レファランス・レビュー

ISSN 1341-7894
大阪経済法科大学図書館
図書資料情報
レファランス・レビュー
第19号 2005年3月25日
発行:大阪経済法科大学図書館
目 次
法学系データベースの鳥瞰 ……………………………………………………………1
隅谷三喜男著作集全九巻 岩波書店(2003年)…………………………………………6
Ta Tsing Leu Lee : being the fundamental laws,
and a selection from the supplementary statutes,
of the penal code of China(1810年)
……………………………………9
バッハ全集 全15巻 …………………………………………………………………1
2
カール・マルクス:批判的反響(全4巻)……………………………………………14
藩法集 ………………………………………………………………………………1
8
−1−
法学系データベースの鳥瞰
近年、図書館の資料は、紙媒体だけではなく電子的なメデ
ィアも激増している。この電子資料については、紙媒体に比
べて幾つかの明確な利点がある。具体的には、
1.書架スペースには物理的な制約があるところ、電子媒体
で提供される資料はスペースを事実上必要としないため、無
制限に資料を収集することが可能である。
2.「貸出中」と言う状況が起こらないため、いつでも資料
を必要なときに取り出せる。
3.多くのデータベースにおいては、資料の部分的コピーがマウス操作で行えるため、引用が簡単に
可能となっている。
4.検索機能が充実しているため、目当ての資料へのアクセスが簡便に行える。
などの利点がある。
多くの法科大学院では、学生が充実した資料を用いてレポートを作成できるようになるために、
「法情報学」の講義と演習を必修化し、学生のリテラシー向上を図っている。
このような状況を鑑み、本学図書館でも電子資料を充実させてきた。本稿では、本学図書館の電子
資料について、鳥瞰的に紹介してみたい。
1. LEXIS-NEXIS
LEXIS-NEXISはアメリカに本社を置くリーガルデータベース企業である。本学では、一昨年から
本格導入されたが、法科大学院を抱える大学では、ほぼ100%普及しているシステムである。
アメリカの裁判は、テレビ番組や映画でもたまに紹介されるとおり、「判例主義」を原則としてい
る。ある事件が起きたとき、その先例となる判例がすでにないかを探す能力が実務法曹として重視さ
れる。アメリカのロースクール教育は、一言で言えば徹底した実践主義であり、机上の空論としての
法理論を弄ぶようなことはしない。学生たちの予習も、判例を調べることに大きな労力が割かれる。
LEXISは、このような判例主義をとるアメリカにおいて発展してきたデータベースであるが故に、
英米法関連においては、最強の研究ツールと行っても過言ではない。実際使ってみると、後述する日
本製データベースと比べて、多くの先進性に気づく。人工知能による曖昧検索の精度などは、最近に
なってやっと充実しだした日本製データベースとは比較にならないぐらいしっかりしている。
日本のリーガルデータベースは、大なり小なりこのLEXISの影響を受けているため、LEXISのイン
−2−
ターフェースに精通しておくことは、日本製データベースを使う上でも大変に有益であると言える。
サポートも充実しており、操作が分からない場合などは、フリーダイヤルやメールですぐに対応して
くれるところは特にありがたい。
筆者は、大学院の時から、法学データベースとしてLEXISを使ってきたが、教員としてこのデータ
ベースの有効性を学生たちに教えるために、一昨年にはじめてマニュアルを通読して、その充実した
機能に再度驚いた覚えがある。日刊の新聞や、週刊・月刊の有料雑誌が、ほとんどタイムラグなしに
データベースに収録されるのである。ワシントンポストなり、ニューヨークタイムズなりを、自費で
購入する場合は結構な値段になるが、このLEXISのシステムを用いると、その日のうちに、世界中の
主要新聞の記事を無料で手に入れることが出来るのである。
この、新聞・雑誌記事データベースとしてのLEXISの威力は、教育にも効果を発揮する。良質の時
事英文を選んで学生に読ませることは、学生に多面的な見方を与えることが出来る。幾つか例を示そう。
昨年、マリナーズのイチローが大リーグで年間安打の新記録を達成したが、CNN等のアメリカのメ
ディアを見る限り、日本ほどは大きな話題になっていなかったと感じた。日本のテレビでは、「アメ
リカの新聞でも大きく扱われています」という報道を行っていたが、画面に出てくる新聞が西海岸の
ものばかりなので、地元以外の新聞はこの快挙をどう伝えているのかが気になり、LEXISの新聞検索
を網羅的に行った。すると、前記録保持者のシスラーの頃と年間試合数がかなり異なっていることを
強調する論調が多いことに気づいた。例えば、昨年10月2日のAPでは、「シスラーが154試合で達成
した記録を、イチローは160試合で達成した」という記事が淡々と送られていた。もちろん、イチロ
ー選手の記録は賞賛されてしかるべきであるが、アメリカのメディアの報道姿勢が多様であることに
は、大学生である以上気づいてもらいLEXISを用いることで、「日本以外の国の視点」を踏まえたも
のの見方を、学生に与えることが出来るのである。
昨年は、私のゼミで、数回東京から講師をまねいて、LEXISの講習を行ったが、5人以上の希望者
が集まれば、LEXISはいつでも講師(インストラクター)を派遣してくれる。是非、ゼミ単位でこの
便利なデータベースを活用する道を探っていただきたいものである。私は、学部教育においてLEXIS
を活用する道を模索してきたが、その一つの方策を一昨年、「導入教育における外国判例データベー
スの利用について」として、私立大学情報教育協会において、本学図書館の太田潔氏とLEXISの神山
智子氏との共同研究という形態で発表した。予稿は「私立大学情報教育協会 平成15年度 全国大会
論文集」のpp180−81に掲載されているので、興味のある方にはお読みいただければ幸いである。
2. 判例体系
老舗の法律文献出版社である第一法規が提供する判例データベースシステムである。現在、学内で
インターネットに接続されている全てのパソコンからこのデータベースが利用できるようになってい
る。検索機能は強力であり、事件番号はもとより、ある特定のフリーワードや法条、裁判官名、判決
年月日や裁判所名などを入力することで、判決を容易に検索出来るようになっている。
基本書を読んでいて、判決全文が欲しくなった場合には、ピンポイントで、裁判所名と判決年月日
を入れるとお目当ての判決を手に入れることが出来る。紙媒体と比べて圧倒的に有利に感じるのは、
−3−
審級関係をワンクリックで追える点である。有名な最高裁判決で、「破棄自判(=高等裁判所の判決
を取り消して、最高裁判所が独自の判決を出す)」となっているものは、当然高裁の判決を知りたい
と感じるであろう。従来の紙媒体であれば、そのような欲求に駆られた場合、高裁判例集を暗い書庫
から探し出してきて、事件番号から検索するしかなかったのであるが、このデータベースには、画面
上に“第一審”や“控訴審”と言ったリンクが表示されており、何の苦労もなしに、ノータイムで下
級審判決を手に入れることができる。このような機能は、法学研究者を検索やコピー取りと言った雑
務から解放させ、真に知的な作業にのみ従事させることを可能にしている。
さらに文献引用のための機能も充実している。目的の判決を見つけたら、画面の下方部を見ていた
