高齢者雇用についての一考察

高齢者雇用についての一考察
─ソーシャル・イノベーションの観点から─
吉澤昭人*
る。将来推計人口では,2012年には3000万人を
1.はじめに
越え,2042年にはおよそ3800万人となってピー
クを迎えるとする。これはおよそ3人に1人が
少子高齢化が進み,労働力人口が減少してい
高齢者となる状態が出現することを意味してい
く日本において,高齢者雇用を促進することは
る。21世紀半ばにおいては,高齢者はもはやマ
重要な課題である。しかしながら,企業の立場
イノリティではない。社会の一カテゴリーとし
から見た場合,高齢者雇用に二の足を踏む傾向
てとらえるべきものではなく,日本に暮らす
があるのもまた事実であろう。国ないし国民の
人々のごく普通のありかたとして理解すべきも
立場と,企業のスタンスの差を縮めて行くため
のとなる。
にはどうすべきか。本稿は,高齢者雇用問題に
次に②労働力の減少について見てみる。図1
関し,ソーシャル・イノベーションの考え方を
に示すとおり,今後の人口減少にともない,労
援用して理解することを通じて,企業が本問題
働力人口の総数は将来にわたり確実に減少して
により積極的に取り組む足がかりとなるものを
いく 。
模索する試みである。
かかる状況下では若年労働者,女性,高齢者
2
の労働市場への参加を促すことで労働力人口の
2.高齢者雇用問題の現状
確保が必要である。高齢者の活用が求められる
最も現実的な側面である。
少子高齢化が進む日本において,総論として
次に③年金の問題について若干の説明を加え
は,高齢者を労働力として活用すべきとの考え
る。年金は法律改正により,支給開始年齢の段
方にはほぼ異論がないと考えてよい。現在の議
階的引き上げがすでに行われており,現在はそ
1
論の大筋は以下の通りであると解する 。
の移行段階にある。最終的には2025年度から65
① 日本の高齢化は確実に進む
歳支給が確定する。すなわち,昭和36年(1961
② 労働力人口は減少する
年 ) 4 月 2 日 以 降 生 ま れ の 男 性, 昭 和41年
(1966年)4月2日以降生まれの女性について
③ 年金の支給開始年齢の引き上げは既定
④ 幸い,高齢者の労働意欲は高い
は,65歳まではまったく年金が支給されないこ
⑤ よって,高齢者の活用は有益な方策
とを意味している。段階的な引き上げに対応す
以下,項目ごとに具体的な内容を概観してい
る形で,雇用の確保する手だてを講じないとす
く。
れば,年金支給時点まで収入の空白期間が生じ
まず,①高齢化については,現在65歳人口は
てくるおそれが生じていたのである。ただし,
2700万人を越え,高齢化率は21.5%となってい
この点については平成16年(2004年)の改正高
* 早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程
336
図1 日本の労働力人口
る企業からの観点は考慮されていない。次章で
は雇用する側の企業の考え方について論じる。
3.企業のスタンス─問題の所在─
厚生労働省が2008年10月に公表したところに
よると,同年6月時点の高年齢者の雇用状況は
以下の通りである。まず,高齢者雇用確保措置
をとっている企業が96.2%に及んでいる。ただ
しその形態は継続雇用制度の導入が大半であり
(85.4%),これは定年の引き上げ(12.5%)や定
年の定めの廃止(2.1%)と比べて圧倒的に多い。
前述の改正高齢者雇用安定法の実施により,企
業は上記3つの方策のうちのいずれかの措置を
とるべきこととされており,法令の遵守はなさ
出典 厚生労働省 雇用政策研究会報告書 2007年12月
れているとはいえ,多くの企業が雇用継続制度,
齢者雇用安定法(企業に定年年齢の引き上げ,
すなわち,当該社員が定年に達した時点でいっ
継続雇用制度の実施,定年制の廃止のいずれか
たん退職させて,改めて嘱託社員などといった
を選択して実施させる)により,手当てがなさ
形で雇用契約を行うという制度を選択している
れている。
点に注目すべきである。
④高齢者の勤労意欲の高さについては,各種
企業が高齢者に対してどのような意識をもっ
調査によって明らかになっている。総務省の労
ているかについても調査結果がある。たとえば,
働力調査(2008年)によれば,60歳代前半の労
独立行政法人労働政策研究機構は,高齢社員の
