- ~ `, 一”~ 本稿の課題

ヲ
﹁愛国﹂とい﹂う語.
一 本稿の課題
二 ﹁愛﹂字の和訓
三 ﹁愛﹂字の字義
﹁愛国﹂の初出
辞書における﹁愛国﹂
中国の辞書における﹁愛国﹂
結 語
参考書誌研究・第三一号︵一九八六・三︶
山,内育 男
己
一
一
四、湊語﹁愛﹂の原義
.一.本稿の課題
場合と同様である.ネコについて言えぜ、手許の英和辞書には、
旗。3︹俗︺あいう、あの野郎。 ヒ,、
8け 一ねこ科の動物、ねこ。2意地悪女、よくひっかく子函
万葉では、﹁愛﹂字を、
に理解したかは、その和訓を見れば分かる。,
とある。,﹁愛﹂にも和訓がある。日本人が漢語﹁愛﹂をどのよう
二 ﹁愛.﹂字の和訓
ウツグシ︵ヴルハシ、ハ,シキ馬マナ .・ − −
よ
などと訓ませている。これ竜和訓の傍証とはなる。平安初期の
あい
国を愛するという、その﹁愛﹂は勿論、和語ではない、漢語
西大寺本金光明最勝王経訓点には﹁メグシ﹂とある。以下、古
いが、その古字には付訓ずる。
院政時代の類聚名﹁義抄︵三智院本︶で億、﹁愛﹂字に付乏しな
のが和 訓 で あ る 。 例 え ば 漢 語 ﹁ 猫 ヨ 踏 ﹂ の 和 訓 は 、
である。訳語は必ずしも一つ走は限らないこと、他の外倒語の
ネコ、ネコマ、カラネ・コ
字書に拠る。
である、元来は外国語である。外国語である漢語を和訳したも
・和製の字音語であるか、それとも中国または月本で作られた翻
訳語であ る か 。 こ れ が 本 稿 の 課 題 で あ る 。
﹁愛国﹂という語がある。この語はへ中国本来の漢語であみか、
八七六五
勾引事日劇,悪態書婁凝先乗、
かも知れない。しかし、﹁オモフ﹂という和訓を持つ漢語は、類
は﹁愛﹂字でなければならない、とする根拠は指摘しえない。
聚名義抄に見ても約七〇ほどある。﹁国をおもう﹂の﹁オモフ﹂・
くん おん
求めても、その表わす意味は和訓の範囲を出ない。
江戸末期までの文献には、﹁愛国﹂どいう熟字は見当たらない。
﹁愛﹂字を訓でなく音で﹁愛ス﹂と読んだ場合の用例を古典に
と言うことは、この語ば維新前後に作られた字音語、ひいては
右の注記中の﹁谷﹂は﹁俗﹂の省筆、俗字の意。﹁⊥﹂は﹁音﹂
また、色葉字類抄︵三巻本︶には、
中国本来の漢語でもなかったもの、かとの疑を生じさせる。
の省筆、字音の意。﹁古﹂﹁正﹂はそれぞれ古字・正字の意。
とある。
忠良切言、皆欝苦衷。︵漢書路温紆傳︶
うつ うん
﹁愛﹂は物部垂訓に属する語、﹁轡﹂﹁藏﹂と同源であると言ヶ。.
三一・一回。
灘持・・象鄭℃一三。彰滞踏一三㏄劉鹸璃一翼撞瀬け。︾露㌔陣’鄭、
三”職三三三三麿%三三”祭障℃三三㌔
三三⋮旧辞圏“︽陣℃三白。ヒ三三旧辞㌔鍋”三盛。竜恥凄濁︾B,十
9陣●・9鄭︵三三︶
三三三三先生の﹁同源字典﹂には、つぎのようにある。
ない。
源﹂﹁辞海﹂や﹁三編三三僻典﹂の類は、・このための役には立た
外に在り、とでも言いかねないほど、中国現代の辞書である﹁酷評
を尋ねてみる。ところが、曲三三ならば、事は意外に出でて意
たず
これを確めるため、まず中国の字書︽ついて、﹁愛﹂字の字義.
