聖学院学術情報発信システム : SERVE

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博士学位論文 : 内容の要旨および審査結果の要旨
聖学院大学大学院
第 10 号, 2013 : 19p
http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_i
d=4448
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目
学位記
番号
甲第 22 号
甲第 23 号
学位の
種類
氏名
論文題目
博士
(学術)
さいとう かおる
博士
(学術)
むらかみ じゅんこ
博士
(学術)
のろ ゆうこ
斎藤
次
薫
村上 純子
頁
『アンクル・トムの小屋』が示す天
と地における「ホーム(Home)
」
1
-H.B.ストウと登場人物の歩み
(Progress)を中心にして-
キリスト者の死生観
6
-信仰成熟度の観点から-
詩篇翻訳から『楽園の喪失』へ
乙第5 号
野呂 有子
-「出エジプト」の主題を中心と
して-
13
氏名
斎藤
学位の種類
博
学位記番号
甲第22号
学位授与年月日
2013年3月16日
学位授与の要件
学位規則第4条第1項該当
学位論文題目
論文審査委員
薫
士
(学術)
『アンクル・トムの小屋』が示す天と地における「ホーム(Home)」
-H.B.ストウと登場人物の歩み(Progress)を中心にして-
主
査
古屋
安雄
聖学院大学大学院教授
副
査
森田美千代
聖学院大学大学院教授
副
査
新井
明
聖学院大学大学院教授
副
査
大森
秀子
青山学院大学教授
Ⅰ 論文内容の要旨
ハリエット・ビーチャー・ストウ(Harriet Beecher Stowe,1811-96)の『アンクル・
トムの小屋(Uncle Tom’s Cabin; or, Life Among the Lowly)』は、奴隷制廃止を訴
えた社会小説であると同時に、キリスト教小説でもあると、一般的に言われている。
本論文では、それをさらに特化し、
『アンクル・トムの小屋』の小説は、天における「ホ
ーム(Home)」と地における「ホーム(Home)」が深く関連していることを示す小説で
あることを明らかにしようとするものである。
本論文においては、奴隷制の悪をなくすことを「地における天のホームを作る」と
理解し、将来クリスチャンとして天の国に帰る希望を抱いて生きることを「天のホー
ムに帰る」と言いあらわすことにする。ストウは、地に天のホームを作るには天を思
いながらでなければならず、そのように地に天のホームを作ることなくして、天のホ
ームには帰りつくことはできないと考えていた。
いまひとつの目的は、
『アンクル・トムの小屋』における「トムの精神」が、マーテ
ィン・ルーサー・キング・ジュニアの「非暴力抵抗の思想と運動」に拡大的に受け継
がれていることを指摘することである。
本論文は、ストウの『アンクル・トムの小屋(Uncle Tom’s Cabin; or, Life Among
the Lowly)』を第一次資料とする、文献的研究方法をとる。テキストとして使用する
のは、エリザベス・アモンズ(Elizabeth Ammons )編の、Uncle Tom’s Cabin; or, Life
Among the Lowly(1980)である。翻訳書は大橋吉之助訳(1970 年)と、小林憲二訳(2008
1
年)を使用する。
ほかに、ジョナサン・アラック(Jonathan Arrac)編の Signet Books 版の Preface と
Afterword を、引用文献として使っている。吉田健一訳(1940 年)も、その「解説」
の部分を参照する。
先行研究については、主に以下の資料を参考にする。
ストウの生涯については、ジョゥン・ヘドリック(Joan Hedrick)の Harriet Beecher
Stowe: A Life (1991 )、Charles Edward and Lyman Beecher Stowe の Harriet Beecher
Stowe: The Story of Her Life ( 1911)、三上節子の『悲哀に根ざした愛の教育観:
新渡戸稲造とハリエット・B.ストウの比較研究』、シンディ・ウェインスタイン(Cindy
Weinstein)編の Cambridge Companion to Harriet Beecher Stowe、高野フミ編の「『ア
ンクル・トムの小屋』を読む」などを参考にする。
キリスト教について(天のホームについて)は、野口啓子の「『アンクル・トムの小
屋』とキリスト教」、
古屋安雄の『神の国とキリスト教』などを参考にする。
奴隷制について(地のホームについて)は、ベンジャミン・クォールズ著『アメリ
カ黒人の歴史』、鈴木有郷『アブラハム・リンカンの生涯と信仰』、荒このみ編『アメ
リカ黒人演説集』、フレデリック・ダグラスの Selected Speeches and Writings など
を参考にする。
女性の権利獲得運動については、サラ・エヴァンズ(Sara Evans)の Born for Liberty:
A History of Women in America および小檜山ルイ、竹俣初美、矢口裕人によるその
翻訳書『アメリカの女性の歴史――自由のために生まれて』や、武田貴子、緒方房子、
岩本裕子編著『アメリカ・フェミニズムのパイオニアたち――植民地時代から 1920 年
代まで』や、森田美千代の Horace Bushnell on Women in Nineteenth-Century America
などを参考にする。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアについては、クレイボーン・カーソン
(Clayborne Carson)の The Autobiography of Martin Luther King, Jr. および梶
原寿によるその翻訳書『マーティン・ルーサー・キング自伝』と、マルコム X による
『自伝』などを参考にする。
ハリエット・ビーチャー・ストウ(Harriet Beecher Stowe)の A Key to Uncle Tom’s