働力率は男性で76.4%,女性で43.6%となって
能力開発について企業アンケート調査を行って
おり,これは欧米などと比べても高い比率と
いる。これによれば,再教育・再訓練の必要性
なっている。また,独立行政法人高齢・障害者
の有無に関しては,
「そう思わない」と71.7%の
雇用支援機構が行った「団塊の世代の仕事と生
会社が回答し,新たに必要な知識・技術・技能
活に関する意識調査」
(2006年)によれば,定年
を修得するための教育訓練を「実施も検討もし
後も働くつもりの人のうち,何歳になっても働
ていない」と58.1%の会社が考えている(「高齢
きたいと答えた人が22.9%,70歳くらいまでと
者継続雇用に向けた人事労務管理の現状と課
答えた人が14%おり,両者をあわせると65歳く
題」2007 64p)。一方,同機構による別の調査
らいまでと答えた人(45.3%)にほぼ等しい。実
結果では,高齢社員の活用に対する考え方とし
て,(高齢者は)「能力,体力に個人差がある」,
態の面から見ても,意識の面から見ても,現在
「高い技能・知識を豊富に持っている」
,
「技
の高齢者は,元気なうちはできるだけ働いてい
たいと考えているとみてよい。
能・技術・ノウハウの継承のための不可欠な存
以上の議論からも明らかなように,冒頭で述
在である」,「勤務態度がまじめである」とする
べたとおり,高齢者を労働力として活用してい
見方に高い賛同を示す企業が多数を占めている
くことが社会にとっても,個人にとっても望ま
(
「高齢者の継続雇用の実態に関する調査」
(企
しい方向であることがわかる。しかしながら,
業アンケート)結果 2007 15p)。
ここでの議論ではもっぱら政府の雇用促進の観
上記の結果から読み取るべきことは何か。企
点からのものであり,雇用の一方の当事者であ
業に高い遵法精神が見られることは好ましいが,
337
それは手放しで喜ぶべきことではない。法律上
フォーマンスの向上を目指すこと。
の問題はクリアしながらも,実態としては,雇
(谷本 2004 p5)
用制度の現状をできるだけ変えたくないという
谷本(2004,2006)は,CSRには3つの次元
モーメントが働いているとみるべきである。な
があるとする。
ぜなら,雇用を続けると言っても,定年制の延
①経 営活動のプロセスに対する社会的公正
長ではなく,継続雇用制度によっている場合が
性・倫理性,環境への配慮の組み込み
極めて多いからである。雇用継続制度とは,換
②社会的商品・サービス,社会的事業の開発
言すればその運用次第で「正社員」とは別の基
③企業の経営資源を活用したコミュニティへ
準での採用や処遇が可能であるということを意
の支援活動
味する制度である。あくまでも高齢者はまだ
谷本によれば,①は「経営活動のあらゆるプ
「高齢者という別枠」扱いということでもある。
ロセスにおける社会的責任の中核であり,まさ
また,企業は高齢者に対して教育訓練を行おう
に企業経営のあり方事態が問われるCSRの中核
という意識も高いわけではない。ただし有益な
部分であ」り,女性の登用や人権問題,情報公
(これは企業にとって「使える」ことを意味す
開などがこの次元に含まれるという。②は「企
る)人材であれば,年齢とは関係なく活用して
業が新しい社会的ニーズを受け,新しい社会的
いきたいというのも企業の一方の本音であろう。
商品や社会的事業を行うことであ」り,講義の
「高齢者の活用に関して自らが手間をかけるこ
CSRであるという。この次元には障害者・高齢
とはしたくないが,利益に貢献するならば雇用
者支援の商品・サービスの開発などが例として
に年齢は関係ない」というのは一見矛盾してい
挙げられている。さらに③は「いわゆるフィラ
るようにも思えるが,利益の追求を第一義とす
ンソロピー活動であ」り,1)金銭的寄付によ
る企業にとっては合理的な行動である。しかし
る社会貢献活動,2)施設人材などを活用した
ながら,かかる企業行動をそのまま放置してい
非金銭的は社会貢献活動,3)本来業務・技術
ては,高齢者の雇用をより活発にしていくこと
などを活用した社会貢献活動などに分かれると
は困難である。個別企業の合理的行動と社会全
する。
体としての意思との間にある,こうした軋轢に
高齢者の雇用,活用という問題をCSRの観点
対してどのように対処していくべきか。次章以
から考える場合,どのような要素あるいは分類