三 ﹁愛﹂字の字義
オシム、アハレフ、ヤスシ、■コノム、アタラシ
、ついで.鎌倉時代の字三三︵永正五年写字三三︶。
凶ムノム,
・乞η笑ム
9
ツ七フ.
,7、レフ
ユろノ
’
つぎは室町時代の三三篇︵慶長一五年整版本︶。
アイヲしム
愛珍幽
江戸時 代 の 字 書 類 も 大 同 少 異 で あ る 、
以上の和訓を考えると、﹁愛﹂と﹁国﹂とは熟字として所謂
﹁愛国﹂の﹁愛﹂には、以上の和訓のいずれも適切でない。強い
回忌。け三三を意味する﹁愛国﹂走はなりにくい。逆に言えば、
て挙げるなら﹁オモフ﹂がわずかに南鴻北矢の磯りを免れうる
・︵見当違い︶
[ 二 一
害心蕊結号。︵詩檜馬素冠︶
そして、右の凸轡﹂﹁藩﹂の義は﹁滞﹂﹁積﹂.であると言う。以
上のことを勘案すれば、﹁愛﹂と﹁国﹂とが熟字として所謂
書局影印本︶に拠る。.−
起嘗凶。ひ厨ヨを意味するとは考えがたい。層以下、説文解字︵中華
,説文の語源説の細部の.一々は、必ずしも現代諸学者の容認す
る所ではないが、層凡そ一八○○年の昔に作られた本書を凌駕す
るほどの語源研究書は、現在もまだ存在しないのであるから、
已むをえない。
﹁愛﹂の古字は﹁悉﹂であるコ
功田Ψ恵也肌心先山三代輪ゼ古文
ロき
・これは読声でありh﹁心﹂が﹁死﹂の状態におることを表現する。
ロ
死下灘⋮難燃矧奨几児喜茄先鵜
﹁
﹁歴﹂の船見は・﹂ため息をつくさまの象形である。所謂・胸が
つまる、胸につかえる状態を表現する。
﹂つぎに、﹁愛﹂字は﹁画﹂と﹁炭﹂とから成る。.﹁画﹂は手で.
保待するさま、﹁炭﹂は﹁心﹂が﹁欠﹂の状態にあることの表現。
久ぺ夙後聞也爺人雨着後狂乱之者凡拠之縄既払久
讃新鉱切修
久弓へ以後灸之門人三三後有距也周確日盛諸藩潮回
其嶢凡久之腸皆杁久
ヨ
久
7盤曳又湊耐餐零話冬喜圓
ち きう すい
﹂
﹁欠﹂﹁久﹂﹁女﹂いずれの心止も、足を引きずり背を屈めて歩
﹁心﹂が4のような状態を保持し︷い乃のが﹁愛﹂であ肛、﹁愛﹂,
やさまの象形で行歩の遅厚とレて進まざる状態を表現する。.
