パリ、アムス 気ままな夫婦ふたり旅 昨年 10 月、私が古稀を迎えた記念

パリ、アムス 気ままな夫婦ふたり旅
昨年 10 月、私が古稀を迎えた記念に、モンサンミッシェルへ行ってみたいとい
うという妻の希望から、北フランスツアーに参加しました。オンフルール、ルーア
ンなどいい街で、それはそれで満足したけれども、期待していたパリでは一日半し
か滞在できなかった。そこで、翌年にはパリで 1 週間ほど、ゆっくり滞在する旅を
してみたいと決めていました。
そこへ 12 月、大阪府庁勤務時代の後輩で海外経験豊かな U 氏(いまは資格を取
って海外旅行取扱専門の株式会社周を経営している)からメールが届いて、KLM
が日本就航 50 周年記念に来年 2 月末まで限定でヨーロッパ往復 3 万円(オイルサ
ーチャージャー別)のチケットを売り出すという。言葉に不安はあったけれど、美
術館巡りと音楽を聴く旅を思い立ったところ、妻も乗り気になってくれました。
早速、U 氏に航空券の手配をお願いし、残っていた座席の関係上、日程は、2
月 13 日出発、22 日帰国と決まりました。
アムステルダム 2 泊、パリ 6 泊のホテルも、
「バスタブ付きのツインルーム、湯
沸しサービスがあること」という 3 つの条件をつけて手配をお願いし、彼は立地も
格も申し分のないホテルを安い料金で予約してくれました。
事前に自分でやったことは、まずKLMのサイトから往復とも少しでもゆっく
りできる座席の指定です。
次にパリ滞在中に予定されているオーケストラとオペラの公演を見つけてチケ
ットを買うことでした。基本はフランス語で書かれているので悪戦苦闘したのです
が、U 氏の助けも借りて、何とか安くて納得できる席を確保しました(パリ管は2
階席中ほど、右側の席で一人 34 ユーロ、オペラは 3 階席左バルコニー、舞台近く
の席で 37 ユーロ)。苦労の甲斐あって、国内取扱店から買うのに比べると約 3 分
の 1 で買うことができ、氏からは「手作りの旅行ですね」とお褒めの言葉をもらい
ました。その際、次のような助言も受けました。
「日本人は甘く見られているから、舐められないように、小さなことでも主張
すべきはちゃんと主張してください」
旅行初日。スキポール空港で、飛行機から旅への一歩を踏み出した私たちは、
とにかく荷物を受け取らなくちゃ、と横文字を拾いながらバゲッジホールへと向か
いました。その表示が見えなくなったところに入国審査がありました。どうやら、
入国してから荷物を受け取れということです。
そこは何事もなく通ったのですが、税関では私たち二人だけがアジア人だった
からか、旅行カバンを空けて中味を調べられました。特に持参した薬類については
うるさく尋ねられました。やはり、麻薬類について取り締まっているのでしょう。
アムステルダムには、いわゆる“ドラッグ”を公然と売っているところがある
と聞いていたのですが、それでも密輸入には厳しいということでしょう。
空港からアムステルダム中央駅へは電車で約 20 分。同駅は東京駅建設の際、そ
のモデルに選ばれたというだけあって、威風堂々として美しい建物でした。
目指す 5 つ星のNHバルビゾンパレスホテルは、駅前広場と運河を隔てた通り
に面しており、その看板が真正面に見えて、ひと安心。
広場には斜めに市電が走っており、信号が全くないのに、その線路を多くの人
がごく普通に横断しています。私たちもスーツケースを押したり引いたりしながら
線路を横切りました。日本ではこんなこと有り得ないだろうな、と思いながら…。
運河にかかった橋の上から水面に目をやると、前週ヨーロッパを襲った歴史的
な寒波の名残でしょう、2~3 センチの厚さの氷が割れているのが見えました。現
地の人も「先週はとても寒かった」と言っていました。
ホテルは横に連なったオランダ風の建物を、外観を残したまま内部を改装した
もので、中は落ち着いたたたずまいにしてありました。ホテルに付属して 3 ツ星レ
ストラン「フェルメール」があり、かなり有名とは聞いていたのですが、値段が高
そうなので、気の小さい私たちは一度も入りませんでした。
アムステルダムでは、移動に市電を利用し、国立博物館、ゴッホ美術館(予想
