日 米 友 好 の 礎 を 築 い た 人 ─ 万次郎チャリティーゴルフ 2011年度の活動中間報告 2011年11月24日 (木) レイクウッドゴルフクラブ東コース (大磯町) 深まるレイクウッドゴルフクラブで56名の参加者を得て行われまし た。今年10月に100歳の誕生日を迎えられた日野原理事長の快音を T 参加者も加わって、国際交流を通じての相互理解の促進を目指す当 n to os 財団にふさわしい内容の会となりました。 この日の優勝者は酒井健二氏で優勝カップが日野原理事長から手 快晴の空の下始球式が行なわれた 渡されました。またユナイテッド航空からは東京−ボストン往復ビ ジネス航空券(ペア)の賞品寄贈があり、 参加者の中から抽選で正木實氏が獲得しました。 ▲ 「万次郎の足跡をたどる旅」2011.9/26∼10/3 ツアー75名の参加者が集合して 東日本大震災への募金活動 『本市と友好姉妹都市の盟約を交わしている米国マサチューセッツ州フェアヘー ブンのホイットフィールド・万次郎友好協会より東日本大震災の義援金11,000ド ル(約90万円)が本市姉妹都市友好協会に4月28日に届けられた。米国側の交流 の拠点となっている米国友好協会が中心となり、震災発生後すぐに募金活動が始 まり、 「 万次郎を通じて育んで来た友情を示したい」 と近隣の住民に呼びかけたとこ ろ、学校などの団体や個人から目標額の10,000ドルを上回る11,000ドルの義援 金が集まった。 なかには近所の金物屋に募金箱を置かせてもらい103ドルの募金を ▲ボストンでは、世界大学ランキング上位のマサチューセッツ工科大学とハーバード大学も見学 。 2011.12.15 残して一直線に飛んだ力強い始球式に始まり、今回から4人の米国人 ▲▶訪問の先々では日野原先 生100歳お祝いパーティが行な われた B No.6 ジョン万祭りと舞台にのった万次郎物語 今年で3年目を迎える『万次郎チャリティーゴルフ』は秋の気配の o ジョン万次郎ニュース 集めてくれた7歳の少女や複数の学校では生徒が中心となり、募金活動を積極的に ▲ボストンからニューベッドフォードに向かう途中1620年に清 教徒が初上陸したプリマスに立ち寄る 支援してくれた。』 ven rha i a F To 土佐清水市姉妹都市友好協会 ジョン万ニュースVol.18より この厚意に心からの感謝を表すために、現地で催された日野原先生100歳誕生 会の最後に各席に英語の歌詞カードを配り、ツアー参加者全員で日野原先生の リードで、 「ふるさと」の合唱を致しました。 3度目のフェアヘーブン訪問と100歳のBirthday 100歳を目前にした9月26日から10月3日まで、 「ジョ ン万次郎の足跡をたどる」旅で75人のメンバーとフェア ヘーブンの町を訪問しました。3度目の訪問です。今回の 参加者は、 「万次郎募金に寄付をしてくださった方」、 「新 老人の会」会員の方、そして新たに「ラボ教育センター」 の会員の方にも加わっていただきました。ラボ教育セン ターとは、英語教育によって子どもたちの国際交流を行 うことを目的として1973年に設立された財団法人で す。この財団は、昨年、 「John Manjiro Was Here」という 英会話の教科書を作ったこともあり、今回ご一緒に現地 を訪問することになりました。 さて、私はワシントン到着の翌日、藤崎一郎駐米大使 大歓迎を受けたニューヨーク育英学園での「いのちの授業」 ご夫妻にも出席いただき、 「100歳の誕生祝いの昼食会」 を催していただきました。その席上大使から日米の友好関係に大きく貢献したとして、日米文化功労者の特別表彰状を頂 きました。 翌日、私はツアーの一行から別れてニューヨークに向かいました。マンハッタンに住む知人の方たち100人が私の誕生 〈編集後記〉 今 後 の 活 動 予 定 万次郎スピリットを考える会・講演会 ▲かつて捕鯨船でにぎわったニューベットフォードの港 ◀▲万次郎が暮らした船長の家が当財団 による寄付で記念館として運営されている パーティをしてくださるというのです。米国での2度目の誕生祝いです。 