注意 (注1) 西 7) となったのだが、完結した長編小説の執筆は、江戸川乱歩との合作 られる﹁桐屋敷の殺人事件﹂(川崎七郎名義、﹃新青年﹄昭和3・ 倉 横溝正史﹁呪ひの塔﹂﹁塙侯爵一家﹂論 二よみ 1長編探偵小説の試みー ば人 本論考では、横溝正史﹁呪ひの塔﹂﹁塙侯爵一家﹂苅枚人暦﹂、エ ・ 5 ・ 21S12 ・認など、他 の地方紙にも連載)が最初であった。しかしこの作品は({夫際のと の佳人﹂(﹃北海タイムスタ刊﹄昭4 でのA・K・グリーンの作品の翻案という形で新聞連載された﹁覆 ころは分からぬものの)合作という形であり、また、原作がグリー ラリー・クィーン﹁エジプト十{子加木の秘密﹂、モーリス・ルブラン ﹁813﹂、アガサ・クリスティー﹁アクロイド殺し﹂の内{谷やトリッ それゆえ、彼の最初のオリジナルな長編小説は(現在の基準では で、純粋に横溝の長編小説とは言いがたい面がある。 たのかはっきりせぬものの外国の作品を下敷きにしているという点 ンの作品のどれであるのか不詳であるため、どの程度まで取り入れ クに触れているところがあります。 はじめに 拙稿﹁横溝正史・処女作品集﹃広告人形﹄の戦略1宇野浩二の影 響から1﹂(﹃国文学研究﹄第百五十三・百五十四集合併号、平即 中編に近いくらいの長さではあるが)、﹁芙蓉屋敷の秘密﹂(﹃新青年﹄ かしこの作品は、前年の作品﹁覆面の佳人﹂のような黒岩涙香的な 5S8)であるというのが、妥当な考え方だと思われる。し 昭5 書き方ではなく、作中人物自身が語っているように、シャーロツ ・ 3)および、同﹁横溝正史﹁呪ひの塔﹂の執筆時期について﹂(﹃日 本語日本 文 学 論 叢 ﹄ 第 四 号 、 平 れ ・ ク・ホームズとワトソン博士の活躍に主人公の探偵役たちをなぞら フーダニット ・ (注2) 大正十五年六月に聚英閣から刊行された処女作品集﹃広告人形﹄の えたコナン・ドイル風の書き方にょる﹁長篇本格小説﹂(﹃新青年﹄ 3)、などで指摘したように、 頃から、横溝正史は、ユーモアとぺーソスを中心として描いた短編 昭5 5、の目次裏の折込広告文)であった。つまり、それは 小説を次々と発表するかたわらで、長編小説執筆ヘの意志を抱いて ﹁本格﹂ものを志しながら、ドイルの作品にしばしば見られるよう ぢよくわい 3 ・ 4、)となり、また多昏卦舟音Ⅱのみでわ'ち七りりとなったと考.え いた。それがたとえば、途中で中絶した﹁女怪﹂令探偵趣味﹄昭2 -35- 左卜 に、それ需理的に厳密に構築されていない、つまり、作品内容に 七月号に掲載された。アメリカの作{永ではS ・ S の最初の邦訳は﹁生ける死美人﹂の題名で深偵小説﹄の昭和七年 いくのかということにおける書き込み不足あるいは不備)と、謎 ン・ダインの作品の初の邦訳﹁グリイン家の惨劇﹂が雑竺新青年﹄ のデビユー作﹁ベンスン殺人事件﹂の刊行が一九二六年だが、ヴァ ・ヴァン・ダイン おける論理的構成の面で足らざる占釜響の推理を如何に誘導して の解決にいたる推理自体に論理的な弱さの見られる作品だったので に連載されたのは昭和四年六月号から九月号までであった)、当時 際、雑誌﹃新青年﹄の編集長であった当時の横溝も、随筆﹁不吉な の日本では殆どそのような認識はされていなかったと思われる。実 (注3︺ ある。 後に﹁欧米長編ミステリーの苗釡時代﹂と呼ばれる時代の宣今只中 数(近頃面白く読んだもの)﹂(﹃新青年﹄昭3 横溝が、このように試行錯学繰り返していた時期は、欧米では、 であり、ミステリー作品の書き方のうえで、いかに探偵役が論理に に拠る)で﹁最近の外国探偵小説の傾向たるや、数年前と一歩も進 溝正史探偵小説選1 んでいない。従って既に本誌に紹介し尽された傾向のものしか見当 8笥社刊、 ち、黒山互涙香の翻案したガボリオやデユ・ボアゴベの作品は当然と たらぬ。千遍一律1。﹂と語ったり、﹁編輯局より﹂(﹃新青年﹄昭3 ︹笥ミステリ叢書舗︺﹄平即・ 2増刊号、引用は﹃横 よる推理という理詰めにょって謎を解き、真犯人を指摘するのかを ・ 中心とした長編小説が数多く書かれるようになっていた。すなわ して、この時期にはドイルの作品も過去のものとして捉えられてい 7)では、﹁最近グラン'(<后西注・イギリスの読物繋)上では、 読まれてゐるやうである。面白い新作のない事日本ばかりではない りを掲載する事になつてゐる繋が数種類もあるやうだが皆相当に が現在欧米読物界の傾向であるらしい。