トキソプラズマ症 - 帯広畜産大学 学術情報リポジトリ

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トキソプラズマ症 : 原虫病シリーズ3
小俣, 吉孝
Small Animal Clinic(147): 10-17
2007-03-15
http://ir.obihiro.ac.jp/dspace/handle/10322/961
Rights
帯広畜産大学学術情報リポジトリOAK:Obihiro university Archives of Knowledge
Small Animal Clinic No.147
原虫病シリーズ ……… a
トキソプラズマ症
し、現在、血清抗体の陽性率は多い地域でも数%であ
小俣 吉孝
る(表1, 2および 3)。しかし開発途上国の中には、十
おまた よしたか
分な予防対策がなされているとは言い難く、感染状況
帯広畜産大学獣医学科基礎獣医学講座
も定かではないところも多い。近年、不思議なことに
1972年 3月 帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業
1979年 3月 大阪大学大学院医学研究科博士課程
修了・医学博士
1979年 4月 筑波大学基礎医学系講師
1985年 4月 大阪大学微生物病研究所寄生虫病・
原虫病学部門助手
1989年 6月 帯広畜産大学畜産学部助手
1993年 6月 帯広畜産大学畜産学部助教授
2006年 4月 帯広畜産大学畜産学部教授
ラッコ、アザラシ、イルカなど海棲哺乳動物で本疾患
近況
2006年になってブタの飼育実験を始めました。ユーモラスな
仕草と人懐っこさはなかなか愛嬌があり、心を和ませてくれ
ます。研究の新たな展開も期待したいところです。
基に、ネコのトキソプラズマ症を紹介し、イルカでの
の感染例が報告され、また、血清抗体保有調査でも比
較的高率に抗体保有動物が検出されている。しかしな
がら、その感染ルートは未だ不明である。今回はトキ
ソプラズマ感染ネコの免疫応答を実験観察した経験を
トキソプラズマ感染についても触れてみたい。
Toxoplasma gondii の生活環
はじめに
T. gondii は胞子虫類に属す。胞子虫類に属する原虫
トキソプラズマ症は細胞内寄生原虫のひとつ、
Toxoplasma gondii(T. gondii)の感染によって起こ
は全て寄生性であり、それぞれの種に固有の宿主なら
る人獣共通感染疾患のひとつである。人でのトキソプ
びに寄生する組織部位が限られている。その生活環の
ラズマ症は不顕性感染例も多いが、妊娠中感染による
一時期には、バナナ形を呈し、一端が先鋭、他端がや
胎盤感染に起因する流死産、および新生児の知能障害、
や鈍円で、先鋭部にアピカルコンプレックスと呼ばれ
網脈絡膜炎による視覚障害、また、日和見感染として、
る、細胞内に侵入する際に宿主細胞表面に接着したり、
HIV患者では重篤な脳炎を発症することが知られてい
錐もみ運動したり、抗原物質を分泌したりなど様々な
る。本疾患に罹患したブタは豚コレラに似た症状を呈
機能を有するいくつかの細胞内小器官で構成される構
し、死に至ることもあり、斃死に至らない場合も屠肉
造を持つという特徴がある。図1にトキソプラズマの生
は全廃棄処分となるため、経済的打撃は大きい。本邦
活環を示した。無性生殖世代と有性生殖世代からなる
での感染状況は1950∼60年代には発症例も多く、市
独自の生活環で、無性生殖世代はほとんどの哺乳類、
販ブタ肉の約26%近くに虫体が検出されたという報
ならびに鳥類の体細胞で行われるのに対し、有性生殖
告もあったが(4,7)、1969年、感染ネコの糞便中に
世代はネコ科動物の小腸粘膜上皮組織でのみ行われる。
オーシストが発見され、ネコが終宿主であることが判
