5 - 兵庫教育大学 第1部

ろう・難聴児のインクルーシブ教育を考える(5)- ノルウェーから,アイスランド,そして,イタリア
鳥越 隆士(兵庫教育大学)
ノルウェーにおける CI 児のフォローアップ調査
今年度(2009 年度)のノルウェーの滞在は,大学(昨年度はオスロ大学)でなくスタッドペット(障害
児教育研究所)を拠点としたため,より現場に近いところで議論に参加でき,またノルウェーのろう教育
の今に接することができた。受け入れ研究員のオドゥバル氏や他のスタッフともノルウェーのろう難聴児
教育の現状と課題について情報交換ができた。オドゥバル氏は今,博士論文を準備している。内容は 24 人
の CI 児(ノルウェーでは,第一世代 CI 児と言われている)のインクルーシブな環境下での学習やコミュ
ニケーション状況の調査だ。現在,彼らは小学生。多くは聾学校でなく,通常の学校に通学している。オ
ドバル氏は,彼らの教室に入り,詳細なコミュニケーションの記述・分析(教室言語や生徒同士の対話の
ことば,通訳などの支援のことばなど)を行い,どのように学びが生成されているのかを検討している(こ
の調査結果の一部は,一昨年来日した時の手話研究所主催のセミナーでも報告された)
。またスタットペッ
ドには,旧友のオラ・ヘンダール氏(日本に招へいしたこともある)が滞在していた。彼は,何度か私の
調査報告に登場しているが,スウェーデン SPSM(障害児教育研究所)の研究員で,現在スタットペット
との共同プロジェクトで,月の半分をノルウェーで過ごしている。以前にも紹介した,スウェーデンで聴
覚障害児の読み書き能力の調査をした関係で,同様の調査を今ノルウェーで行いつつある。よく 3 人で,
日本,スウェーデン,ノルウェーの聴覚障害児のインクルージョンについてディスカッションをした。
先に紹介したように,ノルウェーでは教育法 2-6 条項を親が選択すると(たとえ人工内耳を装用してい
ても)
,手話とノルウェー語のバイリンガル教育が保障される。オドゥバル氏の調査によると,子どもたち
のバイリンガル状況は,どうも二つのタイプに分かれるようだ。Weak バイリンガル状況と Strong バイリ
ンガル状況。前者は,コミュニケーションや対話が中心の状況。手話は主として音声言語の理解を促進す
るために使われ,音声語対応手話に対しても比較的寛容である(もちろん,教師たちは時と場合によって,
ノルウェー手話と使い分けを行っている)
。聴児たちも手話を学び,十分ではないにしても何とか直接コミ
ュニケーションを取ろうとする。これによって生徒同士(CI 児と聴児)の対話が促進されている。また,
すべての教師(サポート教師だけでなく)が聴覚障害生徒に関わろうという雰囲気が教室に作り出されて
いた。当然,コミュニケーションの質も高い。対話を通しての学びが生まれている。後者のタイプは,One
language one person の原則が貫かれる(手話を使う人は一貫して手話のみを使い,音声言語を使う人は音
声言語のみ,当然,その間には手話通訳が介在する,また音声語対応手話には否定的である)
。この場合,
使用される言語そのものの質は高いが,生徒同士の対話が生じにくい。聴の生徒たちは,手話は自分たち
とは関係ない言語,聴の教師も,ろう児の教育や指導は手話の専門家に任せようという考えになる。一方,
聴覚障害生徒に関わる教師(支援教師や手話通訳者)は,単に手話通訳だけでなく,教師の役割も担う。
聴者の教師の言ったことに,聴覚障害生徒が理解できるように,付け加えたり,拡張したり,補足したり。
時には,その教師が聴覚障害生徒を丸抱えで指導してしまう。
ネードレゴーセンの 4 年生のクラスはまさに Weak バイリンガルのタイプなのであろう。
これについて,
オラ氏は,スウェーデンでは,なお Strong バイリンガルが正しいとされている(スウェーデンでは,バイ
リンガルモデルは聾学校の中だけで確保され,インクルーシブな環境での実践はない)
。アメリカなどでの
バイリンガル聾教育の主要な議論もそうだろう。手話言語のしっかりした環境がろう児の学びにとって何
よりも求められ,同じ教師がいろんな言語を使うと,子どもたちが混乱すると。また音声語対応手話は理
1
論的にはまだ否定されている。ただ学習や知識が社会的な活動を通して生じ,獲得されるということを考
えると,果たしてこれでいいのかどうか。インクルーシブな環境で両者のモデルをうまく統合するような
取り組みができないだろうか。また,ネードレゴーセンの 4 年生のクラスで,授業中は何とかバイリンガ
ル状況にあった(聴児もろう児と手話で対話)が,ランチのとき,聴児は声だけでしゃべっていた。オド
ゥバル氏も,1 対 1 では,聴児も手話を使うが,集団になるとなかなか難しいことを観察している。また
教師がバイリンガルのモデルとして One language one person の原則のみを生徒に示すことは,結果的に
聴児にとってはモノリンガルのモデルしか提示できていないのでは(ただ教師の 1 人がろう者,1 人が聴
者だと,ろう者と聴者がうまく協働するモデルを生徒たちに示すことができるかもしれない・・・・)
。バ
イリンガル状況の中で,聴児とろう児が協働して学習していく,生きていくというモデルが提示すること
も必要だろう。それがまさにインクルージョンという理念をめざすことになろう。教師が時と場合によっ
て,うまく手話で機能したり,音声語で機能したり,時には音声語対応手話で機能したりすると,これは
聴者にとっての協働モデルを生徒に提示することになろう。でもそういう状況は,ろう児にとってはどう
なのか?聴児にとってフルのコミュニケーションであっても,ろう児にとっては,十分なコミュニケーシ
ョン状況と言えないのかもしれない・・・。
何となく解決の糸口が見えそうではあったが,まだまだ「これだ!」といったモデルが見えないディス
カッションが続いた。理論や理念(イデオロギー)ばかりが先行するのでなく,まずは現場の意欲的なイ
ンクルーシブな取り組み,実践をしっかりと記述し,評価・検証することが必要なのであろう。そういう
結論に,とにかく落ち着いた。ノルウェーのインクルーシブな取り組みに,今後も注目していきたい。
スウェーデン,ノルウェーなど北欧諸国のバイリンガル聾教育やインクルーシブな実践に関する調査の
中で,アイスランドとイタリアでの興味深い実践に触れることができた。以下,番外編として,紹介する。
アイスランド・フリーダスコーリ
2008 年 10 月。日本では秋本番であろうが,アイスランドはすでに冬であった(もっとも本格的な冬は
もっと厳しいのであろうが)
。首都レイキャビックに昼過ぎの到着であったが,すでに薄暗く,また時折雨
風も強く,寒かった。折しも,アイスランドの国立銀行が倒産したとのニュースが世界を駆け巡っていた。
そのせいか,街中にも人が少ない印象を受けた。
フリーダ小学校は,街の中心部から歩いて 30 分ほどのところにある,比較的大きな,地域の小学校であ
る。ここに,ろう児・難聴児たち 20 名ほどが学んでいる。アイスランドには,実は,現在聾学校がない。
かつてはあったが,生徒数が減少し,十分な教育機関として機能できないという理由で,通常の学校に統
合されたのだ。2002 年のことだ。その当時の校長がベルグリンド(Berglind)さん。彼女自身,ろう者だ。
北欧でもろう者が校長先生になることは珍しかったそうだ。その彼女が,聾学校を廃止し,通常の学校へ
の統合を決断したのだ。苦渋の選択だったのだろう。現在,彼女はこの学校の聴覚障害部門のトップ(副
校長)として働いている。当時の聾学校では他の北欧諸国と同様,バイリンガル聾教育を推進していた。
当然,統合後も,この小学校でその実践が継続されている。まさにインクルーシブな環境下で手話を活用
した実践が模索されているはずだ。その実態を知りたくて,この学校を訪問した。
