32号

マルカル通信
No.32
2011.12.22
国際教育委員会発行
Paper for Multi Cultural Understanding
2011 年度の第 1 号です。今年度の 56 期生の中で、海外で生活し帰国して本校に入学した5人
の自己紹介です。さまざまな国で生活し感じたこと、日本に帰ってきて考えたことなど文章にし
てもらいました。皆さんが現在の生活や日本の社会について考えるきっかけを与えてくれると思
います。また、3年生の森田美七海さんが、この夏ESD国際交流プログラムに参加しました。
また1年生の井倉さんが池田市のオーストラリア派遣事業に選ばれ、研修に参加しました。あわ
せてその報告を載せてあります。
課せられていたのですが、生徒の試験に対す
アメリカと日本の教育制度
田口 安 希 子
る態度はまじめでした。日本と同じく成績に
私 は 小 学 生 の 頃 か ら ア メ リ カに 住ん で い た
は全く関わらないのですが、みんなとても真
2組
剣にそのテストに挑んでいました。
の で す が 、 最 初 に 驚 い た こ と は、 アメ リ カ と
日 本 の 教 育 制 度 の 違 い で す 。 日本 は、 小 学 校
こうしてみると、若干日本の方が遅れてい
六 年 間 と 中 学 ・ 高 校 が 三 年 間 ずつ とい う の に
ると感じるかも知れませんが、そのようなこ
比 べ 、 ア メ リ カ で は 、 小 学 校 五年 間、 中 学 三
とはないと思います。日本のようにアメリカ
年間、高校四年間という制度になっています。
では塾というものが存在しない上に、なんら
そ れ に 加 え て 、 ア メ リ カ で は 十二 年間 す べ て
かの教科でつまづいて良い成績がとれない子
義 務 教 育 だ と い う こ と で す 。 しか し、 違 い は
は放っておかれています。つまり、できない
そ れ だ け で は と ど ま ら ず 、 日 本に 帰国 し て か
子はいつまでたってもできずに、できる子は
ら 気 付 い た の で す が 、 そ れ は 中学 校か ら 教 科
さらに上を目指して勉強に励むといった具合
の選択制が幅広いということです。日本では、
です。よって、日本の教育制度は良いものな
科 目 を 選 択 す る こ と が で き る よう にな る の が
ので、こうして日本とアメリカの教育制度の
だ い た い 高 校 二 年 生 な の で す が、 アメ リ カ で
違いを述べてみると、このような環境で勉強
は 中 学 一 年 生 の 時 点 で 、 数 学 など の特 定 の 科
することができるありがたさが感じられます。
目 に 関 し て は 「 飛 び 級 」 す る こと がで き た り
タ
し ま し た 。 日 本 で は 考 え ら れ ない こと だ っ た
イ
2組
の で 、 今 か ら 思 え ば そ れ も ア メリ カ独 特 の 制
中岡
賢吾
僕は、小学校2年生の時、タイへ行った。
度だなぁと感じます。
日 本 で は 、 中 学 校 時 代 に 「 大阪 府学 力 テ ス
まだ小学校2年生だったので、外国の存在な
ト 」 の よ う な も の を 受 け ま し た。 しか し 、 成
ど全く分からなかった。しかし、いざ行って
績 に は 全 く か か わ ら な い テ ス トだ った た め 、
みるとそこは日本とは全然違っていた。僕は、
定 期 テ ス ト の 試 験 中 の と き と 比べ て、 騒 が し
バンコクに住んでいて、普通に日本人学校に
かったのはよく覚えています。これに対して、
通っていたので、なんら日本の子とは違わな
ア メ リ カ で も 州 ご と に 毎 年 一 回学 力テ ス ト が
いと思っていた。しかし、友達が増え、学校
-1-
百聞は一見にしかず
