雇用の非正規化と消費

雇用の非正規化と消費
―非正規雇用者の増加が消費に与える影響について―
2009 年 10 月 9 日
明治大学 政治経済学部
岩田
州靖
笠谷悠治朗
金子雄太郎
野本
和樹
山下由紀子
山本
啓太
<要 旨 >
1 . 2008 年 9 月 の リ ー マ ン ・ シ ョ ッ ク 以 降 、 急 速 に 雇 用 環 境 が 悪 化 し て い る 。
完 全 失 業 率 は 5.7%、有 効 求 人 倍 率 も 0.42 倍 と い ず れ も 過 去 最 低 を 記 録 し て
おり、その影響は個人消費の落ち込みに表れている。
2 . 雇 用 環 境 の 急 速 な 悪 化 の 背 景 に は 、 80 年 代 か ら 増 加 を 続 け る 非 正 規 雇 用 者
の存在がある。恒常所得仮説から考察を行うと、非正規雇用者は正規雇用
者に比べ、技能習得機会が少なく、失業や将来所得への不安から消費を抑
制しやすいと考えられる。
3.本稿はこのような問題意識に立ち、非正規雇用者の増加が社会全体の消費
を抑制するのか検証を試みた。説明変数には非正規雇用者の割合、雇用環
境 DI、 完 全 失 業 率 、 有 効 求 人 倍 率 を 採 り 、 過 去 25 年 間 の ス パ ン で 平 均 消
費性向との関係を分析した。その結果、平均消費性向と非正規雇用者の割
合との間には、有意の負の相関があることが観察された。
4.この結果は家計の持つ将来所得や失業への不安が影響したものと考えられ
る 。 そ う し た 不 安 を 取 り 除 く 処 方 箋 と し て 、「 セ ー フ テ ィ ー ネ ッ ト の 拡 充 」、
「 職 業 訓 練 所 や 資 格 取 得 補 助 の 充 実 」、「 英 国 の NVQ( 全 国 職 業 資 格 制 度 )
のような公的職業資格制度の導入」といった労働市場の制度改革を提言し
ていく。
1
<目 次 >
1.はじめに
2.消費関数理論と先行研究
2-1.消費関数理論
2-2.雇用と消費に関する実証分析の先行研究
3.高まる雇用リスク
3-1.雇用情勢の悪化と非正規雇用者数の増大
(1)雇用者数、失業率の歴史的推移
(2)増加する非正規雇用
3-2.非正規雇用者増加の背景
(1)バブル破裂後のバランスシート調整
(2)グローバル化の急速な進展による構造的変化
(3)規制緩和
3―3.恒常所得仮説・ライフサイクル仮説と非正規雇用
(1)非正規雇用者の就労状況から見えてくるリスク
(2)非正規雇用者の消費行動
4.実証分析
4-1.変数の決定
4-2.推計方法・使用データの説明
4-3.推計式とその結果
4-4.結論
5.政策提言
1. はじめに
2009 年 8 月 30 日 、 政 権 交 代 の 是 非 が 問 わ れ た 第 45 回 衆 議 院 議 員 総 選 挙 は 、 民 主 党 が
圧 勝 し た 。1955 年 の 保 守 合 同 以 来 、形 を 変 え て は 命 脈 を 保 っ て き た 自 民 党 政 治 に 終 止 符 が
打たれた。国民は未知なる与党に「日本の変化」を求めている。
し か し 、新 政 権 の 舵 取 り に は 、厳 し い 経 済 情 勢 が 立 ち は だ か る 。02 年 か ら の 戦 後 最 長 の
景 気 拡 大 過 程 で も わ ず か な 伸 び 率 し か 見 せ な か っ た 個 人 消 費 は 、08 年 9 月 に 起 き た リ ー マ
ン・ショック後には減少に転じており、景気の下支えを果たすことができていない。消費
を左右する雇用という経済の「体温」が、前例にない厳しい数字を示しているからだ。総
務 省 が 発 表 し た 09 年 7 月 の 完 全 失 業 率 は 、 バ ブ ル 破 裂 後 の 5.5% の 壁 を 飛 び 越 え 5.7% に
達 し 、1 人 当 た り 有 効 求 人 倍 率 も 0.42 倍 と 過 去 最 低 を 記 録 し た 。さ ら に 、4 - 6 月 期 の 雇
用 者 報 酬 も 、前 年 同 期 に 比 べ 4.7% 減 少 し 、比 較 可 能 な 56 年 以 降 で も っ と も 大 幅 な 下 落 率
となった。
日 本 銀 行 が 実 施 し て い る「 生 活 意 識 に 関 す る ア ン ケ ー ト 調 査 」に よ れ ば 、雇 用 環 境 に「 か
な り 不 安 を 感 じ て い る 」 と 回 答 し た 家 計 の 割 合 は 02 年 で の 30.2%か ら 、 07 年 に は 41.0%
に 拡 大 し 、09 年 に は 44.3%に ま で 悪 化 し た 。雇 用 の 不 安 は 、人 々 の 将 来 へ の 不 確 実 性 を 増
2
大させる。結果、消費が抑制され、実体経済が一段と萎縮する恐れがある。
本 稿 で は 、こ の よ う な 問 題 認 識 に 立 ち「 雇 用 の 不 確 実 性 が 、消 費 に ど う 影 響 を 与 え る か 」
を探っていく。
2.消費関数理論と先行研究
2-1.消費関数理論
経済学において伝統的な消費関数理論と言えば、ケインズ型消費関数である。ケインズ
型消費関数では、個人の消費は今期の所得水準によって決まるとされている。一方で、現
在主流になっている消費理論は、アービング・フィッシャーの異時点間の消費選択理論を
ベースとしたライフサイクル仮説と恒常所得仮説である。アービング・フィッシャーは、
個人の消費行動が今期の所得だけでなく、異時点の所得にも影響を受けるという消費理論
の基礎を築いた。最適消費の選択は短期の所得のみに依存するのではなく、長期にわたっ
た予算制約の中で決定されているのである。
ライフサイクル仮説では、個人の消費行動が生涯にわたって獲得できる総所得によって
決 定 さ れ る 1 。人 々 は 、現 在 保 有 す る 資 産 と 将 来 得 ら れ る で あ ろ う 所 得 の 合 計 が 一 生 涯 で の