朝,始業前に学校に到着した。カフェテリアに先生たちが朝のコーヒーのため集まっている。中に手話
の集団があった。ベルグリンド氏が私を温かく迎えてくれる。英語の口話とブロークンでごちゃ混ぜの手
話(日本手話,ノルウェー手話,アメリカ手話などなど)と英語の筆談で何とかコミュニケーションをと
2
る。聴覚障害児担当の先生方を紹介してくれる。1 人の聾の先生がカナダに行ったことがあり,アメリカ手
話を知っていて,通訳してくれる(私はアメリカ手話が十分にできるわけではないが,それでも何とか通
じた)
。学校の概要を,ベルグリンドさんが手短かに説明してくれた。聴覚障害生徒は 21 人。それに対し
て,600 人の健聴の生徒(先生も当然多い)
。聴覚障害担当の先生は 10 人ほど。元聾学校の先生たちだ。
その中で,ろう者は 3 人(副校長と教師 2 人)
。その他にアシスタントのろう者が何人かいる。また手話通
訳者も 3 人雇われている。1 クラスは大体 20 人から 30 人くらい。その中にろう児が 1 名か 2 名。4 年生
だけは特別で,6 人いる(クラス全体の生徒数は 18 人)
。ただ今日は 2 人が休み。4 年生のクラスの見学を
中心にスケジュールを組んでくれた。
1 時間目のベルが鳴り,早速,ろうの先生ヒャスティーナさんについて,4 年生の「手話」の授業を見学
する。手話の授業はろう生徒だけの取り出し授業。生徒が来る前に少し彼女と話しをする。彼女は手話の
他に,算数も教えているようだ。聴の先生と一緒にクラスに入る。どんなふうにコミュニケーションをと
っているのかと聞くと,聴の生徒には主に口話を使うそうだ。授業では,主担当の先生(聴)が話したこ
とを,それを見て(読話して)
,ろうの生徒たちに通訳するそうだ。彼女が聴の生徒に直接教えることはな
く,ろうの生徒だけを支援する。ということは役割としては,コ・ティーチング(チームティーチング)
ではなく,あくまでもろう生徒へのサブ教師としての役割ということなのだろう。
この手話の授業で,彼女は,手話を学ぶことによって,ろう者としてのアイデンティティを形成して欲
しいとの希望を持っている。今回の授業計画は,アイスランドで有名なろう者を取り上げ,その人生を学
ぶこと。今日はその導入として,それぞれが知っている有名な人,名前とどこが有名かを書いて,みんな
の前で発表する。しばらくして,4 人の聴覚障害生徒がやってきた。2 人が男児,2 人が女児。男児,女児
1 人ずつ CI を両耳装用していた。他の生徒は補聴器を装用。まず先生が,今日の授業の計画を話した後,
プリントが配られる。黒板(スマートボード)に,以下のように授業のスケジュールが書かれる。
Eine sinni var
- Teikna og skrita
絵と文を書(描)く
10-15 min
- Segja fra
みんなの前で発表
flver fcer 2 min
子どもたちは,それぞれ文を書いたり,絵を描いたりし始める。女の子 2 人は声でぺちゃくちゃしゃべ
っていて,なかなか作業が進まない。男の子 2 人は淡々と作業を進めている。時々先生に手話で話しかけ
て,先生からいろいろとサポートを得ている。しばらくすると,先生がそれぞれの子どものところに行っ
て,書いてあることに関して質問をしたり,アドバイスしたり。時折,男の子同士も情報を交換し合って
いる。声と手話で話しかけあうが,あまり通じていないようにも感じる。教師と子どもたちは手話だけで
(声を使わず)話そうとしている。むしろ子ども同士の会話が難しいようだ。男の子 2 人が作業を終える。
2 人ともギターを持った男性を描いている。教師が 1 人の男の子のところに行って,描いた内容について
話をする(発表の予行演習か)
。女の子たちはまだ作業が終わっていないが,1 人の男の子がまず前に出て,
絵について発表する。はやりギタリストのようだ。名前を指文字で表し(jon)
,ギターを弾くしぐさをし
て,それからギターを放り投げるしぐさをする。教師がそれについて,質問したり,確認したり(ロック
バンドのギタリストで,公演のときよくギターを放り投げるので有名らしい)
。語りとしては短い印象を受
けた。後で,教師は,前で発表することを恥ずかしがっているから短いのだと言ったが,手話の力がまだ
まだなのだろう(これについては,ベルグリンドさんもそう言っていた)
。子どもたちは互いの発表を見て
3
いたが,特に質問するでもなし,コメントするでもなし。次に,もう 1 人の男の子が発表。これもギター
を弾くしぐさ。ただ手話をあまり知らないのか,先生にその都度わからない手話単語を聞きながら発表す
る。これも短い発表だった。先生がいくつか質問をして終わる。次に女の子が発表する。彼女も手話単語
が分からない。声だけで先生に手話をたずねる。先生はその口型が読み取れない。女の子が書いたものを
指さす。それで意味が分かり,その手話単語を教える。それを使って発表を続ける。手話の語りはまだま
だぎこちない。また子どもが一方的に語るだけで,子ども同士の対話も少ない(インフォーマルな 1 対 1
の対話はあるのに)
。まだ学習言語としての手話が出来上がっていないのかもしれない。4 人の発表が終わ
ったところで丁度時間が来て,授業が終わった。
次の時間,4 年生の教室に行くと,今から劇のリハーサルをすると言う。子どもたちが 1 列に並んで,
舞台のある(講堂のような)部屋に行く。秋に白雪姫の劇を親の前で演じるそうだ。その 1 回目の練習(リ
ハーサル)とのこと。ここでは音楽の先生が主担当で,聴覚障害担当の先生(聴)がサブ。舞台のある部
屋での初めての練習ということで,みんなやや興奮気味で,ざわざわとした雰囲気。主担当の先生が,子
どもたちに,まずここに立つよとか,他の技術担当の先生にマイクの音はいいかとか,照明はどうかとか,
せわしなく話をしている。サブの先生がそれらの話を手話通訳するのかと思えば,全くしていない(聴覚
障害児生徒たちがいろんな場所にいるので通訳をしても伝わらないのだろう)
。聴覚障害児が関係すること
だけを個別的に指示していた。実際の劇のリハーサルがはじまると,生徒の台詞を舞台の袖で手話通訳し
ていた。また歌を歌う(手話付きの歌)場面では,そのモデルとして生徒たちの前に立ち手話を示してい
た。劇の練習は,全体として雑然としていて,途中でやり直したり,いろんな指示が主担当の先生から出
たり。子どもたちも自分の出番でない時はあちこちで話をしたりしている。また部屋が大きく音が響きす
ぎるし,たぶん音環境としては,最悪の状態だったのだろう。聴覚障害の子どもたちにとって,全体とし
てどんな状況にあるのか,どんなふうに進行していたのかなど,なかなか理解しづらかっただろう。ただ,
あちこちでまわりの子どもたちと声で会話をしていて,結構楽しんでいるようではあったが。実際の演技
では,他の子どもたちを見て,まねをしながら,それなりにこなしていた。1 人の聴覚障害の男児は,ナレ
ーターとしてマイクを使って話すところがあった。少し発音に不明瞭なところがあったようで,聴覚障害
担当の先生が,男児のところに行って,個別に発音(子音)の指導を行っていた。聴の子どもたちは時々
聴覚障害児に対して手話の単語らしきものを表現することはある。が,聴覚障害児の方から積極的に手話
を使うことはないようだった。とにかく混沌としていた。どの部分を教師が手話通訳で子どもたちに伝え
るのかとか,役割分担などもきちっとしていないように感じた。終わった後のコーヒータイムで,副校長
が,担当の教師に「4 年の練習はどうだった?」と聞くと,初めてなのでごちゃごちゃだった,のような報
告をしていた。ごちゃごちゃした状況だからこそ,きちんと通訳なり,支援が必要なのにと思ったが・・・。
コーヒータイムが終わって,3 時間目。教室に行くと,子どもたちは外から戻ってきたばかりで,教室で
みんな果物や野菜をぼりぼり食べはじめている(家から持参のおやつ?)