以 外 の 時 間 に 一 緒 に 遊 ぼ う と した とこ ろ 、 親
2組
に 頼 ん で 車 で マ ン シ ョ ン ま で 連れ て行 っ て も
幡野彩果
ら っ た 。 日 本 で は 、 自 転 車 や 電車 など で 行 け
今日の社会は、テレビ・本・ラジオなどの
ば い い じ ゃ な い か 、 と 思 う 人 がほ とん ど だ と
メディアが発展しており、家にいるだけでも
思 う が 、 タ イ は 治 安 が 悪 い た め、 小学 生 の 外
様々な情報が得られます。特に、インターネ
出 は 危 険 な の だ 。 だ か ら 、 親 にむ かえ に 来 て
ットは情報が多く、一度パソコンで検索すれ
も ら う の だ 。 こ れ だ け だ と 、 タイ のデ メ リ ッ
ばたいていのことが調べられ、遠くの国のこ
トしか見えないのだが、メリットだってある。
となどもクリックひとつで分かります。しか
そ れ は 、 同 じ マ ン シ ョ ン 内 で の子 ども 達 と 仲
し、それは本当にその国を「知った」ことに
良 く な れ る こ と で あ る 。 日 本 では あま り 年 の
なるのでしょうか。
違 う 人 と 仲 良 く ま で は な る こ とが 少な い 。 し
私はシンガポールとフランスに住んでいま
か し 、 タ イ で は 小 学 生 か ら 中 学生 まで 、 全 範
した。両方とも日本人には割とポピュラーな
囲 で 仲 良 し に な れ る の だ 。 僕 も、 5つ 上 の 友
国ですので、テレビ番組や記事なんかをよく
達 、 ま た は 、 3 つ 下 の 友 達 だ って いる し 、 今
見ます。一番よく見るのは、旅行や観光関係
も ま だ 連 絡 を と り あ う 程 の 仲 だ。 しか も 、 そ
のものです。たいていの場合、フランスの町
う い う こ と が 起 き る の が 特 別 では なく 普 通 で
は、古い建物が並んでおり、日本の猥雑なビ
あるというところがすばらしいと思う。
ル街などとはかけ離れた雰囲気。と書いてあ
次 に 、 日 本 と タ イ の 違 い を 具体 的に 言 お う
り、シンガポールは、ゴミのポイ捨てすら法
と 思 う 。 季 節 、 日 本 は 四 季 で ある こと に 対 し
律で罰せられる、ゴミ一つない近代的な街並
て タ イ は ほ ぼ 一 年 中 夏 と い っ ても 過言 で は な
み、と書かれていることが多いです。もちろ
い だ ろ う 。 夏 嫌 い の 人 に と っ ては 嫌か も し れ
ん、これらは事実です。私がフランスで住ん
な い が 、 逆 に 夏 好 き の 人 に と って は最 高 だ ろ
でいた家は、築300年くらいでしたし、シ
う 。 バ ン コ ク の マ ン シ ョ ン に は、 どれ だ け ぼ
ンガポールの中心街は落ち葉すら落ちていま
ろ く て も 、 ジ ム と プ ー ル は つ いて いる 。 な ぜ
せん。
な ら 、 一 年 中 入 れ る か ら だ 。 僕も 最初 は お ど
しかし、一度でもその国に行って、ほんの
ろ い た 。 入 り た い 放 題 な の ? と興 奮し て 、 来
少し観光地からはずれた所に行けば、上記の
た 当 初 は 毎 日 入 っ て い た 。 そ こは 、タ イ の 自
例が全てではないことが分かるでしょう。確
慢できるところだろう。
かに、フランスは町の美化のために電柱を建
タ イ で は 、 災 害 が 少 な い 。 今年 、洪 水 が 起
てるのを禁止しているような国ですが、路地
こ っ て い る ら し く 、 僕 の 父 も その 被害 に あ っ
などは犬のフンでけっこう汚いです。水はけ
て い る 。 去 年 は テ ロ も 起 こ り 、危 険だ と 思 う
