形象分析を核とした小学校における古典教育に関する臨床的研究

形象分析を核とした小学校における古典教育に関する臨床的研究
教科教育専攻 国語教育専修 修教 08-018
黒田 千香子
1
研究の目的と方法
これまでの国語教育における古典教育というのは、中学校・高等学校で「読むこと」の
指導事項とされてきた。ところが、平成 20 年度に施行された小学校の新学習指導要領では、
「言語事項」が「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」となり、新たに小学校の
段階でも古典の学習指導をということが新たに盛り込まれた。
率直に言って、古典は子どもたちからあまり人気がない。一部の子どもに古典作品が読
まれていたとしても、それはごくわずかである。また、そのような子どもたちにさえも、
古典の授業はおもしろくないと言われている。それは、通り一辺倒の指導や、受験を視野
に入れた詰め込み型の授業が根強く存在しているからだ。古典を読む際には、細かな文法
の解釈や歴史的仮名遣いへの慣れが必須である。このような基礎的な力がある程度は必要
になる。しかし、それらを身につけることが大変億劫な印象を、子どもたちは持っている。
私は小学生の頃に古典文学作品と出会い、わくわくしながら読書をした思い出がある。
古典を通して、現代と古の考え方の違いや、共通点を見つけたりしながら読み進めた。古
典を読み、学ぶ楽しさはこういったところにあると考えている。人間としての普遍的な感
性というものが確かに存在していることに気付き、古人と現代に生きる私たちと繋がって
いることの発見におもしろさがあるのだ。また、今はなくなってしまった伝統や風習、風
俗などについて知ることによって、人間がどのような生活をしてきたのかを振り返ること
ができる。自分がいる場所の再確認である。
古典に親しむ機会は、私が小学生の頃の国語の授業でもあった。そこで行われた授業は、
私の期待とは裏腹に、おもしろいという印象はなかった。中学校の古典の時間も大変楽し
みにしていたが、音読や暗記することで終わってしまい、不完全燃焼であった。要するに
中学校・高等学校で受けてきた古典の授業というのは、音読、暗唱を繰り返し行い、文法
の解説、教師の一方的な口語訳で終わるというふうにパターン化していたのだ。授業中の
教師と生徒、また生徒同士のやりとりはほとんど皆無であった。
このような指導法を小学校段階に下ろして指導したとしても、それでは古典嫌いを今ま
でのように輩出することになる。そしてそのまま中学、高校へと進学していくというのは
問題である。古典の作品が持つおもしろさや、学ぶことの意義を本質的に捉えることがで
きないまま学習を進めるというのは、子どもにとっては勿論だが、教師にとっても苦痛と
いえる。
古典が新しく指導要領に盛り込まれたからにはその指導法について考えていかなければ
ならない。子どもたちが、古典本来の魅力やおもしろさに気づき、慣れ親しむようになる
指導について、この論文では考えていく。
小学校での古典というのは、中学校の古典へとつながる本当の入門期である。古典は親
しみやすいものだということを子どもたちに感じさせたい。古典独特の表現やリズムに慣
れることが大切だ。音読にばかり偏る授業が多いと先に述べたが、それが悪い訳ではない。
古語独特の言い回しに慣れるためには、音読は必要不可欠だ。だが、それだけになってし
まうと古典のおもしろさに気付かずに終わってしまう。子どもたちが古典に興味を持ち、
進んで手に取ることができればと考える。古典は教師の一方的な指導のみで終わるのでは
なく、子どもたちが意見を出し合い、対話しながら読むことを目的とすれば、古典の読み
は深まる。古典の世界であっても、現代文を読むように、共感したり反発したりというこ
とがもっとあっていいのだ。古典を通して、自らの知識を発達させるような授業が求めら
れている。
この論文では特に、小学校の古典入門期を想定して、指導法を提案している。子どもの
興味・関心を引くような題材を見つけることや、従来の古典の授業の枠にはまらない授業
を提唱していきたい。これらの提案が古典指導全般に共通するものであり、一般化させて
いく。
1.これまで行われてきた古典授業について批判的な検討を行う。
2.段階での古典の授業の指導の意義や、その在り方について検討を行う。
3. 小学校での古典の授業の新しい指導法について考察する。
4.実際に小学校での古典の授業の実施を行う。
古典を読むというのは、古人の考えに触れ、日本古来の文化のおもしろさや素晴らしさ
を再認識する上で、とても重要である。古人の考えに共感したり、また時に批判や疑問を
抱きながら、改めて人間の普遍性について考えることに意味があるからである。
古人が伝えようとしていたことは何かということを読み取る作業は、現代文を読む作業
と何ら変わりはない。国語教育という分野を超えて、社会で生き抜く力としても、この読
解力というのは必要なことである。国語教育の読解という学習を通して、ものごとを主体
的にとらえ、考え、判断していくことの素地をつくるうえでも、古典教育は重要である。
1では、これまで行われてきた古典の授業の実態と課題について検討していく。古典教
育の歴史について、過去の学習指導要領や、その他の歴史的背景などについて調べている。
2では、小学校段階での古典授業においての指導の意義や、その在り方について検討を
行う。これまで行われてきた古典の授業の課題等について、荒木繁、西尾実、西郷竹彦、
加藤郁夫らの理論の不十分なところを明らかにしてく。
3では、小学校での古典の授業の新しい指導法について考察する。これからの古典では
どのような力を付けることが望ましいのかを述べていく。
4では、実際に小学校段階での古典授業の実証と考察を行う。そして実際に、小学校段
階での古典の授業をいくつか提案し、その中から一つを実証、考察する。
このような研究目標、研究方法のもと論文を書き進めていった。
2
研究の成果と課題
