8月の特別展「枝幸花散歩」

№ 151
2 0 1 2 年 7 月 1 9 日 発 行 でんわ:0163-62-1231
FAX:69-2121
8月の特別展 「 枝 幸 花 散 歩 」 を開催します
ミ ュ ー ジ ア ム 8月 の 特 別 展 は 自 然 を
テ ー マ にお届 けします 。今年 4月に配
布を開始した「枝幸自然・歴史マップ」
をもとに枝幸町内の各地で見られるた
くさんの花を豊富な写真パネルでご紹介します。
初夏、色とりどりの花々を咲かせる
神威岬、ハマナスに覆われた岡島海岸
砂丘、湿原の花々の咲く北見幌別川や
歌登六線の湿地、そして函岳の高山植
物など、枝幸の植物相は実に様々(写
真左上はキジムシロ、右はスズラン)。
市街地にあるような身近な花から高山の花、湿
原 の 花 、 海 岸 の 花 な ど 、 多 様 な 環 境に
生きる植物を展示します。
普 段 目 に す る こ と の な い 珍 し い 花も
た く さ ん あ る と 思 い ま す 。 写 真 左 は歌
登で撮影した「ヒロハヘビノボラズ」。
漢字で書くと「広葉蛇登らず」となり、
葉のまわりに細かいギザギザがあって、ヘビが登
ってこられないだろう…ということで名付けられ
★期間:平成24年8月11日(土)~9月17日(月)
観覧時間:午前9時~午後5時
休 館 日:休館日情報をご覧ください
★会場:ミュージアム1階ホール
★参加無料,事前申込不要です
ました。メギ科の落葉低木で6月頃にかわいらし
い黄色の花を咲かせます。
今回の展示では写真に加えて、ミ
ュージアムに収蔵されている枝幸地
方の植物標本を展示します。この標
本は、枝幸町文化財保護委員会の第
2代会長をつとめた故・山野井瑞穂さ
んのコレクションです。現在では枝幸から絶滅し
た花々も多く含まれています(写真はトキソウ)。
枝幸の花々を通して身近な自然に目を向けてみ
ませんか。色とりどりのお花の写真をご用意いた
します。この機会にぜひご来館ください。
地下収蔵庫を公開します
特別展に北前船模型を出品
例 年 開 催 し て い る 地 下 収 蔵 庫 の 公 開 事 業 を 、 8月 に
行います。ミュージアムの常設展示室にある資料は
全 体 の 5% ほ ど 。 残 り 95% の 資 料 は 地 下 収 蔵 庫 に 保
管 されてい ます( 写真右 )。
収蔵庫には目梨泊遺跡を
中心とする考古資料、ニシ
ン 漁や造材 などの 産業資 料、
デスモスチルス化石、生活
資料など、枝幸の産業・歴
史・自然・文化を伝える様々な「もの」でいっぱい
で す。ぜひ 、枝幸 町が後 世に伝 える資料 の数々 をご
覧 ください 。
先月開 催した特 別展「宗 谷のあ けぼの 」
に、北浜町にお住まいの山上浅良さんか
ら北前船の模型を出品いただきました。
今回の展示の中心になるのは、北前船
を描いた船絵馬です。新聞で特別展の開
催を知って少しずつ製作を
はじめ、展示に間に合うよ
うに完成させてくれたそう
です。本当にありがとうご
ざ いまし た。
木材を蒸かして部品を作
り、一つひとつ組み上げた
北前船は荷室や舵も精密に
復元されており、船の構造を知るまたと
な い展示 資料にな りまし た。
北前船は江戸時代の終わりから明治・
大正時代にかけて活躍しました。北海道
の 人々の 暮らしを 支えた 船だっ たので す。
公開期 間 : 8月14日 (火 )~ 16日( 木)
公開時 間 : 午前 10時か ら午 後4時 まで
収蔵庫だけの見学は無料ですが整理券が必要です。
受付カウンターにて配布しますので、お申し付けく
だ さい。ご 来館を お待ち してお ります。
函岳登頂記
… 特集・ 函岳の自 然①…
北海 道本島 で最北の 1,000峰、函 岳。
美深町の山というイメージがあります
が、函岳山頂は枝幸町、音威子府村、
美 深町の3つ のまちの 境界で す。
