基調講演録 - 兵庫県国際交流協会

多文化な背景を持つ就学前児童への支援を考える研修会
平成 23 年 2 月 22 日(火) (公財)兵庫県国際交流協会
基調講演:「多文化保育の実現のために~実態調査に基づいて~」
講師名:萩原元昭(創造学園大学ソーシャルワーク学部学部長)
皆さん、こんにちは。今ご紹介預かりました萩原です。今日は「多文化保育
の実現のために」ということで、ちょっと古いんですが、平成12年、つまり
10年前に行いました、近畿地方の調査結果と近年刊行しました拙著「多文化
保育論」
(学文社)に基づいて、日本語を母語としない子ども・保護者にとって
どのような問題があり、その問題を自ら解決できるようにするためには保育者、
地域の住民、NPO、行政がどのように相互に支援しあうネットづくりをすす
めていったらよいか、その方法や新たな環境システムの実現の具体的な政策や
実践知に関連したお話ができればと思います。この調査は、悉皆調査で全部の
幼稚園と保育所を調査しました。本来は国でこういう調査をやってほしいんで
すが、なかなかそういうことにならないので、文科省の科研費をいただきまし
て、近畿地方に限定してその調査を実施しました。私は代表にはなっています
けども、具体的には、この会場にもおられる日浦先生をはじめ、関西圏の先生
方が中心になって実施されたものです。皆さまのお手元の資料に本調査の共同
研究者の名前がございますので、ご参考にして下さい。
これから皆さんのお手元のパワーポイントの資料を、補足しながら進めてい
きたいと思います。
まず、最初に調査の結果をご覧いただきたいと思います。調査の概要につき
ましては、そこの1のところに書いてあります。実施の時期は、平成12年9
月です。調査対象は近畿地方の2府4県で、兵庫県も中に入っております。5,
498園の保育者が対象です。これは10年前の調査なので、今では、もっと
数も増えていますし、いろんな変化もあるのではないかと思いますので、近々
調査を追跡したいと思っていますが、まだその機会はありません。皆さまも御
承知のように、平成20年の文科省の資料によりますと、正規の外国人登録者
数が約221万人で、過去最高となっております。1986年から2006年
の20年間に、約5倍に増加しているということですね。ですから、この傾向
はさらに今後強まるのではないかと予想しております。ところでこの調査の方
法ですが、質問紙郵送法という形で実施しました。回収率がこの方法としては
比較的高かったと思いますが、38.9%。でした。有効の回答施設数は2,
069でその中686施設に当該児が1,611名在籍していることがわかり
ました。つまり、全対象の幼稚園・保育所の約4割に、外国籍の日本語を母語
としない子どもたちが在籍していることがわかりました。
調査の結果の2のところでは、加齢とともに、該当する子どもたちの人数が
増えている傾向が見られます。兵庫県は、5歳から6歳未満では大阪に次いで、
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多い数値を示しております。それから国別で見た場合、
「日本」とあるのは、こ
れは父親が日本人で、そして母親が外国人というケースが比較的多いというこ
とですね。全国的な傾向としてもそうですが、兵庫県についてもそうです。当
該児は78人で、22.7%。それから中国、ベトナム、さらに韓国、ブラジ
ルからきています。つまりアジア圏が非常に多いということが、一つ特色とし
て挙げられます。
次に、幼稚園と保育所を比べてみますと、2倍近く保育所に在籍している数
が多いことがわかります。国籍をみますと、保育所ではブラジル、ベトナム、
ペルー、中国という傾向。幼稚園ではアメリカ、韓国、日本。日本とは、どち
らかの親が母語が日本語でない場合を指しています。
それから、保育所で使われている言葉は、兵庫県だけではないのですが、近
畿全体で、ポルトガル語、ベトナム語、スペイン語、中国語が多い。保育者自
身が外国籍の子どもの母語を習得していない状況もあり、やはり話し言葉によ
るコミュニケーション、つまり意思の疎通がなかなかできないという問題点が
浮かび上がってきます。
それから次に、父母の国籍を近畿地方全体で見ますと、先程申しましたよう
に、父親が日本人、母親が外国人というのが3分の1近くで、かなり多いわけ
ですね。母親の国籍を見ますと、母親が日本人で、父親が外国人というのは全
体の7分の1弱の傾向で少ない。簡単に言うと父親が日本人で、母親が外国人
というカップルが、母親が日本人で、父親が外国人の数の約2倍以上いるとい
う傾向を示しています。
それから日本語能力について調べてみますと、意思疎通ができる、十分にで
きるという回答が、父親35%、母親は42%ですが、困ったことがあるとか、
あるいはコミュニケーションがうまくできないという回答は、父親の場合には
3割弱、母親のほうが43.9%。要するに、過半数の母親がコミュニケーシ
ョンの問題、ディスコミュニケーションといいますか、それで非常に困ってい
る実態がわかっております。
さらに、これは近畿地方全体で見ますと、保育上困ったことの人数はどれく
らいいるかというと、兵庫県の場合には大阪に次いでですが、多くて、300
人、22.9%でした。その内容については次をご覧下さい。
まず、近畿地方全体も兵庫県も同じ傾向でして、言葉、親との話し言葉がう
まくとれない、意思疎通問題、親子の関わりなど、困ったことの大半が意思の