も悪いです。シンガポールは中心から離れれ
人も多いかもしれないが、そんなこともない。
ば離れるほど汚くなります。法律なんかどこ
タ イ で は 地 震 と 台 風 が 全 然 な い。 だか ら 、 日
ふく風でゴミにゴキブリがたかっていたりし
本 に 一 時 帰 国 し た 時 に 、 僕 は 震度 3の 地 震 を
ます。また、マンションの十階に住んでいた
体 験 し も の す ご く お ど ろ い た 。だ から 、 タ イ
私の家族は、アリの大群に悩まされたことが
は マ ン シ ョ ン や ビ ル が と て も 高い 。僕 が 以 前
あります。
住 ん で い た マ ン シ ョ ン は 3 0 階ま であ っ た 。
そして、何が言いたいのかと言うと、国や
タ イ は 、 来 た 時 は 暑 く て い やと いう 感 じ だ
その国民といった大きなものを一括りで決め
ったけど、今では誇りである。帰国したので、
つけることは不可能。それを無理矢理決めつ
全 国 、 い や 世 界 中 に 友 達 は い るし 、い い こ と
けるのは失礼を通り越して侮辱にもなりえる、
が た く さ ん あ る 。 も う 一 度 タ イに 住み た い も
ということです。例えば、日本に来てもいな
のだ。
い外国人に「日本ってつまんない国だよね」
-2-
と 言 わ れ た ら 腹 が 立 つ で し ょ う 。「 一 度 来 て
比べたら少ないですが、日本人がたくさん住
から言え!」という気持ちになると思います。
んでいる「モントキアラ」という場所があり
他 の 国 の 人 た ち も 同 じ で す 。 自分 の国 を 良 く
ます。都会の家は、カンポンとは違ってコン
知 り も し な い 人 に 、 そ の 国 を とや かく 言 う 権
ドミニアムといって日本でいうマンションで
利はないのです。
す 。( 略 し て コ ン ド ) 日 本 と 違 う の は 、 そ れ
長 々 と 書 き ま し た が 、 も し 、あ なた が ど こ
が主に36階建てで、プールやジム、公園、
か の 国 に 興 味 が あ る な ら 、 テ レビ など で 満 足
売店もあり、ガードハウスもあります。ガー
せ ず 、 ぜ ひ 一 度 行 っ て み て く ださ い。 行 っ た
ドハウスにいるガードマンは、主にマレーシ
こ と が あ る 人 も 、 今 度 は 観 光 地ば かり で は な
ア人でとてもフレンドリーです。でも、仲良
く 、 ち ょ っ と 郊 外 の 方 に も 行 って みて く だ さ
くなっても3カ月くらいしたら新しい人に変
い。
わってしまいますが、そこでもまた仲良くな
って、ガードハウス付近を歩くといつも挨拶
をしてくれます。
コンドミニアム内で捨てられた物は、清掃
員のおじさん・おばさんが処理してくれます
が、ゴミの中で使える物は自分の家に持って
帰って使う人がいます。捨てた服も普通に着
て仕事をするので、学校指定のポロシャツを
着ていた時に初めは、どこにでも売っている
から買ってるのかな?と思ったけれど、母に
伝えると「あれは捨てたのを拾って着てるん
だよ」と言われビックリして、しばらくゴミ
を捨てるのが嫌になりました。でも、慣れと
は恐ろしいもので気にならなくなってきまし
マレーシア
3組
下平
た。
怜奈
私 は 1 5 年 間 と い う 全 て の 時間 をマ レ ー シ
ま だ ま だ 書 き 足 り ま せ ん が 、 マ レ ー シ アと
ア と い う 国 で 過 ご し て き ま し た。 私は 、 日 本
は、人も国も暖かくて優しく時間が進むのも
人 の 両 親 か ら 生 ま れ 、 国 籍 は 日本 だけ れ ど 、
人の行動もゆっくりです。そんなマレーシア
日 本 に は 今 ま で 1 度 も 住 ん だ こと があ り ま せ