消費と一致するように、毎年の消費量を決めて行動する。つまり、個人の消費行動は短期
の所得変化のみならず、将来の予想所得にも影響を受けるとされる。
また、恒常所得仮説は、所得を「恒常所得」と「変動所得」に分け、個人の消費行動を
考える。恒常所得とは個人が自身の所得稼得能力(過去の所得経験、現在の資産、学歴、
技能など)から得られると予測した所得であり、変動所得とは自身の所得稼得能力とは独
立した要因(景気の良しあしなど)によって左右される所得のことを指す。要するに、恒
常 所 得 仮 説 で は 、 個 人 の 消 費 行 動 は 将 来 も 含 め た 恒 常 所 得 の 水 準 に よ っ て 決 定 さ れ る 2。
2-2.雇用と消費に関する実証分析の先行研究
上記したのは消費関数の主な理論であるが、雇用と消費(貯蓄)に焦点を当てた近年の
実 証 分 析 も い く つ か 紹 介 す る 。小 川( 1991)で は 所 得 リ ス ク に 関 す る 分 析 を 行 い 、貯 蓄 率
関数を推計した上で、所得リスクが高まると貯蓄率が上昇するとの結論に達している。
こ の 研 究 を 踏 ま え 、土 居( 2001)は 所 得 リ ス ク に 加 え て 雇 用 リ ス ク を 考 慮 す る 必 要 が あ
ると指摘し、雇用環境の期待値(有効求人倍率、完全失業率)で雇用リスクを測り、失業
の可能性が将来所得の不確実性を高め、家計に予備的貯蓄を促すと主張した。
長 島( 2003)で は 、期 待 所 得 、期 待 イ ン フ レ 、所 得 リ ス ク と い っ た 期 待・リ ス ク 要 因 が 、
平均消費性向にどのように影響を及ぼしているか検証を試みた。結果、全ての所得階層で
消費性向が期待インフレの影響を受けていると導き出している。
1
現在 t 歳、定年 n 歳、寿命 T 歳、就業期間(
)年、毎年の収入
年 の 消 費 C 円 と 仮 定 す る と ( 遺 産 は 残 さ な い )、 1 期 分 の 消 費 C の 式 は 、
2
消 費 を C、 恒 常 所 得 を
とすると、
円、現時点での実質資産
、さらに、毎
となる。
が恒常所得仮説によって定義される消費関数となる。
3
樋 口( 2001)は 、恒 常 所 得 仮 説 か ら 消 費 関 数 に つ い て 分 析 し て い る 。毎 月 の 世 帯 所 得 を
変動所得、過去3年間の平均世帯所得を恒常所得として消費関数の推計を行い、毎月の世
帯収入は消費に有意な影響を与えないが、恒常所得の低下は消費支出を抑制させるという
結果を得た。
内 閣 府 ( 2009) は 、 2 人 以 上 の 勤 労 者 世 帯 の う ち 、 25~ 40 歳 の 非 正 規 雇 用 者 が 世 帯 主
である家計は、将来の不確実性に備え、相対的に貯蓄率が高くなると指摘している。
本稿では、こうした先行研究を踏まえ、労働市場における非正規雇用者の割合が消費に
与える影響を考察していく。実証分析の前に、第3章では日本における労働市場の現状と
雇用リスクを整理する。
3.高まる雇用リスク
3-1.雇用情勢の悪化と非正規雇用者数の増大
(1)雇用者数、失業率の歴史的推移
図表1
雇用者数と失業率の推移
(万人)
(%)
6
6000
5500
5
雇用者数
5000
失業率
4
4500
4000
3
3500
3000
2
2500
1
2000
1500
0
54 56 58 60 62 64 66 68 70 72 74 76 78 80 82 84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08
(出所)総務省労働力調査より作成。
( 備 考 ) 雇 用 者 数 、 失 業 率 と も に 年 平 均 値 。 09 年 は 1 - 7 月 の 平 均 値 。
日 本 経 済 は 敗 戦 か ら の 経 済 復 興 を 遂 げ 、 現 在 で は 世 界 第 2 位 の GDP を 誇 る 経 済 大 国 と な
っ た が 、 そ の 過 程 で は 幾 度 も 景 気 変 動 を 経 験 し た 。 1955- 73 年 ま で の 高 度 経 済 成 長 期 に
おいて、日本は右肩上がりの飛躍的な成長を遂げた。これにより、新たな産業が生み出さ
れ、雇用者数が大幅に増加し、失業率も大きく改善した。
73 年 の オ イ ル シ ョ ッ ク を 境 に 、日 本 経 済 は 年 率 5 % 前 後 の 安 定 成 長 期 と 呼 ば れ る 時 代 に
入っていった。それ以降、失業率は2%を超えて推移するようになり、プラザ合意による
円 高 不 況 の 影 響 で 87 年 に は 2.8% ま で 悪 化 し た 。そ の 後 、バ ブ ル 景 気 で は 失 業 率 が 2 % 近
4
くまで低下し、雇用者数の伸び率はそれまでの年率1%台から一気に3%台まで大幅に上
昇した。
し か し 、バ ブ ル 破 裂 後 、日 本 経 済 は「 失 わ れ た 10 年 」と 呼 ば れ る 長 期 の 停 滞 に 陥 っ た 。
雇 用 者 数 の 伸 び 率 が 低 下 す る と と も に 、失 業 率 は 5 % を 超 え る に ま で 至 っ た 。 そ の 後 、02
年 か ら の 景 気 回 復 過 程 で 失 業 率 は 大 幅 に 改 善 し た 。だ が 、08 年 の リ ー マ ン・シ ョ ッ ク 後 に
は、過去の景気後退局面に比べ短期間で雇用調整が行われ、失業率は急速に悪化した。こ
の背景には、増加した非正規雇用者の存在がある。
(2)増加する非正規雇用
現 在 、 日 本 の 雇 用 者 数 ( 役 員 除 く ) は 5,105 万 人 で あ り 、 そ の う ち の 約 3 分 の 1 に 当 た
る 1,685 万 人 が 非 正 規 雇 用 者 と し て 働 い て い る 3 。