函 岳 ( 1129.3m) か ら 屋 根 棟 山 ( 955m) へ
と 続 く 山 並 み は 、「 枝 幸 の 屋 根 」 と も 言 え る 高 山
帯。函岳の調査はこれまで名寄市や士別市の博物
館、市民団体が中心になって行ってきましたが、
枝幸町にとっても大切な山です。函岳の特徴的な
自然を記録することは、枝幸の宝ものを後世に伝
えるための第一歩になります。ミュージアムと文
化財保護委員会では、函岳の自然環境を記録する
た めの取り 組みを はじめ ること にしまし た。
枝幸側から函岳に登るためには歌登大曲の「天
の川トンネル」手前で旧道に入ります。ここはか
つて歌登から美深の仁宇布に抜ける街道で、昭和
初 期まで駅 逓(松 田駅逓 )があ りました 。
旧道から林道に入り、徳志別
川源流の沢をいくつも越えてい
く と タ ケ ノ コ の 名 所 、「 加 須 美
峠 」 に 出 ま す ( 写 真 右 )。 標 高
700mを 越 え て い ま す が 、 林
道沿いに湿地帯が生まれ、ワタスゲやキンバイソ
ウの仲間が繁っています。加須美峠から尾根沿い
に 林道を進 むと 、次第に 風景が 変わっ ていき ます。
針葉樹と広葉樹が入り交じった森には、ダケカン
バ が 目 立 つ よ う に な り 、 さ ら に 進 ん で 標 高 900m
を 越えると あたり はハイ マツに 覆われま す。
すっかり高山の景色になってきた
頃、花々も高山性の植物が中心にな
っ て き ま し た 。 7月 上 旬 の 時 点 で 、
真っ青なチシマフウロ(写真右上)
や クリーム 色のウ コンウ ツギ(右下)
が 開 花 し て い ま し た 。 い よ い よ 1,1
29.3mの 山 頂 に 立 つ と 吹 き す さ ぶ 風
にも負けず、小さな花々が群落を作
っています。枝幸で
はあまり目にすることのない「リ
ンネソウ」が小さな花を咲かせて
い ま し た ( 写 真 左 )。 こ の 花 は ス ウ
ェーデンの博物学者で「分類学の
父」と呼ばれるカール・フォン・
リンネに由来しています(この花
が 好きだ ったみた いです )。
函岳山頂には私たちが守っていかなければなら
な い素晴ら しい自 然環境 が残さ れていま した。
函岳の由来-シェポペルシケ-
… 特集・ 函岳の 自然② …
現在の函岳から屋根棟山のあたりに「シェ
ポペルシケ」というアイヌ語地名が残されて
います。新岡武彦先生の
地名解によれば「真の川
上にある荷を負うもの」
とされます。写真は函岳
山頂から屋根棟山方向を
撮影したもの。徳志別川
の源流域にそびえ、平らな箱を置いたような
平坦 な山容 を上手 く表現 していま す。
函岳山頂に沼があった!
… 特集・ 函岳の 自然③ …
枝幸町最高峰の函岳山頂の直下に小さな沼
を確認しました。過去
の調査記録の写真にも
写っているので、一時
的な沼ではないようで
す( 写真右 )。
山頂の切り立った岩
場から慎重に降りていき、ササをかき分けて
沼 に 近 づ き ま し た 。 GPSで 位 置 を 測 定 し て
みると確かに枝幸町(歌登側)にあります。
沼 の 大 き さ は 、 幅 5m× 長 さ 10~ 17mの
本 当 に 小 さ な も の 。 水 質 は ph5.3前 後 の 弱 酸
性です。こんな高山に沼があること自体不思
議ですが、水の中を調べてみて驚きました。
エゾアカガエルやエゾサンショウウオが泳い
でおり、大きなヤゴがたくさん暮らしていま
す。正確な種類は分かりませんが、同行した
文化財保護委員さんによればルリボシヤンマ
かオオルリボシヤンマではないかとのこと。
羽根のあるトンボはともかく、カエルやサン
ショウウオはどうやってこの山の上まで登っ
てきたのでしょうか。とって
も不 思議で すね。
沼の周囲は小さな湿原にな
っており、様々な植物を確認
することができました。特に
驚いたのは食虫植物のモウセ