降では上記の問題意識のもと,議論を進める。
でとらえることになるか。ステークホルダーと
してみた場合は従業員への対応の問題であり,
4.CSRの考え方に沿って
問題の性質という点からは人権問題の範疇に入
ると考えられる。
企業が,より「正しい」行動を行う上での指
大平(2009)は企業と社員との関係における
針となる考え方としてCSR(企業の社会的責任)
CSRで求められる具体的な行動として,労働者
がある。本稿では谷本(2004)の以下の定義に
の権利,雇用,労働者の保護と基準,労働組合
従い,議論を進める。
などとの社会的対話,安全衛生,労働者の開発
という6つの項目を挙げている。労働者の権利
企業活動のプロセスに社会的公正性や環境
および雇用の確保が高年齢者も射程においてい
3
ることは論を待たない。また,大平は労働者の
(株主,従業員,顧客,環境,コミュニティな
開発と言う項目において,社会的弱者である高
ど)に対しアカウンタビリティを果たしてい
齢者・障害者の活用をすることを内容のひとつ
くこと。
としている。高齢者すべてが社会的弱者である
の配慮などを組み込み,ステークホルダー
そ の 結 果, 経 済 的, 社 会 的・ 環 境 的 パ
かどうかは議論の余地があるが,高齢者の能力
338
開発という面もCSRの範疇であることを指摘し
5.ソーシャル・イノベーションとは
ている点には注目すべきである。
高齢者雇用を人権問題ととらえることは国際
行動基準をみることによっても明らかになる。
日本において,ソーシャル・エンタープライ
1999年,世界経済フォーラムにおいて,国連ア
ズ(社会的企業),あるいはソーシャルアントレ
ナン事務総長は「グローバル・コンパクト」と
プレナー(社会的企業家)の議論が盛んになっ
いう企業が自主的な社会的責任体制を確立する
てきたのは2000年以降であるとされる(塚本・
上での行動基準の提唱を行った。グローバル・
土屋 2008)。したがって,「学問分野としての
コンパクトでは人権,労働,環境の3つの領域
成熟度としては依然として萌芽的レベルであ」
において10の原則を提示している。高齢者の雇
るという(同 2008)。よって,企業家機能の一
用,活用と関連するものとして,
「人権侵害に加
側面であるソーシャル・イノベーションの検討
担しないこと」
,および「雇用差別の廃止」が考
についても,学問的な成熟度があるとは言いが
えられるが,これらが人権,労働の問題である
たい面がある。
ことは明らかである。
上述の事情が影響し,ソーシャル・イノベー
それでは高齢者雇用と結びついたCSR活動は,
ションと言う言葉の定義について,論者によっ
現状ではどの程度実践されているのであろうか。
て相違がある。廣田(2004)は,自身では(様々
くらしのリサーチセンターは2008年に「CSR
な)
「変化に対応するため」の「社会・経済シス
活動実例集」を発行し,企業20社のCSR活動の
テムの再編成の達成」をソーシャル・イノベー
詳細を報告している4。同書によると,
「人権」
ションと呼ぶとした上で,そのとらえ方には多
あるいは「人権尊重」といった言葉が明記され
様なものがあるとして,6名の論者のさまざま
ているのは20社中10社である一方,従業員との
なとらえ方を紹介している。続けて廣田はソー
かかわりで「高齢者」
,
「シニア」と言った言葉
シャル・イノベーションの本質は,第一に「ヒ
が登場する会社は2社にとどまった。さらに
ト,モノ,カネ,情報などの要素を創造的な仕
「高齢者雇用」をあげている会社は1社のみで
方で統合することによって,従来見られなかっ
あった。人権についてはある程度CSRの一環と
た新しいシステムを作り上げること」
,第二に
して捉えている傾向はあるものの,より直接的
「現在人々が直面する問題,故障,トラブルを何
に高齢者を対象とした諸問題をCSRの中で把握
とかなくしたいという『生活世界』における実
していこうとする姿勢はまだ希薄であることが
感に根ざした強烈な問題意識をもとに作り出さ
わかる。
れたものである」ことだとしている。さらに
従業員へのアカウンタビリティ,あるいは人
「新製品・新サービスが普及して,社会・経済
権保障の面でのCSRから高齢者雇用を考えるこ
システムのいくつかの側面が変革されていくこ
とにはまだ限界がある現状で,高齢者の雇用,
とをソーシャル・イノベーションと呼ぶことが