が私は大好きです。ぜひ1度行ってみてくだ
ん 。 だ か ら 、 日 本 人 だ け ど 日 本人 では な い 気
さい。おすすめします。
がします。
私 が 過 ご し て き た マ レ ー シ アと いう 国 は 、
赤 道 に 近 く 1 年 中 夏 で す 。 だ から 、人 々 は 寒
さ を 求 め て エ ア コ ン の 温 度 を 16 ℃に 設 定 し
て 、 長 袖 を 着 て い ま す 。 全 く エコ では あ り ま
せ ん 。 し か し 一 方 で 、 カ ン ポ ン( 村) で は 、
高 床 式 の 家 で 外 が ど れ だ け 暑 くて も涼 し い で
す。
他 民 族 国 家 な の で 、 様 々 な 民族 の人 た ち が
い ま す 。 1 番 多 い の が マ レ ー 系、 2番 目 が 中
国 系 、 3 番 目 が イ ン ド 系 で す 。こ れら を 3 大
写真は5月に行われた歓迎会のものです
民 族 と 呼 び ま す 。 日 本 人 は 、 この 3大 民 族 に
-3-
英語教育
3組
藤川真央
ESD国際交流プログラムに
「 香 港 」 と い う 場 所 で は 、 たく さん の 人 種
3年生森田美七海さんが参加
や 宗 教 の 違 う 人 が 一 緒 に 生 活 して いま す 。 道
を 歩 け ば 、 イ ギ リ ス 人 、 フ ィ リピ ン人 、 イ ン
E S D 国 際 交 流 プ ロ グ ラ ム と は 日 本 ユ ネス
ド 人 や 韓 国 人 、 そ し て 大 陸 の 人、 香港 人 な ど
コ協会連盟が三菱東京UFJ銀行と共催して、
の 様 々 な 国 籍 を も つ 人 と す れ 違い 、地 下 鉄 に
ユネスコスクールとESDの普及を目的とし
乗 れ ば 、 英 語 ・ 北 京 語 ・ 広 東 語の アナ ウ ン ス
て実施されたものです。全国のユネスコスク
が 流 れ 、 あ ち こ ち か ら 違 う 言 語が 聞こ え て き
ー ル か ら 選 抜 さ れ た 10名 の高 校生 が7 月 23日
ま す 。 そ ん な 多 種 多 様 な 人 々 が暮 らす 国 で 、
から30日の8日間、ドイツのハイデルベルグ、
私は約5年間生活していました。
フランスのパリを訪れ、現地の高校生との交
そ の 香 港 に 行 っ て 初 め て 感 じた こと は 、 香
流や、ユネスコ本部訪問などを行いました。
港の人の多くが英語を話せるということです。
この訪問団に選ばれた3年生の森田さんから
1 つ の と こ ろ で た く さ ん の 人 種が 住ん で い る
の報告です。
こ と か ら 、 英 語 で お 互 い に コ ミュ ニケ ー シ ョ
ンが出来ることがとても大切になってきます。
第一回ユネスコESD国際交流
逆 に い う と 、 英 語 が 話 せ な い と町 や社 会 に い
プログラムに参加して
る 多 く の 人 と 意 思 疎 通 が 出 来 ない ので す 。 そ
3年
森田 美七海
の 英 語 の 話 せ る こ と の 重 要 性 が日 本に い る と
こ の 研 修 で は 、 同 じ よ う な 志 を 持 つ 仲 間た
き に は 全 く 感 じ ら れ ま せ ん で した が、 香 港 に
ちや、世界を舞台に活躍されている方々との
行って初めて身にしみて感じられました。
たくさんの貴重な出会いがありました。その
日 本 で も 最 近 は 小 学 校 か ら 英語 教育 を 始 め
ような周囲の人々から毎日多くの刺激を受け
る 取 り 組 み を し た り と 、 英 語 が昔 より さ ら に
ることができた一週間は、これまでの私の人
重 要 視 さ れ て き て い ま す 。 し かし 、依 然 と し
生の中で一番有意義で、一番成長できた一週
