翻訳文

IX.
いわゆる脾疳(小児結膜乾燥症または角膜軟化症)について
(第 II 報)
M. Mori(ベルリン)
1896 年に著者は、東京の中外医事新報夏季号(No.386)に小児に特有な疾患について
初の報告を行なった。それは日本において下痢が多発する 7 月、8 月、9 月の 3 ヶ月
間に、ほぼ流行的に現われ、昔から人々の間で脾疳(ひかん)と呼ばれていた疾患で
ある。当時、著者はこの奇妙な疾患は日本にしか存在していないと誤解していた。し
かし間もなく著者は、この疾患が日本特有の風土病ではなく、他の国々においても繰
り返し観察されていることを文献で知ることとなった。例えば、それはブラジル眼炎
(Gama Lobo & Teuscher)としてであり、ロシアにおいては四句節の期間中に現れる眼疾
患であり、小児結膜乾燥症や角膜軟化症でもある。これらの眼疾患は脾疳と同一であ
るように著者には思われる。Gama Lobo は欧州での研究期間中にこの疾患を認めたこ
とはなく、眼科の数々の著作物においても、著者が初めて報告したような疾患に類似
したケースを見出すことができなかった。
最初に著者は、著者が行った初の報告を中心にして、この疾患の症状、経過、予後
などについて簡略的に説明し、その後に、著者が観察した典型的な疾患例について紹
介する。
すでに説明したように、この疾患は下痢が多発する 7 月、8 月、9 月の 3 ヶ月間に
現れることが多いが、非常にまれとはいえ、他の季節に観察されることもある。最も
この疾患に罹患しやすい年齢は 2∼5 歳の小児である(普通は離乳を終えている)。主
症状は、下痢、強い空腹感、腹部膨隆、やせ衰える、皮膚乾燥、夜盲、結膜乾燥等で
あり、まれに、または、疾患晩期には頭髪の光沢が失われ、カサカサ乾燥することが
あり、重症例になると、角膜混濁、角膜軟化、前房蓄膿、虹彩脱出等が現われ、最終
的には完全失明に至る。もちろん、これらの症状のすべてが、どの患者にも現れるわ
けではない。ある症状だけのこともあれば、ほかの症状だけのこともある。
罹患児は魚の干物、炒り豆、沢庵など塩分の強い食べ物を好むようになり、炭や砂
まで口にすることもある。強い空腹感はほぼ一定して現れる症状であるが、場合によ
っては欠如することもある。特に疾患晩期になると、むしろ食欲不振が現われてくる。
下痢の回数は 1 日に 1∼15 回であり、悪臭がすることもあり、まれに血液や粘液が混
入している。極めて例外的であるがしぶり腹が認められることもある。腹部は一様に、
ときには蛙のように膨隆し、拡張した静脈がところどころに認められる。腹部膨隆は
腸壁や腹壁の筋弛緩によるのではないかと考えられる。ほぼすべての場合に共通して
いるのは、病人がやせ衰えているということである。夜盲もほぼ一定して現れる症状
であり、結膜乾燥がまだ認められない時期にすでに現われてくる。1∼2 歳の小児は当
然のことながら、夜盲を訴えることができないが、結膜乾燥や他の症状によって夜盲
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であることが容易に把握できる。結膜乾燥は、時折、結膜のビトー眼裂斑の形で現わ
れてくることがあり、症状が進行すると、結膜にこれらの斑が瀰漫性に認められるよ
うになり、時折、小さな皺が結膜に形成される。この種の小さな皺は眼球を動かした
際にはっきりと認めることができる。結膜から剥離した上皮が眼球面で涙と共に浮遊
するようになると、眼は非常に興味深く独特の外観を呈するようになる。しかし、一
般的に結膜の乾燥部位は涙で湿潤されない。疾患経過がさらに進行すると、結膜乾燥
症は角膜にも及び、同様な混濁、潰瘍、壊死性崩壊(角膜軟化症)、前房蓄膿、虹彩
脱出、失明等に至り、小児では死亡することも珍しくない。角膜が強く障害されると、
結膜は充血して、上皮性結膜乾燥症が不明瞭ながらも認められることが多い。剥離し
た上皮に対して鏡検を実施すると、Fuchs が実証したと同様に、崩壊して脂肪変性を
来たした上皮、キセローゼ桿菌などが認められる。
疾患初期の頃に、正しい治療を実施すると、局所の予後も全身の予後も非常に良好
になる。角膜がすでに侵された段階であっても、迅速な治癒が可能である。治療に対
して頑固に抵抗したケースを、著者は 1 例も思い出すことができない。他方では、重
度の合併症が認められたケースも当然存在するが、この疾患は治癒が常に可能である
と主張しても差し支えないだろう。著者は普段は外来治療を行なっているので、死亡
率に関して統計的な数値を提示することができない。著者の同僚医師は死亡率が高い
としているが、これは患者に対する治療が不十分だったためと著者は考えている。軽
