Institutions, markets and economic performance

日本欧州協力基金協賛
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欧州復興開発銀行
欧州復興開発銀行 10 周年記念
政策研究プログラム
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移行経済国における制度、市場、経済パフォーマンス
移行経済国を成長に導く原動力は何か?
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2007 年 6 月
欧州復興開発銀行
移行経済国における制度、市場、経済パフォーマンス
移行経済国を成長に導く原動力は何か?
はじめに - エリック
バーグロフ(チーフエコノミスト、欧州復興開発銀行)
経済移行は、20 世紀の社会経済および政治における最も野心的で重要な試みであり、
移行の対象である社会主義のみがこれに匹敵する。経済移行は世界人口の 4 分の 1
に社会・政治情勢の変化という直接的な影響を与えたのみならず、その波及効果は
他の国々にも及んだ。しかし、それだけではない。経済移行は、経済成長や経済発
展に関する我々の概念を変え、我々が持つ根本的な疑問への認識も大きく変えた。
その疑問とは‐ある国は豊かになり、ある国は貧しいままなのはなぜか。改革を実
施できた国とそうでない国があるのはなぜか。成功した開発プロジェクトもあるが、
失敗に終わったものもある。それはなぜなのか。
欧州復興開発銀行(European Bank for Reconstruction and Development、以下
EBRD と略)のような開発機関にとっての課題は、こうした膨大な疑問に対する答
えを出すことである。EBRD は 1991 年に設立され、その主目的は、中東欧諸国およ
び旧ソ連における、機能する市場経済と多元的な複数政党民主主義への移行の促進
である。
設立当初は、確固としたポリシー、有効な経験、政策立案やプロジェクト実施に役
立つデータ等、移行を支援するために必要な手段をほとんど持ち合わせていなかっ
た。現在では主軸を成す民間銀行部門でさえ、その当時はほとんど存在していなか
った。移行にかかわる他の機関・政府・個人と同様、EBRD もまた移行の促進に相
応しい政策、あるいはプロジェクトを、試行錯誤を繰り返しながらその時々で立案、
または開発する以外手段はなかった。
やがて、学識専門家のみならず、政策立案者の間でも、移行に関する知識が次第に
深まっていった。今日では、概念モデルや経験をもとに集積された豊富な高レベル
のデータが、最適な政策を選択するためのガイド的役割を果たしている。EBRD も、
実際の業務を通じてどのように移行を促進すべきか学び、また、自身のパフォーマ
ンス評価手段を開発した。ヨーロッパで移行が開始してから 10 年余が経ち、今や
EBRD の経験や実施方法をより体系的に他の研究機関と対比する時期に来ていると
考えられる。このような背景の下、チーフエコノミスト室(Office of the Chief
Economist)は、日本欧州協力基金(Japan-Europe Cooperation Fund)からの支援
を受け、移行経済分野における有識研究者たちによる広範囲における研究プログラ
ムに着手した。
こうした研究の中でも最も意義のあることは何かと問われれば、経済成長・経済開
発を支援(時には邪魔)する「制度」であろう。経済発展と制度は切り離せない関
係にあり、したがって制度の重要性を認知するだけでは新しい発見であるとは言い
がたい。しかしながら、制度を分析評価し、その影響力の大きさを理解する能力は、
近年において目覚しい躍進を遂げた。日本欧州協力基金による援助で実現した本プ
ロジェクトには、こうした面での研究が数多く含まれており、この論文はそれらの
研究内容を要約したものである。
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本研究プログラムのコーディネート役は、スティーヴン・フリースが務めた。また、
フィリップ・アギオン、エリック・バーグロフ、サイモン・コマンダー、スティー
ヴン・フリースおよびジェラール・ローランの各研究者が、同プログラムにおいて
各分野を主導した。
調査の背景と概要
1989 年以来、ヨーロッパの移行経済圏における経済パフォーマンスには、国ごとに
かなりのばらつきが見られる。確かに最初の数年間はどの国も経済が大きく衰退し
た。しかし、中東欧諸国(チェコ共和国、スロバキア、ハンガリー、ポーランドお
よびスロベニア)は衰退からいち早く脱却し、バルト海沿岸諸国(エストニア、ラ
トビア、リトアニア)、南東欧諸国、ロシア、ウクライナおよびその他の独立国家
共同体よりもいち早く経済成長に向けて歩み始めた。国家経済が著しく後退したバ
ルト海沿岸諸国と独立国家共同体はその後立ち直りを見せ、1998 年以降、めざまし
い経済成長を遂げている。
世界各国の経済成長や発展において、なぜこのような格差やばらつきが出てくるの
だろうか。「アジアの虎」と呼ばれるエマージング経済が経済成長に向けて好調な
スタートを切った半面、多くのアフリカ諸国が貧困や戦争や病気を起因とする経済
的打撃を受けてきたのはなぜなであろうか。20 世紀初頭には世界有数の富裕国であ
ったアルゼンチンの経済が現在低迷している半面、中国はこの 20 年間経済発展の道
を歩み続け、年間 8%の経済成長を遂げたが、その要因はどこにあるのか。
こうした課題に取り組むべく、EBRD 日本研究プログラム(EBRD-Japan research
programme)では、日本欧州協力基金(Japan-Europe Co-operation Fund)を通して日
本政府からの出資を受け、経済学のトップ研究者たちを集めた共同研究を行った。
同プログラムにおいては、特に各国の経済パフォーマンスの原動力となる諸制度の
役割や変化に焦点をあてた。従来の市場経済制度のみならず、政治・法律・文化制
度にも目を向け、慣習や伝統、所有権、政治体制、制度を取り締まるための司法や
ガバナンス(統治)なども研究対象とした。
経済学では、「移行経済」とは旧ソ連圏や東欧諸国の経済を指すことが多い。しか
し、ジェラール・ローランドが指摘するように、これらの国において「移行」して
いるのは単に経済に留まらない。政府の行政・立法・司法部門に代表される民主主
義制度とガバナンス制度を始めとし、報道の自由、民間機関や起業活動の自由化、
各規制機関の相互ネットワーク、国内外の契約関係における新ネットワーク、新た
な社会的範疇と価値観の創造など、様々な面で移行が進行している(2002 年、ロー
ランド著)。
経済移行はこのような制度変化と密接なつながりがあり、テクノロジーや企業の所
有と組織、労働力の割り振り、投資への資本分配も大きく変化する必要性がある。
ヤン・スヴェイナールはそうした変化を「第 II 型改革(Type II reforms)」と名付け、
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マクロ経済の安定化、価格自由化および共産主義制度崩壊に代表される「第 I 型改革
(Type I reforms)」と区別している(2002 年、スヴェイナール著)。
「第 II 型変革」としては、大中企業の民営化、市場志向型法律制度の確立、公的失
業対策と定年退職に関する労働市場の規制および制度作り、存続可能な商業銀行セ
クターの設立、そしてその取り締まりに必要となるインフラなどが挙げられる。こ
のような制度変化を実現するためには、遍在する独裁国家が徐々に消滅するだけで
なく、市場経済における「機会均等な競争原理」を国家レベルで整備するための組
織を作ることが不可欠である、とスヴェイナールは述べている。
当プログラムでは、広く国家レベルで経済成長の原動力となる制度に加え、特定の
経済市場や経済部門の主軸を成す制度も研究の対象とした。また、民間部門の生産
性向上、失業率と労働市場の再編、効果的な金融システムの出現などの課題にとっ
て、何がポジティブもしくはネガティブな影響を与える制度変化なのかについても
考察している。
これらの研究では、主にヨーロッパにおける旧中央計画経済圏の経験に焦点をあて
ているが、一部では、アジアおよび中南米における制度と経済パフォーマンスの関
係性にも触れている。
制度・市場・経済パフォーマンスの関連性について解明すべく、高度な分析テクニ
ックを用い、また「ビジネス環境と企業パフォーマンス調査(Business Environment
and Enterprise Performance Survey ) 」 や 「 銀 行 環 境 と 銀 行 パ フ ォ ー マ ン ス 調 査
(Banking Environment and Performance Survey)」を始めとする数々のデータソース
を使って、研究が進めてきた。この 2 つの大規模なアンケート調査は、EBRD 日本
研究プログラムの資金援助を受けて実施された。
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制度と経済成長
経済学における制度とは何を意味するのか。オリバー・ウィリアムソンが提唱する
「新制度経済学」(New Institutional Economics)では、制度を 4 段階に分けて分析し
ている。第一レベルは慣習、伝統、規範および宗教であり、これらは変化に長い時
間を要する。第二レベルは制度内の「ゲームのルール」で、所有権および政治体
制・司法・官僚主義の仕組みを指す。第三レベルは「ゲームの実践」つまり制度の
ガバナンスであり、第四レベルが資源の割り振りと雇用である(2000 年、ウィリア
ムソン著)。
どのレベルにおける制度も、国の長期的な経済成長パフォーマンスとは何かを定義
する上で非常に重要な要素であり、どの制度も経済分析の対象となりうることには、
ほとんどの経済学者が同意するところである。ところで、移行経済国の発展を成功
に導くための最も重要な制度とは一体何であろうか。十分に機能する経済市場を作
り出すためには、どのような制度の変化が必要となるのか。また、そのような変化
を制約するものは何であろうか。
EBRD 日本研究プログラムでは、政治・法律・文化制度が果たす役割および移行経
済国の国際市場への融合度を中心に研究を進め、何が市場経済を支える制度づくり
を促進するのかという観点に新たな洞察をもたらしている。
制度・市場・経済パフォーマンスの 3 つの要素間には複雑な関連性があり、それを
理解するには、制度の定義と基準を明確にする、何が経済成長にとって最も重要な
制度かについて評価する、何が制度変化の原動力となり何が阻止するかを把握する、
といった課題に取り組むことが不可欠である。
制度の存続と変化
ダロン・アセモグルとジェイムズ・ロビンソンは、その研究論文の中で制度の存続
と変化を研究するための分析枠組みを設け、歴史によって形づくられた政治経済制
度構造の重要性を強調している。
アチェモリュを中心とする研究グループは、制度が経済発展に果たす役割は一般に
考えられているよりもはるかに重要であるとする、いくつかの研究論文を発表して
いる。その中で、1500 年頃に比較的裕福だった国々が現在は比較的貧しいという事
実は、国の地理的位置が経済的運命を左右するという見解にそぐわないとしている
(2002 年、アセモグル他著)。実証に基づくこの理論では、こうした状況の反転が
起こった理由として、植民地支配国が、豊かで人口密度の高い植民地と貧しく人口
密度が低い植民地を対等に扱わなかったことを挙げている。つまり、前者にはその
富を搾取する政策を、後者には投資を促進する政策をとったからである。
更に研究内容を掘り下げた別の論文はヨーロッパ諸国での死亡率に注目し、政策の
違いは制度の違いを生み、それが別々の経済発展の道を辿る結果をもたらしたとし
ている(2001 年、アセモグル他著)。この論文で用いた方法や結論の一部について
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は異論があるものの、この種の研究が経済発展の過程に関する考察に、大きな刺激
を与えたことは確かである。
同論文は、繁栄と民主主義とは何かについて考察する際に必要となる枠組みを設け
ている。それによれば、繁栄とは何かを断定する要因は主として経済制度だが、社
会の中で出現する経済制度は、政治権力の分配の仕方に左右されることを強調して
いる。また、政治権力を断定するのは政治制度であり、中でも、民主主義制度であ
る。繁栄を重んじる経済制度は民衆にインセンティブを与え、そのような経済制度
は民主主義的な政治制度と関わっている。というのも、民主主義とは、政治権力を
一般民衆に託すものだからである。
しかし、繁栄と民主主義に相関性があったとしても、それは必ずしも高収入が民主
主義をもたらす、もしくは民主主義が繁栄社会をもたらす、ということを意味する
わけではしない。より重要な要素は、政治経済制度の歴史的構造およびヨーロッパ
植民地政策などの歴史的転機である。また、ヨーロッパの旧計画経済国における移
行経済の始まりも、大事な歴史的転機と呼べるであろう。
経済成長にとって大きな意味を持つ制度
アセモグルとその研究グループは、一連の研究論文の中で制度が経済成長に及ぼす
因果関係について実証した。また、ジョン・ジェレーマとジェラール・ローランド
は、以下の 2 点において、制度と経済パフォーマンスの正確なつながりをもっと深
く理解する必要があると述べている。
•
第一に、測定基準について。制度が経済パフォーマンスに与える影響に関す
る多国間分析では、制度は総計的に測られることが主である。これらの基準
は制度に対する主観的評価を基にしているため、変動が激しいという傾向が
ある。しかも、国の経済パフォーマンスに色づけされた認識の悪影響を受け
やすいという点も無視できない。
•
第二に、政策的観点においてより重要な、経済成長に最も適切な制度につい
て。法、政治、文化の大きく 3 つのカテゴリーに制度を分類したデータはあ
るものの、ある特定の制度が与える相対的な影響を比較した研究は、今のと
ころほとんどない。
ジェレーマとローランドは「主成分分析」と呼ばれる手法を用い、経済成長に最も
大きな意味を持つ制度は何なのか、評価することを試み、完全に客観的もしくはほ
ぼ客観的な幾多の制度基準を「制度の束」ごとにまとめた。
法制度の測定基準には、アンドレイ・シュレイファーとその研究グループによる一
連の研究論文を活用した。そこには各国の法制度における特定の法律や手順の詳細
が収録されており、労働力を売る、証券を買うといった、典型的な経済取引を統治