活用問題により企業が積極的に取り組むことが
できる」としている。
できるようにするためにはどのような方法があ
渡 辺(2009) はPhills Jr.ら の「 社 会 的 ニ ー
るだろうか。ここで注目する概念として,谷本
ズ・課題への新規の解決策を創造し,実行する
のいう,CSRの第二の次元と関連した,ソー
プロセス」という定義を紹介しているが,
「これ
シャル・イノベーションという概念がある。次
は極めて広い概念である。つまり,多様なイノ
章以降ではソーシャル・イノベーションの考え
ベーションが含まれることになる」としてい
方をもとに,高齢者雇用促進の可能性について
る。渡辺自身は同論文の中では独自の定義は見
論じる。
出していない。このほか,田辺(2007)は「社
会性を活かした新機軸の発想と実行」をソー
339
シャル・イノベーションとする。田辺による定
ており,彼らの行動はビジネス活動そのもので
義も概念的には広いものである。
ある点からすれば,社会的事業という側面もあ
塚本・土屋(2008)によって,
「企業家的アプ
る。この点をどのように解すべきか。すなわち,
ローチ」と呼ばれる立場に立つ谷本は,ソー
谷本は障害者雇用を1)と理解するのか,2)
シャル・イノベーションを「社会的課題の解決
理解するのかという問題である。事例である障
に取り組むビジネスを通して新しい社会価値を
害者雇用という個々の活動から見た場合に,そ
創出し,社会的成果をもたらす革新」と定義し
れが1)であるか,2)であるのかはあまり意
ている(谷本 2009)
。谷本はソーシャル・エン
味を持たず,とらえ方によって,1)の側面が
タープライズには社会性,事業性,革新性の3
強調されたり,2)の側面に焦点が当てられた
つの要件があるとし,要件のひとつとして「革
りするということであると筆者は解する。すな
新性」,すなわちソーシャル・イノベーション
わち,いたずらに分類にこだわることはあまり
をとらえている(谷本 2006)
。ソーシャル・イ
生産的ではない。明らかなことは,ソーシャ
ノベーションをソーシャル・エンタープライズ
ル・イノベーションは様々なCSR活動の中での
と密接に関連させて理解していると考えられる。
具体的発露の一側面であり,個々の活動のどの
「社会的課題解決のために市場メカニズムを活
ような側面に着目するかが重要であるという点
用した新しい製品・サービスの高級,そのため
であろう。本稿では,谷本の分類にいたずらに
の新しい仕組み」と定義する大室(2007)も谷
こだわることはせず,CSRの一態様としてソー
本と同じ立場に立つと考えられる。谷本,大室
シャル・イノベーションを論じていくこととす
のアプローチは,定義において「市場メカニズ
る。
ム」あるいは「ビジネス」を明示的に取り込ん
7.ソーシャル・イノベーションのプロ
セス─事例とともに─
でいる点に特徴がある。
上述のように,ソーシャル・イノベーション
の概念を明確に定義付け,確定することは現段
7−1 4段階のプロセス
階では難しいといえる。本稿では,主として谷
本あるいは大室の定義を念頭に置きつつも,そ
大室は,ソーシャル・イノベーションにはプ
れよりもやや広い範囲でソーシャル・イノベー
ロセスがあると論じ,4ないし6の段階に分け
ションという言葉を使うこととする。
ている(大室 2004,2006)。以下,大室が提示
する下記の4段階に沿って論じる。
6.ソーシャル・イノベーションとCSR
①社会的課題の認識と解決したい「想い」
②「想い」の事業化
すでに述べたとおり,谷本はCSRを1)経営
③社会的場の形成
活動のあり方,2)社会的事業への取り組み,
④制度と個人の価値・行為の変化
3)社会貢献活動の3つの次元からとらえてい
大室によれば,状況の認識のみに終わる多く
る。ソーシャル・イノベーションとの関連では,
の人々と,ソーシャル・アントレプレナーを分
社会的事業ないし課題への取り組みによって
かつ条件が①の課題認識とそれを解決したい
ソーシャル・イノベーションが創発されるとし
「想い」であるという。その「想い」は様々なス
て,第2の次元の問題と位置づけている。ただ
テークホルダーとの協働によって事業化される
し,障害者雇用について,谷本は1)の範疇と
(②)。事業存続のためには,事業を理解してく
して理解しており,事例も紹介している(谷本
れる投資家,消費者,地域などのステークホル
