江戸時代の数学 - 和算への旅

平成 27 年度前期リフレッシュ教室
「江戸時代の数学」
神埼市千代田町崎村の冠者神社に奉納した算額
日時
場所
平成 27 年 10 月 6 日(火)
10: 00~12:00
佐賀市立春日コミニティセンター(大和生涯学習センター)
1階
大会議室
日本数学史学会・和算研究所会員
電話
E-mail
米光
0957-54-4507
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米光
丁
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丁
1.佐賀県民は昔から数学好きな人たちが多く、数学に興味を持っ人も多い
佐賀県民は昔から数学好きな人たちが多く、数学に興味を持っ人も多い。
昔から数学好きな人たちが多く、数学に興味を持っ人も多い。
しちけんじん
佐賀の七賢人は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて 活躍した、佐賀藩出身の
偉人七人であるが、他にも沢山の賢人がいたはずでこれらの人たちは数学も勉強したはず
である。
2.数学で数楽しませんか。
数学で数楽しませんか。
15×15=225
, 35×35=1225 , 45×45=2025
9, 99 を加える
9 の段
3
4
6
8
1
31
231
2×9=18 9=1+8
7
25
27
3×9=27 9=2+7
+)2
+)74
72
21
130
54
5×9=45 9=4+5
8
18
12
4×9=36 9=3+6
2
2
7
1×9= 9 9=0+9
4 6
+)45
6×9=54 9=5+4
4
429
7×9=63 9=6+3
8×9=72 9=7+2
34×26=884 の計算
9×9=81 9=8+1
一番上の数の最高位に 9,99 の回数を加え、一番上の一
の位より 9,99 の回数を引く
9 の不思議
※数字を入れ替えて加減で 9,99、2 つの数字をつなぎ合わせて 9.99
9-4=5
,99-27=72
99×(27+1)=2772
8 , 5
例
85-58=27
27÷(8-5)=9
99
-)4
※2 つの数字を組み合わせて引き、2 数の差で割ると 9,99
例
9
27
-)27
5
, 13
72
2 数の組み合わせ
2713-1327=1386
8と5
27 と 13
85
2713
-)58
-)1327
27
1386
1386÷(27-13)=99
魔方陣
8
3
4
1
5
9
6
7
⇒
2
1
6
3
5
7
4
9
8
27÷(8-5)=9
1386÷(27-13)=99
2
3.「江戸時代の数学」とは
3.「江戸時代の数学」とは何だ
「江戸時代の数学」とは何だろう
何だろう?
ろう?
わさん
江戸時代の数学は中国から輸入されたものを日本独自に発展させたもので「和算
和算」と呼ばれ
る。
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4.数学はいつごろ
数学はいつごろ中国から
いつごろ中国から日本には入
中国から日本には入ってきたのだろう
日本には入ってきたのだろう
欽明15年(554)6月、勅命に従って百済はから
度量衡の斗、升、両がそのまま使われたようです。
土器のなかにも九九の書いたものが発掘されている。
茨城県つくば市で発掘されたもの。
特別展『日本の算数』より引用
九九が書かれた古い書物
(1)万葉集の中の九九
万葉集の中では「二二」を「し」「二五」を「とを」「十六」を「しし」「八十
一」を「くく」と読ませていることはよく知られています。
くちづさみ
(2)「 口 遊 」の中にある九九
ためのり
ためみつ
平安時代の元禄元年(970)に源為憲が藤原為光の幼児松雄君(7 才)のために書いた本で
ある。
5.数学書はいつごろ中国から日本に入ってきたのだろう
数学書はいつごろ中国から日本に入ってきたのだろう
大化の改新(645~646)から大宝律令(701)などの制定に伴い
算経として『孫子算経』、『五曹算経』、『九章算術』、『海島算経』、
『五経算術』などを挙げている。この中に開平などの計算がある。
6.日本の数学書はいつごろ作られたのだろう
年代の入った数学書で最も早いのは元和 8 年(1622)の
しょかんぶもの
しょかんぶもの
毛利重能『割算書』と百川治兵衛の『諸勘分物』が今の
所一番早いとされている。ただし『割算書』は表紙がなく
『諸勘分物』第 2 巻
東北大学図書館ホームページより
昭和になってつけられたものであり、諸勘分物は 2 巻だけが存在する。
7.和算とキリスト教との関係はあるのだろうか。
和算とキリスト教との関係は切っても切れない
関係になっていたようである。特にキリスト教
の宣教師たちは数学の教えをうまく使って布教
