自動車産業再編に関する米中比較研究

自動車産業再編に関する米中比較研究
-中国にGMは生まれるか-
教養学部
国際関係論コース
03LL107
(論文指導
張
震寧
永 田 雅 啓)
195
自動車産業再編に関する米中比較研究
【要 旨】
・問題意識
自動車産業は規模の経済が最も顕著に働く産業であるため、限られた企業による大量生産体
制を構築することが合理的であり、世界規模で生き残りをかけた“再編”は自動車産業において
重要なキーワードである。
しかし、現在の中国では、地方政府の保護により競争力に乏しい 100 社以上の自動車企業が
存在し、これらによる過当競争が自動車産業の健全な成長を歪めている。果たして、乱立して
いる現在の中国自動車産業を統合・再編する企業は出現しうるのだろうか。本論文は 20 世紀初
頭のアメリカのビッグ 3 形成期との比較研究を通じて、当時のアメリカと現在の中国との自動
車産業の共通点と相違点を導き出し、さらにそれらを元に中国自動車産業の再編の行方を予測
することを目的とする。
・主要な結論
①中国は国有自動車企業の保護があり、国家の介入が多く 20 世紀初頭のアメリカのような
市場主導の再編は難しい。②ただし、中国は潜在的な巨大市場だけに、再編で企業数を無理に
減少させなくても、将来的には大手一社当たりの生産規模は、規模の経済を十分享受できる程
度に大きくなる。③しかし、中国では米日、欧州など先発の自動車企業が先行する一方、WTO
の加盟で国際的な競争はより厳しくなるため、市場再編の必要性は大きい。④また、現在は外
資も含めた強力なブランドが既に確立しており、この中で中国ブランドを新たに確立するのは
容易ではない。知的財産権保護に対する監視も 20 世紀初頭とは比較にならないほど強くなっ
ているのも後発の中国にとっては制約となる。このため外資との合弁などによる再編の重要性
が高まる。⑤さらに、中国では地域ごとに5大ブロックに分かれている。当面、中国全体をカ
バーするような巨大自動車会社は現れず、地域ブロックごとの再編・寡占化が進む。
以上のように、厳しい国際競争の中にある一方で、中央・地方政府による保護も強力な環境
の中、近い将来、中国市場の 40%以上のシェアを握る GM のような巨大企業が登場するとは
考えにくい。それゆえ、20 世紀初頭のアメリカに見られたような急速な寡占化は進まないだ
ろう。しかし、第一汽車、東風汽車、上海汽車の 3 大企業が地域的に分散していることもあり、
各地域ブロックにGMに匹敵するような企業が出現して生産の寡占を実現することは可能性
としてある。地域的に企業が分散する形になっても、大きな成長余地を残す中国市場では、今
後の市場拡大に伴い各企業は規模の利益を享受し、高い生産性をあげられる可能性がある。こ
の方向での再編と淘汰が進むことが望ましい。
196
国
際
目
経
済
次
プロローグ ..................................................................................................... 197
第1章
アメリカ自動車産業再編のプロセスおよび要因 ............................. 199
第1節
アメリカ自動車産業の発展........................................................................ 199
第2節
アメリカ自動車産業の再編のプロセス...................................................... 203
第3節
アメリカ自動車産業再編の成功要素の分析............................................... 206
第2章
中国自動車産業の発展と再編 .......................................................... 211
第1節
中国自動車産業の発展 ............................................................................... 211
第2節
中国自動車産業の再編 ............................................................................... 218
第3章
米中自動車産業の再編に関する比較分析 ........................................ 226
第1節
経済体制と自動車企業の所有形態 ............................................................. 226
第2節
競合相手と集中度 ...................................................................................... 228
第3節
自動車市場の潜在力................................................................................... 229
第4節
ブランドの確立と技術要素........................................................................ 231
第5節
産業集積..................................................................................................... 234
第4章
結論と残された課題 ........................................................................ 237
第1節
まとめ ........................................................................................................ 237
第2節
再編プロセスにおける今後の課題 ............................................................. 238
第3節
中国に GM は生まれるか――結びにかえて................................................ 239
参考文献......................................................................................................... 240
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自動車産業再編に関する米中比較研究
プロローグ
自動車産業は裾野のもっとも広い産業のひとつであり(下図を参照)、関連主業種は鉄鋼か
ら始まり、ゴム、各種材料、各種センサー、コンピュータシステム、カーオーディオ、ナビゲ
ーションシステム及び各種インテリア機械装備に至り、さらには、道路建設、駐車場・車庫の
整備、並びにそれらを備えた住宅など、社会的な生活の基礎となる諸産業にも恩恵を与えてい
る。そればかりではなく、自動車社会は長期的な見方をすれば、いずれは農村の都市化ないし
大都市の郊外化することを促進させる。自動車の普及は必然的に人々の活動範囲を拡大し、の
みならず人々のライフスタイルをも変えうる力を有しているため、これを引き金に起こること
であろう商業革命、サービス革命及び消費革命のもたらす経済効果は計り知れない。
川
鉄鋼業
道路建設
非鉄金属工業
都市建設
上
産
川
下
自動車産業
ゴム工業
住宅、駐車場
業
産
業
石油工業
自動車修理など
IT、音響
金融、サービス業
商
サ
都
農
消
業
ー
市
村
費
革
ビ
郊
都
革
命
ス
外
市
命
革
化
化
命
自動車産業の経済的相関図
いま、その自動車産業は名実ともに中国経済の根幹となっており、今後ますますの発展が予
想される。中国経済を理解するためには、自動車産業の研究なしにはできないほどである。そ
れゆえ、本論文において自動車産業をテーマとして選択した理由でもある。
自動車ブームが人類史上初めて出現した 1910 年代、自動車誕生の地アメリカでは、GM、
198
国
際
経
済
フォード、クライスラーの 3 巨頭が自由経済の下、
各地に散在していた地場製造企業を統合し、
世界一の生産量を誇る自動車大国に発展した。
それからまもなく一世紀、中国という世界で巨大規模の自動車市場がアジアに出現している。
ここでは、人々の所得が上昇し、自動車購入ブームが空前の規模で展開され、当時のアメリカ
を彷彿させる。しかし同時に、自動車産業の問題点も噴出している。その中でも、本論文で問
題視する、過当競争による自動車産業の非合理的な発展は、その波及効果の大きさから、中国
の経済発展にも大きな影響を及ぼしかねないと懸念されている。
その多くは地方政府の保護主義により生かされている競争力に乏しい企業である。果たして、
このような当時のアメリカと多くの共通点で合致する環境の下に、地方集権の壁を打ち破り、
乱立している中国の自動車産業を成功して統合・再編を遂げる企業は出現しうるのだろうか。本
論文はアメリカの GM をはじめ、ビッグ 3 の例と比較研究を通じて、米中双方の共通点と相違
点を導き出し、さらにそれらを元に中国自動車産業の再編の行方を独自に導きだすことを目的
として、執筆する。
199
自動車産業再編に関する米中比較研究
第1章
アメリカ自動車産業再編のプロセスおよび要因
19 世紀から 20 世紀にかけての世紀転換期のアメリカにおいては、各種産業における独占状
態は最高度に到達し、金融業界は少数の銀行による寡占状態の様相を呈し、産業の独占体と金
融の独占体が融合して出来た新しい資本主義の形態である金融資本が誕生した。
特にアメリカにおける工業生産性の向上は、鉄道や鉄鋼業、あるいは機械工業など、重工業
の発展に源流を見出すことが出来る。その中で、自動車工業は他の産業と相互に技術的に応用
可能で、しかも経済的結びつきも強い「新総合機械産業」としての基盤を築いていくのである。
アメリカ自動車産業は草創期、成長期と成熟期を経て現在のような寡占状態になった。本章で
はアメリカ自動車産業の発展と再編のプロセスを分析し、またその要因をまとめる。
第1節
Ⅰ
アメリカ自動車産業の発展
アメリカ自動車工業の発達基盤と黎明期
自動車工業発展の背景を研究する上で、欠かすことの出来ない要素が鉄道の発達であろう。
アメリカにおける鉄道建設は 1830 年代から開始され、1850 年頃には東部の大都市間の鉄道連
絡がほぼ完成した。重要なことは、鉄道の建設自身が他の産業を引き立てる非常に潜在力を持
った産業であったことである。
重工業の発展は工業製品の品質向上、大量生産の確立、あるいは市場規模の拡大という恩恵
をアメリカ経済にもたらし、自動車工業の発展に必要な物質的需要を根底から支えうる基礎を
築き上げたといえる。鉄道を通じて資本家はモノを運ぶことの重要性、すなわち市場の拡大を
認識し、また個々の市民は遠い未踏の地に踏み出して行く魅惑に取り付かれたのである。しか
し、鉄道はどこまでも延びてはいない。このことは、自動車が発達する直接的な原因の一つで
もある。
鉄道事業と競争関係、かつ補完関係にある自動車工業は、19 世紀から 20 世紀にかけてアメ
リカにおいて急速に発達し、「新総合機械工業」としての地位を確立していく。その過程におい
て、それ自身の技術革新はもちろん、自動車工業の発達を支えた基盤としての副次的な産業な
いし生産システムの発達にも注目しなければならない。これらの付随する産業の発達なしに、
自動車産業の興隆を語れないからである。ここでは、5 つのポイントに集約する。
第 1 に、動力源として内燃機関、すなわちガソリン・エンジンが開発されたことである。そ
れまでの自動車は蒸気機関、次いで電気を動力源としていたが、技術的に障害が多いのみでな
く、また経済的合理性にも欠いていた(表 1-1 を参照)。その結果、必然的に高効率のガソリン
エンジンが生まれる背景をつくり出した。さらにガソリン・エンジンは、工業や農業を、扱いに
くい蒸気機関の制限や動力上の制約から解放した。同時にそれは、当時形成されて間もない石
油トラストに大きな市場を提供し始めた。
200
国
表 1-1
際
経
済
各種動力機関の長所及び短所
蒸気機関
内燃機関
電気機関
長所
短所
変速簡単、馬力大、クリーンエネルギー、騒
始動困難、重量が重い、騒音大。
音がない、燃料に各種の油を利用できる。
始動が簡単、少燃料で長距離走行が可能、エ
変速その他の操作が複雑、騒音
ンジンが相対的に軽量。
大、排ガス。
始動が簡単、変速が簡単、軽量、クリーンエ
蓄電源が未開発。
ネルギー、騒音なし。
出所:『GM の実態と現況』国際産業情報研究所、1984 年
第 2 に、燃料基盤としての石油について検討してみる。それまで、主に鯨油によってまかな
われていた産業用油脂が、ドリル工法を採用した E.L.ドレイクによって、1859 年にペンシル
ベニア州のタイタスビルに石油が発見されて以来、石油にとって代わられるようになった。そ
の後も良質な油田が次々と発掘され、原油精製法の改良によって原油からアスファルト、石油
コークス、ガソリンなどが開発され、道路舗装用、燃料用として広く使用されるようになった。
特に、ガソリンは製油法の成熟によって注油が容易になり、自動車の軽量化・高速化をもたらし
たうえに燃費の大幅な引き下げに貢献して、当時幼稚産業であったのガソリン自動車の製造が
成熟していくための豊富な動力源を約束したことを意味する。
第 3 に、原料基盤としての鉄鋼生産について検討する。1890 年以降、鉄鋼製造業の工場規
模の著しい拡大とそれに伴う生産能力の増大、品質の均一化・優良化など飛躍的発展を遂げた。
このことは、鉄鋼業の不断なる技術革新の賜物に他ならない。第 1 次世界大戦後、鉄鋼や銑鉄
生産の量的拡大・質的向上は冶金法や圧延法などの技術的改良によって実現された。特に連続圧
延法の開発は、自動車工業が需要する生産安定性の高い、そして高強度を備えた高級仕上げの
薄鋼板の大量生産を達成した。このことが示すように、原料基盤としての鉄鋼業の発達はその
後の自動車工業の発展に非常に大きく貢献したのである。
第 4 に、近代的な生産システムの確立を考える。近代的生産システムとはいわば、機械群を
中心とし、互換性が確立された部品の組み立てを人間が機械の動きに合わせて流れ作業に準じ
ることで大量生産を可能にするために設計された機械工業の発展である。アメリカにおける近
代的生産システムの導入は早くも 18 世紀終わり頃から見られた。特に、技術革新に伴う機械
類の進化は部品の数の増加からも見て取れ、そのために互換性の不足は大量生産を達成する一
つのボトルネックとなっていたのは言うまでもない。
最後に、自動車という製品を享受するための社会インフラの整備について見なければならな
い。すなわち、ここでは道路の整備状況を考える。
アメリカの道路の舗装の歴史は、実はガソリン自動車の誕生とほぼ平行して行われたといえ
る。当時、舗装道路の不足した状況で自動車が普及し始めたアメリカだけに、道路の舗装に対
する市民の要望は盛り上がり、1916 年の“連邦道路助成法”が制定され、連邦政府の補助のもと
に大々的に道路建設が進められていくことになる。道路の整備・拡張によって自動車の普及が促
201
自動車産業再編に関する米中比較研究
され、さらに自動車の普及が新たな道路の建設を促すという良性循環がアメリカ国内に広く見
られたこの頃、自動車通勤や自動車によるショッピングの概念が生まれ、郊外への移住やそこ
における商業施設の発達を促し、今日のアメリカの都市建設の基礎にも多大なる影響を与えた。
様々な経済的背景のもと、アメリカの自動車工業は飛躍的な発展を遂げた。ビッグ 3 の一角、
フォードが成立した 1903 年当時、アメリカにはすでに 12 の自動車製造会社があった。アメリ
カの国土は広大で燃料の石油は豊富に採れる。したがって、この黎明期を迎えたばかりの自動
車産業は、洋々たる前途が約束されていた。車は飛ぶように売れ、確実に利益のあがる事業だ
