3)で、昭和七年に横溝 倉西 横溝正史・翻訳﹁鍾乳洞殺人事件﹂、翻訳﹁赤屋敷殺人事件﹂論 はじめに 拙稿﹁横溝正史・エラリー・クィーンの作品との出会い﹂(﹃日本語日本文学論叢﹄第五号、平訟・ 8増刊号)、それが横溝にとつての初めてのクィーンの作品との出会いであったこと、雑需集者としての面で ・ 4S8、﹃新 が翻訳家の伴大矩から、クィーンの﹁オランダ靴の秘密﹂(一九三一年)の原書を渡され、自らが編集長を勤めている繋﹃探 . 偵小説﹄に、その翻訳を伴大矩の訳にょって、﹁和蘭陀靴の秘密﹂のタイトルで連載したこと(﹃探偵小説﹄昭7 青年﹄昭7 はクィーンを評価しながらも、探偵作家としてはその作品の在り方に不満を抱いていたことを考{祭した。本稿では、この昭和 ・ A ・ミルン﹁赤い館の秘密﹂(一九二二年)の両作品を検討 七年という時点で、彼がクィーンの作品と同じくらい、あるいはクィーンの作品よりも高く評価していたかもしれない乍品で あるK . D .ウィップル﹁鍾乳洞殺人事件﹂(一九三四年)とA することにょって、彼が博文館の編集者という安定した立場を捨ててまで皇白こうとしていた探偵小説とはどのようなもので あったのかについて、考{祭したいと思う。 なお、本文の引用につぃては基本的にその都度底本を記載し、特舗載のないものについては初出誌に拠った。初出誌に拠っ た場合は、旧漢字を新漢字に改め、振り仮名については適宜省略をした。 -35- 左卜 1 (1) (2) まず伝需事実から述ベると、横溝はこの昭和七年の夏に、博文館を退社して専業作家の生活に入っている(その最後に編 集した雑社契昭和七年三月号から終刊となった八月号までの﹃探偵小説﹄と﹃新青年﹄昭和七年八月増刊号である)。前述 の拙論でも述ベたが、この間の昭和七年三月号から六月号までの﹁探偵小説﹄の﹁編輯後記﹂では﹁和蘭陀靴の秘密﹂あるい 8 ・釦論創社刊、に拠る)では、ヴァン.ダインの作品を﹁探 は作家クィーンを絶賛しているのであるが、かたや昭和七年六月号の﹃探偵クラブ﹄に書いた随筆﹁クロスワード式探偵d説﹂ (引用は、﹃横溝正史探偵小説選1 ︹笥ミステリ叢署舗︺﹄平幼・ 偵小説は絶対的に知識の遊戯でなければならぬ﹂ものであり、クィーンもその絵者として位置づけ、﹁読者はその問(倉西注 探偵が容疑者を訊問している間のこと)を、実に退屈な訊問と、思わせぶりな探偵の、のろのろとした捜索に悩まされなけれ ばならない﹂召目険1?おお、それこそ低級なる読者を目当てのスリラアのやることである。ー/(<居西注.改行)だが、 だが、これでいいのか。ーと私は思うのだ。﹂﹁もっとてきぱきと行かないものかなあ、などと、探偵小説の読者の第一条件た ママ る、知識的探究さえ打忘れて、つい忌々しさに最後の頁を繰ってみるようになる。﹂と、そのような書き方に反洗し、﹁一時あ んなに流行したクロスワードがぱったりとすたれたように、このクロスワード式探偵小説も、ブン.ダインの一二作を残して 問もなく滅亡するだろうと。﹂と、ほぼ全木呈疋しているのである。 (3) 横溝が﹃探偵小説﹄の編集長の役を務めたのは半年ほどの間であったが、その間、彼は﹁和蘭陀靴の秘密﹂の訳載と並行す ・ D (4) ・ウィップル原作の﹁鍾乳洞殺人事件﹂と、同じく八月号に浅 る形で、自ら筆をとって、当時は通例であった海外の長編小説の、抄訳にょる一挙掲載を二回行っている。﹃探偵小説﹄昭和 七年五月号に川端梧郎名義で掲載されたアメリカの作家K 沼健治名義で掲載されたイギリスの作家A・A・ミルン原作の﹁赤屋敷殺人事件﹂である。 -36- 後者の﹁赤屋敷殺人事件﹂は、現在でも創元推理文庫で刊行され名作とされている﹁赤い館の秘密﹂であるが、前者の﹁鍾 12 . 0夫桑 乳洞殺人事件﹂はアメリカ本国でも、作者ともども忘れられた作品となってしまっている。このK・D.ウィツプルについて は、扶桑社文庫版﹃昭和ミステリ秘宝横溝正史票コレクション鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密﹄(平玲. . 5早 ・巧講陛刊)、石川喬司・山口雅也 6パシフィカ刊)所又の田中潤司との対談﹁探 9 6 社刊)の﹁解説﹂で杉江松恋氏が詳しく論じられているが、﹁この人はプロフィールに未詳の部分が多く、本国アメリカでも ・ ・ 既に忘れ去られた存在といぇる作家﹂であり、日本国内で言及した文献として、江戸川乱歩﹃続・幻影城﹄(昭鈴. 3 川書房刊)、講籍文庫版中島河太郎﹃江戸川乱歩賞全集①探偵小説辞典﹄(平W 編﹃名探偵読本14 エラリイ・クィーンとそのライヴァルたち﹄(昭熨・ 偵小説の真髄﹂における鮎川哲也の発言を挙げているが、乱歩の言及は﹁類別トリック集成﹂における例示として﹁鍾乳洞没 人事件﹂を取り上げたもの、中島河太郎の言及は、この作家単独で項目を設けてはいるものの、その内容は﹁鍾乳洞殺人事牛﹂ の梗概と﹁本格長編としては構想力に乏しいが、スリラー的色彩に富んでいる。﹂というわずか一テの簡単な乍口0の印象比〒、 0 なぜなら、﹁ヒュー.オースチンだとか、ルパート・ペニイだとかケネス・ホイツプルだとか未紹介の本各乍家がまだま 鮎川哲也の発言は、対談の締めくくりの発言として、クィーンや力1の長篇の割訳は出つくしたが、それを寂しがる必要はな し だたくさんいるからです。