Advances in Structure-Based Drug Design 7 フラグメント分子軌道法プログラム ABINIT-MP による 受容体−リガンド相互作用解析 福澤 薫 (みずほ情報総研株式会社) 中野 達也 (国立医薬品食品衛生研究所) 7.1 はじめに ムを構築している [3]。現在までに Hartree-Fock (HF) 法 ばかりでなく、電子相関を含んだ MP2 法 [4]、局在化 フラグメント分子軌道(FMO)法[1]は、産総研の北浦 らにより考案された日本発の画期的な手法であり、 CBI 学会でも頻繁に取り上げられている。論理的な創薬、特 に Structure based drug design (SBDD) をより高精度に行 うために、分子の電子状態に基づいた量子化学計算に MP2 (LMP2) 法 [5] や CIS [6], CIS(D) 法 [7] といった高 精度法が実装されている。特に MP2 計算は、HF法では 記述のできない分散力の効果を適度に取り込むことが できる上に超高速化を実現しており、既に実用段階に 達している。例えば、約250残基からなるエストロゲン 多くの期待が寄せられている。それには受容体タンパ 受容体−リガンド複合体の計算時間は、Dual AMD ク質やリガンド複合体の全体を量子化学的に取り扱う Opteron の PC クラスタ 8 ノード (16CPU) を用いて、HF/ ことが求められるが、通常の量子化学計算には膨大な STO-3G レベルでは 3.6 時間、MP2/6-31G レベルでは電 計算コストがかかることから、これまで現実的な手法 子密度の計算も含めて 67 時間であり、通常の量子化学 とは言えなかった。このような巨大分子を効率よく計 算するために、北浦らは分子をいくつかのフラグメン トに分割して、フラグメントとフラグメントペアの計 算から、精度を落とすことなしに分子全体の電子状態 を計算しようという新しい近似法“FMO 法”を提案し た。FMO 法では、分子をフラグメントに分割すること により、計算コストを大幅に削減するとともに、フラグ メント間の相互作用エネルギーを評価することができ る。例えばタンパク質の計算では、構成するアミノ酸残 基単位にフラグメント分割すると残基単位での相互作 用解析が可能となる。生体分子系のFMO計算を実用化 するために、現在までに様々な理論開発が行われてお り、応用研究も広がってきている。ここでは、代表的な FMO 法プログラムの 1 つである ABINIT-MPと、専用可 視化プログラム BioStation Viewer を紹介するとともに、 それらを用いて受容体とリガンドとの相互作用を解析 した例を紹介する。 計算では不可能な計算を可能にしている。 ABINIT-MPにはまた様々な解析手法も組み込まれて いる。FMO 計算の大きな特徴の1つは、フラグメント 間相互作用(IFIE)を計算できることであり、これは全て のフラグメントの組み合わせに対して網羅的に得るこ とができる。タンパク質の計算では、アミノ酸残基単位 にフラグメントを分割すると残基単位の IFIE が得られ るため、主な利用方法としてはリガンドと各アミノ酸 残基との相互作用や残基間相互作用を解析することに なる。また固定電荷を用いた古典力場計算とは異なり、 原子電荷 (Mulliken charge) を計算することができるた め、電荷分布や電荷の移動に基づいた解析が可能であ る。さらに、軌道レベルの相互作用解析も行うことがで きる。望月らが提案した CAFI (Configuration Analysis for Fragment Interaction) [8] は、配置解析を FMO 法に適用 させたもので、水素結合における軌道間の電荷移動相 互作用を解析することができる。また石川らが提案し た、LMP2 法を用いた FILM (Fragment Interaction analysis based on Local MP2) [5] を用いると、π - πや CH- πな どの相互作用を軌道レベルで解析することができ、こ 7.2 日本発のFMO法計算プログラム "ABINIT-MP" れら2つの軌道解析を組み合わせることでより詳細な 情報を得ることができる。 FMO法は幾つかのプログラムパッケージに実装され ており、既存のパッケージに組み込んだものには北浦・ Fedrovらの GAMESS版 [2]などがある。国立衛研の中野 らにより開発されている ABINIT-MPは、生体高分子計 7.3 専用可視化プログラム"BioStation Viewer" 算に特化した純国産のプログラムであり、専用可視化 プログラムBioStation Viewerを備えた使いやすいシステ ABINIT-MP と共に、専用の可視化・解析プログラム 39 ソリューションガイド 2 0 0 7 7.4 エストロゲン受容体とリガンドの相互作用 エストロゲン受容体(ER)は核内受容体の一種であり、 乳がんや骨粗しょう症などの重要な創薬ターゲットで ある。