症例の多くは、危険な季節が過ぎてしまえば自然に治癒する。つまり、晩秋や冬にな
れば、医師の助けを借りなくても、一般的に治癒する。しかし、このような小児の場
合、翌年の危険な季節になると再発を免れることができない。
この疾患は、日本の小児科外来において非常に重視されている。昔から、この疾患
の際に現われる下痢を克服する努力がなされてきた。可能な限りの薬物が用いられて
きたが、目に見えた効果を達成させることができなかった。毎年、何千名もの小児が
下痢のために命を絶たれ、生き長らえたとしてもその多くは失明してしまった。しか
し、著者はこの疾患に罹患した際に改善へと導く方法を確立した。それは脾疳に罹患
した小児に肝油を投与する方法である。この疾患に関する著者の最初の報告が公表さ
れて以来、開業医の間で肝油が徐々に用いられるようになり、優れた成果を上げてい
る。夜盲や角膜軟化症に対して肝油が有益なことはよく知られた事実である。しかし、
著者の知る限りでは、下痢に対して肝油が用いられることはなかった。例えば、
Nothnagel & Rossbach や Bernatzik & Vogel は、自分達が著した教科書の中で、消化不
良、下痢、下痢の傾向等が存在する際に肝油は禁忌であると記述している。しかも、
暑い季節には肝油を投与してはならず、1 歳未満の乳児には絶対に用いてはならない。
下痢に対して肝油が効果的であったのは、おそらく次のようにして説明することが
できるだろう。体内に脂肪が採り込まれることにより身体のすべての部位が丈夫にな
り、それに伴って消化管の機能も強化されて、まもなく消化が正常に行われるように
なるとする考え方である。健康で栄養状態が良好な小児においては、栄養状態が不良
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で虚弱な小児と比較して、一般的に下痢がすみやかな経過を辿るということを、著者
はしばしば観察している。肝油に含まれているヨードも有益なのかもしれない。
次に著者は、典型的な症例として、軽症と中等症と重症の各1例を紹介する。
症例 1:1899 年 9 月 17 日、Hana Kato、2 歳 5 ヶ月、この女児は主として人工栄養1)
で育てられた。数週間前から下痢と激しい空腹に襲われ、両親の申し立てによれば、
夜盲もある由。この女児は疲れてぐったりした様子。
現症:この女児はかなり痩せ、腹部は膨隆し、結膜は軽度に乾燥しているが、角膜
は変化なく、脾臓と肝臓は正常。
処方:肝油 3.0g、アラビアゴム漿 30.0g ずつを 1 日に 3 回。
9 月 19 日 夜盲症は消失したとのことであり、下痢は軽減、結膜はなお乾燥してお
り、激しい空腹と腹部膨隆はなお存続し、処方を継続。
9 月 22 日 結膜乾燥は著しく軽減し、下痢は殆ど完全に治まった。この女児は活発
になり、もはや大食いはしなくなった。腹部はまだかなり膨隆しているが、著しく柔
らかくなった。処方を継続。
9 月 26 日 結膜乾燥はほとんど認められない。まだ腹部膨隆がわずかに認められる。
症例 2:1899 年 8 月 16 日、Kadzuo Imamura、3 歳 8 ヶ月、乳児時代は主として人工
栄養で保育された。1 ヶ月前から、下痢のために日に数回トイレに行き、これまでの
治療では下痢が治まらなかった。この男児は特に塩辛い食物や香辛料などを大量に食
べた。数日前から夜盲を訴えるようになった。
現症:非常に痩せ、腹部は膨隆し、肝臓と脾臓は肥大していない。両結膜は全体に
乾燥し、眼瞼裂部に剥離した上皮が溜まっている。角膜は混濁し光沢がないが、潰瘍
などは認められない。眼は感光性がかなり低下している。頭髪はカサカサして、光沢
がない。
処方:肝油 4.0 を乳化したものを 1 日に 3 回。
8 月 19 日 夜盲症は軽くなったとのこと、角膜の混濁も著しく消退したが、結膜の
乾燥に大きな改善はなく、下痢はいくらか減少した。処方継続。
8 月 23 日 夜盲症はほとんど消失したとのことであり、角膜に混濁はもはや認めら
れず、角膜の乾燥もいくらか減退し、下痢も徐々に減少した。処方継続。
8 月 26 日 結膜の乾燥はもはやほとんど認められない。腹部膨隆は著しく改善し、
下痢はほとんど治まった。この男児は健康になったようだと母親が述べた。処方継続。
8 月 29 日 乾燥症は跡形もなく消退した。
症例 3:1899 年、9 月 11 日、Totaro Jino、6 歳、この男児は主に人工栄養で保育さ
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本稿においては、幼児に対して母乳や牛乳以外の食べ物を与えて育てた場合を、人工栄養(で育てた)