/(<居西注・改行、以下同じ)いうなれば、彼らはみんなクィーンのライヴァルであるわけですよ0﹂ 3S25 ・ ・ HS26 ・ 1)の舞台背景としてのこの乍品 1)で、﹁鍾乳洞殺人事牛﹂について言及してい 3、﹃{玉石﹄昭部・ 第幻回横溝正史は鍾乳洞の夢を見たか﹂(﹃ミステリマガジン﹄平N というもので、その作品名さえも挙げられていないのである(杉江氏の挙げている三編の他に、新保博久氏も﹁ミステリ再入 ﹃ るが、それは、横溝の﹁八っ墓村﹂(﹃新青年﹄男・ の影響につぃて言及したもので、横溝がそれだけ鍾乳洞という錘台に愛着を持っていて、﹁八っ墓村﹂、では﹁自乍に刺戟を与 えてくれた先行作品に敬意を表したかった﹂がために、作中の主人公が、この作品と思しき小説を過去に読んだという設定が わざわざ加えられているのだろう、と推{祭したものである)。 -37ー 松江氏はその他に、ミステリー研究家のM (7) ・Ⅱ)における同氏の紹介文も参照して、三作あるウィップ K氏の﹃ある中毒患者の告白Sミステリ中毒篇﹄(私家版。平1)およびクラ シカル.ミステリー.ファンジンの﹃ROM﹄第工三号(平16 ルの長篇作品(その内の一作は、言うまでもなく﹁鍾乳洞殺人事件﹂であるが)の共通点につぃて考察しているが、その結果 0{冨0号﹁一'勢ゆについては、ルーン湖畔の別荘に休暇を過ごす四 をまとめると﹁怪奇趣味を盛り上げる特殊な舞台﹂﹁出血大サービス気味の連雛人﹂﹁主人公にもたびたび危機が迫る巻き込 まれ刑土サスペンス﹂ということになる。 例えば一九三三年刊行の最初の長編.、↓語三仁区円9% 二重のドンデン返しを準備し、真犯人も極めて意外で最後のWページまでべールに包まれる。しかも 人の人物が順々に不可解な死を遂げ、﹁湖上での不可能な狙撃事件や密室内での二重刺殺事件等、不可能味も満載です(前者 は例のないトリツク)0 不気味ムードたっぷりの中で事件が山ほど発生する﹂と説明し、 H1BK派の﹁香りが強いこととフエアな推理に乏しいこと﹂ を指摘している。また三作目の長編の:↓語工誘昇浮今、m司0一巨(一九三五年)につぃては、﹃ROM﹄第ご二号収録のM K氏の評言﹁ニユーイングランドの避暑地で起こる三重焼殺事件。火事恐怖症の富豪宅を中心にして続発する放火事件の後 に必ず見っかる不気味な死体。骨と化した遺体の頭骸骨からは銃痕等の他殺の証拠が見っかる。(中略)この設定であれば見 U勢典 え見えの展開とは言え、本格派が求めるツボを全て網羅したかのような、よくできた作品です。(中略)後半で若干中だるみ するものの、これだけ贅沢に事件をつぎ込めば、ページから目を離す暇もありません。﹂を引用している。 つまり、ウィツプルは、その活躍期間が、現在判明している(杉江氏の﹁解説﹂に拠る)限りでは、器の''↓哥 則号气(一九二二年四月)からやはり短編の.一冨m昇司一巨、m司0-々(一九三六年四月)であって、これは、現在言われてい る一九二0年代から一九三0年代にかけての欧米の長編本格探偵小説の黄金時代(例えばクリスティは処女作の﹁スタイルズ の怪事件﹂で一九二0年にデビユーし、クロフツも処女作﹁樽﹂を同年刊行し、またヴァン・ダインとともにミステリー作口0 の規範集(あるいは、べからず集)﹁探偵小説十戒﹂(一九二九年)を発表したノックスも、一九二五年に、現在でも問題作と -38- されている﹁陸橋殺人事件﹂を刊行し、そしてヴァン・ダインが﹁ベンスン殺人事件﹂で一九二六年に登場し、また、現代日 . D .カーが一九三0年に﹁夜朱ノく﹂でデビユーしている。)と、ほぼそのまま重なっていると考えることができ、ハー 本のミステリー.シーンにおいても強い影響力を持っているエラリー・クィーンが一九二九年に﹁口ーマ帽子の秘密﹂で、同 じくJ ドボイルド派のダシール・ハメットの処女長編﹁血の収穫﹂の刊行が一九二九年、﹁マルタの鷹﹂の刊行が一九三0年、レイ モンド.チャンドラーの処女長編﹁大いなる眠り﹂の刊行が一九三九年、﹁さらば、愛しき女よ﹂の刊行が一九四0年である ことを考えれば、ウィップルの活躍時期は、横溝が﹁クロスワード式探偵小説﹂で批判しているパズラーと呼ばれる﹁探偵小 説は絶対的に知勢遊戯でなければならぬ﹂という書き方が最盛期を誇り、それがハードポイルド派の興隆にょって、アメリ 力では霧りを帯びるようになる期間までにすっぽりと入るのである。 それゆえ、このウィップルの﹁鍾乳洞殺人事件﹂もパズラーとしての定石はきちんとふまえており、またそれはお、ざなりの (9) ・旦に執筆した﹁編 ものではないのであるが、当然のこととは言え、現在でも読まれているこの時期の﹁クロスワード式探偵小説﹂よりは、数段 落ちる出来栄だと一言えるのである。 しかしながらその出来栄については、横溝自身が﹁鍾乳製人事件﹂を掲載した﹃探偵小説﹄(昭7 輯後記﹂でこの作晶の美点として挙げているものが、ほぼそのまま、現在の本格探偵小説としての評価としては弱点としてあ (Ⅱ)オランダママ てはまる。横溝は次のように述ベている。 これは同じく本格でありながら﹁和蘭陀靴の秘密から、﹂較ベると、その柔らかさに於て、甚だしい異色を見せてゐる。 相関連して起る三つの殺人事件を中心に、豊かな探偵趣味を盛上げながら、一方何ともいへぬユーモアな感じで読者を寸 時も離さない。登場人物がそれぐ異つた人問味を発揮するのも、かういふ探偵小説には珍らしい。警部と新聞記者の応 答など、その愉快さに思はず微笑させるものがある。一方、暗黒の鍾乳洞に、相ひついで起る殺人事件は、読者を棟焚 らしむるものがある。最近での掘出物であると同時に大呼物となる事と信ずる。 -39- すなわち横溝は、ヴァン・ダイン、クィーンを筆頭とする﹁ガツチリ派﹂に対する不満から、あえて、本格探偵小説であっ ても﹁その柔らかさに於て、甚だしい異色を見せてゐる﹂この作品を訳載したと言えるだろう。その﹁柔らかさ﹂の内実とは、 ・巧講魅刊、所収。ただし、ここでの引用は、昭詔・ 8 ・羽刊行の、同社の復刻版に拠る)で﹁お筆先みたいな一文﹂ 8S謡、﹃探偵小説五十年﹄昭 ﹁何ともいへぬユーモアな感じ﹂、それぞれの﹁人間味﹂が丁寧に描かれた登場人物たち、ということになるであろう。