アメリカには古いものばか ママ たのである(ドイルは一九三0年すなわち日本の元号だと昭和五年 再びシヤーロツク、ホームズの古いものを蒸返ヘしてゐるが、これ つまり一九二0年頃から、この欧米での黄金時代が始まったと考 発表の﹁ショスコム荘﹂である)。 七月に七十一歳で死去。その最後のホームズ探偵譚は、一九二七年 えられるのだが(﹁現代探偵小説の父﹂と評されるイギリスの作家 つまり、﹁一夫蓉屋敷の秘密﹂を執筆後の横溝にとつては、次には らしい。﹂と述ベたりしている。 自己の長編小説をいかに充{夫させていくのかということが課題と 三二年、イギリスの作家クロフツが長編小説﹁樽﹂でデビユーした ベントリ︼が長編小説﹁トレント最後の事件﹂を刊行したのが一九 のが一九二0年、同じくイギリスの女性作家クリスティーが長編小 にしようとは、彼は考えなかったのではないか。そのような状況で なったと思われるのだが、その手本として欧米の作品を積極的に範 害かれたのが新潮社の﹁新作探偵小説全集﹂の第十巻として書き下 説﹁スタイルズ荘の怪事件﹂でデビユーしたのも同年。クリスティ] ラク﹄に連載されたのは、昭和二年九月号と十月号であったが、し の長編小説の初の邦訳﹁アクロイド殺し﹂が大幅な抄訳で讐﹃ク ろしで刊行された﹁呪ひの塔﹂(昭7 3刊、に拠る)であり、次節ではこの作品に焦点を 8刊、引用は角川文庫版﹃呪 いの歩.昭詔・ ・ のは昭和七年一月号であり、ベントリーの﹁トレント最後の事件﹂ かしクロフツの最初の邦訳﹁樽﹂が荏﹃探偵小説﹄に掲載された -36- 当てることにょって、彼が、﹁覆面の佳人﹂での黒山互俣香的方法と、 者ヘの直接の語りかけの箇所や、﹁第二部魔の都﹂の中の﹁第豆早 屋根裏の奇人﹂で描かれる白井三郎の下宿の様子や浅草趣味の表れ 8増刊号SW)の方法をどの 江戸川乱歩﹁陰獣﹂(﹃新青年﹄昭3 と言える部分などから(この章の章題も含めて)、処女作品集﹃広 ・ ように取り入れて、作品の長さの面でも﹁一夫蓉屋敷の秘密﹂の三倍 おかつ作品末尾で映画の撮影所や屋内セットが舞台となり真犯人を 告人形﹄時代からの宇野浩二の作品の影響を色濃く示しており、な なお本文の引用については、特に断りのないものについては雑誌 ほどにもなる長編探偵小説を圭国こうとしたのかを考察したい。 初出稿を使い、その際には、歴史的仮名遣いはそのままとし、旧漢 めから映画監督や映画俳優たちが重要人物として登場していること 追及する背景となっていることからも(それだけでなく、作品の初 7SW、引用は角川 造形されていることは、﹁陰獣﹂器者であるならぱ、誰もが気付 偵雑誌の編集者兼探偵小説家の由比耕作が横溝自身をモデルとして リックに基づいたものであり、大江黒潮が乱歩、主人公格である探 しかし作品の展開の中心となるのは、江戸川乱歩の、﹁陰獣﹂のト と考えられるのである。 に、﹃広告人形﹄の時代からのモダンな意匠の作品の総決算である つまりこの作品は、横溝にとって作風の過渡期の作品であるととも からも)、この時期頃の横溝作品のモダンな雰囲気を示してもいる。 字は新漢字に改め、漢字の振り仮名については適宜省略をした。 1 書き下ろし長編小説﹁呪ひの歩.が刊行されたのは、前節で述ベ ・ 2刊、に拠る)の方が少し早いのであ ば、長編小説﹁塙侯爵一家﹂(﹃新青年﹄昭7 たように昭和七年八月のことであり、単に発表の順序だけから見れ 文庫版﹃塙侯爵二永﹄昭認・ (柱4) るが、執筆された順序では﹁呪ひの塔﹂の方が前であると思われ るという前提で書かれており、当然のことながら、作中の連続殺人 くところである。それゆえこの作品は、読者が﹁陰獣﹂を既雫あ の真犯人は﹁陰獣﹂のパロディとして設定されているように読める この作品では、最初の被害者である探偵小説家大江黒潮と探偵役 る。 の白井三郎との性格の類似が探偵小説としての伏線のひとつを成し のである。 て、長編小説としての首尾を一貫させることを狙っているのである つまり横溝はこの作品の枠組みとして﹁陰獣﹂を使うことにょっ ており、それはパ合崎潤一郎が﹁金と銀﹂(原題﹁二人の芸術家の話﹂、 が、それだけでなく、﹁一夫蓉屋敷の秘密﹂では見られなかった黒岩 8)で展開した、お互いが己の (この作品全体が二部に分かれており、第一部の舞台は軽井沢、第 涙香的な趣向も取り入れている。それは、特に、﹁第一部霧の高原﹂ ﹃黒潮﹄大7 ・ 5、﹃中央公論﹄定期増刊﹁秘密と開放﹂号、大7 分身どうしである二人の芸術家の葛藤の物語の影響から、後に横溝 7)、﹁AとBの話﹂(﹃改造﹄大1。