。生徒たちが教室にあるソファー
に座り,担任の先生が本の読み聞かせを始める。子どもたちは食べながら(リラックスしながら)
,先生の
読み聞かせを聞いている。聴覚障害担当の先生がその横で手話通訳するが,4 人の聴覚障害児たちは必ずし
も手話を見ていない。聴覚活用がかなりできている生徒もいるのだろう。ただ友達同士でしゃべっている
と,聴覚障害担当の先生が制止して,こっちを見なさいと言うが。読み聞かせが終わった後,本を廻し,
絵を見ていた。確かに教室には手話とスピーチがある。ただ手話は聴覚障害児のためのもので,それをす
るのは聴覚障害担当の教師だけ。手話とスピーチが完全に分断されているという印象を受けた。
その後,先生が宿題のノートを回収。今度は,それぞれの机に向かって座って,ワークブックのような
4
ものをやり始める。どうも次週の木曜,金曜とナショナルテストがあるという。そのための勉強とのこと。
文法の問題や文章読解のような問題。進み具合は様々なようだ。単語レベルの問題に取り組んでいる子や
文章題に取り組んでいる子もいる。担当の先生によると,聴覚障害児たちは全般的に進み具合が遅いよう
だ。教師が机の間を回り,個別的に指導していた。
聴覚障害担当の先生に,聴覚障害児たちの聴力レベルをうかがうと,CI 児などかなり聴覚の活用ができ
ている生徒もいるようだ。ただ見掛けの聴力レベルよりもずっと聞き取りができていないとも言う。だか
らいつも彼らとアイコンタクトをとってから話しているとのこと。ナショナルテストの成績について聞い
た。様々だそうだ。聴児レベルの成績を得る生徒もいるし,なかなか難しい生徒もいるとのこと。
次の日の英語の授業。いつもの 2 人の先生(担任と聴覚障害担当の先生)とは違う先生が担当。1 人は
英語の専門の先生。それにアシスタントが付いていた。このアシスタントは,特に,落ち着きがないと診
断されている,ろうの男児のために配置されている。が,今日彼は休んでいるので,しばらく他の聴覚障
害児のサポートをしていたが,途中でいなくなってしまった(ということで,主担当の先生 1 人による授
業)
。
授業はまずそれぞれ生徒が,英語のワークブックに取り掛かる。後で一緒に歌う予定の英語の歌の内容
に関した問題(今回は,頭,肩,鼻,
・・の歌なので,体の様々な部分の絵がある)
。空欄に身体の名称や,
身体の動きや動作の動詞を書き入れる。教師が巡回して個別的に支援。それが終わると,みんなソファー
に座って,DVD の英語の歌を聴いたり,歌を一緒に歌ったり,踊りをつけたりする。次から次へと歌が変
わる。
「幸せなら手をたたこう」の歌もある。とにかく授業のテンポが速い。子どもたちを飽きさせないよ
うにと,次から次へと課題を変えているのだろう。ただ聴覚障害児にとってはついて行くのが難しそうだ。
先生の質問にもうまく答えられない時もある。分からないときには,まわりを見ながら,真似をしている
様子がよく見うけられた。母語である,アイスランド語では何とかスピーチのみで受け答えができていて
も,第二言語(第三言語?)である英語での受け答えは難しいのだろう。特に,CI を装用している女児(聴
覚障害担当教師によると聴覚活用が十分にできていないようだ)は,とにかく周りの様子を見ながら,他
の生徒たちの真似をしていた。英語の歌が終わると,また机に戻ってワークブックの課題をする。教師が
英語で指示して,その作業を生徒がする課題。例えば,頭は緑で塗りなさいと英語で言うと,子どもたち
がそれぞれ自分のワークブックの絵を塗る。CI 女児にとっては示指がわからないのだろう。隣の子どもを
やっていることをまず見て,それと同じことを行っていた。最後にみんなでゲーム。みんなソファーに座
り,教師がリズムに乗った歌を歌いながら,鼻をつまみなさいとか,手を頭の上に置きなさいとか英語で
指示を出す(アイスランド語での説明がわからなかったので,ゲームの詳細は不明だったが)
。先生の指示
にうまく従ったらそのままソファーにいることができる。間違ったふるまいをすると,ソファーを降りて
床に座る(ドロップアウトと言っていた)
。1 回目の先生の指示で,4 人の聴覚障害児うち,3 人が失敗し
て床に座った。やはり英語の聴取が十分にできていないのだろう。サポートのあり方を考えさせられた。
後で,担当の教師にどうして英語の授業に聴覚障害生徒へのサポートが付いていないのか聞いた。実際,
英語の授業には正式にきちんとサポートが付けられていないそうだ。それはこの英語が正規のカリキュラ
ムに入っていないから(いわば準備段階のものらしい)とのこと。5 年生からは英語が正式の科目になるの
で,それからはサポートが付くという。でも,準備段階だからこそ十分に他の子どもたちに追いついてい
る必要があるのに・・・と思った。
ランチの後,4 年生の学年合同の授業(理科)があった。4 年生には 3 クラスがあり,そのうちの 1 つの
クラスに聴覚障害生徒全員が集まっている。ただこの学年合同の授業では,3 つのクラスが一緒になり,そ
5
れからまた 3 つのグループに分かれる。聴覚障害生徒 4 人は結局 2 人ずつの別グループになっていた。聴
覚障害担当の先生はというと,この時間は,聴覚障害生徒の支援でなく,別の移民の子ども 2 人に対して
スマートボ-ドを使ってアイスランド語の指導をしていた。以前は,この教師もグループ学習に加わって
いたそうだが,なかなか自分の役割が見出せなかったそうだ(聴覚障害生徒が1つのグループにいないの
で,なかなか一貫した支援ができにくかったのだろう)
。学年の教師たちと話し合って,今年からは,学習
が遅れている(移民の)子どもたちの取り出し指導を担当するようになったそうだ。従って,この授業で
は,聴覚障害生徒への支援はないことになる。
1 つの教室では,子どもたちがペアになって,植物の図鑑を見て,話し合いながら絵を描いていた。聴覚
障害の子どもたちもそれぞれ聴の子とペアになって作業を進めていた。1 対 1 であれば,コミュニケーシ
ョンにそれほど問題はないのだろう。スピーチのみで活発に話し合っていた。もう 1 つの部屋では,動物
の学習をしていた。教師がぺらぺらと(一方的に)話していた。聴覚障害児 2 人は,なんと最前列に座ら
されていて,黙々とノートにスマートボードに映されている文章を書き写していた。ときどき聴の生徒と
教師が話をしていた(質疑応答)が,その対話に加わることはなかった。先生が個別的に聴覚障害児への
サポートを行うこともあったが,その時,教師が背後あるいは横から耳元に話しかけるようにしていた(で
きれば正面で視線を合わせながら話しかけた方がいいのではと思いつつ・・・)
。どうもアイスランドの教
師(特に小学校の教師の特徴かもしれないが)は,1 対 1 の対話の時,正面からでなく生徒の背後から声
かけをするスタイルのようだ。教師と生徒と同じ視点を持ち(視線を重ね合わせ)ながら,ということな