疎通に関わるコミュニケーションの問題、いわゆる保育者と保護者の意思疎通、
コミュニケーションの問題で困っているという実態があり、これは現在もあま
り変わらないのではないかと予想されます。
そのために、どういう対忚を園でしているかという調査の結果については、
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次をご覧ください。園が異文化理解、あえて「異文化理解」という言葉をその
時は使いましたけれども、今では多文化理解という言葉になるかと思いますが、
実践内容がそこに書いてあります。他国の歌とか、遊びを保育に取り入れてい
るという回答が、83件で一番多かったですね。それから、保護者同士の交流
の機会を持つという回答が50件となっておりまして、他国の生活を紹介する
のが49件、保育者の研修は、49件、それから保護者を巻き込んだ活動が4
0件、保護者に直接会って話す機会を増やすのは38件、通訳の手配は37件
でした。全体の傾向としては、出身国の言葉、文化、生活習慣、コミュニケー
ションや交流、研修などが対忚策としてとられていることがわかります。
それから、異文化理解に対する実践の保育所と幼稚園の傾向を探ってみます
と、幼稚園では保護者同士の交流の機会、あるいは他国の生活紹介などが比較
的多い。それに対して保育所の方では、保護者に直接会って話す機会を増やす
とか、通訳を手配してもらうということ、それから保育者の研修、異文化理解
の研修などが中心になっています。保護者に対する研修、保育者の日常のコミ
ュニケーションや交流を実施していることが、保育所の場合には多いと言えま
す。
それから、行政に対する要望として、近畿地方全体ですが、どんな要望があ
がっているかといいますと、1から9までありますが、まず通訳者の増員、あ
るいは訪問回数を増加してほしいという、非常に手っ取り早い解決を要望して
います。それから、保育者向けの各国語のガイドブックを作成してほしいとい
うのがあります。これは、保育者の要望ですが、保護者のほうは逆に、母国語
を使った保育所や幼稚園、あるいは子どもの発達・保育についての、母語によ
るガイドブックを作ってほしいというような要望が出ています。それから異文
化理解のための研修、保護者向けの日本語教室の開設、保育相談あるいは生活
相談の開設。それから当該児のための加配、これは外国籍の子どもが1人増え
ると、手間暇がかかるので保育者を増やしてほしいという行政に対する加配の
要望。それから就園助成金の交付、予算の保障、保育者保護者協力システムの
開発等も出ています。
調査結果はまだいろいろあるのですが、以上を踏まえて、私たちとしてどん
なことができるかということで話をパート2に移して行きたいと思います。
まず、配慮すべきことの最初に、保育者の意識や行動を変える、改善すると
いうことを考えられるのではないでしょうか。その前に、まず、多文化保育と
いうのをどう考えているかといいますと、これは私見ですが、保育者が保育の
過程において平等と共生、さらに人間としての尊厳のもとに、人種、民族、社
会・経済階層、ジェンダー、障害等の差別に関わる社会問題に取り組む生涯に
わたる学習の初期段階としての幼児に対し、地球市民としての素質すなわち、
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民主的な判断力と意識を育成する保育実践を「多文化保育」という言葉で考え
ています。それをもとに、これから保育者が配慮すべきと思われることの第一
は、保育者の意識や行動を改善するということがあるのではないかと思います。
個々人の属性である人種、宗教、性別、国籍、文化、こういったものの違いを
むしろ「自然のもの」として捉え、読み取る。そして個人的な差異(ここでは
個性という言葉を使っていますが)に対しては偏見を持ったり、固定的な観念
を持ったりしない。子どもの不公平や差別の言葉や考え方に対しては、その歪
みを正す保育者のクリティカル(批判的)なアンチバイアス anti-bias という思
考と行動力が非常に重要になってくると思われます。
次に乳幼児の発達過程に生じる歪みについての理解、すなわち乳幼児は、2、
3歳くらいになりますと、形とか色とか、肌の色とか、愛情の表わし方、ある
いは明白な身体的な違いに、徐々に注目するという特性があります。3、4歳
ぐらいになりますと、子どもは自分がどんな存在か、そして自分がどう見られ
ているか、肯定的あるいは否定的に見られているか、親を通じて社会について
のメッセージを吸収していますので、この歪みに気付いたらそれを正す子ども
との双方向性のコミュニケーションが、保育者に課されていると思います。
それから次に、さっき申しました、園におけるアンチ・バイアスカリキュラ
ムの取り組みの促進を挙げておりますが、特にアジア地域では、アメリカやヨ
ーロッパと違って、割合可視的な差別よりも不可視的というか、目に見えない
意識の差別があるんですね。具体的に言いますと、高校生が曲がり切れないド
ライバーの車を見たとき「きっとね、あのドライバーは女性だよ。女性はトロ
イからな。」というようなことを言う高校生を耳にしたことがあるんですけれど、
それでよく見たら、そのドライバーは男性だったんですね。
「あ~、男性か」と
いうだけで、自分のその感じ取った歪みをそのまま変えないで、維持している。
これはおそらく幼児期に、その様な体験を修正される機会が親からも保育者か
らも、あるいは仲間からも得られなかった結果で、アメリカのダーマン・スパ
