オトンルイ風力発電所見学記

オトンルイ風力発電所見学記
市民エネルギー研究所 井田 均
オトンルイ風力発電所は北海道幌延町
にある。日本海に沿って走る道道稚内天
塩線の陸側の 3.1km にわたって 1 列に並
ぶ 28 基の 750kW 風車だ。写真で見て近
くの稚内に行くたび見たいと思ったが実
現できないでいた。この 8 月末から 9 月
にかけての 5 日間、JR が発行する連続 5
日間普通列車(鈍行)に乗れる「北海道
&東日本パス」と太平洋を茨城県大洗か
ら北海道苫小牧まで行くフェリーを利用
して行くことにした。
霧の中を進むフェリー
電話で大洗のフェリー係員は、
「水戸
からフェリー乗り場へ行くバスは 16 時
16 分か 16 時 32 分に出ます」と教えてく
れた。恵比寿にある家を昼ごろ出た。水
戸へ早く付き過ぎ、バス停で長い時間を
潰さなくてはならなかった。
オトンルイ風力発電所見学旅行 ルート図
フェリーは雑魚寝のエコノミーではな
くベッドが保証されているカジュアルに
した。料金はエコノミーの 8500 円に対
翌朝は海が見渡せるラウンジで読書。
し 1 万 2600 円と高いが、60 歳以上なの
海は霧でほとんど見えない。すぐ近くの
で「プラチナ割引」で 2 割が減じられた。
海面に霧がかかっていたり、100m ほど
大型フェリーは、出航予定の 18 時 30
先まで見えたりとさまざまな景色を演出
分より 5 分ほど早く大洗港を出た。食堂
する。
で夕飯と朝か昼とのセットの券を買う。
だが北海道の苫小牧に近付く昼過ぎに
2300 円とかなりの値段だ。窓から夕ぐ
はピーカンになった。午後 1 時半に着岸。
れる海を見ながらバイキングの夕食。早
バス停でバスを待ちながら空を見た。だ
めの就寝。
いたい空が広い。高い建物がなく全面が
−2−
空だ。それが夏の終わり、秋の初め
のどこまでも青い空だ。空気もおい
しい。無意味に何回も深呼吸した。
「来てよかった」と思う。
やがて来たバスで JR 苫小牧駅へ
行く。
JRを乗り継ぎ幌延へ
北海道&東日本パスを出して、
JR に乗る。まずは札幌方面へ向か
28基が並ぶ
う。だが札幌まで行ってはダメだ。
その 2 つ手前の白石で降り、反対側から
北海道北部の幌延町の西部、日本海沿い
来る列車に乗らないと目的地にその日中
に南北に走る道道稚内天塩線の陸側に南
には着けない。
北 3.1km に渡って建設されている。機材
この日は旭川で乗り継ぎの 52 分間を
はオランダの RAGAWAY 社の 750kW 機
利用して駅近くのホテルで酒と食事をす
で、これが 28 基並んでいる。1 基のサイ
ませ、ホテルを予約してあった名寄まで
ズは、タワーの高さは 74m、ブレードの
行く。
直径は 50.5m だから、風車の最高地点は
翌朝は、私にとっての超早朝の 7 時 50
99.25m だ。風車が発電を開始するカッ
分の列車で幌延に向かう。最初は旭川に
トイン風速は毎秒 3m、強風で回転を止
泊まることを考えたが、そうすると朝 6
めるカットアウト風速は同 25m だ。
時 5 分の列車に乗らなければならないの
さて、お二人にあらかじめ送付してお
で名寄まで行ったのだ。
いた FAX での質問書に従い聞く。
10 時半前に幌延駅に着く。幌延駅の
――まず発電所の名前の「オトンル
駅 員 に 町 役 場 へ の 行 き 方 を 教 わ り、
イ」の意味は。
リュックを背負って歩く。
「アイヌ語で『浜にある道』という意
味です」
オトンルイはアイヌ語
――着工の時期は。
役場では、総務課の企画振興グループ
「オランダで 2000 年 12 月に機材の製造
主幹の飯田忠彦氏と同グループの主査の
を開始しました。完成した機材はベル
早坂敦氏が迎えてくれた。
ギーのアントワープから出航、北海道の
ここでオントルイ風力発電所について、
稚内港まで 1 カ月半かけて海上輸送、建
東京の自宅で知りえたことを記しておく。
設地の幌延までの 50km はトレーラーに
この発電所は 2001 年度に建設された。
載せて夜間走行しました。ただタワーは
−3−
韓国から輸送しました。幌延での建設工