非正規雇用者の増加において特に注目すべき点の1つ目は、その上昇テンポである。雇
用 者 全 体 に 占 め る 非 正 規 雇 用 者 の 割 合 は 84 年 の 15.3% か ら 上 昇 し 続 け 、90 年 代 か ら は そ
の 伸 び 率 が 一 段 と 高 ま っ て き た 。 と り わ け 、 97 年 か ら 02 年 に か け て は 、 リ ス ト ラ と 新 卒
の 採 用 抑 制 に よ り 、非 正 規 雇 用 化 が 進 ん で い っ た 。09 年 1 - 3 月 期 に お い て 、非 正 規 雇 用
者 の 割 合 は 33.4% に 達 し 、 こ の 四 半 世 紀 で お よ そ 2 倍 以 上 に 増 加 し た こ と に な る 。
2つ目には、女性と高齢者の社会進出が促進されたことである。結婚を機に離職した女
性 が 、パ ー ト や ア ル バ イ ト と い う 形 で 再 び 働 き 出 し て い る 。特 に 、30 代 後 半 を 迎 え た 女 性
において、その比率が一段と高まっている。また、高齢者の社会進出の背景には、団塊世
代の大量退職とその再雇用がある。企業にとって技能や経験を持つ、これらの高齢者を嘱
託などの形で雇用する動きが広がっている。
3 つ 目 に 、近 年 、20~ 30 歳 代 の 男 性 に お い て 非 正 規 雇 用 者 の 増 加 が 著 し い こ と だ 。企 業
は景気後退局面では新卒採用を控えることで雇用調整を図る傾向にあり、それはバブル破
裂後、顕著に見られた。そのため、現在もっとも働き盛りである男性世代において、非正
規 雇 用 者 の 割 合 が 過 去 と 比 較 し て 大 き く な っ て い る ( 図 表 2 )。
図表2
雇用形態別、雇用者割合
(男性、年齢階級別)
3
総 務 省 統 計 局 「 労 働 力 調 査 」 平 成 21 年 4 - 6 月 期 統 計 。
5
(女性、年齢階級別)
(出所)厚生労働省労働力調査より作成。
( 備 考 ) 1990 年 、 2000 年 は 2 月 値 。 2008 年 は 年 平 均 値 。
3-2.非正規雇用者増加の背景
なぜ、非正規雇用者は増加していったのだろうか。その要因として「バブル破裂後のバ
ランスシート調整」
「グローバル化による構造変化」
「 規 制 緩 和 」と い う 3 点 を 指 摘 し た い 。
(1)バブル破裂後のバランスシート調整
バブル景気の下、日本企業は巨額の債務を調達し、設備を増強し、人材を奪い合うよう
に 採 用 し た 。 だ が 、 多 く の 企 業 は バ ブ ル 破 裂 後 に 「 債 務 」「 設 備 」「 雇 用 」 の 過 剰 を 抱 え 込
むこととなった。
企業は3つの過剰の解消に向けて債務、設備を整理した後、賃金水準の引き下げや希望
退職者の募集といった直接的な措置も含め、厳しい雇用調整を行った。企業にとって、日
本的雇用慣行とされた終身雇用制は重荷となり、人員調整が容易な非正規雇用者の存在価
値は、人件費削減を迫られる中で次第に大きくなっていった。景気の変動に合わせて非正
規雇用者を雇用の調整弁として活用する企業が増加した。こうした企業のバランスシート
調整の過程において、非正規雇用者が急増していくこととなった。
(2)グローバル化の急速な進展による構造的変化
バランスシートの調整が一段落した後も、企業は非正規雇用者を増加させ、人件費を抑
制する姿勢を崩していない。その背景には、グローバル化の進展による構造的変化が挙げ
られる。
ト ー マ ス ・ フ リ ー ド マ ン( 2006)は 、現 在 の グ ロ ー バ ル 化 の 潮 流 を「 資 本 や 労 働 ま で も
が市場統合する現象」であると捉えている。近年、日本もグローバル化した市場での競争
を強いられている。
国際競争が激化する中、日本企業も海外製品とのコスト面での競争を余儀なくされ、人
6
件 費 も そ の 対 象 と な っ て い る 。日 本 銀 行( 2007)は 、製 造 業 の 輸 出 比 率 や 外 国 人 持 ち 株 比
率と、実質賃金ギャップとの間に逆相関の関係が見られることから「資本市場からの規律
やグローバルな競争圧力が高い業種ほど、賃金の抑制姿勢が強いことが確認される」と指
摘 し て い る 4 。人 件 費 を 削 減 し 、国 際 競 争 を 勝 ち 抜 い て い く た め に は 、企 業 に と っ て 非 正 規
雇 用 者 の 活 用 が 欠 か せ な く な っ て い る 5。
(3)規制緩和
90 年 代 か ら 行 わ れ た 労 働 法 制 の 度 重 な る 改 正 も 、 非 正 規 雇 用 者 増 加 の 流 れ を 後 押 し た 。
戦後まもなく成立した職業安定法により、労働力の需給調整は国家の専権とされてきた。
だ が 、経 済 の サ ー ビ ス 化・ソ フ ト 化 が 進 む 中 で 、労 働 に 対 す る ニ ー ズ は 多 様 化 し て い っ た 。
例えば、労働需要側である企業は、一般の従業員では対処し難い業務をアウトソーシング
することが多くなった。また、労働供給側である労働者も希望する日時などに合わせ、専
門 的 な 能 力 を 活 か し た 就 業 を 行 う と い っ た 意 識 ・ 行 動 の 変 化 が 見 ら れ た 6。
このような状況から、特定業務分野については、労働者の保護と雇用の安定に配慮し、
社会的な弊害をもたらさない範囲において、派遣禁止枠が外されることとなった。これを
受 け 、85 年 に 労 働 者 派 遣 法 が 成 立 し た 。バ ブ ル 破 裂 に よ る 長 期 不 況 を 経 験 し た 企 業 に と っ
て雇用調整は最重要課題であったため、産業界を中心に弾力的な雇用が求められ規制緩和