・ 3)などで 2、 の上諏訪時代の力作中編﹁鬼火﹂(﹃新青年﹄昭玲・ 二部の舞台は東京である)で事件の現場となる﹁バ、ペルの塔﹂とそ 展開されていく主題ヘと繋がっていくものである。しかしそれとと もに、﹁読者諸君﹂で始まる、作中に肉体を持たない語り手から読 -37ー (﹁第一部霧の高原﹂の﹁第豆早仮想探偵劇﹂の中の﹁探偵劇の くあるじやないか。滑り台だの、回転木馬だの、観覧車だのって﹂ 作中の大江黒潮にょれば﹁一種の遊技場だね。ほら外国なんかにょ の塔に隠れ住む怪人物に明らかである。この﹁バベルの送ιとは、 な作品に見られるぺーソスを表すためではなく、そのグロテスクな いに気をよくした由である﹂と語っている)、ここでは、そのよう 歩は﹁浅草趣味﹂の中で、﹁最近では横溝正史兄がのっかって、大 んではいたのであるが(木馬館のメリーゴーラウンドについて、乱 婦・W)で描いている浅草の花屋敷や木馬館などの世界を横溝も好 ロ・ W光文社刊、に拠る)や短編﹁木馬は廻る﹂(﹃探偵趣味﹄大 役割﹂)、﹁それに日本人はだめだね。せっかくああしてこしらえた よ二みぞせいし ものの客がないんだね。だからこのごろじや立ち腐れみたいになっ たせるために、このような﹁遊技場﹂を設定したのだと考えられる。 怪しさにょって読者の興味を逸らさぬようにして長編小説を成り立 よし ていて客を入れないんだよ﹂(同前)と説明される建物であり、こ ﹁第一部霧の高原﹂で事件は一応の解決をしたのであるが、も 2 の塔でロケをする映画監督の一行(と言っても、監督と俳優二名の 計三名だが)と大江黒潮の客人たちが、塔の頂上に登る階段(七っ あって、迷路のように入り組んでいる)を使って、黒潮を被害者役 うのである。その後、警察立会いの下で事件の再現をしている最中 していた俳優の岡田稔が撮影所のライトの下敷となって惨殺され、 ちろんこの解決は誤りで、﹁第二部魔の都﹂でも、軽井沢に同行 とする仮想探偵劇を行っている最中に、実際に黒潮が殺されてしま に映画監督の篠崎宏が殺されるのであるが、この二件の殺人の犯人 この撮影所内の﹁バベルの塔﹂のセットを背景として解き明かされ 事件は依然として続いていく。前節で述ベたように、事件の結末は、 として塔に隠れ住んでいた﹁ガラガラ蛇の弥士口﹂という脱獄囚が特 定され(弥吉自身も、事件の現場検証のための再現の時に俳優の京 を用意していたのであるが、それを﹁こうなるともう、すべてを﹁お る。そこで、横溝は乱朱ノの﹁陰獣﹂のパロディと言えるような結末 子を襲おうとして、塔から墜死してしまう)、一応事件は解決した この霧に蔽われて視界の利かない塔、その中の秘密の隠れ場所 の﹁乱朱ノ憎亜ど大絵巻といっても言い過ぎではないでしょう。言い 遊び﹂趣向でごまかす、そんな小説として発散された、これは正史 形になっ て 第 一 部 は 終 わ る 。 に棲息していた脱獄囚、迷路のような塔の階段、これらは、果石涙 と・・・:・いくら﹁お遊び﹂といったって、これじや乱朱ノは内心、烈火 忘れましたが、最後に暴露される真犯人の正体のこれまたすごいこ 香のさまざまな翻案作品に使われ、かつ横溝も﹁覆面の佳人﹂で使っ 本版だと言えるのではないだろうか。単なる﹁遊技場﹂だとすれば、 1S2)で描き、乱歩も随筆﹁浅草趣味﹂(﹃新青年﹄大巧 1東京創元社刊、の﹁N 横 溝正史の不思議な生活1続エドガワ・一フンポ鼠1﹂初出、﹃ミステ アー黄金期・探偵小説の役割﹄平N ・ のごとく怒ったと思います。﹂(石上王登志﹃名探偵たちのユートビ た怪しい屋敷とその内部の仕掛け、秘密の地下道などの昭和の日 ・ 宇野浩二が﹁苦の出界そのΞ(原題﹁筋のない小説﹂、﹃解放﹄ 大9 9、引用は光文社文庫版﹃江戸川乱歩全集第誕巻悪人志願﹄平 -38- リーズー・﹄平Ⅱ・ <注5) 8)と解釈するのは、墾肌みのし過ぎであろう。 横溝自身は何も語っていないが、この解決(真犯人)は、乱歩の﹁陰 <注6) 影響から、この作品はまだ脱しえていなかったということも言える わち、伏線の不備)にょって成り立っていたのであって、作品にお 屋敷の秘密﹂の場合、真犯人の意外性は作中のデータの不足(すな その点については﹁芙蓉屋敷の秘密﹂でも同じであるが、﹁芙蓉 であろ、つ。 あるとの前提のうえで)、如何に意外な犯人に着地するのかという ける論理的必然性ではなく、一言わぱ作者にとって都合よく書き進め 獣﹂を明らかに下敷きとして使いながら(読者も﹁陰獣﹂を既読で 7桃源社刊、引用は光文社文庫版﹃江 身は﹃探偵小説四十年﹄(昭豁・ ことを考え詰め嘉果だったと思われるのである(それに、乱歩自 られることにょって成り立っていたのだと一言える。 