する規制も網羅されている。
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この法制度に関する研究の一例には、判事の任期、判例法、司法審査、憲法の硬直
性を調査対象とした、71 カ国の司法制度の法的権限と領域に関する論文が挙げられ
る(2004 年、ラ・ポルタ他著)。また、他の論文では、規制による負担に関する
様々な観点、正式雇用契約を規定する法律の数と種類、企業株主や債権者に保障さ
れた権利や義務などが取り上げられている。
政治制度の測定基準には、トーステン・ペーソン やグイド・タベリーニがまとめ
た選挙規制、行政体制の種類、議員数と選挙区などが挙げられる(2003 年、ペーソ
ン およびタベリーニ著)。
その他の政治制度の測定基準には別のデータ源により、次の事項に関する基準を用
いた‐立法や施行における権力監視の頻度と厳格さ、地方自治体や地域政府の財政
収入と規制権限の度合い、「制度化された民主主義」と「制度化された独裁主義」
を両極とした物差しのどこに国が位置するのか、政治的権利と人権擁護の両面にお
ける自由度。
文化制度に関しては、人が生活する上での主な文化的価値観を測定した「世界価値
観調査」を使って研究が進められた。
調査分野はいくつものカテゴリーに分けられ、下にその一部を列記する。「人生
観」‐回答者の人生において何が大切か:友人、家族、政治、仕事、など。「労働
観」‐自分にとって仕事のどのような面が重要か:高賃金、勤務時間、同僚から尊
敬されること、など。「政治観と社会観」‐政府と国民が果たすべき役割は何か、
様々な社会部門に対し信頼感を持っているか。「国民としてのアイデンティティ」
‐自分が住む地域・町・国にどの程度の親近感を持っているか。他国や超国家的機
関についてどう思うか。
政治制度が経済パフォーマンスに及ぼす影響
ジェレーマとローランドの分析結果から、経済が長期的に成長し続ける上で最も重
要な制度は、執行権を制限する内部牽制制度である、という点が明らかとなった。
また、反独裁主義的価値観も重要である。制度の安定性もある程度の役割を果たし
ているが、法的制度は、予想に反し、何の役割も果たしていないという結果が出た。
特記すべきなのは、この結果は政府の規模とは何ら関係がなく、また、ある特定の
制度よりも、分権的要素を持つ広範囲な制度の方がより重要、という点である。こ
れらの政治制度は、私有財産権の保護を奨励し、政府による民間部門の侵害を制約
するための制度である。驚くべき結果は、制度の微調整により導かれない。むしろ、
安定的な長期的経済成長を遂げるには、内部牽制が働く制度の価値観を忠実に守り、
実施することが重要である。
種々の政治制度は経済成長にとって最も重要な一方で、民主的で参加型の文化とも
複雑に絡み合う。これは、軽視できない事実である。つまり、急速に変化しやすい
政治制度は、多くの国民に支持される価値観や信念の上に成り立たなければならな
いことを示している。
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経済移行には政治変革が重要である一例として、エヴゲニー・ヤコヴレフ とエカ
テリーナ・ズラブスカヤは、ロシア諸地域における規制緩和が、地域ごとに異なる
制度によって、その施行に格差が生じたか研究を行った(当プログラム・ペーパ
ー)。一番の課題点は、ロシアのような大連邦の中央政府がイニシアチブをとる規
制撤廃変革が、果たして地域レベルまで浸透するかどうかであった。
モスクワの「Centre for Economic and Financial Research」は世界銀行と協力し、数々
の年次調査を通して、政府機関が小企業に課した規制負担をモニタリングしてきた。
当プログラム・ペーパーでは、この年次調査の結果を用い、様々な政治ガバナンス
の質、および市民社会の成熟度と、地方における連邦規制緩和法施行との相関関係
を分析した。
年次調査によると、総体的には、ビジネス環境は「慎重ながらも明るい見通し」と
の結論が導き出される。主観的な評価によると、ビジネス環境には大きな改善は認
められるが、向上の速度は徐々に緩やかになっているようである。新しい法律は、
企業活動の規制や課税に対しては有益な効果があったが、零細企業にとっては現在
でも大きな負担となっており、この状況は法律で定めた規準と一致しない。
次に、規制負担の地域格差に言及すると、変革の進歩に非常にポジティブな効果を
もたらしたのは次の 3 つの要素であったことが、研究で明らかとなった。
•
地域における、変革以前の中央政府の透明性
•
地方自治体が、地域の大企業を代表するパワフルな産業グループにどの程度
感化されたか
•
地域予算において、地方自治体自身の財政収入が占める割合が、中央政府か
らの供出より多いかどうか
これはつまり、連邦国家を構成する地方自治体に財政管理のインセンティブを与え
ることがいかに重要か、そして、大規模な産業ロビーはポジティブな制度変化を必
要とし、その必要性がプラス効果をもたらす、という意味を持つ。
文化的信条が経済パフォーマンスに及ぼす影響
ラファエル・ディ・テラとロバート・マッカロックは、文化制度が経済パフォーマ
ンスに及ぼす影響について詳しく研究した(当プログラム・ペーパー)。特に注目
したのは文化的信条で、中でも経済的信条(主に能力主義と貧困に関する)と非経
済的信条に焦点をあてた。ジェレーマとローランドと同様、この研究論文では「世
界価値観調査」のデータを使い、国や地域における信条のパターンとそれが経済パ
フォーマンスに及ぼす影響、そして異なる信条システムを生んだ国の特徴について
分析結果を報告した。
それによれば、経済的信条は次の 2 つの要素に分けられる。
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•
第一に、貧困、および人々の必要性が収入に果たす役割に関する信条
•
第二に、達成度(仕事を成し遂げたなどの)が収入および私有財産を切望
する度合いにおいて果たす役割
非経済的信条はこのように明確な分け方はできないが、テクノロジーより伝統を好
む傾向や、経済成長より環境を優先する傾向などを示す具体例もある。しかしなが
ら、総体的には、非経済的信条には様々な形態があるが、そのどれも経済パフォー
マンスには影響を及ぼさないという結論が出ている。
これに反し、収入には(仕事の)達成度と幸運がかかわっているという経済的信条
は、経済に大きな影響を及ぼす。初期の GDP レベル(経済のキャッチ・アップを考
慮に入れるため)、貿易の開放性、制度(制度の質を代表するものとして)、国の
緯度(地理的効果を把握するため)などの要因を調整した上で分析した結果、達成
度と勤労よりも貧困がもたらす不平等性・貧困から抜け出せない状況・貧困層に対
する政府の支援、などに重点を置いた経済的信条を持つ国は、経済成長率が低いこ
とが明らかになった。
この研究の結果、経済的信条は、貿易政策や制度を媒体とする間接的な影響のみに
留まらず、経済に大きな影響を及ぼしているのではないかと考えられる(しかし、
経済状況が経済的信条を左右するという逆の因果関係もあり得る、ということを忘
れてはならない)。経済的信条が、経済に直接的影響を及ぼすメカニズムとして挙
げられるのは、貧困からの脱出の困難性や経済生活の不平等性に重点を置いた経済
的信条は、個人の勤労意欲や求職意欲の喪失につながることである。これは、全体
的な経済パフォーマンスの低下という結果を生む。
もちろん、政府は貧困層をもっと援助すべきであるなど、上記とは異なる信条を持
つ人々たちが、別の政党に投票することも大いに考えられる。その結果、異なる制
度の導入や政策立案などに政党を駆り立てるなど、様々な信条が経済パフォーマン
スに大きな間接的影響を与えることもあり得る。
同論文は、信条の分散が経済パフォーマンスに与える影響の重要性についても調査
した。確固とした証拠はないが、信条が分散するほど、国家の GDP 成長率が低下す
ることもあるとしている。
また、信条の形成に影響を及ぼすのはどのような要因なのか、という研究も進めら
れた。まず経済信条においては、「国のリスク」が高いほど、貧困者は怠け者や意
志薄弱ではない・貧困から抜け出す道はほぼ閉ざされている・政府は貧困層補助の
ために尽力すべき・被雇用者や政府が企業経営にかかわるべき、などという観点を
国民が持ちやすいという結果がでている。
更に、政府による貧困層補助という点を国民がどのように考えるかという点では、
自然資源への依存度が高い国は、高リスクの国とほぼ同じ結果が出ている。ところ
が、これらの要因は人々の非経済信条に関しては、非常に対照的な影響を与える。
例えば、高リスクで自然資源の豊かな国では、国民の環境保護に対する関心が薄い。
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また、高リスクの国は他民族に対する許容度が低い(人々の許容度が低いため、国
のリスクが高くなるという逆説も成り立つのだが)。
総体的に、ディ・テラとマッカロックの研究論文(当プログラム・ペーパー)は、
特定の制度を異なる歴史的文化を持つ国に適用できないのは文化の特異性のせいで
ある、という説を裏づけするものであり、政策適用に限度があることを示唆してい
る。
国際統合が経済パフォーマンスに及ぼす影響
この 20 年余りで世界経済の統合化に拍車がかかり、特に商品とサービスの取引にそ
れが顕著に表れている。移行経済国がその好例だが、国際市場への統合がどの移行
経済国にも一様に起きたというわけではない。2004 年に欧州連合に加盟した中東欧
諸国とバルト海沿岸諸国では統合化が急速に浸透しているが、南東欧諸国および独
立国家共同体では、国際商品や資本市場への統合化が遅れている。
開放性と国際統合は、新テクノロジーの導入や市場拡大につながり、経済パフォー
マンスの飛躍的な改善につながる。(新規参入の外資系企業との競争や海外直接投
資を通じて実現するポジティブな影響については、後記の「企業パフォーマンスと
金融発展」の項で詳述する)。
と同時に、統合化は国の経済・政治・社会制度に大きな圧力をかけることにもなる。
長距離を隔て、しかも今までに取引を行ったことがない 2 社が取引をするには、契
約の履行に対する信頼が不可欠である。また、グローバル市場への参入は競争を激
化し、以前は保護されていた部門の、(失業者の増加等)経済に負担のかかる、再
編を強要する可能性がある。
したがって、国際統合の実現と成功には、開放的な貿易政策が、契約履行や、特に
労働市場における適応化を可能にする、確固とした制度的枠組みに後押しされるこ
とが必要である。したがって、課題は移行経済国が必要とされる制度改革を貿易の
自由化と同時に実施するよう促すことである。
スーザン・ヘルパー、デイヴィッド・レヴァイン、クリストファー・ウッドラフの
研究グループは、メキシコの国際統合と国内の制度変化が教育への公共投資にもた
らした影響に注目した(当プログラム・ペーパー)。つまり、国際統合と国内の制
度変化を結びつける 3 勢力が、入学率、学歴、成績不振学生の留年率などにどのよ
うに影響したか、という研究である。
この 3 勢力とは、メキシコの北米自由貿易協定(NAFTA)への参加がもたらした経
済自由化、選挙戦激化の結果、州知事選や 2000 年の大統領選に野党が勝ち名乗りを
上げた事実に見られる民主主義への目覚め、教育を地方分権化して州自治体の責任
を拡大、を指す。同研究論文は以下の 3 つの結論を出している。
•
第一に、NAFTA 参加後、入学率と学歴が大幅に向上し留年が激減したのは、
農業主体の州であったという事実である。これは、政府が低所得州に資金を
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シフトし、NAFTA の恩恵にあずからない者を補償する政策をとったことと合
致する。
•
第二に、同じ政党が州と地方自治体の両方を統治すると、入学率が高く留年
率が低い。財政予算が低いほどこの傾向が顕著に現れる。
•
第三に、製造業の成長が、好ましい教育結果につながるという系統だった証
拠はほとんどない。製造業は入学率(特に 16~18 歳の年齢層)にネガティブ
に働いているようだが、学歴にはポジティブな影響を与えている。
Box: 中央アジア諸国の貿易開放性
EBRD は旧ソ連と中央アジア諸国が市場経済へ移行することを一つの目的としてい
る。クレメンス・グラフ、マーティン・ライザー、坂爪敏明の共同研究は、これら
の地域における貿易障壁の存在・度合いについて調査した(当プログラム・ペーパ
ー)。
同研究論文は、特にカザフスタン、キルギス共和国およびウズベキスタンの消費者
物価に焦点をあて、この 3 国間では市場統合化が比較的よく進んでいるという、驚
くべき結論に達した。国ごとの価格差が従来考えられていたよりもはるかに小さい
理由として、俗に「シャトル貿易」と呼ばれる非公式貿易は裁定取引の機会を活用
することに効果的であることが挙げられる。
一方で、各国内における通商障壁が非常に高いのは、2 ヶ所間の距離に起因する単な
る輸送費の問題だけではなさそうだ。つまり、市場やバザーへのアクセスを制限し
ようとする地方自治体の企てや多数のロード・ブロックなど、各地域に設けられた
通商障壁が、各国内における地域ごとの価格差が各国間の価格差と同程度かそれ以
上となる原因を作っていることが考えられる。
政策への意義
長期的な経済成長にとって最も重要な制度は、政策の実施権限を制限する役割を果
たす政治的監査制度である。多くの市民が支援する価値観と信条に根ざしていなけ
れば、新しい政治制度を作っても意味がない。
移行経済国にとって最も重要なのは、国内の制度改革を国際経済への統合につなげ
る ことである。中東欧諸国とバルト海沿岸諸国では、欧州連合への加盟が広範囲
にわたる制度改革に重要な役割を果たしたのに対し、南東欧諸国 と独立国家共同体
諸国では、なかなか完全な国際統合に至らない。その上、ことに中央アジア諸国で
は、地域間の相互協力の欠如のせいで輸送費が高騰し、それが国際市場への参入の
可能性を妨害している。
国際統合の遅れを克服するには、次の 3 つの点を改善する必要性がある。
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•
第一に、これらの地域にとって最も重要性の高い、欧州連合などの市場への
アクセスを改善する。
•
第二は、市場へのアクセスの改善と構造改革・制度改革の導入の関係につい
て。国内改革を広く推進する上で、欧州連合加盟の有効性は、世界貿易機関
(WTO)や欧州連合と非加盟国間の商業関係の比ではない。しかし、両者と
も、リベラルな貿易政策と経済統治の発展に対するインセンティブを与え、