したよりはるかに充実しており、ゴッホの絵の変遷がよくわかっただけでなく、ミ
レー他オランダ同時代の有名な画家が描いた絵のコレクションが豊富でした)、ア
ンネ・フランクが隠れていた家などをゆっくり観ました。
パリに移動する日の午前中は、市がここを起点に発展したというダム広場(河
を堰き止めた後、埋め立てた)に行った後、4~5 階建ての 17 世紀の建物が運河沿
いに並ぶ道を少し歩きました。
運河には、白鳥や鴨、かもめ(の仲間の鳥)が数多く憩うところもあるし、
「ボ
ートハウス」と呼ばれる民家がずらりと連なるところもあります。
ボートハウスを目にした後、下排水の処理に思いを巡らしていたところ、汲取
車がまさに作業している懐かしい光景にぶつかりました。かの家も多分、そのお世
話になっているに違いありません。
アムステルダムの街を歩いていて目立つのは、運河の他に自転車専用道です。
主要な道には幅 1 メートル以上の専用道が設けられ、ところどころに無人貸自転車
がズラリと並んでいました。だからでしょうか、街中に自動車が少なく、自転車が
やたら多い、という印象を受けました。
ただ、私たちは慣れないものだから、うっかり自転車専用道を歩いていて、後
ろからチリンチリンと何度も鳴らされました。
時間が余ったのでレンブラントハウスにも行きました。ここには初期のエッチ
ング作品が多く、それを観ていて、巨匠と呼ばれた画家のデッサンの正確さが素人
の私にもわかりました。だからレンブラントは素晴らしい肖像画を後世に残すこと
ができたのだと思いました。
帰国後に改めてインターネットにアクセスしていて発見(?)したのですが、
アムステルダムには「セックスは世界一自然な行為」と謳ってセックスに因む絵や
彫刻をはじめ様々なものを展示する「ヴィーナスの神殿」なるミュージアムがある
ことに気がつきました。売春が合法である国の面目躍如です。よく調べて行かなか
ったことを残念に思いました。ただ、もし知っていて私が「行ってみよう」と言っ
たら、妻はきっと鼻白んだに違いないけれど。
オランダは交易(商業)によって栄えるようになり、スペインの支配から八十
年をかけて 1640 年頃独立を勝ち取りました。発展を遂げていく過程では、市民が
街を自衛したようで、そのことはホテルのロビーに飾られていた大きな絵でも分か
りました。
集団肖像画なのですが、描かれていたのは、大商家の息子たちです。彼らは、
外敵から街を守るのは自分たち「エリート」の使命だと自覚していたとのことです。
軒を連ねる家々の壁に×がタテに 3 つ並んだ紋章が描かれているのをよく見か
けました。ホテルのコンシェルジェに何の徴かを尋ねると、
「それは、1、勇気を持
とう。2、苦労を分かち合おう。3、英雄的に戦おう、を表しているのだ」と誇らし
げに教えてくれ、昔のオランダ人の気概に心打たれました。尤も、宗教的な別の意
味合いがあるとの説もあるようですが…。
パリへは時速 300 キロというタリスで行ったのですが、車窓からの景色で、フ
ランスは農業国だということがよく分かりました。だからでしょう、パンの味は他
のどの国よりもいいと思いました。
乗車した列車内のことです。チャイニーズの中年女性がケータイで話し始めま
した。周りの人から注意され、多少小声になったのですが止めようとしません。
延々小一時間、たまりかねた私はメモ用紙に「アウトサイド! オア・キープ・
サイレント」と英語で書いて女性の目の前に突き出し続けました。しばらく無視し
ていた彼女も 30 秒くらいしてからメモに目をやり、ギクッとした感じでようやく
話を止めました。
痛快に思った妻からは、☆3 つをもらいました。
その御蔭でしょうか、乗った列車の故障により別仕立ての列車に乗り換えが必
要になるというハプニングがあった際、ボーッとしている私たちに後ろの若い女性
と近くの席にいた初老の米国人男性が親切に教えてくれ、事なきを得ました。都市
の名をいくつも挙げて、日本にも何度も行ったことがあるという旅慣れた彼は、乗
り換えの車両まで離れずに来てくれたので、その親切に大いに感謝をいたしました。
4時間弱の鉄道の旅の後、パリ北駅で下車したのですが、出口まで来たとき、改
札口が全くなかったことに気付き、とても奇異に感じました。思いだすと、アムス