て 、 中 学 校 ・ 高 校 と 週 に 何 時 間も 勉強 し て い
間でした。研修を通して感じたことや考えた
る の に 英 語 で コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョン をと れ る 人
ことはたくさんありすぎて、このマルカル通
は少ないのが現状です。
信には書ききれないので、今回はドイツの学
今日、世界がますますグローバル化する中、
世 界 中 の 人 々 を 相 手 に 、 英 語 とい う1 つ の コ
校の環境への取り組みとESD教育について感じ
たことを書きたいと思います。
ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 手 段 を 用 い て意 志疎 通 す る
まず、訪問したドイツのユネスコ・スクー
ことが何よりも大切になってくると思います。
ルの環境への取り組みの一部を紹介します。
香 港 で は 、 親 が 家 で 子 供 に 英 語で 話し か け た
その 学校 には 、E-Teamと いう 環境 保全 チ ーム
り 、 公 立 の 学 校 で も 全 て の 授 業が 英語 で 行 わ
(風紀委員のような係)があり、彼らは各ク
れ て い る 学 校 も あ り ま す 。 私 には 、ど の よ う
ラスの消灯状況などをチェックするといった
な 英 語 教 育 が 理 想 的 な の か 分 かり ませ ん が 、
活動をしています。省エネ率が年間でNo.1だ
英 語 で 様 々 な 国 の 人 と 会 話 が 出来 なけ れ ば 、
ったクラスには、市の電気代が浮いた代わり
こ れ だ け 英 語 の 勉 強 を し て も 仕方 がな い と も
に1日授業なしで課外活動を認めるという制
思 い ま す 。 私 自 身 、 英 語 を 身 につ けて よ り た
度もあり、省エネをすることで生徒たちが得
くさんの人に出会っていきたいです。
をするように工夫しているため、生徒たちも
積極的に省エネに取り組んでいます。
E-Teamの 場 合 、 節 電 の 取 り 組 み を 徹 底 し て
習慣化して何年も行っているおかげで、活動
-4-
が 定 着 し て い る と い う の も 事 実で す。 し か し
帰国後、2年生の皆さんには総合の授業で
忘れてはいけないのは、最初にその活動を「や
この研修の報告会を開くことができましたが、
ろ う ! 」 と 提 案 し 、 実 行 に 移 した 誰か が い た
残念ながら1・3年生に向けては報告ができ
と い う こ と で す 。 活 動 を 始 め てか らず い ぶ ん
なかったので、このマルカル通信を通じて少
経 っ た 今 で も 、 活 動 を 理 解 し ても らう の が 難
しでも何か感じ取ってもらえたら嬉しいです。
しいときもあると言っていたぐらいですから、
私は、これからもたくさんの人にこの研修で
皆 が 初 め か ら 積 極 的 な 姿 勢 だ った わけ で は な
感じたことやESDのことを伝えていこう
か っ た で し ょ う 。 そ れ で も 、 勇敢 に声 を 上 げ
と思います。
た 誰 か が い て 、 そ の 人 に 賛 同 して アク シ ョ ン
を 起 こ し た 人 た ち が い た か ら こそ 、こ の 取 り
組 み は 今 も 続 い て い る の で す 。彼 らの ア ク テ
ィ ブ な 姿 を 見 て 、 私 は 自 分 の 行動 力の な さ を
痛 感 し ま し た 。 彼 ら が や っ て いる よう な 活 動
は 、 や る 気 に な れ ば 附 高 で も すぐ に始 め ら れ
る こ と で す 。 考 え て い る だ け では 何も 変 わ り