ークス氏に言わせると、幼児期にそういう歪みを正さないと、高校生ぐらいに
なってからでは手遅れといいますか、ずっと持続してしまう可能性があるとい
う研究の一例かもしれません。そういう意味では、幼児期は歪みを正すこと、
差別が無い、平等な地球市民を養成するために、もっと力を入れないといけな
いのではないか、ということを皆さんもお感じになると思います。女性に対す
る男性の差別意識や、アジア・アフリカ出身の労働者に対する偏見、あるいは
高齢者、子ども、障害者に対する差別意識など、2~3歳児からの歪みを正し
て、人間に対する公平さと平等感を育成するアンチ・バイアスカリキュラムを
開発すること、実際にカリフォルニア州立大学はずいぶんその開発を行ってい
ますが、それを実践することが大切だと思います。保育者は子どもの歪みの意
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識を改善する保育内容の開発、幼稚園や保育所におけるカリキュラムの上で、
こういった多文化理解やアンチ・バイアス的なものをもっと積極的に取り入れ
る必要があるのではないかと思います。
私も『多文化保育論』という本を、先程紹介していただきましたが、テキス
トとして作りました小冊子です。以前埼玉学園大学に幼児発達学科を創設した
ときに選択必修科目として「多文化保育論」が文部科学省に認められ、おそら
く日本で初めて保育のカリキュラムの中に載せられました。この科目は短大や
大学、専門学校等、保育者養成に関わるところで、積極的に取り上げたらいい
のではないかと考えています。
それから、幼児の他人に対するバイアス(歪み)はこれもある研究員に言わ
せると、幼児にとって一番大切な自己肯定感というか、自分が他から認められ
ているというそういう肯定感ですけれども、幼児の他者に対するバイアス、歪
みは、結局、幼児自身の自己概念というか、自己肯定感の成長を阻害するとい
う研究もあるんですね。ですから、他人に対するバイアスのかかった偏見のメ
ッセージは、幼児の自己概念の成長を根本的に阻害するので、保育者は本当に
アンチ・バイアス的な保育の重要性を理解する必要があるのではないかと思い
ます。
ある人は、アンチ・バイアスの保育は、
「自分探しの旅」だと言っている方も
いますね。ですから、アンチ・バイアスの保育というのは固定的なものではな
く、ものの見方や、考え方に深く関わって、日々追求していく旅をしていく自
分探しの旅であるということを、保育者も、保護者も理解する必要があるので
はないでしょうか。
次に、子どもと保護者との関わり方の絶えざる見直し、政策が挙げられると
思います。外国籍の幼児・保護者との相談は、母国語でできるようにすること
が大事です。だから保育とか生活のカンファレンスは、できれば相談窓口にい
る人が、たとえばポルトガル語やスペイン語で、日本語でなく相談できる形に
なると、もっと要求を的確につかまえることができるのではないかということ
が一つ考えられます。それから、前述のように2~3歳の幼児は、人種、性別、
髪の毛、肌、あるいは目の色など身体的な特徴に好奇心を持って、質問をして
きたときに、保育者はそのことを話題にして「偏見の芽生え」を摘みとるとい
うか、克服できるように気付かせてやることが大切だと思います。ただ「いけ
ません」ではなくて、なぜいけないかということを双方向性のコミュニケーシ
ョンで伝えていくことが大事です。
その次は、女の子が木に登るのを男の子が拒否した例ですが、
「女の子はダメ、
女は登れない」と次郎が言ったら、先生が「花子ちゃん、登れる?」と聞いた。
花子は「登れるよ」と。先生が「次郎君、花子ちゃんは登れるよと言っている
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よ。先生も、花子ちゃんも次郎君と同じように登れると思う。女の子も男の子
も登れると思うよ。うわぁ、この木、大きいね、次郎君と花子ちゃんが二人い
っぺんに登っても一緒に座れそうだね。楽しそう、先生も登りたくなってき
た!」というような、ある意味では、ただ叱るとか注意するのではなくて、子
どもに気付かせることが教育の原点だと思います。男の子の持つ「女の子には
できない」という偏見に気付かせることが、大事だと思います。
それから、神奈川県相模原の豊泉幼稚園の近くに米軍の基地があります。基
地の中にはキンダーガーテンや養育施設があるのですが、やはり日本に来た以
上、日本の文化と子どもに接したい、あるいは日本語を覚えてほしいという親
の願いがありまして、その園は年々外国籍の園児が増え、ついに1割を超えま
した。そして、1割を超えると、やはり園の生活すべてに日本語と英語を用い
ることになります。園では所詮少々の英語と、日本語が使用されます。表示は
すべて英語と日本語。園便りももちろんです。残念なことに保育者は英語があ
まり得意でないので、母語の担当は母親あるいは父親が来てボランティアで園
便りを一緒に作っています。そして左側は日本語で、同じことが右側に英語で
書いてあるという形です。それを毎月一緒にやるという活動の中で、両方のコ
ミュニケーションがとれるということを実際に私が聞いて、それも一つの方法
だなと思いました。日本の保育者、あるいは保護者と外国人の保護者が一緒に
何か、コミュニケーションというよりもむしろ同じ課題や、同じ活動をするこ
とによって、また園便りを一緒に作るというような方法で、外国籍の子どもの
