日本語

2012年3月18日 17時57分
”我々の子供達のことを考えなさい。彼等は正しく英語を話していますか?”
”どんな風に話すかで違いが生まれるのです。”
ガラス張りの、バス停の片側の壁を覆う、モノクロームのポスター、両手で、無造作にリス
のぬいぐるみを掴んだ中国系の幼い少女が、無邪気な笑顔で、こちらに向かって何か話し
かけています。それは"スピーク・グッド・イングリッシュ・ムーブメント"という、シンガポール
政府、教育機関の、キャンペーン・ポスターです。
シンガポールの英語は、シングリッシュと言われるほど、独特の訛りを持っています。文法を無視した表現や、
マレー語、マンダリンと呼ばれる北京語、多くの中国系シンガポール人のルーツ、ホッケンと呼ばれる、福建
省の言葉などが混じり合っているといわれています。
語尾に、”ラー”と付けて、言葉を強調したり、”イエス.”�と言わずに�" キャン"�とだけ言ったりします。
散歩に出かけることを、幼児言葉のようにジャラン・ジャランと繰り返したりする、英語にはない愛らしい表現
もあります。
1963年、シンガポールは、独立して間もないマレーシア連邦の一つの州になりましたが、中国系住民が多
く、植民地時代からのイギリスの教育制度が取り入られていて、英語による高等教育も行われていました。
当時、マレーシア連邦政府は、マレー語を統一言語に、イスラム国家を形成しようと、マレー系住民に対する
優遇政策を取っていたため、シンガポール州政府は、教育面だけでなく、多くの政策面で対立してしまいま
す。州内の、人種間の対立も悪化し、1965年、シンガポールは、わずか2年で、連邦から追放される形で、
独立を余儀なくされました。
建国の父であるリー・クワン・ユーが、涙ながらに独立宣言をしたのは有名な話で、それから現在にいたるま
で、このカリスマ的な人物の、時に、前衛的ですらある国家政策によって、善かれ悪しかれ、現在のシンガポ
ールという国家は作られたといえるでしょう。小さな島国ですが、この国自体が、彼の巨大なコンセプチュア
ル・アートか、ランド・アートの作品として見ることも出来ます。
実際、この島国の海岸線は、ほとんどが、大規模な埋め立て事業によって、人工的につくられたもので、政府
は、この狭い領土を、徐々に拡張してもいます。
その特異な国家政策は、例えば、独立当初の教育政策にも、あらわれています。
彼は”この国に過去は必要ない、あるのは未来だけだ。”といって、初等教育から、歴史の授業を、全て、なく
しています。
バス停のベンチには小学生の兄弟らしき、2人のブロンドの少年達がおとなしく座っていま
す。
二人とも、黒いTシャツを着ていて、年長らしい少年のTシャツには、”デ・ジャブ”というバッ
ク・プリントが見えます。
この国に来たばかりで、人見知りをしているのか、傍らに立つ褐色の肌の女性の視線から
は目をそらして、バスの来る方角を、落ち着きなく覗き込んでいます。
女性は、東南アジアから出稼ぎにきている家政婦でしょう。素顔で、黒髪を後ろで束ねい
て、いかにも動きやすそうな、デニムのショーツに、Tシャツ姿、20代の前半か、あるいは、
もっと若くも見えます。大きなバッグを二つとも、右肩にかけて、少年達を伺うように前屈み
に立っています。
白いキャンバス地のバッグには、ロンドンの地名と、時計台や、街の風景が、赤と青の刺繍
で描かれています。黒い、ビニール製のトートバッグは、深夜から夜明けにかけて、ここ、シ
ンガポールで開催されるマラソン・イベントのもので、赤い文字で”ビート・ザ・サンライ
ズ”と、プリントされています。
白人家庭に限らず、この国では、子供のいる一般家庭のほとんどが、近隣の国からやってくる、出稼ぎの住
み込み家政婦を雇っています。
英語を話し、そのほとんどがカソリック教徒であるフィリピン人メイドは、中でもランクが上と、されています。
外国人メイドの斡旋は、ショッピング・モールなどで行われていて、その店頭には、”クリスチャン・メイド”と、大
きく書かれた広告を見ることも、度々あります。
