日本パーソナリティ心理学会第 17 回大会 装い研究の今

日本パーソナリティ心理学会第 17 回大会
�装い研究の今�
~2008 年 11 月 15 日(土)、ココロス共同研究発表抄録
日本パーソナリティ心理学会�装い研究の今�(1)
2008 年 11 月、東京で開催された『日本パーソナリティ心理学会第 17 回大会』。その自主企画
『装い研究の今』で、話題提供者としてワコールHDココロス担当より菅原先生・鈴木先生との共
同研究について発表し、指定討論者の先生方から議論をいただきました。ここでは、ワコール HD
からの発表内容として、会場で配布した要旨と画像を掲載します。ココロス共同研究『なぜ見えな
い下着にこだわるのか』で浮かび上がってきた、下着の捨てにくさと愛着、女性の心の年齢意識
にみる“若さ”、男性も含めた下着の心理的効果として注目される“癒し”の効果など、これまでの研
究のダイジェストです。
会期:2008 年 11 月 15 日(土)~16 日(日)
会場:お茶の水女子大学(東京)
参加企画:『装い研究の今』(11 月 15 日)
司会:鈴木公啓(明治学院大学)
話題提供者:鈴木公啓(明治学院大学)※ココロス共同研究者
木戸彩恵(京都大学大学院教育学研究科)
完甘直隆(株式会社ワコール HD)※ココロス担当
指定討論者:余語琢磨(早稲田大学)
大坊郁夫(大阪大学)
菅原健介(聖心女子大学)※ココロス共同研究者
タイトル なぜ見えない下着にこだわるのか
話題提供…ワコールホールディングス・ココロス担当
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株式会社ワコールと婦人洋装下着�インナーウェア�の��に�いて
ワコールと言えば、女性下着メーカーとしてご存じの方も多いと思います。私ども株式会社ワコー
ル HD はワコールグループの持ち株会社でして、株式会社ワコールをはじめグループ会社の売
上高は年間およそ 1600 億円。その 75%の 1200 億円が「婦人洋装下着」、平たく言うと女性下
着でして、それを私どもメーカーでは、「インナーウェア」と呼んでいます。
ワコールは戦後すぐの1946 年に創業し、1950 年からブラジャーの自社生産を始めました。それ
から 60 年近く、インナーウェアのメーカーとして、国内シェアでトップの地位を保っています。イン
ナーウェアには、ブラジャー、ガードル、ショーツ、キャミソールやスリップといった、さまざまな品
種がありますが、国内で一般に普及したのは、1945 年に第二次世界大戦が終わってからのこと
です。
戦前の日本の女性は、普段着として和装の着物を着ていました。それが、戦後、欧米のファッショ
ンが、日本国内へ急速に入ってきまして、着物から洋服へ替わっていったわけです。すると、洋服
を着こなすための下着、インナーウェアが必要になり、ご覧のようなブラジャーの製造販売を始め
たわけです。とはいえ、戦後まもない 1950 年代は、ブラジャーなど見るのも初めてという方が多
く、ワコールは百貨店のホールで「下着ショウ」を開催して理解促進に努めました。当時のブラジ
ャーの色は白か黒で、デザインも限られていましたが、女性の下着デザイナーから「女らしさを追
求する」ことが主張されて、ファッション性が加わっていきます。
そして業界団体の統計によると、ブラジャーの販売数量が年間 6000 万枚に達した 1975 年頃
に、数量的なマーケットは飽和したと考えられています。1980 年代以降は、製品の付加価値を高
めて高級化が進み、カラーもデザインもより豊富になりました。90 年代にはインナーウェア市場
は金額的にも頭打ちとなり、極めて成熟した市場となりました。ファッションの個性化が進み、同じ
ブラジャーが大量にヒットするということは、難しくなっています。
一方、ワコールでは 1964 年に社内に人間科学研究所を設置し、年間およそ一千名の、一般の
女性の方々にモニターの契約をしまして、体型を計測させていただいています。その計測は、メジ
ャーを使った国際規格の計測法と、レーザーを用いた三次元計測装置が主流です。現在、およ
