キャリアあれこれ - 東北大学病院看護部

キ ャ リ ・ プ ロ 通信
-キャ リアあ れこれ vol. 30
2014.March 発行元:業務 KAIZEN 副師長会
第 30 回は、集中ケア認定看護師の資格を持つ西6階病棟の上溝耕平さんと、3月いっぱいで退職される石井副看護部
長さんにお話を伺いました。
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-呼吸療法認定士になってからは、呼吸セミナーなど
の講師をされていたようですね。その後集中ケア認定
集中ケアって
看護師目指した理由を教えてください。
楽しい!
上溝さん その当時はTNADSのレベルⅣを申請しようと
西6階病棟NICU
思っていて、自分の将来像を考える時に、組織から自分
上溝 耕平さん
は何を期待されているのかということを考えてみました。
(集中ケア認定看護師)
まず、「自分はICUが好き!」「ICUはこんなに楽しいところ
だよということをいろんな人に伝えたい」と思っていました。
―上溝さんは、集中ケア認定看護師を取得後、現在西
「すでに集中ケアCNが2人いるけれど、違うキャラの認
6階NICUで副看護師長として、そして豊富なICU経験を
定がいてもいいかな。認定になってICU看護の楽しさを伝
生かして新生児看護を実践されています。
えることが期待されているのかもしれない」という思いでC
はじめに、上溝さんが看護師になろうと思ったきっかけ
Nを目指しました。
を教えてください。
-半年間学んだ認定の研修学校で一番心に残ってい
上溝さん まずは自分がスーツ姿で仕事するところが想像
るエピソードを教えてください。
できなかったことと、安定した仕事につきたいと思っていて、
上溝さん 認定を目指す同じ志を持った30人が全国か
受験ギリギリまで悩んだ結果、医療短大に進学して看護師
ら集まったのでとにかくいろんなことを話しましたね。学校
になりましたね。
で話し、ファミレスで話し、それでも足りなくて居酒屋でま
―看護師になってから、心に残っているエピソードを教え
た同じ話題で話し、・・・毎週飲み会していましたね(笑)。
てください。
この同期達と年1回学会で再会して話すことも、自分の
上溝さん 重症病棟から異動になる時に、移植を受けた患
ストレス解消になっています。
者さんから手紙をいただいたんですね。移植前に転院して
-集中ケア認定看護師として4年目になりますが、今
きてから関わって自分なりに考えた看護を実践してきた患
後上溝さんはどんな認定看護師として活躍したいです
者さんでした。手紙には、「自分には上溝さんの看護がよか
か?
った!」という内容のことが書いてあって、やりたい看護をし
上溝さん NICUへ異動した時は、自分の今までの看護
て患者さんに認めてもらえたということが大きな励みになりま
を生かせるのかな?と思ったけれど、侵襲を受けた子ど
した。
もが大勢いて「集中ケアってどこでも使えるじゃない!」と
-看護師16年目になる上溝さんの看護人生の中でここ
思いましたね。今後は副看護師長として人材育成に取り
が転機という時はありましたか?
組むこと、副師長と認定看護師という立場からは認定や
上溝さん 最初は重症病棟に異動した時ですね。とても厳
資格をとったスタッフが力を生かせるような環境づくりに
しいと思う先輩がいたのですが、常に患者さんのことを考え
取り組みたいですね。
て 100%行動するその姿を自分は尊敬していました。それ
いつもイキイキという言葉がピッタリ似合う上溝さん。
から、麻酔科H医師に出会ったことですね。重症患者につ
多くの看護師に「集中ケアって楽しい!」ということをこ
いて多くのことを指導していただき、今の自分があるのはこ
れからも伝えていただきたいですね。今後もご活躍を
の二人がいたからだと今も思っています。
期待しています。
もう一つの転機は重症病棟に異動して4年目くらいの時
(インタビュア:東1階 設楽恵子)
に、生後二日目の先天性心疾患の新生児の入室を担当し
たことがあったんです。治療の甲斐なくその勤務の終わりに
亡くなってしまいました。その時、親御さんが「生まれてから
まだ誰にも抱っこして名前を呼んでもらって
いないのに・・・」と話され、自分の非力さを
痛烈に感じた時でした。それまでは重症病
棟からの異動を考えていたのですが、もっと
ここで勉強しなければ!!と思いました。そ
の頃に、その麻酔科医師の勧めもあって呼
吸療法認定士になりました。
趣味と看護の仕事
を一生続けるつもり
です!