と表現する。
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れていたとのことである。数ヶ月前に下痢が始まった。初期には微熱があり、非常に
大食いしたが、現在は食欲減退に陥って、目立って痩せている。もはや以前のように
活発でなく、一日中部屋の布団の上で座っている。数ヶ月前から夜盲症が現れ、最近
では眼を閉じて横になっている。
現症:この男児は極度に痩せ、皮膚は非常に乾燥し、頭髪に光沢がなく、腹部は蛙
のように膨隆し、結膜は全体的に充血している。結膜は乾燥が著しい。脱落した上皮
が涙の中に浮かんでいる。眼角と眼瞼の縁に流れ出した上皮が集まって、白い堆積物
を形成している。両側の角膜は著しく混濁し、右の角膜の瞳孔部に潰瘍があり、その
角膜の中央は穿孔している。虹彩の一部はその穿孔に巻き込まれている。さらに同側
眼に前房蓄膿がみられる。
処方:肝油 10.0 の乳化したものを 1 日に 3 回。前眼房の膿は穿刺で除去した。
9 月 12 日 前房蓄膿は増加していない。処方継続。
9 月 13 日 結膜充血は減少し、穿刺で残った膿は吸収される傾向を示した。処方継
続。
9 月 14 日 結膜乾燥症に変化は見られず、両側角膜の混濁は減退し、巻き込まれた
虹彩以外は右眼も著しい改善を示した。処方継続。
9 月 16 日 治癒が進んだ。結膜にはまだ乾燥症が認められる。食欲が回復し、活発
となり、いつも眼を開いているようになった。しかし下痢は続いている。
9 月 21 日 全身状態はまあまあである。乾燥症は著しく改善した。処方継続。
9 月 26 日 乾燥症がさらに改善した。処方継続。
9 月 27 日 乾燥症は最小限にまで減退した。右眼の視力も著しく改善した。処方継
続。
9 月 28 日 乾燥症はもはやほとんど認められず、結膜にはなお変色がある。下痢が
多少残っている。処方継続。ほかに甘汞 0.05g を 1 日 3 回。
上記の症状以外にも、特に初期の頃に、寝汗、咳、微熱等を非常にしばしば認めて
いる。しかし、咳が認められても、医師は理学的変化を見出すことができない。気管
支炎を併発することもまれではない。この疾患の副次的な症状として、腹水や、身体
や四肢における浮腫の数例を思い出すことができる。しかし、これらの症例において
は尿中から蛋白が検出されることはなかった。これらの症状の原因は、おそらく疾患
そのものによるものであろう。また著者は肝臓肥大や、まれではあるが脾臓肥大を認
めたこともある。黄疸が認められた症例では、常に肝臓が肥大していた。しかし、大
多数の症例においては、このような症状を認めていない。患児の中には疾患前または
疾患最中に疝痛に見舞われた者も見受けられたが、その多くは肝油を用いることによ
り容易に除去することができた。肛門脱も時折認められ、まれには歯肉炎も認められ
た。時折、嘔吐も現れたが、重要な症状であるとはいえない。一般的に、十二指腸虫
症以外の患児が貧血ということはない。しかし、むくんだ外観をしているのが常であ
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る。ほぼすべての患児が治癒している。残念なことに剖検を行う機会に恵まれたこと
はなかった。命を奪われたとしても、この疾患のためというのはごくまれであり、虚
弱体質のところに合併症を併発したためというのが大多数であった。遺体を解剖する
許可を遺族から貰うことは、もともと非常に困難である。しかし、正しい治療を行い
さえすれば、この疾患が数週間で治癒することを考えれば、解剖を行ったとしても、
著しい異常を見出すことを期待することができない。治療に抵抗して、最終的に死亡
した症例においては、もちろん、それ相応の変化が残されているかもしれないが、既
述のように、著者の知る限りでは、死亡例は非常にまれである。
著者が 1893 年 1 月から 1902 年 7 月までの期間中に観察した脾疳の症例数は、9 年
半にわたる記録を調べなければ数え上げることは不可能であり、これは非常に時間の
かかる作業である。したがって、過去 3 年半の間に観察した脾疳の症例数だけを取り
上げることとする。それは 1899 年 1 月から 1902 年 7 月までの観察例であり、この期
間中の症例数から、過去 9 年半にわたる近似的な症例数を容易に推算することができ
る。1899 年に著者は 17569 例の患児の治療を行なったが、うち 714 例が脾疳であった。
1900 年は 10886 例中 313 例が脾疳であり、1901 年は 11268 例中 400 例が脾疳であっ