が 実 施 さ れ た 。 労 働 者 派 遣 法 は 99 年 の 改 正 に よ り 、 港 湾 運 送 、 建 設 、 警 備 、 医 療 現 場 ・
製 造 現 場 を 除 い て 原 則 自 由 化 さ れ た 。04 年 に は 医 療 現 場・製 造 現 場 で も 労 働 者 派 遣 が 認 め
られ、派遣期間も1年から3年に延長された。こうして、企業側にとって非正規雇用者を
活用する好条件が整えられていった。
3-3.恒常所得仮説・ライフサイクル仮説と非正規雇用
非正規雇用者の増加傾向は、日本経済にどんな影響を及ぼしているのであろうか。非正
規雇用者の就労の実態と消費理論から考察していく。
(1)非正規雇用者の就労状況から見えてくるリスク
非正規雇用者は、年功序列・終身雇用の対象外となっているため、正規雇用者と比較し
て賃金水準が低く、雇用の安定性に欠けているのが特徴である。非正規雇用者の年間賃金
は 派 遣・契 約 社 員 で 300 万 円 未 満 と な っ て い る 。労 働 時 間 が 正 規 雇 用 者 並 み の 40~48 時 間
勤 務 を 行 っ て い る 嘱 託 ・ 契 約 社 員 に 関 し て も 年 間 賃 金 は 300 万 円 未 満 の 者 が 大 半 で あ り 、
正 規 雇 用 者 と 比 較 し て 賃 金 は 低 水 準 に 留 ま っ て い る ( 図 表 3 ) 7。
4 み ず ほ 総 合 研 究 所( 2007)に お い て も「 売 上 に 対 す る 輸 出 寄 与 度 の 高 い 企 業 ほ ど 賃 金 ギ ャ ッ プ が 大 き く 、生 産 性
の伸びに対して 1 人当たり人件費が抑制されていることがわかる」と分析している。
5 非 正 規 雇 用 者 の 増 加 は 、 わ が 国 だ け の 特 徴 で は な い 。 97 年 以 降 、 主 要 国 の 多 く で 臨 時 雇 用 者 の 比 率 が 上 昇 し て
い る ( 内 閣 府 ( 2009) 参 照 )。 こ の こ と か ら も 、 グ ロ ー バ ル 化 に よ っ て 世 界 の 企 業 が コ ス ト 抑 制 を 実 施 し て い る と
考えられる。
6 内 閣 府 ( 2007) P191-192 参 照 。
7 も っ と も 、 派 遣 労 働 の 中 で も 、 技 術 系 を 中 心 に 「 特 定 労 働 派 遣 」 と し て 働 く 人 々 が 現 在 20 万 人 程 度 存 在 し て い
る。彼らは高い職務能力・技術から、正規雇用者の平均よりも高い収入を得ている場合もある。
7
図表3
正規雇用・非正規雇用に関する統計データ
性別、雇用形態別の
年 齢 別 、性 別 、雇 用 形 態 別 の 平 均 年 収( 千 円 ) 平 均 年 収 ( 左 図 : 千 円 ) と 生 涯 賃 金 ( 右 図 : 億 円 )
( 出 所 ) 厚 生 労 働 省 「 平 成 19 年 ・ 平 成 20 年 賃 金 構 造 基 本 統 計 調 査 」 よ り 作 成 。
(備考)平均年収は、きまって支給する現金給与額+年間賞与その他特別給与額。生涯賃金は、
各 年 齢 階 層 の 中 央 値 が 当 該 年 齢 層 を 代 表 す る も の と み な し 、各 年 齢 の 賃 金 を 64 歳 ま で 合 算 。
生涯所得に関しても非正規雇用者は勤続年数に応じた賃金の伸び率が低い。平均年収・
生涯賃金ともに正規雇用者と非正規雇用者を比較すると、およそ2倍近い差が見られる。
これらの賃金格差の背景には、企業側が非正規雇用者に対して、長期雇用・高付加価値労
働 を 前 提 と し て お ら ず 、 企 業 内 訓 練 ( OJT) な ど の 機 会 が 乏 し い こ と が あ る 。
ま た 、一 度 非 正 規 雇 用 に な っ た 労 働 者 が 正 規 雇 用 に 転 換 し た い と 望 ん で も 移 行 が 難 し く 、
非正規雇用が固定化されてしまう傾向がある。これには、職種別労働市場が形成されてい
ないなど、労働者の客観的な能力評価が難しく、労働市場の流動性が低いという問題があ
るからだ。さらに、企業側は非正規雇用者を景気動向に応じた雇用調整の対象とみなして
おり、非正規雇用者は正規雇用者と比較して景気後退局面において失業に陥るリスクが高
いといえる。
以上から、非正規雇用者が正規雇用者に比べて将来の不確実性や雇用リスクにより直面
しやすい傾向にあるといえる。
(2)非正規雇用者の消費行動
非 正 規 雇 用 者 増 加 の 影 響 に つ い て 、理 論 面 か ら 考 察 し て い く 。非 正 規 雇 用 者 は OJT で ビ
ジネススキルなどを身につける機会が少なく、勤続年数に伴う賃金上昇も見込まれないな
ど、所得稼得能力を向上させることが困難である。むしろ、自身の所得稼得能力とは全く
関係のない景気動向に所得を大きく左右される。このような観点から、恒常所得仮説を用
8
いて考察すると、非正規雇用者は(正規雇用者と同じ所得額であったとしても)所得のう
ち恒常所得の占める割合が小さく、変動所得の割合が大きいと分析できる。恒常所得仮説
では、個人の消費行動は将来も含めた恒常所得の水準によって決定するとされている。こ
の点から、非正規雇用者の所得全体において恒常所得の割合が小さいことは、正規雇用者
よ り も 消 費 性 向 が 低 下 す る こ と が 考 え ら れ る 8 。つ ま り 、非 正 規 雇 用 者 は 、正 規 雇 用 者 よ り
も消費を抑制しやすい傾向にあるといえる。
また、ライフサイクル仮説からも、家計が将来の雇用・所得に長期の強い不確実性を持
てば、生涯所得の低下を予想し、貯蓄を積み増すことが考えられる。非正規雇用者が正規
雇用者よりも将来の雇用に、より大きな不確実性を有していれば、家計が支出を抑制し、
予備的貯蓄を増加させることが予測される。