取れる。しかしながら、たとえば最初の大江需殺害の時の犯人の 作中のあちらこちらに真犯人についての伏線を張っているの鳶み それに対して﹁呪ひの塔﹂では、たしかに、より複雑な仕掛けで、 戸川乱歩全集第器巻探偵小説四十年(上)﹄平玲・]光文社刊、 の﹁奇蹟の扉﹂横溝君の﹁呪ひの塔﹂なども悪い出来ではなかった。﹂ 作探偵小説全集﹂について触れ、﹁大下君(倉西注・大下宇陀児) 一章屋根裏の奇人﹂の中の﹁もう一つの死﹂に﹁それは石膏のよ 遺留品であるハンカチに付着していたもの(﹁第二部魔の都﹂の﹁第 に拠る)の昭和七年の項目で、この作品が参加している新潮社の﹁新 とわざわざ述ベており、この作品に対して特に反発したり無視した いるのである。﹂とある)が、真犯人を確定する大きな意味を持つ うでもあるし、ゴムのようでもあった。ちょ、つどチユーインガムの りしている様子はないのである)。 氏の﹁怪奇ロマンの本格派の巨匠・横溝正史﹂(﹃幻影城﹄玲、昭 ﹁七つの階段﹂の場面や、白井がこのハンカチに付着していたもの ものであるのに、それと関わりのある﹁第一部霧の高原﹂の中の この頃までの横溝が自己の作品を、如何に意外な真犯人ヘと着地 5増刊号)での﹁モダニズムとビーストン風の意外性に特色の ようなものが、小豆ほどの大きさで、ハンカチの面にこぴりついて 1 5 させるのかに心をくだいていたかとい、つことは、たとえぱ山村正夫 ある中短編を数夕夕く書きまくつた﹂とい、フ評価や権田萬治氏の﹁口 が何かに思い至って、﹁おい、由比君、行こう、ようやく分かったよ﹂ こと、また大江黒潮の過去や作家としての大江黒潮の秘密について かという知識を持っていないと解き明かせないように書かれている 一 ルムの語るもの﹂の場面では、読者があらかじめ、それが何である と語る﹁第二部魔の都﹂の﹁第二章愚かれた人々﹂の中の﹁フィ 5増刊号)での﹁ユーモアと ペーソスと意外性を基調とする0・ヘンリー風の作品がほとんどで マンの不死鳥﹂(﹃幻影城﹄玲、昭乳・ 2) の﹁マイクロフォン﹂欄でKOGA ある。﹂という評価、また同時代評としても﹃新青年﹄(大巧・ が﹁横溝氏に申す。﹁意外﹂のみが探偵小説の価値判断のメヂユア(倉 にもかかわらず、それらについては真犯人が判明した後に初めて白 知る者は白井三郎しかいない(編集者である由比耕作も知らない) (<居西注・甲賀三郎と思われる) 西注・メジャー、すなわち基準のことか)ではありますまい。﹂と 井にょって説明されることなど、作中の記述だけでは、読者が推理 述ベていることなどに明らかである。そこから、そもそも横溝が探 偵小説を書き出す最初の頃に耽読したL・J・ビーストンの作品の -39- を論理的に立ち上げることができるようには書かれていない。 ・ 9 よりはるかにわたしを満足させてくれた。﹂(﹁片隅の楽園﹂(﹃ヒッ 8S12、﹃探偵小説五十年﹄昭4 8講談社刊行の復刻版に拠る) 行して)、ウィップル﹁鍾乳洞殺人事件﹂を川端梧郎名義で、自ら ﹁塙侯爵一家﹂はそれまでの横溝の作品と違って、発表当時の政 (注9) が﹁解説﹂(徳間文庫版一呪いの塔﹄平玲・Ⅱ簡書店刊、所収) 翻訳して一括掲載している。 治状況を積極的に枠組みとして取り入れている。この作品の連載さ 品の総決算として、やれるだけのことはできたと思ったのだろう。 こり、またその前年には、三月事件、十月事件などの陸軍の将校ら 後海軍将校や民間の右翼団体員を実行部隊とした五・一五事件が起 事長の団琢磨がともに右翼団体の血盟団員にょって暗殺され、その れた昭和七年には、二月に前蔵相の井上準之助と三月に三井合名理 この作品が刊行される前月号から、新しい趣向を凝らした長編﹁塙 にょるク︼デター未遂事件があり、経済恐慌の中で出情は不安定な かなめ 状況にあった。この作品は、﹁偉大なる軍人にして政治家。日本の それでは次に長編﹁塙侯爵一家﹂について考察をするのだが、そ 沢欣吾ら陸軍の寝と右翼団体貝たちが行い、それにょって侯爵位 の塙安道と瓜二つに似ている貧乏画家の鷲見信之助のすり替えを畔 在﹂(﹁霧の都﹂のコ弓である塙侯爵の令息である塙安道と、 そ あらゆる活動的な機構の要を握っているといわれるあの偉大な存 の前に、この時期の横溝と翻訳長編小説とのかかわりについて、少 すみ しく角虫れなければならない。^剛節の柱:ノ、4^に^目いたようにネ 計画が、物語の枠組みとなっている。 