そ4万人の体型データがあり、新製品の開発に役立っています。ただ、これまで私どもメーカーが
研究してきましたのは、計測に基づく数値的な体型のデータであって、「体型とサイズ」が中心と
なっています。そのため、下着が、身につけた人の「心」にどのような影響を及ぼすのかといった
心理学の分野の研究は、ほとんど未着手と言ってもいいでしょう。
さて女性下着の国内の市場規模は、調査会社によれば、年間およそ 7200 億円と言われていま
す。一方、男性の下着の市場規模はおよそ 2600 億円と言われています。女性の下着市場は、
男性の三倍近くあるわけです。女性にとって下着がただの実用品でしたら、これほどのマーケット
は成立しないと思います。
■
菅原��先生�鈴木��先生とワコール��の共同研究について
そこで、私ども株式会社ワコール HD と菅原先生、そして鈴木先生との共同研究についてご説明
させていただきます。現在、私どもメーカーが直面しておりますのは、「タンス在庫があふれた」成
熟市場です。ファッション感覚が研ぎ澄まされたお客様に対して、その心をとらえる製品を送り出さ
なくてはなりません。そのため、私どもメーカーは今、膨大な種類のデザイン、カラー、素材のイン
ナーウェアを市場に供給しています。
しかし考えてみれば、不思議なことです。というのは、下着は、アウターウェアの下に着るものであ
って、外からは通常、見えないものだからです。そこで、素朴な疑問が浮かんできます。女性は「な
ぜ、外から見えない下着に、ここまでこだわるのだろうか」。この疑問に対する答えは、これまで学
術的に調査研究した例がなく、そこで心理学の分野に注目し、菅原先生、鈴木先生に、共同研究
をお願いしたわけです。3年あまり前から菅原先生との共同研究をスタートさせ、これまでに6回、
のべ 7000 人ほどの方に WEB アンケート調査を実施し、得られた結果を、菅原先生、鈴木先生に
分析いただきました。これらの調査結果が、私ども下着メーカーにいくつかの刺激をもたらしてい
ます。以下、代表的なことを三点ほどご紹介させていただきます。
■
����から�られたこと……�����の��
下着はいずれ、古くなって、捨てるときがやってきます。18 歳から 59 歳の女性 1000 人に、「ブラ
ジャーを捨てるときに躊躇しますか?」とお聞きしました。「躊躇する」と答えた方は全体の6割。
30 代なら7割、50 代なら5割です。その理由は、「捨てた後、誰かの目に触れるのではないかと
心配」が 55%、「まだ着られると思う」が 39%、「どうやって捨てればいいか、方法がわからない」
が 30%ありました。また、「愛着や思い出がある」と答えられた方は 23%ですが、18 歳から 29
歳ですと 27~28%になります。下着はプライベートなもので、捨てるときでも、自分なりの愛着や
思い入れを感じていて、気持ちの上で躊躇される方が、少なからずおられるということです。
そこでワコールでは、お客様が捨てられずにお持ちになっているブラジャーを回収して資源リサイ
クルに回す、「ブラ・リサイクルキャンペーン」を実施しました。2008 年の2月から3月にかけて全
国 600 あまりの店舗で、ブラ・リサイクルバッグを無料配布し、その中にブラジャーを入れていた
だいて回収しました。全国で約三万枚が集まり、リサイクルされて固形燃料に姿を変えました。
■
若さとは年齢ではない。実年齢と、ココロの年齢軸の��
35 歳から 64 歳の女性の方およそ 1200 人に、「自分で自分を何歳くらいに感じているか」をお聞
きしました。実年齢との差は、平均してマイナス5歳。また、「他人には何歳くらいに見てもらいた
いか」には、平均してマイナス 7.5 歳。「可能ならば何歳くらいに戻りたいか」とお聞きした場合、こ
ちらの実年齢との差はマイナス 18.2 歳にもなりました。50 代後半だけをみると、「できるものなら
21 歳以上若返りたい」と思う方が 49%、ほぼ半数おられました。つまり、自分自身の年齢を「こう
感じている」「こうなりたい」と願う、願望の年齢は、その方の実年齢や見掛けとは別に、かなり若