本年度は、万次郎のツアー・万次郎演劇・チャリティーゴ 2012年3月2日(金)13:30∼15:30 ルフと秋期に関連行事が目白押しにありました。この様 会場 平河町砂防会館5階 健康教育サービスセンター 子を皆様にできるだけ早くお知らせしようと、特別号を プログラム 発行いたしました。ツアーや演劇は写真を多く使ってご 講演会 「中濱万次郎と坂本龍馬」 講師: 北代 淳二氏 紹介しましたので、 お楽しみいただければ幸いです。 ジョン万祭り 2. 払い込み方法 ではじめてフェアヘーブンの小学校に入り現地の子供たちと一緒に勉強し、その後、バートレット・アカデミーという専門 「いのちの授業」を終えて、夕刻は日本クラブで「人の生きる力」と題して講演。ここでも3度目の誕生祝いをしていただき 翌日は5時間のドライブでニューヨークからニューベットフォードに入りました。万次郎がジョン・ハウランド号に救 三菱東京UFJ銀行 築地支店 口座種目 普通預金 口座番号 0 0 3 2 1 8 1 口 座 名 万次郎友好記念館協力の会 助され2年間の捕鯨航海ののちに入港した町です。180人もの地元の方々と引原ボストン総領事が待ち受けておられ、こ こでも滞米中4度目のお祝いをしていただきました。 前の晩の大雨が嘘のように晴れた初秋のフェアヘーブンで、10月1日は今回最大のハイライト「ジョン万祭り」です。開 ②現金の場合 下記募金事務局で受け付けます。 *お手数ですが寄付者確認のために必要な情報として、 ご住所とお名前をファックスか郵送で事務局まで必ずお知らせ下さい。 ◀▲フェアヘーブンの街と土佐清水市では毎年交互に 10月上旬に祭りが行なわれている としている人のためにつかってほしい」と話しました。日本では学校にも行かずに漁に出て働いていた万次郎少年は、 14歳 ました。 ①銀行振込の場合 掲載の写真は事務局撮影に加えて 川津次郎・斎藤壽明・新発田潤一の 各氏からご提供いただきました。 は、今は自分の時間を自分のために使ってもいいけれど、大きくなったらその時間を誰か困っている人のため、助けを必要 界を相手に活躍してほしいという願いをこめて話しました。 1. 銀行振込、 振替口座、 または現金にてお払い込み下さい。 なお、 振込手数料は寄付者のご負担になります。 ◀街のミリセント図書館には万次郎 コーナーが常設されている の保護者に「いのちの授業」を行いました。私は「君たちの持つ命は君たちのもっている時間のこと。成長期にある君たち 学校に進学して航海術や測量術などを学んでいます。万次郎少年と同じように、この学校で学ぶ子どもたちにも将来は世 募金の手続き ▲万次郎トレールの中には万次郎が通った 小学校が保存されている さて、3日目はニューヨーク郊外、ニュージャージーにあるニューヨーク育英学園で1年生から6年生までの小学生とそ 一般財団法人ライフ・プランニング・センター内「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」協力の会 〒102-0093東京都千代田区平河町2-7-5 砂防会館5階 TEL: 03-3265-1907 FAX: 03-3265-1909 会のセレモニーで、 「万次郎が生きていれば184歳。100歳の私との年齢差は84歳、私には万次郎が祖父のように思えます」 と話し、 2年後の「ジョン万祭り」への出席を約束しました。 帰国したのは、10月3日で、私の誕生日の前日でした。 駆け足の1週間ではありましたが、米国でも大勢の方々に私の100歳を祝っていただき、嬉しいそして実り多い100歳を 迎える旅となりました。 理事長 日野原 重明 ツアーの中でのトピックス 13th Manjiro Festival ジョン万祭り in フェアヘーブン 10月1日、第13回ジョン万祭りが友好記念館を した。日本からのツアー参加者75名に土佐清水市 視察団8名も加わり、その日は日本の村祭を思わ せるなごやかで賑やかな交流の輪がそこかしこに 広がりました。万次郎の出身地の土佐清水市と米 国での滞在先のフェアヘーブンおよびニューベッ 9月26日 (月) 年は米国での開催にあたります。私たち旅行の第 太鼓など地元の愛好者が種々の日本文化を伝える パフォーマンスを披露。