た。1902 年の一学期は 5445 例中 54 例が脾疳であった。9 年半の間に著者は延べ 130150
例の患児を取り扱った。また、過去 3 年半に取り扱った患児の数は 45162 例で、うち
1511 例が脾疳であり、脾疳の割合は 3.34%ということになる。この数値をもとにして、
過去 9 年半の間に取り扱った脾疳のおおよその症例数を割り出すことができる。3 年
半で 45162 例中 1511 例が脾疳であったことから、9 年半の 130150 例のうち、脾疳の
症例は 4639 例であったことになる。
著者はここで数枚の表を挿入する。これは過去 3 年半における、患者の年齢と脾疳
の現われた時節を表している。
(表 I∼IV)
1899 年、1900 年、1901 年、そして 1902 年半期の計 3 年半にわたる統計的観察によ
ると、女児より男児の方がより多く脾疳を患っていた。男女差を総数でみると、男児
が 862 例、女児が 649 例で、約 4:3 の割合になった。1 歳未満の乳児における罹患例
は非常にまれであった。それは、この時期には母乳で育てられていた乳児が多かった
からである。離乳後には自然栄養に代わって、人工栄養が行われたが、幼児の栄養物
として牛乳は一般的に用いられていない。離乳後の幼児は、米、麦、穀粉、豆類、そ
の他の野菜など主として植物性の食べ物だけで育てられる。このため、1 歳未満の乳
児に脾疳の診断を付ける際に目立つのは、自然栄養だけで育てられていることは珍し
く、人工栄養だけ、または人工栄養を部分的に採り入れていた例がほとんどであった
ということである。しかし、人工栄養で育てられると常に脾疳に罹ると断言すべきで
はない。表から明らかなように、3 歳児、4 歳児、5 歳児において脾疳の発症例が特に
多くなっている。その理由としては、この年齢は発育が特に盛んになる時期であり、
栄養不良のために抵抗力が低下することを挙げることができるだろう。
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脾疳は小児疾患であり、15 歳を上回る年齢層においてはまれにしか現われない。し
かし、ごく例外的に、脾疳に類似した疾患を成人においても認めることがある。しか
し、そのような症例は例外と言うべきであり、これらの表には収載されていない。表
から明らかなように、1899 年には 744 例であったのが、翌年には 313 例に減少してい
る。このように症例数が大きく減少したのは、この年に診察料が高くなり、脾疳をほ
ぼ克服した人々、とりわけ貧困層の人々が著者を受診する機会が少なくなったからで
あろう。
著者を受診した症例のうちで角膜軟化症の症例はどの程度であったかについて示
すのが、次の表である。
(表 V∼VIII)
脾疳患者 1511 例のうち角膜軟化症の症例数は延べ 116 例であった。これは 1:
13=7.7%の割合ということになる。男児と女児との割合は 59 例:57 例で、1:1 であ
った。患者の総数は 45162 例で、うち角膜軟化症は 116 例であったので、1:389=0.26%
の割合ということになる。他の眼疾患に対する脾疳の割合について、著者は残念なが
ら統計的数値を提示することができない。なぜならば、過去の記録から抜粋したもの
しか手元に持ち合わせていないからである。ハレにおいては、眼疾患の患児約 30000
例のうち角膜軟化症を伴う小児性結膜乾燥症は 16 例であり、Leber はゲッチンゲンに
おいて 28000 例のうち 4 例だけを認めている。
日本では 7 月、8 月、9 月が最も暑くなるシーズンであり、下痢が最も多く認めら
れるのもこの期間中である。下痢とまではいかなくても、暑さの影響を受けて腸粘膜
が弛緩し、吸収力が低下する。脂肪分が不足している小児においては、いずれにして
もわずかにしか存在していない脂肪が吸収されなくなる。十二指腸に慢性的な炎症が
存在している場合には、当然のことながら、胆管と膵管との合流部に腫脹が見られる
ようになり、分泌物の分泌が困難となり、結果的に脂肪吸収が妨げられるようになる。
この点に関しては、Biedert が脂肪下痢の章で自信を持って説明しているとおりである。
まれではあっても欧州においても認めることのある結膜乾燥症や角膜軟化症の原
因となると、確信が持てないことばかりである。栄養障害が原因であるとする研究者
や、寄生虫説、脳や敗血症に原因があるとする説、先天的梅毒説など様々である。最
近では、他の多くの疾患と同様に、この疾患も細菌が原因であろうとする説に傾いて
いる。しかし著者は、その際に検出されているキセローゼ桿菌や連鎖球菌等は偶然に
棲み付いたものであり、この疾患とは何の関係もないと考えている。Kuschbert、Bezold、
