第37回 証券取引の高速処理・高頻度処理がもたらすパラドックス (2012

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連載
IT新時代と
パラダイム・シフト
第37回 証券取引の高速処理
・高頻度処理がもたらすパラドックス
日本大学商学部
根本忠明
世 界 の 証 券 取 引 シ ス テ ム が 、新 た な 時 代 に 突 入 し て い る 。世 界 経 済 の グ ロ ー バ ル
化に対応した高速処理・高頻度取引の売買システムが、求められてきた。マイクロ
秒 で 利 益 を 求 め る 世 界 の 投 資 家 の 要 求 を 満 た せ な い 取 引 所 は 選 別 さ れ か ね ず 、世 界
の証 券取引 所は再編の時代を 迎えて いる。皮肉な ことに 、この システ ム売買のハ イ
テク化が、取引システム全体を不安定化させ、制御不能なフラッシュ・クラッシュ
現象 を引き 起こしている 。投 資家は 突然想 定外の 混乱に 引き込まれ、大損 するケ ー
スも発生している。政府と証券取引所は、この高速処理・高頻度取引の売買システ
ムにどう対処すべきが、問われている。
世界各地で頻発する証券取引のシステム・トラブル
ア メ リ カ の 店 頭 株 市 場 ナ ス ダ ッ ク で は 、 2012 年 5 月 18 日 ( 金 )、 世 界 か ら 注 目
を 集 め た フ ェ イ ス ブ ッ ク の IPO( 新 規 株 式 公 開 ) で は 、 開 始 が 予 定 よ り 30 分 遅 れ
た上 に、売買注文の成立が確認でき ない状 態が何 時間にも及ぶ という システ ム障害
に見舞われた。
こ れ は 、1 秒 間 に 約 270 万 株 と い う 史 上 最 高 速 の 売 買 注 文 が 殺 到 し た こ と に よ る 。
売買 注文が成立したかどうかが何時 間にも わたっ て確認できな い状態 が続き 、取引
に大きな混乱が生じたためである。
ナ ス ダ ッ ク ( 米 店 頭 株 市 場 ) を 運 営 す る ナ ス ダ ッ ク OMX グ ル ー プ は 、 シ ス テ ム
の 問 題 で 混 乱 し た こ と で 損 失 を 被 っ た マ ー ケ ッ ト メ ー カ ー な ど に 対 し て 6200 万 ド
ルの 補償をすると発表している。損 失額全 額を保 証すべきとい う批判 も出て いる。
い ず れ に せ よ 、フ ェ イ ス ブ ッ ク は こ の NASDAQ 市 場 へ の 上 場 で 、時 価 総 額 1000
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億 ド ル の 大 企 業 と な っ た わ け で あ る 。 同 社 は 2006 年 9 月 に 一 般 向 け の サ ー ビ ス を
開 始 し 、 2012 年 3 月 に 9 億 1 千 万 人 も の ユ ー ザ ー ( 月 間 ア ク テ ィ ブ ユ ー ザ ー 数 、
前 年 同 期 比 で 33% 増 ) を 獲 得 す る 世 界 最 大 の SNS サ イ ト に 成 長 し て い る 。
他 方 、日 本 の 東 京 証 券 取 引 所 (東 証 )で も 、2012 年 8 月 7 日 に 、シ ス テ ム 障 害 が 発
生 し て い る 。東 証 が 提 供 し て い る TOPIX 先 物 や JGB 先 物 な ど の デ リ バ テ ィ ブ( 金
融派生商品)すべての取引が、約1時間半にわたり全面停止したのである。
金 融 庁 は 、 こ の ト ラ ブ ル を 引 き 起 こ し た 東 証 に 対 し て 8 月 24 日 に 、 業 務 改 善 命
令 を 出 し た 。 そ れ は 、 半 年 前 の 2 月 2 日 に も 、 241 銘 柄 の 株 式 取 引 を 半 日 停 止 す る
大規模障害を起こしているからである。短期間にトラブルが相次いだことに対する
危機感からである。
こ の 時 の 障 害 の 原 因 は 、株 価 情 報 を 証 券 会 社 な ど に 配 信 す る「 情 報 配 信 シ ス テ ム 」
の ハ ー ド ウ ェ ア 故 障 と さ れ て い る 。 信 頼 性 を 高 め る た め 、情 報 配 信 シ ス テ ム は 3 重
の冗長構成になっているが、故障発生時の切り替えが正常に動作しなかったからと
報道されている。
こ の数年間、世界各地の証券取引 所でシ ステム ・トラブルが 頻発し ている 。誤発
注、誤動作など原因や症状は様々であるが、共通しているのは、コンピュータ売買
によ る高速処理・高頻度取引が関係 してい るとい う点である。
上 記 以 外 に も 、数 多 く の シ ス テ ム ・ト ラ ブ ル が 発 生 し て い る 。例 え ば 、2010 年 7