だきたい。そこには、当該判決を論評した法学文献のデータが掲載されている。判例タイムズや法律
時報がその判決のレポートを掲載している場合、雑誌のどの巻の何ページを見ればよいかが明記され
ているのである。この機能があるために、我々研究者は、その判決に対して、著名法学者たちがどの
ような意見を持っているのかをすぐに調査することが出来、研究効率は大きく向上している。
おもしろい使い方としては、個性的な少数意見を述べる最高裁判事の関与した判決を網羅的に調べ、
その裁判官の思考体系や論理構造を探ってみるのも楽しい。特に、大学教授から最高裁の判事に転身
した「学者裁判官」については、職業的裁判官のみの法曹人生を送った人たちとはかなり異なった大
胆な発言をしていることも多く、有益な発見に恵まれることもある。この発見が、筆者に対して論文
執筆のきっかけを与えてくれることも多くあった。
また、キーワード検索を使ってみると、今まで考えもしなかった方向から、法律学全体を鳥瞰的に
眺めることも可能となる。筆者は、今年度、「阪神大震災と法」というテーマで演習を受け持ったが、
この「判例体系」のフリーワード検索に「阪神大震災」と入れると、さまざまな事件がヒットしてく
ることに驚いた。マンションの建て替え(区分所有法における決議)や危険負担の判例がでてくるこ
とは予想されたが、他にも「地震保険の説明が不十分であることを理由として、精神的損害を主張し
た事件」や「相続と同時危難の関係」など、震災後の社会と法の関係を法社会学的に分析するための
良い素材をたくさん手に入れることが出来た。我々教員は、自分の研究領域以外の情報については疎
いことが多い。この検索システムを用いると、教材の準備が短時間で出来るとともに、自分が専門と
しない領域についても、十分な教材を用意することが出来るため、教育の質の向上という点からも判
例体系を、是非積極的に使うことを検討していただきたい。
3. LEX/DB
会計・税務情報を提供する企業として定評のある(株)TKCがインターネットを通じてサービスし
ている法律情報が、LEX/DBである。基盤となるコンテンツは、第一法規と共通している部分もある
ため、基礎的なデータは判例体系とかぶるところがある。
しかし、このデータベースは、判例体系にはない特徴的な機能が幾つかある。
まず、元の紙の記録媒体から、忠実にスキャンしたうえで、データがPDFで提供されるため、論文
を作成する上で、参照ページを明示することが容易になると言うメリットを持っている。これは、書
式を決められた原稿依頼において、参照文献を手軽に明示出来るという点で、執筆者の負担を軽減し
−4−
てくれる。
また、判例体系では手に入らない図表データが入手できるという点もありがたい。筆者の関心領域
は、現在主として知的財産にあるが、知的財産法においては、電気回路図や化学式等の図表が、訴訟
上大きな意味を持ってくる。これをほぼ原状通りに入手できることは、研究の遂行上大きな利点であ
ると言える。私の専門ではないが、交通事故を研究している学徒たちの間では、やはり図表は命であ
ると聞くし、それは不動産登記などの分野でも同様であろう。
さらに、判決の速報性という点では、このデータベースは群を抜いている。このデータベースは、
大体毎週更新される。最高裁で大きな判決がでた場合、翌週このデータベースを叩けば、紙媒体で情
報を入手するより先に、判決全文の検討にはいることが出来る。この速報性は大きい。
最後に、幾つかの法領域においては、このデータベースはさらに強力な威力を発揮することを紹介
して、この項を終えたい。LEX/DBは、トップページにおいて、租税事件・知的財産事件・医療過
誤・交通事故については、特別のポータルを用意している。そして、これらの領域については、豊富
な資料がwebで提供されており、この分野を専門とする場合は、このサイトで最新の情報を仕入れて
おかないと、同業者との議論が事実上出来ない状況が発生している。上記の領域については、まさに、
「情報の海を泳ぐ」とでも言うべき状況が現実に起きているのである。
現在、本学からは、日経テレコンの専門情報を通じて、このサイトにアクセスできるようになってい
る。アクセスできるコンピューターは原則として、図書館の三階にあるコンピューターだけであり、利便
性の点では問題を感じるかもしれない。この点については、利用者が増えてくれば、関係部局もそれに応
じた対応をするであろうから、教員の先生方におかれては、やはり是非積極的な利用をお願いしたい。
4. EOCリーガルデータベース
株式会社EOCは、主要法律雑誌をDVDに格納し、強力な検索機能を付けて販売している。実際に
収録されている法律雑誌は、ジュリスト(含む百選)、判例タイムズ、労働判例、金融・商事判例、
金融法務事情、最高裁判所判例解説である。このうち、本学では、ジュリスト、判例タイムズ、最高
裁判所判例解説が利用可能となっている。
このデータベースも強力であり、著者名や所属機関名から論文を検索することが出来る。さらに、
紙媒体と比べて、圧倒的にこのデータベースに認められるアドバンテージは、「雑誌横断検索」とい
う機能である。つまり、このデータベースは、X大学のA教授が書いた論文を、雑誌の種類を越えて、
すぐに検索してくれるのである。そして、紙媒体で提供されていたデータが全てDVD化されている
ため、必要な箇所をすぐにその場でプリントアウト出来るのである。
ジュリストなどは、創刊号から横断的に検索できるため、旧帝大の名誉教授クラスが、若手助教授
だった頃に、どのような言説を発表していて、それがその後どう変化していったのかも、一瞬で表示
することが出来る。特に、若い頃とは学説を変えた数人の大先生などに対して、「あの大先生も、若
い頃はお悩みになったんだなあ」と言う感慨にふけることもままある。
筆者は、個人研究費でジュリストDVDと最高裁判例集DVDを購入し、それをさらにポータブルの
ハードディスクに組み込んでいる。出張の際は、ノートパソコンとこの小型ハードディスクを持ち歩
−5−
くため、研究会などで議論をする場合は、すこぶる便利である。発表者が、「・・・の判決において
は、最高裁は と判示し、」と述べた場合、その場ですぐにその判決全文を表示させること
が出来るので、その後の発表者との討論が、かなり実のあるものとなっている。以前は、判例分析が
甘い報告をしても、その場で判決全文を調べる方法がなかったので、発表者は厳しい質問がきても、
上手く逃げ切ることが出来た。筆者にも経験があるが、甘い発表をして、年輩の先生から、「最高裁
は、そこで・・・と評価しているのではないか?」と言うつっこみが入った場合でも、「私としては、
∼∼と認識しておりまして、手元に判決がないので分かりませんが・・・」という逃げを打てたのだ
が、最近は、研究会にいわば全判例集を持ち込んで討論するという状況なので、若手研究者は十分に
準備してからでないと、発表のあとで集中砲火を浴びる危険性があるのである。これは、研究者に十
分な準備をさせるという意味で、このデータベースの大きな学問的寄与だと考えている。
また、このデータベースのフリーワード検索も興味深い知的興奮を与えてくれる。仮に、「三菱樹
脂事件」というキーワードを入れた場合、憲法だけでなく、労働法や法社会学の先生が書かれた論文
までもヒットさせることが出来、法律学における学際的な文献収集が簡単に出来るようになる。
さらに、このデータベースを使っておもしろかった事例として、何となく研究者間の系図が見えて
来るという状況に遭遇できたことが何度かあったということを報告しておきたい。例えば、X大学の