Neisser、Leber、Axenfeld 等は細菌説の支持者である。軽症型の角膜軟化症や重症型
の角膜軟化症は同一疾患のグレードの相違にすぎず、この疾患に固有な本質はなお不
明であると Fuchs は述べている。Vossius は、一方では肉類の不足、他方では強い偏食
など栄養不足が原因であろうと考えている。いずれにしても、これらの疾患症状は局
所性のものではなく、身体の全身性疾患の続発症状である。結膜や角膜の乾燥は皮膚
の乾燥に対応している。Leber は、腎盂に鱗屑形成性の上皮異常を認めており、それ
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は上皮性乾燥症と完全に一致していた。
この疾患は上記の原因だけによって引き起こされるわけではなく、次のような条件
のもとでも現れる。長期間にわたる化膿もこの疾患の原因となりうる。例えばそれは、
日本においてはフルンケルを放って置いたために夏や秋に非常に現われやすい、ほと
んどが慢性的な頭皮穿孔性化膿である。慢性気管支炎がこの疾患の原因であるか、あ
るいは結果であるかについて、著者は確実なことは言えない。百日咳がこの疾患と併
発して現れることはまれである。著者の経験によると、先天的梅毒はこの疾患の素因
とはならない。腺病質の小児が他の小児と比較して脾疳に罹りやすいかどうかについ
ては、さしあたっては言及を控えたい。3 年半の期間中に著者は、脾疳で同時に結核
の小児を 2 例認めた。くる病についてはここで考える必要はない。くる病は日本では
いわば未知の疾患と考えられるからである。麻疹の後に、時折、角膜軟化症を認める
ことがあるが、タイプがまったく異なっているように思われる。例えば、乾燥症状が
先行して現れることがない。次の症例によって示されるように、菜食がこの疾患の原
因ということもありうる。
1902 年 Genkizi Takeoka、5 歳、この男児は、肉と魚は全く摂取できず、卵と牛乳
もほとんど摂取できない。この男児の祖母も菜食者であった。この男児は前年の 6 月
に、下痢と夜盲症、激しい空腹等が続いた。しかし、9 月になると、これらの症状は
自然に消退した。今年の 1 月以来、再び夜盲症が続いているが、排便は正常。
現症:結膜上皮の乾燥症、左眼の結膜下の 1 箇所に出血があり、これは外傷に由来
していない。
この論文の第 I 報で著者は、この疾患は母乳だけで育てられている小児において発
症することはないと主張したが、母親のある種の疾患のためにその児が脾疳に罹患し
た数例を観察する機会を得てから、著者はこれまでの見解の変更を余儀なくされた。
例えば母親が回虫症に罹り、脾疳に類似の症状を示すと、乳児にも脾疳が現れる。
実例 1:1902 年 1 月 20 日 Sumisaburo Ogawa、生後 4 ヶ月。この男児は 20 日前ま
では生気にあふれているように見受けられ、母乳は十分であった。この時期から母乳
が著しく減少したので、10 日間にわたり母乳のほかに、米粉に砂糖と水を加えて煮溶
かしたものを与えなければならなかった。それでも主な栄養源は母乳であった。
現症:この男児は非常に青ざめて見え、大泉門が少し陥凹している。両眼から黄白
色の粘液性分泌液が流れ出している。結膜には上皮性乾燥症が見られる。両側の角膜
は混濁している。剥離した上皮は涙流によって眼裂の間に溜まり、こびりついている。
Jahrbuch f. Kinderheilkunde. N.F. LIX, 2 巻
腹部はやや膨隆している。ときどき下痢がみられる。大便の中に回虫卵は見当たらな
い。
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男児の母親の病歴。1902 年 1 月 19 日 Hatzuno Ogawa、22 歳。1901 年 10 月に出産
してから、胃痛、下痢、全身倦怠、頭痛、眩暈等を生じていた。出産後に夜盲症を患
ったが、まもなく消退した。すでに第一児の出産時に、数ヶ月間にわたり夜盲症が出
現していた。非常に塩辛い食事を好んで摂取した。目下のところ、視力は低下してい
るとのことであるが、夜盲症があるかどうかは不明。
現症:結膜の上皮性乾燥症、肺動脈の第一心音に貧血性雑音が聴取され、大便中に
回虫卵を認める。
母乳検査:乳球はごくわずかで、脂肪分析では 0.144(Marchand 法)
実例 2:1901 年 7 月 Sinroku Nambu、生後 11 ヶ月。時々下痢を生じたが、現在で
は下痢が治まっているとのこと。時折、寝汗と発熱がある。母乳は十分であり、この
男児には母乳以外の栄養物を与えていなかった。10 日前から眼疾患が始まった。