保護者と日本の子ども・保護者との間の境界線を、少しは弱くあいまいにして
います。
「ブラーザボーダーライン」
(blur the borderline)という言葉がありま
すけども、要するに境界線、垣根を低くして、特別に外国籍の子どもや、多文
化ということは将来的にはなくなって、保育の中にそれが全部吸収されていく
のが理想ではないかと私は思っています。今は、非常に多文化の共生を主張し
ないと、なかなか問題が解決しないというか、切実な課題があるものですから、
私もそれが現時点では必要だと思っています。
それから次に、保育者と保護者との間の話し言葉によるコミュニケーション
は一方向的でなくて、双方向性を重視するということについてです。例が下に
書いてありますが、よく日本の保育所・幼稚園の中には、子どもの数が多かっ
たり問題が多かったりしますと、やはり先生や保育者が中心にならざるを得な
い 状 況が 生じ やす いと いえ ます 。そ う する と どう して もド ミネ ーシ ョ ン
domination(支配)といいますか、先生が中心となって子どもが受け身となっ
ている形になりやすいような状況の中に外国籍の子どもや親がくると、非常に
それに対してジレンマを感じてしまうようです。具体的にこれは豊島区の保育
所の例ですけども、フランス人の上智大学の教授のお子さんの事例です。睡眠
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が遅い、睡眠があまり必要でないそのお子さんは、お昼寝の時間に起きている
わけです。そうすると日本の保育所では、眠らなくても疲れているんだから寝
かせようとするわけです。眠くなくても横になっていなさいとか、目をつむっ
ていなさいとか。ところが、眠くないわけだから、子どもにとってはそれは無
理な話なんです。ですから起きているでしょう、そうすると注意されるわけで
す。注意される度に親指を噛んで、しまいには出血するということが起こって、
その親は、保育所に対して怒りを感じて提案したんですね。
「うちの子は眠りを
長く必要としない子です。短い時間の眠りはその子の個性なので、それを認め
て、みんなが眠っている時でも、絵本を読むとか、隣の教室でね、楽しいレコ
ードを聴くとか、そのようなチャンスを与えて下さい。」と言うと、「例外を作
るわけにはいきません。」「うちではこの方針でやっていますから」と。眠くな
くても寝かせるという方針は、それで、厚生労働省のガイドブックにも書いて
あるからと言って、提案を拒否されたので、母親は家に帰ってその一方的な対
忚、しかも改善されない仕組みに、涙を流していかったそうです。やはり保護
者の方が、子どものことは日常的によく知っていますから、子どもに近いです
しね。保育者はもう少し、その子や保護者の心理的要求によりよい適忚をする
必要があるのではないでしょうか。私はアコモデーションという言葉を使った
らどうかと思います。これはどういうことかと申しますと、日本語で援助とか
支援という言葉をよく使いますね。それは意外と「保育者が考える支援」なん
です。本当に「子どもが要求する支援」ではなくて、それとのズレがあるので
はないかと思う時があるんです。そのズレを調整するのが、アコモデーション。
辞書を引きますと、ある特定の目的に合うように調整したり、それに合わせて
いくということを意味しています。最近、保育でよく使うのは、
「寄り添う」と
いう言葉。子どもの気持ちに寄り添うとか、子どもが気付くように対忚してや
るということを言います。これを一番望んでいるのは外国籍の子どもなんです
ね。ですから、むしろその辺を少し考える必要があるのではないかと思います。
そこで「~しなさい」とか「~しちゃダメ」とかいう命令指示の話し言葉を、
一日にどれくらい保育者が使っているでしょうか。実際に子どもの人数が多か
ったり、保育者が負担する用務が多かったりしますと、「~しなさい」「~しち
ゃダメ」という命令形が多くなってしまう。命令形は、保育者自身は忙しいか
らという理由がたちますけれども、子どもから見ると、それは保育者の事情、
園の事情であって、やっぱりもっと聞いてほしい、もっと自分の要求を受け取
ってほしいということがあります。
これは、外国籍の子どもではないのですが、こういう例があります。これは
静岡県のある保育所の例ですが、忘れ物をする子どもがいて、先生としては忘
れ物をしないようにと、丁寧に初めは、
「あかねちゃん、明日はちゃんと持って
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きてね。」と。ところが、また忘れる。それで今度は親に、親は共働きで、なか
なか連絡がとれないので、ついに、先生は母親が帰る時間に、その家庭を訪ね
て、
「どうしてお母さんに連絡帳まで書いたのに協力してくれないんですか」と
言ってしまったんですね。そうしたら、その連絡帳を受け取っていないんです。
子どもに託した連絡帳は、全部ゴミ箱に入っていたんです。どうしてかといい
ますと、子どもと先生の要求が、完全にズレているんですね。どういうことか
といいますと、やっぱり、子どもの親は共働きで夜遅く帰ってくるから、話を
聞いてくれない。先生だったら聞いてくれるだろうと思ったのに、先生も口を
開けば忘れ物をしないようにとだけ言う。一昨日も忘れた、昨日も忘れた、明
日も忘れるんじゃないかと。だんだん感情を込めて支配的な態度になる。それ
に対して、あかねちゃんはこう言ったそうです。
「先生、一寸法師の話を知って