月 8 日、東京株式市場で関係者が注目する不可解な取引が立て続けに起きている。
オリンパスや住友金属鉱山の株価が、数秒間の間に乱高下したのである。
2012 年 5 月 6 日 に は 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 市 場 で 株 価 が 暴 落 し た が 、 米 国 の あ る 大 手
金融 機関の誤発注が引き金になった と指摘 されて いる。
高速処理・高頻度取引化に立ち遅れた東京証券取引所
このような証券取引所のハイテク・トラブルの背景には、超高速・高頻度化の株
式売買で優位を目指す世界の証券取引所の競争が背後にある。
このハイテク化に遅れた証券取引所は、淘汰される危機に直面している。東証も
例外ではない。現在、東証は、生き残りをかけて大証との経営統合を進めている最
中にある。
超高速とは、ミリ秒からマイクロ秒といった瞬間的な高速売買処理をいう。高頻
度 取 引 ( HFT: high-frequency trading) と は 、 超 高 速 処 理 の ス ピ ー ド を 生 か し 、
ミ リ 秒 ま た は マ イ ク ロ 秒 ( 100 万 分 の 1 秒 ) の 頻 度 で 、 1 社 で 1 日 当 た り 100 万 件
規模の売買を繰り返す取引をいう。
このような超高速取引・高頻度取引は、プログラム売買とかアルゴリズム取引と
呼ば れるコンピュータによる株式売 買シス テムで 行われて いる 。この 取引方 法は、
2004 年 に ア メ リ カ で 大 き な ブ ー ム の 年 に な っ た 。い わ ば 、こ の 年 が ア ル ゴ リ ズ ム 取
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引元年といってよい。
欧 州の証 券取引所は この動 きにすぐに追 従した が、日 本の証券取引所はこれに大
き く 遅 れ て き た 。こ れ を 象 徴 す る 事 件 が 、2006 年 1 月 17 日 に 発 生 し た 東 証 の ラ イ
ブドア・ショックであった。
ライブドア・ショックとは、ライブドアへの警察の強制捜査が引き金となり、東
証で大量の売り注文が殺到した事件である。売買処理システムの処理能力の低さの
ため、東証は異例の「全銘柄取引停止」措置に追い込まれてしまった。
ち な み に 、 ア メ リ カ で 一 般 の 人 々 が 高 頻 度 取 引 (H F T )時 代 の 到 来 を 知 る き っ か
け に な っ た の は 、2009 年 7 月 の 米 ゴ ー ル ド マ ン・サ ッ ク ス の 元 社 員 の 逮 捕 事 件 で あ
る。高頻度取引の株式取引システムを開発した同社の元社員が、プログラム流出の
容 疑 で FBI に 逮 捕 さ れ た 事 件 が 大 き な 関 心 を 集 め た 時 と 言 わ れ て い る( ニ ュ ー ズ ウ
ィ ー ク 誌 )。
さて、日本の東証は、ライブドア・ショックをきっかけにして、最新鋭の売買シ
ス テ ム「 ア ロ ー ヘ ッ ド 」を 、2010 年 1 月 4 日 に よ う や く ス タ ー ト さ せ た の で あ る 。
この時点での処理スピードは、5 ミリ秒であった。アローヘッドの導入以前は、2
~3 秒を要していたから、以前の処理能力が、如何に貧弱だったかがわかる。
残念ながら、2年前の最新鋭のシステムも、証券市場の超高速取引・高頻度取引
化 の ス ピ ー ド に 追 い つ け ず 、東 証 は 、今 年 2012 年 7 月 17 日 に 、株 売 買 シ ス テ ム「 ア
ロ ー ヘ ッ ド 」の 売 買 注 文 処 理 の 速 度 を 2 ミ リ 秒 以 下 か ら 1 ミ リ 秒 以 下 に 、倍 速 化 さ
せざるを得なかった。
それでも、海外の取引所における売買注文処理の速度を見てみると、現在の東証
のア ローヘッドの処理スピードは、 大きく 見劣り すると 言わざ るを得 ない。
シ ン ガ ポ ー ル 証 券 取 引 所 は 0.074 ミ リ 秒 (2011 年 8 月 時 点 )、ロ ン ド ン 証 券 取 引 所
は 0.125 ミ リ 秒 (2011 年 2 月 時 点 )で あ る 。 東 証 の シ ス テ ム は 、 こ れ ら に 10 倍 以 上
の差をつけられている。
し か も 、東 証 の 売 買 代 金 は ア ロ ー ヘ ッ ド の 導 入 後 も 改 善 せ ず 、東 証 1 部 の 1 日 平
均 の 売 買 代 金 は 1 兆 円 割 れ で 低 迷 し て い る 。ニ ュ ー ヨ ー ク 証 券 取 引 所 と 比 べ て み て
も、4 分の 1 程度に過ぎない。アローヘッドの 1 日当たりの注文件数も、処理能力
の 5 分の 1 以下という。
