—「第 20 回ジョルジュ・サンド国際学会(ヴェローナ大学)」– 2015 年 6 月 29 日から 7 月 1 日の 3 日間にわたりイタリアのヴェローナ大学 で開催された大規模な「第 20 回ジョルジュ・サンド世界大会」には、世界各地 からサンド研究者 70 名余が参集した。 ジェンダー研究にも詳しいローラ・コロンボ 氏(ヴェローナ大学教授)およ びカトリーヌ・マソン氏(ウェズリー大学教授)が主宰した国際学会のメイン テーマは、 「ジョルジュ・サンドと女性の朋友たち:芸術家と知識人 George Sand et ses consœurs : la femme artiste et intellectuelle au XIXe siècle」。その目的 は、作家その人としてのジョルジュ・サンドおよびその文学作品を中心灯とし、 これまで過小評価されがちだったフランス国内外の19世紀の女性作家、女性知 識人および女性芸術家を取り上げ、ジェンダーあるいは芸術領域(音楽、絵画、 演劇、舞踊)と文学の相互関連性について分野横断的かつ複合的な観点から探 究する。さらに、これら女性たちの現代性に富む価値観に肉薄し、当時の政治、 社会、美の諸問題に関する彼女等の思索や見解の重要性を明らかにし、今日に 遺された残響を究明することにあった。' 関心を引きやすいテーマだったことも多くの集客数を誇る要因だったといえ るだろう。イタリアはもちろん、仏、米、ベルギー、スペイン、ハンガリー、 オランダ、ドイツ、スイス、プエルトリコ、中国、日本等々、参加者の出身国 も多彩を極めた。米国のジョルジュ・サンド学会ほか、アンスティテュ・フラ ンセ、仏大使館や地元大企業がスポンサーとなっていて、開会式や夜会ではヴ ェローナ大学副学長を嚆矢とし地元の大物名士のスピーチもあった。 日本からは、本学会員の村田京子氏(大阪府立大学教授)、高岡尚子氏(奈良 女子大学教授)および筆者の西尾治子(跡見学園女子大学講師)の3名がエン トリーを果たし、各々のテーマで仏語の口頭発表をおこなった。 村田氏の発表 « La femme peintre dans L’Atelier d’un peintre de Marceline Desbordes-Valmore » の要旨は次の通りである。マルスリーヌ・デボルド=ヴ ァルモールの『ある画家のアトリエ』を取り上げ、バルザックの『ラ・ヴェン デッタ』との比較、およびそれぞれの作品と関係のあるアトリエ風景の絵画(オ ラース・ヴェルネの《アトリエ》、ジャン=アンリ・クレスの《ダヴィッドのア トリエ》、アドリエンヌ・グランピエール・ドゥヴェルジの《アベル・ド・ピ ュジョルのアトリエ》)や、ジロデの絵画(《エンデュミオンの眠り》《大洪水 1 の情景》)などを例に挙げ、絵画を作品に密接に関連づけると同時に、男性作 家とは違う女性芸術家像をジェンダーの視点から探った。また、年齢も気質も 違うヴァルモールとの接点がないように見えるサンドだが、本発表では、サン ドの『ピクトルデュの城』の女主人公とデボルド=ヴァルモールの女主人公の 共通点を浮き彫りにし、二人の女性作家が同じ理想の女性画家像を共有してい たことを明らかにした(村田氏ご本人のレジュメ)。参考までに非常に充実し た内容の「村田京子のHP」には、下記の URL からアクセス可能である。 http://sand200balzac.sakura.ne.jp/archives/category/lecture 高岡氏の発表 « Solange Clésinger-Sand : Ecrivaine ou fille d’écrivaine ? » は次の通りであった:ジョルジュ・サンドの娘ソランジュは、兄のモーリスと は正反対に、家族の中の問題児として語られることが多かった。