ヘルダーと18世紀ヨーロッパ -『旅日記』を中心に

第8回 地球社会統合科学セミナー
「市民の心・民族の魂―ヨーロッパ歴史意識の普遍性と個別性」
ヘルダーと 18 世紀ヨーロッパ ー『旅日記』を中心に(嶋田洋一郎)発表要旨
『旅日記』はヘルダーが 1769 年 5 月から 7 月にかけて行なったバルト海沿岸の都市リガ
からフランスの港湾都市ナントへの航海の途上で、彼の心の中に呼び起される思想や構想
を書き綴った手記である。本日の発表では『旅日記』におけるヘルダーの「海上での夢想」
(邦訳 64 頁:訳は『ヘルダー旅日記』嶋田洋一郎訳、九州大学出版会、による。)に基づ
いて、ヘルダーのイメージするヨーロッパについて以下の三つの視点から考察したい。
一つはヨーロッパとドイツの関係である。1744 年に当時の東プロイセン領であったモー
ルンゲン(現在はポーランドの Morag)に生まれたヘルダーは、その後同じく東プロイセ
ン領であったケーニヒスベルク(現在のカリーニングラード)の大学でカントのもとで学
んだ後に当時はロシア領であったバルト海の港湾都市リガで聖職に就く。そして 1769 年に
リガからナント行きの船に乗る。ナントに約四ヶ月滞在した後、今度は陸路パリに向かい、
その後アムステルダムなどを経てようやくドイツに入る。すなわちドイツ文学史で「シュ
トルム・ウント・ドラング」の理論的指導者とされるヘルダーがドイツ本国に始めて足を
踏み入れるのは 1770 年(26 歳)の時であり、それまでに基本的な思想形成が行なわれた
若きヘルダーにとってのドイツとは地理的な実体を伴わないものであった。
二つ目はヘルダーにおける「市民」と「民族」の関係である。多くの領邦国家から成る
当時のドイツも近代市民社会への道を模索していたが、王侯貴族を頂点とする身分制社会
の中で「Volk」はいわゆる「庶民」あるいは「賎民」として身分的には底辺に位置するも
のと考えられていた。こうした状況でヘルダーが「市民」の実体として期待するのはまさ
にこの「Volk」と呼ばれる階層であった。ヘルダーは近代市民社会を支える中間階級とし
てこの「Volk」を想定し、その地位の向上を求めようとする。その意味でこの段階、すな
わちフランス革命以前のヘルダーにおける「Volk」は「民族」、それも国粋主義的な意味で
の「民族」という意味よりもむしろ「民衆」に近いものであったと考えられる。
三つ目はヘルダーとナショナリズムの関係である。20 世紀以降のナショナリズム研究に
おいてはその第一世代であるカールトン・ヘイズあるいはハンス・コーン以来、ヘルダー
の名前に言及されない例はほとんどないと言える。今回はその詳細にふれる余裕はないが、
Nationalismus というドイツ語がヘルダーにおいては宗教との関連で現れていることに注
目したい。すなわちこの言葉は『キリスト教論集』第五集(1798 年)において、ユダヤ人の
宗教であるユダヤ教と、イエス・キリストによるキリスト教との関係において用いられて
おり、そこではこの言葉が、イエス・キリストの同郷人であるユダヤの民 (Nation) を中心
とする氏族主義を意味していると考えられる。さらにヘルダーにおいて興味深いのは、ユ
ダヤの民の個別の宗教であるユダヤ教が、ユダヤ人であるキリストの十字架上での死を通
してキリスト教という普遍的な宗教になったという観点であろう。