無性生殖世代では宿主体細胞内で内部出芽による分裂
明し、感染経路に関する知識の普及、養豚業の多頭飼
増殖を営み、比較的短時間(6∼9時間)の細胞周期で分
育による専業化と衛生設備の改善の結果、1980年代後半
裂を繰り返し、宿主細胞を破壊してしまうタキゾイト
からブタやネコにおける本疾患の感染率は徐々に減少
(tachyzoite)と、それに対し比較的ゆっくり分裂増殖
10
トキソプラズマ症
【表1】本邦の飼育豚におけるトキソプラズマ症
し、シスト(cyst)と呼ばれる嚢胞を
形成するブラディゾイト(bradyzoite)
に区別される。感染初期、主に網内
皮系組織でタキゾイトの増殖像が観
察されるが、宿主が感染防御免疫を
獲得すると駆逐されてしまう。一方、
骨格筋、脳、神経組織ではシストを
形成し、炎症像を呈することなく、
宿主体内に長期間(おそらく死ぬま
で)生存している。ネコ科動物に感
染すると、ネコ体内で全身感染を起
す一方、小腸粘膜上皮組織で多数
分 裂 を 数 回 行った後、雄性生殖 体
(microgamete)、および雌性生殖体
(macrogamete)を形成する。雄性
生殖体は2本の鞭毛を有し、活発に
運動しながら雌性生殖体を見つけて
【表2】本邦におけるネコ血清中トキソプラズマ抗体保有率
合体し、接合子(zygote)を経てス
ポロブラスト(sporoblast)を形成し、
糞便と共に排泄され、オーシスト
(oocyst)となる。感染はタキゾイト、
ブラディゾイト(シスト)
、オーシス
トのいずれによっても行なわれ、感
染経路は、経口、粘膜を介した経皮、
創傷、母体からのおそらく血流を介
した胎盤、あるいは母乳が挙げられ
る。感染後、オーシストを排泄し始
めるまでの期間は感染した虫体によ
って異なり、シストの経口感染では4
∼7日間、タキゾイトでは約2週間、オ
ーシストでは約3週間を要す。また、
感染ネコがオーシストを排泄する確
率も虫体により異なり、シスト感染
【表3】本邦の飼育猫におけるトキソプラズマ感染状況
ではほぼ100%であるのに対し、タキ
ゾイトや、オーシスト感染では約50%
以下であるとの報告がなされている。
なぜオーシスト排泄に至るまでの時
間や比率にこのような差違が生じる
のかであるが、Dubeyらは仮説を提唱
している(3)。すなわち、マウスに接
11
Small Animal Clinic No.147
【図1】Toxoplasma gondii の生活環
種するとタキゾイトが全身の臓器で増殖し、短期間の
時間は上記のように虫体によって約束されており、場
うちに死に至らしめる強毒株はシストを形成せず、そ
所はネコの小腸粘膜上皮とこれも約束されているが、
のような虫体をネコに接種してもオーシストを排泄
小腸粘膜上皮組織のひだや絨毛を拡げるとテニスコー
しないことや、マウスに接種するとマウスを殺すこ
ト半面分くらいになる環境で、僅か数ミクロンの生物
となくシストを形成する弱毒株では、ブラディゾイ
がどのようにして伴侶を見つけ出すのか、謎である。
ト(シスト)を接種すると、感染初期にはタキゾイト
雌性生殖体出現に隣接して雄性生殖体が出現し、非常
が一過性に増殖し、感染経過に伴いシストが形成さ
に効率よく伴侶に遭遇できるのではないか、もしくは、
れる。つまりブラディゾイトが増殖することから、
伴侶に巡り会わずとも雌性生殖体は処女生殖するので
ネコがオーシストによる経口感染を被ると、感染初期
はないか、などの説があるが、未だ、定かではない(6、
にはタキゾイトが実質臓器内で増殖し、その後ブラデ
13、14)
。これは胞子虫類共通の謎でもある。
ィゾイトがシストを形成するようになり、そしてブラ
私共は感染ネコ小腸粘膜組織から虫体を分離採取す
ディゾイトが有性生殖に向かう舵を持っているのでは
る方法を確立し(12)
、得られた虫体(図2)の細胞培養
ないかと考えている。