くなるということです。
これは、私どもメーカーにとりまして、「商品の企画を、単純に、お客様の年齢軸で切ることはでき
なくなった」ということです。私どもが、たとえば 60 歳代のお客様に「この商品は 60 代の方に向け
てお作りしました」とお勧めしても、そのお客様のココロの年齢は 40 代くらいであって、実年齢より
もずっと若い感覚の商品を求められることが十分に考えられます。しかもそれは下着ですから、
外からは見えません。年相応にとか、他人の目を意識しなくてもよくて、若々しいデザインでも、
自由に楽しむことができるわけです。これらのデータは、弊社において 40 代以上を対象とした商
品の、デザインや感性をリニューアルする“若返り”を促しました。商品も売場の雰囲気も着実に変
わってきています。
■
����から�られたこと……「�し」の�����
自分の下着へのこだわりを調べる尺度として「“お気に入りの下着”を持っていますか?」 とお聞
きしました。何枚かお持ちの下着の中で、“お気に入りと、そうでないものを区別して使い分けてい
る”ということは、下着に対して何らかの「こだわり」があることを示すと考えました。まず女性の場
合、18 歳から 64 歳の女性に対するこれまで3回の調査で、「90%前後」の方が「お気に入りの下
着を持っている」と答えておられます。メーカーの立場からみれば、売場へお越しになるお客様の
「ほぼ全員」と考えていいだろうと判断しています。
さて男性にもお聞きしました。15 歳から 64 歳の男性約 1000 人に対する調査です。男性の場合
では「お気に入りの下着を持っている」方、厳密には「お気に入りのパンツを持っている」という男
性が全体の 33%ありました。3人に1人です。これを、仮に「下着こだわり派」と呼ぶことにしまし
た。そして、この、「こだわり派」の男性と女性に、「お気に入りの下着もしくはパンツ」を着用したと
き、どんな気分になるかをお聞きしました。「気合が入る」「女としての自信が持てる」といった「気
合」や「女らしさ」にかかわる心理的効果は、女性はかなり高く出ています。これに並んで、「安心
できる」とか「リラックスできる」という、心の「癒し」にかかわる心理的効果は、女性だけでなく、男
性もかなり高く出ています。これは男性の3人に1人の「下着こだわり派」に関する数値ですが、
それにしても、女性よりも少し高く出ているのです。
この結果は、私どもメーカーにとりまして、常識を覆す結果でした。一般に言われる「勝負下着」と
いうものが念頭にありまして、たとえば、ご覧のデータの「異性にセクシーさをアピールできる」と
いった心理的効果がメインになるのではないかと思っていたわけです。しかし調査した結果、その
ような「勝負下着」的な心理的効果よりも、心の「癒し」を期待する人が、じつは多いということが
明らかになりました。このようなことは、あまり想定していなかったわけです。男女ともに、「癒し」
の効果を感じている人が多い、という結果は、私どもの製品づくりに生かされてくることでしょう。
以上、メーカーとして、特に刺激になった調査結果、三点を紹介させていただきました。
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共同研究の今後への��……心理学との�ラ��ーションの��性
今後、菅原先生・鈴木先生との共同研究による調査結果は、私どもメーカーにとって、さらに重要
な意味を持ってくると思います。共同研究によりまして、下着への「こだわり」の心理の構造を示
す、このような図が導き出されてきました。一枚の下着とはいえ、それを選んで身に着けるときの
女性の心理には、これだけの深みがあるということを、考えさせられます。今後の研究によって
…[1]「こだわり」の心理的な構造がより具体的に解明される。[2]その「こだわり」から生まれる、新
しい下着のあり方や、ファッション行動が解明される。そうなりますと、メーカーの製品開発におけ
る心理学の存在感が、より重要になってくると思われます。
また最近は、女性たちが自由に新しいファッションを考え出して、下着の着こなし方を変えていく