そして、 9 このような描き方は、横溝が後年の回器﹁片隅の楽園﹂(﹃ヒッチコック・マガジン﹄昭説・ 4 と皮肉っぽく述ベているヴァン・ダインの﹁探偵作家心得二十ケ久太﹂(一九二八年。ここでの訳文は﹃新青年﹂昭和五年六月 号に掲載された、小河原幸夫の日本初翻訳文に拠る)の﹁一六、探偵小説にあつてならぬものは長ったらしい説明、余計なこ とについての、芸術描写、巧みにつくりあげられた性格解剖、﹁.分囲気的﹂先入見。こんなものは犯罪と帰納との記録に何の 生命をも与ヘはしない。アクシヨンを止めるばかりでなく、問題を示し、それを解剖し、うまく結論ヘもつてくるという主目 的に、全く不適当なものをもち出すに七、まる。はつきり云ふと、小説に真実らしさを与ヘるところの、充分な叙述と人物描 写とが必用なのか。﹂とかかわってくる。つまり、﹁鍾乳洞殺人事件﹂に描かれたユーモアや人間味は、ヴァン.ダイン四言う ﹁小説に真実らしさを与ヘるところの、充分な叙述と人物描写とが必用なのだ。﹂ということばの範囲に含まれるものだと言う ことができる、と横溝は考えたのかもしれないのである。しかしそれは小河原幸夫の翻訳が不徹底であることを、あえて横溝 が逆手に取ったのであったのかもしれない。というのは、この第一六条の前半部分で小河原は、﹁探偵小説にあつてはならぬ もの﹂のひとつとして﹁巧みにつくりあげられた性格解剖、﹁寺分囲気的﹂先入見。﹂と訳しながら、後半部分では前のように訳 したために、﹁充分な叙述と人物描写とが必用なのだ。﹂としながらも、その﹁充分﹂の範囲がどこまでのものであるのか暖昧 3 ・ 5成甲書房刊、所収)では、この部分は﹁一六、探偵小説は決して回り道をしてはいけない。冗長 になってしまっているのである。近年の訳、例えば﹁探偵小説作法二0則﹂(ハワード・ヘイクラフト編仁賀克雄編.訳﹃ミ ステリの美学﹄平巧・ な描写、本筋に関係のない一切の文学的饒舌、細かい性格分析、﹁雰囲気﹂ヘの没入、これらは犯罪の記録や推理にはいっさ -40- い役に立たない。かえってストーリーの運びを妨げ、謎を叙述して分析し、解決に導くといった本来の目的に水を差す。小説 に無性をあたえる適切な背景説明や人物描写があれば十分である。﹂(松井百合子訳)と訳されており、作中のユーモアや人 問味についての描写も、﹁小説に信愚性をあたえる適切な﹂限りで腎ることのできるものであるということが、はっきりし ている。﹁鍾乳洞殺人事件﹂でのユーモアや人問味についての描写は、明らかにこの﹁適切な﹂範囲を逸脱していると言える であろう。 それでは横溝は、そのような翻訳の不手際がもとで、この作品も、ヴァン・ダインの規則に沿うものであると考えていたの であろうか。当然のことながら答えは否で、﹁クロスワード式探偵小説﹂や﹁片隅の楽園﹂を出すまでもなく、この小河原訳 の﹁探偵作家心得二十ケ久木﹂のコニ、恋愛的興味をもち出してはならぬ。我々の仕事は犯人を正義の法廷に運ぶのであって、 失恋の男女を結婚の聖壇ヘ送りこむのではない。﹂に、堂々と違反しているからである。 この作品の語り手へゼル・カーチスは、素人探偵役であるベヤード・アシ博士(本職は、地質学者)の秘書であり、かつ、 明らかに作中のワトソン役として設定されているのだが、新聞記者メルトン・ダレルに対するこのへゼルの思いが、事件の解 決とは関係なく(﹁適切な﹂範囲を超えて)、作品の推進力のひとつとなるように、この作品では書かれているからである。つ 5)と述ベているのであるが、それは、ヴァン・ダインの規範がそもそも、本格探偵小説のひとつの傾向 まり、横溝は確信犯として、、ヴァン・ダインの﹁お筆先﹂を破る作品を選び、﹁これは同じく本格でありながら﹂(﹁編輯後記﹂ ﹃探偵小説﹄昭7 ・ 1L J ビーストンと岡本綺堂の影響から1﹂(﹃武 を突き詰めた形式として書かれたものであり、これらの規範の遵守イコール本格探偵小説というわけではなかったからである。 2 ﹁本格﹂という用曹ついては、拙稿﹁神戸在住時代の横溝正史(上) -41- (M) 庫川国文﹄第六十八号、平玲・ W)の第一節を参照していただきたいが、日本では大正十四年頃から探偵作家の間で使われる ようになっていたようであり、この用語が使用された初期から帯びていたニユアンス、すなわち非芸術というニユアンスを特 に突き進めて書かれたものとして、このヴァン・ダインの規則が受け取られたことは、当時の翻訳でも明白だったと思われる。 なぜなら小河原訳の﹁探偵作家心得二十ケ久木﹂は、各条の始まる前羅則と言える部分が﹁探偵小説は一種の理智的なゲイム である。むしろスポーツである。作者と読者との関係はあくまでもフエア・プレイだ。﹂ということぱで始まっており、これ は明らかに探偵小説イコール非芸術の宣言であると解することができるからである。 ・松だと言える)、この﹁探偵作家心得二十ケ条﹂を本格探偵小説に対するパロディであるとまで もちろん、この規則をほぼ規則どおりに受け取って作品を書い会尾四郎などもいたが(その恰好の例が﹁殺人鬼﹂﹃名古 新聞﹄昭6 ・ 4 ・ーフS12 必ず{^イ乍に上蔀用しなければならないと思ったイ乍{^はガ、ノ委女だったであろう。な气!→ならば、この一﹁1朶1貞イ乍劣ミ、^1与 二十ケ条﹂が訳載された﹃新青年﹄昭和五年六月号の段階で、既にヴァン・ダインの長編小説は、処女作の﹁ベンスン殺人事 5 件﹂(一九二六年)、第二作の﹁カナリャ殺人事件﹂(一九二七年)、第三作の﹁グリーン家殺人事件﹂(一九二八年)が翻訳刊 行されており、その主人公であるファイロ・ヴァンスの嫌味なまでの街学趣味について、日本の探偵作家にも知られていたと 思われるからである(戦前の日本では当たり前のように行われていた抄訳では、このような街学趣味が並ベたてられる部分は ・ 6S9)を確認しても、 訳されることは少なかったと思われるが、特に﹁グリーン家殺人事件﹂など、敬亘祭の捜査と捜査の問を街学趣味でつないでい るような作品では、その街学趣味をすべて削除するのは難しかったと思われる)。 