テルダム駅の場合でも、不思議な光景を見ました。コンコースの中ほどまでに 4~
5 台の改札機が設けられており、それに切符を通す人もいれば、その横を素通りし
ていく人もいたのです。どうも、ヨーロッパの鉄道は車内検札が原則のようです。
パリの宿、コンコルド・オペラ・ホテルはサンラザール駅前で、どこへ行くに
も便利な立地でした。1 泊 1 万 5 千円に満たない値段(食事はなし)なのに、各日
30 ユーロの飲食ボーナス付きだったので毎晩のようにバーに行き、美味しいマン
ゴー・ジュースなどで寛ぎました。コンシェルジェがとても親切で、地下鉄での行
き方は勿論、ブイヤベースを食べさせる料理屋も紹介してくれました。
パリ滞在中は、雨模様の日は広壮なルーブル博物館や新装なったオルセー美術
館に一日浸りました。
オペラ(イタリアもの)はシャンゼリゼ劇場で観たのですが、持参した E チケ
ットのバーコードを読み取るだけで直ぐに入場できました。歌手はほぼ全員イタリ
ア人で声が良く、ホール全体が楽器のように感じられ、オペラの醍醐味を味わいま
した。次の旅行でも、イタリアのどこかの都市とパリとで、ぜひオペラを観ようと
思ったぐらい、いい思い出になりました。
天候に恵まれた日には、気ままにあちらこちらと行きました。御蔭で、凱旋門
はもちろんのこと、エッフェル塔やモンパルナスタワーの天辺から市街を眺めるこ
ともできました。
18 世紀から今に続く大規模で美しい街並みは、
“素晴らしい”の一語に尽きます。
あの街並みは実需が産み出した建築群です。決してバブルの所産ではありませんか
ら、その経済規模、内包する文化的水準の高さには、ただただ感嘆するばかりです。
パリで移動に使った地下鉄、バス、タクシーについて。
地下鉄の切符を買うのが一苦労でした。券売機はフランス語表示なのでオロオ
ロしていると、後ろから中年のビジネスマンが教えてくれたり、若い日本人旅行者
を見つけて教えてもらったりして、何とか買うのに慣れていきました。6 日の滞在
中、乗り降りした駅は 15 に達していました。
地下鉄に乗車するとき改札機に切符を通すのはどこでも同じですが、降りると
きは出口のドアを押すだけで外に出ることができます。切符が区間制料金になって
いるにもかかわらず、です。
「ごまかす人もいるのではないか」と思っていたところ、ある駅で出口の前に
制服姿の数人が立ちはだかっているのです。「さてはどこかで事件が起きて、取り
調べでもあるのか?」と身構えたら、さに非ず。
「切符を見せろ。」というのです。ポケットの中には未だ捨てていなかった切符
が何枚もあって、どれが今の路線で使っているものかわからなかったけれど、多分
これだろうというのを示すと、「OK!」と言われて安堵しました。やはり、たまに
は検札があるのだ、と納得しました。
パリの地下鉄は縦横に整備されているのですが、どの駅でも乗り換えのためホ
ームとホームをつなぐ地下道が長くて、膝に故障を抱える妻は難儀しました。それ
と不思議だったのは、切符販売窓口員と検札をした駅員以外は駅員を全くと言って
いいほど見かけなかったことと、トイレが至って少なかったことです。
困ったとき誰に訊ねたらいいのだろうか、トイレに行きたくなった時はどうし
よう…、多少心配でした。
バスの運転手さんは大抵親切です。パリ北駅でタリスから降車の後、タクシー
乗り場を探しつつ通りに出たら、目指すホテルのあるサンラザールを経由するバス
があるので、運転手に英語で下車駅とホテル名を伝えてそれに乗りました。
サンラザールの一つ前のバス・ストップを過ぎると、運転手さんが「ネックス
ト・ストップ」と教えてくれ、下車の際にも、身ぶりを交え「一つ向こうのブロッ
クの右側に(そのホテルが)あるよ」と親切に教えてくれているようでした。私た
ちを降ろしたバスは、交差点を左折していきましたが、そのバスを見送りながら、
到着早々嬉しい思いに頬が緩みました。
ただ、バスではこんなこともありました。慣れない私たちが前の乗車口から乗
車し、下車の際、女性の運転手さん(パリは女性運転手が多い)に料金を払おうと
したら、文句を言われました。どうやら「中ほどの乗車口からチケットを買ってか
ら乗るべきだったのに、なぜそうしなかったのか?」と言っているようです。言わ