事例が伝えられています(京都新聞 10 月 20 日付)。50 歳代や 60 歳代でも、年齢を気にせず、
冒険的でヴィヴィッドな下着を楽しむ。わざと肩紐を見せるなど、自由な発想で下着を見せる。濃
い色のブラジャーを、ブラウスの下から透けさせるなど、仲間に対して自分を表現する記号として
下着を楽しむ…。これは、下着メーカーが最初から意図して仕組んだファッションではありませ
ん。女性たちが、ファッションの新しい形を、いつのまにか作り出しているわけです。
ということは、下着に対する「こだわり」や「思い入れ」といった心理的な要素が、新しいファッショ
ン行動を生み出し、女性の心をより前向きに、積極的にしているのかもしれません。それは、女性
が自分の人生にちょっとした幸せを見出して、前向きに生きていこうとする、いわば人生の知恵と
でも言えるのかもしれません。下着を通じて、ささやかな幸せを発見する。あるいは、下着を身に
着けた自分に「美しさ」を見出すことで、幸せを感じ、自分自身を愛でる、愛する。そういった「自己
愛のツール」としても機能しているように思います。私ども下着メーカーとしましても、これは、下
着の存在価値を高めていくことにつながる、大変、有意義な研究であると思います。そして「下着
と心理」の関係を探る研究はこれまでに前例がなく、初めての試みであり、新しい研究分野を拓く
のではないかと、今後に期待しています。
(以上)
日本パーソナリティ心理学会「装い研究の今」(2)
2008 年 11 月、東京で開催された『日本パーソナリティ心理学会第 17 回大会』。その自主企画『装
い研究の今』で、ワコールHDココロス担当より菅原先生・鈴木先生との共同研究について発表し、
指定討論者の先生方から議論をいただきました。ここでは、指定討論者のうち、ココロス共同研
究者である菅原先生のお話をご紹介します。人が衣服を着ることの意味、“○○らしさ”の崩壊、そ
の人の装いに現れる社会的位置づけ、さらに企業と共同研究することの意義とは…。「装い」の
研究から「人の生き方」が見えてきます。
会期:2008 年 11 月 15 日(土)~16 日(日)
会場:お茶の水女子大学(東京)
参加企画:『装い研究の今』(11 月 15 日)
司会:鈴木公啓(明治学院大学)
話題提供者:鈴木公啓(明治学院大学)※ココロス共同研究者
木戸彩恵(京都大学大学院教育学研究科)
完甘直隆(株式会社ワコール HD)※ココロス担当
指定討論者:余語琢磨(早稲田大学)
大坊郁夫(大阪大学)
菅原健介(聖心女子大学)※ココロス共同研究者
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菅原健介(聖心女子大学 教授)※ココロス共同研究者
■
他者と自分を区別するために
被服に関しては、教科書に、まず「被服の起源」が出てきます。
これには三つほどの説があります。ひとつは「羞恥説」、裸では恥ずかしいから服を着たという説
ですが、これは理論的にありえないということで否定されています。次に「身体保護説」、身体を
保護するために被服を着たという説があります。そしてもうひとつ、面白いのは「装飾説」。つま
り、自分自身をアピールするために服を着るようになったという説です。人間は、裸の状態では、
みんな同じような姿ですから、そこで服を着たり、お化粧をしたり、体にペインティングをすること
によって、他者と自分とを区別する。自分らしさを見せる差別化の道具として被服が発達してきた
のではないかという考え方です。
そのような視点に立って「装い」ということを考えていくと、いろいろと興味深いことが見えてきま
す。例えば、伝統的に、被服(化粧もそのように指摘されていますが)は、どちらかというと個人の
おしゃれの道具というよりも、むしろ社会的な立場、ステイタス、社会における役割とか、その人
の年齢といったものを示すひとつの「指標」というか標識のような形で使われていたと言われてい
ます。「○○らしい」という言葉がありますが、まさにそれだったわけです。学生らしい服装、勤め人
らしい服装、主婦らしい服装だとか…。そこで、この「らしさ」から外れると、いろいろと批判を浴