非正規雇用の増加は、これまで社会進出の機会が乏しかった高齢者や女性に、就業機会
を拡大させたという面もある。家計にとって補助的な収入源が増加し、消費にプラスの効
果が生じているのかもしれない。しかし、近年は世帯主とされる働き盛りの男性にも、非
正規雇用者の割合が増加してきている。こういった雇用環境の変化が、景気循環や景気悪
化に対する企業の一時的措置ではなく、今後も長期的に続く労働市場の構造変化だとした
ら、家計の消費行動も変化していくと推察できる。家計の中心的役割を果たしていた男性
層の急速な非正規雇用化は、今後の日本経済の消費動向・内需回復を考える上で、見逃せ
ない問題である。
4.実証分析
前章では、非正規雇用者は正規雇用者よりも消費を抑制しやすい傾向にあるという仮説
を 導 い た 。で は 、非 正 規 雇 用 者 個 々 人 の 消 費 抑 制 と い う 仮 説 を マ ク ロ 的 視 点 ま で 広 げ る と 、
どういったことが考えられるのか。恐らく、社会全体として雇用者に占める非正規雇用者
の割合が増加すれば、社会的に変動所得の比率が高まり、恒常所得の比率は低下する。そ
結 果 、日 本 の 家 計 全 体 の 消 費 性 向 が 抑 制 さ れ 、消 費 支 出 は 低 下 し て い く も の と 推 察 で き る 。
近年の平均消費性向の低下には、上記のように非正規雇用者の増加が関係しているのでは
な い か ( 図 表 4 )。
図表4
平均消費性向、非正規雇用者の割合の推移
(出所)総務省家計調査・労働力調査より作成。
8
恒 常 所 得 仮 説 で は 、消 費 は 所 得 の う ち の 恒 常 所 得 の 水 準 に よ っ て 決 ま り 、変 動 所 得 か ら は 影 響 を 受 け な い と さ れ
て い る 。 所 得 を Y、 恒 常 所 得 を 、 a を 定 数 と す る と 、 消 費 関 数 は
と表せる。平均消費性向を求めるため、
式の両辺を Y で割ると、
となる。この式から、所得における恒常所得が小さくなると、
均消費性向が低下することが分かる。
9
となり、平
こ の 点 に 関 し て 樋 口( 2001)は 、非 正 規 雇 用 者 の 増 加 と そ れ に よ る マ ク ロ 的 な 消 費 支 出
抑制との関係に言及してはいるものの、実証的な分析は行っていなかった。一方、内閣府
( 2009)は 、非 正 規 雇 用 者 と 消 費 支 出 の 関 係 に つ い て 実 証 的 に 分 析 し た も の の 、推 計 期 間
は単年度だけであった。よって本稿では、雇用者に占める非正規雇用者の増加が、日本家
計 全 体 の 消 費 に 影 響 を 及 ぼ し て い る の か ど う か を 、 過 去 25 年 間 の ス パ ン で 実 証 的 に 推 計
する。本稿の仮説である「雇用者に占める非正規雇用者の増加は、社会全体の消費に負の
影響を与える」ことが統計的に有意であるといえるかどうかが分析のポイントである。
4-1.変数の決定
非 正 規 雇 用 に 関 す る 変 数 と し て は 、労 働 者 全 体 に 占 め る 非 正 規 雇 用 者 の 割 合 を 使 用 す る 。
もちろん非正規雇用者の実数を使用することも考えられるが、本稿では労働者の構成、つ
まり正規雇用者と非正規雇用者の構成の変化に重点を置いて分析するため、実数ではなく
割合を使用することにした。消費に関する変数としては平均消費性向を使用する。こちら
も、実数より可処分所得からの支出割合に着目することで、より消費の実態が明らかにな
ると考えた。また、これ以外に家計の期待(不安)を変数に加える。消費理論では、消費
に 関 し て は 現 在 と 将 来 の 所 得 が 影 響 す る と 考 え ら れ て い る 。ま た 、先 行 研 究 に お い て も 様 々
な期待(所得、インフレ、雇用)が消費に影響を与えるという結果が出ている(例えば長
島 ( 2003))。 そ の た め 、 本 稿 で は 将 来 の 視 点 か ら も 雇 用 環 境 DI を 変 数 と し 、 家 計 が 将 来
の所得を得るための雇用環境をどう判断しているのかを分析に加える。その他に、平均消
費性向に影響を与える可能性が高い説明変数として、完全失業率や有効求人倍率が挙げら
れる。そのため、これらの変数を加えた場合の分析も同時に行う。
上記のように、本稿では雇用状況(正規雇用か非正規雇用か)と雇用環境の判断を説明
変数の基本とし、完全失業率、有効求人倍率をも説明変数に加えた家計全体の平均消費性
向モデルを考えた。繰り返しになるが、この分析の目的は、非正規雇用者の割合の増加が
平均消費性向に対し有意に負の影響を与えるかどうかを明らかにすることである。
図表5
雇 用 環 境 DI、 完 全 失 業 率 、 有 効 求 人 倍 率 の 推 移
( 出 所 ) ESRI 消 費 動 向 調 査 、 総 務 省 労 働 力 調 査 、 厚 生 労 働 省 職 業 安 定 業 務 統 計 よ り 作 成 。
10
4-2.推計方法・使用データの説明
前 節 で 決 定 し た よ う に 、非 正 規 雇 用 者 の 割 合 、雇 用 環 境 DI、完 全 失 業 率 、有 効 求 人 倍 率
を 説 明 変 数 と し て 、 平 均 消 費 性 向 を 説 明 す る 。 サ ン プ ル 期 間 は 1984- 2008 年 と し 、 推 計
方 法 は 最 小 二 乗 法 を 採 用 す る 。 ま た 推 計 に は 統 計 ソ フ ト Eviews6 を 用 い た 。
被説明変数である平均消費性向は、総務省家計調査・全国勤労者世帯の各年のデータを
引用した。また、説明変数である非正規雇用者の割合は、総務省労働力調査・全国雇用形
態 別 雇 用 者 数 の 長 期 時 系 列 デ ー タ か ら 引 用 し 、雇 用 環 境 DI は ESRI( 経 済 社 会 総 合 研 究 所