ここでは ABINIT-MP と BioStation Viewer を用い て、ER−リガンド相互作用を量子化学的に解釈してみ る[11][12]。計算する系は、ERはリガンド結合ドメイン 全体(約 250 残基) 、リガンドは 17 β -estradiol (EST) であ Arg394 Glu353 Arg352 Phe404 Thr347 His524 る。計算方法は FMO-MP2/6-31G* 法レベル、フラグメ ント分割は1アミノ酸単位として一点計算を行った。 結合エネルギーの評価には通常 supermolecule 計算が 用いられているが、FMO 法ではそれに加えて IFIE を用 いて簡易的に評価することができる。リガンドと各ア ミノ酸フラグメントとのIFIEの総和がER−リガンド相 互作用エネルギーであり、supermolecule 計算での結合 図 1. リガンドと各 アミノ 酸残基 との相互作用 の可視 化(FMO-MP2/6-31G*)[12]。BioStation Viewer の 画面上 では色 分けされており、黄色の リガンド に対し、安定な相互作用をしている残基を 赤色、 不安定な相互作用をしている残基を青色で示し、 色の濃さが相互作用の強さを表す。 (カラー図は表紙参照) エネルギーに相当する。IFIE の総和には結合による電 子の再配置の効果が入らないが、両者は定性的に一致 することが示されている [12]。また、supermolecule計算 が受容体、リガンド、その複合体と3つの計算を要する のに対し、IFIE の場合は複合体の計算だけで済むため 計算時間を短縮できるという利点もある。 リガンドと各アミノ酸残基との IFIE を BioStation Viewerで可視化したものを図1に、また数値グラフを図 BioStation Viewer が開発されている [3][9]。BioStation 2 に示す。図1では、黄色のリガンドに対し、赤色は安 Viewerでは、基本的な分子構造表示やモニタリング、分 定な相互作用、青色は不安定な相互作用をしている残 子重ね合わせのほかに、FMO法ならではの計算結果を 基で示し、色の濃さが相互作用の強さを表している。特 容易に可視化して解析することができる。まず IFIE や に強く安定化しているのは、荷電・極性アミノ酸残基 原子電荷の計算結果は、分子の3次元立体構造上に色分 Glu353, Arg394, His524, Thr347および疎水性アミノ酸残 け表示される(例:図 1 および表紙カラー図)。IFIE 表 基 Phe404 である。リガンド周辺の構造をみると(図 3) 示では、例えば基準フラグメントとしてリガンドを指 Glu353, Arg394, His524 はリガンドの水酸基と水素結合 定すると、受容体の各アミノ酸残基が IFIE の値で色付 ネットワークを形成しており、Phe404 は側鎖とリガン けされ、リガンド−各残基間の相互作用の大きさが一 ドのベンゼン環同士が T 型のπ−π相互作用をしてい 目でわかる。 る様子がわかる。他にも多くの疎水性残基との弱い相 次に軌道相互作用や電子密度、静電ポテンシャル、分 互作用が見られた。従って、リガンド結合ポケット中の 子軌道、電場ベクトルはグリッドデータとして3次元構 幾つかの荷電・極性アミノ酸残基との間の強い静電相 造上 に 表 示 さ れ る 。例え ば C A F I 結 果 の 表 示 で は 、 互作用に加えて、リガンド結合ポケット中に数多く存 ABINIT-MP計算結果から得られた電子受容軌道と電子 供与軌道の組を、相互作用軌道として可視化する(例:図 4) 。CAFI と IFIE 解析とを組み合わせることによって、 10 Arg352 相互作用の“大きさ”に加えて電子移動の”向き”を知 Glu353 XUFF力場による構造最適化機能が実装されている。 40 547 535 523 511 499 487 475 463 451 439 427 415 403 391 Amino acid residue タを容易に作成することができる。そして最新の開発 版では FMO計算の初期構造作成のために、編集機能や 379 -40 367 入力ファイル作成機能もあり、GUI を用いて入力デー -30 355 まれている。また BioStation Viewer には ABINIT-MP の -20 343 cluster analysis of protein-ligand interaction)[10] も組み込 His524 Arg394 331 類似性の抽出する手法である VISCANA (Visualized Phe404 Thr347 319 て可視化するとともに相互作用パターンからリガンド -10 307 他にも、受容体と複数のリガンドとの IFIE をまとめ IFIE (kcal/mol) ることができる。 