看護部
石井 幹子副看護部長
―看護師を目指したきっかけは何かありますか?
石井さん 最初は看護師になることは、少しも考えていませ
んでした。先に医療短大に入った検査科の友人が、看護で
二次募集があるって教えてくれて、進学することにしました。
―他に何かやりたいことがあったのでしょうか?
石井さん ずっとカトリックのシスターになりたかったんです。
その後高校で茶道部に入ったとき、茶道は宗教的でシスタ
ーに通じるものがあると思って、茶道の先生になりたいと思
いました。シスターになるのも大変だけど、茶道の先生にな
るのも大変で、友達から看護師と言われたとき、両立できる
かしらと思って心配しました。
―茶道はずっと続けているのですか?
石井さん 3 年目で夜勤のリーダーが始まったら、茶道をし
ているどころではなくなりました。茶道では、30 歳になったら
お名前をもらえるのですが、私は「宗看」と言って、看護から
一文字とった名前を頂いています。
―大学病院で最初に就職した科はどこですか?
石井さん 最初は第一外科でした。学生のころから一外を
まわっていて、3 年生の時は夏休みに一外でアルバイトもし
ました。それから 16 年間いて、途中で副師長になりました。
その後、救急部の副師長として ICU にいきました。ICU は院
内留学で行ったとき、ここで仕事をしてみたいと思ったので、
配置になって嬉しかったです。でも、実際小児を受け持った
ときはカテコラミンの調節の仕方など、どうしたらいいかわか
らないことがたくさんあって大変でした。勉強もしないで、帰り
にパチンコ屋によって気を紛らわすという日々でした。
―パチンコは意外ですね。悩んだ時期はありますか?
石井さん 看護師になって5,6年目のときに、とっても悩
んでいた時期があって、ちょうどそのとき岩井郁子先生の講
演を聴きました。とても感激して、駅まで追いかけて行って、
「先生すごくよかったです」と言ったら、「あなたがどんな看
護をしているか見えるようだわ」と言われました。そのときは、
会ったばっかりの私の何が見えるのだろうって思ったけど、
後になってわかりました。夜勤師長の巡回のとき対応してく
れた看護師の姿から、この人こんな看護しているんだろうな
っていう、そのとき掴めていたイメージが今もずっと残ってい
ます。
―岩井先生のお話は、どのような内容でしたか?
石井さん 看護は、やはり実践なんだっていうお話でした。
手を使って看護することが大事なことだというお話しだけが、
今もずっと残っています。
―今までいろいろなことをされてきましたが、モジュール
型看護体制を導入したのは、石井さんが最初でしたね。
石井さん あのときは、副師長会でモジュール型の勉強会
をしていて、日替わり受け持ち制だった中で、違うことをしよ
うという話になりました。私がモジュール型を取り入れたいと
言ったことを、副師長さんたちが形にしていってくれました。
毎日重篤な疾患の患者さんを受け持つのは皆大変だった
と思うけど、患者さんと私の満足度は大きかったと思いま
す。
―石井さんは、いつもたくさん勉強していらっしゃいますよ
ね。
石井さん 勉強はそれほどしていません。
私は、いつも自分に足りないと思っていま
す。何かを学んできて、何年かしてやっと
それが役に立って、それでやっとなんとか
自分を保っていられるのだと思います。
―今まで長く携わってこられた看護管理において、気を付
けていたことなどはありますか?
石井さん 私は自分が怖い先輩って思われていたという意
識が強いので、なるべくその人をつぶさないようにと思って
いました。
―後輩に何かアドバイスをお願いします。
石井さん 今の人はとてもしっかりしているし、知識も技術も
あるし、アドバイスと言えるものはないです。ただ、みんなが
つぶれないように、元気で働いていてほしいなと思います。
今は、つぶれる人が多くてもったいないですよね。看護師さ
んは真面目でいい人が多いから、患者さんを守ろうとしてス
タッフには厳しくなるのだと思います。一緒にやっていこう、
お互いを守ろう、お互い手をとりあって進んで行こうという意
識より、患者さんを守ろうという意識が強いのだと思います。
あと、人生は長いので自分を大切にしてほしいと思います。
私も趣味と看護の仕事を、一生続けるつもりです。
―副看護部長という組織の大きな柱である石井副看護
部長、これからもますますのご活躍をお祈り申し上げます。
今後も患者さんとご家族のサポート、そして私たち後輩の
ご指導をよろしくお願い致します。ありがとうございました。
(インタビュア:西 14 階 佐々木 夫起子
東 1 階 松井 憲子)