は﹁哀﹂≒慨﹂と同源の語である。
四 漢語﹁愛﹂の原義
て、この語が外国語の何という語の訳語に用いられたかを調べ
いま一つ、﹁愛﹂の原義を尋ねる手がかりは、古代中国におい伝
るごどである。それには漢訳仏典に当たるのがよ、い。以下、宇
仏陀は、十二因縁において、苦は愛の所産であると説いた。
井三三の﹁佛教思想研究﹂に拠る。
この﹁愛﹂と訳された原語は、壁心げ鋤である。この語億、水を欲
して止まない渇の状態を表わし、﹁渇愛﹂ども訳される。$嘗餅
い。求めて得ることができない。それが創二犀犀ゴ9、−漢訳して﹁苦﹂
は本能的の根本希求欲望であっ、て、、これは満足されることがな
である。
されてよいだけの意味を含んでいたのであるまいか。漢語﹁愛﹂
おそらく、漢語﹁愛﹂の原義忙縁、梵語$嘗鋤の訳語に充当
一
一
三
や
ものおしみ
が﹁三三﹂という意味を併せて持つのは、その原義に﹁求める﹂
う患いどする心と、一つ、のものの異なる伶用、転発現である。
労いう意味があるからではなかろ・フか。得ようとする心は、失
、ヘラクレイトスが喝破したよテに、万物は流転する。語義も
また変遷する。﹁先生﹂とは元来は敬重すべき人物のはずである
が、﹁先生と呼んで灰吹き捨てさせる﹂という川柳もある。わた
くしなどは、毎日、灰皿を洗っている。
、求めて得ることができない状態では、確かに胸もつかえ回し、
,君・王の愛国の﹁愛﹂は﹁仁恵﹂であり、﹁愛惜﹂である。この
る。
場合の﹁愛﹂め語義もまだ和訓の範囲を出ない。そじて、君主
の愛国の﹁国﹂は、論語に、
という民人であり、聖上である。
有民人焉、有社稜焉。・︵先進第十一一︶
五 辞書における﹁愛国﹂
め意味 が 転 義 と し て 派 生 し 尤 も の で あ ろ う 。
旧懐も三七る。この原義から∩先に挙げた和訓に見える幾つか
いま、その最初期に属すると認められるものを、幾つか挙げて
国語辞書における﹁愛国﹂という語の初出は確定しがたい。・
おくつ
.,勿論︽中国の古曲ハには、,﹁国ヲ愛ス﹂という言葉遣いが見えて
﹁開明節用集﹂ 山本與助 明治七序︵明治九刊︶
,・愛國愛想
アイコク アイナ両
クユ ヲ毛フ
八黒磯︵﹁クニヲダイジニスル﹂の誤か。︶
一四
いるの
明主愛三三、忠臣愛旧名。︵戦國、秦策︶
周君山豆能無愛國哉。︵三三、西周策︶ , −
封建諸侯、各世其位、欲陸羽皇漢子、愛三三家。︵萄悦漢紀、
などがこれである。だが、これは℃讐ユ♀δ白の﹁愛国﹂ではな、
景帝紀︶,
い。君主め愛国であって、三民の愛国ではない。後節に掲出す
図多・
る英華辞書の訳語や用例に見るとおり、三訂。ひδ白の﹁愛国﹂と
5ギ、
O普通漢語字引大全﹂ 平田繁・,明治八
衡
荘原和,明治九
クノ
は、人民が国を愛することである謁
「三
≒轍概漢語字数﹂
キ
要するに、中国本来の漢語には、冒舞ユ○一一ωヨに相当する熟字.
.切ってもよかろう。このことは、初期の英華辞典がb象ユ9
と七ての﹁愛国﹂は見当たらない。むしろ︵ないのだど、言い
娼三三。叶δヨの語釈中φ8一〇<Φo口Φ”ωoO⊆三三.に、﹁愛国﹂とい
う訳語を、容易には与えようとしなかった事実からも傍証しう
、
O三
ブ f セ
キ − ﹁アイコ・ク.ー
ク轟!才クメヲ
董虜惜乏.ガ石薗國,手
[三三三脚聞文明いろは字引﹂ 片岡義助 明治一〇
愛憐アいム
てよい﹁語彙﹂︵編輯総裁 木村三三 編輯寮刊︶の﹁阿之部﹂
もずめたかみ
︵明治四︶は、この語を掲載しない。本格的辞書で、この語を
、・あろうか。
採録するものは、物集高見の﹁日本大三三﹂︿明治二七︶からで
あいζ︿、ナ。愛國。ζにτをた回せつユおもあを砂ふ。
﹁日本普通語ノ僻書ナリ﹂と言う大槻文彦先生の﹁縞呪言海﹂
だ、﹁あい一す︵愛︶﹂の項に、﹁國ヲ愛ス﹂の用例がある。山田
愛敬紗五重古諺ポ
忠雄氏は、﹁紅海﹂’を評して、﹁明治初年以降官民共に用いた所
︵明治一七序 明治二三ー二四刊︶も、この語を掲載しない。た
いろは群遊﹂︵明治二二︶、、その他にも引き継がれて行ぐ。
存績、釣眼ヲ圖ツ、外國ノ犯ス事ナドプ
.テ.三巴鳥感恩.依頼等ノ念ヲ懐旧テ、其
・あい−こく噛茎 函丈ク昌かモ.蓼コ有國
、ヲ愛シテ、心ヲ盤スコト。忠君愛國.愛
國心ナド云フハ、人民ノ、共國宗二封シ
︵大言海︶
・を採録じたゆその語釈の特色は、他の諸辞書、例えば陶上田萬
も、このテちに包含されるであろうつ﹁: .、五
、大槻先生は、﹁大言海 第一巻﹂︵略和七﹀に至って、この語 =.
