのみ説明しようとしても困難であり,まし
てや昨今の最大の問題である金融派生商品(derivatives)に至っては,そもそ
204 清水哲雄教授退官記念論文集(第293号)
もの本体である「リスク」については「モノの世界」としての説明が成り立た
ない。今日,企業は,金利,為替,景気等の変動によるリスクにさらされてい
る。勿論,リスクが事業につきものであるということは今に始まったことでは
ない。リスクを負うこと自体が事業の本質でもある。しかし,1971年の変動相
場制への移行によって為替リクスという問題が新たに生じ,更にコンピュータ
ー・
eクノPジーの発展,それに伴う世界のマネー市場のリンク化,リスク評
価技法の開発等によってリスクをヘッジするための新たな金融商品が生み出さ
れてきた。そして,皮肉なことにヘッジ可能なリスクの幅が拡大することによ
って,逆に,リスク・コントロールが企業の至上命題になってしまった。ディ
スクP一ズされているか否かにかかわらず,企業では既にりスク・コントロー
ルが実施され,その前提として企業独自のリスク評価が行われている。だとす
れば,リスク変動の実態と,それに対するリスク・コントロールの状況に関す
る開示要求が現れるのは当然であろう。そうした現実にどう対処するかが今日
の会計に対するチャレンジである。発生主義会計が大規模な生産設備による大
量生産及び流通という,1920∼30年代以降の新たな現実に対応すべく成立した
ものとすれば,今日の会計は,直面するリスク・コントロール及び拡大したマ
ネー市場という新たな現実にいかに対応するかが問われているのである。
問題は,原価・実現アブU一チの成立当初から適用範囲から外れていた金融
資産の重要性が無視できないどころか,それこそが重要ともいえる程拡大した
という点にある。そうである以上,大勢に影響のない「例外」として片づける
ことはできない。したがって,金融資産の評価益の計上は,実現概念の拡大と
か,実現可能性基準への移行というより,原価・実現アブU一チの適用範囲外
にある金融資産の評価損益の問題に対する対処とみなされるべきである。
(1994.10.13)
(文 献)
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