を描いていた。気になったリンダが 去年の東京国際映画祭で上映された 話しかけているうちに、やがて交流 ときにも、大きな話題になっていた が生まれる。やがて、9.11の世界貿 アメリカに東洋絵画の精神を伝え て、1938年にアメリカに再度渡る。 ドキュメンタリーである。 易ビル崩壊が起こり、街中に有害な ようとしていた気鋭の画家、ジミー・ だが、アメリカは第二次世界大戦 ドキュメンタリーの編集などを手 煙が立ち込めるようになり、リンダ ツトム・ミリキタニ ( “三力谷” と書く) が始まると敵性 外国人の強制隔離 掛けているリンダ・ハッテンドーフ はミリキタニと名乗るその80歳のホ は、1920年にカリフォルニアのサク を開始し、12万人を超える日系人を が、いつも通りかかるニューヨーク ームレスを気遣って、自分のアパー ラメントで生まれたため、アメリカと 収容所に送ったのだ。アメリカの国 のソーホーの路地には、高齢のホー トに住まわせる。そして共同生活を 日本の二重国籍を持っていた。一度 籍を持っていたミリキタニは、カリ ムレスがいた。男は、いつも猫の絵 営むうちに、彼の数奇な運命が明ら は広島にもどって少年時代を過ごす フォルニア州北端のツールレイク収 かになっていった……。 のだが、芸術家肌のミリキタニは軍 国主義が台頭する日本に嫌気がさし ようなところがあるのだ。言うこと を放棄した日系人は数千人いたらし もじつにしっかりしていて、9.11で引 い) 、このために終戦後数年も自由 き起こされたイラク戦争やアメリカ がなく奴隷のように働かせられた。 18 への批判は鋭さに満ち満ちている。 る」と語る言葉の裏には、 「いまも第 失っているのだが、この反骨の人生 二次世界大戦と同じ戦時中なんだ。 がすごい。ホームレスの身分にもか 昔からなにも変わっていない」とい かわらず「なにかいるか?」と聞かれ う、この男の苦渋に満ちた思いが改 ても、とにかく他人の施しは受けな めて実感できるだろう。 い。たまに「色鉛筆がほしい」と言 ミリキタニに安定した生活を送っ うぐらいだ。9.11の当日、崩壊する てもらおうと、リンダ監督は彼を連 ビルから逃げまどうアメリカ人たち れて市の福祉事務所にかけあってみ を尻目に、いつも通りに悠然と路上 るが、 「オレは市民権を捨てたから、 で絵を描く姿は、まさに漢! しかも そんなものはいらない!」とかたく 心優しい男でもあり、リンダ監督が なに拒否する。漢の誇りと矜持が表 仕事で予定の帰宅時間よりも遅く帰 れたシーンだが、実 際は1959年に ってくると、寝ないで待ち、 「独身女 市民権が回復されていたにもかかわ が夜中の12時になっても帰らないと らず、放浪生活をしていたミリキタ はなにごとだ!」と声を震わせて涙 ニ本人にはその知らせが伝わらなか 目で心配するのだ。ぜひとも「男の ったという皮肉がある。 墓場プロダクション」に入ってほし 結果的にミリキタニはNY市が 斡 い逸材である。 旋したケア付き老人ホームへの入居 ミリキタニがいつも色鉛筆で描い が認められるのだが、 「芸は身を助 ている絵は、タイトルにもあるよう ける」 「人生つらくても生きていれば に猫などをモチーフにした一見稚拙 いいことがある」という教訓を実感 とも思える作品なので、街中で見か できる。漢なら、なにかに打ち込ん けた絵画を「あんなのは商業アート で人生を貫き通すことが大事だとい だ」と斬り捨てるシーンでは笑ってし うことだ。 まうかもしれない。だが、絵筆を持 リンダ監督との共同生活で印象 たせると、じつに見事な墨絵を書く 的なシーンがある。うどんをリンダ のだ! そのうえ、現代美術の巨匠 監督に作らせておきながら、 「ツユ であるジャクソン・ポロックに寿司や がぬるい!」と文句を言うと、リン てんぷらを作って振る舞い、一時期 ダが「 (飼い猫も含めて)あなたたち は金持ちのお抱え料理人として生計 には困っちゃうわね。わたしにもわ を立てていたそうなので、料理の腕 たしの時間が必要なの」と言うので 前も絶品なのである。その他、突然 ある。大変で世話が焼けると思いな に演歌を歌い出したり、三船敏郎が がらも、根底に確かな信頼関係があ 演じた『宮本武蔵』をビデオ屋に買 るのが感じられる見事なシーンであ いに行くときに、突如として最近の る。 