2006)
。同事例はソーシャル・アントレプレ
ダーの存在が必要で,そのために事業参加でき
ナー(社会的事業家)に焦点を当てて論じられ
る社会的場の形成が必要であるとする(③)。
340
「想い」が社会的に認識され,ステークホルダー
派遣
とともに社会的価値を共創するプロセスができ
③特徴:社員間の待遇格差をつけない(一律
ると,これまでにない仕組みが制度化されるこ
年210万円の給与,フルタイム勤務),利潤
とになったり,個人の価値,行為を変えること
追求をしない,定年退職者と5年の雇用契
になるという(④)
。
約(その後は1年毎更新)をする,横河エ
ではこうしたプロセスは,高齢者雇用の場合
ルダー自体には定年制を設けない(1994年
ではどのような展開をとることとなるのか。次
からは75歳定年を明文化)
項以降でひとつの事例をもとにして考察する。
④従業員数:259名(1999年)
⑤売上げ:5億円前後で推移
7−2 事例:横河エルダー
同社は2002年に親会社の業績不振に伴うリス
高齢者雇用問題への取り組み事例として,こ
トラの影響を受け解散することとなる。同社が
こで横河エルダー株式会社(以下,横河エル
行ってきた業務自体は人材派遣子会社に移管さ
ダーと表記)を取り上げる。同社は高齢者雇用
れ,制度も少なからず変更された(一律年俸の
について比較的早い時期から先駆的な活動を
廃止など)
。親会社の業績の影響を受けて解散
行った組織として著名な存在である。
した同社であるが,マスコミ報道によれば,横
横河エルダーは制御・計測機器の大手メー
河エルダー自体も問題を抱えていたとされてい
カーである横河電機株式会社(以下,横河電機
る。たとえば,①フルタイム労働,グループ内
と表記)の100%子会社として1975年に設立さ
のみの雇用の限界,②古参社員による派閥化や
れた(設立当時の名称は株式会社横川事業所)
。
歴代課長が職場内にい続けることによる老害の
当時,横河電機はまだ57歳定年制となっており,
発生,③OBへの技術依存(OBが仕事をこなし
当初は57歳での再雇用制度として意図されたも
てしまうため,若手へ技術承継ができない)な
のであった。設立に至る経緯については,当事
どである。解散を決めた内田社長(当時)は横
者のひとりでもある荒井(2000)によれば以下
河エルダーの考え方は「ユートピア幻想に過ぎ
の通りである。
なかった」としている。
ア)当時の社長である横河正三が,人生80年
このほか,同社は運営の途上においても法律
代を見据え,熟練技能継承をどうさせる
面での軋轢に常に直面していた。たとえば,年
かという従業員の高齢化対策を人事部長
金法と最低賃金法の改正により,年金満額支給
に指示
が可能な給与の設定ができなくなる,あるいは,
同社の存在が労働者派遣法や職安法に違反して
イ)人事部長が中心となって社員アンケート
などを行った結果,多くの人が定年後の
いるとの警告を労働基準監督署から受けていた,
再就職,同じ職場での勤務を希望してい
といったことである。
ることが判明
上述のように,設立後27年で横河エルダーは
ウ)お金よりも生きがいを提供することが必
消滅した。同社の活動はソーシャル・イノベー
要と判断,そのために高齢者専門の子会
ションの観点からはどのように位置づけられる
社を設立することとする
であろうか。次項では,ソーシャル・イノベー
上記経緯によって横河エルダーは設立される。
ションの観点から見た横河エルダー事例からの
その後,多少諸制度の変更はあったものの,同
示唆ないし含意について論じる。
社の概要は以下のようにまとめることができる。
7−3 横河エルダーからの示唆
①目的:退職者の雇用確保と熟練労働力の活
大室の提示する4つのプロセスに従い,横河
用
エルダーの活動を再度吟味してみる。
②制度;60歳退職者を再雇用し,元の職場へ
341
第一に,ソーシャル・エンタープライズたる
うである。本局面での場の形成がなかったため,
横河エルダーを作り出したのは当時の横河電機
次の局面である社会的価値の共創プロセスは望
社長である横河正三(とその部下)である。こ
むことができない。すなわち,新しい仕組みの
こでは横河をソーシャル・アントレプレナーと
制度化や,個人の価値,行為を変えることはで
して理解することとする。彼は,近々やってく
きなかったと推測される。
る人生80年代に対して,高齢者の雇用の場の確