現 在 、東 証 は 大 証 と の 経 営 統 合 を 進 め 、2013 年 1 月 に「 日 本 取 引 所 グ ル ー プ 」と
して 再出発に向けて準備している。 そのシ ステム 統合を成功さ せ、投 資家を 満足さ
せられる売買処理システムを実現させられるかどうが、問われている。
超高速取引・高頻度取引を規制する動きも
さて、超高速取引・高頻度取引化は、新たな問題を引き起こしている。証券取引
が高 性能のコンピュータとアルゴリ ズム取 引によ る高頻度取引 に依存 する結 果、 人
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間の 感知できない、制御 不能なブラ ックボ ックス 部分を拡大さ せてい る。
すなわち、超高速のスピードを競い合う個々の売買システムが自分に有利な取引
を目指すことが、売買システム間の相互干渉を不可避にし、システム全体が予測不
能な行動を興し不安定化させるリスクを高めている。
世 界の証券取引所は、このシステ ムリス クにど う対処すべき かにつ いて、 様々な
取 り 組 み を 模 索 し て き て い る 。 こ の リ ス ク が 顕 在 化 し た 現 象 が 、 2 年 程 前 の 2010
年 5 月 6 日、ニュ ーヨー ク市場 で発生したのである。
わずか数分の間にダウ平均が大きく乱高下するという衝撃的な事件であった。そ
れは 、証券市場に大きな影響を及ぼ すよう な事件 や事故といっ たニュ ースが ないの
に、原因不明の事故が発生したからである。
こ の 事 故 の 現 象 は 、「 フ ラ ッ シ ュ ・ ク ラ ッ シ ュ 」( 瞬 間 暴 落 ) と 呼 ば れ る よ う に な
っ た 。2010 年 10 月 1 日 に 公 表 さ れ た 証 券 取 引 委 員 会( SEC) / 米 商 品 先 物 取 引 委
員 会( CFTC)に よ る 報 告 書 で も 、「 複 数 の 要 因 が 重 な っ た た め で あ り 、未 だ 明 ら か
では ない」としている。 専門家の分 析でも 、原因 は特定できて いない のであ る。
この問題の本質は、全体が複雑系なシステムとなり不安定化し、予測不能な状態
に陥るため、個々のシステムの設計や運用の努力では、本質的に解決しない。
個 々のシ ステム障害の問題であれば 、開発者や 運用者 側が、誤発注や、バックア
ップシステムといった設計ミスや不注意を減らす対策を徹底すれば、システム障害
を大幅に少なくすることは可能になる。
上述のニューヨーク市場でのフラッシュ・クラッシュの際に、暫定的に導入され
た 対 策 が 、「 サ ー キ ッ ト ブ レ ー カ ー 」
( Circuit Breaker)で あ る 。株 価 が 乱 高 下 し た
際に 、個別銘柄単位で取引を中断さ せる措 置であ る。しかし、 これに ついては問題
点も少なくなく、最善策を探る論議がすすめられている段階である。
ま た 、 こ の 超 高 速 取 引 ・ 高 頻 度 取 引 を 悪 用 し た 事 件 も 発 覚 し て い る 。 2012 年 9
月 14 日 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 証 券 取 引 所 は 、 売 買 情 報 を 特 定 の 顧 客 に 先 行 し て 提 供 し た
と し て 、 米 証 券 取 引 委 員 会 ( SEC) か ら 500 万 ド ル ( 約 3 億 9000 万 円 ) の 罰 金 を
課されている。
こ のような問題や事件を背景とし て、今 月に入 って、高頻度 取引を 規制し ようと
す る 政 府 の 動 き が 、報 じ ら れ て い る 。「 ド イ ツ 政 府 は 26 日 の 閣 議 で 、高 頻 度 取 引 を
制限 する法案を承認し、金融市場の 規制強 化を目 指している」 と、ブ ルーム バーグ
( 2012 年 9 月 26 日 ) は 伝 え て い る 。
ま た 、 ア メ リ カ で は 、「 米 上 院 銀 行 委 小 委 員 会 の 株 式 高 頻 度 取 引 ( HFT) に 関 す
る 公 聴 会 で 、 株 式 取 引 所 と HFT 企 業 に 対 す る 規 制 を 強 化 す べ き だ と の 見 解 を 示 し
た 」 と 、 ウ ォ ー ル ス ト リ ー ト ジ ャ ー ナ ル ( 2012 年 9 月 24 日 ) と 報 じ て い る 。
世界の証券取引の超高速取引・高頻度取引化がもたらす課題と対策、これと表裏
一体 の証券取引所の再編 については 、今後 の動き に注目したい 。
( TadaakiNEMOTO)
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