――赤と白に塗られた高さ 74m の航
事は 2001 年 4 月に開始。同年 11 月に試
空障害灯が 28 基の前後に建てられてい
運転を始めましたが、約 17km の 33kV
ますね。
特別高圧の送電線が強風によって切れた
「それは建設時には建てました。だが
り、電圧が変動するフリッカー現象など
法改正で不要とされたので、昨年撤去し
が起こりました。最終的な引き渡しは
ました。
2003 年 2 月でした」
その代りに障害灯を 1 号機と 28 号機につ
――北海道電力への売電について教え
けています」
て下さい。
――風車を観光に利用する計画はあり
「売電契約は 17 年間です。だが売電価
ますか。
格については、営業活動は町の 3 セク
「風車は役場からかなり離れています。
『幌延風力発電』への出資者の 1 つ、JFE
車で風車を見に来る人はかなりいるとお
エンジニアリングが担当していますので、
もわれますが、何人位かなども分かりま
そちらへ聞いてください」
せん。今のところ観光客に向けてどう活
――幌延風力発電への出資金の比率は。
用するかなどの計画もありません」
「総 額 は 1000 万 円 で す が、幌 延 町 が
――どうも有難うございました。
51%、JFE エンジニアリングと伊藤忠商
事、そ れ と 幌 延 の 地 元 企 業 が 残 り の
現地へ行く
49%を出資しています」
歩いて幌延駅の近くのタクシー会社に
――風況はいいのですか。
行く。運転手にオトンルイ風力発電所に
「年間を通すと平均毎秒 7m ほどです。
行くように頼む。
特に秋がいい。強い海風が吹きます」 ここ幌延駅にはレンタル自転車がある
――風車の利用率は何%位ですか。
という情報があった。それを利用しよう
「当初の計画では年間発電量を 5000 万
とも考えたが町役場の飯田主幹によると
kWh としていたので、計算すると 27%
「自転車でいくのは少しキツイかも…」
になります」
ということだった。もっともこのレンタ
――これまで落雷の被害や野鳥への事
ル自転車、8 月中旬で終了していた。
故はありましたか。
タクシーはサロベツ原野を走る。どこ
「落雷は 2007 年 8 月にあり、ブレード
までも広い原野が広がる。高さが 3 階建
に被害をうけた。野鳥の事故は 2 件。
てほどの展望台が立っていた。2、30 分
2005 年 5 月にトビが、2006 年 6 月にオジ
も走ったろうか、左手遠方に 28 基の風
ロワシが風車の近くで死んでいるのが発
車が見えた。車に止まってもらい、写真
見されました。風車に衝突したのではな
を撮る。さらに行く。海岸に近づく。も
いかとみられています」
う少しで海岸に出る地点でまた停車。下
−4−
車して写真を撮る。3.1km に 28 基
の風車が南北に並ぶ。風車同士の間
隔は 115m ほどある計算だ。
海岸べりを走る道道稚内天塩線。
その陸側に風車は並んでいる。タク
シーに最も北に立つ 1 基目の横まで
行ってもらった。アップで撮る。ナ
セルは増速機がついていない型なの
で前後には短い。ナセルがタワーに
取り付けられている部分に
左に並ぶ風車。右は日本海
「RAGAWAY」と縦に書いてあるの
が見えた。
苫小牧市民が市へ寄付したものだという。
振り返ると海。空を映して圧倒的に青
バスで苫小牧港フェリー乗り場へ。最
い。意味もなくまた深呼吸。
初は大洗へ戻ろうと考えていたが、もっ
最初は幌延駅ではなく、その北の下沼
と近い仙台へもフェリーが出ているので、
駅に行ってもらおうと考えていた。運転
こんどは仙台周りを選ぶ。
手に聞くと、下沼駅には幌延駅にあるよ
往路の大洗発は商船三井フェリーだが、
うな商店は全くないという。それで幌延
今度は太平洋フェリーだ。
駅に戻ることにした。さらに時刻表を見
高齢者向きの割引制度を期待して、6
るとあと 10 分で幌延駅から下りの列車
段階ある料金表の下から 3 番目の A 寝台
が出る。「間に合いますか」。
(1 万 1500 円)を注文した。だが太平洋
運転手がうなずく。正午発の列車に乗れ
フェリーには高齢者割引の制度はないと
た。タクシー代は 8530 円だった。
のことだった、残念!