び、周囲から奇異な目で見られるということがあったと思います。
■
アピールする「装い」
ということは、服装というのは「私はこういう社会的役割を担っていますよ」とか「こういう役割期待
の下で私は行動していますよ」ということを示す機能を持っているわけです。
ところが最近になりまして、このような、「社会的役割としての装い」「社会的役割としての被服」の
機能は徐々に薄れ、個人の自由が優先されるようになってきたということが、よく言われていま
す。「○○らしい」服装ということに規定されない被服行動、装い行動というものが顕在化してきたの
だと思います。
たとえば、「“主婦らしい”格好」というものをイメージすると、私よりも上の世代では、頭にパーマを
してエプロンして、買い物かごを持って歩いているという姿をイメージするのですが、そういう人
を、探してみるとどこにもいないのです。「サザエさん」にはよく出てきますが、現実の現代社会で
はそのような人は、まず見られません。今の主婦はさまざまであって、茶髪の人もいれば、ルイ・
ヴィトンのバッグとかブランド物で決めている人もいるわけです。そのような意味で、私たちは「○○
らしさ」というものから外れてきている。そこにひとつの興味深い視点があるのではないかと思い
ます。
言ってみれば被服は、自己が担う社会的役割を示すのではなくて、自分の個性とか魅力といった
ものをアピールする、それも他者に対してのアピールと同時に、自分自身に対して言い聞かせる
…自分はこういう生き方をする、自分はこういう自分でありたい、と、「自分に対してアピールす
る」ことも含めていると思います。
■
下着と年齢意識にみる「らしさ」の��
下着の研究(ワコールHDとの共同研究)で注目したひとつは、「年齢」に関する話です。年齢と、
下着に対するこだわりの仕方との関係を調べていくと、意外に、年齢との関係は薄いのです。分
析しても、あまり年齢との関係は出てこない。これまで下着メーカーは伝統的に、40 代向けの下
着、50 代向けの下着…という考え方で、年齢切りでマーケティングをやってきました。もちろん「年
齢切り」はマーケティングの基本的なパターンのひとつですが、ところが実際にデータを取ってみ
ると、年齢に関係なく、さまざまな行動が出てくるのです。
年齢に対する意識を聞いてみると、60 代でも「まだまだ女性としての魅力を失いたくない」「若々し
い外見を保ちたい!」という意識を持っている人がおられる一方で、30 代でも「私はおばさんだか
ら、どうでもいいのよ」と考えている人もいます。その二つのグループで下着に関する行動を比べ
てみると、ぜんぜん違います。「私はもうおばさんだから、下着のファッションなんて関係ない」と
いう人にとって、下着は単なる実用品なのです。近所の量販店でとにかく安いものを買ってくる。
それに対して、60 代でも若さを追及する意識を持つ人は、下着もデザインにこだわった高額なも
のを選んで購入する。年齢というものでひとくくりにできない、そんな状況が見えてきたわけです。
■
自分と社会との位置づけ、そして「生き方」が見えてくる
「歳だから」とか「中年にふさわしく」といった年齢観ではなくて、それぞれの人が持っている個性、
これからの人生の中で自分をどう位置づけたいのか、あるいは社会の中で自分をどう位置づけ
たいのか…。それぞれの人間の持っている、社会との関わり、あるいは自分自身との関わり、そ
ういったものが被服、あるいは「装い」という形で現れている、といったことが見えてきました。
逆に言えば、「装い」というものを研究することで、その人がどういう外見を作りたいのか、どういう
ふうに自分を飾りたいのか、どういうふうに自分をアピールしていきたいのかが明らかになり、そ
うすることで、その背景に、今の人たちが「自分をどう位置づけたいのか」という姿が見えてくるの
です。ただ単に外見のことだけではなく、「装い」を研究することで、その人の内面とか生き方と
か、アイデンティティといった問題が浮かび上がってくるように思います。
被服の研究と言いますと、伝統的には、「文化史」の領域で主に語られてきたわけですが、社会