を継ぐ鷲見信之助を自分たちの偲保として利用しようとするという さわきん: の存在を知らず、また当然その作品も読んでいなかったのである て日本に帰ってきた一行の前で、安道の姉に対する傷害事件、塙侯 そのため、遜台は塙安道が滞在しているロンドンで始まり、やが 爵の殺害事件などが起こる。 この作品については、連載第一回の﹁新青年﹄昭和七年七月号の 九=三年)の原書を読んだのは、﹁呪ひの歩巴の執筆中であった可 が、伴大矩が持ち込んできたクィーンの﹁オランダ靴の秘密﹂(一 溝は、﹁呪ひの塔﹂の構想を立て執筆を始めた時点では、クィーン 3 侯爵工永﹂の連載を﹃新青年﹄に始めるのである。 しかし、この作品を執筆した横溝としては、それまでの自己の作 としては無理筋を通したものだとしか考えられない。 おける第二の犠牲者(映画監督の篠崎宏)の殺害方法も、トリック で﹁やや安直な部分もある。﹂として述ベている﹁バベルの塔﹂に ・ 講談社刊、所収。但し引用は昭52 チコック・マガジン﹄ のさせ方は格段に向上していて、その意味で力作と一言えるであろう 五月号に(伴大矩にょる翻訳である﹁和蘭陀靴の秘密﹂の連載と平 と、後年回想している。それとともに、彼は﹃探偵小説﹄昭和七年 つまりこの作品では、﹁一夫蓉屋敷の秘密﹂と較ベて、物語の展開 らざるところがあるのである。そしてそれだけでなく、細谷正充氏 が、﹁はじめに﹂の節で指摘した論理的構成の面では、まだまだ足 H刀 能性はある。このクィーンの作品については﹁本格探偵小説のダイ ゴ味であるところのトリックや意外性については、ヴァン・ダイン -40- 34 で﹁出来栄えは氏の作品中に於ては、断然第一位たるべきもの。本 ﹁編輯だより﹂に、(J ヴン・ダインなどがいつてゐる探偵小説の小面倒な約束を全然無視 大下宇陀児も﹁名篇﹃塙侯爵﹄﹂のタイトルで﹁﹁塙侯爵一家﹂は、 と語っていた乱歩の主張が相変わらず展開されているのであるが、 M)の署名(<后西注・水谷準と思われる) 号の書出しに於て、すでに横溝正史の名は一世を風靡して止まぬだ 麗なる文章と、凡俗に堕せず、気品を失はず、私は、最も大いなる し希快なる横溝正史の作品である。(中略)/絢烱たる構想と流 ・ らう。﹂とあり、翌月号では﹁﹁塙侯爵工永﹂を陛て﹂という絵 期待を以て第二回以後の展開を待ち望んでゐる次第だ。﹂と述ベて マ、フ のもとで、江戸川乱歩、森下雨村、大下宇陀児がそれぞれ推薦文を ルで﹁次に来るべき我々の国の探偵小説は、アメリカ風のクロス 書いているが、その中で乱歩は﹁上等馬車に乗つて﹂というタイト 横溝がヴァン・ダインの作品を評価していなかった(小ノなくとも、 しる ワード小説(<居西注・論理にょる推理に重点を置き、理詰めで事件 あるが、しかしこの作品が、乱宗ノの言うように﹁アメリカ風のクロ ﹁僧正殺人事件﹂を読むまでは)ことは注(8)で示したとおりで スワード小説ではなくて、寧ろグリーンとかガボリオとか、極く初 を解決するようなタイプの作品のこと)ではなくて、寧ろグリーン た如きものであらうといふ説が、我々仲間の一部に行はれてゐる。 どうか。というのは、後年の随筆﹁私の推理小説雑感﹂(﹃現代推理 期の浪漫型長篇小説に、現代の衣を着せた如きもの﹂だと言えるか とかガボリオとか、極く初期の浪漫型長篇小説に、現代の衣を着せ それが仮令我々の国の出版界の形式に基いた多少便宜的な考ヘ方で 小説大系4・横溝正史﹄昭4・6講談社刊、に書き下ろしで収録。 あるにもせよ、確かに一説に相違ない。/(原文改行、以下同じ) へて見ると、横溝正史君の如きはさしずめ、その最も有力なる候補 ではさういふ形式の長篇小説に我々の問で何人が適手であるかと考 る作品(それも、第一期のクィーンの作品の中でも特に評価の高い 引用は﹃探偵小説五十年﹄に拠る)で横溝は、クィーンの方法にょ )の実践としてその後の長編﹁真珠郎﹂(﹃新青年﹄昭1ー・ 長編のひとつである﹁エジプト十字架の秘密﹂(一九三二年)に倣っ 者ではないかと思はれる。﹂としたうえで、﹁﹁塙侯爵一{永﹂は第一 回を読んだばかりで今度こそ四つに組んだのかどうか、まだはつき だ。第一回は主人公の奇怪なる誕生に費されてゐる。相当長いもの も、この﹁塙侯爵工永﹂執筆の時期において﹁オランダ靴の秘密﹂ としては﹂失敗作でしかなかったと自己評価していることを考えて 2 1 10S昭 り分らないけれど、ある音気込みを以て書き始められたことは確か になり相だ。