ぼくの将来の夢 薪小学校 6年 岩永 一輝

ぼくの将来の夢
薪小学校
6年 岩永
一輝
ぼくは、5年生の冬休みにギラン・バレー症候群という病気になりました。ギラン・
バレー症候群と言う病気は、突然体の色々な場所が痛むとともにマヒしてしまい動かせ
なくなる病気です。ぼくの場合は、足が痛くなって立てなくなり、何度病院に行っても
原因が分かりませんでした。徐々に顔が動かなくなってきて、やっと入院して治りょう
ができました。
ぼくは、しばらくの間ベッドにねたきりで座ることもできなかったので、もう前のよ
うに学校に行ったりサッカーをしたりできないかもしれないと不安ばかりで過ごして
いました。そんな不安を少し軽くしてくれたのは、J リーグで活やくしている佐藤寿人
選手が同じ病気を克服したと言う話を聞いた時でした。今はしんどいけれど治ったらま
たサッカーができるんだ。ぼくも絶対病気を治してサッカー選手になりたい。と前向き
な気持ちになれました。
病状が落ち着いたころ、サッカーチームのコーチがお守りと千羽づるとみんなからの
手紙を持ってお見まいに来てくださいました。千羽づるをよく見ると羽の所に『絶対治
る』
『がん張れ!』などと書いてありました。それを見て、またみんなと一緒にサッカー
がしたいなぁと言う気持ちがどんどん強くなるのを感じました。
ある日、京都サンガ FC の倉貫一毅選手がぼくが病気で入院している事を知ってお見
まいに来てくださいました。倉貫選手はベッドの横に座ってマラドーナの話や新加入選
手の話、ぼくが、出場出来なかったサンガカップの話などをしてくれました。色々な話
をした中でぼくが印象に残っているのは、
「一輝は5年生だからまだ1年残っている。サンガカップは来年もある。同じカヅキ同
士がん張ろうな。治ったら一緒にサッカーしような。」
と、言ってくださった事です。そして、
『今度一緒にサッカーしよう。』と書いた自分の
ユニフォームをプレゼントしてくれました。この日は薬の副作用ですごくしんどかった
けれど、とてもうれしくて、さっそくユニフォームを着て一緒に写真をとりました。
3学期が始まるころ、まだぼくは一日のほとんどをベッドで過ごしていました。なん
で自分ばっかりがこんなイヤな目に合うのかと腹が立ったりもしたけれど、またサッカ
ーがしたいという思いで毎日の痛いリハビリも検査もガマンする事ができました。
2月になって、週末は家に帰れるくらいに回復しました。外出禁止だったけれど、ぼ
くはどうしてもサッカーの練習を見に行きたかったので、お父さんに頼んでグラウンド
に連れて行ってもらいました。久しぶりに見たチームメイトはいつも通り元気に練習し
ているのに、ぼくはまだ車イスだったので、みんなの事がすごくうらやましく思いまし
た。
病院に戻ってからは、今までよりももっともっとリハビリをがん張りました。みんな
と一緒に練習がしたい。佐藤選手のように、プロになって、倉貫選手のように、いつま
でもプレーがしたい。そんな思いでリハビリの時間以外も病とうを歩いたり、ベッドの
上で体そうをしたりしていました。
今ぼくはリハビリに通いながらも普通に学校に行き、体育の授業も受け、サッカーの
練習にも参加する事が出来ています。試合に出てシュートを決める事もあります。体が
動かせて、大好きなサッカーが出来る事がとてもうれしいけれど、まだ少し動きにくい
ところや痛いところが残っています。もっともっとリハビリをがん張って早く元通りに
体を動かしたいです。そして、一生けん命に練習をして、プロになって、病気の子ども
がぼくを見て『自分もがん張るぞ。
』と思ってくれるような選手になりたいです。