った。巳野(1981)によれば、1900 年にはニューヨークでアメリカ最初の自動車ショーが開
催され、その期間だけで 4 千台以上の車が売れていたのである。しかし、当時の自動車はあく
までぜいたく品であり、自動車製造工場といっても町工場に過ぎないガレージで手作りによっ
て生産されていたため、大変に高額であった。それゆえ、1908 年にヘンリーフォードがハイ
ランドパーク工場にて大量生産を実現するまで、大衆に普及することはなかった。この時期の
自動車にはブランドイメージはなく、会社名がそのまま車名になることは普通だったので、マ
ーケティングの重要度も低く、産業構造は非常に単純なものだった。そこで、この時期を黎明
期と定義することができる。
Ⅱ
アメリカ自動車産業の成長期
アメリカの自動車産業に大量生産体制が確立されるや否や、アメリカの自動車産業の生産構
造は急速に集約化されていった。表 1-2 と表 1-3 で分析すると分かり易いだろう。1908 年に
フォードが T 型車の大量生産を実現した時期以降、自動車企業数は自動車の利益を見込んだ参
入による増加の一途をたどっている一方で、生産が GM とフォードに集中するようになってい
るのである。さらに、表 1-3 だけ見れば、1923 年にクライスラーが参入して以来、アメリカ
自動車産業におけるビッグ 3 の集中度は極端に高まり、平均して約 9 割のマーケットシェアを
握るに至っている。この発展で注目すべきことは、すでにアメリカの資本主義が自由競争を超
えて、独占的な段階に突入したことである。この劇的な経済環境の変化の中で、ビッグ 3 は競
争や統廃合を通じて、次第にその独占的な性格を現し、それは今日広く見受けられる典型的な
アメリカの巨大企業の外観を残すものであった。
202
国
表 1-2
際
経
済
アメリカの自動車企業数の推移
新規参入
倒産・合併による消
去
同時点における会社数
1908
10
2
52
1909
18
1
69
1910
1
18
52
1911
3
2
53
1912
12
8
57
1913
20
7
70
1914
8
7
71
1915
10
6
75
1916
6
7
74
1917
8
6
76
1918
1
6
71
1919
10
4
77
1920
12
5
84
1921
5
1
88
出所:己野保嘉治 1981 年『アメリカ自動車王国の傾斜』日本工業新聞社
表 1-3
米ビッグ 3、他メーカー、および輸入車のマーケットシェアの動き
GM
フォード
1913 年
12.2%
39.5%
1923
20.2%
46.0%
1.9%
31.9%
1929
32.3%
31.3%
8.2%
28.2%
1933
41.4%
20.7%
25.4%
12.5%
1937
41.8%
21.4%
25.4%
11.4%
1946-50
41.8%
21.4%
21.6%
15.1%
1951-55
46.2%
25.7%
18.6%
8.9%
0.2%
1956-60
45.5%
28.0%
14.6%
5.7%
0.6%
1961-65
49.7%
26.2%
12.2%
6.0%
6.2%
1966-70
46.2%
24.5%
15.8%
2.8%
10.6%
1971-73
44.9%
23.9%
13.8%
3.0%
14.3%
1946-73
平均
45.8%
25.0%
クライスラー
他メーカー
輸入車
48.3%
16.3%
6.9%
出所:己野保嘉治 1981 年『アメリカ自動車王国の傾斜』日本工業新聞社
5.8%
203
自動車産業再編に関する米中比較研究
Ⅲ
アメリカ自動車産業の成熟期
アメリカ自動車産業にビッグ 3 が台頭し、やがて成熟期に入ると、自動車産業は米国経済の
中でも最も競争の少ない産業の一つとなった。その集中度は先例のないものである。GM 一社
だけで産業の売上の 50%近くを占め、国内生産の 95%以上がビッグ 3 に集中している。この
産業での垂直的統合度合いは凄まじいものである。この数社だけで川上の主要な部品の製造か
ら、川下の排他的なフランチャイズ販売店まで一貫して統合されている。その上さらに、自動
車製造業への参入条件は“事実上閉鎖されている”と言われている。具体的には、この産業は大
規模な垂直的統合、高額な販売推進費用、そして莫大資本金の必要性のためである。
この反競争的な構造は、新規参入者に対して越えられない障壁を設け、さらには価格決定や
製造の全過程での技術革新についての意思決定を各社独自に行う動機を奪い、代わりに独占の
共有による相互的依存関係の発生を助長した。それゆえ、長らくアメリカ自動車産業では、価
格は競争のレベルを超えた高い水準に設定され、製品のデザインは防衛的に模倣され、技術は
低く抑えられていた。 1
ビッグ 3 は利益が出せる大型車をこぞって製造し、消費者のニーズ
とは裏腹にアメリカの自動車産業はやがて、輸入車などの外国勢に押され、今日に至っては傾
斜の方向に動いている。
第2節
Ⅰ
アメリカ自動車産業の再編のプロセス
フォード自動車会社の成立と発展
今日に至るアメリカの巨大自動車企業フォードは、創設者ヘンリーフォードが 2 度の失敗を
経て設立に成功した企業である。ヘンリーフォードはこの企業において、A 型と名づけた車種
から製造販売を行ったが、後に 1908 年から製造販売された「T 型フォード」は大量生産時代
の自動車生産体制およびそれに付随するサービス体制を形成した最初の自動車となり、現代の
自動車産業に大きな影響を残している。
フォードは T 型フォードの単一車種を 1927 年まで、モデル改良と生産工程の改良、販売サ
ービス網の整備を行いながら、20 年間も生産し続けた。その結果、フォードは表 1-3 に見るよ
うに、1923 年には市場シェアの約 50%を握るようになる。
しかし、フォードは T 型車の生産に固執し、会社内部の権力闘争などにより、T 型フォード
末期には新型シボレー車の登場を契機に、マーケティングとオートローンに力を入れていた
GM に首位の座を奪われた。フォードはその後今日に至るまで、アメリカ 2 位の自動車企業の
地位に甘んじている。
フォードはその規模を拡大していく過程において、後に述べる GM とは異なり、他企業の吸
収合併を積極的に行うのではなく、むしろ部品の完全なる内製化を目指した企業の内部的拡充
であった。そのため、フォードが 1933 年に中級車ブランドマーキュリーを新たに創設するま
1
ブラッドフォード・C・スネル『クルマが鉄道を滅ぼした』緑風出版、1995 年
204
国
際
経
済
で、買収によりブランド保有した企業はリンカーン社のみであった。その後も、フォードは米
国内において企業買収に取り組むものの、他社より比較的頻度が少ないのが特徴である。むし
ろ、フォードは GM との競争において、海外進出に力を注いだ。欧州フォードによる現地生産
は古くから行われ、アジア進出も 1925 年日本に工場を建設するなど、早くから意識されてい
た。
しかし、注目しなければならないことは、フォードを含むビッグ 3 が急成長し、1930 年代
の大恐慌時にはシェアを約 90%に高めている。集中度が高まったのは、大恐慌下で数多くの
零細自動車企業がこれら巨大企業の発展に圧迫され、倒産・淘汰されたからに他ならない。フ
ォードは間接的にアメリカ自動車産業の再編に関わったといえるだろう。
現在のフォードは日本のマツダやスウェーデンのボルボ、英国のランドローバ、アストンマ
ーチン、ジャガーなど世界各国の自動車企業を傘下に収めている。マーケティングの失敗や原
油高による近年の業績不振はあるものの、世界でも第 3 位の自動車企業として君臨している。
Ⅱ
GM の成立と発展
GM の創設者であり、ビュイック社長デュラントは、ビュイック自動車会社における成功を
背景にして、当時の 4 大自動車会社であった、ビュイック、フォード、マックスウェル・ブリ
スコー、及びレオ(オールズがオールズモービルを去った後に設立した自動車企業)の統合を企
画したのである。
彼の戦略はすなわち、競合企業フォード社のヘンリー・フォードが工場内における内製化を強
力に推し進めることで、単独で垂直的な市場の独占を試みたのに対抗して、GM はビュイック
社を中軸とした、企業の集中による生産拡張を通じて資本の集中を進めた。既存の組立工場を
買収(水平的トラスト)し、拡張を続ける生産規模を支えるには、川上から川下に至るまでのバ
リューチェーンを構築すること、すなわち、部品メーカーやディーラー組織を買収することで、
全体としてボリュームを持った形での市場独占を試みたのである。そのため、例えばフォード
を傘下に収めることは水平的統合の合理性を持ち、部品から完成車の生産拡張のメリットをも
たらしてくれるのであった。当然ながら、考えを異にするフォードとオールズ率いるレオの合
同は現実味を帯びることなく、またマックスウェル・ブリスコーとの交渉もまた、デュラントの
経営手法に疑問を持つパートナーのモルガン商会の反対によって立ち消えとなった。
自動車工業が成熟していくにつれ、統合や集中は必然的となる。しかし、内部拡張による市
場の支配は企業規模が拡大するにつれて非合理的となってきた。それに対して外部拡張は買収
先が自社にとって吸収すべき利点を持つ限り、企業の競争力=市場支配力を手に入れることが
出来る。この考え方は現在に通じるものであり、当時において実践したのがまさにデュラント
であり、その具現化した結果がまさに GM の成立であった。
GM は、そのころアメリカのトラストの間によく見られた資本集中の新しい形態である持株
会社であった。当時、ニュージャージー州では、1889 年 5 月以来、登記会社を吸収して財政
収入を増加する目的で、特に自由な会社法を制定したうえ、法人税の引き下げまで行った。そ
のため、デュラントは同州に初期の GM 本社を設置することになり、こうした周到な準備を整
205
自動車産業再編に関する米中比較研究
えた後、ビュイック社、キャディラック社、そしてオールズ社の買収に動き出すのであった。
20 世紀初頭までに、アメリカにおいて工業証券市場は非常に高度に発達していた。この証
券市場の発達を背景にしてデュラントは、株式による他企業の株式取得、すなわち今日広く見
られる企業買収の手法である株式交換をすでにこの時期に行っており、これを通じての株式支
配という形態で 20 社以上の自動車メーカーや部品メーカーを次々と買収しはじめ、資本集中
を進めた(表 1-4 を参照)。
表 1-4 GM 主力部門の取得状況
会社名
純資産(ドル)
ビュイック自動車会社
3,417,142
キャディラック自動車会社
オールズ自動車会社
オークランド自動車会社
支払方法
現金(ドル)
優先株(ドル)
普通株(ドル)
1,500
2,498,500
11,249,250
2,862,709
4,400,000
275,000
2,961,769
17,279
1,827,694
305,523
305,523
1,195,880
出所: 井上昭一 1987 年『GM の研究』ミネルヴァ書房
井上(1987)によれば、GM が企業統合化政策の推進した動機は 2 つに大別できる。
すなわち、
第 1 に、多種多様な組み立てメーカーや部品メーカーを傘下に整理統合することを通じて生産
設備を拡充するとともに、全国的に配給組織やディーラー網を確立して競争を排除=市場の独
占的支配を目指したことである。
第 2 に、製品の多様化・差別化を追及することにより、そのうちのどれかによる「取引性の実
行可能性」を狙ったことである。
こうして、GM はその巨大な市場支配力と巧みなブランド戦略によるマーケティングをもっ
て、1929 年にシェアでフォードを追い抜いて以降、世界 1 位の自動車企業として不動の地位
を保持している。
Ⅲ
クライスラーの成立と発展
かつて GM の技術者だったクライスラーが独立して、自身の企業クライスラー社を立ち上げ
たのは、1925 年であった。当時のマックスウェルとチャーマーズを統合した上での設立であ
る。その意味では、クライスラーもアメリカ自動車産業の再編に積極的に関わっていったと言
える。同社はさらに、1928 年に「プリマス」と「デソート」ブランドを立ち上げ、翌 29 年に
は合併によってダッジ社を吸収し、ビッグ 3 の一つに成長した。1987 年にはアメリカ第 4 位
のアメリカン・モータス(AMC)を合併吸収し、本格的な 3 社による寡占的高収益体制を作
り上げた。
クライスラーもビッグ 3 の他 2 社同様、米国内のみならず、世界規模での自動車産業の再編
に乗り出していた。1960 年には、スペインの商業車メーカー、バレイロスの経営権を掌握、
強行的な資本介入によって 1963 年にフランスのシムカを買収し、1967 年にはイギリスのルー
206
国
際
経
済
ツグループを買収し、これらを合わせてクライスラー・ヨーロッパとして組織した。しかし、
無謀な拡張政策とオイルショックがあいまって、1980 年代には経営危機に陥ることになるが、
米国政府からの資金援助を受けて再建を果たした。
現在、クライスラーは 1998 年にドイツのダイムラー・ベンツと合併し、成立したダイムラ
ークライスラーのブランドとして存続している。しかし、その自動車市場に与える影響力はい
まだに衰えることなく、ビッグ 3 の一角として現在も自動車市場で大きなプレゼンスを見せて
いる。
第3節
アメリカ自動車産業再編の成功要素の分析
これまで、アメリカにおける自動車工業再編の背景と歴史を概観してきた。本節において、
アメリカ自動車産業再編の成功要素の分析を行う問題意識は次の通りである。すなわち、GM、
フォード、クライスラーが今日に見られる巨大企業に成長した背景には、当然に企業のリーダ
ーの功績が大きい。しかし、これらの内的要因に加え、自動車産業に大きな影響を与える外部
要因を分析することなしに、アメリカ自動車産業再編を研究することはもちろん、次章以降に
おける中国自動車工業の分析は難しい。ゆえに、以下では 5 つのポイントに集約し、中国自動
車工業との比較研究の際にもこれらを比較基準に用いる事とする。
第 1 に、経済体制と自動車企業の所有形態。当時のアメリカは言うまでもなく工業化黎明期
の資本主義経済であり、すなわち、各企業による自由競争が前提にあるということであった。
同時に、政府の関与がほとんど及ばないということは、企業の経営活動の自由度がそれだけ大
きいことを意味している。このような環境の下では、自由な参入が許された民営企業が経済の
主体となり、しかも初期においては挑戦心のある個人実業家が己の実力だけで産業を興すこと
は大いに可能であった。たとえば、GM は母体であるビュイック社を中心に、後に主力部門と
なるキャディラック社、オールズモービル社、オークランド社(後のポンティアック)を次々に
買収・合併し、企業規模を拡大させたが、それは自動車業界再編に必要なプロセスである一方
で、自由な株式取引ができる環境が整っていたからこそ得られた経営上の成功である。独占あ
るいは寡占状態にあることは利益を最大化することに他ならないので、それを可能ならしめる
自由な経済体制は企業活動にインセンティブを与える。自動車は規模の経済が最も生かされる
産業であるゆえ、大手自動車企業は産業再編を通して独占を勝ち得ることが重要だということ
を認識し、特にビッグ 3 を中心に買収合戦を繰り広げていったのであり、アメリカ自動車産業
の再編が速やかに成功に行われた所以である。
第 2 に、競合相手と集中度。当時、黎明期の自動車産業は、ヨーロッパ及びアメリカにおい
てしか生産されていなかった。草創期のアメリカ自動車市場は実に魅力ある市場だった。ヘン
リーフォードのように一発当てれば、たちまちに巨万の富を築くことができた。ゆえに、倒産
する企業が続出しても次々と新規参入してきたのである。自動車製造工場の数だけを見れば、
アメリカ国内数十社が存在し、自動車工業の黎明期にしては企業の乱立状態は現在の中国とさ
207
自動車産業再編に関する米中比較研究
ほど変化はなかったが、―しかし、その後の GM やフォード、クライスラーがいわゆるビッグ
3 を形成するまでの過程では、かなりの数の自動車製造工場が買収・合併、あるいは自然淘汰に
よって姿を消した―現在と比較すると、市場を支配しうる競争企業ははるかに少数であった。
つまり、魅力のある車種を発売すれば、より高い市場占有率を取ることは非常に容易であった。
