第39号

2016 年 4 月 24 日 MUSIK
BAUER
ZEITUNG
第 39 号
No.39
2016 年 4 月 24 日
T.J.O.S.
東日本大震災チ
ャリティーコン
サートで指揮を
務められた、音
楽監督 小野富
士先生にインタ
ビュー!
●「小学生のころは将来の希望のようなものをお持ちで
したか」
――僕はバイオリンを 3 歳で始めました。僕の親父が、
思春期になってもバイオリンでもやっていれば不良にな
らないだろうと考えて始めさせたそうです。その頃は、僕
はバイオリンの練習が嫌いでねぇ。当時の自宅の裏にあ
った物置に親父にバイオリンを隠されて、なくなると子供
というのはやりたくなるものでね、頼むから返してくれとお
願いするようなことをやっていました。でも小学校 4 年生
の時にジュニアオーケストラに行ってみたら、人と合わせ
ることが楽しくてバイオリンが好きになった。小学校 4 年
生の時には僕は、自分は大人だと思っていたような子ど
もで・・・だから大人だと思ってる時間結構長いのですけ
れど・・・将来音楽家になるつもりはなかったです。小学
校の時の文集には、政治評論家になりたいなどと書いて
あったので、テレビでべらべら喋ってるような人になるの
がいいと思っていたのかもしれないね。まだテレビが貴
重で、隣の家に見に行かせてもらっていたような時代だ
ったな。
●「プロフィールで拝見すると普通大学にいらしたそうで
すが、その後プロの音楽家になると決心されたのです
ね?」
――一般の大学の電気工学科に行きました。電気工学
でもやれば仕事がいっぱいあると思ってね。2 年生にな
ると簡単な実験が始まって、それをレポートに書いて毎
週出す。これは工学部になるとみんなそんな大変なこと
やっているのだけれど、実験そのものは非常に基礎的な
ものなので、その回路を組むことは僕もできるわけ。学部
の他の連中はその回路を組むと、じゃあこのトランジスタ
をこっち持っていったらどうなるだろう、このスイッチをこう
いう風に変えたらどうなるだろうって色々興味津々なわけ
だ。ところが僕は全然その興味がわかない。この先 25 歳
ぐらいで多分なにかの職につき、それから 65 歳ぐらいま
ではずっとその仕事に関わるのだろうな、そうすると 40
年、この興味のないことを続けるのか・・・それは無理だと
考えました。それで、通っていた東海大学の学生オーケ
ストラに指導に来てくれていた、当時東京都交響楽団の
発行
団員広報部
ビオラ奏者だった先生に相談した。これから音楽家にな
るってのはどうですか、と。そうしたら、ビオラだったらなん
とかなるかもしれないと言われた。僕は中学生の時から弦
楽四重奏のチェコの有名なスメタナカルテットを聴いてい
たけれど、ビオラのおっさんがかっこよかったのね。顔は
フランケンシュタインみたいで身長が 190 ぐらいある、この
ビオラがとっても好きで頭に残っていたし、中学校のとき
にオーケストラクラブみたいのがあって、先輩の家に行っ
て毎週弦楽四重奏をやっていたの、そのときは僕はバイ
オリンしか弾かなかったんだけども、ビオラもいいなあって
思っていた。だからバイオリンからビオラに転向するという
のにも抵抗はなくて、「ビオラだったらなんとかなるかもし
れねえ」って言われた時もあっそうですか、じゃあなんとか
なるかもしれないんですね、という感じでした。私立の音
大は学費の面で難しいですけどって先生に言ったら、そ
の時代は東京音楽学校、今の東京芸大です、その東京
芸大のことを上野って言ったんですが、「だから上野だっ
たらなんとかなるっつってんだよ」って言われて、それで
今度はうちの親父に手紙を書いた。勘当されても音楽家
になりたいと思いますって。そしたらその返事が、せっかく
入った学校だから辞めずに卒業しろと、その代わりその
後の大学 3 年 4 年の間にレッスンを受けたり、音大を受験
するためのレッスンを受けたりすることの経済的な援助は
しようと、で芸大にもしも入れたらその後のことはまたそこ
で考えるけれど、もしも入れなかったらあとは勝手にや
れ、という手紙が返ってきました。親父もまあ優しいんだよ
ね・・・そして運よく東海大の卒業と同時に芸大に入学し
て、そこで音楽家になろうと思った。芸大に入ってみたら
面白かったのは、僕は音楽家に憧れてやっと音大に入れ
たと思って行っているのだけれど、他の学生はバイオリン
とか小さいころからながーくやってきている人が多いか