る?」
「知ってるよ。」
「先生、背が低いよね。だから、もっと低くなってお椀に
乗って海へ行ってしまえばいい。
」と。4歳児にそれを言われた先生はショック
受けて、どうしたらいいかと私に相談に来たんです。カンファレンスですね。
私は、
「あかねちゃんを呼んできて下さい」と言いました。ただ、変なおじさん
が来てと言っても来ない。私は、あかねちゃんは頭のいい子らしい、いっぱい
話をしたいという要求を持っているけれど、保護者である親も、先生もだれも
聞いてくれない。僕が聞いてやろうって思ったんですよ。だから「あかねちゃ
んの話をいっぱい聞きたいっていうおじさんがいるから行く?と誘ってみて下
さい。」って言ったら、あかねちゃんが飛んできました。それで、何を言ったと
思いますか。ちょうどバレンタインが2月14日ですよね、そのちょうど前だ
ったものですから「おじさん、相談があるのよ。」と、4歳のあかねちゃんが僕
に言うんですよね。
「かずひこちゃんっていう好きな子がいるんだけど、どんな
チョコレートをあげるか悩んでいるんだ。」「どういうこと?」って聞いたら、
四角いチョコレートがいいか、ハート型のチョコレートがいいか、「おじさん、
どう思う?」って言うものですから、「そうだねぇ。」と。忘れ物をするとかし
ないとか、全然関係がない。「おじさんだったら、ハート型がいいなぁ。」と言
ったら、「あ、決めた、ハートにしよう!」って。「おじさん、ありがとう」っ
て。それで、今度は僕が言ったんですよ。「お母さんには誕生日やお父さんに、
チョコレートはあげる?」と聞いたら、
「あげない。」って言うんです。
「どうし
て?」と聞くと、
「お父さんは大人でしょ。私は子どもなの。子どもは、子ども
にあげるの。」と4歳児が言うんです。そうか、それは一つの理屈だなと思いま
した。じゃあ「お母さんはお父さんにチョコレートをあげるのかな?」と聞く
と、しばらく考えてて、うちのお母さんはお父さんにチョコレートをあげるよ
うな人じゃないって。4歳児は、ちゃんと観察しているのですね。その後「ち
ょっとおじさんに話があるんだけど。」と言うから「なに?」って言ったら、
「明
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日もおじさん、来る?」って言う。僕は保育実習の巡回に行ったわけですよ。
明日は来ないから「残念だけど、明日は来れないなぁ。」と言ったら、
「残念!」
と言うんですよ。「どうして?」って言ったら、「チョコレートをあげようと思
ったのに。」って。わずか10分の間に変わったのですね。子どもはそういう意
味では、理屈が合わないじゃないですか。大人なのでお父さんにあげないと言
ったのに、でも大人の私にあげるっていうのは何だろうと思うと、話を聞いて
くれたお礼の意味だったのかもしれません。いかにその要求が、内面的にはっ
きりとしているのかにも関わらず、保育者はそれを読み取れなかったことは、
問題があります。外国籍の子どもを支援するときに、私たちの支援が、子ども
たちが本当に納得して、自立してみようという支援になっているかどうかとい
うことを、絶えず見直していく必要があるのではないでしょうか。そして、先
生にどうでしたかと聞いたら「目から鱗が出たようでした。」と。「私は、何も
聞いてあげなかった。これが忘れ物の原因だとは思っていなかった。」とね。
「じ
ゃあ、明日からどうします?」と聞いたら、
「もう『忘れ物はしないで』という
ことは禁句にします。」と。ただ一方的に聞いてあげます、とにかく聞きに徹し
ますと。1週間したら、忘れ物をしなくなったそうです。ということは、何を
語っているかというと、私たちの思っていることと、子どもが受け止めて、自
分の要求を満たしてくれるか、くれないかということと、見る眼差しは違うか
もしれません。そこは4歳児ぐらいになりますと子どもは、潜在的に発達力と
いいますか、内面的な欲求をしっかり持っている。それを私たちは考える必要
があるんじゃないかな、ということで例を出しました。
そこで「どっちが」とか「どうして」とか「どこで」とか、「いつ」とか、W
hで始まる、Whクエスチョンは、相手の対忚を引き出す非常にいい言葉なん
ですね。
「どうして」って言うと子どもは、安心して自分のことをしゃべれます。
そういうことを、子どもは基本的に親や保育者に求めていますし、信頼関係が
できている保護者や保育者はそれがちゃんとできているのではないでしょうか。
みなさんがご承知だと思うんです。そういう意味では双方向性のコミュニケー
ションはよく言うんですが、まず保育者や親の方から「どうして」「いつ」「ど
うして」と言うことが大事なことだと思います。
その次に、外国籍の子ども、保護者に対する「決めつけ」をなくす取り組み
も大事です。例えば、白人と黒人の子どもが遊具の取り合いでけんかをしてい
るのを幼稚園で見たんです。そうしたらある先生が「黒人の子どもは、なかな
か白人の子に対して謝らないんで困るんです。」とおっしゃった。これは、非常
にまずい言葉だと思います。このように黒人はこうだという、例えそれが事実
であるとしても、言葉に出すということは、自分の考え方がそういう風に向い
てしまうんです。ですから、決めつけた言い方や見方を保育者はしないように
~9~
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して、子どもたちが話し合うことで、遊具を取り合うトラブルなどが解決がで