Cabin; Facts and Documents upon which
the Story is Founded, together with
Corroborative Statements Verifying the Truth of the Work やデイヴィッド・S.レ
ノルズ(David S. Reynolds)の Mightier than the Sword は、『アンクル・トムの小屋』
の登場人物や、ストウ、時代背景などを知る上での資料となる。
本論文の構成は、以下のとおりである。
第1章「ハリエット・ビーチャー・ストウ」では、ストウの生涯をたどり、当時女
性が置かれていた立場を示す。ストウは、奴隷制は神の目から見た罪であると考える。
すなわち、ストウは、奴隷制は天のホームから見た罪であると考える。それと同時に、
2
ストウは、天のホームは、地における天のホームを作らなければ凱旋することができ
ない所であると考える。第1章では、それら両者の関連を論じる。
第2章「トムが示す天と地における『ホーム(Home)』」では、トムがシェルビー農
園からセント・クレア家へ、そしてレグリー農園へと売られていく人生をたどる。ト
ムは、人と神をつなぐ仲介者の役割を果たし、彼の死は、キリストの犠牲の死にもな
ぞらえられる。第 2 章では、そのことを論証する。
第 3 章「エヴァが示す天と地における『ホーム(Home)』」では、天使のように生き
て死んだエヴァについて考察する。エヴァは、愛の力によって周囲の人々を感化する
が、夭折する。しかし、後に残された人たちの心に大きな影響を与えた。
第4章「セント・クレアが示す天と地における『ホーム(Home)』」では、奴隷たち
に親切な「理想の」主人として描かれながら、
「悩み多きハムレット」とも評されるオ
ーガスティン・セント・クレアについて考察する。彼は、信仰がもてないという、現
代人にも通じる悩みに苦しむ。面倒なことは「見ないふり」をして、解決を後回しに
する。そのようなことがどんな結果をもたらすのか。最終的に彼は天のホームに帰る
ことができたのか。それらのことについて検証する。
第5章「ジョージ・ハリスとエライザが示す天と地における『ホーム(Home)』」で
は、エミリー・シェルビーから教育を受けて、信仰ももっているエライザから影響を
受けたジョージが、最後には信仰に導かれ、キリスト教の教師として「母の国」リベ
リアに赴く。そのプロセスを検証する。
第 6 章「サイモン・レグリーが示す天と地における『ホーム(Home)』」では、トム
の最後の所有者、レグリーについて検証する。トムを死に追いやってしまうレグリー
は、天と地における「ホーム」に背を向けて生きた人物であることを示す。
第7章「『アンクル・トムの小屋』の現代的意義」では、公民権運動の指導者マーテ
ィン・ルーサー・キング・ジュニアの生き方、運動の原理と方法は、本人には認識は
なかったものの、トムの精神を実践したといえるのではないだろうかと、結論付ける。
結論 『アンクル・トムの小屋』が世に問われた 1850 年前後、奴隷解放運動は盛ん
に行われていた。ストウがユニークだったのは、ただ単に奴隷たちを解放すれば良い
と考えていなかったことである。ストウの場合、奴隷解放運動(地における改革)は、
常に天のホームへの歩みと結びついていたのである。それゆえ、『アンクル・トムの
小屋』は、社会小説であるのみならずキリスト教小説でもあり、逆に、キリスト教小
説であるのみならず社会小説でもある。その両者が切り離せないほど密接に関連して
いると、結論できるであろう。
補章「日本における『アンクル・トムの小屋』の受容」では、
『アンクル・トムの小
屋』の作品が日本では、主に児童文学として受容されてきたことを指摘し、そのうえ
で、児童文学書として受容・翻案された作品のうちの何冊かを取り上げ、それらの作
品の中にキリスト教の要素がどのくらい残っているのかを、検証する。
3
Ⅱ 論文審査結果の要旨
審査委員全員、以下の2点において、本論文の独自性を認めた。
第1点は、題目に示されている如く、著者 H.B.ストウと登場人物の歩みを通して、
天と地における「ホーム(Home)」の問題を取り上げたことである。イエスの神の国(天
の国)における「ホーム」に注目し、奴隷制の悪をなくすことを、
「地における天のホ
ームを作る」と理解し、地に天のホームを作ることなくして、天のホームに帰りつく
ことは出来ないと考えていた。
「ホーム」が単なる「夢物語」ではなく、地上にも実現
されるべきものとしてとらえた点である。奴隷制に反対したストウが、クエーカー派
の人々の「ホーム」に其れを発見したのであった。
エライザとジョージという逃亡奴隷を迎えたクエーカー派のハリディ一家と一緒に
食卓を囲んだジョージが「これこそ本当にホームというものだ」と言ったのは、スト
ウと登場人物の「ホーム」理解であろう。
第2点は、公民権運動の M.L.キング自身のアンクル・トム観が「白人に媚びる」と
いう通俗的な見方であったのに対して、実際のキングは、トムの非暴力の実践者であ
った、という点である。この点は、まだ必ずしもキング研究者に浸透していないが、
将来必ず認められるであろう。この点は、我が国の翻訳者の一人、大橋吉之助やデイ
ビィッド・レノルズなどが気のついたことである。
特に、キングの有名な「私には夢がある」演説は、
「黒い手も白い手も、対等に握り
合わされる」というストウの夢の実現である。キングは知らずして「アンクル・トム」
を夢見たのであった。換言すれば、ストウはキングを生み出したのである。この点も、
まだ我が国のキング研究者の共通理解になっていないが、まもなくそうなるであろう。
アメリカ文学の一研究者の問題提起が、アメリカ研究に問題提起をした一例である。
なお、次のような意見も出されたので、それを記しておく。
斎藤氏は、原題の“Cabin”という語と、それが“Life among the Lowly”という副題
をもつことに着眼した。主人公 Tom は、
“lowly”な人々のなかで、みずから最も“lowly”
な生き方を生き、また死んでゆく。つねに念頭にあったのは、罪びとの救いを祈りつづけ、
しかも磔刑に処された貧しきイエスの姿であった。トムの“cabin”はそのイエスを仰ぐ、
こころ“lowly”な人々の集いうる「エクレシア」、つまり“home”であった。そこには愛