ら、上手だけど音大に入った時点ですでに疲れ果ててい
る奴が結構いるんだよ。こういう連中ともこれからつき合っ
てかないといけないんだなと感じたこともあったけれど、と
ても上手な奴もいて、いろいろひっくるめて音大に入学し
てよかったと思いました。
●「プロのオーケストラに入団されたのは、『就職』という感
覚ですか?オーケストラの団員にならなくても音楽家とし
てやっていけるのではないかとも思うのですが」
――うーん・・・結局音楽大学に行ってみんな何をやりた
いかと言うと、やはりやがては演奏家になりたいんだと思う
んだな。だけど、演奏家といっても 1 人で活動する「ソリス
ト」になる・・・これは素敵なことかもしれないけれど・・・世
界中にソリストはそんないらないんだよ。バイオリンとかピ
アノ、チェロ、木管楽器だとフルート、オーボエ、クラリネッ
ト、ホルンぐらいだと、ソロの需要があるじゃない?ソロを
聴いてみたいという人も多い。でもビオラやコントラバスだ
と、もちろんソロもあるけれどそれが聴きたくてしょうがない
人というのはそんなにいないじゃない。それに、オーケスト
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ラという、皆で音楽を作っていく、いろいろな楽器が必要なと
ころにに自分を合わせたほうがいいという風には最初から思
っていた。音大に入った頃の僕の夢というのは、オーケストラ
でひくこと、それから弦楽四重奏をやること、だった。その夢
は両方達成できたから、まあいつ死んでも悔いはありません
(笑)。これから音大に行く人もジュニアの中にいると思うけれ
ど、音大に行ったとして、ソリストになろう、演奏家になろうと
いうだけじゃないことを考えていかないとね。なれなかったら
がっかりしちゃってやる気が無くなっちゃうということは惜しい
と思うんだ。せっかく音大に行って勉強するなら、自分の技
術を磨くこと以外にも、言葉の勉強とか音楽というのはどうい
うところに関わっていくのかとか、世の中にどういう面白さを
提供できるのかということを考えることも必要だと思う。演奏家
になりたいということばかりを考え続けるより、もう少し広い考
えを持って演奏というものを捉えることが必要だと思います。
●「プロのオーケストラに入団して、発見したこととかカルチ
ャーショックとかがありましたか」
――ぼくは最初、東京フィルハーモニー交響楽団に入団し
たんだけどこれはもうオペラとかすごく忙しいオーケストラで
ね。例えばプロコフィエフのロミオとジュリエットっていうバレ
エ、そのバレエの伴奏をするというときも練習は 1 日しかない
(笑)。ぶ厚いパート譜渡されて、そのときは副首席なんかで
したから、副首席というのは首席がいない時に頭をやるんで
すが、そうすると「ハイこれ小野ちゃん頼むね」って渡される。
さらう時間無い、本番まであと 3 日ぐらいしかない、そういうこ
とでオーケストラの練習の中で自分の練習もするような感じ
で、次の時にはもうバレエと合わせて、その次の日に本番。
明日までにやりますじゃなくてその場でやるしか無いという思
いはしたね。ゆっくりさらって完璧にしてから、なんてことは言
っていられない。やりながらいいものに近づけていくしか無
いっていう感じ。
●「そのあとN響に入団されたと思うのですが、そのきっかけ
は?」
――いい加減な時代でね、N響来ねえかよって電話かかっ
てくるんですよ(笑)。もちろん首席が集まってるところで弾か
されたりするんだけど。まだオーディションとかがちゃんと確
立する前の世代だから。ぼくの場合は 4 年半東フィルで弾い
て、ある程度有名な曲は経験していたので少し助かった。や
はり大学卒業してすぐにN響のスケジュールで参加するの
は相当きついと思う。入団した最初の頃はほとんど降り番が
ないからね、出ずっぱりだから。みんな若いから乗り越えるん
だよね。
●「今までこの指揮者がすごかった、こういう瞬間がよかった
なということがあれば教えてください」
――東フィルにいたとき、アルジェクワドリというね・・・すごい
おっかない年中癇癪ばかり起こしてるんだけど・・・本番いい
んだな。イタリアの音がする。それから、ジャンバティストマリ
という人が振ると、まさにプロヴァンスの風景が浮かぶような
音がする。あれは忘れられないね。N響ではそれはもうすご
い指揮者いっぱい来ていた時代だった。ぼくが入団した頃、