を試みた。無性生殖世代の虫体は動物体細胞や、後述
また、不思議なことに雄性生殖体の出現率は雌性生
する魚類の体細胞でも侵入、増殖する。しかし、我々
殖体に比べ、極端に低く、多く見積もっても雌性生殖
が採取した虫体はネコ胎子腎から採取した初代培養細
体の僅か数%に過ぎない。雌雄異体の多細胞生物では、
胞にさえも侵入しなかった。分離採取の過程にはパー
通常、卵子の数に比べて精子の数が圧倒的に多いこと
コールを用いた高速遠心操作があり、その影響で生存
を考えると、これはかなり異例である。誰かと出会う
率が低下した可能性が考えられたが、同操作を施行し
には時間と場所を決めないと、簡単には出会えない。
た無性生殖世代の虫体の生存性は低下していなかった
12
トキソプラズマ症
ある1%次亜塩素酸液に30分間浸漬してもビクともせ
ず、糞便中の細菌が全滅してもオーシストは生きてい
る。ただし、熱には弱く、67℃以上ならば1分程度で死
滅する。因みにタキゾイトは宿主細胞内でのみ生存可
能で、細胞外では冷蔵庫内でも数日しか生存できない。
厚さ2mmの豚肉内のシストは冷蔵庫内で64日、−12℃
で3日、64℃で3分以内に死滅するとされている(1)。
不思議なことに、このようにオーシストには消毒薬が
効かないのに、オーシストを小腸内と同じような状態、
すなわち消化酵素のひとつであるトリプシンと胆汁酸
を含んだ溶液に入れ、37℃で保温、30分もすると、オ
【図2】トキソプラズマ感染ネコ小腸粘膜組織から分離し
た虫体
ーシスト壁がまるでピスタチオが裂けるように割れて、
中からスポロゾイトが出てきて動くのである。加熱処
ので、ネコ小腸粘膜に接種を試みた。すなわち、ネコ
理等で死滅したオーシストではこのようなことは起こ
を麻酔下で開腹し、小腸管腔へ接種し、その後の経過
らないことから、スポロゾイトは外界の環境の変化を
観察としてオーシストの排泄を見守った。接種後2∼3
ちゃんと察知し、感染に適した環境と判断すると自ら
日目、オーシストの排泄が始まった。分離した虫体は
出てくるのである。この方法を利用して、オーシスト
生きていたのであった。排泄されたオーシスト数は接
の感染性の有無を大雑把ではあるが、比較的容易に判
種した虫体数より2∼20倍に増加していたことから、感
別することが可能である。別の方法として、感受性の
染ネコ小腸粘膜組織から採取した虫体はネコ小腸粘膜
高い動物であるマウスに経口投与し、感染の有無を調
を素通りしたのではなく、感染増殖し、そしてタキゾ
べるとより確実ではあるが、マウスが発症、もしくは
イト、ブラディゾイトを経ることなくオーシストを形
抗体を産生するには数日から数週間が必要である。
成すると推察された(11)
。ネコ小腸粘膜上皮の培養が
私共の経験では、感染ネコの小腸粘膜で虫体の細胞
可能になったならば、この実験の確認をぜひやってみ
内侵入、増殖、破壊が行われていても、ネコはほとん
たいと考えている。
ど臨床症状を示すことはなかった。しいて挙げれば排
さて、体外に排出された直後のオーシストは、厳密
泄前夜は便秘、もしくは、排泄開始時には、かりんと
にはオーシストとは呼ばず、スポロブラストと呼ばれ、
う状の硬いウンチをすることが多かった。幼若動物の
楕円形の殻の中に大きな一つの核しかない未熟な卵状
方が感受性は高く、発熱、食欲不振、肺炎などの全身
態であり、感染能力はない。時間の経過にしたがい、
症状、網脈絡膜炎、ブドウ膜炎などの眼症状などを呈
殻の中に球形の2つのスポロシストとさらにその中に
すると教科書等には記載されている。私共は生後2∼
四つのバナナ形をしたスポロゾイトが生じる。これが
3ヵ月の子ネコを実験に用いたが、食欲、体温も大し
オーシストと呼ばれ、感染性を有している。オーシス
た変化もなく、本当に感染が成立しているのかと、疑
トになるには水と酸素と温度が必要で、室温では2∼3日