つとする︵﹁近代國語酔書の歩み﹂一九八一︶。﹁愛国﹂という語 .︻
謂 漢語や字音語−を載せろ事が少い﹂ことを、その欠陥の一
そして、これは高橋五郎の﹁割句いろは周忌﹂︵明治二一︶、漏著
“∼口︽ 隣囲︵口㊦團幡︾珊丙颯レ柵︶ ℃昏.す
・.陰。・ヨ㎞、℃おρ書δ諏。●
“5臼︵・ρ︸︵恥︶ヒ陣圓み︵α㊦團嘩汁豊漁橘が.
畝︶﹂︾一三&。ざξ∫§。。而9お、。。8巨3.
るい旧く 愛國︵己の國を大事に思ふ事︶
あいこくしん︵名︶愛彫心︵己の國を大切㌻る心︶
このようにして、﹁愛国﹂という語は沸まず通俗的な用字・用語
レ。載隅策、秦策﹁明主鯉鵠其図凶舐臣二毛君名こ・
辞書の類に採録され充が、所謂︽本格的辞書は、未だこの語を9 ラバ、極力、コレニ抵抗シ、國ノ利益ヲ
保護弘、利横ヲ伸張セム、トスルコトナ
採録するに至らないゆこの事実は、‘、確かに、この語の出自を暗・
示する。近代的国語辞書への第一歩を踏み出したものと評価し
︿、大日本国語辞典︶
あい−こく 旧劇、︵名︶ 自國を大切に
思ふこと。﹁愛山の思想﹂筍惟漢紀﹁親レ民
如レ子、愛レ観望レ家﹂
年.松井簡治共著﹁大日本言語辞典﹂︵大正四一入︶と比べても
明らかである。語義を別書すること、即物的かつ具体的である。
汐§碁・帥ゴ﹁gy一周.親ギ螂鮭罐
、♪.‘ ・.鵜ナル・愛寧潔で
二言三章9、凶潔︶義射アル・麟儲ナル晦
胃暮鼠。餓。琵︶・ ︵弓帥汰り一−父母ノ國ラ愛シテ
フ ボ クニロ
。窪﹃亭ε︸ミ∼’
国語辞書についての論り、有象無象の庵廿oo七三ゴΦ﹃は存在し
シン
]。序言︵弓鋒阜。酔−義氣、忠心、忠義.愛國ノ、
存在したが、真に一Φ臥ooひq鑓Oぽ2の名を献呈するに足る人は、
一凶旨ζ・・ 、∼. 騎
大槻 先 生 た だ お 一 人 で あ り 、 ま た 、 あ っ た と 言 え よ う 。
﹂
あ喝。ただ、惜しむべきは、例文に秦策を提示されたこ乏であ
Hる関巴︵一〇受巴・︶り§﹁ ﹁由心ナル、由心裳帆ナル隔ゆ心癖
訳語を対照するために、一〇矯巴蔓の項をも併せて掲出する。
齊タ崎︵一〇一芭・εり§ 忠義、典實’
蓼畜ξ︵一〇雄馬自︶為§思義﹃懸留二
ご饗巨δ︵一亀巴−蓉y3一由心臣、義士
テ魏 ’
﹁愛国﹂の語釈についても.先生の語釈の懇切周到なる、間然
する所はない。とくに﹁人民ノ﹂の一句は、この語釈の眼目で
る。これは先生の千慮の二三であった.ろうρ語釈では人民が国−
を愛し、例文では君主が国を愛する..語釈と例文と、互に慰静
背馳すること、風馬牛も及ばない。﹁大日本國語僻典﹂もまたこ
あやまり
の謬を犯している。さらに、この謬は﹁日本国語大辞典﹂︵昭和
四七一五一︶にも引継がれている。誠に、辞書を作ることほど、
後人を誤るものはない。孟子には、彊信書則不足無書とある。
辞書も ま た 尽 く は 信 ず べ か ら ざ る も の の 一 つ で あ 惹 。 、
ことこと
’国語辞書についで、英和辞書の類を見れば、訳語どしての﹁愛.