していったようである。キリスト教の弾圧が
ある前は城の築城など西洋の優れた自然科学
がしだいに殿様が興味を持っようになっていく。
弾圧がひどくなると本の中にもキリストの印
を容れて、信者を増やしたようである。
さんぽうけつぎしょう
『増補算法闕擬抄』1684 年の 1 ページ
東北大学図書館ホームページより
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キリストがなければ和算の発展はなかったという学者もおり、ほとんどの和算家がキリス
トの信者だったという学者もいる。
8.日本の数学が芽生えのはいつごろ
日本の数学が芽生えのはいつごろだろう
のはいつごろだろう
じんこうき
それは吉田光由(1598~1672)の『塵劫記』寛永 4 年(1627)
の名著からである。
この本は明治初期まで重用され、400 種以上あった
とされている。
じんこうき
『塵劫記』寛永 4 年(1627)のねずみ算のページ
9.江戸時代はどんな計算器具
江戸時代はどんな計算器具を使ったの
どんな計算器具を使ったのだろう
を使ったのだろう
東北大学図書館ホームページより
和算における計算器具はそろばんと算木が代表的なものである。
陣中そろばん(1592 年)前田利家(加賀百万国の大名)が唐津名護屋の陣中で使ったとい
われていたそろばん。縦 7cm、横 13cm の小型で、けたは銅線、玉は獣の骨で日本最古のそ
し べいえ
ろばんといわれていた。ところが最近になって黒田官兵衛の家来の一人、久野四兵衛重勝が
博多の町割りなどの功績により、豊臣秀吉から授かったという「拝領そろばん」が古文書か
ら陣中そろばん(1592 年)前田利家より 1 年早いことが判明した。
前田利家公の肖像画,陣中そろばん(1592 年)前田利家,久野四兵衛の拝領そろばん(1591 年)
さんぎ
算木
一
二
| ‖
一
二
-
=
三
四
五
六
七
八
九(奇数位)
|
|
|
|
|
|
|
‖
|
|
|
|
‖
|
|
|
|
|
|
|
三
四
五
六
七
≣
-
≡
_
|
|
|
=
≡
≡
≡○|は 301,
八
九(偶数位)
|
-
≡
|
|-|
\は-211 を表す。
ホームページより引用
- 3 -
10.
10.江戸時代の数学の本はどのように書かれている
江戸時代の数学の本はどのように書かれているの
の本はどのように書かれているのだろう。
だろう。
時代によっても、流派によっても、書いた人で
も違いいますが、大体下記のように書くのが一般的です。
加法
乗法
|
|甲商
| 乙
|甲
|乙
|甲乙
甲+乙
,減法
, 除法
|甲
\
|乙
甲-乙
,
天|甲
地|乙
は 2 甲+乙を表す
11.江戸時代の数学はどのようにして発展していたか
江戸時代の数学はどのようにして発展していたか
それは主に 3 つあると思われます。
東北大学図書館ホームページより
1)世界に類を見ない算額奉納
世界に類を見ない算額奉納
印刷技術がまだ進んでいなかった江戸時代は流派の誇示などいろいろな理由で数学の問題
などを絵馬にして皆がよく集まる神社仏閣に奉納し数学研究の発表の場としていた。
2)遊歴算家たちによる全国
遊歴算家たちによる全国行脚
たちによる全国行脚
数学のできる人たちが全国通津浦々田舎に至る所まで遊歴し、地方の役人の所などに泊ま
りながら神社仏閣に奉納されている算額を見て回り、地方で数学に興味のある人たちを一
か所に集め、数学を教えて、さらに地方の数学に興味のあるものを弟子としていった。この
ような人たちを遊歴算家と後ほど呼ぶようになった。遊歴算家の中には旅行中の日記を残
したものもいる。
3)遺題本による遺題継承
遺題本による遺題継承
吉田光由という人が『塵劫記』(1627 年)という数学の本を書いたが、この本を読んだだけ
で数学の力を持たずに数学を教えるものが現れ、『塵劫記』の本の最後に問題をつけて、こ
の問題が解ける人は教えてもいいだろうと考えた。数年後『塵劫記』の問題の解答を付け、
更に自分の本にも問題を付けて本を出版するようになった。このように読者が問題を解い
て違う問題を書きくわえ本を出版するようになったこのような本を遺題本といい、何冊も
そのような本ができ約 200 年間に、4 系統にもなり、問題も 150 題ぐらいになった本もあ
る。このような事を遺題継承と呼びその問題を「好み」ともいわれた。
12.
12.最後に
長時間のご静聴ありがとうございました。佐賀で初めて話をさせて頂きましたが、皆様に
少しは和算の素晴らしさをご理解頂けたでしょうか。江戸時代にすばらしい文化を築いた
佐賀で江戸時代の数学を一人でも多くの人にお話しできるように頑張るつもりです。
今後増々佐賀が発展することを佐賀出身者の一人としてお祈りしています。
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