横河エルダーの誕生と消滅が示唆するものは,
保が必要だと考えた。高齢者の確保は,同時に
一言で言えば社会的場の欠如であったと言うこ
同社の技術力の源泉でもある熟練技能の確保,
とができよう。換言すれば,企業(経営)単体
維持にもつながる。課題を見つけ,何とかして
での社会的事業の存続・維持にはおのずと限界
解決したいという「想い」がプロジェクト立ち
があったということであり,ソーシャル・イノ
上げの指示となった。
ベーションの創出を考察する上での一種の反面
第二に,事業化という点であるが,社長の決
教師的な事例とも言いうる。無論,同社が事実
定であるからこの段階は比較的スムーズに進ん
上日本初の高齢者雇用会社を作ったという先進
だと思われる。人事部長に非公式プロジェクト
性や会社としての「想い」があった点は大いに
としての立ち上げを指示し,彼のチームがプラ
評価されるべきであるが,それゆえにこそ,同
ンを練り上げた。前掲の新井は著書の中で,自
社のたどった経緯については今後も検証を続け
身も同プロジェクトに参加しており,みずから
ることが望ましいと考える。
「労働組合と縁が深かった」
(新井 2000 24p)
8.結語と限界
としているので,労使一体でのプロジェクトで
あったと推測される。
第三に,社会的場の形成はどうであったか。
本稿では,日本における高齢者雇用の現況か
本事例の場合,主なステークホルダーは経営者,
ら出発し,個々の企業の合理的な行動と,社会
労働組合(ないし従業員)
,監督官庁(行政)な
の要請の間にあるジレンマの中で,企業が高齢
どであると想定できる。高齢者に雇用の場を提
者の雇用により興味を持つようにするための仕
供するという社会的意義をもちつつも,同社は
掛けが作れないか,という問題の所在を提示し
あくまでも横河電機の子会社であり,経営者,
た。その対処法のひとつとしてのCSRに焦点を
一部の労働組合関係者以外のステークホルダー
当て,現状としては高齢者に関連する取り組み
が事業参加できる社会的な場というものは形成
はあまり進展していないことを示した。その上
できなかったと思われる。行政も,法に定めら
で,CSRの一環としてとらえられるソーシャ
れている行動(監督・指導)を行えるのみで
ル・イノベーションに着目し,右の観点から高
あって,事業参加をはじめとする各種関与は困
齢者雇用を捉えなおした場合にどのように理解
難であったと推測する。また,労働組合(従業
できるか,について事例を通じて考察を行った。
員)についても,いわゆる高齢者従業員と一般
事例の考察を通じて明らかにできたことは,
従業員では利害が対立する関係になりがちであ
直接的には以下の点である。すなわち,高齢者
り,ひとまとまりのステークホルダーとしての
雇用のために設立された会社の存続が困難に
行動には限界がある。高齢,一般それぞれの従
なった原因として,ステークホルダーがより積
業員の利害を代表する人間に関与させる仕組み
極的に事業参加する社会的な場の欠如があった
の形成が必要であったのかもしれない。ソー
と考えることできるということである。上記の
シャル・イノベーションのプロセスと言う観点
点が克服されていたならば,事例の会社はその
から見た場合,この第三の局面において,横河
形態ないし実態を適宜変容させながら,社会的
エルダーの発展的な存続は困難だったと言えそ
使命を果たすべく機能し続けることができた可
342
能性がある。右の含意を事例からいったん切り
論じたのである。しかし,そもそも,企業が定
離し,より俯瞰的に考えると,ソーシャル・イ
年年齢を延長する,という方針で高齢者雇用問
ノベーションという観点から,あるいはソー
題に取り組んだ場合は,事情が異なってくる。
シャル・イノベーションという枠組みを使って,
その場合,単に従業員の(名目上ではあるが)
高齢者雇用の維持・促進を企業が進めていくと
勤続予定年数が延びるということであり,年金,
いう方策も不可能ではないということがいえる。
賃金設計の問題を別とすれば,教育,キャリア
換言すれば,CSRの具体的な推進手法の一つと
形成,健康維持,といった,企業内部の人事政
してソーシャル・イノベーションを活用するこ
策の再設計問題に帰着させて高齢者雇用問題を
とで,企業が高齢者雇用を進める手段となりう
考えることができるのである。実際,企業がシ
る可能性が明らかになったのである。
ニア層に期待しているのは経験や長時間にわ