それに、舞台の広さ、登場人物の物々しミ若しかし を勇だことにょる衝撃は大きかったと思われるからであり、その クィーンの(第一期の国名シリーズの頃の)作風は、それこそ﹁ア 2)を構想したことを語り、それが﹁謎と論理の本格探偵小説 の先駆を為すものとなるのではあるまいか。﹂と述ベている。この たら、これこそ、先に云つた﹁次に来るべき我々の国の探偵小説﹂ 文章では、横溝の作品に対する評価というよりも、﹃新青年﹄(昭3 メリカ風のクロスワード小説﹂そのものだったからである。 つまり横溝は、乱朱ノの一言うコ涙香ヘ帰れ﹂とは違う方法で作品を Ⅱ)の随筆﹁最近の感想﹂(引用は光文社文庫版﹃江戸川乱歩全集 第梁悪人憲﹄平Ⅱ・ W光文社刊、に拠る)で﹁涙香に帰れ﹂ -41- 正゛ち なもの﹂を渡されて、その首を絞めるようにうながされた鷲見信之 横たわっている塙安道に対し工畔沢大佐から﹁細い革の鞭のよう 助が逵巡している間に、大佐宛に大使館から呼び出しの電話が入 圭白こうとした(一恢香的な作品は、﹁覆面の佳人﹂で既に試み、それ (庄玲︺ では﹁結末に至る迄の整然たる秩序﹂(﹃九州日報﹄での予告文﹁繍 リ、いったん祭に間が空く(作中では一行空きで示される)。そ 釦)の﹁作者の言葉﹂)は成しえないものであ ることがはっきりしたから)。しかし、それではすぐにクィーンの の後大佐が戻ってくると、﹁ベッドのそばには幽霊のような顔を 1 作品のような﹁謎と論理の本格探偵小説﹂が書けるのかといぇぱ、 ヘ寄ると、そっとベッドの毛布をめくつてみたが、すぐに顔を反ら した信之助が杲然として立っていた。/大佐はつかつかとそのそば ﹃女妖﹄﹂昭5 なかなか簡単には出来ないことは分かっていたので、まずは﹁オラ 品として、執筆当時の政治状況を作品の枠組みとして利用したのだ するのは塙安道を名乗る鷲見信之助であるように、語り手は明示し してしまった。﹂とあって、塙安道が殺され、その後、作品で活躍 ぼうぜん ンダ靴の秘密﹂で展開されているような現代的な意匠を凝らした作 と思われる。それとともに、意匠として政治的陰謀を描くという点 されるのが昭和二年(より完訳に近い形で翻訳刊行されたのは、昭 で紹介したように、クリスティ]の﹁アクロイド殺し﹂が翻訳紹介 ているよう倫める。本論考の﹁はじめに﹂の節および注の(3) 1、 武侠世界 1SW、引用は﹁探偵小説五十年﹄に拠 において、﹁小学校の六年のとき﹂(﹁途切れ途切れの記﹂講談社版﹃横 溝正史全 集 ﹄ 月 穀 、 昭 ' ・ 1 和四年)であることを考えれば、この作品の語りは明らかに祭の る)に読んだ三津木春影﹁古城の秘密﹂前篇(大1 2、伺社刊、で、後に図書館で読むことができ 在り方において粗雑であると言える。しかし、この時代では、三人 ・ 社刊。後篇は大2 称叙述のアンフエア︼はさしたる問題ではなく、作中に一行空き た、と﹁途切れ途切れの記﹂で回想されている)の原作であるモー (それにょって、その間に起こったことを、大佐は知ることができ 0年)の作品但界を取り入れ リス・ルブランの﹁813﹂(一九一 はやしろ 5、引用は角川文庫版え枚人暦﹄ なかったことが示される)を入れることで、読者に対して十分フエ ・ たのではないだろうか。実際横溝は、活劇風の通俗的な中編﹁殺人 ・ーーS昭6 暦﹂(璽雛誌﹄昭5 アーになると横溝は判断し、他の探偵小説作家壽者たちも同じよ 、つに了解したのではないだろ、つか。 昭聡・ U刊、に拠る)で、明らかに怪盗ルパンをモデルとした隼白 てつ二う 鉄ルという﹁怪盗﹂を活躍させ、また﹁813﹂のトリツクを鉄光 えΞ露一又戸三品固円ゆ含マΦm8牙m﹂(一九二八年) というのは、アメリカのミステリー作家ヴァン・ダインも、有名 な﹁↓乏含q の昭和五年六月号に﹁探偵作家心得二十ケ条﹂のタイトルで翻訳掲 でこの叙述の問題に触れているのであるが、それは既に﹃新青年﹄ ﹁塙侯爵一家﹂はそのような思惑で書かれたと老えられるが、そ の﹁水葬礼﹂という形でほぼそのまま使用しているのである。 のメイン・トリツクである人物のすり扶日えが為されたように見せか 弄して読老を欺いてはならぬ。但し犯人が探偵に対してする正当な 載され(小河原幸夫訳)、それについては﹁二、故意にトリツクを けながら為されていないということについては、作中の三人称の語 その部分は、﹁霧の都﹂の﹁四﹂で、阿片中毒となってベッドに りのアンフエアーな点が問題になるところである。 -42- にトリツクを弄して読者を欺﹂くという部分は抽象的で、何をどう 技巧は別である。﹂と訳されている。しかしこの訳における﹁故意 大下宇陀児が﹁名篇﹃塙侯爵﹄﹂で述ベている﹁ブン・ダインなど 作品として成り立ったのである。