2016 年 9 月号掲載

series essay
田中みずき(銭湯ペンキ絵師)
© 2016 TOHO CO., LTD.
思わぬご依頼
決めました。これらを背景にし、男湯と女湯の間、つ
銭湯にペンキ絵を描く仕事を続けていると、予想も
まり画面中央にシン・ゴジラが立つという構図にして
していなかった依頼をいただくことがあります。
絵の制作となりました。
今年の夏に制作したペンキ絵も、そんな想定外のお仕
実は事前に十数種のイメージ図を制作し、大田区役
事でした。庵野秀明総監督・樋口真嗣監督作の映画『シ
所や東宝株式会社、銭湯の方々に選んでいただいてい
ン・ゴジラ』に出てくるゴジラを、大田区の名所ととも
たため、安心して制作に向き合うことができました。
に銭湯のペンキ絵に描いてほしいという依頼です。
大田区役所の観光課のかたからお話があったのは
「ゴジラ 湯」、営業中
春。シン・ゴジラが大田区の蒲田駅の近くに上陸する
公開前には映画の情報が少なく、いただいていた参
シーンがあり、映画をきっかけに大田区のことを知っ
考画像以外に時折出る監督たちのインタビューや広告
てほしいという考えを伺いました。
画像などからイメージを膨らませ、制作当日となりま
一番初めは、驚きと不安しかありませんでした。ゴ
した。今回は珍しいことに2日間をかけての制作です。
ジラはいくつものシリーズが作られ、たくさんのファ
大田区の風景を1日目、中央のシン・ゴジラを2日目
ンに愛されてきた作品です。ハリウッドでも映画化さ
に描きました。銭湯には小さいお子さんたちも来るの
れている大物でもあります。水爆実験をきっかけに姿
で、ゴジラも「怖いけれど怖すぎない」ように微調整
を現したという設定も含め、日本映画の中でも特別な
をして描いていきます。背びれを描く際には洗い場で
キャラクターであり、そんな「大きな」存在を自分が
ゴジラの背を流しているような気持ちになり、不思議
描くことが怖かったのです。しかし、庵野秀明総監督、
な愛着がわいていました。最後に目を入れ、完成です。
樋口真嗣監督の作品を観ていてファンであったことも
銭湯名は数カ月先まで「ゴジラ 湯」に変わり、暖簾
あり、この作品に関わることをお断りしたら絶対に後
もゴジラ模様のものになりました。シン・ゴジラのポ
悔すると直感し、お受けすることを決めました。
スターはもちろん、フロント前の休憩室には歴代のゴ
のれん
ジラ映画のポスターが並びます。脱衣所には大きなゴ
どこを描くべきか
ジラの足跡もあり、秋まで、ゴジラづくしの銭湯になっ
絵を描く銭湯は、前に数回ペンキ絵を描いたことが
ています。
ある「大田黒湯温泉 第二日の出湯」。駅前の飲食店
制作の数日後に訪れると、ゴジラを観に来た若者が
を通り過ぎた街並みにあり、黒湯や露天風呂が楽しめ
入浴に来ていました。インターネット上でも Twitter
る銭湯です。明るい御主人と優しい美人女将のいる銭
などの SNS にて情報が広がり、お客様も増えていると
湯は、地元の常連客も多い人気店でもあります。
のこと。大田区内の銭湯では、今回の PR に合わせて
制作に際し、大田区役所からいくつかの名所を紹介
数枚ずつ旧作ゴジラのポスターが展示されており、区
していただき、その中から描く場所を選んでいきまし
内銭湯をまわっていくのも楽しそうです。
た。描くことにした場所は池上本門寺と東急プラザ屋
銭湯が PR に生かされた、とても面白いお仕事でした。
上の観覧車、蒲田駅西口の商店街「Sun Rise」のアー
ケードです。また、もう一方のお風呂場には多摩川と
羽田空港。そして、銭湯のペンキ絵と言えば御馴染み
の富士山を描くことにしました。大田区には絵になる
名所がたくさんあり迷いましたが、最終的には色合い
の美しさや実際に訪れた時の楽しさなどで描く場所を
プロフィール ● 1983 年大阪生まれ。幼少時から東京在住。筑波大学付
属高等学校進学後、明治学院大学在学中に銭湯ペンキ絵師・中島盛夫氏
に弟子入り。現在は独立し、銭湯のペンキ絵のほか、老人ホームの浴室や
店舗など制作の場を広げている。現代美術展覧会・レビュー情報サイト
「カ
ロンズネット」元編集長。ペンキ絵制作に関する活動は、ブログ「銭湯ペ
ンキ絵師見習い日記」
(http://mizu111.blog40.fc2.com/)
にて随時掲載。
公共建築ニュース Vol.48 No.573 2016 年 9 月号
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