のだろうが,
・・・これがアイスランドの教師に一般化できるかどうかはわからない。
その後,ベルグリンドさんが特別支援の教室を中心に案内してくれた。盲ろうの生徒が 2 人いた。1 人
は教室で料理の実習。小集団の授業だが,彼女のために手話通訳(触手話)が付いていた。もう 1 人は,
個別指導だった。盲ろう以外に難病を持ち,手の力が弱くなっているとのこと。手をあげて手話をするこ
とも難しくなりつつあり,コミュニケーション・ボードなど工夫しながら,先生が指導されていた。イン
クルーシブな取り組みの中,しっかりと専門性に裏打ちされた実践がなされていた。ベルグリンドさんに
校内を案内してもらっているときに,1 人の聴の教師がベルグリンドにくってかかる場面に遭遇した。
「手
話通訳が時間通りにきていない,授業ができない」と,かなりの剣幕。ベルグリントさんが調整の責任者
であるのだろう。なんとか対応されていたが,この学校でのろう者の立場が垣間見えたように感じた。600
人の中の 20 人。マイノリティの立場から言うと,通訳がいないのであれば,とりあえず来るまで,それな
りに工夫をすればいいのに・・・・と思ってしまうが,そうも行かないところがあるのかもしれない。先
のバイリンガルのタイプで言うと,Strong バイリンガルを目指しているのだろう。きちっとした手話(ア
イスランド手話)を確保するために,手話通訳が配置される。それはそれで大切なことだが,その手話や
聴覚障害児との関わりを,聴の生徒や先生は自分とは関わりないことと考えてしまっているのではないだ
ろうか。校内で,難聴のソーシャルワーカーと会った。彼はこの学校で,フルタイムで仕事をしている。
生徒指導上の問題が多発しているそうだ。暴力事件があったり,警察が来ることも。でもこのような形で,
成人の聴覚障害者が学校で働いていることはいいことだ。もっともっとエンパワーが必要だと感じた。
最後にベルグリンドさんの部屋で,手話通訳(アイスランド手話-英語)も交えて,これまでの取り組
みの経緯や現在の状況等の話しをうかがい,意見交換を行った。まず聾学校から通常学校に移ってきたと
きの苦悩を話された。ろうコミュニティからはかなり批判されたそうだ。でも,教師の指導力のレベルア
ップ,生徒の社会性を育てるなどを考慮して,そう決断したそうだ。ただ問題は相手の学校が巨大すぎる
こと。それを相手になおも苦戦しているとのこと。教室をいかにバイリンガルにするかに関して,彼女は
6
「ツイン・モデル」ということばを使っていた。ノルウェーのヴェットランド学校(先の稿で紹介した)
がモデルなのだろう。ヴェットランドでも聴とろうの間の垣根は高かった。ベルグリンドさんはしゃべり
ながらの手話には否定的。やはり Strong バイリンガルを目指しているのだろう。大きな課題は,聴覚障害
児自身の手話の技能,あるいは手話に対する態度にあるのかもしれない。聴者との関わりで,自ら積極的
に手話を使うという場面があまり見られなかった。ただこの学校の強さは,成人ろう者が複数学校の現場
にいることだ。これまで見てきた聴覚障害児のインクルーシブの現場で,成人の聴覚障害者の役割が十分
に位置づけられていることが少なかった。ノルウェーでも巡回教師はすべて聴者。ネードレゴーセンでも,
教師は聴者のみであった。まだ統合されて 6 年。実践のさらなる展開を期待したい。
ろう・難聴者のためのコミュニケーションセンター
ベルグリントさんから,市内に手話センターがあるので,訪問してみてはとアドバイスを受けた。正式
名称は「ろう・難聴者のためのコミュニケーションセンター」
。所長のヴァラさんに話をうかがった。この
センターは 1991 年に設立された。そのときからここに勤めているとのこと。以前は聾学校の先生。30 年
間,聾学校に勤めてきた。口話法,TC,バイリンガルとすべて経験してきた。
このセンターは国立(教育省の管轄)
。ろう者や難聴者をサポートすることが役割。4 つの部門,通訳サ
ービス,教育(手話の講習)
,カウンセリング,手話研究に分かれている。アイスランドには,およそ 300
人の手話を使うろう者がいる。このセンターの役割の 1 つは,その人たちに対して通訳サービスを提供す
ること。教育,司法,医療に関しては,無料で行われる。70%が学校への通訳とのこと。3 つの領域以外
は予算の上限があり,その枠内で提供される。2 つ目は,手話の講習。手話に関心を持つ聴者に手話を教え
る。大学の手話通訳養成プログラムにも講師を派遣している。また高校では第三言語の科目として手話が
選択可能で,その指導もしているとのこと。カウンセリング部門では,主にろう児・難聴児の家族に対し
てカウンセリングを行い,また地域の学校にも相談のために訪問する。多くの親は,子どもに聴覚障害が
あるとわかったら,レイキャビック市に引っ越してくるらしい。1999 年に,カリキュラムが改正され,手
話はろう児の第一言語であると明記され,社会的にも手話の認知がなされた。聾学校は先にも述べたが,
2002 年に国立からレイキャビック市立(公立)となった(公立の学校に統合された)
。それに伴い,カウ
ンセリング機能が,聾学校からこのセンターに移ったとのこと。定期的に聴覚障害児が在籍する学校を訪
問し,聴覚障害とはどのような障害か,どのような配慮が必要かなどを教師に教えている。その他,教材
開発も行っている。アイスランドの子ども向けのお話しを手話に翻訳したビデオや成人ろう者にインタビ
ューした内容の教材がある。また通常の学校の聴の生徒に手話を教える教材も開発されているとのことで
あった。
次に研究部門。担当のクリアさんに話をうかがった。現在 3 年間のプロジェクトを進行中。彼女自身,3
年前にここに来た。以前はアイスランド大学の手話研究部門(手話通訳養成)を修了したそうだ。プロジ
ェクトは,聴覚障害児および両親がろうの健聴児を対象(内訳は,ろう児が 5 人,両親ろうの聴児が 32 人,
難聴児が 9 人,CI 装用児が 4 人,盲ろう児が 1 名)に言語の発達を追いかけている(もともと人口が少な
いので,対象者を集めるだけで大変だ)
。年齢は,6 歳から 16 歳。これらの子どもに,1 つは手話の評価,
2 つは音声言語の評価を継続的に実施している。前者は,英国で開発された手話の理解の評価,絵本のスト
ーリーの語り(絵本はフロッグストーリーと言い,様々な言語で語りの蓄積と分析が行われている)など
の資料が集められている。発達段階に応じて,語彙や文法,さらに読み書きの能力がどのように発達して
いくのかの調査が進められているのだ。
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アイスランドは小さな国。ろう者も聴覚障害児たちの数も少ない。しかしながら,北欧でこれまでなさ