その意味でこの作品は、たしかに なかった、という読者の需の逆を突くという意外な結末を迎える ともかく、﹁呪ひの塔﹂と﹁塙侯爵工永﹂を書きあげたことで、 ママ することが禁じ手にあたるのかはっきりとしない。それにたいし 正史の作口叩﹂であったのだが、大下はそこまでこの作品を、推理し がいつてゐる探偵小説の小面倒な約束を全釜視し衞快なる横溝 横溝は長編探偵小説を書くことに自信を持ちぇたと考えられる。た おわりに 理解して語ったわけではないであろう。 て、たとえぱ創元推理文庫版のヴァン・ダイン﹃ウィンター殺人事 上勇訳)では、同じ部分が﹁二。犯人が探偵自身にたいして当然用 件﹄(昭釘・6東京創元社刊)所収の﹁推理小説作法の二十則﹂(井 いるもの以外のぺてん、あるいはごまかしを、故音槌読者にたいし てもてあそんではならない。﹂と訳され、トリックの主体は作者そ る。また、ハワード・ヘイクラフト編仁加貝克雄編・訳﹃ミステリの だ、彼の意識の中には、より完成度の高い作品として、伴大矩から の人ではなく作中の犯人でなければならないことが明示されてい 百合子訳)では、﹁二、故意に読者をはめるようなトリックや記述 としては、いかにそのような﹁謎と論理の本格探偵小説﹂の方向に 渡されて殊だクィーンの﹁オランダ靴の秘密﹂があり、次の課題 美学﹄(平巧・3成甲書房刊)所収の﹁探偵小説作法二0則﹂(松井 をしてはならない。ただし犯人が探偵の目を欺く目的で、という正 自己の作品の精度を高めていくのか、ということがあったであろ 当性がある場合は除く。﹂と訳されている。クリスティーの﹁アク ロイド殺し﹂のトリックがフエアーかアンフエアーかを巡る、当時 ﹁鍾乳洞殺人事件﹂と﹁赤屋敷殺人事件﹂(﹃探偵小説﹄昭7 ・ う。それについては、この時期(昭和七年)に自身で翻訳発表した 8、 の欧米でのミステリー作家や読者たちの論争で、ヴァン・ダインは 浅沼建治名義)を考察の対象としなけれぱならないと思われるのだ 書Ⅱ) アンフエアー説を強く支持していたことを考えれば、この第二則 は、一人称Ξ人称に限らず広い意味での叙述トリックを禁じた内容 一九三五)。アメリカの 全00九・七・二0) う が、最早紙数も尽きているのでそのためには別稿を期したいと思 9Φ含(一八四六S であると言えるのだが、それが﹁犯人﹂ではなく﹁作者﹂の﹁、張﹂ (注) ン=昆欠曾語ヨΦ にょる﹁トリック﹂の禁止だということは、昭和五年の翻訳の時点 それゆえ、横溝自身は、先ほどの場面をフエアーな書き方のひと では訳者にも明確には理解できていなかったのだと思われる。 1 よりも九年前に刊行された処女作﹁リーヴエンワース事件﹂ 女性小説家。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズもの つとして書いたと考えられるのである。それゆえ、この﹁塙侯爵一 品冒頭部分ですり扶国えられた筈の人物が、実はすり扶日えられてはい 家﹂は、作品執筆当時の政治状況を取り入れながら、なおかつ、作 -43- 2 3 4 5 (一八七八年)でベストセラー作家となり、その後四十編ほ ての気概を示したのである。また、乱朱ノと自分を戯画化する り込みながら、独自の事件を構築することで、探偵作家とし れの歌を捧げた。しかし一方で、この傑作を自分の作品に取 ささ ﹁覆面の佳人﹂の﹁訳補者の言葉﹂令北海タイムスタ刊﹄ 複雑な心情を叩きつけたような物語に、興味は尽きないので に表明したようにも受け取れる。作家業に専念する直前の、 ある。﹂と述ベて、この作品が、石上Ξ登志氏の解釈とは正 ことで、当時の気持ちや、探偵小説に対する想いを、赤裸々 されたい。 昭4 ・ 5 ・姶)における黒山石涙香ヘの言及について、詳しく クリスティ]﹁アクロイド殺し﹂のイギリスでの刊行は一九 と論じている。 平W ・ 2)を参照された ・ビーストンと岡本綺堂の影響から1﹂(﹃武庫川国文﹄第 0、 1 この点については、偶然この作品と同年にアメリカで刊行さ 1" )0 六十八号、第六十九号、平玲 J この点については、拙稿﹁神戸在住時代の横溝正史1L 反対の﹁﹁陰獣﹂のりスペクト﹂として書かれたものである は拙稿﹁横溝正史﹁呪ひの塔﹂の執筆時期について﹂を参照 どの作品を発表して、後に﹁探偵小説の母﹂と呼ぱれた。 6 二六年。また、松本泰訳にょる﹃クラク﹄連載の﹁アクロイ S・S・ヴァ ド殺し﹂は、松本恵子にょってょり完訳に近い形に改稿され て、昭和四年十二月に平凡社から刊行された。 