わしく思われるくらい、外見上は全く健康な個体が
で完了するが、冷蔵庫の中では起こらず、そのまま時
ほとんどであった。しかし、糞便検査してみるとオ
間が経過するとオーシストの形成率は漸次低下する。
ーシストがどっさりと見つかり、実験感染と臨床と
したがって、感染を防ぐにはこの体外に排出された直
の違いを実感させられた。オーシスト排泄数は、ピ
後の時期を逃してはならない。ひとたびオーシストに
ーク時には10 7/日をはるかに越える日もあるが、必ず
なると水中で長期間の生存が可能で、室温で数十日、
しも一定ではなく、増減を示した。排泄開始後、約5
冷蔵庫内では数年は感染性を有している。また、消毒
∼14日間排泄が持続し、漸次、排泄数は減少し、やがて
薬は全く無効と心得るべきで、塩素消毒剤のひとつで
検出できなくなる。シストの経口接種の場合、血液中
13
Small Animal Clinic No.147
【図3】トキソプラズマ抗原に対するイルカ血清の反応性
抗トキソプラズマ抗体はオーシスト排泄がほぼ終了し
感染源であり、オーシストの飲水、食べ物への混入を
た接種後2週目あたりから抗体価の出現、上昇が観察
防ぐことが感染予防の最善策といっても過言ではない。
される。したがって抗体が上昇しているのを知っても、
養豚場でネコの侵入を防いだ結果、飼育豚の陽性率が
感染防衛作戦は後の祭りということになる。オーシス
有意に減少したことが報告されており、オーシストに
トで感染した場合は抗体産生とオーシスト排泄は、ほ
よる汚染が主たる感染源であったことを裏付けている。
ぼ同時期であるが、ネコが無症状の場合、見逃すこと
前述したように感染ネコの糞便中にはオーシストが存
が多い。その後、感染ネコは免疫を確立し、高い血中
在する可能性はあるとしても、排泄直後にはまだ感染
抗体価を維持し、細胞性免疫も獲得する。再感染時に
性を持っていない。ネコの糞便の後始末をすばやく、
はオーシストの再排泄はほとんど認められなかった。
こまめに行うことで予防が可能なのである。獣医師と
ネコの小腸粘膜に寄生する胞子虫類のひとつ、Isospora
して大事なことはネコを排除するのではなく、ネコが
felis(I. felis)は、トキソプラズマよりもかなり大きな
感染するような飼育環境、そしてネコから感染するよ
オーシスト(40×30μm)を形成し、子ネコでは多数寄
うな状況を作らないようにアドバイスすることを心が
生により下痢を発症するとされているが、多くは不顕
けたいものである。
性感染である。これが混合感染すると、I. felis のオー
シストといっしょにトキソプラズマのオーシストが排
海棲動物にトキソプラズマ感染が拡がっている
泄されるとの報告がある(5)。また、免疫低下時、オー
シストの再排泄が起こるとの報告もある。私共は感染
後4週以上経過したネコにプレドニゾロンの通常量の
上記のように、トキソプラズマ感染は陸生動物に広
投与を試みたが、再排泄は観察されなかった(未発表)
。
く蔓延している感染疾患であるが、最近、アザラシ、
このことについてはさらなる検討が必要である。
ラッコ、イルカなど、海棲動物でのトキソプラズマ脳
このように感染ネコが排出するオーシストは主要な
炎の症例が報告され、血中抗体保有調査においても、
14
トキソプラズマ症
作業が必要なのであるが、残念なが
【図4】トキソプラズマ虫体を接種した金魚卵管由来細胞のギムザ染色像
ら、未だその機会を得るには至って
いない(8)
。これらの問題を解決す
るためには、海棲哺乳類からトキソ
プラズマの生きた虫体を採取し、そ
の感染性など生物学的諸性質を精査
する必要があるが、生虫体の分離採
取には誰も成功しておらず、今後の
大きな課題である。
さて、イルカがトキソプラズマに
感染していると仮定して話を進める
と、その感染源は一体、何なのか?