試しに、ヴァン・ダインの最初の邦訳である﹁グリイン家の惨劇﹂(平林初之輔訳、﹃新青年﹄昭4 たしかに語り手や探偵役のファイロ・ヴァンスの街学的な部分はかなり省略されているものの、例えば﹁第七章ヴァンスの 説明﹂でヴァンスは、﹁実に不愉快な家庭だ。無為徒食の家族の最後はみんなあの通りだね、ウィツテルスバツハ家でも、ロ マノフ家でも、ジユリアンークロオチアン家でもみんなさうだ。このことは国家についても言ヘるね。ロオマにしろ、アツシ -42- 6 ・ 5創元推理文庫刊)では﹁ウィッテルバッハ家﹂、﹁ロマノフ家﹂、﹁ジユリアン・クローディ リアにしろ、エジプトにしろ、皆栄華と無制限の放縦とのために腐敗してしまつたんだからね。﹂と語るが、井上勇訳の﹃グ J1 ン家殺人事件﹄(昭誕・ アン家﹂に器を入れており、またこの章の終りには、﹁ではまあ、あなたがた公眉西注・敬烹祭官たち)のその妙ちきりんな 調ベがすむまでは、僕には何もすることがないから、当八刀ひつこんで﹁ドラクロアの日記﹂の翻訳でもまたはじめることにし ませう。﹂と喋っている。そして﹁第八章第二の惨劇﹂の冒頭部分では、﹁ヴァンスは水曜日と木曜日とは書斎に閉ぢこもつ て、陽と馨をしたり、ヴォラード(倉西注・井上勇訳では、ここに訳注がある)のつくつたセザンヌの水彩画の目録を対 照したりして暮した。三巻になつた﹁ユウジエーン・ドラクロアの日記﹂は彼の机の上にのつてはゐたが、彼はそれを開いて も見なかつたやうである。﹂と説明される。あるいは﹁第十二章自動車に乗りて﹂で、グリーン家の一人のレツクスとヴァ ンスは会見するのだが、そこでも、﹁最初のうちはこの青年は、非常に気むづかしい態度で私たちに応対してゐたが、私たち が彼と別れるまでには、彼とヴァンスとは、アインシユタインの一般相対性理論とか、ポアンカレの数の理論などについて、 私のやうな素人には到底わからない難しい議論を戦はし、レツクスはひどく興に乗つて、帰りがけには手を出して、ヴァンス に握手を求めた位だつた。﹂と説明される。もちろんこの部分で作者は、レツクスという青年の気むずかしさを描こうとした (M) 引用は﹃平林初之輔探偵小説選Ⅱ︹論創ミステリ叢書2︺﹄平玲 ー. 0 のだろうが、しかし、語り手(ファイロ・ヴァンスの友人で、作品のワトスン役)にも﹁私のやうな素人には到底わからない 難し論論﹂を使っているのである。そしてもちろん、この事件に物理学や数学などは何も関係がない。 1、 1 まだまだ数え上げればきりがないが、これでも、街学的な部分の多くは省略されているのである。訳者の平林初之輔自身、 随筆﹁ヴァン・ダインの作風﹂(﹃改造﹄昭5 論創社刊、に拠る)で、﹁私はかつて、彼の作品を一っ翻訳したことがあるが、紙数の都合で、約四分の一ほど切り捨てねぱ ならなかった。﹂と語っている。 いずれにせよヴァン・ダインの作品が、邦訳当初相当な話題となった(それには、映画化されて日本で公開されたことも要 -43- 因としてあるであろうが)のは事実であろう。その原作まで横溝が読んだのかどうかは判らないが、その﹁探偵作家心得二十ケ スレートラ'ティングウーゼアポード 久太﹂について、それなりに納得できるところもあったであろうが(例えば、﹁八﹂の﹁犯罪は必ず自然主義的な方法で解かれ なければならない。石盤室国記、神秘ムロ、読心術、一釜術、結晶凝視等々の降神会式魔術で真{夫を知らうとするような事は夕 ブウだ。﹂(小河原幸夫訳)や﹁一三﹂の﹁秘嘉社ーカモラ党、マフラ団の類は探偵小説の材料にはならない。﹂(同)などは、 そうであろう)、しかしそれを金科玉条のようにして、﹁ガツチリ派﹂の探偵小説を、自らの書くべき作品の目標にしようとし たとは考えられない。それよりも、彼は、この﹁探偵作家心得二十ケ条﹂の中から納得できる部分だけを取り入れて、そうで ない部分はあえて無視するような作品を、﹃探偵小説﹄に載せようとしたのではないのだろうか。つまり、この﹁鍾乳洞殺人 事件﹂は、横溝にとってはヴァン・ダインの作品に対する一種の皮肉を為すものだったのではないかと思われるのである。 杉江松恋氏は前述の扶桑社文庫版の﹁解説﹂で、﹁動機のある登場人物には欠かず、また二番目の殺人では犯人を示すダイ イイング・メッセージも遺されるなど、犯人当てミステリーの体裁は整っている。ただし、クィーンばりの推理展開などを期 ふる 待すると少々当てが外れます。現在の読者の肥えた目で見ると、犯人指摘のロジックはあっさりとしすぎているし(でも一応 のサプライズとそのための伏線は準備されている)、犯行手段にも納得のいかない部分があるからだ。お旧い?・まあ、時代 の挨を払ってご紹介する作品なのだから、タタ小ノのことは大目に見てください。﹂と述ベているが、この後﹃探偵小説﹄でミル ンの﹁赤い館の秘密﹂を自ら訳したり、メイスン﹁矢の家﹂(一九二四年)やベントリー﹁トレント最後の事件﹂(一九一三年) などの、現在でも読まれている作品を掲載したりした横溝自身が、この作品の欠点に全く思いいたらなかったとは思えない。 それゆえ、注(7)で推定したように、新作としてたまたまこの作品を読んだ横溝が、ヴァン・ダインに対する一種の皮肉と 9) して、作品のその欠点を承知の上で(しかしそれだけでなく、杉江氏も﹁解説﹂で論じているように、後に﹁八つ墓村﹂で展 開される鍾乳洞の魅力を、彼はこの作品から強く感じたのであろう。