現症:両角膜に 1 個ずつの潰瘍。著しい上皮性乾燥症、結膜は強く充血し、腹部は
多少膨隆している。
母乳は乳球量が非常に少なく、簡単に数えられるほどである。母乳の脂肪含量はほ
ぼ零に等しい。
上記以外の男児の 1 例においては、十二指腸虫症と診断された結果として、脾疳症
状が認められた。この男児は 7 人兄弟であり、うち 2 名が夜盲症を患っていた。著者
はこの 1 名から十二指腸虫を検出したが、他の兄弟達については十二指腸虫を検出す
る機会が与えられなかった。十二指腸虫症の男児において、夜盲症、乾燥症、および
その他の脾疳症状がなぜ現れたのだろう?著者は脂肪分不足が原因であろうと考え
ている。寄生虫のために十二指腸カタルが引き起こされると、脂肪分の吸収が妨げら
れることは十分に考えうることである。もちろん、血液の喪失も関係してくるだろう。
母親において脂肪吸収が妨げられると、母乳中において脂肪分が不足してくることは
容易に理解できることである。上述の経験は、「飢餓状態に基づく角膜壊疽の症例に
ついて」のタイトルのもとに Thalberg が記述した内容と一致している。Schöler は肥
満者の食事療法の際に乾燥性角膜炎の発症を認めている。
最初の頃、著者は常に肝油を処方したが、最近では自分の理論を確かめるために、
肝油の代替品としてヤツメウナギやゴマ油を試みている。脂肪分の非常に多いヤツメ
ウナギは古来より民間薬として用いられている。製剤を調製する際に、著者は魚肉だ
けを軽く焙って、丸薬にしているが、搾り出した油の方が使いやすいのではないかと
考えている。それというのも、丸薬の調製が簡単になり、より優れた効果が達成でき
ると思われるからである。しかし、現在までにそのような製剤は調製していない。
症例 1 1901 年 10 月 Kijoso Uzida、4 歳。10 日前から眼病で、羞明、夜盲症、結
膜乾燥症等を患い、時々腹痛がある。処方:ヤツメウナギ 1.5g を丸薬の形で、一日数
8
回投与。
11 月 30 日
丸薬を 7 日間服薬して完全治癒。
症例 2 1901 年 12 月 Schina Ito、7 歳。この女児は 20 日前から気分不良で、下痢
が 1 日 4∼5 回、大便は不消化物を含み、激しい食欲と、腹部の膨隆。数日前から、
咳、微熱、夜盲症、右側の結膜乾燥症。胸部の理学検査では病的所見が認められない。
処方:ヤツメウナギ 7.0g を 1 日数回投与。2 週間治療を継続。
1902 年 1 月 12 日 全身所見は非常に良好。10 日後に夜盲症は消失した。腹部の膨
隆は著しく減退したが、時々咳がある。大便は非常によく消化されていた。夜盲症の
痕跡はない。下痢はまだ続いている。
次に著者はゴマ油で治療した数例を紹介する。
症例 1 Sen Jamaschita、9 歳、1901 年 6 月 8 日入院。
この女児は乳児期に主として人工栄養で育てられ、時折、夜盲症を患っていた。1900
年 6 月以降、右側の耳漏を患い、8 月には同側の耳の後側に腫脹を生じ、まもなく外
に破れた。時折、腹痛を訴えた。
現症:この女児はかなり痩せている。腹部は多少膨隆している。外耳道からと、穿
孔した乳様突起から悪臭のする大量の膿が流出した。外瘻は外耳道と交通している。
著しい結膜乾燥症。処方:乳化したゴマ油(油として 9.0)を 1 日 3 回投与。
6 月 11 日 夜盲症は軽くなった。乾燥症は著しい改善が認められず、膿流出も不変
であった。処方継続。
6 月 14 日 夜盲症はもはや存在していないとのこと。乾燥症はいくらか減退した。
膿流出は続いている。処方継続。
6 月 17 日 乾燥症はほとんど認められず、膿流出は同様に続いている。腹部の膨隆
は著しく減退した。処方継続。
6 月 21 日 膿流出以外のすべての症状から開放された。
6 月 26 日 健康状態からみて可能となったので、乳様突起の削開術がクロロフォル
ム麻酔下で行われた。
症例 2 1901 年 3 月 23 日 Tosi Kanadzu、6 歳。
この男児は虚弱体質で、出生以来、寝汗を患っていた。さらに、この男児は無気力
で青白く、塩気の強い食べ物を好んだ。前の冬に夜盲症を生じた。どんどん痩せて、
時折、下痢と夜盲症、強い上皮性乾燥症、腹部膨隆、腹部表面には拡張した静脈が認
められる。骨が見えるほど痩せている。脾臓と肝臓に異常はない。処方:ゴマ油 7.0。
3 月 28 日 3 日後には夜盲症が消失。結膜乾燥症は著しく改善した。薬物投与の 2
日後に、この男児は生き生きとしてきて、目立って活発になった。腹部はまだ膨隆し