を知りたくなる。トキソプラズマの
感染源として考えられるのは上述の
ように、第一にオーシストが挙げら
れる。事実、貯水池に混入したオー
シストが水道水を汚染し、網脈絡膜
炎、リンパ節腫脹など79名に上る患
者数を記録したカナダでの集団発生
例が報告されている。また、海水中
でもオーシストは数週間、生存して
いるとの報告もあり、海に流れ出た
高い比率で陽性検体を認めた報告がなされており(2)、
オーシストが感染する可能性は十分ありえる。しかし、
感染が拡がっている可能性がうかがえる。例えば1992
貯水池と海ではその体積は大きく異なり、大海原では、
∼2002年の間に斃死したカリフォルニアラッコ100頭
かなり希釈されることになると容易に想像される。ま
のうち、82頭が抗体価陽性であった。また、カナダのセ
た、イルカは海に住んでいるが、水はほとんど飲まな
ントローレンス川河口付近に棲息するベルーガにも感
いといわれている。このように考えると、海に流れ出
染が疑われる 2症例の報告があり、同付近に棲息する
たオーシストをイルカが口にする機会はありえるのだ
個体の凝集試験による抗体検査では22頭中6例(27%)
ろうか?そう考えるうちに、ふと疑問に思ったのは、
が陽性(<1:25)を呈したとされている。
魚類にトキソプラズマは感染しないのだろうか?とい
私共はソロモン群島に生息するミナミハンドウイル
うことであった。このことに関する文献を探したが見
カ58頭の血中抗トキソプラズマ抗体保有調査を行う機
当たらず、私共は金魚を用いて、トキソプラズマ感染
会を得た。その結果、8頭がラテックス凝集試験に対
実験を試みることにした。金魚を購入し、鰓、腎臓、
しても、トキソプラズマ虫体抗原によるELISAに対して
筋肉などいくつかの体組織の培養を試みた結果、卵管
も高い抗体価を示し、虫体抗原を用いたインムノブロ
組織の細胞が分裂増殖し、培養することができた。そ
ッティングではトキソプラズマ抗原に特異的な抗体反
こで、同細胞にタキゾイトを添加すると、虫体は細胞
応を示した(図3)
。このように高い抗体価を保有してい
内に侵入し、分裂増殖することが観察された。この場
る個体が本当にトキソプラズマに感染しているのか、
合、細胞は37℃で培養しており、魚類が生息している
それともトキソプラズマと抗原性が類似している別の
環境とは大きく異なる。そこで、培養の温度を下げて
生物もしくは物質で抗原感作をうけているのか、確認
みると、33℃の条件では、タキゾイトは細胞に接着はす
15
Small Animal Clinic No.147
るが侵入はできなかった。この際、
侵入したのか、細胞の上に乗ってい
【表4】トキソプラズマ虫体を接種した金魚体内における虫体の存否
るだけなのかの判定が必要である。
虫体は細胞内に侵入する際、細胞膜
を突き破るのではなく、ゴムボール
を凹ますようにしながら侵入し、細
胞内では膜(parasitophorous vacuole
と呼ばれる)で包まれた状態で宿主
細胞の細胞質とは隔てられている。
ギムザ染色後、顕微鏡で観察すると、
侵入した虫体と細胞質との間には僅
かな隙間が観察できる。33℃の条件
では、隙間は見当たらなかった。こ
のことは、虫体の侵入増殖能力は
37℃に順応しており、33℃では細胞
内に感染できないことを示している(図4)。エルニーニ
考慮すると、金魚が跳ねても水が飛び散っても汚染の
ョ現象で海水温が上昇したとしても30℃程度であるが、