と平安があった。
また、クエーカーの一家が逃亡奴隷に宿と食事を与えたこと、およびセント・クレア家
の娘エヴァの生贄を思わせる死は、貧しきトムの「天への巡礼」途上での、重要な指針と
なるものである。これらの出来事はこの世の曠野に、創造主の――愛と平安の――意図が働
いていて、すでに「天国」の前取りの事実が存することを示して、この作品全体の要とな
っている。それが Stowe の暗示的主張であった。斎藤氏はこうしてこの作品に、批評論
4
で言うところの「テーマと構造」を見出し、作品の統一性を擁護している。
本論文の評価できる点は、以下の通りである。
第一に、天におけるホームと地におけるホームとの関連性の分析の軸を、アメリカキリ
スト教思想の根底に流れる、血による贖いに置き、それがアメリカ社会再生の動因となっ
たことを鮮やかに論じた点である。
第二に、
『アンクル・トムの小屋』のキリスト教文学としての価値を、聖書のテクストに
即して、登場人物の言動を解釈した箇所が随所に認められる点である。
第三に、ストウの教育による人間変革の視点を筆者が打ち出している点である。具体的
に、基本的人権としての教育が地における天のホームを作るのに不可欠であること、又、
キリスト教的人格の感化が恩寵の連鎖を引き起こし、他者の内的変容をもたらすことが解
明された点である。
本論文は、論理的・体系的・求心的論文ではない。しかしこのことは、本論文の短所を
示すものではない。むしろ、本論文の長所とみなしてよいのではないかと考える。博士論
文としてはあまり前例がない書き方であるが、こういう書き方もあっていいのではないか
と思う。
斎藤氏は2013年1月16日に博士論文予備審査に合格し、2月21日の博士論
文審査および最終試験に進んだ。審査委員一同は、博士論文審査および最終試験にお
いて本論文を博士の学位を授与するに相応しい業績であると判断して、これを合格と
した。
2013年3月13日、本大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科委員会は斎藤
氏への博士学位記の授与を承認した。
(論文審査委員:主査・古屋安雄、副査・森田美千代、副査・新井明、副査・大森秀子)
5
氏名
村上
学位の種類
博
学位記番号
甲第23号
学位授与年月日
2013年3月16日
学位授与の要件
学位論文題目
学位規則第4条第1項該当
キリスト者の死生観
-信仰成熟度の観点から-
主 査
平山 正実
聖学院大学大学院教授
副
査
松原
望
聖学院大学大学院教授
副
査
高橋
義文
聖学院大学大学院教授
副
査
賀来
周一
元ルーテル学院大学教授
論文審査委員
純子
士
(学術)
Ⅰ 論文内容の要旨
本研究は、キリスト教信仰を持つ人々(以下、キリスト者)の死生学研究である。
キリスト教的死生学はその独自の世界観、価値観の中で、一つの研究分野として成立
していると考えられ、その研究を進めることは、人はいかに生きるべきかという、人
間の根本的な問いに迫る重要な課題であると考える。
本研究の調査目的は、キリスト者の信仰とその成熟度が、死生観にどのように影響
しているのかを量的に調査することであり、この目的に基づいて 3 つの質問紙調査を
行った。
調査Ⅰは、一般大学の学生 463 名(男性 304 名、女性 159 名)を調査対象として死
観尺度を用いて調査を行い、宗教の有無によって、死観(死の捉え方)に差がみられ
るかどうかを調査した。その結果、宗教別男女別の群において、死観尺度に有意差が
現れた。
概して、キリスト教群は男女ともに“浄福な来世”を信じる傾向にあった。これは
キリスト教にとって、「天国」の教義が、教派や教団の違いはあっても、キリスト教と
してある程度共通理解のある事柄であることを示唆していると考えられた。さらに、
男性では“浄福な来世”以外の宗教間の差は見られなかったが、女性では、キリスト
教群女性は比較的死を楽観的に捉える傾向にあり、仏教群女性と無宗教群女性は“浄
福な来世”を信じず、死を“挫折と別離”、“苦しみと孤独”と捉えているという結果
になり、宗教間の差が見られた。
希死願望に関しては、女性の方が男性よりも高い得点を示していた。しかし宗教別
6
では、無宗教群、仏教群ではその傾向が認められたが、キリスト教群では男女間の有
意差は認められなかった。つまり、単純に男性よりも女性の方に希死年慮が多いので
はなく、ここでも宗教による違いが現れた結果となった。
調査Ⅱでは、宗教の有無が死観のみならず、生と死の捉え方や生き方に影響を与え
るものであるかを検討するために、一般大学の学生 330 名(男性 217 名、女性 113 名)
を調査対象として、死観尺度と生き方尺度を用いて調査を行なった。その結果、男女
差と共に、宗教の有無によって死観尺度、希死願望、生き方尺度に差が現れた。宗教
別に見ると、ぞれぞれの群の特徴や傾向が現れており、宗教がその人の死生観に何ら
かの影響を与える要因であることが示唆された。
キリスト教群は男女差が少なく、概して男女共に“浄福な来世”を信じ、死を楽観
的に捉え、自分をより良くしようと努力し、自分と他者を大切にして生きているとい
える。特に女性は、他宗教群の女性と比較した場合に、その傾向が強く現れていた。
仏教群男性は、
“浄福な来世”を信じて、他のグループよりも、自分のやることに最
善を尽くし、自分の良い面を伸ばそうとし、自分と他者を大切にして生きているが、
希死願望はやや強かった。それに対して仏教群女性は、死を苦しみや孤独と捉える傾
向にあり、自分をより良くしようとする反面、過去にこだわる傾向があり、希死願望
も強かった。
無宗教群男性は、比較的“浄福な来世”を信じておらず、積極的な生き方をするわ
けでもなく、かといって死に対して悲観的になっているわけでもなかった。無宗教群
女性は、死を“苦しみと孤独”“挫折と別離”と捉える傾向にあり、希死願望も強く、
他のグループと比べると、自分を良くしていこう、あるいは自分と他者を大切にしよ
うとする部分は低く、過去にこだわる傾向が見られた。
また死観尺度と生き方尺度の相関係数からも、宗教を持つ人と持たない人の間に違
いが見られた。すなわち無宗教群のみが「死を“苦しみ”や“孤独”であると感じて
いるから来世に希望を持つ」、あるいは「来世を信じてはいるが、死は苦しくて孤独な