86 年ごろからはサヴァリッシュ、ホルスト・シュタイン、オットマ
ール・スウィトナー、フェルディナント・ライトラーという、全部ド
イツ系のすごい指揮者、もうオペラ劇場に 1 時間前に電話が
かかってきたらすぐに振れるような人ばっかり。他にハイン
ツ・ワルベルクっていう人もなんでもできる人だった。僕はとく
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にオットマール・スウィトナーが好きだった。ベートーベ
ン、モーツァルトも素晴らしかった。とにかくスコアの頭の
入り方が違うんだよね。いま挙げた指揮者はみんな暗譜
で振るんだけど、暗譜で振るというのは無理やり頭に入
れてるんじゃなくてもう全部ピアノで弾けるような状態で
入ってるわけ。だからスコアは置いておくんだけど絶対
開けないの、そのままずーっと振ってる。スウィットナー
先生ってのはね、あんまり愛想のいい人じゃなかった。
練習もなっがーい感じだったけれど、本番がいい。ベー
トーベンのエロイカとかよかったね。その後シャルル・デ
ュトワが来るようになった時は、N響がドイツ系のドスーン
って音楽やってたのに、えーこれからフランス系の音楽
もやるんだろうかと日本中がびっくりしたんだけど、その
デュトワのおかげでN響もフランスもの、あとストラヴィン
スキーね、春の祭典とかもできるようになったんだと思う。
でもそのデュトワがやってきた中で、あるときゲルギエフ
って指揮者が来た時に春の祭典をやってこれまた良か
った。つまりデュトワがやるとフランス系のサウンドだけれ
ど、ゲルギエフというサンクトペテルブルクの指揮者が来
て、ギトギトのロシア流でやったんだ。僕らがある程度曲
を理解していることにプラスしてロシアの味が出たってい
うことがよかったね。
●「先日の練習で、ベルリン・フィルに行かれたときのお
話を伺いました。やはり本場だと雰囲気や音などがちが
いますか?」
――もともとN響にいた土屋さんという方が日本人初の
ベルリン・フィルのメンバーで、僕と同じウルヒコッホ先生
に師事していて、その人の影響もあってベルリン・フィル
のビオラとN響のビオラはいまでもなんとなく付き合いが
あります。ベルリン・フィルのメンバーは技術的な余裕は
すごくある、練習しなくても弾けるんだよね、弦楽器の連
中は、一番前でソロを弾く場合でよほど難しいのでない
かぎりはみんな練習しないでくるんだよ。練習の初日に
は。でもそれでもなんとなく 2 日目ぐらいにはできあがっ
ちゃう。その気楽さと明るさとで、誰かが練習中に間違う
と大笑いするわけ。心の余裕が音にもあるね。ベルリン・
フィルハーモニーってあのホールは狭いんですよ、舞台
が。だからチェロなんかよく隣とぶつかってるのね(笑)。
弓もカツッとかいって。しかも皆、体が大きいでしょ?で、
だから余計に隣の人との距離は近くなる。でも素晴らし
いのは、あのホールで練習してあのホールで本番をや
っているということ。ベルリン・フィルハーモニーホールと
いうのはね、とてもいいのはその舞台の真後ろに、お客
さんから見えないところに、お客さんも来られるんだけど
カンティーネっていう飲み食いできるとこがあるんだよ。
練習の前から始まって演奏会が終わって 1 時間半から 2
時間ぐらいやってる。ビールやワインもあるよ。お昼の時
間になるとお昼の定食みたいなのが出るんだけれど、み
んなそのカンティーネで飲み食いしていて練習が全然
始まらないの。ドイツ人じゃないみたいでしょ?(笑)。10
時練習スタートなのに、10 時 5 分前くらいに着いた人は
サンドイッチなんかたのんでるし、10 時に来たやつはコ
ーヒーをたのんでる、で、みんな駄弁ってる。そうして 10
時 5 分ぐらいになるとそろそろ練習始めますからってア
ナウンスが入る。でも誰も行かない(笑)。指揮者と話した
りしてる。10
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りしてる。10 時 12,3 分くらいになるとそろそろほんとに始め
ますからみなさんステージに出てください!って言われ
て、あっそうかあ・・・とかいってやっとデーデー出てくるん
だよ。そんな感じ。どんなに偉い指揮者が来てもそうな
の。練習が始まって 1 時間 20 分 30 分経ったときに休憩に
はいるでしょ?そうすると僕なんかは日本からエキストラで