A先生は、Y大学のB先生の論文を絶対に引用しないものの、A先生が自説の論理展開上、B先生の論
文を引く必要がある場合に、B先生の論文に言及しているZ大学のC先生の論文を引用するという事例
を散見することが出来た。都市伝説のように聞いていた、研究者間の人間関係をかいま見たような気
になり、「あの噂は本当なのかな」と言った週刊誌的な興味を感じた。そして、そのような自分に、
苦笑してしまったこともあった。
まとめ
以上、学内に入っている法律データベースの機能や使用例について、概略を紹介させていただいた。
この手のデータベースは、実は、講習を受けただけでは使えるようにならず、自分で試行錯誤して、
慣れていった方が実は達人への近道である。私の実感としては、データベースを使いこなすのは、携
帯電話を使うことに似ていると感じている。
我々は、通常携帯電話を便利に使っているが、自分が持っている携帯電話の全ての機能を使いこな
せているわけではない。自分に必要な機能を、あまりマニュアルも見ずに、試行錯誤で使えるように
なっただけである。データベースも同じような側面を持っており、講習で「あんなことも、こんなこ
とも出来る」と習っても、それだけでは使い方をすぐに忘れてしまう。大切なことは、遊ぶように慣
れ親しむことである。それを繰り返すうちに、自分に必要な検索機能が自然と身に付いていき、結果
的に、自分にとって必要な情報を、自力で、必要な時に、適切なソースから手に入れられるという
「情報リテラシーの高い人」になれるのであろう。
※ 文中、各データベース名は、各社の登録商標です。
(教養部:井出 明)
−6−
隅谷三喜男著作集全九巻 岩波書店(2003年)
−隅谷三喜男から学んだこと−
1 隅谷三喜男の略歴と業績
隅谷三喜男(すみやみきお、1916年∼2003年)の著作集が
2003年岩波書店から出版された。私は同志社大学経済学研究
科で労使関係論を学んでいたとき、隅谷三喜男の著作から多
くのことを学んだ。たとえばその一つは私の小論「明治前期
の大阪地方における紡績女工不足と寄宿舎制度の成立」(『経
済学論叢』(同志社大学)第25巻第1・2号、1978年12月)
に反映されている。
隅谷三喜男は1937年東京帝国大学経済学部に入学し、「41年3月卒業とともに、旧満州国・昭和製
鋼所の、最底辺層の中国人労働者の中に飛び込んで労働問題の研究と労働者の待遇改善を求めて死力
を尽くした。戦後、作家五味川純平による大河小説『人間の条件』(全六巻・三一書房)の主人公梶
は隅谷がモデルと言われている」(蝦名賢造『隅谷三喜男 学問 信仰 人生』西田書店、1998年、9ペ
ージ)。敗戦後、1946年に帰国し、東京大学の助手(主任教授は社会政策論において名高い大河内一
男教授)をへて、助教授、教授、学部長を歴任した。隅谷三喜男の業績は「その30余年の間を通じ、
専攻の労働経済論、産業経済論の分野はもとより、日本プロテスタント史、ならびに社会思想史の分
野において、先駆的な、また体系的な研究業績を重ね、学会・思想界に大いなる遺産を築き上げた」
と評価されている(同上10ページ)。
この小文では、私が隅谷三喜男から学んだこと、ということで、隅谷三喜男の業績の一端を紹介す
る。隅谷三喜男の経歴や業績全体については、たとえば蝦名賢造氏による上記文献を参照されたい。
2 隅谷三喜男の雑業層論
私は同志社大学経済学研究科の博士課程(1973年以降)において日本資本主義形成期における労使
関係の展開過程を研究した。現代を見る眼を養いたいとの意図からであったが、そこで取り上げたの
が紡績業である。戦前の紡績業は、日本資本主義の重要な構成要素であり、そこでの女子労働者(女
工)の諸問題と紡績企業で展開された経営家族主義は、戦前の日本資本主義を理解するための基本的
なテーマであった。
そこで注目したのが隅谷三喜男の「都市雑業層」論である。これは、戦前の労働市場の理解におい
て、隅谷が実証分析と大河内一男教授などの説の批判的検討からから初めて導出したものである。都
市雑業層とは、「零細工業、家内労働、零細小売商等、雑多な営業」に従事する「零細企業労働者、
家族労働者、家内労働者、人夫・日雇その他雑業等」を指す言葉である(隅谷三喜男「日本資本主義
と労働市場」著作集第2巻、176ページ)。「都市雑業層」論は、従来、貧困問題の視点から扱われて
−7−
きた都市雑業層を、労働市場の一つの重要な構成要素として位置づけたところに革新的な意義があっ
た。それまでの伝統的な考え方(その代表的なものは、大河内一男教授の「出稼ぎ型賃労働」論であ
る)では、労働市場は、農村過剰人口と賃労働の2つの範疇によって把握されていたのである。
私は、この視点に導かれながら、明治前期から大正期までの大阪地方における紡績業の発展過程に
おける労働力の調達とその管理、経営家族主義の形成について研究した。少しは従来の研究に対して
新しい視野を提供できたと考えている(その具体的な内容は前掲能塚「明治前期の大阪地方における
紡績女工不足と寄宿舎制度の成立」および「明治末期紡績業における女工募集難と経営家族主義」、
大阪経済法科大学『経済学論集』第13巻第1号、1989年を参照)。
3 隅谷三喜男の労働経済論
戦前から戦後の数年の間、労働問題は主として社会政策論の枠組みの中で議論された経緯がある。
戦後の民主化の大きな動きの中で、労働組合運動が大きく発展したが、これを背景に、労働保護政策
としての社会政策の必然性をめぐって議論が華々しく展開されたことがあった。服部英太郎教授や岸
本英太郎教授、それに私の大学院の指導教授であった西村豁通教授らによるいわゆる社会政策本質論
争がこれである。
隅谷は、この論争による社会政策理論の純化によっては、現実に生じつつある戦後の労働問題を説
明することはできないのではないかと考え、そこから、アメリカで展開されていた労働市場論を軸に
した労働経済学の成果も視野に入れながら、独自の労働経済論を構想した。それが『労働経済論』
(経済学全集19、筑摩書房、1969年)である。
隅谷の労働経済論の体系は、下に示す範式によってみることができる(著作集第3巻、55ページ)。
この範式はマルクスの資本の循環に由来するものである。これに下段の賃労働の再生産過程を組み合
わせ、そこに、労働市場や労使関係、労働過程、消費生活過程の概念を表現したのがこの範式である。
この範式を見て目を引くのが、労働者の消費生活過程が組み込まれているということである。この点
について隅谷は次のように述べている。「最後の過程G−W’ ……Wは労働力が再生産される過程で
あり、労働者にとってみれば消費生活の過程である。労働経済学は、一方では理論経済学との差異を
意識しながら、他方ではそれに規定されたため、この消費過程についてはまったく関心を示していな
い。労働市場とそこで決定される賃金の分析で終わっている。だが、その賃金によって行われる労働
力の再生産を考察しなければ、賃労働の再生産過程の分析は完結しない。」
(著作集第3巻、55ページ)
要するにこの範式によって、資本の循環過程とそれに組み込まれながら賃労働が再生産される過程全
体が統合的に示されたのである。
これは資本主義の成り立ちとその再生産過程を分かりやすく表現するものとして価値が高いと私は
考えている。経営学のテキストにこの範式を利用するものをいくつか見ることができるが、私も担当
している経営学総論では、これを資本と賃労働が関係しながらそれぞれが再生産される過程を説明す
るための有効なものとして利用している。ただ私の場合には、環境問題を意識して、産業廃棄物や消