ものである」と感じていた。さらに無宗教群の中で積極的に生きようとする人ほど、
「死を自分の可能性を奪う否定的なものとして捉える」、あるいは「死を否定的なもの
として捉えるからこそ今を大切に生きようとする」姿勢を示す傾向にあった。また無
宗教群は、死にたいと思う人ほど過去にこだわる傾向、または過去にこだわり、そこ
から逃れる手段として死を選びたがる傾向が認められた。このように、死の否定的な
側面だけを強調して捉える、あるいは死を現実からの逃げ道として考える死生観は、
心理社会的には未発達な死の捉え方であるといえよう。その点、キリスト教群と仏教
群ではその傾向が見られず、本調査では、宗教がより健全に発達した死生観、すなわ
ち「死をただ否定的に捉えるのではなく、肯定的に受け止めつつ、死があるからこそ
生を大切にする」という、積極的に自分の生を全うする態度につながる死生観の形成
に、何らかの役割を果たしているという結論を得た。
調査ⅠとⅡをふまえ、調査Ⅲは、キリスト者のもつ信仰が死生観にどのように影響
7
しているのか、キリスト者の成熟度と死生観の関連性を検定、検討する目的で、日本
人キリスト者およびキリスト教に親和的な人 354 名(男性 125 名、女性 229 名)を対
象に行われた。調査には、先行研究で多く用いられ、比較的死生観に影響を与えると
思われる内発的・外発的宗教尺度、および調査Ⅰ、Ⅱで使用した死観尺度、生き方尺
度を用いた。
まず因子分析によって、各心理尺度を日本人キリスト者向けに心理尺度を構成し直
し、キリスト者の死観尺度と生き方尺度の尺度構成を行った。その結果、信頼性と妥
当性を得られたと仮定できた内発性・外発性宗教尺度、およびキリスト者の死観尺度、
生き方尺度を用いて、キリスト者の成熟度と死生観との関連性を検証した。
本研究では、心理的側面から、成熟したキリスト者とは、
「神、他者、自分に対して
調和した関係を築いている者である」と考え、その尺度として、神との調和した関係
の尺度を内発的・外発的宗教尺度の“内発性”、他者との調和した関係の尺度を生き方
尺度の“自他共存”、自己との調和した関係の尺度を生き方尺度の“こだわりのなさ”
とした。この 3 下位尺度の間には相関関係が確認されており、本研究において、これ
らをキリスト者の成熟度の尺度として利用することに、ある程度の妥当性が得ること
ができた。
内発性・外発性宗教尺度と死観尺度の検定結果、および生き方尺度と死観尺度の検定
結果から、内発的・外発的宗教性と生き方、および死観は密接に関係していることが
わかった。
すなわち、
“内発性”の高い人は、神との関係を大切にし、自分と他者を大切にする
生き方をしており、死を肯定的に捉えつつ、過去や失敗にとらわれずに積極的に生き
る姿勢を示していた。
一方、外発的宗教性の中でも“個人的外発性”の高い人は、過去や失敗にこだわる
傾向や、他者との別離や挫折など、死に対する否定的なイメージを持つ傾向にあった。
これらの人々は、自分ではどうにもできないことに対処しようとして、信仰によって、
あるいは死に希望を見出すことで、慰めや安心感などを得ようとするのではないかと
考えられた。
外発的宗教性の中で“倫理的外発性”の高い人、すなわち宗教を倫理道徳的なツー
ルとしている人にとっては、死は他者との別離、挫折であり、未知と終焉であるから
こそ、教義的な捉え方で死を希望的に受容しようとするのではないかと推測された。
これらの人々は、信仰を自らの生き方の指針、あるいは倫理的な判断の基準として捉
え、それに基づいて生きようとしていると考えられた。
また生き方尺度の“自己の向上”が高く、自分自身の向上を目指す人は、“内発性”
と共に“倫理的外発性”も高く、死を希望的に捉えながらも、死が“終わり”であり、
自己の可能性を奪うものであるという否定的な捉え方も併せ持ち、死に対して両価的
な感情を持っていた。
外発的宗教性の中でも“社会的外発性”の高い人は、宗教や礼拝に人との出会いや
8
関わりを求める人であり、死を“他者との別離、挫折”という側面から捉える傾向に
あった。
このように内発的・外発的宗教性と死生観は関連しており、内発的宗教性の高い人
は、神、自分、他者との関係を大切にし、死も生も肯定的に受け止めていたが、外発
的宗教性が高い人は、過去や失敗にこだわる傾向があったり、死を否定的に捉えてい
たり、あるいは死に対して両価的な感情を持っていたりするなど、生と死の両方に対
して肯定的で積極的であるとはいえなかった。これらのことから、“内発性”“自他共
存”
“こだわりのなさ”というキリスト者の成熟度の指標が高かった人、すなわちキリ
スト者として成熟していると考えられる人は、より健全な死生観を持っており、「神、
他者、そして自分との関係を修復し、より良い関係を築いていくという、神が本来造
られた人間の姿を保ちつつ、自らに与えられているこの世での時間を意識し、死とそ
の先にある永遠の命に向かって歩む」生き方をしているということが示唆された。
キリスト者であるということは、自らの死を受け止めて、生を十分に生きていくた
めの「初めの一歩」であるが、そこが終着点ではない。そこからさらにキリスト者と
しての成長を重ね、神、他者、自分との良い関係を築き、成熟していくことで、“死”
をいたずらに恐れるのではなく、自らの有限性を意識した上で、与えられている“生”
を生き抜くという「質の高い生き方」をすることができる。あるいは逆の言い方をす
れば、自分の有限性を知り、受け入れることで、キリスト者として成熟していくこと
ができる。神と自分と他者を大切にして生きることが、自らの死を意識し、受け入れ
ていくことにつながり、信仰の成熟は、より健全に発達した死生観につながっていく
と考えられる。
成熟のためには年齢も大きな要素であるが、すべてではない。むしろ自分の有限性
をさまざまな場面で意識することや、自分がいつ死んでもいいように心の準備を重ね
ていくことが重要である。そのことがキリスト者としての「質の高い生き方」につな
がるといえよう。そのためには、礼拝の説教(メッセージ)やキリスト者の交わりの
中で、
“死”や“天国”について語る場を設けたり、教会での葬儀や記念会などの機会
を生かしたり、信徒の教育的プログラムの中に「自らの死の準備をする」あるいは「脳
死、臓器移植、病名告知、延命措置、積極的安楽死」といった啓発的なテーマを取り