一方で、ソラ ンジュは当時の女性としては破格に高度で充実した教育を受け、彼女が望みさ えすれば、文学的あるいは芸術的才能を大いに発揮できたことも事実である。 では、なぜソランジュが、ひとりの「作家」としてではなく、 「作家の娘」に留 まらざるを得ず、後世の評価も低かったのか。彼女が残したふたつの小説のう ち、最初の作品である『ジャック・ブリュノ―』を取り上げ、不毛な人生を送 る女性主人公マリアの造型の中に、ソランジュ自身の不安や不満、無力感が込 められていることを明らかにした。その際、19 世紀フランスにおけるジェンダ ー規範に注目し、これが単にソランジュ個人にとどまらず、当時の女性が置か れていた立場に内包された問題であったことを強調した(高岡氏ご本人のレジ ュメ) 。 西尾の発表は「ジョルジュ・サンドと朋友ポリーヌ・ヴィアルドにおける周 縁性」を中心主題に、R.E.パークのマージナルマン理論と作家 G.サンドおよび 女性音楽家 P.ヴィアルド、さらにサンドの大河小説『コンスエロ』とその続編 『ルードルシュタッド公爵夫人』との関連性を考察した。ポリーヌはサンドが 女性主人公「コンスエロ」のモデルにした生涯の友であり、リストとショパン はそのピアノや作曲の才能を高く評価したが、彼女はピアニストや作曲家にな れずパリのオペラ界からも追放された。その原因を母親に投影された当時の集 合的ジェンダー意識とミュッセの恋心ゆえの回帰的怨恨性に探る一方、1848年 にサンドが企図しポリーヌが作曲した知られざる曲「ヌーベル・マルセイエー ズ」の成立過程と脱周縁性を詳述した。さらに、19世紀の経済産業界で一大ピ アノ産業を興しフランスに巨大な富をもたらしたエラール社と周縁的存在であ 2 ったプレイエル社、この2社と各々連携したリストとショパンの周縁性と非可逆 的対称性にも言及し、結論としてパークの同化論が作家サンドや音楽家ポリー ヌの生き方にもコンスエロの物語にも相応しくない理論であることを明示した。 ヴェローナ大学での口頭発表 ヴェローナでは発表を聞くために、連日、朝 9 時から夜 7 時まで猛暑の中を 大学とホテルの往復に明け暮れた。そんな中、コロックが開催した由緒ある古 城での優雅な戸外晩餐会は印象的だった。また、野外アリーナの最高席で 1 万 5 千人の観客と壮大なオペラ歌曲『アイーダ』(ヴェルディ作曲、1871 年初演、4 幕。舞台には途轍もなく巨大なピラミッドやスフィンクス像が配置され、出演 者数は 2 百名余)を観劇できたことは、第二幕の佳境で夜空に高らかに鳴り響 くファンファーレの調べとともに忘れがたい思い出となった。 歌劇『アイーダ』(2015 年 6 月 28 日) また、ヴェローナから電車で 1 時間ほどのヴェニスでは、サンドとミュッセ が投宿したダニエリ・ホテル(今では5つ星)の2階 10 号室を支配人が案内し 3 てくれたこと、地中海と空の青を背景にホテルのレストラン・テラスで優雅な 昼食を村田さん、高岡さんとご一緒できたこと、スタンダールの『パルムの僧 院』に縁ある、パドヴァの町のカフェ・ペドロッキ(1831 年創業)で「カルパ ッチョ」や「ミント珈琲」を味わったこと、ヴェローナを発つ前夜、L.コロン ボ氏が筆者の帰国と現地のサンド研究者の誕生日を祝い夕食会を開いて下さっ たことなどが、短い滞在の間の貴重な思い出となって心に残る旅となった。 ヴェニスのダニエリ・ホテルのレストランにて 左より村田・高岡・西尾 文学の衰退が語られる昨今、21 世紀にも健在する不滅の女性作家サンドを研 究し愛好する人々が世界に数多く存在することを強く印象づけた国際コロック だった。往復 32 時間をかけてヴェローナまで行った甲斐があったと深い感慨を 胸に帰国の途についた 2015 年の夏であった。 (西尾治子) 4
© Copyright 2024 Paperzz