景気統計部)消費動向調査・各消費者意識指標の推移(雇用環境、四半期)から単純平均
値を算出して使用した。完全失業率は、総務省労働力調査長期時系列データより男女計の
完全失業率の値を用いた。有効求人倍率は、厚生労働省職業安定業務統計・長期時系列表
より引用した。
4-3.推計式とその結果
i.
推計式とその内容は以下のとおりである。
(1) APCt α1CWt β1 EEDI t  C1
(2) APCt α2CWt β2 EEDIt γ1TURt  C2
(3) APCt α3CWt β3 EEDIt σ1 JORt  C3
(4) APCt α4CWt β4 EEDIt γ2TUR σ2 JORt  C4
APC t : t 期 の 平 均 消 費 性 向 (Average Propensity to Consume)
CW t : t 期 の 非 正 規 雇 用 者 (Contingent Worker)の 割 合
EEDI t : t 期 の 雇 用 環 境 DI(Employment Environment Diffusion Index)
TUR t : t 期 の 完 全 失 業 率 (Total Unemployment Rate)
JOR t : t 期 の 有 効 求 人 倍 率 (Job-Offer Ratio)
C :定数項
ii.
推計結果
図表6
変数間の相関分析
平均消費性向 非正規雇用者の割合 雇用DI 完全失業率 有効求人倍率
平均消費性向
1
非正規雇用者の割合 -0.691708932
1
雇用DI
0.410602697
-0.118577236
1
完全失業率
-0.645703004
0.772551525 -0.4094
1
有効求人倍率
0.184534014
-0.00370798 0.692322 -0.52812117
1
11
図表7
推計式(1)~(4)の結果
(1) APC t  α1CW t  β1 EEDI t  C 1
( 2 ) APC t  α2 CW t  β2 EEDI t  γ1TUR t  C 2
Dependent Variable: APC
Method: Least Squares
Sample: 1984 2008
Included observations: 25
Dependent Variable: APC
Method: Least Squares
Sample: 1984 2008
Included observations: 25
C
CW
EEDI
R-squared
Adjusted R-squared
S.E. of regression
Sum squared resid
Log likelihood
F-statistic
Prob(F-statistic)
Coefficient
Std. Error
t-Statistic
Prob.
76.33742
-0.229992
0.076548
1.801635
0.048603
0.031657
42.37120
-4.732005
2.418041
0.0000
0.0001
0.0243
0.587967
0.550509
1.413035
43.92668
-42.51904
15.69689
0.000058
Mean dependent var
S.D. dependent var
Akaike info criterion
Schwarz criterion
Hannan-Quinn criter.
Durbin-Watson stat
73.79600
2.107621
3.641523
3.787788
3.682091
0.687901
C
CW
EEDI
TUR
R-squared
Adjusted R-squared
S.E. of regression
Sum squared resid
Log likelihood
F-statistic
Prob(F-statistic)
Coefficient
Std. Error
t-Statistic
Prob.
76.40238
-0.225332
0.075216
-0.035555
2.061477
0.082755
0.037512
0.504641
37.06197
-2.722893
2.005100
-0.070456
0.0000
0.0127
0.0580
0.9445
0.588064
0.529216
1.446116
43.91630
-42.51608
9.992944
0.000270
Mean dependent var
S.D. dependent var
Akaike info criterion
Schwarz criterion
Hannan-Quinn criter.
Durbin-Watson stat
73.79600
2.107621
3.721287
3.916307
3.775377
0.681415
(3) APC t α3CWt β3 EEDI t σ1 JORt  C 3 (4) APCt α4CWt β4 EEDI t γ2TUR σ2 JORt  C4
Dependent Variable: APC
Method: Least Squares
Sample: 1984 2008
Included observations: 25
Dependent Variable: APC
Method: Least Squares
Sample: 1984 2008
Included observations: 25
C
CW
EEDI
JOR
R-squared
Adjusted R-squared
S.E. of regression
Sum squared resid
Log likelihood
F-statistic
Prob(F-statistic)
iii.
Coefficient
Std. Error
t-Statistic
Prob.