れて,すでにスタンダードとなっているような,専門的な取り組みが同様になされつつある。聾学校が通
常の学校に統合されて,まだ日も浅く,苦戦しているところも多々あるが,今後の様々な取り組みの展開
とその成果が楽しみでもある。特に,何よりも元気な聴覚障害者が多く関わっていることが心強い。注目
してきたい。
イタリアのろう学校
前々からイタリアを訪れたいと思っていた。イタリアというと,あの「ミラノ会議」(1880 年)が行われ
たところ。それまでの手話を活用した教育から口話法教育へと,世界的に大きく転換する契機になった会
議だ。そして,1970 年代には,すべての聾学校(もちろんそれ以外の障害児学校も)が廃止され,聴覚障
害児たちは,地域の小学校や中学校に通うことになる。ヨーロッパの中でも(あるいは世界的にも)
,イン
クルージョンの理念を強力に推し進め,具体化させている国だ。その功罪についての書物や報告は多々あ
るが,とにかく聴覚障害児たちがそのような環境でどんなふうに日々,学んでいるのか,知りたいと思っ
ていた。そんな時,手話の獲得研究を行っているヴォルテラ教授(Verginia Volterra:認知科学工学研究所)
と出会い,
「イタリアに聾学校はありますよ,ぜひ見に来てください」と誘われた。えっ!聾学校はもうな
いと聞いていたのに・・・
(訪問は 2005 年 5 月に行った)
彼女のいる研究所は,ローマの中心街,もと国立の聾学校のあった建物にある。研究スタッフは充実し
ており,イタリアの手話研究の拠点となっている(どちらかというと,教育や心理学的な研究が多い)
。ま
た,その建物には,メーソン・パーキンソン財団などの事務所もあり,手話に関する様々な教材や辞書作
り,手話指導コースの運営,signing naturally(アメリカで開発された手話の指導書)のイタリア語への
翻訳,マルティメディアを使った教材の開発など,多様な活動を行っている。盲ろう者に対する取り組み
もある。ここにたくさんの聾者が働いていることも印象的だった。
実は,この建物に聾学校がまだ存続していた。ただいわゆる聾学校でない。聾学校に健聴の子どもたち
も受け入れており(聾児よりも健常児の方が多い!)
,しかも手話とイタリア語のバイリンガル教育を行っ
ているのだ。残念ながら,学校が休みで,具体的な教育活動を見ることはできなかったが,校長先生の話
を聞くことができた。1-3 歳はモンテッソリーに基づく教育を行っている(学校としては,聾学校とは別
組織)
。聴児は 23 人いるが,ろうは 1 人のみ。ろう児(2 歳 6 ヶ月)は CI の手術を受けたばかりで,毎日
来ないのでなかなかみんなとの活動が難しい。基本的にはろう児にはアシスタントがついているとのこと。
聾学校の幼稚部は 3 歳から 5 歳まで。例えば 3 歳児クラスでは,15 人が聴児で,聾児が 4 人。通常の授業
では,教師と通訳者がペアになる。また手話の授業では,教師と手話教師がペアになって授業を進める。
毎日両方の形式があるとのこと。たとえば,午前が通常ならば,午後は手話の授業。次に小学部(中学部
や高等部もあるが,別の場所にある)
。聴児を広く受け入れていて,ここもろう児よりも聴児の方が多数派。
聴児が聾学校に来る理由は,例えば両親ろうであるとか,親戚や兄弟にろうがいるとか。手話ができるこ
とが将来に何らかの役に立つとの認識も親にあるようだ。高等部などでは,将来手話に関わる仕事につき
たいという希望を持つ者もいるそうだ。ろう児がバイリンガルになるためには,ろう者側に集団があるこ
と,聴者側に手話の能力があること,そして教室をバイリンガルにする(手話教師や手話通訳の利用)こ
とが必須だと言う。後で紹介するコサト小学校は,聴の中にろうを受け入れたが,ここはその逆,ろうの
中に聴を受け入れている。他の聾学校(トリノ,パドヴァ)でも似たような試みを行っているそうだ。
ヴォルテラさんからの話では,イタリアでは,聴児も受け入れるという形で,聾学校が存続している。
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ただし政府はそれを好んでいないようだ(ろう児の在籍数分しか補助金がでないとのこと)
。ただ大多数の
ろう児たちは通常の学校に在籍しているが,学習面で苦戦している者も多いとのこと。通常学校にいるろ
う児たちにサポート教師が配置されるが,これがなかなかうまくいっていない。そのような状況もあり,
ろう児たちが聾学校に戻ってくることもあるようだ。この聾学校に入学しているろう児の親たちは,手話
とイタリア語とのバイリンガル教育を選択しているのだ。
イタリア・コサト小学校の取り組み
コサト市は,イタリア北部,ミラノとトリノの間にある,小さな町だ。ミラノから電車で入った。この
町で,インクルーシブなバイリンガルろう教育が行われている。まずこのプロジェクトの現在のリーダー
であるリリア・テルージさんにお会いした。彼女は,ミラノ-ビコッカ大学の教員養成部門の先生だ。応
用言語学が専門で,ろう児たちの読み書きの発達過程を追いかけている。
コサトのプロジェクトは 12 年前に,ろう児に関わる言語聴覚士がアイディアを出し,近隣の公立学校に
提案,コサトの学校が応じたとのこと。先に述べたように,イタリアでは,通常学校(学級)に聴覚障害
児が 1 人という状況が一般的。その場合,特別教師がサポートにつくとのこと。ただ特別教師は,障害児
教育全般を学んでいるだけなので,必ずしも手話ができる(あるいは聴覚障害児教育を専門的に学んだ)
わけではない。十分なサポートになっていないとのこと。そういう中で,このプロジェクトが生まれたの
だ。
リリアさんの車で学校に到着。とにかく教室を見ようということで,まず 4 年生の教室に行く。丁度,
授業の前の,朝の会のような時間。生徒は全部で 15 人くらいだろうか,うち,ろう児は 3 人。教室に入っ
てまず印象的だったのは,どの生徒がろう児かすぐに分からなかったことだ。みんな手話で話している。
耳の補聴器を見て,ろう児が特定できた。机の配置は,2 列の横並び。ろう児はバラバラに座っている。前
に教師,手話通訳者,特別教師の 3 人がいる。先生がたくさんいるので,ちょっと異様な感じ。日本から
ゲストが来たということで,リリアさんに紹介してもらう。次に生徒が 1 人ずつ,自分たちの学級のこと
を紹介してくれる。クラスにろう児がいること,みんな手話を学んでいること,授業には手話通訳がいる
こと,もし手話通訳者がいないときはどんなふうにサポートするかなど,順番に話してくれる。次は私へ
の質問。関心が日本語の表記。それで私は名前を,漢字,仮名,ローマ字で書いて見せるとみんなびっく
り。聴児はスピーチで質問。ろう児たちは手話通訳を一生懸命見ている。ろう児たちも受身的でなく(通
訳の話を聞くだけでなく)自分からもよく質問していた。生徒同士では(私語)