ま せ ん 。 や ら な け れ ば な ら な いと 思っ た こ と
は 行 動 に 移 さ な け れ ば 意 味 が ない と彼 ら に 改
めて教えてもらいました。
また、何かを実現させるためには、常に広
い 視 野 を も つ こ と は と て も 重 要だ と思 い ま し
た 。 研 修 中 、 ユ ネ ス コ に お い て様 々な ポ ジ シ
2 年 生 の 総 合 の 授業 で
ョ ン に 就 い て い ら っ し ゃ る 方 々の お話 を 聴 く
発表する森田さん
こ と が で き ま し た が 、 そ れ ぞ れの 立場 に よ っ
て、ESD教育が今後どう在るべきなのかという
考 え 方 に 少 し ず つ ズ レ が あ る よう に感 じ ま し
た 。 政 府 は 現 在 、 ユ ネ ス コ ・ スク ール の 数 を
池田市オーストラリア派遣事業へ
増 や す こ と に 躍 起 に な っ て い るよ うで す が 、
(姉妹都市ローンセストン市)
数 を 増 や す こ と 以 前 に や ら な けれ ばな ら な い
1年生井倉利佳子さんが参加
こ と が あ る と 私 は 思 い ま す 。 それ は、 現 時 点
で存在するユネスコ・スクールのESD教育の質
今年で第 27 回を迎える池田市のオーストラ
の向上です。今回の研修の参加者の中にも「こ
リア姉妹都市ローンセストン市への派遣生3
の研 修で 学ぶ まで、『 ESD教育 = 英語 教育 』だ
名に 1 年生の井倉さんが選ばれ、7月 29 日か
と 認 識 し て い た 」 と か 、「 こ の 研 修 の 募 集 要
ら8月 17 日の 20 日間、オーストラリアで学
項 を 見 る ま で 、 自 分 の 学 校 が ユネ スコ ・ ス ク
びました。その報告です。
ー ル だ と い う こ と を 知 ら な か った 」と 嘆 い て
い た 人 も い た ほ ど 、 ユ ネ ス コ ・ス クー ル の 使
オーストラリアホームステイ
命ともいえるESD教育がきちんと行われていな
1年4組 井倉利佳子
い 学 校 も ま だ ま だ あ り ま す 。 将来 自分 が ど ん
私 は 今 回 18日 間 の 池 田 市 オ ー ス ト ラ リ ア派
な仕事に就くことになるかはわかりませんが、
遣事情に参加しました。参加理由はもっと英
自 分 が ど ん な 立 場 に あ っ て も 、常 に広 い 視 野
語が上手くなりたいと思ったからです。 だ
を 持 っ て 現 場 重 視 で 動 け る 人 であ りた い と 思
からもし伝わらなくても絶対あきらめずに、
いました。
積極的に話していこうということが私の1番大
-5-
とても辛かったです。1週間はあっという間
きな目標でした。
でした。
内容は、まずシドニーで1週間ホームステイ
を し て 、 そ れ か ら オ ー ス ト ラ リア 本土 の 南 に
次の日はホテルで1泊して、それからロンセ
位 置 す る 小 さ な 島 、 タ ス マ ニ アに 移動 し 1 週
ストンに向かいました。タスマニアでは現地
間 ホ ー ム ス テ イ す る こ と で し た。 参加 し た の
の学校に通いました。学校の授業は日本のと
は 高 校 生 3 人 で 、 日 本 か ら 3 人だ けで 行 き ま
はまるで違っていて、おどろくことがたくさ
し た 。 こ の プ ロ グ ラ ム で は 家 族や 学校 か ら 旅
んありました。休日はホストファミリーが山
行 に い く の と は 違 い 、 お お ざ っぱ な計 画 し か
の中の滝を見に連れていってくれました。木
知 ら さ れ て い な か っ た の で 不 安な 気持 ち で 出
や草、空気がとてもきれいでした。自然の大
発 し ま し た 。 し か し 、 こ の よ うな 状況 の 中 で