費生活過程から出るごみも範式の中に組み込んで、説明している。今日、企業経営にとって環境問題
は一つの重要課題になってきており、隅谷の範式に産業廃棄物やごみを組み込むことが必要不可欠と
−8−
考えているからである。
隅谷の範式
Pm
……
……
A
…
……
…………
労使関係
……
……
…
……
……
(A) (G) A G W´ L
(A)
賃労働=L
資 本=G W P W´ G´
<
労働市場
労働過程
消費生活過程
4 学問と実践
以上、都市雑業層論と労働経済論に絞って、私が隅谷三喜男から学んだことを紹介したが、何より
重要なことは隅谷の研究者としての姿勢である。その第1は、研究における現場主義である。隅谷は、
観念論を排し、戦後の多くの時期において、労働組合などの調査を多く手がけている。研究の発展・
深化の背景には現実把握があった。第2は社会貢献活動の精力的な展開である(たとえば、中国人留
学生への奨学金援助のための「東方学術交流協会」の創設など、多くの実践活動を展開している)。
その背景には歴史的には、旧満州の昭和製鋼所における経験やキリスト者としての宗教的見地などが
あるものと考えられる。
最後に著作集の構成を示して、小文を結ぶ。
第一巻 日本賃労働史
第二巻 労働問題研究の方法
第三巻 労働経済論
第四巻 日本産業分析1
第五巻 日本産業分析2
第六巻 アジアの近代化と経済
第七巻 日本の社会思想
第八巻 近代日本とキリスト教
第九巻 激動の時代を生きて
〔請求記号:366.08/Sum〕
(経済学部:能塚 正義)
−9−
TA TSING LEU LEE; Being the Fundamental Laws, and a Selection
from the Supplementary Statutes, of the Penal Code of China
(大清律例;中国刑法の基本法典および付属文の抜粋)
標題の英文書は、中国・清朝時代の法典―『大清律例』を、
イギリスのジョージ・トマス・ストーントン(Sir George
Thomas Staunton
1781‐1859)準男爵が英訳して、1810
年にロンドンで刊行されたものである。したがって本書は新
刊図書ではなく、古書稀覯本として本学図書館の蔵書に加わ
った。19世紀初頭に作られたこの書物は600ページを超える
大巻で、装丁は半子牛革装、背表紙には金色の書名が施され
ている。200年近くの歳月が過ぎた今、紙に多少の変色はみ
られるものの、目立ったキズがなく、気品にあふれる古書の一品といえる。
訳者のジョージ・トマス・ストーントンは19世紀前半、イギリス政府の中国問題専門家として、ま
たは1840年の第一次アヘン戦争の開戦を強く主張したイギリス強硬派議員団の一人として知られてい
る。そんな彼がいつ、どのようにして中国問題に関心を向けたか?なぜ彼が『大清律例』の英訳に踏
み出したか?その理由は彼の少年時代のある出来事に溯る。
18世紀のイギリスでは、中国茶輸入の増大にともない中国への関心が高まっていた。オランダやフ
ランスを抜いてヨーロッパ最大の殖民強国となったイギリスは東方における商業利益を重視し、なか
でも中国貿易の制覇が重要な目標であった。当時すでに広州での中国貿易をほぼ独占していたイギリ
スは、自国製品の販路拡大や貿易制限の撤廃、さらには両国間の通商条約の締結などを求めて、1792
年、史上初の中国使節団―マカートニー(Lord Macartney)使節団を清朝に派遣した。
その一行にストーントン親子も加わった。父親のジョーン・レオナード・ストーントン(George
Leonard Staunton
1737-1801)はマカートニーの副使として、息子のトマス・ストーントンは中国
語通訳見習いという役割であった。出航時には僅か11歳であったトマス少年だが、十ヶ月に及ぶ航海
生活のなかで、同行した二人の中国人神父に中国語を学び、ついには清朝皇帝の前で中国語による会
話ができたという。
しかしマカートニーの中国訪問そのものは不成功に終わった。建て前は乾隆皇帝の「万寿祝い」と
しつつも、真の狙いは貿易条件の改善と通商関係の拡大であったイギリスの使節に対して、対外貿易
はあくまでも「天朝上国」の清朝が遠方の「外夷」に与えた恩恵であることに固執した皇帝は、その
要求に耳を傾けなかった。
トマス・ストーントンは訪問失敗の原因を、英中両国の文化形態・社会制度の隔たり、および当時
ヨーロッパにおける中国情報の不確かさに求めた。それから数年後の1800年(清嘉慶5年)、東イン
ド会社の広州事務所で勤務していた彼は、中国の基本法典の『大清律例』を現地で入手すると、さっ
そくその翻訳に挑戦したのだが、その完成には10年もの歳月を費やし、1810年にようやく出版するに
−10−
至った。
訳者はあえて翻訳に挑戦した自らの思いを同書の序文(Preface)に託した。その紙数は36ページ、
長篇論文に相当する分量である。そのなかで訳者は以下の数点を強調した。
1.西洋のイギリスと東洋の中国とでは種々の事情が異なり、その隔たりは甚だ大きい。交渉に際し
ては的確な判断と対処方法が必須であるので、この古い国家の伝統や文化に対する基本知識が不可
欠なものとなる。
2.17−18世紀のヨーロッパ社会の中国認識は、基本的に海外に赴いたイエズス会士の報告に基づい
ていた。しかし彼らが数多くの著作において描いた中華帝国の偉容は必ずしも真実といえない。ミ
ッションの成功をさせるために彼らが中国に不利な情報を避け、場合によって故意に美化すること
もあったからである。この事実はマカートニー使節団の中国訪問によってすでに明らかになってい
る。
3.これまでの歪んだ中国イメージを是正し、真の中国事情を会得するためには、第三者の間接的な
紹介ではなく、中国語の書物から直接に情報を得るのがもっとも確かで近道になる。なかでも現行
制度の土台となっている同時代の法典が重要な意味を持つ。これが『大清律例』の翻訳に踏み込ん
だ最大の理由である。
4.『大清律例』が選ばれる理由に、まずはその主題の重要性、資料の権威性などが挙げられるが、
そればかりではない。「他のあらゆる中国語書物に比べて、内容も簡潔明快さを極め、しかも読者
を満足させるに足る例証を提供しうるからである」。この書物を通して「中国政府特有の制度、組
織構造、内政における根本的な原則、そしてこれらと当該民族の慣習や性格との関係」などがよく
理解されるようになる。
『大清律例』は順治3年(1646年)に初頒布以来、各皇帝の治世で一部改訂が行なわれた。訳者が
翻訳時に依拠した原典は、嘉慶4年(1799年)と嘉慶10年(1805年)の二つの刊行本とみられる。同
法典の正文にあたる「律文」は乾隆5年(1740年)本の刊行以来定型化し変動がなかったが、付属文
にあたる「例文」(法典の正文条項の応用例・説明)は清末まで増減を繰り返した。その事情を考慮
したためか、訳者は「律文」の436条をすべて英訳して訳書の正文としたが、「例文」は一部のみを訳
出して、他に関連の法令や上諭、そして訳者自らの解説などと合わせて附録(32篇)とした。晦渋な
中国語法令用語を西洋人読者により分かりやすく伝えるために、英訳は基本的に意訳という方法をと
っている。さらに訳者は律文に対して、原典にはない通し番号を各条項の冒頭につけて正文の引用と
検索を容易にした。この試みは西洋系法典の作成技術を中国の法典に導入した改良事例として専門家
から好評を得ている。
訳書Ta Tsing Leu Lee は以下のように構成されている。(
)中の番号はストーントンが律文の条
項につけた通し番号を示している。