日本映画を全否定しはじめるなど、 以上、ひとりの男が歴史に翻弄さ 底知れぬ謎に満ちた人物像が明ら れた長大な人生と、新たな人々との かになってくる過程が興味深い。 出会いを経て心境が変化していく過 それにしても、撮影当時で81歳な 程を、たったの74分で描ききった監 のにミリキタニがとても元気なのは 督の手腕がじつに見事だ。各エピソ 驚異的だ。最初のシーンでは、花屋 ードを情緒過多にせず、寸止めで編 の計らいで閉店後に表に張り出した 集するのだ。日本のテレビメディア ビニールシートの内側のスペースで、 だったら、絶対にクライマックスに 普 段は 寝 泊まりしているのがわか 使うであろう感動的なエピソードを る。手袋をしながら絵を描いている エンドクレジットにさりげなくインサ のだが、おそらく気温は零下であろ ートしていることにも、その点は顕 う。この“リアル『失踪日記』 ”とも 著である。 アートだけ いる。テレビなんか見なくてもわか くを故郷の広島に落とされた原爆で 1947年 怒っている。家族も含めて親類の多 反骨心 「またアメリカは同じことをやって で食えるわけもなく、料理人 としての修業を積み、それか ら米国内のリゾート地やサマーキャンプで腕を振るう。 やがて金持ちに拾われて住み込みの料理人となるが、雇 い主の死去とともにホームレスに転落。以降、生活のた めに絵を売りながら公園で暮らすようになり、本作の監 督リンダと出会ったのは、それから 数年も先だった。 そのことをミリキタニはいまでも 8月に解放されたが、収容者 たちの多くは米政府への抵抗 の証として米国市民権を放棄した。市民権がないという ことは不法労働者と同様の扱いであり、ミリキタニは芸 術活動を再開しようとニューヨークに流れ着く。しかし 強制収容所での辛い経験は彼の画風を根本的に変えてし まう……。 ニューヨークの路上でひたすら猫の絵を描き続ける老 人のホームレス。興味を持った女性がなにげにビデオ カメラを手に男の日常を追うが、そこから浮き彫りにな ったのは、戦争によって運命を変えられた男の数奇な 人生だった──。面白いのは『シッコ』だけじゃない! 世界中で激賞の傑作ドキュメンタリー、ついに解禁! が(同じく抵抗の証しとして市民権 国境を越えて生き抜いた ジミー・ミリキタニ、 謎に満ちた80年! の強いミリキタニは、米政府への忠誠度 テストで「敵性」と見なされ、カリフォ ルニアのド田舎の施設に隔離される。18000人が収 容されたキャンプでは数多くの同胞が命を落とし、さら に故郷の広島では原爆が投下、兄弟や同級生たちの大半 を失った。その後、終戦したにもかかわらずニュージャ ージーの農場で強制労働に従事させられる。 ホームレス画家の 壮絶人生を追う ドキュメンタリー版 『失踪日記』! り、ミリキタニを生かし続けている 10 いうべき暮らしを、この男はすでに 72 Eiga Hi-Ho 20年も続けているのだ! 戦争が終わっても、それを経験し これだけ不安定な生活を異国で た人間の中では戦争はまだ続いて 続けていたら、おそらく自暴自棄に いる。そういう意味では、映画のト なって野垂れ死にしてもおかしくな ーンは全く違うとはいえ、 『ゆきゆき いのだが、そうもならずに母国語で て神軍 』と同じテーマなのである。 ある日本語や日本での記憶は鮮明で 戦争の愚かさを伝える稀有な作品な ある。アメリカの過去の仕打ちや戦 ので、ぜひ観てほしい。 1920年 結論を先に書くと必見の傑作だ。 争に対する怒りがエネルギーにな を不当とし、市民権を放棄したのだ に カリフォルニア州サクラメ ン ト に 生 ま れ、 広 島 で 育 つ。 歳で「日本のアートを海外に知らしめる」との立派な 理念を抱き、シアトル在住の姉を頼って渡米。しかし折 悪く日米開戦となり、強制収容所に送られて姉とは離れ ばなれに。 (日系人強制収容所の実態は『愛と哀しみの旅 路』 『ヒマラヤ杉に降る雪』などで語られている) 反骨の漢、 ミリキタニのサムライ魂を見よ! 文:わたなべりんたろう 容所に送られた。ミリキタニはこれ 『ミリキタニの猫』 06米/監:リンダ・ハッテンドーフ/出:ジミー・ツトム・ミリキタニほか/ 74 分/パンドラ配給/9月8日、ユーロスペースほかにて全国順次ロードショー ©lucid dreaming inc. 73
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