76.29699
-0.227342
0.091779
-0.747632
1.835606
0.049768
0.044922
1.536507
41.56501
-4.568059
2.043069
-0.486579
0.0000
0.0002
0.0538
0.6316
0.592561
0.534355
1.438203
43.43696
-42.37890
10.18047
0.000241
Mean dependent var
S.D. dependent var
Akaike info criterion
Schwarz criterion
Hannan-Quinn criter.
Durbin-Watson stat
73.79600
2.107621
3.710312
3.905332
3.764402
0.733413
C
CW
EEDI
TUR
JOR
R-squared
Adjusted R-squared
S.E. of regression
Sum squared resid
Log likelihood
F-statistic
Prob(F-statistic)
Coefficient
Std. Error
t-Statistic
Prob.
77.22336
-0.151372
0.097478
-0.545008
-2.029763
2.297699
0.121657
0.046251
0.794314
2.431797
33.6090
-1.244251
2.107585
-0.686137
-0.834676
0.0000
0.2278
0.0479
0.5005
0.4138
0.601931
0.522317
1.456674
42.43800
-42.08807
7.560628
0.000701
Mean dependent var
S.D. dependent var
Akaike info criterion
Schwarz criterion
Hannan-Quinn criter.
Durbin-Watson stat
73.79600
2.107621
3.767046
4.010821
3.834658
0.712372
推計結果のサマリー
各式の係数を以下にまとめる。括弧内は t 値。
(1)式
(2)式
(3)式
(4)式
非 正 規 雇 用 者 の割 合
雇 用 環 境 DI
完全失業率
有効求人倍率
CW
EEDI
TUR
JOR
-0.229
0.076
(-4.73)***
(2.41)**
―
-0.225
0.075
-0.035
(-2.72)**
(2.00)*
(-0.07)
―
―
-0.227
0.091
(-4.56)***
(2.04)*
―
(-0.48)
-0.151
0.097
-0.545
-2.029
(-1.24)
(2.10)**
(-0.68)
(-0.83)
-0.747
( 括 弧 内 は t 値 、 ***は 1 % で 有 意 、 **は 5 % で 有 意 、 *は 10% で 有 意 で あ る こ と を 示 す )
12
それぞれの結果について見ていく。
( 1 )式 で は 、CW に つ い て は 係 数 が -0.229 で 1 % 有
意 、 EEDI に つ い て は 係 数 が 0.076 で 5 % 有 意 で あ っ た 。 ま た ( 2 ) 式 と ( 3 ) 式 を み て
も CW は そ れ ぞ れ 5 % と 1 % で 有 意 で あ り 、 EEDI に つ い て は 共 に 10% で 有 意 で あ っ た 。
一方(4)式に関しては期待した結果にならなかった。これについては、先に分析した変
数 間 の 相 関 分 析 を 参 考 に 考 え て み る 。 相 関 分 析 で は 、 CW と TUR、 EEDI と JOR そ れ ぞ
れの間に比較的高い相関がみられた。つまり(4)式に関しては恐らく、変数間に相関が
あ っ た た め 有 意 な 結 果 が 得 ら れ な か っ た と 考 え ら れ る 。 ま た 、 JOR に つ い て は APC と の
相 関 が 正 の 符 号 で あ っ た の に 対 し 、偏 回 帰 係 数 に つ い て は( 3 )式 、
( 4 )式 と も に 負 の 符
号 を 示 し て い る 。こ の こ と か ら 、多 重 共 線 性( マ ル チ コ リ ニ ア リ テ ィ )の 問 題 が 疑 わ れ る 。
以 上 、( 1 )式 か ら( 4 )式 の 分 析 結 果 よ り 、CW は APC に 対 し て 有 意 に 負 の 影 響 を 及 ぼ
すということができる。これにより「非正規雇用者の割合の増加は平均消費性向を引き下
げ る 」 こ と が 明 ら か に な っ た 9。
4-4.結論
分析により、平均消費性向と非正規雇用者の割合との間には、有意の負の相関があるこ
とが分かった。したがって、雇用者全体に占める非正規雇用者の割合の増加は、平均消費
性向を低下させると考えられる。つまり、非正規雇用者は、将来の不安から消費を抑制す
る 傾 向 に あ り 、 そ の 非 正 規 雇 用 者 の 割 合 が 過 去 25 年 間 に わ た り 増 加 し て い る こ と が 、 家
計全体の消費性向を下げていると考察できる。
5.政策提言
実証分析から、非正規雇用者の割合と消費性向の間に負の相関があるという結果が得ら
れた。この結果は、非正規雇用者の持つ将来の所得や失業への不安が影響しているものと
考えられる。それならば、非正規雇用者が抱くこうした将来不安やリスクを軽減する政策
を行い、安心感と希望を与えることで、消費を拡大することが可能となるのではないだろ
うか。以下3つの労働政策を消費拡大に向けての政策として提言する。
1 つ 目 に 、 セ ー フ テ ィ ー ネ ッ ト の 充 実 に 着 手 す る 。 す で に 09 年 4 月 か ら 、 政 府 は 労 働
保険の適用基準緩和といったセーフティーネット充実を図っている。政権交代を果たした
民主党のマニフェストにも、雇用保険の対象者を全労働者にするなど積極的なセーフティ
ーネット拡充の内容が盛り込まれている。こうした流れを引き継ぎ、雇用保険料の引き下