,手話で話している。ただ
議論になると,いろんな生徒が同時に話したり,教師がかぶせるように話したり,ろう児の発言も音声に
しなくてはいけないので,手話通訳者は大変だ。とにかく,みんなしゃべりたい。なかなか生徒同士で情
報を共有するのが難しいとの印象を持ったが,まさに教室がバイリンガルの状況だ。
しばらくすると,手話教師が教室に入ってきた(初めろう者だと思っていたが,あとで聴者であること
が判明。ただこの学校に関わる手話教師は大半がろう者とのこと)
。1 時間目は手話の授業。突然,教室は
手話だけになる。手話教師は,もちろん手話だけで話し,生徒も手話のみ。まさに教室が手話の世界にな
る。手話教師が私に日本について質問(アメリカ手話で)したり,生徒と私との間の手話通訳(アメリカ
手話あるいはジェスチャーとイタリア手話)をしたりする。教師は,手話で私とダイレクトに話ができる
こと,スピーチだけでなく,手話でも外の世界へと広がることを子どもたちに伝えている。この教室で,
特別教師だけが何もしてない!特別教師は,一般に,障害を持つ児童・生徒のいる教室に配置され,主担
当の教師をサポートしたり,障害児童・生徒に対して取り出し指導をしたりするのだが,この学校では,
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まったく機能していない。教師の横(あるいは教室の後ろ)にいて,立っているだけ(?)
。後で,リリア
さんに聞くと,特別教師は障害児全般については学んでいても,特に聴覚障害や手話について学んでいる
わけではない。また学校現場で経験を積んでも,よく転勤するので,スペシャリストがなかなか育たない
とのこと。
校長先生に挨拶した。コサト小学校の取り組みの説明を受ける(リリアさんにあらかじめうかがった話
と重なるが)
。この学校は地域の普通の小学校。バイリンガル・プロジェクトは 12 年前に始まった。ろう
児を受け入れ,バイリンガルクラスが作られた。1 学年は数クラスあるが,そのうちの各学年 1 クラスの
みが,実験クラスとなり,そこに聴覚障害児が集められ,聴児にも手話が教えられる。幼稚園から中学校
まで,すべての学年に,実験クラスがある。基本的には,クラス替えがないので(もちろん希望すれば,
実験クラスから他のクラスに変わることができるそうだ)
,幼稚園から小学校,中学校と,12 年間手話を
学ぶことができるのだ。ただ聴覚障害児のいない学年もいくつかある。が,その場合も外から聴覚障害児
がやってくる可能性があるので,聴児の手話学習だけは続けられているとのこと。資金面に関して,通常
の教師や特別教師の給与は,もちろん政府からの補助金でまかなわれるが,手話通訳者や手話教師には,
国からの援助が出ない。そこで,このプロジェクトのための基金から彼らの給与が出る。基金は,地方行
政区からの補助金や銀行関係など民間の財団などから得られている。1 年間におよそ 20 万ユーロ(約 2,500
万円)
。どの生徒が実験クラスに入るのかとたずねると,聴児の親たちはこの実験クラスに子どもたちを入
れたがっているそうだ。当初は手話を余分に学ぶことになるので,子どもたちの負担になるのではと考え
られたが,全国の学力テスト(ナショナルテスト)で,この実験クラスの生徒が,他のクラスよりも良い
ということが分かったそうだ。確かに子どもたちにとってバイリンガル状況は,初めは少々苦労するが,2
つの言語を知っているということで,認知的にも学力的にもモノリンガルよりも伸びていくという報告は
多々ある(例えば,カナダの二言語教育)
。ただし,ろう児たちの成績はまちまちとのこと。聴児並みの成
績をあげる者もいるが,苦戦している生徒もいる。校長によると,やはり語彙の問題(理解できる語彙が
少ない)があると言う。聾学校との交流に関してうかがうと,ヨーロッパにある,いくつかの聾学校やろ
う児のためのフリースクールが集まって,生徒同士の交流や教師の研修を継続的に行っているそうだ(
「ヨ
ーロッパ・プロジェクト」と言っていた)
。私が以前,スウェーデンで訪問したことがある NyaBroskolan
(フリースクール)もそのプロジェクトに加わっていた。民間の財団から資金を得て,相互訪問なども行
われている。前の夏休みに,聴覚障害児たちがギリシャの聾学校を訪問して,交流したそうだ。
次に 1 年生のクラスを訪問した。20 人の生徒。うち,ろう児は 1 人のみ。ここでも主担当の先生と特別
教師,それに手話通訳の 3 人が教室にいる。特別教師は,難聴の方であった(手話ができる)
。すでに授業
がはじまっていて,校外学習で経験したり,学んだりしたことをそれぞれ絵に描き,それに文章(作文)
をつける。最終的には,1 人ずつみんなの前で発表する計画とのこと。一斉の授業場面では,主担当の先生
の話を横で手話通訳者が通訳する。個々の作業になると,子どもたちは,時々立ち歩いて,本を見たり,
何か動物のカードを持ってきて,それを参考に絵を描いたりしている。主担当の先生や特別教師が,子ど
もたちのところに行き,個別に指導・支援する。作業をアドバイスしたり,確認の質疑応答をしたり。特
別教師がろう児のところに行き,2 人で手話で話しながら作業を行っていた。通訳者は子ども同士の私語や
教師と他の生徒との 1 対 1 の話は通訳しない。聴児であれば,オーバーヒアリングしているところだが,
ただどこまで通訳を必要かなかなか難しい問題だ。聴の児童(手話がかなりできるのだろう)が主担当の
先生と話している時,時々手が動いていた(ただし,先生はスピーチのみ)
。主担当の先生が,ろう児のと
ころにも行く。その時は,さっと背後から手話通訳が入り,通訳する。先生も何とか手話ができるそうだ
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が,それほど技能は高くないようだ。特別教師も,ろう児の支援だけでなく,他の聴児のところも回って
いた。その際,聴児とは,スピーチと手話で話していた。聴の生徒も彼女には手話を使うということにな
っているのだろう。特別教師に聴の児童が単語のつづりを聞くとき,指文字で聞いている。また聴の生徒
と特別教師が初めは音声だけで対話をしていたが,途中から手話に変わったりする。しばらくすると,ろ
う児のところで特別教師と手話通訳者が付きっ切りでサポートしている。絵の作業が終わり,作文に取り
掛かっているようだ。ろう児が何か書きたいことがあるようだ。盛んに特別教師に質問している。特別教
師は手話を使うが,時々声を伴ったり,声だけになったりすることもある。そのときはさっと手話通訳が
入る。また単語のつづりの指導だろう。指文字もよく使っている。途中から 3 人が教室から出て行き,別
室での指導となる。特別教師がイタリア語の動詞の変化形の指導をし始める。単に作文の指導というより
