新しいゲームが生まれる日?(2012.1.22)

新しいゲームが生まれる日?
―コンピューター将棋私感―
先日、将棋の話題がニュースで大きく取り上げられた。「男性プロが初めてコンピュー
ターに敗れる」というものである*1。
勝ったのは富士通研究所の伊藤英紀氏が開発したボンクラーズで、敗れたのは元名人で
現日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖である。
この対局は注目を集めていたし、男性プロがコンピューターに負けたのは初めてである
から確かに大きな出来事であるが、私自身はそれほど驚かなかった。その最大の理由は米
長さんがすでに現役ではないということである。
全盛期の米長さんは間違いなく一時代を画した棋士である。中原誠永世名人と共に「米
中時代」を作った名棋士である。昭和の棋士のベスト 10 を選ぶとすれば、そこにエントリ
ーすることは間違いない(以下敬称略)。
このように、米長が昭和を代表する名棋士であることは間違いない。しかし、そのこと
と今回の結果は別である。米長が現役を退いてから 10 年近く経つし、今若手の棋士と指し
てもおそらく勝てないであろう。そういう意味で、今回の結果を以て、「男性プロがコン
ピューターに負けた」と騒ぐのはどうかと思うのである。
もちろん、引退したといってもプロの実力はとてつもないものである。普通のペーパー3
段(実は私もそうであるが)なら、プロが本気で負かしに来たら 2 枚落ち(飛車角落ち)
でもまず勝てない*2。それはそうであるが、それにも増して今のコンピューターはとてつ
もなく強いのである。
コンピューターは何が強いのか。終盤が強いのである。特に、即詰みがあることがわか
るともう逆転はできない。
そういう意味で、今回、序盤人間がリードしながら逆転されたということの意味は大き
い。先行逃げ切りができなくなると、人間が勝てる要素が相当限定されるおそれが強い。
ここで、私が想像する近未来の将棋界像を書いてみたい。そこではおそらく、コンピュ
ーターが「プロ」(的なもの)として、人間と並んで対局しているであろう。そして、お
そらく並の人間のプロは彼(彼女?)たちコンピューターに勝てないであろう。しかし、
それでもコンピューターがトッププロと 7 番戦って 4 番勝つ(つまり、タイトルを取る)
ということはないのではないかと思っている。
このような近未来が来るのかどうかはわからないが、いずれにせよ、コンピューターが
台頭してくることで将棋は間違いなく質的に変化すると思われる。
上でも書いたように、コンピューターはまったくプレッシャーを感じない。人間の将棋
でよく「ふるえる」という表現が使われる。これはプレッシャーのために、最短の/簡単
*1 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120117-00000083-it_gadget-game
*2 実際の指導将棋の場合はお客さんであるアマチュアに花を持たせるために、アマが定跡通りに指して
きたら緩める(力を抜いて負けてやる)のが普通であるが、もし本気で(例えば、賞金がかかるなどの形
ちなみだ
で)プロが負かしにきたらとても勝てるものではない。このあたりの事情は山口瞳『血涙十番勝負』『続
血涙十番勝負』(いずれも『山口瞳全集第十一巻』(新潮社))に詳しい。
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な勝ちを見逃したりすることを言うが、こういうことはコンピューターにはありえない。
そして、これが決定的なことだが、物理的に即詰みがある局面になると、自動的にゲーム
オーバーになってしまうのである*3。
このように、将棋というゲームが質的に変わってしまう可能性があるわけだが、それは
将棋というゲームから人間性を剥奪することになるかもしれない。「将棋は逆転のゲーム
である」と言われる。実際、理論的に考えても、チェスには引き分けが非常に多いのに対
し、将棋では引き分け(千日手または持将棋)はかなり少ない。これは、将棋は取ったコ
マが再使用できるため終盤になっても選択可能な手の数がそれほど減らないためである。
そして、選択肢が広いということから必然的に(少なくとも人間同士の戦いでは)逆転
が起こりやすいのである。
昭和以降の最強の棋士として大山、羽生を挙げることに異論がある人はいないと思われ
るが、2 人共通するのは、不利な局面になったときに、相手に間違えさせることの名人で
あるという点である*4。7 冠を取ったころの羽生は「羽生マジック」を使うと恐れられたし、
全盛期の大山を前にすると、「神武以来の天才」加藤一二三や二上達也といった俊才がい
とも易々とねじ伏せられてしまったのである。
将棋が逆転のゲームだということを最も表したのは升田-大山の「高野山の決戦」であ
ろう。このとき、升田が勝っていれば、将棋の歴史は大きく変わっていたかもしれない。
二者択一の、しかも、升田を以てすれば間違えようがないはずの手を升田は誤り、その後
大山の後塵を拝し続けることになる。
もう 1 つ私の印象に強く残っている逆転劇がある。1998 年 2 月 28 日、羽生善治と村山
聖(さとし)との間で戦われたNHK杯戦の決勝である。この直前、村山はA級復帰を果た
した。しかし、その直後ガンの再発を告知され、次期の休場を一人心に決めていた。村山
は羽生から名人を取るためにA級に戻ろうとガンのため膀胱摘出の大手術をしてまで 1 年
間戦い、やっとつかんだA級の座を自ら諦めなければならなかった。ここで 1 年を棒に振
ることは死の宣告に等しかったはずである。そうしたことを内に秘めながら、村山は宿命
のライバルである羽生と戦った。そして、その将棋は素人目にも村山必勝になっていた。
あと 1 手村山が正しい手を指せば、羽生は投了したであろうし、その手は私でもわかるほ
ど易しいものであった。にもかかわらず、村山はその手を逃し、羽生の前に敗れた。その
瞬間の羽生の申し訳なさそうな顔、村山の呆然とした表情、テレビに映し出された両者の
コントラストはあまりにも印象的なものであった。そして、その半年後、村山は 29 歳で逝
った*5。
こうしたドラマは「将棋が逆転のゲーム」だからこそ存在する。コンピューターが人間
とリーグ戦を戦っているとき、私たちはこうしたドラマを見ることができるのだろうか。
(2012 年 1 月 22 日)
*3 これは絵空事ではない。現在の市販ソフトでも、詰め将棋を解かせたらその解答速度はすさまじく速
い。詰みがあるというのは答えがあるということなので、コンピューターにとってはお手の物なのである。
*4 これは将棋を観ることの達人であった故真辺八段他多くの人の指摘するところである。
*5 この間の事情は大崎善生『聖の青春』(講談社)に詳しい。ちなみに、この本は村山の魂が大崎に乗
り移って大崎に書かせたと思わせる作品である。是非一読していただきたい。
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