心配のない実験装置を用意しなければならず、残念な
地球温暖化もあることだし、次に、金魚を37℃で1週
がら、未だ着手には至っていない。
間馴化飼育した後、タキゾイトの左体側部に筋肉内接
2005年2月8日、知床半島の羅臼町近くの相泊港にシ
種を試みた。接種後3日目では虫体がPCRによっても、
ャチ12頭が集団座礁したニュースをご記憶の方もおら
組織ホモジェネートを腹腔内接種されたマウスからも
れよう(図5)。シャチは母系家族で構成される群れ集団
検出され、生存していることが示された。本学病理学
を作り、効率良くアザラシなど捕食することが知られ
研究室の古林与志安助教授の協力で金魚の諸臓器を顕
ている。したがって、同海域に生息するアザラシなど
微鏡下で検索してもらったが、虫体は検出できず、組
が感染していると、シャチも感染している可能性が高
織反応も乏しいことから組織内で増殖しているとは考
いのではないかと考えられた。そこで、現地に赴き、
え難く、また、反対側の体組織や脳などには検出され
血液ならびに脳、肝臓、心筋、横隔膜などの材料を採
なかったことから虫体は接種部位に留まっていると考
取し、血中抗トキソプラズマ抗体と臓器中の虫体検索
えられた。接種後7日目では弱毒株虫体接種6例のう
を行なった。このような斃死した動物から採取した血
ち1例のみに生存が認められたが、他はPCRも陰性で
液は往々にして溶血がひどく、ドロドロ状態の場合が
DNAも残っていないことが示された(表4)
。これらの
ある。私共は血液を遠心後、硫安塩析によりIgG成分を
結果から、トキソプラズマのタキゾイトはたとえ37℃の
分離採取し、IgGとしての抗原性を確認することで、検
飼育環境であっても魚には感染しないことが示唆され
体が抗体としての反応性を維持していると判断した。
た(10)
。一方、牡蠣が呼吸を行う際に体内にトキソプ
採取した9頭のうち、8頭の検体には抗原性が認めら
ラズマのオーシストを付着させてしまうという報告が
れたので、それらの検体の抗体検査を行うことにした。
なされており、クリプトスポリディウムのオーシスト
検査対象の9頭のうち、哺乳中と思われる3頭を除い
が魚の鰓に付着するとの報告もあるので、トキソプラ
て残り6頭全ての胃からアザラシの骨や、頭部の一部
ズマのオーシストを魚は口にしないか?あるいは体の
が検出され、アザラシを常食としており、したがって
どこかに付着しないか?といった疑問が残る。次はオ
感染の可能性があるのではと思われたが、結果は全て
ーシストの接種実験と行きたいところであるが、前述
陰性であった(表5)
。しかし、これで知床の海はトキソ
のように、トキソプラズマのオーシストの感染能力を
プラズマに汚染されていないとは、まだ断言できない。
16
トキソプラズマ症
[引用文献]
【図5】知床半島で集団座礁したシャチ(相泊港にて撮影)
【表5】材料採取を行ったシャチの概要と各種病原体検査結果
今後も、より広範な調査が必要であろう(9)
。現地での
採材時には、−10℃以下の凍てつく寒さの中で動物の解
体作業に協力、参加された多くの方々に大変、お世話
になった。営利目的のない、熱心なボランティア活動
には、真に頭の下がる思いであった。そして、一種の
清涼感を味わうことができた。この場を借りて心から
感謝したい。
17
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