も,イタリア語の文法の系統的な指導が必要と判断したのだろう。柔軟に指導の形態を変えている。生徒
が書いた文に文法的な誤りがあったので,その指導していたようだ。ただ全ての誤りを直すわけではない。
焦点を絞って指導をしているとのこと。ろう児も意欲的に動詞の変化形を学んでいた。しばらくすると主
担当の先生が呼びに来る。みんなで発表をするとのこと。ろう児も何とか文章を作り上げ,部屋に戻る。
すでに 1 人ずつの発表が始まっている。紙で枠が作ってあり(テレビのつもりだろうか)
,そこから書いた
文章を読み上げ,次に絵を見せる。手話通訳が脇で通訳する。ろう児の番になる。ろう児はしゃべりなが
らの手話で文章を読み上げる。それに通訳者が声を乗せる(発音が不明瞭なところもあったので)
。読み終
わり,絵を見せる。あまり時間がなかったのか,発表に対しての話し合いはあまりなかった。ひと言ふた
言,他の生徒が手を挙げて,感想を言ったりしていた。時間になり,授業は終了。
ランチで,リリアさんにコサトの取り組みや聴覚障害児教育全般の話をうかがう。彼女によると,聴の
生徒のナショナルテストの成績がいいので,親は子どもが手話を学ぶことをプラスアルファーと考えてい
るとのこと。ただろう児の成績は不明。もともと特別な支援を受けている生徒は,ナショナルテストが必
須ではないらしい。大学に行くためには必須。ただイタリアでは,なかなかろう者が大学には行かない(行
けない?)そうだ。したがって,優秀なろう者をこのプロジェクトに手話教師としてリクルートするのに
苦労しているとのこと。特別教師は,大学 4 年間(通常の教員養成)と大学院レベルの 1 年(あるいは 2
年)で養成されている。が,障害児教育全般の学習が中心で,聴覚障害に対する知識や技能は十分でない。
結局,学校の現場の中で学んでもらうことになるが,教師をトレーニングするのも大変。しょっちゅう転
勤があるそうだ。ただ午前に出会った,難聴の特別教師はここに長く勤めている。手話もできるので,貴
重な存在だ。ろう児への取り出し指導についてうかがう。やはり聴児と比べると読み書きの遅れがある。
それで英語の時間(週に 3 時間ほど)にろう児だけ取り出してイタリア語の指導を行っている。指導方法
としては,1つはダイアログ・ジャーナル(交換日記のようなもの)を先生と生徒 1 対 1 で行っている。
生徒が書いた文章に教師が文章で対話する。対話の際,焦点を絞った文法的あるいは語法的に重要な文を
付け加える。また別の授業では,手話教師とチームティーチングを行う。まず手話教師が手話で短い話を
する。それを子どもがイタリア語に翻訳。2 つの言語を対照しながらディスカッション。イタリア語から出
発することもある。イタリア語の短い文を手話に翻訳。それをビデオにとる。イタリア語と手話を対照さ
せて,イタリア語を学んでいく。手話教師がいることは重要。少なくとも教室にイタリア語とイタリア手
話が存在している。また十分な手話技能のない教師には無理に手話をさせない(指導の質が落ちるので)
。
教師はイタリア語では十分な指導ができる。手話通訳がいると指導の質が確保できる。ろうの手話教師を
どう確保するかがキーになっている。
次の日,朝,幼稚園に行く。教室に入ると,子どもたちが自由に遊んでいる。ただろう児はまだ来てい
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ない。ろう児はまず外のスピーチトレーニングを受けて,それから登園するらしい。しばらくするとろう
児たちもぽつぽつ登園。3 つのグループ(年齢ごと)に分かれて朝の会。5 歳児のクラスに入る。子どもた
ちは半円に座り,前で先生が話をする。手話通訳が先生の横で通訳をする。子どもたちは 15 人ほどだろう
か。そのうち,ろう児は 2 人(1 人は CI 児)
。今日は火曜日ということで,Merkoledi(火曜日の意味)の
文字カードが前に貼ってある。先生は,この単語の文字について話をした後,文字の学習に入る。例えば,
M のつく名前を子どもたちに言わせたり,書いた単語を見て,初めの文字と最後の文字がどんなふうにな
っているかなど,いろんなふうに文字に関する指導を展開する。先生の話は通訳できるが,子どもたちの
発言をすべて通訳することは難しい。またろう児の反応をすばやく声にすることもなかなか難しい。結局,
通訳者とろう児との 1 対 1 の対話になってしまう。授業はどんどん進行していくので,聴児とろう児で互
いに情報を共有することが難しくなってしまう。ただ聴児の方も自然に手が動くこともある。このグルー
プに,ろうの先生が途中から加わった。主担当の先生の背後から,ろう児へのサポートを行う(主担当の
先生の話は,手話通訳が通訳を行い,その話をろうの先生が見て,ろう児へのサポートを行っているのだ)
。
ろうの先生はろう児だけでなく,聴児へも手話でサポートしている。言語に関しては,なかなかダイナミ
ックな授業が展開していた。
隣の 4 歳児のクラスの方に行く。ここは特別教師 1 人で指導している。この特別教師は手話ができるの
で,1 人で対応することがあるようだ(手話通訳なしで)
。15 名ほどの集団中で,ろう児は 1 人のみ。教師
はしゃべりながらの手話。ただ手話をつけたり,つけなかったり。そのためか,なかなかろう児への情報
が伝わっていない印象を受ける。文字で書いた名前を切り貼りして,ここでも文字への意識化を図ってい
た。次に手話教師(ろう者)がやってきて,場所を変えて,手話教師による授業に変わる。特別教師は,
今度は背後で授業の記録していた。手話教師はまず,1 月から 12 月まで手話単語を表現して,子どもたち
が覚えているかどうか確認していく。次に,
「豚」についてのストーリーを共同で作る作業。まず 1 人ずつ
前に出てきて,豚に関して思いついたことを手話で表現する。その表現について,手話教師がアドバイス。
表現を改善させる。
それぞれの生徒が考えたストーリーをつなぎ合わせて,
1 つの大きなストーリーにして,
どこかで発表するそうだ。ここのグループの子どもたちは入園してまだ 2 年になっていない。手話の力は
まだまだ十分でないとのこと。
次に 3 歳児のグループ。10 人ほどの中に,ろう児が 2 人。先生が子どもたちに話している(隣で手話通
訳)
。今日はお客さんがあるらしい。みんな誰だろうとわくわくしている。そこにカエル(先生が扮してい
る)
)がやってくる。挨拶をすると,カエルが手紙をくわえている。それをみんなに見せる。何が書かれて
いる?とたずねるがもちろん,みんなまだ読めない。カエルが内容を伝える。これは子どもたち宛の手紙。
指さしして,文字に着目させながら読んでいく。その内容について,カエルと子どもたちがしばらく対話。
カエルは帰っていく。今度は先生が大きな紙を出して,カエル宛に手紙を書こうと誘う。まず何を書く?