Preface
序文(訳者の前書き)
Contents
内容(正文の部)
−11−
Preliminary
Matter
予備事項篇(『大清律例』初版本・改訂本の原序文、
量刑に用いる法律用語・図表の一部など)
First Division,−General Laws
第一章:名例律(No.1∼46)
Second Division,−Civil laws
第二章:吏律(No.47∼74)
Third Division,−Fiscal laws
第三章:戸律(No.75∼156)
Fourth Division,−Ritual laws
第四章:礼律(No.157∼182)
Fifth Division,−Military laws
第五章:兵律(No.183∼253)
Sixth Division,−Criminal laws
第六章:刑律(No.254∼423)
Seventh Division,−Laws relative 第七章:工律(No.424∼436)附録(32篇、例文の選訳、
to Public Works Appendix
関連法令、上諭、訳者の解説などが含む)
中国法典ではじめての西洋言語への翻訳書として、本書の出版はイギリスをはじめ、ヨーロッパ諸
国で大きな反響を呼んだ。ストーントンの英訳本をもとに、フランス語、スペイン語、イタリア語の
訳本も相次いで刊行された。例文を全訳しなかった点に不満な声もあったが、少なくとも19世紀末、
フランス人による『大清律例』の全訳本が世に問われるまで、この訳書はヨーロッパの中国法研究者
にとって最重要な参考書であったに違いない。
最後に同書の版本について一言触れておきたい。同書には初版本のほかに、1966年台湾・成文出版
社による翻刻本が存在する。しかしこの翻刻本は初版本の原本をA5サイズに縮小した上で再印刷し
たもので、所々にインクの滲みが見られるなど、印刷の質における違いは一目瞭然であり、それだけ
に、初版本の価値は何にもかえがたい。
〔請求記号:326.922/Sta〕
ファ
(教養部:華
−12−
リー
立)
バッハ全集 全15巻
「もう一度、神が怒って雨を降らせ、街も、法律も、神話
も、地上のすべてのものを押し流し、ほろぼしてしまうとき、
ただ一つだけ人間の仕事のなかからいちばん完璧なものを救
うとすれば,それは何だろうか。おそらくバッハの音楽であ
ろう。」(加藤周一)
世界で初めてバッハのすべてをCD(156枚)と書籍
(4,200ページ)で収録したのがこの全集である。小学館は、
これに先立ち、これも世界にも類のない完璧な『モーツァル
ト全集』を刊行しているが、その経験がこのバッハ全集にも生かされている。激動の世界、大変動の
時代にあって、音楽とは何か、文化とは何か、人間とは何かを根本的に考えようとする人たちは、バ
ッハの全作品を耳にし、書籍に親しむことで、新しい洞察を得るだろう。
この全集の特色は、次の4つにまとめられる。
1.世界で初めて全作品(BWV1∼1120)の他、バッハとその周辺の作曲家までを含む、完璧なバッ
ハ全集である。(筆者注:BWVはバッハ作品目録の略で、バッハの場合、他の作曲家とは異なり作
曲年代順ではなく、ジャンル別に番号が付けられている)
2.この全集企画には、礒山雅、小林義武、角倉一朗、ゲオルク・フォン・ダーデルセン、クラウ
ス・ホーフマン、ハンス・ヨアヒム・シュルツェ、クリストフ・ヴォルフなど日・独・米を代表す
るバッハ研究者が編集委員として参画しており、旧東西両ドイツのライプツィヒ、ゲッティンゲ
ン・バッハ研究所の総力が結集されている。
3.CDの音源はグラモフォン、アルヒーフ、テルデック、デッカ、フィリップスなど、現時点で望
みうる最高の演奏と演奏家によるもので、この全集のための新録音、世界初録音も含まれている。
4.書籍15巻には、バッハ研究の定本となる作品解説をはじめ、宗教、美術、哲学、文学等、多彩な
国内外の執筆者の論考が集大成されている。とりわけ、バッハの作品の中核をなすカンタータにつ
いては全作品、口語新訳という画期的試みがなされている。
全15巻の構成は,次のようになっている。
<第1巻>
巻>
教会カンタータqBWV1∼36番 <第2巻>
教会カンタータeBWV79∼117番 <第4巻>
教会カンタータtBWV163∼199番 <第6巻>
ータほか)
<第7巻>
教会カンタータwBWV37∼78番 <第3
教会カンタータrBWV119∼162番 <第5巻>
世俗カンタータ(結婚カンタータ、コーヒー・カンタ
ミサ曲、受難曲q(ヨハネ受難曲、ロ短調ミサ曲ほか)
−13−
<第8巻>
ミサ曲、
受難曲w(マタイ受難曲、クリスマス・オラトリオほか)
フーガ、前奏曲とフーガほか)
<第11巻>
<第10巻>
<第9巻>
オルガン曲w (オルガン協奏曲、オルガン小曲集ほか)
チェンバロ曲q(イギリス組曲、フランス組曲ほか)
<第12巻>
均律クラヴィーア曲集、イタリア協奏曲、ゴルトベルク変奏曲ほか)
ヴァイオリン・ソナタ、無伴奏チェロ組曲ほか)
協奏曲、管弦楽組曲、音楽の捧げものほか)
オルガン曲q(トッカータと
<第14巻>
<第15巻>
チェンバロ曲w(平
<第13巻>
室内楽曲(無伴奏
協奏曲、管弦楽曲(ブランデンブルク
バッハとその周辺(補遺とバッハ一族の
曲ほか)
次に,各巻に付けられた書籍の基本構成を紹介しておこう。
第1部:バッハの芸術
ここは、ジャンル別の作品概説,最新の研究をふまえた内外のバッハ研究者による書き下ろし論文
から成っている。例えば,第1巻「今に訴えるカンタータ」は、カンタータ研究と演奏の実践をその
ライフワークとしている礒山雅氏の執筆で,ドイツ語を母国語とせず、キリスト教とも縁の深くない
我が国では必ずしも親しみやすいとは言えないカンタータが、分り易く丁寧に解説されている。
第2部:バッハとその時代精神
ここは、バッハをとりまく環境、作品成立の時代背景など歴史と社会から音楽が論じられている。
すでに単行本としても出版されている哲学者の中村雄二郎氏による「精神のフーガ」と、美術史家の
高階秀爾氏による「バロック美術」は、この全集が初出の大連載である。まさに総合的視野からとら
え直す、新しいバッハ像確立のためには格好の文献と言えよう。
第3部:エッセイ(バッハと私)
ここは、各界の著名人によるバッハを語る珠玉の書き下ろしエッセイが集められている。執筆陣は
詩人、画家、作家、学者、作曲家、演奏家、染色家など多彩な顔ぶれになっており、バッハの音楽に
耳を傾けながら、楽しんで読むことができる。個性的なバッハ観が語られることもあり、時として研
究論文以上にバッハの本質を突いたものにめぐり合える。
第4部:バッハの作品解説と対訳
収録曲の作品解説は、バッハの全作品についての初めての詳しい楽曲解説となっており、曲を深く
知り、味わうために大変便利なものである。添えられた演奏家の略歴と収録曲データも、クラシック
音楽の森の奥深くに入っていく道標となる。声楽曲については、日本初の全曲口語新訳がなされてお
り、これからバッハに親しもうという若年層にとっても有り難い。
日本文化にとって世界に誇れる偉業と言って過言でないこのバッハ全集が、本学図書館に収蔵され
た意義の大きさは計り知れない。汲めども尽きぬバッハの音楽の豊かな源泉を辿りながら、21世紀に
新たなバッハを発見するためにも多くの人たちに推薦したい全集である。
〔登録番号:V76/Bac〕
(教養部:堀内 泰紀)
−14−
カール・マルクス:批判的反響(全4巻)
(London,Routledge,1998)
Roberto Marchionatti編集の『カール・マルクス:批判的