入れたりすることが有効なのではないかと思われる。
本研究の意義は、①I/E-R scales(内発的宗教性・外発的宗教性の心理尺度)を邦訳、
尺度構成し、日本人キリスト者対象の内発的・外発的宗教尺度を作成したこと、②死
観尺度、および生き方尺度に因子分析をかけて、キリスト者対象に尺度構成しなおし
たこと、③キリスト者の成熟度という観点から死生観を捉えたこと、にあると考える。
日本人キリスト者の心理学的研究は数が少なく、これから発展が望まれる分野であ
る。日本においてもキリスト教の心理学的研究が今後さらに発展することを期待する。
9
Ⅱ 論文審査結果の要旨
1.村上純子氏の博士学位請求論文「キリスト者の死生観―信仰成熟度の観点から―」
(以下村上論文とする)の審査は、主査・平山正実(聖学院大学大学院教授)、副査・
高橋義文(聖学院大学大学院教授)、副査・松原望(聖学院大学大学院教授)、副査・
賀来周一(元ルーテル学院大学教授)の4名により、2013 年 2 月 28 日、提出論文を
もとに口頭面接を行い審査の結果、この村上論文を全員一致で本大学院アメリカ・ヨ
ーロッパ文化研究科博士課程の学位規程による博士学位論文として適切であることを
認めた。
2.村上論文の意味
臨床心理学の視点に立った日本のキリスト者の死生観に関する研究は、これまで先
行研究がほとんどなく、この論文は日本の臨床死生学の歴史の上に、貴重な一石を投
ずることになろう。
キリスト教は、独自の死観、死後観、人生観、価値観をもっており、これまで、こ
れらの諸問題に関して、聖書学、神学、歴史学、哲学、社会学、キリスト教学などの
学問を援用し、解明しようとする試みが、積み重ねられてきた。しかし、冒頭でも述
べたように、臨床心理学及び宗教心理学の立場から、死の問題を取り扱った研究は少
なく、この研究を土台に、さまざまな臨床場面においてキリスト教カウンセリングが
新しい展開をみせることが期待される。
3.研究の方法論及び問題意識の特徴
本論文の研究を進めるにあたって、I/E‐R scales (内発的宗教性・外発的宗教性)
の心理尺度及び死観尺度ならびに生き方尺度を、それぞれ日本のキリスト者を対象に
再構成しなおし調査しているところに工夫と独創性がみられる。
また、本論文では、日本人のキリスト者と仏教者、および無神論者の三群を設定、
死生観と死後観の比較を行っている。
さらに、キリスト者の成熟度という観点から、死生観を捉えようとした点は、日本
において、先駆的な論文であると考えられる。
4.本論文によって得られた結果
とくに本論文による調査結果によって、明らかになった点は、以下二つに分けられ
る。
(a)キリスト教群と無宗教群との比較
キリスト者群は、概して“浄福な来世”を信じ、死を楽観的に捉え、自分をより良く
しようと努力し、自分と他者とを大切にして生きようとしているという結果を出して
いる。
他方、無宗教群では、
「死を“苦しみ”や“孤独”であると感じており」しかも「死
を自分の可能性を奪う否定的なものとして捉える」
「死にたいと思う人ほど過去にこだ
わる傾向」
「そこから逃れる手段として死を選びたがる傾向が認められた」としている。
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このように、キリスト教群と無宗教群の二群で死生観や死後観を比較してみると大
きな差があるという結果を、この論文は導き出している。
(b)キリスト者の成熟度と死生観との関係
この論文では、内発的宗教性の高い人は、神との関係を大切にし、自分も他人をも
大切にする生き方をしており、死を肯定的に捉えつつ、過去や失敗にとらわれずに積
極的に生きる姿勢を示すとしている。他方、外発的宗教性の高い人は、過去や失敗に
こだわる傾向があったり、死を否定的に捉えていたり、あるいは、死に対して両価的
な感情を持ったりするなど、生と死の両方に対して肯定的で積極的であるとはいえな
いと結論づけている。
つまり、この論文では、内発的宗教性の高い人の方が、自他共存、こだわりのなさ、
死の肯定、神を積極的受容する能力等をもっており、従って、成熟度が高く、より健
全な死生観をもっているとしている。
5.牧会カウンセリング及び実践神学への貢献
この論文が、牧会カウンセリング及び実践神学に対して貢献すべき点について言及
しておく。
われわれが、人生の途上において体験する最も大きな危機は死である。このような
局面に遭遇している人の不安は、大きい。キリスト者であってもそれは例外ではない。
今後、日本の社会においては、不治の難病患者、災害死や事故死、末期患者、自殺念
慮をもつ者、身内や親しい人を亡くした遺族、長期にわたる胃瘻増設者、高齢の人工
透析患者などが益々増加するものと思われる。このような状況の中で、本論文のよう
な知見を踏まえて、キリスト教ないし牧会カウンセリングを行える者が増えるならば、
社会に貢献するところが大きいと思われる。
6.村上論文の評価と執筆者に審査員一同が今後期待すること
この論文は、聖学院大学大学院博士(学術)学位に相応しいものであることは、審
査員の一致した意見である。そのことを踏まえた上で、4人の審査委員から出された
いくつかの問題点を若干まとめて以下に記載する。今後、これらの諸点に関する学的
精査をさらに加え、研究を発展させることを期待したい。
(a)主題に関して尺度を構成したうえで、t検定による統計的検証、因子分析を行う
など、統計的実証の手続きはほぼ完全に行っている。ただし、サンプルのバイアス、
交絡要因考慮(大学生への限定)などの点は抜けている。とは言え、大学院生にはこ
れ以上のサンプルは無理であろう。また「仏教徒」という日本人の意識はどの程度の
認識であるかの議論も抜けている。
(b)「死生学」「キリスト者」「キリスト者の成熟」等は、もっと厳密な規定が必要で
ある。もっとも、これらの概念を学術的に規定すること自体、困難な課題であろうが、
そのことに関する自覚とそれへの言及があってしかるべきであった。
11
(c)村上論文では、
「死」と人間の命の有限性との関連について再三述べられている
が、キリスト教的には、死は呪いであり罪であるとされる。この点に関する考察を加
えてほしかった。
(d)著者は、本論文の中で、死の不安は人格の成熟とは一致しないと述べている。な
ぜ一致しないかという理由は書かれていない。この点は、臨床心理士、牧会カウンセ