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ているが、柔らかくなった。数日もすると身体的に非常に改善したので、家族や近所
の人々が大変驚いた。処方継続。
4 月 7 日 先月の 28 日から数日間下痢が続き、その結果所見が後退した。しかし、
その後この男児は再び回復し、腹部膨隆もほぼ消失し、下痢は治まり、目下のところ、
異常は認められない。好んで外出するようになり、異常な空腹は消失したが、今でも
塩辛い食べ物を好む。検査で乾燥症の痕跡が残っている。処方:ゴマ油 10.0
4 月 19 日 この男児はしばらく薬を飲まなかったので、状態が再びいくらか悪化し
た。腹部は再び幾らか膨隆した。乾燥症がやや増強したが、夜盲症はもはや認められ
ない。その他の所見としては、右側に気管支炎を生じた。処方:肝油 6.0g を 1 日 3
回。
5 月 2 日 乾燥症は完全に消失し、全身状態は非常によいが、腹部はまだ膨隆して
いる。処方継続。
ヤツメウナギやゴマ油は、常に肝油と同様に有効であるとは限らない。ヤツメウナ
ギやゴマ油は、時折、無効なこともある。しかし、ヤツメウナギの方がゴマ油より効
果的である。つまり、動物油の方が植物油より有効なようである。Baelz (1901)は、
時折、ピーナッツで成果を上げている。著者は 2 例に対してオリーブ油を用いたが成
果は得られず、吸収されずに大便と共に排泄された。投与方法に問題があったのかど
うかについては不明である(著者はオリーブ油を乳化剤として投与した)
。肝油の優
れた効果は、Naumann が主張しているように、胆汁成分が含まれているためであり、
試みた他のすべての脂肪より動物の膜を容易に通過することができるからであり、さ
らに、体内において容易に酸化されうるからに相違ない。さらに、肝油には遊離の脂
肪酸が含まれており、肝油は乳化されやすく、吸収が容易であることも強調しておく
べきである(Buchheim)。なにはともあれ、肝油に含まれている脂肪が、肝油の有効性
において主要な役割を果たしている(Hager、Bernatzik 等)。脾疳に対して肝油は非常
に速やかに効果を現し、服用後半日で効果を認めることもある。軽症の場合、著者は
1 歳未満の乳児には 1g の肝油を投与し、1 歳ごとに用量を 1g ずつ増量させている。
重症の場合には、2∼5 倍量が適切であり、10 倍量を投与することもある。疾患経過
で生じた障害は残存し続けるかもしれないが、疾患のさらなる進行は抑えられる。下
痢が存続することもまれではないが、眼の症状は薬剤を用いることにより消失する。
軽症例では 1∼2 週間も投与すれば十分であるが、重症例では 2∼3 週間投与する必要
がある。頑固な下痢に対して肝油だけで無効な場合には、甘汞(少量!) やビスマ
スを追加投与すべきであり、こうすることによって迅速な効果を達成させることがで
きる。前房蓄膿の場合には、膿を速く除去するために、著者は一般的に穿刺を行って
いるが、この手術を実施しなくても、肝油を用いるだけで膿が速く吸収されるのを観
察している。
肝油は内服によってだけでなく、次の症例が示すように、筋肉内注射によっても成
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果を上げることができた。
Nobuyosi Jasuda、1 歳 11 ヶ月、1902 年 3 月 19 日入院。
30 日前から、この男児は 1 日に 10∼15 回の下痢を患っている。感冒によるとのこ
とで、数日前より咳がみられる。この男児は今でも時々母乳を飲み、大麦の入った米
飯と魚の干物、野菜を食べ、新鮮な魚と肉は食べたことがない。
現症:著しく痩せ、結膜乾燥症、角膜は全体に混濁している。処方:肝油 3.0(滅
菌した)を両大腿の内側面に注射した。
3 月 21 日 肝油乳液 10(油として 3.33)を胸の両側に注射。
3 月 22 日 上皮性乾燥症は多少減少した。角膜の白濁は変化せず、まだ日に 6 回の
下痢が続いていた。最初の注射部位は非常に過敏であった。
3 月 23 日 乾燥症はもはやほとんど認められず、下痢は日に 2 回になった。最初の
注射部位は赤く腫脹していた。
3 月 24 日 便通は日に 3 回。右結膜には乾燥状態の痕跡がみられた。2 回目の注射
部位に軽い腫脹と発赤が認められた。
3 月 25 日 両眼はよく湿っていた。最初の注射部位の腫脹は明白に減少し、発赤は
完全に消失した。これとは対照的に、2 回目の注射部位は発赤が増強し、その周囲は
瀰漫性に腫脹していた。前日の下痢は 5 回。角膜の混濁はほぼ消失していた。処方:
肝油乳液(油 1.0 に相当)を臀部に注射した。