反響』(全4巻)は、4年前に私が本誌『レファランス・レ
ビュー』において紹介した『アダム・スミス:批判的反響
(全4巻)』と同じシリーズの、いわばマルクス版である。以
下、編集者の序文(序文だけで32頁ある)の要約をもって、
本書の内容紹介に代えたい。
本書は、『資本論』第1巻が刊行された1867年から1914年
までの間に、英語、フランス語、ドイツ語で書かれた『資本
論』第1巻に関する諸資料から選択した文書、マルクスの著作集、作品、本の抜粋、批評、手紙等を
編集したものである。
この蒐集の目的は、当時の知識層と経済学界のうちでマルクスの著作がどう受けとめられたかを記
録することにある。本書は次の1から4までの4巻からなる。1『資本論』第1巻に関する議論。2
『資本論』第2巻、第3巻に関する議論。3マルクスの著作に関する批判的評価、1899年∼1914年、
その1。4マルクスの著作に関する批判的評価、1899年∼1914年、その2。
編者は、全4巻をその内容からつぎの4つの部分(4巻に直接対応しない)、以下のqからrに分
けて解説している。
q
限界主義登場以前におけるマルクス『資本論』の受容について。
1867年に『資本論』第1巻が刊行されたが、当初、批評家たちから無視された。しかしリープクネ
ヒトなどの社会主義者からは歓迎された。
『資本論』への書評のなかで、デューリングはマルクスのヘーゲル的方法を批判し、マルクスの価
値論を、特にその実体概念を批判した。同時に彼は、マルクスの歴史分析を賞賛し、資本の原始的蓄
積の部分を本書の最良の箇所だと考えた。デューリングに対しては、エンゲルスの反駁、『反デュー
リング論』が書かれた。
カール・クニースは価値に関するマルクスの理論は論理的な矛盾によって破綻していると主張した
が、この論理的な矛盾の指摘は後にベーム・バヴェルクのマルクス批判に繋がるものである。クニー
スは、価値の実体に関する探求においてマルクスが価値物を労働生産物に限定し、自然の生産物を除
外していると批判する。またロッシャーは、『資本論』の第1章の用語が経済人の心理学的な本性を曖
昧にしていると批判した。
ロシアにおける『資本論』の受容は、ずっと好意的であった。ジベールは、マルクスの理論をスミ
スとリカードの学説の必然的な発展とみなした。
−15−
フランスの経済学者ブロックは、『資本論』が「ブルジョアへの憎悪に満たされて」と言っているが、
しかし「重要な仕事」であるとし、マルクスを「最も有名な経済学者」の仲間入りさせている。ブロ
ックはマルクスの価値理論、剰余価値理論を拒否し、労働は価値を定義するには不十分であり、異種
の労働が実存し、マルクスによる異種の労働の一般労働への還元は理解できないと主張した。またブ
ロックは資本家が労働者に対して彼の労働の一部分のみを支払い、残余を横領するというマルクスの
アイデアを証明されていないものと批判した。
P・L・ Beaulieu は、マルクスが実在する経済秩序に代替できる社会体制を定式化しておらず、自
らの仕事を実在する経済秩序に対する批判に限定していると非難した。これに対してポール・ラファ
ルグは、マルクスの目的がユートピアの発明ではなく、実在世界の科学的な批判であると反論した。
イタリアでは、A・ロリアによるマルクス批判があり、価値の価格への転形問題が初めて取り上げら
れている。商品の価値はそれの生産に必要な労働量によって規定されるというマルクスの仮説が、
「それによって説明される現象と絶対的な矛盾に陥る」とロリアは言う。
イギリスにおいて、J・レィは『資本論』を「イギリスの経済学者により説明された、イギリス社
会において実証された近代の産業発展への批判」と評価した。イギリスにおいてと同様、アメリカの
知識層が関心を持ったのは、マルクスの歴史分析に対してであった。
w
マルクスに対する限界学派の理論家たち、1884-93年
ベーム・バヴェルクは、スミスとリカードが労働価値論を立証せず、あたかもそれを公理であるか
のように見なしているが、他方マルクスがこの定理の証明を試みた初めての著者であるが、しかしマ
ルクスが商品に対して交換価値の本質を探求する対象を労働生産物に限定し、自然の賜物を除外した
と批判する(この点でベームはクニースに従っている)。スエーデンの経済学者、ヴィクセルは、リ
カードを限界主義者の批判から擁護し、リカードの理論が不完全だが正しい軌道に乗っているものと
考えたが、他方、マルクスとヘーゲル主義者を批判した。
パレートは、まず第1に、マルクスが、使用価値を諸物に固有な特質と見なして、商品と人間との
間の便宜的な関係として見なしておらず、第2に、マルクスが生産のコストを単に直接の労働に依存
するものと見なす点でリカードに従っているが、しかし「新しい経済理論」(限界効用学説)が示し
たように、生産コストは交換価値に依存し、逆ではないと批判した。
e
『資本論』第3巻に関する論争、1894―8年
この期間に書かれたものが、マルクス経済学に対する以後の批判にとって基調となる。最も著名な
著作はベーム・バヴェルクの1896年のそれである。論争の中心には、価値の生産価格への転形問題が
あった。『資本論』第3巻序文において、エンゲルスは、マルクスの解法に近づいた著者のなかから、
W.レキシス, C・シュミット,P・ファイアマンを引用している。これらの著者は、総価格が総価値に、
そして総利潤が総剰余価値に等しいというマルクスの解法を認めて、市場価格が労働の価値法則と平
均利潤率に一致するように試行した。
レキシスは、マルクスが第1巻においてそれらの価値に比例して交換される現実の諸商品という見
−16−
地から叙述しているが、しかしマルクスが現実の商品は体化労働量に比例して交換されないというこ
とをよく承知していると考えた。レキシスは、数学的見地から、一般的な平均利潤率を決定すること
は単純であるが、しかしこの決定をたんに競争の力に言及して説明するマルクスの方法を不満とする。
レキシスの価値解釈は、W・ゾンバルト 、C・シュミットに支持された。シュミットによるマルクス
批評は転形問題に向けられているが概ね肯定的である。事実、エンゲルスはその批評をロリアのマル
クス批判への正しい回答と考え、シュミットが利潤率に関するマルクスの理論と古い経済学との区別
を実証したと述べている。しかし、価値法則に関するシュミットの概念はマルクスの概念からほど遠
い。シュミットは価値法則の仮説としての解釈を強調し、ゾンバルトと同じく、それをたんに理論的
に必要な仮構としてのみ考えた。これに対してエンゲルスは、概念が現実に直接一致しないのは当然
であり、それにもかかわらず概念は「フィクション以上のもの」であると反論している。
認識論見地からすれば、価値をフィクションであるというレキシス−ゾンバルト−シュミットの命
題はマルクスの価値論解釈における分水嶺を形成している。
ベーム・バヴェルクの『マルクス体系の終結』はマルクスの全著作が労働価値論の正しさに依存し
ているという主張する。ベームはマルクスが理論と現実の矛盾に気付いていたが、その解決を『資本
論』第3巻まで延期したと信じた。ベームによれば、マルクス自身の論理の正当性は次の4つの議論
に基づくように見える。すなわち、諸商品の総生産価格はその総価値に等しいこと、価値法則が価格
の運動を支配すること、したがって価値法則が第1段階において諸商品の交換を支配すること、そし
て最後に、資本主義社会において価値法則が究極的に間接的に生産の諸価格を規制すること、以上で
ある。価格の運動を支配する価値法則という論点について、ベームは商品に体化された労働が価値の