また、横溝が探偵作家デビユー期から拘っていた結末の 意外地についても、かなりの無理筋ではあるが、この作品では備えていることが気に入ったこともあるかと思われる)、わ、ざ -44- わざ﹃探偵小説﹄に自ら訳載したのではないかと考えられるのである。 3 横溝正史訳﹁赤屋敷殺人事件﹂すなわちA ・ A ・ミルン﹁赤い館の秘密﹂というと、タタくの横溝ファン(というよりも金田 4S松、引用は角川文庫版﹃本 一耕助ファン)は、作中の素人探偵役のアントニー・ギリンガムが金田一耕助のモデルであることを指摘するであろう。それ ・即角川書店刊、に拠る)の﹁八金田一耕助﹂での登場場面で、 については横溝自身がはっきりと、金田一耕助の初登場する﹁本陣殺人事件﹂(﹃宝石﹄昭れ・ 4 ひょうひょうこ 陣殺人事 件 ﹄ 昭 弼 ・ この土月年は顛々乎たるその風貌から、どこかアントニー・ギリンガム君に似ていはしまいかと思う。アントニー・ギリ ンガム君1だしぬけに片仮名の名前がとびだしたので、諸君は面喰らわれたろうが、これは私(<居西注・﹁本陣殺人事件﹂ は、岡山県の農村に疎開してきた探偵小説家が、村人たちから聞いた一柳家の妖琴殺人事件という昭和十一年に起きた過 A ・ A ・ミルンと 去の事件の顛末を、探偵小説の枠組みで書いた、という形を取っている。それゆえ、この部分の﹁私﹂とは事件の外部に しろうと いて、その結末を知っている語り手としての探偵小説家である)のもつとも愛読するイギリスの作家、 いう人の書いた探偵小説﹁赤屋敷の殺人﹂に出て来る主人公、即ち素人探偵なのである。 と書いている。 1 小林信彦編﹃横溝正史読本﹄昭乳・ 9 ・即角川書店、収録。但し、ここで また、随筆や対談などでも、積極的にそれを裏付ける発言などを行っている。例えば小林信彦との対談﹁横溝正史の秘密﹂ の﹁第二部自作を語る﹂(﹃野性時代﹄昭関 は、平即・ 9 ・部刊行の角川文庫改版に拠る)で、金田一耕助をつくつた動機を尋ねられて、﹁それはやっぱり、今後は本当 の謎と論理の探偵小説、書こうと思ったんですね。それにふさわしい探偵、それには由利先生(戦前の横溝作品の探偵役)は -45- ママ ちょつと向かないと思ったんですよ。昔のはチャンバラ探偵小説ですからね、動きの夕夕い。こんどは動きのない探偵小説です から、ああいう不精な探偵っくつてみたんです。﹂と答え、それに対して、﹁あれは﹃本陣﹄に登場したときに。アンソニー ギリンガムに似ている0 という形{谷がご、ざいましたね。あのへんがやっぱり一つのイメージというか・・・・・・﹂と水を向けられて、 ﹁そうね、アンソニー・ギリンガム(ミルンの﹃赤屋敷の秘密﹄に出てくる素人探偵)つて、あれ一作でしょう。だからぼくは、 <玉田一耕助もあれ一作だけのつもりだったのよ。そしたら思いのほかのご注文でしょう。じや、これ続けて圭巳)うという気に なったの。あのまま瓢々とどっか行ってしまって、それっきりにするつもりだったんですよ。﹂と答えている。金田一耕助に ついては、最も防御率の低い探偵というジョークがあるが、﹁動きのない﹂﹁不精な探偵をつくつてみたんです﹂という横溝の 9S23 ・ 8)ヘの称 八元言からも、それは初めからあえてそのような造形として書いたということが分かるし(対談相手の小林信彦は、それを称し て﹁平凡な探偵﹂の﹁一番初め﹂と言い、また横溝は坂口安吾の﹃不連続殺人事件﹄(﹃日本小説﹄昭訟・ 翁) 賛のことばとして﹁名探偵がボンクラに見える﹂と評している)、また、太平洋戦争後の横溝は、初めは、本格ものだけでなく、 変格ものも書くつもりもあったということが、金田一耕助をシリーズ探偵とする意図がなかったというところから見えてくる。 それはともかくとして、ではなぜアントニー・ギリンガムなのか。横溝は﹁不精な探偵﹂と語っているが、﹁本陣殺人事件﹂ ではけっこう犯行現場やその喜市の捜査をしているし、また﹁三二通の手紙﹂では被害者の久保克子が結婚前に友人の白 木静子に宛てた二通の手紙を見るために、自転車で磯川警部とともに出かけてもいるのである。小林信彦の言う﹁平凡な探偵﹂ としては、この﹃本陣殺人事件﹄の書かれた時代でも、クロフツ﹃樽﹄(一九二0年)のラ・トゥーシユの方が一般的だろう(﹃樽﹄ は延原謙編集長の時の﹃探偵小説﹄昭和七年一月号に、森下雨村訳で一挙掲載されているし、また横溝もこの作品を下敷きに して、太平洋戦争後に﹁蝶々殺人事件﹂を冒ツク﹄に昭和二十一年五月号から二十二年四月号まで連載している)。ラ・トゥー シユは地味に足を使って犯人のアリバイを破り、また、作品としても、この﹃樽﹄一作にしか登場しない。それにつぃて横溝 自身は直接には説明していないが、先述の小林信彦との対談﹁横溝正史の秘密﹂の﹁第一部﹁新青年﹂編集長時代から疇血 -46- まで﹂(﹃野性時代﹄昭妬・Ⅱ)で、大阪薬学専門学校時代(大正十年から十三年)に﹃赤屋敷の秘密﹄を読んで﹁これはまア、 (2。) 変わった小説だなと思ったね。﹂と語りながら論理的な探偵小説(その頃には、まだ本格派という呼び方はなかった)も、そ の頃から好きだった、と述ベている。 おそらく横溝の張の中にこの作品があり、それゆえ自ら訳載したのであろうが、単にそれだけではなく、﹁赤い館の秘密﹂ では、アントニー・ギリンガムが白らの職業について﹁﹃商売代ヘをしたいと思つてゐたが。﹄と心で言った。﹃どうやら面白 い商売が見つかつたらしい様子だ。さうだ、俺は今日から私立探偵に鞍代ヘをしよう。﹄﹂(横溝正史訳、﹁第五章ギリンガム ・ 5S8)での、貴族出の都築欣哉が素人探偵として数亘祭に協力をしており、欣哉の友人である の新職業﹂)と決めて、友人のビルをワトスン役にするという設定が、横溝が本格もの(フーダニツト)として書いた﹁一夫一容 屋敷の秘密﹂(﹃新青年﹄昭5 小説家の﹁私﹂がワトスン役をするという設定や、また作中で秘密の地下道が重要な意味を持っということも一因となってい るのだろう。 