,国﹂.という語の初也は、これもまた確定しがたい。,
し
ま さ きち
ば
た やこ
すやたかし
属目のままに記述すれば、柴田昌吉および子安峻の共編によ’
,であろう。
る﹁三三三和字彙﹂︵甲八七三 朋治六﹀・は、その最三期の一つ、
異国平文先生の﹁和英語林集成﹂では、その第一版八一入六
七慶応三︶.第二版︵一八七ニド明治五︶ともに、本文の部に
.﹁愛国﹂という見出語はなく、,索引の部に﹁愛国﹂と間う訳語
はない。それは第三版︵・一八八六 明治一九︶に初めて見えて
・いるゆ , . . 、
Vノ、
一一
H、
[
\
1’ATRioTis“f, ’Chiushin; chiugit.
PA’TRIoT, ’ @Chitishin.
(第’2版索引)
PATRIom, n.’ Chiin−shin,一,gi−shi.
PA iBIOTIq a Chiu−nar.u,
Pムml(オ1晒π・Chi紬in, chiu9い
(第3版’本文・索引) 一
Iove of cpuntry ;’Patri’otism ; 一一 shin, patriot−
AlmoKUアイ・コ.ク愛國’(kunl wo aisu7・τ‘)・ The
i8m;門処。ゴδ, i己・
1’ATR!oT, n. Chilsl].in,. gishi, aikol〈usha.
1iAT斑。宜。,α. Ch面一Mしr“, aik‘・ku nO・
)ATRioTisif, n. Chti−shin.’chi”igi, a,ikokushin.・
ck.」,
あるにすぎない。
、
らO§匙ミミ結・ 、 ㌦ ‘. − . .,
.<巴①二9昌ユ9國ジ 自 慰ミ。弓馬 ミ域 8妹 ミ§ 嶺気ミ恥
底本の三三は、蘭語尉出語回蘭語によ.る語釈・私語による語
﹂釈・蘭語例文・例文仏訳、二女っており︽﹁和蘭字彙﹂﹂では、﹁仏
語の個所は、勿論、・.省かれている。語釈の邦訳は、不思議なご.
とでもなろう9そ七てハ例文の邦訳は、.蘭仏のいずれによるもq、㌦
とに仏語語釈によりて.いる。蘭語語釈によれば、祖個の守護者、・
完全な誤訳と七か言いようがないっ﹁
領事字彙﹂の場合、適し、その底本がぎ言。α・蒙・の§9
営鐘践ω㌦冨琶詳・勇奮撃である∵之農簡潔窯7﹁愛周
三、諺三月ω8噸三脚。<Φω.ぼ・.、8巨轡﹃叫逼昆NO二言老メ望唱ゆ吋甘ω
、山σP蕊①ω.のWずれかであっ.だとす九楼、一その暑E♀切語三
Φ隻・戸H磐︶または9§§駐ミ爵§ミ息§ミ﹄8、
﹁であるが馬、訳語は﹂﹁和繭字彙﹂︵潤0β曾君習UOΦ中江著 桂川甫
周校訂 一八五五一﹂八五八 安政一、一−五︶の影響を受けてい
誉Nミミ§&遷ミ、糸魚.寒駐隷ミ塵ミ・い。旨α。戸H。。翌︵2①噸
る,両者の対照はつぎのとおり.である。.