ラーを目指す者にとって、解明すべき事柄であろう。
(e)村上論文では、内発的宗教性の高い人の方が、外発的宗教性の高い人より、成熟
度が高いと結論づけているが、「内発」「外発」といった定義の吟味や双方を統合する
必要性に関する議論が抜けていると思われるので、さらに、今後この点についても、
学的精査を加えてほしい。
村上氏は2013年1月16日に博士論文予備審査に合格し、2月28日の博士論
文審査および最終試験に進んだ。審査委員一同は、博士論文審査および最終試験にお
いて本論文を博士の学位を授与するに相応しい業績であると判断して、これを合格と
した。
2013年3月13日、本大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科委員会は村上
純子氏への博士学位記の授与を承認した。
(論文審査委員:主査・平山正実、副査・松原望、副査・高橋義文、副査・賀来周一)
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氏名
野呂
有子
学位の種類
博
学位記番号
乙第5号
学位授与年月日
2013年3月16日
学位授与の要件
学位規則第4条第2項該当
学位論文題目
詩篇翻訳から『楽園の喪失』へ
―「出エジプト」の主題を中心として-
論文審査委員
主
査
新井
明
聖学院大学大学院教授
副
査
大木
英夫
聖学院大学大学院教授
副
査
田中
浩
聖学院大学大学院教授
副
査
泉谷周三郎
横浜国立大学名誉教授
士
(学術)
Ⅰ 論文内容の要旨
学位申請者、野呂有子は、1975年4月に東京教育大学大学院文学研究科修士課程に入
学し、日本のミルトン研究の代表者の一人であると目される、新井明博士の指導のも
とで、ミルトン研究を開始し、現在に至るまで、研究を続けてきた。
論者が学問研究と人生における生涯の師と仰ぐ、新井明博士は常々、日本のミルト
ン研究における、ミルトンの翻訳詩篇の研究を進めることの重要性を口にしておられ
た。そして、博士はミルトンの詩篇研究のパイオニアとしての斎藤康代東京女子大学
名誉教授の論考を高く評価しておられた。それは論者もまた、ミルトンの詩篇研究を
行うように、という新井博士からの促しであったように思う。新井博士は、論者がキ
リスト教の基本的知識に欠けるがゆえに、ミルトン作品の読みにおいて足らざる部分
を補うようにとの配慮から、ミルトンの詩篇研究を論者に勧めていて下さったのだ、
と思う。ゆえに、本論考のテーマである「ミルトンの詩篇韻文翻訳と『楽園の喪失』
の関係性」というテーマを与え、論者にキリスト教精神の精髄に対する蒙を啓く機会
を与えてくださったものと考える。
ミルトン作品において、論者に最も欠けていた基本的知識とは、「祈り」の問題で
あったのではないか。「祈り」とは、神との対話であり、祈る者に深く内省する機会
を与えてくれる神の恵みである。そもそも、祈りそのものが神の恵みであり、神の恵
みがあればこそ祈りのつとめが可能となるのである。それゆえ、詩篇作者たちは、お
のおのの祈りの中で、「神はわが祈りを聞き届けてくださった」と確信する。祈りの
ことばが口から出るということは、神が祈ることを許してくださったからであり、誠
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の心から出た祈りは必ず神のもとに届くという、ヘブライの人々、そしてそれを継承
したキリスト教徒の人々の揺るぎない、神への信仰と信頼をそこに見ることができる
のである。
「詩篇」の一篇一篇は、詩篇を創作した詩人の深い心の動きから出た祈りである。
それらは、通常の文学的作品と比較すれば、極めて短いものであるが、一つ一つが作
品としてのまとまりを持ち、明白な主題をもっている。そして、それらは、人間の嘆
きや怒り、喜びや苦しみを扱いながらも、そのすべてが神への祈りである、という一
点ですべて繋がっているからである。その背後には、まず、神に祈りを捧げることそ
れ自体が、神からの恵みによるものなのである、というユダヤ・キリスト教の根本思
想が脈々と息づいていると考えられる。
ミルトンが実際に公にした詩篇を分析・考察して、それらがどのようにして、『楽
園の喪失』の一部として機能しているか、その「基本部分」を明らかにするというの
が本論考の試みである。
パラフレイズ
ミルトンが 翻 訳 した詩篇は、英語訳詩篇十九篇と希臘語訳詩篇114篇一篇からなる
計二十篇が残されている。その内の二篇、英語訳詩篇114篇と136篇、そしてギリシア
語翻訳詩篇114篇は、ミルトンが1646年1月に出版した『第一詩集』に収録されている。
パラフレイズ
英語翻訳詩篇114篇と136篇は詩人が十五歳の時に 翻 訳 したものである、と説明され
パラフレイズ
ている。また、ギリシア語翻訳詩篇114篇はミルトンが二十五歳の時に 翻 訳 した。そ
パラフレイズ
の他の 翻 訳 詩篇全十七篇は、ミルトンが1673年に出版した『第二詩集』に、先の『第
パラフレイズ
一詩集』で掲載された詩群と併せて収録されている。翻 訳 詩篇80~88篇の計九篇は、
1648 年の春に続けて英訳し、英語訳詩篇2~8篇の計七篇は、1653年夏に続けて一週間
ほどで英訳したと、ミルトン自身が注記を施している。(詩篇1篇の英語訳作業につい
ては、ミルトンは日付を付していない。)
パラフレイズ
パラフレイズ
合計で二十篇(英語 翻 訳 十九篇と希臘語 翻 訳 一篇)という数は、「詩篇」が全
体で百五十篇から成ることを考えれば、決して多い数とは言えない。しかし、これら
二十篇の詩篇群は、ミルトンにとって(そして彼の母国英国にとって)節目となると
パラフレイズ
考えられる時に 翻 訳 されていると考えられる。これを受けて、斎藤康代教授の論考
では、ミルトンの詩篇作成を四つの時期に分けて論が展開されている。
本論考では、第1部においてミルトンの詩篇翻訳を四つの時期に分けて論じる。こ
れは斎藤康代教授の区分に従ったものである。
第2部においては、ミルトンの散文作品と詩篇の関係を考察する。主な考察対象は、
『教会統治の理由』(1642)、『偶像破壊者』(1649)、『イングランド国民のため
の第一弁護論』(1651)、『イングランド国民のための第二弁護論』(1654)の四つ
である。これらの散文作品中にミルトンの詩篇についての見解や反響を確認し検討す