0 図 2. リガンドと各アミノ酸残基とのフラグメント間 相互作用エネルギー ( F M O - M P 2 / 6 - 3 1 G * ) [ 1 2 ] Advances in Structure-Based Drug Design 5. おわりに hyd roph obic re sidue s エストロゲン受容体とリガンドとの相互作用解析を Phe404 Glu353 C 例に、フラグメント分子軌道法プログラム ABINIT-MP O HO HN N O His524 CT H2O EST HO とBioStation Viewerを用いた量子化学的アプローチを紹 介した。FMO法は生体高分子の相互作用解析に適した 強力な手法であり、今後の創薬研究へ応用されること を期待している。ABINIT-MP と BioStation Viewer は無 H 2N Arg394 NH N H2 O Cα Cα NH hydrophobic resi dues 償で公開中であり、PCクラスタがあれば誰でも簡単に 利用することができる。またここで紹介したような相 Leu387 互作用解析以外にも、CI 法を用いた光励起エネルギー [6][7][13] の計算や、古典分子動力学法と組み合わせた 図3. リガンドと主要残基との相互作用 ab initio MD シミュレーション [14]などの成果も出てお り、実用化に向けた開発が進行中である。 在する疎水性アミノ酸残基との間の弱いvdW相互作用 が共に重要であり、それらが累積されて安定な結合を 参考文献 形成していることがわかった。特に Glu353とリガンド との相互作用が主要であり、全相互作用エネルギーの3 [1] T. Nakano et.al. Chem. Phys. Lett. 351, 475 (2002). 分の 1 を占めている。 次に電荷分布を見てみると、ERとの結合によって中 性リガンドの電荷が-0.11となっており、ER−リガンド [2] http://www.msg.ameslab.gov/GAMESS/GAMESS.html [3] ABINIT-MP ver 3.1.1 と BioStation Viewer ver. 間の電荷移動相互作用が示唆される。そこでCAFIによ 6.06.1 は以下の URLからフリーでダウンロードで る分子軌道 レ ベ ルの 相 互 作 用 解 析を 行 っ た と こ ろ、 きる。 http://www.rss21.iis.u-tokyo.ac.jp/result/ G l u 3 5 3 から リガンド への 電子供与 、リガンド から Arg394およびHis524への逆供与が起こっていることが 明らかになった(図3の矢印)。中でも最も強い、Glu353 download/index.php [4] Y. Mochizuki et.al. Chem. Phys. Lett. 396, 473 (2004). のカルボニル酸素のlone pairからリガンドフェノール基 [5] T. Ishikawa et.al. submitted. のσ *OH への電荷移動を可視化したものを図 4 に示す。 [6] Y. Mochizuki et.al. Chem Phys Lett. 406, 283 (2005). 他の軌道相互作用に関しても同様の絵が得られる。 [7] Y. Mochizuki et.al. Theor. Chem. Acc. in press (DOI 10.1007/s00214-006-0181-6). [8] Y. Mochizuki et.al. Chem. Phys. Lett. 410, 247 (2005). [9] 加藤昭史、福澤薫、望月祐志、甘利真司、中野達 也、可視化情報学会誌 2006 年 4 月号 Glu353 [10] S. Amari et.al. J. Chem. Inf. Model., 46, 221 (2006). His524 [11] K. Fukuzawa et.al. J. Comp. Chem., 26, 1 (2005). [12] K. Fukuzawa et.al. J. Phys. Chem. B, 110, 16102 (2006); Arg394 K. Fukuzawa, et.al. J. Phys. Chem. B, 110, 24276 (2006). EST [13] Y. Mochizuki et.al. Chem Phys Lett. 433, 360 (2007). [14] Y. Komeiji et.al. Chem. Phys. Lett., 372, 342 (2003). 図 4. G l u 3 5 3 とリガンドとの電荷移動相互作用。 B i o S t a t i o n V i e w e r の画面上では色分けされて おり、G l u 3 5 3 のカルボニル酸素の l o n e p a i r ( n O ) が電子供与軌道(赤・青で表示)、リガン ド フ ェ ノ ー ル基のσ * O H が電子受容軌道(緑・ 黄で表示)を表す。 41
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