では,本考察における限界は何か。CSRの定
たって形成されたノウハウであることを考えて
義に立ち戻って考える。谷本の定義によれば,
みても(1章参照),キャリア形成さえうまくな
CSRによって,
「経済的,社会的,環境的なパ
されれば,その成果をできるだけ長くかつ充分
フォーマンスの向上をめざすこと」が必要だと
に活用できるほうが企業にとっても望ましいは
している。ソーシャル・イノベーションによっ
ずである。キャリアの継続的な形成には企業内
て,こうしたパフォーマンスの向上が測定でき
での長期的視点からの教育が不可欠であろう。
る,少なくとも向上したと言いうるような状況
雇用契約が「いったん終了」することとなる継
証拠が現れない限り,CSRの実効性を示したこ
続雇用制度では,高年齢段階を見据えた教育的
とにはならない。ソーシャル・イノベーション
投資は考えにくくなる。
によって,何らかの経済的,社会的,環境的な
そもそも60歳定年制が日本で広がった1970年
パフォーマンスの向上,端的に言えば,目に見
代半ば,平均寿命は男性71.73歳,女性76.89歳で
える成果(マイナスの成果も含む)をもたらす
あった(1975年,厚生労働省の生命表による)。
ことが具体的にできるのかについて,今回の考
あくまでも計算上のモデルではあるものの,60
察では明らかにすることはできなかった。パ
歳までは働き,その後10 〜 15年は年金生活とい
フォーマンスについての議論は,測定方法も含
うのが標準的であったといえる。2008年,平均
め,今後の検討課題としたい。
寿命は男性79.29歳,女性86.05歳となった(簡易
生命表による)。この事実は,今日ではかなりの
9.今後の展望
高齢になるまで人々は元気で暮らせるというこ
とを一方では示し,「老後」の10 〜 15年を年金
本稿では,企業がより高齢者雇用に取り組む
生活とするならば,70歳までは働くという社会
ための方策のひとつとしてソーシャル・イノ
的選択をしてもよいことを一方では示している。
ベーションに着目し,議論を進めた。最後に,
高齢者をひとつのパートとして切り出してとら
高齢者雇用という問題の原点に立ち返って,今
え,活用の新たな仕組みづくりを考え,それを
後の展望について論じる。
促進させていくのも一つの方策ではあるが,定
本稿で前提としたのは,1章で述べたように
年延長を促し,従業員との契約期間の時間的拡
現状での高齢者雇用が継続雇用制度によって行
大という観点からみた問題として高齢者雇用を
われている場合が大半であると言う事実である。
考えていくのもまたひとつのありかたであろう。
すなわち,定年に到達した高年齢従業員を改め
この場合は,キャリア形成が考察のキーポイン
て雇用する,あるいは継続雇用の状態を維持し
トとなるであろうことはすでに述べたことから
つづけることをより円滑・積極的に行うための
も明らかである。
スキームとしてソーシャル・イノベーションを
最後に,高齢者の能力開発ないし,キャリア
343
形成という点と関連して,近年法律上の権利と
pp.183-195
して注目されつつあるキャリア権について述べ
大室悦賀 「ソーシャル・イノベーションが変
る。諏訪(1999)は,
「雇用をめぐる環境変化が
え る 社 会 」 谷 本 寛 治 編 著 2006 『ソー
激しいと,同一の職業・職務,あるいは同一の
シャル・エンタープライズ』第2章所収 中
組織内の雇用におけるキャリアの展開が困難と
央経済社
なる」
。そこで「特定の雇用を超えたキャリア展
大室悦賀 2007 「ソーシャル・イノベーショ
開を保証する必要性が高まる」とする。つまり,
ン─機能・構造・マネジメント─」
『21世紀
企業の内部でキャリアを積む場合においても,
フォーラム』第105号 pp.20-33
企業をまたぐ,あるいは特定の職務としてキャ
くらしのリサーチセンター編 2008『CSR活動
リアを積む場合においても,常にキャリア展開
実例集』社団法人くらしのリサーチセンター
を保証される権利が明確にされるべきであると
厚生労働省 2008『介護保険事業状況報告の概
いういのである。かかる権利は当然高齢期の労
要』(平成20年9月版)
働者においても,あるいは高齢期を迎える段階
C.ボルザガ J.ドゥフルニ編著 内山・石
の労働者においても保証される権利でなくては
塚・柳沢 訳 2004 『社会的企業』日本経