改革を後押しするという意味で、間接的に大きな役割を果たすことができる。
•
第三に、国際統合と平行して、地域間協力および地域統合を支援する。優先
貿易協定やその他の地域統合は、全地域の貿易・輸送・移行を脇にそらすこ
とではなく強化することに、焦点をあてなければならない。
章要約
制度の枠組みが、国家経済の長期的成長に果たす役割は大きい。しかし、経済発展
を成功に導くために最も重要な制度とは一体何なのか。十分に機能する経済市場を
作り出すためには、どのような制度の変化が必要となるのか。また、そのような変
化を制約するものは何なのか。
これを受けて、EBRD 日本研究プログラムでは、政治・法律・文化制度が果たす役
割および移行経済国の国際市場への統合度を中心に研究を進め、何が市場経済を支
える制度づくりを促進するのかという観点に新たな洞察をもたらしている。
制度・市場・経済パフォーマンスの 3 つの要素間には複雑な関連性があることは、
分析結果からも明らかである。その研究を更に掘り下げ、次のような結論に至った。
•
経済が長期的に成長し続ける上で最も重要な制度は、執行権を制限する内部
牽制制度である。反独裁主義的価値観も大きな役割を果たす。
•
制度の微調整だけでは不十分である。制度の内部牽制制度をしっかりと実施
していくことが、長期的経済成長への最も安定した経路を作る。
•
政治制度は、国民の多くから支持される価値観や信念を基盤としていなけれ
ばならない。
•
国際統合を実現し成功に導くには、契約を守らせ特に労働市場において変化
を支援する、確固とした制度的枠組みの後押しが肝要である。
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制度と企業パフォーマンス
国家経済成長の鍵は、企業のパフォーマンスである。それでは、移行経済国におい
て、企業パフォーマンス向上に最も重要な制度は何なのか。どうすれば先進国との
生産性の差が縮まるのか。外資系企業を含め、新規に市場参入する企業数の増加に
よる競争の激化、株主構成の変化、海外投資額の増大などは、種々の産業部門にお
ける企業の生産性と生産レベルにどのような影響を与えるのか。
これらの問いに答えるべく、EBRD 日本研究プログラムは、国家経済発展の特定の
段階に最も適切な制度とは何なのか、そして、それらの制度が企業の生産性と成長
にどのように貢献しているかについて、研究を重ねた。更に、種々の制度間の相互
関係、競争から生じるプレッシャー、国もしくは産業部門のテクノロジー開発など
が、企業にどのような影響を及ぼしているのか、という点も分析調査した。この研
究内容は移行戦略上の改革優先事項と改革順序を明確にする上で、大きな役割を果
たしている。
生産性と「最先端テクノロジーからの距離」の重要性
適切な制度とテクノロジーの開発レベルの関係性を理解することは、移行経済国に
とって非常に重要である。というのは、移行経済諸国のテクノロジー開発度は、経
済協力開発機構(OECD)加盟先進国の最先端テクノロジーに大きく遅れをとってい
るからである。成長追い上げの過程を理解した上で改革内容を決める際、生産テク
ノロジーと市場制度間の相互依存性が重要な意味を持つことは、同研究の各種論文
にも記載されている。
ダロン・アセモグル、フィリップ・アギオンおよびファブリツィオ・ジリボティは、
企業と国家の両レベルで、構造的改革と生産性に関する理論的枠組みについて研究
した(当プログラム・ペーパー)。生産性向上を触発するのは、特定産業の世界最
先端テクノロジーを模倣もしくは適用の実施、もしくは、国・地域の既存テクノロ
ジーを改善した先端テクノロジー革新のどちらかである、というのが同研究論文の
主旨である。
国・産業が先端テクノロジーに近ければ近いほど、生産性を最大化するにはその革
新に依存せざるを得ない。これに対し、先端テクノロジーから離れて国は、最先端
テクノロジーの模倣、もしくは適用の実施に力を入れることで得るものが大きい。
ここでは、模倣、もしくは適用の実施を推進する制度・政策と、先端テクノロジー
革新を推進する制度・政策とは同じではない、という点に留意しなければならない。
アセモグルとその研究グループは、以下の 4 種の政策に焦点をあてている。
•
第一に、競争・参入・開放性。これは、先端テクノロジーに近い産業部門の
成長を促す。
12
•
第二に、金融部門。先端テクノロジーから遠い国および部門においては、
(資本集約的な)大規模投資を、それに対し先端テクノロジーに近い国およ
び部門では、最も革新的な投資を選択すべきである。
•
第三に、労働市場。先端テクノロジーから離れた国および部門においては、
特定のスキルへの長期投資、それに対し先端テクノロジーに近い国および部
門では、融通性を重要視すべきである。
•
第四に、企業の内部組織統制。先端テクノロジーから離れている場合には、
成長が(最先端テクノロジーの模倣、もしくは適用の)実施に依存する為、
集中型であるべきだが、先端テクノロジーに近い場合には、成長が被雇用者
のイニシアティブやアイデアに依存する為、拡散型であるべきである。
この考え方の一部は、競争・制度・企業パフォーマンスに関する他の実証的研究の
基礎を成している。
競争が企業パフォーマンスに及ぼす影響
競争が企業パフォーマンスにとって重要であることは、かなり前から、経済学の中
心的教義であったが、この理論の正当性を実証するために必要となる企業のインプ
ットとアウトプットおよび競争状況を調べた詳しいデータは、つい最近まで十分に
揃っていなかった。スティーヴン・ニッケルは、生産市場の競争激化が技術革新と
生産性を高めることを証明する影響的な研究論文を 90 年代半ばに発表した。
ニッケルはまた、今後の生産性調査に関し、次の 2 大新分野に注意を喚起した。一
つは、新テクノロジーおよび新たな企業組織構造の「普及」の重要性であり、もう
一つは、異なる産業間のみならず同じ産業・企業内における生産性の格差である
(1996 年、ニッケル著)。
ところで、競争は生産成長にどのように影響するのだろうか。3 つの影響が考えられ
るが、そのどれもが、企業が産業に参入・撤退する際の状況と関連性がある。
•
第一に、既存企業は新しい企業の参入を脅威と感じ、効率性や技術革新に更
に力を入れるようになる。
•
第二に、参入・撤退は、生産性の高い新規参入企業が生産性の低い工場にと
って代わる機会となり、全体的に生産性が高まる。
•
第三に、参入がもたらす効果として、既存企業が新規参入企業の優れたテク
ノロジーや組織構造を模倣し、作業の効率性改善に努めることが挙げられる。
フィリップ・アギオンとその研究グループは、英国とインドにおける既存企業の生
産性と新規参入の関係性について調べ、その関係はポジティブではあるものの、多
様性が非常に大きいことが明らかにした(当プログラム・ペーパー)。特に、新規
参入企業が最先端テクノロジー産業に対して与える影響は大きく、逆に、先端テク
13
ノロジーから離れた産業に対しては、影響がほとんどなし、もしくはネガティブで
ある。つまり、先端テクノロジーに近い産業では、既存企業は新規企業の参入を脅
威と感じ、生産性が急上昇する。そうでない産業においては、生産性が低下する、
ということになる(2004 年、アギオン、ブランデル、グリフィス、ホウィット、プ
ランテルによる共著。および 、2004 年、アギオン、バージェス、レディング、ジリ
ボティによる共著)。
これは、先端テクノロジーに近い既存企業は、技術革新によって新規参入企業を駆
逐し、生き延びることができるからであると考えられる。よって、参入の脅威が高
まれば高まるほど、その脅威を除去すべく、技術革新がますます盛んになるという
構図が出来上がる。
それとは対照的に、先端テクノロジーから遅れている企業・産業部門は、外部から
の新規参入企業と戦うには弱い立場にある。というのは、これらの企業・産業部門
にとっては、新規参入企業の脅威は、生き延びる時間の短縮につながり、技術革新
によるペイ・オフが減少するからである。
フィリップ・アギオン とエヴゲニア・ベソノーヴァは、新規参入企業の増加が、ロ
シアの製造業部門の生産性向上にどのような影響を与えるかを調査した。その結果
は前述の英国およびインドに関する結論とほぼ同じで、先端テクノロジーに近い既
存の国内企業は、新規参入企業による脅威の結果、生産性が向上する。逆に、先端
テクノロジーから立ち遅れた既存企業の生産性は低下し、そのような企業・産業に
とって、市場自由化は有害でさえあり得る。
所有権が企業パフォーマンスに及ぼす影響
国営企業の民営化および閉鎖からも明白なように、移行過程の最も大きな特徴は企
業所有権の変化である。民間企業のパフォーマンスは国営企業のそれをはるかに上
回るというのはまぎれもない事実である。しかし、民間企業の種類によって、パフ
ォーマンスにばらつきがあることが調査で明らかとなっている。新規参入民間企業
は民営化企業より優れた業績を示すというのが、その一例である。また、民間企業
の所有権の、一極集中の影響の問題がある。
前述のアセモグル、 アギオン およびジリボティの研究論文は、先端部門や不確実性
の高い部門に属する企業は、企業の成長を活性化し採算性を上げるために、決定権
を企業下部に分散することを奨励している。これは、企業所有権と管理の関係は、
企業がどの部門に属するかによって変わることを示唆している。
イレーナ・グロスフェルドは、ワルシャワ証券取引所の非金融部門に上場している
全企業のデータを使い、所有権集中化の要因は何なのか、およびどのような状況下
で所有権集中化が企業パフォーマンスを向上させるかについて、論文をまとめた
(当プログラム・ペーパー)。ワルシャワ証券取引所は 1990~91 年に設立され、90
年代を通してその市場資本額は伸び続け、1991 年には 8 社だけだった上場企業数は、
2000 年には 230 社に増加した。
14
同証券取引所が企業に要求する情報は、西欧の証券取引所のそれとほぼ同じレベル
で、したがって、データの質は移行経済国にしては驚くほど高い。監査済みのバラ
ンスシートと損益計算書には以下の追加情報を添付しなければならない‐企業創立
に関する情報(新規参入企業か民営化企業か)、民営化の方法、株主構成(配当権
および投票権に基づいた)、株主全員の身元情報、日替わり株価。
グロスフェルドの研究は、不確かな環境下では企業主が管理職を監視することには
それほど意味がない、という仮説について考査するものである(当プログラム・ペ
ーパー)。そういった環境では、株主よりも管理職の方が、選択すべきプロジェク
トや活動について詳しいことがある。もし情報を持ち合わせていなければ、投資機
会を見つけたり作り出そうとする相当のインセンティブを与えられなければならな
い。株主による過剰な監視は管理職のイニシアティブを抑圧し、その結果、高い代
償を払うことになり得る。そこで、株主は自身の株式所有率を制限して不干渉主義
に徹することを好む、というわけである。
何がどうなされるべきかが明確でない企業や産業は株式保有の集中度が低い、とい
うことが言えそうだ。そのような状況下では管理職の創造的かつ革新的行動がより
強く求められ、よって、分散型株式保有は管理職のイニシアティブを抑圧すること
が少ない、ということになる。
このデータから、グロスフェルドは以下の結論にたどり着いた。
•
第一に、高テクノロジー企業もしくは無形資産が資本に占める率が高い企業
では、株式保有の集中度がかなり低い。
•
第二に、高テクノロジー部門では、株式保有の集中度と生産性はネガティブ
な相関関係にある。
海外直接投資と「知識の波及効果」が企業パフォーマンスに及ぼす影響
海外直接投資は、経済発展にとって重要な誘発的役割を果たすと広く考えられてお
り、経済学者も政策立案者も、受け入れ国のテクノロジー能力と経営方法の向上に
つながると主張する。なぜなら、海外直接投資は受け入れ企業に直接的な影響力を
持つと同時に、同一産業や川上産業に属する国内企業に対しても「波及効果」をも
たらすからである。
この波及効果を最大限に活用すべく、開発途上国や移行経済国の多くの政府が、海
外直接投資を自国に引き付けるための特別政策をとっている。特に、近年の特恵貿
易協定や二国間貿易協定においては、交渉の主題の一つとして海外直接投資規制が
重要視されている。
海外直接投資が企業の生産性に直接に影響するという説の論理的根拠として、技術
知識、経営テクニック、流通ネットワークなどにおいて地元企業よりも優れている
という確信があってこそ、投資者は海外直接投資に踏み切る、という点が挙げられ
る。したがって、投資受け入れ企業の生産性が、受けていない国内企業より高いの
15
はほぼ当然のことである。開発途上国と先進国の両方を対象とした実証的研究のほ
とんど全てが、この考察が正しいことを裏付けている。
海外直接投資およびそれが国内企業にもたらす影響に関する研究では、投資受け入
れ企業と国内企業の生産性の差、および投資受け入れ企業から国内企業への生産性
波及効果に、主に焦点をあてている。実証分析の正当性を示す上で、投資受け入れ
企業は異なる技術を有し、よって、その参入は国内企業の技術をグレードアップす
るきっかけを作るという理論的考察もある。
つまり、外国企業は国内企業とは異なる生産関数を持つため、海外直接投資は国内
企業の生産関数の変化をもたらす刺激となるという新解釈もできそうである。更に、
優れた技術を持ち生産性の高い外国企業は、国内企業の生産性と生産関数の両方に
非常に大きな影響を与えると言えそうだ。
イリーナ・ティテルとクセニア・ユダエヴァは、ポーランド、ルーマニア、ロシア、
ウクライナの 4 つの移行経済国から証拠を収集し、上記の新解釈がデータによって
裏付けできるとした(当プログラム・ペーパー)。
ポーランドやルーマニアのように、移行経済国としては開発が進み、制度が整い、
多くの外国企業が投資している国では、外国企業の参入は、国内企業の資本集約度
の増加、かつ労働集約度の低下と、密接な関わりがある。海外直接投資が始まった
直後は、一時的に資本労働比は減少するが、海外資本がさらに蓄積するにつれ、国
内企業の生産が刺激を受け、資本集約型に変わるという傾向が現れる。
そして、外国企業がいったん根を下ろすと、更に高度な技術を受け入れ国に持ち込
んだり、地元の生産者に精密部品を発注することに意欲を見せるようになる。この
過程では、国内企業の受け入れ能力が重要である。生産方法の資本集約型技術への
変化が著しく見られるのは、労働者教育が完備されている分野である。
これとは対照的に、ロシアなど制度が整っていず、従って海外直接投資が少ない国
では、外国企業の参入は、国内企業の資本集約率の低下と、労働集約率の上昇を意
味する。労働集約型技術へのシフトが起こるのは、主に海外資本が豊富な企業であ