タウンホール前の広場に は、屋台や手工芸品を扱うテントが賑やかに立ち 並ぶなか、日本から筆と墨、半紙あるいは折り紙な 交流夕食会 於:OCCIDENTAL 27日 (火) 100歳祝賀昼食会 於:ホテル内CONSULATE BALLROM 28日 (水) 29日 (木) 航空機にて、 ボストンへ 着後、 ホテルへ ボストン市内観光 マサチューセッツ工科大学・ ハーバード大学など ホテル発、 フェアヘーブンへ 30日 (金) プリマスプランテーション→捕鯨博物館 →ニューベッドフォード日野原先生100歳誕生会 於 MARIOTT NEW EDFORD 一の目的は、この「ジョン万祭り」に参加すること にありました。当日は好天に恵まれ、空手、茶道、和 直行便にてワシントンDC 着 ワシントン市内見学 ドフォード市では、1987年以来、姉妹都市関係を結 び、毎年、交互にジョン万祭りを開催しており、今 「新老人の会」熊本支部 小山 和作 「万次郎の足跡をたどる旅」日程 運営する「ホイットフィールド・万次郎フレンド シップソサエティー」 (WMFS)の主催で行なわれま 熊本の地で舞台劇「太平洋に架ける虹−ジョン万次郎物語」を上演 10月1日 (土) フェアヘーブンでの 「ジョン万祭り」 に参加 ボストンへ移動 ワシントンDCにて乗り継ぎ 2日 (日) ボストン空港出発、 3日 (月) 成田空港着 全国から3万もの参加者が集まった「ねんりんピックイン熊本」の前夜祭の一環として行われた万次郎劇。その企画を中 心になって牽引した小山和作氏(日赤熊本健康管理センター名誉所長)が、ツアーでのエピソードとその10日後に行わ れた演劇の様子をまとめてくださいました。 印象的だったのは、当地でのジョン万祭りでのこと、一人の女性文士が近づいてきて、万次郎を題材に一冊の本を書 いたと言うのです。題名は「Heart of SAMURAI」。アメリカの人々は万次郎の生き方に武士道を感じたのでしょう。信念 と勇気を持ち行動しただけでなく、貧しくとも礼節を重んじ、長幼の序あり、隣人愛と人がいやなことを進んでする協 調性は当時の日本人の心であり、武士道と言ってもよかったのでしょう。万次郎はそれを備えていたのだと思います。 万次郎は多くのことをアメリカから学び、近代文化を日本に持ち込んでくれましたが、逆に万次郎はアメリカ人にとっ てははじめて見る日本人だったのです。日本人の魂をアメリカに伝えてくれた最初の人物だったといえます。すごい外 交官だったといっていいでしょう。私はこの万次郎精神こそ今の日本人に最も大切なことではないか、演劇を通して是 非伝えたい、そう心に誓い演劇に取り組みました。 日野原先生も出演、 100人が2年間の練習の成果を披露 10月14日、空はどんより厚い雲に覆われ、時折ぱらぱらと弱い雨脚が、やっぱり雨か。ジョン万次郎のイベントには必ず 雨が降るというジンクスがあるらしい。万次郎物語の始まりは嵐だったのですから。心配されたお客さんの出足は雨にも かかわらず、開演3時間前からぼつぼつ、1時間前には長蛇の列、開場を30分早めることになりました。かくして熊本市民 会館ホールに1600人満席の観客をお迎えしての舞台劇「太平洋に架ける虹−ジョン万次郎物語」は幕を開けました。遠く は東京、沖縄、大阪、岡山、高知から、それに九州各地から来場いただきました。この企画に賛同して米国福岡領事館、日本国 外務省の後援も頂き、当日は熊本県知事のほかフェアヘーブンのマイケル・シルビヤセレクトマンからも暖かいメッセー ジが届きました。 そして、 いよいよ舞台劇 「太平洋に架ける虹」 五幕の始まりです。 (右頁の写真をご参照下さい) その序幕として、熱海の海岸、釣糸を垂れる一人の老人が現れます。この老人こそ晩年の万次郎、役者は100歳を迎えら れた日野原重明先生です。相手は今回演出を担当した迫田孝二の徳富猪一郎(後の蘇峰)、ユーモラスな2人の掛け合いに 爆笑の連発、 「若い者はもっと勉強してください。頑張りなさい」と熱いメッセージを残して日野原万次郎は舞台を去って 行きます(写真*1)。