れて、私たちは下車専用口から乗ったのだと気がつきました。
「アイムソリー、バット…」と言いながら料金を払おうとすると、その女性の
運転手はチッと軽く舌打ちして、お金は払わなくていいから降りろ!という仕草で
す。時間をとらせても申し訳ないから、お詫びとお礼を言いながら降りたのですが、
運転手にしてみれば、払うと言われても料金箱がないのだ、ということなのでしょ
う。
タクシーは、パリ市内の渋滞が激しいからでしょうか、小型車(ハイブリッド
車のようでした)ばかりでした。地下鉄で行くと乗り換えが不便な場合に使ったの
ですが、料金は最低料金が4ユーロしなかったから、意外に安いと感じました。
パリを発つ日、コンシェルジェの勧めで、ホテルから空港まで 50 ユーロという
条件でタクシーに乗り、快適に行ったのはいいのですが、降車の際「現金でなけれ
ばダメだ」と言われたときは、慌てました。もう現金を使い切っていたからです。
空港の両替所に駆け込みましたが、レートが信じられないほど悪くて、現金をもっ
と残しておくべきだったと後悔したものです。
最後に、U 氏の助言が生きた話ですが、前に書いたホテル向かいのレストラン
に入ったときのことです。
「コンシェルジェの紹介で来てくれたから」とシャンパングラスのサービスが
ありました。嬉しい思いで飲んだのですが、支払のとき勘定書を見ると、それも請
求されているではありませんか。
私がおぼつかない英語で「これはサービスだと聞いたよ」と言うと、それまで
愛想の良かったウェイトレスが途端に嫌な顔をし、バスの女性運転手同様、軽く舌
打ちをして引き下がりました。パリの女性は割と舌打ちが多いようです。でも、改
めて持ってきた請求書からはシャンパンの請求額は消えていました。小さなことで
すが、主張していなければ、多少悔いが残ったことでしょう…。
この旅行では、ホテルで連泊したため毎晩思い通りに時間を過ごし、朝は、無
理のない時間にホテルを出、お腹のすき具合に合わせて料理を選び、ふと目にした
チョコレート菓子屋、オシャレな感じの土産物屋や衣料スーパーにふらっと入って
土産物を買うなど、全くマイペースの旅ができました。
買い物と言えば、この旅行で妻のブランド品への憧れがかなり変わりました。
フランスの娘さんは(男性もですが)、誰もが目鼻立ちが整って美形揃いです。
その彼女たちがルイ・ヴィトンのバッグを持っているのを一度も観ませんでした。
どっかり買いこんでいたのはチャイニーズで、それは 20 年前の日本人の姿だった
ようです…。妻曰く。
「フランスの女性は、だれも買っていないのに、私たちアジア人だけがバカみ
たいに有り難がって買っているのね。もう、ヴィトンなど買う気がしなくなった。」
買い物に因んで、男性のオシャレ感覚に感心した私の経験をひとつ。衣料ス-
パーで妻の買い物が終わるのを待っていたときのこと、二十歳すぎのカラードの青
年が脇目も振らずに入って来て、壁に掛けられていた 10 個ほどのハットのひとつ
を手に取るや否やサッと目深に被り、私に向かってニッと笑みを見せたのです。そ
のポーズの決まっていたこと!黒のハットがよく似合っていて、日本人にはないセ
ンスだと感じ入りました。
こうして、個人旅行ならではの体験をいろいろ重ねて私たちの旅行は終わりま
した。お世話いただいた U 氏に感謝しています。
厳寒期の二人だけの旅行のため、風邪を引かないか、大丈夫だろうか、と心配
していた妻が帰宅後洩らした感想です。
「何とかなるものね。」続けて「ルーブルやオルセーには何度でも行きたい。パ
リ管弦楽団のヴァイオリンの音色は今まで聴いた中で一番美しかったし、オペラは、
あらすじを読んでいったので言葉が分からなくてもとても楽しかった。とくに、気
ままに時間を使い、好きなように買い物ができたのが最高!大満足だったわ。」
というわけで、からだが元気で、どこへでも歩ける間に、楽しい思い出をつく
っておきたいと、もう次の計画を考える昨今です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。そして、次のようにお勧
めいたします。
「あなたも、このような気ままな旅をしてみませんか!」
(平成 24 年 3 月 20 日
大川記)