る。国内企業によっては、比較的貧しい人々を対象とした商品供給を専門とし、自
社にとって有益な市場を別個に確保しようとする目的で、このような方策をとるこ
ともある。
これは、外国企業は、単純な労働集約で作れる部品以外は国内企業に発注したがら
ない、という現象にも反映している。その理由として、国内生産品の質や地元企業
の納期遵守能力に対して、外国企業が不信感を抱いているからであると考えられる。
教育水準が比較的高く政治腐敗が少ない地域では、外国企業の参入により生産性が
向上する。しかし、政治腐敗がはびこっている地域では、外国企業の方が国内企業
より生産性が高いという事実は認められない。これは、おそらく地方自治体自身の
姿勢と、地域の生産団体による自治体への圧力が原因であると思われる。
16
ところで、特例を除くと、典型的な生産性波及効果の証拠はどこにも見当たらない。
ルーマニアでは、海外直接投資開始後の一年間は国内企業の生産性が低下するが、
この現象は教育水準が低い地域に限られており、海外直接投資額が蓄積されるにつ
れて徐々に減少していった。
ウクライナにおいては、教育水準が高い地域では、外国企業の参入と同時に国内企
業の生産性が向上し始めた。また、ロシアの政治腐敗が少ない地域では、外国企業
の生産高が国内企業のそれの 2 倍以上であることから、ネガティブな波及効果が現
れる。ここで注意を喚起したいのは、在ロシアの輸出専門外国企業は、国内企業に
ポジティブな影響を及ぼすという点である。なぜなら、そのような外国企業は最先
端テクノロジーを受け入れ国にもたらし、輸出専門外国企業の競争相手もしくは輸
出専門外国企業へのサプライヤーである国内企業が、知識波及の受け皿となる機会
が大きいからである。
したがって、一般的には、外国企業の生産性は大きな影響力を持っている。という
のは、外国企業の生産性が高い場合、国内企業の(外国企業参入から)翌年の生産
性が向上し、また、翌年の資本労働率が上昇するからである。
企業の成功に対する制度制約
ビジネス環境の質は移行経済国ごとの差が大きく、また同じ国の中でもビジネス環
境の評価は企業ごとの差が大きい。ウェンディ・カーリン、マーク・シャファーお
よびポール・シーブライトは、どのような制度的特質が企業パフォーマンスの改善
に最も大きく影響するかについて研究した(当プログラム・ペーパー)。
まず、様々な制約の価値を測定するために、50 カ国強の管理職にアンケートに答え
てもらい、ビジネス環境のどのような点が自社の業務や成長の妨げとなっているか
について調査した。そして、種々の制約の比較重要性に関するこの主観的データを
もとに、国家が改善すべき最も重要な公共物やサービスは何か、何を優先的に改革
すべきかを突き止めた。
前述の研究者たちは、様々な制約が成長に対し、どれだけ影響を与えるか、また、
制約が国や企業の種類によってどう違うのかについて結論を出し、その証拠を以下
のようにまとめた。
•
テレコムのインフラは、どの国にとっても政策上の重要度が低い。
•
運輸は、貧しい国や戦争で荒廃した国にとってのみ重要度が高い。
•
アフリカや南アジア諸国をはじめとした多くの国にとって、その物理的イン
フラの欠如が重大事項と見なされるのは、電力のみである。
•
犯罪と政治腐敗は多くの国にとって重要度が高いが、中南米では特にその傾
向が強い。また、独立国家共同体にとっては、税制管理における弱点が特に
重要度が高い。
17
•
比較的に繁栄している国のみが、労働規制に対する関心が高い。
•
経営効率のよい企業ほど、十分に機能しない関税規定や法制の不備の制約を
受けやすい。
•
国営企業よりも民間企業の方が、マクロ経済の安定化や予測可能な政策、法
制度の機能性、政治腐敗と犯罪の減少の恩恵を被りやすい。
Box: 「ビジネス環境と企業パフォーマンス調査」
EBRD と世界銀行は、1999 年、2002 年および 2005 年の 3 回にわたって、26 の移行
経済国にトルコを加えた 27 カ国の約 2 万の企業を対象とする、「ビジネス環境と企
業パフォーマンス調査」を実施した。更に、2004~2005 年には、移行経済国へのベ
ンチマークを設定する意味で、ドイツ、ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、韓
国、スペイン、ベトナムの 7 カ国でも比較対照のための調査を行った。
同調査は、企業と国家間の様々な相互関係によって判断できるビジネス環境の質に
ついて検証したもので、調査結果は、報告書「移行報告 2005(Transition Report
2005: Business in Transition)」に詳しく掲載されている。
競争政策、民営化、経済パフォーマンス
新規企業の参入がもたらす競争は、市場経済への移行には不可欠な要素である。と
ころで、競争を効果的に激化するには、どのような政策が必要となるのだろうか。
原則として、競争政策、貿易自由化、起業促進や企業参入と撤退にかかわる障壁の
除去などのための政策等、広範囲な経済政策が競争を強化することに貢献する。
建前上は、民営化も厳しい競争環境を作るきっかけとなる。しかし、移行経済国に
は国家による独占という遺産が根強く残っているため、現実には、民営化とは、単
に国営から民間による独占に移る危険性をはらんでいる。
移行経済国では、市場集中度、国家所有および管理、資源輸送における柔軟性の欠
如とボトルネックなど、新規企業の参入を阻む障壁は高く、企業の反競争的態度を
増長することにもなる。移行経済圏のほぼ全ての国、(そして熟成した市場経済国
の多くでは)、競争を妨げるたくさんの行政上および規制上の障壁があり、補助金
を赤字経営企業に任意に交付する、などはその一例である。
マリア・ヴァグリアシンディの研究論文のテーマは、なぜ国・企業によって競争の
激しさが異なるのか、その主な要因を探ることにあった(当プログラム・ペーパ
ー)。競争政策がどれだけ効果的に実施されているかというのが研究の焦点であっ
たが、先進国を対象とした研究に比べると、移行経済諸国を対象とした当研究は、
様々な初期状況を関与しなければならなかった。
18
ヴァグリアシンディは 3 度にわたって実施された「ビジネス環境と企業パフォーマ
ンス調査」からのデータを使い、移行経済国において企業レベルの競争を激しくす
る政策上および構造上の主要因について調査した。以下がその結論である。
•
国レベルでは、競争政策の実施は、競争激化に有意にしかもポジティブにか
かわっている。
•
一方、民営化と競争激化の関係は、重要でないかネガティブな相関関係にあ
る。このことから、市場支援制度が十分ではない状況下では、民営化のみが
競争環境を作るわけではないことが明らかである。
政策への意義
競争が生産性向上にどれだけ重要な役割を果たすのかという研究は、世界における
で民営化、規制撤廃、競争政策に関する議論に貢献した。言うまでもなく、競争は、
国レベルのみならず、国際経済への開放によっても推し進められるべきである。貿
易の自由化、海外直接投資、地域統合を奨励する政策はどれも、非常に大きな意味
をもつ。
同研究は、国内の競争取締り機関の権限強化がどれだけ大事なことかを新たに確認
し、また、革新的な新規参入企業の立ち上げを奨励する、倒産など事業の失敗に対
して緩やかな方針を持つ、などの一般政策の価値についても述べている。
企業参入と生産性向上に関する研究によると、参入の障壁を小さくする或いは除去
することを目的とする政策は、確かに企業の成長を促すが、全部門の既存企業の生
産向上を目指すならば、それだけでは十分ではないことが明確である。
ビジネスの制約を分析すると、2 つの推論を引き出すことができる。
まず、政策立案者はビジネス環境の制約問題に的を絞ることで、改革可能な分野に
照準を定めやすくなる。一例を挙げると、新規参入民間企業は多くの移行経済国が
成長するためのエンジンの役割を果たしてきたわけだが、特にこれらの企業が面し
ている制約を緩めれば、他にも大きなメリットがある。
次に、移行経済国の特定の企業には影響があっても、熟成市場経済国の企業には影
響しない制約とは何であるかを突き止めることが、移行完了に向けて前進するため
の国の指標となる。
章要約
国家経済成長の鍵は、企業のパフォーマンスである。
それでは、移行経済国において、企業パフォーマンスを向上するために最も重要な
制度は何なのか。どうすれば先進国との生産性の差が縮まるのか。そして、外国企
19
業の市場参入、所有構造の変化、海外投資額の増大を始めとする市場競争は、企業
の生産性にどのような影響を与えるのか。
これらの問いに答えるべく、EBRD 日本研究プログラムは、国家経済発展の特定の
段階に最も適切な制度とは何なのか、そして、それらの制度が企業の生産性と成長
にどのように貢献しているかについて、研究を重ねてた。更に、種々の制度間の相
互関係や競争から生じるプレッシャー、国もしくは産業部門のテクノロジー開発な
どが、企業にどのような影響を及ぼしているのか、という点も分析調査した。この
研究内容は移行戦略上の改革優先事項と改革順序を明確にする上で、大きな役割を
果たしている。
この研究プログラムによって、何が企業パフォーマンスにとっての最重要事項なの
かが、明らかとなった。
•
移行経済国が OECD 加盟国と対等に競争していくには、より高度のテクノロ
ジー開発が不可欠である。どのようにしてそのゴールを達成するかは、それ
ぞれの国の先端テクノロジー水準による。
•
競争は次の 3 つの面で生産性に影響する。第一に、既存企業は新規企業の参
入を脅威と感じ、効率性に更に力を入れるようになる。第二に、新規参入企
業の出現と不成功企業の撤退は、生産性の高い企業が低い企業に取って代わ
ることを意味する。第三に、既存企業は、新規参入企業から効率性改善につ
いて学ぶことが必然となる。
•
民間企業のパフォーマンスは国営企業のそれをはるかに上回るが、民間企業
の種類によって、パフォーマンスのレベルにはばらつきがある。例えば、新
規民間企業は、民営化された企業より業績が優れているという傾向がある。
•
経済発展に対して重要な誘発的役割を果たすのが、海外直接投資である。海
外直接投資は、受け入れ企業に刺激を与え、他企業に「波及効果」をもたら
すことから、国のテクノロジー能力と経営方法の向上を推進する効果がある。
•
企業パフォーマンスの改善には、ビジネス環境の質が重大な役割を演じる。
一方、制度的枠組みには、重要なものとそうでないものがある。
20
労働市場における制度
多くの経済学者の当初の予想に反し、ほとんどの移行経済国において、失業率は比
較的高いままである。なぜ失業率は高く、また執拗に続くのであろうか。問題解決
には、どのような政策をこうじなければならないのか。また、社会保障手当、社会
保障費、雇用保障、賃金決定システムなどを始めとする労働市場制度は、どのよう
な役割を果たしてきたのか。
そうした視点を踏まえ、EBRD 日本研究プログラムは、労働市場制度と社会的「セ
ーフティネット」が失業問題管理と経済の融通性に果たす役割、および変革がもた
らした社会的結果について研究した。また、移行過程には付き物の労働力と仕事の
割り振りの難しさにも焦点をあて、求職者のスキルと求人ニーズのミスマッチ、ス
キル需要とスキル供給の地理的ミスマッチなどの阻害要因を検証した。
継続的な高失業率がもたらす問題
一般的には、リストラや企業倒産に拍車がかかると失業率も同じ速度で増加するた
め、移行が始まった直後には失業率が上昇するが、その後は逆 U 字型になるだろう
と予想されていた。ところが、どの移行経済国でも失業者数や失業形態には大きな
違いがあるものの、失業率が逆 U 字型を辿った国はほとんどない。
•
ハンガリーは、移行初期に失業率が急上昇しその後着実に下降し続けた、唯
一の国である。
•
ポーランドでは、移行初期に急上昇した失業率は、1990 年代半ばに急降下し、
その後また徐々に上昇し続けている。
•
チェコ共和国とスロバキアの両国とも、移行期間を通して失業率は上昇の傾
向にあったが、上昇率はチェコ共和国の方がかなり低い。
•
ルーマニアでは、失業率は移行初期に急上昇し、1990 年代半ば以降は 8%前
後でほぼ落ち着いている。
•
ロシアでは、失業率は多国よりも緩やかに上昇し続け、2000 年を境に 9%前
後で安定している。
執拗な高失業率に加え、労働者が労働市場に参加しない、あるいは労働者として働
かないという問題がある。これは雇用可能年齢人口の多くが無職もしくは求職しな
いという非雇用状態を指す。中東欧諸国の雇用率は大きく下降し、2004 年には 60%
を割ったとされている。
失業率の上昇につれて失業形態にも変化が見られ、特に無職状態が 1 年以上続く長
期失業者の割合がめざましく上昇している。中東欧諸国とルーマニアでは、2004 年
の時点において、失業者総数に対する長期失業者の割合が 50%強を占めるようにな
り、ロシアではその割合は 40%弱であった。
21
学歴という観点から分析すると、失業者には非熟練者が比較的多いという特徴があ
る。中等教育修了者の失業率が非常に高いスロバキアを別にすると、初等教育修了
者の失業率は平均値よりかなり高く、逆に高等教育修了者の失業率が低いという構
図が出来上がっている。チェコ共和国を例にとると、初等教育修了者の失業率は高
等教育修了者のそれに比べ、10 倍近くにも達する。
執拗に高い失業率の背景には次のような様々な要因があると考えられる。
•
第一に、移行過程がいまだ進行中であること。移行経済国は、中欧計画経済
下において非効率的であった労働力や資本の分配を、より効率的に行おうと
模索しており資源分配の過程が未だに完了していない。しかしながら、緊縮
金融政策、改革実施の遅れ、1998 年のロシア財政危機による波紋など、種々
のマクロ経済のショックがこの過程を妨害し、その結果「均衡失業率」が上
昇したとも考えられる。
•
第二に、移行以前の不適切な分配の不必要となった仕事の調整はほぼ完了し
たが、資本市場において必要とされるスキルが不適切、或いは地理的に必要
となる人材の不適切という理由で、雇用対象から外された多くの労働者を置
き去りにされている。このカテゴリーに属する労働者が、高失業率の主原因
となっている可能性もある。
•
第三に、不適切な労働市場制度を採用した結果、長期的な均衡失業率が系統
的に上昇し、移行経済国は未だに高失業率に苦しんでいる。
上記に加え、「移行報告 2006(Transition Report 2006)」には非公式経済の重要性に
ついての記載がある。ある推定によれば、ほとんどの移行経済国において、税金を
定期的に支払わない、あるいは社会保険枠組みからはみ出している、労働者の収入
が GDP に占める割合は公式 GDP の 3 分の 1 を下らないとされている。