ることによって、実り多き研究成果が得られる可能性が高いと考えられるからである。
第3部においては、『楽園の喪失』と詩篇の関係を考察する。主な考察対象は第一
14
巻で扱われる地獄のサタンと配下の反逆天使たちの登場する場面、第五巻で扱われる
熾天使アブディエルの登場する場面、第六巻で扱われる御子が反逆天使たちを天から
追放する場面、そして、第十二巻最終部の楽園追放の場面である。
副題にある、「出エジプト」の主題とは、神の導きを受けて、モーセを筆頭とする
ヘブライの民が、紅海を横切ってエジプトから脱出したことを中心とするテーマを指
している。
今年、鬼籍に入った、ミルトン研究の泰斗、John Shawcross は、研究論文や注釈の
中で精力的に『楽園の喪失』における“the theme of Exodus”(「出エジプト」のテ
ーマ)の重要性を明らかにし続けた。それは、すべてのクリスチャンにとって、新たな
精神的誕生、すなわち再生を象徴するテーマであるという。さらに、出エジプト後の
四十年に及ぶ荒野での彷徨とその後の約束の地の授与は、出エジプトを通して神より
与えられた新たな生を新たに生きる長い成長の段階に喩えられると言う。楽園追放後、
人類は、こうした「出エジプト」→「荒野での長き彷徨」→「神による約束の地の授
与」という道筋を繰り返し歩み続けることによって、やがては、来るべき神の王国(新
たな楽園)に入ることができるのである。このことを明らかにするために、『楽園の
バリエーション
喪失』には、出エジプトのテーマが多種多様な 類 型 の形で繰り返し語られている、
とShawcross は主張する。
このことはアダムとイヴの場合にも例外ではない。第十二巻の、アダムとイヴが大
天使ミカエルにより楽園から追放される場面には、明らかに出エジプトのイメージが
反響している、とShawcross は言う。そして、それまで『楽園の喪失』において繰り
バリエーション
返されてきた様々な出エジプトのイメージの 類 型 はすべて、最終的には第十二巻の
楽園追放の場面に収斂され、クライマックスを迎えることになる。
また、旧約聖書「出エジプト記」の中心的テーマである、イスラエルの民の紅海通
過の物語は、それ自体独立した形で『楽園の喪失』第十二巻156行~260行で大天使ミ
カエルの口を通して、アダムに語られている。それについては、第十二巻全649行中、
100行強が割かれている。「出エジプト」の物語と対をなすと考えられる、第十一巻で
語られる「ノアの方舟と洪水」の物語が第十一巻全901行中、60行強が割かれているこ
とと照らし併せてみても、その比重の大きさが明らかである。
本論考では、ミルトンの処女作の最初の一つである詩篇114篇英語翻訳が、まさに「出
エジプト」の主題を扱っていること、やはり処女作である詩篇136篇英語翻訳でも、や
はり「出エジプト」の主題が扱われていること、そして十年後にミルトンが再度、詩
篇114 篇を題材としてヘブライ語からギリシア語に翻訳していることに特に注目して
考察を行う。(これは、Shawcross の研究において十分に論じられているとは言い難
い。)そして、第Ⅲ期の詩篇80篇から88篇を考察する際にも、第Ⅳ期の詩篇1篇から8
篇を考察する際にも、出エジプトの主題を一つの視点として採用する。また、第Ⅲ期
及び第Ⅳ期の詩篇翻訳に関しては、
『楽園の喪失』の他の場面や人物等の造形の際に、
15
その萌芽として認められる箇所にも注目して考察を行う。
第2部「詩篇と散文作品」においては、詩篇に対するミルトンの言及と見解、さら
に詩篇の詩行が具体的に散文作品中でどのように扱われているかを中心に考察する。
その際に、出エジプトの主題も一つの視点として採用する。
第3部「『楽園の喪失』における出エジプトの主題」においては、「出エジプト」
の主題が特に重要な機能を果たしていると考えられる、第一巻の地獄の場面、第五巻
の熾天使アブディエルの場面、第六巻の御子による反逆天使追討の場面、そして、第
十二巻最終部の楽園追放の場面について、出エジプトのテーマがいかなる詩的効果を
醸し出しているかを中心に考察を加える。
16
Ⅱ 論文審査結果の要旨
野呂有子氏の論文は、ミルトンは『楽園の喪失』Paradise Lost
(1667 年)
の完成のためには、準備期をいれると、主題とその表現法にかんして、ほぼ半世紀に
ちかい歳月を費やしたことを明らかにした労作である。
ミルトンはその第一『詩集』(1645 年 [現代流で 1646 年 1 月] ) の冒頭に「詩篇 第
114 篇」と「第 136 篇」の私訳を載せている。15 歳のときの作であると明記している。
この二作はイスラエルの民が、モーセに率いられてエジプト脱出を敢行し、苦難をへ
て、約束の地に到着するテーマを扱っている。この『詩集』の出版の時期は、クロム
ウェル主導の反国教会主義が高まり、大主教ロードが処刑され、クロムウェル指揮下
のニュー・モデル軍がネイズビ―の合戦で国王軍を破り、やがてはチャールズ一世の
処刑が敢行される。共和政国家の誕生にむかって国運を左右する大事件が集中的に起
きた時期であった。『1645 年詩集』の発刊はイングランド国民にたいして、その進み
ゆくべき道を示す意図をもつ詩集、いわば門出の狼煙であった。彼の詩篇翻案はさら
に続く。
ミルトンはこの時期に『教会統治の理由』(1642 年)、
『国王と為政者の在任権』(1649
年)、
『イングランド国民のための第一弁護論』(1651 年)、
『第二弁護論』(1654 年)な
ど、重要な散文論考を発表する。野呂氏はこれら諸論文の研究者・翻訳者であり、ミ
ルトンの翻訳詩篇に現われる思想・ことば・主張が上記諸散文に生きている実態を探
り出し、そしてやがては晩年の大作『楽園の喪失』に凝集するに至る事実を明らかに
する。
出エジプトの際に指揮者モーセが放ったことば、
「エホバ汝らのために戦いたまわん。
汝らは静まりてあるべし」
“Stand still”は、悪魔軍を相手に「耐えて」、一人立つア
ブディエルに求められた姿である。それはすなわち王党派と対峙した 、議会派の論客
ミルトンが「曠野」に一人「立つ」姿とも重なる。その時期はミルトン自身、個人的
にも、深刻な「荒野」体験――両眼失明、妻と子の死、など――を課される。つまり