前者については、ミルンにおいてはコナン・ドイルのシャーロック・ホームズもののパロディ的な意味を持っていたのであ ろうが、横溝にとっては、本格ものの典型的な書き方と思われた(横溝が﹁クロスワード式探偵小説﹂で評価に異議を唱えて いたヴァン・ダインの作品も、この書き方を採用していた)であろうし、また、館から﹁クリケツト場﹂ヘと続く秘{始の地下 (2) 道についても、この作品の少し前に執筆したと思われる.﹁呪ひの塔﹂の迷路のような階段や塔内部に怪人が隠れていた秘密の 天井裏を思い起こさせる。 作品の出来としては、ウィップル﹁鍾乳洞殺人事件﹂とは比較にならぬほど見事であるがノ、特に、結末の意外性については、 作品全体に上手く布石をちりぱめていて、効果的である。)、探偵役のアントニー・ギリンガムやワトスン役のビルの描き方な どからも、遊び心に満ちた雰囲気が強く、シリアスなヴァン・ダインの作品などとは一線を画している。この作品が訳載され た時期には、横溝は既にクィーンの作品を読んではいたのだが、彼としては、推理と論理をクロスワードパズルのように無駄 -47ー なく組み立てた作品よりも、同じ本格ものにしても、この作品のような﹁ガツチリ派﹂のほうに惹かれていたのだろう。 おわりに 9 .巧講談社刊 ・部角川文庫改版、に拠る)。横溝自身も、後年の回想 全00九・ハ・六) しかし、では翻訳作品ではなく、彼本来の作品ではどうなのか。つまり、彼の作家としての本来の力が、ここで問われるこ とになるのだが、それについては、紙幅を改めてさらに論じることにしたい。 注 9 ・鈴刊行の、同書に拠った)で、﹁私は昭和七年の夏博文館を退いた﹂と語っている。 6講談社刊、所収。引用は﹃探偵小説五十年﹄昭4. (1)島崎博・作製浜田知明・訂補﹁年譜﹂(小林信彦編﹃横溝正史読本﹄平加・ 8 記﹁私の推理小説雑感﹂(﹃現代推理小説大系4・横溝正史﹄昭卯・ の復刻版である昭認・ . 2 、 ﹃新版横溝正史全集W 探偵小説昔話﹄昭恥・フ・即講馨刊、所収。以下の引用もこの全集版に拠る)に拠る。 (2)横溝正史﹁エラリー・クィーン氏、誰﹁探偵小説﹂の廃刊を三力月おくらせること﹂(﹁エラリー.クィーン作品集月報﹂五号、昭 2 (3)横溝正史﹁エラリー・クィーン氏雑竺探偵鴛﹂の廃刊を三力月おくらせること﹂では、﹁当時、﹁探偵鴛﹂では↑母月一契け、 外国讐乢にある、ブツク・レングス・ストーリー、あるいはロング・コンプリート・ノヴエルをまねて、三百枚から四百枚くらいの作品 を掲載していた。そして、連載小説というものは扱ってなかったのである。/これを私のところへもちこんできた伴大矩氏も、おそらく 当方の注文に応じ三、四百枚のものに短縮するつもりだったのだろう。﹂と回想している。つまり、横溝は﹁オランダ靴の秘密﹂の原書 を読んで、編集者としての立場からこの作品が当たることを予想して、出来るだけ省略の少ない連載という異例の方針を取ったのである。 -48- このような面からも、当時の彼の、雑誌編集者としての有能さを知ることが出来る。 (4)両作品とも、架空の人物を翻訳者名にしているが、これは、編集長である自己の名前を表に出すことを避けるためであろう。 (5)初出は、﹃宝石﹄に昭和二七年十一月号から三四年二月号まで連載されたが、単行本としては著者の死の前年に、文庫オリジナルとし て刊行された。 1の中で、氏は、﹁﹃鍾乳洞 (6)しかし、この作品に対する新保氏の評価は低く、雑誌﹃探偵小説﹄の売り物であった海外長編作品の、抄訳にょる一挙掲載作品ーウィツ プル﹁鍾乳製人事件﹂、メースン﹁矢の{永﹂、ベントリー﹁トレント最後の事件﹂、ミルン﹁赤い館の秘密﹂ 殺人事件﹄はおよそ格が落ちる。最後の三篇は、すでに︽探偵小説︾が八月号で廃刊と決定していたので、当時の読者に受ける受けない を顧慮せずに正史が目星をつけていた黄金時代長編を訳させたもので、﹃鍾乳洞殺人事件﹄にはまだ読者受けを狙ったらしい通俗臭が濃 い。﹂と論じている。しかし、前に引用した﹁クロスワード式探偵小説﹂から考えるならば、編集者としての意識よりも作{永としての横 溝の寵が強く表れているのが、この﹁鍾乳洞殺人事件﹂であり、新保氏の言う﹁当時の読者に受ける受けないを顧慮せずに正史が目星 をつけていた黄金時代長編を訳させた﹂作品の方が、横溝が雑誌編集者として、欧米の長編本格探偵小説の黄金時代の動きを認識して、 それに基づいた寵から掲載した作品だと言えるのではないか。 0{冨0含 t一勢Φ(一九三三年)、 昇罫今、m司0=て(一九Ξ五年)の三篇であり、またその他に羣豆ゆの原 一九七三)の長編作品は、①↓語ミ仁ミ円 9器 n讐ゆ(一九三四年)、③↓ケΦ司冨m (7)松江氏にょれば、ズ含昂芽口盲Φ孝豆ゆ(一八九四S ②↓ずゆ塁一語m0{n異円 ・ 2増刊号)とビーストン原作の﹁一ケ月二百砺﹂(薪青年﹄大H ポンド ・ W)の二短編の翻訳を加えて、昭和十年十月二十五日に 語での雑誌発表作品は確認されたもので十一編あるとのこと。しかし、この﹁鍾乳洞殺人事件﹂は、他にドイル原作の﹁猶太の胸甲﹂(﹃新 青年﹄昭3 黒白書房から﹃世界探偵傑作叢書第五巻鍾乳洞殺人事件﹄として刊行されたが、その表紙の原語表記では、作者名は口.ズ.乏日旦Φ、 ・ウィツプルと記載されている。しかし横溝筆と思われる同号の﹁編輯後記﹂では 原題は↓冨 9二舎 0讐Φ委一語mとされている(﹃探偵小説﹄昭和七年五月号掲載の﹁鍾乳洞殺人事件﹂の本文冒頭の口竺は、原題の 表記については未記載だが、作者名についてはK ・ D -49- ﹁D、 K、ウィツプル﹂と表記されているJ。