来たということでみんなでお祝いしてくれる。ようこそいらっ
しゃいってね。カンティーネに頼んでおいたシャンパンま
である。ちょっとしたおつまみみたいなのもあってカンパー
イとやって、すると指揮者が通るとイイね、と一緒に飲もうと
なって朝の 11 時半ぐらい(笑)。そんな感じでずーっとやっ
てるからさ、休憩が 20 分の予定が 35 分から 40 分になっ
ちゃうわけ(笑)。ベルリン・フィルハーモニーホールという
のは面白いことにステージから客席まで全部歩いてどこに
でも行けるんです。必ずつながってる。サントリーホール
みたいに柵がない。みんなも一度行ってみて探検してくる
のもいいと思いますよ。それから、昔僕がまだ学生だった
1980 年にベルリンに留学していた友達を訪ねて行ったと
き、ベルリン芸術週間の演奏会で、当時はまだカラヤンが
生きていて前半はブランデの 2 番とストラヴィンスキーの詩
篇交響曲っていう合唱がつく曲、ベルリン・ドイツオペラと
いうオペラハウスの合唱団でね、後半は 23 人のソロ弦楽
奏者によるリヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼンとい
うのをやった。合唱席というのは合唱がいないかぎり開放
されるので、後半の合唱がいなくなった後の合唱席で聞こ
うよってなって、カラヤンが真正面に見える席で聴いたん
だよ、素晴らしかった。そのときの合唱の出演者は、その
演奏会に出ていて前半で出番が終わるでしょ?そのまま
ホールから出て行って歩いて 5 分くらいの自分達のオペラ
ハウスにもどって上演中のオペラの途中から出てくるコー
ラス歌ってるわけ。近いとそんなことがいくらでもできちゃう
んだよ。東京だとそんなことは難しい。ベルリンのそういう
環境もすごくいいと思います。
●「今年の新年会では、ロッシーニが料理家だというお話
しをなさいました。先生のお好きな料理は?」
――美味しいものならなんでも好きです。食べられないも
のがない。好き嫌いが無いです。なんでも食べて太っちゃ
う(笑)。ロッシーニは彼の人生の前半は作曲家、後半は料
理研究家として生きた。フォアグラを載せる料理を必ずロ
ッシーニ風というんです。だからナントカステーキ・ア・ラ・
ロッシーニとかロッシーニ風というやつは必ずフォアグラが
のっかる贅沢極まりないもので、からだに悪いよね(笑)。美
味しいけど。
●「では最後に T.J.O.S.の優れている点とか他のオケに
は無い点、そして今回の春の演奏会に向けてのコメントを
お願いします」
――優れているかどうかはわからないけどこのオーケスト
ラを始めるときに最高のトレーナーをということで揃えてき
て、またこのオーケストラを出た若い人も講師になってい
る。大げさだけれどそういうオーケストラは世界中探しても
それほど無いと思う。残念なのは本拠地がないこと、たと
えばなんとか区立とか、なんとか市とか。そういう、楽器置
き場すら無いオーケストラというのはいろいろと大変なもの
です。でもそれを乗り越えてなんとかやってきている。この
オーケストラを始めて数年たった時にね、もうこれ以上お
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金もないからやめようという話になったことがある。でもそ
の時の団員と保護者の人達の声でなんとかもう一回やり
ましょうとういう話になり、講師としてもそう言ってくれるな
らということでまた始めたりしたのね。その後NPO法人
になる時も事務的にたいへんな事もあった。でも、どうし
て続けているかというと、ここの卒団生で、別に音楽家
にならなかった人とでも話す機会がある時には、東京ジ
ュニアオーケストラソサイエティでやったことが若い時の
自分の人生にとって、またその後自分の生きていくうえ
での芯の一部になっていると聞くことがある。そういうこと
があるとやっぱりがんばって続けよう、と思う。演奏がうま
いかどうかというのは僕らにとってはどうでもいいこと
で・・・T.J.O.S.の先生たちは余計なことを音楽でしようと
いう人はあんまりいないんです。プロのオーケストラの団
員でいると、いろいろな指揮者が来てそれぞれのアレン
ジをしますが、そういうなかやっぱり一番大事なのはどこ
なんだろうって日々考えさせられる。自分の好みとか主
張どおりにできないことも多いなかで、音楽の一番根本
的なところはなんなのかを知ってる人たちが、T.J.O.S.