きる方法があるというサジェスチョン(示唆)をする。これは、黒人がこうだ
と自分で思い込んでいると、なかなかそういうサジェスチョンが与えられない
んです。そういうことも気を付けなくてはいけないことだと思います。
それから、子どもたちの身近な遊びや生活の中で、異文化、異質の人への理
解、尊重、支援する心と実践の能力を育てるということが書いてありますけれ
ども、一般的な事ですが、人種、貧困、民族、宗教、社会的経済的階層、性別、
高齢者、障害者など自己とは異なるもの、異質なものを理解し、尊重して、共
感的な理解ができるようにすることが大事かと思います。そして、個性や肌の
色の違いを、上下関係ではなく、相互に援助し、支援し合うことを保育者は大
事にする必要があります。それから、社会の不公正、差別に対しては、先程「ク
リティカル」という言葉がありましたけれども、批判的な思考力や実践力を、
子どもたちが獲得できるように配慮することも大事だと思います。
外国籍の子どもたちが、自分に自信を持って、あるいは自己肯定感を持って、
差別や偏見から自由になれるように育てることは、保育者の役割です。外国籍
の幼児・保護者も含め、日本の幼児・保護者も平等に、今、社会福祉の世界で
よく言われている「ウエルビーイング」
(well-being)という言葉がありますね、
至福の状態といいますか、いつも楽しい幸せな気分といいますか、そういう状
態を、日常生活の中で保障するためには、どんなことが必要で、どんなことを
してはまずいかということを、絶えず精査して、見直していくことが大事だと
思います。つまり、保育所や幼稚園の日常的な保育の絶えざる見直しが重要だ
と思います。
その次に、幼児同士、あるいは保育者同士、保護者と子ども、保育者と保護
者の間の関係性を、役割の違いはあるのですが、人間としては平等である、あ
るいは共生している存在であるということ。それから二番目は外国籍の子ども
と日本の子どもとの間、あるいは外国籍の保護者と日本の保護者との間を対立
的に、あるいは境界線を明確にして捉えるのではなくて、同じ園の子どもたち
同士、あるいは保護者同士として、相互に協力、支援し合う関係を築くように
することは、保育者にとって極めて重要な役割ではないかと思います。
次に、環境の構成の見直しの重要性についてですが、言うまでもなく、幼児
期の保育とか教育は、環境を通しての教育と言われていますように、環境の構
成のあり方というのはやはり重要かと思います。見直しの視点としては、いく
つかありますけれども、園環境の多文化化を促進するのは重要かと思います。
皆さんが幼稚園や保育所に入ったときに、そのクラスの壁を見て下さい。写真
や美術品とか絵画に異質なものが飾られているかどうか。例えば女性のパイロ
ットの絵とか写真があるかないか。それから、女性の消防士の絵とか写真があ
~ 10 ~
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るかないか。それはある意味では、日常的なものでなく、異質なものです。そ
れを日常的に見ることによって、性差別を感覚的に問い直されることがあると
思います。
それから、日本人だけの視点ではなく、世界の異なる文化や子ども、あるい
は人種・宗教などに着目して、その生活の姿を壁などの空間を利用して、子ど
もたちの目に日常的にふれる壁空間を最大限に利用して展示する必要がありま
す。特に、民族的な多様性や、ジェンダーフリーの問題や、障害者、あるいは
高齢者など、いろんな人間がいるよということを自然の形で子どもたちに気付
かせる工夫が必要ですね。
その次に、スウェーデンのゲーテブルグというところで、今、幼児期の教育
だけでなく、成人の教育についてですけれども、地球環境の保全と開発が非常
に大きな問題となっています。そういう意味では、サステナブル・デベロップ
メントと申しますか、そういうことを幼稚園・保育所でも積極的に取り上げる
必要があるのではないかと最近思います。これは、外国籍の子どもも日本の子
どもも共通してできる課題です。例えばリサイクルの問題とか、ゴミの分別と
か、それからさらにリユースの問題や、リデュース(節約)の問題ですね。そ
ういうことについて一緒に取り組む。なぜそういう活動をしなければいけない
のかという点では、外国籍の子どもと日本の子ども、あるいは日本の保育者と
外国籍の保護者との境界線は必要ないわけです。そういうことがすごく重要な
課題ではないかと思います。スウェーデン、デンマーク、フィンランドでは昨
年8月に行ったとき、そういうことをデイケアや教育機関でもかなり取り組ん
でいることがわかりました。
それから最後に、アコモデーションという考え方ですね。子どもを取り巻く
保育・教育環境の基本的な考え方として、私が提言したいのは、アコモデーシ
ョンです。アコモデーションというのは、英語で言いますと、ドミネーション、
支配に対する言葉として考えていいと思うんです。これは私の尊敬するバーン
ステインという先生も理論的に提示しているのですが、どちらかというと日本
は縦社会、幼稚園も保育所も、先生が中心で子どもはその先生の企画や活動、
プランに合わせて子どもがそこに関わるという、参加型の保育です。少し語弊
があるかもしれませんが、先程のあかねちゃんの話じゃないですが、もう少し
子どもたちが積極的に自分から、人間の本質である能動性とか有能性とか、人
と関わる能力を、これをまとめて僕は個性と考えているんですが、その違った
個性がそれぞれ育つ、開かれていくためには、保育者中心から子ども主体の保