﹂︵英和封繹袖珍辞書︶.
﹁
”翫。︻︾﹁、ン久母ム倒デ蓼失、
底本には、・たんに矧讐怯。計鯵§§鳩ミ謡魯8曾妹蕊9§.なぜと、
一七一
9欝脳§叫ミ§“鶏魯ミ魯出UびΦ80暮8廿息6①”αqΦqo⊆嶺
<>U国三三︾ZU国酒N・ヨ・、<oo議β巳ΦツN菅ω<降。αΦユ書参‘﹂ 直蕊ρである。蘭語⑳筆記体は読みにくいので活字体に改め為。
ミ9ミ§ぽ寒ミ§ミミ群ミ﹂§誉謹らミミ亀貯§:b 一こ
文化年間成立︶の版本と言ってよく、底本は閏﹃9需。δ=巴§笹
﹁和蘭字彙﹂は、所謂﹁ドゥーフ・ハルマ﹂︵一八一.○年代、
旧劇.鰹回訓嘗ぎミ辱旧き㌔㍉﹁. ,ゑ、
和蘭字彙
誉一●鄭ミもミ嚢・. , 三三ブ好デ髪.
∫
.爵騨二三蕊ミ愈鯵の第二版.︵N町彫しdO自廿巴笠.判。。零Yの英蘭の部
§§.慧§妹§職敵ミ、旦誉爵書堂b§智匙§様bミ、ら電
、、王任となり、洋童一調所から也版され允。底本億窪嵐・霊。鷲αの冨
八六二 文久二︶である。﹂回れは幕府の訳官、堀達之助が編集
r﹁撒酷英和字彙﹂■に先行する辞書は、﹁英和封繹袖珍僻書﹂︵一
(第1版索引)
ない。 彼 等 は 世 間 の 通 用 に 従 っ た ま で で あ る 。
者﹂と し た と こ ろ が 、 柴 田 ・ 子 安 の 手 柄 か と 言 う に 、
六 ﹁愛国﹂の初出,
.入名にも、・政党名にも、用いられている。’
そ、つでは
﹁愛国﹂という語は︵すでに一般に行なわれていだ。それは、・
人名としては、﹁本朝僻耳﹂︵宇田甘冥著 明治四︶σ校思者
に、堀越愛圃どいう人がいる︵伝、未詳︶。政党名としては、愛
環境が触発策励したものである。ただ、この思想を表現するの
・に、本来の和語でも漢語でもない、その意味では素姓がいかが
わしいとも言・える﹁愛国﹂という語を用いたところは、一つの
時代的風景である。
この﹁愛国﹂という語の文献上の初出は、これも特定七がた
い。ただ、この語の初期の使用例が翻訳書に出現炉ること、な
二つの事実は、これまた確かにこの語の出自を暗示する。以下、
らびに、初期の使用者が洋学に薫染した人物であること、この
任意に属目のまま挙例する。
ヲ禦キ外侮ヲ憐クカ如キ愛圃ノ心念薄ク.︵ミル廃道.永峰,
人民ヲ一幕トナシ以テ王家共同ノ念ヲァラシメサレハ外冠
明治初年、国学者・漢学者・洋学者、そして民権論者と、それ
べつ
こそ禰宜も釈子もその別なく﹁愛国﹂を説いているざまは、一
秀樹課﹁代議蛇石 四﹂ 明治入︶.