第 3 に、自動車市場の潜在力。これは、自動車に対する関心という心理的な事象と、自動車
購入の経済的制約の克服という二つの面が前提として存在しなければならず、特に後者は自動
車市場を発展させる上で、最も重要な要因だといえる。当時のアメリカにおいては、「人力では
なく機械の力で動き、しかも道の続く限り座ったままでどこへでもいける」という自動車の特性
は、この個性的な交通手段に人々の関心を大いに引き付けたのであり、急速な工業化、あるい
は金融業・サービス業の発達による所得の上昇と相まって、アメリカに巨大な自動車市場を作り
出したのである。表 1-5 と 1-6 はそれぞれ、当時のアメリカにおける産業別支払い所得分配の
推移と自動車の販売台数を示している。すなわち、鉱業を除く第 1 次産業は所得分配を減らし、
代わりに都市部を拠点とする製造業やその他の非 1 次産業では全体として増加している。この
ことは、当時のアメリカにおいて、都市部を中心に、所得の増加によって自動車の潜在的需要
が形成されていたことを示す。実際に、1923 年におけるアメリカ自動車生産台数は 300 万台
を越え、後に見る中国の 2003 年の生産台数をはるかに凌駕している。
当然に、この時期における自動車販売の大きなバロメーターは価格であった。もちろん、キ
ャディラックに代表される高級車はある所得層の心をつかんだとはいえ、普遍的ではなかった。
むしろ、当時の自動車に対する大衆の関心の対象は価格であった。表 1-5 はフォードの大衆向
け車種フォード T 型車の価格推移と販売台数を示している。この表から分かるように、現在ほ
ど消費者の自動車に対するニーズが多様化し、それに合わせて多品種大量生産が確立されてい
ない時代においては、価格が自動車販売のカギとなっていた。
表 1-5 T 型フォードの販売額、シェア及び価格(1909~1925 年)
T 型モデルの
価格の動き
1909 年
販売数量
全米の自動車
T 型モデルの
販売数量
市場占拠率
950 ドル
12,000 台
124,000 台
9.7%
1911
690
40,000
199,000
20.1
1913
550
182,000
462,000
39.4
1915
440
342,000
896,000
38.2
1917
450
741,000
1,746,000
42.4
1919
525
664,000
1,658,000
40.0
1921
355
845,000
1,518,000
55.7
1923
295
1,669,000
3,625,000
46.0
1925
290
1,495,000
3,735,000
40.0
出所: 秋元英一 1995 年『アメリカ経済の歴史』東京大学出版会
208
国
際
経
済
さらに、注目しなければならないことは、フォードやクライスラーに先駆けて、GM は新た
な自動車の購入方法を考案し、自動車の普及をさらに推し進めたことである。すなわち、自動
車の割賦販売である。GM の金融子会社である GMAC はディーラーを通じて顧客の与信審査
などを実施したが、この制度は消費者に自動車の購入をさらに容易ならしめたものであると同
時に、莫大な資金を必要とした点においては、当時において、金融資本を中心とする一大トラ
ストへと移行しつつあった GM の強みが発揮された端的な例であろう。
表 1-6
支払い別国民所得
年
1869~
1879
1914~
1923
輸送・
鉱業
製造業
建築
20.5
1.8
13.9
5.3
11.9
4.4
42.1
100.00
15.2
3.3
22.2
3.00
11.00
7.9
37.00
100.00
公益
政府
商業・
農業
サービス
計
注:上段は 1869、1879 年の平均
出所: 秋元英一 1995 年『アメリカ経済の歴史』東京大学出版会
総括すると、自動車産業は規模の経済が最も顕著に働く産業であり、当時の消費者が求める
低価格の自動車を提供し、マーケットシェアを握るにはその実現が必要不可欠だったといえる。
この生産規模の拡大に加え、自動車の販売方法の多様化に従い、企業は様々なリスクに直面す
るようにもなり、その回避のためには莫大な資金を備える必要があった。その意味で、ビッグ
3 にとって産業内における企業構造の再編、さらにはトラストへの昇級は必然的であった。
第 4 に、ブランドの確立と技術要素。すでに述べたように、当時において競争相手が少数で
あった自動車産業において、魅力的な製品は市場占有率を押し上げる重要な要素だった。しか
し、自動車の普及とともに、より多様なニーズに応えるべく多品種を生産することは必然的な
要求であった。それゆえ、各社は独自にブランド戦略をとった。中でも特に、GM は長期的な
視点で、自動車をブランド別に販売する戦略を打ち出したのである。当時、フォードが T 型の
単一車種・単一カラーの生産にこだわり、市場シェアを取ったのに対して、消費者の嗜好は必ず
変化するとの分析のもと、大衆車から高級車までを用意する、いわゆるフルラインナップを通
じて、幅広い顧客を獲得しようとしたのである。
当時の GM のブランド別の位置づけは、すなわち、大衆車のシボレーより始まり、ポンティ
アック、オールズモービル、ビュイック、そして高級車のキャディラックが頂点に立つピラミ
ッド構造であり、この差別化された基本戦略があらゆる層の顧客を捉え、市場を支配できた一
因ともいえる。俗に GM 車を評して、「シボレーは大衆用、ポンティアックは貧しいが誇り高
き人のため、オールズモービルは陽気な、しかし慎重な人のため、ビュイックは努力する人の
ため、そしてキャディラックは金持ち用」といわれるように、GM の製品はアメリカ社会に深く
浸透していくのである。
209
自動車産業再編に関する米中比較研究
GM の成功が示すように、当時の大型自動車企業にとって、ブランドを持つことは非常に重
要であった。設立間もないクライスラーがダッヂ社を買収し、そのブランドで大きな成功を収
めたことはこのことを裏づけ、各社はブランドの獲得に躍起になった。その最もの近道は買
収・合併であり、アメリカ自動車産業の再編を促したのである。やがて遅れてフォードも単一
車種の生産をやめ、リンカーンなどを代表するブランド買収していったのである。自動車はブ
ランドから年齢や性別、嗜好さらには身分までも評価できる極めて社会的な乗り物になってい
ったのである。と同時に、このブランド獲得の動きはビッグ 3 のグローバル展開をする上でも
非常に重要になってくる。1920 年代に GM がドイツのオペル社を買収した目的は、まさに海
外における企業規模の拡大にあり、世界規模の自動車企業再編さえも促したのである。
さらに、各企業の技術的な結びつきが再編を加速させた。当然ながら、自動車工業発展の黎
明期に自動車の製品化に成功する企業は、何らかの形で技術にオリジナリティをもっていたこ
とは疑う余地もない。例えば、キャディラック車は高級車にふさわしい高品質に加え、黎明期
の自動車の欠点であった部品互換性の悪さを最初に克服した自動車の一つとなった。1908 年、
イギリスの王立自動車クラブ(RAC)による部品互換性テストに合格して、RACから「デュワ
ー・トロフィー」を受賞している。その後も、世界で初めてV型 8 気筒エンジンを製品に搭載
し、その後の高級車エンジンの金字塔を打ち立てたと同時に、エンジン・スタータ、V型 16 気
筒エンジン、ウィッシュボーン式前輪独立懸架の実用化、エアコンディショニングの搭載など、
近代の乗用車の技術革新に大いに貢献した。しかし、価格が自動車の売れ行きを決定する 20
世紀初頭のアメリカにおいて、高級車を主力とする同社はある限界点以上に販売台数を期待す
ることはできなかったのだろう。それゆえ、大衆車メーカーのビュイックをはじめとする企業
の有機的結合によって補完関係を築くことは、企業の将来展望をより確実にする有効な手段で
あったのである。
アメリカの場合、フォードや GM による大量生産の確立以前では、当時の自動車企業の多く
は町工場に過ぎず、オーダーメイドで自動車を生産していた。そのため、自動車一台を生産す
るのに非常に高いコストを要し、その原因は人件費以上に技術の集約としてのコストであった。
自動車は規模の経済がもっとも顕著に働く産業であるために、小規模に生産を行っても合理的
経営が難しい。
結局、企業の集約化はこのような技術開発の抱える問題を緩和した。すなわち、企業規模の
拡大による規模の経済の実現、あるいは人材の集約による研究開発の競争力向上につながる。
大企業が零細企業を呑み込み、あるいは中小企業の有機的結合による補完関係を築くことは、
資源の効率的な配分の観点から非常に重要であった。同時に、技術は開発するだけでなく、吸
収することでも得られる。企業買収の大きな目的の一つがそうであった。これは再編を促した
根底であり、当時のアメリカのビッグ 3 に普遍的に見られたのである。
第5に、産業集積。GM は、1912 年に本社をデトロイトに移している。デトロイトには当
時すでにフォードが本社を構えており、後にデラウェア州から本社移転したクライスラーを含
め、アメリカの自動車企業がほとんど本社機能を集中しているモーターシティである。この背
景には、言うまでもなく各社の産業集積のメリットをにらんだ戦略があるためだ。
210
国
際
経
済
ミシガン州は五大湖沿いに位置し、天然資源の宝庫である。そこでは鉄鉱石、石炭、さらに
豊富な森林資源が存在し、これらが五大湖の水運と組み合わさって五大湖工業地帯が形成され、
鉄鋼の街ピッツバーグや自動車の街デトロイトが誕生した。20 世紀初頭、おりしも動力機関
が従来の馬車にとって変わろうとしていた時代に豊富な森林資源を有し、全米馬車製造の中心
地であったかの地は技術集積の場として自動車の製造拠点に転換することは容易であった。特
に、フォードがここに創業して以来、近代的生産システムを導入することで、自動車の大量生
産が可能となり、自然にデトロイトに全米の自動車企業が優秀な人材と高度な技術を求めて集
積してきたのである。こうして、デトロイトは 1920 年代には全米の自動車生産台数の約 8 割
を占める巨大生産拠点にまで成長した。
ビッグ 3 による企業の集約・再編はデトロイトが持つ産業集積地としての特質に拠るところ
が大きい。仮に、当時のアメリカ自動車産業が各地に分散した形で存在したならば、規模の経
済を実現するような企業買収はより困難だったであろう。
インターステート 75 号線と 65 号線に挟まれる形で、アメリカ自動車企業の集積は進んでい
る。ビッグ 3 のデトロイト進出は、まさに地の利をたくみに利用した戦略であり、その後の発
展を支えるべく優秀な人材の確保、熾烈な競争を通じて達成した数々の新技術開発を支えたの
である。
以上において、アメリカ自動車産業が企業構造の集約化ないし再編への成功要因を分析した。
これらのことが示すように、アメリカの自動車企業は自動車工業を発展させた偉大な功績を有
すると同時に、現在における発展途上国の自動車工業発展に大いに参考となる経営手法をも示
してくれる。次章以降において分析を行う中国自動車工業は、成長期のアメリカ自動車産業と
共通点と相違点をともに有する非常に複雑な構造となっている。そのため、アメリカ的経営手
法の参考はもちろん、独自の展開構図を描かなければならないが、次章以降で詳しく考察する。
211
自動車産業再編に関する米中比較研究
第2章
中国自動車産業の発展と再編
前章まで、アメリカ自動車産業の発展と再編に関して、その時代的背景を分析した。すなわ
ち自動車市場の発達を自動車企業の経営戦略と織り交ぜながら分析を行い、さらには、アメリ
カの自動車産業が寡占状態に達した要因をまとめた。本章以下では、中国自動車産業の発展お
よび再編の可能性について、分析を行っていく。
そもそも、自動車産業が発展した 20 世紀のアメリカにおける状況は現在の中国とは共通点
が多いとはいえ、その発展段階において根本的に形態が異なることは明白である。それでも、
経済的な観点から、企業の集団化は合理的な自動車産業の発展にとっては必然的であり、中国
の現状とアメリカの経験を比較することは、中国自動車産業の今後の行方を見通す上で重要な
参考となる。
第1節
中国自動車産業の発展
中国の自動車産業の歴史が他国と大きく異なる点は、1990 年代まで、社会主義の全人民所
有と集団所有体制下において、個人所有の余地を残さなかったことである。このことは、今日
に至る中国の自動車産業の後進性を決定的に位置づけ、その負の影響を残しているのである。
中国自動車産業の歴史は独立後の 1949 年より始まるが、その中で旧ソ連の技術協力を経て、
文化大革命期の自立更正政策により独自の発展を推進した時代と、改革解放後より今日に至る
外資企業からの技術導入や合弁事業などの拡充と国際化が進んだ時代とに大別できる。
Ⅰ
建国初期~文化大革命期
新中国が成立する以前の自動車産業は、小規模の修理工場と部品製造業がわずかに存在する
程度の貧弱な状態だった。新中国成立後、政府は直ちに自動車産業の発展を重要政策に挙げ、
自動車運輸業の回復、自動車修理業の拡大、自動車製造業の設立準備などにとりかかる。1949
年 10 月には重工業部を設置し、傘下の機器工業局に自動車工業準備グループを設け、自動車
工場設立のための基礎調査や必要な人材の訓練を始めた。
横山則夫(2004)によると、1953 年 7 月、第一次 5 カ年計画開始と同時に総工費 6 億元を投
じて、長春市で第一汽車製造廠の建設工事が着工され、3 年後の 1956 年には年産 3 万台規模
の自動車工場が完成し、同年 10 月には「解放」4tトラック、翌年 5 月に「東風」小型乗用車、8
月には「紅旗」高級乗用車、9 月には「CA30」2.5t軍用 4 輪駆動車をそれぞれ試作に成功し、中国
初の自動車量産態勢を整えた。しかし、当時は部品産業の発達が遅れていたために、第一汽車
ではフォード生産方式による部品の内製および単一製品の生産を進め、これに生産投入資源の
不足があいまって、生産量自体は抑えられていた。
第一汽車製造廠は完全なる国策企業であった。その製品には民生用の概念が欠如し、ひたす
ら国家の利益を追求することとなった。すなわち、戦争により荒廃した国土の再建に必要な物
212
国
際
経
済
資や人員の輸送を担うトラック、人民解放軍が使用する軍用車、あるいは共産党幹部の公用車
を自前で生産するという需要が最優先され、それゆえ当時の中国における自動車の概念とは輸
送手段、あるいは指導者が利用する贅沢な乗り物でしかなかった。その結果、文化大革命直前
の 1965 年に約 85%のシェアを誇っていた第一汽車の製造品種において、トラックが 53%、4
輪駆動車が 9%、乗用車が 0.2%、そしてシャシーが 38%の売上構成比となっていた。
第一汽車が生産を始めたころ、自動車の需給ギャップが拡大し、生産台数が追いつかないた
めにより一層の自動車工業の規模拡大が必要となった。このため、全国各地で自動車工場やト
ラクター工場が相次いで建設され(表 2-1 を参照)、中には後に大手自動車製造集団へと成長す
る上海汽車や北京汽車が含まれていた。この動きは次第に加速し、文化大革命の開始とともに、
地方分権や自力更生策に沿って自動車産業は大きく変化する。いわゆる「一省一工場」体制が確
立されたのである。特に、イデオロギーの違いによるソ連との関係悪化や中越戦争の脅威から、
基幹機械産業としての自動車産業を安全保障の面から保護するために、内陸部への移転(三線建
設政策)を推進した。その最大のプロジェクトが第二汽車(現在の東風汽車)の建設である。
表 2-1
第一汽車設立後の自動車の本格生産に参入した主な企業
当時の名称
現在の名称
南京汽車製造廠
躍進汽車集団
上海汽車生産基地
上海汽車集団
設立の経緯
主な製品
1947 年に軍の修理工
1958 年、トラックや
場として設立。
ジープを生産。
1957 年、塗装、シャ
1964 年から 4tトラ
シ ー工場 など 数社 で
ックを生産開始。
自動車工場を設立。
北京小型四輪駆動車
生産基地
済南自動車部品廠
北京汽車集団
1938 年に軍の自動車
1963 年、小型四輪駆
工場として設立。
動車を生産開始。
自動車部品工場
1963 年、大型ディー
中国重型汽車集団他
ゼ ルトラ ック の生 産
開始。
出所:横山則夫 2005 年『激変!中国の自動車産業』日刊自動車新聞社
このような経過により中国の自動車産業は、大きく 3 グループに分けられることになった。