このような「非公式」経済は国によってその程度に差はあるものの、移行初期に伝
統部門が崩壊した際、人々が生きるためにはどんな仕事でもしなければならなかっ
た状況を背景として生まれたものである。非公式活動が根強く残る理由としては、
合法生活を送る上での税金や社会保険負担、その他の負担が苛酷なこともあるが、
多くの人々が、生きるためには低賃金でも働かなければならないからである。
雇用創出と雇用喪失の過程
ジュリア・ファッジオは、移行が始まってから 15 年以上が経過しているのに、仕事
の再分配が未だに進行中であることが高い失業率の原因となっている、という説を
取り上げ、その重要性について分析した。
多くの移行経済国において、1990 年代初頭から旧国営部門は大幅に縮小し、民間部
門が著しい成長を遂げた。しかし、民間部門が国営部門に取って代わるほど大きく
なったというわけではない。2004 年時点の EBRD 推定では、中東欧諸国、ロシア、
22
ウクライナ各国の民間部門が 2003 年 GDP に占める割合は、65%から 80%である。
雇用における民間部門が占める割合は、これよりやや低いと推定される。
仕事の再分配過程はいまだに進行中なのか。そして、さらに重要なのは、仕事の再
分配過程に時間がかかったことが、現在の高失業率の直接の原因となったのか。こ
の課題に取り組むべく、ファッジオは移行以前の情勢や政策は国によって異なるも
のの、雇用創出、雇用喪失および失業率の関係について研究した。
分析によれば、失業は民間部門の雇用創出率に影響を及ぼす。また、短期失業と長
期失業を区別する際、後者は過去の失業率に左右される。つまり、国営部門におい
て雇用喪失が進んだ速度と度合いに左右されるということになる。
この分析は国と企業の両レベルで実施された。まず国レベルでは、新しい民間部門
における雇用創出と失業率の関係はネガティブな相関関係にあるという結果が出て
いる。これはすなわち、失業率が高くなると失業手当の増額となり増税となる。つ
まり増税は民間の雇用創出にとってマイナスであると考えられる。この関係は、初
期条件や雇用創出を阻んでいる政策を加味しても、有効である。
次に企業レベルでは、民間部門の成長要因が何かを調べ、国営企業の活動状態を、
外資系企業および国内民間企業と比較した。予測通り、民間部門の成長は、高収益、
R&D 投資への熱意、外国資本による企業株の保有などとポジティブに結び付いてい
る。ただし、賃金や資本コストが国の産業平均より高いと民間企業の成長にブレー
キがかかる。
雇用や賃金について、国営企業、外資系企業および国内民間企業を比較すると、大
抵の国営企業は他の形態の企業より見直し幅が狭い(エストニアのみ例外)。外資
系企業の多くは、国内民間企業と同じく、国営企業より積極的に雇用や賃金の見直
しを行う。
スキルのミスマッチが失業に及ぼす影響
ヤノス・クールーの研究論文は、失業率が高い第二の要因として、雇用主が要求す
るスキルを失業者が持ち合わせていないという事実に着目し、多くの移行経済国に
おいて需要スキルと低学歴労働者が持つスキルの間には、大きなミスマッチがある
ことを確認した。ここで「低学歴」とは、初等教育もしくは職業訓練見習いを指す
(当プログラム・ペーパー)。
同研究は、初等教育修了者(最終学歴)が雇用市場から締め出されている現象を分
析した。これは中東欧諸国において雇用水準が低いことに大きく関連した問題であ
る。分析には「国際成人識字調査」からのデータを使い、チェコ共和国、ハンガリ
ー、ポーランドおよびスロベニアの学歴・スキル資質・雇用主が要求するスキルに
ついて、西欧諸国と比較研究した。
そして、非熟練職の数が減少したため、初等教育修了者と職業訓練見習い者は、厳
しい競争に面していると予測した。このグループに属する労働者の雇用と賃金の研
23
究には、ハンガリーにおける 4 つの学歴レベルと 17 の職業について調査した 1986~
2003 年のデータを使用した。
同分析には、1997~2000 年における企業の雇用推定値も追加されている。熟練労働
者のスキル上達と同時に、雇用率と賃金も上昇するという現象は、産業とサービス
業のみに見られた。なぜ初等教育修了者が熟練労働者に労働市場から締め出された
のかは、2 つのグループの賃金反応の違いが説明している。ハンガリーの実例は、た
とえ肉体労働でも高学歴者を雇用することは、テクノロジーの発展とそれに伴うス
キルの向上に有効であることを示している。
移行経済国にとって、低学歴労働者が雇用から締め出されている状況は未だに大き
な社会問題であり、低学歴労働者を雇用形態に組み入れるための労働市場政策を活
性化するだけでなく、教育の質を上げることも重要な課題である。
シュテパン・ユライダとキャサリン・テレルの共同研究論文は、失業問題の空間的
および地域的側面、特に、クールーの研究と同じように比較的学歴の低い層の失業
問題に焦点をあてた(当プログラム・ペーパー)。今では、同じ国でも地域によっ
て失業率に大きな差があることがわかっている。このような差は地域レベルでのス
キル資質と関係があるという憶測のもとに、同研究が実施された。
その結果、ほとんどの場合、地域による失業率の差は、地域的なスキルの蓄積の差
によるものであると説明がつくが、同時に、熟練労働者の海外移住や海外直接投資
の参入にも影響が出る。更に、熟練労働者の割合が多い地域は、スキルが最も低い
労働者の失業率が低いという統計もある。
労働市場制度が失業に及ぼす影響
オリヴィエ・ブランシャール、サイモン・コマンダーおよびアクセル・ハイトミュ
ーラーによる共同研究は、執拗に高い失業率の三番目の要因を考える上で、社会保
障や雇用保障を始めとする主要労働市場制度の影響に焦点をあてた(当プログラ
ム・ペーパー)。
西欧の労働市場制度は、1960 年代以降の失業率の急上昇と強い結びつきがあると同
時に、失業率を一定値に抑えることにも貢献したという研究結果が出ている。ステ
ィーヴン・ニッケルと研究グループが分析した OECD のデータによれば、1960~
1995 年に均衡失業率が上昇した要因の半分以上は制度変化にあることが明らかであ
る。物質的に失業に影響を与えた制度を重要性の高い順から列記すると、社会保障
制度、社会保障費、労働組合、雇用保障に関わる法の変更、となる(2005 年、ニッ
ケル他著)。
これに続き、ブランシャールたちは、上記の説が東欧にもあてはまるか検討してみ
たが、同じ分析を移行経済国にも適用することには大きな問題があった。まず、時
系列の面でのデータ量が少なすぎた。また、移行初期特有の状況と大規模な再編や
再分配が絡んでいたため、比較的安定した均衡失業率の概念は、それほど意味をな
さなかったからである。
24
とは言え、執拗な高失業率の裏には、労働者や仕事の効率的な割り振りを妨害する
何らかの要因があることが、容易に想像できた。移行経済国における初期の社会保
障は、国民の所得レベルがほぼ同等の国と比較しても劣らない内容であったことか
ら、西欧と同じく、やはり制度が高失業率の原因であるという考えが妥当であると
思われた。
そこで、上述の研究者たちは、チェコ共和国、スロバキア、ハンガリー、ポーラン
ド、ルーマニアそれにロシアの移行経済国 6 カ国を対象に調査を進め、社会保障プ
ログラムの規模と範囲および労働市場の他の特徴について、詳しい証拠を提出した。
調査の上で特に注意を払ったのは、失業保険の支給額と支給期間、失業保険システ
ムの支給範囲(全失業者数に対する受給者数の割合)、そして失業保険システムが
どれだけ厳密に履行されているかという点である。これに加え、労働組合の重要度
と実力、これら 6 カ国で実施されている雇用保障の範囲、社会保障費も考察に入れ
た。これら調査には、可能な限り OECD で適用されている計算方法を使った。
そして、西欧とは違い、これらの国において、ある一定期間もしくはある一時点の
失業率の変化は、労働市場制度に起因するものではないという結論を引き出した。
もし労働市場制度が失業率に関与しているとしても、単独に作用しているのではな
く、他の要素が絡んでいるものと思われる。
移行経済国-国ごとに異なる要因
ダニエル・ミューニックとヤン・スヴェイナールは、失業要因の解明について多少
異なった次のようなアプローチを採用した。それは、3 つの仮説を作り、中東欧の移
行経済国と「ベンチマーク」市場経済としてドイツ(旧西ドイツ側)を比較するこ
とである(当プログラム・ペーパー)。
•
第 1 の仮説:移行が完了していない。この仮説は、失業者市場への流入率
(おそらく旧中欧計画経済分野における雇用市場からの)が高い、失業市場
からの流出率(新市場経済における雇用創出)は良好、そして流入率が高い
ために失業率が高い、という事実と合致する。
•
第 2 の仮説:失業者数と求人数のマッチングは良好であるが、制約の大きい
マクロ経済政策、為替の過大評価、あるいは経済のグローバル化などの要因
が、低い労働需要の原因となっているという説である。それが明確に表れる
のは、労働者流入に比べ求人数が少ない状況である。
•
第 3 の仮説:不十分な労働市場制度や地理的・スキル的なミスマッチなど、
不適切なマッチングが高失業率の原因となっているという説である。この場
合、失業率も求人率も高いが、両者が同じ地域、あるいは同じ職種に発生す
るとは限らない。
25
サンプルにした国にはそれぞれの国情があり、また、どの仮説があてはまるのかも
国によって異なる。旧西ドイツ地区では、失業率も流入率も共に増加し求人数が減
り、仕事に必要なスキルとその供給は比較的良好である。その結果、第 1 と第 2 の
仮説にぴったりとあてはまる。
チェコ共和国の状況も、失業率が上がっている、あるいは労働市場への流入と流出
が大きい、仕事のスキルと供給がマッチしているという面においては、類似してい
る。しかし、チェコ共和国では低金利・財政赤字政策を次第に取り入れたため、第 2
の仮説をあてはめると、外国からの負の需要ショックのせいでそうなったと受け取
とることもできる。
東ドイツ地区も、失業率も失業への流入率も比較的高く、求人数は低く、職業訓練
プログラムへの流出も含め、仕事に必要なスキルとその供給のマッチングは非常に
効率的で、第 1 と第 2 仮説があてはまる。
スロバキアとハンガリーの経済は両極端である。スロバキア(おそらくポーランド
も)の経済は、仕事に必要なスキルとその供給のマッチング効率性が比較的低く、
最近まで非常に高い失業率、失業市場への流入率の増加、そして低求人率に苦しん
できた。金融財政政策も比較的緩やかで、変動為替相場政策を採用している。これ
らを総合すると、上記の 3 仮説を合わせたものということができる。
最後に、ここ数年間ハンガリーは失業率を 8%前後に抑えることに成功しており、仕
事に必要なスキルとその供給のマッチングは他のどの移行経済国よりも良好である。
失業市場への流入率に対して求人率が比較的低いことから、現在の失業率は第 1 と
第 2 仮説の論理と合致している。
総合すると、移行経済国は大きく 2 つのグループに分けることができる。
•
第一グループに属するのはチェコ共和国とハンガリーで、西ドイツのベンチ
マークに類似している。東ドイツ地区をここに入れることも可能である。こ
れらの国・地域は、失業率と求人率が効率的なマッチングの例で、失業率の
原因は労働力の再編と低需要であると思われる。
•
第二グループに属するのは、スロバキアとポーランドである。この 2 国では、
仕事に必要なスキルとその供給のマッチング効率性が低いという裏付けがあ
り、これに失業への流入率の増加と低求人率を合わせると、構造上のミスマ
ッチという問題に突き当たる。東ドイツ地区の場合は、積極的な労働市場政
策が状況を複雑にしているが、広義においては第二の仮説にに近い。
社会保障と労働市場政策が雇用の再分配に及ぼす影響
カタリン・バラ、ヤノス・クールー およびアンドラス・シモノヴィッツの共同研究
は、移行期間中の労働市場政策、労働市場のへの影響、総合的に経済パフォーマン
スに与える影響について、どのような関係があるか調査した。そして、一般的には、
26
様々なの政策手段を使えば、労働市場を改善(あるいは悪化させる)する機会は非
常に多いという結論に達した(当プログラム・ペーパー)。
最悪の政策として考えられるのは、高い社会保障費を支払うことによる急速な雇用
喪失と生産性の低い労働者あるいは地域に対する支援をせずに潜在的な雇用創設機
会を失ってしまう、という組み合わせである。急進的に国営部門を減らし、同時に
失業者への保障に寛大な政策を採用した国では、低熟練労働者や被害を被った地域
を援助する確固とした理由がある。援助しなければ、不平等性が大きな問題となり、
移行期間中に雇用総数が必要以上に急減少する恐れがある。
これに反し、移行の進み方が緩やかだと収入の上昇も緩やかで、その分不平等感が
低い。漸進主義政策と助成政策を組み合わせれば、「急進でしかも寛大」な政策と
同様のの収入レベルに到達することができる。
このモデル内で考えられる最善のシナリオとは、国営部門からすばやく撤去し、社
会保障の金額を最小限に留め(ただし低すぎないこと)、低生産労働者たちを新規
参入民間企業に組み入れる、ということになる。
これらの分析は、移行経済国の政府が、様々な政策の組み合わせを決定する際有効
である。チェコ共和国を例にとると、雇用喪失に関しては漸進主義政策をとり、社
会保障額を最小限に留め、労働市場活性化のために国家支出を増大する、という政
策を組み合わせた。その結果、移行初期の失業率は他の移行経済国に比べ非常に低
く抑えられたが、長期的には経済成長を犠牲にしたきらいがある。
急進改革政策をとったハンガリーは、チェコ共和国とはまるっきり逆の例で、移行
初期には寛大な失業補償システムを採用し、労働市場政策を活性化するための支出
を抑えた。このモデルから言えるのは、政府が高雇用喪失の道を選んだ場合、雇用
総数と平等性への深刻な悪影響を避けるため、低社会保障額と労働市場政策の最大
活性化という政策をとることが賢明、ということである。ハンガリーはこうした戦
略をとらなかったため、移行後に様々な問題に直面することになった可能性が高い。
今では、雇用率の総計は OECD 内でも最低に近く、初等教育修了者と高等教育修了
者間の雇用率の差は、前代未聞の 50 ポイントとなっている。更に、地域による不平
等性も、国家経済に影響している。
また、ロシアのように、国営部門からの撤退が遅々として進まず、移行の犠牲者に
対して民間部門で職に就くための支援をしなかった場合、社会保障額を低く設定す
ることは何の意味もなさないということも、この研究で明らかになった。
ティトー・ボエリは、世界中の多くの国から収集した制度市場および労働市場のデ
ータを分析し、失業保険システムとの因果関係についてまとめた(当プログラム・