の講師を務めているんだよね。だから別に講師陣の中
でいつも連絡取り合っているわけではなくても意見が大
きく食い違うことがない。根っこのところがブレていないと
いうのはやっぱりいいことだと思うね。それから、子供が
少ない時代だから、この場を使って団員同士が兄弟の
ようにみんなで一緒にいるということも大きな魅力だと思
います。それを是非楽しんで味わってほしいな。子供の
ときにはいっぱいある可能性が、大人になるとどんどん
少なくなっていくから、今のみんなの年齢の頃にたくさ
んの刺激があるというのはね、大事なことです。先生達
の言うことを面白がって聞いて、あの先生とこの先生の
言っていることが違うなあと思ったら質問していいです
よ。特にこの春の演奏会は、マロ先生が始めに言い出し
て、室内楽や、趣味でもプロでも音楽を続けていくと必
ず一度は演奏するような曲をやってみよう、と気軽に始
めた演奏会なので、本番にうまく弾こうというより、みんな
のコミュニケーションを楽しむ会というものにしたいと思
っています。演奏会は 4 月 1 日、エイプリルフールだし、
まじめに演奏しても嘘でしたーなんて・・・みんなで楽し
みましょう!
(インタビュー:インスペクター 宮本周征 Vn 高 3)
・・・小野先生、ありがとうございました・・・
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4月1日、春の演奏会を無事終えました。集中練習が始まった時は三分咲き程度だった桜も、演奏会当日は見事に満開とな
りました。私達の演奏会への想いがそのまま現れたようでしたね!今回は弦楽器と管楽器で分かれての演奏でした。ラッパ
吹きの私としては、吹奏楽ができ、とにかく楽しかったです。実は、正直言うと集中練習前くらいまで「どうなってしまうのだろ
う・・・」と不安しかありませんでした。とは言え、いつものTJOS!集中練習の3日間で、文字通りみんな超集中し、曲を完成さ
せ、当日いい演奏が出来たのは本当によかったです。また、今回は多くのエキストラの方々との出会いを通し、様々なことを
学ぶ機会を得ることができました。管のみんな、大変な曲ながらもよく頑張った!特に初めてトップを吹いたみんな、ほんと緊
張するよね!お疲れ様でした!TJBS(B は Brass)の誕生です(笑)。弦楽器の弦楽セレナーデは、不思議な感じですが、練
習中は一度も聞いたことがありませんでした。本番で初めて聴いたTJOSの弦セレは、美しく表情豊かで壮大で、舞台裏で
感動しました!アルルの女は、一組も二組も小野先生のアグレッシブな指揮(!)で迫力ある演奏ができました!毎回丁寧に
指導してくださった先生方、指揮をしてくださった小野先生と荻野先生に心から感謝したいです。そして、今回はインペクとし
て初めての演奏会でした。自分はインペクとしてはまだまだ未熟で、前インペクや中高生のみんなに頼りまくってます。小学
生を支えてくれた高校生、ノリのいい中学生、本当にありがとう。小学生もたくさん協力してくれてありがとう。夏に向けてこれ
からもよろしくね。下野先生は厳しい!という話もレセプションでありましたが、褒めていただけますように・・・・・・
東京ジュニアオーケストラフマニノフ!
新世界へ向けて頑張ルスラン!(笑笑)
(インスペクターリーダー 町田莉奈 Tp 高 2)
4 月 3 日(日)於:文京シビック スカイホール
4 月 1 日の演奏会を終えて翌々日、文京シビックスカイホー
ルにて、昼食を兼ねたレセプションを行いました。指揮の小
野先生、荻野先生の他、芸術監督の篠崎先生はじめ先生
方も多数参加され、演奏会の講評をお話しいただきました。
また、今回の演奏会で卒団退団する団員のみなさんのスピ
ーチには、万感胸に迫るものがありました。またいつか一緒
に演奏する日が来るのを楽しみに・・・。
【退団・卒団】
佐々木梨乃さん(Vn)
天野志香さん(Vn)
大関万結さん(Vn)
高阪素子さん(Vn)
小沼実和さん(Vn)
福田創紀くん(Vn)
高橋 楓さん(Va)
東 友則くん(Vc)
湯淺幹久くん(Cb)
栗栖朝帆さん(Fl)
成澤理帆さん(Cl)
卒団・休団
文京シビック/スカイホールにて(Photo/播磨谷眞子 Va 高 1)
また会う日まで!
【休団】
市川 哲くん(Vn)
上原帆海さん(Vn)
兼子 孟くん(Fl)
春の演奏会も無事に終わり、第 17 回定期演奏会
に向けての練習がはじまりました。今年は T.J.O.S.
創立 20 周年です。下野竜也先生、ロシアのピアニ
スト、イリヤ=イーティン氏との共演も楽しみです
ね!みんなの気持ちも音も最高のハーモニーで、
がんばりましょう。