池銀キャピタル 投資先経営者インタビュー 2009 年 1 月 5 日 an IkedaBank group company 妖精が運ぶ手のひら水力発電 相沢 幹雄 ●アクアフェアリー株式会社 代表取締役 燃料電池を携帯用電子機器に―アクアフェリーの挑戦は大企業の研究 開発から始まった。同様の取り組みは大手電機メーカーでも行われてい る。違いは、メタノール水溶液を燃料とする方式か水素を燃料とする方 式かにある。難易度が高い方法を選択した相沢社長の選択基準は、技術 評価よりも、開発担当者の人間性評価に重点が置かれていた。 訊き手:神保 敏明=池銀キャピタル代表取締役 編集:田中 智也=池銀キャピタル投資部 あいざわ・みきお:1942 年 2 月生まれ。65 年 横浜国立大学 工学部 応 用化学科卒業、日東電工株式会社入社、01 年 専務取締役に就任、06 年 アクアフェアリー株式会社を設立、代表取締役に就任。 義でついてきた七人の侍 自ら起業を考えた訳ではありま せん。日東電工の専務を退任する1 ました。起業時で、成功確率は 30% 程度と考えていました。 100 歩の半ばは 99 歩 年前に全幅の信頼を置く部下から 燃料技術に関する大きなブレー ベンチャー企業を立ち上げたいと クスルーを二度経験し、成功確率は 相談を受けたのが発端でした。専務 99%まで格段に高まりました。しか にまでなれたのは、この部下のおか し技術者に常々言っている事です までじっと待つんです。所詮報告を げだと今でも確信しています。部下 が、成功体験がないのにあると思っ 催促しても上手くいかない時は、上 の今までの功績に報いる為に自分 ているのは 99%で成功したと思っ 手くいきません。無理に催促すれば、 の退職金で応援しようと起業を決 ている人です。 「残りの一歩はここ 耳障りの良い報告だけになり、裸の 断しました。部下2名が私について 王様になってしまいます。苛立つ事 きて、2名の部下に更に4名がつい もありますが、我慢が大切です。私 てくる形の7名で起業しました。 が口を出すのは経営に関する事項 育ちは日東電工 だけにしています。 専務を退任してから2年間「フェ ウチの会社、と言える組織を ロー」の形で会社の好意に甘え、社 組織には壁が無いのが一番良い 内で燃料電池研究室を創設しまし まで来た 99 歩よりも遥かに大変な と思っています。人が増えれば、や た。小型燃料電池の要素技術は、発 道程だ。これからが本当の勝負だ」 むなく組織を作る事になります。し 電機と燃料の2つから成り立って と言って、はっぱをかけています。 かし会社が大きくなって、破綻して います。起業時点で発電機について ライバルは乾電池です。値段的にも いくプロセスをみてみますと、組織 の技術は確立できていました。ただ 十分勝てると確信が出来ましたの の縦割りの壁が邪魔をしているケ 燃料は、安全性、コスト面での改善 で商品化まではあと一歩です。 ースが非常に多いと思います。社員 余地が残されていました。当初は他 経営の極意は忍耐だと思う は勿論、社員の家族の顔まで思い浮 社と同じ、メタノール方式でやって 起業を決心した時、私が思いつく かべ、目を行き届かせられる会社を いたので会社を興しても競争に勝 ようなアイデアで上手く行くのな 作りたいと思っています。古き良き ち残って行くのは難しいだろうと らば誰がやっても出来る、と自分に 時代の日本の会社、皆が自分の会社 思っていました。ところが、途中で 言い聞かせました。そこで、技術的 を「家」という言葉で呼べるような 水素方式の着想が出てきたのです。 な各論には、部下を信じて口を挟ま ウェットな会社に出来たら良いと これに何%かの解の可能性を感じ ないようにしています。報告が来る 考えています。 【取材日:2008 年 11 月 28 日】
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