第 1 グループは中央政府直系で単一車種を大量生産する第一汽車と第二汽車の 2 大メーカー、
第 2 グループは中堅メーカーとして南京汽車、済南汽車、北京汽車、上海汽車など 10 社あま
りの都市政府直轄型メーカー、そして第 3 グループが地方政府管轄下の多数の小規模メーカー
である。さらに、その下に多くの技術研究所が垂直的に結合されていた。
Ⅱ
改革開放初期~現在
1979 年の改革開放以降、中国政府は自動車産業を重要産業と位置づけ、その発展を積極的
に推進した。この時期には中央において「汽車工業総局」(後に国営トラストの中国汽車工業公司
213
自動車産業再編に関する米中比較研究
へ発展的解消)が創設され、全国の自動車企業の管轄に携わることとなる。中国の自動車産業に
おける企業連合および外資系企業との合弁による自動車生産はこの国営産業の体制下に始ま
ったのである。
改革開放の進展に伴い、国内の産業が活性化し、あるいは国内旅行者の増加などが交通事情
を逼迫し、自動車に対するニーズが以前にも増して膨れ上がった。このような状況は大手企業
による増産という解決方法では需給のギャップを埋めることはできず、多数の地方メーカーや
軍需工業から民生用品に転業した企業(軍転民企業)、さらに郷鎮企業が自動車あるいは自動車
関連製品を製造し始めた。1980 年を基準とすると、企業数は 56 社から 114 社へと増加してお
り、今日の自動車企業の乱立はこの時期からはじまる。
その後、中国の自動車産業は順調に規模を拡大し、1989 年の天安門事件を受けて、中国経
済は一時期減速したものの、1991 年に鄧小平が行った「南巡談話」を契機に急速な景気回復を果
たし、自動車の生産は再び勢力を盛り返した。特に、今日の自動車産業発展の主軸となる乗用
車の製造はこの時期に大きく躍進し、生産の伸び率が 4 倍と、バス 2.3 倍およびトラック 1.6
倍を大きく引き離した。すなわち、この時期から中国では徐々にではあるが、自動車の個人所
有が浸透し始めたのである。
1994 年 7 月、政府は自動車工業政策として、初めての正式な政策法律である「自動車工業産
業政策」を公布・施行した。この法律は、製品認証と産業組織、産業技術、投融資、輸出入管理、
国産化、消費および価格、関連工業および社会保障など、自動車産業全般にわたる包括的な政
策であったのみでなく、自動車は国家の基幹産業であるとの位置づけが明文化された。さらに、
製品安全、公害防止、関税引き下げや国際競争力の強化を目指すなど 2 、中国自動車産業が新
たなステージに踏み入れたことを示している。
この政策の下、中国の自動車産業は飛躍的に拡大を続ける自動車市場の恩恵に浸りながら、
21 世紀という新しい時代に突入した。それ以来、中国は巨大な市場として注目を浴び続ける
存在となった。現在において、上位 3 社で総生産量の約 50%、上位 15 社で約 90%を占めて
いる状況では、残りの市場を分け合うその他の企業は弱小メーカーと言え、この時期の無謀な
拡張政策が長期的に中国自動車産業発展のネックとなった。
しかし、表面上の発展は必ずしも内部に抱える問題、すなわち企業の乱立状態による経済的
非合理性を解決する手立てとなっていない。したがって、次節においてこのような戦国時代と
も比喩できる中国の自動車産業の現状を考察する。
図 2-1が示すように、中国の年間自動車生産台数は 70 年代末時点で十数万台に止まり、1992
年にはようやく 100 万台の大台を突破し、2000 年には 200 万台に達した。これを皮切りに自
動車生産台数は猛スピードで増加し、2001 年には 234 万台、さらに 2002 年には 325.1 万台、
2003 年には 444 万台、2004 年には 507.5 万台となり、中でも乗用車は 231 万台と、それぞれ
前年比 14%及び 12%増加している。2004 年の販売台数は 505 万台、前年比 15%増加してい
る。2005 年生産台数は 570 万台、うち乗用車 390 万台、2006 年 700 万台を超えると予想さ
れ、この勢いが続けば、おそらく 2010 年には、1000 万台を超えるだろう。
2丸川知雄『グローバル競争時代の中国自動車産業』蒼蒼社、2005
214
国
図 2-1
600
500
400
300
200
100
0
際
経
済
中国の自動車生産台数
万辆
自動車全体
乗用車
78
19
85
19
93
19
91
19
95
19
97
19
99
19
01
20
03
20
05
20
年
出所:『中国統計年鑑』,2005 年版等。
中国の自動車産業がこのような猛スピードで発展していることは、世界の自動車史にも類を
見ないものである。1999 年―2005 年の間に、中国自動車生産台数は 183 万台から 570 万台へ
増加したが、これは日本の 1965 年―1970 年の間(188 万台から 529 万台へ)の速度に似てい
る。これは中国が積極的に世界の有力な自動車会社と合弁したことに起因する。とくに日本の
大手自動車メーカーが中国に進出してから中国の自動車生産と販売市場も大きく変わった。
中国の自動車企業は外国の先端技術を導入すると同時に、国産化率の拡大を重要視している。
80 年代では外国製自動車一台の国産化率を 40%から 80%に引き上げるのに、7-8 年の時間
を要していたが、現在では 3-4 年の時間で可能となっている。一部の高級乗用車に関しては
1 年間で 60%の国産化を達成している。しかし、問題は中国の自動車部品の技術レベルがまだ
低く、国産化率が高くなるにつれて品質もそれなり落ちることである。そのため、先端技術の
導入や全面的な合弁を通して、いくつかの中国の大手メーカーは、特に環境に配慮した自動車
生産の技術力を高めている。
Ⅲ
中国の自動車マーケットの飛躍的な拡大
21 世紀に入って、中国政府は自動車消費を刺激する政策を盛んに展開し、そのマーケット
の拡大に努めてきた。現在、中国の自動車マーケットは 90 年代までのいわゆる「巨大な潜在
マーケット」から発展が最も速い「顕在なマーケット」に変化している。2004 年にはその規
模を世界第 4 位に押し上げ、さらには外国企業やファンド等の自動車消費金融会社への参入を
許可する具体的な政策を発表した。これは今後中国の自動車マーケットがさらに発展しうるこ
とを意味している。予測によれば、2010 年までに中国の乗用車需要は 1580 万台になるだろう。
現在の発展状況を見る限り、増加率は年率 20%台に達することも十分予想できる。中国の段
階的な関税引き下げに伴い、自動車メーカーは合理的な経営を実現し、中国の乗用車はさらに
低価格化が進むことで、より多くの消費者を獲得することができるだろう。現在、中国の大部
分の都市(少なくとも見積もって 4 億人)は自動車社会の初期段階に突入している。しかし、
中国の自動車保有量は 2800 万台(2004 年)に過ぎず、個人用車(個人消費乗用車、貨物用車、
タクシーを含む)は 1500 万台であり、100 世帯平均に換算すると 1.4 台ときわめて低い割合
となっている。中国は現在都市部に 1 億前後の世帯を有し、乗用車の普及率が日本レベル、つ
215
自動車産業再編に関する米中比較研究
まり 1.6 台/世帯に達するためには、単純計算でも 1.6 億台が必要である。全国では 3.5 億の世
帯を抱えているから、もし全国的な乗用車の普及率が日本レベル、すなわち 1.6 台/世帯に達せ
ば、総需要量は約 5.6 億台となる。自動車の買い替えの部分を計算しないとしても(実際には、
この部分の需要も非常に大きい)、現在の伸び率で考えれば、毎年 1000 万台ペースで自動車が
増加し、しかも約 60 年は持続可能である。このように、中国の自動車マーケットの未来は無
限の広がりを持っているといえる。
Ⅳ
現代の中国の自動車産業が抱える問題
中国の自動車産業は凄まじい発展を遂げ、マーケットも飛躍的に拡大しているにもかかわら
ず、依然として多くの問題を抱えている。主に以下の何点かに集約される:
第一、全国の生産規模は依然として小さい。2005 年、中国の自動車生産台数はCKD 3・SKD 4
組み立て方式によって大量増加して 580 万台に達したにもかかわらず、トヨタ自動車一社の生
産台数 830 万台(2005 年)にも及ばない。つまり、中国は競争力のある自動車産業を形成し
えていない。2002 年の中国の自動車生産台数は世界第 5 位に、2003 年にはさらに一つ繰り上
がって 4 位に昇ったが、乗用車生産台数は世界第 8 位である。2004 年では順位が変わってい
ない。さらに 2005 年にはドイツを抜いて世界第 3 位に浮上している。このランクが低いとは
言えないが、しかし第 3 位といっても 1 位や 2 位との差はあまりにもかけ離れている。ちなみ
に、2003 年の自動車生産台数の世界第 1 位はアメリカの 1207 万台、第 2 位が日本の 1028 万
台である(図 2-2 参照)。
図 2-2
出所
主要国の自動車生産高の推移
『日本国勢図会』2004/05、219 ページ。
第二に、労働生産率が低い。中国の自動車企業は生産規模から見れば徐々に国際的な自動車
企業の最低経済規模に近づきつつある。しかし、労働生産率は依然として低い状態にある。張
(2004)によれば、2002 年、経営レベルが比較的高い東風自動車公司の労働生産率は一人当た
り 3 台。これに対して、1993 年時点での世界の主要な自動車メーカーの一人当たり労働生産
CKD…コンプリートノックダウンとは、部品に分割して運搬し、現場で組み立てるノックダ
ウン生産において、材料を加工せずそのまま輸出入する方式。
4 SKD…セミノックダウンとは部品に分割して運搬し、現場で組み立てるノックダウン生産に
おいて、材料と一部加工した半製品を交えて輸出入する方式。
3
216
国
際
経
済
率は次の通りである:フォード 18.33 台;GM 10.38;トヨタ 32.93 台。比較的低い労働生産
率は中国自動車産業の安価な人件費という優勢を打ち消す要因になっている。
第三に、産業組織機構が依然として分散状態にある。法人の地位にある自動車メーカーが 120
余もある。株式の保有関係から見ると、数十の企業は一汽、東風、上汽などの 3 大自動車集団
に属するけれども、全体的には、中国の自動車産業の組織機構は依然として分散状態にある。
(中には、事実上操業停止状態や年産台数が 1 万台にも満たない零細企業も多く含まれ、市場
の合理的競争を妨げている。規模が小さくとも地域の雇用を創出している側面があり、経済発
展が遅れている地域に多く見られるこれらの企業は模倣品の温床と批判されているが、地方政
府による保護主義によって生かされているのがほとんどである)。2004 年中国乗用車販売台数
のトップ 3 である上海VW、一汽VW及び上海GM 5 の販売台数は全体の 40%台しかなく、シェ
アの約 90%を上位 15~20 社で競い合っている。これに対して、日本の乗用車メーカートップ
3 であるトヨタ、日産及びホンダの集中度は 60%以上に達し、
アメリカのビッグ 3 に至っては、
1930 年代にすでに 90%に達している。その結果として、中国では企業間格差が大きい。企業
の資産規模について言及すれば、中国の 16 ある自動車企業集団の中にはすでに資産規模が 500
億元を超える一汽と東風が存在する一方で、資産総額が 15 億元に満たない長豊集団もあり、
両者の間には実に 30 倍以上の格差がある。しかも、中国の自動車メーカーの企業規模は国際
的な大手メーカーと比較すると未だに小さい。単一企業規模について見ると、中国の自動車産
業のトップに位置する 5 社の一汽、東風、上汽、長安集団、北京汽車の生産能力は 30-100
万台の間にあり、規模の経済利益がようやく現われ始めている段階である。生産規模がもっと
も大きい一汽は、2003 年に生産台数が 86 万台に達し、2004 年には 100 万台の大台を突破し
ている。しかし、それでも企業規模自体は世界規模に展開している外国企業、とりわけ世界ラ
ンクでも後位にある韓国の現代(ヒュンダイ)自動車の総生産台数 300 万台と比較しても、依
然として小さいと言わねばならない(表 2-2、表 2-3 を参照)。
第四に、全体的に技術力が低い。中国の自動車メーカーはすでに一部の乗用車の車体スタイ
ルのデザインは可能であるが、より成熟した高度な乗用車の開発能力はまだ備わっていない。
中国の主要な自動車メーカーが新製品の開発に携わる場合は主に国外主力メーカー製の車体
スタイルを中国にあわせて改良している。一部の製品に関してはある程度グレードアップ改良
能力を備え、かつ共同設計に参加することもある。自動車の部品開発の分野では、中国勢はあ
る程度の開発能力を備えているが、やはり低いレベルにあることには変わりない。例えば、中
国製の最新型のエンジンは排ガス基準ではEURO3 6 に達することができるが、これに対して外
国の主力メーカーはすでに欧州EURO4 7 に達している。自動車産業が発展しうる要因、すなわ
ち資金、人材、マーケット及び技術の中で、中国にいま一番欠乏しているのは技術であり、技
5
この場合、合弁ブランドによる販売台数であり、自動車生産集団全体ではないことに注意。
欧州 EURO3:2001 年にヨーロッパで施行された非常に厳しい排気基準。全車種とも、定常
モード(ESC)で規制。窒素酸化物還元触媒、DPF 等の将来技術については、ESC と過渡モ
ード(ETC)の両方で規制を加えるものである。
7 EURO3 にとって代わる世界で最も厳しい排気基準として 2005 年にヨーロッパで施行され
た。EURO3 が自動車メーカーに課した規制を数値的にさらに厳しくしている。達成が困難な
企業には高額な違約金が課せられる。
6
217
自動車産業再編に関する米中比較研究
術の遅れは中国の自動車産業発展の障害となっている。
第五に、自動車の販売価格が高く、さらにアフタサービスが悪い。最近の動向としては乗用
車の価格が少し下降し、大衆向けの車種に関しては旧モデルを 10 万元台で購入可能となって
いるが、それでも庶民の平均月収入(1000 元)と比較すると依然として手が届きにくく、現
行モデルの外国車はなおさら困難である。購入費用のほかに、自動車を使用する際に生じるガ
ソリン代、駐車場、諸税、保険など維持費(月に 2000 元程度)を加えると、大変な額の費用
が必要になってくる。そのため、中国では「自動車は買えるけれども、維持することができな
い」現象が出現している。
表 2-2 2001-2003 年世界トップ 10 と中国トップ 5 の生産台数比較
順位
企業名
所属国
生産台数、販売台数(台)
2003 年
2002 年
2001 年
1
ゼネラル・モーターズ
米国
8,594,605
8,550,258
8,564,480
2
トヨタ自動車
日本
6,783,463
6,167,703
5,927,568
3
フォード・モーター
米国
6,541,562
6,819,594
6,906,548
4
フォルクスワーゲン
ドイツ
5,015,911
4,996,179
5,080,087
5
ダイムラークライスラー
ドイツ
4,355,800
4,540,400
4,498,800
6
プジョーシトロエングループ
フランス
3,286,100
3,267,500
3,132,800
7
現代自動車
韓国
3,046,333
2,912,315
2,652,509
8
日産自動車
日本
2,968,357
2,735,932
2,580,328
9
ホンダ
日本
2,910,000
2,830,000
2,670,000
10
ルノー
フランス
2,388,958
2,403,975
2,413,038
1
一汽集団
中国
858,737
2
上海自動車集団
中国
796,969
3
東風自動車集団
中国
419,521
4
長安汽自動車集団
中国
406,861
5
北京自動車集団
中国
347,900
中国側
出所:日本経済新聞社編 2005 年版『日経業界地図』15 ページなどより作成
要するに、80 年代以来、中国の自動車産業の発展を制約してきた①遅れたモデルと品質の
低さ、②自動車の高い販売価格、③整備が遅れた道路、④特定地方の製品を保護する目的で設
けられたハードル、⑤規模経済を生かした効益的生産体制の不備などの「五大障害」は根本的