唯一の決定因であることをマルクスが証明したわけではないと批判する。マルクスは、競争による平
均利潤率の形成を述べるのは、ベームによれば「現実の生活を支配する社会的諸力が、本質的に、労
働時間に還元できない交換関係の基本的な決定因を含んでいる」ことを告白したことになる。ベーム
による批判は、ドイツ内外における経済学界にかなりのインパクトをもたらした。
r
マルクスの著作の批判的評価
1890年代の終わりに、マルクスの経済学に関する「マルクス主義の危機」と呼ばれる論争が起こる。
この「危機」における決定的な要因は、資本主義の発展と、大衆的な社会主義政党と労働党の成長に
おける諸変化が与えた影響とである。しかし修正主義すなわち社会主義運動内部におけるマルクス学
説への批判に留意することも重要である。
この時期、2冊の本、E・ベルンシュタイン『社会主義の前提と社会民主主義の課題』とB・クロ
チェの『史的唯物論とマルクス経済学』が刊行された。オーストリアでは、いわゆる「オースロ−マ
ルクス主義」が発生し、ヒルファディングがマルクスの理論を擁護した。
ベルンシュタインによれば、資本主義が崩壊に向い社会主義になるというマルクスとエンゲルスの
歴史認識は、ヘーゲル弁証法のアプリオリズム、ないしは唯物論的歴史観の宿命主義と決定論に由来
するが、事実は資本主義の進化はマルクスが予見したようにはならなかった。
クロチェは、史的唯物論が歴史の哲学としてではなく「解釈の経験的規範」として、歴史家に対し
−17−
て人間の生活における経済的事実にもっと関心を払うようにという忠告として解釈されるべきであ
る、と主張した。クロチェによれば、マルクスの理論は、搾取が剰余価値によって計られる資本主義
社会と、搾取のない想像上の社会主義との間の比較に基づいている。
ロシアの超修正主義者ツガン−バラノフスキーは、マルクスが崩壊の2つの理論、すなわち利潤率
の低落説と過少消費説を提示したが、資本の有機的構成の高度化が利潤率の減少ではなく増大を生む
と主張して、利潤率の低落説を拒否し、また『資本論』第2巻における再生産表式を資本主義の無限
の成長可能性を示すためのものとして解釈した。
ヒルファディングによる『ベーム・バヴェルクのマルクス批判』は、P・スウイジーによれば、マ
ルクス主義者のなかからベーム・バヴェルクに対してなされた最も体系的かつ創造的な反論である。
アメリカにおいてヴェブレンは、マルクス主義者の理論がその全体性において評価されねばならず、
このためベームの批評が無益なものとしたが、しかしマルクスが労働価値論の適切な証明を提示して
いないと述べている。
価値から生産価格への転形の問題を論じたボルトケビッチは、ベーム・バヴェルクの議論が最も重
要なものと考えたが、しかしこの問題に決着をつけたとは考えなかった。特に、ボルトケビッチは、
価格総計と価値総計が等しいことを無意味だというベームの異議に挑戦し、マルクスの3分野生産モ
デルを用いて、産出価値と同様に投入価値(不変資本と可変資本)が価格に転形されるというマルク
ス自身の示唆を発展させた。ボルトケビッチは、価格が主観的な考慮から独立に、客観的な諸条件
(生産の諸条件)によって単純に決定できることを示した。
20世紀の初めまでにはマルクスは経済学者の世界において敬意をもって知られていた。例えばシュ
ンペーターはマルクスを高く評価した。科学者としてマルクスはリカード学派であるが、しかし単純
な追随者ではないと。シュンペーターの評価は今日依然として妥当性をもっている。
以上が編集者の序文を筆者が要約したものである。最後に筆者の感想を述べたい。20世紀の歴史に
決定的とも言える影響を与えたマルクスの理論が、当初どう受容され、あるいはいかに拒絶されてき
たかを記録した本書は、マルクスの理論がなにであったのかを考えるうえで、貴重なドキュメントで
あると思われる。マルクスの理論は質量ともに大きすぎて、整理するとなると論点は多岐にわたるが、
今日言われていることは、ほぼこの時期に出ていると思われた。但し、編集者はマルクスの理論から
「哲学的な文献を除外し」、蒐集を経済学関係に限定したと言うが、その空白は気になるところである。
経済学が哲学と融合しているところにマルクス理論の特質があると考えるからである。
〔請求番号:331.6/Mar〕
(経済学部:山本広太郎)
−18−
藩法研究会編『藩法集』
全12巻
(昭和34∼50年、創文社)
明治維新に際し、政治的変革に伴う混乱の中で、さまざま
な記録・文書の大量消滅・廃棄・紛失がみられた。たとえば、
鳥羽・伏見の戦い直後に幕府軍は大坂城に戻り、再起をはか
ろうとしていたが、そのさなかに前将軍徳川慶喜が一部の側
近と共に軍艦で江戸に帰ってしまったことで、在坂の幕府軍
は全面崩壊し、大坂城警備体制・町政支配機構も壊滅状態に
陥った。つづく民衆の城内侵入・略奪の結果、城内の記録・
文書は散乱し、堀にかかった橋にも帳簿が落ちていた。
そのなかでも江戸城は無血開城により、幕府の記録はほぼ新政府にひきつがれ、新法・新制度の定
立まで、幕府法の運用を可能とした。幕府法および裁判記録の多くは、司法省等に参考資料としてひ
きつがれ、のちには東京帝国大学へ法制資料として収められた(しかし関東大震災で焼失する)。
近世の法制については、新政府による立法の参考として、民事慣例や商事慣例が全国的に調査され、
のちにそれぞれ『民事慣例類集』『商事慣例類集』として刊行もされた。しかしこれらはあくまで民
法・商法の立法に資するための作業である。法制史の対象とするには、近すぎる時代であった。
日本の近世法について、本格的研究が始められたのは、大正年間に入ってからである。東京帝国大
な か だかおる
み う ら ひろゆき
学の中田 薫 、京都帝国大学の三浦 周行 は、それぞれの法学部で日本法制史を担当し、それまでの古代
法・中世法に加えて、近世法を研究し講義するにいたった。
法科大学(のち法学部)の中田がおもに西欧法の法概念を駆使し、西欧法と日本法の相違点と共通
点をとりあげ、中世封建法の比較において、画期的業績をあげ、近世法についても同様の手法を用い
て成果をあげた。法科派といわれるゆえんである。三浦は本来文科大学(のち文学部)史学科国史学研
究室の主任教授であることからも、法および法現象を当時の時代背景、すなわち政治的経済的社会的
いしい
背景の中で広く考察し続けた。文科派といわれるゆえんである。かれらの教えを受けた東大の石井
りょうすけ
たかやなぎ しんぞう
か ね だ へいいちろう
まき け ん じ
こはやかわ き ん ご
良助 、東北帝国大学の高柳 真三 、九州帝国大学の金田 平一郎 および京大の牧 健二 ・小早川 欣吾 は、昭
和前期の近世法研究の中心となった。
しかし、近世法の研究資料は、おもに幕府からの引継ぎ文書が中心で、研究もおのずと幕府法にか
たよりがちであった。そのなかで、各地の帝国大学により地方の史料に基づく研究もはじめられた。
この時期に、『藩法集』の先行的作業として、京都帝国大学法学部日本法制史研究室編『近世藩法
資料集成』全三巻(昭和17・18・19年)が刊行された。
第1巻[丹波]亀山藩議定書・[陸奥]盛岡藩律 (牧健二・小早川欣吾・浜口秀夫)
第2巻[肥後]熊本藩御刑法草書附例(牧健二・小早川欣吾・浜口秀夫・前田正治)
第3巻[出雲]松江藩出雲国国令(牧健二・小早川欣吾)
−19−
これらは、いずれも大正4年に三浦教授が、旧幕府引継文書のうち東京帝国大学付属図書館に所蔵
されていた評定所旧蔵記録のなかから影写させられ、京都帝国大学法学部に教材として収めた副本で