ペーパー)。ボエリによれば、失業保険は雇用再分配の質・量ともに改善するが、
失業期間が長引くという欠点がある。つまり、失業保険システムは社会構造の変化
と転職率・離職率の上昇という現象を招き、特に雇用喪失に大きな影響を与えると
している。
27
社会保障が労働市場の不活動に与える影響
オリヴィエ・ブランシャールと研究グループは、失業ではなく「非雇用」(仕事に
従事していない)という問題を取り上げ、労働市場制度がその背後にあるのではな
いか、という問いを投げかけた(当プログラム・ペーパー)。つまり、辞職や労働
市場からの離脱に対するインセンティブになっているのは、障害手当金や早期退職
年金の支給ではないか、という疑問である。ハンガリーを例にとると、1990 年代を
通じて障害手当金が支給され、それ以来受給資格の規制はほとんど変わっていない。
ジュンボ・チェレスゲルゲイは、1990 年代および 2000 年代初頭のハンガリー労働市
場の不活況に対し、年金制度がどのような影響を及ぼしたかについて研究した(当
プログラム・ペーパー)。老齢年金と障害手当金の支給構造を調べたところ、在職
期間を延長するインセンティブがほとんどない、もしくは全然ないことが明らかに
なった。少額ながらも安定した収入保障は、労働市場から離脱するための手短かな
ルートである。平均的なハンガリーの家庭は、年金を頼りにし、他の収入源を探そ
うとしないように見える。
ここで問題となるのは、ハンガリーの公定定年退職年齢で、女性 55 歳・男性 60 歳
というのは、他の欧州連合諸国よりも低い。もちろん定年退職後も仕事に従事する
ことはできるが、そうすることによる年金支給額へのメリットはほとんどない。と
いうのは、雇用を規制する法的枠組みが変わり、年金支給の基準は年齢であって恩
給生活者の生活状況ではないため、退職を遅らせるインセンティブがないからであ
る。つまり、年金受給申請によって失うものは何もないため、ハンガリー人は定年
年齢に達するや否や退職し、減少した収入に合わせて生活水準を変えるのである。
労働市場不活況のもう一つの要因として考えられるのは、早期退職である。これは、
定年退職年齢が低いこととはまた別の問題であり、早期退職者は定年退職者よりも
難しい問題に突き当たる可能性が高い。身体障害による退職もしくは早期老齢退職
というルートをとった者に対する年金支給額は、かなり低いからである。それでも
この種の年金を申請するのは、雇用の可能性が非常に限られており、そうするほか
に道がなかったからだと言えるだろう。したがって、法的枠組みや雇用機会、失業
保険のシステムを総合すると、定年になると退職してその後は職に就かない状況に
は、大きなインセンティブが作用している。
Box: 中国労働市場における移行
多くの東欧諸国や旧ソ連が採用した経済移行戦略は「金融ビッグバン」型の急速な
改革であった。中国が採用したのは、これとは非常に対照的な漸進的経済改革であ
る。本プログラムにおいて、ジョン・ジャイルズは、漸進的改革の下で中国の労働
市場がどのような変遷を遂げたのか調査した。
中国は、困難な大事業である国営企業の改革を 1990 年代半ばまで遅らせた。そし
て、1997 年に再編が本格的に始まると、都市部住人の雇用率が急激に下降するとい
う現象が起きた。国営部門からの失業者の中には非国営部門へ雇用転換した者もい
28
たが、ほとんどの一時解雇労働者が、長期間にわたり無職だったり、労働市場から
追いやられた。
これには 2 つの要因が考えられる。まず、社会保障の金額と支給期間が一時解雇労
働者にとって有利なものであったため。次に、被雇用者への年金や健康保険などの
保障がきちんとしていない民間企業に転職することを、労働者がためらったためで
ある。しかも、国営企業から移動する者は、主に早期退職者もしくは労働市場から
の離脱者で構成されていたのに対し、民間企業に移るのは主に若者で、その多くに
とって民間企業が最初の就職口であった。
失業期間を見てみると、一時解雇労働者への助成金が再就職への意欲をそいだこと
が明らかである。高学歴の若者は比較的早く新しい職に就いた一方、一族のネット
ワークが少なく就職情報や就職口への推薦が入手しにくい者は、再雇用までに時間
がかかった。
その反面、労働市場からの離脱者は、そうすることを自分で選択した形跡がある。
1996 年以降非常に多くの女性が労働市場より離脱したが、大学年齢以上の成人した
子どもを持つ女性が 1 年以内に再就職する率は、そうでない女性に比べ 60%も高い
というデータがある。
政策への意義
ヤノス・クールーは、移行経済国にとって最も深刻な問題の一つとして挙げられる
のは、低学歴労働者が就職市場から締め出されている状況である、と結論している。
低学歴労働者は非公式経済の中で臨時雇用にありつけたとしても、正式な職場を得
るという長期的な安定を得られないわけである。
共産主義下の学校制度とテクノロジーがこのような失敗を生んだというのが、クー
ルーの持説である。制度の崩壊は、単調で繰り返しの多い作業ができる多くの低ス
キル労働者を置き去りにし、近代的で脱工業化した市場経済が必要とする能力を育
まなかった。もしこの描写が正しいとすれば、この「遺産」の是正に向けて、教育
雇用政策を改革するための真剣な取り組みが望まれる。
東欧・西欧ともに今後見直していくべきテーマとして、受動的な生活保護の代わり
に最低賃金保障政策と求職支援が果たす役割が挙げられる。救済策は最低賃金と保
障金の増額であると主張する経済学者もいるが、その正当性は未だに実証されてい
ない。
ここで慎重に取り扱わなければならないのは、賃金に敏感な組立工場およびそれに
関連する非熟練者雇用の流出が与えた貢献度である(強固な最低賃金政策が、非熟
練者雇用率の下降という結果を招いたというハンガリーの経験も、これと同様であ
る)。非熟練者雇用問題を無視すれば、雇用率総計は現在のレベルで留まってしま
うことから、熟考した正当な政策がより強く望まれる。
29
章要約
当初の予想に反し、ほとんどの移行経済国において、失業率は比較的高いままであ
る。失業率が高く、また執拗に続くのはなぜなであろうか。問題解決には、どのよ
うな政策を実施しなければならないのか。また、社会保障手当、社会保障費、雇用
保障、賃金交渉などを始めとする労働市場の主要制度は、どのような役割を果たし
てきたのか。
そうした視点を踏まえ、EBRD 日本研究プログラムは、労働市場制度と社会的「セ
ーフティネット」が失業問題管理の促進に果たす役割、および変革がもたらす社会
的結果について研究した。また、移行過程には付き物の労働力と仕事の割り振りの
難しさにも焦点をあて、求職者のスキルと求人ニーズのミスマッチ、地域随所での
スキル需要とスキル供給のミスマッチについて検証した。
執拗に高い失業率の背景には、次のような 3 つの要因があると考えられる。
•
移行過程がいまだ進行中であること。移行経済国は、移行初期に非効率的な
割り振り方をした労働力や資本をより効率的に使おうと模索しており、資源
分配の過程が未だに完了していない。しかしながら、金融政策の締め付け、
改革実施の遅れ、1998 年のロシア経済危機による波紋など、種々のマクロ経
済の後退がこの過程を妨害し、その結果「均衡失業率」が上昇したとも考え
られる。
•
移行過程が引き金となった雇用形態の変化は、ほぼ完了したが、移行過程は、
必要とされる労働スキルの供給が不適切、或いは地理的に不適切という理由
で雇用対象から外された多くの労働者を置き去りにした。このカテゴリーに
属する労働者が、高失業率の主原因となっている可能性もある。
•
不適切な労働市場制度を採用した結果、長期的な「均衡失業率」が必然的に
上昇し、移行経済国は未だに高失業率に苦しんでいる。
30
金融部門における制度
経済体制移行において必要なのは、投資への資本の割り振り方を根本的に変えるこ
とである。それには、金融の自由化、国営銀行の再編と民営化、外資系銀行を始め
とする新規銀行の参入、財政法や規制の設定など、広範囲にわたる変革を経て、国
家統制下にある銀行システムを市場志向型に変えなければならない。
では、こうした変革計画は、収益性、リスクマネジメント、種々の経済部門への融
資など、銀行の経済パフォーマンスにどのような影響を及ぼしたのか。また、投資
対象となるビジネスについてはどうなのか。
EBRD 日本研究プログラムは、制度や競争が移行経済国の財政発展や財政安定に及
ぼした影響について、詳しく調査した。更に、特別プログラムを実践し、中小零細
企業の資金調達を容易にした多国間及び二国間の開発機関(EBRD 自身も含み)も
研究対象とした。
この研究は「移行報告 2006:金融部門の移行(Transition Report 2006: Finance in
Transition)」でも取り上げられた分析内容を含め、EBRD の広範囲な活動内容と直
接的なつながりがある。同報告書は金融制度の進化を特別トピックとしており、移
行経済国における金融部門の状況を以下のようにまとめている。
•
金融市場は規模と複雑さの両面において大きく成長し、銀行のパフォーマン
スも改善している。しかし、制度的制約が原因となり、所得レベルが同等の
他国に比べると、移行経済圏の金融市場は奥行きに欠ける。
•
外資系銀行は国内銀行よりも効率よく経営されており、その存在は金融部門
の発展に拍車をかける役割を果たす。しかし、外資系銀行の参入は制度改革
の代替物ではない。
•
金融部門の主軸を成すのは銀行部門であるが、株式市場、債権市場、および
より小規模の非公開投資(プライベートエクイティ)も、銀行部門を補完す
る重要な役割を担っている。
移行における銀行部門の発展
1989 年以降、経済移行の始まりは東欧の銀行システムを根本的に変えた。旧中欧計
画経済下では、企業の返済能力の有無にかかわらず、国家機関が信用分配を行って
いた。国が許可した資本投下や投資のために、資金を国営銀行を通じて国営企業や
社会経営企業に流していたのである。
銀行は、限りある資源を有効に使うために、資源を分散させるのではなく(例えば
海外貿易のような)専門分野に特化するようになった。国営の貯蓄銀行は一般家庭
からの預金を専門業としたが、実は多くの家庭はこうした預金を国から強要されて
いたのである。中央銀行が、決済システムをとりしきり、一般家庭用には現金決済
を、企業用には商業振替を採用した。
31
それと同時に、収益をあげるというインセンティブが国営銀行には欠けていたため、
融資や預金獲得のための競争や費用削減に力を入れなかった。このように、国家統
制下の銀行システム構造や市場経済への移行の始まりなどを背景に、銀行は支出や
収入を抜本的に変えるリストラを余儀なくされたのである。
こうして、東欧の政府や中央銀行は、国営銀行のシステムを市場志向型に変えるこ
とを目的とした、様々な政策の実施にとりかかった。
•
金利自由化と共に銀行システムがしだいに自由化され、また商業銀行業務を
中央銀行から国営銀行に移すことで、銀行システムを分散化した。
•
国営銀行を再編・民営化し、外資系・国内を問わず民間銀行が市場に新規参
入することを可能にした。
•
銀行と借入人との間に、適切な顧客と銀行の関係を築き、また銀行預金者の
信用を勝ち得るために債権者の権利を強化するなど、法的枠組みを徹底的に
見直し慎重な規制と監視システム作りに着手した。
銀行システムの変革を推進する上で主軸を成す政策手段とは、広義では、金利自由
化、銀行の再編と民営化、新規銀行の市場参入、そして根本的な制度変化であろう。
ライナー・ハーゼルマンとポール・ヴァフテルによる研究論文は、移行経済国にお
ける銀行システムの発展を 4 つの段階に分けて説明している(当プログラム・ペー
パー)。
•
銀行システム移行の第一段階は、1990 年代初頭の銀行制度設立である。
•
第二段階は、1990 年代半ばにどの移行経済国も一度は経験した銀行破綻(金
融危機)と銀行体制の崩壊である。
•
第三段階は、民営化と外資系銀行の参入を基本とする再編で、この過程には
長い期間を要した。2000 年までには銀行の大半が民間銀行となり、2005 年に
実施された EBRD による「銀行環境と銀行パフォーマンス調査」によれば、
対象となったほとんど全ての移行経済国において、外資系銀行が優勢であっ
た。
•
第四段階は現在までを指し、ほとんどの移行経済国において、銀行システム
はほぼ健全な状態で、適切な規制下にあり、競争力を備えた制度となってい
る。2005 年の「銀行環境と銀行パフォーマンス調査」実施の頃には、中欧計
画経済からの継承物は、調査対象国の銀行システムから概して姿を消したと
言える。
Box:
銀行環境と銀行パフォーマンス調査
32
EBRD は、2005 年夏、移行経済国 20 カ国の銀行をランダムに抽出し「銀行環境と銀
行パフォーマンス調査」を実施した。その際、アルメニア、アゼルバイジャン、グ
ルジア、キルギス共和国、タジキスタン、トルクメニスタンおよびウズベキスタン
は、調査の対象外とした。
まず、各国語に翻訳された共通アンケートを用意し、銀行の上級管理職者にインタ
ビュー形式の調査を実施したところ、220 行から回答を得ることができた。バランス
シートに記載されていない融資業務や預金業務、手数料収入が見込まれる取引な
ど、様々な銀行業務に関する綿密なデータが、回答内容に盛り込まれていた。
また、銀行融資の際の担保形態についての質問もあり、他にも、リスクマネジメン
トの方法、金融機関の担保権に関する考え方、破産法とその適用、規制政策の効率
性などについて答えてもらった。
「銀行環境と銀行パフォーマンス調査」は、移行経済国における様々な銀行融資業
務に対する疑問に有益な情報をあたえてくれた。例えば、移行経済圏の銀行の多く
は外資系銀行か外資系非金融企業の所有下にあるが、これらの外資系銀行による融
資額は、債権者権利の質に敏感に反応するのだろうか。外資系銀行はどのような資
産を担保として好むのでだろうか、といった疑問である。
また、同調査は、顧客を一般家庭、大企業、国営企業などに分類し、それぞれに対
する融資額の割合を算出した。民間企業が主な融資先である銀行と、国営企業が融
資先である銀行を比較した場合、前者の方が債権者権利の影響を受けやすいのだろ
うか。小企業が主な融資先である銀行は、個人保証を要求する傾向が強いのだろう
か。
新規市場参入と銀行の民営化が銀行のパフォーマンスに及ぼす影響
一般的に、民営化は金融部門のパフォーマンスにとってメリットが大きいと考えら
れており、この説を裏付ける調査もある。スティーヴン・フリーズ、デイミアン・
ネヴン、ポール・シーブライトおよびアニータ・タチの研究グループは、移行経済
国における多くの銀行を対象に、新規市場参入と銀行民営化が、どのように融資や