ン・ダインの﹁グリ︼ン家殺人事件﹂(邦訳の﹁グリイン家 の惨劇﹂)のアメリカでの刊行は一九二八年で、﹁グリイン家 の惨劇﹂は﹁グリイン家惨殺事件﹂と改題されて、昭和四年 れたエラリー・クィーン﹁エジプト十字架の秘密﹂(一九三 7 どについては、長谷部史親﹃欧米推理小説翻訳史﹄(平4 十月に博文館から刊行された。以上の作品の翻訳発表年月な いるヨードチンキの堤をめぐる描写とそれに基づいた鮮やか な論理にょる推理とは正反対であると言える。横溝正史は、 二年)の中の﹁読者ヘの挑戦﹂の直前にさりげなく描かれて 昭和七年の三月号から、それまでの雑誌﹃文芸倶楽部﹄編集 5本の雑"刊)に拠った。 正史﹁呪ひの広.の執筆時期について﹂を参照されたい。 執筆されたと考えられるが、この点については、拙稿﹁横溝 長から雑誌﹃探偵小説﹄編集長に転じているが、その頃、翻 ﹁呪ひの塔﹂は昭和六年の夏頃から翌七年の初め頃にかけて 細谷正充氏は﹁解説﹂(徳間文庫版﹃呪いの塔﹄平玲・Ⅱ徳 一年)の原書を持ち込まれ﹁不勉強なわたしはそのときはじ 訳家の伴大矩からクィーンの﹁オランダ靴の秘密﹂(一九三 めて、エラリー・クィーンの名前をしつたのである。﹂(﹁片 間書店刊、所収)で、﹁作者が博文館を辞めた。昭和七年真 ﹁陰獣﹂のりスペクトであり、なおかつ現{夫のパロディになっ 隅の楽園﹂(﹃ヒッチコック・マガジン﹄昭鍵・ は、まさに本書が刊行された時期であった。それこそ本書が、 偵小説五十年﹄昭仰・ 9講談社刊、所収。但し引用は昭記 8S松、﹃探 ている理由ではないのか。作者は編集者を辞めるにあたり、 みょうり 編集者冥利を味わわせてくれた﹁陰獣﹂に、感謝を込めて別 ー"ー 8 8講談社刊行の復刻版に拠る)と、後年、回想している。つ でかかった。﹂とも述ベている。 の小説家だが、本国でも既に忘れ去られた存在と言える。長 一九七三)。アメリカ 編ミステリーは三作執筆し、﹁鍾乳洞殺人事件﹂は一九三四 欠Φ弓Φ芽口言ゆ孝豆Φ(一八九四S はクィーンの存在を知らず、また当然その作品も読んでいな 年刊行とされているが(扶桑社文庫版﹃昭和ミステリ秘宝 9 かったのである。極論かもしれないが、このような、伏線の 横溝正史翻訳コレクション鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘 まり、﹁呪ひの塔﹂の構想を立て執筆を始めた時点では、彼 の間のミステリー作品における意識の違いを象徴していると 張り方の厳密さに対する意識の違いが、当時の欧米と日本と 一言えるのではないか。 訳をしたのであろうか。 横溝は単行本刊行以前の雑誌掲載段階でこの作品を読み、翻 密﹄平玲・ ﹁僧正殺人事件﹂(倉西注・一九二九年刊行)を読むま (くらにし・さとし本学准教授) の秘密﹂(一九二二年)である。 原作は、イギリスの小説家であるA・A・ミルンの﹁赤い館 十四日まで連載された。 全くそのままで)、﹃九州日報﹄に昭和五年二月一日から八月 案作品ではなく)として、題名を﹁女妖﹂と変えて(内容は ﹁覆面の佳人﹂は、江戸川乱歩と横溝正史の合作の創作(翻 U扶桑社刊、所収の杉江松恋﹁解説﹂に拠る)、 ﹁欧米長編ミステリーの黄金時代﹂の作家の中で、アメリカ <、ほぼタイム・ラグのない釜で翻訳紹介されている(長 刀口2 4六人社刊、に書き下ろしで 谷部史親﹃欧米推理小説翻訳史﹄に拠る)が、横溝は﹁私の 探偵小説論﹂(﹃真珠郎﹄ ー。扶桑社刊、に拠る)で、﹁ヴァン・ダイン氏の提唱し 収録。引用は扶桑社文庫版﹃昭和ミステリ秘宝真珠郎﹄平 2 1 たフエヤー﹂について﹁{夫際、ここに一つの殺人事件がある、 そして犯人はその数人の関係者のなかにいる。探偵がそれ等 い、つだけなら、いかにそれがフエヤーであってもあまりに退 の人物を順繰りに訊問していって、最後に犯人を指摘すると 屈ではないか。﹂と述ベているように、良い評価を下してい ない。また、﹁片隅の楽園﹂では、処女作の﹁ベンスン殺人 事件﹂(一九二六年)から﹁グリーン家殺人事件﹂(一九ニハ で、したがって結末の意外性に欠けている﹂という点に﹁不 年)までのヴァン・ダインの作品について﹁トリックが単純 こよ、 満﹂を持ち、﹁ほんとうの意味の探偵作家として承服できる -45- の小説家であるヴァン・ダインの作品は、この当時では珍し 10 Ⅱ
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