げや雇用保険の内容改善など、労働者の不安を取り除く政策の実施を提案する。
2つ目に、労働者が自発的に技能習得を試みるようなインセンティブを与える政策を並
行して行うことが望ましい。恒常所得仮説によれば、所得稼得能力の向上は恒常所得を上
昇させ、消費の増加につながる。所得稼得能力のうち、学歴や現在の資産などと異なり、
9
補 足 : 実 証 分 析 の 結 果 、 完 全 失 業 率 ( TUR) に 関 し て は 平 均 消 費 性 向 ( APC) に 有 意 ( 1 % ) に 負 の 影 響 を 与 え
ることが分かった(
APCt γTURt  C )。 た だ し 、 本 稿 は あ く ま で 非 正 規 雇 用 者 ( CW) の 割 合 に つ い て 有 意 か
ど う か を 知 る の が 目 的 な の で 、完 全 失 業 率 に つ い て は こ こ で 述 べ る に 止 め た い 。有 効 求 人 倍 率( JOR)に つ い て は
平均消費性向に対して有意な結果は得られなかった(
APCt σJORt  C )。
13
技能はこれからの努力次第で獲得できる。つまり、技能を高めることができれば所得の増
加につながる可能性があり、結果として消費態度の改善が見込まれる。そのため、技能水
準を自ら積極的に高めるための場や、技能習得のインセンティブを高める政策が必要とさ
れる。具体的には、職業訓練所や資格取得補助の充実が考えられる。こうした制度を自治
体レベルで整備・強化することが急務であろう。
3 つ 目 に 、英 国 の NVQ( 全 国 職 業 資 格 制 度 ) 10 を モ デ ル に 、技 能 を 客 観 的 に 判 断 で き る
資格取得制度を導入してはどうだろうか。日本では技能の客観的評価が難しく、そのこと
が 転 職 を 困 難 な も の に し て い る 。NVQ と い う 制 度 は 、英 国 の 職 業 全 体 に 通 じ る 職 業 能 力 を
示 す 資 格 制 度 で あ り 、若 年 者 向 け の 職 業 訓 練 や 労 働 者 の 能 力 開 発 と し て 広 く 普 及 し て い る 。
英 国 の NVQ の よ う に 、 企 業 間 で 共 通 の 能 力 判 定 基 準 が 設 け ら れ れ ば 、 若 年 層 に お け る 労
働市場の活発化が見込まれる。これにより、求職者は、企業が客観的に判断できる能力を
身につければ、職を獲得できるという期待が高まり、自らの技能形成へのインセンティブ
が高まるであろう。
以上3つの政策によって、失業や将来所得への不安を緩和し、消費を活性化させること
が本稿の政策提言の目的である。
「 国 民 の 生 活 が 第 一 」を 旗 印 に 、家 計 へ の 直 接 的 な 政 策 を
標榜する民主党が、今後の日本経済の舵取りを行う。財源の確保など道は険しいが、国民
が 抱 く 生 活 へ の 不 安 を 取 り 除 き 、未 来 に 希 望 を 持 て る よ う な 労 働 政 策 の 実 施 を 期 待 し た い 。
NVQ( National Vocational Qualification)と は 産 業 の 国 際 競 争 力 を 高 め 、国 民 全 体 の 職 業 能 力 を 向 上 さ せ る こ
と を 目 的 と し 、 1986 年 に 始 ま っ た イ ギ リ ス の 公 的 職 業 資 格 で あ る 。 NVQ 資 格 は 職 業 を 11 分 野 に 区 分 し 、 全 産 業
の 9 割 を カ バ ー し て い る 。 2003 年 時 点 に お い て 、 全 労 働 人 口 の 14%強 を 占 め る 約 428 万 人 が 取 得 し て い る 。
10
14
<参 考 文 献 >
・ 小 川 一 夫 「 所 得 リ ス ク と 予 備 的 貯 蓄 」、 財 団 法 人 学 会 誌 刊 行 セ ン タ ー Economic
review 42(2 )、 1991 年 。
・ 土 居 丈 朗 「 貯 蓄 関 数 に 基 づ く 予 備 的 貯 蓄 仮 説 の 検 証 」、 慶 應 義 塾 大 学 ・ 内 閣 府 経 済 社 会
総 合 研 究 所 、 ESRI Discussion Paper Series No.1、 2001 年 。
・ 長 島 直 樹 「 期 待 と 消 費 ― 期 待 は ど の よ う に 消 費 に 影 響 を 与 え て い る か 」、 富 士 通 総 研
Economic review2003.1。
・ 樋 口 美 雄 『 雇 用 と 失 業 の 経 済 学 』、 日 本 経 済 新 聞 社 、 2001 年 。
・ 内 閣 府 「 経 済 財 政 白 書 」、 2009 年 。
・ ト ー マ ス ・ フ リ ー ド マ ン 『 フ ラ ッ ト 化 す る 世 界 上 ・ 下 』、 日 本 経 済 新 聞 社 、 2006 年 。
・ 日 本 銀 行 「 経 済 ・ 物 価 情 勢 の 展 望 」、 2007 年 。
・ み ず ほ 総 合 研 究 所 「 個 人 消 費 低 迷 の 要 因 を 探 る 」、 み ず ほ 日 本 経 済 イ ン サ イ ト 、 2007
年6月発行。
・ 内 閣 府 「 経 済 財 政 白 書 」、 2007 年 。
・ 小 野 亮 「 グ ロ ー バ ル 化 と 労 働 市 場 ~ 歴 史 、 理 論 、 実 証 研 究 の サ ー ベ イ ~ 」、 み ず ほ 総 研
論 集 、 2007 年 Ⅲ 号 。
・ 田 口 博 雄 「 デ フ レ 経 済 下 の 家 計 消 費 ― 理 念 的 整 理 と 現 実 」、 財 団 法 人 家 計 経 済 研 究 所 、
季 刊 家 計 経 済 研 究 、 2003 年 WINTER No.57。
・ 総 合 研 究 開 発 機 構「 新 た な 雇 用 制 度 設 計 を 迫 る 非 正 規 雇 用 の 増 加 」、NIRA 研 究 報 告 書 、
2008 年 。
・ 日 本 労 働 研 究 機 構「 諸 外 国 に お け る 職 業 能 力 評 価 制 度 の 比 較 調 査 、研 究 ― イ ギ リ ス ― 」、
資 料 シ リ ー ズ No.127、 2002 年 。
15