アダムとエバ同様に「荒野」に追われる。その「荒野」で神の「摂理」に依る「新た
な出エジプト」体験に預かり、初めて 「詩人は再生する」 というのが、野呂氏の新理
解である。ここにはすでに『楽園の喪失』のテーマが出ているという主張である。
ミルトン研究においてこの詩人初期の「詩篇」翻訳の作業が、その後の詩人の歩み
を決め、彼のテーマ、技法、ことばを肥やしたつづけ、半世紀ほどを経て、ついには
『楽園の喪失』を生む基盤を築くにまで至った事実を、野呂氏は論証する。
『楽園の喪失』の口述は、1660 年の王政復古の前に始められ、その後に完成する。
この時期は共和政の瓦解と、その直後である。共和政に未来を託した共和主義者たち
にとっては、まさに 「エジプト記的な砂漠」 に突き落とされたことになる。しかしミ
ルトンの主人公はその 「荒野」 のなかでこそ、創造主の救いの「摂理」に出会うこと
17
になる。つまり詩人は読者に救済史的未来展望を展開してみせる。半世紀前に歴史上
に起ったピルグリム・ファーザースの姿を、詩人は指差しているともいえよう。その視
点からは、単に文芸史を超え、ひろく近代思想史における『楽園の喪失』の存在意義
を主張することができよう。
ミルトンは「詩篇」の翻訳2作を 1645 年初めて出版した時以外にも、他の翻訳詩
篇の出版を重ねていた。それらを吟味すると、そこには「衡平法」に通ずる主張、
「弱
者貧者」への同情、
「節制・忍耐」の徳への傾斜など、単なる清教徒主義の主張と神学
を超える豊かなキリスト教的英雄観も見えてくる。それらの特色は上述した代表的な
散文論考にも出てくる特色であるが、中でも見落とせないのは、「正しき理性」recta
ratio の用い方である。叙事詩の結びで、
「摂理こそかれらの導者(しるべ)」と歌うと
き、ミルトンは出立する二人に「正しき理性」――神の姿の原点――への依拠を求め
ているのである。
(ここに彼と同時代のケンブリッジ・プラトン学派との関係を見るこ
とも可能である。)
しかしミルトンはこのピュリタン的人間観に達するまでには、10 歳代の彼の「詩篇」
の翻案の為事の中にすでに出るところの、「出エジプト・テーゼ」への常なる回帰と、
そのテーゼの醸成の経過があったことが、野呂論文で明らかにされる。ピュリタン革
命の原因である絶対王政と国教会への強い批判に立って、やがて『楽園の喪失』口述
に達するまでの約半世紀にわたる経過を、思想と文芸の双方の観点に立って引き出し
た点で、野呂氏の業績は高く評価されなくてはならない。審査員全員、野呂氏の博士
学位の授与に賛成するものである。
なお、これだけの論考を果たした野呂氏であるからこそ、同氏に求めたいことがあ
る。
「詩篇」は当時一般によく声に出して朗誦され、また歌われた。ミルトンもこのこ
とを承知のうえで、彼の英訳を試みたはずである。同様の事情はルネッサンス期のソ
ネット――語源的には「小唄」――にも言えることであって、もともとは歌唱の類で
あった。ミルトンもソネットを 23 作――本当はそんな数ではないはずであるが――を
残している。それも「詩篇」の創作翻訳を試みた時期とほぼ重なる。とくに「詩篇 第
1 篇」から「第 8 篇」までを訳した 1653 年は詩人が盲目となった年である。ペンがと
れなかったこの時期、彼は半ば朗誦しつつ一行一行を代筆させたのであったろう。
『楽
園の喪失』の口述を開始してからは、彼は「詩篇」翻訳、ソネット創作はしなかった。
(その痕跡は残さなかった、と言うのが正しいかもしれない。) すべては叙事詩の口述
作業に受け継がれたのである。ここら辺の探求はこれまでのミルトン研究において、
さほど進められてはいない。野呂氏はこれから先、
「詩篇」の翻訳とソネット制作の関
係を、それがその後、叙事詩口述の際の技法と主題を生むはずの経過を、これまで以
上に探っていただきたい。
もうひとつ、野呂氏に求めたい論点がある。氏はミルトンの「詩篇」の訳業の下地
をなすのは「出エジプト・テーゼ」であることを解明しつつ、それがやがて『楽園の
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喪失』の主題、それもその結びにまで決定的意義を有することを論究してみせた。出
エジプト事件の苦難の中で、モーセが発することば――“Fear ye not, stand still....
The Lord shall fight for you.”――はミルトン自身にとって、また叙事詩の制作に
とっても、決定的な意味を持つことを、氏は辿ってみせた。そこで取り上げていただ
きたいのは、ミルトンが全盲の身となった時点で作った「ソネット
第 19 番」――い
わゆる「失明のソネット」――である。苦しみのどん底でのこの作は、
“They also serve
who only stand and wait” (「ただ立って待つことしかできなくとも、神に仕えてい
るのだ」) なる一行で閉じられる。じつはここにも、かのモーセのことばが生きてい
るのではないか。“stand and wait”” はギリシア語の hypomeno 「忍耐する」に相
応するフレーズであることを思えば、かのモーセの言――「汝らは静まりてあるべし」
――がこの時点で、ここにまで発展し、やがてはかの叙事詩の結びにまで繋がってゆ
くものと理解することが出来るのではないか。この視点からも、ミルトン自ら「15 歳
のとき」の作と記す「詩篇 第 114 篇」と「第 136 篇」の翻訳以来とらえられてきた「出
エジプト・テーゼ」に、ここで立ちもどり、さらに『楽園の喪失』、
『闘技士サムソン』
で花咲かせたものと理解することが可能ではあるまいか。
野呂氏は2013年1月16日に博士論文予備審査に合格し、2月21日の博士論
文審査および最終試験に進んだ。審査委員一同は、博士論文審査および最終試験におい
て本論文を博士の学位を授与するに相応しい業績であると判断して、これを合格とした。
2013年3月13日、本大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科委員会は野呂
有子氏への博士学位記の授与を承認した。
(論文審査委員:主査・新井明、副査・大木英夫、副査・田中浩、副査・泉谷周三郎)
19
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