ならない。つまり,様々な年齢段階にある,働
済評論社
く人々すべてに対してキャリア形成を保証させ
諏訪康雄 1999「キャリア権の構想をめぐる一
る強制力となり,高齢者雇用促進の下支えとな
試論」日本労働研究雑誌 468号 pp.54-64 る可能性を秘めているのである。
日本労働研究機構
諏訪は,キャリア権の法的性格について「現
高梨昌・連合総研 編著 2006『ゼミナール日
在のところ,憲法に根拠を有する理念的性格の
本の雇用戦略』エイデル研究所
抽象的権利であり,雇用政策や労働立法を導く
谷本寛治 編 2004『CSR経営』中央経済社
プログラム規定にとどまり,いまや実定法の根
谷本寛治 編著 2006『ソーシャル・エンター
拠には乏しい」
(諏訪 1999 61p)としている。
すなわち,キャリア権はまだ実定法として理解
プライズ』中央経済社
塚田典子 「中高年齢者の能力開発と活用に向
される程度にまでは成熟していないのである。
けて」石井脩二 編 2003『知識創造型の人
諏訪はキャリア権の確立のためには雇用政策,
材育成』第9章所収 中央経済社
労働立法,労働関係実務の各分野での努力が必
塚本一郎・土屋一歩 「日本におけるソーシャ
要である旨の主張をしている。
ル・エンタープライズの動向」塚本一郎・山
かかる権利がより具体的な権利として形成さ
岸秀雄 編著 2008『ソーシャル・エンター
れてくれば,企業側の高齢者雇用に関する対応
プライズ』第4章所収 丸善株式会社
行動も変わってくると考えられる。キャリア権
独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構 を軸にした高齢者雇用促進の可能性を探ること
2008『70歳いきいき企業100選』
も今後考察すべき分野であると考える。
独立行政法人 労働政策研究機構 2007労働政
策研究報告書 No.83『高齢者継続雇用に向け
参考文献
た人事労務管理の現状と課題』
新井千玖摩 2000『一生雇用』日刊工業新聞社
独立行政法人 労働政策研究機構 2007 調査
大平義隆 「企業と社員─CSRと働き手─」大
シリーズ No.47『高齢者の継続雇用の実態に
平浩二 編著 2009 『ステークホルダーの
関する調査』(企業アンケート)結果
経営学』第5章所収 中央経済社
独立行政法人 労働政策研究機構 2008『高齢
大室悦賀 2004「ソーシャル・イノベーション
者の就業実態に関する研究』
の機能と役割」社会・経済システム 第25号
内閣府 2008『高齢社会白書(平成20年版)』
344
廣田俊郎 2004「ソーシャル・イノベーション
と企業システム革新の相互作用的生成」社
会・経済システム 第25号 pp.133-138
藤村博之 1997
『企業にとって中高年は不要か』
生産性出版
渡辺三枝子 2003
『キャリアの心理学』
ナカニ
シヤ出版
渡辺孝 2009「ソーシャル・イノベーションと
は何か」一橋ビジネスレビュー 2009 Sum.
57巻1号 pp.14-25
谷本寛治 2009「ソーシャル・ビジネスとソー
シャル・イノベーション」一橋ビジネスレ
ビュー 2009 Sum. 57巻1号 pp.26-41
渡辺三枝子 2009「中高齢期のキャリア開発を
考える(下)」『月刊エルダー3月号』No.353
pp.37-41
日 本 経 済 新 聞 2002年 5 月 4 日 1 ペ ー ジ,
2003年11月5日 12ページ
日経産業新聞 2004年3月5日 26ページ
注
1 本章での議論展開は,2009年8月26日に開催
された労働政策フォーラム「高齢者の本格的活
用に向けて」
(主催:(独)労働政策研究・研修
機構)における清家篤慶応義塾大学教授の基調
講演を基にしている。
2 本稿においては,外国人労働者あるいは移民
による労働力の補強といった論点については考
慮しないこととする。
3 谷本は「ステイクホルダー」としているが,
本論文では「ステークホルダー」に統一して表
記する。
4 同実例集はCSR活動に取り組んでいる20社
(うち大手企業は19社)を取り上げ,各社の実状
を紹介している。ただし,事例として取り上げ
られた企業は,電力・ガスといったインフラ関
係の企業が全体の半数を占める。
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