きさを改めて感じました。そのほかにもチー
の 旅 は わ た し に と っ て 初 め て で興 奮す る 気 持
ズ工場や親戚の家、ゴルフ、マーケットなど
ちも同じぐらいありました。
に連れていってもらい楽しむことができまし
た。
シ ド ニ ー で ホ ス ト フ ァ ミ リ ーに 初め て 会 っ
た と き は 、 本 当 に 何 を 言 わ れ てい るの か さ っ
最後の日の朝、わたしは家族みんなに手紙
ぱ り わ か り ま せ ん で し た 。 で もわ から な い こ
を書きました。その手紙を読んでホストファ
と を 正 直 に 伝 え る と 、 身 振 り 手振 りで 、 ま た
ミリーが泣いてくれてわたしも泣きそうにな
紙 に か い た り し て な ん と か 伝 えよ うと し く れ
りました。そして1週間と少しの間でしたが、
ま し た 。 そ の と き 、 わ か ら な いと きは 正 直 に
この家族の一員になれて本当によかったと感
言うことが大切だと気づきました。
じました。
私たち3人は毎日UECという学校に通いまし
最後に、英語を上手くなりたいと思って参
た。UECは様々な国から英語を勉強しにきた生
加したわけですが、正直18日間という短い
徒 が 通 う 学 校 で す 。 私 は 電 車 を使 って 通 っ て
間だけて上手くなるというのは難しいことで
いました。電車はわかりやすかったのですが、
した。でもそんなことよりも、もっと大きな
駅からUECまでの道のりがわからず迷ってしま
ものを得ることができました。まず1つ目は
い ま し た 。 で も 道 を 聞 く と み んな 丁寧 に 教 え
「自信」です。だれも話の通じる人がいない
て く れ な ん と か 着 く こ と が で きま した 。 全 く
ので1人で判断し、行動しなければならない。
知 ら な い 土 地 で 道 に 迷 う こ と はと ても 怖 い こ
それができたことで自分に大いに自信がつき
とでしたが迷ったおかげといっては何ですが、
ました。日本にいるかぎりいつも誰かに助け
オ ー ス ト ラ リ ア 人 の 優 し さ に 直に 触れ る こ と
てもらえるのでどうしても甘えてしまいます。
ができよい経験ができたと思います。UECでは
そんな状況の中ではこのような「自信」を得
英 語 の 授 業 が ほ と ん ど で し た 。で もた だ 単 に
ることはなかなかできないと思います。2つ
ノ ー ト を と る だ け で は な く て 、映 画を 見 た り
目は「積極性」です。これが無ければ、あん
絵 を か い た り も し ま し た 。 ク ラス のみ ん な フ
なにもホストファミリーと仲良くなることが
レ ン ド リ ー で す ぐ に 仲 良 く な るこ とが で き ま
できなかったと思います。何事にも積極的に
し た 。 ま た 、 オ ペ ラ ハ ウ ス や スリ ーマ ウ ン テ
なることは大切だと改めて気づかされました。
日本とオーストラリアの文化の違いについ
ンズにも連れていってもらいました。
UECは夕方に終わったので、それから友達と
て最も気づくことができた場はやはりホーム
近 く の シ ョ ッ ピ ン グ モ ー ル な どで 買い 物 を し
ステイです。観光だけでは気づかなかったで
たりしていました。でも毎日5時すぎまでには
あろう文化の違いにたくさん気づきました。
家 に 帰 り ホ ス ト フ ァ ミ リ ー と 一緒 に夕 飯 を 食
ホームステイができて本当によかったです。
べ る よ う に し て い ま し た 。 オ ース トラ リ ア の
大学生になったらもう1度訪ねたいと考えてい
野 菜 は と て も お い し か っ た で す。 別れ る の は
ます。
-6-