メイドたちの賃金は極端に安く、雇い主が政府に納めているメイド税、月額、約200から、300シンガポール・
ドルを下回っている場合がほとんどです。
シンガポール国内での、メイド達の結婚や、恋愛は禁じられていて、定期的に妊娠検査が行われ、妊娠がわ
かると同時に、強制送還されてしまいます。
シンガポールでは、約90パーセントもの国民が、HDBといわれる高層のパブリック・ハウジングに住んでい
て、洗濯機を置くためのスペースかと思うほどの、小さなメイド専用の寝室が、まるで、近代建築に持ち込ま
れた植民地時代、奴隷制の名残りのように、標準の間取りとして組み込まれています。
部屋の所有権は、99年までと制限されていて、次の世代に相続する事が出来ない仕組みになっています。
政府によって、常にメンテナンスやリノベーションが行われ、一カ所に特定の人種が偏ったりしないように、人
種別の人口比率も管理されています。
前方の道路側には、若い白人の男性と女性が、少し離れて立っています。女性の髪はブル
ネットで、20代後半くらい、アディダスのロゴの入ったスポーツ・バッグを持って、カーキ色
のTシャツに紺のショーツ、気になる店でもあるのか、道の反対側に視線を送っています。
男性の方もせいぜい30代くらい、黒いポロシャツにジーンズ姿、栗色の髪で、まだ、あどけ
なさの残る、ふっくらとした顔つきには、不釣り合いなあご髭をはやしています。おかしなこと
でも思い出したのか、笑みを浮かべて、バスが来る方角を眺めています。
多分、彼等が少年達の両親なのでしょう。誰も、視線を交わしていないため、あるいは、偶
然居合わせただけの他人のようにも見え、強い陽射しの下で、彼等の姿は光のなかに溶け
込んでいます。
外国人のビジネスマン家族の場合�多くはコンドミニアムや、一戸建ての家で暮らしています。国民のほとんど
が公共住宅で暮す一方、富裕世帯の割合が世界で最も高いとされているこの国らしく、郊外にはわずかです
が植民地時代からのヴィラやビバリー・ヒルズさながらの高級住宅地もあります。
国内で農業や漁業が、全く行われていないのも、東京23区とほぼ同じという、その狭い国土を考えると、そ
れほど不思議なことではないのかも知れません。
マラリアなどの疫病から国民を守るため、政府はほぼ、国中から蚊を殲滅することに成功しています。そのた
め、ボウフラの繁殖する恐れのある、草叢や湿地、アパートメントの裏庭にいたるまで、街のいたるところで、
頻繁に、白い霧状の殺虫剤を、大量に撒いているのを見る事が出来ます。
この国自体が、城壁に守られた中世の要塞都市か、マレーシアや、インドネシアの島々に囲まれた、一つの、
大きなゲーテッド・コミュニティーと言えるかも知れません。
事実、驚くべき事に、マレーシア国境との海底には、巨大な壁が建設さています。
歩道の陰の下で、鮮やかな赤いジーンズを履いて、白と黒の大きなストライプの、タンクト
ップ姿の、中国系、中年女性が、眩しそうに顔を歪めています。男物の、大きな腕時計をし
ていますが、どうどうと組まれた肉付きのよい腕には、特に、違和感もなく、おさまっていま
す。
最近では、こうした中国系の住民が、必ずしも、生粋のシンガポール人であるとは限りません。アメリカで。白
人と、ヒスパニック系や、黒人の人口比率が、入れ変わろうとしているのと同様、比較的、裕福な中国系住民
は少子化の傾向にあり、マレー系やインド系住民の人口比率が増大しています。
政府が、はっきりと、名言することはないでしょうが、国内の、中国系住民の人口比率を保つかのように、日
本政府がとっている、南米からの日系移民労働者への優遇措置と同様、国際的には、人種差別的とも、非難
されかねない、特定の人種や、血統を優遇する移民政策を導入し、中国本土からの、移住の条件を緩和し
ています。
バス停の女性が、シンガポール生まれなのかどうかは、分かりませんが、中国からの移民
であれば、あるいは、まだ、英語では会話が出来ないかも知れません。
彼女もまた、商店街を眺めていて、少年たち一行同様、私の他には、このバス停の、誰一
人として、そのポスターに注意を払うものはないようです。