さすが 1 万 5000t の大型フェリー。揺
帰路は仙台行きフェリーで
れも少なく快適な運航だった。
その日は午後 4 時過ぎに旭川に着き、
仙台港からバスで JR 仙台駅へ。5 日目
そこで 1 泊。翌日は午前中に旭川を出て、
の夕方、無事我が家へたどり着いた。
岩見沢から接続のいい室蘭本線を利用、
苫小牧にはかなり早く到着。苫小牧では
横浜のJEFエンジニアリングで取材
旧ソ連から市民が買い取ったという宇宙
幌延町で教わった JFE エンジニアリン
船ソユーズの予備機を見た。ソユーズの
グの石原氏に取材したのは、週末を挟ん
本体は何年間かの宇宙生活の後、爆破さ
だため、9 月 8 日だった。
れてしまったのだが、予備機は何十億円
挨拶のあと、石原茂雄氏は 3 枚の名刺
かで売りに出された。それを買い取った
を渡してくれた。1 枚は会社のもので、
−5−
JFE エンジニアリング産業機械エンジニ
が下がる『ステップ単価』です。どちら
アリング事業部原動機システム部風力発
かを選べるようになっていました。我々
電室部長代理と書かれている。次は幌延
がどちらを選んだかは言えません」
風力発電株式会社の取締役のもの。最後
――御社は幌延町の 3 セクの幌延風力
は日本風力発電協会の理事というものだ。
発電の資本金 1000 万円のうちどれくら
「実はもう 1 枚、九州のものもあるんで
いを出資されていますか。
すが…」とも言う。
「23% だ っ た か 26% だ っ た か。町 の
私との一問一答は以下の通り
51%に次ぐ出資をしています」
――建設費の総額はいくらですか。
――この事業で重要な部分を占められ
(過去の新聞スクラップを出して)「北
ているからと認識していいですか。
海道新聞には 45 億から 50 億円とありま
「17 年間のメンテナンスや資金の調達
すね」
を含めていろいろ役割分担があると考え
――御社としては額は言えないという
ています」
ことですか。
――北海道電力との電力のやり取りの
「総額といってもどこまで入れるかで
状況は。
いろいろありますから」
「普段は我々が北海道電力に売電して
――風車メーカーのラガウェイの製品
います。だが夏など風が弱く発電量が少
ですね。
ない時は、我々は北海道電力から電気を
「はい。オランダのラガウェイ社の製
買っています。風車の向きを風に向ける
品です。建設した 2001 年には小さいな
ためのヨーイングの電力が必要なためで
がらありましたが、2006 年 5 月に倒産し
す」
ました。その前から我が社は日本国内で
―― 17 年間のメンテナンス費用は当
数十基の受注を受けており、ライセンス
初の建設費の何割ほどを考えていますか。
契約をしてJFEエンジニアリングが国
事業者の中には当初建設費の 7 割が必要
内で生産できる体制を整えていました。
だという人もいます。
だがこの幌延の風車群はオランダの工場
「7 割 で は 事 業 が 成 り 立 ち ま せ ん。
で生産し、陸路ベルギーのアントワープ
もっと少額でないと…。17 年間必要な
まで陸送、そこから海上輸送で北海道へ
項目としては、まずメンテナンスの人件
運びました」
費、風が弱い夏の間に北電から電力を買
――北海道電力との売電契約について
う費用、故障した機材の交換費、保険の
教えてください。17 年契約ですか。
費用などが必要です」
「はい。17 年契約です。当時北電の買
――これまでの発電の状況は。
電契約は、契約期間中同じ値段で買う
「2003 年度の利用率は 31.9%、2004 年
『フラット単価』、もう 1 つは次第に値段
度は 33.2%、2005 年度は 30.8%、2006 年
−6−
度は 26.1%、2007 年度は 28.3%です」
――すばらしい数字ですね。5 年間の
平均で 30%を超えています。日本で最
もいいと言われる宗谷岬ウインドファー
ムの最初の 1 年が 30%ですから、それに
匹敵する好成績です。
「そうでしょう。普段は年平均 7m の
風ですが、2004 年は 8m 近い風で、いい
時には利用率が 50%を超える月もあり
ました」
――売電収入も大変な額になっている
でしょう。
「いや、建設費の 40 億円から 45 億円と、
その後の 17 年間で予想されるメンテナ
ンス費用と釣り合うと予想、売電収入は
増速機がないのでナセルは前後に短い
我々出資者で分けずに配当を留保してい
ます。メンテナンスの費用がどれくらい
テップ単価」なのかさえ聞けなかった。
かかるか予想しにくいからなんです」
何を恐れているのだろう。民間企業の
――これだけ風況がいいのに、事業と
JFE エンジニアリングとしては話したく
して儲からないということですか。
ない状況も理解できなくはない。だが自
「いいえ。昨年の 2007 年度は 5 年に 1
治体である幌延町が事業の過半を担って
度のブレードの塗装の塗り替えがあった
いる。その町が情報を持たず、
「JFE エ
ため、その費用がかかったのと、利用率
ンジニアリングに聞いてほしい」という
が上がらず赤字でしたが、それ以外の年
ところに問題があると思われる。
は黒字でした。概ね順調と言えます」
我々報道に関わる者としては、可能な
――いままで大きな故障はありませんか。
限り情報はオープンにしてほしいと思う。
「はい。おかげ様で全くありません」
新エネルギーに関する情報をまず開示し、
――なるほど。有難うございました。
それを見ながら、次のなすべき一手を考
える――。そうすることによってしか新
インタビューを終えて
エネルギーを充実・拡大する方策は見つ
消化不良のインタビューだった。肝心
からない、と思うのだが…
な数字や状況説明に関してはほとんど何
も話さない。だいたい北海道電力との売
電契約が「フラット単価」なのか「ス
−7−