には改善されていない。しかし、中国の自動車工業は国際的な自動車生産分業化の中で相対的
に有利な項目もある。例えば、中国の安価な人件費は平均にして日本の約 1/15 であり、中国
において新製品開発や生産を展開することは、コストの削減につながる。また、中国の自動車
218
国
際
経
済
企業は当然ながら本国のマーケットに詳しい。外資が中国と自動車分野で提携関係を深めるこ
とは、脅威とはならない。むしろ、有力企業の先端技術が中国の欠点を補い、逆に中国は巨大
なマーケットを絶えず提供し、商業利益をもたらすという相互補完関係が成り立つように思わ
れる。
表 2-3 中国における乗用車販売トップ 10
2004 年
2005 年 1-3 月
順位
社名
販売台数(台)
シェア(%)
順位
シェア(%)
1
上海 VW
354,328
15.3
5
6.3
2
一汽 VW
300,117
12.9
8
5.2
3
上海 GM
252,058
10.8
3
7.8
4
広州ホンダ
202,066
8.7
2
7.8
5
北京現代
144,090
6.2
1
9.8
6
天津一汽夏利
130,182
5.6
4
7.1
7
長安スズキ
110,052
4.7
10
4.0
8
吉利汽車
86,238
4.3
12
3.7
9
神龍汽車
89,129
3.8
7
5.7
10
奇瑞汽車
86,567
3.7
6
6.1
14
東風日産乗用車
60,794
2.4
9
5.1
資料:東京三菱銀行香港支店情報開発室「FOURIN 中国自動車調査月報」など
第2節
Ⅰ
中国自動車産業の再編
自動車産業再編の必要性
新しい世紀に入り、中国自動車産業はさらにレベルの高い課題を突きつけられた。前述のよ
うに、自動車産業は裾野の広い分野だけに、中国政府がこれからも継続して基幹産業として重
点を置くことは間違いない。同時に、自動車産業の発展はすでに地方経済の活性化に欠かせな
い起爆剤となりつつある。例えば、北京市はもともと先端技術の発展を産業の主幹に据えてき
たが、IT バブル崩壊の影響を受けて、一度は苦境に陥ったものの、後に韓国の現代自動車と提
携して北京現代を成立させ、半年間で 4 万台の生産台数を実現し、2004 年には 14 万台を越え、
北京の地方経済を大いに振興させた。このほかにも、東北部の経済を活性化させるため、古い
工業基地を改造し、自動車産業の発展を図り、一汽を拡充することは必然である。広東省も明
白に自動車産業を柱産業として発展させると宣言し、広州はさながら中国のデトロイトを髣髴
させる。今後欧米、日本企業との中国市場での競争がさらに激しくなり、中国企業の自主開発
の動きをも刺激することで中国の自動車産業は量的のみならず質的にも更なる向上するだろ
219
自動車産業再編に関する米中比較研究
う。中国政府は大々的に自動車産業を支援し、自動車消費を奨励していると同時に、絶えず高
速道路の延長工事を進めている。2004 年末までに、使用可能の高速道路は 34,000 キロに達し
ている(日本の高速道路総延長の約 4.6 倍、未来 30 年 80,000 キロを建設という)
。各大手自
動車メーカーもアフタサービスやメンテナンスシステムの充実を目指し努力している。様々な
要素の下で、国内の自動車生産は新たなステージに移るであろう。また、WTO 加盟後、中国
が段階的に自動車関税を下げ、規制緩和してきたことに伴い、輸入車もまた増加すると思われ
る。現在、自家乗用車は主に北京、上海、広州、深釧などの大都市に集中している。北京では
自家乗用車の登録台数は毎週 7000-8000 台のペースで増加している。保有台数は 200 万台に
上り、自家乗用車は交通手段としてのみならず、人々のステータスを象徴するものとして、収
入の増加に伴い、ますます多くの消費者を魅了することであろう。一人当たり GDP が 1000
-3000 ドルになると、自動車産業と消費が急発展段階に入るという先進国の経験した歴史を
踏まえれば、中国は今まさにこのような時代を迎えている。中国の自動車マーケットは日進月
歩であり、必然的に大きな発展を遂げることであろう。これは市場経済の原理であり、誰も止
めることはできない。2004 年 9 月以来、自動車の消費が伸び悩んでいたがそれは一時的な現
象で、長期的発展の方向は変わっていない。
しかし、中国の自動車消費市場の高度成長持続の予想が鮮明になるにつれ、生産側の産業構
造が改めて問題視されるようになってきた。すでに述べたように、資本金の規模など企業間格
差の拡大が自動車産業の合理的発展の障害となっている。自動車市場の 90%を上位 20~30 社
で競合しあうこと自体、先進国から見れば過当競争に他ならない上に、弱小企業が約 100 社で
市場シェアの残り約 10%を奪い合う事態は甚だ異常だといわざるを得ない。これらの競争力
のない企業が模倣品の製造、あるいは粗悪な製品を世の中に送り出すことは、安全性が大前提
である自動車の性格上、市場に大きな混乱をもたらす元凶になりかねない。
アメリカにおいて、自動車市場の寡占化が進んだのは規模の経済を発揮するには企業の集団
化がもっとも合理的だという認識があったからである。それならば、中国でも自動車産業が有
力企業の下に集約され、市場の寡占化が進むことがさらなる発展の大前提ではないか。仮に、
現在の 120 社体制が 20~30 社態勢に縮小しても、自動車市場に大きな影響を与えるとは考え
られない。さらに集約が進み、世界でも企業数が多い日本レベル(乗用車 9 社態勢)に縮小され
ても、なお大きなシェアを握ることは想像に難くない。その場合には、統合による量産体制や
販売網の拡大、多品種生産を実現できる資金の調達力や強大な購買交渉力の獲得、さらには優
秀な人材を確保することによって、総合的な技術力の底上げに繋がるなど、プラスの効果は計
り知れない。
しかし、結果論的に望ましい形である自動車産業の集約化は同時に、様々な問題に直面して
いる。2004 年、政府は「新自動車産業政策」の中で現在の過当競争状態の是正に言及すると
ともに、新規参入に対するハードルを上げるなど、自動車産業の健全な発展を国家レベルで推
進しようとしている。にもかかわらず、新規参入の申請件数は後を絶たず、自動車に近い動力
機械メーカーのみならず、大手家電メーカーも候補者に名を連ねている。また、強力な地方の
権限の影響で、地方政府が弱小企業を保護するケースも多く、根本的な解決がなされていない。
さらに、統合に伴う経済効果を客観的に測定できるデータがない。どの企業が集団化すれば
220
国
際
経
済
最も効率よく生産体制が構築できるか、そこには、資本、技術、ブランド、人材など様々な要
素が絡み合っている。中国自動車産業の集約化が必然的だとしても、これらの問題を解決する
ことなしには大きな発展を期待できない。
Ⅱ
再編の歴史
1.「三大三小二微」体制の形成
かつて中国の自動車企業は、いずれも製造業務に特化していた。また製品を 1 車種に絞り、
これを高い部品内製率のもとで一貫生産していた。例えば、1956 年に生産が開始された中国
最初の自動車メーカー「第一汽車製造廠」(一汽)の場合、中型トラックの生産は一汽、投資
計画は国家計画委員会、生産計画は第一機械工業部「機械工業管理局」、製品開発は国家直属
の研究所である「長春自動車研究所」、資材供給と製品販売は物資部、利潤管理は国家財政部
といったように、その中型トラック事業の経営管理が多くの中央機関による分担制で行われて
いたのである。資本主義経済のもとにある欧米や日本の自動車メーカーのように、本社を中心
とした迅速で一貫した総合的意思決定が、ここでは成立していなかったのである。
ところで、20 世紀の資本主義経済においては、多くの資本集約型産業で大量生産と大量販
売体制の一体化した企業活動を本社機構で監視・調整・資源配分する組織構造、すなわち「チ
ャンドラー・モデル」が成立した。自動車産業に関していえば、主要な現代企業システムは、
①独自の製品開発体制を備えたフルライン製品政策を採用し、②自社専用の部品サプライヤ
ー・ネットワークと、③自社専用のアセンブラー・ネットワークで車両を生産し、④自社専用
のディーラー・ネットワークで完成車を販売し、⑤これら全体の活動を本社機構で管理的調節
する、という 5 つの要素で構成されることになった。従来の中国の自動車企業は、このような
5 つの内部要因をいずれも持たなかったといえる。 8
注目すべきことは、1982 年に自動車産業の全国統一管理組織である中国汽車工業公司(中
汽)が復活・拡充されたことである。中汽主導のもとで推進された企業集団化政策は、「チャ
ンドラー・モデル」への起点といえる。
まず、1981 年に第二汽車製造廠を中核に「東風汽車運営公司」
(現・東風汽車公司)が設立
され、次いで 82 年南京汽車廠を中核に「南京汽車廠工業運営公司」、上海市の自動車関係産業
を統括する「上海施立機汽車運営公司」、第一汽車廠を中核に「開放汽車工業運営公司」(現・
第一汽車集団公司)、83 年に自動車部品メーカーを統括する「中国汽車附配件工業運営公司」
(現・中国汽車零部件工業運営公司)、済南汽車廠を中核として大型トラック工場を結集した
「中国重型汽車工業運営公司」、84 年に北京市と天津市の工場を統合した「京津汽車工業運営
公司」(85 年に解散)が続いた。
今日まで、第一汽車、東風汽車、上海汽車は激しく業界トップの地位を争ってきた。1950
年代から 70 年代までは、第一汽車がずっとトップの座にあり、他の企業はまだ建設途上にあ
った。だが、80 年代に入ると東風汽車が第一汽車からトップの地位を奪った。しかしその実
8
塩見治人『移行期の中国自動車産業』日本経済評論社、2001、まえがきより引用
221
自動車産業再編に関する米中比較研究
力はやはり外国との競争に耐えうるものではなかった。
第一汽車と東風汽車はトラック市場では激しく争っていたものの、政府が乗用車の政策を策
定した際には協調路線を採った。1987 年に中国政府は、それまで国内の自動車生産がトラッ
クに著しく偏っていたのを改め、乗用車を重視することにしたが、企業が乱立した過去の反省
を踏まえ、生産拠点を少数に絞り込むことにした。第一汽車と東風汽車は経験豊富な同 2 社が
乗用車生産を担うべきだとする「2 大」案を主張した。一方、政府の自動車担当部局である中
国汽車工業総公司は、政治力の強い第一汽車と東風汽車を牽制する意味もあって、第三の自動
車メーカーを設立する「1 大」案を主張した。その頃、上海汽車は旧来のモデル「上海」に限
界を感じ、独フォルクスワーゲン(VW)との合弁企業を背立してサンタナを小規模ながら生
産し始めていたが、中国汽車総公司はこの合弁企業に 10%出資しており、そうした利害から
言っても「2 大」案は承服できなかったのである。結局、三社とも乗用車生産を認める「3 大」
案をとることで妥協が成立した。
しかし、「三大」案は決定された翌年には覆されてしまった。それまでに北京市、天津市、
広州市がそれぞれ外国自動車企業と提携して軽ワゴンなど乗用車の手前の車種から展開する
形でなし崩し的に乗用車の生産を始めており、それを追認するよう中央政府に迫ってきたので
ある。結局、この 3 社を含めて乗用車生産拠点は「三大三小」となり、さらに 1992 年には軍
民転換を促進するとの名目のもとに長安汽車と貴州航空の 2 ヶ所が加えられて、乗用車生産は
「三大三小二微」の 8 社体制となった(表 2-4 を参照)。こうして生産拠点を絞るという当初
の意図とは裏腹に乗用車メーカーの数は徐々に増え、さらに今日では 20 社近くに及んでいる。
表 2-4
三大三小二微
三大
三小
二微
第一汽車グループ
北京汽車グループ
長安汽車
東風汽車グループ
天津汽車グループ
貴州航空工業
上海汽車グループ
広州汽車
出所:塩見治人『移行期の中国自動車産業』日本経済評論社、2002 年
しかし、自動車政策が自動車産業を「三大三小二微」の主要企業に集約したとはいえ、三大
と三小、二微との間には埋めがたい格差が存在し、実質的には三大企業主導で中国の自動車産
業は発展してきたのである。
2.拮抗する 3 大グループ
上海汽車は 1980 年代までは第一汽車や東風汽車に大きな差をあけられていたが、90 年代前
半に「サンタナ」の部品国産化が可能になると生産が急拡大し、95 年以降は売上でトップに
のぼり、中国自動車市場を席巻した。一方で、第一汽車の売上は 96 年以降伸びが鈍化し、東
風汽車は売上減少に見舞われた。各グループの命運を分けたのは乗用車の売れ行きであった。
上海汽車の「サンタナ」は公用車やタクシーなどに手ごろであり、かつ地元に大市場を抱える
メリットもあったので好調であった一方、第一汽車は VW と、東風汽車はシトロエンと合弁企
業を設立して乗用車生産を始めたが、これらの車種はサンタナよりも一般家庭向けであったた
222
国
際
経
済
め、個人の自動車購入がまだ少なかった 90 年代後半の段階では売れ行きは良くなかった。さ
らに第一汽車と東風汽車の主力製品の 5 トントラックも売れ行きが鈍かった。第一汽車は小型
トラックに展開し、その生産拡大に支えられて何とか持ちこたえたが、大型トラックに展開し
た東風汽車は需要停滞に悩まされ、96 年から 3 年連続の赤字を記録した。1999 年以降、乗用
車の個人購入が増え続けてきたことは 3 大グループの各社にとって追い風となり、第一汽車は
乗用車の車種が増えて生産台数が急増し、上海汽車を急追している。東風汽車も乗用車と大型
トラックの売れ行き好転によって業績が回復している。
3.三大グループと外国自動車企業との合弁
三大グループは自社ブランドによるトラックと、外国自動車企業との合弁による乗用車とを
生産しており、特に後者に強く依存している。第一汽車グループの場合、グループ全体の付加
価値の 42%を VW との合弁企業が生み出しているし、上海汽車の場合、VW と GM との合弁
企業 2 社がグループ全体の付加価値の 64%を占めている。グループ内で乗用車部品も生産し
ているので、乗用車への依存率は実際にはもっと高い。合弁生産される国産車には申し訳程度
に各グループのエンブレムが付与されているが、設計も生産技術も外国企業のもので、三大グ
ループといっても実質的には外国自動車メーカーの現地工場にすぎないとも言える。そうした
現実を打破することが中国の政府と自動車産業にとっての一大課題であった。
しかし、先進国との技術力格差は自力ではどうにも解決しがたい。そこで中国政府が採った
政策は、中国市場へ参入する外国企業に市場を開放する代わりに、彼らから可能な限り新しい
技術を現地化させることであった。この戦略は外国自動車企業の中国市場に対する関心が薄い
間はあまり功を奏さず、上海汽車などは同一のモデルを 20 年以上にわたり生産していたほど
である。だが、90 年代初頭に中国の自動車市場が急拡大をとげ、94 年には中国政府が乗用車
の普及を促進する積極的な市場拡大策である「自動車工業産業政策」を公布すると、世界の自
動車企業は一斉に中国に注目した。ところが、中国政府は、乗用車工場は新規参入をごく少数
しか認めないとした。その結果、限られた席を巡って世界の有力各社が競いあうこととなり、
特に GM が 96 年に進出した際には、合弁の研究開発機構まで作る約束をしてようやく進出の
権利を勝ち取ったのである。
新規参入制限は 1999 年以降なし崩し的に緩んだが、外国企業の中国熱が衰えないため、受
け皿となる中国企業が外国企業を天秤にかけてより有利な条件を引き出そうとしている。例え
ば、第一汽車はもともと VW と合弁を組んでいたが、希望通り新技術の導入を望めず、トヨタ
と新たに全面的に提携した。上海汽車も 80 年代からの VW との合弁事業に加え、90 年代後半
から GM との合弁も行っている。東風汽車に至っては PSA グループ、起亜、本田技研(但しエ
ンジンのみ)、日産にと多岐に合弁している。
一方で、2000 年以降、地場企業家が設立した私営企業にも乗用車生産免許が付与されてお
り、競争政策を促進することで企業の淘汰を実現しようという政府の意向が伺える。つまり、
産業再編を決めるのは政府ではなく市場の圧力という時代が到来したのである。
自動車市場の競争激化は、産業再編の引き金となる可能性が高く、外資もそうした動きに左
右されることは否定できないといえよう。
223
自動車産業再編に関する米中比較研究
Ⅲ
中国自動車産業再編の政策的方向性
1.