この件について松江氏は、①↓河冨工区典 9器 0{ K8=一勢ゆ(一九三三年)に記載され ている作者名がズ含琴昔乏巨毛一ゆとミドルネームを省略した圭凹き方とされていることで、姓名の表記については式ゆ言円ずご言Φ 名巨毛一ゆが正しく、また作品の原題についても﹁他の長篇作品の原題が固有名詞を後にする形になっているところから見て、本作(<后西 注・﹁鍾乳洞殺人事件﹂)の原題もやはり↓冨ズ巳冒暢0お異典9ぐΦが正しいのではないか﹂と推定されている。馨力の強い考{祭では あるが、しかし、ここには重要な点が一っ抜け落ちている。横溝の翻訳した﹁鍾乳洞殺人事件﹂の原作が②↓ずΦ委一冒甥又6讐一円C)叟ゆ(一 6豊曾 9くゆズ庄弓賜あるいは↓語昏属 0{ 九三四年)であったとするならば、昭和九年にアメリカで刊行された作品を昭和七年に読んで翻訳したことになってしまうからである。 現在確認されている十一編の雑誌発表作品にも、その表題から推測する限りでは、↓語 n旦円 6郡ぐのの原型となったと思われる作品はない。しかし、雑焚元表された作品の中で、↓=Φ︻一,00=一勢ゆ=0牙誘(一九三Ξ年五月)は、 巴勺牙=、m司0一寺との関連が強いように思われる。とすれば、現在のところ未発見ではあるが、②↓語ス三三暢又6鍵邑 9ぐゆと関 タイトルからも①↓語冨仁区円δ器ゆ又三00=ぜ勢ゆと関連がありそうであり、また勺冨m 昇司牙=、m 司0一迄(一九三六年四月)も③↓冨 司冨m 連のある作品あるいはシノプシスと言えるような作品が一九三二年以前に雑誌発表され、それを編集者としての横溝壽み全則に引用し た﹁クロスワード式探偵小説﹂で彼は、﹁職業柄でもあるが、この二Ξケ月随分外国の探偵小説を読んだ。尤も外国といっても、おもに アメリカだが、近ごう評判になった作品、評判になった作家のものは大てい目を通したつもりである。﹂と述ベている。)、その内{谷に感 心して、﹁和蘭陀靴の秘密﹂の連載二回目の掲載される﹃探偵小説﹄昭和七年五月号に、自ら訳載したのではないかと考えられる。 1卜 (一八七六S 一九五八)の作品のバターンが﹁ラインハート刑土﹂と呼ばれ、それが (8)﹁工鐙一如Ξズ言魯派﹂の略称。﹁知ってさえいたら派﹂の意味で、﹁螺旋階段﹂(一九0八)がベストセラーとなり、以後人気作家となっ たアメリカの作{永メアリー・ロバーツ・一フィン 後のH1BK派に発展し、そのためラインハートはH1BK派の創始者と言われる。この派の特徴としては、ゴシック・ロマンスとミス テリーとの融合が見られ、ヒロインが事件に巻き込まれて苦境に陥る筋立てが夕夕く、作中需り手に、もしあの時そのことを知ってさえ いたらと言わせるご都合主義にょって、物語のサスペンスを維持しようとする。そのために読者の推理に必要な伏線等が示されずにストー -50- リーが進められ、その結果読者にたいしてアンフエアな作品となることが夕夕い。 (9)前述の﹃探偵小説辞典﹄の﹁ウィップル(孝昔豆ゆ.ロ.欠.)﹂の項目で、中島河太郎氏は﹁鍾乳洞殺人事件﹂について、﹁本格長篇として オラング は構想力に乏しいが、スリラー的色彩に富んでいる。﹂と評している。また、筆者の不勉強ゆえかもしれないが、この作品について、こ の横 溝 の 訳 以 外 の 邦 訳 は 未 見 で あ る 。 (W)署名はないが、その内容から横溝の執筆と判断した。 (Ⅱ)この﹁編輯後記﹂では、まず四月号に訳載を始めたクィーンの﹁和蘭陀靴の秘密﹂について、﹁果然大評判を捲起したやうである。あ ママ まりにもガツチリ派に属する小説はどうかと危く思つたのだが、必ずしもその心配の要はなかつたやうである。探偵小説の読者は我々が オランダ 考ヘてゐる程、低級でないことを甚だ相済まぬ次第であるが今更覚つた程である力のこもつた作品は、何処か読者を惹きつける力を持つ てゐるものだ。﹂と述ベた後それとの比較のうえで、﹁鍾乳洞殺人事件﹂について語っている。ここで横溝は﹁和蘭陀靴の秘密﹂につい て、﹁かういふ、あまりにもガツチリ派に属する小説はどうかと危く思つた﹂と語っているが、それは、﹃探偵小説﹄の読者が、ではなく、 寸ランダ その読者の筆頭の立場としての彼自身の本音がそこに表れているのではないか。横溝は、﹁力のこもつた作品は、何処か読者を惹きつけ る力を持つてゐるものだ。﹂とも語っているが、このような語り方には﹁和蘭陀靴の秘密﹂を高く評価する読者の存在に無っている(﹁力 ように思われる。 のこもつた作口叩﹂ということぱには、その評価の理由に今ひとつ自分では納得がいかないが、編集者である以上、それを讃えなけれぱな らないというような姿勢がうかがえるJ (口)ヴァン・ダインが一九二八年九月号の﹁アメリカン・マガジン﹂に発表した:↓乏含qえ三吊{又U円ゆ合くゆm-0牙m、、は、本格探偵小説 ゆ え せ を書くための規範集として、タタくの探偵小説関係者やファンの汪目を浴び、日本でも昭和五年六月号の﹃新青年﹄に、ヴァン・ダインか ら日本の読者ヘの﹁私には解らないがとにかく日本で本格もの、探偵文芸が成長して行き?あることは嬉しい。似而非探偵小襲跡を 断ち、本もの、作家が一人でも多くなるといふことはその国の批評の水平線の高まりを示すものである。/新青年の編輯者及び読者諸賢 のために心からのコムプリメントを送る。﹂という書簡とともに、小河原幸夫訳で﹁探偵作{永心乍侍二十ケ条﹂として訳載された。 -51- (玲)この作品については、前述の扶桑社文庫版に拠る。 (H)中島河太郎﹃推理小説展望﹄(東都書房﹁世界推理禽大系﹂別巻、昭如 20 1 引用は平7 1 巧刊行の双葉文庫版に拠る)では、 探偵小説における﹁本格﹂﹁変格﹂という用票二つとも同一の文章内で使用された最も早い例として山下利三郎の対談形式の随筆﹁画 房雀﹂(﹃探偵趣味﹄第五輯、大]5 ・ 2。