育・教育ということへの転換が問われます。そのためには保育も子どもの参加
から、参画への変化が求められます。私も、昨年10月に『子どもの参画』と
いう本を、一人ではないんですが書いて提案いたしました。大事なことは、子
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多文化な背景を持つ就学前児童への支援を考える研修会
平成 23 年 2 月 22 日(火) (公財)兵庫県国際交流協会
ども自身が自分の発達の過程の中で、さっき自己肯定感が大事であると言いま
したが、子どもが自分達で企画をして、遊びがそうですが、自分で遊びたい時
間を遊びたい仲間と遊びたい環境、遊具の中でできた時に、子どもは非常にウ
ェルビーングといいますか、幸せな状態が保障されるのではないでしょうか。
それを遊びだけでなく、活動の面においても、積極的に参画できる機会を保障
してあげることが大事だと思います。その原理となるかどうかわかりませんが、
アコモデーションは子どもが生活の自立、思考の自立、あるいは身体的な自立、
心理的な自立が可能になるような、子どもの求めに忚じた援助と言えます。従
来のアダプテーション(adaptation)という心理学の中にある適忚という概念
には、私はあまり賛同できません。なぜかといいますと、それは保育者中心に
考えたときに、子どもが保育者のルールや保育者の考え方に合わせているとい
う、一方的なんです。アコモデーションは子どもの言いなりになるというので
はなく、子どもの心理的な要求に寄り添いながら、先生や幼稚園・保育所の保
育の目指す目標に気付かせる。それを気付かせることができなかったら、専門
家とはいえませんね。先程のあかねちゃんの話を思い出してください。心理的
欲求を満たす形で、援助していく、支援していくことは可能だと思います。実
際にそういう保育所や幼稚園の実践例はたくさんあります。
それからもう一つ大事なのは多文化化。ダイバーシティ(diversity)、多様性
の尊重です。多様性ということは、時間的空間ルール、あるいは活動について、
子どもが選択する機会がより豊富になることを意味しています。何でもかんで
も選択できる、並べればいいのではなくて、子どもが主体的に選択できるよう
な、そういう意味での多様性というのはこれからの保育の方向ではないかなと
私は思います。だから家庭や園、地域社会そして地球における、子ども一人一
人の心理的欲求に寄り添って、子どもたちが相互に援助し合い、思いやりのあ
る子どもを育てる環境の構成に、絶えず保育者や保護者、地域の大人も含めて
心がけていくことが、役割として重要なのではないかと思います。
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次に、保育者と外国籍の幼児・親との関係・園環境の構造と多文化保育共有
のモデルについてお話したいと存じます。
まず、別紙2をご覧下さい。これはパワーポイントがございませんので、資
料をご覧下さい。多文化保育共通のモデルについて、アコモデーションという
言葉が出てきますので、下の方をご覧下さい。アコモデーションという言葉を、
ちょっと辞書で引いてみたんですね。イギリスの辞典で引いてみますと、アコ
モデーションは、「an adjustment or adaptation to suit a special or different
purpose」とあります。「特定のまたは異なる目的に適うように調整したり、適
忚すること」です。つまり、子どもの心理的要求に寄り添いながら、それに合
わせながら、しかも先生が期待する方向に自立をさせていく、その調整という
ニューアンスがアコモデーションという言葉にはあるんですね。ですから、そ
れはあくまでも先生が中心というよりは、子どもを中心とした先生の支援、援
助になります。このような幼児の心理的要求、求めに忚じた援助は、幼児の発
達に及ぼす影響が非常に大きいと思います。アコモデーションをここでは、他
者を子どもに置き換えて下さい。子どもの心理的要求を受けとめ、子どもが自
分の意思でもって生活とか、あるいは様々な面での自立ができるように援助す
ることの意味で使っております。それを図示化したものが上の図です。それで、
これは本当は実線になっていますけれども、点線にしていただければよかった
のですが、点線でありますと、外から中に入っていく、中から外に出やすいと
いう、そういうイメージがあります。そこに、A太とかB子とかCとか、Dと
か、Eとかいう記号で書いてありますが、これは名前です。個性を表していま
す。それでかっこ(
)の中に役割があります。どちらかというと、日本の
幼稚園・保育所は、日本全体がそうですが、役割を重視して個性はその次とい
う感じがいたします。個性は理想的だとかナンセンスだという学者がいますけ
れども、はたしてそうでしょうか。個性というのは先程申しましたように、人
間の本質である有能性、能動性、それから、人とのコミュニケーションを含む
その人独自の特性を表しています。コミュニケーションが非常に重要であると
いうのは、双方向性のコミュニケーションによって、それに関わっている保育
者と保護者も子どもも、自分の個性が磨かれていくという仮説を持っています。
ですから、女児・男児とそこに書いてありますけれど、これは役割としてある
わけですから、これを否定するということはないわけです。B 子というのは、
その個性ですね。個性をもって、女児であるという役割を作る。それから A 太