ンゴケが密生していたこと。沼の周りに赤い
絨 毯 の よ う に 広 が っ て い ま し た ( 写 真 上 )。
函岳山頂に生まれた小さな高層湿原。この
場所 もまた 、枝幸 町の宝 の一つで す。
加須美の滝を訪ねて
…特集 ・函岳 の自然④ …
函岳は徳志別川の源です。徳志別川の本流とそ
の支流、オフンタルマナイ川が函岳の東麓から流
れ出しており、最上流域で無数の滝を作り出して
います。数ある滝の中で最も有名で、歌登地区の
皆さんに親しまれてきたのが「加須美の滝」では
な いでしょ うか。
加須美峠にほど近い徳志別川源
流 域 の 標 高 500mの 地 点 に こ の 滝
はあります。川を遡るにつれ、少
しずつ川幅が狭まり、やがて両岸
が覆いかぶさるように切り立って
きます。さらに進むと目指す加須
美の滝が水しぶきをあげていまし
た 。 滝 の 落 差 は 7~ 8m。 一 気 に 滝
壺へと落下する「直瀑」で、深い滝壺ができてい
ます。加須美の滝も函岳の自然が生み出した優れ
た景勝地です。ぜひ大切にしていきたいですね。
加須美の滝は地図上で分かっていても、とても
近づきにくい場所です。沢を一本間違うと数百m
の単位で川を歩かねばなりません。目印も何もあ
りませんので遭難する危険もあります。ヒグマも
多 く生息し ている 場所で す。
歌登市街でトラフズク三兄弟が巣立ち
フクロウは小動物や小型の鳥、昆虫などを餌と
する夜行性の猛禽類です。生態系の頂点に位置す
るフクロウの生活には、豊かな森
が 必要です 。
枝 幸 に は 7種 類 の フ ク ロ ウ が 生
息 し て い ま す 。 先 日 、「 歌 登 の 公
園の木にフクロウがずっといる」
というお電話をいただき、確認し
たところ「トラフズ
ク 」 の 幼 鳥 が 3匹 じ
っとしていました
( 写 真 右 )。 ま だ 子 ど も な の に オ レ ン
ジ色の目をギョロリと光らせ、あた
りをう かがって います (写真 左)。
この三兄弟は歌登東町の住宅街で
生まれたことも分かりました。市街地でフクロウ
が 子育てす るなん て自然 が豊か な証拠で す。
今はカラスにいじめられないか心配ですが、大
きくなったら絶対に手出しできません。無事に成
長 してくれ ると良 いです ね。
村山良子さんが道博協表彰
枝幸町文化財保護委員会の会長をつとめる
村山良子さんが、北海道博物館協会から表彰
さ れ ま し た 。 村 山 さ ん は 昭 和 62年 以 来 、 24
年にわたって文化財保護委員を
務めてこられました。日本野鳥
の会会員としての専門性を活か
し、野生動物の保護や自然環境
の分野で、博物館活動をサポー
トい ただい ていま す。
7月 5日 、 函 館 市 で 開 催 さ れ
た北海道博物館大会で、北海道開拓記念館館
長の堀達也さんから表彰を受け、道内博物館
関係者のお祝いをいただきました。これから
のさ らなる 御活躍 をお祈 りいたし ます。
市街地の形で見る地名の由来
… 枝幸と 江差の共 通点…
私たちが札幌や本州に行って「エサシから
来ました!」というと、だいたい道南の江差
町と間違われます。北海道には紋別と門別、
士別と標津など同じ音の市や町がいくつかあ
りますが、これは元になったアイヌ語地名が
似てい るため です。
それでは枝幸と江差
はどこが共通している
のでしょうか。実は市
街地の形が似ているの
です 。枝幸の 語源はア イヌ語 の「 エサウ シ」。
新岡武彦先生の解釈によれば「頭を浜の方に
突き出しているもの」となり、オホーツク海
に向かって突き出した枝幸市街地の形を表現
し て い ま す ( 図 上 )。
一方の江差町は、資
料によって町名の由来
は異なりますが、地図
を見ると一目瞭然。日
本海に向かって市街地
が三角 形に突 き出し ていま す(図左 上)。
よく似た地形の二つの街ですが、ただ一つ
江差にあって枝幸にないものがあります。そ