3 月 26 日 前日の下痢は 6 回。全身状態はきわめて良好で、食欲が増し、以前の注
射部位に刺激症状は認められなくなり、両側の結膜は完全に透明。処方:肝油乳剤(油
1.0)を下腹部に注射。最初の注射部位の腫脹は完全に消退し、2 回目の注射部位はな
おわずかに腫脹している。3 回目の注射部位に刺激現象は認められない。この男児は
太ってきた。全く別な子供のような印象になった。
3 月 27 日 3 回目の注射部位がいくらか腫脹し、前日に 3 回の下痢。眼の状態は、
特に右眼が次第に改善。
3 月 28 日 便通はまだ 6 回あったが、下痢ではなくなった。
3 月 29 日 便通は 5 回。
3 月 30 日 便通は以前のように 8 回。眼は完全に異常なし。4 回目の注射部位にな
お腫脹と発赤が認められる。3 回目の注射部位(左側)は多少腫脹している。2 回目
(右側)の注射部位はなお腫脹しているが、発赤はなくなった。
注射された肝油は非常に吸収されにくく、化膿することもまれではない。注射とい
う方法をとる場合には、患者を入院させる必要がある。著者が治療を行った症例のす
べてにおいては、患者が家で摂取している食事と同じ食事を与えるように意識して心
掛けた。それというのも、このような条件で臨まなければ、効果が達成されたかどう
かを判断することができないからである。
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本論文の第 I 報で著者は、この疾患の原因として、脂肪分が不足している食生活を
挙げた。日本では脂肪分の多い食べ物をほとんど摂取しない。チーズ、バター、脂身
等は、日本では不慣れな食べ物である。良質な米は脂肪分が比較的多いが、貧しい人々
は十分量を確保することができず、主に大麦や穀粉、野菜等の煮た物を食べている。
漁業が日常的に行われている沿岸地域では、この疾患に罹患することはきわめてまれ
である。特に地方においては、食肉や乳製品は馴染みの薄い食べ物である。それは、
日本では畜産がほとんど行われていないからである。また、凶作になると、この疾患
が多発するようである。しかし、下層階級の社会的地位が向上すれば、脾疳の発症率
も低下すると著者は信じている。この点に関しては、残念なことに統計資料が欠如し
ている。この疾患の発症率は、都会と地方では著しく異なっている。地方では明らか
に発症率が高い。その原因として考えられるのは、母乳から脂肪分の少ない食べ物へ
の急激な移行であろう。都会ではこうした移行が時間をかけて徐々に行われる。欧州
においては、離乳後も数年間にわたり乳製品で育てられるので、この疾患が欧州で珍
しいのも、このことから説明することもできるだろう。
肝油が乾燥症や角膜軟化症、下痢等に対して驚異的な成果をもたらしたことから、
この疾患の原因が脂肪分の不十分な摂取にあるとする著者の見解が強く裏付けられ
たことになる。脾疳が主として夏に現れるのは一見すると不思議なようであるが、脂
肪分の消費量は寒い季節より暑い季節の方が少ない。この見解に対しては反論がある
かもしれないが、それは根拠が弱いものである。なぜならば、夏に生じる下痢は脂肪
分の吸収不足によるものであり、結果的に脾疳が引き起こされるからである。さらに、
体内においては酸素の供給不足と共に、蛋白分解が増大するということも、動物実験
の結果から知られている(Litten & A. Fränkel)。正常な条件のもとでは脂肪を含んでい
ることのない細胞内に脂肪が認められるようになるのは、脂肪分の供給が増加しない
と体内蛋白の代謝が行われるためであるということを、Cohnheim は明示している。
Ziegler によると、食物摂取の不足や体内における代謝亢進により、普通なら組織内に
存在している脂肪が失われてしまう。その結果、脂肪組織が萎縮してしまう。
著者の理論は主として統計と治療薬に立脚したものである。当然のことながら、脂
肪不足が直接的または間接的に影響を与えるのかどうかを確かめるために、治療の実
施時に代謝分析を実施するという最終的な作業に取り組む必要がある。著者はこの種
の分析試験を欧州に滞在している間に実施することを希望していた。なぜならば、日
本に帰国すればそのような時間がとれなくなるからである。しかし、欧州においては
この疾患の発症例がきわめて少ないために、この種の分析試験を実施することができ
なかった。著者の理論が真実となった場合に は、この疾患の性格から考えて、
「Lipaporia」という名称で表すことを提唱したい。結膜乾燥症と角膜軟化症は、一つ
の同一疾患に対する二通りの呼び名にすぎない。
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