旧故二人暴國創聾ル者ハ須ラク此精神ヲ有成スルヲ務
︵自由ノ︶
ムヘシ若シ筍クモ此精神ヲ非トシ例必卑屈心ヲ以テ是トス
ルトキハ縦令ヒ愛馬ノ情如何二,深厚ナルモ眞二愛國ノ道ヲ
失フカ故二三テ運筆ノ衰頽ヲ促スカ如シパ加藤弘之﹁國膿
新論﹂ 明治入︶
富強に属する分
ぶ、三三華麗を禁ず︵西村茂樹﹁三三強兵論﹂ 明治一σ︶
廉恥の風を崇ぶ、・愛國の心を厚くせしむ一武更節義を尊
古昔希臆の初めて興るや、三民強健剛毅にして國を愛する
一八一
国公党︵明治七年結成︶・愛国社︵明治八年結成︶などがある。
種の奇観でさえある。﹁愛掴民権家﹂という語まで発明された。
の派がある。
当時の﹁愛国﹂とは、どんな思想であったか。これには二つ
一つは、ひたすらに忠君の誠を尽すことが、すなわち世界に
おける日本の独立を全うする所以であって、これが愛国である、
と言うもの︵ユ唱姻勲難愛國説﹂ 明治七︶。謂わば、忠君愛国派ど
﹁でも称すべきものである。
.おける巳本の国権を拡張する所以であって、これが愛国である、.
いま一つは晒自由の民権を確立することがhすなわち世界に
と言うもの︵﹁愛國志林﹂ 明治=二︶。謂わば、民権愛国派とで,
アの両派の立脚地は根本的に異なるがハいずれも国家主義で
も称すべきものである。・
あ乃ことに変りはない。・そして、この国家主義ば当時の国際的
\ の心深し、故に能く波斯の大敵を破り、 威名を四隣に耀か
て学問的には失敗したが、彼の﹁愛国﹂とはつぎのようなもの
・つと試みた最初の男でもおる。・この浅薄な思いつきは当然にし
七 中国の辞書における﹁愛国﹂.
その最初期の使用者の、一人ではあっ允っ
戊申は、﹁愛国﹂という語の最初の使用者ではなかったにしても、
政四年序︶
.三三赤心を相三三故、赤心録どは申候なり。︵﹁赤心録﹂ 安
否や不下書へ共、すべて天下の人々自訴を愛するは當然に
て御座候慮、戊申は我福運の御民たり、帝國の事を大切に
赤心に國を愛する志を述べて.赤心録と名け候は當申候や
である。
す、︵西村茂樹﹁陳言一則﹂ 明治六︶
今の世に生れ荷も愛風の意あらん者は、官私を問はず先づ・
自己の濁立を謀り、絵力あらば他入の猫立を助け成すべし。・
︵福澤論証﹁學問のす・め 三編﹂.明治六︶
サレバ、コノ時、國ヲ愛シ民ヲ助クル義士、オモヘラク、
カク人民ノ三三ラザルハ、君主ノ権二限界ナキユエナリ、
,今回ηハ、君主民ヲ治ムルノ椹二限界ヲ立テ定ムベシト、
.︵三三著 中村敬太郎課﹁自由之理﹂ 明治四︶ ◎
右原文 ↓げΦ巴β昏Φお暁。同ρoh℃9鼠。房≦鋤ω8ω卑下三三
法華・英華辞書の類に、﹁愛国﹂と・いう訳語が出現するのは、
管見の限りでは、.一入九〇年代になってからである。
畢君﹁法漢合壁字典﹂ 北京、.一八九一
三遍二g。遷汁。薄濁。達引慰迦。蔚亭。
・回想煉図・諭図三三融,瞭。勘図濫
.團。︾ウ。要旨。囎強・韓汁。.
窄g二g討日。論團﹂螺㎏。メ.蝋。斗ウ艶
團。融、里言團。醸画。1・聾単ウ畿渤
齢。
8窪ΦOo≦興奢嵐9昏Φ歪一霞ωぎ巳αびΦω自睦Φ﹁&8,
①×興鼠ω①O<興昏① 8 § ヨ ニ 昌 蔓 ” レ :
,三人には三物に向て選む外に℃鋤謡一三ヨといふあり。己レ
か父子兄弟を思ふことにもあらす馬瀬タ自然に己れか生國
・を懸ひ思ふか如きこれを愛國の誠といふ。︵鼠壁﹁百學連環
第二編 中﹂ 明治三︶、.