というですね、子どもの個性をもって男児としての役割をすればいい。それか
ら保育者の方は、たとえば C 先生だか、C 先生は C という個性を持った保育者
です。その C という個性を活かして、保育者の役割をしていると考えられます。
これは父親も、母親も同様です。そして、お互いに、コミュニケーションが双
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方向性になっています。それを、ある意味では原理的に申しまして、
「相互アコ
モデーションシステム」という言葉を使いましたけれども、お互いに心理的な
要求を大事にし合って調整して、全体として、幼稚園や保育所、あるいは地域
の子どもたちのいずれも個性と役割を持った人間としてウェルビーングの状態
になっていくという方向性がモデルとしては考えられます。下の方に母親のネ
ットワーク化や、父親の参画の促進ですね。父親の参画と言いましたけれども、
おやじの会とか土曜日の会とかでいろいろ今始まっていますが、まだまだ不十
分だと思います。
それから左の図、別紙の1をご覧いただきたい。皆さんもお分かりのように、
下の方に「めだかの学校」と、
「すずめの学校」がありますが、これは象徴的な
イメージを表すものとして利用させていただきました。
「すずめの学校」は、
「む
ちをふりふり、ちぃぱっぱ」で、オーケストラみたいに、先生と子ども、この
間にはっきりとした境界線があります。こういうタイプの形式です。それに対
して、
「めだかの学校」は、二番目の歌詞に「だれが生徒か、先生か」っていう
歌詞があります。つまり、一見、個性の集まりは先生も人間、子どもも人間と
いう面では共通しています。それを踏まえて、先生の役割を作る、あるいは子
どもの役割を作るという意味で、どちらかというと B タイプですね。この「め
だかの学校」タイプを、一つのモデルとして考えたわけです。一番注目してい
ただきたいのは、保育者と子どもとのコミュニケーションの体系です。これは、
非常に重要で、先程からあかねちゃんの例で言いましたけれども、保育者・先
生と、それから幼児・親、特に外国籍の幼児・親との関係はヨコ型で、相互調
整的という言葉を用いました。もっと言えば、アコモデーションという一つの
原則の上にたったコミュニケーション。それから、文化の方では単一的な文化
よりも多元的、いわば多文化的なものです。それから、集団と個の関係です。
どちらかというと A タイプの方は、
「出る杭は打たれる」とか、あるいは「同一
性」、みんなは同じようにやって従わないといじめにあうという構造があります。
小・中・高でも同様です。それに対して B タイプの方は、
「みんなは一人のため
に」という言葉のように、一人一人の個性のちがいに基づいて相互に尊重し、
支援しあうということが可能です。つまり、異質性を大切にする。A タイプの
方は同一性を非常に大切にする、これは悪い事ではないんですが、度が過ぎる
と、いじめが発生してくるということがあります。そういう意味で秩序化の原
理を見ると、A タイプは和。皆、同じように考える、同じように規則を守る、
同じように行動する、これが和で、日本的な和です。それに対して B タイプは、
ハーモニー、調和。それぞれが違った対忚、違った考え方、あるいは違った行
動をしていても、全体的には調和することが各自に求められます。バラバラに
なったら無秩序になってしまいます。ですから、この相互支援調和力はすごく
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重要ではないかなと思います。そういう意味で、多文化共生の園の仕組みのス
タイル、つまり外国籍にやさしい、子ども・保護者にとってやさしい園の仕組
みも、私たちがこういう研修会で考える必要があると思います。つまり様々な
実践の事例、非常にミクロ的な事例だけではなく、マクロ的な園の仕組み、あ
るいは地球全体の状況というものと、ミクロなものと併せて、これからの多文
化保育の実現を図っていく必要があるんじゃないかと思います。非常に舌足ら
ずでしたけども、以上で終わりたいと思います。それから、最後にこの B タイ
プの体系がなぜ外国籍の子どもによりやさしい対忚ができるのかといいますと、
少し理論的な話ですが、どちらかというと保育者・日本の子どもはマジョリテ
ィ。外国籍の子どもはマイノリティです。この B タイプがマイノリティの幼児
の個性を開放する方向に、
「めだかの学校」タイプが機能するのは、コミュニケ
ーション体系が他者の動機付けや心理的欲求に向けてのコミュニケーションや
方向付けを促進するという特質を持っているからです。幼児一人一人の個性の
違いを明確にする方向に機能する話し言葉を育成する環境ということがきわめ
て重要です。ですから、絶えずマイノリティである外国籍の幼児の心理的要求
に適忚しながら、新しい役割を創造していくという可能性を含んだ一つの仕組
みとして日々省察、検討し、変えてゆくことをすべての子どもたちから求めら
れていることを忘れてはならないと思います。
なお、宣伝になりますけども、詳しくはこの拙著『多文化保育論』(学文社)
および『子どもの参画』(学文社)、この中に今まで述べたことを詳しく書いて
ありますのでお読み頂き、またご批判いただければと思います。どうも長い間、
ご清聴ありがとうございました。
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