と聞く。最初に何を書くか,手紙のルールを教える。
「カエルさんへ」だね。それから対話をしながら,子
どもたちに書きたいことをしゃべらせ,それを少しずつ文にしていき,前の紙に書いていく。教室にいる
鳥の名前を手紙に書こうということになる。どんな鳥がいるか,子どもたちに名前を言わせる。今度はそ
れを 1 人 1 人手紙に書いてもらう。もちろん自分で勝手に作った綴り(invented spelling)。最後に,手紙の
最後の方にそれぞれ自分の名前を書かせる。中にはほとんど自分の名前が書ける子どももいるが,でたら
めに文字らしい綴りを書く子どももいる。正確に文字を覚えたり,書いたりでなく,まずは文字に関心を
持たせる,書くことを楽しむ段階(プレリテラシー)の指導だ。ろう児たちは,あまり集中できていない
印象を受けた。通訳者がさかんに自分に注意を向けさせるが,なかなかグループの活動に入れない。何と
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か通訳者は先生の話を通訳しようとするが(子どもの話まで通訳できない)
,子どもが通訳をなかなか見な
い。結局,通訳者とろう児との閉じた対話になってしまう。通訳者は子どもの発話をすべて通訳しない。
選択している。どのように選択するのか,このあたり通訳者がいる授業の在り方として,今後検討が必要
とリリアさんの言。中学や高校になると,先生の話をそのまま通訳すれば,生徒たちはうまく集団に入れ
るだろうが,幼児段階での通訳のあり方については,これまで十分に検討されていない。先生の話を通訳
するだけでは,必ずしも集団活動に参加できるわけではない。
リリアさんの話。幼稚園にはいくつかのクラスがあるが,各学年 1 つだけが実験クラスとなっている。
もし学年にろうの生徒がいなくとも,実験クラスとして確保し,そこで手話の授業が続けられる。いつろ
うの生徒が来ても対応できるようにしているとのこと。
小学校の隣の敷地にある中学校へ行く。中 3 のクラス。ろうの女生徒 3 人を含め,合わせて 20 人ほどの
クラス。幼稚園の年少の時期にこのプロジェクトがスタートした。このクラスに入ると,まず誰がろうか
聴か見分けがつかない。みんな手話を使っている。何とか補聴器によってろう生徒を同定。しばらくして,
教師がやってくる。地理の時間だ。教師は,手話ができない。手話通訳がつく。同様に特別教師も教室に
いるが,後ろにいるだけ(?)
。ここでも私が日本から来たことが紹介される。彼らは以前に地理で日本の
ことを学んだらしい。学んだことについてそれぞれ発表する。また生徒たちはとても意欲的に質問してく
る。特に,日本の文字が話題になる(なぜ,ひらがな,かたかな,漢字,ローマ字と 4 種類もあるのか?
どんなふうに使い分けるのか?子どもはどんなふうに学んでいくのか?などなど)
。通訳が一生懸命通訳す
る。生徒たちの重なる声を 1 人で通訳するのは大変だ。ここの生徒は,第一世代の子どもたち。リリアさ
んによると,ろう生徒は 3 人とも聴の生徒と同様の学力レベルに達しているとのこと。また聴の生徒たち
の手話力も十分に育っている。それで試験のとき困ることがありそうだ。なんと机の下で,指文字で答え
を教えあったりしているとか。私が大学で心理学を教えているというと,何人かの生徒が将来心理学を勉
強したいと言う。中にろうの生徒も入っていた。ろう者が心理学を勉強することはとても大切だというと,
なぜかとその生徒が聞く。ろう者はこれまで十分に,例えばカウンセリングなどの援助を受けることがで
きなかった,日本にも聴覚障害を持つ心理士がやっと生まれつつあることなどを伝える。ろう生徒が目を
輝かせながら,話を聞いてくれたことが印象的だった。ろう生徒と聴生徒が私語レベルでは盛んに手話で
話している。幼児期や小学校低学年段階では,教室で手話通訳がうまく機能することが難しいなあと感じ
ることも多いが,でもこのクラスの生徒たちの様子を見ると,インクルージョンの枠組みでバイリンガル
教育が可能なんだと納得できる。ただリリアさんの話によると,今の幼稚園や小学校の子どもたちがこの
レベルまで達するかどうかは分からないという。聴覚の障害だけでなく,プラスアルファーの障害の可能
性をもつが子どもたちが増えていると言う。
短期間の訪問では,全体像がなかなか見えてこない。ただイタリアでは,インクルージョンの教育環境
下で,聴覚障害児たちはなかなか苦戦を強いられており,それを打開する 1 つの試みとして,バイリンガ
ル教育の導入があるようだ。そこでは,まず手話通訳の配置により(もちろん主担当の先生も手話を学ぶ
が)
,手話言語の十分な環境を確保すること。そして聴の子どもたちへの手話の指導。これにより生徒同士
の対話的な学習環境も確保される(手話通訳者を通しての一方向的な学習でなく)
。聴の子どもたちにとっ
て,手話の学習がプラスに働くという副次的な効果もある(ナショナルテストの成績)
。そして成人ろう者
(手話教師として)の関与だ。この 3 つはなかなか揃わない。先に紹介したノルウェーのネードレゴーセ
ン校でも,アイスランドのフリーダスコーリでも十分でなかった。それをこのコサトでは,何とか実践し
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ている。でも課題もある。手話通訳や手話教師の確保などに膨大な予算がつぎ込まれていること。そして
ろう児の集団の確保だ。手話とインクルーション。一見,相反する取り組みだが,その試みは,ここヨー
ロッパで様々に行われていた。そしてもちろん,日本での取り組みも必要だ。折しも,難聴学級や通級指
導教室,通常の学級で学習する聴覚障害児たちが増えている。そこでの手話の活用の取り組みも増えつつ
ある。これらの取り組みにも注目していきたい。
(完)
ホームページ公開:2010 年 2 月 22 日
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