・また、三三戊申には、つぎの著書がある︵未見︶。‘
、﹁愛國頒四+八三﹂、︵安 政 三 年 自 序 ︶
三盆は、﹁三才究理碩二百五士額﹂︵天保七年序︶を述作して、国
法、つまり西欧語文法を下敷ぎにして、日本語文法を組織しよ
学・儒学・蘭学の三才に通暁すると自称した男であり、蘭語文
一九一
﹁達僻字典﹂.香港 一八九八
m)
tt
愛國的、如
於
P・t・i・ti・,…lj・’
様様幹回以自己國爲三
者.職二死於沙場一門増
辱病臥t
A再三・。1・・i・・.忠烈明証
岩兵,
−愛國之風
撒瀦剛劇
He de▼oted h陣gelf to th・・dutics
P・tri・ti・m,・・愛國之心..
of his high OM.ce・(with true2)avi’iet・ism,
以忠烈愛機之心、
fl’he plait vvus’carried ou t by pri−
卿・・’三二愛重之開心者,』
vAte individuals (in a pure spirit, of’
It is a noble 1)atriot・;s?n, which一
三akes a man desire tO leavti behind
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華辞典﹂︵香港 ﹂八六八︶を掲出する。
一八八○年代以前の英華辞書の代表例として、三布存徳の﹁英.
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英華辞書における訳語の推移を見れば、英華辞書が冥冥裡に
あながヒ
英和辞書から受けたであろテ影響に想到してもA強ちに無稽と
は言い切れまい。
.って、軽忽に毛﹁愛個﹂と翻訳︵むしろ誤訳︶したが、中国語
日本人は、ロ栗鼠○ぼωヨを.その語釈8一〇<①8Φ、ω8口葺蔓によ
の﹁愛﹂.の語義をよく知る人は、﹁愛﹂.はこの場合の♂一〇<①の
訳語どしては適切でないど考えたに違いないコ確かに貸8一〇<①
たび﹁愛﹂が一〇<Φの訳語となるや、一〇<Φの持つ語義のほとんど
が持つ語義のある部分は、﹁愛﹂としか訳せない。そして、ひと
は﹁愛﹂に転移、された。中国語辞書としては、最初の現代的辞
書と評価されている﹁剰語儀典﹂︵初版 上海、一九三六 第一
.回付印︶の﹁愛﹂の項をつぎに掲出する。㌦
﹂9
愛
︻
圏0親旧的情緒或積憂的事物,如同胞愛・
三三愛・割愛。
●仁恵,如し古墳遺愛也。1(左回・昭
公二十年)
●封女子的弓稻・通媛・如し三人三女
日令愛・1(類書日子)
④姓・見回姓統譜。
國0喜好・親旧・如し心:置旧突・1(詩・
小雅・照桑)
④三三,如し百姓皆以ヨ三爲愛也・1(孟
子・梁恵fE上)
●爾三相悦・如相愛・至愛。.
厳容易,如し天熱東嗜愛壌t・1叉L鐡愛
三三・1
’S<< xe’ ay gwo’ ’ 堰@’ №翌U
國家6如し愛護國旗,是r種愛國
現・1
いて明治維新︵一八六八︶が必要であったように、中国におい
﹁愛国﹂という語が一般語彙に取り入れられるには、’月本にお﹁
−いか。
訳語の三管たる和臭にも拘泥せず、これを受容したのであるま
び雁三冠纏慰鷺三野臓鮎
するとは回りが、仏教徒は仏陀を愛するとは晋わない。﹁愛﹂と
δ<Φとの語義は現在も三三ではない。これが、初期の英華辞書
だが、それでも、キリスト教徒は主イエス・キリストを一〇<Φ
愛
護表
國愛的
【愛】(怨)Yl・・y eli、
トも辛亥革命︵一九一一︶が必要であったろう。
八 結
これが本稿の結語である。
字音語であろ・アとは、相当の確度をもって推定してよろしい。
なしに、、日本人によって創作され、後に中国人にも受容された
以上のように観察して来れば、冨鼠。叶δヨに該当する﹁愛国﹂
・とい\つ語は、翻訳語として、と言うよりはむしろ翻訳語の意識・
菰
n口
*
︵や逐うち・い︽お 参考書誌部︶
*.
「 = 一
..