自動車産業をめぐる諸政策
中国政府は 1994 年 7 月に公布した「自動車工業産業政策」において、2010 年までに自動車産
業を支柱産業にするという目標を掲げ、自動車産業の再編に関する部分では、(1)過度に分散す
る自動車メーカーの整理・統合、(2)経済的な適正生産規模拡大への支持、(3)基盤の弱い部品
産業の育成など、従来の自動車産業が抱えている問題を改善し、国際競争力を持つ産業に育成
することを提唱した。政策の公布後、中央政府の指導もあり、自動車メーカーの集団化が促進
されてきた。中国政府は、「自動車工業産業政策」の中で自動車の量産体制の実現を掲げ、生産
規模と販売台数を拡大した企業を支持するとした。例を挙げると、「年間の自動車生産台数が
30 万台以上の規模で、年間販売 20 万台以上に達し、年間の技術開発費が売上高の 3%を用い
ている企業に対して国家は年産規模 60 万台以上を目標として発展することを支援する」(「自動
車工業産業政策」第 10 条)というもので、量的な拡大を次ぎの発展への条件とした。これによ
り、かねてより「分散、乱立、低水準、緩慢な発展」と批判されてきた産業構造は、大量生産体
制を確立したメーカーの優位が発揮される状況に変わり、第一汽車集団、上海汽車集団、東風
汽車集団などの上位メーカーによる下位メーカーの吸収合併など一応の成果があった。
21 世紀に入り、国家経済貿易委員会は、2001 年 6 月「自動車工業第十次五ヵ年計画」を公表
した。第十次五ヵ年計画期間(2001~2005 年)は、中国自動車産業の発展を左右する重要な
5 年となり、WTO 加盟はこれまでにない試練であるとともに発展の絶好のチャンスであった。
その期間の中で、第一汽車、東風汽車、上海汽車を中心とする業界再編を加速させる趣旨を掲
げている。ただし、業界再編を政府主導で強制的に行う考えはなく、あくまでもメーカー同士
の自由意思による行動が前提で、政府は提携、合併等の調整や誘導を図る姿勢を鮮明にした。
しかし、WTO 加盟で最も影響を受ける産業の一つが自動車産業と言われているにもかかわら
ず、その最大の課題である大掛かりな業界再編は遅々として進まなかった。
2004 年の「新自動車産業政策」においても、自動車企業グループの発展を奨励することや、
研究開発、部品供給、販売・サービスにおける“企業連盟”の形成を奨励し、さらに、大型企業
グループが外国の自動車グループと連合・合併することも奨励している。この政策は今後 5 年
ないし 10 年以上にわたり、中国自動車産業の再編は法制上でも半ば強制的にとり行われるの
だろう。
2.
参入障壁の打破による業界再編の可能性
自動車業界の再編は実際には、新たに求心力を組み替えると同時に、協調的発展を実現する
重要なプロセスである。このプロセスの中で、優位企業は非常に重要な役割を果たすであろう。
中国自動車産業の多くの企業は“すでに参入した者”として様々な政策的恩恵に浴しているにも
関わらず、競争優位性を伴わない場合が多々見受けられる。しかし、“未だ参入せざる者”の中
には、豊富な経営管理のノウハウと資金、あるいは人材面の優位性を持つ企業があるのも事実
224
国
際
経
済
である。もし、規制緩和によりこのような企業が自動車業界に参入すれば―完成車領域あるい
は部品領域に関わらず―、業界再編の起爆剤として大きな効果を発揮できるに違いない。政府
が新たな工場建設を制限し、既存の経営資源で再編を促進しているなか、資本手段を通して競
争力のない企業を買収し、参入を果たした中国の一部の民営企業や農業用車両企業がある。こ
れらはマーケッティング意識が非常に強く、機敏性に富み、現在すでに乗用車市場、商用車市
場に参入して業界の再編を牽引し、大きな効果を得ている。つまり、参入障壁の打破によって
自動車産業の再編を進めるのも今後の方向の一つだろう。
3.
外資系企業の誘致による再編の可能性
改革開放以来、外資系企業は中国自動車産業、特に乗用車工業の発展に大きく貢献してきた。
中国の国産自動車市場では現在、輸入関税が 25%に引き下げられ、輸入数量制限も撤廃されて
いる。これにより中国市場で輸入車の大量販売が可能になり、かつ、流通分野への参入も可能
になったため、販売、アフタサービスの分野でも輸入車の優位性は相対的に高まっている。し
かしながら、主要な海外メーカーのほとんどは、既に中国で生産拠点を持っているため、国産
車と輸入車のそれぞれのメリット、特徴を活かした販売戦略を行っている。トヨタを例に、カ
ローラやカムリなどの量販車は優位性を活かして中国で生産を行い、レクサスなどの高級車、
スペシャリティカーを輸入車で補い、自社ブランドの商品ラインナップを揃えている。
かつて、自動車メーカーは生産する車両のタイプ、モデルについては、事前に当局の許可を
得る必要があったが、現在ではその規制が撤廃され、商業ベースで生産タイプ・モデルを決定
できる。この規制撤廃により、ユーザーの求める製品を自社の経営戦略の中で自ら決定できる
ことになり、今まで以上に経営資源をマーケティングに投入できることとなった。また、エン
ジン製造も外資の出資制限が撤廃されることにより、外資の独自性を保った経営が行ない易く
なる。
これまでの単なる合弁関係を超え、今後の業界再編においても外資系企業の協力を仰ぐこと
は必要になるだろう。外国の完成車企業のみならず、部品サプライヤーをも再編の枠組みに参
加させることで、更なる資金の導入に加え、より敏速に技術やモデルを導入し、かつ規模の経
済と分業化の効果を高め、中国自動車産業の国際舞台での競争力を高めることができる。同時
に中国自動車産業の再編を進める効果を持つ。このように、外資企業の誘致により国内自動車
再編を促すことも今後の方向の一つだろう。
Ⅳ
資本手段の運用による再編の可能性
資本手段は業界再編を推進する上での核心となる問題の一つである。市場経済の時代にあっ
て、業界再編も当然ながら市場でのトレードの形を取ることで実現されるべきだ。現在多くの
再編プロジェクトが頓挫しているのは、資本手段ではなく従来の行政手段によって推し進めら
れているためだ。時代の潮流に従うことは今後もっとも市場経済に求められる要素であり、自
動車業界の再編は資本手段の運営によって行われるべきであろう。特に株式交換や M&A など
225
自動車産業再編に関する米中比較研究
の国際スタンダードによる再編方式については、政府は優遇政策を採ることが有益だろう。企
業の内部改革と再編が結合することは、株式関係の構造あるいは、経営構造と資本構造との有
機的統一を果たすことになるだろう。今のところ、外資系企業、民営企業あるいはその他の参
入を伺う企業に株式を譲渡することで、一方で株主の多元化、もう一方ではそのプロセスの中
で再編を果たすことができる。
上述した再編の政策的方向性は、政府の姿勢と企業理念の変換が必要不可欠である。行政手
段によって半ば強制的に人為的に企業集中を進めることは、企業の積極性を損ないかねない。
その市場効果は非常に小さく、資源の浪費にもつながる。このほか、有力企業に対して行政支
援を強める。
226
国
第3章
際
経
済
米中自動車産業の再編に関する比較分析
前章では、中国自動車産業の発展と再編について概観してきた。そこから、少なからず第 1
章で分析した初期のアメリカ自動車産業との共通点を見出すことができるとともに、中国独自
の発展形態や問題点を含蓄していることも発見できた。いずれにしても、自動車企業が乱立し、
市場の合理的発展を妨げている現状を打破するために、業界を企業数の側面から再編すること
は早急に取り組まなければならない課題である。
中国政府は、2004 年に発表した「自動車産業政策」の中で、中国自動車産業は適正な競争
環境を整えなければならないとした。すなわち業界の再編を明確に打ち出したのである。その
ため、政府は排ガス規制などをはじめとした技術的側面、また新規参入を制限するという政策
的側面を合わせて働きかけることで、更なる企業数の増加の抑止と競争力のない企業の淘汰を
促している。
市場や生産体制におけるマクロ的な環境が整った現在、中国自動車産業は新たな局面を迎え
ている。この先、自動車産業の企業構造がどのように変化していくかは予想が難しい。しかし、
100 年前に自動車産業が興隆し、やがて寡占状態によって規模の経済を自動車の大量生産に適
用できたアメリカの自動車工業史との比較は大いに参考となるはずである。
中国自動車産業に企業集団化の改革が行われ、規模の経済が働く現代型自動車大国に中国が
生まれ変われるのだろうか、つまり、GM のような巨大企業が誕生しうるか、この問題に答え
るためには第 1 章第3節で提起した、アメリカ自動車産業の寡占化についてc経済体制、d 競
合相手、e 市場潜在力、fブランドの確立と技術、 ⑤産業集積の五つの要素を念頭において、
現在の中国と照らし合わせて検討する。
第1節
経済体制と自動車企業の所有形態
20 世紀初頭のアメリカは言うまでもなく工業化黎明期の資本主義経済であり、すなわち、
各企業による自由競争が前提であった。
ところが、現在の中国は一党独裁、かつ社会主義公有制を主体とした非完全競争の経済体制
にある。2001 年に WTO 加盟を果たしたとはいえ、この潮流はいまだに社会の大部分を占め
ている。特に、自動車産業における公有化のレベルは高く、表 3-1 に見るように、企業規模上
位 10 位に入る企業グループは全て何らかの形での政府による持ち株会社である。
これらの企業の人事は全て中央政府か地方政府より選出され、共産党の直接支配の下にある
のが現状である。そのため、国家の政策と連動することはいうまでもない。この点は、20 世
紀初頭のアメリカの自動車産業を取り巻く環境と大きく異なる点である。中国の自動車企業の
経営管理は完全には中央あるいは地方政府の影響から脱離することはできない。特に、地方系
の中小規模の自動車企業は地方政府の強い保護を受け、先進諸国と比べると暴利を生み出して
いる。すなわち世界平均は利益率が 5%であるのに対して、中国では最近民営企業の参入によ
227
自動車産業再編に関する米中比較研究
り 20~30%から減少しているとはいえ、いまだに 20%の利益率に高止まりしている。9 自動車
産業は地方の財源や雇用、経済発展と密接に結びつく産業だからである。それゆえ、権益を守
るため地方政府は簡単には自動車企業を手放さず、企業の乱立を招いている。
表 3-1 10 大自動車集団の所有形態
企業名
所有制形態
第一汽车集团
中央国有企業(中央政府所有)
上海汽车工业(集团)公司
中央国有企業(中央政府所有)
东风汽车集团
中央国有企業(中央政府所有)
长安汽车(集团)有限责任公司
中国兵器集団公司傘下企業(中央政府所有)
北京汽车工业集团总公司
地方国有企業(北京市政府所有)
哈尔滨哈飞汽车有限公司
中央国有企業(中央政府所有)
昌河飞机工业公司
国家連絡の大型国有企業(中央政府と江西省共有)
金杯汽车股份有限公司
地方国有企業(遼寧省と瀋陽市政府所有)
广州汽车工业集团公司
地方国有企業(広東省と広州市政府所有)
南京汽车集团有限公司
地方国有企業(南京市政府)
出所:国家信息中心中国经济信息网『中国行业发展报告-汽车制造业』中国经济出版社、2004
これに加え、自動車の魅力的な収益性と影響力は新規参入の嵐をも同時に巻き起こしている。
現在、奇瑞や吉利に代表される民営企業が台頭しているが、みな資本関係上では政府と何ら関
わりを持たない純粋な民族資本による経営である。これらの自動車企業は自動車市場の急成長
および自動車消費層の変化につれて、低価格を武器に小型車市場でシェアの確保と拡大に成功
している。民族資本の自動車企業の市場シェアは 2005 年には 24.7%にのぼり、決して無視で
きない規模に拡大している。
中国における民営企業の成長の側面は、当時のアメリカの自動車産業とほぼ同じ構図を描い
ている。アメリカ自動車産業が寡占化に突入する以前、自動車企業はやはり乱立していたが、
それらの多くは町工場の領域を出ず、生産台数に関しては今日の大量生産とは単純比較ができ
ないものの、手作りによる生産が主流だった。やがてフォードや GMなどの大型企業の誕生に
より、零細業者は自由競争のもとに淘汰を繰り返し、統合の流れに巻き込まれていく。そして、
規模の経済を生かした自動車生産を寡占の利益のもとに展開してくのである。
しかし残念ながら、中国において大多数の自動車企業に公有制のシステムに組み込まれてい
る以上、このような劇的な変化は起こりそうにない。中国自動車産業は特殊性と複雑性の強い
側面を持っている。内外よりの強力な要請があるものの、再編に今後長い時間を要することは
確実である。第一汽車や東風汽車は中央直属企業であり、長安汽車は中国兵器集団公司に属す
る軍転民企業であり、さらに北京汽車や広州汽車は地方政府に属する地方国有企業である。
20 世紀初頭のアメリカでは政府の関与がほとんど及ばず、このことは、企業経営の自由度
9
張松『中国民族系自動車メーカーの現状と課題(上)』世界経済評論、P54
228
国
際
経
済
がそれだけ大きいことを意味している。この点では現在の中国は根本的な違いがあり、当時の
アメリカと比べると中国の国有大手自動車集団間および民族系自動車企業の再編の難しさが
想像できるだろう。
第2節
競合相手と集中度
自動車工業黎明期の 20 世紀初頭のアメリカ自動車産業は、少数の競争力ある大企業と多数
の町工場とが並存していた。自由競争の下では、必然的な結果として大企業が零細企業を呑み
込み、規模を拡大していったのであるが、政府の介入は一切行われなかった。一方で、アメリ
カ国外に目を向ければ、自動車を生産できた国はドイツなどの欧州国家の数社に限られていた。
このような状況の中、アメリカ企業はパイオニアとして世界の自動車産業を牽引する役割を果
たしたのである。
しかし、現代の中国では当時のアメリカとは比較できないほど自動車産業は熾烈な競争に晒
されている。中国の自動車産業はすでに述べたように、一汽、東風、上汽の 3 大自動車集団を
中心する国有企業が主体を構成している。個々の企業規模についてのみ見れば、各企業は年を
追うごとに生産能力を大きく伸ばし、中国の自動車市場の活況を反映している。それにもかか
わらず、世界規模の自動車企業と比較すると、企業規模は依然として小さく、影響力のある自
動車企業が不足している事態はいまだに改善されていない。
表 3-2 は、中国の大手自動車企業による生産集中度を示している。日本と比較すると、トヨ
タ、日産、ホンダの大手三社が 60%に達しているのに対して、中国はトップ 3 位までで 46.7%
である。また、日本の大手八社、トヨタ、日産、ホンダ、スズキ、マツダ、ダイハツ、三菱、
スバルによる集中度が 95.5% 10 に達しているのに対して、中国のトップ 8 は 73.75%に留まっ
ており、市場集中度が相対的に低いことは一目瞭然である。
表 3-2
中国における市場集中度の図式
生産集中度(%)
市場集中度(%)
2001 年
2002 年
2003 年
2001 年
2002 年
2003 年
CR1
18.75
18.2
19.32
18.98
18.79
19.46
CR2
36.40
35.48
37.26
35.80
36.20
37.26
CR3
47.92
48.35
46.70
47.22
48.99
46.75
CR4
57.52
58.47
55.85
56.91
58.46
56.10
CR8
76.83
77.01
73.75
77.08
77.17
73.47
出所:国家信息中心中国经济信息网編 2004 年『中国行业发展报告-汽车制造业』中国经济出版社
外部との競争に注目すると、中国の自動車企業は外資系企業と競争できる土台に立てる段階
には来ていない。技術の遅れもさることながら、品質で外資系企業と競争する意志に欠けてい
10
2005 年データ。矢野恒太郎記念会『日本国勢図会』2006/07 P217 より計算
229
自動車産業再編に関する米中比較研究
る。もっとも、自由な競争の中で、後発国が外国の先進的な製品の研究を通して独自技術を開