れ は 沖 合 に 浮 か ぶ 「 鷗 島 」。 こ の 島 に よ っ て
波から守られた江差は、天然の良港として早
くから歴史の舞台に立つことになりました。
アイヌ語地名にはその土地に刻まれた歴史
がこめ られて いるの です。
7月の視察・団体利用
戦時下の枝幸国民学校
…枝幸 小学校 アルバ ムから …
枝幸小学校からミュージアムに寄贈された写
真アルバムの中にひときわ古いものがありまし
た 。 内 容 は 昭 和 19年 頃 の 枝 幸 国 民 学 校 ( 現 在
の枝幸小学校)の活動を撮
影 したもの です。
小学校の アルバ ムです が、
子どもたちが勉強したり遊
んだりしている様子はほと
んどありません。真っ黒に日焼けした顔に学生
帽をきちんとかぶり、大人に混じって作業をし
ている写真が大半です。写真は芋掘りか塹壕掘
りの写真。子どもたちが一列に並んで掘ってい
ま す 。 昭 和 10年 代 の 後 半 に は 、 枝 幸 の 子 ど も
たちも「勤労奉仕」として、戦時下で不足する
労働力を補っていました。今では考えられませ
ん が、こう した厳 しい時 代があ ったので す。
写 真 は 整 理 終 了 後 、 EOSに て ご 紹 介 し ま す 。
11日
20日
24日
25日
26日
27日
頓別小 学校・水辺の 生物観 察教室
枝幸小 学校・遺跡探 検教室
歌翠園 ・施 設見学
歌翠園 ・施 設見学
枝幸高 校・ジュニア インタ ーンシ ップ
枝幸高 校・ジュニア インタ ーンシ ップ
ふらっ とたま り場・施設見 学
29日 士別市 手をつ なぐ育成 会・施設見 学
頓別小学校は全校生徒でニホンザリガニ観察
会。目梨泊の沢を会場に身近な水辺の生きもの
を勉強しました。初めてザリガニを触った!と
いう子どもばかりで、とても喜んでいました。
枝幸小学校遺跡探検は目梨泊遺跡
の過去に発掘した地点で遺物探しを
行いました。地表面に浮き出た土器
片や黒曜石・骨の破片を拾ってもら
い ま す ( 写 真 右 )。 中 に は 「 子 グ マ
の指 」を 見つけ 出した 子ども もおり 、
地域の歴史に自分の手で触れる感動
を伝え ること ができ たと思い ます。
謎の骨角器は歯ブラシだった
…弘前 大学・関根 先生の講 演を聴 いて…
7月 15日 , 弘 前 大 学 の 関 根 達 人 先 生 の 講 演
会を開催いたしました。江戸時代、北に向かっ
た和人の足跡を、各地に残る石碑や墓、神社の
奉 納物から たどる 興味深 い内容 でした。
関根先生は江戸時代以降の新しい時代の調査
を進めており、考古学の視点から様々な発見を
続けています。先生に枝幸町で発見された遺物
を見ていただいたところ、これまで分からなか
った「謎の骨角器」の正体
が 判明しま した(写真 右)。
この骨角器は、北見幌別
川にかかる幌別橋の改修工
事の際に「ホロベツ砂丘遺
跡 」 か ら 見 つ か っ た も の で す 。 7世 紀 の オ ホ ー
ツク文化期中頃の動物骨や骨角器と一緒に出土
しました。硬い骨で作られており、何かの道具
の 柄のよう です 。関根 先生によ れば、これは「歯
ブラシの柄」とのこと。牛馬の骨を素材に明治
~大正時代にかけて作られたもので、仙台城か
ら も大量に 見つか ったそ うです 。
明治時代、岡島に漁場を開いた人々が使って
いたのでしょうか。開拓期の枝幸を伝える貴重
な 資料にな りまし た。
ま た のご 利 用を お 待 ちし て お りま す
入館者合計
7 3 , 2 2 1人(7月20日現在)
8月の休館日情報
日
月
火
水
1
木
2
金
3
土
4
5
6
休館
13
休館
20
休館
27
休館
7
8
9
10
11
14
15
16
17
18
21
22
23
24
25
28
調整
29
30
31
12
19
26
8月14日~16日は収蔵庫公開日です