引用は、﹃山下利三郎探偵小説選Ⅱ︹哥ミステリ叢書器︺﹄平玲・フ・即笥社刊、に拠る)を 取り上げ、その内容(文中に、﹁探偵小説は今までに変格本格の二分野は画されていなかったが、これからの運動にょって判然二っのも のに分かれて各進歩するのは明らかだ。﹂とあり、かつ﹁変格派(というと可笑しいが、甲賀氏が便宜上つけたのだ)は急速な進歩をす ・ 8増刊号。引用は、﹃甲賀三郎探偵小喪︹論 W笥社刊、に拠る)での﹁本格探偵小説﹂の語(江戸川乱歩にたいして﹁本格探偵小説に芸術味を与 ・ るよ、それだけ探偵という意味から言えば畍形なものに化けてしまう。けれども芸術の薫りはますます濃くなってゆくんだ、﹂とある) 12 および、甲賀三郎が本名の春田能為の名で発表した﹁印象に残る作家作口叩﹂(﹃新青年﹄大N 創ミ ス テ リ 叢 書 3 ︺ ﹄ 平 巧 ・ えるという、つまり目まぐるしいような探偵的メカニズムの上に一陣の芸術味の清風を送るというような方にも努力して欲しいと思う。﹂ と注文をつける箇所に使われている)から、この用語の﹁名付親﹂を甲賀三郎と断じている。一方、横井司氏は﹁解題﹂(﹁山下利三郎探 偵小塁Ⅱ︹論創ミステリ叢書器︺﹄所収)で、﹁戦前の探偵禽は、謎ときの興味を中心とした、いわゆる﹁本格﹂探偵小説と、怪奇 M・N署名の﹁探偵趣味﹂と 幻想趣味を中心とした、いわゆる﹁変格﹂探偵小説に分けられることが夕夕い。﹂と述ベたうえで、山下利三郎﹁画房雀﹂より早く﹁本格﹂ ﹁変格﹂の語の使用された例として、﹁﹃探偵趣味﹄二六年(倉西注・大正十五年)一月号に掲載されたE・ S ・ヴァン・ダイン﹂(長谷部史親﹃欧米推理小器訳史﹄平4 ・ 5 ・ W本の雑荘刊、所収)に拠る。 いうコラム﹂を紹介し、﹁この時期の<本格/変格>のニユアンスは、<非芸術/芸術>という峻別に対応していると思し﹂いと論じてい る。 (巧)長谷部史親﹁S ・ (玲)平林は、この﹁グリーン家の断﹂の他に、ヴァン・ダインの﹁カナリア殺人事件﹂と﹁ベンスン殺人事件﹂を昭和五年に翻訳刊行し ているが、注(而)で長谷部史親氏は、この二作品に関しては、﹁このころ多忙をきわめていたはずの平林が、実際に禦したかどうか -52- 9 ・ 5S52 ・ は甚だ疑わしい。(略)名義を貸しただけだったかもしれない。﹂と述ベている。 (口)横溝自身、随筆﹁真説金田一耕助﹂(﹃毎日新聞日曜版﹄昭肌・ 8 ・器、初刊本は、昭認 2 5毎日新聞社刊。但し、 ここでの引用は昭融・ー・5刊の角川文庫版に拠る)の﹁﹁八っ墓村﹂考Ⅲ﹂で、太平洋戦争での疎開先の岡山県吉備郡岡田村字桜在住(昭 和二十年四月S二十三年八月)当時に﹁八っ墓村﹂の腹案はすでにまとまっていた、と語り、﹁農村を舞台にして、そこに起こるいろん な葛藤を織り込みながら、出来るだけたくさん人殺しのある小説を書いてみたいと老えていたのだが、﹂疎開先で知り合った加藤一とい う人物が﹁岡山県のあちこちの村や島で青年学校の先生をしていたひとだから、﹂﹁私はさっそく一さんに会って適当な村はないかと教え しょ、つにゅ、つと、0 がぜ人 を請うたが、そのとき一さんの示してくれたのが﹁八っ墓村﹂のモデルになった村で、そこは伯備線の新見の近くらしい。そこに (甲賀三郎と思われる)から、﹁横溝氏に申す。﹁意外﹂ 鍾乳洞があるときいて俄然私の興味が盛りあがったのは、以前アチラの小説で﹁鍾乳洞殺人事件﹂というのを読んだことがあるからで ある。﹂と述ベている。 (玲)﹃新青年﹄大正十五年二月号の﹁マイクロフォン﹂欄で、横溝正史はKOGA ・ー・即光文社刊、に拠る)では、﹁どうせ人生のあら <ビッグバードノベルス>﹄昭乳・ 4 ・ 5ベストブツク社刊、収録。 のみが探偵小説の価値判断のメジユア(<居西注・メジャー、すなわち基準のことか)ではありますまい。﹂とたしなめられていた。 (W)同時期の随筆﹁金田一耕助誕生記﹂令名探偵金田一耕助の事件簿3 但し、ここでは光文社文庫版横溝正史﹃傑作推理小説金田一耕助の帰還﹄平H ゆる面で劣等感の強い私には、スーパーマンは書けっこない。秀才タイプも私の柄ではない。/そこで思いついたのがミルンの﹁赤い{永 の殺人﹂に出てくるアントニー・ギリンガムである。ああいう平凡で瓢々乎たる人柄に仕立ててみたらどうかということである。﹂と述 1新春増刊号)や﹁心理試験﹂(﹃新青年﹄大H・2)では貧書生風であったのが、だんだん紳士然とした風貌に変貌してい べている。たしかに、太平洋戦争前の日本で、名探偵の代名詞となっていた江戸川乱歩の明智小五郎が、初期の﹁D坂の殺人事件﹂(﹃新 青年 ﹄ 大 H ・ くのにたいして、金田一耕助は基本的には最後まで変化しない。 ⑳西暦一九二二年は、日本の元号では大正十一年にあたるので、横溝は刊行直後の書籍か雛磊んだのだと思われる。神戸の古本屋で -53- 3)を参照されたい。 は外国の船員の売り払った洋晝洋雑誌が﹁いっぱい積んであ﹂つた、と、同書で彼は語っている。 (幻)拙稿﹁横溝正史﹁呪ひの塔﹂の執筆時期について﹂(﹃日本語日本文需叢﹄第四号、平幻・ ・ 5 ・ 21S]2 さとし 本学准教授) ・器)から、太平洋戦争後の作品に至るまで(例えば、﹁八っ墓村﹂などにまで)、受け継がれていると考 (訟)それだけでなく、このような趣向に対する横溝の噌好は、黒山互恢香式の書き方を採用したと断っている翻案﹁覆面の佳人﹂(﹃北海タイ スタ刊﹄昭4 えられる。 オ、くらにし -54-
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