的役割の指標としての服装からは、その時代の社会構造や文化構造が見えてくるわけです。し
かし、最近では服装が個々人の生き方やアイデンティティ感覚を主張するようになったことで、例
えば下着と心理の調査を通じて、人の内面や生き方に関わる状況が見えてくるなど、心理学の
分野でも、装いの問題は十分、研究に値する対象になってきたと言えるのではないでしょうか。
■
企業との共同研究の重要性
従って、被服の心理学的な研究について企業から関心を寄せられることも、うなずけると思いま
す。ただ、ときどき思うのは、下着を含め、被服に関わるメーカーの存在の大きさです。人がどう
いう被服を選ぶのか、どのような被服行動をするのかと考えると、そこにメーカーの戦略というも
のがあることも否定できません。データをとってその構造を分析すると、実はその結果は、消費者
がメーカーの戦略をただ追いかけているだけではないかという疑念も出てくるわけです。だとする
と、せっかくの研究もあまり意味がなくなり、単なるポップサイコロジーの域を出ないものになりま
す。そこをいかにして分離するのかが大切です。これはやはりメーカーの方と一緒に研究しなけ
れば、そのあたりの区別をつけられないと思われます。私たちが「人間とはこういうものなんだよ」
という研究結果を出したとしても、メーカーから「いや、それはうちの戦略だったんだよ」と言われ
たらおしまいです。それをどうやって見分け、研究手法の中で区別して扱うのか。これもひとつの
課題でしょう。
先の発表で、メーカーは消費者を“年齢切り”していたけれど、心理学的に調査したところ、どうも
そうではなかった…という事例があったように、「メーカーとしてはこういうつもりでやっていたのだ
けれど、実はそうではなかった」といったことが見えてくることが、企業との共同研究の、ひとつの
面白みであり、重要な意義でないかと思います。
■
心理学における「質的研究」の意義
さて、心理学の質的研究と量的研究についてです。
この二つを方法論だけで語ると際限がなくなるのですが、私が個人的に思うのは、質的研究の重
要性を主張するあまり、「量的研究の批判をすることで、質的研究の重要性を語ろうとする」傾向
があったのかもしれないということです。これはもうそろそろ、いいのでないかと。これから必要な
ことは、いかにしてうまく質的・量的の両方を加味したバランスのいい研究をしていくのか、という
ことだと思います。
そこで質的研究の視点から、「装いの研究」における意義のひとつとして私が感じていることがあ
ります。例えば、下着の研究で、アンケート調査の自由記述で、「下着についてあなたが感じるこ
とを自由に書いて下さい」という設問をしています。すると、ある特定のカテゴリーの中にある人た
ちが、下着についてどのようなことを語っているのかが、意外に、その人の生(なま)の記述で見
えてくるのです。それはたったひとつの例にすぎないのですが、ひとつのグループの特徴を表す
ときに、非常にわかりやすく実感させてくれるという効果を発揮するということです。
米国次期大統領のオバマ氏が、当選したときのスピーチで、百歳を越えたおばあさんのことを語
りました。「百年前からこの人は、黒人とアメリカ社会の関わりをずっと見てきた」と。たった1人の
女性の例なのですが、それを正面に押し出すことによって、百年の間に何がどう変わったのかを
訴える上で、すごい説得力を発揮しているのです。それがなぜかというと、その1人の女性が、
「全体の中でどのような位置にあるのか」が、明確になっているからなのです。これは、“たったひ
とつの例”でも、その例が全体の中でどのような位置にあり、全体に対してどのような関係にある
のか、それを明確にポジショニングできれば、それがいかに雄弁にいろいろなことを物語ってくれ
るかを示すわけです。
質的研究は量的研究、あるいはマスデータの分析と関連させてこそ、その意義が際立ってくるよ
うに思われます。
(以上)
※「量的研究」は、数量化されたデータを扱い、統計学的な分析になじむ研究。
「質的研究」は、言葉、画像、音、匂いなど一般に定量化できないものを扱う研究。