発するスタンスが望ましいが、中国政府は自動車産業の早急な成長を促し、国内自動車企業と
の合弁を強制する実質的な外資主導の自動車製造を推進した。そのため、中国の自動車企業は
競合相手でありながら、提携パートナーでもあるという複雑な関係を外資系企業との間に築か
ざるを得ない。このことは、幼稚な中国の自動車企業が代理競争ではなく、自ら表に立って競
争する機会をさらに少なくしている。
民営企業に関しては、低価格の製品を武器に勢力を伸ばしつつあるが、現時点では技術やア
フタサービスなどは外国企業と競争できるレベルには到底に至っていない。
前に述べたように、中国の自動車企業はほとんどが国有企業である。それゆえ、中央政府は
競争による企業の淘汰ではなく、再編による 3 大自動車集団へ集約することで、業界構造の改
革を果たすソフトなシナリオを描いている。そのため、国有企業同士の共倒れとなるような状
況を極力避けたいとの思惑が働く。こうして、中国の自動車産業はがっちり保護された中で、
競争力を持たないままに今日の自動車の国際競争市場に加わったことになる。
総括すると、当時のアメリカ自動車産業と異り、中国自動車産業は十分に競争力を持たない
まま国際市場に直面することとなった。その大きな流れを変えるのはやはり市場開放に他なら
ない。すなわち、競合企業がひしめく国際舞台にあえて弱小の国有自動車産業を放り出し、保
護しながらも自然競争による企業の淘汰のメカニズムに組み入れることで、自動車産業の将来
性を確実にするのである。そのためには、自動車市場の再編は必ず必要とされるプロセスであ
り、中国自動車産業が生き残るための唯一の手段である。しかし、中国自動車産業は国内のみ
ならず、国際市場での激しい競争に晒されている以上、当時のアメリカと比較すれば明らかに
複雑なプロセスに違いない。
第3節
自動車市場の潜在力
自動車産業の再編は市場の潜在力と密接な関係がある。前にも述べたように当時のアメリカ
においては、急速な工業化、あるいは金融業・サービス業の発達による所得の上昇と相まって、
巨大な自動車市場が作り出されたのである。近年、中国市場は、破竹の勢いで拡大している。
2005 年の販売台数は 500 万台を突破し、2006 年はさらに 720 万台に、世界第 3 位の生産量
に達している。自動車市場の急拡大の要因として、①北京や上海などの沿海都市部を中心に、
乗用車を購入できる世帯所得を得ている層が増加していること、②自動車ローンやディーラー
網の整備など、販売手法が近年急速に拡充したこと、③WTO 加盟後の関税引き下げにより乗
用車価格が下落する一方で、最新モデルが続々と投入されたため、市民の間で乗用車購買意欲
が高まっていることが挙げられる。第 1 章の表 1-6 に示されるように、当時のアメリカは産業
構造の変化に伴い、製造業やサービス業に従事する人口が大幅に増加した。その結果、所得の
上昇に伴い自動車購入する層が増大した。中国もこれと非常によく似た推移をたどっている。
図 3-1 は 2000 年より 2005 年までの乗用車販売台数である。実に 3 倍以上の伸びである。中
国自動車市場が大きな潜在力を持つ点は、当時のアメリカと比較すると非常に近似している。
230
国
際
経
済
図 3-1 2000-2005 年の自動車、乗用車販売台数推移
397
2005
233
2004
507
197
2003
111
2002
2001
70
2000
61
576
439
乗用車販売台数(万台)
自動車販売台数(万台)
326
234
207
出所:中国汽車工業会統計信息網http://www.auto-stats.org.cn/データより作成
一般的に、所得が一人当たり GDP1,000 ドルを超えると自動車普及の初期段階に突入し、
3000 ドルを超えると乗用車の本格的普及が始まると言われている。表 3-3 は中国の各省の一
人当たり GDP の値を示している。沿海部を中心に本格的に普及の段階に達し、さらに多くの
省が初期段階にあることが分かる。北京市では 2003 年に人口 1000 人当たり約 83 台の保有台
数が 2006 年現在約 130 台に増加している。この勢いは着実な経済発展により今後も持続する
と考えられる。
しかし一方で、高所得地域と低所得地域との格差は広がっているのも事実である。中国の都
市部人口は 5 億人にのぼり、表 3-3 より、一人当たり GDP が 2000 ドルを超える省・市は 8
つ以上、人口は約 3.6 億にも及ぶ。これらの地域では自動車に対する需要が高まる段階に至っ
ており、一人当たり GDP が 1000 ドルを超える 12 の省・市も潜在的な需要段階に来ている。
このように現代の中国には当時のアメリカよりはるかに巨大な顕在市場と潜在市場が存在し
ている。
問題は現在の自動車企業の乱立が製造コストを引き上げ、また、乱立するブランドが一般消
費者の自動車購入、さらにはアフタサービスにまで混乱をもたらしていることであり、自動車
市場の秩序ある発展を妨げる可能性がある。業界再編を通して、企業数やブランド数を絞るこ
とで自動車製造コストを引き下げ、さらには競争力のない地場メーカーを淘汰することが、モ
ータリゼーションを円滑に軌道に乗せるために重要になってくる。例えば、外国企業が合弁を
結ぶパートナー企業同士が集団化することはそのブランドの集中管理の利益が生まれるなど、
双方にメリットのあることであり、消費者にとっても分かりやすい仕組みとなる。中国では、
政策の一環として地方の小型企業を淘汰あるいはできる限り大手自動車集団に統合するよう
奨励している。業界の動行自体は、20 世紀初頭に GM やフォードが成長するにつれて、町工
場が反比例的に減少した構図と出足では共通している。いずれにしても、市場の成長から業界
再編を促す前向きな可能性を持ちつつも、低所得地域に関しては地方政府の抵抗も予想され、
231
自動車産業再編に関する米中比較研究
その展開は未知数である。
表 3-3 各省市の一人当たり GDP
2004 年一人当たり
区域分類
GDP
地区
2004 年一人当たり
区域分類
地区
ドル
東部地区
中部地区
GDP
ドル
上海
5172
湖南
1013
北京
3469
江西
987
天津
3462
安徽
901
浙江
2880
四川
909
江蘇
2506
内蒙古
1376
広東
2336
重慶
1032
福建
2085
寧夏
947
山東
2040
陝西
941
遼寧
1971
西蔵
933
河北
1557
青海
1045
黒竜江
1680
広西
821
吉林
1320
雲南
811
湖北
1268
新疆
1355
山西
1103
甘粛
720
河南
1097
貴州
493
西部地区
出所:『中国統計年鑑』2005 年版により計算
第4節
Ⅰ
ブランドの確立と技術要素
自動車企業のブランド戦略
アメリカの自動車企業は、ブランドを早くから意識していた。中でも特に GM は長期的な視
点で、自動車をブランド別に販売する戦略を打ち出したのである。一般的に言えば、自動車に
おけるブランドは他の商品と差別化を図り、さらには付加価値を高めるためのもっとも有効な
手段である。しかし、ブランドを創出するためには、消費者に認知してもらえるだけの歴史、
技術、そして規模が必要となってくる。逆に言えば、中国自動車産業ではブランドを創出する
ためには、再編が必要になってくる。自動車販売チャンネルの目的別分類、あるいは購買対象
をターゲットしたブランド展開は GM の成立時に始まっていた。なお、この理念が今日の自動
車企業のフルラインナップ戦略にもつながっていると考えてよいだろう。企業買収が行われて
いたことはブランドの持つ市場価値を如実に示している。
中国ではブランドは自主技術を誇示するものとして存在する。しかし、実際には純粋な国産
232
国
際
経
済
ブランドは数える程度にしかなく、しかも国際市場ではほとんど競争力を持たない。自動車産
業の再編において、独自技術の重要性もさることながら、いかにしてそれを商業的な成功に導
くかは消費者の目に一番近いブランドの魅力にかかっている。その意味ではブランドは決して
軽視してはならない論点である。なぜなら、ブランド戦略自体が業界の統廃合を促進する可能
性があるからだ。
現在 10 社前後の企業集団で数十種類のモデルを生産しているが、純国産と呼べるものは数
種類のみで、残りはいずれも海外からの導入モデルである。政府は意識的に合弁企業の中国側
名称を入れるように外国企業に義務付けているのも空しく、実態は、エンブレム以外は外国車
そのものである。いうなれば、中国企業は外国企業の代理競争を中国市場で展開していること
になっており、ブランド戦略の枠組み外に置かれている。
しかし一方で、民営企業の多くは独自にブランド戦略を行っている。これらの企業のブラン
ドイメージは現在のところ、“技術はたかが知れているけれど、外国製品と比較すると安くて
手ごろだ”に留まっている。多くのユーザーは低所得層やセカンドカーのオーナーで、資金が
豊富になれば、いずれ卒業して外国車に移りたいと考えているため、ブランドのターゲットは
かなり絞られており、外国企業と互角に競争するにはまだ程遠い。
そこで、技術を持つ企業とブランドを持つ企業が補完関係を築くことができれば、業界再編
の可能性は大いにある。そうすることで、経営資源を有効利用することができる。現実問題と
して、中国の民営企業の中には途上国のみならず、数量こそ少ないけれど先進国へ販売網を広
げるところがある。競争力のある自動車はデザインを含めた技術と魅力的ブランドが必要不可
欠であり、このさきの中国自動車企業が国際競争を生き残っていくためには、再編を通して最
適な経営管理体制の下に、人員や生産規模の最適配置によって競争力のある製品を送り出すこ
とである。現在、国内自動車企業はこのことを意識しているようである。
Ⅱ
中国自動車企業の技術開発力
中国自動車企業の最大の弱点のひとつが技術力の欠乏だということは、すでに現状の課題と
して前章で取り上げた。ここでの技術とは、燃料電池や新型エンジンなどの新製品(部
品)の開発力や、製品を作り込む製造技術や、新型モデルを発表するような市場動
向をにらんだデザイン開発力、マネジメントなどの総合な技術を意味している。中
国政府がこのところ、自主開発を自動車政策の根幹として据えているにもかかわらず、実態は
目標に追いついていない。2006 年 11 月に開かれた北京国際自動車ショーは成功のうちに終わ
ったものの、一方では「ものまね大会」と揶揄されるほどに中国自動車企業の主張する自主開
発製品が、知的財産権や核心技術に関してずさんなものが多数展示されたことは、如実にこの
ことを表している。
しかし、20 世紀初頭のアメリカと異なる点は、現在の中国自動車産業が未だに幼稚な段階
で、激しい国際競争の中にさらされているということである。先に述べたように、外資系企業
が日進月歩に技術革新に挑み続ける環境の中で、中国企業は非常に高いハードルを越えなけれ
ばならないのである。さらに、後進国が先進国に追いつき、追い越す過程の中で、日本の経済
成長に例を見るように、技術の模倣は必然的な要素であるにもかかわらず、現在の国際的な知
233
自動車産業再編に関する米中比較研究
的財産権保護の潮流の中で、中国企業はここでも障害にあたっている。
自動車産業の再編は、技術獲得を目指す中国企業にとって最も有効な手段であると考えられ
る。なぜなら、GM の歴史をたどれば、独自技術を持つ企業が結合して世界最強の技術集団と
しての特性をブランド力に反映できたのであれば、中国においても独自技術を持つ企業が集団
化すれば、大きな競争力となるはずである。
中国は改革開放以来、自動車産業を根幹政策としてその育成を奨励してきた。特に、コア技
術の集合体としての完成車に対する期待は大きく、各地に自動車生産工場が成立した。中国政
府は、自前で一から自動車の開発を行うことより、外国の先進的な技術を吸収することが効率
的だというスタンスのもと、外資系企業の誘致を積極的に行った。しかし、あくまで技術の吸
収が主な目的のため、外資系企業は中国でパートナー企業と合弁形式でしか生産できず、しか
も株式の 50%を超える取得は禁止されていた。すなわち、外資系企業にとっては市場の主導
権を握れないうえに、技術供与をもしなければならないのである。結果として、外資系メーカ
ーは遅れた技術しか導入しなかった。しかしそれでも中国では最新の技術に他ならず、国際的
に見て発展が大変遅れているにもかかわらず、国内ではさほど問題視されなかったという歪み
が生じたのもまた事実である。その良い例として、フォルクワーゲン社は上海汽車との合弁第
一号車“サンタナ”を実に 20 年以上にわたって生産し、現在もなおマイナーチェンジを繰り返
しながら、当時の基本的なスタイルを今日に残している。
しかし、近年では外国企業は中国を巨大市場と認識し、リアルタイムで新型モデルを投入す
ることは当然の戦略となっている。そして中国の大手国有自動車企業の中には、外資系企業の
現地仕様車のデザインや技術改良を任されることも最近では一般的になってきた。CAD シス
テムなどを駆使した先端技術は自動車の設計を簡素化し、それを使って優秀な人材が開発に従
事する。しかし、問題はあくまで外国で量産されたモデルのプロトタイプを改良するに過ぎず、
また国有自動車企業は往々にして余剰な開発人員を抱える場合が多く、技術開発においても合
理性を果たせていない。そこで、上海汽車を筆頭に、外国の自動車企業を買収する手法がとら
れているが、この場合も、経営不振に陥った MG ローバー社の技術を単に資本関係により受け
継いだに過ぎず、自主開発とは意義が異なるものである。
一方で、民営企業は自主開発車の市場化を進めているが、外部デザインやエンジン、シャシ
ー、トランスミッションなどの設計を外部の専門会社に委託しているケースが多く、独自の技
術を持たないいわゆる“寄せ集め技術”の製品を販売しているのが現状である。 11 一部のメーカ
ーは一貫した生産体制を備えているが、廉価な製品を販売できる背景には外国企業の期限の切
れた特許の利用を主な手段としているため、依然として国際競争からは距離を離されている。
アメリカの場合、フォードや GM による大量生産の確立以前では、当時の自動車企業の多く
は町工場に過ぎず、オーダーメイドで自動車を生産していた。そのため、自動車一台を生産す
るのに非常に高いコストを要し、その原因は人件費以上に技術の集約としてのコストであった。
自動車は規模の経済がもっとも顕著に働く産業であるがために、小規模に生産を行っても合理
的経営が難しい。もちろん現在の中国自動車企業は、政府が支援を明言している年産 60 万台
11
張松『中国の民族系自動車メーカーの現状と課題(下)』世界経済評論、2006
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をひとつの目安として各企業は生産規模を拡大しているため、当時のアメリカの生産規模との
単純比較はできないが、技術の高度化した今日の自動車産業では集約的生産体制がキーワード
となることは間違いない。
結局、企業の集約化はこのような技術開発の抱える問題を緩和するだろう。すなわち、企業
規模の拡大による規模の経済の実現、あるいは人材の集約による研究開発の競争力向上につな
がる。特に、WTO 加盟後の中国は外資系企業が合弁できる中国側パートナーを 2 社に限定し
てきたいわゆる「2 社枠」を撤廃するため、集団化することでより多くの外国企業の技術を吸
収できるという利点がある。その観点から、技術水準を向上するためには自動車産業の再編は
必要であり、可能である。
第5節
産業集積
自動車産業では、規模の経済に次いで重要な成長戦略が特定地域での産業集積である。すで
にアメリカの場合に指摘したように、ミシガン州デトロイトに集中する米国自動車産業は技術
の集約、人材の確保、あるいは部品調達コストの削減など、様々なメリットに浴することがで
きた。1920 年代までに、デトロイトは実にアメリカの自動車の約 8 割を生産していたのであ
る。