引き続いて第一幕は土佐清水の万次郎の生家、14歳の万次郎が家族との別れの場面、観衆の中にすす どを持ち込んだ我ツアー参加者は子供たちと直に り泣きの声が聞こえます。第二幕は漂着した無人島での半年の暮らし、そこに現れたジョン・ハウランド号、万次郎はじめ 触れ合う時も持ちました。12時からは、タウンホー 5人の若者達はホイットフィールド船長(熊本在住の英語教師)に助けられるシーンです。子供達の熱演が光ります(写真 ル内でセレモニーが行なわれ、ジェラルド・P・ルーニーWMFS会長、引原毅ボストン総領事、フェアヘーブンの町のセレク *2)。 トマン、土佐清水吉村博文副市長、船長5代目子孫ボブ・ホイットフィールド氏、中濱万次郎4代目子孫故博氏夫人の智子 一転して第三幕は薩摩島津藩の鷹狩りの場面。名君島津斉彬が「この者を大事に扱え」と家老小松帯刀に命ずる場面は歌 さんにつづき、日野原重明理事長が「170年前の船長と万次郎の友情と交流が、日米の不幸な戦争を乗り越えて途絶えるこ 舞伎調(実は演じるのはこの私のアドリブ) (写真*3)、第四幕は土佐の志士達との交流、中岡慎太郎、岩崎弥太郎、近藤長次 となく続いていることに敬意を払うと同時に、これからもこの活動を維持し発展させることに日本の財団(ホイット 郎らと、そこで万次郎を歓迎して、日本人の魂を復活せんと坂本龍馬が剣の舞を披露します。そして、最終幕は家族たちの フィールド・万次郎友好記念館協力の会) としても支援していきたい」 と話されました。 待つ土佐の中ノ浜に帰る場面。冬の海は寒かろうと母しおが持たせた袢纏を12年間大事に持ち帰った万次郎涙の対面で 満席の崇城大学市民ホール 釣り上げた たわし を徳富に手渡す晩年の万次郎を演じる 日野原理事長 (*1) す。村人達の歓迎の中で青年になった万次郎(田尻善裕熊本市議会議員) 「中濱万次郎、日本のために頑張ります」と幕が下 ります。 役者全員が揃って感動のカーテンコール(写真*4)。 私が言うのも自画自賛になりますが、平均年齢78歳の全くの素人高齢者集団、足掛け2年に及ぶ準備と稽古で、出演者 40名、裏方、コーラス担当全部で100名の会員が心を一つにして燃える想いで演じました。その結果、来場の皆様からは温 かい評価を頂きました。日野原先生からも熊本だけでは勿体無いと言われました。正に新老人精神でチャレンジした演劇 でした。 漂流した漁師を子供たちが熱演(*2) 「新老人の会」 熊本支部小山世話人代表は島津斉彬を演じた(*3) フェアヘーブンの町に立って万次郎の心に打たれる 私は万次郎物語を舞台劇にしようとの企画が始まった時から一度はフェアへーブンの町に行きたいと思っていました。 万次郎が暮らしていたかの地の空気を吸って演劇に魂を入れたいと考えたからです。 「万次郎の足跡をたどる旅」の話を聞 いて、応募しました。演劇本番まで2週間しかない、みんなは必死に稽古に励んでいる。私は心を鬼にして飛び立ったので す。 旅の詳細は他の方にお任せして、 フェアへーブンの町に来て得た深い感動をお伝えしたいと思います。 この町に来てここの人たちにこれほどまでに万次郎が敬愛されているのかということに深い感動を覚えました。万次郎 は16歳から正味3年間しかこのフェアヘーブンの町にはいなかったのです。 言葉も分からない異文化の少年が船長さんと その家族、地域の人たちに愛されて過ごした日々を想うとそれは何だったのだろうかという疑問に当たります。第二次世 界大戦の時の米国大統領ルーズベルトの祖父がかの捕鯨船ジョン・ハウランド号の出資者の一人で、孫のルーズベルトに 利発な万次郎を見習いなさいと言っていたという話、その後も万次郎のご子息などと親交があったということも聞きまし た。 メイフラワー号で必死の思いで大西洋を渡って来たアメリカの祖先の苦労とパイオニア精神が16歳の日本人少年に重 偶然に出会った山本一力ご夫妻と友好記念会館前で。山本氏は2010年12月 『ジョン・マン』 を出版された なるものを感じたのかもしれません。 役者全員がそろいカーテンコール (*4) 少年・青年・晩年の万次郎と船長を演じた役者たち
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