ある。今日では、関東大震災で失われた原本の姿をとどめる唯一の史料となっている。
昭和20年8月の敗戦は、大日本帝国憲法の改正手続きによる日本国憲法の成立と、この新憲法の精
神と規定にもとづく諸法をもたらした。地方自治が法的に保障されたのみならず、各地で郷土史・地
方史の研究が盛んとなった。史料の発掘も盛んになった。しかし社会経済史・文化史に比し、支配構
造・支配体制を対象とする研究は立ちおくれがちとなった。
昭和24年に発足した法制史学会で、東大の石井良助教授を中心に藩法研究会が昭和29年に結成され、
主要な藩法を調査研究して、史料の刊行が開始された。その成果が『藩法集』12巻15冊である。
第1巻 上 岡山藩 法例集 1781ページ (昭和34年)
第1巻 下 岡山藩 法例集拾遺・法例集後編、武州様法令・忠雄様法令
1009ページ (昭和33年)
(谷口澄夫編、藤井駿・水野恭一郎・大饗亮・藤沢晋・宮本又久・柴田一・太田健一)
第2巻 鳥取藩 御国御法度(総体御法度・御家中御法度・町方御法度・
1在方御法度・御旧法御定制・律)587ページ (昭和36年)
(前田正治編、八重津洋平・中埜喜雄・永島福太郎)
第3巻 徳島藩 元居書抜 1079ページ (昭和37年)
(大竹秀男編、安沢秀一)
第4巻 金沢藩 典制彙纂・司農典・御高方留・町格
1034ページ (昭和38年)
(服藤弘司編、若林喜三郎・下出積與・大桑斉・香川達夫・転正和子)
第5巻 諸 藩 (平松義郎編、林由紀子)
1988ページ (昭和39年)
三河・吉田藩 御当家代々御条目(御自書并被仰出之写)
美濃・郡上藩 郡上藩法令類
信濃・上田藩 御家法・罪条留
信濃・松代藩 御仕置御規定
上野・高崎藩 御定書并被仰出留・規矩帳・目付要書・郡方式・町方式・御仕置例書・雑記
播磨・龍野藩 格式・龍野藩諸法令
第6巻 続金沢藩 浦方御定・公事場御条目等書上候帳・御郡典・河合録 1037ページ (昭和40年)
(服藤弘司編、若林喜三郎・下出積與・松本三都正・転正和子・清水宏子・谷田和子・平林文子)
第7巻 熊本藩 井田衍義・度支彙函・雑式草書・市井雑式附録・御刑法方定式
1984ページ (昭和41年)
(鎌田浩編、松本壽三郎・川口恭子・森田誠一・宮原栄子・東敬子・星子梢・徳永洋子)
第8巻 上 鹿児島藩 島津家列朝制度 1955ページ (昭和44年)
−20−
(原口虎雄編、桑波田興・松下志朗・黒田安雄・安藤保・原口邦紘)
第8巻 下 鹿児島藩 島津家列朝制度 1083ページ (昭和44年)
(原口虎雄編、黒田安雄・原口邦紘・田実勇・晋哲哉・前床重治)
第9巻 上 盛岡藩 御家被仰出 0928ページ (昭和45年)
(服藤弘司編、森毅・田中庄一・大竹祐一)
第9巻 下 盛岡藩 御家被仰出・諸被仰出・御当家重宝記・御目付所御定目・
御広間御番子心得留・御勘定所七棚仕様付帳・
旧盛岡藩勘定所事務分掌・御代官心得草・御検地仕様御定目・
御検地仕様御定追加・郷村古実見聞記・郷村吟味御用留
1032ページ (昭和46年)
(服藤弘司編、森毅・田中庄一・金谷治・大竹祐一・伊藤一義・梅田康夫・吉田正志)
第10巻 続鳥取藩 御国御法度 1709ページ (昭和47年)
(前田正治編、中埜喜雄・鈴木豊・林紀昭・八重津洋平)
第11巻 久留米藩 御書出之類 1687ページ (昭和48年)
(石塚英夫編、庄野英三・久野和子・毛利瑞穂・岡崎南海子)
第12巻 続諸藩 (平松義郎編、谷口昭・林由紀子)
1853ページ (昭和50年)
伊勢・亀山藩 重常公御代条目法度・重多公御代法度覚書、
忠総公昌勝公御判物・条目類・書付類・肝煎要用覚書
三河・挙母藩 諸被仰出留・御家吉事触書留・御家凶事触書留・
御家老御年寄吉凶触書留・御家老中御年寄中御死去触書留・
御触書写控帳・御触書写覚帳・御触書并ニ回状控帳
相模・小田原藩 諸願書目録
豊後・臼杵藩 御触書
豊後・佐伯藩 御定書
日向・高鍋藩 旧例書抜
この作業の結果、これまで断片的にしか紹介されていなかった基本的な法制史料が、さまざまな形
で利用されるにいたった。翻刻された史料の大半は、各藩で編集された法令集あるいは制度に関する
編纂物によったものが多い。これは、各藩の支配機構・支配体制を直接うかがうに足る好史料といえ
る。編纂物のない、単行法のみの諸藩との藩政のありかたの違いも考えねばならない。また幕府法と
の比較をとおして、相互の関係も明らかにすることも可能となった。しかし、たとえば弘前藩のよう
に膨大な記録が残されながら、公的な編纂物を有しないため、まだ取り上げられていない藩も多い。
その後、京都大学日本法史研究会が京都大学法学部に保存されている法制史料のうち、幕府評定所
記録について『近世法制史料集』全5巻として刊行した後に、ひきつづいて、藩法史料を翻刻した。
いずれも明治初年に司法省の命で各藩から提出された刑事法を中心とする資料である。
−21−
京都大学日本法史研究会編『藩法史料集成』(533ページ、昭和55年、創文社)
陸奥・弘前藩 御刑法牒 (橋本 久)
陸奥・盛岡藩 文化律 (谷口 昭)
陸奥・中村藩 罪案 (林 紀昭)
越後・新発田藩 御法度書・御家中欽之覚・在中御条目・新令・
新令取扱頭書・新律・徒罪規定書 (林 紀昭)
尾張・名古屋藩 盗賊御仕置御定・寛政盗賊御仕置御定・
盗賊之外御仕置御定 (成瀬高明)
紀伊・和歌山藩 国律 (辻本弘明)
丹波・亀岡藩 議定書 (中沢巷一)
肥後・熊本藩 御刑法草書 (谷口 昭)
陸奥・仙台藩 刑法局格例調 (砂川和義)
備前・岡山藩 新律 (新井 勉)
近年、鎌田浩教授(専修大学)を主宰として藩法研究会が復興され、前回の採録漏れ史料の採訪と、
電磁化による公表を研究中である。すでに陸奥・盛岡藩の「刑罪」については、準備作業をおえてい
る。続いて対馬藩・萩藩などの作業が進められている。昨年より林紀昭教授(関西学院大学)が主宰
となり、新たな作業を準備している。先年来、神戸在住の山田勉教授(神戸女子大学)・牧田勲助教
授(摂南大学)及び小生が作業を進めている丹波・篠山藩旧蔵の幕府寺社奉行記録の調査・翻刻も、
この研究会の副産物である。
これとは別に、東北大学日本法制史研究室関係者を中心に、藩法史料叢書刊行会が発足し、2000
(平成12)年から新たな叢書の刊行がはじまっている(第1期6冊、創文社)。
藩法史料叢書1 下野・佐野藩 大成有司心得 (坂本忠久)
藩法史料叢書2 加賀・金沢藩 北藩秘鑑・江戸表聞合書類 (服藤弘司)
藩法史料叢書3 陸奥・仙台藩 (吉田正志)
藩法史料叢書4 陸奥・磐城平藩/日向・延岡藩 (神崎直美)
これらの法制史料の公刊が、各地方史の発展を促すのみならず、これまで画一的と考えられがちで
あった近世の支配体制と法のありかたが、より多様なものとしてとらえることを可能にし、幕府と各
藩・各地方の関係を具体的に明らかにする有力な手がかりを提供していくだろう。
今後の藩法研究の進展が大いに期待される所以である。
〔請求記号:322.15/Han〕
(法学部:橋本 久)
−22−
編集後記
本号でも紹介されているように、本学の図書館でも最近電子媒体の資料が比較的充実し
てきた。今後もこの傾向は変わらないだろう。たしかに、電子媒体の資料は利便性が高く、
収蔵するにも書庫のスペースを多くとることがないなど、紙媒体と比較するとメリットが
大きいように見える。しかし、読みやすさという点からすれば、紙媒体は電子媒体に勝っ
ているといえるだろうし、何よりもマルクスやバッハなど古典に親しむときには、たとえ
最近印刷されたものでも、紙媒体で読んだ方が雰囲気が伝わってくる。紙媒体の優位は今
後しばらくは変化しないだろう(K.N.)。
−23−