古典作品には時代性という要素がり、その分、現代に生きるわたしたちとのギャップも
大きい。だが、それだけに作品に共感できたときの驚きは大きいのである。子どもと古典
作品との間にある距離をぐっと縮め、作品世界の「おもしろさ」に気付くような指導を教
師がしていく必要がある。ここでいう「おもしろさ」というのは、大人が言う曖昧なもの
ではなく、子どもたち自身が読み進めながら感じることができるものである。
古典を読むというのは、勿論古典独特の世界観などに触れることでもある。古典が現代
社会に突然現れた「昔話」というジャンルのものではなく、何百年、何千年も前に成立し
た話であり、それが今もなお語り継がれているものだということを押さえたい。古典の存
在を点として捉えるのではなく、点と点が繋がり、それが線となり、現代に作品が生き続
けているということを捉えさせることが大切である。
そこで、近代文学作品を読む手法である形象分析をきちんと行う読みを大切にした読み
を提唱した。この形象分析というのは、現代小説を読むように、登場人物や、物語の構造、
細かな描写などについて読み込んでいくことである。このような手法を用いることで、古
典での読解と、現代文の読解を同じようなものにしたいというねらいがある。本実践は、
小学校6年生で授業を行い、そのねらいを達成することができた。
第1章では、戦後国語教育において古典がどのように取り上げられてきたか、学習指導
要領をもとにみていった。学習指導要領を見ることによって、その時代ごとに古典がどの
ような形で扱われてきたのかを見ることができる。昭和 22 年の学習指導要領は、第二次大
戦後からまだ二年しか経っていない。そこでは、教育の世界でも第二次世界大戦後の社会
を反映していることが分かった。
平成 20 年に改訂された学習指導要領にともない、教科書も変わった。小学校の教科書で
は、〔伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項〕に関わる単元がいくつも見られた。古
典導入に相応しい、伝統的な文化に関する知識や、リズム遊びの要素を伴ったものなどが
見られる。今まで、俳句や短歌の導入は第5学年であったが、新しい教科書では、それが
第3学年からの導入となり、早い段階での導入が見られた。
答申や学習指導要領に明記されているように、古典の学習には今まで以上に力を入れる
ことが求められていることが改めて分かった。
第2章では、荒木繁や西郷竹彦などの先行研究などから、古典教育の指導をみていった。
かつての古典の指導というのは、社会と古典が密接に関係することによって国語教育から
離れてしまうような指導が時に行われていた。また、文法中心の古典教育が問題視されな
がらも、先にある大学入試などを見据えると、受験問題を解くためのスキルとして、その
ような事態も避けられない事実ではある。こういったことが、ますます古典嫌いの子ども
を輩出する要因となっていく。受験をするのは子どもたちでありながら、子どもたちのた
めにならない授業を繰り返すことになるのである。そのような危険性を孕んではいるが、
古典教育には様々な可能性が眠いっていることは確かなのである。
西尾の学習には発達の段階にあわせた指導が存在することや、古典の原文至上主義への
疑問を呈した論文は、本実践に大きな影響を与えた。また、加藤の小学校での実践・実証
授業も同じである。
第3章では、古典に関するそれまでの研究や学習指導要領の変遷などから、今必要な古
典の教育の指導とは何かということをみていった。古典に関心を持たせるためのポイント
を四つにしぼった。それが以下である。
(a)古典を正確に読解することができる能力や知識の習得と定着を目指した指導法
(b)古典の世界への共感・反発を通して、より立体的に古典世界を思考する指導方法
(c)古典的な世界へと現代の世界を積極的に繋げる指導法
(d)古典に関するものや古典を読書活動に広げる指導法
小学校の古典の授業の指導としては、古典という存在に気付き、異質なもの、外国語的
なものとして捉えることがないように指導していくべきである。古典に出会い、触れて、
その作品を味わうことができれば、中学・高校の古典の授業にうまくつなげていくことが
できる。
第4章では、それらを踏まえて実際に考えられる指導を、長年教科書教材として読まれ
てきている『徒然草』と短歌・俳句の授業を提案した。この章では、小学校での新しい古
典の授業について提案している。古典の深層にせまった読みを行う授業や、入門期として
古典の世界に近づき親しむことができるような授業の提案をしている。ここではお菓子と
古典的な世界を結び付けた授業を提案している
これらはそれぞれ古典の授業の展開期と導入期に指導可能な内容である。それぞれ思い
切った指導を行うことで、既存の枠にはまらないような指導が古典の学習の可能性を広げ
ることになる。
第5章で行った本実践では、古典学習の抵抗感を軽減し、比べ読みなどの多様な言語活
動を組み合わせた明確な学習課題を設定し、古典の学習課題の活性化を図った。それによ
って、子どもたちは主体的に授業に取り組み、内容を理解することを身につけた。
第五章で提案・実践した『伊曾保物語』は投げ入れの授業だった。子どもたちが 2 時間
の授業を飽きずに集中して受けられたのは、子どもたちの日ごろの学習への取り組みの良
さ、そのための担任教師の指導はもちろんのこと、教材や授業内容が適切で興味深かった
からである。このことから分かるように、古典の授業の教材選び、授業展開の工夫は大変
重要なのである。それらは発掘しきったようで、実はまだ終わっていない。まだまだ可能
性があるのだ。
今後の課題は、古典により親しみ、時に原文の教材を使用し鑑賞することなど、学習を
発展させることである。このようなことを可能にするには、教員一人ひとりの研究や、職
員同士の教材研究、高等教育機関の機能を有効に活用することなどが重要になってくる。
これからも子どもたちが興味を持って古典の授業に取り組めるような教材ないし授業を構
築していきたい。