もちろん、自動車に対する需要が増加するにつれて、フォードを中心に周辺地域に分散した
工場設立の流れが生まれたが、その特徴はあくまでデトロイトを中枢とした国際的な生産配置
戦略の一部との位置づけであり、それゆえ企業のグローバル展開の枠をはみ出してはいない。
それは上記したような従来からのメリットに加え、適地生産の原則に沿っているためであり、
大消費地に近い場所で生産することが、輸送コストの削減やニーズのフィードバックに有益で
ある。
中国の場合は、政府による国有自動車企業の配置に関する戦略が欠如していたために、完成
車メーカーはチベットと寧夏を除く 28 の省に分散し、大手自動車集団も互いに距離的に離れ、
各集団が個々に部品供給体系を形成している。部品の一部を全国規模で集中して調達しようと
すれば、その地理的距離から不便が生じ、輸送・保管のコストが増すことになる。その結果、
アメリカが享受していた産業集積のメリットが生かせないばかりか、企業同士が互いに連結す
ることすら難しかった。
しかし、自動車生産が本格化した近年、各地域に突出した企業が出現する時代を迎えている。
従来からの重点保護企業に加え、地方の有力企業が台頭し、勢力圏を確保しつつある。この流
れの中、自動車産業集積の動きも加速している。現在、中国では、5 大ブロックに集中して自
動車生産が行われている特徴が鮮明になってきている。すなわち、規模の大きい順に(1)長江デ
ルタ地区、(2)東北地区、(3)京津地区、(4)中西部地区、(5)珠江デルタ地区である。これらの地
域の特徴はそれぞれ次の通りである。(1)長江デルタ地区は沿海地区としてかねて技術集積が進
んでいた地域であり、そのために自動車企業の数も 42 社と多い。上海汽車や南京汽車を中軸
に完成車企業から部品企業が集中し、特に奇瑞や吉利など民営企業の発達が突出している。さ
らに、上海や江蘇省、浙江省などの自動車の大消費圏を抱え、消費者の需要に非常に近い自動
車生産が実現できている。(2)東北地区は中国で最初の自動車生産基地であり、技術集積や人材
235
自動車産業再編に関する米中比較研究
の確保、さらにはインフラの整備がすでに備わっており、自動車の大量生産の基礎が出来上が
っている。そのため、近隣に自動車の大消費地が比較的少ないにもかかわらず、生産規模では
上位にある。東北地方では 18 の自動車企業があり、第一汽車を筆頭に、金杯汽車や哈飛汽車
などの大手がひしめき、その魅力がトヨタやフォルクスワーゲンなどの強豪外資企業を引き寄
せている。(3)京津地区は首都圏を取り囲む地域で、自動車需要が非常に大きいという地の利を
享受している。また、古くから軍用車を生産していたために、部品産業が発達ししている。特
に、天津は中国北方でも随一の国際港湾を有し、自動車関連部品の調達の利便性を高めている。
(4)中西部地区は東風汽車を中心に集積し、中でも軍転民企業が多く、中国でも極めて自動車産
業の公的所有制が強い地区でもある。そのため、中央や地方政府の強い保護の下、大きな集積
体を築き上げているのが現状である。(5)珠江デルタ地区はホンダと組む広州汽車を中心に、自
動車集積が進む地区である。現在ではホンダに加え、トヨタや日産がそれぞれ合弁で工場を立
ち上げ、世界戦略車の生産している。その意味で、広州は中国のデトロイトと呼ばれるほどに
自動車によって活況を呈している。特に、日系自動車企業の御三家が進出したことで、この地
域は日系の自動車部品企業の進出も著しく、他の地域よりも比較的早い速度で産業集積が進ん
でいる。
今後、想定される地域の再編の可能性として、これらのブロックごとの有力企業を中心に零
細企業の合併・吸収が考えられる。また、第一汽車や金杯汽車、北京汽車を抱える北部自動車
集積、上海汽車や東風汽車、奇瑞など民営企業を多く抱える華中自動車産業集積、さらには広
州汽車や長安汽車などの大手企業を抱える華南自動車集積の 3 ブロックに区分することも可能
なはずである。
いずれにしても、現在の中国自動車産業の産業集積はアメリカに見られる生産体制に接近し
ている。その意味では、大量生産を実現し、国際的に競争力のある産業に育て上げる底力が徐々
に付きつつあることを示している。
上述のように、中国では体制的、歴史的要素によって自動車産業の地域的集積がアメリカの
ように一つの中心に集中できていない。現在の東北部、首都圏、上海地域圏、華南地域、中部
地域の5極集中の内部でも、さらなる企業の再編を進める必要がある。
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東風ホンダ
神龍
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北京ヒュンダイ
哈飛
北京ジープ
一汽 VW
瀋陽華晨金杯
東風日産
天津一汽トヨタ
南京フィアット
成都
重慶
武漢
四川トヨタ
上海 VW
長安フォード
上海 GM
重慶長安スズキ
奇瑞
広州ホンダ
一汽海南マツダ
広州トヨタ
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自動車産業再編に関する米中比較研究
第4章
結論と残された課題
―中国自動車産業の再編の展望―
第 3 章では 20 世紀初頭のアメリカと現在の中国自動車業界の比較を行い、中国の自動車産
業の再編はアメリカと形式がことなりながらも必ず展開するだろうことを示した。明らかに、
中国自動車企業は外圧をまともに受けるだけの競争力を身に付けなければならない。WTO に
加盟したことで、中国自動車産業がこれまで通りに保護を受けて発展することはもはや不可能
で、国際市場でフェアな競争を通して淘汰を経て成長していくことが必要不可欠である。
第1節
まとめ
これまで、自動車産業の米中比較について米国側、中国側にそれぞれ焦点を当てて検証を行
ってきた。ここでは、改めて、研究結果をまとめる。
①
経済体制と自動車企業の所有形態
フランクリン・ローズベルトまでの 20 世紀初頭のアメリカは、共和党政権で保守主義全盛、
経済は基本的に市場に任せるという考え方が強力だったため、当時のアメリカは資本主義経済
の下で大胆な合併・買収を重ねてビッグ3が誕生した。これに対し、中国は国有自動車企業の
保護もあり、国家の介入が多く 20 世紀初頭のアメリカのような市場主導の再編は難しいゆえ、
中国で再編を市場に任せて行うのは難しい。
②
競合相手と集中度
当時のアメリカにおいては、自動車工業では世界の最先端で海外に競争相手は少なく、国内
的にも寡占化が進んでいた。これに対し、中国では米日、欧州など先発の自動車大国が先行す
る一方、国内では企業の乱立状態が続く。2001 年に果たした WTO の加盟で国際的な競争は
より厳しくなるゆえ、中国での市場の再編の必要性は大きい。
③
自動車市場の潜在力
当時のアメリカも現在の中国も自動車市場が急拡大する時期にある。どちらも巨大市場だが、
人口から見た潜在的な需要量は中国の方が大きい。再編によって企業数を合理的な水準に減ら
すことではじめて、将来的にトップクラスにある企業の一社当たりの生産規模が、規模の経済
を十分享受できる程度に大きくなる。
④
ブランドの確立と技術要素
当時のアメリカでは競合相手の少なさ、あるいは一般消費者の自動車に対する嗜好が偏向し
ていたことなどにより、ブランドの確立は比較的容易だった。それに対して、現在の中国では
外資も含めた強力なブランドが既に確立しており、この中で中国ブランドを新たに確立するの
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は容易ではない。また、知的財産権保護に対する監視が 20 世紀初頭とは比較にならないほど
強くなっているのも後発の中国にとっては制約となる。そこで、今後の再編プロセスにおいて
は、外資パートナー企業との合弁などによる方式の重要性が高まる。
⑤
産業集積
アメリカは中西部を中心とする自動車工業の産業集積が進み効率がよい。これに対して、中
国では地域ごとに5大ブロックに分かれている。しかも、互いに政治的にもけん制しあう地域
ブロックであるため、当面、中国全体をカバーするような巨大自動車会社は現れないと考えら
れる。それゆえ、地域ブロックごとの再編・寡占化が進むだろう。
第2節
再編プロセスにおける今後の課題
中国自動車産業はその波及効果の大きさから、その集約化は今後の中国経済発展にとっては
試金石となるだろう。しかしいまだに、“散乱、低技術、小規模”という特徴はその大きな障害
となっている。戦略的産業再編は中国自動車企業が躍進する上で欠かせないものである一方、
システマティックな産業構造の構築には時間がかかるだろう。その 4 つの大きな課題を以下に
示す。
1.
企業規模が小さい。
大型国有企業数社による集約型競争は、長らく中国自動車産業の目指す方向であるが、その
進度は緩慢である。すでに国内の企業をある程度再編によって吸収してきた中国最大手の第一
汽車グループでさえ、2004 年に在庫圧縮をディーラーへの販売ノルマとして押し付け、業績
悪化を招きながらようやく生産量 100 万台の大台に乗せたのに対して、世界の大手企業はすで
に 1000 万台に近づきつつある。これは規模の経済が活かされていないことを示し、今後の再
編で期待されている効果に疑問を投げかけている。
2.
地方政府による強い保護主義
中央政府が一貫して自動車産業の再編を推進してきたにもかかわらず、地方政府との間には
深い溝が残っている。地方政府にとって、自動車産業は高税収源や高利益産業であり、地方の
雇用を生み出す重要な産業である。それゆえ、閉鎖的な“地方自動車政策”は普遍的であった。
地場企業の製品に対する優遇的措置は市場の健全性を歪めているだけでなく、競争力のない企
業を権力によって活かしていることとなり、自動車産業の全国的な再編の足かせとなっている。
3.
技術力の低さとブランドの乱立。
技術に関しては第 3 章で述べたように、中国自動車企業は非常に遅れている。そのため、先
進国の自動車企業とは比較ができないほど技術競争力に欠ける。再編過程において、買収合併
を通じて相互の企業が互換関係を築くこと、さもなければ淘汰されるという厳しい環境の中で、
多くの中小企業は技術の面では弱い立場にあるにもかかわらず、地方政府の保護によって活か
239
自動車産業再編に関する米中比較研究
されている。
また、中国企業によるブランドの独自展開も再編を遅らせる原因となる。すなわち、ブラン
ドの過当競争につながるためだ。現在、中国市場には 100 あまりの自動車のブランドが展開さ
れており、これらが集約され少数の自動車企業のみが展開されたとしても、現状では競争力を
持たず、輸入車あるいは外資系の現地生産車に敗れてしまうだろう。
4.
自動車産業の沿海部への集中による、産業集積の多地域化。
生産量から中国自動車産業の変化を読み取っても、あまり明白な結果を得られない。しかし、
販売額から見ると、沿海部に集中していることから、自動車産業が各地に集積していることが
分かる。
完成車生産量の地域区分から見ると、上海など華東地区および長春など東北地区がそれぞれ
総生産量の 3 分の 1 と 4 分の 1 のシェアを安定的に占めているのに対して、武漢や広州など中
南地区では東風汽車と広州汽車の好業績による押し上げで、29%のシェアへと増加している。
このほかにも、北京を中心とする地域も自動車産業が活発化している。さらに各地域が政治的
に牽制しあう結果、中国全土をカバーできる企業の誕生はなお一層遠のいている。
第3節
中国に GM は生まれるか――結びにかえて
これまで、中国の自動車産業の将来性について政策と今後の課題の双方向から分析してきた。
いずれにしても、中国の自動車産業は国際競争を勝ち抜くために再編は不可欠だという結論に
達するといえる。では、本論文の副題でもある“中国に GM は生まれるか”という問いに対する
応えは、結論からすると、集積地域と企業規模に制約の余地を残せば、可能である。ただ、そ
れはアメリカと同じ轍を歩むものではなく、中国独自の形態となることは当然であろう。自動
車産業の企業連合は企業間の補完関係を促し、資源の最適化配分を実現する。その結果として
コストダウンをはじめとする一連のメリットを享受できるだろう。以下の結論をもって本論文
を締めくくることとする。
①中国は国有自動車企業の保護があり、国家の介入が多く 20 世紀初頭のアメリカのような
市場主導の再編は難しい。②ただし、中国は潜在的な巨大市場だけに、再編で企業数を無理に
減少させなくても、将来的には大手一社当たりの生産規模は、規模の経済を十分享受できる程
度に大きくなる。③しかし、中国では米日、欧州など先発の自動車企業が先行する一方、WTO
の加盟で国際的な競争はより厳しくなるため、市場再編の必要性は大きい。④また、現在は外
資も含めた強力なブランドが既に確立しており、この中で中国ブランドを新たに確立するのは
容易ではない。知的財産権保護に対する監視も 20 世紀初頭とは比較にならないほど強くなっ
ているのも後発の中国にとっては制約となる。このため外資との合弁などによる再編の重要性
が高まる。⑤さらに、中国では地域ごとに5大ブロックに分かれている。このため、当面、中
国全体をカバーするような巨大自動車会社は現れず、地域ブロックごとの再編・寡占化が進む
と考えられる。
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参考文献
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10.横山則夫 2004 年『激変!中国の自動車産業』日刊自動車新聞社
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22.中国社会科学院工業経済研究所編 2004 年『中国工業発展報告』経済管理出版社
241
自動車産業再編に関する米中比較研究
あ
と
が
き
今ころ、皆さんは相変わらず難しい英語の教科書に頭を悩ませているのでしょう
か?大丈夫、僕もそんな一人でありましたが、この論文を書き上げられたのですか
ら、安心して頭を悩ませてください。
でも、ただ何となく勉強してよい、というわけではありません。よい論文は一日
にして成らず、永田先生に認められる論文を書く決心であれば、常になぜこのよう
な学習をしているのかと、問題意識を持って取り組んでください。皆さんが勉強し
ている教科書には成功へのヒントがたくさん隠れていますし、それを導きだしてく
れるのが永田先生です。これが、僕の考える卒業論文を書く心構えです。
次に、テーマ。これは文章の顔とも言うべきものですから、大事です。各分野に
広くアンテナを張って探してください。永田先生いわく、よいテーマにめぐり合え
るチャンスは流れる雲のように、皆さんの目の前を平等に流れ過ぎてゆく。それを
うまくつかめるかどうかは皆さん次第なのです。(間違っていたら、すみません^
_^)。
最後に、中身。とにかく考えて、書いて、直して、これを繰り返してください。
論文は直した分だけ、輝きます。逆にこれが苦痛で、“学部生の論文なんて簡単”
と思ったら、先生の論文はあきらめてください。実際、僕も人のことはあまり言え
ないのですが、とにかく甘いものではありませんよ。でもこれだけは覚えてくださ
い、先生は本当に親身になって論文を見てくれます。まるでお父さんのように、皆
さんの巣立ちの準備を心から応援していますから。卒論を書くことは大変です。寝
ない人もいるし、僕のように現地調査と称して外国で書く人もいます。でも、頑張
ってください。これを成し遂げたとき、皆さんはきっと何かをつかんでいるはずで
す。
乱雑な文章になりましたが、僕の伝えたいことはお分かり頂けましたでしょう
か?すばらしい卒業論文を皆さんがお書きになることを楽しみにしております。大
学生活をハッピーエンドで締めくくりましょう!
最後に、僕は今伊藤忠商事に勤務していますから、商社に興味がある方、OB 訪
問でも何でも、僕に絡んでくれればうれしいです。では、皆さんの健闘をお祈りし
ております。
張
震寧