私を変えてくれた親友 仏教学科1年 大上 祐一 みなさんこんにちは。仏教

私を変えてくれた親友
仏教学科1年
大上 祐一
みなさんこんにちは。仏教学科1年の大上祐一と申します。今回は私がお坊さんの道を
目指すキッカケとなった「親友」との出会いの話をしたいと思います。
私は大阪の高槻市という所で生まれ、今年で28歳になります。家族は姉を含め4人家
族でしたが、幼少の頃父がガンで他界しました。まだ小学1年の私と3年の姉でしたが、
母は家族の為にすぐに働きにでました。裕福さとはかけ離れた生活と愛情不足だった私は、
当然の様に非行に走り中学の頃からケンカやバイクでの暴走行為を学校の友達と毎日の様
にしていました。その頃の私は「人を好きになる」という感情が欠落しており、友達でさ
えも仲間と思っていませんでした。ただ一緒にいるだけと。高校に入った時からアルバイ
トを始め、また音楽に出会い、非行こそはあまりしなくなったものの、当時の不良仲間と
は毎日の様につるんでいました。理由はただ誘われているからだけです。
高校卒業後は子ども特有の甘い考えで、働きながらプロミュージシャンを目指し、ライ
ブ活動で全国をライブで回り、楽しめる生活を送っていましたが、一つの事件が起こりま
した。バンドのファンの子から突然ストーカー行為を受ける様になったのです。教えても
いないのに家の前で待ち伏せされていたり、教えていない携帯や家の番号に一日に何十件
も着信とメールがありました。精神面が弱かった私は心が壊れてしまい、半狂乱で母親に
泣きつき部屋から一歩も出なくなりました。
1~2週間ほどたった頃の深夜、その事を知った不良友達が突然家に入ってきました。
私の母に「ちょっとだけ借りていきます。」とだけ告げて半ば強引に私を車に乗せ、その
リーダー格の友人の家に連れ込まれると部屋には鍋が用意してありました。いつも通りの
感じの友人達がフタをあけると、シイタケしか入っていないキムチ鍋でした。赤い汁の中
にシイタケだけが浮かんでいるというグロテスクな鍋です。
「はよ食え」。その一言だけ言われ、恐る恐る口に運びました。普段料理なんてしない
ヤンキー4人が作った料理、普通な味・・・いえ、どっちかというと不味いぐらいのシイタケ
でしたが、その味は一生忘れられない味になりました。みんなで食べながらも特に体を心
配されることなく普段の様な感じでバカ話しているその空間に、心底助けられました。同
時に私はものすごく恥ずかしくなりました。こんな私の為にわざわざ鍋を用意してくれた
友人に対して、私は今までどんな感情で接していたんだと。こんなに素晴らしい仲間がい
るのに何をひねくれていたんだと。たまたま中学が一緒だっただけなのに、ここまで自分
の為に何かをしてくれている友人達に、初めて感謝の心が生まれました。「友達でいてく
れてありがとう」と。
その後1週間以上その友達の家で監禁され、私一人の時間を作らない状況を全員で作っ
てくれ、次第に私の精神状態も落ち着いてきました。その間に友達はストーカー問題をも
解決してくれていました。どれほどお礼を言っても言い切れるものではありませんでした。
初めて感謝の気持ちを伝えると、その友人は「別に礼なんか、ええがな」「あれはしんど
いわ」とゲラゲラ笑っていました。
それからの私は争いを避けるようになり、人の手助けができる様な人間を目指すように
なりました。一人でも多くの人に感動してもらえる人間を目標としました。バンドのプロ
の夢も諦め、楽器屋で働き始め、頼れるお兄さん的存在として、夢を持ってがんばる若者
達の支えになれる店員になりました。
24歳の時、そのお店で同期の仲間として働いていたお寺の娘さんである今の嫁と出会
い、結婚にまで至ることができました。結婚当初から嫁の父からお坊さんに誘われていま
したが、僕はそんなに綺麗な心を持ち合わせていないと頑なに拒んでいました。ですが徐々
に「人の助けになれるお坊さん」に憧れを持ち始めるようになった結果、今この学校に通
わせていただいております。
今日、この話を通して、ぜひみなさんに聞いて欲しかったことは「人は必ず変わること
ができる」ということです。私はこの経験を通して、自分が変わることによって、新しい
視点で世の中を見ることが出来るようになりました。今の自分が嫌いな人もいると思いま
す。ですがそれは「今」です。環境次第で将来的には私の様に「今の自分が一番好き」と
言える人間になれると思います。人生にはたくさんの辛い事が待っています。私もこれか
らたくさんの辛い思いをしていくと思います。しかしそれは誰にでも与えられた試練であ
り、成長できる過程だと私は感じています。
その友人は今では任天堂でゲームプログラミングの主任をしています。子ども達に夢を
与え続けています。その友人が私の一番の誇りであり、一番の親友です。
この学校に通いだして1ヶ月がたちました。学校から目の前の「ちき亭」でアルバイト
をしている事もあり、よく話しかけてもらっています。関西人だと面白がっている事も理
由のひとつかもしれません。これからもっとみなさんと新しい出会いが出来ればと思って
います。
長くなりましたが、これで私の話を終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございま
した。
(2010年5月12日)