預金の構造、あるいは銀行サービス提供にかかる費用に影響を及ぼしたのかについ
て研究した(当プログラム・ペーパー)。
移行開始時期の状況を考えると、銀行システムを変えるための最も重要な課題は、
融資機会や預金需要を増やし、費用を抑えることであった。その実現には、銀行業
務の支援に対して効果がある法制度、収益性に対するインセンティブ、効果的で慎
重な規制の強制を始めとする銀行間の競争が必要とされた。
この研究論文の分析には、移行経済国 15 カ国の銀行に関する 1995~2004 年の大規
模なパネルデータが使われた。まず、対象銀行を、国籍(国内銀行か外資系銀行
か)および所有形態(国営銀行か民間銀行か)ごとにグループ分けし、更に対象時
33
期をほぼ同じ長さの 3 つの期間に分けた。そして、収益性と費用構造が時と共にど
のように変化するか分析し、下記のような結果を得た。
•
第一期(1995~1998 年)における融資と預金からの平均利益に注目すると、
民営化銀行の業績が、新規参入銀行や国営銀行のそれをはるかに上回った。
しかし、第三期(2002~2004 年)に最大の利益をあげたのは、民間国内銀行
(新規および民営化の両方)であった。
•
この結果は、当初は民営化銀行が、後に国内銀行がサービス向上や評判など
を通じて顧客を増やす優れた能力を持っていた、或いは限界費用を低く抑え
ることができた、という事実を示唆している。
•
新規参入外資系銀行は、参入当初は限界費用を国営銀行よりかなり低く抑え
たが、他の銀行間では限界費用の差はさほどなかった。第三期になると、新
規参入・民営化にかかわらず、外資系銀行は限界費用を他のどの銀行よりも
低く抑えた。また平均費用が一番低かったのも外資系銀行であった。
•
利益と限界費用からマークアップ率を割り出すと、当初融資および預金サー
ビスともに需要が高かったのは、民営化された旧国営銀行だった。しかし、
過半数外国資本所有の民営化銀行では、これは長続きしなかった。こうして、
第三期になると、マークアップ率が一番高いのは、新規参入の外資系銀行と
民営化された国内銀行であるという結果が出た。
•
外資系銀行の参入及び民営化が、一連の銀行業務サービスに顧客を引きつけ
る効果をもたらしたと言えよう。しかし予想に反し、過半数外国資本所有の
民営化銀行にとって、この効果は長く続かなかった。
スティーヴン・フリーズ とアニータ・タチは前述の研究内容を更に深める形で、移
行経済国 15 カ国の 289 行を対象に、費用効率性に関して詳しい調査を行った(当プ
ログラム・ペーパー)。研究者は進化の指標として費用効率性に焦点をあてた。そ
れは、次の 2 つの重要な要因が、費用対効果の向上にかかわっていると考えたから
である。第一に、構造制度改革を起因とするインセンティブや制約の変化であり、
第二に、法治を始めとして、政府による公共サービス効率性の改善である。
調査対象の銀行において、平均的規模の銀行は、規模に対して収益がほぼ見合って
いる(つまり利益増加のために規模を拡大する必要がない)。しかし一方で小規模
の銀行は、規模を拡大することにより収益性を増大させる可能性をかなり残した状
態で業務を行っている。これは、つまり地域の小規模銀行は合併することで費用効
率を上げられることを意味する。また、銀行は費用の価格上昇に敏感で、利用量を
減らすことで価格上昇に対応している。
国レベルで費用効率を上げるには、表面金利を下げる、過半数外国資本所有の民営
化銀行の市場シェアを増やす、仲介率(ローンや貯金が GDP に占める割合)を上げ
る、などの方法が考えられる。つまり、マクロ経済をさらに安定化する、新規参入
34
外資系銀行による競争を増やす、これらを支援する制度を作ることは全て費用効率
を上げる効果がある。
銀行システム変革の進展と費用効率性は、非線形な関係にある。変革初期には費用
効率が大幅に上昇するが、変革が進むにつれて下降する。これは、銀行システムの
移行形態が、費用削減という防御的な再編方法から、銀行業務関連サービスの質を
向上し付加価値をつけるという革新的で深みのある再編方法へと変わるからであろ
う。資産比率が高い銀行および貸倒率が低い銀行は、どちらも費用が低いが、これ
は、銀行部門自体が低リスクであることと関連性があると言えよう。
更に、民間銀行は国営銀行より費用効率性が高いが、民間銀行間にはかなり大きな
開きがある。過半数外国資本所有の民営化銀行が最も費用効率性が高く、新規参入
民間銀行(国内、外資系とも)がそれに続く。民間銀行の中で最も効率性が低いの
は過半数国内資本所有の民営化銀行だが、それでも国営銀行よりは効率性が高い。
銀行部門の制度改革が銀行の融資とリスクマネジメントに及ぼす影響
ライナー・ハーゼルマンとポール・ヴァフテルは、移行経済国の銀行のリスクテイ
キングを左右する要素は何か、およびリスクをどのように管理するかについて調査
した。分析には「銀行環境と銀行パフォーマンス調査」および「バンクスコープ
(BankScope)」のデータベースから抽出した調査対象銀行の財務資料を利用したが、
このように特殊なデータを組み合わせることで、リスクテイキングとリスク管理に
関する貴重な見識を得ることができた。
同研究は、貸倒の可能性、流動資産率、総資産利益率を始めとする様々なリスク要
素を使い、銀行によるリスクテイキングの違いについて説明を試みた。その結果、
リスクへの考え方の差異は、民間 vs 国営、国内 vs 外資系といった銀行所有権で説明
できるものではなく、国レベルの要素が原因となっていることが判明した。ここで
注目すべきなのは、金融当局や法的制度に対して安心している(制度に満足してい
る)銀行は、よりリスクを恐れないという傾向である。
ライナー・ハーゼルマン、カタリーナ・ピスターおよびヴィクラント・ヴィグによ
る、法律が銀行融資に及ぼす影響についての研究も、やはりこの説の正当性を裏付
けしている(当プログラム・ペーパー)。同研究では、前述のハーゼルマンおよび
ヴァフテル同様、法制度改革が種々の金融機関に与える影響を分析する上で、銀行
レベルのデータや国ごとの変化について研究した。
国の債権者権利保護策がどのように変化したのか分析してみると、制度改革ととも
に融資額が増えること、また新規参入銀行は既存銀行よりも制度変化に対して強い
反応を示すことを発見した。特に、外資系銀行は、国内銀行(民間・国営とも)よ
りも融資額を大幅に増やすことが明らかとなった。新規参入銀行の代わりに新規外
資系銀行においても同じことが言える。
星 岳雄も制度と銀行融資の関係について研究し、融資額の増加と法改革・制度改革
の間にはポジティブなつながりがあることを改めて確認した。星は「銀行環境と銀
35
行パフォーマンス調査」を使い、移行経済国の銀行が法的環境に対して持つ概念、
および融資する際の担保の使い方について新しい考え方を見いだし、更に、国・銀
行レベルの両方におけるこれらの相関関係について調査した。
星は、債権者権利の水準と法的環境には、銀行間および国の間における大きな差が
あることを発見した。法的環境は銀行融資の担保の選択肢および融資額の増加と相
関性があるという裏付けがあり、その一例を挙げれば、銀行の抵当権が強くなると
土地を担保として認める傾向があり、土地を受け入れるほど融資額が増えるという
ことになる。
破産法がコーポレートファイナンスに及ぼす影響
ライナー・ハーゼルマン、カタリーナ・ピスター およびヴィクラント・ヴィグによ
る研究論文は、金融市場の発展にとって、担保法の方が破産法よりも重要度が高い
と明記している(当プログラム・ペーパー)。カタリーナ・ピスターは、2 つの移行
経済国(ハンガリーとロシア)の法体制下における破産法について詳しい調査を実
施した。
同論文は「who tolls the bells for firms?(企業のために鐘を鳴らすのは誰か)」という
問いかけで始まる。提出されたデータでは、この 2 国における「鐘を鳴らす者」と
して、税務局が重要な(時には支配的な)役割を果たす事実が明らかにされた。こ
れは、移行期間中に納税を強要できなかった、あるいはしたがらなかった政府が、
「強制債権者」として決定的な役割を担ったことに起因する。海外から資金を調達
できない多くの企業が、流動性を保つ手段として納税を拒否した背景がここにある。
ピスターは、次に、税務局の存在が企業の債務構造に及ぼす影響について分析した。
企業の「ソフトな予算制約」を堅固にするには納税強制策が効果的であるが、移行
経済国の事情を考えると、柔軟な執行体制を強硬なものに変えることには 2 つの大
きな問題がある。
•
第一に、ユーコス石油の例に見られるように、政府は経済の主軸となる経済
活動の主導権を取り戻す手段として、納税強制策を利用することがある。
•
第二に、税務局の意図がこれほど侵略的でないとしても、少なくとも短期的
には、強固になった納税強制方法は民間の債権者を市場から締め出す。移行
期間中にほとんどの企業が滞納したため、納税強制策は存続できるはずの企
業を倒産に追い込むことにもなり得る。
税務局が企業に対して残余請求権者として振る舞うと、必ずしも破産データには表
れないネガティブな影響があると予測される。過去 5 年間のハンガリーの例を見て
みると、税務局が実際にかかわったのは破産総数の 36%のみだが、実際にはほとん
ど全ての倒産の引き金を引いていることがわかる。よって、企業が未だに借り入れ
を始めとするの資金調達の手段を持たないのは、税務局の振る舞いに原因の一部が
あると考えられる。
36
銀行融資が小企業部門のパフォーマンスに及ぼす影響
小企業部門は、移行国の経済成長、技術革新、雇用創出に大きく貢献した。当研究
プログラムにおいて、カリン・ヨーバー、フランチェスカ・ピサリードおよびヤ
ン・スヴェイナールは、銀行融資が中小零細企業のパフォーマンスに及ぼした影響
について研究した。中でも、EBRD が銀行に対して行った融資プログラムが、それ
らの地域における銀行による小企業への貸付能力強化にどのように貢献したのか研
究した。
対象国はブルガリア、グルジア、ロシアおよびウクライナの 4 カ国で、2002 年にお
いて、EBRD プログラムを通じて借入をした企業としなかった企業のグループに分
けて行われた調査の結果をもとに、この評価が行われた。
銀行融資が、移行経済国の中小零細企業に対して非常にポジティブに貢献している
ことはパフォーマンス指標データでも明らかである。特に企業閉鎖の際にかかる撤
退費に注目してみると、EBRD の融資を受けなかった企業は、たとえ EBRD 以外の
融資を受けていたとしても、EBRD の融資を受けた企業より、撤退費が高くついた
という結果が出ている。
同じく、純雇用創出率に言及すると、EBRD 融資を受けたほとんど全ての企業の方
が、受けなかった企業より高いという結果が出た。EBRD 融資・非 EBRD 融資とも
に、投資および固定資産に対しポジティブな効果をもたらす。これは、移行経済国
の不完全な資本市場を背景に、企業は短期貸付(非 EBRD 貸付)さえも固定資産へ
の投資に使っている状況を物語っている。また、EBRD 融資・非 EBRD 融資のポジ
ティブな効果は、収益、雇用費および雇用率にも表れている。したがって、小企業
が元来実現不可能なはずだった生産高を達成する上で、融資がなくてはならない資
金源となっていると言えよう。
次に企業の収益性への影響という点に目を向けると、2 種類の融資の間の違いが明白
となる。興味深いことに、EBRD 融資は(収益性に対して)ポジティブに働いてい
るのに対し、非 EBRD 融資にはそのような効果はほとんど見られない。売上やイン
プット増加の目的で資金が活用されることを念頭に置くと、収益性に対して限られ
た効果しかないの考えられる。しかも、競争の激しい環境では収益性は主として規
模の拡大につながることを期待される。
予想どおり、融資がパフォーマンス指標にもたらす効果は、国によって差がある。
その上、そういった効果は融資額によって変わるというものではなく、逆に、融資
額が大きすぎると収益が減少したりパフォーマンスが悪化したりすることもある。
次に融資基準についてであるが、企業が再度にわたって同じ金融機関から融資を受
けられるかどうかの基準となるのはその企業の借入信用歴だが、この理論は別の金
融機関から融資を受ける際にはあてはまらない。企業の古さ、国際会計水準の採用、
男性 CEO などは全て、非 EBRD 金融機関から融資を受ける上でプラスになるが、こ
37
れに対し、EBRD が融資するかどうか決める際には、過去の信用歴および国際会計
水準の採用が基準となる。
政策への意義
ほとんどの移行経済国では、金融システムというと銀行を指すことが多い。中東欧
諸国やバルト海沿岸諸国では特に、外資系銀行が参入したり銀行資産を買収したり
しており、そういった外資系銀行は収益性が高くパフォーマンスも良好という傾向
が強い。
スティーヴン・フリーズ とアニータ・タチの研究論文によれば、東欧諸国の政府や
中央銀行の多くは国営銀行システムを市場志向型に変えるための政策を採用したが、
そのような政策は費用効率改善に一役買っている。これは発展度の指標となる。
また、一般家庭や小企業への貸付が増え、銀行のポートフォリオも多様化している。
制度環境、とりわけ法的環境が整ってきたおかげで、住宅ローンの貸付などの新金
融商品も市場に出回るようになり、更に、公開株式市場が規模・流動性ともに拡大
し、非銀行金融機関による融資が増大している。それに加え、多くの国で非公開株
式産業が台頭し、小規模ながらも着実な伸びを見せている。
これらの要素はどれも、資金調達の改善に大きな役割を果たした。相対的には大企
業への融資が減り、また、小企業は一旦アクセスした外部資金を効率的に活用して
いることを示すデータもある。同じように、消費者にとっても、自分に有利な資金
調達活動が可能になった。しかしながら、こういった改善にもかかわらず、アクセ
スの道を確保・拡大するのは容易なことではなく、銀行システム監視の質を改善し、
非銀行金融機関による融資の増大が望まれる。
将来に目を向けると、一部の国内銀行部門にとって、欧州連合への加盟が火をつけ
た競争の激化にどう対処するかが、これからの大きな課題となるだろう。当該国の
政策立案者たちは、過去から学ぶことによって銀行業務の費用効率性を高めること
ができる。その方法として、法や規制改革の発展を維持し、国営銀行システムの民
営化を完了し、小企業が市場先導型統合によって達成可能な生産規模を実現する、
などが挙げられる。と同時に、銀行市場は、外資系銀行の参入を促すなど、開放性
と競争性を保持しなければならない。
ところが、その他の東欧諸国では、政府が特定の銀行に国家資金を流し続けるとい
う問題が残っており、一部の銀行システムが過去から抜け出せずにいる(ベルグル
フとボウルトンが 2002 年に発表した、移行経済国における銀行システム展開の分岐
路に関する研究論文を参照のこと)。これらの国は、過去との縁を切るために移行
過程で躍進を遂げた国々の経験に学ぶことが、今後の課題である。
章要約
投資への資本の割り振り方を根本的に変えることが、移行には必要である。それに
は、金融の自由化、国営銀行の再編と民営化、外資系銀行を始めとする新しい銀行
38
の参入、財政法や規制の設定など、広範囲にわたる変革を経て、国家統制下にある
銀行システムを市場志向型に変えなければならない。
では、このような変革計画は、収益性、リスクマネジメント、融資業務など、銀行
の経済パフォーマンスにどのような影響を及ぼしたのか。また、投資の対象となる
ビジネスについてはどうなのか。
EBRD 日本研究プログラムは、制度や競争が移行経済国の財政発展や財政安定に及
ぼす影響について、詳しく調査した。更に、特別プログラムを実践し、中小零細企
業の資金調達を容易にした開発機関(EBRD 自身も含み)も研究対象とした。
移行経済国の政府や中央銀行は、自国の銀行システムを国営から市場志向型に変え
るため、様々な政策の実施にとりかかっている。金利の自由化、銀行の再編と民営
化、市場参入の推進、根本的な制度変化などは、その一部である。
これらの政策は、費用効率の改善や広範な金融商品開発に大きく寄与すると同時に、
企業が資金調達をしやすくなる状況を徐々に作り上げている。しかし、次のような
課題もまだ残されている。
•
一部の国営銀行部門にとっては、欧州連合加盟後の競争激化という大きな難
関が立ちはだかっている。
•
移行経済国の政策立案者たちは、法や規制改革の発展を維持し、国営銀行シ
ステムの民営化を完了し、小企業が市場先導型統合によって達成可能な生産
規模を実現する、などの対策方法をとることによって、銀行システムの費用
効率性を高めることができる。
•
銀行市場は、外資系銀行の参入を奨励するなど、開放性と競争性を保持しな
ければならない。
•
遅れをとっている移行経済国では、政府が特定の銀行に国家資金を流す状況
が続いており、このような部分的国家管理が未だに銀行システムの機能を阻
んでいる。これらの国は、移行過程で躍進を遂げた国々の経験に学ぶことが、
今後の課題である。
39
EBRD日本研究プログラム研究論文
次に列記する 4 大調査および 30 弱の研究論文が、EBRD 日本研究プログラムの資金
援助を受けた。
ƒ
ƒ
ƒ
移行経済国とその比較対照国における「ビジネス環境と企業パフォーマンス
調査(BEEPS)」-2 度にわたって実施
「銀行環境と銀行パフォーマンス調査」
4 つの移行経済国において、中小零細企業の資金調達に関する調査
Daron Acemoglu, Philippe Aghion and Fabrizio Zilibotti
Growth, Development and Appropriate versus Inappropriate Institutions
Daron Acemoglu and James Robinson
A Framework for Studying Institutional Persistence and Change
Philippe Aghion and Evguenia Bessonova
Entry and Growth in Russia
Katalin Balla, János Köllő and András Simonovits
Transient Inequalities in Post-Communist Transition: A two-sector model
Olivier Blanchard, Simon Commander and Axel Heitmueller,
Unemployment and Labour Market Institutions: A progress report
Tito Boeri and Mario Macis
Do Unemployment Benefits Promote or Hinder Structural Change?
Wendy Carlin, Mark Schaffer and Paul Seabright
Where are the Real Bottlenecks? A Lagrangian approach to identifying constraints on growth
from subjective survey data
Zsombor Cseres-Gergely
Inactivity in Hungary – the effect of the pension system
Rafael Di Tella and Robert MacCulloch
Culture, Beliefs and Economic Performance
Giulia Faggio
Job Destruction, Job Creation and Unemployment in Transition Countries: What can we
learn?
Steven Fries, Damien Neven, Paul Seabright and Anita Taci
Market Entry, Privatisation and Bank Performance in Transition
Steven Fries and Anita Taci
40
Cost Efficiency of Banks in Transition: Evidence from 289 banks in 15 post-communist
countries
John Giles
China’s Labour Market in the Wake of Economic Restructuring
Clemens Grafe, Martin Raiser and Toshiaki Sakatsume
Beyond Borders: Reconsidering regional trade in central Asia
Irena Grosfeld
Ownership Concentration, Uncertainty and Performance
Rainer Haselmann and Paul Wachtel
Bank Risk and Bank Management in Transition: A progress report on the EBRD banking
environment and performance survey
Susan Helper, David Levine and Christopher Woodruff
How Does Economic Liberalization affect Investment in Education? Evidence from Mexico
Takeo Hoshi
Creditor Rights and Credit Creation by Banks in Transition Economies: Evidence from
Banking Environment and Performance Survey
Jon Jellema and Gérard Roland
Institutional Clusters
Karin Jõeveer, Francesca Pissarides and Jan Svejnar
Bank Lending and Performance of Micro, Small and Medium Sized Enterprises (MSMEs):
Evidence from Bulgaria, Georgia, Russia and Ukraine
Stepan Jurajda and Katherine Terrell
Regional Labour Markets in Transition and Initial Human Capital
János Köllő
Skill Endowments in the CEEs: The legacy of socialism and implications for unskilled
employment
Daniel Münich and Jan Svejnar
Unemployment and Worker-firm Matching in Post-communist Economies: Transition,
policies or structural problems
Katharina Pistor
Who Tolls the Bells for Firms? Tales from Transition Economies
Katharina Pistor, Rainer Haselmann and Vikrant Vig
How Law Affects Lending
Irina Tytell and Ksenia Yudaeva
The Role of FDI in Eastern Europe and New Independent States: New Channels for the
Spillover Effect.
41
Maria Vagliasindi
Does Competition Policy Implementation Affect the Intensity of Competition?
Evgeny Yakovlev and Ekaterina Zhuravskaya
Institutional Determinants of Success in Deregulation
42
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43
研究者
Daron Acemoglu
Philippe Aghion
Katalin Balla
Evguenia Bessonova
Olivier Blanchard (MIT)
Tito Boeri, professor of economics at Bocconi University, Milan and Scientific Director of
the Fondazione Rodolfo Debenedetti
Wendy Carlin
Simon Commander (EBRD & LBS)
Zsombor Cseres-Gergely, junior research fellow, The Institute of Economics of the Hungarian
Academy of Sciences
Rafael Di Tella Harvard Business School
Giulia Faggio, Centre for Economic Performance, London School of Economics and Political
Science
Steven Fries
John Giles, Assistant Professor. Department of Economics, Michigan State University
Clemens Grafe, Union de Banque Suisse and former lecturer at Birkbeck College, London
Irena Grosfeld
Rainer Haselmann, Columbia University, Graduate School of Business
Axel Heitmueller (LBS)
Susan Helper: School of Business, Case Western Reserve University
Takeo Hoshi, Graduate School of International Relations and Pacific Studies, University of
California, San Diego, and NBER
Jon Jellema
Karin Jõeveer
Stepan Jurajda
44
János Köllő
David Levine: Hass School of Business, University of California, Berkeley;
Robert MacCulloch Imperial College London
Mario Macis
Daniel Münich, CERGE-EI, Prague.
Damien Neven
Francesca Pissarides
Katharina Pistor, Columbia Law School
Martin Raiser, country manager for Uzbekistan at the World Bank
James Robinson
Gérard Roland
Toshiaki Sakatsume, EBRD
Paul Seabright
Mark Schaffer
András Simonovits
Jan Svejnar, University of Michigan; CERGE-EI, Prague.
Anita Taci
Katherine Terrell
Irina Tytell, International Monetary Fund
Maria Vagliasindi, Infrastructure, Economics and Finance Department, The World Bank
Vikrant Vig
Paul Wachtel, Stern School of Business, New York University
Christopher Woodruff, Graduate School of International Relations and Pacific Studies, UCSD
Evgeny Yakovlev
Ksenia Yudaeva, Director for Policy Studies, Center for Economic and Financial Research,
Moscow and Scholar in Residence, Carnegie Moscow Center
45
Ekaterina Zhuravskaya, Hans Rausing Associate Professor, New Economic School, and
Academic Director, Center for Economic and Financial Research, Moscow
Fabrizio Zilibotti
46